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Ⅳ 平 城 京 の 調 査

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(1)

Ⅳ 平 城 京 の 調 査

①   左京―条二坊十五坪の調査

(第

118‑4次

)

民 家 の新 築 に伴 う事 前 調 査 で あ る。 遺 跡 は コナ ベ古墳 と法 華 寺 の 中 間 に あ た る 平坦 な丘 陵 上 に あ り、対 象 地 域 の 中央 に東 西 方 向 の トレンチ (18×

397b)を

設 定

して調 査 を行 な った 。

奈 良 時 代 の 遺 構 と して掘 込 み地 業S X01・ 掘 立 柱 建物

S B02を

検 出 した。 遺 構 検 出面 は黄 灰 色 粘 質 上 の 上 面 で 、 その 下 に は同 じ く自然 層 の 黄 色 粘 上 が厚 く堆 積 す る。奈 良 時 代 の 遺 構 は 全 体 に削 平 が著 しい。

S X01は

自然 層 を掘 り込 ん だ地 業 で あ る。東辺 を約8ηほ ど確 認 しただ け で 、掘 形 の 全 形 は不 明 で あ る。 地 業 の深 さは 、検 出面 か ら約 0.7碗 。 地 業 内 の 埋 土 は下 よ り

1含

礫 褐 白色 粘 質 土 、

2含

礫 灰 白色 粘 質 土 、

3含

礫 黄褐 色 粘 質 土 が ほぼ水 平 に堆 積 す る。 トレ ンチ北 部 で は掘 形 が屈 曲 し、底 面 に土 器 類 を含 む 炭 層 (層厚 約

5m)が

み られ た。

IY‑17631ρ

cO

72

ρ

QO

第 8図

 

118‑4次発掘遺構平面・断面図

(2)

S B02は

 

トレ ンチ 南辺 で礎 石裾 付 け掘 形

6ケ

所 を検 出 した 。拡 張 区 で掘 形 1 ケ所 を さ らに検 出 した の で 、

 

トレンチ 南辺 の 柱 穴 は 東西棟 礎 石 建 物 の 、北 の 入 側 柱 筋 にあ た る もの と考 え られ る。 平 面 形 式

5間

×

4間

、桁 行 10尺 等 間 、庇 の 出 は 12〜 13尺 と推 定 。前 記

S X01は

この

S B02に

伴 う地 業 と もみ られ 、

S B02は

基 壇 建 物 で あ った可 能 性 が あ る。 しか し、建 物 方 位 が平 城 京 の造 営 方 位 とず れ てお り、

ま た調 査 面 積 が 狭 いの で 、復 原 に関 して は今 後 の検 討 を 要 す る。

遺 物 は

S X01の

底 面 か ら須 恵 器 (杯A・ B、 皿 、甕 、 平瓶)、

 

土 師 器 (杯 C、

椀 、甕

)が

出土 した。 いず れ も平 城 宮 土 器 編 年 の Ⅲ期 に あ た る。

 

左 京 三 条 ― 坊 十 五 坪 の 調 査 (第

118‑8次

)

調 査 地 は左 京 三 条 一 坊 十 五 坪 の西 端 で 、 東 一 坊 大 路 の西 側 溝 の 存 在 が 予 測 され た 。調 査 は東 西 40駒 、 南北24続 の トレンチ を

L字

形 に設 定 して お こな った。

調 査 区 の土 層 堆 積 状 況 は 、水 田面 上 に造 成 され て い た盛 上 の 下 に水 田耕 土 お よ び床 上 が あ り、 その下 に遺 物 包 含 層 で あ る褐 色 砂 質 土 が20〜40側 の厚 さ に堆 積 し て い た。奈 良 時 代 の 遺 構 は その 下 の 地 山面 で検 出 した 。

調 査 の 結 果 、 掘 立 柱 建 物3・ 土 拡 7・12・ 旧河 川 1を検 出 した。S B 1948は 桁 行

3間

以上 、果 行

4間

、東 西庇 付 き南北棟 で 、調 査 区外 に続 く。 柱 間 寸 法 は桁 行

9尺

等 間 、梁 行 は身 舎 が

7.5尺

、庇 が

9尺

で あ る。 S B 1949は 調 査 区 の 西 端 に 部 分的 に検 出 した にす ぎ な いが 、 S B 9148と 併 存 す る。庇 付 きで あ ろ う。

S D19

47は 桁 行

4間

以 上 、異 行

2間

の 南北 棟 で 、柱 間 寸 法 は

7尺

等 間 で あ る。 柱 掘 形 の 重複 関係 か ら、建 物 はS B 1947→ S B 1948・ 1949の

2時

期 に区分 で き る。

S D19

40〜 1946お よ び それ らに交 差 す る数 本 の溝 は いず れ も幅 30〜 50師 、深 さ20師 前 後 の細 溝 で 、埋土 中 に は

8世

紀 の上 器 片・ 瓦 片 を含 む 。 うち S D 1940の 埋 上 に は焼 土 。鉱 滓・ 凝 灰 岩 切 石 片 を含 ん で い た。 S D 3935は 東 一 坊 大 路 の 西 側 溝 で 、調 査 区 内 で は推 定 され る溝 幅 の約

3分

2(3〜 4統 )を

検 出 した 。溝 埋 土 は上 下2 層 に分 か れ 、上 層 は

9世

紀 代 の 上 器 片 が わず か に 出土 した が 、土 器 の 大 部 分 は奈 良 時 代 末 期 (平城 宮

V)に

属 し、長 岡京 時 期 (平城 京 Ⅵ

)の

もの を わず か に合 む。

(3)

ま た調 査 区北 端 の や や 深 くな った溝底 か ら18点 の木 簡 が 出上 した 。 S D 1935は S D 3935に 流 入 す る石 組 み の 東西 溝 で あ る。 この 位 置 に は坪 内 と大 路 とを限 る築 地 の存 在 が想 定 され るの で 、 S D 1935は 築 地 下 を潜 る暗渠 と思 わ れ る。 な お この 暗渠 は十 五 坪 の 中軸 線 上 に位 置 して い る。 S D 1938は 平 城 京 造 営 以 前 の 自然 流 路 で あ る。

遺 物 に は瓦 簿 類・ 土 器 。木 簡 な どが あ る。瓦 埠 類 は鬼 瓦 。軒 瓦・丸瓦 。平瓦 。導 で あ る。軒 瓦 はS D 1935・ 1941・ 1943・ 1946か ら出上 し、軒 丸 瓦 が13点、軒 平瓦 が37点 あ る。S D 1941か らは鬼 瓦

1点

と簿 10数 点 が 出土 して い る。 土 器 は

S D39

35・ 1941か ら出上 した多 量 の上 師器 、須 恵 器 が あ る。S D 3935上層 か らは黒 色 土 器 が 、 S D 3935の 西岸 に部 分 的 に堆 積 した砂 層 か らは瓦 器 が 、いず れ も数 点 出土 し、 ま たS D 3935下層 出上 の多 量 の 上 器 の 中 に は2・

3点

の製 塩 土 器 片 が み とめ られ た。木 簡 は 18点 あ る。 す べ て 破 片 あ るい は削 り屑 で 、「丹 波 国 □ 上 郡 区 」 、

「 コ 丹 波 国

 

綾 部 匠 」、「雑 月昔」 な どの 内容 が み られ る。

そ の他 の 遺 物 と してS D 3935下層 か ら和 同 開弥 の銅 銭 が

1点

出土 して い る。 同 層 か らは木 炭・ 桧 皮・ 桃 。栗・ 梅 の種 核 の他 、馬 骨 が 1個体 分 埋 土 中 に横 た わ っ

た状 態 で 出上 した。

‑8次発掘遺構図

(4)

 

左 京 三 条 ― 坊 八 坪 の 調 査 (第

H8‑22次

)

調 査 地 は、 平城 宮 跡 に南接 す る北 新 大 池 の池 底 部 で あ る。 調 査 は 、奈 良 市 が 北 新 池 の 東 の堤 上 を通 る市 道 の拡 幅 を計 画 し、 その 事 前 調 査 と して 実 施 した 。調 査 地 の状 況 と道 路 拡 幅 の 工 法 か ら、調 査 の 目的 を二 条 大 路 の 南北 両側 溝 の位 置 を確 認 す る こ とに お い た。

二 条 大路 の側 溝 と築 地塀 は 、二 条 大 路 と東 一坊大 路 の部 分 で一 部 を検 出 して い る (平城 宮 第 32次 調 査)。

 

ま た宮 の 西方 で は、 西 南隅 地 域 の調 査 の 際 に 、約10阿 の嬬 地 をへ だて た位 置 で宮 の外 堀 、す なわ ち二条 大 路 北側 溝 を確 認 して い る (平 城 宮 第 14次 調 査)。

 

従 って 、 この 両側 溝 の 西 側 延 長 線 上 に、 南北 に長 い トレ ンチ を2ケ所 に設定 した 。 この トレンチ は 、漏 水 防止 の た め 、堤 に貼 った粘 土 層 を さ けて 設 定 した の で 不 整 形 とな って い る。

Aト

レ ンチ

 

南北 約12統 、 東 西 lηの トレンチを設 け、大 路 の 南側 溝

(S D40 06)を

検 出。 溝 幅 は肩 の 部 分 で

3.5統

、底 で

2乳

を測 る。 溝 内 の堆 積 層 は数 層 に

わか れ 、若 干 の木 器 片 と多 量 の瓦 片 が 落 ち こん で い た 。軒 瓦 は671l A型式 の 軒 平 瓦

4点

、軒 丸 瓦 は6225L・ 6275D・

6316C型

式 な どが あ る 。溝 の 南側 は撹 乱 が あ

り、 その た め か築 地 塀 の痕 跡 は見 い 出 せ な か った 。

Bト

レンチ

 

大 路 の 北 側 溝 の 推 定 位 置 に 南北

7統

の トレンチ を設 けたが 、清 と して の何 らの痕 跡 も見 い 出 せ な か った 。 そ こで 、側 溝 の 位 置 が 南 北 いず れ か に振 れて い る可 能 性 を考 え 、 それ ぞれ の 方 向 に トレ ンチ を延 長 した が 、側 溝 の痕 跡 を 見 い 出す こ とは で きな か った。

以 上 の調 査 成 果 を ま とめ る と、二 条 大 路 の側 溝 は、 南側 溝

(S D 4006)を

推 定 位 置 に検 出 したが 、北 側 溝

(S D 1250)は

推 定 位 置 に検 出 で き な か った とい う結 果 に な る。 しか し、二 条 大 路 北 側 溝 は宮 の 外 堀 を兼 ね る重要 な 機能 を もつ もの で あ る。 今 回 の調 査 は小 規模 な トレ ンチ を設 定 して の調 査 で あ るの で 、早 急 な結 論 は さけね ば な らず 、今 後 の調 査 を ま ち た い 。

(5)

 

左 京 三 条 二 坊 二 坪 の 調 査 (第 118‑15次)

本 調 査 は東鮮 フ ァ ミ リー・ レス トラ ン建 設 予 定 地 の 事 前 調 査 で あ る。 調 査 は 東 西25碗 、南北 6旬の トレンチ を設 定 して 進 め た。

検 出 した遺 構 は東 西棟 建 物 1棟 、南北棟 建 物 1棟、南北 溝

1条

で あ る。 東西棟 建 物

(S B02)は

庇 の 部 分 の柱 穴

2列

を検 出 し、

7間

分 を確 認 した 。身 舎 が調 査 区 の 南北 いず れ に位 置す るか は不 明 で あ る。 しか し、南側 柱 が 南 に抜 き取 られ た 痕 跡 を示 す こ とか ら、身 合 は検 出 した庇 の 北 側 に想 定 す る こ とが 可 能 で あ る。桁 行・ 果 行 と もに柱 間 10尺 で 、柱 掘 形 は約 lη四方 あ る。

7間

あ るい は そ れ 以 上 の 大 規模 な 東 西棟 建 物 で あ る。 な お 、 この建 物 に は足 場 穴 と考 え られ る小 柱 穴 が 伴 う。 南北棟 建 物

(S B01)は 2間

分 を検 出 し、西 側 に庇 を もつ 。桁 行・ 果 行 と も に柱 間

9尺

で 、 柱 掘 形 は約 70卸 四方 あ る。 南北 棟 建物

(8B01)と

東 西棟 建 物

(S B02)は

柱 穴 の切 り合 い 関係 は な い が 、土 層 の 観 察 か ら南北棟 建 物 が一 層 上 か ら 切 り こん で お り、 東西棟 建 物 が 古 い。 南北 溝

S D01(幅

1.5η深 さ0.1攪

)は

坪 の 東 西約 束

3分

線 上 に あ た る。 この 溝 の埋 土 は 東西棟 、 南北棟 建 物 の いず れ の柱 穴 も覆 って い る こ とか ら検 出遺 構 中最 も新 しい。 東 西棟

(S B02)→

南北 棟

(S

B01)→

南 北 溝

(S D01)の

順 に

3期

の変遷 が考 え られ る。 なお 、遺 物 は土 器 片

・ 瓦 片 が 若 干 出上 したの み で あ る。

検 出遺 構 は二 坪 の ほぼ 南北

2分

線 、 東 西 は東

3分

線 上 に位 置 し、大 規 模 な 東西 棟 建 物 を配 して い る。 隣接 す る六 坪 の庭 園 遺 構 や七 坪 の建 物 群 を考 え合 わ せ る と、

この 坪 も大 き く宅地 割 り した高級 住 宅 地 だ った こ とが類 推 で き よ う。

9     1

10図

 

118‑15次発掘遺構図

   「 測  o    0    0     0

Om

(6)

 

左 京 三 条 二 坊 七 坪 の 調 査 (第

H8次

‑23次)

本 調 査 は マ ン シ ョン建 設 に伴 う事 前 調 査 で あ る。調 査 は南 北 トレンチ (18× 5

)と

東 西 トレンチ (14× 5碗

)を

設 定 して 進 め た。 当該 地 は左 京 三 条 二 坊 七 坪 東 南隅 に あ た り、一 部 二 坊 坊 間 路 にか か る地 点 で あ る。

遺 構 は二 坊 坊 間 路 西側 溝・ 柱 穴 1・ 土 拡

1で

あ る。 坊 間 路 西側 溝

(S D01)は

幅 約 2.5η 、深 さ0.9η 、堆 積 土 は大 き く

2層

に分 れ る。 上 層 は黒色 粘土 層 、下 層 は灰 色 砂 質 上 で 、 遺 物 は主 と して 上 層 か ら出上 した 。

出土 遺 物 に は多 量 の 木 製 品 。木 簡・ 土 器・ 瓦 な どが あ る。 木 製 品 は木 刀

1点

儀使 用 の 弓

4点

。人形 1点・ 削 り掛 け14点・ 曲物 。木 蓋 な どの ほか多 数 の加 工 材 が 出土 した。木 簡 は上 層 か ら18点、下 層 か ら

1点

出土 した。 上 層 出土 の「 手 枕 里 戸 主 元得 津 君 千 嶋 一 石 」 の 付 札 木 簡 が 完形 品 の ほか 、他 は断片 で あ る。 土 器 は平 城 宮 I・ Ⅱ期

(8C前

)の

土 師器・ 須 恵 器 が主 体 で 、 「主 水 司 」「 □ 造 少 乃 古 」

と記 した墨 書 土 器 も出土 した 。瓦 類 は軒 丸 瓦

1点

の み で あ る。

今 回 は二坊 坊 間 路 の 西 側 溝 の検 出 に とどま ったが 、83・ 86次調 査 、

112‑3次

調 査 の成 果 か ら坊 間 路 の 幅 員 を推 定 で き る。 す な わ ち、 二 坊 坊 間 路 を は さむ 両 側 の 南北 小 路 心 (c・

d)が

判 明 して い る こ とか ら、坊 間 路 推 定 心(b)を求 め る こ と が で き る。 この 推 定 心 か ら西側 溝,己a)の距 離 は約 4.9η とな り、 その 倍 数 約 9.8

V17'91583

1  古

X1462545S3

a二坊坊間路西側清心 b推定坊問路心 C二坪・ 七坪 小路心 d十坪・ 十五坪小路心

己画凸ご

Vl'91」3251v,76!3949

陶 が 幅 員 とな る。 従 来 坊 間路 は大 路 規 模 に推 定 され て い るが 、今 回 の 二坊 坊 間路 幅 員 は3 丈 強 とな り、小路(2丈)

の 幅員 に近 い。 二坊 坊 間 路 の 幅 員 につ いて は 今後 の 調 査 の 進 展 を ま って 検 討 しな けれ ば な らない課 題 で あ ろ う。

V17796583

y''786637

0       1om 11図

 

118‑23次発掘遺構図

(7)

 

左 京 六 条 一 坊 十 坪 の 調 査 (第 118‑16次)

今 回 の調 査 は 、 ま る と工 業 株 式 会 社 の 資 材 置 場 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して 実 施 した。 調 査 は、 予 定 地 の一 画 を 東西

105η

、 南北15乳の範 囲 で行 った。 検 出 した 遺 構 は、 古 墳 時 代 の 上 拡 2、 奈 良 時 代 の掘 立 柱 建 物 と、掘 立 柱 塀 な どで あ る。

奈 良 時 代 の遺 構

 a.bの 2期

に分 れ る。

a期

に は 南北 塀 S A01と 建 物

S B03

が あ る。

S A01は

、発 掘 区 の ほぼ 中央 で

4間

分 を検 出。 柱 間 は2.1続

(7尺 )等

間 。 主 軸 方 位 は北 で 東 に約

1度

振 れ る。

S B03は

東西棟 建 物 の 西 妻 部 分 。 柱 間 は 2.4統

(8尺 )間

で あ る。

b期

に は東 西塀

S A02が

あ る。

2間

の塀 で 、柱 間 は2.

1乳

(7尺 )間

、柱 は抜 き取 って い る。

古墳 時 代 の遺 構

 

不 整 形 土 拡S K04・ 05がこの 時 期 の遺 構 で あ る。一 部 を調 査 したの に留 ま ったが 、内部 か ら布 留 式 の壷 の破 片 が 出上 した。

ま とめ

 

調 査 地 点 は十 坪 の 東西 の 中心 に近 い と ころで あ るが 、発 掘 面 積 が小 さ

S A01は

10坪 内部 を 東 西 に区画 す る 施 設 の 可 能 性 が あ るの で 検 討 して お こ う。 平 城 京 の 条 坊 の調 査 は 、六 条 付 近 で は あ ま り進 行 して い な い。 そ こで 、 岸 俊 男 氏 が 、現 存 地 割 か ら想 定 した各 坊 の規模 (岸俊 男 『 遺 存 地 割 ・地 名 に

よ る平 城 京 の復 原 調 査 』

1974)を

もと に 、先 年 調 査 した朱 雀 大 路 の 位 置 を基 準 に割 りつ け た 。 この 手 続 き に よ って 得 られ た十 坪 の想 定 の 東西 中軸 線 は、

S A01の

位 置 か ら西 約13ηの位 置 にあ たる。

12図

 

118‑16次発掘遺構図

(8)

 

羅 城 門跡 の調 査 (第 118‑26次)

佐 保川 災 害 復 旧工 事 の 一環 と して 、大 和 郡 山市 所 在 の 来 生 橋 北 側 の 西 堤 防 に工 事 が 及 ぶ こ と とな った。 この 地 点 は平 城 京 羅 城 門 跡 にあ た り、昭和44年か ら47年 にか けて の

3次

にわ た る発 掘 調 査 に よ って 堤 防 の 西斜 面 以 西 に お いて羅 城 門 の 基 壇 西端 部 が 検 出 され て い た 。 ま た 、昭和 10年 岸 熊 吉 に よ って 、来 生 橋 南 北 の 所 々

に お いて

4個

の礎 石 が 落 ち込 ん で い る こ とが確 認 され て い た 。

建 設 省 近 畿 地 方 建 設 局 大 和 工 事 事 務 所 。奈 良 県 教 育 委 員 会 お よ び奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 の

3者

は協 議 の うえ事 前 に発 掘 調 査 を 実 施 す る こ と と し、奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部 が調 査 を担 当 した。

西 堤 防 東斜 面 下 半 部 延 長 約3597bと それ に対 応 す る川 底 を川 幅 の約 き にわ た って 発 掘 す る こ と と し、工 事 の た めの矢 板枢 を調 査 に援 用 、水 を くみ あ げて 川 底 の調 査 の 準 備 を お こな う一 方 、昭和 55年 1月 18日 、斜 面 の調 査 を 開 始 した 。斜 面 中 ほ どに幅 lη内外 の 平 担 面 が あ り 、 この位 置 が か つ て 検 出 した 門 基 壇 上 面 の レベ ル とほぼ等 しい こ とか ら、 乙の平担 面 の上 部 1旬を含 め以 下 を川 底 に む か って掘

り始 め た。 表 土 を除 去 した と ころ、全 体 に玉 石 練 石 張 りが 現 わ れ 、検 討 の 結 果 、 これ は 昭和 10年 頃 の 河川 改修 工 事 に よ る もの との事 実 が判 明 した。再 び協 議 の結 果 、 この部 分 の 調 査 は実 施 しな い こ とに した 。

川 底 の調 査 で は 、遺構 の残 存 は認 め られ ず 、調 査 区 内 に存 在 が 予想 され た

3個

の 礎 石 の うち

1個

だ け を検 出 す る こ とが で きた。 この

1個

は川 底 の砂 の 中 に埋 ま り 、1角の み を水 中 に現 わ して いた。1月

30日 、 重 機 に よ り この礎 石 を取 りあ げ、調 査 を終 了 した。

後 日の調 査 に よ る と、 この礎 石 は岸 氏 撮 影 の うちの 1個に あ た り (大和 郡 山市 教 育 彗 委 員 会 『 平 城 京羅 城 門 跡 発 掘 調 査 報 告 』19

72 fig lの

左写真)、 溶 結 凝 灰 岩 製 、長 辺

118c冊、短辺 100 cm、67c冊を測 る。 13図

 

羅城門礎石

(9)

 

右 京 ― 条 二 坊 西 ― 坊 大 路 の 調 査

2(第

118‑29次)

奈 良 市 二 条 町

1丁

目地 内 で の駐 車 場 造 成 に と もな う事 前 調 査 で あ る。調 査 地 は 平 城 京 右 京 一 条 二 坊 一 坪・ 二坪 に該 当 し、西一坊 大 路 西側 溝 お よび一 坪 と二 坪 と の 坪境 い小 路 の検 出が予想 され た。

調 査 は南 地 区 と北 地 区 とに分 けて行 な った。 南調 査 区 で は水 田耕 土・ 床 上 の下 に近 世 遺 物 を若千 含む

2〜 3層

の粘質 土 が堆 積 し、現地 表 か ら0.5旬 で遺 構 面 に 達 した。 遺 構 検 出 は暗茶 褐 色粘 質 土 面 で行 な った。 検 出 した遺 構 は掘 立 柱 建 物

(S B12)。

(S A13)・

土 拡

(S K14)お

よ び多 数 の 溝 で あ る。

検 出 した溝 の うち細 い斜 行 溝 は中世以 降 の耕 作 に ともな う もの で あ るが 、

SD

10と

S Dllと

は 南北 に走 り、溝 内 には古墳 時代 の上器 や奈 良 時代 の瓦・ 土器 を多 く含 む の で 、奈 良 時 代 の 溝 で あ る と判 断 で き る。

S D10は

幅2.3統 3.0碗 、深 さ0.6碗 の 溝 で あ る。調 査 区の北 半部 で は溝 の東肩 は二段 にな る。 これ は第 103

‑104次

調 査 で検 出 し西 一 坊 大 路 西側 溝 と考 え た溝 の北延 長 上 に位 置す る。溝 幅 は今 回検 出 した部 分 が や や広 くな って い るが 、や は り西一 坊大 路 側 溝 と考 え られ よ う。 とす れ ば 、大 路 幅 は溝 心 々で

8丈

とな る。

S Dllは

0,9〜

1.1碗、 深 さ 0.2η で 、

S D10の

西 6乳 (溝心 々距 離

2丈 )の

位 置 にあ る。

S D10と

S Dllと の 間 は黄 色 粘 土 を積 んで お り、 これを築地 の痕 跡 とす るな らば 、

S Dllは

垣 の 内 側 の 雨 落 溝 に推 定 で き る。

S B12は

西一 坊 大 路 路 面 上 に あ り、 西端 は大 路 西側 溝 にか か り2×

2間

に推 定 で き る。柱 の根 固 め に瓦 を用 いて お り、西 一坊 大路 廃 絶 後 の建 物 と思 わ れ る。S A13も 西 一 坊 大 路 路 面 上 に あ りや や 西 になゝれ て い る。S

K14は

奈 良 時代 の大 土 拡 で 深 さ

15碗

で あ る。

北 調 査 区 は 、地 表 か ら0.6統 で遺 構 面 に達 し、層 位 は南調 査 区 と同様 で あ る。

こ こで は縦 横 に細 い溝 が走 るが 、 出土遺 物 が少 な く、重複 関係 か らも坪境 い小路 の側 溝 は確 定 で きな か った。 ただ し、

s D15は

103‑7次

調 査 で 右 京 一 条 二 坊 の一 坪 と二坪 との坪境 い小 路 の北側 溝 に推 定 され た溝 の真 東延 長 上 に当 た る。 同 調査では幅員

2丈

で南側溝を推定 したが、今回はその延長上 に溝は検出で きなか

った。今後の調査をまたねばな らない。

       '

(10)

 

右 京―条二 坊西― 坊大路 の調査

2(第

118‑31次)

奈良 国立 文化財研 究所新庁舎排水溝 にかか わ る公共 下水道工 事 に伴 う事 前調査 で あ る。奈良市二条 町

2丁

目に改修 され る同研究 所庁舎 の東側 は平城京 西一 坊大 路 に相 当 し、第

103‑14次

調 査 によ って その東西両側溝 を含 め大路 の位 置 は確 認 済 みで あ った。そ こで 下水管 埋設 に際 して は 、大路側溝 を さけ るべ く路面敷部分 を調査 した 。検 出遺構 は西一坊大路路面 と近 世の溝数本 お よび土拡

1で

あ る。

Z点

(11)

 

右 京 五 条 二 坊 五 坪 の 調 査 (第

H8‑1次

)

調 査 地 は唐 招 提 寺 の 南方 約 100η の地 点 で 、平 城 京 右京 五 条 二坊 五 坪 の北辺 に あ た る。 董初 、今 回 の調 査 区北 辺 に五 坪 と六坪 の坪境 小 路 を想 定 して い たが 、調 査 の 結 果 調 査 区全 体 が北 側 に流 れ る大 納 言 川 の氾 濫 に よ る撹 乱 を受 けて お り、坪 境 小 路 を検 出 す る こ とが で きな か った。

検 出 した主 要 な遺 構 は井 戸

1基

、幅 の狭 い旧流 路 跡

1条

で あ る。

調 査 地 の上 層 は 、耕 作 土・ 床 上 の 下 に厚 さ約 20師 にわ た って 灰 白色 及 び黒 色砂 層 が何 層 も堆 積 して お り、調 査 全体 が大 納 言 川 の氾 濫 原 で あ った こ とを示 す 。 調 査 区 の 中央 や や 南 よ りで検 出 した東 西 に帯 状 にの び る旧流 路 は広 い部 分 で幅 2碗、 最 深 0.8駒 で 、流 れ に よ るえ ぐり も随 所 に見 うけ られた。 調 査 区の 南辺 で は、 旧 流 路 に隣接 して木 組 みの 井 戸

1基

を検 出 した。 この 井 戸 は流 路 の廃 絶 後 に設 け ら れ た もの で あ る。井 戸 の 東側 に は部 分 的 に径15例内外 の 石 が 階 段 状 に つ まれ て お り、 洗 い場 と して の 施 設 と考 え られ た。 井 戸枠 は 内 の りが約 90師 で 、 四隅 の 角 柱 にみ ぞ を 掘 り こみ 、 これ に横 板 を上 か ら落 しこ む 。 横 板 の幅 は いづ れ も一 定 せ ず 、 ま た各 辺 は12〜 13枚 あ る。 深 さ約 3.5碗 で あ る。

な お井 戸 の 埋土 か らは平 安 時 代 の須 恵 器・

羽 釜・ 皿 。瓦 片 等 が 出土 した。

 

右 京 五 条 二 坊 十 四坪 の 調 査 (第118‑12次)

唐 招 提 寺 の 南西 、右 京 五 条 二 坊 十 四坪 及 び五 条 々間大 路 南側 溝 の推 定 位 置 で 、 家 屋 の 改 築 に と もな う事 前 調 査 を お こな った 。調 査 は南北 トレ ンチ(12×

)

を設 定 して 進 め た。 土 層 は 、耕 土 。床 上 下 に中 。近 世の遺物 包含 層 で あ る暗褐 色 砂 質 土 (約

30m)が

あ り、その下 で灰 白 シル トな い し淡褐 色 砂 の 地 山 とな る。

主 要 な遺 構 は掘 立 柱 建 物

1(S B01)、

2(S D02・

03)で、他 に土 拡 が あ る。

S B01は

南北

2間 (8尺

等 間

)を

検 出 した にす ぎず 、 南北 棟 か 東 西 棟 か 明 らか 15図

 

118‑1次検出井戸

(12)

で な い 。柱 掘 形 は一辺 約 1.Oηで あ るが 、深 さ0.2碗 とか な り削 平 され て い る。

S D02は

東 西溝 で 、北肩 が発 掘 区外 にな る。 幅

3.0統

以 上 、 深 さ約 0.8碗 。 埋 土 は

2層

あ り、 と もに中 。近 世 の遺 物 を含 む 。

S D03は S D02に

注 ぐ南北 溝 で 、 中

・ 近 世の遺 物 が 出土 して い る。

土 拡 は中・ 近 世 の もの で 、 この 中 に は瓦 ・ 石 をす えて 礎 板 と して い る もの もあ るが 、建 物 に は ま とま らな い 。

遺 物 に は 中・ 近 世 の瓦 器・ 灯 明皿 。瓦 類 が あ り この ほか に少 量 の奈 良 時 代 の 上 器・ 瓦 が 出上 した。

昭 和 51年 度 に唐 招 提 寺 東 南 で お こな った第

98‑14次

調 査 に お いて 、五 条 々 間大 路 北 側 溝 を検 出 して い る。 北側 清 は近 世 ま で 改修 され な が ら存 続 した と考 え た。

今 回 検 出 した 東西 溝

S D02は

、北 側 溝 と心 々で約12η

(4丈 )南

に位 置 す る。S

▲ N ユ エ A

D02は

北 側 溝 と同様 に近 世 に至 るまで 改 修・ 存 続 した五 条 々 間 大 路 南側 溝 と考 えて い いで あ ろ う。

S B02は

柱 筋 が 平 城 京 の造 営 方 位 に ほば あ い 、右 京 五 条 二 坊 十 四坪 内 の建 物 群 の 一 部 にな る と考 え られ る。

 

右 京 七 条 ― 坊 十 五 坪 の 調 査 (第

118‑5次

)

薬 師 寺 の 東 南約 300れ 、県 道 木 津 郡 山線 の 東 際 で の 、店 舗 新 築 工 事 に伴 う事前 調 査 で あ る。調 査 は東 西 トレンチ を2ケ 所 (14×

、3.5× 2碗

)設

定 して 進 め た 。土 層 は 、耕 作 土・ 床 上 の 下 に褐 色 の砂 質 土 が約 60例 堆 積 し、その 直下 に黄 灰 色 粘 質 上 が あ る。遺 構 検 出 は この上 面 で 行 な った。

検 出 した主要 な遺 構 は掘 立 柱 南北棟 建 物 1棟 と西 一 坊 大 路 東 側 溝 で あ る。掘 立 柱 建 物 は梁 行

2間 (7尺

等 間

)で

、桁 行 は西側 で 1間分

(7尺 )検

出 した の み で あ る。 一 坊 大 路 東 側 溝 は東 の肩 部 を検 出 した に とどま った た め その 幅 、深 さ と も

に明 らか で な い。

5m

16図

 

118‑12次 発掘遺構図

(13)

 

称 徳 天 皇 御 山荘 推 定 地 の 調 査 (第

118‑2次

20次)

調 査 地 は奈 良 市 西 大 寺 町 の 市 立 伏 見 中学 校 の北 側 に残 る海 抜 高87〜94碗 ほ どの 丘 陵裾 部 に あ た る。 隣接 す る池 は長 辺 60統 短 辺20統 で 中 島 を有 して い る。 西大 寺 蔵 の伽 藍 絵 図 に は この付 近 は称 徳 天 皇 御 山荘 と され 同様 な池 が描 か れて い る こと か ら、 その 有 力 な推 定 地 とされて い る。 ま た平城 京 北辺 四坊 の三 坪・ 六 坪 にわ た り、坪 境 小 路 等 の存 在 も予想 され た 。池 の 東 。南側 で相 継 いで

4件

の宅 地 造 成 あ

るい は住 宅 新 築 の現 状 変 更 申請 が 提 出 され 、昭和 54年 4月 と11月

2回

に分 けて 延 べ

5本

の トレ ンチを設 けて

99柄

を発 掘 調 査 した。

遺 構

 

池 の 東側 は現 在 農 道 に よ って せ き止 め られ 、 この農 道 の東 側 でA・

Bト

レンチ を設 けた 。

Aト

レンチで は 、現地 表 下約 1.3碗 の地 山面 で 南北 に走 る池岸 を検 出 した。 池 の深 さは約 20側 。 池 中 に は底 に厚 さ約

5側

の砂礫 層 が あ り、 その 上 に厚 さ約15師の茶 色 を した植 物腐 植 層 が堆 積 して いた。池岸 に は人工 的 な護岸 は設 け られ て お らず 、緩 斜 面 とな って い る。

Bト

レ ンチ で はや は り植物腐 植 層 が 全 体 に及 んで お り、

 

トレンチ全 体 が池 の 中 にあた る こ とが判 明 した。

池 の 南側 は 南 西 か ら北 東 へ 下 る斜 面 とな って い る。C・ D・

Eト

レンチ で は一 連 の 南北 溝 一 条 の ほか に土 拡 二 基 を検 出 した。溝 は素掘 りで 、 や や屈 曲 しなが ら 南 か ら北 へ 向 って 池 に流 れ込 む 。 幅 は最 大 1.7η、深 さ40師 ほ どで あ る。Cト ンチ で は地 表 下 30師 ほ どで地 山面 とな り溝 を検 出 したが 、

DoEト

レンチで は地 表 下 約 1.0碗 で地 山 面 とな り、 この上 の黄 灰褐 砂 質 土層 上 面 で溝 を検 出 した 。

遺 物

 Aト

レンチ で は、池 の 東岸 の地 山 直上 で須 恵 器 円面硯

1点

、池 内堆 積 層 で 土 師器甕

1点

が 出上 した。 円面硯 は陸 部 の周 囲 に低 い小 突 帯 を巡 らせ 、海 部 と 区画 した もの で 、脚 に は長 方 形 の透 しが あ る。奈 良 時代 後 半 に属 す る もの で あ る。

甕 は体 部 の 小破 片 で 内外 を ハ ケ メ に よ って 調 整 した もので 、奈 良 時代 前半 の可能 性 が 高 い 。他 の トレンチで は 、池 内堆 積 土 や 溝埋 土 中か ら少量 の 中 世土 師器片 が 出土 して い る。 ま た 、奈 良 時 代 の 平瓦 平 と埴 輪 片 各

1点

が 出上 した。

ま とめ

 A・ Bト

レンチ で は池 お よ びその東岸 を確 認 し、池 が現在 よ り約1097b 東 に広 が って い た こ と,が判 明 した。 ま た 出土 遺 物 か らみて 少 な くと も奈 良 時 代 に

(14)

は池 が す で に存 在 して い た こ とが 明 らか とな った 。池 岸 に は 人工 的 な護岸 を施 こ して お らず 、地 山 面 を浅 く掘 り込 ん だ もの で あ った 。 した が って 池 は仮 に人 工 的 に造 られ た もの と して も、 旧地 形 を利 用 して簡 単 に手 を加 え た程度 で あ った と考 え られ る。 池 の 南岸 は現在 も侵蝕 が進 ん で お り岸 が 当初 よ り広 が って い る もの と 思 わ れ た。 南側 で検 出 した南北 溝 は遺 物 か らみて 中 世 の一 時期 に存在 した もの で あ り、古 代 の遺 構 は検 出 で きな か った 。

以 上 の よ うに池 が 奈 良 時 代 か ら存 続 して い る こ とを確 認 す る大 きな成 果 を得 た が 、 これ に関連 す る施 設 の確 認 は で きず 、称 徳 天 皇 御 山荘 との 積 極 的 な 関 連 を見 出す に は至 らな か った。 な お今 後 の調 査 が 待 た れ る。

/ガ

トレンチ:

Dト レン

伏 見中学

B

17図

 

118‑2・20次発掘遺構図

参照

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