印度學佛敎學硏究第68巻第1号 令和元 年12月 (243) ― 306 ―
法眼文益の禅教観について
―『宗門十規論』を中心に―
空 慧(陳 菲)
はじめに
本論文では唐末五代の時代に活躍した法眼文益(885–958)が思想史にしめる位 置について,その禅教観を中心に考察する. 法眼は法眼宗の祖とされる禅僧であり,独自の視点から禅と教の関係について 論じるとともに,時代に先駆けて単層的な禅宗観を提示した.彼に関する先行研 究は数多くあるが,中唐から五代にかけての禅思想史の文脈からその特徴を分析 したものは管見の限りない.そこで拙論では,中唐の宗密(780–841)および五代 の延寿(904–976)と比較分析することで,法眼の思想的特徴を明らかにする. 宗密と延寿は法眼の前後にあって教と禅の関係を論じた禅僧であり,彼らとの 比較分析により法眼の思想的特徴を理解することができる.両者の思想について は既に柳2015の研究があり,宗密が教と禅を階層的に整理してその対応関係を 論じたのに対し,延寿は教と禅のすべてを同質と見る単層的な視座を構築したこ とを明らかにしている.ただし宗密と延寿の間に位置し,かつ延寿の師祖にあた る法眼については言及していない.法眼の思想史にしめる位置を見るためには, 宗密・延寿と法眼の思想を比較分析することが重要である. 以下,本論では先行硏究を踏まえて宗密・延寿の思想を確認したうえで,その 間に位置する法眼の思想を分析する.これにより中唐から五代にいたる禅思想の 発展の一端が明らかになるだろう.宗密の階層的な禅教観
宗密は中唐の僧侶で,神会を祖とする禅宗の一派荷沢宗の後裔を自任するとと もに,澄観のもとで華厳教学を学び,禅と教を展望する独自の視座を構築した. うち禅について宗密は「禅門には深浅の違いがあり,段階によって差がある」と 述べ,禅に深浅の差があることを示し,それを「外道禅」「凡夫禅」「小乗禅」「大(244) ― 305 ― 法眼文益の禅教観について(空 慧) 乗禅」「最上乗禅」の五層に分類する(『禅源諸 集都序』巻上1: T48.399b).その中 で,前四層が従来仏教の内外で行われていた禅であり,最後の「最上乗禅」は達 摩が中国に伝えたものである.宗密はいう,「達摩が伝えたものだけが,頓に仏 の体と一つになるものであり,他のものとはるかに異なる」(同上).つまり達摩 が伝えた「最上乗禅」こそが,仏の本体と頓に契合する最高のものなのである. ただし宗密は達磨が伝えた「最上乗禅」についても,その内部の深浅の差を論 じている.すなわち,浅から深に向かって三宗を立て,達摩の法系に列なる禅僧 を配する.これらはみな「最上乗禅」に属するものである.なお,この三宗の禅 は,同様に三種に階層化された教とそれぞれ対応させる形で説明される. 宗密が禅の三宗と教の三層の対応関係を論じる前提には,それらがともに諸仏 という同じ根源から発したものであるという理解があった.宗密はいう,「経は 是れ仏の語,禅は是れ仏の意,諸仏の心と口と必ず相違せず」(『禅源諸 集都序』 巻上1: T48.400b).つまり宗密は教と禅が同じ諸仏という根源から発したと見るこ とで,両者に同等の重要性を認めるとともに,それぞれを三層に分類し対応関係 を論じる階層的な禅教観を確立したのである.
延寿の単層的な禅教観
宗密の階層的な禅教観を換骨奪胎し,単層的な独自の視座を確立したのが五代 の延寿である.当時破仏と戦乱により中国全土の仏教が甚大な被害を受けるな か,延寿は例外的に小康状態を保った南方の呉越国において,仏教全体を等しく 見る独自の仏教理解を提示した.それは宗密が堅持していた階層的な分類は行わ ず,一切の教と禅をともに能 に一括するものであった(柳2015, 83–100). 能 とは所 と対になる概念であり,説示するものと,説示される対象を指す. 延寿によれば禅と教は,いずれも「一心」という同一の所 を説示する能 であ る.延寿はいう,「祖師の言葉であれ,仏の教説であれ,あらゆる文字と文章, 理・智・行はみないずれも真如一心を指し示している」(『宗鏡録』巻93: T48.921b). つまり禅・教のみならず一切はみな,真理の一心を等しく説示する同じ能 だと いうのである. 延寿が能 に包摂するものは仏教のみに留まらず,儒教や道教など思想一般を も等しく収めている.延寿は言う,「孔子と老子との二教は,諸子百家九流のよ うに,法界に含まれている.それはちょうど百川が最後に大海に戻るようなもの だ」(『宗鏡録』巻33: T48.608b).無数の川がみな大海に帰一するように,儒教や道(245) ― 304 ― 法眼文益の禅教観について(空 慧) 教,諸子百家など諸々の教えはすべて真理に帰一するのだという.このように延 寿は真理たる一心を所 とし,仏教の教・禅のみならず思想の全てを等しく能 に収めるのである.
法眼の禅教観と先駆的な禅宗観
唐末五代に活躍した法眼は禅僧であったが,経論を単純に斥けるようなことは しなかった.その著作『宗門十規論』において法眼は,禅と教の関係について以 下のように論じている. 凡欲揚宗乘,援引教法,須是先明仏意,次契祖心,然後可挙而行,……従来記憶言辞,盡是 数他珍宝,始信此門奇特乃是教外別伝.(『宗門十規論』「不通教典乱有引証第八」:X63.38b) 法眼は禅宗の宣揚と教法の援用にあたり,仏祖(仏と禅宗歴代祖師)の真意を見 抜く必要があるとしている.つまり法眼にとって禅と教はともに行われるべきも のであるが,その重点はあくまで禅に置かれている.もし禅に参ぜず教のみを学 ぶのであれば,それは他人の宝を数える愚を犯しているのだという. その著『宗門十規論』は,宗門すなわち禅宗について論じたものであるため, 教に対する言及は必ずしも多く無く,諸々の経典について階層的に捉えていたの か単層的に見ていたのかは分からない.ただし禅内部の諸家については,それら を等しく見る見方を記している.以下のようにある. 論曰: 祖師西來,非為有法可伝,以至于此,但直指人心,見性成仏,豈有門風可尚者哉. 然後代宗師建化有殊,遂相㳂革,……,不原真際,竟出多岐,矛盾相攻,緇白不辨.嗚呼, 殊不知大道無方,法流同味.(『宗門十規論』「党護門風不通議論第二」:X63.37a) これは法眼が当時の禅宗諸派について言及したものであって,後に定着した 「五家」という禅宗の分類法の原型となったものである(石井1989, 173).法眼は 千々に分かれて言い争う当時の禅宗界を嘆き,彼らは「大道無方,法流同味」, 大いなる真理には限りがなく,法の流れは同じであることを知らないのだと述べ ている.つまり法眼によれば,禅宗が諸派に分かれ様々な接化の手段が成立した とはいえ,それぞれが継承する真理は無分節,無限定の絶対的なものであり,そ れを等しく継承する法の流れは同味なのである.この「法流同味」という法眼の 見方は,先行する宗密にはなく,後に続く延寿の先駆となるものであった.法眼 は,教に対する禅の優位性を認める一方で,禅について諸派の並存を認めつつ,(246) ― 303 ― 法眼文益の禅教観について(空 慧) それらがみな同味であるとしている.この禅宗諸派を等しく見る単層的な禅宗観 は,後にその法孫の延寿が提示した単層的な見方の先駆だと言えよう,ただし法 眼が平等視するのはあくまで禅宗内部の諸派のみであって,教と禅の関係につい ては優劣を認める古い理解に立っていた点には注意を要する.それに対し延寿 は,教と禅のみならず儒道二教や諸子百家など思想一般をも平等に見る点で,そ の単層的な見方がより広範囲に適応されているといえるだろう.