19世紀末合衆国借地諸関係発達の歴史的意義につい て
その他のタイトル Remarkable Growth of Tenancy in America, 1880
著者 東井 正美
雑誌名 關西大學經済論集
巻 6
号 4
ページ 296‑322
発行年 1956‑07‑01
URL http://hdl.handle.net/10112/15715
296
如は︑また︑ たしかに、F.F・ヒィル(F•F•Hill)のいうように、 われている︒
﹁アメリカ合衆国においては︑
東
土
一九
三
0
年代に入ってからである︑とい 井歴史的意義について 一九世紀末合衆国借地諸闊係接逹の
アメリカ合衆国においては︑この国の土地所有および土地諸関係が一般の関心の的となるのは︑そう遠くへはさ
かの底らない︒そしてこれが一般の耳目をそばだたせるにいたったのは︑
一九
三
0
年以前には︑地所有および土地所有諸関係の主題が相対的に殆んど関心を喚起することとはならなかった︒但し︑少数の職業的
な経済学者や社会学者はこのかぎりではない︒むろん︑これは︑社会一般が土地所有および土地諸関係の問題とい
うようなものがあることをぼんやりとしか意識するに過ぎなかったという事実によるものであった︒この意識の欠
ほぼ三世紀にわたる土地への接近が比較的に容易に許されていたという事実に由来するものであっ
た︒ある農場が完全でない経営によって尽きた場合や︑地主・小作関係が非常に緊迫した場合には︑さらに西漸を
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二0
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297
一九
世紀
末合
衆国
借地
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東井
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は ︑題が見うけられた︒ けれども︑この国の土地所有および土地諸関係の問題が︑ いうまでもない︒しかしながら︑
一八
なして新規まき直しすることが可能であった︒土地所有および土地諸関係の問題が特に南部および中央西部の諸地
( 1 )
これは一般の関心を惹かなかったのである﹂︒方にあったことは︑
註(1)F•F•
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94 7, pp .2 5
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一九
三
0
年以前においては︑決つして起つていなかつたのではなく︑それへの関心が全くなかったというのではない︒事実︑フロンティアが実質的に消滅する一八九〇
年前後︵一九世紀末から二0世紀初頭にかけて︶この問題に若干の関心が払われていたのである︒
当時の農民運動がアメリカ経済学会をして一八九二年に﹁北部諸州における農民運動﹂をさらに一八九六年に
﹁農民問題﹂を討議せしめるに至ったのであるが︑
独学の新聞記者であって︑ のL•H・ビェリイ教授(L•
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B a i l e y )
が病床から送った七つの問題のなかに︑﹁小作制度の迅速な成長﹂という問
カルフォルニアにおける土地所有の集中によって想像力がかきた
てら
れた
︑
ヘンリー・ジョージ
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は ︑この後者の論議をリードするように求められた︑
一八七一年に﹃土地と政策﹄
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を ︑八
0
年には﹃進歩と貧困﹄( P
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を公刊したことは︑あまりにも有名である︒﹃進歩と貧困﹄には︑
農場の規模︑土地所有︑抵当負債に関するすう勢についての論議がなされている︒アメリカ農務省のジョージ•K
( 2 )
一八九五年にアメリカ合衆国の農場借地に関する重要な書物を公刊した︒当
時における土地所有および土地諸関係の問題に払われた関心の例は︑ コーネル大学
これだけにはとどまらず︑これは無造作に選
出されたほんの一例に過ぎない︒当時のアメリカ農務省︑農科大学︑農業新聞︑および若千の大衆雑誌は︑この問
298
彩
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形減
︶へ
と︑
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1 94 0, 22: 84 │
97 .
アメリカ合衆国においてこの時代のこの問題に払われた関心を喚起した動機のなかのひとつの重要なそれは︑当
時の借地諸関係の顕現および発達の明白なる現象ということであった︒
アメリカ合衆国においては︑
んされ公表されたのである︒そしてこの小作統計によれば︑
第一表によれば︑ る︒これら借地農場の一八八
0
年以降の増減傾向を示せば︑第一表のごとくである︒合衆国全体では︑一八八
0
年の二五・六彩から︑︵ニ
・八
飴噌
︶︑
合衆国借地農は︑
一彩
( ‑
・ ‑ 9 6
増︶
へと
︑
南部では︑借地農は︑ この国の土地所有および土地諸関係に関する最初のセンサスは︑
一九
・ニ
%︑
アメリカ合衆国の総農場数︵農場数と農業輝営者数とはl
一九
一
0
年の三七・ 0
形︵
一・
七彩
噌︶
︑
一貫して増加傾向を示している︒地帯別では︑借地農の増減傾向は︑これとやや趣を異に
一八八0年の三六・ニ彩から、一八九0年の三八•五彩(ニ・三劣噌)、
四七
・ O
%(八•五%噌)、
帯よりも顕著な増加傾向を示している︒北部では︑借地農は︑
︵ニ
・九
9 6
噌 ︶ ︑南部
では
︑
一八
八
0
年の一九・ニ彩︑ 一八九0年の二八•四彩一九
一
0
年の二八・ニ%︵二.0グ ク ︶ ︑
一八
八
0
年に編さ一四
.
0
彩であ一九
二
0
年の三八・一九
00
年の
一八
九
0
年のニニ・一彩一九
二
0
年の二八・ O
一九
一
0
ーニ0
年の僅かな減少を除いて︑増加傾向を示している︒西部では︑借地農ほ︑一九
00
年の
二六
・ニ
彩︵
四・
一グ
ダ増
︶︑
一九
一
0
年の四九・六%︵ニ・六9 6
噌 ︶︑
一九
二
0
年の四九・六%へと︑する
︒
他のいずれの地
一九
00
年の
三五
・三
彩︵
六・
九%
噌︶
︑
った︒地帯別借地農場の百分比は︑
北部
では
︑
致︶のうち借地農場数の占める百分比は︑二五・六形であった︒ちなみに︑総農場数は︑
三六・ニ彩︑西部では︑ 題に特別の関心を多かれ少なかれ払つていたのであった︒
一九
世紀
末合
衆国
借地
諸関
係発
達の
歴史
的意
蓑に
つい
て︵
東井
︶
一 ︑
0
二四︑六0
一で
あ
299
配的な要素のひとつであった︒
第一表
1 9
世紀末地帯別借地農(クロツバーを含む)増加のすう勢;合衆国
一九
世紀
末合
衆国
借地
諸関
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歴史
的意
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東井
︶
こ れ は
、
ガ~11880
t 1 8 9 0 11900 ! 191~11920
アメリカ合衆国
2 5 . 6 28.4
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Ia 1 4 , . . o 0 3 8 1 7 . . 1 7
北 部
1 9 . 2 2 2 . 1 26.2
南 部
3 6 . 2 3 8 . 5 4 7 . 0
西 部
1 4 . 0 1 2 . 1 1 6 . 6
て ︑ 郷
土も
︑
炉辺
も︑
家庭の守護神をも持つていない︒
とも
あれ
︑
警鐘であったであろう︒
一八
九
0
年の︱ニ・一疹︵一・九劣減︶︑の一七・七彩︵三・七彩噌︶へと︑
一九
0
0
年一九
二
0
年の一もが借地農であるという事実を暴露した報告だけでも︑+分驚がくを与える
この間の事情を、リチャード•T・イリー(Richard
T .
「『小作農は自由にとつてこのましからざるものであり•…・・小作農は、事実上
自作
農は
︑
家庭の祭壇も︑
自由なる統治の国民的支持者であり︑ これに反し
これら自作農を増加する
ことは︑小作農を増加することが君主政治の政策であるごとく︑共和制国家の政策であるべきである﹄︒
︑︑
︑
セネター・トマス・ハート・ベントン
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n )
が植民者に無償で土地を可付する政策を支持
したときの︑彼の意見であった︒誰もが﹃わが家で安楽に﹄という自作農の理論は︑アメリカ土地政策の背後の支
︑︑
︑
一八
八
0
年センサスが︑未だ家産地土地が幾多保有されていたという事実にもかかわらず︑当時の農業者のうち四分の一もが借地農であるという歓迎のできない事実を暴露したときには︑驚きに襲
( 3 )
われたことは︑当然である﹂︒
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は ︑
こう伝える︒ も︑いいかえれば︑
一八
年センサスが当時における合衆国農業者のうち四分八
0
合衆国でのこのような借地農の明白な顕現ということ自体だけで
一進一退の増減傾向を示している︒ の一六•六疹(四・五%増)、
一九
一
0
年の一四.0
疹︵
ニ・
六彩
減︶
︑
八八
0
年の一四・O
*か
ら︑
300
に ︑
合衆国で小土地所有者︑独立自営農民を重視し借地農を忌避するところの︑自・小作観は︑
実は
︑
広大な未 このよう
もよ
い︑
﹂
的愛
︑
﹁古代から農本主義的伝統︑土地に対する人間
註
(3 )
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194 0) , P . 19 2.
このとき以来︑
‑ 0
年目毎に編さんされたセンサスは︑既述したがごとき︑小作農の増加をつぎつぎと告げた︒
が然︑このような借地諸関係の顕現および発達の明白なる現象は︑
るところとなった︒ この時代の多くの学者や実践家の注意を喚起す
﹁わが国農業の背骨であり︑また︑わが国農村社会のみならず全国民生活の礎石である︑﹂とのような家族形態
の自作農場は︑トマス・ジェファーソン時代以来︑
農業政策の肝要な部分﹂を成していた︒小土地所有者すなわち家族農業者こそ﹁一国の最も重要な部分﹂であると
いう家族農場の政治理念に関する古典的アメリカ宣言のなかには︑
ロックによって当時のすべての自由主義的政治家に伝えられた自然的人権の理論︑国王統治に対立する人民
統治の動機ともなったアメリカ独立の動機︑ ﹁合衆国の諸理想の中で高い地位﹂を占め︑合衆国の﹁国家的
アメリカの辺境地方の現状︑想像力とイギリスについての浅薄な印象
とによって醸成された産業革命への恐怖︑共有資産としての土地の観念︑ヨーロッパでの損失を補うに足るアメリ
カの広大な土地︑個人の自由と私有財産に関する文字通りの信念︑家族農地が私有財産の最も典型的かつ有効な形
式であるという哲学的洞察と政治的買付を兼ね備えた事実ーー・これらの中でどれが最初のものであったかはどうで
( 4 )
﹁これらすべてが包含されていたのである︒﹂こういった合衆国での自作農観から︑ベントンのいうご
とく︑借地農は﹁自由にとつて好ましからざるものであり︑﹂﹁社会階層の分化を基礎づけるものであり︑国土愛を
( 5 )
消滅させ︑かつ独立心を弱める︑﹂とのような小作農を忌避し劣等視する借地農観がでてくるのである︒
一九批紀末合衆国借地諸関係発達の歴史的意義について︵東井︶
ニ 四
301
一九世紀末合衆国借地諸関係発蓮の歴史的意義について︵東井︶
たのであった︒そして彼等は︑これらの究明にのりだしたのであるが︑﹁ある著述家は︑借地を土地所有者へのひとつの手段と見倣し︑他の著述家は︑かつて土地を所
( 7 )
有した者もついには土地を失い小作農となる—ー‘結局借地は一般的となるであろう、と主張したのである。」
註
(7 )
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4 0
│
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) ,
P.771•
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1 9 1 2 ) ,
P
2 3 7 .
合衆国の一九世紀末借地諸関係の顕現および発達の明白なる現象の歴史的意義については︑このような相対立す つているように︑ かくして多くの学者や実践家は︑ 占有地から自動的に演繹されたものであった︒
二 五
一八
八
0
年センサスおよびその後のセン﹁家
産地
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1 l ̲
よって分壌され︑独立農 ﹁あれやこれやの形をとりながら︑ー│'とグリスウォードはいって
いる卜│家族農場はジェファーソン以来︑政策の意識的な目標となって来た︒
ンの両者が︑その上に彼等の社会的理想を基礎づけた︑
( 6 )
繹されたものであった﹂︒この広大な未占有地が︑ かつてそれはロックとジェファーソ
かの
﹃土
地の
広大
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: 9
から自動的に演
民をつくり出すに役立つていたと一般に考えられていたにもかかわらず︑
サスは︑借地農の顕現および発達の明白なる現象を明らかにした︒だからこそ︑
経済学者や実践家は︑多かれ少なかれ︑驚がくしこれを危機視したのであった︒ このような事実に直面した多くの
註
(4)A.w・グリスウォード著︑篠原泰︱︱‑︑朝倉孝吉訳︑農村と民主主義︑東洋経済新報社︑昭和二七年刊︑四六頁︒
( 5 )
同書︑一五
0
│
︱ 頁
︒
(6 )同書︑一四六頁︒
一九世紀未借地農の顕現および発達の明白なる現象を多かれ少なかれ危機視し
この究明において、H.c•テイラーがい
302
本主義の巨人のごときかつ歩をともに︑資本は︑ アメリカ合衆国においては︑ さ
て︑
くの﹁政府の経済学者﹂は︑
近代的運輸手段の革命的技術的進歩や︑
﹁南
北戦
争﹂
(‑
八六
ーー
五年
︶
る二つの見解があった︒後者の見解は︑
一九世紀後半における工業部門の資 アメリカの伝統である家族農場形態の自作農が没落し︑
前出したヘンリー・ジョージ
らがいた︒彼は︑合衆国でも広大な未占有地の消滅につれて土地私有のもとでは借地農の増加は必至であることを
かっぱしていた︒そして彼は︑
︑ ︑
て︑地代の国有化である﹁土地単税﹂を説いたのは︑余りにも有名である︒ ﹁土地利用に対する平等の権利﹂を保証するために︑彼の著﹁進歩と貧困﹂におい
' l ( : a dd e r theory")
として結実し︑体系づけられたのであ.った︒そして
それは︑農業賃労者から身を起しても︑
のように借地農を農業階梯︵農業賃労働者←借地農←抵当債務づき自作農←完全自作農←地主の階梯︶のなかに位置づけ︑ 一代のうちに借地農を経て農場所有者に到達しうるという見解であり︑こ
これを農場所有者へ上昇するための一階梯として把握しようとするものであった︒かかる﹁農業階梯理論﹂に︑多
( 8 )
﹁慰め﹂を求めたのである︒これらの論者たちには︑
H.C
・テイラーを筆頭に︑B
•H・ヒバート(B•H•
Hi bb ar d)
︑
W.J
・スビルマン
( W .
J. Spillman)
らが
いた
︒
註
(8 ) Ha ro ld
U .
F au lk ne r, T he De cl in e o f L ai ss ez Fa ir e ( Ne w Y or k, Ri ne ha rt&
Co mp an y,
I n c . ,
19 51 ),
P .
3 55 .
一九世紀末合衆国における借地諸関係の発達は︑これの歴史的段階との関連において︑
つものであろうか︒これが本稿での意図するところであるが︑あらかじめ基礎的視点をかん単に指摘しておこう︒ 前者の見解は︑いわゆる﹁農業階梯理論﹂ 借地農制度へ移行を示すものであるというものであった︒
を画期となし︑ 後者の論者のなかには︑
一九
世紀
末合
衆国
借地
諸関
係発
達の
歴史
的意
義に
つい
て︵
東井
︶
ヨーロッバ的零細
いかなる意義をも
農業領城の拡大︵最後の 二
六
303
地動員が自然的不可避的に現れる︒けだし農業経営が土地所有のこの分離形態は︑
地所有の独占を順応せしめる上に、最も完成した最も『安価な』ー_—資本主義の立場からーーー方法で」あり、他方
では資本主義的生産の諸条件に順応せしめるところの︑今︱つの手段は︑土地の動員および土地価格を通じてであ
るからである︒そして資本主義的借地農制では︑現実的耕作者たる賃労佑者︑資本家たる借地農業者︑土地所有者
の︑近代的社会の骨組をなす三つの階級が対立して現れる︒これが︑第二の視点である︒
本稿での直接の対象となったのは︑第一の視点からする主題への接近であった︒かかる接近が最も功をそうするの
は︑アメリカ型の道の特徴を帯びなかった南部地方を除いて︑借地諸関係の発達が最も顕著であった東北・西北中央 か゜
一九
世紀
末合
衆固
借地
諧関
係発
達の
歴史
的意
義に
つい
て︵
東井
︶
一般的にいえば︑資本主義の発達には︑ 地が消滅の淵にのぞんでいたとはいえ︑家産地法による土地が今なお分譲されつつあったときにすら︑貫徹しつつ
一九世紀末合衆国借地諸関係の発達は︑全体としては︑
対する資本主義の傾向﹂の作用による農民の零細11隷属過程にほかならないのではなかろうか︒かかる視点が先ず
第一に要請される︒
第二
には
︑
一九世紀末合衆国の借地諸関係の発達が︑ あるのではなかろうか︒
そ こ
でヽ
(1)
いいかえれば︑ な農業資本主義の発達は︑
資本主義的借地諸関係の発達の現れではないのであろう
西漸運動︶や︑農業機械・農学の農業生産への適用らによって︑
アメリカ型の道としてかいしやされていることは︑周知のことである︒そしてこれは︑
合衆国全部の地方にとつての特徴でなかったことは︑これまた︑周知のことである︒
二七
このような急速
大農が小農を駆逐するという農業における資本主義の基本的かつ主要な傾向法則が︑広大な未占有
一方では︑農業経営からの土地所有の分離形態11借地が︑他方では土
﹁資本主義の生産的諸要求に土 急速に農業をつかみつつあった︒
﹁小農民の搾取に
30ム
部 の 両 地 方 に お い て で あ っ た
︒ こ れ ら 地 方 を 特 に 留 意 し な が ら 占 第 一 の 視 点 か ら 主 題 の 歴 史 的 意 義 を 明 ら か に し よ う
6
一 九 世 紀 末 合 衆 国 借 地 諸 関 係 の 顕 現 お よ び 発 達 の 明 白 な る 現 象 は
︑ こ れ の 歴 史 的 段 階 と の 関 連 に お い て
︑ い か な る 意 義 を も つ も の で あ ろ う か
︒ こ れ の 歴 史 的 意 義 に つ い て は
︑ す で に 述 べ て お い た ご と く
︑ 当 時 相 対 立 し た 二 つ の 見 解 が あ っ た
︒ そ し て こ れ ら の 見 解 の 対 立 点 は
︑ 借 地 農 を 独 立 農 民 の 没 落 型 と し て 把 握 す る か
︑ 農 村 青 年 お よ び 農 村 賃 労 仇 者 の 上 昇 型 と し て 把 握 す る か に あ っ た
︒
( 1 )
例えば︑テイラーによれば﹁一八八六年に︑キング(David
B•
King)は︑次のごとくいった︒
﹁例外があって︑無節倹にして不運な借地農がいるとはいえ︑概してアメリカ借地農は繁栄しており︑全く多くの揚合には︑
借地農を蓮つて土地所有者階級になっていく︒農場所有者は︑たいてい︑非常に繁栄しているから自分の土地を自ら耕すに無とん
着であるという理由やら他の理由から︑彼等の土地を使与することは︑多くの農業貨労働者および農業者の土地なき息子にどつて
は︑明らかに有利なことである︒しばしばありうることだが︑農業およびその他の労働に従事した青年は︑分益または定額で借地
した小農場を購入するに十分たくわえる︒二︑三年もありさえすれば︑おそらく土地購入金の二分の一を即座に支払い︑残金を数
年間の年賦支払で農地を買入れるに十分たくわえる⁝⁝
c明らかに葵大な負貨に落入っていることを⁝⁝丹念に観察すると︑たい
ていの場合には︑精を出して働く借地農も利子をとどこおりなく支払つている自作農もともに繁栄しており︑迅速に独立農民とな
ることが分るでであろう』(D.B•K i
n g
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142
: 256 │
57 .
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1 88 6) .)
︒
鉄道用地の買却および不動産抵当で金融を事業としていたストロング(Henry
S t r o n g ) を 引 用 す る と ︑
﹃一八七三年恐慌直後︑一八七四ー五年および一八七六年に︑私は︑イリノイス︑アイオワで農場担保で数一
0万ドルを使付
けたが︑これらの使付けは︑二つの例外を別として︑皆済された︒二つの例外とは︑大農場の件であって︑その所有者は︑ッカゴ
市場で牛の投槻をなし︑仕事に失敗して︑殆んど既耕地であるほぼ総計一︳一千エーカーの担保物権たる農場を私にもどしたので︑ 一九世紀末合衆国借地諸関係発達の歴史的意義について︵東井︶
ニ 八
30.5
一九世紀末合衆国借地諸関係発達の雁史的意箋について︵東井︶
私はこれを細分して十二人の借地農に袋与した︒これらの土地は︑その後にこれらの借地農によって︑殆んど全部買取られて︑
私の知つているかぎりでは︑彼等もしくは膿渡人によって所有されている︒
﹃私はこれと類似の例ならば︑いくつでもあげる⁝⁝﹄
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142
"
251
(
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18 86 ).
)
︒
これにヘンリ・ジョージは︑⁝⁝応酬した︑
﹃借地は︑⁝⁝人の常態でばない︒かつそれは︑われわれが︑アメリカ農業者を︑自己の土地を必らず耕す自作農と見倣すこ
とに慣れてきたような︑アメリカ農業者の平常な状態には縁もゆかりもないものである︒﹄﹃ストロング氏は︑われわれに次の
︑︑︑︑︑
ことを考えさし︑キング教授はそれを考えたと思われる︒すなわち︑借地農は︑自然そうなることだが︑農業賃労者が土地所有
者の状態に入っていくことを可能とする中間的段階である︑まさしくそれと同様に︑昔の手工業においては︑ジャーニイマンは︑
すべての職人がはじめねばならぬ徒弟の身分と︑すぺての者が渇望するマスター職人の身分との中間的なものであるということ を︒その逆も︑正に直である︒借地農は︑他の国において︑独立の土地耕作者が通ったところの︑しかりわが国においても︑農
業賃労働者の身分へ︑慢性的な被救値民へと通りつつあるところの︑中間的段階である︒﹄
﹃しかしながら︑一八八
0年に︑アメリカ農場の四分の一以上が︑借地農によって耕されていたという事実は十分に驚きに足
るとはいえ︑農業人口がどれだけ多く土地から引きはなされてきたかを明らかにしない︒借地は︑病弊がより進んだものであり︑
抵当は︑病弊の初期の段階である﹄
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: 393
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18 86 ).
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註
( 1 )
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238 │
241•
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PP .
7 7 1
ー
' 2.
このように︑
一八
八
0
以 降 の 合 衆 国 借 地 農 の 増 加 の 歴 史 的 意 義 に つ い て は
︑ キ ン グ
︑ 農 村 青 年 お よ び 農 業 賃 労 仇 者 の 上 昇 に よ る も の と な し
︑ ジ ョ ー ジ は こ れ を 独 立 農 民 の 没 落 と な し た の で あ る
︒ し か ら ば
︑ こ れ ら の 二 つ の 見 解 は
︑ ど の よ う な 論 拠 に 基 づ い て い た が で あ ろ う か
︒
二 九
ス ト ロ ン グ 両 氏 は
︑
こ
れ
を
30b
⑨︑断えざる農村離村の流れにもかかわらず︑
しかしながら︑
自作 かかる青年は自営農 六︶であった︒この第三のグループには︑
一六
六︑
ニ︱
︱︱
‑︶
︑
自作農︑借地農以外の人たちは減︵四三三︑四一四︑三四 この論拠を以下の三点にもとめる︒
ヽ ー ︑ 1 ‑
, '
梯論者のこれの論拠をも︑あわせて観察しておきたい︒
一九
世紀
末合
衆国
借地
諸関
係発
達の
雁史
的意
義に
つい
て︵
東井
︶
キン
グ︑
ストロング両氏の論拠は︑むしろ体験に基づくもの.であった︒ところで︑両氏の見解︵上昇型的把捏︶は︑
後にこれの体系をととのえ農業階梯理論に結実させた農業階梯論者に共通の意見であった︒だから︑
農業階梯論者︑
E.R
・ボガート( E
r n
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L u
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o w
B o g g a
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)
は ︑村の子供および農業賃仇者層であるとなし︑
は︑農業に従事する男子一︑
000
人に対する自作農業者数は停滞的(‑八八0
年ー
四ニ
ニ︑
0
ー四二三︶︑借地農業者は︑増(‑四五︑農業者数の増は︑自作農業者数の減によるよりもむしろ︑農業賃佑者や農業者の息子の階層からのぽう大な人たち
の新米によるものであったc﹂
有して自己の地位を改善しようとする人たちの数も不断に増加しつつある﹂︒
地位への上昇の︑ ここで農業階
﹁借地農の出所いかん﹂と問い︑その出所は︑農
一 八 八
0 ー
一 九 00
年間に
﹁男子の農家の家族成員および農業賃労仇者が含まれているから︑借地
﹁農村にとどまり独立して農場を占
民になりえないことや︑精々彼等は農場を借地するに過ぎず︑それから借地農にとどまつているか︑農村賃佑者に
逆戻りするか︑都市へ漂流するかであるということが︑説かれるであろう︒しかし︑それは︑余りにも臆断し過ぎ
である︒自作農業者数が停滞的で一方借地農業者数が増大しつつあるなれば︑自作農の息子は︑借地農にとどまつ
ているのではなく︑父の代りを務めており.一方借地農階級は︑むしろ農村賃仇者のグループから増加しているとい
うことは︑明白である︒③︑農業賃労佑者︑借地農業者および自作農の年令階層別研究は︑農業者の子供の両親の
一方農村賃労仇者の借地農︵しばしば自作農への一階梯︶への上昇の︑漸進運動を明示する︒
一八
九
0n
l四
二 0 ︑
0
一九
〇
207
ある
︒
一九
世紀
末合
衆国
借地
諸関
係発
淫の
歴史
的意
義に
つい
て︵
東井
︶
点について今少し観察しておこう︒ 農︑借地農以外の男子︵すなわち︑子供および農業貨労働者︶の七
0
彦以
上は
︑
の五七%が二五ー四四オの年令層であり︑自作農の五八形が四五才以上の年令層である︒換言すれば︑青年層の大
多数は農業賃労佑者であり︑中年の過半数は︑借地農であり︑高令者は︑自作農である︒なお︑かかる事実は︑
0
ーニ五オの全年令層の九二疹以上が︑子供か農業賃労仇者︵自作農︑借地農以外の人たち︶であり︑六五才以上の全年令層の八〇疹以上が︑自作農であり︑
によって明白となる︒
一八
五
0
年には六0
オ以上年令層の男子の七0
彩弱が自作農であったこと﹁賃銀労佑者・農業者の子供←借地農←自作農﹂
註
(2 )
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̀ 19 08︑
PP . 20
1 , ‑
21 1.
借地農業者の増加は︑農業賃労者および農業者の息子の上昇によるとなす︑ボガートの論拠は︑以上の三点であ
るが︑就中第三点の年令階層別土地所有形態別農業者分類は︑農業階梯理論の主軸をなすものである︒だからこの
テイラーは︑彼の著﹃農業経済学概要﹄において︑この点についてこう書いている︑第二表の示すところによれ
ば︑﹁二五才以下の年令層農業者の約四分の三ほ借地農であり︑借地農業者の百分比は︑青年から老令層へ進むにつ
れて減少し︑︵そして自作農業者の百分比は︑噌加する︶︑ついには六五才以上の年令層農業者の六分の一弱が借地農で
一八
九
0
年の二五ー三五オ年令層は︑五オ年令層であり︑
一九
0
年には三五ー四五オ年令層であり︑
0
一九
一
0
年には四五ー五一九
二
0
年には五五ー六五オ年令層であった︒各時代の残存者を比較すると︑われわれは︑借( 2 )
階梯における恒常的な上向が進行しつつある︑と結ぶ︒ かくしてボガートは︑現在︵一九〇八年︶︑
‑ 0
ーニ四オの年令層であり︑借地農
308
第 二 表 年令別借地農比率 1890‑1920: 合衆国
占 有 者 経 営 者
年令層
1 8 8 0 I 1 8 9 0 1 9 0 0 I 1 9 2 0
25
オ以下6 7 . 4 7 2 . 2 ・ 75 . 6 7 5 . 8
25 34
オ5 0 . 2 5 4 . 7 5 5 . 0 5 6 . 5 35 44
オ3 6 . 0 3 5 . 6 3 7 . 3 3 9 . 7 45 54
オ2 7 . 7 2 9 . 3 2 6 . 8 3 0 . 2 55
オ以上1 7 . 8 1 8 . 6 1 8 . 9 1 9 . 2
!
55 64
オ2 1 . 0 2 1 . 1 2 0 . 7 6 5
オ以上1 5 . 1 1 5 . 1 1 6 . 5
(註)テイラー「概要」 3 1 5 頁
農の減・自作農の増は︑
( 3 )
断えざる移動を示す﹂︒ 地農百分比が一八八
0
年の五0
・ニ彩から一九二0
年の二0
・七彩へ着実に減少していることを知る︒類似の借地一カ年毎の推移をもつて各層にも妥当する︒以上のごとき数字は︑借地農から自作農への
註
(3
H . )
C .
T a y l o r , O u t l i n e s o f A g r i c u l t u r a l
E c
o n
o m
i c
s (
N e
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o r
k ,
M a
c m
i l
l a
n ,
1
94 9) , P . 31 5.
これについては︑なお他に次
のものを参照せよ︒
H .
C .
T a y l o r ,
An
I n t r o d u c t i o n
t o
t h
e A g r i c u l t u r a l E
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n o
m i
c s
;
PP . 242ー243•
H .
C .
T a y l o r ,
T
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S t o r y o f A
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i c
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︑
t
ミn z
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C o
ミ
o m
i c s ,
PP .7 7 2
1
77 3.
以上︑キング︑ストロング両氏は︑﹁借地農←自作農﹂階梯を体験に
基づいて説き︑農業階梯論者は︑年令階層別土地所有形態別農業者分類
らの論拠によって︑これを﹁農業賃労佑者︵農村育年︶←借地農←自作農﹂
理論まで高めたのであった︒かかる体験および論拠は︑観察したかぎり
では
︑
いずれも妥当と思われるから︑かような農業階梯の存在は︑否定
することはできないであろう︒たしかに﹁南北戦争後のアメリカ経済社
会においては︑その階級構成が甚しく流動的であったから︑このような
( 4 )
見解が成立する余地がないわけではない﹂︒
ば︑キング︑ これを容認するとするなれ
ストロング両氏に反ばくしたヘンリー・ジョージの﹁自作
農←借地農←農業賃労仇者﹂見解は︑誤つていたのであろうか︒次にこ
一九世紀末合衆国借地諸関係発逹の歴史的意義について︵東井︶
309
一九世紀末合衆国借地諸関係発達の歴史的意義について︵東井︶
れを観察しよう︒ヘ ン リ ー
・ ジ ョ ー ジ は
︑
はや
くも
︑
一九
世紀
末︑
一九
四八
年刊
︑
﹁その時代のあらゆるすう勢は︑典型的なアメリカ農民︑
かくして土地所
アメリカ合衆国で農場借地の増加の不可避的なることを感知し
( 5 )
て︑彼の著︑﹁社会問題﹂
( s
i a
g
Pl ro bl em
s ︹一八九八年公刊])における﹁アメリカ農業者に関する章﹂のなかで︑こ
すなわち自らの土地を自らの手で耕す人は︑絶滅に向つてい る︒この運動はごく最近に始ったのであるが︑これはどしどし進行しつつあり︑
行するに相違ない
(S 8i
巴
Pr ob le ms , Ch ap te r20
P . 22 7.
)
︒
﹁典型的なアメリカ農民︑すなわち自己所有の小農場の耕作者は︑労働が高価であり土地が低廉であった諸条件のもと
現存の諸条件のもとでは加速度的に進 における産物であることは︑事実である︒これらの諸条件が変化したときは︑アメリカ農民はイギリスにおいて経験し
たことと同一事を経験しなければならない︒
﹁無一物で出発して自己の労働によって農場の所有者になることは︑
このことは︑公有地が消減していくにつれて︑アメリカ合衆国全土にわたって不可能となっていくであろう︒
来ごとや人生の浮沈によって自作農が自己の持分を転倒され︑
来なくなったときは︑彼等は再生出来ないであろう︑小作農や賃労働者の階級を膨張さすに相違ない︒
有の集中は進みつつあり︑また︑進むに相違ない︑もしも土地私有財産制が存続するならば︒だから土地私有財産制を 弁護することは働く農民のためには断じてはならない︒その存続の承認は︑次のことを意味する︒たとへ自分でなくと も子供が彼等の古里の土地におけるいかなる権利をも一切合切失うであろうし︑彼は自由人の地位から農媒の地位へ沈 むであろう︑ということがこれである
( s
i a
g
l Pro bl em s, Ch ap te r 20 , P ag e 22 0.
)
︒
う書いている︒註
(4 )