一 第 6 回 1 1 月 6 日 ( 日 ) 放 送
児童期の姿(その2)子どもとおとなの人間関係
-みんなで育てる子どもたち
講 師 吉 I l l 道 雄 一
は じ め に
親は自分たちの子どもを育てなければならない。しかし,親だけの力では子 どもは育たない。生物としての「ヒト」は,「えさ」さえ与えれば,それなりに 大きくはなるだろう。しかし,それでは「ヒト」は「ヒト」のままだ。「ヒト」
は「社会」の中で育てられてこそ「人間」になるのである。インドで発見され た野生の少女たちは,まわりの懸命の働きかけにもかかわらず,「人間」的な行 動や習慣を十分身に着けないまま,若くして亡くなってしまった。彼らは,「ヒ ト」ではありつづけたが,「人間」にまでは成長できなかったのである。こうし た事例は人間が社会的な動物であることを強く訴えている。兄弟姉妹を含めた 家族はもちろん,一日の大半を過ごす学校も,子どもたちの成長に大きな影轡 と責任を持っている。そこには教師がおり,友だちがいる。また,子どもは地 域社会の中で暮らしている。「隣のおばさん」「友だちの家のお母さん」「買い食 いするお店のおばさん」,そして「おじいちゃん,おばあちゃん」「親戚のおじ さん,おばさん,いとこたち」…。こうした子どもたちをとりまく社会が与え る影響もきわめて重要である。「社会教育」は「家庭教育」や「学校教育」とと もに,子どもの成長にとっては欠くことのできない亜要な要素である。みんな が知恵と力を出し合って,次の時代を担う子どもたちを育てていくのである。
実際,熊本市教育センターでは,子どもたちがテレビを視聴する時間が無計画 で多すぎるという問題に対して,「学校」「家庭」「社会」の三者が一体になって 研究と実践をすすめ,大いに成果を挙げている。「子どもとおとなの人間関係」
の2回目は,こうした家族,学校,社会に求められる連携プレーについて考える。
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1集団のエネルギーと子どもたち 1 - 1 集 団 が 個 人 に 与 え る 影 響
子どもに限らず,人の行動や考え方は,周りの集団から大きな影響を受ける。
グループダイナミックスと呼ばれる,集団と人間の関係を科学的に研究する分 野がある。そこでは,集団が人間行動に与える影響を研究したおもしろい実験 がいくつも報告されている。
[実験1]
図1.を見ていただきたい。左側に1本,右の枠の中に3本の棒がある。もし,
あなたが「左の棒と同じ長さのものを右側から選んで下さい」と言われれば,
何の疑いもなくBと答えるはずである。なぜなら正解はあまりにもはっきりし ているからである。ところが,ある条件のもとで行われた実験では,同じ図を 見た半数の人たちがCと答えたのである。その「ある条件」とはどのようなも のなのだろうか。
ここでは,しばらくあなた自身が実験に参加したつもりで読んでいただくこ とにしよう。実験に協力してくれと頼まれたあなたは,6,7人の人たちと心 理学の実験室にいる。実験の前にくじびきが行われ,いよいよ実験が始まる。
実験者は,「これは視覚の実験です」などと言いながら,図1.を見せて,左の棒 と同じ長さのものを右の,
A,B,Cから選ぶように 被験者に求める。くじびき で決めた順番に,被験者は 自分の思った正解をみんな の前で言わなければならな い。あなたは,くじびきで たまたま最後になっていた としよう。もちろん見ただ けで正解はB以外には考え られない。順番が来たら自
A B C
図1.集団圧力の実験に使用された図.
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信をもって答えるだけだ…ところがここで信じられないことが起こる。それ は,1番目の人がいかにも自信満々に,「それはcです」と答えたのである。こ のときは,「勘違いか言い間違いだろう」と気にも留めなかったのだが,その後 の人たちも次から次に「同じ長さの棒はcです」と,はっきりと言うのである。
しかもだれもが確信を持っているように見える。いよいよあなたの番になった とき,あなたはどう答えるだろうか。自分の信じるとおりに,「ほかのメンバー の判断はおかしい。だれがなんと言おうと,Bだ」と答えることができるだろ うか。そんなときには,「なんとなく言いづらい」という気持になるのではない かと思う。同じ立場になった友だちが,言いにくそうに,「cです…」と答えた としたら,少なくともその人の気持ちは理解できるだろう。自分の判断と多く の他人の判断が違って,ある秘の心理的な圧力を感じた経験はだれもが持って いるからである。こうした力を「集団圧力」と呼んでいる。このように集団は 個人の判断(少なくとも表向きの行動)にかなりの影響を与えるのである。
ところで,この実験では,順番が最後の被験者以外はすべて,実験者側の仕掛 け人であった。彼らにはあらかじめ,全員が「c」と答える役割が与えられて おり,本当の被験者は最後に判断を求められる人だけだったのである。実験で はその人が必ず最後になるように仕組まれていた。こうして実験を繰り返して いくと,事情を知らない被験者のうち半数以上が,正しくない判断をする他人 に同調してしまったのである。そして,他人がいない条件で,ひとりだけで同 じ図を見たときには,だれもが正解を言うことも確かめられている。これはアッ シュ(Asch,S・’955)というアメリカの社会心理学者が行った有名な実験で ある。ただし,ここでは説明を簡潔にするため,実際の実験手続きや結果を正 確に伝えてはいないことをお断りしておきたい。
[実験2]
このごろは「綱引き」がスポーツになって,大きな大会なども開催されてい るようだ。そんな大会には出なくとも,子どものころに,だれもが一度は「綱 引き」をしたことがあるだろう。みんなで力を合わせる典型的な協同作業であ る。ところで,そのときあなたは本当に揮身の力をふりしぼって綱を引いただ
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ろうか。案外,他人まかせで「まあこのくらい頑張ればいいだろう」と,ある 程度のエネルギーしか出さなかったことはないだろうか。まさか,綱にぶら下 がっていたという不心得者はいないだろうが,こんなとき,人間はつい手を抜 いてしまうことがある。
こうした現象を「社会的手抜き」と呼んでいるが,ウイリアムスたち(Willams,
K、,I-larkins,S,,&Latan6,B・’981)がおもしろい実験をしている。実験
では4人一組になって「できるだけ大声」をあげることが求められる。お互い 目隠しとヘッドフォンを着けているので他のメンバーの声は聞こえない。最初 は一人で,つづいて二人で,そして岐後は全員で大声を出す。実験がはじまる 前に,3つのグループが,実験者からそれぞれ違った説明を受けることになる。
第一のグループは,「一人のときもみんなと一緒のときも,一人一人が出した声 の大きさが記録される」と伝えられる。つぎのグループは,「一人のときは各人 の記録ができるが,複数のときはそれはできない」と言われ,さらにもう一つ のグループは,「録音の都合から,一人のときも,みんなで声を出すときも,個 人の声の大きさは測定できない」
1 0
9
8
7
6
5
----‐個人評価可能条件 一m独のときのみ個人細可峰件 一 個 人 評 価 不 可 能 条 件 と説明される。さて,この三つの一
人 条件で,各人の声の大きさは連っあ
た
てくるのだろうか。その結果が図り
の
2.である。その結果は実にはっ音
きりしている。「個人の測定が可竺 能な条件」では,一人のときも複?
n
数のときも,できるだけ大きな声e
を出していることがわかる。これ話
、画ノ
に対して「個人が常に測定できな い条件」では,出した声そのもの は前者ほど大きくはないが,条件
厩 剛 百 は と パ さ 、 厩 砥 い か , 宋 仔 1 2 4
が変わっても同じような声を出し 集団の人数
ている。そして,「一人」と「複数」図2.社会的手抜きの実験結果.
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の間で最も大きな違いが見られるのが,「個人のときは測定可能だが,集団のと きは測定できない」条件である。要するに,一人のときはできるだけ大声を出
しているが,複数になったとたんに「手抜き」をしているのである。われわれ はこうした結果をどう受け止めるべきだろうか。「人間なんていい加減なものだ。
みんなだとすぐに手を抜くんだから…」と嘆くのも一つの反応だろう。しかし,
この結果を見て,「人はその努力がちゃんと評価されるなら,一生懸命に頑張る ものだ」と解釈することも可能である。人間はややもすると安易な方に流れて しまう。「手抜き」が起こるのもそうした人間の一つの傾向だろう。しかし,だ から人間はダメだと考えるのではなく,そうしたことが起こらなくする方法を 考える方がはるかに生産的である。おとなと子どもの関係に当てはめれば,こ の結果を,「子どもたち一人一人の行動を注意深く見ること。そして,その努力 に対してきちんと評価することの璽要性」を強く訴えているものと考えたい。
1 - 2 集 団 規 範 を 育 て る
さて,二つの実験をとおして,集団が個人に大きな影響を与えていることが 明らかになった。しかし,「集団の圧力」にしても,「社会的手抜き」にしても,
あまり望ましいイメージのものではない。もう少しプラス志向で集団を考える ことができないだろうか。集団のエネルギーを望ましい方向に生かすことはで きないだろうか。そのことを「集団規範」という観点から考えてみよう。
「集団規範」はそれぞれの集団のメンバーが行動したり判断したりするとき の基準である。集団メンバーにとっての術識と言うこともできる。われわれは,
「自分たちのグループのメンバーであるからには,そうするのは当然だ」「メン バーがそんなことしてはおしまいだ」などと考えることがある。こんなときわ れわれは,「集団規範」という行動の埜準を意識しているのである。そして,そ の規範からはずれた行動をすれば,本人も「なんとなく気持ちが悪い」と思う
し,また他のメンバーも彼に規範に従うような「圧力」を加える。要するに,
「集団規範」が作り上げられれば,メンバーはできるだけそれにそった行動をす るように努力するのである。もちろん,「集団規範」には望ましいものとそうで ないものとがある。しかしいずれの場合にも,メンバーは集団の規範には従お
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最近よくボランティア活動といゑ言葉を耳にする。ボランティアというとなんだか露害
しいイメージを連想するが、最も身近で人のためになることが、あるのではないかと思え
るようになった。例えば、バスなどで席を譲ること。しかし、実はこんなことさえ私たち
は簡単に行罫勤できない。自分の前にお年寄りが立たれた時、「どうぞ」の一言がどうして
も□から出ない。こういう人は多いと思う.それは、人に対しての接し方に{自信がなく恥
ずかしい、という感情に押しつぶされてしまっているからではないだろうか.この感情に
勝つためには少々の勇気が必要になってくる。だから私は今椿ろている小さい勇気を少し
ずつでも増やし、行動がとれる人間になっていきたい。(熊本市高校生一七歳) IIIIiIIIII 席を譲る「どうぞ」が言えない
弓型日名2口2E3しり芝fZ3zg2PZp認0診盈rも■ろ伊西侭迦Pz02223贈■LjZ#j唾#iZfjZPxg呪Jmi塚●削覚i3z反迦P3聡,出塁9J早出陽’わ●〆込gシBZaP理Fやりロ認。晩幻ほり3賂?#豚。届#
投書L(一九九四年三月二十日熊本日日新聞「若者特集」)
子高校生の意見である。彼女は人との接し方に自信がないからと言っているが,
果してそれだけだろうか。われわれの社会には「人に対して親切にする」こと について,それが自然で当り前,同じ状況にあればだれもがそうするといった
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うとする傾向を持っている。そこで,われわれおとなは,子どもたちにとって 望ましいを規範を作り上げることが必要なのである。
ここである新聞の投書を見てみよう(投書1.)。
「お年寄りに席を譲りたいが,勇気がなくてそれができない」という健気な女
「行動の親範」が確立しているだろうか。「親切の裏には下心があるのではない か」「本当はしたくもないことを無理にしているんじゃないか」といった寂しい 発想がお互いの心の中にあれば,親切もしにくくなる。「社会の規範」「みんな の常識」が変わらなければ,いつになってもこの投書のような若者の嘆きはな
くならないのである。
このように,望ましい「集団規範」を高めることは,子どもを含めた社会全 体にとってたいへん重要な課題である。それでは,おとなとしては何ができる のだろうか。まず第一に,望ましいかどうかは別にして,日常の生活の中に,現 在どのような規範があるかを発見することが必要だろう。第二に,そうした規 範についての情報を子どもたちに対して知らせること,そして,第三は,それを どのようにいい方向に改善したり,強めていくかを考え,具体的な対策を見つ けだすことである。扱後に,対箪が決まったら,おとなたちが率先してその実 践のために行動するとともに,子どもたちにも積極的に働きかけることが求め られる。こうした役割をおとなが積極的に果たすことによって,「集団規範」が 向上していく。付け加えるならば,三番目の具体的な方法を見つけ出すところ では,子どもたちの意見やアイディアをうまく取り入れることがポイントにな
る。おとなが自分たちだけ張り切って,規範を変えるために「ああしよう,こ うしよう」と言って考えを押しつけるのでは,本当の規範の変化は期待できな
い。
2みんなで育てる子どもたち
-社会が育てる,他人が育てる-
「お宅のお子さんはご挨拶もきちんとして,本当に立派な教育をなさってお られますね」。こんな話をご近所の方から言われる。一瞬,耳を疑い,きっとよ その子どもと間違えているんだろうと思ってしまう。ところが,ところがであ る。別の日にたまたま遠くから見えた子どもの姿。確かに,隣のおばさんに結 構ていねいに挨拶している。声までは聞こえないが,あの様子ならきっとちゃ んとした挨拶も交わしているのだろう。家ではまるで聞かん坊,反抗期のあの
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挨拶ひとつで充実した朝に
…I,iiIIII 私は、毎朝込み合った列車から降りて、自分の自転車のと ころへ行く。自転車がたくさん並べてある。その中で、腕章 をしたおじさんたちは、きれいに自転車を並べてくれている。 岐初のうちは、気にも止めていなかったが、季節が冬になり、 寒さが厳しくなってきたころ、心の中で「寒いのにご苦労さ ま」と思うようになった。しかしだれも挨拶なんてしていな いし、恥ずかしいことという気持ちがあった。ある寒い朝、 おじさんたちはいつものように頑張っていた。私は、「いつ もありがとうございます」という気持ちで、「おはようござ います」と笑顔で言った。おじさんは、驚いたように私を見 たが、笑顔で挨拶してくれた。それ以来、私は感謝の気持ち で毎朝の挨拶をしている。挨拶はしない時よりも、したとき の方が気分よく感じられ、空気も澄んだように見えるから不 思議だ。気分が充実して、「今日も一日頑張ろう」というす がすがしい朝になれる。(玉名郡玉東町高校生一六歳) 投書2(一九九四年三月二十日熊本日日新聞「若者特集」)
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息子が…。どの親にも似たような体験が一度や二度はあるのではないだろうか。
子どもは親の言うことは聞かなくても,社会の中でちゃんと成長しているのだ。
まわりのおばさんやおじさんの力が子どもを育ててくれるのである。「親の言う ことは聞かないのに…」とは思うが,「親の言うことだから聞かない」のである。
親密な関係が基盤にあって,どんなことがあっても,最終的には「許してくれ る」とまではいかないまでも,「とにかくどうにかなる」から反抗もし,言うこ とも聞かないのだ。社会の中で出会う人たちにはそれなりの礼儀を持って接す る。そんなことはもうしっかり身に着けているのである。だからこそ,お互い 他人がよその子どもを意識的に「育てる」ということが大切なのである。「わた しがお宅の子どもさんを育てるから,お宅もうちの子をよろしくね」。こんな関 係が地域でできあがってもいいのではないか。
ここで,投書2.を見ていただこう。
これも女子高校生のものだが,彼女たちは一生懸命に仕事をしてくれるおと
なに対して,ごく自然に感謝し,お礼の気持ちを持っていた。そして,思い切っ て感謝の声をかけてみた。そのことばに,おとなの方が筋きながらも,優しく 挨拶を返してくれたことですがすがしい気持ちになったのである。子どもとお
となの理想的な相互作用の事例だと思う。おとながきちんと対応することの璽 要性もよくわかる。これから彼女は,いつも抵抗なく,人に対して感謝の気持 ちを表すことができるだろう。
ところで,学校でも似たようなことがある。「自分の言うことをなかなか聞か ない」と訴える担任の先生は少なくない。そして,他のクラスの先生の言うこ とは案外と素直に聞いたりする。まったく嫌みな話ではある。しかし,これは 親子の関係と同じように,身近な存在で,自分に対していろいろやってくれる 存在だからこそ,反発したり,“NC"と言ってみたくもなるのではないか。こん なときには,「お互いに他のクラスの子どもを育てよう」という教師間の逮挑プ
レーも大事だと思う。他の教員が担任に口を出すのはうまくないという気持ち もあるだろうが,最終的には学校全体で子どもを育てるのである。
今や国際化の時代,社会の中には当然のことながら外国人も含まれる。ホー ムステイでアメリカの留学生を迎えているある家族の話である。家庭でごく自 然にする外国人の行動が子どもにいい影響を与えるというのである。たとえば,
その留学生はコップでミルクを飲むとすぐにそのコップをよく洗う。もちろん,
底にミルクの残りがくっついて,時間がたつときれいにするのに大変だからで ある。そうした行動を見た子どもたちは,ミルクを飲むとすぐにコップを洗う ようになったという。まさに自然の教育である。もちろん,親が言っても習慣 は身に着くかもしれない。しかし,ときには親が正しいとわかっていてもただ ひたすら反発する,そんな時期もあるのである。「ホームステイには,文化の違 い,家の広さなど,いろいろむずかしい問題もあるけれど,子どもたちにとって はとてもいい体験でした。できれば他のみなさんにもお勧めしたい」というの が,「お母さん」の意見であった。異文化間のコミュニケーションによって,互 いの行動を理解し合う。これからの子どもたちには欠かせないことである。外 国人もまたわれわれの子どもを育ててくれるメンバーの一員である。
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3 わ ざ わ ざ 運 動 と や せ 我 慢 運 動
これまで,子どもを社会全体で協力して育てていくことを考えた。ところが,
周りの状況を見ると,そうしたことがますますできにくくなっているように思 われる。したがって,みんなで子どもを育てるためには,それなりの心構えが 必要である。岐後に,そうした点について考えてみたい。
3 - 1 わ ざ わ ざ 運 動 の す す め
高齢化社会を迎えて,健康は人々が最も関心を向けるテーマである。自治体 が行う「生涯学習」に関する調査結果を見ても,トップは必ずといっていいほ ど健康問題である。そして,今ではジョギングやエアロビクスもすっかり定着 したようだ。世の中に,見られるよりも見る方が気恥ずかしくなるのはエアロ ビクスくらいしかないなどと考えているわたしなどには,そのよさも十分には 理解できないが,いずれにしても,心身の健康にはずいぶんといいものらしい。
しかし,考えてみれば時代は変わったものだと思う。われわれが子どもの時代 はジョギングやエアロビクスなどは聞いたこともない。そうしたことが経済的 にできなかったのではなく,そのような運動がもともと必要ではなかったので ある。何しろ,マイカーなどといったことばすらない時代である。人々は歩く か,せいぜい自転車を使って通勤し,通学していた。一方,生活のエネルギーの 基になる食耶も決していいものではなかった。毎日の食卓には,牛肉はもちろ ん,卵や牛乳さえも戦ることは少なかった。だから,ダイエットといったこと ばももちろん聞いたことがない。そんな時代だから,カロリー調整のために運 動をするなど,話題にもならなかった。ところが,今や運動不足は深刻になり,
いわば,「わざわざ」通勤をしなければならなくなってしまったのである。もと もと,日本語の「わざわざ」ということばには,「しなくってもいいのに…」と いった否定的なニュアンスが含まれている。しかし,わたしはここで,むしろ
「稲極的に」「意識的に」という肯定的な気持ちを込めて「わざわざ」というこ とばを使いたいと思う。ジョギングやエアロビクスを積極的にしている人から は,「わざわざ運動している」などと言われるのは心外だという声が聞こえてき
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そうだが…。
3-2「わざわざコミュニケーション」,「わざわざふれ合い」の場づくり さて,「わざわざ」運動をする今日だが,子どもたちを育てる点からも,「わざ わざ」運動が求められている。「わざわざコミュニケーション」「わざわざふれ 合い」をめざした運動である。それは,今ではそうした機会が,子どもたちの まわりからほとんど失われてしまっているからである。その昔,給料前に味噌 や醤油がなくなると,世の主婦たちはとなりの家にかけ込み,2,3日分だけ借 りたものだ。もちろん給料が入った暁には,借りた分に気持ちだけ上乗せして,
「ありがとうございました」と心から感謝して返す。ほんの少額ではあるが,お 金だって,心ならずも借りることもあっただろう。要するに,満足できない経 済状態のせいで,そうせざるを得なかったのである。しかし,そのために,相手 に感謝するような事態が自然に生まれた。ところが今や時代は変わってしまっ た。ものがなければ,夜中でもコンピニエンス・ストアーに行けばなんでも揃
う。お金がなければカードを使えばいい。学生証だけで,その場で20万円が借 りれるというカードがあっという間に発行される恐ろしい時代でもある。要す るに,人から助けられて感謝するという状況が極端に少なくなってしまった。
まさに事態は,「衣食足りすぎて礼節(ふれあい)を忘る」なのである。しかし,
「昔はよかった」と嘆いてもはじまらない。時代が変わったのだから,社会が,
おとながそうした機会を意識的に,つまり「わざわざ」作り出すことが必要な のである。
同じような例はまだある。例えば,以前は各家庭に風呂がなかった。日本人 は無類の風呂好きだといわれるが,その好きな風呂は銭湯であった。そこには,
いろいろな人がきていた。お年寄りから若い人まで,それこそ社会の縮図だっ た。そういう人たちが文字どおり裸のつきあいをする。その中で子どもはいろ いろなことを教えられ,また自分でおとなの世界を学んでいった。「浮世風呂」
は大事なコミュニケーションの場であり,子どもを育てる場でもあったのであ る。しかし現在では,子どもがこうした状況におかれることはまったくといっ ていいほどない。なにせ修学旅行で,子どもたちはパンツをはいて大浴場には
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いるという時代なのである。それでも子どもたちを責める訳にはいかない。そ んな体験がまるでないのだから。そういう意味では,熊本市の藤崎宮の礼大祭 などは資亜な例外かもしれない。祭に参加した子どもたちは,いろいろな年齢 のおとな,年長のお兄さんやお姉さんたちから,たくさんのことを学んでいる ようにも見える。いずれにしても,おとなと子どものコミュニケーション,ふ れ合いの場作りは,未来の子どもたちを育てるわれわれの課題である。
3-3「閉じ込もり社会」,「基地ごっこ社会」を開放しよう
ところで,おとなとのふれ合いやコミュニケーションが少ないもうひとつの 理由は,現代の家庭のあり方にも関係している。先ほども,人に頼らないで生 活できることが,現代的な課題であることを指摘したが,これは家庭そのもの の生活パターンにも原因がある。それは,ひとつひとつの家庭が「閉じ込もり 型」になっていることである。他人に依存しなくてもやって行けることはすで
に述べたが,それ以外に,「他人を入れたくない」という気持ちが次第に強まっ てきているように思えるのである。出かけるときもマイカーを使う。家族全員 がひとつの車という密室の中で移動する。自然に電車やバスでの乗客マナーを 学ぶ機会も少なくなってしまう。家族さえ了解していれば,自分たちの車の中 では何をしても迷惑がられることも怒られることもない。こうして,家族とい うプライベートでまとまりのある集団が生まれる。この快適さは意外に大きい。
それを壊されるのはいやだから,できるだけ他人はお断りという気持ちがさら に強くなる。
ここで,投普3.を読んでいただきたい。
24歳の主婦の意見としては,今どきめずらしいといってもいいかもしれない。
彼女も響いているが,昔はこんなおとなが,そこにもここにもいたものだ。自 分の子どもが他人から怒られて,親として恥ずかしいと思うのではなく,
「こらっ!」といった他人をにらみ返す。こんな親たちの方が多くなってしまっ てはいないか。
小さな子ども,とくに男の子は,今でも家の近くに「基地」を作る。こっそ り隠れて遊ぶ場である。昔は,そうした場が至るところにあったが,このごろ
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子供に「こら」復活したいな
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