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Ⅵ 寺 院 等 の 調 査

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(1)

Ⅵ 寺 院 等 の 調 査

 

超 昇 寺 城 の 実 測 調 査

超 昇 寺 城 は、 平 城 宮 跡 の 北 西 部 に 築 城 され た近 世 の 平 城 で あ る。 古 く15世 紀 に は 当城 の す ぐ東 に存 在 した と され て い る超 昇 寺 に関 連 の あ った超 昇 寺 氏 の築 城 が 知 られ る。 しか し、 現 在 遺 存 す る遺 構 の 形 態 に整 備 され た の は、 お そ ら く16世 紀 に 入 って 松 永 、 筒 井 両 氏 の抗 争 が 激 化 して か らの こ と と考 え られ る。

超 昇 寺 城 の範 囲 が ど こま で 及 ん で い た か は諸 説 の わ か れ る と こ ろで 明 確 に な し 得 な い が 、 現 在 、 御 前 池 の 北 西 約100mの地 点 に 四周 を空 濠 で 囲 む 方 形 の 合 地 が あ

り、 この部 分 が 当 城 の 主 郭 部 と考 え られ て い る。 現 地 形 か ら明確 に判 断 し得 る超 昇 寺 城 の遺 構 は、 この方 形 郭 の 周 囲 50〜100mの範 囲 に限 られ て お り、従 って 今 回 実 施 した実 測 調 査 も この部 分 を 中 心 に行 った 。

実 測 調 査 は、

 

トラバ ー ス測 量 に よ って 、 予 め調 査 区 一 帯 に基 準 点 を 設 定 し、 こ れ を も とに各 点 間 の方 向 線 に従 って 平 板 測 量 を行 った。 平 板 測 量 に は測 距 ア リダ ー ド

(WILD RKl)を

用 い た。 当器 種 は、 内部 に 自動 補 正 装 置 を備 え て お り、 高 低 差 の 激 しい地 形 や 、 遠 距 離 に 際 して も、 浪1距が 簡 単 で 高 精 度 の成 果 を期 待 で き る。 平 板 測 量 に は、 直 接 平 板 上 の 図 に地 形 や 等 高 線 を書 き こん で い く直 接 法 と、

平 板 上 の 図 とは別 に ス ケ ッチ ブ ッ ク を併 用 して 地 物 等 の位 置 を把 握 し、 内 業 に お い て 両 者 を合 成 す る間 接 法 が あ るが 、 今 回 の よ うに広 範 囲 で 高 低 差 の激 しい 地 形 に は多 くの測 点 を 要 す るた め 、 後 者 が 好 適 で ぁ るの で これ に よ った。 成 果 品 は第 21図 の とお りで あ る。

な お 、 周 辺 に は他 に も当 城 の痕 跡 の一 部 と思 わ れ る地 形 の落 差 が 随 所 に認 め られ 、 今 後 こ う

した 実 測 調 査 が 進 め ば 中 近 世 の平 城 宮 跡 周 辺 の 概 要 を知 る うえ で 貴 重 な 資 料 とな るで あ ろ う。

ヽ \‐

北 面大 垣 御 前 池

20図

 

超 昇 寺 城 実 測 調 査 位 置 図

‑42‑―

(2)

N ◇

甥 甥

21図

 

超昇寺城実測図 くく`

鯵 一

‑43‑

9̲19 2p̲柳

(3)

 

法 華 寺 西 南 隅 の 調 査 (第

123‑4次

)

調 査 地 は、 第80次調 査 と して お こな った 阿 弥 陀 浄 土 院 の 北 西 区域 (現 、公 立 学 校 共 済 組 合 職 員 宿 舎

)の

北 側 で 、 法 華 寺 と阿 弥 陀 浄 土 院 との境 界 位 置 にあ た る。

遺 構

 

遺 構 は耕 土・ 床 土・ 灰 褐 粘 質 土 下 の 黒 色 粘 土 面 (自然 堆 積 土)で検 出 し た。 耕 土 上 面 下 約40cmで あ る。 検 出遺 構 は塀・ 溝・ 園 池 な どで あ る。

SA01は

東 西 塀 で 、柱 間 寸 法 は 10尺 で あ る。柱 掘 形 は一 辺1.2mと大 き く、東 側 柱 穴 に は長 さ20〜50 cm、 幅 約15 cm、 厚 さ約5 cmの板 材 が 多 く入 って い た。

 

西 側 柱 穴 に は南 北 両 方 向 か らの柱 抜 取痕 跡 が あ る。SA 02は SA 01の 北 に あ る東 西塀 で 、 柱 間 寸 法 は 10尺 で あ る。 西 側 柱 穴 に は、30 cm大の扁 平 な石 の 上 に立 つ 柱 根 が残 る。

東 側 柱 穴 に も上 部 扁 平 な 石 が あ る。 SA 01の す ぐ南 側 に は幅2,7m・ 深 さ0.5mの素

E315

1

N 180

N 170

22図

 

123‑4次発 掘遺構図

mm

v l l==========U===========

^ ︱ ︱側

掘 りの 東 西 溝 が あ り、木 簡43点、 軒 瓦 5点の ほ か 、 土 器 。木 製 品 が 多 量 に 出上 した。

SG 04は SA 01の 北

5mで

南 岸 とな る園 池 で あ る。 調 査 区 が 狭 い た め、 池 岸 は東 西方 向 の約 3

mの

み を検 出 し、 池 の規 模・ 形 状 は 明確 で は な い。 黒 色 粘 土 を 約40 cm掘 り下 げて 池 とす る。 斜 面 の 上 端 に約30 cm大の石 を一 列 に並 べ 、 そ の周 囲 は小 さ い河 原 石 を 黒色 粘 土 に は りつ け る よ う に お い て 岸 を つ くる。 埋 土 か ら 木 簡 1点、 軒 瓦 2点・ 土 器 類 が

出土 した。

遺 物 S D03出上 の木 簡 の主 要 な もの に は、「石 首 乙 山謹 解 申」

‑44‑

(4)

「 □ □ 十 二 箇 月 利 本 □ 弐 拾 □ □ □J「兵 衛 石 弟 山 乙 乙 乙 乙 」や 「 二 房・ 三 房 」な ど僧 房 関係 の もの な どが あ る。

土 器 類 は SD 03・ SG 04と も奈 良 時 代 後 半 の もので 占 め られ る。SG 04か らは墨!書 土 器 (須 恵 器 鉢A、 外 面 に「 壇 」、円面 硯 が あ る。SD 03出上 の木 製 品 に は墨 書「廣 石 」

:のあ る曲 物 、しゃも じのほか、棒1状製 品 、

くさ び形 製 品、建 築 部 材 な どが あ る。 第23図

 SG 04護

岸石組

ま とめ

 

今 回検 出 したSD 03及び SA 01・ SA 02は法 華 寺 と阿 弥 陀 浄 土 院 とを画 す る施 設 と思 わ れ る。SD 03と 第80次調 査 区 の北 端 で 検 出 した東 西 溝SD 845と の 間 は坪 境 小 路 の位 置 に あ た る。SA 01は柱 掘 形 が 大 き く、法 華 寺 の南 を画する塀 で あ る。 後 にSA 02に つ くりか え られ る。SG 04は 規 模・ 形 状 は不 明 で あ るが 、法華 寺 の南 西 隅 に あ る小 さ い池 で あ る。 今 回 の調 査 区 の 北 側 で お こな った第

95‑1次

調 査 で は池 岸 は検 出 して い な い こ とか ら、 南 北 幅 は約10mと な ろ う。

 

薬 師 寺 西 面 大 垣 の 調 査 (第

123‑18次

)

本 調 査 は (株)墨運 堂 に よる通 路 新 設 に伴 う事 前 調 査 で 、当該 地 は土 壇 状 高 ま り

Iのあ る竹 藪 が あ り、す ぐ南 で の発 掘 調 査 (第

118‑27次

)に よ って 、薬 師 寺 の西 面 大 垣 が 確 認 され て い る こ とか ら、 この 北 延 長 部 の検 出 が 予 測 され た。 高 ま りは 当 該 地 の南 端 で 南 北 約15mにわ た って 存 在 す るが 、 そ れ よ り北 は約

3mの

落 差 を も って 低 い平 坦 地 とな って お り、 この位 置 に は『 醍 醐 本 諸 寺 縁 起 集 』 所 収 「 薬 師 寺 縁 起 」 等 に み え る西 北 門 を想 定 す る こ とが で き る。

発 掘 調 査 に先 立 ち 、 周 辺 を含 め た24m×

30mの

範 囲 の 地 形 測 量 を行 い 、 縮 尺 百 分 の一 の地 形 図 を作 成 した。

高 ま り部 分 で14m×

5mの

東 西 に細 長 い発 掘 区 (Aト レ ンチ)、 平 端 部 で 条 間 小 路 との交 点 附 近 に

2m×

12mの南 北 に細 長 い発 掘 区 (Bト レンチ)を 設 定 した。

‑45‑

(5)

遺 構

 Aト

レ ンチ で 検 出 した遺 構 は、 南 北 大 垣SA 01と そ の 東 側 に と りつ く東 西 垣SA 02及び柱 穴 等 で あ る。SA 01は 、地 山 を削 出 して犬 行・ 築 地 本 体・側 溝

SD

03を 造 成 して い る。 これ が奈 良 時 代 の薬 師 寺 西 面 大 垣 、 即 ち「 薬 師 寺 縁 起 」 に み え る築 垣 に あ た る もの と考 え られ る。 築 地 本 体 基 底 部 幅 は約

2.4m(8尺

)で、 こ れ も上 記 記 録 と一 致 す る。 犬 行 は築 地 本 体 の東 側 で 約 15m、 西 側 で 約

lmの

幅 を もつ。 側 溝 はSA 01の 東 側 即 ち寺 地 内 に は な く、 西 側 に の み 存 在 す る。SD 03は 西 二 坊 大 路 東 側 溝 で あ って 、 深 さ約lm、 幅 は西 肩 を検 出で き なか った が

2m以

上で あ る。 東 側 犬 行 の東 に 中世 の上 器 を含 む焼 上 の堆 積 が あ り、 お そ ら く13〜 14世 紀 頃 SA 01が 焼 失 崩 壊 した もの と思 わ れ るが 、 そ の 直 後 に修 築 され て い る。 修 築 さ れ たSA 01は基 底 部 幅 約4mの上 塁 状 の もの で あ り、 同 時 にSA 02が造 られ て い る。

SA 02も 基 底 部 幅 約

4mの

土 塁 状 の もので あ る。柱穴 はSA 01心か ら約4.8m東の

SA

02下 に あ り、 奈 良 時 代 の もの と考 え られ るが 性 格 は不 明 で あ る。 このほか 、柱 穴

逗憩津上 凛 廠繭

│   │   │   │

│   │   │   │   │   │ 24図

 

123‑18次Aト

‑46‑―

レンチ発掘遺構・ 断面図

(6)

よ り時 代 の や や 下 る溝 状 遺 構 2条が あ るが これ も性 格 は不 明 で あ る。

Bト レ ンチ で 検 出 した遺 構 は、 東 西 溝SD 04、 8D06、 南 北 溝SD 05、 SD 07、 土 族 SK 08、 SK 09な どで あ る。SD 04と SD 05は トレ ンチ 中央 で 交 差 して お り、出土 遺 物 か ら奈 良 時 代 末 期 頃 の もの と考 え られ る。SD 06及び一 部 石 の 護 岸 を もつ SD 07 は、SD 04・ 05廃絶 後 に掘 削 され た もの で あ る。SK 09は 中世 、SK 08は近世 に掘 ら れ た もの で あ る。 小 穴 3は いず れ も中世 以 前 の もの と思 わ れ るが性 格 は 明 らかで は な い。

遺 物

 

瓦・ 土 器 と もに多 数 出上 した。 瓦 で は、

E型

式 1点 (以上 本 薬 師 寺 創 建 瓦)、

6304‑E

型 式 4点、 軒 平 瓦

6641‑G型

式 7点、

6641‑H

型 式4点、

6641‑1型

式 1点 (以上 本薬 師寺 創 建 瓦)、

6664‑O型

式 1点が あ る。土 器 に は、 13世 紀 末 か ら14世 紀 にか けて の瓦 器 が 多 く、 梵 字 を 記 した 墨書 土 器 1点が 含 ま れ て い る。

ま とめ

 

以 上 の発 掘 結 果 か ら次 の 四 点 を 指 適 す る こ とがで き る。

①南 北大垣 は構 築方 法及 び出土 瓦 か ら薬 師寺創 建 時 の築垣 と考 え られ る。

② 出土 瓦器 か ら13〜14世紀 に南 北大垣 が修 築 さ れ、 同時 に東側 に東 西垣 が附加 され た。 これ ら の垣 は、延賓 頃作 成 の『伽藍寺 中井 阿弥陀 山之 図 』等 にみ え る「 角 院」等 の子 院 に伴 うもので あ ろ う。

① 当該 発掘地域 は通称 「 カ ンノキヤマ」 と呼 ば れ て い る。 延賓 2年に編纂 され た『 薬 師寺濫傷 私 考 』 に は、寺 地 内 に「金 置 山」 と称 す る小 山 が あ って養 老2年に伽 藍 を当地 に移 した時、薬

軒 丸 瓦

6726‑B型

式 2点、6726‑

│   │   │   │   │

│   │   │

Y‑19620

25図 第 123‑18次 Bト レンチ発掘遺構図

‑47‑―

(7)

師 佛 像 を鋳 造 した との伝 承 を記 す 。 この金 置 山 が 当該 地 区 に あ た る と考 え られ る が 、 上 記 の伝 承 を裏 付 け る遺 構 は検 出 され な か った。

① 薬 師 寺 西 北 門 を確 認 す る こ と は で き なか った が 、 そ の推 定 地 附 近 の地 形・ 遺 構 等 か らな お存 在 の可 能 性 を残 して い る。 そ の位 置 お よ び規 模 に つ い て は今 後 の 課 題 とな ろ う。

 

薬 師 寄栖 院 跡 の 調 査 (第

123‑10次

)

本 調 査 は、 駐 車 場 建 設 予 定 地 の事 前 調 査 で あ る。 調 査 地 は、 現 在 の 薬 師 寺 伽 藍 の西側 で 、 西 院 推 定 地 で あ り、 西 面 大 垣 推 定 地 に接 して い る。 現 状 は水 田であ る。

調 査 は東 西14m、 南 北

6mの

トレ ンチ を 設 定 して 進 め た。

検 出 した遺 構 は、 建 物 基 壇・ 溝・ 井 戸・ 土 墳 な どで あ り、 い ず れ も中世 以 降 の もので 、奈 良 時 代 の遺 構 は検 出 され な か っ た。 床 土 直 下 に は、 ほ ぼ全 面 に焼 上 が 認 め られ 、 この地 域 が か つ て 火 災 に罹 った こ とを示 して い る。 焼 土 は と くに南 半 部 に い ち じる し く、 土 壊SK 08・ 09に は大 量 の焼 上 が 投 棄 されてい た。遺 構 の ほ と ん どが 焼 土 堆 積 上 面 で 検 出 した もの で あ り、焼 土 堆 積 下 で 検 出 した遺 構 はSB 01、

SD 02・ 10で あ る。SX 05は 直径 約

lmの

穴 を掘 り、 瓦 質 土 器 を枠 板 と して径 約60 cmに め ぐ ら して い る。 こ こか ら三 方 に満 が 延 びて お り、 北 に延 び るSD 06に は 竹

IY‑19,6望

│      │

26図

 

第123‑10次発掘遺構図

IY‑19.613

む鶏駕

‑48‑一

(8)

筒 が 遺 存 して お り、上 水 を導 い た もの と考 え られ る。SX 05はき わ め て 浅 い の で 井 戸 で は な く、 水 溜 め の施 設 と思 わ れ る。SX 12も 同様 の施 設 で あ るが 、枠 は縦 板 組 み で あ る。 これ に伴 な うSD 13に も竹 筒 が 遺 存 して い る。SB 01は川 原 石 を縁 に 組 ん だ 建 物 基 壇 で あ る。検 出 の状 況 は、 基 壇 外 装 とい うほ ど石 組 が 整 って は い な くて、 基 壇 土 は さ ほ ど固 くな く、ま た 瓦 片 も含 ま れて お り、軟 弱 な基 壇 のた め に乱 れ た もの とも考 え られ る。SD 10は、内 法 幅 約30 cmの川 原 石 組 の溝 で あ る。部 分的で

は あ るが 、石 組 が よ く残 って い る。埋 土 か ら鎌 倉 時 代 の上 器 片 が 多 く出上 して い る。

さて 、 本 調 査 地 は薬 師 寺 西 院 に あ た る。 伽 藍 の状 況 を描 い た「 薬 師 寺 絵 図 」「伽 藍 寺 中 斉 阿 弥 陀 山之 図 」「伽 藍 寺 中之 図 」 な ど は、 いず れ も江 戸 時 代 の絵 図 で あ る が 、 これ に よ って 西 院 の仏 堂 の位 置 が あ る程 度 わ か る。 今 回 の調 査 地 は、 寿 明 院 か ら弥勒 堂 に か けて の位 置 に相 当 す るが 、 建 物 遺 構 は基 壇 の ご く一 部 を検 出 した にす ぎ な か った の で 、 具 体 的 な状 況 を把 握 す る に は至 らな か った。 焼 土 に含 ま れ て い る瓦 類 、 土 器 類 は室 町 時 代 末 の もの で あ り、SD 10埋土 に 含 ま れ て い る 土 器 の年 代 とを合 わ せ て 考 え る と、 火 災 は放 火 に よ って 西 室 、 養 天 満 拝 殿 と ともに西 院 も焼 亡 した と『 薬 師 寺 年 記 』 に記 され る永 正

13(1516)年

の火 災 か 、西 院 の名 は あ げ られ て い な い が 、 五 条 か ら九 条 まで 悉 く放 火 され た と『 薬 師 寺 志 』 に記 す 亨 禄 元 年 (1529年)の兵 火 の いず れ か で あ ろ う。

 

西 大 寺 の 調 査

本 調 査 は史 跡 西 大 寺 境 内 で の護 摩 堂 移 転 地 の 事 前 調 査 で あ る。 当該 地 は本 堂 の 東 方 約

10mに

位 置 し、西 大 寺 倉1建以 前 の平 城 京 右 京 三 坊 々 間 路 に あ た り、 ま た 、 寺 蔵 の「 西 大 寺 々 中曼 泰羅 図 」 か らは鎌 倉 時 代 叡 尊 再 興 伽 藍 に お け る東 室 の遺 構 が 予 想 され た。 調 査 は南 北

7m。

東 西6.5mの トレ ンチを 設 定 した。

発 掘 の 結 果 、 中世 以 降 の 三 層 の遺 構 面 を確 認 した。 最 下 層 で は素 掘 りの 南 北 大 溝 1条を検 出 し、 地 表 下 約60 cmの地 山面 か ら掘 り込 ま れ て い た。この 溝 は上 幅3.5

m・ 底 幅 2.2m・ 深 さ1.Omの逆 台 形 断 面 を な し、 溝 底 か らは 中世 の磁 器 片 1点が 出上 した。

‑49‑―

(9)

南 北 溝 を 埋 め た て た 後 に、 全 面 的 に黄 褐 色 の 山砂 で厚 さ約20 cmの整 地 を行 な っ て い る。 この 上 面 で は南 北 2間分

(3.6m)の

柱 穴 と根 石 を検 出 した。 柱 間 は6尺

等 間 と狭 く、 方 位 は北 で 東 へ 約 17度 振 れ て い る。 中世 以 降近 世 にか けて の礎 石 建 ち建 物 の 一 部 と考 え られ る。

発 掘 区 北 側 で は さ らに この遺 構 を覆 って 灰 褐 砂 質 上 で 整 地 が行 な わ れ て い る。

上 面 で は焚 火 の跡 か と思 わ れ る焼 上 の詰 ま った浅 い窪 みや 、 根 石 1ケ所 を検 出 し た。 これ らの遺 構 は 、 さ らに近・ 現 代 の 瓦 片 が 多 数 混 った厚 さ10calほ どの 表 上 で 覆 わ れ て い る。

以 上 の よ うに、 発 掘 区 が 狭 い た め 当初 予想 され た奈 良 時 代 の条 坊 遺 構 や 中世 の

Y‑19,920

Y…19,914

東 室 遺 構 を確 認 す る こ とは で き な か った。 今 回 検 出 し た南 北 大 溝 は古 図 等 に よ っ て も知 られ て い な い遺 構 で あ り、 時 期 的 に は寺 の平 安 衰 退 か ら鎌 倉 復 興 の 間 に位 置付 け られ る可 能 性 が 考 え られ 、 西 大 寺 伽 藍 の変 遷 を 解 明 す る上 で 重 要 な手 が か

り とな る。

ま た 、 現 西 大 寺 南 門 の 西 方 約

30mの

所 で も発 掘 調 査 (第

123‑13次 )を

行 な っ た が 、 斜 行 溝 1条と円形 土 装 を検 出 した の み で 、 奈 良 時 代 の顕 著 な遺 構 は み られ な か った。

X‑145,254

X‑145,260

0      5m

27図

 

酉大寺護摩堂移転地発掘遺構 。断面図

‑50‑

(10)

 

法 起 寺 の 調 査

法 起 寺 収 蔵 庫 建 設 に伴 う事 前 調 査 で 、 奈 良 県 教 育 委 員 会 と奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 が 合 同 で 実 施 した。 調 査 地 は 、 石 田博 士 の復 原 に よ る講 堂 の西 、 北 回 廊 の 北 接 部 に 当 る。 飛 鳥 〜 奈 良 時 代 の遺 構 に は、S X 01、 S D 04・ 12・ 13、 S B 06・ 15があ る。

SB 06は掘 込 み 地 業 を 施 した建 物 基 壇 で 、 国 土 方 眼 北 に対 し北 で 西 に3度振 れ る。 地 業 は わ ず か しか 残 って い な い。SD 04は、北 で 西 に28度振 れ る石 敷 南 北 溝 で、

SB 06の掘 込 み地 業 に重 な る別 の掘 込 み 地 業 内 に、 底 石 の み 残 存 す る状 況 で 検 出 した。 聖 天 堂 西 側 で 検 出 した石 組 斜 行 溝 、 二 重 塔 の 南 で 検 出 した 石 組 溝 と方 向 が 一 致 す る。 掘 込 み 地 業 に伴 う こ とか ら礎 石 建 物 の 東 側 雨 落 溝 と考 え られ る。

SX

01は、SD 04と 関 連 す る版 築 上 下 で 検 出 した。SB 06に 関 連 す る遺 構 と思 わ れ る が 、性 格 不 明 で あ る。SD 12・ 13は、既 に昭 和36年の石 田博 士 の調 査 で 検 出 され た もの で 、 西 回 廊 の西 側 、北 回 廊 の 北 側 の 地 覆 抜 取 溝 に想 定 され た もの で あ る。

SB 15は、 掘 立 柱 の 建 物 ま た は塀 で あ ろ う。 本 調 査 で 、 時 代 は特 定 で き な か った が 、 2つの 基 壇 建 物 の 存 在 は を 明 らか にで き た こ とは大 き な 成 果 で あ った。

地業西肩

V 千302700

│卜

2印4000

X453,0670o

推定 講堂

推定 回廊       │

‑1

1        

28図

 

法起寺発掘遺構 図

       │

‑51‑

(11)

 

法 隆 寺 の 調 査

法 隆 寺 防 災 工 事 に伴 う調 査 を 昨 年 度 に 引続 き橿 原 考 古 学 研 究 所 と共 同 で 行 な っ た。 本 年 度 は、 西 院 を 中 心 と し、 昭 和 55年 6月 か ら昭 和 56年 3月 ま で 、 合 計 60ケ 所 。面 積 約 1000rを発 掘 した (第37図)。 発 掘 地 は 旧導 水 管 埋 設 箇 所 。埋 設 予 定 地 で あ るが 、 重 要 な遺 構 を検 出 した部 分 で は管 を迂 回 させ るた め に遺 構 の範 囲 確 認 調 査 を行 な っ た。 こ こで は、 顕 者 な遺 構 を確 認 した 西 室 周 辺 地 区 、 講 堂 東地区、

旧 回廊 地 区 及 び現 回 廊 基 壇 の 断 ち割 りの 成 果 に つ い て 報 告 す る。 な お 、8月 に南 面 大 垣 南 側 の 町 道 舗 装 工 事 に先 立 つ 事 前 調 査 も行 な った。 当 該 地 は若 草 伽 藍 の塔 基 壇 西 隅 に あ た って いた が 、後 世 の削 平 に よ り、遺 構 は検 出 され な か った。

西 室 地 区 (第29図)

西 回 廊 と現 西 室 に挟 ま れ た地 域 に は、 承 暦 年 間 に焼 失 した 当初 の西 室 が 存 在 し た と考 え られ て い る。 第 3ト レ ンチ で は、 東 西 溝 1条、 南 北 溝 J条、 瓦 敷 お よ び 瓦 列 、 礎 石 据 付 け穴 と思 わ れ る小 穴 、 瓦 器・ 瓦 を含 む大 土 羨 を検 出 した。 南 北 溝 SD 01は、 一 部 しか 残 存 して い な い が 、 両 岸 を石 で 護 岸 して い る。 幅 約60 cm、 深 さ約30 cm。 奈 良 時代 〜 平 安 時 代 の瓦・ 土 器 お よ び中世 の 瓦 器 が 少 量 出上 した。 東 西 溝SD 02は東 側 が 新 しい土 羨 で 壊 され てい た が 、SD 01と 接 続 す る もの と考 え ら れ る。 瓦 列SX 03は SD 01の 西 岸 か ら始 ま り、東 西 方 向 に配 して い る。ま たSD 01 の 西 約

3mの

地 点 に は、 南 北 方 向 の 瓦 列SD 04が あ る。SX 03・ SD 04は 丸 瓦 の 凸 面 を上 に順 次 玉 縁 に重 ね るよ うに組 ん で い る。SX 03と 類似 した遺 構 は、1聖霊 院 の 解 体 修 理 に伴 う発 掘 調 査 で も検 出 され て お り、基 壇 の上 留 め と考 え られ て い る。

SD 04は 丸 瓦 列 の下 に平 瓦 凹 面 を上 に して 組 んだ 瓦 列 が あ り、これ は排 水 施 設で あ る。SD 04は SD 02を埋 め た後 に設 け て い る。SX 03・ SD 04及び 周 辺 の瓦 敷 は後世 の 火 を 受 けて い る。SK 05は 小 礫 が 詰 ま った小 さ な穴 で 礎 石 据 付 け穴 の 可 能 性 が あ る。 これ に対 応 す る礎 石 据 付 け穴 を確 認 す るた め 、SK 05の西 約10mの地点 に第

6ト レ ンチ を設 け たが 、第 1ト レンチ の西 南 部 の 中世 の大 土城SK 06が ここまで 及 ん で お り検 出 で き な か った。第 5ト レンチ で は、SD 02の北

5mの

地 点 で 釣 の手 に 折 れ 曲 る溝 SD 07・ 08を検 出 した が性 格 は不 明 で あ る。

‑52‑

(12)

当 初 の 西 室 は『 法 隆 寺 別 当次 第 』 に よ れ ば承 暦 年 間 (1077〜 81年)に落 雷 の た め 北 頭 一 房 を残 し焼 失 し、

以 後 再 建 され な か った とあ る。 今 回 検 出 したSD 01、

SD 02、 SX 03、 SD 04 は焼 失 前 の西 室 に 関 連 す る遺 構 と想 定 され 、SD 010 02は基 壇 を 回 る溝 と考 え れ ば 、 今 回 は北 一 房 の一 部 を検 出 し た こ とに な る。SD 01、

 SX

│ 1卜

l Д 員

X‑154020

Y‑24,170

29図

 

西室地 区発掘遺構 図

'〔

n隠

 6

03の位 置 関 係 か ら焼 失 前 の西 室 は東 室 と対 称 の位 置 に配 され て い た事 が 明 らか に な った。 東 室 の規 模 は資 財 帳 記 載 の 四僧 房 の うち、 長 さ17丈 5尺の もの と一 致 す る こ とか ら、 西 室 も東 室 と さ ほ ど規 模 に差 が な い とす れ ば長 さ18丈 1尺の僧 房 を

当 て るの が 適 当 で は な いだ ろ うか。

講 堂 東 地 区 (第 30図)

講 堂 東 地 区 は 『 聖 徳 太 子 伝 私 記 (抄)』 で は、 「 次 三 面 僧 房 。 此 講 堂 之 東 浦 在 北 室 跡 。 石 居 少 々残 見 。 講 堂 同 時 焼 失 了 。 中昔 比 也 。 (以下 略)」 とあ り、 ま た、

昭 和 36年 の 台 風 で 松 が 倒 れ た 時 、 そ の根 本 に礎 石 の あ った こ とを確 認 して い る と こ ろか ら、 この地 域 に北 室 関 連 遺 構 の存 在 が 予想 され た。

第 7ト レ ンチ で は地 表 下 約30 cmで焼 上 を 混 え た瓦 層 に 当 り、 この 瓦 層 の下 で 北 室 に関 連 す る遺 構 を検 出 した。 検 出 した遺 構 は、 東 西 溝 1条・ 南 北 溝 1条、 掘 立 柱 塀

2条

で あ る。 南 北 溝SD 09、 東 西 溝SD 10は両 岸 を 瓦 と石 で 護 岸 され 、 残 りの 良 い部 分 で は幅 約 0.4m、 深 さ0。

2mで

互 い に接 続 す るが 、SD 09は さ らに北 に延 び

る。SA llは径 約10 cm程の 柱 根 を留 め 、柱 間 2.2mの 1間分 を検 出 した。SA llは

SD

10と方 位 を 揃 え る。SA 12は SA ll・ SD 10と は方 向 を異 に す る柱 列 で 2間分 を検

‑53‑

(13)

出 した。 建 物 の可 能 性 もあ る。 国 土 座 標 に対 す る方 位 の 振 れ は若 草 伽 藍 の振 れ に 近 い数 値 を 示 し、 西 院 伽 藍創 建 以 前 の可 能 性 が あ る。 以 前 確 認 され て い た礎 石 は 原 位 置 を保 って い ず 、 遺 構 との 関 わ りは わ か らな い。 礎 石 は方 形 で 上 面 は一 辺80 cmを 測 る。

SD 09° SD 10は建 物 基 壇 を 囲 る雨 落 溝 と考 え られ 、 位 置 的 に北 室 に伴 う もの で あ る可 能 性 が 強 い。 新 た に埋 設 す る導 水 管 が 北 室 の近 辺 に予 定 され て い るた め 、 北 室 の範 囲 を確 認 す る こ とが必 要 に な り、 第 9・ 11・ 14ト レ ンチ を 設 定 した。 第 9ト レ ンチで は南 の雨 落 溝SD 14、14ト レ ンチ で は東 の雨 落 溝と考えられる溝

SD

15を検 出 した 。これ らの溝 か ら北 室 の基 壇 規 模 を復 原 す れ ば 、東 西 35.4m、 南 北 12.4mと な る。 軒 の 出 を考 慮 す れ ば 、 資 財 帳 に長 さ 10丈 6尺、 幅 3丈 8尺と記 す 僧 房 に比 定 で き よ う。

講 堂 に と りつ く東 側 北 面 回 廊 を 断 ち割 った第28ト レ ンチ で は 、SD 09の延 長 部を 確 認 す る と と もに、SD 09の西 で 石 と瓦 で 護 岸 した南 北 溝SD 16を 焼 土 層 下 で 検 出 したが 性 格 は不 明 で あ る。 両 者 は方 位 を揃 え 、 溝 心 々で

2m離

れ た位 置 に あ る。

旧 北 面 回 廊 地 区 (第31図)

現 在 鐘 楼・ 経 蔵 を経 て 、大 講 堂 に とりつ く北 面 回 廊 は、当 初、 講 堂 の前 で 閉 じ る もの で あ った。 これ は 『 資 財 帳 』か ら推 定 で き、浅 野 清 氏 の調 査 で北 側 の雨落 溝 が検 出 され 、そ の実 在 が 証 明 され た。 旧導 水 管 が この 回 廊 の位 置 に 埋 設 され て い るた め、 今 回第10・ 18・ 19の 3ト レンチ を設 定 し、旧 回廊 位 置 の再 確 認 を 行 な った。

各 トレンチ とも に、後 世 の撹 乱 が い ち じる しく、基 壇 は す で に削 平 され て い た が 、 北 雨 落 溝SD 13を 検 出 した。 と くに第10ト レンチで は凝 灰 岩 北 側 石の一 部 を検 出し た 。 南 側 石 は、 わ ず か に痕 跡 を と どめ るの み で あ る。 溝 幅 は約0.5mを測 る。第18

19ト レンチで は凝 灰 岩 片 が み とめ られ た だけで あ る。南 雨 落 溝SD 19は第10ト レ ンチで 検 出 した。 幅 は1.3mであ る。 この結 果 か ら、基 壇 幅 約 6.5mの 規 模 に復 原 で き る。

19ト レンチ南 端 の上 羨SK 20か らは飛 鳥 時 代 か ら中世 に い た る瓦 が 多 量 に 出土 した。ま た第18ト レンチで は、平 安 時 代 の上 器 を 埋 納 したピットSX 21を 検 出 した。

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(14)

化は若 草 伽 藍 の 振 れ に 室認 され て い た礎 石 は よ方 形 で 上 面 は一 辺80

旬に北 室 に伴 う もの で 砕定 され て い るた め 、 ノンチ を設 定 した。 第 落 溝 と考 えられる溝

SD

ぎ、東 西 35,4m、 南 北 ミ、 幅 3丈 8尺 と記 す

0は、SD 09の延 長 部を )16を焼 土 層 下 で 検 出 n離れ た位 置 に あ る。

i初、 講 堂 の前 で 閉 じ の調 査 で北 側 の雨落 溝 )位置 に 埋 設 され て い 3の再 確 認 を 行 な った。

二削 平 され て い たが 、 北 側 石の一 部 を検 出し よ約 0.5mを測 る。第18 落 溝SD 19は第10ト レ 約 6.5mの 規 模 に復 原

い た る瓦 が 多 量 に 出土

,卜 SX 21を 検 出 した。

▲ 二 員

10m

30図

 

講堂東地区発掘遺構図

(15)

IY―烈 測 IY‑24,105

Y‑24,0851

x‑154, X‑154,015

31図

 

旧北面回廊地区発掘遺構図

現 回 廊 地 区 (第32図)

回廊 地 区 で は導 水 管 の通 る位 置 に

Hケ

所 の トレ ンチ を 設 定 した。 上 面 は各 トレ ンチ と もに、 大 正 修 理 の 際 の積 上 が み とめ られ る。 第23・ 25ト レ ンチ で は、 地 山 上 に版 築 が 約30 cmの厚 さで 行 な わ れ て い る。 第23ト レ ンチで は版 築 土 中 か ら、 平 安 時 代 初 期 の須 恵 器 甕 (第34図

)が

出土 した。 これ は、 この 頃 に基 壇 の部 分 的 な 改 修 が 行 な わ れ た こ とを 示 して い る。 回 廊 南 側 の 第26ト レ ンチ地 山高 は、 第23ト

レンチ の 地 山高 に比 し約

lm低

く、寺 造 営 に あ た り、 大 規 模 な切 上 が 行 な わ れ た こ とが わ か る。 第24ト レ ンチで は地 山 上 に原 堆 積 上 が あ り、 旧表 土 も認 め られ る。

そ の上 に約40 cmの厚 さで 整 地 を行 な った後 に、 版 築 が 約60 culの厚 さで 行 な わ れ て い る。 地 山面 ま で は、 現 回 廊 上 面 か ら約1.3mを測 る。回 廊 内外 の第22・29ト レ ンチで も地 山面 まで は同様 の深 さで あ る。 整 地 上 は両 トレンチで 認 め られ るが、

22ト レ ンチ で は 中世 に ほ とん どが 削 平 され る。 ま た、 第22ト レ ンチ で は、 現 基

8 ﹃

‑55‑

(16)

││     ││

 

版築土

 

 

 

整地土

H60.6mW

32図

 

現回廊地区発掘遺構断面図

壇 の下 で 当初 基 壇 の 地 覆 石 と考 え られ る凝 灰 岩 列 SX 22を検 出 した。北 面 回 廊 は 大 講 堂 と同 じ く地 山 削 り出 しの 基 壇 で あ る。 南 側 の第17ト レ ンチ の地 山 との差 は 約

lmあ

り、 こ こで も大 規 模 な切 上 が 行 な わ れ て い る こ とが わ か る。 第40ト レ ン

‑56‑―

(17)

チ で は、 地 山上 に焼 上 の堆 積 が あ り、 そ の上 に版 築 が行 な わ れ る。 版 築 土 内 に も 木 炭 が 混 入 して い ると 焼 土 層 か らは鉱 滓 が 出土 し、 西 面 回 廊 近 辺 で 金 属 製 品 が作

られ た こ とを示 して い る。

遺 物 (第33〜 36図)

今 回 の調 査 で 出上 した遺 物 の 年 代 は飛 鳥 時 代 か ら現 代 に い た る。 瓦 が そ の 大 半 を しめ 、 軒 瓦 イよ521点 (12月 末 日現在)にの ぼ り、 うち わ け は飛 鳥 時 代9点、 白鳳 時 代 156点 、 奈 良 時 代 11点 、 平 安 時 代 107点、中 。近 世 238 点 で あ る。 そ の他 、 鬼 瓦 、 隅木 蓋 瓦 、 鶏 尾 、 面 戸 瓦 な どの道 具 瓦 や 導 が 出土 した。 第 33図 1・2 は若 草 伽 藍 創 建 時 の軒 丸 瓦 で 、 回廊 内 の 上壊SK 20か ら 出土 し た。 3。 4は西 院 創 建 時 の組 み 合 わ せ で あ る。 ヘ ラ書 き の文 字 を記 した 簿 (第35図

)が

あ る。

「 貞 観 八 年 七 月 十 日請 醜□ 」 と 読 め る。 しか し「 醜 」 は異 体 字 に も見 られ ず 、 可 能 性 と して は、

醍・ 睡・ 贈 が 考 え られ 、 いず れ も酒 に か か わ る意 味 を もつ。 瓦 工 の戯 書 で あ ろ うか。 第 7ト レ

ンチ土 壊SK 13か ら出上 した。ま た 、 人 物 ま た は仏 像 の 右 肩を 凸

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33図

 

出 土 軒 瓦

(18)

面 にヘ ラ描 き した 平 瓦 が 第19ト レ ン チ土 壊 SK 20か ら出 上 した。 唐 草 文 様 を もつ 隅木蓋 瓦(第 36図)が 2点出土 。 中心 飾 りの あ る も の が第 3ト レ ンチ か ら、 三 角 形 のall

りを もつ 破 片 が 第 18ト レ ンチ か ら出 土 した。 両 者 を合 わ せ て復 原 す る と、

文 様 は 中心 飾 りか ら左 右 へ そ れ ぞ れ

4回反 転 す る均 整

忍 冬 唐 草 文 で 、2 種 のパ ル メ ッ トが 交 互 に表 現 され 、 幅36 cm。 長 さ42.6 cmに 復 原 で き る。

時 代 は文 様 の特 徴 か らみ て 、7世紀 末 葉 か ら8世紀 初 頭 で あ る。

34図

 

須 恵 器 甕

第35図

 

ヘ ラ描 き導

36図

 

隅 木 蓋 瓦

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