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19世紀初頭のフランスにおける保護主義論(1)

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19世紀初頭のフランスにおける保護主義論(1)

その他のタイトル Le protectionnisme francais au debut du XIXe Siele (1)

著者 吉田 静一

雑誌名 關西大學經済論集

巻 11

号 4

ページ 319‑341

発行年 1961‑10‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15505

(2)

319 

︹ ︱ ︱ ︱

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ 産業革命前夜における国家と経済

︹ 二

V I

︹ >

I V

︹ 皿

n I

︹ 一

産業のシステムにおける革命の意義

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論

(3)

ジャン・アントワーヌ・シャプタル

以後フランス産業全般にたいする関心を深 じめて可能であったとさえいえよう︒ を強行しなければならなかったのは︑このためであり︑フランス︵初期︶産業資本の自主的発展は︑このもとでは

C o

n t i n

e n t a

l   System 一九世紀初頭のフランスをかざるナボレオンの権力が︑あのフランス革命にたいする反動であったどころか︑革命

の成果をみずからの前提ともし基盤ともして成立した権力であり︑したがつてその成果の拡充と︑そうしてそれに

ともなって産業資本確立への途の開拓とをみずからの使命とする権力であったことは︑すでにわれわれの知ったと

( 1 )  

ころである︒ただここでもういちど︑このナポレオン権力の成立と︑それがになった使命の遂行とは︑すでに産業

革命の只中にあったイギリスの高い生産力の眼前で︑しかも直接その側圧をこうむるなかでおこなわれなければな

らなかったことに︑くり返し注意を促しておきたい︒ナポレオンが︑あの﹁大陸制度﹂

のための索材としてさしあたつてここでは︑ ところで︑わたくしはいま︑以上の過程を今度は文献的に確かめてみたいとおもつているのであるけれども︑そ

( 2 )  

シャ︒フタルの﹃フランス産業論﹄をとりあげることとしたいとおもう︒

学者ではない︒彼については︑硫酸︑明蓉︑

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 │ 1832)(1756 は︑もともと化学者であって︑経済

( 3 )  

ソーダの製造︑葡萄酒醸造の改良など︑化学者としての業績のほうが

名高いぐらいである︒しかし︑彼は革命を契機にして政治にも関係するようになり︵執政政府のもとで内務大臣︶︑

( 4 )  

また彼の化学者としての活動が生産と直接結びついたこともあって︑

め︑産業博覧会の開催や︑産業奨励協会の設立に努力をかたむけている︒彼の著書のひとつ﹃フランス産業論﹄は︑

(4)

321 

一九世紀初頭のフランスが︑

一群の保設主義者が存在して こうした活動ののちの所産であることはいうまでもないが︑そこにしめされている彼のフランス産業への深い関心は︑また彼をナポレオンに近づけることともなった︒のちに彼が︑﹁ナボレオンが産業に大きな貢献をしたことは︑

( 5 )  

否めない﹂と回想していることは︑このことをよくしめしているといえる︒

て︑誰よりもJ.B・セーやシスモンディを想いおこす︑ 一九世紀初頭のフランスの経済学者とし このような彼の閲歴や政治的位置は︑却つて︑わたくしがここでたてている目的にたいして︑彼の著

書をとりあげることを不適切にすると思われるかもしれない︒

こんにちのわれわれにとつて︑シャプタルは馴染みのう

すい名であるし︑彼の著書は当時としても特異なものと断ぜられる恐れがないでもない︒しかし︑こんにちのわれ

われにはすでに忘れ去られた存在になっているとはいえ︑

おり︑むしろ彼らこそが︑ この当時のフランスには︑

そのあたえる影響において主流をなしていたことには︑もう少し注意がはらわれていい

( 6 )

7) のではあるまいか︒その保護主義者のなかには︑ガニール

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(1760 │ 1836)、フェリエFran~ois

( 8 )  

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(1777 1861)︑あるいはルイ・セー

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 (1774 1880)などを数えることができる│ 

けれども︑彼らに共通していることは︑政策的には︑保護制度の要請とその国内産業にあたえる効果への確信とで

理論的には︑貨幣の資本としての機能にたいする重視と︑したがつて貨幣の︑富の生産と経済発展とにたい

( 9 )  

する効用の重視とであったといつてよかろう︒これらはいずれも︑重商主義に固有のものであり︑しかもそれは︑

古典学派にたいする批判のうえに立つて組みたてられていたため︑

邑︑︵マルクス︶とよばれることとなったが︑

のちに彼らは︑重商主義の﹁近代的蒸しかえし

まだこれらの政策と理論とを

もとめる生産力的段階にあったことにも注意をはらう必要があろう︒われわれがこれからとりあつかおうとするシ

(5)

体は四篇に分かれる︒第一篇は︑一七八九年におけるフランスの外国貿易の状態を︑

品目別に詳述して

ャプタルもまた︑これら保護主義者のなかの有力なひとりであったのであり︑

重要な文献のひとつとしてあげることができるものなのである︒

この﹃フランス産業論﹄は︑

の跡が叙述され︑

における諸立法︑諸制度の︑ その﹃フランス産業論﹄も︑かなり

シャ︒フタルによれば︑革命以来つづいた戦争による通商関係の混乱・断絶を

再建l

ただし旧状の回復ではなしにーするために必要な現状認識を目的として書かれたものであるが︑その全

いる︒ここで一七八九年がとられたのは︑その年が過去においてフランス貿易の最盛期であったからであり︑その

年と現在とを比較しつつ︑かつての繁栄の諸原因と克服すべき障害︑

容易にするためである︒この諸変化のうちの最大のものとして︑

つの部分に分かれる︒すなわち第一章では︑

そうして第二章では︑ それ以後こうむった諸変化についての認識を

シャプタルが植民地の喪失をあげていることは注

目されよう︒第二篇でとりあつかわれるのは︑農業である︒ここでは︑農業の進歩︑

地域別︑品種別に︑しかも数量的に確認される︒第三篇の叙述の対象は︑

政府のとるべき︵あるいはとつてならない︶政策を叙述の対象としており︑ その現状︑土地生産物高が︑

工業であるけれども︑この篇はさらに二

こ の 一 ︱

0

年間における工業の発展︑とくに技術的進歩︵物理学︑化学の

工業生産物の量と価値が︑統計的に確認される︒最後の第四篇は︑

アンシァン・レジームのもと

フランス革命による変革の意義が確認されるとともにあらたな政策の指示がおこなわ

以上の摘記から知れるように︑第一篇から第三篇までは︑まさにフランス産業の現状認識であり︑それは︑この

段階におけるフランス産業の実態を知るためにはまことに有用ではあるけれども︑しかし︑わたくしのここでの目

(6)

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←)華据「,.;~<!2-}Q『米割華述』0幽臥忌艇堀」(『進妬纏線』撼10都洪'➔(曲'll0)~~産゜..>JvJ.!嘔巡e振゜

(C'l) J. A. Chaptal, De l'industrie fran<;oise, vols, Paris, 1819. (oo) J. A. Chaptal, Memoire sur Ia culture de la vigne l'art de faire Jes vins et sur la distillation des eaux‑de‑vie, Paris, 1820. 

('<1')認送榔掬..>J,.)¥J Chimie appliquee aux arts, vol, Paris, 1807. Ch.imie appliquee J'agriculture, vol, Paris, 182 3. Memoire sur le sucre de betterave, Paris, 1821. 

(in) J. A. Chaptal, Mes souvenirs sur Napoleon, p. 279. cf. Chabert, Essai sur les mouvements des revenus et de l'activit economique en Fr.ance de 1798 1820, p. 142. 

(<D) +!‑I審廷(Ia){} ..>J~0Des systemes economie politique, de leurs inconvenients, de leurs avantages et de la doctrine la plus favorables aux progres de la richesse des naiotns, vol, Paris, 1802. La theorie de I'economie politique sur Ies faits resultants des statistiques de la France et de l'Angleterre, sur l'experience de tous les peuples celebres par leurs richesses et sur les lumieres de leur raison, vol, Paris, 1815. (t‑) +!‑I榔:!;!Du gouvernement considere dans ses rapports avec Ia commerce, ou de l'administration commercial 

"' :: (co)刑褥>J,..) ¥‑J Principales causes de la richesse ou・de la misere des pueples et des particuliers, Paris, 1818. Considerations sur l'industrie et la legislation sous le rapport de leur influence sur la richesse des Etats, et  opposee aux economistes du dix‑neuvieme siecle, Paris, 1804. 

1、兵羊湿抱ltQl'¥11'¥AKJJ.昇全内楽蓋柑瑯縄(廿n田)

出~

(7)

近世諸国家間の重商主義的対立のなかにあってフランスの国力︵そうしてひいては王室の財政力︶ I産業規制

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(9)このうちフェリエについては、G•

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19 01 , 

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71 . 

* ‑ l x . l J .  

( 1 0 )

こんにちのわれわれにとつて︑アンシァン・レジームの産業規制

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︑同業組合

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︑親方

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などが初期産業資本の展開にたいしてはたした抑止的な作用と役割︑

したフランス革命が︑﹁封建制から資本主義への移行﹂にたいしてもった決定的な意義についてくり返す必要は︑

おそらくほとんどあるまい︒それについては︑わが国でも高い水準の研究がつみ重ねられてきている︒そこでここ

では︑みずから革命を経験した当時のひとびとが︑以上の過程とその意義とを︑

に認識していたか︑という問題に慨ちに入ることとしたい︒

シャプタルは︑すでに知ったように︑みずから革命を経験し︑しかも革命をなかにはさむ過去三0

ンス産業の発展の跡を展望しうる位置に立つていた︒その彼は︑

度︑徒弟制度︑あるいは諸特権にたいしていかなる態度をとつていたか︒以下順次みていくこととしたい︒

それでは︑産業規制︑同業組合︑親方制︑職人制

産業のンステムにおける革命の意義

したがつてその廃棄を課題と

いかに︑あるいはどれほど自覚的

をつよめるため

(8)

325 

つてコルベールが実施した産業規制とは︑

シャプタルのみるところでは︑ 結びつけられるのがしばしばであった︒

' ,

て︑イギリス︑オランダ︑   コルベールのとった政策が︑史上コルベルティスムとよばれる重商主義政策であり︑

あったことは︑われわれにはもはやよく知られていることである︒この産業規制は︑

ランス産業の発展にたいして抑止的であったことのために︑以後たえず批難をこうむり︑

つて廃棄されることとなるが︑ところでそれにたいする厭悪と批難とは︑

﹁これまでの人が産業規制にたいするあらゆる厭悪のゆえにコルベールの

( 1 )  

名声を傷つけてきたのは誤りである︒この点について彼がしたことは︑状況によって正当と認めることのできる﹂

ものである︒ここで﹁状況﹂というのは︑もとより諸国家の重商主義的対立のことであるけれども︑そのなかにあ

﹁実際のところ︑もつともすぐれた製造方法の正確な記述にすぎず︑し

( 2 )  

たがつてこの点では︑それは︑きわめて有用な指示をなす﹂ものであったのである︒そうしてその効果は︑彼が諸

( 3 )  

産業にあたえた保護奨励の効果ともあいまつて︑﹁一七世紀の末頃には︑フランスは︑世界貿易に参加し︑もつと

( 4 )  

も繁栄せる諸国家と産業を競うにいたった﹂ことのなかに︑もつとも明白にあらわれている︑とシャプタルは推断

( 5 )  

するのである︒

スペインなど諸外国の製品に抵抗するため国内産業に加えられたのが︑あの産業規制で

コルベール以降︑産業規制のもつ意味は︑急激に変つてしまう︒産業規制が︑

の普及と習熟をこととするかぎり︑

そうしてその一環とし

これもまた周知のように︑

ついにフランス革命によ

その成立の事情から︑コルベールの名に

( 6 )

コルベールの産業規制は︑必らずしも批難すべきものではなかった︒しかし

コルベールの意図どおり︑先進的技術

それは固定されてはならず︑技術の進歩とともにたえず変更されなければなら

(9)

り︑固定化の傾向をまぬかれることができず︑

もなつて︑規定の遵守を監察する検察官制度と違反にたいする厳罰主義とが︑生ずることとなる︒こうして︑

まい限界内に閉ぢこめられた才能は︑もはや製造の自由を失う﹂にいたり︑﹁産業規制の体制のもとでは︑有能な

( 7 )  

職人も︑真似と模倣とを余儀なくされ︑あらゆる技術がゆるしうる完成に到達することができなくなる﹂にいたっ

その厳密な実施がたえず命ぜられることになる︒そうしてそれにと

ふつう批難が加えられるばあいの産業規制とは︑

はや失ってしまったそれのことであり︑

ところのものであった︒そこで︑産業規制にたいする批難は︑

フランス革命のなかで﹁フランス産業が規制の束縛から解放されたとき︑

⁝⁝期待どおりの進歩をと

( 8 )  

げ︑もつとも繁栄せる諸国と競うにいたったばかりか︑⁝⁝きわめて重要な多くの技術をつくりだした﹂ことによ

つて明らかにされることとなった︒産業規制を廃棄したフランス革命の意義は︑決定的であったのである︒

しかしそれにもかがわらず︑革命後においても産業規制をもとめる声が跡をたったわけではない︒その論拠には︑

しいけれども︑しかしシャ︒フタルのみるところでは︑ フランスの産業を衰退させ︑

このかぎり正しいということになる︒そうしてその

消費者に良い製品を提供するためにはどうしても製造過程にたいする規制が必要だ︑といったことが利用されたら

こうした声が没落しつつある古い親方層

から出ていることは確実である︒つまり︑営業の自由

l a l i b e r t e   d e  l ' i n d u s t r i e

が認められて以来︑

は急増し︑職人頭

c h e f s o u v r i e r s

や職人

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が︑いままでの親方の傍らで営業をはじめるにいたった ない︒しかしそれは︑すこぶる困難なことである︒ 一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

フランスに海外市場を失わせた

a n c i e n s   m a i t r e s  

コルベールにおけるその最初の機能をも それが規制としての機能をはたそうとするかぎ

製造所の数

﹁ せ

(10)

327 

が︑営業の独占

l e m o n o p o l e   d e   l ' i n d u s t r i e

をうばわれ︑しかも旧来の生産方法に固執した後者は︑没落に直面

し︑ついには規制の復活をもとめるにいたったのである︒ーだが︑

は︑いうまでもあるまい︒シャプタルが集録している各地の商工会議所の意見は︑このことをよくしめしている

﹁保証と奨励と︑そうして活となるべが︑そのひとつによれば︑

( 9 )  

き保護﹂とでしかなかったのである︒

それがもはや無力なものにすぎなかったこと

( 1 )

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A .   Ch ap ta l,

De  

l 'i d u st r i e 

fran~oise,

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p . 

24 9.  

(2 )  I b id . ,   p . 

24 7,  c f . p.  

27 4,

t .     2,  p . 

x v i i i .  

(3 ) コルベールがあたえた保護奨励としてあげられるのは具体的には︑外国の科学者・技術者の誘致︑

励金の付与など︒

(4 )  C ha pt al ,  o p.   c i t . ,   t .  

2.  p . 

x i i .  

( 5 )

ここにしめされたツャプタルの︑コルベールにたいする低からぬ評価は︑われわれにはやや意外とするところであるか もしれない︒しかしそれは︑ッャプタルの評価が︑規制と自由といった原理的なものにもとづいてなされているのでは 必らずしもなく︑フランス産業の消長ーしかもとくに外国貿易ないし海外市湯と関連するばあいのそれーといった視点 からなされていることにもとづく︒この︑いわば現実的な視点からの判断が︑コルペールにたいしてばかりでなく︑産 業規制そのものにたいしてもみられることに注意されたい︒

( 6 )

'﹁コルペールが︑この産業規制を定めることに同意したのは︑ただ製造業者にすぐれた方法を習熟させ︑わが国の製造

業に︑他のどこにも劣らぬほど立派につくるという評判をえさせるためであった︒彼は︑信用を獲得し強固にするため に︑つねに同質の優秀な製品をヨーロッパに提供しようとした︒彼は︑この手段によって︑仕事場にすくつていた偏見 と悪しき慣習とを一掃しようとした︒しかし︑決してこの偉人は︑規制の体制が永続すべきであるとは考えなかった︒﹂

op .  c i t . t .   ,  

2,  pp. 

248 

9.  

(7 )  I b id . ,   p . 

24 8.  

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

﹁産業にとつて必要なのは﹂規制などではなく︑

貿易会社の設立︑奨

(11)

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

(8 ) 

Ib id .,  t .  

1, 

p . 

x l i v

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t.  2 , 

p . 

29 6.  以上の過程の先例としてイギリスがあげられている︒﹁一七世紀におこなわれた革命 は︑これら一切の産業規制を廃れさせた︒この革命は︑商工業に︑それが必要とした自由をあたえた︒そうしてこれら 商工業の発展がはじまるのは︑この時期からなのである︒﹂

Ib id ., t.  2 , 

p . 

25 6.  

(9 ) 

Ib id .,

t 

. 

2,  p . 

28 6.  

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あるいは職業

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にたずさわるには︑予備的な修業

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が必要で

ある︒使用する機械

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あるいは利用する道具についての知識をえ︑

は︑学習と実習とが必要であつて︑それをえるには時日を要する︒このうち学習は︑技術を知り実地にもちいてい

(10) る人間によってしかあたえられることができない°﹂││'シャプタルによれば︑これが︑徒弟修業を必要とさせる

一般的な事情である︒その事情は︑時代をこえて存在するけれども︑しかし︑このシャプタルの時代のように︑技

術的基礎の狭溢さからいまだ完全に抜けきつていない段階においては︑

はおそらく否めまい︒もつともここで徒弟修業といつても︑革命をなかにはさんでしまうと︑

はまったく異なったものになつてしまう︒第一に︑国家権力の徒弟制度にたいする介入の仕方がまったく異なって

しまうし︑また技術の修得をせまい親方

11

徒弟の関係から解放しようとする意図と動きとがあらわれてくるように

なる︒このうち後者は︑

められたことの反映なのであろうが︑

能であったのである︒しかしそれでは︑革命前の徒弟制度は︑どこにその弊害をもつていたか︒

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徒弟制度

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またそれらの利用の仕方を知るに

その事情がとくに強く働いたであろうこと

その前後でその内容

シャ︒フタルの時代が︑同時に産業革命の前夜でもあつて︑技術者と良質な労働者とがもと

それはやはり︑革命前の︑親方特権にしばられた徒弟制度の解体のうえに可

10  

(12)

329 

もともと親方

11徒弟関係は︑契約

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として成立すべきものなのであって︑政府が︑この

契約の遵守を保証しなければならないのはもちろんのことであるが︑しかし政府の義務はそれだけに限られるべき

ものである︒ところが︑︵革命︶以前には︑政府みずからが契約の﹁形式﹂

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を規定し︑契約の期間と徒弟の

数とを固定した︒

などがそれであるが︑﹁この法律は︑あらゆる原理に反しており︑親方││その手中に営業の独占

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を収めたうえ︑若者の労働力をも思うままに使う親方ーーーの利害を除く︑

( 1 1 )  

うものである︒﹂ところが親方制と結合した徒弟制度の弊害はそれだけではない︒徒弟は︑蠍燭︑礼拝堂︑入門披

露︑監督審査員等々の費用

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を払わなければならなかったし︑

た︒これらの費用が︑﹁財産のない青年たちの将来を閉した﹂ことはいうまでもあるまい︒彼らは︑いかなるもの

であれ自前で職業に就くことができなくなり︑親方のもとでの下請仕事で一生をすごさなければならなかったので

しかしいまではーーとシャ︒フタルはいうー﹁これらの弊害は︑もはや再生することはありえない︒世間と産業

の大きな利益にとつてのぞまれることは︑あらゆる職業に就くことが容易になることであり︑そうして政府は︑徒

( 1 2 )  

弟修業の契約のみを要求し︑履行に必要なあらゆる保誰をあたえるべきである︒﹂

以上から知れるように︑

徒弟修業の期間中︑

シャプタルは︑徒弟制度そのものを決して否定していない︒彼が反対しているのは︑国

家権力の規制をうけ︑親方特権にしばられた徒弟制度なのであって︑

のものとそれに結びついた親方特権とにあったといえる︒しかしそうだとすれば︑

一六六七年八月の染色に関する法令と規制︑

このかぎり問題はむしろ︑国家権力の性格そ

それだけにこの両者を変革した 年賦金を課せられてい いつさいの利害をそこな 一六六六年四月八日の法令︑一六六九年八月の法規

(13)

の養成については︑

革命の意義は大きかった︑といわなければならない︒それによってはじめて︑徒弟制度を︑

この徒弟制度そのものは︑やはり狭溢な技術的基礎のうえに成立しているのであって︑技術︵機械︶の

発展が産業をそこから解放するにともない︑徒弟制度そのものは︑みずからのもつ制約を次第に明らかにしていく

ことになる︒産業革命の胎動を敏感に感じとり︑

は︑徒弟制度そのもののもつ狭い枠についてもまた敏感であった︒彼によれば︑

c h e f

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を養成するためには︑技術に熟達した親方の課業だけでは必らずしも充分ではない︒

( 1 3 )  

弟子の側の準備︑とくにその進歩を早める予備教育

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が必要である︒﹂

の初歩︑線画

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が教えられる︒この初等教育は︑もとより国家の費用でおこなわれるが︑このうえ

( 1 4 )  

にあるいは親方のもとでの︑あるいは技術学校での技術教育がおこなわれることになるのである︒

いうまでもなく︑

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といわれているものは︑初等教育

﹁真の意味での師範学校

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その必要性と必然性とを見とおしていたにちがいないシャプタル

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にあたるものであるけれども︑

この構想は︑先進的な技術者と良質な労働者とを旋成するためのものであるが︑それ自体すで

にたんなる親方のもとでの徒弟修業の枠をこえているといわなければならない︒とくに︑このうち先進的な技術者

﹁政府がその費用で若干の仕事場をつくり︑徒弟修業をおえた青年を教育し技術の完成をはか

る﹂ことがもとめられていることは注意されよう︒それは︑

その目的とするところは︑ シャプタルによれば︑

それが﹁一般にわが国の産業の多くの部門で欠けている有能な

( 1 5 )  

職長

c h

e f

s o u

v r i e

r s

をわが国の︐職場に短い期間に増し︑すぐれた方法︑諸発見︑知識を急速に弘める﹂ことにあ そこでは読み書き︑算術 そのうえに ﹁よい労働者および有能な職場主 役立たせることが可能になったからである︒ フランス産業の発展に

ここで予備教育

(14)

331 

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ った︒そうしてそのようなものとしてそれがとくにもとめられた部門は︑第一が染色︑械工業に関する部門であったことは︑シャプタルが︑すでにその胎動をはじめつつあった産業革命の先端に立つて

( 1 0 )   C ha pt al ,  op .  c i t . ,   p . 

29 9.  

(1 1)

I  

bi

d.

, 

p . 

30 1.

  ここでシャプタルは︑徒弟修業の期間と徒弟の数とを法律できめることが︑いかに親方の利益になり︑い

かに馬鹿げたことであるかについて︑アダム・スミスを援用している︒

( 1 2 )   C ha pt al , op .  c i t . ,   p . 

30 3.  

( 1 3 )

Ibid••  

p . 

30 3.  

(14)この初等教育の意義をシャプタルはつぎのように表現する。「もし徒弟修業が初等教育—その原理はあらゆる技術に適

用されるーに先行されなければ︑その技能によって︑産業を豊かにしたかもしれない一群のひとびとを︑最下層のなか

によどませることになるかもしれない︒﹂

ib

id

.,

p . 

30 4.  

(1 5) C  ha pt al ,  op .  cit••

p . 

30 9.  

om

pa gn on ag e 

旧来の制度によれば︑親方のもとでの徒弟修業を終えた若者は︑組合の審査員

j u r e ds u  c o r p s

のまえで︑定め

られた職業の作業のひとつをおこなつて︑自分の知識と能力とを証明する義務があった︒そうしてこののち︑その

若者は︑職人

co mp ag no n

と認められたのであった︒しかし︑といつて直ちに仕事場

a t e l i e r

を開いたり︑自分の

一定期間ー通常は三︑四年ー︑お礼奉公し

計算で働くことができたのではなかった︒その前に︑親方の家で︑

( 1 6 )  

なければならなかったのである︒

l I I

職人制度 いたことを示すであろう︒ ついで金属工業︑第三に機

(15)

他方︑この旅の慣習が産業の進歩にとつてきわめて有用であるというわけは︑﹁それのみが︑知識の交流

co

m

( 1 8 )  

を急速になしとげ︑あらゆる発見を共通財産にすることができる﹂

mu mc at lo n  d e s   l u m i e r e s  

これについてシャプタルがその例としてあげているのが︑石エ︑錠前師︑大工︑指物師︑染物業者などであ

るところをみると︑職人の﹁フランス巡回﹂によってえられるとされる産業の進歩が︑結局のところ手工業的熟練

にかかわるものであり︑したがつて︑

その不都合な面をみていないわけではない︒職人たちは︑A

g a r c

; : o n d s   u 

devoirの名で知られた組合a

o c i a t i o n

を相互間で形成しており︑それは相互扶助の組織としてすぐれたものであるが︑しかし︑シャプタルによれば︑そ

れは同時に幾つかのばあい重大な不都合を生じさせることにもなる︒たとえば︑職人が親方を訴えて︑それが組合

c o r p s

に認められたとき︑親方の店は弾劾され︑そこには誰ひとり働きに行くことがゆるされなくなる︒そこで親 ものであるということになろう︒

しかし職人の大多数は︑

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶

この定められたお礼奉公

co mp ag no na ge

たらしい︒それはふつう﹁フランス巡回﹂A

t o u r   d e  Franceとよばれていたようだが︑シャプタルによれば︑

プログレ﹁この旅は︑職人の知識にとつても︑また産業の進歩にとつても非常に有益であった︒﹂なぜなら︑職人は︑この

旅によって︑より完成した機械︑より簡単な工程︑異なった原料とその利用法などについての知見を広め︑

( 1 7 )  

とを故郷にもたらす﹂ことができたからの職業の技術においてなされたあらゆる発見と完成

p e r f e c t i o n n e m e n s

からである︒もっ

シャ︒フタルが職人の﹁フランス巡回﹂を認めようとするのも︑そのかぎりの

ここにしめされたところでは︑シャ︒フタルは︑職人制度に同調していることになるけれども︑しかし フランスを渡り歩くことに用い

(16)

333 

れば︑そのひとつは︑ 方は︑仕事をつづけるためには︑いわれたとおりの謝罪をしなければならない︒相手が市の役人であった場合には︑すべての職人が一時にその市を出てしまい︑親方の仕事は停止せざるをえなくなってしまう︒これに加えても

この職人の組合

a s s o c i a t i o n

にセクトが生じ︑その間の争いが激しくなったばあい︑それは公安を害う

恐れがあることになろう︒シャプタルによればこれらが︑職人間の組合のもつ弊害というべきものなのである︒

そこで︑結局のところ︑職人制度

! ' i n s t i t u t i o n du   co mp ag no na ge

あたつてそれに熟達するようにさせ︑またその﹃フランスを巡回﹄するという既存の慣習が若者に︑自分の親方の

仕事場であたえられた知識以上のものを獲得させる点で︑有益であった︒しかし職人制度は︑自分の戦業をみずか

らの計算で営むことを職人にゆるさず︑彼の自立を不可能にし︑そうしてまた血気さかんな若者の心に広がりうる

(19) あらゆる害悪に門をひらいた点で︑弊害であった﹂ということになろう︒もとよりこのうち弊害は︑

るように︑職人制度が親方制と固く結合していたことの結果生じたものであり︑そのかぎりそれは革命の過程で後

シャプタルのみるところでは︑﹁職人制度の廃止は︑疑いもなく渡り歩く職人

d e s o u v r i e r s   v o y

a g e u r s  

の数を減少させたけれども︑しかしそれでもまだ多数存在する⁝⁝今後も︑知識欲ならびに旅の趣味が︑多分に︑

義務としてではなく︑知識欲にもえた若者に︑みずからの知識を完全にするためにフランスの主な仕事場を訪ねる

(20) 決心をさせるであろう︒﹂もしこのような見通しであるとすれば︑そうしてそれが産業の進歩にとつて必らずしも

マイナスではないとすれば︑政府もまた何らかの規制と援助とをそれにあたえなければならない︒シャプタルによ

0 ‑

0四年三月一日との布令

a r r e t e s

一九世紀初頭のフランスにおける保護主義論︵吉田︶ 者とともに廃止されなければならなかったのである︒ 一見してわか ﹁若者に自分の職業を営むに

参照

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[r]

Thoma, Die juristische Bedeutung der Grundrechtliche Sätze der deutschen Reichsverfussungs im Allgemeinem, in: Nipperdey(Hrsg.), Die Grundrechte und Grundpflichten