『三玉挑事抄』注釈 雑部(二)
著者 岩坪 健
雑誌名 人文學
号 192
ページ 135‑180
発行年 2013‑11‑30
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013654
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
岩 坪
健
本 稿は
﹃三 玉挑 事抄
﹄雑 部の 579番 から 634番 まで を掲 載す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程前 期課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある
︒な お各 項目 末尾 の︵
︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した
︒ 玉越 雄介
︑山 内彩 香︑ 梅田 昌孝
︑藤 原崇 雅︑ 永田 あや
︑太 井裕 子︑ 倉島 実里
︑増 井里 美 凡例 一︑ 翻刻 は原 文の まま を原 則と して
︑誤 字・ 脱字
・濁 点・ 当て 字・ 仮名 遣い 等も 底本 の通 りに した が︑ 読解 や印 刷の 便 宜を 考慮 して 次の 操作 を行 った
︒ 1 句 読点 を付 け︑ 会話 文な どは
﹁
﹂で 括り
︑底 本の 旧漢 字・ 異体 字・ 略体 は通 常の 字体 に改 めた
︒ 2 誤 写か と思 われ る箇 所に は︑ 右側 行間 に︵ ママ
︶と 記し た︒ 3 和 歌の 上に
︑通 し番 号︵ 579〜 634︶ を付 けた
︒ 一︑
﹇ 出典
﹈の 欄に は︑ 和歌 と注 釈本 文の 典 拠 を示 す
︒和 歌 には
﹃新 編 国 歌大 観
﹄の 歌 番 号︵ 万葉 集 は 旧番 号 の み示 す
︶を 記 す が︑ 無 い 場 合 は﹁ 該 当 歌 な し﹂ と 表 記 し
︑﹃ 三 玉 和 歌 集 類 題﹄ に あ れ ば 部 立 な ど を 示 す
︒注 釈 本 文 が
― 135 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
﹃新 編日 本古 典文 学全 集﹄
︵ 小学 館
︒略 称
﹃新 編 全集
﹄︶
︑ ま たは
﹃新 釈 漢 文大 系
﹄︵ 明 治 書院
︶に 収 め られ て い る場 合 は︑ その ペー ジ数 も記 載す る︒ 一︑
﹇ 異同
﹈の 欄に は︑ 翻刻 本文 との 異同 を列 挙 す る︒ ただ し
︑濁 点 や送 り 仮 名の 有 無︑ 漢 字 と仮 名 の 相違 は 取 りあ げ ない
︒和 歌の 本文 は﹃ 新編 国歌 大観
﹄と
︑注 釈本 文は 原則 とし て版 本と
︑そ れぞ れ比 較す る︒ 異同 がな い場 合は
﹁ナ シ﹂ と記 し︑ ある 場合 は﹃ 三玉 挑事 抄﹄ の本 文│ 異文 の順 に列 挙す る︒ 複数 の作 品す べて に異 同が ない 場合 は︑ 書 名を まと めて 列挙 して
︑末 尾に
﹁ナ シ﹂ と記 す︒
○ 源氏 物語 は︑ 絵入 り承 応版 本
︵略 称﹃ 承 応﹄
︒ 国文 学 研 究資 料 館 のホ ー ム ペ ージ に 公 開︶ と︑ 北村 季 吟﹃ 源 氏物 語 湖月 抄﹄
︵ 略称
﹃湖 月抄
﹄︒
﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄ 新典 社を 使用
︶に よる
︒
○ 伊勢 物語
・大 和物 語・ 枕草 子・ 古今 集序
・八 代集
・和 漢朗 詠集 は︑
﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄
︵新 典社
︶に よる
︒
○ 竹取 物語 は絵 入り 版本
︵無 刊記 版︒ 同志 社大 学所 蔵︶ によ る︒
○ うつ ほ物 語は 文化 三年
︵一 八〇 六年
︶補 刻本
︑狭 衣物 語は 承応 三年
︵一 六五 四年
︶版 本に より
︑い ずれ も三 谷栄 一
﹃平 安朝 物語 板本 叢書
﹄有 精堂 を使 用す る︒
○ 漢籍 も同 志社 大学 に版 本が ある 場合 は︑ それ を用 いる
︒な い場 合は
﹃新 釈漢 文大 系﹄ など によ る︒ 一︑
﹇ 訳﹈ の欄 には 翻刻 本文 の現 代語 訳︑
﹇考 察
﹈の 欄 に は和 歌 と 典拠 と の 関係 な ど︑
﹇ 参 考﹈ の欄 に は 参考 資 料 など を 記す
︒ 一︑ 歌題 が同 じで ある 和歌 が連 続す る場 合︑ 底本 では 二首 めか らの 歌題 は省 略し てい るが
︑本 稿で は﹇ 訳﹈ に限 りす べ ての 歌に 題を 示し た︒ ただ し補 足し た歌 題に は︵
︶ を付 けて
︑底 本に はな いこ とを 示す
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 136 ―
柏
579初 瀬山 もろ こし まて もあ はれ ひの 深き をわ きて たの むと そ聞 玉 かつ らの 巻云
︑﹁ 初 瀬な ん︑ 日の 本に あら たな るし るし あら はし たま ふと
︑も ろこ しに も聞 え有 也﹂ 云々
︒ 河 海 抄 引 縁起 曰
︑僖 宗 皇帝 の 后 馬頭 夫 人文
宗孫 玄 成 太子 女
か た ちの み に くき 事 を 歎き 給 け る に︑ 仙人 の 教 によ り て 東 に 向 て日 本国 長谷 寺の 観音 に祈 請し 給け るに
︑夢 中に 一人 の貴 僧︑ 紫雲 にの りて 東方 より 来て
︑手 をの へて 瓶水 を 面に そゝ くと みて 忽に 容貌 端正 にな りに けり 云々
︒下 略
﹇ 出典
﹈該 当歌 なし
︒源 氏物 語︑ 玉鬘 巻︑ 一〇 四頁
︒河 海抄
︵玉 上琢 彌編
︑角 川書 店︶
︑玉 鬘巻
︑三 八七 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 承応
﹄﹃ 湖 月抄
﹄﹁ 日の 本に
│日 の本 のう ちに は﹂
﹁ もろ こし にも
│も ろこ しに だに
﹂︒
﹃ 河海 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵ 寺院
︶ 唐 土の 人々 まで もが
︑初 瀬山 の観 音の 深い お慈 悲を
︑と りわ け頼 みに して いる と聞 くこ とだ
︒ 玉 鬘の 巻に よる と︑
︵ 豊後 介が 言う には
︶﹁ 初瀬 の観 音が
︑日 本に あら たか なご 利益 をお 示し にな ると
︑唐 土で さ え評 判に なっ てい るそ うで す﹂ 云々
︒ 河 海抄 に引 く縁 起に よる と︑ 僖宗 皇帝 の后 馬頭 夫人
文宗 の孫
︒玄 成太 子の 娘︒
が容 貌 の 醜い こ と を 歎き な さ って い る と︑ 仙人 の 教え を受 けて
︑東 に向 かっ て日 本国 の長 谷寺 の観 音に 祈請 なさ ると
︑夢 の中 に一 人の 貴僧 が紫 雲に 乗っ て東 方 から 来て
︑手 を伸 べて 瓶水 を馬 頭夫 人の 顔に 注ぐ と見 るや
︑た ちま ち美 しい 容貌 なっ た云 々︒ 下略
︵太 井裕 子︶ 580初 瀬山 かけ てそ あふ く藤 原の 花の さか へも しる し有 きと 河 海抄 云︑ 徳道 上人 長谷 寺建 立之 時︑ 藤原 房前 卿奏 聞助 成之 間︑ 彼聖 人聖 朝安 穏藤 氏繁 昌乃 至︑ 法界 衆生 の為
― 137 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
に 祈請 之由
︑見 縁起 云々
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三一 四番
︒河 海抄
︵玉 上琢 彌編
︑角 川書 店︶
︑玉 鬘巻
︑三 八七 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 河海 抄﹄
﹁聖 人│ 上人
﹂︒
﹇ 訳﹈
︵ 寺院
︶ 初 瀬山 に参 詣し
︑心 にか けて 仰ぐ こと だ︒ 藤の 花が 盛 り で ある よ う に︑ 藤原 氏 の 栄え も 徳 道 上人 が 祈 った と お り︑ ご 利益 があ った と︒ 河 海抄 によ ると
︑徳 道上 人は 長谷 寺建 立の 時に
︑藤 原房 前卿 が奏 聞し 助成 して いる 間︑ その 聖人 は聖 朝が 安穏 で 藤原 氏が 末永 く繁 昌し て︑ 法界 衆生 の為 に祈 請し たと いう こと が縁 起に 見え る︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
︑初 瀬山 の参 詣で 藤の 花が 咲き 誇る 様子 を 見 て︑ 徳道 上 人 が藤 原 氏 の繁 栄 を 祈 った 逸 話 を思 い 出 した も の︒
︵太 井裕 子︶ 仏寺 581よ のつ ねの ふり 行寺 の仏 のみ かは らぬ かさ り光 そひ つゝ 椎 本巻 云︑ 塵い たう つも りて 仏の みそ 花の かさ りお とろ へす 云々
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 七二
〇番
︒源 氏物 語︑ 椎本 巻︑ 二一 二頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ か さり
│か ぎり
﹂︒
﹃ 承応
﹄﹃ 湖月 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
仏寺
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 138 ―
時 が移 ろう こと は常 のこ とで ある が︑ 古寺 の仏 だけ は供 養の 花の 飾り が︑ 変わ るこ とな く光 り輝 いて いる こと だ︒ 椎 本の 巻に よる と︑ 塵が たい そう 積も って
︑仏 前だ けは 供養 の花 の飾 りが 以前 と変 わら ない 云々
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄は
︑八 の宮 の亡 き後
︑塵 が積 もり
︑花 の飾 り以 外は 変わ って しま った 宮の 居所 の様 子を 描い た場 面
︒当 歌は
﹁ふ り﹂ に﹁ 年を 経る
﹂と
﹁古 くな る﹂ を掛 けて
︑過 ぎ行 く時 の無 常さ と仏 の普 遍性 を対 比的 に詠 む︒
︵倉 島実 里︶ 古寺 滝 582い まみ るも 何山 姫の さら すと もし られ ぬ布 を風 や吹 らん 伊 勢集 云︑ 龍門 とい ふ寺 にま ふて ゝ︑ む月 の十 日あ まり にな ん有 ける
︒み れは 其堂 の有 さま
︑滝 は雲 の中 より お ち来 るや うに みゆ
︒仙 のい はや とい ふは
︑い たく 年ふ りて
︑い はの うへ の苔
︑八 重む した り︒ あは れに たふ と くお ほえ て︑ なみ たお つる 瀧に おと らす 云々
︒た ちぬ はぬ きぬ きし 人も なき 物を 何山 姫の 布さ らす らん
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三二 二番
︒伊 勢集
︵正 保四 年刊 歌仙 家集
︶︑ 七番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 布 を風 や吹 らん
│布 の風 を吹 くら ん﹂
︒﹃ 伊 勢集
﹄﹁ 年ふ りて
│年 つも りて
﹂︒
﹇ 訳﹈
古寺 の滝
さら
ど うし て今 見て も︑ かの 山姫 が晒 した かど うか も分 から ない 布を
︑風 がな びか せて 吹い てい るの だろ うか
︒ 伊 勢集 によ ると
︑龍 門と いう 寺に 参詣 した のは
︑一 月十 日あ まり のこ とで あっ た︒ 見る とそ の堂 の様 子は
︑滝 が 雲の 中か ら落 ちて くる かの よう に見 えた
︒仙 の岩 屋と いう のは
︑た いそ う長 く年 を経 て︑ 岩の 上に 深く 苔む し てい た︒ 感慨 深く 尊い と思 われ て︑ 感動 の涙 は 瀧 に も劣 ら な い云 々
︒﹁ 裁 ち縫 う こ と をし な い 衣を 着 た とい
― 139 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
う
︑あ のい にし えの 仙人 たち はも うい ない のに
︑ど うし て山 の女 神は
︑こ のよ うに 今も 布を さら して いる のだ ろ う﹂
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
﹃伊 勢集
﹄の 歌を 踏ま え︑ 瀧を 山姫 が晒 した 布に 譬え たも の︒
︵倉 島実 里︶ 寺近 聞鐘
柏
583お もふ にも 瓦の 色に かね の声 みる やさ ひし き聞 やか なし き 都 府楼
ハ
纔ニ
看二
瓦ノ
色一
︑観 音寺
ハ
只 聴二
鐘 声︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 七一 一番
︑一 九九 三番
︒菅 家後 集︑ 不出 門︒ 和漢 朗詠 集︑ 下︑ 閑居
︑六 二〇 番︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 瓦
│尾 上︵ 一七 一一 番︶
│を のへ
︵一 九九 三番
︶﹂
﹁ 聞く や│ 夢や
﹂︒
﹃ 菅家 後集
﹄﹃ 和漢 朗詠 集
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
寺の 近く で鐘 を聞 く 思 って みる と都 府楼 の瓦 の色 は見 ても 寂し いだ ろう か︑ 観音 寺の 鐘の 音は 聞い ても 悲し いだ ろう か︒ 大 宰府 政庁 の楼 門は
︑わ ずか に瓦 の色 を眺 める だけ だ︒ 観音 寺も
︑た だ鐘 の声 を聞 くば かり だ︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
︑太 宰府 に左 遷さ れた 菅原 道真 の漢 詩を 典 拠 とし て
︑そ の 地で 虚 し く生 涯 を 終 えた 道 真 のつ ら い 心情 を 思い やり 詠ま れた もの
︒
︵倉 島実 里︶ 野 寺僧 帰
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 140 ―
584分 かへ る袖 さむ から し月 の下 の門 は野 かせ の吹 にま かせ て 賈 嶋︒ 鳥ハ
宿ス
池︱ 辺ノ
樹︒ 僧︱ハ
敲ク
月│
下ノ
門︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 三四 三番
︒詩 人玉 屑︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 詩人 玉屑
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
野の 寺に 僧帰 る 風 の中 を進 んで 帰る 僧の 袖は
︑寒 いこ とだ ろう
︒月 に照 らさ れた 門は
︑野 風に 吹か れた まま で︒ 賈 島の 詩︒ 鳥は 池の 辺り の樹 に宿 り︑ 僧は 月の 下の 門を 敲く
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 推敲
﹂の 出典 は︑ 五代
・後 蜀の 何光 遠﹃ 鑒戒 録﹄ 巻八
・賈 忤旨 が初 出︒ 宋・ 胡仔
﹃
!
渓漁 隠叢 話﹄ や宋・魏 慶 之﹃ 詩人 玉屑
﹄な どに よ る と︑ 唐 の詩 人 で ある 賈 島 は﹁ 僧推 月 下 門﹂ の 句を 作 っ たが
︑﹁ 推
﹂を
﹁敲
﹂に 改 めた 方 がよ いか どう か苦 慮し て韓 愈に 問 い︑
﹁ 敲﹂ に 決し た こ とに よ り﹁ 推 敲﹂ とい う 言 葉 が生 ま れ た︒ 当歌 の 第 二句
﹁袖 さむ から し﹂ は﹁ さむ から じ﹂ では なく
﹁さ むか る・ らし
﹂の
﹁る
﹂が 脱落 した と解 釈し た︒
﹃詩 人玉 屑﹄ の本 文 は︑ 早稲 田大 学の 古典 籍総 合デ ータ ベー スに よる
︒
︵藤 原崇 雅︶ 山 家橋 585出 しと はち かふ とな しに 打わ たし いつ かは 過し 谷の 板は し
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 六八
〇番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
山の 家の 橋 出 るま いと 誓っ た訳 でも ない が︑ ずっ と谷 に架 かっ てい る板 の橋 を︑ いつ 通り 過ご した のだ ろう か︒
― 141 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
﹇ 考察
﹈典 拠は 586番 の﹁ 虎渓 三笑
﹂の 故事 に同 じ︒
﹁打 わた し﹂ は副 詞﹁ うち わた し﹂
︵ ずっ と続 いて
︶と 橋を
﹁渡 す﹂ と を掛 ける
︒
︵藤 原崇 雅︶ 寄 橋雑 586谷 ふか み橋 を過 しの ちか ひた にあ れは 有世 をな とわ たる らん 廬 山 記 曰︑ 遠 法師 居二
廬阜
一
︑三 十 余年 影 不レ
出レ
山ヲ
︑ 跡 不レ
入レ
俗︒ 送テ レ
客ヲ
過レ ハ 二
虎︱
渓ヲ 一
︑虎
︱
輙 鳴︱
号
︒昔
シ
陶 元︱
亮 居二
栗︱
里ニ 一
︑山︱ 南ノ
陸︱ 脩︱ 静
︑亦 有︱
道ノ
之士
ナ リ
︒ 遠│
師 嘗テ
送二
此ノ
二人
ヲ 一
︑与
︱ニ
語テ
道︱
合不
シ テ レ
覚︑ 過レ
之ヲ
因テ
相︱
与ニ
大ニ
︱
笑
︒今
ノ
世伝
二
三 笑ノ
図ヲ 一
云 云︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 五九 九番
︑七 三六 三番
︒廬 山記
︑仁
︑第 一巻
︑叙 山北 篇第 二︒
﹇ 異 同
﹈﹃ 新 編 国 歌 大 観﹄ ナ シ︒
﹃廬 山 記
﹄﹁ 遠 法 師 居二
廬 阜一
︑ 三 十 余 年 影 不レ
出レ
山ヲ
︑ 跡 不レ
入レ
俗︒ 送テ レ
客ヲ
過レ ハ 二
虎︱
渓ヲ 一
︑虎
︱
輙 鳴︱
号
︒昔
シ
陶元︱
亮
│虎 渓昔 遠師 送客 過此 虎輙 号鳴 故名 焉時 陶元 亮﹂
︒
﹇ 訳﹈
橋に 寄せ る雑 の歌 谷 が深 いの で橋 を通 り過 ぎな いで おこ うと いう 誓い さえ ある 世の 中な のに
︑な ぜ世 渡り をす るよ うに 橋を 渡る のだ ろ うか
︒ 廬 山記 によ ると
︑遠 法師 は廬 の小 高い 丘に 居り
︑三 十余 年も 山を 出た こと がな く︑ 俗界 に入 った ため しが なか っ た︒ 客を 送っ て虎 渓を 過ぎ たと ころ で︑ 虎の 吠え る声 がし た︒ 昔︑ 陶元 亮は 栗の 里に 居て
︑山 の南 にい る陸 脩 静 も ま た道 士 で ある
︒遠 法 師 はか つ て こ の二 人 を 送っ た と き︑ あま り に 話 が合 い
︑語 り 合 っ て し ま っ た た
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 142 ―
め
︑不 覚に も境 界線 を過 ぎた こと に気 づき
︑互 いに 笑い 合っ た︒ 今の 世に は︑ この 挿話 は三 笑の 図と して 伝わ っ てい る云 々︒
﹇ 考察
﹈﹁ 遠法 師﹂ は中 国東 晉の 僧︑ 慧遠
︒廬 山の 東林 寺に 住み
︑白 蓮社 を創 設し
︑中 国浄 土宗 を開 いた
︒陶 元亮 は陶 淵 明 の 字︒ 陸 脩静 は 東 晋末
〜南 朝 宋 の道 士
︑陸 修 静︒ 虎 渓は 廬 山 に流 れ る 川の 名 前 で
︑俗 世 と の 境 界 と さ れ て い た
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 廬山 記﹄ は国 立公 文書 館デ ジタ ルア ーカ イブ 所収 の内 閣文 庫に よる
︒
︵藤 原崇 雅︶ 山家 路 587君 かた めい まも 道有 しる へし て出 へき あき の山 人も かな 漢 書︒ 張良 伝曰
︑良 曰︑
﹁ 始上 数在
二
急︱ 困ノ
之中
一ニ
︒ 幸ニ
用二
臣カ
策一ヲ
︒今 天下 安︱
定ナ リ
︒以
レ
愛ヲ
欲レ
易二
太︱
子一ヲ
︒ 骨︱
肉ノ
之 間︑ 雖二
臣 等百 人一
︑何
︱ノ
益カ ア ラ ン
﹂︒ 呂│
沢彊 要シ テ
曰︑
﹁為
レ
我画︱
計セ ヨ
﹂︒ 良カ
曰︑
﹁此 難下
以二
口︱ 舌一ヲ
争上
︒顧
フ ニ
上 有二
所 不レ
能レ
到ス コ ト
者 四 人一
︒四 人 謂︑ 園公
︑綺 里季
︑夏 黄公
︑ 角里 先生
︑所 謂商 山四 皓也
︒
四 人 年︱
老タ リ
矣
︒皆 以二
上ノ
!
│"
一レセル ヲ
士ヲ
︑故
ニ
逃│ 二
匿 山│
中一ニ
︒
メ ハ
義 不レ
為二
漢ノ
臣一ト
︒然 上 高二シ ト ス
此ノ
四人
一ヲ
︒今 公誠
ニ
能毋
レ
愛二コ ト
金 玉璧 帛一ヲ
︒令
レ
太 子ヲ
為レ
書
︑卑
レ
辞ヲ
︑安︱
車シ テ
︑因 使シ 二テ レ メ ハ
弁│
士ヲ
固ク
請一ハ
︑宜
シク レ
来タ ス
︒以 為レ
客
︑時 従 入│
朝セ シメ ン
︒令
シ テ 二レ
上ヲ
見一 レ
之ヲ
︑則 一ノ
助ナ リ
﹂︒ 於レ
是 呂︱
后
︑令
レシテ
呂︱
沢ヲ
使レ
人ヲ
奉二
太 子ノ
書一ヲ
︒ 卑レ
辞︑ 厚レノ
礼ヲ
迎二
此ノ
四人
一ヲ
︒四 人至 客二タ リ
建成 侯カ
所一ニ
云 云︒
﹇ 出 典﹈ 雪 玉 集︑ 二 三 四 四 番︒ 漢 書
︵高 木 友 之 助
・片 山 兵 衛
﹃中 国 古 典 新 書 続 編 漢 書 列 伝﹄ 明 徳 出 版︑ 一 九 九 一 年
︶︑ 張 良伝
︑一 二二 頁︒
― 143 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 漢書
﹄﹁ 以口 舌争
│以 口舌 争也
﹂﹁ 宜シ ク レ
来タ ス
︒ 以為
レ
客
│宜 来来 以為 客﹂
﹁ 則一
ノ
助ナ リ
│ 則 一助 也﹂
︒
﹇ 訳﹈
山家 の路 主 君の ため に今 も進 むべ き道 案内 をし て︑ 商山 の四 皓の よう に山 から 出て 来る 賢者 がい れば なあ
︒ 漢 書の 張良 伝に よる と︑ 張良 は︑
﹁ 昔︑ 帝︵ 劉邦
︶は しば しば 急困 され た時
︑運 よく 私の 策を 用い られ まし た︒ し かし
︑今 天下 は安 定し てお り︑ 愛憎 から 太子 を 代 え よう と な さる の は︑ 肉 親の 情 と し ての 問 題 であ り ま す︒ 私 のよ うな 者が たと え百 人い たと し て も︑ 役 に立 た な いで し ょ う﹂ と言 っ た︒ し か し︑ 呂沢 は 無 理強 い し て︑
﹁私 のた めに 計画 せよ
﹂と 迫っ た︒ そこ で︑ 張良 は次 のよ うに 助言 した
︒﹁ これ は言 葉だ けで は扱 い難 い問 題で す
︒思 うに
︑帝 でも お呼 びで きな い四 人の 賢者 がお りま す︒ その 四人 とは
︑園 公︑ 綺里 季︑ 夏黄 公︑ 角里 先生 の こと で︑ いわ ゆる 商山 の四 皓と 呼ば れる 者た ちで す︒ 四人 は年 老い て皆
︑帝 が士 を侮 蔑す るの を敬 遠し て山 中 に隠 れ住 み︑ 筋を 通し て漢 の家 来に なろ うと して おり ませ んが
︑帝 は彼 らを 高く 評価 して いま す︒ 今︑ あな た が金 に糸 目を つけ ない で︑ 太子 に手 紙を 書か せ︑ 礼を 尽く して 老人 達が 座れ るよ うに 車を 作る など の配 慮を し て能 弁の 士に 招か せれ ば︑ 彼ら も多 分来 るで しょ う︒ もし 来ま した ら︑ 上客 とし て丁 重に 遇し
︑折 を見 て参 内 して 帝に 見え させ てく ださ い︒ そう すれ ば 助 け にな る で しょ う
﹂︒ そ こで 呂 后 は 呂沢 に 頼 み︑ 使者 を 通 じて 張 良の 言葉 通り にさ せ︑ この 四人 を迎 える こと がで きた
︒四 人は 来朝 し︑ 建成 侯︵ 呂沢
︶の 客に なっ た︒
﹇ 考察
﹈﹃ 漢書
﹄張 良伝 は︑ 正室 呂后 の産 んだ 太子 を廃 位さ せよ うと する 劉邦 に対 抗し て︑ 呂后 が張 良に 策を 授け させ る 場面
︒﹁ あ きの 山人
﹂は 商山 の四 皓を 指す
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 144 ―
︵増 井里 美︶ 山家 松
柏
588朝 夕の 烟も たて し柴 の庵 松の 葉す きて ある にま かせ は 若 紫の 巻に
︑さ るへ き物 つく りて すか せ奉 る云 々︒
スカ ス
孟 津抄 云︑ すか せは 食也
︒松 のは すき てな とお なし 事也
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 七四 一番
︑二 四二 九番
︒源 氏物 語︑ 若紫 巻︑ 二〇
〇頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 承 応﹄ ナシ
︒﹃ 湖月 抄﹄
﹁ 松の はす きて
│松 の葉 をす きて
﹂︒
﹇ 訳﹈
山家 の松 あ の粗 末な 柴の 庵で は︑ 朝夕 の食 事の ため の煙 も立 てな いの であ ろう
︒松 の葉 を食 べて
︑あ るに まか せて 暮ら して い るの で︒ 若 紫の 巻に は︑ しか るべ き護 符な どを 作っ て︑ お飲 ませ 申し あげ る云 々︒ 孟 津抄 によ ると
︑﹁ す かせ
﹂は 食べ ると いう 意味 であ る︒
﹁松 の葉 すき て﹂ など と同 じこ とで ある
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄若 紫の 巻は
︑光 源氏 が瘧 病で 北山 を訪 れた 場面
︒当 歌は
︑炊 事を しな いの で煙 も立 てな い質 素な 山 の家 の生 活を
︑仙 人の よう に松 の葉 を食 べて 暮ら して いる と詠 んだ もの
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄で は﹁ 松の 葉す ぎて
﹂と 翻刻 され てい る︒
︵増 井里 美︶ 山家
― 145 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
589住 人は いか ゝ見 るら ん雲 は猶 こゝ ろな くて も出 る山 かせ 雲 無│
心ニ シテ
以出
レ
岫ヲ
︒帰 去来 辞︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 七四 八番
︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 四五 四頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃文 選﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
山家 雲 はや はり 無心 であ って も山 中か らわ きお こ り︑ 風 に 吹か れ て 流れ 出 る が︑
︵そ の 様 子 を︶ 山人 は ど のよ う に 見て い るだ ろう か︒ 雲 は無 心に 山中 の洞 穴を 出て
︒帰 去来 辞︒
﹇ 考察
﹈当 歌は 無心 の雲 でさ え山 から 出る のを 見て
︑有 心 の 人間 は 山 人で あ っ ても 外 に 出 たい と 思 うだ ろ う か︑ と詠 ん だも の︒
︵玉 越雄 介︶ 590お なし くは おと ろの 道の 奥も みて 身の かく れ家 の山 はさ ため ん 棘 路註
︑見 于秋 部︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三二 五番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵ 山家
︶ ど うせ 出家 する ので あれ ば︑ 公卿 とし ての 出世 の道 を極 めた 後に
︑我 が身 の隠 れ家 とす る山 を定 めよ う︒ 棘 路の 註は 秋部 に見 える
︒︵ 161 番歌
︑参 照︶
﹇ 参考
﹈原 露 161跡 とめ てお とろ の道 のお くま ても 露分 みは や春 日野 の原 周 礼︑ 左九 棘公 卿大 夫︑ 位シ レ
焉ニ
群 士在
二
其ノ
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 146 ―
後ニ 一
︑右 九棘 公侯 伯子 男︑ 位シ レ
焉ニ
群 吏在
二
其ノ
後ニ 一
︒拾 芥抄 唐名 部曰
︑大 中納 言通 用棘 路︒ 新古 今集
︑俊 成卿
︑春 日山 お とろ の道 の埋 れ水 すゑ たに 神の しる しあ らは せ
︵玉 越雄 介︶ 591深 くい とふ 身の かく れか の道 なく は洞 にも はつ る心 なら まし
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 四九 七番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵ 山家
︶ こ の世 を毛 嫌い する 私に 出家 する 手段 がも し無 けれ ば︑ 山の 洞穴 に対 して も恥 ずか しく 思う 気持 ちが 起こ るだ ろう が
︒
﹇ 考察 592﹈ 番歌 と同 様に
﹁北 山移 文﹂ を踏 まえ て︑ 山に 恥じ られ ない よう 熱心 に修 行す る強 い意 志を 詠ん だ歌
︒
︵玉 越雄 介︶ 雑歌 中 592ふ かく 入て すま ぬ心 を谷 には ち林 には つる 身の やと りか な 北 山移 文︒ 故ニ
其ノ
林ノ
︱
慙無
レ
尽ル コ ト
︑ 澗ノ
愧不
レ
歇︒ 註翰 曰︑ 託二
林│
澗一
以 申二
其ノ
愧ヲ 一
也︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 四四 三番
︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 三五 五頁
︒六 臣註 文選
︑巻 四三
︒古 文真 宝後 集︑ 二六 九頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 文 選﹄
﹃六 臣註 文選
﹄﹃ 古 文真 宝後 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
雑歌 の中 奥 深い 山へ と入 って も心 を澄 ます こと がで きず
︑谷 や林 に恥 じつ つも 留ま って いる 我が 身で ある こと よ︒
― 147 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
た に
北 山移 文︒ 林の 恥じ るこ とは 尽き ず︑ 澗が 恥じ るこ とも 尽き ない
︒李 周翰 の注 によ ると
︑林 や澗 が恥 じる のに こ とよ せて
︑彼 の恥 を告 白す るの であ る︒
﹇ 考察
﹈孔 稚珪 が著 した
﹃北 山移 文﹄ は︑ 官途 に 就 くた め に 隠逸 の 志 を捨 て
︑こ の 地 を去 る 周顒 を︑ 北 山の 神 霊 が非 難 する とい う形 式を 採る
︒こ の場 面は 周顒 に向 かっ て山 や谷 が笑 い嘲 り非 難し
︑林 や澗 が恥 じて いる 場面
︒
︵玉 越雄 介︶ 山家 593よ るの 鶴の 思ひ やそ はむ 今は とて 住へ き山 の松 のか せに も 白 氏文 集︑ 五絃 弾︒ 第三 第四 絃冷 々︑ 夜鶴 憶子 篭中 鳴︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 六四 一番
︒白 氏文 集︑ 巻三
︑新 楽府
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 白 氏文 集﹄
︵那 波本
︶ナ シ︒
﹇ 訳﹈
山家 夜 の鶴 のよ うな
︑私 の我 が子 への 思い はい っそ う募 るの だろ うか
︒今 とな って は世 を捨 てて 住む つも りの 山で
︑松 に 吹く 風の 音を 聞く につ けて も︒ 白 氏 文 集︑ 五 絃弾
︒第 三
︑第 四 の絃 は 冷 え冷 え と し た音 を 奏 で︑ 夜の 鶴 が 子を 思 っ て 篭 の 中 で 鳴 く よ う で あ る
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
﹃新 古今 集﹄ の四 七三 番歌 も踏 ま え て︑ 俗世 か ら 離れ て も︑ 我 が子 に 対 す る親 と し ての 愛 情 が︑ 松風 の 音に よっ てか き立 てら れて しま う心 情を 詠ん だも の︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 148 ―
﹇ 参考
﹈﹁ 虫の 音も 長き 夜あ かぬ 故郷 にな ほ思 ひ添 ふ松 風ぞ 吹く
﹂︵ 新 古今 集︑ 秋下
︑四 七三 番︑ 藤原 家隆
︶
︵永 田あ や︶ 山家 雨 594ゆ ふま くれ 軒は の山 にか へり くる 雲も その まゝ はれ ぬ雨 かな
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三三 三番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
山家 の雨 夕 暮 に な ると
︑︵ い つ もは
︶軒 の す ぐ先 に 見 え る山 に 帰 って く る 雲も
︑︵ 今 夜 は︶ そ のま ま 晴 れ ず に 雨 が 降 る こ と だ
︒
﹇ 考察
﹈典 拠は 595番 歌に 同じ
︒
︵永 田あ や︶ 山家 595し つか なる わか 身ひ とつ の谷 の戸 を隣 あり とや 雲か へる らん 雲 帰而 岩穴 瞑︒
酔翁 亭記
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 八四 二番
︒古 文真 宝後 集︑ 一六 五頁
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ わ か身
│た ゝ身
﹂︒
﹃ 古文 真宝 後集
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
山家 静 かな 一人 身で いる 谷の 入り 口を
︑仲 間が いる と思 って 雲が 帰っ てく るの だろ うか
︒
― 149 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
︵日 が暮 れる と︶ 雲が 山に 帰っ て岩 穴が 暗く なる
︒酔 翁 亭記
﹇ 考察
﹈﹁ 酔翁 亭記
﹂は 北宋 の政 治家 であ る欧 陽脩 の著 書︒ 典拠 は︑ 朝夕 に山 を漂 う雲 を擬 人化 して
︑朝 に山 を出 て夕 方 に帰 ると 形容 した 箇所
︒当 歌は
︑雲 が谷 へ帰 って くる 理由 を推 察し たも の︒
﹁ 谷の 戸﹂ は谷 の入 口の 意︒
︵永 田あ や︶ 山家 経年
柏
596山 住は 身を やつ して も身 そや すき はち おほ から ん命 長さ の 荘 子︒ 見于 秋部
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 七五
〇番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
山家 で年 を経 る 山 に住 むと
︑そ の身 がみ すぼ らし くな って も心 は穏 やか であ る︒ 長生 きし て恥 が多 くな るこ とに 比べ ると
︒ 荘 子︒ 秋部 に見 える
︒︵ 206 番歌
︑参 照︶
﹇ 考察
﹈﹃ 荘子
﹄は
︑長 生き する と恥 をか くこ とが 多く なる こと を記 した 部分
︒当 歌は
︑長 生き をし て恥 が多 くな るよ り は︑ 身を みす ぼら しく して も︑ 山に 隠居 する 方が 安ら かで ある
︑と いう 山に 住む 利点 を詠 んだ もの
︒
﹇ 参考
﹈﹃ 三玉 挑事 抄﹄ 秋部 在 明月 206 おも へと も命 なか きは 有明 のか たは なか らに 世を 尽せ とや 荘 子天 地篇 曰︑ 寿キ 時 ハ
則多
シ レ
辱
︒
︵梅 田昌 孝︶ 597友 と成 鳥け たも のや 恨ま しな れ来 し山 を住 もう かれ は
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 150 ―
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑三 二一 四番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
︵ 山家 で年 を経 る︶ こ れま で友 とし てき た鳥 や獣 は恨 むで あろ うか
︒馴 れ親 しん だ山 に住 むこ とも 辛く なっ たな らば
︒
﹇ 考察
﹈典 拠は 599番 歌に 同じ
︒
︵梅 田昌 孝︶ 山家 嵐 598よ るの 鶴恨 やせ まし 山さ との 松の あら しと 住う かれ なは
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五 三四 八番
︑六 五六 四番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 鶴
│露
﹂﹁ 山さ との
│山 ざと を﹂
︵ 五三 四八 番︶
﹁鶴
│鶴 の﹂
︵ 六五 六四 番︶
︒
﹇ 訳﹈
山家 の嵐 夜 の鶴 は恨 むだ ろう か︒ 山里 の松 の嵐 と共 に住 むこ とが 辛く なっ てし まっ たな らば
︒
﹇ 考察
﹈典 拠は 599番 歌に 同じ
︒
︵梅 田昌 孝︶ 隠士 出山 599夜 の鶴 恨か すら ん松 かせ を友 なひ はて ぬ人 のこ ゝろ を 北 山移 文︒ 蕙︱
帳空 兮夜
︱ノ
鶴怨
ミ
︑ 山︱
人去
テ
兮 暁︱
ノ
猿 驚ク
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 三六 四番
︒文 選︵ 文章 篇︶ 中︑ 三五 三頁
︒古 文真 宝後 集︑ 二六 八頁
︒
― 151 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 古 文真 宝後 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
隠士 が山 を出 る 夜 の鶴 は恨 んで いる だろ うか
︒松 風と 一緒 に住 まな くな って しま った 人の 心を
︒ 北 山移 文︒ 香り のよ い帳 は人 の姿 もな く︑ 夜に 鳴く 鶴の 怨み の声 がす る︒ 山人 は去 って しま い︑ 暁起 きの 猿は 驚 く︒
﹇ 考察
﹈﹃ 北山 移文
﹄は
︑周 子と いう 隠者 が山 住み をし なく なっ てし まっ たこ とに 対し て︑ 夜の 鶴が 恨み
︑猿 が驚 いた と いう こと を記 す︒
︵梅 田昌 孝︶ 塩屋 煙 600こ れや この 塩や くな らし 夕煙 月と もい はし すま の浦 波 す まの 巻︒ 烟の いと 近く とき
! "
立く るを
︑こ れや あま の塩 やく なら んと おほ しわ たる は︑ おは しま すう しろ の 山に
︑柴 とい ふも の︑ ふす ふる 也け り︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑八
〇九 四番
︒源 氏物 語︑ 須磨 巻︑ 二〇 七頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃承 応﹄
﹃ 湖月 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
海水 を煮 て塩 を作 る家 から 出る 煙 こ れこ そあ の須 磨の 浦で
︑海 人が 塩を 焼い てい る夕 べの 煙で あろ うか
︒煙 で隠 れて 月が 出て いる かど うか 言え ない が 須 ︒ 磨の 巻︒ 煙が すぐ 近く まで とき どき 流れ てく るの を︑ これ が海 人の 塩を 焼く 煙だ ろう と︑ これ まで ずっ と思
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 152 ―
っ てい らっ しゃ った のは
︑じ つは お住 いの 後ろ の山 で柴 とい うも のを くす べて いる のだ った
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄は
︑須 磨へ 退居 した 光源 氏が
︑流 れて くる 煙を 見て 古歌
﹁須 磨の 海人 の塩 焼く 煙風 をい たみ 思は ぬ 方に たな びき にけ り﹂
︵ 古今 集︑ 恋四
︑七
〇八 番︑ 題し らず
︑読 人し らず
︶を 思い 起こ す場 面︒
︵山 内彩 香︶ 窓竹
柏
601竹 くら き窓 にそ おも ふた か宿 にふ みの なに おふ 草も おひ けん
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 六〇 六番
︑二 二九 七番
︒雪 玉集
︑四 六三 八番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ お もふ
│お ほふ
﹂︵ 一六
〇六 番︶
︒
﹇ 訳﹈
窓辺 の竹 竹 の木 陰で 暗く なっ た窓 辺で
︑も の思 いに ふけ るこ とだ
︒誰 の家 に︑ 文の 名を 持つ 草も 生え たの だろ うか
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 文好 む木
﹂︵ 梅 の古 名︒ 好文 木︶ と関 係あ る か︒ そ の名 の 由 来は
︑晉 の 武 帝が 学 問 に 励ん で い る時 は 梅 の花 が 開き
︑学 問を 怠る 時は 散り しお れて いた
︑と いう 故事 によ る︒ ただ し当 歌の
﹁文
﹂を 手紙 と解 釈す ると
︑私 の家 に は手 紙草 も生 えな いし 手紙 も来 ない
︑と 読め る︒
﹇ 参考
﹈底 本に は和 歌の あと
︑三 行分 の空 白が ある
︒五 四〇 番歌 の﹇ 参考
﹈参 照︒
︵山 内彩 香︶ 田家 602も る庵 はい ふせ けれ とも 秋の 田に 色こ き稲 はに しき をそ しく
― 153 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
夕 霧巻 云︑ 色こ き稲 とも の中 にま しり て云 々︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑四 一四 八番
︒源 氏物 語︑ 夕霧 巻︑ 四四 八頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃承 応﹄
﹃ 湖月 抄﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
田舎 の家 雨 漏り がす る庵 はう っと うし いけ れど
︑秋 の田 に実 る色 の濃 い稲 は錦 を敷 いた よう であ る︒ 夕 霧巻 によ ると
︑︵ 鹿 は垣 根の すぐ 近く にた た ず んで は
︑山 田 の引 板 の 音に も 驚 か ず︶ 濃く 色 づ いた 稲 田 の中 に 入り 込ん で云 々︒
﹇ 考察
﹈﹃ 源氏 物語
﹄は
︑夕 霧が 落葉 の宮 に会 うた めに 小野 を訪 れた 場面
︒鹿 は妻 を思 って 鳴く とさ れ︑ 落葉 の宮 を思 う 夕霧 に重 なる
︒
︵山 内彩 香︶ 木
柏
603玉 つは き春 と秋 との 八千 世を も花 にそ 契る 紅葉 をは 見し 大 椿︑ 八千 歳︒ 見于 秋部
︒
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 六〇 二番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
木 春 と秋 とが 八千 年ず つと いう 計り しれ ない 長い 時を
︑大 椿の 花に 約束 する こと だ︒ そう すれ ば紅 葉を 見る こと はな い だろ う︒ 大 椿︑ 八千 歳︒ 秋部 に見 える
︒︵ 251 番歌
︑参 照︶
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 154 ―
﹇ 考察
﹈﹃ 荘子
﹄は 大椿 とい う木 が八 千年 を春
︑八 千年 を秋 とす ると いう こと を引 き合 いに 出し た部 分︒ 当歌 は︑ 椿の 花 がい つま でも 咲き 続け
︑花 が散 り紅 葉と なる こと がな いよ うに と願 った もの
︒
﹇ 参考
﹈菊 副齢 251 八千 とせ の秋 をよ はひ の玉 椿契 りか 置し 霜の しら 菊 荘子 曰︑ 有二
大椿
ト 云
者 以二
八 千歳
一
為レ
春以
二
八 千 歳一
為レ
秋
︒
︵梅 田昌 孝︶ 桐
碧
604桐 の葉 は秋 にそ おつ る住 鳥も あら はれ ぬへ き君 か世 の影 格 物論
︒見 于秋 部︒
﹇ 出典
﹈碧 玉集
︑五 七〇 番︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
桐 桐 の葉 は秋 にな ると 落ち て︑ 桐に 住む 鳳凰 も姿 を現 わす よう に︑ 鳳凰 もき っと 現れ るに 違い ない 我が 君の 御世 であ る 格 ︒ 物論
︒秋 部に 見え る︒
︵ 142番 歌︑ 参照
︶
﹇ 考察
﹈典 拠は
﹃円 機活 法﹄
﹁飛 禽門
﹂鳳 凰の 格物 論︒ 当歌 は鳳 凰が 現れ るほ ど太 平で ある 世を 讃え たも の︒
﹇ 参考
﹈早 秋 142来 る秋 もお なし 宿り そ一 葉ち る枝 にの み住 鳥も こそ あれ 格 物論
︑鳳
ハ
瑞 応ノ
鳥
︑太 平ノ
世ニ
則 見ル
非レ 二ハ
梧 桐ニ 一
不レ
栖
︒
︵永 田あ や︶
― 155 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
洞松 605住 すて し人 やい く世 の石 のと こ松 のあ らし の吹 にま かせ て 菅 三品
︒石︱ 床 留テ レ
洞ニ
嵐 空︱ク
払
︑玉︱
案抛
テ レ
林ニ
鳥独 啼︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 二五 二番
︒和 漢朗 詠集
︑巻 下︑ 仙家
付 道士 隠倫
︑ 五四 七番
︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 和 漢朗 詠集
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
洞の 松 住 んで いた 人が いな くな り︑ 捨て られ た石 造り の寝 台は
︑松 を揺 らす 嵐に 吹か れる まま
︑ど れほ どの 世を 経た こと だ ろう か︒ 菅 三品
︵菅 原文 時︶
︒ 仙人 の寝 台が
︑洞 穴の 穴の 中 に 今な お 残 って い て︑ 山 の風 が 空 し くそ の 上 を吹 き な でる ば かり であ る︒ また
︑そ の玉 で作 った 机は 林間 に捨 てら れて 顧み られ ず︑ ここ を訪 れる のは 悲し げに 鳴く 鳥の 声 のみ であ る︒
︵玉 越雄 介︶ 松歴 年
碧
606君 かへ ん松 は高 砂住 の江 のい く年 波か ちき りか けま し 古 今序 の︑ 心詞 なる へし
︒
﹇ 出典
﹈碧 玉集
︑一
〇六 二番
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹁君 かへ ん│ 君か みむ
﹂︒
﹇ 訳﹈
松が 年を 経る
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 156 ―
君 が過 ごす であ ろう 年月 は︑ 高砂 や住 の江 の松 のよ うに
︑何 年も 約束 され たこ とだ ろう よ︒ 古 今集 仮名 序の
︑意 味や 言葉 であ るだ ろう
︒
﹇ 考察
﹈当 歌は
﹃古 今集
﹄仮 名序 の﹁ 高砂
・住 の江 の松 も相 生の やう に覚 え﹂
︵二 三頁
︶と いう 箇所 を踏 まえ る︒
﹇ 参考
﹈﹁ 我見 ても 久し くな りぬ 住の 江の 岸の 姫松 いく 世経 ぬら む﹂
︵ 古今 集︑ 巻一 七︑ 雑歌 上︑ 九〇 五番
︶﹁ 住の 江の 岸 の姫 松人 なら ばい く世 か経 しと 言は まし もの を﹂
︵ 同︑ 九〇 六番
︶﹁ 誰を かも 知る 人に せむ 高砂 の松 も昔 の友 なら な くに
﹂︵ 同
︑九
〇九 番︶
︒
︵藤 原崇 雅︶ 苔 607紅 の塵 ふみ なら す跡 つけ は太 山の 苔の いと ひも そす る 円 機活 法︑ 仕官 門︑ 名利 部︑ 詩句
︒貪︱ 夫 袞︱
々ト シ テ
死二
紅︱
塵ニ 一
︒
﹇ 出典
﹈碧 玉集
︑二 二七 四番
︒円 機活 法︑ 一二 巻︑ 仕官 門︑ 名利 部︒
﹇異 同﹈
﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹃ 円機 活法
﹄ナ シ︒
﹇ 訳﹈
苔 欲 深い 男が 赤茶 けた 塵を 踏み なら して 跡を つけ ると
︑︵ 俗 世間 から かけ 離れ た︶ 山奥 の苔 は嫌 がる かも しれ ない
︒ 円 機活 法︑ 仕官 門︑ 名利 部︑ 詩句
︒貪 欲な 人物 は︑ 名誉 と実 利の 奔流 に押 し流 され て︑ 車馬 の行 き交 い埃 だら け の俗 世間 で死 んで ゆく のだ
︒
﹇ 考察
﹈﹁ 紅塵
﹂は 赤茶 けた 土埃
︒俗 世間 を意 味す る︒
﹇ 参考
﹈典 拠は 王若 虚﹃
!
南 遺老 集﹄ 巻 四 五︑ また は 元 好問 編﹃中 州 集﹄ 巻六 に 収 め られ た
﹁題 淵 明帰 去 来 図 五首
― 157 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
其五
﹂の 一節
︒
︵藤 原崇 雅︶ 幽径 苔 608庭 の面 は山 路お ほえ て石 のは しや り水 かけ て苔 生に けり 白 氏文 集︒ 五︱
架三︱ 間 新︱
草︱
堂
︑石
ノ
︱
階松
ノ
柱 竹︱
編メ ル
墻︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 二七 五番
︒白 氏文 集︑ 巻一 六︑
﹁香 爐峯 下︑ 新卜
二
山居
一
︑ 草堂 初成
︒偶 題二
東 壁一
﹂︑ 四 二〇 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄ナ シ︒
﹃ 白氏 文集
﹄﹁ 松│ 桂﹂
︒
﹇ 訳﹈
静か な小 径の 苔 庭 一面 は山 路の よう に思 われ て︑ 石段 にや り水 をめ ぐら し︑ 苔が 生え てい るな あ︒ 白 氏文 集︒ 奥行 きは 五架
︑間 口は 三間 の新 しい 草ぶ きの 家︑ それ に石 段と 松の 柱と 竹の 垣根
︒
﹇ 考察
﹈﹃ 白氏 文集
﹄は
︑白 居易 が︑ 完成 した 自分 の草 堂を 詠ん だ部 分︒
﹇ 参考
﹈源 氏物 語︑ 須磨 巻︑ 二一 三頁
︒﹁ 住ま ひた まへ るさ ま︑ 言は む方 なく 唐め いた り︒ 所の さま 絵に 描き たら むや
はし
う なる に︑ 竹編 める 垣し わた して
︑石 の階
︑松 の柱
︑お ろそ かな るも のか らめ づら かに をか し︒
﹂
︵藤 原崇 雅︶ 岩頭 苔
柏
609さ ゝれ 石の 岩ほ の苔 の行 末は をの か緑 を松 にゆ つら ん 古 今集 真名 序︒ 砂︱
長シ テ
為レル ノ
巌ト
之 頌︑ 洋︱
々ト シ テ
満レリ
耳ニ
︒
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 158 ―
﹇ 出典
﹈柏 玉集
︑一 六一 八番
︑二
〇九 四番
︒古 今集
︑真 名序
︑四 二八 頁︒
﹇ 異同
﹈﹃ 新編 国歌 大観
﹄﹁ 岩 頭苔
│巌 頭苔
﹂﹁ をの か│ おの が﹂
︒﹃ 古 今集
﹄真 名序
︑ナ シ︒
﹇ 訳﹈
岩の 上の 苔 小 さい さざ れ石 が大 きな 巌と なり
︑そ こに 生え た苔 の行 く末 は︑ 苔の 緑色 を松 の常 緑に 譲り
︑永 久に 栄え るで あろ う 古 ︒ 今集 の真 名序
︒さ ざれ 石が 大岩 石に なる まで の君 のご 寿命 の長 久を 寿ぐ 歌が
︑い たる 所で 我ら の耳 に満 ちて い る︒
﹇ 考察
﹈﹃ 古今 集﹄ の真 名序 は︑ その 編纂 を命 じた 醍醐 天皇 の治 世を 称え た部 分︒ 当歌 は︑ 古歌
﹁わ が君 は千 代に 八千 代 に細 れ石 の巌 と成 りて 苔の むす ま で﹂
︵ 古 今集
︑巻 七
︑三 四 三番
︶も 踏 ま え︑ 苔の 緑 色 が 永久 不 変 を象 徴 す る松 の 緑に 移る と詠 み︑ より いっ そう の長 寿や 慶賀 を寿 いで いる
︒
︵増 井里 美︶ 松 610我 うへ にこ とし そみ つる 夢の 中の 松の ため しよ 世々 にか はれ る 蒙 求云
︑呉 志︑ 丁︱
固仕
二
孫皓
一
為二
司徒
一
︒ 呉録
ニ
曰︑ 初固 為二
尚書
︑夢
三
松生
二スト
其ノ
腹︱ 上一ニ
︒ 謂レ
人 曰︑
﹁松
ノ
字ハ
十八 公 也︒ 后十 八歳
ニ シ テ
︑ 吾│
其レ
為レン
公ト
乎﹂
︒卒
ニ
如レ
夢焉
︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑五
〇三 六番
︒蒙 求︑ 王濬 懸刀 丁 固生 松︑ 四九 二頁
︒
﹇ 異 同
﹈﹃ 新 編 国 歌 大 観﹄
﹁ 夢│ 草﹂
﹁世 々
│代 代﹂
︒﹃ 蒙 求﹄
﹁呉 録│ 呉 書﹂
﹁夢
三
松 生二ス ト
其ノ
腹︱
上一ニ
│夢 松 樹 生 其 腹 上﹂
― 159 ―
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
﹁后
│後
﹂︒
﹇ 訳﹈
松 丁 固の よう に私 も今 年︑ 松が 腹の 上に 生え た夢 を見 た︒ 丁固 はそ の夢 解き の通 り︑ 十八 年後 に三 公に なっ たが
︑世 の 中は すっ かり 変わ って しま った から
︵私 の夢 は叶 うか
︶な あ︒ 蒙 求に よる と︑
﹃ 呉志
﹄で は丁 固は 孫皓 に仕 えて 司徒
︵丞 相︶ とな った
︒﹃ 呉録
﹄に よる と︑ 初め 彼が 尚書
︵書 奏 を司 る官
︶だ った 時︑ 松が 腹の 上に 生 え た 夢を 見 た︒ そ こで
︑彼 は そ の夢 を 解 い て人 に
︑﹁ 松 の字 は 偏 と旁 を 分解 すれ ば十 八公 とな る︒ 故に この 松の 夢は
︑十 八年 経つ と自 分が 三公 とな る正 夢で あろ う﹂ と語 った
︒遂 に その 夢の 通り
︑三 公の 一で ある 司徒 とな った
︒
﹇ 考察
﹈松 の字 を分 解す ると
﹁十
﹂﹁ 八
﹂﹁ 公﹂ に な り︑ 十八 年 後 に三 公 に なる こ と を 示す
︒当 歌 は︑ 自 分も 丁 固 のよ う に松 の夢 を見 たが
︑故 事の よう に昇 進す るか どう か訝 った もの
︒
︵増 井里 美︶ 松葉 不失 611露 霜の 松や ふり せぬ 深み とり 正木 のか つら いく 世か けて も 古 今集 序︒ 松の 葉の ちり うせ すし て︑ 正木 のか つら なか くつ たは り云 々︒
﹇ 出典
﹈雪 玉集
︑二 二六 二番
︒古 今集
︑仮 名序
︑三
〇頁
︒﹇ 異同
﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄
﹃新 編全 集﹄ ナシ
︒
﹇ 訳﹈
松葉 は失 せず 露 や霜 が降 りか かっ ても 古く なら ない 松葉 の深 緑は
︑正 木の 葛が 伸び 続け るよ うに
︑ど れほ ど時 が経 って も変 わら
﹃ 三 玉 挑 事 抄
﹄ 注 釈 雑 部
︵ 二
︶
― 160 ―