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園田学園論文集 45号(よこ)☆/15.田邉

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ベビー P 虐待死亡事件とラミング報告書

──繰り返される第二のクリンビエ事件──

田 邉 泰 美

〔1〕ベビー P 虐待死亡事件とは 2007年 8 月 3 日、12 時 10 分、北ミドルサセックス大学病院に運び込まれたベビー P(法的な 理由で名前が伏せられていた。現在は Peter と表記)の死亡が確認された。享年 17 ケ月。ベビ ー P の全身は外傷だらけで、肋骨(8 ケ所)の骨折、脊椎骨損傷(骨折)、歯の欠損(1 本は本 児の結腸から発見)、指爪(2 本)と足爪(1 本)の剥離、耳部裂傷は犬の歯で引きちぎられたよ うな傷痕であった。ベビー P は自治体関係者と 78 回も接触をもち入退院を繰り返し、さらに母 親が虐待の疑いで 2 度も逮捕されたにも拘わらず保護(強制介入)されなかった。本件は、母 親、ボーイフレンド(パートナー、32 歳)、1 人の男性(J. Owen、36 歳)と家出少女(15 歳) という複雑な家族構成の中で生じた事件である。2008 年 11 月 11 日、2 人の男性の有罪(母親も 本件への関与が確認)が確定し報道されると、クリンビエ虐待死事件(2000 年)と同地区(ロ ンドン北部ハリンゲー地区)であったことから、社会の関心は頂点に達した。 本事件は国会答弁でも取り上げられ、児童大臣 Ball は、2004 年児童法の権限を行使し(初め ての権限行使)、ハリンゲー地区における児童安全保障(虐待防止)に関する緊急の合同査察調 目次 〔1〕ベビー P 虐待死亡事件とは 〔2〕ベビー P 虐待死亡事件の概要 (1)2006 年 12 月 12 日の戦略会議まで (2)2006 年 12 月 12 日の戦略会議から 22 日の初 期児童虐待防止会議まで (3)第 1 回児童虐待防止会議 (4)2006 年 12 月 23 日から 2007 年 3 月 16 日の 児童虐待防止検討会議まで (5)児童虐待防止検討会から 2007 年 7 月 18 日ま で (6)7 月 18 日から 8 月 3 日まで 〔3〕SCRs の見解 (1)権威的な対応の必要性 ⑴初期対応の失敗 ⑵初期対応以降の失敗 (2)いくつかのソーシャルワーク的課題 ⑴協働コミュニケーションの改善 ⑵医療や司法証拠への過剰な信頼 ⑶警察とソーシャルワーカーの合同調査 〔4〕ラミング報告書:児童保護/虐待防止の進捗状 況に関する評価 (1)本報告書の主要なメッセージ (2)進捗状況 (3)リーダーシップと説明責任 (4)子どもへの支援 (5)協働 (6)児童関連サービス従事者 (7)改善と挑戦 〔5〕考 察 園田学園女子大学論文集 第 45 号(2011. 1) ― 215 ―

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査を命じるともに、地区児童安全保障委員会(LSCB)委員長の S. Shoermith を更迭した。さら にラミング卿(クリンビエ虐待死亡事件の調査委員長)に、クリンビエ事件以降、児童社会サー ビス改革の進捗状況に関する全国調査を依頼した。3 月に提出された報告書では、ソーシャルワ ーク(ソーシャルワーカー、保健訪問員、虐待担当警察官)の質(専門性の確保)と量(人材供 給)およびそれを裏付ける財源の確保に焦点が合わされた点が興味深い。ベビー P 事件の概要 およびラミング報告書の勧告を整理し、なぜラミング報告書がソーシャルワーク改革に言及した のか、政府の諸政策との関連と影響を明らかにする。 ※本論では扱えない、本件に関連するいくつかの問題について、先に簡単に触れておく。 ①調査の種類:本件に対する社会の関心度およびは政府の姿勢は、4 つの調査が実施されたことからも明 らかである。ⓐ深刻なケースの調査(Serious Case Review)虐待死などが判明したとき LSCB が実施する 調査。児童大臣 Ball は最初の調査報告書のやり直しを命じ、前ケント児童サービス部長 G. Badman をハ リンゲー LSCB 委員長に任命し、調査報告書の作成にあたらせた(5 月公表)。ⓑラミング報告書(Laming Report)クリンビエ事件調査報告書の勧告および政府の児童社会サービス改革(Every Child Matters : ECM)の進捗状況に関する全国調査報告書(ベビー P 虐待事件調査報告書ではない)。ⓒ地区合同児童社 会サービス査察委員会調査報告書(Joint Area Review of Safeguarding : JAR)政府(Ball)は 2004 年児童 法の権限を行使し、ハリンゲー地区の児童安全保障(児童関連社会サービス)に関する緊急調査を命じ た。Ofsted、保健医療ケア監査委員会、警察からの査察官と、ハンプシャー児童サービス部長 J. Coughlan の協力の下で実施された(2008 年 12 月に公表)。ⓓ地区児童安全保障委員会の現状調査(Local Safeguarding Children Boards Stocktake):LSCB の活動内容の調査報告(政府の要請)。S. Shoesmith がハリンゲーの児 童サービス部長と LSCB の委員長を兼務していたことより、LSCB の独立性が守られていたのかという疑 問への対応(1) ②ケア命令申請の増加:2008 年 11 月、2 人の男性にベビー P の殺害に対する有罪判決が下されてから、 ケア命令の申請数が顕著に増加した。同年 6 月には 400 件を下回っていたが、同年 12 月には 716 件に達 した。それは児童大臣 Balls がハリンゲー児童サービス部長(S. Shoesmith)を更迭し、虐待防止の失敗は 許容できないことを自治体/議会に明確にしたことによる。さらに 2009 年 3 月には 739 件に達した。こ れはラミング報告書の出版とそのメッセージ、すなわち「上級専門/管理職の評価は最も脆弱な子どもた ちに提供されるサービスの質とその成果によって査定されるべきである」(2. 10)と強調されたことによ る(2) ③被虐待児の証言:ベビー P の継父すなわち母親のボーイフレンド(32 歳)は、かつて 2 歳の幼女を レイプしたことで 2 度めの有罪判決を受けた。法廷では、幼女が 3 歳の時の(警察での)証言が撮影され たビデオが 30 分間流され、続いて幼女(現在 4 歳)がビデオ・スクリーンを通じて法廷の前に現れた。 その幼女は、英国裁判所で証言をした最年少の子どもである。検察局は、幼女にビデオ・スクリーンを通 じて弁護士と質疑応答をさせたことで批判を受けた。しかし、NSPCC の児童サービス部長(W. Cuell) は、「この環境は理想的ではないが検察局と警察は自信を失ってはならない」と支援した。2007 年に 5 歳 未満の性的虐待 1339 件が警察に報告されたが、司法証拠が存在しないためほとんど起訴できなかった。 「子どもがきちんとケアされるのであれば、有力な証人になるはずである」と彼は言う(3) ④監査/査察の信頼性:Ofsted による 2006 年のハリンゲー地区の児童虐待防止施策は「全般的に満足 のゆく水準」と評価されており、JAR(2008 年 12 月)の評価とは著しく異なる。また 2007 年 11 月にハ リンゲー地区の児童若者サービスに関する年次アセスメントが実施された。Ofsted による総合評価は 3 ツ ― 216 ―

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星で(1 ツ星から 4 ツ星まであり、1 が不十分(inadequate)4 が非常に良い(outstanding))、児童若者の安 全保障については「優れている」(good)評価している。また、児童社会ケアの定員未充足率も改善に向 かいつつある、と評価していた(4)

〔2〕ベビー P 虐待死亡事件の概要(5)

※本件の概要は、ベビー P(ピーター)虐待死亡事件に関する調査報告書(Baby Peter Serious Case Re-views : SCR)と ‘Timeline : The short life of Baby P’ in guardian. co. uk, Tuesday 11 November 2008,を情報 源として整理した。G. Badman(12 月にハリンゲー LSCB に就任)を委員長とする SCR は 2009 年 2 月に は完成されていたが、一般公開までには少し時間がかかった。調査報告書の要約が 2009 年 5 月 22 日に一 般公表された。本文ではベビー P(Baby Peter),Ms A(母親)、Mr A(父親)、Mrs AA(母方祖母)、Ms M(母親の友達で P のインフォーマルなケアラー)、Mr H(母親のボーイフレンド)、Mr L と彼の女友達 F(ベビー P 死亡時の居住人)。ベビー P のきょうだいに関しては、これらの子どもの利益を守るために、 詳細な情報は公開されていない(1. 2)。 ※事件の概要を説明する前に、当家族の生い立ちと背景について簡単に説明を加えておく。 Ms. Aは 1981 年レスターで生まれる。実母と継父が離婚する 1984 年までその土地で居住していた。両 親は暴力(DV)が絶えなかった。Ms A は実母と一緒にロンドンで暮らすようになった。兄はレスターで 父親と暮らしていた。1988 年 3 月、継父が突然死亡したため、兄はロンドンで暮らしている母子のもとに 引取られる。彼は攻撃的な性格で落ち着きがなく、学校でそして自宅では妹に暴力をふるっていた。1990 年 5 月、彼は母親による身体的虐待でイズリントンの児童虐待防止登録に登録される。1991 年、10 歳の Ms Aはネグレクトにより児童虐待防止登録に登録される。彼女の身だしなみと衛生状況に問題があった。 彼女の受けた養育環境は暴力と虐待が絶えなかった。1992 年 6 月、児童虐待防止登録から削除された。彼 女は児童精神医療センターに送致され、特別な教育ニーズへの対応が必要と判断された。彼女は 1993 年 に、イズリントン社会福祉部が運営する(居住制)特別教育支援施設に通っていた。1997 年、彼女が 16 歳のとき、将来の夫となる Mr A と出会う。彼の話によれば、Ms A と出会う前に公的サービスの世話に なったことは一度もない、という。確かにそのような記録は残っていなかった(2. 1−2. 4)。 (1)2006 年 12 月 12 日の戦略会議まで(第 1 期) 3/1 ベビー P 誕生。ハリンゲー地区(ロンドン北部)に両親と同居。 5/2 ベビー P、食べたものを吐くため GP の診察を受ける(初回)。26 日も同じ理由で通院。 7/17 ベビー P の父親、ハリンゲー地区の自宅を出る(別居)。 10/13 ベビー P(8 ケ月)、頭部と胸部の打撲傷により GP の診察を受ける。母親はその原因を「階段 から転げ落ちた」と説明する。 11月∼12 月 母親は 32 歳のボーイフレンドと自宅で同居を始める。 12/11 ベビー P は、頭部の傷害、鼻柱、胸骨、右肩、臀部の打撲傷により GP の診察を受ける。母親 は興奮しその原因を説明できない。ベビー P は精密検査を受けるためにホイッティングトン病 院の小児科へ送致された。母親はその原因を「長椅子から転げ落ちたり犬に噛まれたりしたか ら」と説明する。ベビー P はハリンゲー児童若者サービス部に送致される。 ― 217 ―

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2006年 3 月 1 日、北ミドルサセックス大学病院でべビー P を出産後、保健訪問員による新生 児訪問が始まった。保健訪問員はべビー P の状態を健康良好と判断したが、家族歴を考慮して 「懸念」を示す「ブルーホルダー」に分類していた(3. 9)。9 月 18 日、Ms A はベビー P(咳と おむつ被れ)を連れて GP(一般家庭医)の診察を受けた。GP の記録によれば、Ms A は「ベビ ー P が脆弱な体質(傷つきやすい体質)であるにもかかわらず注意が怠っている」と非難され ることに不満をこぼしていた(3. 11)。10 月 13 日、べビー P は GP の診察を受けた。左胸部と 左頭部に打撲傷が確認される(3. 12)。Ms A の説明によれば、前日「階段から転げ落ちた」こ とが原因らしい。12 月 11 日、Ms A は GP に電話をかけ、べビー P の頭部にできた腫れ物への 対応を尋ねてきた。GP はベビー P を診察し、症状の重さから判断して病院に送致する必要があ ることを Ms A に話した(3. 13)。ホイッティングトン病院での診察では、多くの打撲傷が発見 され身体図が作成された。Ms A はべビー P の前頭部の腫れ物について「誰もが納得できる」説 明をすることはできなかった(3. 14)。身体図には臀部にできたひどい打撲傷、それ以外にも額 や胸部に打撲傷があった(3. 15)。検査の結果、「傷つきやすい体質」という理由では説明のつ かない傷害である、という結論である。調査終了するまで、べビー P は入院することになった (3. 16)。 (2)2006 年 12 月 12 日の戦略会議から 22 日の初期児童虐待防止会議まで(第 2 期) 12/12 ハリンゲー児童若者サービス部はベビー P の対応に関して戦略会議(strategy meeting)を開く。 12/15 ベビー P は病院から退院し母親の友人に預けられた(ケア委託)。警察の調査が実施される(13 日より実施)。 12/19 ベビー P の母親とその祖母がベビー P に対する暴行容疑(assault)で逮捕。2007 年 1 月 11 日 に保釈され自宅に戻る(祖母は起訴されず)。 12/22 第 1 回児童虐待防止会議。ネグレクトと身体的虐待を根拠に、ベビー P の名前が児童虐待防止 登録に登録される。 戦略会議にはソーシャルワーカーと警察官が出席した。べビー P には被虐待の疑いがあり、47 条調査および警察調査が終了するまで自宅に帰さない、という結論で一致した(3. 18)。12 月 13 日、警察官とソーシャルワーカーは学校を訪問し(合同調査)2 人の年上のきょうだいと個別に 面接した(3. 19)。12 月 14 日付の詳細な所見(ホイッティングトン病院)では、顧問小児科医 は「いくつかの打撲傷は故意による傷害である疑いがきわめて強い(very suggestive)」と述べ ている(3. 20)。べビー P は 15 日に退院し Ms A の友人 Ms M のケアに委ねられた(3. 21)。 病院を訪問している間に、警察官は Ms A と面接した。Ms A はべビー P の打撲傷の原因につ いて繰り返し説明するが納得できる説明には至らず、ただ自分と母親の責任ではないことは明確 に述べた(3. 22)。19 日、警察は Ms A と Ms AA を逮捕した。取調べにおいても明確な説明は 得られず以前と同じ説明を繰り返した。警察は自宅には Ms A とその子どもだけで、時々 Ms AA が滞在することを確認した。しかし、ほかの誰かが居住もしくは滞在することはないのか、とい ― 218 ―

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う疑問については、彼女らのいずれにも直接尋ねることはしなかった(3. 23)。 (3)第 1 回児童虐待防止会議(第 3 期) 第 1 回児童虐待防止会議が 12 月 22 日に開かれた。GP は召集されなかったので出席せず、小 児科医は召集されたが外来診察のため出席できず詳細な報告書を提出したが、彼女の見解を代弁 する医師の派遣はなかった。児童精神発達センターの医師は召集されたが欠席した。ソーシャル ワーカーは Ms A の生い立ちや家族背景に関する詳細な情報を含めた報告書を提出した(3. 25)。地方自治体の法律関係者は出席した。Ms A も法律関係者を同伴して出席した。警察は虐 待調査官が出席した。警察によるベビー P の傷害に関する調査が進行中であった(3. 26)。Ms Aはべビー P の傷害について納得のできる説明はできなかった(3. 27)。小児科医の見解は「傷 害は故意によるものである」という結論である。しかし、傷害ができたいきさつやそのときの状 況を正確に説明できるものは誰もいなかった。ただ、9 カ月の男児には被虐待の大きな懸念があ った。べビー P は身体的虐待とネグレクトの両方で登録された(3. 29)。2 人の年上のきょうだ いの内、一人はネグレクトで登録され、もう一人は登録されなかった(3. 30)。 (4)2006 年 12 月 23 日から 2007 年 3 月 16 日の児童虐待防止検討会議まで(第 4 期) 1/26 ベビー P は保釈中である母親のケアに戻される。 2/19 母親、パートナー(32 歳のボーイフレンド)、ベビー P は、ロンドン北部の公営住宅に移る。ソ ーシャルワーカーの交代。 2/22 ベビー P の担当ソーシャルワーカーであるワード(M. Ward)が新居へ初めての家庭訪問を実 施する。母親は児童虐待防止登録に登録されたことに不満をもらす。打撲の原因は自分ではない ことを主張する。 3/02 ワードは保健訪問員のトーマス(P. Thomas)と一緒に、ベビー P の誕生日の翌日に家庭訪問す る。ワードはベビー P が床に頭部を押し付けたりぶつけたりしている光景を見、児童精神発達 センターで診察が受けられるよう連絡交渉する。 3/05 Ms Aがベビー P のきょうだいの一人を平手打ちしたところが目撃される。 3/08 ワードによる家庭訪問。ベビー P がソファに頭部を押し付けたりぶつけたりしている様子が見 られる。 初期児童虐待防止会議以後、べビー P ともう一人の子どもはソーシャルワーカーより定期的 に、また保健訪問員、家族支援ワーカー、GP より頻繁に面接を受けた(3. 31)。ソーシャルワ ーカーは 12 月の 24、27、29 日と立て続けに家庭訪問した(3. 33)。児童虐待防止会議の総合的 なアセスメントすなわち司法的見解は、「ベビー P の傷害はケア手続きの基準を満たしている が、児童若者サービス部にべビー P に関してケア手続きを開始するよう促すことはできない」 (3. 34)という結論であった。2007 年 1 月 10 日に最初のコア・グループ(core group)会議が開 かれ、Ms A とべビー P が出席した。24 日に戦略検討会議が開かれ、傷害が故意によるもので あったとしても、誰が加害者なのか分からないという点で一致した。警察はひとまずべビー P ― 219 ―

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を自宅に返すことに同意した(3. 35)。2007 年 1 月 26 日、べビー P は自宅に戻った。そして家 族は 2 月 19 日に新居に移った。この時点でソーシャルワーカーが交代した(3. 36)。3 月 5 日、 養護教諭がソーシャルワーカーに「Ms A が大声で怒鳴りつけ学校の外でべビー P のきょうだい の一人の頬を平手打ちした」ことを電話で伝えてきた。その子は一人で面接を受け暴行(as-sault)が確認された。Ms A はすでに親業支援プログラムに参加していたので、それ以上のアク ションは取られなかった(3. 38)。3 月 13 日、ソーシャルワーカーは Mr A と面接した。Mr A は子どもと頻繁に交流を持ちたい様子で、法的な助言を得るようアドヴァイスされた(3. 40)。 3月 16 日の児童虐待防止検討会で、ソーシャルワーカーは通常の家庭訪問に加え、事前通告な しの家庭訪問をふやすことにした(3. 41)。 (5)児童虐待防止検討会から 2007 年 7 月 18 日まで(第 5 期) 4/09 母親は北ミドルサセックス大学病院にベビー P を連れてゆく。ベビー P の頭部左側に大きな腫 れと打撲傷、右頬に小さな打撲傷がみられた。母親はその傷害について、4 月 5 日の木曜日に 「18 カ月の子どもに押されて暖炉に頭部をぶつけたことによるもの」と説明する。またベビー P は耳の周辺に打撲傷が顔面と耳朶にそして引っかき傷があり、頭部にはしらみが寄生していた。 精密検査(CT スキャン)の結果、問題はなかった。 4/11 ベビー P は退院する。 6/01 ベビー P は 15 カ月になり、ワードは事前通告なしの家庭訪問を行う。ベビー P は毛布に包まっ てソファの上に横たわっていた。彼の顔は赤く顎の下には打撲傷の痕があり目の下には赤い線痕 があった。母親は「18 カ月の子どもと喧嘩してできたもの」と説明する。ソーシャルワーカー は警察に連絡し、そして母親に GP の診察を受けるよう言い聞かせた。ベビー P は北ミドルサ セックス大学病院で診察を受けた。その結果、12 箇所の打撲傷が見つかった。母親は親子分離 されるのではないかと心配したが、児童若者サービス部はベビー P のケアを家族の友人に委ね ることにした(ベビー P の子育てを指導監督する役割を家族の友人に委ねることにした)。 6/04 戦略会議の実施 6/05 母親は 2 度目の逮捕をされ、警察より取調べを受ける。 6/08 児童虐待防止検討会の実施。警察の児童虐待防止チームが家庭訪問し、ベビー P の写真が取ら れた。背骨の真中に打撲傷がみられた。 6/27 別の男性(J. Owen)が 15 歳の家出少女と一緒に自宅に移住し、ベビー P、母親、そのパートナ ー(32 歳のボーイフレンド)との同居生活が始まる。ワードは母親と連絡を取ろうとするが失 敗に終る。 7/02 ワードは母親と連絡がとれ、ロンドン北西部クリックルウッドの伯父宅(重い病気を患っている 伯父の看病のため)にいることが告げられる。後の裁判所審理で判明したことであるが、ベビー Pは虐待により黒ずんだ目をしていたのでそれを隠すための行為であった。 7/09 ベビー P は耳部と頭皮の感染症予防のための治療薬(抗生物質)をもらいに北ミドルサセック ス病院に行く。母親は保健訪問員との約束をキャンセルする。 7/10 警察は、2006 年 12 月のベビー P の傷害について、「故意による疑いが強いが断定はできない」 という結論を出す。 ― 220 ―

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4月 9 日、午後 4 時 40 分、Ms A がべビー P を北ミドルサセックス大学病院につれてきた。 頭部左側に大きな(打撲による)腫れがみられた。母親の説明によれば「4 日前に同い年くらい の子どもに押されて大理石の硬い暖炉にぶつけた」ことが原因らしい。受傷後 4 日もたっていた ので傷もある程度治癒しており、彼は元気そうに見えた。しかし今朝になって首痛を発し頭部は 左側に傾けたままとなった。さらに、右頬に小さな打撲傷、腕の後ろに発疹、頭部にはしらみが 涌いていた。身体図が作成された(3. 44)。べビー P は、診察のために 48 時間入院した(3. 45)。しかし看護師はべビー P の大きな傷害については母親の説明を信用しており、それ以外の 傷害に関しては「アレルギー体質」によるものと考えていたようである。この時点では、受傷時 での傷害の痕跡はなくなっていた。ソーシャルワーカーは退院に合意し警察には送致しなかった (3. 46)。4 月 11 日、退院する。 6月 1 日、ソーシャルワーカーは事前通告なしの家庭訪問をし、べビー P の顎に打撲傷を発見 した。Ms A によれば、友達の子どもと喧嘩したことが原因らしい。べビー P は北ミドルサセッ クス大学病院で診察を受けた (3. 51)。まず事実経過が確認された。Ms A の説明によれば「5 月 25 日から 28 日まで友達が滞在しており、その時に 22 カ月(18 ヶ月?)の子どもと喧嘩して できた傷」ということである。しかし身体にできた多くの打撲傷と掻傷は時期が異なっており、 説明の合理性がある傷はわずかであった。また左足首には「掴み傷」の痕を残した打撲傷がみら れ、それは医師が特に関心を寄せた傷である。Ms A の説明によれば、「ソファーから転げ落ち るのを止めるために足を掴んだ」ことによる(3. 52)。警察には通報されたが合同調査は実施さ れなかった。しかしソーシャルワーカーがべビー P をチェックし合同調査が必要であると判断 されれば、直ちに連絡することが確認された(3. 53)。 警察はこれらの傷害は「故意によるもの」と判断した。戦略会議の実施が要請され、6 月 4 日 に開催された。合意内容は次のとおりである。47 条調査の実施、ケア手続きを検討するための 緊急会議の召集、小児科医のアセスメントの確認、友達の Ms M(家族の友達でインファーマル なケアラー)より家庭でべビー P が養育保護されるための取り決め、Ms A とベビー P の交流 に関する取り決め、育児を支援するチャイルドマインダーの選任、警察と児童青年サービス部の 合同調査の継続、などである。Ms A は面接を受けたが、傷害に関する納得のできる説明はでき なかった(3. 55)。警察は、調査が継続しているあいだ、べビー P と Ms A は引き離しておくべ きであると考えていた(3. 57)。 6月 8 日、児童虐待防止検討会が開催された。ソーシャルワーカーは 6 月 1 日の傷害を会議で 取り上げ、Ms A の説明では不十分であることを主張した。身体/医療検査による結論は「その 傷害は故意による疑いが強い」というものである。検討会では次週に裁判所命令検討会議(ケア 手続きの有無)が開かれることが伝えられた。検討会の議長は、①最初の児童虐待防止プランを 立てたときと同じような傷害を経験していること、②母親が言うようにべビー P 自身の行為が 原因であれば、継続して起こるはずなのに、断続的で甚大な傷害であること、この 2 点に懸念を 示した(3. 58)。29 日、ソーシャルワーカーはチャイルドマインダーより、Ms A がべビー P を ― 221 ―

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「連れて行った」(交流取り決めに反する行為)という連絡が届いた。ソーシャルワーカーはその 日 3 度 Ms A と連絡を取ろうとしたが失敗に終わる。7 月 2 日、ソーシャルワーカーは Ms A と 連絡がとれた。しかし彼女は伯父の世話をするためにクリックルウッドにいると告げられる。彼 女は伯父の健康次第で、4 日か 9 日に戻る予定だという(3. 61)。学校に出席状況を問い合わせ てみると、6 月 29 日から 7 月 5 日までの間、2 人の年上の子どもは欠席していることが明らかに なった(3. 62)。7 月 9 日、ソーシャルワーカーはハリンゲーに戻ってきた Ms A と連絡を取っ た。彼女は北ミドルサセックス病院にいた(3. 63)。 (6)7 月 18 日から 8 月 3 日まで(第 6 期) 7/18 ベビー P はトーマスより身体検査を受け、再び体重の低下がみられた。ベビー P はまだ頭皮の 感染症が完治していない。耳部の周辺に打撲傷も見られた。母親の説明によると「耳部を清潔に しようとして関わったときにできた」ものらしい。 7/19 ベビー P は北ミドルサセックス病院へ連れて行かれた。彼は耳部の感染症と腫れ、さらに右手 の爪にも感染症がみられ、抗生物質が投与された。 7/24 チャイルドマインダーは、ベビー P の頭皮感染症により彼を預かることはできないとワードに 伝えてきた。ワードは母親に連絡し GP に連れて行くよう言い聞かせた。母親は保健訪問員との 接見の約束を守らなかった。彼女の話では「忘れていた」らしい。 7/30 ワードはベビー P と面接した最後の家庭訪問となる。ベビー P は乳母車の中におり顔と手はチ ョコレート(を食べたあとの?)の汚れが付着しており、頭皮には抗菌性のクリームが塗られて いた。オウィンによると、これらはベビー P の傷害(虐待の痕跡)を隠すための方策であった。 7/31 検察サービス局は、母親と祖母のベビー P に対する傷害(虐待)は「証拠不十分」という結論 を出す。 8/01 ベビー P は聖アンネ病院の児童精神発達センターで診察を受ける(以前に 2 度の予約キャンセ ルがあった)。この時点でベビー P は肋骨と背骨が骨折していた疑いがあり、下半身に麻痺と痺 れがあったと思われる。小児科医(Sabah al−Zayyat)は身体と顔に打撲傷を確認するが、精密 検査は行わなかった。 8/02 母親は GP にベビー P を連れていかないことにした。ワードも前日に小児科医の診察を受けて いるので同意した。警察はベビー P に対する暴行(assault)の件でこれ以上アクションをとら ないことが、母親に伝えられた。 7月 18 日、Ms A とべビー P は診療所で保健訪問員より身体検査を受けた。べビー P の体重 は減っていたが食欲は旺盛であった。7 月 16 日(実際は 9 日)にべビー P は診察(北ミドルサ セックス大学病院)を受け、頭部疥癬の治療を受けたことを Ms A は報告した。また耳部の感染 症治療として抗生物質が投与された。彼の左耳は外側が赤く、耳たぶは感染症に罹っているよう に見えた。Ms A によるとその傷は「耳部を清潔にしようと処置したときに、耳部周辺の打撲傷 になった」らしい。Ms A はベビー P を再度病院へ連れて行くよう助言された。保健訪問員はソ ーシャルワーカーに連絡し、ソーシャルワーカーはその件で Ms A と話そうと連絡したが、うま くいかなかった(3. 64)。7 月 19 日、Ms A はベビー P 北ミドルサセックス大学病院に連れて行 った。ベビー P の頭皮には、血色に染まった「かさぶた」があり(感染症)、しらみが涌き、彼 ― 222 ―

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が引っかいた左耳のあたりは血がついていた。彼は汚く不衛生に見え、右手の中指も感染症を患 っていた。Ms A の話によれば「赤レスターチーズで(を食して頭部に)蕁麻疹を発症し、それ を掻き毟って感染症に罹った」らしい(3. 65)。7 月 23 日(24 日?)、チャイルドマインダーが ソーシャルワーカーに電話で「頭皮感染症としらみを発症したため、ベビー P ともう一人の子 どもを預かることはできない」と連絡してきた。ソーシャルワーカーは Ms A に連絡し、①感染 症の完治に時間がかかりすぎていること、②直ちに GP のところへ連れて行くこと、など懸念を 伝えた。26 日、ソーシャルワーカーは、ベビー P が GP の診察を受けた結果を、Ms A に尋ね た。Ms A によると、GP はベビー P が投薬/治療にアレルギー反応を示していると考え、抗生 物質をさらに投与することはしなかった。もっとも GP は症状から判断して何らかの治療を必要 と考えていたが、別の病院で治療を受けている(誰かが治療している)と判断し、処置はしなか ったようである(3. 66)。7 月 25 日、裁判所命令検討会議(ケア手続きの有無)が開催された。 その決定は、現在当ケースはケア手続きの水準を満たしていないが、この判断は今後の報告に応 じて再検討されるべきである(3. 67)、という結論であった。7 月 30 日、すべての子どもがソー シャルワーカーによる通告家庭訪問により面接を受けた。ベビー P の耳は爛れ少し炎症してい た。彼は頭のてっぺんに白いクリームをつけていた。Ms A は感染症が良くなったと考えてい た。ベビー P の顔はチョコレートを塗られており、ソーシャルワーカーはそれを落とすように 求めた。家族の友達がそうするよう彼を連れ去ったが、ソーシャルワーカーが帰るまでに現れな かった(3. 68)。8 月 1 日、Ms A はベビー P を聖アンネ病院の児童精神発達センターへ連れて 行った。今回の受診にあたっては、Ms A の友人でベビー P の里親ケアをしている Ms M も同 伴した。送致(病院での診察)の目的は、(ベビー P は児童虐待防止登録に登録されているが) 傷害に関する調査ではない。医師の診断は、ベビー P の行動や症状から判断して、ウイルス性 感染症の疑いがある、という結論である。8 月 2 日、Ms A は社会サービス部のオフィスで警察 と接見し、傷害の件で訴追されないことが伝えられた(3. 72)。 〔3〕SCRs の見解(6) SCRsの見解では「権威的」という言葉が使われている。かつてジャスミン・べクフォド事件 報告書(委員長ブロム・クーパー)でも使われた。「権威的」というのは、「抑圧」「強制」とい う意味ではなく、子の安全を最優先するにあたって、親に(親業の)達成目標や課題を明示し、 その成果や姿勢をアセスメントすること、すなわち親業向上の支援を意味する。当然、親業支援 プログラムへの参加が求められ、親業向上への努力が見られない場合、親子分離も起こりうる。 子が虐待のリスクにあるとき、親に対する専門家のコントロールがある程度必要であり、このよ うな意味において「権威的」という言葉が使われている。 ― 223 ―

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(1)権威的な対応の必要性 ⑴初期対応の失敗:子どもが虐待されている疑いはあるが加害者を特定できない場合、虐待ア セスメントの判断基準は、子の養育に対する親/養育者の「責任感」(sense of responsibility)と 「動機/意欲」(motivation)である。47 条調査、警察調査、児童虐待防止会議は、親/養育者の わが子に対するこのような姿勢をアセスメントする貴重な機会/プロセスである(4. 1. 1)。し かし、意識的ではないと思われるが、Ms A は専門家の対応を慎重に探り、真実(事実経過)を 明らかにしなくても親子分離されることはない、と考えていたように思われる(4. 1. 2)。その 原因は関係機関が余りにも Ms A の説明を信用しすぎたことにある(4. 1. 3)。「健全な懐疑」と いう視点がなかった。 まずは 2006 年 12 月の児童虐待防止会議である。初期対応を決定づける重要な会議である。ベ ビー P の傷害に関する診断は「故意によるもの」であり、ケア手続きの基準を充足していたは ずである。しかし、ケア手続きの申請には慎重であった。傷害は「重大な危害」の水準には達し ていない、と判断されたのであろう。Ms A の生い立ち(幼少期での被虐待体験)なども含めて 慎重にアセスメントすべきであった(4. 1. 3)。このような結果になったのは、小児科医や病院 関係者(スペシャリスト)が児童虐待防止会議に参加していないことにも一因がある。誰もが責 任を負う姿勢が見られない(責任所在の不明)。初期機関協働の失敗である。その結果、「深刻な 傷害」(多分大人による故意のもの)が発見されその経緯/事実関係が明らかになっていない段 階でベビー P を Ms A に戻すという理解し難い対応になった(4. 1. 5)。また会議に出席するメ ンバーに Ms A とその事務弁護士を出席させたことで、アセスメントを難しくさせたことも事実 である(4. 1. 7)。これらは議長の責任である(4. 1. 6)。 また、児童虐待防止プランがすべての子ども(2 人の年上のきょうだい)に作成されていない こと※も問題である。MsA がベビー P に何が起こったのか、その真実を語ることを拒むのであ れば、すべての子どもは「重大な危害」のリスクにあると考えプランを作成するのが合理的であ る(4. 1. 8)。このような子ども間の選別的対応は「あなたの親業のすべてが問題なのではない」 (特定の子に対する養育だけが問題)という間違ったメッセージを親に与えてしまうことになる (4. 1. 9)。同様の間違ったメッセージは、ベビー P のケアを家族の友達に委託したことである ※。それは MsA に対して「この程度の傷害なら親子分離はしない」「親子の養育を優先させて いる」というメッセージを送ることになる(4. 1. 11)。 ここで必要とされるのは、家族に対する権威的アプローチ(authoritative approach)である。Ms Aは不十分な親業や家庭でのネグレクトに対して、自ら向き合い改善する必要がある。「明確な ターゲット」(目標)が短期的に設定される必要がある。重要なのは、目標それ自体ではなく、 彼女に課せられた要求に対する彼女の対応(責任ある親であろうとする彼女の意志と姿勢)であ る。「明確なターゲット」は Ms A の「親業達成度」を判断する目安になるはずである(4. 1. 12)。とりわけ、家族への初期介入における重大な失敗は、Mr H の身分を明確し、彼と面接し、 その背景をチェックしなかったことである。Ms A によれば、彼は友人であって家族の主要メン ― 224 ―

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バーではなく、子どもとの関与もないことになっている。Ms A の説明をあまりにも素朴に受け 入れてしまった。とくに警察と児童若者サービス部の責任は大きい(4. 1. 13)。 ※家族委託や家族のストレングスを尊重する手法が取られた背景については、次の 2 点を指摘しておく 必要がある。 1つは家族委託という考え方である。このような委託は指針に従ったからであり、自治体の里親委託を 行う前に、家族やその友人に子どもの委託をするよう努力をすべきである、と指示されている。しかし、 虐待のリスクにある子どもの対応指針としては不適切である(4. 6. 1)。家族の友達はベビー P の一時的 な居住場所提供者として選ばれた。それは、まずベビー P の父親を検討した際、Ms A が彼は以前にベビ ー P を平手打ちにしたことがあると訴えたことによる。この件について、彼の意見を聞き、Ms A と確認 され、彼女の見方が正しいのかどうかが明確にされていない。彼は休暇をとり準備をしていた。過去にお いて彼の養育に懸念はなかったし、親責任を有しわが子を養育する権利を有する。一時的なケアの申し出 を断るのであれば明確な根拠が存在すべきであり、彼のもつ権利を彼に説明すべきであった(4. 6. 2)。

もう 1 つは SFBT(Solution Focussed Brief Therapy)という考え方である。それは、家族の持つ力に焦点 を合わせ、親業を改善する試み(介入)である。児童若者サービス部は SFBT を児童保護チームに導入し ており、家族支援のスタッフは習得するための教育研修も提供されている(家族支援を行う際の共通エー トスとなっている)。上級マネジャーの中にも児童虐待防止対応(47 条調査や児童虐待防止会議へのアプ ローチにおいて)にも適用できると考えるものもいる。しかしすべてのスタッフが採用しているわけでは なく、全般的な合意には達していない(4. 1. 21−23)。このようなソーシャルワーク手法の哲学が何らかの 影響を与えたと考えられる。SFBT は、親がスタッフと真剣かつ真面目に協力関係を築こうとしていると 確信できる場合に適切である。但し、「この前提が間違いかもしれない」という認識は常に把持しておく ことが重要である(4. 1. 24)。 ⑵初期対応以降の失敗:Ms A が些細なことで公衆の前で一人の子どもの顔を叩いた 3 月の事 件は、もっと真剣に受け止め強制的な措置(親子分離)も考慮すべきであった。これは「平手打 ち」(smacking)とか「親のしつけ」というレベルではなく、「暴行」(assault)である。警察に 伝えられ戦略会議が召集されるべきであった(4. 1. 14)。ソーシャルワーカーによる事前通告な しの訪問は、「6 月 1 日、ベビー P の傷害の発見」に結びついた。ソーシャルワーカーは Ms A の説明を額面どおりに受け入れず、傷害に関して医師の診察を求めた。診断は、傷害は「故意に よるもの」という断定には至らなかったが、「偶然の結果ではない」という結論であった(4. 1. 15)。事前通告なし訪問はこのような「予防対応」としての成果をもたらしたが継続されなかっ た。 6月 1 日の事件のあと直ちに児童虐待防止検討会議(6 月 8 日)が開催された。前回(3 月 16 日に実施)以降、ベビー P には 2 度に及んで深刻な傷害が発見されているにもかかわらず、専 門家の出席状況は極めて悪い。ハリンゲーでは児童虐待防止に優先順位が与えられているとにわ かに信じがたい。虐待対応の中心的役割を担うはずのソーシャルワーカー、医師、法律家、警察 (報告書は提出)の内、出席したのはソーシャルワーカーだけである(4. 1. 16)。傷害の程度と その経緯、家族背景、MsA の対応などを相互に検討し、当ケースをさらに深く理解できたはず である。本来なら、児童虐待防止計画のなかで役割と責務を与えられたものは(特に家族支援ワ ― 225 ―

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ーカー。しかし 2007 年 5 月以降連絡なし)召集され出席すべきである。 「権威的な対応」の失敗を象徴する出来事は、ベビー P に対するケア手続きの必要性を考慮す る裁判所命令検討会議のアレンジ(会議の召集)に 7 週間もかかったことである。これは法サー ビスの管理運営上の失敗というよりも、司法関係者やソーシャルワーカーそしてマネジャーが当 ケースの「緊急性」「重大さ」を理解できていないことの証である(4. 1. 18)。親に対する要請 や目標の提示は、それらが達成できない場合、親子分離もやむをえないという示唆(権威的な対 応)となる。すなわち、家族支援がうまくいく方法は唯一、児童虐待防止機関が介入という権威 的な対応を取り、親が家族支援は親業を改善する機会であると理解した場合である(4. 1. 20)。 Ms Aは専門家とくにソーシャルワーカーと協調的な関係を築いていないのは、こういうところ に一因があるはずである。家族支援ワーカーに至っては、家族支援を提供できる基盤がなかった (4. 1. 19)。 確かに、明確な根拠がない場合に親子分離することは、専門家に大きな責任/負担を負わせる ことになる。このような判断が間違いであることが証明されるかもしれないという覚悟のもと で、進んで困難と向き合わねばならないことがあるかもしれない。代わりに子どもが虐待を受け るよりは、そのほうが良いのではないだろうか(4. 8. 3)。そうすると、クリックルウッドの件 に関する対応は大きな問題である。彼女の子には児童虐待防止プランの対象となる子がおり、Ms は最近のベビー P の傷害で逮捕され警察の調査が実施されている。彼女は通告もせず、許可な くすべての子どもと一緒に逃亡している。専門家は Ms A が責任ある親として行動しているのか を常時確認しておらず、許可なく居住地を変更した場合、どのような結果になるのか(対応がさ れるのか)ということも警告していない(4. 8. 4)。彼女が戻ったとき、ベビー P の耳には爛れ、 腫れによる疾患がみられた。感染症の疑いがあったが医師によるチェックはなかった。原因の究 明もされていない。Ms A の話はすべて、その信憑性をチェックすべきであった(4. 8. 5)。 (2)いくつかのソーシャルワーク的課題 ⑴協働コミュニケーションの改善:親業支援プログラムへの Ms A の参加にあたって、関係機 関における重大なコミュニケーションの失敗があった。プログラムをコーディネートしたソーシ ャルワーカーは、ベビー P(児童虐待防止登録に登録)と他の子どもを保護するため(児童虐待 防止)の最も重要なアレンジメントと理解しており(最優先事項)、長期的には Ms A の親業改 善を支援するためのもの(付随事項)と考えていた。ところがその意図がしっかりと伝わってい なかった。Ms A は 13 セッションの内、9 つに出席したが、ベビー P と同伴出席は 4 つだけで ある。ベビー P を同伴しないとき、誰が彼を世話しているのか、誰も知らなかった。欠席やわ が子を同伴していない場合、ソーシャルワーカーと連絡する取り決めがなかった(4. 2. 1)。 児童精神発達センターと早い段階で診察予約ができなかったのは、予約を入れる者がベビー P の虐待のリスクをしっかり伝達することができなかったことにも一因がある。センターには、ベ ビー P は児童虐待防止登録に登録され、児童虐待防止保護計画の対象であることは伝えられた ― 226 ―

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が、さらに現在最近の傷害で 47 条調査の対象であることも伝えられるべきであった。センター によれば、これらが明確にされておれば、チームマネジャーは早期の診察予約を入れたであろう し、48 時間以内に診察されたはずである、と述べている。センターへの送致は「器質的な理由」 (頭を振ったりぶつけたりする行為)によるものであった(4. 2. 2)。センターに送致されるべき 本当の理由は、ネグレクトの深刻さ、それが彼の成長に与える影響、養育にあたって彼が経験す る苦痛やフラストレーション以外に、頭を振ったりぶつけたりする行為の理由は考えられるのか どうか、という点にある(4. 2. 3)。 ⑵医療や司法証拠への過剰な信頼:親を起訴するかどうか、ケア手続きを開始すべきかどうか は、子どもが虐待を受けるリスクの程度にかかっている。警察は司法証拠に関心をもち、医師の 診断による傷害の程度やその重大性に焦点をおいて判断する。他のサービスも同様に傷害に関す る医学的診断や、その診断に関する警察や検察局の対応に重点をおく。これらの機関が起訴しな い場合、傷害は「曖昧(立証されず:uncertain)」で「故意ではない(偶然:accidental)」という 結論に落ち着いてしまう傾向がみられる(4. 4. 1)。 ⑶警察とソーシャルワーカーの合同調査:6 月 1 日(2007 年)の訪問で傷害が発見され警察に 伝えられたが、合同調査に関しては、ソーシャルワーカーが状況をアセスメントしその必要があ ると判断すれば連絡するように要請された。このような取り決めは、警察の関与について、他の サービスの裁量に委ねられるといった誤った認識をもたらす危険がある(4. 5. 1)。12 月 11 日 (2006 年)の件で、警察とソーシャルワーカーは合同で年長の子ども(きょうだい)と学校で面 接をしたが、ビデオ記録撮影は実施されなかった。この時点で彼らに対する暴行/暴力は連絡さ れていなかったが、マルトリートメントの子どもの場合、子どもの保護という観点から必要な措 置であり、指針でも要請されていたはずである(4. 5. 2)。 〔4〕ラミング報告書:児童保護/虐待防止の進捗状況に関する評価(7) (1)本報告書の主要なメッセージ

過去 5 年間、政府は ECM(Every Child Matters : ECM)や WT(Working Together : WT)な ど、児童保護/虐待防止に関する政策および指針要綱を立案/遂行し、相当の成果を達成してき た。拡大学校やシュア・スタート(児童センター)に象徴される早期予防介入の新しいモデルは 全国的に発展・実施され、子どもや家族のニーズ柔軟かつ創造的に対応してきた。しかし、虐待 やネグレクトから子どもを予防保護する施策に関しては、さらに改良の余地がある。もっとも重 要な取り組みは、地方サービスのリーダー(議員/専門家)が、政策、法律、ガイダンスを、現 場での日々の実践に活かされるよう保証/支援することである(pp.3−4)。 児童保護/虐待防止を担うスタッフを支援するために、政府および地方は直ちに次のアクショ ンを起こさなければならない(pp.4−6)。 ⑴保健医療、司法、内務、児童学校家族の各省庁は、協働/協調という脈絡の下で児童保護/ ― 227 ―

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虐待防止に対する優先順位を明確にし、それが実現可能となるように十分な資源を確保/保証し なくてはならない。中央政府内で協働協調がきちんと実施されてこそ、地方での統合/合同(in-tegration/joined up)は可能となる。

⑵これらの改革を推進するにあたり、内閣府に全国児童保護/虐待防止対策部(National Safe-guarding Delivery Unit : NSDU)が設置される。当対策部は家族児童若者専門委員会を通じて直 接内閣と交渉し、議会に対しては年次報告を行う。メンバーには、直接現場に携わり経験を有す るスタッフ(警察、保健医療、児童サービス)も含まれる。当対策部は一定期間の時限とする。 最初の任務は本報告書の勧告の推進でありタイムスケジュールの発表である。 ⑶DCSF 大臣、保健大臣、内務大臣は、それぞれソーシャルワーカー、保健訪問員、警察官 (児童虐待防止担当)の、地位/身分、教育研修/専門性、職員数/欠員補填が不十分であるこ とを明確にし、直ちに対策を講じなくてはならない。専門的知識と技術なくしてソーシャルワー カーは児童虐待防止実践に携わることを認めてはならない。司法大臣は、子どものケアに関する 裁判所手続きに要する時間を短縮するよう緊急対策を講じる必要がある。2008/09 には平均 45 週間も要しており長すぎる。またケア命令の申請/取得にあたっての費用負担はなくすべきであ る。ケア命令申請にかかる裁判費用の増大は望ましくなく、地方自治体の一般財源に移されたこ とで事態を悪化させている。 (2)進捗状況(Chapter 1) 過去の虐待死亡事件を振りかえると、究極的には子どもの安全は、スタッフが子ども及び子ど もを取り巻く環境を理解するための時間、知識、技術をどれほど有しているかにかかっている (1. 5)。児童保護/虐待防止の成果が芳しくないのは、社会ケア、保健医療、警察の現場スタッ フに提供される教育研修および適切な労働環境への支援の「不十分さ」にある。ソーシャルワー カーのケース担当量は極めて多く、保健訪問員の 60% 以上は勧告基準を上回っている。粗末な 教育研修により専門性が確保されず、さらには過重なケース担当量の負荷がかかると、益々ソー シャルワーカーは追い詰められて行く。警察においても過去 3 年間、児童保護/虐待防止に関す る予算は削減されており、欠員未補充率が余りにも多いことに懸念を表明するものもいる。児童 虐待防止に関連するスタッフに対する専門的教育研修の欠如は、彼(女)らのモチベーション (子どもためにできる最善のことをする)を削ぐことになる(1. 7)。このような事実は、過去 5 年間に児童保護/虐待防止優先順位が与えられなかったことを物語っている。児童保護/虐待防 止に関する査察では、教育においてそうであるような水準に到達していない。児童社会ケアの査 察を管轄していた社会ケア査察委員会(CSCI)の機能は、失われ代替もされていない(1. 8)。 (3)リーダーシップと説明責任(Chapter 2) 内務省、児童学校家族省、保健省、司法省の各大臣は、協働/協調という脈絡の下、児童保護 /虐待防止に関する優先順位を明確にし、その優先順位は現場で提供されるサービスに反映され ― 228 ―

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るよう保証しなければならない。これらの具体化/実施運営に関しては、家族児童若者を管轄す る内閣専門委員会(Cabinet Sub-Committee)が責任を負う(2. 1、2. 2、勧告)。

中央政府各省庁、とくに DCSF、保健省、内務省、司法省は、目標達成のための管理運営シス テムを見直す必要がある。その手がかりは指標(Performance Indicator : PI)の見直し/改定で ある。現在の PI は、「管理運営プロセス」と「目標達成期限」に焦点があわされ、関係機関 (公的パートナー)と優先順位を共有することが難しく(協働への障害)、またサービスがどの程 度改善向上し、子どもに良い結果をもたらしたのか、という判断も曖昧なままである。その結 果、地方政策協定(LAA)において地方による NI(全国指標)の採用は低調で、児童保護/虐 待防止の指標として利用している自治体は 10% 未満である(2. 3)。したがって、政府は DCSF 達成目標(target)を見直し、児童保護/虐待防止に関する達成目標を含めるべきである。同様 に NI も、LAA において積極的に活用され、サービスの改善と子どもの利益に繋がるように改 定されなければならない(2. 4、勧告)。 すべての自治体は、当該地域の児童の安全/福祉の促進に責任をもち、児童サービス専門委員 (Lead Member for Children’s Member)として行動する「議員」(a designated councilor)を直 ちに任命しなければならない。議会のリーダーと児童サービス専門委員による継続的な関与こそ が、自治体および児童トラストに「子の安全と福祉」の意識を徹底させるためには重要である (2. 7)。専門委員がそのイニシアティヴを発揮するためには、自治体の児童保護/虐待防止に関 する最新の詳細な情報にアクセスする必要がある。彼らは児童サービス部長からサービスの提供 とその結果に関する報告を定期的に受け、他のパートナーの上級マネジャーと定期的にコンタク トをもつ必要がある。そして重要なマネジメント情報(アセスメントと査察報告も含める)を定 期的に精査し、サービスの保証システム(quality assurance systems)の適切な運営を保証しなけ ればならない(2. 8)。 説明責任という重大な職責を末端の従事者に担わせるという歴史が長く続いた。(最)上級マ ネジャー(most senior)の業績成果は、もっとも脆弱な子どもたちに提供されるサービスの質と その成果によって査定されるべきである(2. 10)。現場で提供されるサービスを管轄する上級マ ネジャーとって、送致が受諾され害のリスクがアセスメントされる段階での専門性の確保が最優 先事項となる。害のリスク・アセスメントがきちんと実施され、送致及びアセスメント過程が WTに従っているか、確認/保証しなくてはならない(2. 12)。 児童サービス部長は児童保護/虐待防止の中心であるが、その責任範囲はひろく教育、児童社 会ケア、幼年期サービスなどまで含まれる。児童サービス部の創設は、現場でのソーシャルワー カー経験(実務経験)をもたない多くの児童サービス部長を生み出すことになった。児童保護/ 虐待防止の実務経験及び背景を直接もたない児童サービス部長は、チーム内に相当の専門性と経 験を有する上級マネジャーを指名すべきである(2. 13、勧告)。 ― 229 ―

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(4)子どもへの支援(Chapter 3) ECMは、子どもの健全な成長/発達および安全を改善/保証するために、様々な取り組みを 実施してきた。しかし現状(とくに児童ソーシャルワーカーと保健訪問員の過重なケース負担に よるプレッシャー)では、スタッフは子どもらの目線に立って家族全体(環境/背景)をアセス メントする時間的余裕はない。現場のスタッフには、このような現状(管理運営/労働環境)を 克服し、専門性を習得する(教育研修)ための支援を必要とする。すべての年齢の子どもたちの 抑制された思いや感情を、とくに声を上げることのできない乳幼児について、見抜く力を習得す る必要がある(3. 1)。2005∼2007 年に出版された SCR を振り返ってみると、専門家は、出来事 を客観的に検討したり調査するよりも、「すべてが問題なく順調である」ことを正当化したり再 確認したりする傾向にある。このような親に対する共感的態度は「親への要請」(親業の達成目 標)を低く設定してしまうことになる。子どもが何らかの援助を必要としている場合、「何もな されない」という対応は認められない。介入は子どもの保護と福祉の促進のために実施される (3. 2)。 早期予防介入は、虐待やネグレクトから子どもを予防/保護するだけでなく、子どものもつ潜 在能力の開花を支援するという意味でも重要である(3.3)。とくに学校や幼年児を対象とする施 設は、虐待の疑いのある子どもや追加的ニーズを必要とする子どもの、早期発見/介入/支援に おいて重要や役割を果たす。DCSF によれば、虐待で死亡したかもしくはひどい虐待を経験した 4歳以上の子どもの 68% は学校の出席状況が悪い。最近の『21 世紀学校戦略』(21 st Century Schools strategy)では、早期予防介入を目的とし全国フレームワークが明確にされた。学校(や 幼年児を対象とする施設)は、改革プランの作成に際して児童保護/虐待防止に最優先順位を与 えるよう努力する必要がある(3. 5)。したがって、Ofsted は、学校を対象とした査察システム を改正し、学校の児童保護/虐待防止に対する取り組みの成果を評価できる内容にすべきである (勧告、p.25)。 早期予防介入の窓口として、自治体の一般相談窓口(Call Centre)に連絡が入った場合、児童 虐待に関する連絡であれば、直ちにソーシャルワーカーと連絡が取れる人物に回線をつなげられ るように整備しておく必要がある(3. 6)。また病院の救急部のスタッフは、最近その子どもは どこかの救急部へ送致されたことはあるのか、また児童虐待防止プランの対象になっているの か、という疑問を調査するための手続き/方法に精通していなければならない。親は繰り返しで きた傷害を隠すために異なる医療機関を慎重に使い分けることも認識しておくべきであり、「救 急部にきたのは初めてである」という仮定や親の主張や説明に対する信頼を前提に対応してはな らない(3. 7、勧告.p.28)。もし虐待の懸念があるのなら、それに応じた対応が必要であり、子 の安全と福祉に対して懸念のある状態で退院させてはならない」(3. 8、勧告.p.28)。 近年、Threshold(敷居、入口)という言葉が児童サービスの専門家の間でよく使われている が、財源的制約あるいはスタッフの不足という事情があったにせよ、サービスへのアクセスを制 限する試みである。Threshold は法的な裏づけはなく『フレームワーク』でも使用されてない。 ― 230 ―

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それにもかかわらず、あまりにも高い水準に設定されアクセス(サービスの供給)を制限してい る。このようなことは 1989 年児童法 17 条の理念を踏みにじることになる(3. 11)。1989 年児童 法では、子どものニーズを充足するにあたって、ニーズの分類区別という手法は取られていな い。「ニードを持つ子」(in need)と定義されたなら、「重大な害のリスク」へと悪化しないよう に、モニターが保証されるべきである(3. 12)。 ソーシャルワーク実践は、プロセス(マニュアル/手続き)やターゲット(達成目標)が過剰 に強調されるため、ソーシャルワーカーに「自信の喪失」(自らの専門性に対する懐疑)をもた らすおそれがある。ソーシャルワーカーの専門性向上は、支援的な学習環境(専門的判断や技術 の継続的発展)で実践されることが重要である。したがって、規則的で、高い質を備えた、組織 化されたスーパーヴィジョンが重要となる。現状ではこれらに割かれる時間は十分でなく、個人 は自己責任で対応しており、児童虐待防止に関与するスタッフが度々直面する精神的ストレスの 解消になっていない。スーパーヴィジョンは、ターゲットの充足よりも、意思決定、リスク分析、 子どもの結果の改善に焦点を合わせた開放的かつ支援的なものでなければいけない(3. 15)。

ところで現在のデータシステム、とりわけ ICS(Integrated Children’s System)のベースとな る地方 IT システムは、煩雑なプロセスになっている。非常に複雑で、しかも長くて数の多い、 チェック式アセスメント/記録システムになっており、必ずしも専門的な判断や実践に役立って いない(実用的でない)、と証言するものが多くいる。チェック式アセスメントの完成や情報入 力に時間がとられ、子どもや家族と直接交流する時間がもてないことを懸念するものもいる(3. 17)。現在、ICS のベースとなる全国単一の IT システムは存在しない。ICS へ情報入力するのに 要する時間は地域によってまちまちである。単一の全国統合児童システムの導入が必要である。 (5)協働(Chapter 4) DCSFは WT をさらに徹底/強化させ、児童トラストは①∼③の課題を実現/保証するため に、適切なアクションを起こす必要がある。①他の専門家から児童サービスへの送致はすべて初 期アセスメント(児童および家族との直接関与を含める)まで実施し、送致した専門家と直接関 与(連絡)しフィードバックすること。②コアグループ会議、再検討(見直し)会議、ケースワ ーク決定には、児童に関与したすべての専門家、とくに警察、保健医療、若者サービス、教育関 係者は含まれること。記録がきちんと取られること。欠席者の文書による意見も含まれる。③児 童の安全に関する(異なるサービスの)専門家間の意見の食い違いを調整/解決するための(公 式)手続きを作成すること。 さらに、④警察、保護観察、精神医療(成人)、薬物アルコール治療のサービス関係者はすべ て、子どもの虐待防止を最優先した送致プロセスを熟知しなければならない。DV、薬物アルコ ール乱用が子どもを虐待やネグレクトの危険にさらす場合、自動的に送致されること。そして、 ⑤NSDU は、DV、成人精神医療問題、薬物アルコール乱用により子どもが何らかのリスクにさ らされる場合、その子どもを関する送致/アセスメントに関する指針要綱(ガイダンス)を緊急 ― 231 ―

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に開発する必要がある。 児童保護/虐待防止にとって、成人サービスと子どもサービスの協働が重要となる。現在、少 なくとも 20 万人の子どもは DV や暴力などハイリスクが確認されている自宅で生活している。 約 45 万人の親は精神疾患を抱えていると言われている。25 万から 30 万の子どもが問題となる 薬物使用の親をもち、130 万人の子どもはアルコール依存症と思われる親と同居している。こう した現状を確認したとき、成人に対応する専門職スタッフは児童/若者のニーズや(虐待の)リ スクを確認しアセスメントできるよう教育研修を受けることが重要である。しかし余りにも多く の送致/アセスメントが子どもに対する害のリスクをきちんと確認/アセスメントできず、適切 なアクションを起こせずにいる(4. 4)。ここには複雑な問題がある。DV の犠牲者や精神疾患を 持つ親が援助を求めることを躊躇わすような送致システム、すなわち援助の声を上げることが自 動的に子を養育する権利が危険にさらされるという不安を持たせるようなシステムであってはな らないことが重要である(4. 5)。 (6)児童関連サービス従事者(児童労働力:Chapter 5) スタッフは子どもたちの「安全の確保」と「福祉の向上」に大きな貢献をしている。しかし、 その貢献や専門性が社会から正当に評価も理解もされず、危機的な状況にあると感じている。と くに児童ソーシャルワーカーの士気は低い。多くの保健訪問員は膨大なニーズに対応しており、 小児科医や警察官も児童虐待防止施策はその任務の大変さ、責任の重大さと比較して地位/評価 が低すぎると報告している。その結果、子どもは重大な害のリスクにさらされることになる(5. 1)。 自治体児童ソーシャルワーカーの定員不足は 2006 年で 9.5%(教員 0.7%)で、転職率も 9.6% と非常に高い。自治体の 64% が児童ソーシャルワーカーの欠員補填に苦労しており(2008 年)、39% はその維持に困難をきたしている。いくつかの自治体では、ソーシャルワーカーの半 数以上は 1 年未満の経験しかない新任スタッフである。ある調査では、児童ソーシャルワーカー の 4 分の 3 近くは、平均ケース担当が 2003 年以来増えていると報告している。さらに悪いこと に、保健訪問員の数が過去 14 年間で最低である。また警察でも児童虐待防止チームに所属する ことは、下級職階(低い地位)とみなされるようである(5. 2)。これらの対応として、2008 年 12月、DCSF は『2020 児童若者労働力戦略』を出版し、児童関連サービス従事者すべてに対す る政府のヴィジョンを明確にした。さらに DCSF は『ソーシャルワーク改革支援委員会』(Social Work Task Force : SWTF)を設置し、児童や若者を対象とする(現場の)ソーシャルワークサー ビス従事者の役割と責務に焦点を当てた。これらは歓迎すべきことであるが、対象は普遍サービ スとりわけ教育に焦点がおかれ、ソーシャルワーカーにまで及んでいない(5. 3)。 現場(Frontline)のソーシャルワーカーとソーシャルワーク・マネジャーは相当なプレッシャ ーの下におかれている。スタッフの低い士気、粗末なスーパーヴィジョン、過剰なケース担当 量、資源の不足、不十分な教育研修などは、スタッフに高い水準のストレスをもたらし、定足数 ― 232 ―

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の補填/維持を困難にさせている。とくに児童虐待防止ソーシャルワークは厳しい状況にあり 「シンデレラ・サービス」(Cinderella service)と思われている。一方、教育は過去 10 年間に相 当な投資を受けたことは記憶に新しい。ソーシャルワーカーに対する公的な中傷は、スタッフの あらゆる面に否定的な結果をもたらす。またソーシャルワーカーに対するメディアの対応(否定 的/非難的報道)にも問題がある。高いモチベーションと自信を喪失したソーシャルワーカーの 存在は、さらに多くの子どもを危害にさらすことになる(5. 4)。 児童保護/虐待防止に要請される専門性を習得した有資格ソーシャルワーカーは全国/地方に おいて不足している。専任ソーシャルワーカーの高い転職率とその欠員を外国のソーシャルワー カーで埋め合わせるやり方は、一人のソーシャルワーカーが長期的な信頼関係(継続性)を築く ことができない(5. 5)。DCSF は SWTF の支援を受けて、ソーシャルワークの活動内容を明ら かにし、ソーシャルワーカーの「子どもの安全保障」という重大な社会貢献に対するメディアや 市民の誤解を解くための戦略を検討/開発すべきである(5. 6)。 このような状況におかれたソーシャルワークに、かつてのような輝きを取り戻そうとする試 み、すなわちソーシャルワーク再モデル化計画(再構築計画)が進められている。例えば、児童 ソーシャルワークの再モデル化計画(プログラム)とは、専門職協働(混成)チーム(multi− skilled)を導入し、(管理運営および協働の支援を受けながら)当チームにケースのマネジメン ト責任を委ねるという方法である。この方法の利点は、チームメンバーすべての専門性を活用 し、利用者のニーズにあった柔軟かつ効果的なケースマネジメントができることである。たとえ ば、子どもに対するサービスの連続性が確保され、ソーシャルワーカーは子や家族との接触から 疎外されることはない。また懸念をもったとき相談できる相手も居合わせ、共同で決定を下した り合同訪問したりすることができる。また管理運営上の支援を受けることで、ソーシャルワーカ ーが専門領域に集中することができる。当プログラムでは、経験を積み専門性を有するスタッフ は、児童関連サービスの他の領域で同様の技術と経験を有するものと同等の待遇が保証されるこ とになり、課せられた役割と責務の重要性を理解し士気を高めることにも繋がるであろう。当チ ームは(メンバー個人もそうであるが)、「リスクをもつ子ども」(虐待ケース)と「ニードをも つ子ども」の両方を受け持つことになる。ソーシャルワーカーは虐待ケースだけを担当するので はない(5. 8)。 事例を出して検討してみよう。再モデル化計画のポイントは、余りにも官僚的(手続き/指針 依存)、アセスメント中心になりすぎたソーシャルワークを、もっと子どもや家族との直接的な 関わり(介入)を大切にするソーシャルワークへ引き戻そうとする点にある。この目的を実現す るためのモデルが、ソーシャルワーク・ユニット(Social Work Unit : SWU)である。顧問ソー シャルワーカー(consultant social worker : CSW)のリーダーシップの下、SWU は、ソーシャル ワーカー、子育て(家族)支援員、家族療法家、ユニット・コーディネーターで構成される。当 ユニットは、子どもや家族と長期に亘る継続的な関係を結び、ニーズの変化に柔軟に対応する。 したがって、CSW は SWU に配属されたすべてのケースに対してすべての責任をもつ(p.48)。

参照

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