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『三玉挑事抄』注釈 雑部(二)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 雑部(二)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 192

ページ 135‑180

発行年 2013‑11‑30

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013654

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事抄

﹄雑 部の 579番 から 634番 まで を掲 載す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程前 期課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある

︒な お各 項目 末尾 の︵

︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した

︒ 玉越 雄介

︑山 内彩 香︑ 梅田 昌孝

︑藤 原崇 雅︑ 永田 あや

︑太 井裕 子︑ 倉島 実里

︑増 井里 美 凡例 一︑ 翻刻 は原 文の まま を原 則と して

︑誤 字・ 脱字

・濁 点・ 当て 字・ 仮名 遣い 等も 底本 の通 りに した が︑ 読解 や印 刷の 便 宜を 考慮 して 次の 操作 を行 った

︒ 1 句 読点 を付 け︑ 会話 文な どは

﹂で 括り

︑底 本の 旧漢 字・ 異体 字・ 略体 は通 常の 字体 に改 めた

︒ 2 誤 写か と思 われ る箇 所に は︑ 右側 行間 に︵ ママ

︶と 記し た︒ 3 和 歌の 上に

︑通 し番 号︵ 579〜 634︶ を付 けた

︒ 一︑

﹇ 出典

﹈の 欄に は︑ 和歌 と注 釈本 文の 典 拠 を示 す

︒和 歌 には

﹃新 編 国 歌大 観

﹄の 歌 番 号︵ 万葉 集 は 旧番 号 の み示 す

︶を 記 す が︑ 無 い 場 合 は﹁ 該 当 歌 な し﹂ と 表 記 し

︑﹃ 三 玉 和 歌 集 類 題﹄ に あ れ ば 部 立 な ど を 示 す

︒注 釈 本 文 が

― 135 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(3)

﹃新 編日 本古 典文 学全 集﹄

︵ 小学 館

︒略 称

﹃新 編 全集

﹄︶

︑ ま たは

﹃新 釈 漢 文大 系

﹄︵ 明 治 書院

︶に 収 め られ て い る場 合 は︑ その ペー ジ数 も記 載す る︒ 一︑

﹇ 異同

﹈の 欄に は︑ 翻刻 本文 との 異同 を列 挙 す る︒ ただ し

︑濁 点 や送 り 仮 名の 有 無︑ 漢 字 と仮 名 の 相違 は 取 りあ げ ない

︒和 歌の 本文 は﹃ 新編 国歌 大観

﹄と

︑注 釈本 文は 原則 とし て版 本と

︑そ れぞ れ比 較す る︒ 異同 がな い場 合は

﹁ナ シ﹂ と記 し︑ ある 場合 は﹃ 三玉 挑事 抄﹄ の本 文│ 異文 の順 に列 挙す る︒ 複数 の作 品す べて に異 同が ない 場合 は︑ 書 名を まと めて 列挙 して

︑末 尾に

﹁ナ シ﹂ と記 す︒

○ 源氏 物語 は︑ 絵入 り承 応版 本

︵略 称﹃ 承 応﹄

︒ 国文 学 研 究資 料 館 のホ ー ム ペ ージ に 公 開︶ と︑ 北村 季 吟﹃ 源 氏物 語 湖月 抄﹄

︵ 略称

﹃湖 月抄

﹄︒

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄ 新典 社を 使用

︶に よる

○ 伊勢 物語

・大 和物 語・ 枕草 子・ 古今 集序

・八 代集

・和 漢朗 詠集 は︑

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄

︵新 典社

︶に よる

○ 竹取 物語 は絵 入り 版本

︵無 刊記 版︒ 同志 社大 学所 蔵︶ によ る︒

○ うつ ほ物 語は 文化 三年

︵一 八〇 六年

︶補 刻本

︑狭 衣物 語は 承応 三年

︵一 六五 四年

︶版 本に より

︑い ずれ も三 谷栄 一

﹃平 安朝 物語 板本 叢書

﹄有 精堂 を使 用す る︒

○ 漢籍 も同 志社 大学 に版 本が ある 場合 は︑ それ を用 いる

︒な い場 合は

﹃新 釈漢 文大 系﹄ など によ る︒ 一︑

﹇ 訳﹈ の欄 には 翻刻 本文 の現 代語 訳︑

﹇考 察

﹈の 欄 に は和 歌 と 典拠 と の 関係 な ど︑

﹇ 参 考﹈ の欄 に は 参考 資 料 など を 記す

︒ 一︑ 歌題 が同 じで ある 和歌 が連 続す る場 合︑ 底本 では 二首 めか らの 歌題 は省 略し てい るが

︑本 稿で は﹇ 訳﹈ に限 りす べ ての 歌に 題を 示し た︒ ただ し補 足し た歌 題に は︵

︶ を付 けて

︑底 本に はな いこ とを 示す

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 136 ―

(4)

579初 瀬山 もろ こし まて もあ はれ ひの 深き をわ きて たの むと そ聞 玉 かつ らの 巻云

︑﹁ 初 瀬な ん︑ 日の 本に あら たな るし るし あら はし たま ふと

︑も ろこ しに も聞 え有 也﹂ 云々

︒ 河 海 抄 引 縁起 曰

︑僖 宗 皇帝 の 后 馬頭 夫 人

か た ちの み に くき 事 を 歎き 給 け る に︑ 仙人 の 教 によ り て 東 に 向 て日 本国 長谷 寺の 観音 に祈 請し 給け るに

︑夢 中に 一人 の貴 僧︑ 紫雲 にの りて 東方 より 来て

︑手 をの へて 瓶水 を 面に そゝ くと みて 忽に 容貌 端正 にな りに けり 云々

︒下 略

﹇ 出典

﹈該 当歌 なし

︒源 氏物 語︑ 玉鬘 巻︑ 一〇 四頁

︒河 海抄

︵玉 上琢 彌編

︑角 川書 店︶

︑玉 鬘巻

︑三 八七 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 承応

﹄﹃ 湖 月抄

﹄﹁ 日の 本に

│日 の本 のう ちに は﹂

﹁ もろ こし にも

│も ろこ しに だに

﹂︒

﹃ 河海 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 寺院

︶ 唐 土の 人々 まで もが

︑初 瀬山 の観 音の 深い お慈 悲を

︑と りわ け頼 みに して いる と聞 くこ とだ

︒ 玉 鬘の 巻に よる と︑

︵ 豊後 介が 言う には

︶﹁ 初瀬 の観 音が

︑日 本に あら たか なご 利益 をお 示し にな ると

︑唐 土で さ え評 判に なっ てい るそ うで す﹂ 云々

︒ 河 海抄 に引 く縁 起に よる と︑ 僖宗 皇帝 の后 馬頭 夫人

が容 貌 の 醜い こ と を 歎き な さ って い る と︑ 仙人 の 教え を受 けて

︑東 に向 かっ て日 本国 の長 谷寺 の観 音に 祈請 なさ ると

︑夢 の中 に一 人の 貴僧 が紫 雲に 乗っ て東 方 から 来て

︑手 を伸 べて 瓶水 を馬 頭夫 人の 顔に 注ぐ と見 るや

︑た ちま ち美 しい 容貌 なっ た云 々︒ 下略

︵太 井裕 子︶ 580初 瀬山 かけ てそ あふ く藤 原の 花の さか へも しる し有 きと 河 海抄 云︑ 徳道 上人 長谷 寺建 立之 時︑ 藤原 房前 卿奏 聞助 成之 間︑ 彼聖 人聖 朝安 穏藤 氏繁 昌乃 至︑ 法界 衆生 の為

― 137 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(5)

に 祈請 之由

︑見 縁起 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三一 四番

︒河 海抄

︵玉 上琢 彌編

︑角 川書 店︶

︑玉 鬘巻

︑三 八七 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 河海 抄﹄

﹁聖 人│ 上人

﹂︒

﹇ 訳﹈

︵ 寺院

︶ 初 瀬山 に参 詣し

︑心 にか けて 仰ぐ こと だ︒ 藤の 花が 盛 り で ある よ う に︑ 藤原 氏 の 栄え も 徳 道 上人 が 祈 った と お り︑ ご 利益 があ った と︒ 河 海抄 によ ると

︑徳 道上 人は 長谷 寺建 立の 時に

︑藤 原房 前卿 が奏 聞し 助成 して いる 間︑ その 聖人 は聖 朝が 安穏 で 藤原 氏が 末永 く繁 昌し て︑ 法界 衆生 の為 に祈 請し たと いう こと が縁 起に 見え る︒

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑初 瀬山 の参 詣で 藤の 花が 咲き 誇る 様子 を 見 て︑ 徳道 上 人 が藤 原 氏 の繁 栄 を 祈 った 逸 話 を思 い 出 した も の︒

︵太 井裕 子︶ 仏寺 581よ のつ ねの ふり 行寺 の仏 のみ かは らぬ かさ り光 そひ つゝ 椎 本巻 云︑ 塵い たう つも りて 仏の みそ 花の かさ りお とろ へす 云々

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 七二

〇番

︒源 氏物 語︑ 椎本 巻︑ 二一 二頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ か さり

│か ぎり

﹂︒

﹃ 承応

﹄﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

仏寺

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 138 ―

(6)

時 が移 ろう こと は常 のこ とで ある が︑ 古寺 の仏 だけ は供 養の 花の 飾り が︑ 変わ るこ とな く光 り輝 いて いる こと だ︒ 椎 本の 巻に よる と︑ 塵が たい そう 積も って

︑仏 前だ けは 供養 の花 の飾 りが 以前 と変 わら ない 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑八 の宮 の亡 き後

︑塵 が積 もり

︑花 の飾 り以 外は 変わ って しま った 宮の 居所 の様 子を 描い た場 面

︒当 歌は

﹁ふ り﹂ に﹁ 年を 経る

﹂と

﹁古 くな る﹂ を掛 けて

︑過 ぎ行 く時 の無 常さ と仏 の普 遍性 を対 比的 に詠 む︒

︵倉 島実 里︶ 古寺 滝 582い まみ るも 何山 姫の さら すと もし られ ぬ布 を風 や吹 らん 伊 勢集 云︑ 龍門 とい ふ寺 にま ふて ゝ︑ む月 の十 日あ まり にな ん有 ける

︒み れは 其堂 の有 さま

︑滝 は雲 の中 より お ち来 るや うに みゆ

︒仙 のい はや とい ふは

︑い たく 年ふ りて

︑い はの うへ の苔

︑八 重む した り︒ あは れに たふ と くお ほえ て︑ なみ たお つる 瀧に おと らす 云々

︒た ちぬ はぬ きぬ きし 人も なき 物を 何山 姫の 布さ らす らん

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三二 二番

︒伊 勢集

︵正 保四 年刊 歌仙 家集

︶︑ 七番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 布 を風 や吹 らん

│布 の風 を吹 くら ん﹂

︒﹃ 伊 勢集

﹄﹁ 年ふ りて

│年 つも りて

﹂︒

﹇ 訳﹈

古寺 の滝

ど うし て今 見て も︑ かの 山姫 が晒 した かど うか も分 から ない 布を

︑風 がな びか せて 吹い てい るの だろ うか

︒ 伊 勢集 によ ると

︑龍 門と いう 寺に 参詣 した のは

︑一 月十 日あ まり のこ とで あっ た︒ 見る とそ の堂 の様 子は

︑滝 が 雲の 中か ら落 ちて くる かの よう に見 えた

︒仙 の岩 屋と いう のは

︑た いそ う長 く年 を経 て︑ 岩の 上に 深く 苔む し てい た︒ 感慨 深く 尊い と思 われ て︑ 感動 の涙 は 瀧 に も劣 ら な い云 々

︒﹁ 裁 ち縫 う こ と をし な い 衣を 着 た とい

― 139 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(7)

︑あ のい にし えの 仙人 たち はも うい ない のに

︑ど うし て山 の女 神は

︑こ のよ うに 今も 布を さら して いる のだ ろ う﹂

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹃伊 勢集

﹄の 歌を 踏ま え︑ 瀧を 山姫 が晒 した 布に 譬え たも の︒

︵倉 島実 里︶ 寺近 聞鐘

583お もふ にも 瓦の 色に かね の声 みる やさ ひし き聞 やか なし き 都 府楼

︑観 音寺

只 聴

鐘 声︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 七一 一番

︑一 九九 三番

︒菅 家後 集︑ 不出 門︒ 和漢 朗詠 集︑ 下︑ 閑居

︑六 二〇 番︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 瓦

│尾 上︵ 一七 一一 番︶

│を のへ

︵一 九九 三番

︶﹂

﹁ 聞く や│ 夢や

﹂︒

﹃ 菅家 後集

﹄﹃ 和漢 朗詠 集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

寺の 近く で鐘 を聞 く 思 って みる と都 府楼 の瓦 の色 は見 ても 寂し いだ ろう か︑ 観音 寺の 鐘の 音は 聞い ても 悲し いだ ろう か︒ 大 宰府 政庁 の楼 門は

︑わ ずか に瓦 の色 を眺 める だけ だ︒ 観音 寺も

︑た だ鐘 の声 を聞 くば かり だ︒

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑太 宰府 に左 遷さ れた 菅原 道真 の漢 詩を 典 拠 とし て

︑そ の 地で 虚 し く生 涯 を 終 えた 道 真 のつ ら い 心情 を 思い やり 詠ま れた もの

︵倉 島実 里︶ 野 寺僧 帰

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 140 ―

(8)

584分 かへ る袖 さむ から し月 の下 の門 は野 かせ の吹 にま かせ て 賈 嶋︒ 鳥

宿

樹︒ 僧

門︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 三四 三番

︒詩 人玉 屑︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 詩人 玉屑

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

野の 寺に 僧帰 る 風 の中 を進 んで 帰る 僧の 袖は

︑寒 いこ とだ ろう

︒月 に照 らさ れた 門は

︑野 風に 吹か れた まま で︒ 賈 島の 詩︒ 鳥は 池の 辺り の樹 に宿 り︑ 僧は 月の 下の 門を 敲く

﹇ 考察

﹈﹁ 推敲

﹂の 出典 は︑ 五代

・後 蜀の 何光 遠﹃ 鑒戒 録﹄ 巻八

・賈 忤旨 が初 出︒ 宋・ 胡仔

!

渓漁 隠叢 話﹄ や宋

・魏 慶 之﹃ 詩人 玉屑

﹄な どに よ る と︑ 唐 の詩 人 で ある 賈 島 は﹁ 僧推 月 下 門﹂ の 句を 作 っ たが

︑﹁ 推

﹂を

﹁敲

﹂に 改 めた 方 がよ いか どう か苦 慮し て韓 愈に 問 い︑

﹁ 敲﹂ に 決し た こ とに よ り﹁ 推 敲﹂ とい う 言 葉 が生 ま れ た︒ 当歌 の 第 二句

﹁袖 さむ から し﹂ は﹁ さむ から じ﹂ では なく

﹁さ むか る・ らし

﹂の

﹁る

﹂が 脱落 した と解 釈し た︒

﹃詩 人玉 屑﹄ の本 文 は︑ 早稲 田大 学の 古典 籍総 合デ ータ ベー スに よる

︵藤 原崇 雅︶ 山 家橋 585出 しと はち かふ とな しに 打わ たし いつ かは 過し 谷の 板は し

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 六八

〇番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

山の 家の 橋 出 るま いと 誓っ た訳 でも ない が︑ ずっ と谷 に架 かっ てい る板 の橋 を︑ いつ 通り 過ご した のだ ろう か︒

― 141 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(9)

﹇ 考察

﹈典 拠は 586番 の﹁ 虎渓 三笑

﹂の 故事 に同 じ︒

﹁打 わた し﹂ は副 詞﹁ うち わた し﹂

︵ ずっ と続 いて

︶と 橋を

﹁渡 す﹂ と を掛 ける

︵藤 原崇 雅︶ 寄 橋雑 586谷 ふか み橋 を過 しの ちか ひた にあ れは 有世 をな とわ たる らん 廬 山 記 曰︑ 遠 法師 居

廬阜

︑三 十 余年 影 不

︑ 跡 不

俗︒ 送

︑虎

輙 鳴

︒昔

陶 元

亮 居

︑山

︑亦 有

之士

︒ 遠

師 嘗

二人

︑与

合不

覚︑ 過

︒今

世伝

三 笑

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五九 九番

︑七 三六 三番

︒廬 山記

︑仁

︑第 一巻

︑叙 山北 篇第 二︒

﹇ 異 同

﹈﹃ 新 編 国 歌 大 観﹄ ナ シ︒

﹃廬 山 記

﹄﹁ 遠 法 師 居

廬 阜

︑ 三 十 余 年 影 不

︑ 跡 不

俗︒ 送

︑虎

輙 鳴

︒昔

陶元

│虎 渓昔 遠師 送客 過此 虎輙 号鳴 故名 焉時 陶元 亮﹂

﹇ 訳﹈

橋に 寄せ る雑 の歌 谷 が深 いの で橋 を通 り過 ぎな いで おこ うと いう 誓い さえ ある 世の 中な のに

︑な ぜ世 渡り をす るよ うに 橋を 渡る のだ ろ うか

︒ 廬 山記 によ ると

︑遠 法師 は廬 の小 高い 丘に 居り

︑三 十余 年も 山を 出た こと がな く︑ 俗界 に入 った ため しが なか っ た︒ 客を 送っ て虎 渓を 過ぎ たと ころ で︑ 虎の 吠え る声 がし た︒ 昔︑ 陶元 亮は 栗の 里に 居て

︑山 の南 にい る陸 脩 静 も ま た道 士 で ある

︒遠 法 師 はか つ て こ の二 人 を 送っ た と き︑ あま り に 話 が合 い

︑語 り 合 っ て し ま っ た た

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 142 ―

(10)

︑不 覚に も境 界線 を過 ぎた こと に気 づき

︑互 いに 笑い 合っ た︒ 今の 世に は︑ この 挿話 は三 笑の 図と して 伝わ っ てい る云 々︒

﹇ 考察

﹈﹁ 遠法 師﹂ は中 国東 晉の 僧︑ 慧遠

︒廬 山の 東林 寺に 住み

︑白 蓮社 を創 設し

︑中 国浄 土宗 を開 いた

︒陶 元亮 は陶 淵 明 の 字︒ 陸 脩静 は 東 晋末

〜南 朝 宋 の道 士

︑陸 修 静︒ 虎 渓は 廬 山 に流 れ る 川の 名 前 で

︑俗 世 と の 境 界 と さ れ て い た

﹇ 参考

﹈﹃ 廬山 記﹄ は国 立公 文書 館デ ジタ ルア ーカ イブ 所収 の内 閣文 庫に よる

︵藤 原崇 雅︶ 山家 路 587君 かた めい まも 道有 しる へし て出 へき あき の山 人も かな 漢 書︒ 張良 伝曰

︑良 曰︑

﹁ 始上 数在

之中

一ニ

︒ 幸

一ヲ

︒今 天下 安

︒以

一ヲ

︒ 骨

之 間︑ 雖

臣 等百 人

︑何

﹂︒ 呂

沢彊 要

曰︑

﹁為

我画

﹂︒ 良

曰︑

﹁此 難

一ヲ

︒顧

上 有

所 不

者 四 人

四 人 年

︒皆 以

!

"

レセ

︑故

匿 山

一ニ

義 不

一ト

︒然 上 高二シ

四人

一ヲ

︒今 公誠

能毋

二コ

金 玉璧 帛一ヲ

︒令

太 子

︑卑

︑安

︑因 使

一ハ

︑宜

︒以 為

︑時 従 入

︒令

︑則 一

﹂︒ 於

是 呂

︑令

レシ

使

太 子

一ヲ

︒ 卑

辞︑ 厚レノ

四人

一ヲ

︒四 人至 客二タ

建成 侯

一ニ

云 云︒

﹇ 出 典﹈ 雪 玉 集︑ 二 三 四 四 番︒ 漢 書

︵高 木 友 之 助

・片 山 兵 衛

﹃中 国 古 典 新 書 続 編 漢 書 列 伝﹄ 明 徳 出 版︑ 一 九 九 一 年

︶︑ 張 良伝

︑一 二二 頁︒

― 143 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(11)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 漢書

﹄﹁ 以口 舌争

│以 口舌 争也

﹂﹁ 宜

︒ 以為

│宜 来来 以為 客﹂

﹁ 則一

│ 則 一助 也﹂

﹇ 訳﹈

山家 の路 主 君の ため に今 も進 むべ き道 案内 をし て︑ 商山 の四 皓の よう に山 から 出て 来る 賢者 がい れば なあ

︒ 漢 書の 張良 伝に よる と︑ 張良 は︑

﹁ 昔︑ 帝︵ 劉邦

︶は しば しば 急困 され た時

︑運 よく 私の 策を 用い られ まし た︒ し かし

︑今 天下 は安 定し てお り︑ 愛憎 から 太子 を 代 え よう と な さる の は︑ 肉 親の 情 と し ての 問 題 であ り ま す︒ 私 のよ うな 者が たと え百 人い たと し て も︑ 役 に立 た な いで し ょ う﹂ と言 っ た︒ し か し︑ 呂沢 は 無 理強 い し て︑

﹁私 のた めに 計画 せよ

﹂と 迫っ た︒ そこ で︑ 張良 は次 のよ うに 助言 した

︒﹁ これ は言 葉だ けで は扱 い難 い問 題で す

︒思 うに

︑帝 でも お呼 びで きな い四 人の 賢者 がお りま す︒ その 四人 とは

︑園 公︑ 綺里 季︑ 夏黄 公︑ 角里 先生 の こと で︑ いわ ゆる 商山 の四 皓と 呼ば れる 者た ちで す︒ 四人 は年 老い て皆

︑帝 が士 を侮 蔑す るの を敬 遠し て山 中 に隠 れ住 み︑ 筋を 通し て漢 の家 来に なろ うと して おり ませ んが

︑帝 は彼 らを 高く 評価 して いま す︒ 今︑ あな た が金 に糸 目を つけ ない で︑ 太子 に手 紙を 書か せ︑ 礼を 尽く して 老人 達が 座れ るよ うに 車を 作る など の配 慮を し て能 弁の 士に 招か せれ ば︑ 彼ら も多 分来 るで しょ う︒ もし 来ま した ら︑ 上客 とし て丁 重に 遇し

︑折 を見 て参 内 して 帝に 見え させ てく ださ い︒ そう すれ ば 助 け にな る で しょ う

﹂︒ そ こで 呂 后 は 呂沢 に 頼 み︑ 使者 を 通 じて 張 良の 言葉 通り にさ せ︑ この 四人 を迎 える こと がで きた

︒四 人は 来朝 し︑ 建成 侯︵ 呂沢

︶の 客に なっ た︒

﹇ 考察

﹈﹃ 漢書

﹄張 良伝 は︑ 正室 呂后 の産 んだ 太子 を廃 位さ せよ うと する 劉邦 に対 抗し て︑ 呂后 が張 良に 策を 授け させ る 場面

︒﹁ あ きの 山人

﹂は 商山 の四 皓を 指す

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 144 ―

(12)

︵増 井里 美︶ 山家 松

588朝 夕の 烟も たて し柴 の庵 松の 葉す きて ある にま かせ は 若 紫の 巻に

︑さ るへ き物 つく りて すか せ奉 る云 々︒

孟 津抄 云︑ すか せは 食也

︒松 のは すき てな とお なし 事也

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 七四 一番

︑二 四二 九番

︒源 氏物 語︑ 若紫 巻︑ 二〇

〇頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承 応﹄ ナシ

︒﹃ 湖月 抄﹄

﹁ 松の はす きて

│松 の葉 をす きて

﹂︒

﹇ 訳﹈

山家 の松 あ の粗 末な 柴の 庵で は︑ 朝夕 の食 事の ため の煙 も立 てな いの であ ろう

︒松 の葉 を食 べて

︑あ るに まか せて 暮ら して い るの で︒ 若 紫の 巻に は︑ しか るべ き護 符な どを 作っ て︑ お飲 ませ 申し あげ る云 々︒ 孟 津抄 によ ると

︑﹁ す かせ

﹂は 食べ ると いう 意味 であ る︒

﹁松 の葉 すき て﹂ など と同 じこ とで ある

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄若 紫の 巻は

︑光 源氏 が瘧 病で 北山 を訪 れた 場面

︒当 歌は

︑炊 事を しな いの で煙 も立 てな い質 素な 山 の家 の生 活を

︑仙 人の よう に松 の葉 を食 べて 暮ら して いる と詠 んだ もの

﹇ 参考

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄で は﹁ 松の 葉す ぎて

﹂と 翻刻 され てい る︒

︵増 井里 美︶ 山家

― 145 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(13)

589住 人は いか ゝ見 るら ん雲 は猶 こゝ ろな くて も出 る山 かせ 雲 無

以出

︒帰 去来 辞︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 七四 八番

︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 四五 四頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃文 選﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

山家 雲 はや はり 無心 であ って も山 中か らわ きお こ り︑ 風 に 吹か れ て 流れ 出 る が︑

︵そ の 様 子 を︶ 山人 は ど のよ う に 見て い るだ ろう か︒ 雲 は無 心に 山中 の洞 穴を 出て

︒帰 去来 辞︒

﹇ 考察

﹈当 歌は 無心 の雲 でさ え山 から 出る のを 見て

︑有 心 の 人間 は 山 人で あ っ ても 外 に 出 たい と 思 うだ ろ う か︑ と詠 ん だも の︒

︵玉 越雄 介︶ 590お なし くは おと ろの 道の 奥も みて 身の かく れ家 の山 はさ ため ん 棘 路註

︑見 于秋 部︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三二 五番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 山家

︶ ど うせ 出家 する ので あれ ば︑ 公卿 とし ての 出世 の道 を極 めた 後に

︑我 が身 の隠 れ家 とす る山 を定 めよ う︒ 棘 路の 註は 秋部 に見 える

︒︵ 161 番歌

︑参 照︶

﹇ 参考

﹈原 露 161跡 とめ てお とろ の道 のお くま ても 露分 みは や春 日野 の原 周 礼︑ 左九 棘公 卿大 夫︑ 位

群 士在

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 146 ―

(14)

︑右 九棘 公侯 伯子 男︑ 位

群 吏在

︒拾 芥抄 唐名 部曰

︑大 中納 言通 用棘 路︒ 新古 今集

︑俊 成卿

︑春 日山 お とろ の道 の埋 れ水 すゑ たに 神の しる しあ らは せ

︵玉 越雄 介︶ 591深 くい とふ 身の かく れか の道 なく は洞 にも はつ る心 なら まし

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 四九 七番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 山家

︶ こ の世 を毛 嫌い する 私に 出家 する 手段 がも し無 けれ ば︑ 山の 洞穴 に対 して も恥 ずか しく 思う 気持 ちが 起こ るだ ろう が

﹇ 考察 592﹈ 番歌 と同 様に

﹁北 山移 文﹂ を踏 まえ て︑ 山に 恥じ られ ない よう 熱心 に修 行す る強 い意 志を 詠ん だ歌

︵玉 越雄 介︶ 雑歌 中 592ふ かく 入て すま ぬ心 を谷 には ち林 には つる 身の やと りか な 北 山移 文︒ 故

慙無

︑ 澗

愧不

歇︒ 註翰 曰︑ 託

以 申

也︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 四四 三番

︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 三五 五頁

︒六 臣註 文選

︑巻 四三

︒古 文真 宝後 集︑ 二六 九頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 文 選﹄

﹃六 臣註 文選

﹄﹃ 古 文真 宝後 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

雑歌 の中 奥 深い 山へ と入 って も心 を澄 ます こと がで きず

︑谷 や林 に恥 じつ つも 留ま って いる 我が 身で ある こと よ︒

― 147 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(15)

北 山移 文︒ 林の 恥じ るこ とは 尽き ず︑ 澗が 恥じ るこ とも 尽き ない

︒李 周翰 の注 によ ると

︑林 や澗 が恥 じる のに こ とよ せて

︑彼 の恥 を告 白す るの であ る︒

﹇ 考察

﹈孔 稚珪 が著 した

﹃北 山移 文﹄ は︑ 官途 に 就 くた め に 隠逸 の 志 を捨 て

︑こ の 地 を去 る 周顒 を︑ 北 山の 神 霊 が非 難 する とい う形 式を 採る

︒こ の場 面は 周顒 に向 かっ て山 や谷 が笑 い嘲 り非 難し

︑林 や澗 が恥 じて いる 場面

︵玉 越雄 介︶ 山家 593よ るの 鶴の 思ひ やそ はむ 今は とて 住へ き山 の松 のか せに も 白 氏文 集︑ 五絃 弾︒ 第三 第四 絃冷 々︑ 夜鶴 憶子 篭中 鳴︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 六四 一番

︒白 氏文 集︑ 巻三

︑新 楽府

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 白 氏文 集﹄

︵那 波本

︶ナ シ︒

﹇ 訳﹈

山家 夜 の鶴 のよ うな

︑私 の我 が子 への 思い はい っそ う募 るの だろ うか

︒今 とな って は世 を捨 てて 住む つも りの 山で

︑松 に 吹く 風の 音を 聞く につ けて も︒ 白 氏 文 集︑ 五 絃弾

︒第 三

︑第 四 の絃 は 冷 え冷 え と し た音 を 奏 で︑ 夜の 鶴 が 子を 思 っ て 篭 の 中 で 鳴 く よ う で あ る

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹃新 古今 集﹄ の四 七三 番歌 も踏 ま え て︑ 俗世 か ら 離れ て も︑ 我 が子 に 対 す る親 と し ての 愛 情 が︑ 松風 の 音に よっ てか き立 てら れて しま う心 情を 詠ん だも の︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 148 ―

(16)

﹇ 参考

﹈﹁ 虫の 音も 長き 夜あ かぬ 故郷 にな ほ思 ひ添 ふ松 風ぞ 吹く

﹂︵ 新 古今 集︑ 秋下

︑四 七三 番︑ 藤原 家隆

︵永 田あ や︶ 山家 雨 594ゆ ふま くれ 軒は の山 にか へり くる 雲も その まゝ はれ ぬ雨 かな

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三三 三番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

山家 の雨 夕 暮 に な ると

︑︵ い つ もは

︶軒 の す ぐ先 に 見 え る山 に 帰 って く る 雲も

︑︵ 今 夜 は︶ そ のま ま 晴 れ ず に 雨 が 降 る こ と だ

﹇ 考察

﹈典 拠は 595番 歌に 同じ

︵永 田あ や︶ 山家 595し つか なる わか 身ひ とつ の谷 の戸 を隣 あり とや 雲か へる らん 雲 帰而 岩穴 瞑︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 八四 二番

︒古 文真 宝後 集︑ 一六 五頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ わ か身

│た ゝ身

﹂︒

﹃ 古文 真宝 後集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

山家 静 かな 一人 身で いる 谷の 入り 口を

︑仲 間が いる と思 って 雲が 帰っ てく るの だろ うか

― 149 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(17)

︵日 が暮 れる と︶ 雲が 山に 帰っ て岩 穴が 暗く なる

﹇ 考察

﹈﹁ 酔翁 亭記

﹂は 北宋 の政 治家 であ る欧 陽脩 の著 書︒ 典拠 は︑ 朝夕 に山 を漂 う雲 を擬 人化 して

︑朝 に山 を出 て夕 方 に帰 ると 形容 した 箇所

︒当 歌は

︑雲 が谷 へ帰 って くる 理由 を推 察し たも の︒

﹁ 谷の 戸﹂ は谷 の入 口の 意︒

︵永 田あ や︶ 山家 経年

596山 住は 身を やつ して も身 そや すき はち おほ から ん命 長さ の 荘 子︒ 見于 秋部

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 七五

〇番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

山家 で年 を経 る 山 に住 むと

︑そ の身 がみ すぼ らし くな って も心 は穏 やか であ る︒ 長生 きし て恥 が多 くな るこ とに 比べ ると

︒ 荘 子︒ 秋部 に見 える

︒︵ 206 番歌

︑参 照︶

﹇ 考察

﹈﹃ 荘子

﹄は

︑長 生き する と恥 をか くこ とが 多く なる こと を記 した 部分

︒当 歌は

︑長 生き をし て恥 が多 くな るよ り は︑ 身を みす ぼら しく して も︑ 山に 隠居 する 方が 安ら かで ある

︑と いう 山に 住む 利点 を詠 んだ もの

﹇ 参考

﹈﹃ 三玉 挑事 抄﹄ 秋部 在 明月 206 おも へと も命 なか きは 有明 のか たは なか らに 世を 尽せ とや 荘 子天 地篇 曰︑ 寿

則多

︵梅 田昌 孝︶ 597友 と成 鳥け たも のや 恨ま しな れ来 し山 を住 もう かれ は

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 150 ―

(18)

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 二一 四番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 山家 で年 を経 る︶ こ れま で友 とし てき た鳥 や獣 は恨 むで あろ うか

︒馴 れ親 しん だ山 に住 むこ とも 辛く なっ たな らば

﹇ 考察

﹈典 拠は 599番 歌に 同じ

︵梅 田昌 孝︶ 山家 嵐 598よ るの 鶴恨 やせ まし 山さ との 松の あら しと 住う かれ なは

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 三四 八番

︑六 五六 四番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 鶴

│露

﹂﹁ 山さ との

│山 ざと を﹂

︵ 五三 四八 番︶

﹁鶴

│鶴 の﹂

︵ 六五 六四 番︶

﹇ 訳﹈

山家 の嵐 夜 の鶴 は恨 むだ ろう か︒ 山里 の松 の嵐 と共 に住 むこ とが 辛く なっ てし まっ たな らば

﹇ 考察

﹈典 拠は 599番 歌に 同じ

︵梅 田昌 孝︶ 隠士 出山 599夜 の鶴 恨か すら ん松 かせ を友 なひ はて ぬ人 のこ ゝろ を 北 山移 文︒ 蕙

帳空 兮夜

鶴怨

︑ 山

人去

兮 暁

猿 驚

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三六 四番

︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 三五 三頁

︒古 文真 宝後 集︑ 二六 八頁

― 151 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(19)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 古 文真 宝後 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

隠士 が山 を出 る 夜 の鶴 は恨 んで いる だろ うか

︒松 風と 一緒 に住 まな くな って しま った 人の 心を

︒ 北 山移 文︒ 香り のよ い帳 は人 の姿 もな く︑ 夜に 鳴く 鶴の 怨み の声 がす る︒ 山人 は去 って しま い︑ 暁起 きの 猿は 驚 く︒

﹇ 考察

﹈﹃ 北山 移文

﹄は

︑周 子と いう 隠者 が山 住み をし なく なっ てし まっ たこ とに 対し て︑ 夜の 鶴が 恨み

︑猿 が驚 いた と いう こと を記 す︒

︵梅 田昌 孝︶ 塩屋 煙 600こ れや この 塩や くな らし 夕煙 月と もい はし すま の浦 波 す まの 巻︒ 烟の いと 近く とき

! "

立く るを

︑こ れや あま の塩 やく なら んと おほ しわ たる は︑ おは しま すう しろ の 山に

︑柴 とい ふも の︑ ふす ふる 也け り︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑八

〇九 四番

︒源 氏物 語︑ 須磨 巻︑ 二〇 七頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

海水 を煮 て塩 を作 る家 から 出る 煙 こ れこ そあ の須 磨の 浦で

︑海 人が 塩を 焼い てい る夕 べの 煙で あろ うか

︒煙 で隠 れて 月が 出て いる かど うか 言え ない が 須 ︒ 磨の 巻︒ 煙が すぐ 近く まで とき どき 流れ てく るの を︑ これ が海 人の 塩を 焼く 煙だ ろう と︑ これ まで ずっ と思

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 152 ―

(20)

っ てい らっ しゃ った のは

︑じ つは お住 いの 後ろ の山 で柴 とい うも のを くす べて いる のだ った

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑須 磨へ 退居 した 光源 氏が

︑流 れて くる 煙を 見て 古歌

﹁須 磨の 海人 の塩 焼く 煙風 をい たみ 思は ぬ 方に たな びき にけ り﹂

︵ 古今 集︑ 恋四

︑七

〇八 番︑ 題し らず

︑読 人し らず

︶を 思い 起こ す場 面︒

︵山 内彩 香︶ 窓竹

601竹 くら き窓 にそ おも ふた か宿 にふ みの なに おふ 草も おひ けん

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六〇 六番

︑二 二九 七番

︒雪 玉集

︑四 六三 八番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ お もふ

│お ほふ

﹂︵ 一六

〇六 番︶

﹇ 訳﹈

窓辺 の竹 竹 の木 陰で 暗く なっ た窓 辺で

︑も の思 いに ふけ るこ とだ

︒誰 の家 に︑ 文の 名を 持つ 草も 生え たの だろ うか

﹇ 考察

﹈﹁ 文好 む木

﹂︵ 梅 の古 名︒ 好文 木︶ と関 係あ る か︒ そ の名 の 由 来は

︑晉 の 武 帝が 学 問 に 励ん で い る時 は 梅 の花 が 開き

︑学 問を 怠る 時は 散り しお れて いた

︑と いう 故事 によ る︒ ただ し当 歌の

﹁文

﹂を 手紙 と解 釈す ると

︑私 の家 に は手 紙草 も生 えな いし 手紙 も来 ない

︑と 読め る︒

﹇ 参考

﹈底 本に は和 歌の あと

︑三 行分 の空 白が ある

︒五 四〇 番歌 の﹇ 参考

﹈参 照︒

︵山 内彩 香︶ 田家 602も る庵 はい ふせ けれ とも 秋の 田に 色こ き稲 はに しき をそ しく

― 153 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(21)

夕 霧巻 云︑ 色こ き稲 とも の中 にま しり て云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 一四 八番

︒源 氏物 語︑ 夕霧 巻︑ 四四 八頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃承 応﹄

﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

田舎 の家 雨 漏り がす る庵 はう っと うし いけ れど

︑秋 の田 に実 る色 の濃 い稲 は錦 を敷 いた よう であ る︒ 夕 霧巻 によ ると

︑︵ 鹿 は垣 根の すぐ 近く にた た ず んで は

︑山 田 の引 板 の 音に も 驚 か ず︶ 濃く 色 づ いた 稲 田 の中 に 入り 込ん で云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は

︑夕 霧が 落葉 の宮 に会 うた めに 小野 を訪 れた 場面

︒鹿 は妻 を思 って 鳴く とさ れ︑ 落葉 の宮 を思 う 夕霧 に重 なる

︵山 内彩 香︶ 木

603玉 つは き春 と秋 との 八千 世を も花 にそ 契る 紅葉 をは 見し 大 椿︑ 八千 歳︒ 見于 秋部

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六〇 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

木 春 と秋 とが 八千 年ず つと いう 計り しれ ない 長い 時を

︑大 椿の 花に 約束 する こと だ︒ そう すれ ば紅 葉を 見る こと はな い だろ う︒ 大 椿︑ 八千 歳︒ 秋部 に見 える

︒︵ 251 番歌

︑参 照︶

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 154 ―

(22)

﹇ 考察

﹈﹃ 荘子

﹄は 大椿 とい う木 が八 千年 を春

︑八 千年 を秋 とす ると いう こと を引 き合 いに 出し た部 分︒ 当歌 は︑ 椿の 花 がい つま でも 咲き 続け

︑花 が散 り紅 葉と なる こと がな いよ うに と願 った もの

﹇ 参考

﹈菊 副齢 251 八千 とせ の秋 をよ はひ の玉 椿契 りか 置し 霜の しら 菊 荘子 曰︑ 有

大椿

者 以

八 千歳

春以

八 千 歳

︵梅 田昌 孝︶ 桐

604桐 の葉 は秋 にそ おつ る住 鳥も あら はれ ぬへ き君 か世 の影 格 物論

︒見 于秋 部︒

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑五 七〇 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

桐 桐 の葉 は秋 にな ると 落ち て︑ 桐に 住む 鳳凰 も姿 を現 わす よう に︑ 鳳凰 もき っと 現れ るに 違い ない 我が 君の 御世 であ る 格 ︒ 物論

︒秋 部に 見え る︒

︵ 142番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈典 拠は

﹃円 機活 法﹄

﹁飛 禽門

﹂鳳 凰の 格物 論︒ 当歌 は鳳 凰が 現れ るほ ど太 平で ある 世を 讃え たも の︒

﹇ 参考

﹈早 秋 142来 る秋 もお なし 宿り そ一 葉ち る枝 にの み住 鳥も こそ あれ 格 物論

︑鳳

瑞 応

︑太 平

則 見

梧 桐

︵永 田あ や︶

― 155 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(23)

洞松 605住 すて し人 やい く世 の石 のと こ松 のあ らし の吹 にま かせ て 菅 三品

︒石 床 留

嵐 空

︑玉

案抛

鳥独 啼︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二五 二番

︒和 漢朗 詠集

︑巻 下︑ 仙家

︑ 五四 七番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 和 漢朗 詠集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

洞の 松 住 んで いた 人が いな くな り︑ 捨て られ た石 造り の寝 台は

︑松 を揺 らす 嵐に 吹か れる まま

︑ど れほ どの 世を 経た こと だ ろう か︒ 菅 三品

︵菅 原文 時︶

︒ 仙人 の寝 台が

︑洞 穴の 穴の 中 に 今な お 残 って い て︑ 山 の風 が 空 し くそ の 上 を吹 き な でる ば かり であ る︒ また

︑そ の玉 で作 った 机は 林間 に捨 てら れて 顧み られ ず︑ ここ を訪 れる のは 悲し げに 鳴く 鳥の 声 のみ であ る︒

︵玉 越雄 介︶ 松歴 年

606君 かへ ん松 は高 砂住 の江 のい く年 波か ちき りか けま し 古 今序 の︑ 心詞 なる へし

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一

〇六 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹁君 かへ ん│ 君か みむ

﹂︒

﹇ 訳﹈

松が 年を 経る

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 156 ―

(24)

君 が過 ごす であ ろう 年月 は︑ 高砂 や住 の江 の松 のよ うに

︑何 年も 約束 され たこ とだ ろう よ︒ 古 今集 仮名 序の

︑意 味や 言葉 であ るだ ろう

﹇ 考察

﹈当 歌は

﹃古 今集

﹄仮 名序 の﹁ 高砂

・住 の江 の松 も相 生の やう に覚 え﹂

︵二 三頁

︶と いう 箇所 を踏 まえ る︒

﹇ 参考

﹈﹁ 我見 ても 久し くな りぬ 住の 江の 岸の 姫松 いく 世経 ぬら む﹂

︵ 古今 集︑ 巻一 七︑ 雑歌 上︑ 九〇 五番

︶﹁ 住の 江の 岸 の姫 松人 なら ばい く世 か経 しと 言は まし もの を﹂

︵ 同︑ 九〇 六番

︶﹁ 誰を かも 知る 人に せむ 高砂 の松 も昔 の友 なら な くに

﹂︵ 同

︑九

〇九 番︶

︵藤 原崇 雅︶ 苔 607紅 の塵 ふみ なら す跡 つけ は太 山の 苔の いと ひも そす る 円 機活 法︑ 仕官 門︑ 名利 部︑ 詩句

︒貪 夫 袞

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑二 二七 四番

︒円 機活 法︑ 一二 巻︑ 仕官 門︑ 名利 部︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 円機 活法

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

苔 欲 深い 男が 赤茶 けた 塵を 踏み なら して 跡を つけ ると

︑︵ 俗 世間 から かけ 離れ た︶ 山奥 の苔 は嫌 がる かも しれ ない

︒ 円 機活 法︑ 仕官 門︑ 名利 部︑ 詩句

︒貪 欲な 人物 は︑ 名誉 と実 利の 奔流 に押 し流 され て︑ 車馬 の行 き交 い埃 だら け の俗 世間 で死 んで ゆく のだ

﹇ 考察

﹈﹁ 紅塵

﹂は 赤茶 けた 土埃

︒俗 世間 を意 味す る︒

﹇ 参考

﹈典 拠は 王若 虚﹃

!

南 遺老 集﹄ 巻 四 五︑ また は 元 好問 編

﹃中 州 集﹄ 巻六 に 収 め られ た

﹁題 淵 明帰 去 来 図 五首

― 157 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(25)

其五

﹂の 一節

︵藤 原崇 雅︶ 幽径 苔 608庭 の面 は山 路お ほえ て石 のは しや り水 かけ て苔 生に けり 白 氏文 集︒ 五

架三 間 新

︑石

階松

柱 竹

墻︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二七 五番

︒白 氏文 集︑ 巻一 六︑

﹁香 爐峯 下︑ 新卜

山居

︑ 草堂 初成

︒偶 題

東 壁

﹂︑ 四 二〇 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 白氏 文集

﹄﹁ 松│ 桂﹂

﹇ 訳﹈

静か な小 径の 苔 庭 一面 は山 路の よう に思 われ て︑ 石段 にや り水 をめ ぐら し︑ 苔が 生え てい るな あ︒ 白 氏文 集︒ 奥行 きは 五架

︑間 口は 三間 の新 しい 草ぶ きの 家︑ それ に石 段と 松の 柱と 竹の 垣根

﹇ 考察

﹈﹃ 白氏 文集

﹄は

︑白 居易 が︑ 完成 した 自分 の草 堂を 詠ん だ部 分︒

﹇ 参考

﹈源 氏物 語︑ 須磨 巻︑ 二一 三頁

︒﹁ 住ま ひた まへ るさ ま︑ 言は む方 なく 唐め いた り︒ 所の さま 絵に 描き たら むや

う なる に︑ 竹編 める 垣し わた して

︑石 の階

︑松 の柱

︑お ろそ かな るも のか らめ づら かに をか し︒

︵藤 原崇 雅︶ 岩頭 苔

609さ ゝれ 石の 岩ほ の苔 の行 末は をの か緑 を松 にゆ つら ん 古 今集 真名 序︒ 砂

レル

之 頌︑ 洋

レリ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 158 ―

(26)

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 六一 八番

︑二

〇九 四番

︒古 今集

︑真 名序

︑四 二八 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 岩 頭苔

│巌 頭苔

﹂﹁ をの か│ おの が﹂

︒﹃ 古 今集

﹄真 名序

︑ナ シ︒

﹇ 訳﹈

岩の 上の 苔 小 さい さざ れ石 が大 きな 巌と なり

︑そ こに 生え た苔 の行 く末 は︑ 苔の 緑色 を松 の常 緑に 譲り

︑永 久に 栄え るで あろ う 古 ︒ 今集 の真 名序

︒さ ざれ 石が 大岩 石に なる まで の君 のご 寿命 の長 久を 寿ぐ 歌が

︑い たる 所で 我ら の耳 に満 ちて い る︒

﹇ 考察

﹈﹃ 古今 集﹄ の真 名序 は︑ その 編纂 を命 じた 醍醐 天皇 の治 世を 称え た部 分︒ 当歌 は︑ 古歌

﹁わ が君 は千 代に 八千 代 に細 れ石 の巌 と成 りて 苔の むす ま で﹂

︵ 古 今集

︑巻 七

︑三 四 三番

︶も 踏 ま え︑ 苔の 緑 色 が 永久 不 変 を象 徴 す る松 の 緑に 移る と詠 み︑ より いっ そう の長 寿や 慶賀 を寿 いで いる

︵増 井里 美︶ 松 610我 うへ にこ とし そみ つる 夢の 中の 松の ため しよ 世々 にか はれ る 蒙 求云

︑呉 志︑ 丁

固仕

孫皓

司徒

︒ 呉録

曰︑ 初固 為

尚書

︑夢

松生

二ス

一ニ

︒ 謂

人 曰︑

﹁松

十八 公 也︒ 后十 八歳

︑ 吾

レン

乎﹂

︒卒

夢焉

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五

〇三 六番

︒蒙 求︑ 王濬 懸刀 丁 固生 松︑ 四九 二頁

﹇ 異 同

﹈﹃ 新 編 国 歌 大 観﹄

﹁ 夢│ 草﹂

﹁世 々

│代 代﹂

︒﹃ 蒙 求﹄

﹁呉 録│ 呉 書﹂

﹁夢

松 生二ス

一ニ

│夢 松 樹 生 其 腹 上﹂

― 159 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

(27)

﹁后

│後

﹂︒

﹇ 訳﹈

松 丁 固の よう に私 も今 年︑ 松が 腹の 上に 生え た夢 を見 た︒ 丁固 はそ の夢 解き の通 り︑ 十八 年後 に三 公に なっ たが

︑世 の 中は すっ かり 変わ って しま った から

︵私 の夢 は叶 うか

︶な あ︒ 蒙 求に よる と︑

﹃ 呉志

﹄で は丁 固は 孫皓 に仕 えて 司徒

︵丞 相︶ とな った

︒﹃ 呉録

﹄に よる と︑ 初め 彼が 尚書

︵書 奏 を司 る官

︶だ った 時︑ 松が 腹の 上に 生 え た 夢を 見 た︒ そ こで

︑彼 は そ の夢 を 解 い て人 に

︑﹁ 松 の字 は 偏 と旁 を 分解 すれ ば十 八公 とな る︒ 故に この 松の 夢は

︑十 八年 経つ と自 分が 三公 とな る正 夢で あろ う﹂ と語 った

︒遂 に その 夢の 通り

︑三 公の 一で ある 司徒 とな った

﹇ 考察

﹈松 の字 を分 解す ると

﹁十

﹂﹁ 八

﹂﹁ 公﹂ に な り︑ 十八 年 後 に三 公 に なる こ と を 示す

︒当 歌 は︑ 自 分も 丁 固 のよ う に松 の夢 を見 たが

︑故 事の よう に昇 進す るか どう か訝 った もの

︵増 井里 美︶ 松葉 不失 611露 霜の 松や ふり せぬ 深み とり 正木 のか つら いく 世か けて も 古 今集 序︒ 松の 葉の ちり うせ すし て︑ 正木 のか つら なか くつ たは り云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二六 二番

︒古 今集

︑仮 名序

︑三

〇頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃新 編全 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

松葉 は失 せず 露 や霜 が降 りか かっ ても 古く なら ない 松葉 の深 緑は

︑正 木の 葛が 伸び 続け るよ うに

︑ど れほ ど時 が経 って も変 わら

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 雑 部

︵ 二

― 160 ―

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