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明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察

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Academic year: 2021

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(1)研究ノート. 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 水 谷 知 生 . 1.はじめに 奈良県東北部,京都府と三重県に接する奈良市月ヶ瀬にある月瀬梅林は, 『月ヶ瀬村史』(月ヶ瀬村史編集室編1990)によれば,江戸期に紅花を染料 として使う際の色素定着のための材料として烏梅の生産が盛況となり,文化 文政期(1800~1820頃)には十万本近くの梅樹がみられたが,明治初年から, 化学染料の輸入が進み,烏梅の需要は急落し,月ヶ瀬の烏梅の生産量は減少 し,梅樹は伐採されたり,茶や桑畑に切り替えられていったという。 一方で,月瀬梅林は1830(文政13)年に斎藤拙堂が訪れ,1851(嘉永4) 年「月瀬記勝」の刊行を契機に名所としての声価が高まり,明治期に入って からの梅樹の減少とは関わりなく人々の来訪は増え,小野(1999)は1889 (明治22)年の奈良柳生月瀬間の新道開設,1890(明治23)年の関西鉄道と 大阪鉄道の延長と広告宣伝により,旅行者の大幅な増加がみられたことを示 している。 明治初期以降の梅林の規模,梅樹の本数,烏梅の生産高について,主に 『月ヶ瀬村史』等で記されている数値をあげると表1のとおりまとめられる。 梅林面積,梅樹数,烏梅生産量は,大正期にかけ減少している傾向が確認さ れるが,数値は出典資料による差異が大きい。1895(明治28)年の梅林面積 は大きいが,1894~98(明治27~31)年の他の複数資料でも32町5反8畝5 歩で統一されており,公式数値として用いられていたようだ。これら数値が 実態をどこまで反映していたかは定かではない。. 地域創造学研究. 79.

(2) 研究ノート. 表1 月瀬梅林の面積,梅樹数,烏梅生産高の推移 梅林面 梅樹数 烏梅生産 積(反) (本) (駄=32貫). 文献. 1868(明治元)年. 226.5. 821. 1885(明治18)年「梅林維持願」 による(『月ヶ瀬村史』,975). 1872(明治5)年. 226.1. 479. 同上. 1877(明治10)年. 225.9. 521. 同上. 360. 「大和国町村誌集」による(『月ヶ 瀬村史』,974). 1881(明治14)年. 「大 和国五月川梅景名勝調書上 扣」による(『月ヶ瀬村史』,430). 1882(明治15)年. 255.8. 28,100. 1884(明治17)年. 217.0. 1895(明治28)年. 325.8. 25,808. 1922(大正11)年. 114.0. 16,300. 面積は名勝指定面積,本数は『名 勝月ヶ瀬:学術調査報告』330. 1950(昭和25)年. 103.8. 3,108. 『月ヶ瀬村史』984. 425. 1885(明治18)年「梅林維持願」 による(『月ヶ瀬村史』,975). 204. 『月ヶ瀬村史』980. 図1 旧月ヶ瀬村の範囲(1889(明治22)年月瀬村発足当時の地名。 1897(明治30)年に波多野村嵩が編入される) ベース図は地理院地図(標準地図と陰影起伏図)を使用 80.

(3) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 月瀬梅林は1922(大正11)年3月8日に史蹟名勝天然紀念物保存法により 名勝として指定される。同日に金澤公園,後楽園,栗林公園,奈良公園,大 澤池,錦帯橋,天橋立,三保松原,常盤公園(史蹟及び名勝),平等院庭園 (同)が指定され,国内での名勝指定の最初のグループに含まれている。名 勝は地番単位で指定されているが,指定された地番が梅樹が存在した土地で あるとすれば,明治20年代からかなりの範囲の梅林が失われたこととなる。 梅の本数についても1万本ほど減少している。 名勝指定といった名所としての価値づけが進む中で,梅林の物理的規模は 減少している。斎藤拙堂が訪れた時期の梅林の10万本近くという数値は誇張 があるとしても,その当時の規模と比較して,明治初期以降,梅林の規模が 縮小し,梅の本数も減少していたことは推察されるが,具体的にどこに梅林 が広がっていて,そのうち,どの部分が消滅していったか,空間的な変動は 明らかではない。本稿は,明治初期から中期の月瀬梅林の空間的広がりを見 る上で参考となる奈良県立図書情報館所蔵の梅林に関する絵図について,そ の成立経過,位置付けを解明し,その資料的価値を明らかにするものである。 なお,2005(平成17)年に奈良市に編入される以前の月ヶ瀬村(「旧月ヶ 瀬村」とする)の範囲(図1の着色部分)を本稿の主な検討対象としている が,検討対象の図には隣接する山辺郡山添村遅瀬も含まれている。旧月ヶ 瀬村の各大字と遅瀬それぞれの位置を図1に示した。旧月ヶ瀬村の発足,編 入等の経過は表2に示すとおりである。旧月ヶ瀬村は1889(明治22)年に添 上郡尾山村,石打村,長引村,桃香野村,月瀬村により発足するが,発足当 初は「月瀬村」であり,1889(明治22年)以前の月瀬村との区別がつかない。 単に「月瀬」と記す場合,どの範囲を指すのかが一定しないため,本稿では, 1889(明治22)年以前の月瀬村の範囲を示す場合に「月瀬」「月瀬村」と記 し,旧月ヶ瀬村の範囲を示す場合は「月ヶ瀬」「月ヶ瀬村」と記すこととす る。 また,検討対象の梅林は「月瀬梅林」としているが,1922(大正11)年3 月に指定された名勝の名称による。. 地域創造学研究. 81.

(4) 研究ノート. 表2 旧月ヶ瀬村の編入等の経過 年代 1889(明治22)年 以前. 1897(明治30)年. 添上郡尾山村,石打村,長引村,桃香野村,月瀬村,山辺郡 嵩村 町村制施行.尾山村,石打村,長引村,桃香野村,月瀬村に より添上郡月瀬村発足 月瀬村に山辺郡波多野村の一部(嵩)を編入. 1968(昭和43)年. 月瀬村が改称して月ヶ瀬村に. 2005(平成17)年. 月ヶ瀬村が奈良市に編入. 1889(明治22)年. 2.検討対象の図面 本稿で検討対象とする図面は, 「大阪府添上郡月瀬村尾山村長引村桃香野 村・山辺郡嵩村遅瀬村 梅林略図」と記された図(以下「梅林略図」とする) (図1)であり,奈良県立図書情報館所蔵の奈良県行政文書『廿八年改 月 瀬梅林一件 添上郡役所文書』(以下「梅林一件簿冊」とする)に綴られて いる。「梅林一件簿冊」には,奈良郡役所,添上外四郡役所の文書が綴られ, 梅林に関する郡役所と村とのやりとりなど梅林関係文書が収められているが, 月瀬街道支線改修に関する文書など,梅林の維持管理と直接関係のない文書 も多く綴られている。「梅林一件簿冊」に綴られた文書のうち, 「梅林略図」 も含め,梅林の維持管理に関係する文書は表3のとおりである。. 図1 梅林一件簿冊に綴られた「梅林略図A」全体(上が北) 82.

(5) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 表3 「梅林一件簿冊」に綴られている梅林維持管理関係文書一覧 番号. 文書内容. 作成・発出等年月日. 1. 大阪府添上郡月瀬村尾山村長引村桃香野村・山辺郡嵩村遅瀬村 梅林略 図(梅林略図A). 不明. 2. 梅林略図B. 不明. 3. 月瀬,尾山,長引,遅瀬,桃香野各村の畑,山林,未定地の面積・地価 ・地租及び「出願之分」の面積・地価・地租. 不明. 4. 梅渓ニ係ル取調書進達 尾山村外戸長脇野喜郎→奈良郡役所書記(この 別紙は文書26). 明治20年4月. 5. 月瀬梅林ニ係ル取調(梅林の副産物による所得,肥料代価)郡からの照 会起案文書. 明治28年8月30日. 6. 梅樹倍養村數歎願ノ事由の一部(文書23の続き)<奈良郡役所罫紙>. 不明. 7. 報告書(制札設置) 月瀬村梅林取締奥田源吉→梅林取締長 郡長 平 田好. 明治23年3月2日. 8. 取締長嘱託願 月瀬村梅林取締奥田源吉,中森甚治郎→郡長平田好. 明治24年1月8日. 9. 明治23年3月 梅林規約書(8の添付文書か). 明治23年3月2日. 10. 月瀬保勝会移文,月瀬保勝会規約改正(印刷物). 明治26年3月?. 11. 月瀬村長奥田源吉→郡長山岸廉雄(出張者対応について照会文書). 明治32年3月3日. 12. 梅園副産物取調ノ件 東京農科大学校玉利教授への問い合わせ結果. 不明. 13. 月瀬梅実使用方法 帝国大学校工科高松教授ノ説. 不明. 14. 請願書(本村に産する梅干一手買上の特約願) 梅林所有者惣代月瀬村 長奥田源吉→第四師団司令部. 明治31年11月14日. 15. 梅干による収益見込に関する資料 <月瀬村役場の罫紙>. 不明. 16. 梅林保護ニ係ル件 月瀬村長奥田源吉→添上郡長高本兼孝. 明治30年4月. 17. 梅林保護費用に関する問答 奥田村長→藤井郡書記. 明治28年10月3日. 18. 本村梅林副産物調査照会への回答 月瀬村長奥田源吉→添上外四郡役所. 明治28年9月7日. 19. 梅林ニ関スル取調答申(問への答形式) 月瀬村役場→添上外四郡役所. 明治28年9月29日. 20. 梅林規約書(明治23年のもの). 明治23年3月. 21. 梅景保護及取締規則(明治27年3月のもの). 明治27年3月8日. 22. 梅林ノ件取調. 不明. 23. 梅樹倍養村數歎願ノ事由 <奈良郡役所罫紙>. 不明. 24. 報告書 奥田源吉梅林取締→梅林取締長田?文蔵. 明治27年3月8日. 25. 報告書 村長奥田源吉梅林取締→梅林取締長平田好. 明治25年2月18日. 26. 梅渓ニ係ル取調書 戸長脇野喜郎,中森甚治郎(文書4の別紙). 明治20年3月29日. 27. 長引,月瀬,桃香野,尾山各村の畑,山林,未定地の等級別面積・地価 ・地租,梅林の面積・地価・地租一覧. 明治20年3月29日. 地域創造学研究. 83.

(6) 研究ノート. 「梅林一件簿冊」では,文書の時系列が順不同であるばかりか,一連の文 書が別々に綴じられているケースもある。文書23「梅樹倍養村數歎願ノ事 由」と文書6はともに「奈良郡役所」1)の罫紙に記され,筆跡が同じことか ら文書23の最後の1ページが文書6と推察されるが,全く別の箇所に綴られ ている。また,文書4「梅渓ニ係ル取調書進達」の別紙が文書26「梅渓ニ係 ル取調書」として別々に綴られており,それぞれの文書の関係を見極めるこ とは容易ではない。このような簿冊の冒頭に, 「梅林略図」が綴られている。 図1に示す梅林の位置が示された略図であるが,簿冊中のどの文書と関係す る図面であるのか,図の記載内容,簿冊中の他の文書から, 「梅林略図」の 作成時期,作成経緯,作成意図を推察する必要がある。. 3 「梅林略図」の作成意図 (1)「梅林略図」の作成時期 「梅林略図」は2葉あり,1葉(「梅林略図」Aとする)には「梅林畧圖 大阪府添上郡月瀬村 尾山村 長引村 桃香野村 大阪府山辺郡 嵩村 遅瀬村」と表題が記されている。もう1葉(「梅林略図」Bとする)には表 題はない。それ以外は,凡例,描画内容は同様である。 本図の作成時期は図に記載されていないが, 「梅林略図」Aには大阪府添 上郡と記されており,奈良県の範囲が大阪府に含まれていた1881(明治14) 年2月から1887(明治20)年11月までの間に作成された図であること,本図 が綴られている簿冊の梅林に関する文書は1887(明治20)年3月の「梅渓ニ 係ル取調書」等が最も古いものであることから,1887(明治20)年かその直 前に作成された図と考えることができる。 「梅林略図」は,①梅林,②畑,③田,④山,⑤川に塗り分けられ,その ほか,⑥道,⑦人家所在地,⑧村界,⑨郡界,⑩国界が図示されている。梅 林に着色された部分には地番が記載されており,畑,田,山林には地番は記 載されていない(図2参照)。また, 「梅林略図」A,Bともに各村の一部分 がこよりを貼り付けた線によって囲まれ, 「線内ノ分出願地」とする付箋が 貼付してある(図3) 。 「梅林略図」は,各村の梅林の地番を図示するととも 84.

(7) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. に,「出願地」の範囲を示す図となっている。. 図2 「梅林略図」B部分拡大( 方位は上が南. 川は名張川. 川の南側が月瀬村. 北側左が尾山村. 右が長引村). 図3 「梅林略図」B部分 地域創造学研究. 85.

(8) 研究ノート. (2)「梅林一件簿冊」の文書と「梅林略図」との関係 「梅林略図」に示されている「出願」とは何なのか。「梅林一件簿冊」に 綴られている文書のうち, 「出願」と関連する記述があるものは以下である。 ・文書3「月瀬,尾山,長引,遅瀬,桃香野各村の畑,山林,未定地の面 積・地価・地租及び「出願之分」の面積・地価・地租」(以下「各村出願 之分文書」とする) ・文書6及び23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」 文書3は,草稿段階の文書であるが,各村ごとに,畑,山林,未定地の面積, 地価,地租の額と「出願之分」の面積,地価,地租の額が示されている。文 書3の記載内容を表4に整理した。各村の畑,未定地全体の面積と地価額, 地租額が示され,5村合計の「出願分」は29町7反9畝14歩,地租額94円78 銭5厘となる。 表4 「梅林一件簿冊」文書3「各村出願之分文書」での記載内容 (月瀬村分) 月瀬村. 町 14. 反 1. 畝 2. 歩 5. 地価(円) 2435.890. 内出願之分. 8. 4. 5. 24. 1691.800. 43.132. 未定地. 1. 8. 2. 16. 137.399. 3.432. 1 41. 8 7. 9 1. 135.516 8576.067. 3.385 214.272. 畑. 尾山村. 内出願之分 畑. 長引村. 未定地(出願之分) 畑. 内出願之分. 6. 1. 24. 143.964. 3.545. 4 20. 5. 1 1. 5 7. 359.799 3916.464. 8.987 97.850. 4. 1. 8. 73.904. 1.846. 5 29. 1 6. 4 7. 1 5. 436.259 6802.726. 10.901 69.947. 26. 2 5. 2 2. 9 5. 42.398 4447.672. 1.059 111.112. 内出願之分 遅瀬村. 未定地(出願之分) 畑. 桃香野村. 内出願之分 畑. 86. 地租(円) 60.842. 内出願之分. 1. 3. 2. 19. 250.863. 6.272. 未定地 内出願之分. 8 7. 6 7. 9 4. 6 5. 655.000 583.935. 16.351 14.599.

(9) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 表5 梅林一件簿冊文書27「各村梅林等級別内訳一覧表」での月瀬村の記 載内容(文書での明らかな誤記は修正している) 月瀬村. 地目. 等級. 畑. 1等 2等 3等 4等 5等 6等 7等 8等 9等 10等. 山. 未定地. 町 梅林 梅林 梅林 梅林 梅林 梅林 梅林 梅林. 1 1 1 1 1 1 3 2 2 1. 梅林 梅林. 11等 12等 13等 14等 15等 16等 17等 18等 19等 20等 1等 2等 3等 4等 5等 梅林. 2 8 12 25 14 1 1. 面積 反 畝 2 8 2 3 3 9 2 2 5 6 4 6 3 8 6 3 6 1 1 7 2 4 2 9 4 6 2 8 9 8 8 3 3 9 4 1 4 1 6 4 6 4 2 2 1 8 2 5 1 2 5 3 4 3 2 4 2 1 5 2 7 7 9 7 9. 歩 6 22 24 26 6 2 22 15 7 17 4 26 4 15 11 2 8 12 17 17 25 12 29 1 25 17 22 5 13 5 3 13 4 19 28 28. 地価(円) 地租(円) 反金(円) 88.610 74.585 115.142 66.378 149.609 130.621 336.017 257.747 297.673 245.025 334.173 264.562 559.970 341.152 382.995 274.098 107.814 40.797 5.520 1.721 8.608 8.654 2.242 3.515 1.882 9.781 8.148 12.848 4.680 2.280 7.099 20.744 27.248 47.610 22.742 135.336 135.336. 1.864 1.844 2.886 1.658 3.738 2.739 8.387 6.443 7.425 6.115 8.347 6.858 13.987 9.044 9.567 6.554 2.693 1.190 0.138 0.043 0.170 0.264 0.056 0.088 0.040 0.257 0.208 0.321 0.131 0.057 0.178 0.519 0.681 1.190 0.570 3.383 3.383. 31.422 29.031 26.539 24.821 21.821 19.443 17.010 14.579 12.915 6.138 5.910 5.141 5.100 5.045 4.666 4.285 4.180 3.850 3.034 3.007 2.790 2.490 2.190 1.890 1.590 19.495. 地域創造学研究. 87.

(10) 研究ノート. ここでいう「未定地」とは何なのだろうか。「梅林一件簿冊」文書27「長 引,月瀬,桃香野,尾山各村の畑,山林,未定地の等級別面積・地価・地 租,梅林の面積・地価・地租一覧」(以下「各村梅林等級別内訳一覧表」と する)では,各村の畑,山林,未定地について等級別に面積,地価,地租を 記し,そのうちの梅林部分の面積,地価,地租を区分して一覧表形式で記載 している。 文書27に記載されている一覧表のうち,月瀬村の記載内容を表5にまとめ た。月瀬村の「未定地」はすべて梅林となっており,桃香野村でも「未定 地」すべてが梅林,尾山村では「不定畑」とされすべてが梅林,長引村では 「不定地」とされすべて梅林である。梅林であって,畑として等級を分類 しなかった,あるいはできなかった土地を地目「未定地」, 「不定畑」, 「不定 地」として記載したものと考えられる。月瀬村の例では,未定地の地価は, 畑の6等とほぼ同等となっている。 文書27「各村梅林等級別内訳一覧表」の各村の一覧表の最後には,それぞ れ「前書之通候也 右村戸長脇野喜郎 明治二十年三月廿九日」と記名され ており,1887(明治20)年3月時点での各村の梅林の面積とその地価,地租 額が詳細に示された資料となっている。 もう一つ「出願」について記述がある文書23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」 には,以下のとおり,各村の梅樹が植えられている面積と地価,地租額,そ のうちの「出願高」が記されている。その冒頭部分は以下である。 「梅樹倍養村數歎願ノ事由 添上郡 月瀬村 尾山村 長引村 桃ヶ野村 山辺郡 遅瀬村 嵩村 計 六ヶ村 月瀬村梅樹植付アル 一 未定地畑 反別 壱町七反九畝廿八歩 此地価 百三拾五円三拾三銭六厘 此地租 三円三拾八銭三厘 反 金 拾九円四拾五銭五厘 右之内別紙出願高 此地価 (空欄) 此地租 (空欄) 残反別 此地価 (空欄) 此地租 (空欄) 」 88.

(11) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 「出願高」, 「残」の地価,地租額の記載がない作成途中段階の文書である が,月瀬村,尾山村,桃香野村,長引村の未定地畑の地価,地租額の数値は, 1887(明治20)年3月末に作成された文書27「各村梅林等級別内訳一覧表」 で記されている値と同じであり(表6参照),文書23「梅樹倍養村數歎願ノ 事由」は,文書27を元に作成されたものである。 一方で,文書3「各村出願之分文書」での月瀬村の未定地の面積,地価, 地租額は,文書27「各村梅林等級別内訳一覧表」,文書23「梅樹倍養村數歎 願ノ事由」の未定地の面積,地価,地租額とは一致しない。 表6 「梅林一件簿冊」内文書での月ヶ瀬村の未定地「出願」箇所面積, 地価,地租額 月. 面積 文書3. 地価. 地租. 未定地. 1町8反2畝16歩. 137.399円. 3.432円. 1町8反9歩. 135.516円. 3.385円. 未定地畑. 1町7反9畝28歩. 135.336円. 3.383円. 文書27. 未定地. 1町7反9畝28歩. 135.336円. 3.383円. 文書3. 未定地(出願之分) 4町1畝5歩. 359.799円. 8.987円. 文書23. 未定地畑. 4町1畝5歩. 359.799円. 8.987円. 文書27. 未定地. 4町1畝5歩. 359.799円. 8.987円. 文書3. 未定地. 8町6反9畝6歩. 654.595円. 16.351円. 内出願之分. 7町7反4畝5歩. 583.935円. 14.599円. 文書23. 未定畑. 8町6反9畝2歩. 654.594円. 16.351円. 文書27. 未定地. 8町6反9畝2歩. 654.594円. 16.351円. 文書3. 未定地(出願之分) 5町1反4畝1歩. 436.359円. 10.901円. 文書23 文書27. 未定地畑 未定地. 436.359円 436.359円. 10.906円 10.906円. 瀬. 内出願之分 文書23. 村 尾山村 桃香野村 長引村. 5町1反4畝1歩 5町1反4畝1歩. 未定地全部が「出願対象」となっている尾山村,長引村については,文書 3,23,27のいずれも面積,地価額,地租額が同じである(長引村の文書3 の地租については誤記であろう)。月瀬村は文書3の未定地の出願分の値と 文書23、27の値が近く,桃香野村は,文書3の未定地全体の値と文書23,27 での未定地の値がほぼ一致している。いずれにしても,文書3は文書23とは. 地域創造学研究. 89.

(12) 研究ノート. 違い,文書27の一覧表の数値を根拠としつつも, 「出願分」の切り分けを行 なっており,文書23,27より後に作成されたものと考えられる。 (3)「梅林略図」の「出願地」の意味 「梅林略図」に示されている「出願地」の意味と「梅林略図」の意味に ついて考えてみたい。(2)でみた文書23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」には, 各村の「梅樹植付アル」箇所の面積,地価額,地租額を列挙し,その後に, 烏梅の売価が1874(明治7)年の頃は1駄につき10円余であったものが,1884, 5(明治17,8)年には平均1円余に下落したことを説明し,梅樹の数が多く 「山水ノ秀美ヲ添ヘ」,観梅客が年々増加しており,その風致を維持しよう と希望するが,収入が減少し梅樹を伐採する者もおり,勝地が消滅しようと している。梅林を維持するため「特別ノ御詮議ヲ以該地ノ租額接属山林之比 準ニ御訂正アランコトヲ懇願ス」と,梅林の地租額を山林と同程度に修正す ることを願い出る文書となっている。 「梅林略図」にある「出願地」,文書23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」にあ る「出願高」,文書3「各村出願之分文書」の「出願之分」は,いずれも地 価の修正(減額)を求める梅林の範囲を示していると考えられる。 1887(明治20)年頃の月瀬梅林をめぐる月瀬村ほかの対応として, 『月ヶ 瀬村史』では,以下の動きが記されている。 ・1885(明治18)年 月瀬・石打・尾山・長引・桃香野の五ヶ村戸長の脇野 喜郎は,大阪府知事に「梅林維持願」を提出(『月ヶ瀬村史』976) ・1886(明治19)年5月 五ヶ村, 『梅林維持規約書』をとりまとめ,梅林 所有者に梅樹保護を訴える(『月ヶ瀬村史』430) ・1888,89(明治21,22)年 梅畑地租軽減の請願をして半分に減額修正さ れる(『月ヶ瀬村史』979) これらの動きについて,奈良県行政文書(奈良県立図書情報館所蔵)に直 接関連する文書は確認されず,具体的な内容は不明の部分が多い。しかし, 文書9「梅林規約書」の主旨に記されている内容からある程度推測される。 「明治十七年脇野喜郎氏此地戸長トナリ(梅林が)湮滅ニ帰センヲ憂ヒ同 90.

(13) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 十八年郡長稲葉通久氏ト謀リ大阪府ニ請願シテ維持ノ法ヲ請求スルコト再三 知事建野郷三氏同府土地整理委員長磯貝信行氏等皆其情ヲ察シ種々盡力セラ ルル所アリシモ時機未タ熟セサリシカ遂ニ其便宜ヲ得サリシ 明治廿年十一月奈良縣ヲ置カルルニ方リ税所子爵縣知事トナリ磯貝信行氏 収税長トナリ稲葉氏ニ代テ平田好氏郡長トナリ戸長脇野氏ハ職ヲ辞シ奥田源 吉氏之ニ代リ上下ノ一変ヲ見ルニ至レリ如斯大更迭アリシヲ以テ同廿一年更 ニ方法ヲ定メ地租軽減ノ請願ヲナセリ新任ノ諸氏モ亦皆爰ニ盡力セラレ同廿 二年ニ至リ法律第廿二号ヲ以テ一般地價修正ノ発令アルヤ我梅林ノ如キハ他 地ニ比較シ二倍ノ減額アリ・・」 1885(明治18)年に梅林維持のための請願を大阪府に提出していたこと, 1887(明治20)年の奈良県設置後,1888(明治21)年に地租軽減の請願をし たこと,1889(明治22)年の地価修正に梅林部分が含まれていたことが確認 できる。 地租改正に伴う地価算定については,決定後に修正を求める請願が各地か ら提出され,1887(明治20)年には全国的に土地測量が行われ,大阪府の摂 津・河内・和泉国については100円につき5円の割合で地価が引き下げられ た(安彦2002)。月瀬村ほかについては,上記によれば1885(明治18)年に は大阪府に対する請願を提出していたとされるが,地価軽減の請願であった のかはわからない。1888(明治21)年には地価軽減の請願が提出されており, 「梅林略図」やその他の文書の「出願」はそれに関連する資料とみてよいだ ろう。 月ヶ瀬で梅林の地価軽減を求める理由としては,先に述べたとおり文書 23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」に,烏梅の売価が1874(明治7)年頃まで は1駄あたり10円余,1884,5(明治17,18)年には平均1円余と下落した ことが強調されている。当時の地価の算定方法は,反当りの総収入から種 肥料(収穫高の15%),村入費(地租の3分の1)を控除した残額を一定の利率 (おおむね6分)で資本還元して算出したとされ(佐藤2002),1873(明治 6)年7月28日大蔵省事務総裁発出の「地方官心得書」第12章には, 「検査 例」として上記の算出方法が標準例として示されている(名古屋税務監督局 地域創造学研究. 91.

(14) 研究ノート. (1927) ) 。烏梅の売価が高かった時期,つまり梅林の収入額が高かった時期 に算定された地価は,現状に合わないから軽減してほしいという要望であっ た。 (4)月瀬梅林での烏梅による収入と地価 地価軽減の要請がされているが,明治初期の頃の烏梅による収入と算定さ れた地価の関係についてみる。文書27「各村梅林等級別内訳一覧表」にある 月瀬村の梅林の面積が10町6反3畝2歩,地価合計が約1,832円,地租合計 がその2.5%の約46円であり,1反あたりの地価は17.2円になる。「地方官心 得書」にある算出方法例で地価が算出されたとすれば,月瀬村の梅林では平 均1反あたり年2.03円の総収入があったこととなる。実際に烏梅による反別 の収入はどれほどであったのだろうか。 表7 明治期の月ヶ瀬の烏梅の生産量と反当り収入 町. 梅林面積 反 畝. 烏梅生産 反当り生 1駄当り価格 反当り 量(駄) 産量(駄) (円) 収入(円). 1868(明治元) 22. 6. 5. 820. 3.62. 7(慶応年間). 25.3. 1872(明治5) 22. 6. 1. 479. 2.12. 20(明治7年). 42.4. 1877(明治10) 22. 5. 9. 521. 2.30. 20(明治7年). 46.1. 1884(明治17) 21. 7. 0. 424. 1.95. 1(明治19年). 1.95. 注)梅林面積,烏梅生産量の数値は1885(明治18)年「梅林維持願」による(『月ヶ瀬 村史』),1駄当り価格は「梅林一件簿冊」文書26による。慶応年間の1駄当りの価格の 単位は「両」であるが,1両=1円として計算. 文書26「梅渓ニ係ル取調書」によれば,1874(明治7)年頃の烏梅の代価 は1駄(32貫を1駄とする)につき凡そ20円であったと記されており,烏梅 の生産量を月ヶ瀬の梅林面積で単純に割ると,1反当り40円を超える収入が あったことになる(表7参照)。地価の前提となっている1反当りの平均総 収入が2.03円だとすれば,1884(明治17)年当時の烏梅による収入と同程度 であり,それ以前の烏梅の売価が高かった時期には,販売によって相当な収 入をもたらしていたと考えられる。. 92.

(15) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 文書26「梅渓ニ係ル取調書」では,下落する前の烏梅の価格を必要以上に 高く述べ,現在との落差を強調している可能性はあり,実際にはそれほどの 収入がなかったのかもしれない。佐藤(1986)によれば,堺県の大和国分の 地租改正作業は1874(明治7)年から1876(明治9)年にかけて行われたと されるが,その際の地価算定は,烏梅による収入から単純に地価を算定して いないようである。また,畑として等級をつけずに,不定地,不定畑に区分 されている梅林が多く見られるが,これは,あえて収入から地価を算定せず に,不明のまま6等程度の畑としておいたのではないだろうか。畑6等の地 価でも1反あたり19.4円であり,烏梅による収入が1反あたり10円あるとし たら,地価は85円となるので,あえて実際の収入を元に計算をしなかったの であろう。しかし,烏梅の売価が1駄あたり1円に下落し,1反あたりの収 入が平均1.96円程度となると,地価は16.7円と算定され,畑6等の地価19.4 円は高いこととなる。確かに収入が減少したことにより,地租の負担は重く なったとは言えるが,嘆願書で強調されるような切迫した状況にあったかど うかはやや疑問が残る。 (5)1889(明治22)年の地価修正 『月ヶ瀬村史』に記されている1888,89(明治21,22)年に梅畑地租軽減 の請願をして半分に減額修正されたとの租税減免措置については,1889(明 治22)年の田畑地価特別修正法(明治22年法律第22号 明治22年8月26日) により,地価の修正が行われたことを指していると考えられる。この法律で, 大和国の地価は田は20,778,182.45円が17,677,313.7円に,畑は2,710,051.812円 から2,373,310.93円に引き下げられている。田は15%程度の減額修正,畑に ついては12.5%程度の減額修正となっている。 この時の地価減少分が具体的に奈良県内のどの村にどう割り振られたのか については記録がない。「梅林規約書」(文書9)の主旨では, 「我梅林ノ如 キハ他地ニ比較シ二倍ノ減額アリ」とされ,月ヶ瀬の梅林の減額幅は他の畑 に比較して大きかったと考えられる。 1889(明治22)年の地価修正後の奈良県内の各村(1889(明治22)年4 地域創造学研究. 93.

(16) 研究ノート. 月の合併前の旧村,合併後は大字として存続)の田,畑の等級が堀内他編 (1891)『奈良県下地価修正材料調査書』にまとめられている。表6に月ヶ 瀬と隣接する村の大字別の畑地と田地の等級を示した。 月ヶ瀬の田の評価は東山村(現山添村・奈良市)や豊原村(現山添村)の 大半と同等程度で周辺の村の中では最も低い。しかし,畑については,東山 村や豊原村の大半より明らかに高い。地価修正によって梅林の地価は減額さ れたとしても,畑全体の地価はそれほど低下しなかったと言えよう。1889 (明治22)年の地価修正前後の等級の変化が明らかではないが,月ヶ瀬は割 り当てられた地租軽減の金額を梅林部分の改定に重点的に当てたということ であろう。 (6)地価軽減の出願と「梅林略図」の関係 出願に関する記述のある文書3「各村出願之分文書」,文書23「梅樹倍養 村數歎願ノ事由」と,文書26「梅渓ニ係ル取調書」,文書27「各村梅林等級 別内訳一覧表」との関係, 「梅林略図」の関係を整理しておきたい。 文書26と27はともに1887(明治20)年3月29日と記載があり,月瀬村ほか によって作成された梅林の地価軽減の要望をするための説明資料と考えられ る。文書23「梅樹倍養村數歎願ノ事由」には,出願分として文書27「各村梅 林等級別内訳一覧表」での数値と同じ数値が記載され(表6参照),文書23 は,文書26,27を参考資料として奈良郡役所で地価軽減を要望するための理 由書として1887(明治20)年4月以降の早い時期に作成されたものと考えら れる。文書3は,畑,未定地ともに,梅林の一部を出願分として区分してい る点が文書23とは違う。 表8に地価軽減に関連する文書の作成時期,内容を整理した。奈良郡役所 における梅林の地価軽減の要望書作成に際し,当初,梅林のある全筆を要望 対象と想定し,月瀬村ほかから文書26,27, 「梅林略図」(文書26の最終段落 に「地形ノ義ハ別紙圖面之通」とあり,内容,作成時期から「梅林略図」は この別紙図面にあたると考えられる)の提出を求めた。その後,何らかの理. 94.

(17) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 表7 1891 ( 明治24) 年『奈良県下地価修正材料調査書』大和国畑地・田地等級 収穫米目安及村名表に示された月瀬村及び周辺村の畑地・田地の等級 畑 等級 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43. 月瀬村. 波多野村. 柳生村. 東山村. 広瀬 吉田,春日,中峰山 葛尾 大西,片平,鵜山 広代 中之庄,遅瀬 西波多,菅生. 石打 尾山 長引. 豊原村 毛原,岩屋. 興ヶ原 邑地 北野山 大保,柳生下,柳生,丹生. 月瀬,桃香野. 室津,桐山 松尾,北野 峰寺 的野,水間. 嵩. 大塩 箕輪,堂前 勝原,三ヶ谷. 別所. 伏拝 助命 切幡. 東山村. 豊原村. 田 等級 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 準 51 52. 月瀬村. 波多野村. 柳生村 柳生下 邑地. 毛原 岩屋 柳生 大西 春日 興ヶ原 広瀬,広代,鵜山 石打. 尾山 長引. 丹生 中ノ庄,吉田,葛尾,片平 遅瀬 北野山 中峰山,菅生 西波多 大保. 桐山. 松尾 水間,的野,峰寺 室津. 人塩 堂前,箕輪 三ヶ谷 勝原. 別所 助命 七幡,伏拝 月瀬,桃香野. 嵩. 地域創造学研究. 95.

(18) 研究ノート. 由で梅林のある全筆ではなく,一部を限って要請対象とする方針となり,文 書3「各村出願之分文書」が郡役所でまとめられ,具体的な出願範囲が「梅 林略図」にこよりで貼り付けられたのであろう。 表8 「梅林一件簿冊」の文書が作成された時期と内容 時期 1887(明治 20)4月. 作成された文書. 内容. ・文書4「梅渓ニ係ル取調書進 梅渓の村(月瀬,尾山,長引, 達」(添上郡尾山村外四村戸長 桃香野,嵩)の人口,梅樹数, 脇野喜郎から奈良郡役所あて) 黒梅の生産量,観梅者の動向 ・文書26「梅渓ニ係ル取調書」 ・梅林略図(文書26の添付図面) ・文書27「各村梅林等級別内訳 一覧表」. 尾山,長引,月瀬,桃香野村の 畑,未定地の等級別面積,地価, 地租額一覧表,うち梅林の面積, 地価,地租額一覧表. 同 年 4 月 ・文書23「梅樹倍養村數歎願ノ 頃か 事由」と類似内容の大阪府への 要請文書(奈良郡役所で作成). 地目「未定地」(=梅林)につ いて地価軽減を求める要請文書 (提出されたかは不明). 同年4月 ~11月. 地目「畑」「未定地」の梅林の 一部(出願分)について地価軽 減を求める要請文書. ・文書3「各村出願之分文書」 と類似内容の要請文書 ・梅林略図(出願分の加筆). 「梅林略図」で「出願分」としてこより紐で区分されている箇所は,名張 川の北の尾山村,長引村では地番が記してある箇所はすべて出願地として囲 われており,名張川南側の遅瀬村,嵩村,月瀬村,桃香野村については,地 番が記してある箇所の一部は出願地の囲いの内側に含まれていない。遅瀬村 では地番が記入されている21筆のうち6筆だけが出願地として囲まれている が,他の3村はほとんどが出願地内となっており,嵩村で10筆,月瀬村で22 筆,桃香野村で41筆の梅林が出願地から外れている。 出願地を限定した理由は記されていないが,名張川南側では川から距離が 離れている地域を除外していることから,要望をする1887(明治20)年頃に 梅樹が伐採され,他の用途に変更されていた地域を除いた可能性はある。. 96.

(19) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 4.「梅林略図」に示された梅林分布の根拠 「梅林略図」は,梅林のある畑,未定地の地価を低く修正するよう求める ための図面であることは示されたが,梅林の位置はどのように図示されたの であろうか。それを考える参考となる地引絵図が残されており,これとの比 較により「梅林略図」の元資料を考えてみる。 1873(明治6)年の地租改正法により各村で一筆ごとの面積を測量し,一 筆限図,一字限図,一村限図の3種類の図面の作成が指示された(佐藤 1986)。この時期に作成された村単位の地引絵図は月ヶ瀬に関しては,尾山 村と月瀬村のものが残されている。 ・大和国添上郡尾山村三千分一地図・地租改正地引繪図,明治11年2月(財 務省税務大学校所蔵) ・大和国添上郡月瀬村地図,地租改正地引絵図面,明治13年4月(財務省税 務大学校所蔵) いずれも財務省税務大学校に所蔵されている資料で,1/3,000の縮尺で, 地番が区画され,地目ごとに着色されている。この図を含む奈良県の地租改 正地引絵図に関しては,三木(2003),土平(2009)が保管されている図の 概要,作成の経緯と税務大学校への移管の経緯を明らかにしている。 地引絵図では,社寺地,田地,畑地,宅地,不定地,山林草山,田畑荒・ 新開鍬下地,墓地の区分がなされそれぞれに着色されている。税務大学校に 残されている2図のうち保存状態が良い月瀬村の地引絵図について,畑や不 定地の位置から,梅林略図と地引絵図との関係をみる。図5は月瀬村の地引 絵図のうち,名張川に面し桃香野村に隣接する部分であり,同じ箇所の「梅 林略図」は図6である。両者を比較すると,図5では150,151番地は「不定 地」,152,153番地は「畑地」,154番地は山林に着色されている。この部分 は図6の「梅林略図」ではラフな描画ではあるが,150,151,152,153番地 が記載され,梅林であることを示している。 「梅林略図」では,月瀬村の範囲に386筆が梅林として図示されている。 梅林とされている地番を地引絵図で確認すると,6筆は地引絵図の一部が 欠落していて確認できないものの,5筆を除き残り375筆は地引絵図では未 地域創造学研究. 97.

(20) 研究ノート. 図5 月瀬村地租改正地引絵図1880(明治13)年4月の一部. 図6 「梅林略図」. 98.

(21) 明治期月ヶ瀬の「梅林略図」に関する考察. 定地あるいは畑として着色されている箇所が図示されている。この一致は, 「梅林略図」が地引絵図を参考にし,作成されたことを示している。一筆一 筆の形状はかなり異なっており,各筆の位置関係が一致していない箇所も多 くみられるが,地引絵図の未定地と畑(梅林であるもの)をピックアップ し,それらの地番を図上に描いたものが「梅林略図」である。梅林,畑,田, 山,川,道,人家所在地が地引絵図に沿って描かれており,ラフな表現なが ら,おおまかな土地利用状況を把握することも可能な図となっている。. 5 「梅林略図」が示す梅林の姿 奈良県立図書情報館蔵の「梅林略図」は,1887(明治20)年に調整された 図に,その後,1888(明治21)年の地租軽減についての要請のための図面と して,出願分の範囲をこよりで貼付したものと考えられる。梅林略図を作成 する基となった地租改正地引絵図は,月瀬村,尾山村に関しては1880(明治 13)年に調整されている。地租改正作業は堺県(地租改正時には堺県に含ま れていた)の大和国分については,佐藤(1986)によれば,1874(明治7) 年から1876(明治9)年にかけて各筆の土地の丈量,地価,地租の算定が行 われており,村単位の地引絵図の作成と提出よりかなり前である。 「梅林略図」は,1887(明治20)年に作成されている。この頃には,烏梅 の価格が下落し,梅樹が伐採されている箇所,桑畑や茶畑に転換している箇 所がみられたと考えられるが,略図に示された梅林の広がりは,1887(明治 20)年頃の状況を示しているわけではない。「梅林略図」が地価軽減を要請 する目的で作成された図面であるという性格を考えると,1874~76(明治 7~9)年の地租改正作業時に梅林として地価の算定がなされた箇所は,地 価軽減を求める対象であり,網羅的に図面に記載したと考えられる。そして, 地租改正作業が行われた時期に梅樹が植えられていた箇所は,江戸後期から 明治初期の烏梅の生産の最盛期の梅林の状況に近いと考えられる。 1887(明治20)年に作成された「梅林略図」には,江戸末期から明治初期 の最盛期の月瀬梅林の広がりが示されていると考えられ,月瀬梅林の変遷を 検討する上で貴重な資料である。 地域創造学研究. 99.

(22) 研究ノート. <注> 1 「奈良郡役所」の罫紙で作成された文書は文書6と23のみ。他の郡役所で作成 された資料について,明治28年8月の文書は「添上外四郡役所」の罫紙が用 いられ,明治30年5月の文書は「添上郡役所」の罫紙が用いられている。奈 良県内の郡の変遷については,1878(明治11)年の郡区町村編制法により, 1880(明治13)年に添上,添下,山辺,広瀬,平群の5郡の連合郡役所が奈 良町に置かれ,その後,明治30年に県内15郡が10郡に再編され,添下,平群 郡は生駒郡となる(奈良県史編集委員会編(1985)『奈良県史第1巻』,p.415)。 この経過と,梅林一件簿冊文書4が1887(明治20)年4月に奈良郡役所あて に発出されていること,他の奈良県行政文書では1890(明治23)年頃の文書に, 発出者は添上外四郡役所名であるが「奈良郡役所」の罫紙が用いられている 例があることから,連合郡役所が置かれた初期の頃は「奈良郡役所」と称し, その罫紙が用いられ,おそらく1889(明治22)年の市制町村制施行以降には「添 上外四郡役所」と称し,その罫紙が用いられ,明治30年以降は5郡の連合役 所ではなくなり,「添上郡役所」の罫紙が用いられたものと考えられる。. <引用文献> 安彦勘吾(2004)『奈良県下地価修正材料調査書』について,奈良学研究7, pp.73-102 小野佐和子(1999)月瀬梅林の近代における変容について~イギリス湖水地方と 比較して~,奈良文化財研究所学報58,pp.105-120 佐藤甚次郎(1986)『明治期作成の地籍図』古今書院 佐藤正男(2002)土地税制史―評価を中心として−,税大論叢39 月ヶ瀬村史編集室編(1990)『月ヶ瀬村史』月ヶ瀬村 土平博(2009)税務大学校租税史料室所蔵「大和国地租改正地引絵図」の作成と 移管の経緯,総合研究所所報17号, pp.29-39 名古屋税務監督局(1927)『地租の沿革』 奈良県史編集委員会編(1985)『奈良県史第1巻』 堀内忠司他編(1891)『奈良県下地価修正材料調査書』 三木理史(2003)税務大学校所蔵 奈良県公図の調査報告,総合研究所所報11号, pp.155-163 名勝月瀬学術調査準備委員会編(1957)『名勝月ケ瀬:学術調査報告』月瀬村. 100.

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参照

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