博 士 ( 水 産 科 学 ) 塚 越 英 晴
学 位 論 文 題 名
カジカ種群(小卵型,中卵型および大卵型)の集団構造と 進化史
学位論文内容の要旨
日本列島において特徴的に認められる姉妹種群内の淡水両側回遊性魚種と河川性魚種の 進化関係は,本列島の淡水魚類の種多様性創出に深く関わる進化プロセスを理解する基盤 であるにもかかわらず,それらの集団構造や進化史に焦点を当てた研究は極めて少ない現 状にある.
カジカ属(Cottus)魚類の中で日本列島において固有に進化したカジカ種群(Cottus pollux species complex)は,互いに生活史型と卵サイズが異なり,一生を河川で過ごす河川性のカ ジカ大卵型C. pollux LE(本州の太平洋・日本海側流入河川韜よび九州・四国の一部の河川 の上流域に分布,卵径: 2.5〜3.7mm),淡水域で孵化し,海での仔魚期を過ごした後,河川へ 遡上後さらに成長し産卵する淡水両側回遊性の中卵型C. pollux ME(本州と北海道の日本海 側流入河川および九州の有明海に注ぐ河川の中・下流域に分布,卵径: 2.2〜2.8mm),および 小卵型C. pollux SE(本州の太平洋側流入河川,および四国の一部の河川の中・下流域に分布,
卵径: 1.4‑2.4mm)によって構成されている.これら3型の形態は酷似するが,互いに生殖的 隔離が認められ,各々が生物学的種であるとみなされている.その分布域に注目すると,
カジカ種群は日本列島に広く分布し,各河川の上流と中・下流において河川性種と淡水両側 回 遊性種が セットに なり分布するという特徴を有している.この生活史の2型のセット関 係は他魚種でも少数で見られるが,日本列島全域においてみられるのは本種群のみである ことから,日本列島全域において河川性種と淡水両側回遊性種の進化関係を捉えるのには,
本種群が最も好適な対象グループであると考えられる.そこで本研究は,淡水両側回遊性 種と河川性種の進化関係を理解する上で格好のモデルになるカジカ種群の集団構造の特徴 と進化史の解明を目的として行なった.
本研究では先ず,カジカ大卵型と中卵型の形態は酷似し種判別が困難であるとされてき た ため,こ れら2種を判別するための遺伝マーカーの開発を試みた.次に,その遺伝マー
て , カ ジ カ 種 群 各 種 の 集 団 構 造 の 把 握 お よ ぴ 集 団 形 成 の 歴 史 を 究 明 し た . そ し て , カ ジ カ 種 群3種 の 系 統 関 係 を 把 握 し た 上 で ,3種 の 系 統 関 係 と 各 種 の 集 団 構 造 の 歴 史 的 変 遷 を 統 合 的 に 考 察 す る こ と に よ っ て , カ ジ カ 種 群 の 進 化 史 に つ い て 詳 細 に 考 察 し た .
カ ジ カ 種 群3種 の 集 団 構 造
淡 水 両 側 回 遊 性 の 小 卵 型 と 中 卵 型 の 各 々 は , 分 布 域 全 体 に わ た り 広 く 交 流 す る わ け で な く , い く っ か の 遺 伝 グ ル ー プ に 分 化 し て お り ( 小 卵 型 は3も し く は4グ ル ー プ , 中 卵 型 は5 も し く は6グ ル ー プ ) , そ れ ら の グ ル ー プ 間 に お い て は 遺 伝 子 流 動 が ほ と ん ど 検 出 さ れ ず , 地 理 的 に 近 接 す る グ ル ー プ 間 で の み 検 出 さ れ る と い う 特 徴 を 示 し た . こ の 結 果 か ら ,2種 に お け る 地 域 的 分 化 は , 海 流 の 潮 流 パ タ ー ン や 湾 ・ 半 島 な ど の 地 形 に 関 わ る 環 境 条 件 に 起 因 す る と 考 え ら れ た . こ れ ら2種 間 の 集 団 構 造 パ タ ー ン や 最 適 な グ ル ー ピ ン グ に お け る 全 遺 伝 変 異 の 割 合 を 比 較 し た 結 果 , 小 卵 型 は 中 卵 型 と 比 べ , グ ル ー プ 内 の 河 川 間 で よ り 大 き な 遺 伝 子 流 動 を 有 す る こ と が 示 唆 さ れ た . そ の た め , 同 じ 生 活 史 型 を 有 す る に も か か わ ら ず , こ れ ら2種 で み ら れ た 集 団 構 造 の 非 対 称 性 は , 各 々 の 種 が 成 育 場 と し て 利 用 す る 太 平 洋 と 日 本 海 の 環 境 要 因 に お け る 違 い よ り も ,2種 の 生 態 的 要 因 の 違 い に よ る と 考 え ら れ た . そ し て , こ れ ら2種 は , 分 布 域 全 域 に お い て 均 質 な 集 団 構 造 を 有 す る 淡 水 両 側 回 遊 性 の ア ユ や ハ ゼ 目 魚 類 と は 異 な り , 地 域 グ ル ー プ を 有 す る ユ ニ ー ク な 淡 水 両 側 回 遊 性 種 で あ る と 考 え ら れ る ,
こ れ に 対 し て , 河 川 性 の 大 卵 型 は , 大 き な2つ の ク レ ー ド を 有 し , さ ら に 細 分 化 さ れ た 5つ の ク レ ー ド を 持 っ こ と が 示 さ れ た . ま た , 河 川 間 で の 遺 伝 的 交 流 は 見 ら れ ず , ほ ば 河 川 単 位 で 遺 伝 的 な 分 化 が 見 出 さ れ た , 大 卵 型 と 中 卵 型 ・ 小 卵 型 の 集 団 構 造 の 顕 著 な 違 い は , 河 川 間 で 交 流 を 制 限 さ れ る 河 川 性 と 海 を 通 じ た 分 散 が 可 能 な 淡 水 両 側 回 遊 性 と い う 生 活 史 型 の 違 い に 起 因 す る と 考 え ら れ た . そ し て こ の こ と は , 互 い に 形 態 的 に 酷 似 し , ま た 極 め て 近 縁 な 関 係 に あ る カ ジ カ 大 卵 型 と 中 卵 型 の 集 団 構 造 が , 種 間 で の 初 期 発 育 史 の 違 い だ け で 大 き く 異 な る と い う 結 果 に よ っ て 支 持 さ れ た .
カ ジ カ 種 群 の 種 系 統 関 係 と 進 化 史
カ ジ カ 小 卵 型 は 中 卵 型 ・ 大 卵 型 の 祖 先 系 統 と 姉 妹 関 係 に あ り , こ の 両 者 の 分 化 は 鮮 新 世 に , そ し て 現 在 の 愛 知 県 や 静 岡 県 に 相 当 す る 地 域 の 太 平 洋 流 入 河 川 に 韜 い て 起 っ た と 推 測 さ れ た . 小 卵 型 の 集 団 構 造 に お い て 集 団 サ イ ズ の 拡 大 が 確 認 さ れ た こ と か ら , 本 種 は 主 に 黒 潮 を 輸 送 媒 体 と し て 西 日 本 か ら 東 日 本 ヘ 急 速 に 分 布 域 を 拡 大 し た と 考 え ら れ た . ま た ,
中卵型と大卵型の分化は更新世に,そして現在の九州付近に相当する地域で起ったと推測 された.中卵型の集団構造において,急速な拡大が確認されたことにより,中卵型は本邦 の南方域で海峡が形成されたことに伴って生起した対馬暖流を輸送媒体として,西日本よ り北日本へ急速に分布域を拡大したものと推察された.さらに,大卵型は更新世の氷期一 間氷期で特徴的に見られる海水準変動と関連して海岸平野を通じて西日本から東日本ヘ侵 入したと考えられた,
カジカ種群の生活史進化ステップについては,淡水両側回遊性の祖先種より河川性ヘ進 化し,再ぴ淡水両側回遊性ヘ分化したとする解釈と,河川性の祖先種より淡水両側回遊性 ヘ一方向的に進化したとする解釈の2 っが挙げられる.そして,系統関係と生活史進化ス テップの最節約性から判断すると,後者の河川性から淡水両側回遊性へ一方向的に起った とする考えが妥当であると判断された.このようにカジカ種群の起源種が河川性の生活史 型を有していたと仮定すると,卵サイズの小型化により浮遊仔魚の産出が起り,元来の生 産性の低い河川から新たに生産性の高い海ヘ初期個体発生時の成育場を移行させること で,卵サイズが大きく,また直達発生する河川性の生活史から淡水両側回遊性の生活史が 進化したと推察された.
西 日 本 の 日 本 海 側 流 入 河川 で特 異的に 見ら れる カジ カ大 卵型 と中 卵型 のmtDNA の 共有
西日本の日本海側流入河川およぴ九州の河川に分布するカジカ大卵型と中卵型におい て,msDNA では遺伝的分化が認められたが,mtDNA ではハプロタイプの共有もしくは大 卵型が中卵型のクレードに含まれるハプロタイプを有していることが示された.この結果 から,
2種の種分化後に,西日本の日本海側流入河川およぴ九州の河川でのみ種間交雑が 起ったと考えられた.さらに,IM モデルを用いた解析から,これら2 種問で生じた最近の 交雑は約16 ,000 年前であると推測され,この交雑は海水準変動によって引き起こされたと 考えられた.
本研究はカジカ種群内で姉妹関係にある淡水両側回遊性種と河川性種の進化関係を分布
域全域で捉えた最初の研究である.そして,従来は淡水両側回遊性種から河川性種ヘ進化
したと考えられてきたが,本研究結果により河川性種から淡水両側回遊性種ヘ進化したこ
とが示唆された.しかしながら,一部の系統関係にっいて高い信頼度を得ることができな
関係を構築し,その結果と本研究結果を比較・検討することで淡水両側回遊性と河川性の
進化関係をより高い信頼度で推定することによって,日本列島の種多様性創出機構の理解
をさらに深められると期待される.
学位論文審査の要旨 主査 副査
副査 副査
特任教授 教授 教授 特任教授
阿部周一 荒井克俊 帰山雅秀
後藤 晃(北海道教育大学函館校)
学 位 論 文 題 名
カジカ種群(小卵型, 中卵型および大卵型)の集団構造と 進化史
淡 水 魚 類 の 種 多 様 性 ホ ッ ト ス ポ ッ ト の ー つで あ る日 本列 島 には 、世 界 的に も特 異 的な 淡水 両 側回 遊性 種 と 河 川 性 種 が 姉 妹 関 係 に あ る 幾 っ か の グ ルー プ が、 カジ カ 属と ヨシ ノ ボリ 属に 見 出さ れて い る。 しか し 、 こ れ ら の ユ ニ ー ク な 魚 類 グ ル ー プ に 関 する 集 団構 造の 特 徴や それ ぞ れの 種の 進 化史 の解 明 に焦 点を 当 て た 研 究 は 極 め て 少 な く 、 そ の 理 解 は 乏 しい 現 状に ある 。 そこ で本 研 究は 、そ の ーっ にあ た るグ ルー プ で3種 ( 小 卵 型 、 中 卵 型 と 大 卵 型 ) か ら な る カ ジ カ 種 群 (Cottus pollux species complex)を研 究対 象 に し て 、 各 々 の 種 の 遺 伝 的 集 団 構 造 の 特 徴と そ の形 成要 因 を明 らか に する とと も に、 分子 系 統デ ータ と 生 活 史 形 質 情 報 を 統 合 的 に 解 析 す る こ と に よ っ て 各 種 の 進 化 史 お よ ぴ 本 種 群 に お け る生 活 史進 化の 方 向 性を 解明 す る日 的で 行 われ た。
本 研 究 で は 先 ず 、 カ ジ カ 中 卵 型 と 大 卵 型 の形 態 が極 めて よ く類 似す る ため に、 個 体レ ベル で の種 判別 が 困 難 で あ っ た こ と か ら、 これ ら 両種 を判BIJす る 遺伝 マー カ ーの 開発 を 行っ た。 次 に、 その 遺 伝マ ーカ ー を 使 用 し て 種 同 定 を 行 っ た 個 体 を 含 む カ ジ カ 種 群3種 の 分 布 域 を網 羅 した サン プ ルを 用い て 、本 種群 の 各 種の 集団 構 造お よび 集 団形 成の 歴 史を 明ら か にす るこ と を試 みた 。 そし て、 遺 伝マ ーカ ー を用 いて 、 カ ジ カ 種 群3種 の 系 統 関 係 を 解 析 し た 上 で 、 こ れ ら の 種 問 の 種 系 統関 係 と生 活史 形 質情 報を 統 合的 に検 討 し て 、 カ ジ カ 種 群 の 進 化 史 お よ ぴ 本 種 群 に お け る 生 活 史 進 化 の 方 向 性 に つ い て の 考 察 を 行 っ た 。 そ の 結 果 、1) 形 態 的 に 酷 似 す る た め に 採 集 個 体 の 種 判 別 が 困 難で あ るカ ジカ 大 卵型 と中 卵 型に つい て 、 種 判 別 に 有 効 な マ イ ク ロ サ テ ラ イ ト(ms) DNAマ ー カ ー の 開 発 に 成 功 し た 。2) ミ ト コ ン ド リ ア (mt) DNAとmsDNAマ ー カ ー を 用 い た 集 団 解 析 に よ っ て 、 淡 水 両 側 回 遊 性 の 生 活 史 を 持 っ カ ジ カ 小 卵 型 と 中 卵 型 の い ず れ に も 幾 っ か の 遺 伝 的 地域 グ ルー プが 存 在す るこ と が初 めて 見 出さ れた 。 そし て、
因 す る と 考え ら れ た 。 一方 、 河 川 性 のカ ジ カ 大 卵 型は 大 き な2つの ク レ ー ド を 有し 、 さ ら に 細分 化 さ れ た5つ のサ ブ ク レ ー ド を持 つ こ と 、 およ び ほ ば 河 川単 位 で 遺 伝 的分 化 が 生 じ て いる こ と が 見 出さ れ た 。 こ の よ う な 小卵 型 ・ 中 卵 型 と大 卵 型 に お ける 集 団 構 造 の顕 著 な 違 い は、 前 者 で は 仔魚 期に海 洋で高 い分 散 カ を 有 す るに 対 し て 、 後 者で は 一 生 を 河川 で 生 活 す るた め に 分 散 カが 著 し く 低 いこ とに起 因する と考 え ら れ た 。3)2つ のDNAマ ー カ ー を 用 い た 種 間 の 系 統 解析 に よ っ て 、 カジ カ 種 群 は 単系 統 群 で あ り、
カ ジ カ 小 卵 型は 中 卵 型 ・ 大 卵型 と 姉 妹 関 係に あ る こ と 、お よ ぴ 中 卵 型は 大 卵 型 と 姉妹 関係に あるこ とが 示 さ れ た 。 この 結 果 に 基 づ いて 、 カ ジ カ 種群 の 祖 先 集 団は 河 川 性 の 生活 史 を 有 し てい たこと 、およ びそ の 河 川 性 の 祖先 種 か ら 鮮 新 世に 現 在 の 西 日本 に 相 当 す る地 域 に お い て小 卵 型 が 分 化し 、その 後の更 新世 後 期 に 現 在 の九 州 付 近 に 相 当す る 地 域 に おい て 、 中 卵 型と 大 卵 型 の 共通 祖 先 系 統 から 両種が 分化し たと 推 定 さ れ た 。こ れ ら の こ と から 、 従 来 の 仮説 と は 異 な り、 本 種 群 で の生 活 史 進 化 は、 河川性 から淡 水両 側 回 遊 性 への 方 向 で 生 じた こ と が 高 い信 頼 度 で 示 唆さ れ た 。4)西 日 本 の 日 本 海側 流 入 河 川 およ ぴ 九 州 の 河 川 に 分 布 す る カ ジ カ 大 卵 型 集 団 と 中 卵 型 集 団 に お い て 、msDNAマ ーカ ー で は 遺 伝的 分 化 が 認 めら れ る が 、mtDNAで は ハ プ ロ タ イ プ が 共 有 さ れ る か も し くは 大 卵 型 集 団 が中 卵 型 の ク レー ド に 含 ま れる ハ プ ロ タ イプ を 有 し て いる こ と が 見 出さ れ た 。 こ のこ と か ら 、2種 に 、 西 日 本 の日 本 海 側 流 入河 川 お よ ぴ 九 州 の 河 川 で の み 種 問 交 雑 が 起 った と 考 え ら れ、 ま たIMモデ ル を 用 い た解 析 か ら 、 最近 の 交 雑 は 約 16,000年 前 で あ った と 推 測 さ れ た。
本 研究 は 、 カ ジ カ種 群 ( 小 卵 型 、中 卵 型 、 大 卵型 の3種 ) に韜 け る 種 多 様性 創 出 機 構 とし て の 種 分 化 プ ロ セ ス を明 ら か に す ると と も に 、 その 進 化 史 の 方向 が 従 来 の 仮 説と は 異 な り 、河 川 性 の 祖 先種 か ら2 種 の 淡 水 両 側 回 遊 性 種 が 形 成 さ れ たと い う 信 頼 性の 高 い 仮 説 を提 唱 し た 点 で 、学 術 的 に 高 く評 価 さ れ る 。 よ っ て 審 査 員 一 同 は 申 請 者 が 博士 ( 水 産 科 学) の 学 位 を 授与 さ れ る 資 格 のあ る も の と 判定 し た 。