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Ⅳ   平城京 の調査

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(1)

Ⅳ   平城京 の調査

 

右 京 ― 条 三 坊 三 。四坪 の 調 査 (第

112‑1

調 査 地 は 西大 寺 東 門 の東 約 70駒 の位 置 に あ た る。本 来 西 大 寺 の寺 地 に含 まれ る一画 で あ り、

元 録 年 間 作 製 の F西 大 寺 伽 藍 絵 図 』 に は西大 寺 の付 属 建物 が描 か れ て い る。また西大 寺造 営以 前 に は、 右 京 一条 三 坊 の三 。四 の坪 に あ た り、

坪 境 小 路 等 の 西 大 寺 以 前 の遺 構 の存 在 も予 想 さ れ る地 区 で あ る。 この た め 三 。四坪 にわ た って 幅 5碗、長 さ72■ の 南 北 トレンチを設 定 し、一 部 拡 張 部 を含 め て総 面 積 490πを発 掘 した。

調 査 地 は水 田 で あ り 、床 土 を剥 ぐと中世 の撹 乱 層 とな り、 そ の下 に は奈 良 時代 の整 地 上 層 は な く、す ぐ地 山 に達 す る。表 土 か ら地 山 ま で の 深 さは50〜 70印 で 、北 が 高 く南 が低 い。遺 構 は す べ て地 山 面 で検 出 し、掘 立 柱 建 物 3棟、塀 1 条 、大 小 の土 墳 多 数 が あ る。

SB 03は桁 行 3間 、梁 行 2間、8尺等 間 の東 西 棟 建 物 で 、北 で 東 にふ れ て い る。

SB 06・ 07は いず れ も東 西 棟 と思 わ れ るが 、 全 体 の規 模 は把 握 で きなか った 。

SA 05は東 西 方 向 の塀 で 、2間分 を検 出 した。

柱 間 寸 法 は 6尺等 間 で あ る。

SD Hは

調 査 区 の西 辺 に あ る幅約 1.4η 、 深 さ約 0。2駒の 南北 溝 で 、 南 は中世 の上壊 S K 09 で切 られ て い る。

m )

‑25 ‑―

第 7図

 

第 ■2‑1次調査遺構図

(2)

SD 10は SD llに接 続 す る幅約 1.2乳

 

深 さ0.ユ駒の東 西 溝 で あ る。

発 掘 区 北 部 と中央 部 で大 小 多 数 の上 墳 を検 出 したが 、す べ て 中世 に属 す 。

SK

08は 幅 約5.5陀

 

深 さ0.1陶程 度 の 南 北 にの び る浅 い土 壊 で 、北 は S K 04に 、南 は S K 09に 切 られ て い る。SK 01・ 02・ 04・ 09は いず れ も瓦器 、羽 釜 を含 む 。S

K02は

東 西 方 向 にの び る土 羨 で あ るが 、 溝 の可 能 性 もあ る。

奈 良 時代 に属 す る土 器 は少 量 で 、瓦 器 、羽 釜 、灯 明 皿 等 の 中世 土器 が大半 を 占 め 、大 小 さ ま ざ まな土 壊 か ら出土 して い る。瓦類 は ほ とん ど出土 しなか った。

奈 良 時 代 に属 す と考 え られ る柱 穴 は浅 く、痕 跡 しか残 さな い もの もあ り、 この 地 域 は 中世 に大 き な削 平 を受 け た こ とが うか が え る 。 しか し、奈 良 時代 に属 す る 溝 き れ 営 る

︒ 大 こ 造 す 塀   は   o  寺   係

・ 事 た 大 関 物 た っ 西 に 建 れ あ は 地 の   さ    で 構   宅 柱 出 果 遺 の 立 検 成 の 前 掘 が な ら 以

古 報

J7920

o       20m

第 8図

 

第 ■2‑3次調査遺構図

もの か 、 そ れ と も、西 大 寺 に付 属 す る もの か は 、今 回 の調 査 で確 定 で き るよ うな資 料 を得 な か った 。 ま た、発 掘 区 南端 近 くに予 想 され た三 坪 と四坪 の坪 境 の 小 路 は削 平 を受 けて検 出 され な か った。

(3)

 

左 京 三 条 二 坊 七 坪 の 調 査 (第

112‑3次

)

調 査 地 は 、平 城 京 左 京 三 条 二坊 七 坪 の西 南 部 に あ た り、宅 地 遺構 お よ び二 坪 と の坪 境 小 路 が想 定 され た。調 査 は坪 境小 路 寄 りに幅 6娩の東 西 トレンチ を三 本 設 定 して お こな った 。北 トレ ンチ は東 西 30駒 、南 トレンチは東 西21碗 で あ る。

遺 構 は耕 土 、床 上 下 の暗 褐 粘質 土 整地 面 と、 その下 の灰 褐 粘 土地 山面 に検 出 し た 。主 な遺 構 は掘 立 柱 建物 9棟、溝 2条、道 路 1条で あ る。

トレンチ 西端 に あ る南北 道路 S F 1700は 、東 西 両側 溝 の路 面 幅約 5.5駒、側 溝 心 々間 約 7ηで あ る。東 側 溝 S D 1699は 幅 0,7〜 1.5陶 、 深 さ0.4〜 0.7乳 、西側 溝 S D 1701は 幅 ■2〜2.6恥 、深 さ0.2陶 で あ る。

建 物 の平 面規 模 は 明 らか で な いが 、S B 1690、 S B 1692は 庇 付 きで 、 い くつか の柱狼 が残 る。

遺 物 は瓦 類 、土 器 類 の ほか 和 同 開 弥2点が 出土 した 。

瓦 類 に は、丸 瓦 、平 瓦 の他 に軒 丸 瓦3点、軒 平 瓦4点、 鬼 瓦 1点、面 戸 瓦 1点 が あ る。軒 丸 瓦 は6225・ 6235。 6307型式 、軒 平 瓦 は6664・ 6685・ 6691・ 6721型 で 、 いず れ も平 城 宮跡 出土 瓦 と同 抱 で あ る。

土 器 類 は 、整 地 上 中 か ら奈 良 時代 〜平 安 時 代初 期 の土 師 器 、須 恵 器 の ほか陶硯

・三彩 陶器 ・土 錘 な どが 出上 した。S F 1700の側 溝 か らは土 師 器 、須 恵 器 が量 的 に ま と ま って出土 して い るほか に、緑 釉 陶器 ・土馬 ・墨 書 土 器 ・漆付 着土 器 な ど が あ る。 これ らの年代 は奈 良 時代初 期 か ら平 安 時代 初期 にわ た って い る。

今 回 の調 査 で検 出 した南 北 道 路S F 1700か ら平 城 宮朱 雀 門 まで の距 離 は665.55 97b(2250尺

)で

あ る。 この数 値 は 、条 坊 計 画 の1坊 (1800尺 )十二坪 (450尺

)に

相 当 し、SFユ 700は二坪 と七坪 との坪境 小路 にあ た る。小 路 幅 は第33次、第 86次 調 査 で検 出 した三 条 二 坊 七 坪 と十五 坪 の坪 境小 路 幅 6統 と比 べ る と若 干 広 くな っ て い るが 、路 面 幅 で小 路 の計 画尺 (20尺)と ほ ぼ 同 じで あ る。 また 、整地 土 お よ び小 路 側 溝 出土 土器 の年 代 によ って 、坪 境 小 路 は奈 良 時代 初 期 か ら使 わ れ 、平 安 時 代 初 期 に坪 内 と道 路 が 一体 とな って整 地 され 、廃 絶 した こ とが うか が わ れ る。

七坪 の宅 地 遺 構 は 、調 査 地 点 が坪 の西端 で あ るに もか か わ らず 、多 くの掘 立 柱

‑27‑―

(4)

建 物 を 検 出 した 。 これ らは平 面 形 式 の判 明 す る もの は な いが 、整 地 土 、柱 掘 形 の 重複 関 係 か ら、少 な く と も4時期 あ った と思 わ れ る。

七 坪 は第96次、第 109次調 査 で 明 らか に な った庭 園 遺跡 (六

)の

北 に隣 接 す る。坪 内 の調 査 面 積 は少 な いが 、今 回 調 査 区 で の建 物 群 検 出状 況 や 、平 城 宮 跡 出 土 瓦 と同絶 の 軒 瓦 、 二 彩 陶 器 、緑 釉 駒 器 、硯 な どが 出上 して い る ことは 、坪 の 中 心 部 分 で お こな った第

103‑1次

次 査 の結 果 とあ わせ て 、七 坪 が京 内 に お け る高 級 な宅 地 で あ った こ とを うか が わせ る。

 

北 辺 三 坊 の 調 査 (第

112‑4次

)

住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 で 、建 設 予定 地 は北辺 坊 三 坊 ― 。二・ 三・ 四 坪 にまた が る 。 この坪 境 の小 路 の推 定 位 置 に 、東 西 及 び南 北 の トレ ンチを設 定 した 。発 掘 面 積 は284πで あ る。

東 西 トレ ンチ の遺 構 検 出 は ほ とん ど黄 褐 粘 質 上 の地 山面 で お こな った 。遺 構 は 後 世 の撹 乱 が 著 しく、近 世 の浅 い斜 行 溝 を 2条検 出 した に と どま った 。遺 物 は瓦 及 び土 器 の破 片 が 出土 したが量 は多 くな か った 。

南 北 トレンチ に お いて も後 世 の撹 乱 が著 し く、主 要 な遺 構 と して は 、南 北 溝 1 条 、土 壊 4基、井 戸 1基を検 出 した 。

南 北 溝S D 232は、

 

幅 約 1.5縮分 を検 出 し東 肩 が トレ ンチ外 とな る。 溝底 は黄 褐 色 粘 質 上 の地 山 に及 ん で い るが 、年 代 は新 し く、遺 物 もほ とん ど含 ま な い。

S K 233は トレンチ 中央 部 で東 西方 向 に重複 す る土 羨 で 、遺 物 は ほ とん ど含 まず S K 234を 切 る。 S K 234は東 西 約 2駒、南 北 約3陶の方 形 状 の土 壊 で 、東 西 隅 は 溝 状 とな り、東 へ廷 び る。 S K 235は S K 234に切 られ る土 壊 で 、 西 肩 は トレンチ 外 に出 る 。

    

S E 237は S T 236の 北 に位 置 す る井 戸 で あ る。掘 形 は約 2.5駒 の方 形 で 、 そ の 中央 部 分 に 一辺 約 1統の正 方 形 で木 製 の井 戸 枠 が組 まれ て い る。井 戸 枠 は高 さ約 1,8乳 分 が 残 存 して い た 。 そ の構 造 は 、 四 隅 に直 径10例程 の丸 柱 を立 て 、上 下 三 段 に断 面 円形 の横 木 を柄 差 で入 れ 、下端 部 外側 に幅25師 、厚 さ5銅程 の横 板 を留

(5)

で 組 み 、そ の外 側 に各 面5枚ず つ二 重 に縦 板 を並 べ て 囲 って い る。 この井 戸 は出 土 遺 物 の年 代 か ら平 安 初 期 の もの と推 定 され る。

遺 物 は 、 この井 戸 か ら土 師器 の杯

C一

点 が完 形 品 で 出上 した ほか は 、 いず れ も 断 片 で 、量 も全 体 と して多 くな い 。土 器類 は大部 分 が土羨 S K 234〜

6か

ら出土

し、年 代 も奈 良 時代 後半 か ら平 安 時代 の ものが多 い。

以 上 の よ うに 、 当初 予 想 され た坪境 の小 路 は 、 トレンチ内 で は 、後世 の撹 乱 の た め に 明 らか にす る こ とが で きなか った 。

 

北 辺 三 坊 の 調 査 (第

2‑7次

)

駐 車 場 造 営 に伴 う事 前 調 査 。西側 隣 接 地 は 、昨 年 度 の調 査 (第

103‑16次 )に

よ って 、平 城 京右 京 北 辺 坊 二 ・三 坪 に ま たが る建 物 群 と北 京極 大 路 の遺 構 が 明 らか にな って い る。今 回 の調 査 で は、

二 坪 内 の利 用状 況 及 び北 京極 大路 につ いて新 た な 知 見 が 得 られ る もの と予想 され た。 発 掘 面積 は約

360πで あ る。

検 出 した主 な遺 構 は奈 良 時代 の もの で 、掘 立 柱 建 物 3棟S B 04、 S B 05‑A・ B、 SB 07、 柵 1

SA 06‑A・

B、 溝 2条 S D 02‑A・ B、

SD

03があ る。

S B 04は 桁 行 1間

(8尺 )以

上 、果 行 2間 (10 尺 等 間

)の

東 西 棟建 物 で あ る。

SB 05‑A・ Bは

桁 行 6間、異 行 2間、9尺等 間 の南 北 棟 建 物 で SB 07は

SB 06の

北 18尺 の位 置 に柱 筋 を そ ろ え て建 つ一対 の柱 穴 で あ る。

SA 06は 9尺等 間 の南 北 塀 で 、 SB 05,・

07嫌

14尺の位 置 に8間分 を検 出 した。SA 06、 SB 05、

9      5     10m lY=‑19180 9図 112‑7次調査遺構図

‑29 ‑

(6)

SB 07は いず れ も柱 間 を 9尺と して柱 筋 を揃 え 、 同位 置 で の建 替 え が 認 められ る な ど、 同 一建 物 に な る可 能 性 が あ る 。

S D 02は 東 西 溝 で 、新 旧 二時 期 が あ る。

SD 02‑Aは

1.8紀

 

深 さ0.5碗 。

S D 02‑Bは

幅 2.2乳 、深 さ 0.5陶 で 、

 S D 02‑Aを

埋 戻 した の ち北 に約 4尺ず ら して掘 込 ん で い る。SD 03は S B04の廃 絶 後 に で き た溜 り状 の東 西 清 で、幅3.1

〜 3.5免 、深 さ約 0。2免で あ る。 この ほか に古 墳 時代 の上 壊S K 08、 平 安 時 代 の 蛇行 溝SD 01があ る。

出土 遺 物 は少 な く 、遺 構 と関 連 す る もの と して は 、SD 02‑B、 SD 03の埋 土 か ら奈 良 時 代 末 の須 恵 器 ・土 師 器 、 S B 05の 柱 抜 取 穴 か ら奈 良 時 代 末 の須 恵 器 甕 、

SK 08か ら古 式 上 師 器 、SD 01か ら平安 時 代 中頃 の上 師器 椀 が 出土 した。

今 回 検 出 した建 物 群 は 、第

103‑16次

調 査 で 検 出 した桁 行 7間、異 行 4間の 二 面 庇 建 物 を含 む建 物 群 とは 一部 塀 に よ って 画 され る こ とか ら、屋 敷 地 を異 にす る

と考 え られ 、屋 敷 地 そ の もの は更 に東 に広 が って い る。

 

右 京 ― 条 二 坊 二 坪 の 調 査 (第 112次

‑8次

)

駐 車 場 造 成 に伴 う事 前 調 査 で 、発 掘 面 積 は約 350πで あ る。 調 査 地 は 、秋 篠 川 東 岸 近 くの水 田 で 、耕 土 ・ 床 上 下 に黄 褐 粘 質 土 局 が あ り、 この下 の灰 褐 砂質 土 な

い し、黄灰 粘 質 土 面 (地表 下約 0.4碗

)で

遺 構 を検 出 した 。

検 出 した遺 構 に は 、建 物 ・ 塀 ・ 溝 。堅 穴 状 遺 構 の ほか多 数 の上 壊 が あ り、奈 良 時代 と古 墳 時代 に区 分 で き る。

奈 良 時 代 の遺 構 に は 、掘 立 柱 建 物 3棟 S B 01・ 05・ 13、 溝 3条SD ll・ 17・

20があ る。建 物 3棟は と もに南 北 棟 建 物 で 、SB 01は桁 行 2間 (10尺 等 間

)以

上 、 果 行 ユ間 (12尺

)以

上 、SB 05・ 13は と もに桁 行4間 (10尺 等 間

)以

上 、果 行2 間 (10尺 等 間

)で

あ る。 両建 物 は柱 筋 を そ ろ え 、 19尺 の間 隔 を お いて 東 西 に な ら ぶ 。SB 01は SB 05の東20尺に位 置 す るが 、柱 筋 が や や 北 にず れ る。SD llは S

B05。 13の北 辺 を 西 に流 れ る幅 0.3〜0.5乳の東 西 溝 で あ る。SD 17・ 20は 平 行 し て 南 に流 れ る幅 1.2乳 前後 の 南 北 溝 で 、 両 溝 を側 溝 とす る道 路SF 18は二 ・七坪

(7)

る。溝 心 々で 8.3乳

切 り合 い関 係 及 び出 X14、 土 竣S K 02・

■ のや や い び っ な方 址 、 隅 の2ケ所 に浅 立 柱 建物 S B 06・ 15 総 柱 建 物 で 、桁 行 2

立 柱 建 物S B 07、 柵 間 (6.397b)、

 

梁 行 を 画 す。SA 09は 8 れ る。SD 10は幅 0.

出上 の須 恵 器 片 に よ で東 南 方 に蛇 行 す る 多 くな い 。奈 良 時 代

、SD 17・ 20か ら奈

、 SX 16・

 06,08

(約28尺

)あ

り、西 ―坊大 路 心 か らの

9        5        10m

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西

Y‐‑19230

第 10図 112‑8次調査 遺 構 図

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‑31‑

Y=‑19250

(8)

今 回 の調 査 の結 果 、 これ まで 西 一 坊 大 路 心 か ら西 450尺に位 置 す る と推 定 され た二 ・七 坪 の坪 境 小 路 は 、 か らに30尺 ず れ て検 出 され た こと 、また、 坪 内 は建 物 の規 模 が大 き く、 しか も南 北棟 建 物 を東 西 に整 然 と配 置 して お り、一般 の宅 地 と い うよ りむ しろ官 衡 的性格 を示 す もので あ る ことな ど、新 しい知 見 を得 た。

古 墳 時 代 の遺 構 は昨 年 第

103‑7次

と して調 査 した北 東 の隣 接 地 で も検 出 され て お り、 今 後 の調 査 に よ って集 落 の様 相 が 更 に具 体 化 され る もの と思 わ れ る。

 

右 京 五 条 二 坊 十 二 坪 の 調 査 (第

112‑9次

)

家 屋 新 築 に伴 う事 前 調 査 と して 、平 城 京 右 京 五条 二 坊 十二 坪 内 の調 査 を お こな った。発 掘 面 積 は60πで あ る。

  .

土 層 の堆 積 状 況 は床 上 の下 に灰 褐 土 ・ 暗 灰 粘 質 土 層 が あ り、 その 下 は地 山 の灰 白上 で あ る。遺 構 は床 土 下 30師 の暗灰 粘 質 土 上 面 で検 出 した 。主 な遺 構 は平 安 時 代 の井 戸 SE 01、 中世 の井 戸 S E 02と 多 教 の土 壊 で あ る。

SE 01は

上 下 三 段 にわ か れ る。下 段 は方

60mで

、厚 さ約 5師の 板 を3段の井 籠 組 み に して い る。上 段 は方80印で柱 を 四隅 に立 て 、各 辺 に縦 板 を3枚ず つ並 べ て い る。 上段 は側 板 の下部 分 が残 存 して い るだ けで あ るが 、井 戸 枠 の組 み方 は隅 柱 に横 桟 を渡 して縦 板 を固 定 した もの と考 え られ る。井 戸 の底 には バ ラス を敷 いて い る。井 戸 掘形 の大 き さは 1,3絶 ×1.8駐で 、深 さ約 2娩で あ る。 この井 戸 は掘 形 及 び埋 土 か ら出土 した土 器 に よ り平 安 時代 と考 え られ る。

S E 02は 丸 ・平 瓦 や 河 原 石 を使 用

1弱

  し こ 檀 と 禄 書 :蒼 夕 云 告 つ 算 岳 ほ

:

       ?       葺m

第■図

 

第 ■2‑9次調査遺構図

X・コ●酎

上 方 は直径 55印 、底 は直 径 95伽 ほ ど で あ る。井 戸 掘 形 の平 面 は卵 形 で 長 径 約 150師 、短 径 約 130旬 、深 さは 約 115帥 まで確 認 したが 、 さ らに深 い。 この井 戸 は掘 形 出上 の上 器 か ら 中世 に降 る もの と考 え られ る。

(9)

そ の他 、発 掘 区 の西側 で大 小 多 教 の上 壊 を検 出 した。土 羨 の平面形 は不 整形 で 深 さ は40伽 前後 で あ る。 これ らの上 壊 は地 山 の灰 白土 が ミガキ ズ ナ に使 用 で き る

こ とか ら、地 山上 を採 集 した穴 と思 わ れ る。

遺 物 はSE 01か ら土 師 器 ・須 恵 器 ・緑 釉 陶 器 ・黒 色 土 器 が 出土 した 。 また

SE

02の使 用 瓦 に は奈 良 〜 中世 まで の ものを含 み 、軒 瓦 の 中 に は瓦 当面 に薬 師 寺 、唐 招 提 寺 の文 字 を飾 った もの が あ る。他 に土 鍍 か ら 、中 。近 世 の瓦 が 出上 した 。

 

南 面 大 垣 の 調 査 (第

112‑11次

)

この調 査 は 、平 城 宮 南面 の東 西水路 改修 に伴 う事 前調査 と して お こな った もの で あ る。調 査 は宮 の南 面 大 垣 遺 構 お よ び 、朱 雀門遺 構 の有 無 を確 認 す るため に、

5ケ所 に トレンチ を設 定 して お こな った。 調 査 の結 果 、朱 雀 門 の位 置 で は門 の基 壇 と礎石 抜 き取 り痕 跡 を東 西方 向 で5間分 検 出 し、 この西 側 に設 定 した トレンチ に お いて 南 面大 垣 遺 構 の残 存 を確 認 した。他 の トレ ンチで は何 らの遺 構 も検 出で き な か ったが 、 その位 置 は嬬 地 に相 当 す る。

朱 雀 門 の礎 石 抜 き取 り痕 跡 には 、6ケ所 と も直 径 20〜 40師 の根 固 め石 が よ く残 り、掘 形 も浅 く残 る。基 壇 の基 礎 は掘 込 み地 業 に よ って な され 、東 西 31.6旬 の規 模 で あ る。掘 込 み地 業 の深 さは 、発 掘 区 が狭 少 な た め約 1.3駒 を確 認 す るに と ど

ま った 。築 成 土 は5〜10師 の厚 さで 、黄 褐 色砂 質 土 や礫 を含 ん だ粘質 土 で あ り、

これ らを瓦 層 に築 き あ げて い る。

門 の平 面規 模 に つ いて は第16・ 17次 調査 (昭和 39年

)で

桁 行 、異 行 と もに17尺 等 間 とい う成 果 を得 て い る。今 回検 出 した桁 行 5間分 の根 固 め石 は、 前 回 の調 査 で検 出 した棟 通 り柱 筋 か ら17尺 南 に あ り、朱 雀 門 の全 柱 位 置 を確 認 した。

南 面 大 垣 は 、地 山 まで 削 って整 地 を施 した面 に、砂 質 土 や粘 質 土 を互 層 に積 ん で版 築 して い る。良 好 な ところで は約 0,8ηの高 さで残 って い る。大 垣 基底 部 の 地 山 面 と、

 

今 回 改 修 を 行 う水 路 を へ だ て た南 側 の地 山面 とで は 、大 垣 基底 部 が 若 干 低 いので 、大 垣 築 成 に あた って掘 込 み地 業 が な され た可 能 性 が認 め られ る。

遺 物 は瓦類 だ けで 、 軒 瓦 は全 て藤 原 宮 式 に属 し、前 回調 査 と同 じ状 況 で あ る 。

‑33 ‑―

参照

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