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駒澤大學佛教學部研究紀要 67 - 001石井 修道「『説心説性』『自証三昧』考」

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Academic year: 2021

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全文

(1)

﹃説心説性﹄

﹃自証三昧﹄考

石 

井 

修 

一 

は 

じ 

め 

  大慧宗杲(一〇八八―一一六三) を 批判した道元の著作に『説心説性』 と 『自証三昧』の二巻がある こ とはよく知ら れて いる。その説示は共に吉峰寺 で あり、年次の記載に寛元元年 と 寛元二年の一年の差があるが、恐らく両書成立は半 年の差 と 思 われ 、そ れぞれ の 奥書は次のようになっ て いる。     『説心説性』    爾時寛元元年癸卯、在于日本国越州吉田県吉峰寺示衆     『自証三昧』    爾時寛元二年甲辰二月二十九日、在于越宇吉峰精舎示衆   七十五巻本 『正法眼蔵』 で は 、四十二 と 六十九の配列 で 、両書が本論 で 検討 す る ように 、大慧宗杲批判の内容 で あるが故に 、共に二十八巻本に編集さ れて いる 。秋田県の宗務所 ・禅 センター主催の祖録に親し む の 講義におい て 、 二〇〇五年五月三十日に 『自証三昧』 を、二〇〇八年六月二十六 ・ 二十七日に 『説心説性』 を 読 み終えたの で 、 こ こ に 道元の大慧宗杲批判の問題 を 中心に両書の試訳 を 付 し て 検討したものが本論 で ある。   大慧宗杲につい て は 、私は多く を 論じ てき たし (1) 、伝につい て は その基本になる『大慧年譜』につい て も 、補正の必要 性は認めるが 、 「大慧普覚禅師年譜の研究 (上) (中) (下 ) 」 ( 『駒澤大 学 仏 教 学 部研究紀要』第三七号 ・第三八号 ・第 四〇号、一九七九年三月~一九八二年三月) で 発表し て いる。 ここで は 道元の大慧伝の論 を 進 めるに当たっ て ま ず簡単 な略年譜 を 取りあえず掲げ て お こ う 。 駒澤大學佛敎學部 硏 究紀 第六十七號   平 成二十一年三月

(2)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二   大慧宗杲略年譜 元祐三年 (一〇八八)   真歇清了、四川省綿陽県に生ま れ る 。 ( 一歳) 元祐四年 (一〇八九) 大慧宗杲、安徽省寧国県に生ま れ る 。 ( 一歳) 元祐六年 (一〇九一)   宏智正覚、山西省隰州に生ま れ る 。 ( 一歳) 大観元年 (一一〇七) 大慧、湖北省郢州大陽山に て 曹 洞宗の教義を学ぶ。 (一九歳) 大観三年 (一一〇九) 大慧、江西省隆興府泐潭宝峰寺に て 湛 堂文準に参ず。 (二一歳) 政和五年 (一一一五) 七月二二日、湛堂文準示寂 す 。 (五五歳) 宣和七年 (一一二五) 大慧、東京の天寧万寿寺の圜悟の下 で 大 悟 す 。 (三七歳) 建炎二年 (一一二八) 大慧、江西省南康 軍 雲居真如院に圜悟 を 尋 ねる。 (四〇歳) 建炎四年 (一一三〇)   真歇清了、福州雪峰山崇聖寺に住 す 。 (四三歳) 紹興四年 (一一三四) 大慧、江西省より福州へ行 き 、 黙照邪禅の攻撃 を 開始し、看話禅 を 大 成 す る。 (四六歳) 紹興七年 (一一三七) 大慧、浙江省臨安府径山能仁寺に住 す 。 (四九歳) 紹興一一年 (一一四一) 大慧、 張九成 と 交り、 「神臂弓事件」 により秦桧の怒り を かい湖南省衡州へ流罪 となる。 (五三歳) 紹興二〇年 (一一五〇) 大慧、流罪地 を 衡 州から広東省梅州へ移さ れ る 。 (六二歳) 紹興二五年 (一一五五) 一〇月二二日、秦桧没 す 。 (六六歳) 紹興二六年 (一一五六) 大慧、 罪 を 許さ れて 復僧し、 宏智正覚の薦め で 浙 江省慶元府阿育王山広利寺に住 す 。 (六八歳) 紹興二七年 (一一五七) 一〇月八日、宏智正覚示寂し、大慧宗杲が喪礼 を 司る。 紹興二八年 (一一五八) 大慧、径山に再住 す 。 (七〇歳) 紹興二九年 (一一五九) 大慧、即位前の孝宗より使者の黄彦節 を 遣 わ さ れ 、般若 を挙揚させられ る 。 紹興三二年 (一一六二) 大慧、孝宗より大慧禅師の号 を 賜る。 (七四歳) 隆興元年 (一一六三) 八月一〇日、大慧示寂 す 。諡 を 普 覚 と 賜り、塔 を 宝 光 と 名づけられ る 。 (七五歳) 乾道八年 (一一七二) 『大慧禅師語録』三〇巻の入蔵 を 許 さ れ る。

(3)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 三   こ の略年譜は分かり やす いように作成したもの で あ るが 、 『自証三昧』には道元がま と めた大慧伝が存在し 、その基 づく資料は次の (イ) 『大慧普覚禅師宗門武庫』 〈比較の都合上、 一部問答 を 五段に分け て ○内に数 を 入 れ る 〉 と (ロ) 「大 慧普覚禅師塔銘」の合糅 で ある。     (イ) 『大慧普覚禅師宗門武庫』   宣州明寂珵禅師、 遍見前輩尊宿、 如 瑯 溪 ・ 雪 竇 ・ 天衣、 皆承事請法。出世嗣興教坦和尚。坦嗣瑯 溪 。後遷太平州瑞竹、 退居西堂。師初遊方従之、請益雪竇拈古頌古。珵令看因縁。皆要自見自説不仮其言語。師洞達先聖之微旨。程嘗称 於衆曰 、 「杲必再来人也」 。復遊郢州大陽 、見元首座 ・洞山微和尚 ・堅首座 。微在芙蓉会中首衆 。堅為侍者十余年 。 師周旋三公座下甚久、 尽得曹洞宗旨。受授之際皆臂香、 以表不妄付授。師自惟曰、 「禅有伝授、 豈仏祖自証自悟之法」 。 棄之。   ①依湛堂。一日湛堂問曰、 「爾鼻孔因什麼今日無半辺」 。対曰、 「宝峰門下」 。湛堂曰、 「杜撰禅和」 。②又一日、於 粧十王処。問曰、 「此官人姓什麼」 。対曰、 「姓梁」 。湛堂以手自摸頭曰、 「争奈姓梁底少箇幞頭」 。対曰、 「雖無幞頭、 鼻孔髣髴」 。湛堂曰、 「杜撰禅和」 。③又看経次、問曰、 「看什麼経」 。対曰、 「金剛経」 。曰、 「是法平等無有高下。為 什麼雲居山高、宝峰山低」 。対曰、 「是法平等無有高下」 。堂曰、 「爾做得箇座主」 、使下。④一日問曰、 「杲上座、我 這裏禅、 爾一時理会得。教爾説也説得、 教爾做拈古頌古小参普説、 爾也做得。祇是有一件事未在。爾還知麼」 。対曰、 「甚麼事」 。湛堂曰 、 「 爾祇欠這一解在 。 繁 。若爾不得這一解 、我方丈与爾説時便有禅 、纔出方丈便無了 。惺惺思量 時便有禅、 纔睡著便無了。若如此、 如何敵得生死」 。対曰、 「正是某疑処」 。⑤後湛堂疾亟。問曰、 「和尚若不起此疾、 教某依附誰、 可以了此大事」 。曰、 「有箇勤巴子、 我亦不識他。爾若見之、 必能成就此事。若見他了不得、 便修行去。 後世出来参禅 」 。 〈 『自証三昧』は②③の順序が入 れ 替 わ っ て い る〉 (大正巻四七―九五三ab)     (ロ) 『大慧語録』巻六「大慧普覚禅師塔銘」   見勤于天寧。一日勤陞堂。師豁然神悟、以語勤。勤曰、 「未也。子雖有得矣、而大法故未明」 。又一日、勤挙演和 尚有句無句語。師言下得大安楽法。勤拊掌曰、 「始知吾不汝欺耶」 。 (大正巻四七―八三六c)   大慧には『大慧年譜』が存在 す る こ とを 前述したが、現存のもの は修訂さ れ た ことが知られて いる。そ れ 故 に道元の 参照したものは、 杜撰な『大慧年譜』 で は なかったか と い われ た こ とがある (2) 。しかし、 その説の妥当性はほ と ん ど 無く、

(4)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 四 道元が合糅によっ て 引用資料 を 作 成 す る こ とは、 別 にも見られ る ことで あ っ て (3) 、 比較検討の結果から『自証三昧』は『宗 門武庫』 と 「塔銘」 を 合 糅し て 引用したもの と 断 定し て よいの で ある。 こ の引用 を 巡 っ て 最大の問題は、道元が大慧 を 批判 す るのに都合のよいように圜悟の語 を 改変した文が存在 す る こ とで ある。   (ロ)の引用箇所は、後の私の『自証三昧』の分類 で は 十六段に相当 す る が、次のようになっ て いる。   宗杲因湛堂之嘱、 而湛堂順寂後、 参圜悟禅師於京師之天寧。圜悟一日陞堂、 宗杲有神悟、 以悟告呈圜悟。悟曰、 「未 也、 子雖如是、 而大法故未明」 。又一日圜悟上堂、 挙五祖演和尚有句無句語。宗杲聞而言下得大安楽法。又呈解圜悟。 圜悟笑曰、 「吾不欺汝耶」 。   圜悟が大慧に言った最後の文は、 「始知吾不汝欺耶」 となっ て いた。道元は 「吾不欺汝耶」 と し 、「始知」 を 外した上 で 、「汝 欺」 を 「欺汝」の語順 と した。後に紹介 す る『大慧語録』の「如今方知道、 我不謾爾」 や 『普燈録』の「始知吾不汝欺」 から見 て 、 「始知」 を 外した ことは大いに問題 で あ る 。外した上 で 両 文は同じ意味 となる で あろうか 。原典は大安楽法 を 得た大慧に 、圜悟が手 を 打 っ て 喜び 、 「 わ た しが君 を 欺い て は いなかった ことがや っ と 判った」 と 言 っ て 大慧 を 認 め て いるの で ある。道元はその意味 を 大慧が大安楽の法 を 圜悟に差し出したの を 、 圜悟は皮肉か、 冷 や や か な笑いにし て 、 「 わ たしは君 を 欺 かない で い れ ようか( わ た しは君に本当に言うとで も 思っ て いるのか) 」の反語にし て しまったの で あ る。   そ れ を 承 け て 、道元は十七段 を 次のように続けるの で ある。   これ 宗杲禅師、の ち に圜悟に参ずる因縁なり。圜悟の会にし て 書記に充 す 。しかあ れども、前後いまだあらたな る得処みえず。みづから普説陞堂の ときも得処 を 挙せず 。しるべし、記録者は「神悟」せる と い ひ 、 「得大安楽法」 と 記 せり と い へ ど も、させる こ となきなり。おもくおもふことなか れ 、たゞ参 学 の 生なり。   ところ で 大慧伝は こ こ に 記 す ような状況なの で あろうか。大慧の大悟の機縁は、道元が確実に読んだ『大慧語録』巻 一七にも次のようにある。   後来在京師天寧、見老和尚陞堂。 「挙。僧問雲門、 『如何是諸仏出身処』 。門曰、 『東山水上行』 。若是天寧即不然、 如何是諸仏出身処。 薫風自南来、 殿閣生微涼」 。 向 這裏忽然前後際断。 譬如一綟乱絲将刀一截截断相似。 当時通身汗出。 〈圜悟の語は唐の柳公権の詩〉

(5)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 五   一般に言 われ る大慧の大悟経験 で ある。も ち ろん『大慧年譜』にも引用さ れて はいるが、道元が『大慧年譜』 を み た か ど うかは不明 で ある。 これが伝記上におい て 完 全な大悟 と 認 められなかったの で あ るが、先につづい て 次のように述 べ て いる。 ここで 老 漢 と は大慧 を 指 す 。   一日因問老和尚 、 「見説 、和尚当時在五祖 、曾問這箇話 。不知五祖和尚如何答」 。和尚不肯説 。老漢曰 、 「 和尚当 時不可独自問 、須対大衆前問 。如今説又何妨」 。老和尚乃曰 、 「我問 、 『有句無句如藤倚樹時如何』 。祖曰 、 『描也描 不成、 画也画不就』 。又問、 『忽遇樹倒藤枯時如何』 。祖曰、 『相随来也』 」 。 老漢纔聞挙、 便理会得。乃曰、 「某会也」 。 老和尚曰、 「只恐爾透公案未得」 。老漢曰、 「請和尚挙」 。老和尚遂連挙一絡索 袋 訛公案、被我三転両転截断。如箇太 平無事時得路便行更無滞礙。老和尚曰、 「如今方知道、我不謾爾」 。 (大正巻四七―八八三ab)   ここで も 圜悟が大慧 を 認めた ことが知られ るの で ある。もし『大慧語録』巻一七が見落 と さ れ た と し て も、道元が確 実に読んだ『嘉泰普燈録 ( 4 ) 』巻一五の大慧宗杲章は次のようになっ て いるの で ある。   師至天寧 、値悟陞堂 。 「挙 。僧問雲門 、 『如何是諸仏出身処』 。門曰 、 『東山水上行』 。若是天寧即不然 。如何是諸 仏出身処。熏風自南来、 殿閣生微涼」 。師聞豁然神悟。踰月、 悟謂曰、 「也不易你到這田地。只是可惜你死了不能活。 又却不疑言句是為大病。不見道、 『懸崖撒手、 自肯承当、 絶後再 門 、 欺君不得』 。須信有這箇道理」 。延為択木堂侍者。 日同士大夫入室至数次〈択木乃朝士止息処〉 。悟毎挙有句無句如藤倚樹問之。師擬対。悟曰、 「不是」 。経半載、 問曰、 「聞和尚当時在五祖曾問這話。不知五祖如何答」 。悟俛首。師曰、 「 和尚当時対人天大衆問之。如今説亦何妨」 。悟不 得已謂曰、 「我問、 『有句無句如藤倚樹時如何』 。祖曰、 『描也描不成、画也画不就』 。 『忽遇樹倒藤枯時如何』 。祖曰、 『相随来也』 」 。 師於言下去尽知見。悟曰、 「始知吾不汝欺」 。遂命掌翰墨、著臨済正宗記付之。未幾、令分座。 (続蔵 巻一三七―一一三右上下)   こ の ように大慧の大悟は知られて い たはず で ある。今日 で は 『臨済正宗記』 ( 『 禅門諸祖師偈頌』巻二所収)の奥書ま で知 る こ と が で き る 。   宗杲首座、 生平游叢席、 徧 見大有道之士十余年、 軒昂騰踏、 不 可羈縻。曾於渚宮、 与無尽公投契。公雅重其器度、 毎祝之、応須見仏果。宣和中、会被旨、領天寧。渠即先一日入堂已、而造室中、発語果異常。因関無党後話及、乃 知其為曇晦。経夏撃揚、縁升座挙諸仏出身処、薫風自南来、即大瞥地。自爾命之於方丈側。晨夕与煅煉、以白雲老

(6)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 六 師昔示有句、 渠尽伎倆、 百種開展、 悉与列下。幾乎以為心行移換、 初無実地。因至誠語之。昔仏鑑与予正起如是謗。 但更絶意探賾、当不較多、後来驀然猛省、尽脱去機籌、知見玄妙。因謂渠云、 「正好参禅也」 。即踊躍向前従頭一加 箴錐、始浩然大徹。予不喜得人、但喜此正法眼蔵有覰得透徹底、可以起臨済正宗。遂於稠衆指出、令分座訓徒。久 之会都下擾攘、 相与謀出汴、 臨分書此、 以作別。間年余、 乃自平江虎丘、 得得上欧阜再集。主山之次日、 入首座寮。 合山数百衲聳動 、屡作師子吼 。掲示室中金捲栗蓬大鉗鍵 、本色久参之流 、靡不欽服 。而徳性愈恬穏 、洪無諍之風 。 怗怗不較勝負、只欲入 深 山幽谷、斅古老火種刀耕、向钁頭辺、収拾攻苦食淡兄弟、木飧澗飲、艸衣茅舎、避世俟時 清平 。即不廃悲願 。真大丈夫 、慷慨英霊 、奇傑之人 、所跂歩也 。因再為細書 、仍作此跋云 。建炎三年 (一一二九) 四月十七日、住雲居山圜悟禅師。 (続蔵巻一一六―四七一左下~二右上)   師の圜悟が大慧の力量 を 認め、いかに期待し て いたか を 知 る こ とが でき るの で ある。 ここ に道元の『自証三昧』の意 図的改変 を 認める ことが で き よ う。   更に 『説心説性』の大慧批判にも 『大慧語録』が十分に読み込ま れて いた ことを 指摘し て お き た い 。 『説心説性』の 第六段は次のようになっ て いる。   爾時初祖謂二祖曰、 「汝但外息諸縁、内心無喘、心如牆壁、可以入道」 。二祖種 々 説心説性、倶不証契。一日忽然 省得。果白初祖曰、 「弟子此回始息諸縁也」 。初祖知其已悟、 更不窮詰、 只曰、 「莫成断滅否」 。二祖曰、 「無」 。初祖曰、 「子作麼生」 。二祖曰、 「了 々 常知、故言之不可及」 。初祖曰、 「此乃従上諸仏諸祖所伝心体。汝今既得、善自護持」 。   こ の 出典は次の『景徳伝燈録』巻三の菩提達磨章だろうと 考 えられ 、またそのように考えられてき た経過がある (5) 。   別記云。師初居少林寺九年、 為二祖説法。祇教曰、 「外息諸縁、 内心無喘、 心 如牆壁、 可以入道」 。慧可種種説心性理、 道未契。 師祇遮其非、 不 為説無念心体。 慧可曰、 「我已息諸縁」 。 師 曰、 「莫不成断滅去否」 。 可曰、 「不成断滅」 。 師 曰、 「何 以験之云不断滅」 。可曰、 「了了常知、 故言之不可及」 。師曰、 「此是諸仏所伝心体。更勿疑也」 。 (禅文化本三三頁下)   ところが『大慧語録』巻二七(=『大慧書』 「 答劉宝 学 」 )にも同話の引用があり、次のようになっ て い る。   昔達磨謂二祖曰 、 「 汝但外息諸縁 、 内心無喘 、心如牆壁 、可以入道」 。二祖種種説心説性 、倶不契 。一日忽然 省得達磨所示要門。遽白達磨曰、 「弟子此回始息諸縁也」 。 達磨知其已悟、 更不窮 詰。只曰、 「莫成断滅去否」 。曰、 「無」 。達磨曰、 「子作麼生」 。曰、 「了了常知、 故言之不可及」 。達磨曰、 「此乃従上諸仏諸祖所伝心体。汝今既得、

(7)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 七 更勿疑也」 。 (大正巻四七―九二五b)   これらの比較から明らかなよう に、また、 『正法眼蔵』の「説心説性」の題名から考え て も、 『伝燈録』の「慧可種種 説心性理」より『大慧語録』の「二祖種種説心説性」が引用に ふ さ わ し い こ とは一目瞭然 で あ ろう。 こ の こ とを 最初に 指摘したのは、曹洞宗総合研究 センター宗 学 研究部門の出典研究の時の金子宗元氏 で ある。 こ の こと から展開 す る問題 は再 び後に と りあ げる こととしよ う 。   ここで は 『説心説性』 と 『自証三昧』 を 道 元が撰述 す る 時に、大慧宗杲の批判 を 展 開 す るに当たっ て 、十分な意図 と 周到な準備がなさ れて いた ことを 指摘し て お き たい。そ こで まず両巻の試訳 をここで 示 す こと にしよう。

二 

試訳﹃説心説性﹄

  『説心説性』の構成は十六段 と した。 (下段の数は岩波文庫本(二)の頁数) (一) 神山・洞山の説心説性問答 四一七頁 (二) 説心説性は仏道の大本 四一八頁 (三) 仏祖の功徳は説心説性 で あ る 四一八頁 (四) 大慧宗杲の説心説性説 四一九頁 (五) 仏祖の説心説性説 四二〇頁 (六) 『大慧語録』巻二七の達磨・慧可問答 四二一頁 (七) 達磨・慧可問答の誤釈例 四二三頁 (八) 誤釈の理由 四二三頁 (九) 大慧宗杲の説心説性説は正しく誤り 四二五頁 (十) 洞山・神山の説心説性問答 四二五頁   (十一) 有の人の説心説性 と 無の人の説心説性 四二六頁

(8)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 八 (十二) 神山僧密の問い 四二八頁 (十三) 問 わ れて 、もうす ぐ死ぬ こと 確実 とは 四二八頁 (十四) 誰と は 四二九頁 (十五) 死中得活 とは 四二九頁 (十六) 説心説性は七仏祖師の要機 四三〇頁 正法眼蔵第四十二   説心説性 (一)神山僧密禅師 (6) 、 与洞山悟本大師 (7) 行次、 悟本大師、 指傍院曰、 「裏面有人説心説性」 。僧密師伯曰、 「是誰」 。悟本大師曰、 「被師伯一問、直得去死十分」 。僧密師伯曰、 「説心説性底誰」 。悟本大師曰、 「死中得活」 。   〈神山僧密禅師、 洞山悟本大師 と 行く次 おり 、 悟本大師、 傍院 を 指 し て 曰く、 「裏面に人有り て 説心説性 す 」 。僧密師伯曰く、 「是 れ 誰 た そ」 。悟本大師曰く 、 「師伯に一問せられて、直に去死十分なる ことを 得たり」 。僧密師伯曰く 、 「説心説性底 は誰 た そ」 。悟本大師曰く、 「死中に活 を 得たり」 。 〉 [訳]正法眼蔵第四十二   説心説性   神山僧密禅師が洞山悟本大師 と 歩い て い る時の こ とで ある 。悟本大師が傍らの塔院 を 指 し て 言った 、 「 こ の中に人が い て 、説心説性し て い ま す 」 。 僧密師伯が聞いた、 「そ れは誰 で す か 」 。悟本大師が答えた、 「師伯に質問さ れて 、もうす ぐ死ぬ こと 確実 となりました」 。僧密師伯が聞いた、 「説心説性 す る 者は誰 で す か 」 。悟本大師が答えた、 「死んだまま で 息 を ふき かえしました」 。 (二)説心説性は仏道の大本なり 、 こ れ より仏 々 祖 々を 現成 せし む る なり 。説心説性にあらざれば 、転妙法輪 す る こと なし、発心修行 す る ことなし。大地有情同時成道 (8) す る ことなし、一切衆生無仏性 (9) す る ことなし。拈花瞬目は説心説性な

(9)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 九 り、破顔微笑 ) 10 ( は説心説性なり、礼拝依位而立 ) 11 ( は説心説性なり、祖師入梁 ) 12 ( は説心説性なり、夜半伝衣 ) 13 ( は説心説性なり。拈 拄 しゅじょう 杖 こ れ 説心説性なり、横払子 これ 説心説性なり。 [訳]説心説性は仏道の大本 で あ る 。 そ こ から仏 々 祖 々 を 目の前に顕現させるの で ある 。説心説性 で な ければ 、 釈尊が すばらしい教えを 説く こともないし、発心修行 す る こともないの で ある。大地 と 衆 生が同時に仏道 を 完 成 す る こ ともな いし、一切衆生が無の仏性なる ことはないの で ある。釈尊が花 を 取り上げ目 を ま ばた き したのは説心説性 で あり、摩訶 迦葉がにっ こ り微笑したのは説心説性 で あり、二祖慧可が菩提達磨の前 で 礼拝し て 後に元の場所に戻っ て 立ったのは説 心説性 で あり、祖師の菩提達磨が梁の国に入ったのは説心説性 で あり、夜半に五祖弘忍が六祖慧能へ伝衣したのは説心 説性 で ある。拄杖 を 取り上げ て 説法 す る のは説心説性 で あり、払子 を 横 たえ て 説 法 す るのは説心説性 で ある。 ( 三 ) おほよそ仏 々 祖 々 の あらゆる功徳は、 ことごと く こ れ 説心説性なり。平常 ) 14 ( の説心説性あり、牆壁瓦礫 ) 15 ( の説心説性 あり。いは ゆる心生種 々法生の道理現成 し 、 心滅種 々法滅 ) 16 ( の道理現成 す る、 しかしながら心の説なる時節なり、 性の説 なる時節なり。しかあるに、心 を 通 ぜず、性に達せざる庸流、くらくし て 説心説性 を し らず、談玄談妙 を し らず、仏祖 の道にあるべからざる と い ふ 、あるべからざる と を し ふ 。説心説性 を 説心説性 と し らざるにより て 、説心説性 を 説心説 性 と おもふなり。 これこと に大道の通塞 を 批 判せざるにより て な り。 [訳]そもそも 、 仏 々 祖 々 の す べ て の善業 を 積み重ね て 得られ た 力 ( 功徳)は 、 こ とごと く説心説性 で あ る 。南泉普願 が平常心是道 と い う説心説性があり、南陽慧忠が牆壁瓦礫 と い う説心説性がある。つまり、心が生 すれば種 々 法 が生ず る と いう道理が目の前に顕現し、心が滅 すれば種 々 法 が滅 す る と い う道理が目の前に顕現 す る の で ある、 すな わち 、心 が説 で あるあり方 で あり、性が説 で あるあり方なの で ある。しかし、心に通ぜず、性に達しない凡庸の連中は、おろか で 説心説性 を 知 らず、談玄談妙 を 知 らずに、仏祖の言葉 で はありえない と 言い、ありえない と 教え て いる。説心説性 を 説心説性 と 知 らないから、説心説性の言葉 を 説心説性 と 思 っ て いる。 これは全く大道が通ずるか塞がるか を はっ き り し ないから で ある。

(10)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一〇 (四)後来、 径山大慧禅師宗杲 ) 17 ( と い ふ あ り て いはく、 「いまの ともがら、 説心説性 をこ のみ、 談玄談妙 をこ の む により て 、 得道おそし。但まさに心性 ふ た つながらなげすてき たり、玄妙 ともに忘じき たり て 、二相不生の とき 、証契 す る なり」 。   こ の道取 、いまだ仏祖の 藉 けんしょう 苙 を し らず 、仏祖の列辟 をき かざるなり 。 これ により て、心は ひと へに慮知念覚なり と しり て 、慮知念覚も心なる ことを学せざるにより て 、かくのごと くい ふ 。 性は澄湛寂静 ) 18 ( なる と のみ妄計し て 、仏性法性 の有無 を し らず、如是性 を ゆめにもいまだみざるにより て 、しかのごと く仏法 を 辟 見せるなり。仏祖の道取 す る 心は皮 肉骨髄 ) 19 ( なり、 仏祖の保任せる性は竹篦拄杖なり。仏祖の証契 す る 玄は露柱燈籠なり、 仏祖の挙拈 す る 妙は知見解会 ) 20 ( なり。 [訳]後に径山大慧禅師宗杲 と いう者がい て 言うには、 「いまの 連中は、説心説性 を 好み、談玄談妙 を 好 む か ら、悟りに 到達 す る のが遅いの で ある。まさに心 と 性 とを 共に投げ捨 て 、 玄 と 妙 と 共に忘 れて 、二つの相が生じない時に、悟りに 契うの で ある」 。   こ の説示は、いまだ仏祖の書物 を 知 らず、仏祖の説法 を 聞 かないの で ある。 こ の こと から、心は専 ら慮知念覚 で ある と 知 り て 、慮知念覚も心 で あ る こ とを学ばないから、 こ のように言うの で ある。性は清らか で 静 か で ある と のみ間違っ て 考 え、仏性 や 法性の有 と 無 とを 知らず、真実のありよう(如是性) を 夢 にもいまだ見ないから、 こ のように仏法 を 片 寄っ てとらえるの で ある。仏祖が説く心は皮肉骨髄 で あり、仏祖がしっかり とらえる性は竹篦拄杖なの で ある。仏祖が 悟りに契う玄は露柱燈籠 で あり、仏祖が取り上げる妙は知見解会なの で ある。 (五)仏祖の真実に仏祖なるは、はじめより こ の心性 を 聴取し、説取し、行取し、証取 す る なり。 こ の玄妙 を 保任取し、 参 学 取 す るなり。かくのごと くなる を 学 仏祖の児孫 と い ふ 。しかの ごと くにあらざれば学 道にあらず。 こ のゆゑに得道 の得道せず、不得道の とき 不得道ならざるなり。得不の時節、 と もに蹉過 す る なり。た とひ なん ぢ が い ふ がごと く、心 性 ふ たつながら亡ずと い ふ は 、心の説あらし む る 分なり 、百千万億分の少分なり 。玄妙 ともになげすてき たる と い ふ、 談玄の談ならし む る分なり。 こ の関 かん 棙 れい 子 す を学せず、おろかに亡ずと いはば、手 を はなれ ん ずる と お も ひ 、身にのがれ ぬ る と し れ り。いまだ小乗の局量 を 解 脱せざるなり、いか で か大乗の奥玄におよばん、いかにいはん や 向上の関棙子 を し らん や 。仏祖の茶飯 を 喫 し き た れ る と い ひ がたし。

(11)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一一   参師勤恪 す る は、たゞ説心説性 を 身心の正当恁麼時に体究 す る なり、身先身後に参究 す る なり。さらに二三の ことな るこ と な し 。 [訳]仏祖の中の真実の仏祖は 、 はじめより こ の 心 と 性 と を 聴 き 切 り 、 説 き 切り 、行じ切り 、証り切るの で あ る 。 こ の 玄 と 妙 と を しっかり とらえ切り、参 学 し切るの で ある。 こ の よう で あるの を 仏 祖 を 学ぶ児孫 と 言うの で ある。そう で な ければ学 道 で はないの で ある。 こ の こと から得道が 真に得道 とならず、不得道の場合が不得道 とならないの で ある。得 道か不得道かのあり方が、 と もに間違っ て し まうの で ある。た と いお前(宗杲)がいうように、心も性も共に亡く すと いうのは、心が説かしめ て いるあり方 で あり、百千万億のあり方の わ ず かなあり方なの で ある。お前が、玄 と 妙 と 共に 投げ捨 て る と いうのは 、玄 と 談 じさせるあり方なの で ある 。 こ の大本の鍵 を学ばず 、おろかにも亡く すと いうならば 、 手から離 れ る で あ ろうと 思い、身から逃げ て しまった と 考 え て いる ことが判る。いまだ小乗の限られ た考えから解放さ れて いないの で あり、まし て 大乗の奥 深 い教えに及ぶ ことがあろうか、まし て その上の大本の鍵 を 知 ろうか。仏祖の茶 飯 を 食べ てき た と は言い難いの で ある。   師につい て 道に努め慎 む の は、ただ説心説性 を 身 心がズバ リこ の時に体 で 究める ことで あり、身の現前 す る前からも 後からも参究 す る ことで ある。二も無く三も無く、絶対に こ の 一事なの で ある。 (六)爾時初祖謂二祖曰 ) 21 ( 、「汝但外息諸縁、 内心無喘、 心如牆壁、 可以入道」 。二祖種 々 説心説性、 倶不証契。一日忽然省得。 果白初祖曰、 「弟子此回始息諸縁也」 。初祖知其已悟、 更不窮詰、 只曰、 「莫成断滅否」 。二祖曰、 「無」 。初祖曰、 「子作麼生」 。 二祖曰、 「了 々 常知、故言之不可及」 。初祖曰、 「此乃従上諸仏諸祖、所伝心体。汝今既得、善自護持」 。   〈爾の時に初祖、二祖に謂つ て 曰く、 「汝但だ外 そと 諸縁 を 息め、内心に喘 あえ ぐ こ と 無く、心牆壁の如くにし て 、 以 て 道に 入るべし」 。二祖種 々 に説心説性 すれども、倶に証契せず。一日忽然 と し て 省 得 す 。果 は たし て 初祖に白し て 曰く、 「弟 子此回始め て 諸 縁 を 息めたり」 。初祖其の已に悟りたり と 知 り て 、 更に窮詰せず、 只 だ曰く、 「断滅 と 成 る こ と 莫 し や 」 。 二祖曰く、 「無 いな なり」 。初祖曰く、 「子作麼生」 。二祖曰く、 「了 々と し て 常に知る、 故に言も及ぶべからず」 。初祖曰く、 「此 れ 乃 ち 従上の諸仏諸祖、所伝の心体なり。汝今既に得たり、善く自ら護持 すべし」 。 〉

(12)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一二 [訳]その時、初祖菩提達磨は、二祖慧可に言った、 「君はただ外の諸の対象に振り回さ れ る ことなく、内の心が乱 れ る ことなく 、心 を 牆壁のように すれば 、道に入る ことが で き る 」 。二祖は種 々 に説心説性したけれども 、全く悟りに契 わ なかった。   一日 、パッ と 悟 る と ころがあった 。その ことを 初祖に申し上げた 、 「 わ たくしは こ の度 、始め て 諸の対象に振り回さ れ る ことが無くなりました」 。   初祖は二祖がすで に悟った と 知 っ て 、全く問い詰める ことをせずに 、ただ 、 「 こ ころが断滅 す る こ とはないか」 とだ け言った。   二祖は申し上げた、 「 ございません」 。   初祖は言った、 「 ど のように」 。   二祖は申し上げた「はっ き り と 常に知っ て い ま す 、そ れ 故にそ れを 言葉 で い えません」 。  初祖は言った、 「 こ の こ と は こ れ ま で の諸仏諸祖が、伝えられ た心のありよう で ある。君は今、獲得した以上は、よくよく自ら護持しなさい」 。 (七) こ の 因縁 、疑著 す る ものあり 、挙拈 す るあり 。二祖の初祖に参侍せし因縁のなかの一因縁 、かくのごと し 。二祖 し き りに説心説性 す るに、 はじめは相契せず。 や うや く積功累徳し て 、 つ ひ に初祖の道 を 得道し き 。庸愚おもふらくは、 二祖はじめに説心説性せし ときは証契せず、その とが、説心説性 す るにあり。の ち に は説心説性 をすてて 証契せり と お もへり。 「心如牆壁、可以入道」の道 を 参 徹せざるにより て 、かくのごと くい ふなり。 これこと に 学 道の区別にくらし。 [訳] こ の 因縁につい て、疑う者がい て 、取り上げ て いる 。二祖が初祖に参じた因縁の中の一つの因縁 と は 、 こ の よう に理解 すべきで ある。二祖はし き りに説心説性したが、はじめはピタリと 契 わ なかった。 やが て 修 行 を 積み重ね て 、そ の結果、初祖の言葉 を 体得 す る ことが で き た。凡人 や 愚 かな 者が思うには、二祖ははじめに説心説性した時は契 わ なか ったのは 、その過 ち は 、説心説性したからで ある 。後には説心説性 す る の を 捨 て て 契ったもの と 思 っ て いる 。 「 心 を 牆 壁のように すれば、道に入る ことが で き る(心如牆壁、可以入道) 」の言葉 を 考え切 れ ずに、 こ のように言うの で ある。 これは全く 学 道の見極めに暗いから で ある。

(13)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一三 (八)ゆゑいかん となれば 、菩提心 を お こ し 、仏道修行におもむ くの ち よ りは 、難行 ) 22 ( をねん ご ろにお こ な ふ とき 、お こ なふと い へ ど も、百行に一当なし。しかあ れども、或従知識、或従経巻 ) 23 ( し て 、 や うや くあたる ことをうるなり。いまの 一当はむ かしの百不当の ち か らなり、百不当の一老なり。聞教・修道・得証、みなかくのごと し。 き の ふ の説心説性は 百不当なり と い へ ど も、 き の ふ の説心説性の百不当、た ち ま ち に今日の一当なり。行仏道の初心の とき 、未練にし て 通 達せざればとて 、仏道 をすてて 余道 を へ て 仏 道 を うる ことなし。仏道修行の始終に達せざる ともがら、 こ の通塞の道理 なる ことを あ きらめがたし。   仏道は、 初発心の ときも仏道なり、 成正覚の ときも仏道なり、 初中後 ともに仏道なり。た と へ ば、 万里 を ゆ くものの、 一歩も千里のう ち なり、 千 歩も千里のう ち なり。初一歩 と 千 歩 と ことなれども、 千里のおなじきがごと し。しかある を 、 至愚の ともがらはおもふらく 、 「 学 仏道の時は仏道にいたらず 、果上の とき のみ仏道なり」 と 。挙道説道 を し らず 、挙 道行道 を し らず、挙道証道 を し らざるにより て かくのごと し。迷人のみ仏道修行し て 大 悟 す と学 し て 、不迷の人も仏道 修行し て 大 悟 ) 24 ( すと しらずき かざる と もがら、 かくのごと くい ふなり。証契よりさ き の説心説性は、 仏道なり と い へ ど も、 説心説性し て 証 契 す るなり。証契は迷者のはじめ て 大悟 す る を のみ証契 と い ふと 参 学 すべからず。迷者も大悟し、悟者 も大悟し、不悟者も大悟し、不迷者も大悟し、証契者も証契 す るなり。 [訳]なぜか と 言うと 、菩提心 を 発し、仏道修行に努め て か らは、困難な修行 を 念入りに行持 す る 時、行持し て い て も 、 百の内に一つも真実にぴたり と 一 致 す る こ とはない。そう で あっ て も 、ある時は優 れ た指導者に従い、ある時は経巻に 従っ て 、 そ こ で 始 め て 真実に一致 す る ことが で き る の で ある。 こ の今の真実への一致は過去の百の一致しなかった行持 の力によるの で あり、百の一致しなかった一つの一致への善業 を 積み重ね て 得られ た 力なの で ある。教えを 聞 き ・道 を 修め ・証 を 得るのは 、 すべ てこ のようなの で ある 。昨日の説心説性は百の内に一つも真実にぴたり と 一致しなく とも 、 突然に今日の説心説性の一つの真実への一致 となるの で ある。仏道 を 行 じ て いる初心の時に、未だ修行が不足 で あ っ て 到達しないからと 言っ て 、仏道修行 を 捨 てて 余の道 を 経験した と し て も 仏道 を 得 る こ とはないの で ある。仏道修行の始 め と 終りに到達しない連中は、 こ の適っ て いるか、適っ て い ないかの道理 を 明 らめる こ とは難しいの で ある。   仏道 とは、初発心の時も仏道 で あり、正覚 を 完 成した時も仏道なの で あり、初めも途中も後もすべ て が 仏道なの で あ

(14)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一四 る。た とえば、万里の道 を 歩 ん で も、一歩も千里の内 で あり、千歩も千里の内なの で ある。初めの一歩 と 千 歩 と は異な っ て い て も、 千里の道の内 で は同じ で あるようなもの で ある。 そ れ にもかか わらず、 愚かな連中が次のように思っ て いる、 「仏道 を学 ん で いる間は仏道に到達し て お らず、 仏 果 を 得た時のみが仏道 で ある」 と 。 道 を もっ て 道 を 説 く こ とを 知らず、 道 を もっ て 道 を 修 行 す る こ とを 知らず、道 を もっ て 仏 道 を 証 す る こ とを 知らないからこ の ようなの で ある。迷える人の みが仏道修行 を し て 大 悟 す る と 学 ん で 、迷っ て い ない人も仏道修行 を し て 大 悟 す る と 言う ことを 知 らないし聞かない連 中が、 こ のように言うの で ある。証りに契う以前の説心説性は、同じく仏道 で あ る と 言っ て も 、説心説性し て 以 後も証 りに契うの で ある。証りに契う こ とは迷っ て いる者がはじめ て 大悟 す る のだけを 証りに契うと 言うのだと 参 学 し て は な らない。迷える者も大悟し、悟 れ る 者も大悟し、悟らざる者 も大悟し、迷 わ ざ る者も大悟し、証りに契う者も証りに契 うの で ある。 ( 九 ) しかあ れば、説心説性は仏道の正直なり。杲公 こ の道理に達せず、説心説性 すべからずと い ふ 、仏法の道理にあ らず。いまの大宋国には、杲公におよ べ る も な し 。 [訳]そう で あ れ ば 、説心説性は仏道の正しく直 す ぐに真実にかなっ て いるの で あ る 。大慧宗杲公は こ の道理に達しな い で 、説心説性し て は ならない と 言 っ て いる、 これは仏法の道理 で は ない。今の大宋国には、その大慧宗杲公に及ぶも のもいないの で ある。 (十)高祖悟本大師 、 ひと り諸祖のなかの尊と し て、説心説性の説心説性なる道理に通達せり 。いまだ通達せざる諸方 の祖師、いまの因縁のごと くなる道取なし。   いはゆる僧密師伯 と 大師 と 行次に、傍院 を さ し て いはく、 「裏面有人説心説性」 。   こ の道取は、高祖出世より こ のかた、法孫かならず祖風 を 正伝 せり、余門の夢にも見聞せる と ころにあらず。いはん や 夢 にも領覧の方 を しらん や 。たゞ嫡嗣たるもの正伝せり。 こ の道理 もし正伝せざらんは、 いか で か仏道に達本ならん。 いはゆるいまの道理は、或裏或面、有人人有、説心説性なり。面裏心説、面裏性説なり。

(15)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一五   これを 参 究功夫 す べし。性にあらざる説いまに なし、説にあらざる心いまだあらず。   [訳]高祖悟本大師洞山良价は、 ひ と り諸祖の中の尊い祖師 と し て 、説心説性が説心説性 で ある道理に到達し て いる。 いまだ到達し て い ない諸方の祖師は、 こ の取り上げた因縁のような言葉はないの で ある。   その言葉 と は神山僧密師伯 と 洞山大師 と 歩い て い る時に 、傍院 を 指 し て 言った 、 「 こ の中に人がい て、説心説性し て いま す 」 。   こ の 言葉は、洞山高祖が住持説法し て 以来、法孫は必ず祖師の禅風 を 正伝し て おり、余門の人 々は夢にも見聞したも の で はないの で ある。まし て 夢 にも体得 す る 方法 を 知 ろうか。ただ嫡嗣 で あるものが正伝し て いるの で ある。 こ の道理 がもしも正伝しなかったならば、 どうし て 仏道の根本に達 す る こ と に なろうか。つまり、今の道理は、中 で あっ て も 正 面 で あっ て も 、有る と い う人 で も 人が有っ て も 、説心説性なの で ある。正面 で も 中 で も心が説 き 、正面 で も 中 で も性が 説くの で ある。   こ の ことを 参 究功夫 す べきで ある。性 で な い説は今にないし、説 で な い心はいまだにないの で ある。 (十一)仏性 と い ふは ) 25 ( 一切の説なり 。無仏性 と い ふは一切の説なり 。仏性の性なる ことを 参 学すと い ふとも 、有仏性 を 参 学 せざらんは学 道にあらず、無仏性 を 参 学せざらんは参 学 にあらず。説の性なる ことを 参 学す る、 これ 仏祖の嫡孫な り。性は説なる ことを 信 受 す る、 これ 嫡孫の仏祖なり。   心は疎動し 、性は恬静なり ) 26 ( と 道 取 す るは外道の見なり 。性は澄湛にし て 、相は遷移 す る と 道取 す る は外道の見なり 。 仏道の 学 心 学 性しかあらず。仏道の行心行性は外道に ひと しからず。仏道の明心明性は外道その分あるべからず。   仏道には有人の説心説性あり、無人の説心説性あり。有人の不説心不説性あり、無人の不説心不説性あり。説心未説 心、説性未説性あり。無人の とき の説心 を学せざれば、説心未到田地なり。有人の とき の説心 を学せざれば、説心未到 田地なり。説心無人 を学 し、無人説心 を学 し、説心是人 を学 し、是人説心 を学す る なり。   臨済の道取 す る尽力は わ づかに無位真人なり と い へ ど も、 有位真人 を い まだ道取せず ) 27 ( 。の これ る参 学 、 の こ れ る道取、 いまだ現成せず、未到参徹地 と い ふべし。説心説性は説仏説祖なるがゆゑに、耳処に相見し、眼処に相見 すべし。

(16)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一六 [訳] 仏性 と 言 うのは一切の説 で ある。 無の仏性 と 言 うのは一切の説 で ある。 仏性が性 で あ る こ とを 参 学 した と 言 っ て も、 有の仏性 を 参 学 し なければ仏道 を学ぶ こ と に はならないし、無の仏性 を 参 学 し なければ仏道 を学ぶ こ と に はならないの で ある。説は性 で あ る こ とを 参 学 す る のが、仏祖の嫡孫なの で ある。性は説 で あ る こ とを 信受 す る のが、嫡孫の仏祖な の で ある。   心はあらあらしく動 き 、 性は ひ っそり と 静 か で ある と 言 うのは外道の見解 で ある。性は澄み き っ て 静まりかえり、相 は遷り変 わ っ て い る と 言うのは外道の見解 で ある。仏道 で 心 と学び性 と学ぶ場合はそう で は ない。仏道 で 心 を 修行し性 を 修 行 す るのは外道 と 同じ で は ない。仏道 で 心 を 明 らかにし性 を 明 らかに す るのは外道 で はその資格はない。   仏道 で は 有の人の説心説性があり、無の人の説心説性があるの で ある。有の人が心 と 説 かない こ とと 性 と 説かない こ ととがあり、無の人が心 と 説 かない こ とと 性 と 説かない こととがあるの で ある。また、心 と 説 き 未 だ心 と 説 かない こ と と 、 性 と 説 き 未だ性 と 説かない ことがあるの で ある。無の人の時の心 と 説く ことを学ばなければ、心 と 説く ことは未だ その境界に到っ て い ないの で ある。有の人の時の心 と 説く ことを学ばなければ、心 と 説く ことは未だその境界に到っ て いないの で ある。心 と 説く無の人 を学び、無の人の心 と 説 く こ とを学び、心 と 説く是 ぜ の人 を学び、是の人の心 と 説 く こ とを学ぶの で ある。   臨済が言う全 て の 力は わ ず かに無位の真人 とは言っ て も 、有位の真人 を い まだ言っ て は いない。残った参 学 、残った 言葉は、いまだ目の前に顕現し て は いないし、未だ参じ切った ところに到達し て はいない と 言 わ ね ばならない。説心説 性は仏 と 説 き 祖 と 説くから、耳根の処 で 聞 い て も相見し、眼根の処 で 見 て も 相見しなければならない。 (十二) ち な みに僧密師伯いはく、 「是誰」 。   こ の道取 を 現 成せし む るに 、僧密師伯さ き に も こ の道取に乗ずべし 、 の ち にも こ の道取に乗ずべし 。 「是誰」は那裏 の説心説性なり。しかあ れば、 「是誰」 と 道 取せられ ん と き 、「是誰」 と 思量取せられ ん ときは、 すなは ち 説心説性なり。 こ の説心説性は、余方の と もがら、かつ て し らざる と ころなり。子 をわすれて 賊 とす るゆゑに、賊 を 認 じ て 子 と す る な り ) 28 ( 。

(17)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一七 [訳]洞山の語に対し て 神山僧密師伯は言った、 「そ れは誰 で す か 」 。   こ の 言葉 を 目の前に顕現させる と 、 僧密師伯は先にも こ の 言葉 を 語 るべきで あり、 後にも こ の言葉 を 語るべきで ある。 「そ れは誰 で す か 」 と は 、 あ ち ら (那裏)の説心説性 で あ る 。 そう で あ れば 、 「 そ れ は誰 です か」 と 言った時 、 「そ れは 誰 で す か 」 と 思量さ れ た 時は、説心説性なの で ある。 こ の説心説性は、他の地方の連中は、いまだかつ て 知らない とこ ろなの で ある。子 を 見 忘 れ て 賊 と 思い込 む か ら、賊 を 子 と す っかり認め て し まうの で ある。 (十三)大師いはく、 「 被師伯一問、直得去死十分」 。   こ の 道 を き く 参 学 の庸流おほくおもふ 、「説心説性 す る有人の、 是誰 と い はれて 、 直得去死十分なるべし。そのゆゑは、 是誰の ことば、 対面不相識なり、 全 無所見なるがゆゑに死句なる べし」 。 かならずしもしかにはあらず。 こ の説心説性は、 徹者ま れ なりぬべし。十分の去死は一二分の去死にあらず、 こ のゆゑに去死の十分なり。被問の正当恁麼時、た れ か こ れを 遮天蓋地にあらずとせん。照古也際断なるべし、照今也際断 なるべし。照来也際断なるべし、照正当恁麼時也際断 なる べし。 [訳]悟本大師が答えた、 「師伯に質問さ れて 、もうす ぐ死ぬ こと 確実 となりました」 。   こ の 言葉 を 聞く参 学 の凡庸な連中が多く思うのは、 「説心説性 す るある人がい て 、 『そ れは誰か』 と 問 われ たから、も うす ぐ死ぬ こと 確実 となっ て しまった と い う こ と に違いない 、 と 。なぜならば 、 『 そ れ は誰か』の問いは 、対面しなが ら互いに面識がないし 、全く見られ る こ とが無いから死句 (分別句)に ち が いない 、 と 」 。必ずしもそう で はない 。 こ の説心説性に、 徹した者はめったにいないに違いない。十分に死ぬ ことと い う こ とは、 一二分に死ぬ ことで は ないから、 死ぬ ことと い う こ とが十分なの で ある。問 われ た正にその時、誰が天 を 遮り地 を 蓋い隠 すもの で はない と しようか、天 地いっぱいなの で ある。古 を 照 らすも一瞬に切断さ れ 、 今 を 照らすも一瞬に切断さ れ るに違いない。照し来るのも一瞬 に切断さ れ 、 照 す 正にその時も一瞬に切断さ れ るに違いないの で ある。 (十四)僧密師伯いはく、 「説心説性底誰」 。

(18)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一八   さ き の「是誰」 と いまの是誰 と 、その名は張三なり と も、その人は李四なり ) 29 ( 。 [訳]僧密師伯が聞いた、 「説心説性 す る 者は誰 で す か 」 。   先の 「そ れは誰か」 とここで 言う 「そ れは誰か」 とは 、その 「誰」 と い う名は普通の張三 で あ っ て も 、 「その人」は 普通の一人一人の李四なの で ある。 (十五)大師いはく、 「死中得活」 。   こ の 「死中」 は、 「直得去死」 を 直 指 す と お も ひ 、「説心説性底」 を 直指し て 「是誰」 とは、 み だりに道取 す るにあらず。 「 是 誰」は説心説性の有人 を 差 排 す 、かならず十分の去死 を 万 期せずと い ふ と 参 学す る こ と ありぬべし。大師道の「死中得 活」は、 「有人説心説性」の声色現前なり。またさらに十分の去死のなかの一両分 なるべし。活はた とひ 全活なり とも、 死の変じ て 活 と 現ずるにあらず。得活の頭正尾正に脱落なるのみなり。   おほよそ仏道祖道には、かくのごと くの説心説性あり て 参 究せらる ゝ な り。又且の ときは十分の死 を 死 し て 、得活の 活計 を 現 成 す るなり。 [訳]悟本大師が答えた、 「死んだまま で 息 を ふき かえしました」 。   こ の「死んだまま」は、 「もうす ぐ死ぬ こと 確実」 を ズ バ リ 指 す と 思い、 「説心説性 す る人」 を ズ バ リ 指し て 「 そ れ は 誰か」 と 言 うのは 、 わけもなく言うの で は ない 。 「 そ れ は誰か」は 、説心説性 す る有る人 を 指摘し 、必ず十分に死ぬ こ とを 万 々 に期待し て い ない と 言 う こ とだと 参 学す る こ とがあるに ち が いない。悟本大師の言葉の「死んだまま息 をふき かえした」は 、 「有る人が説心説性 す る」の声色 と し て の具体的なあらわれ 方 なの で あ る 。またその上の十分に死ぬ こ と の中の一二分の死に ち が いない 。 「息 をふき か えす 」 こ とはた と い完全な息の ふき かえし で あっ て も 、死が変化し て 息 を ふき かえすことが現 わ れ る の で はない。息 をふき か えす 始めから終 わ りにいたる解脱だけなの で ある。   そもそも仏祖の言葉には 、 こ の ような説心説性がある と 参究さ れ る の で ある 。そのうえの時は十分の死 を 死に切り 、 息 を ふき かえす 生 活 を 目の前に顕現 す る の で ある。

(19)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 一九 (十六)しるべし、 唐代より今日にいたるま で 、 説心説性の仏道なる ことを あ きらめず、 教行証の説心説性にくらくし て 、 胡説乱道 す る可憐憫者おほし。身先身後に す く ふべし。為道 すらくは、説心説性は こ れ 七仏祖師の要機なり。   正法眼蔵第四十二 爾時寛元元年癸卯、在于日本国越州吉田県吉峰寺示衆 [訳] こ の こと から知らねばならない、 唐代から今日に至るま で に 、 説心説性が仏道 で ある ことを 明 らかにせず、 教 ・ 行 ・ 証の説心説性 を 知 らずに、 で た らめに言っ て いる憐 れむべき 者が 多い。 こ の 身 を 受ける先も こ の身 を 受 ける後にも救 わ ねばならない。そ れらを 導くには、説心説性は七仏祖師の要機 で あ る と 言う ことで ある。   正法眼蔵第四十二 その時寛元元年癸卯(一二四三) 、日本国越州吉田県吉峰寺に て 示 衆 す 。

三 

試訳﹃自証三昧﹄

  自証三昧の構成は二十三段 と した。 (下段の数は岩波文庫本(三)の頁数) (一) 仏祖の三昧 とは 三八五頁 (二) 或従知識の時 三八六頁 (三) 或従経巻の時 三八六頁   (四) 従うべき 経巻と は 三八七頁 (五) 従うとは自己に従う こ と 三八八頁 (六) 自証自悟の道具 三八九頁 (七) 仏法祖道 と 自 己 三九一頁 (八) 自覚 と 覚 他 三九一頁 (九) 自他 を 脱 落 す 三九二頁  

(20)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二〇 (十) 自他 を 体 達 す 三九三頁 (十一) 自証の語の誤解 三九三頁 (十二) 大慧宗杲の伝記―出家 と 曹 洞宗への参 学 三九四頁 (十三) 大慧は湛堂文準に認められず 三九五頁 (十四) 大慧の自証自悟は成立しない 三九九頁 (十五) 大慧の門下も真実人はいない 四〇〇頁 (十六) 大慧の圜悟に参ずる因縁 四〇〇頁 (十七) 大慧の「塔銘」は誤り 四〇一頁 (十八) 大慧の師の圜悟禅師は古仏 四〇二頁 (十九) 大慧は大法 を 明らめず 四〇二頁 (二十) 道微 と 文準の大慧の評価は誤り で は ない 四〇三頁 (二十一) 真の仏祖の児孫 と は 四〇四頁 (二十二) 嗣書正伝は青原系統のみ 四〇四頁 (二十三) 真の自証 とは 四〇五頁 正法眼蔵第六十九   自証三昧 ) 30 ( (一)諸仏七仏より 、仏 々 祖 々 の正伝 す る ところ 、 すなは ち 修証三昧 ) 31 ( なり 。いはゆる或従知識 、或従経巻なり 。 こ れは これ 仏祖の眼睛なり。 こ のゆゑに、    曹渓古仏、問僧云、 「還仮修証也無」 。僧云、 「修証不無、染汚即不得 ) 32 ( 」 。    〈曹渓古仏、僧に問う て 云く、 「還 は た修証 を 仮 る や 」 。僧云く、 「修証は無 き に あらず、染汚 す る ことは即 ち 得 ず」 。 〉   しかあ ればしるべし、不染汚の修証、 これ 仏祖なり。仏祖三昧の霹靂風雷なり。

(21)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二一 [訳]正法眼蔵第六十九   自証三昧   過去の諸の仏 や 七仏より、仏仏祖祖が正伝 す る と ころは、修証三昧(修行が証り で ある三昧) で ある。つまり、或い は善知識に従い、或いは経巻に従う こ とで ある。 これは仏祖の眼睛なの で ある。 こ の こと から、   曹渓古仏 で ある六祖慧能が 、 僧 (南嶽懐譲)に問うた 、 「 さ て 、修行し証る ことを 必 要 と す るか」 。僧が答えた 、 「 修 行も証りも無い訳 で は ないが、そ れ をはからい で 汚 す ことはよくない」 。   そう で あるから、不染汚の修証が仏祖なの で ある ことを 知 らねばならない。仏祖の三昧が突然に稲光がし て 風 が吹 き 雷がとどろくハタラキなの で ある。 (二)或従知識の正当恁麼時 、あるいは半面 を 相見 す、あるいは半身 を 相見 す。あるいは全面 を 相見 す、あるいは全身 を 相 見 す 。半自 を 相 見 す る こ と あ り 、半他 を 相 見 す る こ と あ り 。神頭の披毛せる を 相証し 、鬼面の戴角せる を 相 修 す 。 異類行の随他来あり、 同条生の変異去あり。かくのごと くの ところに為法捨身 す る こと 、 いく千万廻 と い ふこと し らず。 為身求法 す る こと 、いく億百劫 と い ふ こと しらず。 これ 或従知識の活計なり、参自従自の消息なり。瞬目に相見 す る と き 破顔あり、得髄 を 礼 拝 す る ち なみに断臂 す 。おほよそ七仏の前後より、六祖の左右にあま れ る見自の知識、 ひと りに あらず、 ふ たりにあらず。見他の知識、 む かしにあらず、いまにあらず。 [訳]或いは 知識に従う 、正にそのような 時には 、あるいは 半分の面を 相 見す るし、あるいは 半分の身を 相 見す るので ある。あるい は 全 面 を相見 す るし、 あるい は全 身 を 相見 するの で ある。半分の自己 を相見 す る こ とがあり、 半分の他己 を 相 見 す る こ とがあるの で ある。神の頭に毛 で 覆 っ て 相い証り、鬼の面に角 を 戴 い て 相い修行 す る の で ある。異類 と し て 行 じ て 他に随い来る ことがあり、同条 と し て 生 れて 変異し て ゆ く こ とがあるの で ある。 こ の ようなところに法の為に 身 を 捨 て る こ とは、何千万回 と 言 う こ とを 知らない。身の為に法 を 求める こ と 、 何億百劫 と 言 う こ とを 知らない。 こ れ が或いは知識に従う こ と の生活 で あり、自己に参じ て 自己に従うところの消息なの で ある。釈尊の瞬目に相見 す る 時に 摩訶迦葉がにっ こ り 笑う ことがあり 、 達磨より髄 を 得るのに二祖慧可が礼拝 す る き っかけは臂 を 断っ て の入門 で あ る 。

(22)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二二 およそ七仏の前後より、六祖の頃ま で に多くの自己 を 見る知識は、一人 や 二 人 で はない。他己 を 見る知識は、昔 や 今だ けで はな い 。 (三)或従経巻の とき 、自己の皮肉骨髄 を 参究し、自己の皮肉骨髄 を 脱 落 す る と き 、桃花眼睛づから 突 出来相見せらる、 竹声耳根づから、 霹靂相聞せらる ) 33 ( 。おほよそ経巻に従 学す る と き 、 ま こ と に経巻出来 す 。その経巻 と い ふは、 尽 十方界、 山河大地、草木自他なり、喫飯著衣、造次動容なり。 こ の一 々 の 経典にしたが ひ 学 道 す るに、さらに未曾有の経巻、い く千万巻 となく出現在前 す る なり 。是 ぜ 字の句あり て 宛 然なり 、非字の偈あらたに歴然なり 。 これらにあ ふことをえ て 、 拈身心し て 参 学す るに 、長劫 を 消尽し 、長劫 を挙起 す と い ふとも 、 かならず通利の到処あり 。放身心し て 参 学す るに 、 朕兆 を 抉出し、朕兆 を 趯 飛 す と い ふとも、かならず受持の功成ずるなり。 [訳]或いは経巻に従う時には 、自己のマコトのありよう ( 皮肉骨髄) を 参究し 、自己の皮肉骨髄 をす っかり脱け落 ち る時 で あり、霊雲志勤が桃花 を 見た眼睛のままが突出し来っ て 互いに見 て 一 体 と なり、香 厳 智 閑が竹の音 を 聞いた耳根 のままが突然の雷鳴 となっ て 互いに聞 こえ て 一 体 と なるの で ある。 すべ て 経巻に従っ て学ぶ時、真に経巻が出 て 来るの で ある。その経巻 と 言 うのは、 全 て に広がっ て いる世界の山河大地 で あり、 草木 で あり、 自己 で あり、 他己なの で ある。 また飯 を 食 べ衣 を 着 る こ とで あり 、あ わ た だしい動 きなの で ある 。 こ の一つ一つの経典に従っ て 仏 道 を 学 ん で い く と 、 更に未だ曾 て な かった経巻が、何千万巻 となく出現し て 目の前に存在 す る こと になるの で ある。肯定的な文字の句がそ のままにある こと になり、否定的な文字の偈が新たにありあり と あ る こ と に なるの で ある。 これらに出会う こ とが出来 て 、 全身心 を 掴まえ て 参 学 し て いく と 、永遠の時間 を 費 や し て しまい、永遠の時間 を 取り上げる と し て も 、必ず経巻 を 通達しえた到達点があるの で ある。全身心 を 放りだし て 参 学 し て い く と 、ものの兆 す 以 前 を 抉り出し、ものの兆 す 以 前 を 飛 び越 える と し て も 、必ず経巻 を 受持し て 得 られ た修行が成り立つの で ある。 ( 四 ) いま西天の梵文 を 、東土の法本に翻訳せる、 わ づかに半万軸 ) 34 ( にたらず。 こ れ に三乗五乗、九部十二部あり。 こ れ ら み な 、 し た が ひ 学すべき 経巻なり 。したがはざらん と 廻 避せん と すとも 、 うべからざるなり 。かるがゆゑに 、ある

(23)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二三 いは眼睛 となり、あるいは吾髄 と なり き た れ り。頭角正なり、尾条正なり。他より これをうけ、 これを 他にさづく と い へ ど も、たゞ眼睛の活出なり、自他 を 脱 落 す 、たゞ吾髄の附嘱なり、自他 を 透 脱せり。眼睛吾髄、そ れ 自にあらず他に あらざるがゆゑに、仏祖 む かしより む かしに正伝し き たり、而今より而今に附嘱 す る なり。拄杖経あり、横説縦説、お の れ づから空 を 破し有 を 破 す 。払子経あり、雪 を 澡し霜 を 澡 す 。坐禅経の一会両会あり。袈裟経一巻十袟 ちつ あり。 これら 諸仏祖の護持 す る ところなり。かくのごと くの経巻にしたが ひ て 、修証得道 す る なり。あるいは天面人面、あるいは日 面月面 ) 35 ( あらしめ て 、従経巻の功夫現成 す る なり。 [訳]   これ ま で インドの梵文 を、中国の漢文に翻訳させたのは、 わ ずかに五千軸に過ぎない 。 こ の中に三乗 ) 36 ( (声聞乗 ・ 縁覚乗 ・ 菩薩乗)五乗 ) 37 ( (人乗 ・ 天 乗 ・ 声聞乗 ・ 縁 覚乗 ・ 菩薩乗) 、九部経 ) 38 ( ( 修 多 羅・伽 陀・本 事・本 生・未 曾 有・因 縁・ 譬喩 ・祇夜 ・優婆提舎)十二部経 ) 39 ( (素 そ た ら 呾 纜 sū tra 契経 ・祇夜 geya 重頌 ・和 わ か ら な 伽羅那 vy ākaran 4a 授記 ・伽 か だ 陀 gā th ā 諷誦 ・憂 陀那 ud āna 無問自説 ・尼陀那 nid āna 因縁 ・阿波陀那 avad āna 譬喩 ・伊帝目多伽 itivr 4ttaka 本事 ・闍陀伽 jā taka 本生 ・毘仏 略 vaipulya 方広 ・阿浮陀達磨 adbhuta-dharma 未曾有 ・優婆提舎 upade śa 論議) がある 。 これらは全 て 従 っ て 学ぶべ き 経 巻 で ある。従 わ な い で お こ うと 避けようと し て も 、不可能なの で ある。 こ の こと から、あるいは仏祖の眼 め だ ま 睛 と なり、あ るいは達磨の許した吾が髄 となっ て しまうの で ある。はじめも 正しいし、 お わ りも正しいの で ある。 これを 他 から受け、 また、 これを 他に授くる と い っ て も、 単に仏祖の眼睛がい き い きと 飛び出るの で あり、 自も他 を も脱け落 ち る の で あり、 また、単に達磨の吾が髄の附嘱 で あり、自も他 をも通り抜けるの で ある。眼睛 と 吾 が髄は、自 で もないし他 で も ないの で 、 仏祖が昔から昔へ正伝し てき たの で あり、 而 ま 今より而今に附嘱 す る の で ある。拄杖の経があり、 自由自在に説い て 、 ちゃ ん と 相対的な空 と 有 を 破るの で ある。払子の経があり、雪 や 霜 をきれ いに洗い流 す の で ある。坐禅 と い う経の一つ の集まり二つの集まりがある。袈裟 と い う経の一巻のもの、十袟 ちつ のものがある。 これらは諸の仏祖が護持し て い る と こ ろ で ある。 こ の ように経巻に従っ て 、修行がそのまま証り と し て 到 達した道 を 現前させるの で ある。あるいは天上界の 面 や 人間界の面 と し て 、あるいは日面 と いう永遠の仏 や 月 面 と いう一瞬の仏 を 顕 現せしめ て 、経巻に従う修行 を 目の前 に顕 す の で ある。

(24)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二四 (五)しかあるに 、た とひ 知識にもしたが ひ、た と ひ 経巻にもしたがふ、みな これ 自己にしたがふなり 。経巻おの れづ から自経巻なり、知識おの れづから自知識なり。しかあ れば 、遍参知識は遍参自己なり、拈百草は拈自己なり、拈万木 は拈自己なり。自己はかならず恁麼の功夫なり と 参 学す るなり。 こ の 参 学 に、自己 を 脱落し、自己 を 契 証 す るなり。 [訳]その こと から 、た とえ知識に従っ て も 、た とえ経巻に従っ て も 、全 て が 自己に従う こ となの で ある 。経巻はそ れ 自身が自の経巻 で あり、知識はそ れ 自 身が自の知識なの で ある。そう で あ れ ば、遍く知識に参ずる とは遍く自己に参ず る こ とで あり、百草 を 取り上げる とは自己 を 取り上げる こと で あり、万木 を 取り上げる とは自己 を 取り上げる ことで あ る。自己は必ず こ のような修行 で あ る と 参 学 す る の で ある。 こ の 参 学 におい て 、自己 を 脱 け落 ち 、自己 を マ コトにピタ リと 一致させるの で ある。 (六) これ により て 、仏祖の大道に、自証自悟の調度あり、正嫡の仏祖にあらざれば正伝せず、嫡 々 相 承 す る調度あり、 仏祖の骨髄にあらざれば正伝せず。かくのごと く参 学す るゆゑに、人のために伝授 す る ときは、汝得吾髄の附嘱有在な り。吾有正法眼蔵、附嘱摩訶迦葉なり。為説はかならずしも自他にか ゝ は れず、他のための説著 すなは ち みづからのた めの説著なり。自 と 自 と 、同参の聞説なり。一耳はき ゝ 、一耳はと く。一舌はとき 、一舌はき く。乃至眼耳鼻舌身意根 識塵等もかくのごと し。さらに一身一心あり て 証 す るあり、 修 す るあり。み ゝ づ からの聞説なり、 舌 づからの聞説なり。 昨日は他のために不定法 をと く と いへ ども、今日はみづからのために定法 をと かる ゝ な り ) 40 ( 。かくのごと くの日面あ ひ つ らなり、月面あ ひ つ らなれ り。他のために法 をとき 法 を 修 す る は、生 々 の と ころに法 をき ゝ 法 を あ きらめ、法 を 証 す る なり。今生にも法 を たのために と く誠心あ れば、自己の得法 やすきなり。あるいは他人の法 をき く を も、た す けす ゝ む れば、みづからが学 法 よ き たより をうるなり。身中にたより をえ、心中にたより をうるなり。聞法 を 障 礙 す るがごとき は、みづからが聞法 を 障礙せらる ゝ なり。生 々 の 身 々 に法 をとき 法 をき くは、世 々 に聞法 す る なり。前来 わ が 正伝せし 法 を 、 さ らに今世にもき くなり。 法のなかに生じ、 法のなかに滅 す る がゆゑに。 尽 十方界のなかに法 を 正伝しつ れば、 生 々 に き ゝ 、 身 々 に修 す る なり。生 々を 法に現成せしめ、身 々を 法ならし む る ゆゑに、一塵法界 ともに拈来し て 法 を 証 せし むる なり 。

(25)

『説心説性』 『自証三昧』考(石井) 二五 [訳] こ の こと から 、仏祖の大道には 、 自ら証り自ら悟る備えつ けの道具があり 、正しい後継ぎの仏祖 で な ければ正し く伝えないの で あ る 。正しく受け継い で き た 備えつけの道具 があり 、仏祖の骨髄 で な ければ正しく伝えないの で あ る 。 こ の ような参 学をす る から、人に伝授 す る 時は、 「 あなたは わ たしの髄 を つかんだ(汝得吾髄) 」の附嘱が存在 す るの で ある。そ れは釈尊の「 わ た しは正法眼蔵 をもっ て いる、摩訶迦葉に附嘱 す る 」 こ となの で ある。他に説く ことは必ずし も自 と 他に関 わ る の で はなく、他の為に説く とは自の為に説く ことなの で ある。自 と 自 と 、 同時に参 学 し て 説 を 聞 く こ となの で ある。一つの耳は聞 き 、一つの耳は説くの で あり、一つの舌は説 き 、一つの舌は聞くの で ある。及び眼耳鼻舌 身意の根 と 識 、 (色・声・香・味・触・法の)六塵等も同様 で ある。更に一つの身、一つの心があっ て 証る ことがあり、 修 す る こ とがあるの で ある。耳そのものが説 を 聞くの で あり、舌そのものが説 を 聞くの で ある。昨日は他の為に確定し ない法 を 説く と 言 っ て も、今日は自の為に確定した法 を 説くの で ある。 こ の ように永遠の日面仏が互いに連 れ 立 ち 、一 瞬の月面仏が互いに連 れ 立つの で ある。他の為に法 を 説 き 法 を 修 す るのは、生の連続の中 で 法 を 聞 き 法 を 明 らめ、法 を 証るの で ある。今生にも法 を 他 の為に説く誠の心があ れば、自己が法 を 得 る こ とは容易なの で ある。あるいは他人が法 を 聞くように助け 勧め れば 、自己が法 を学ぶのによい手がかり を 得る こと になるの で あ る 。一身の中に手がかり を 得 、 一心の中に手がかり を 得るの で ある。法 を 聞 く こ とを 妨げようとす る場合は、自己が法 を 聞 く こ とを 妨げられ るの で あ る。生の連続の中 で 一身一身に法 を 説 き 法 を 聞 く こ とは、いつの世も法 を 聞くの で ある。前世より われわれが正しく伝 えた法 を 、更に今世におい て も 聞くの で ある。法の中 で 生 ま れ 、法の中 で 滅 す る から で ある。無限の広がりの世界の中 で 法 を 正しく伝えたならば、生の連続の中 で 聞 き 、一身一身に修 す る の で ある。生の連続の中 を 法により て 目の前に顕 現せしめ、一身一身 を 法にし て し まうから、一微塵世界も法界も共に取り上げ来っ て 法 を 証 さと らせるの で ある。 (七)しかあ れば 、東辺にし て 一 句 を き ゝ て、西辺に き た り て 一人のために と く べし 。 こ れ 一自己 をも て 聞著説著 を 一 等に功夫 す る なり。東自西自 を 一斉に修証 す る なり。なに と し て もたゞ仏法祖道 を 自己の身心にあ ひち かづけ、あ ひ い となむを、よろこ び 、 のぞみ 、 こ ゝ ろざすべし 。 一時より一日におよび 、乃至一年より一生ま で の い と なみ とすべし 。 仏法 を精魂 と し て 弄 す べ き なり。 こ れを生 々 をむなしく す ごさ ざる とす。

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