• 検索結果がありません。

弥 勒 仏 信 仰 と仏 像 -韓国古代弥勒信仰を中心に- 金 永 晃

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "弥 勒 仏 信 仰 と仏 像 -韓国古代弥勒信仰を中心に- 金 永 晃"

Copied!
19
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)佛 教 文化 学 会 紀 要. 第16号. 平成20年1月. 弥 勒 仏 信 仰 と仏 像 ‑韓国古代弥勒信仰を中心に‑. 金. 永. 晃. 一 、 は じめ に 弥 勒 信 仰 とは 、 現 在 仏 で あ る釈 尊 に対 して 未 来 仏 で あ る 弥 勒 を信 仰 す る こ とで あ る。 弥勒 と は、 現 在 佛 で あ る釈 尊 入 滅 後56億7千. 万年後、 この世. に 現 れ る こ とが 定 め られ て い る菩 薩 で あ る 。 つ ま り過 去 佛 、 現 在 佛 に 対 し て 当来 佛 、 未 来 佛 で あ る 。 そ して 、 弥 勒 は 現 在 佛 に な る修 行 中 の 菩 薩 で あ りな が ら仏 陀 と確 定 され て い る た め 、 「弥 勒 仏 」 と も呼 ば れ て い る 。 弥勒 は、現在 は仏 になるた め、まだ兜率天 で修行 中の菩薩 で あるが、次 の 仏 に な る こ とが 確 定 され て い る の で 、 特 に 弥 勒 仏(如. 来)と. 呼 ば れ た り、. そ の 像 も菩 薩 形 と如 来 形 で 造 れ る場 合 と して 通 用 され る。 仏 教 信 仰 とは 、 仏 教 経 典 、 教 理 、 思 想 か ら生 み 出 され る も の で あ り、 仏 像 は仏 教 信 仰 の象 徴 物 で あ る。 そ の 時 代 を反 映 す る歴 史 的 産 物 で あ る 。 そ の 時 代 の 状 況 か ら抜 け 出す こ との で き な い もの で あ る。 本 稿 で は 、 弥 勒 信 仰 が も って い る 本 来 の性 格 は何 か 、 そ の よ うな信 仰 が な ぜ 流 行 っ た の か 、 ま た 弥勒 信 仰 が 古 代 韓 国 社 会 に どの よ うな影 響 を もた ら した の か 、 ま た 仏 像 を通 して 見 られ る そ の 思 想 、 お よび 信 仰 の あ り方 を 考察す る。. 二 、 弥 勒 信 仰 の 発 生 と伝 来 弥 勒(Maitreya)は. 、 中国で は 「 慈 氏 」、 「慈 尊 」 と も 訳 され る が 、 そ. の役割 か ら 「 釈 迦 の 補 処 の 菩 薩 」 とか 「 渡 来 仏 」 と呼 ば れ る こ と も あ る 。 補 処 とは 、 一 生 補 処 の 略 で こ の一 生 を過 ぎ れ ば 次 は 仏 の 位 置 を補 う とい う意 味 で あ る。 つ ま り、 釈 迦(現 る 菩 薩 とい うこ とで あ る 。. 在 仏)の. 次 の 仏 とな る こ とが 定 ま っ て い. 1.

(2) 2. 弥勒 仏 は大 乗 仏 教 に 見 られ る 仏 の 中 で 、 唯 一 未 来 仏 と して 希 望 を もた ら せ る こ と に そ の 特 徴 が あ る。 弥 勒 信 仰 は 、 仏 教 が 三 国 時 代 に 受 容 され 最 初 に信 仰 され る が1、 各 時 代 こ と に 異 な っ た性 格 を も っ て い る。 これ に よ り 弥 勒 像 も各 時 代 こ とに特 徴 を表 して 造 られ る。 仏 教 信 仰 に お い て 弥 勒 仏 は未 来 仏 と して 、 こ の 地 上 の 人 々 を救 済 して く れ る とい う仏 で あ る。 も ち ろ ん 阿 弥 陀 仏 も未 来 仏 と して極 楽 浄 土 の 仏 で あ る が 、 阿 弥 陀 仏 は こ の世 で 活 動 す る仏 で は な い 。 しか し、 弥 勒 仏 は この 地 上 に 下 生 して 、 我 々 を救 済 す る とい う誓 願 を も っ て い る 仏 で あ る。 弥 勒 下 生 の 時 期 が 五 十 六 億 年 後 で は な く、 今 が そ の 時 期 で あ る と考 えれ ば 未 来 信 仰 で あ る 弥 勒 信 仰 は 、 当 然 、 現 世 的 な 信 仰 とい え る2。 仏 教 に は 多 様 な 仏 国 土 が 存 在 す る が 、 現 在 わ れ われ が 住 ん で い る こ の 世 が浄 土 で あ る とい う 思 想 は 弥 勒 信 仰 だ け で あ る。 こ こ に 弥 勒 信 仰 が 多 くの 人 々 に 強 く支 持 され る理 由 が あ る。 そ こ で 、 中 国 、 も し くは 韓 国 の 歴 史 上 自 ら弥 勒 で あ る と称 して 弥 勒 の 世 の 中 、す な わ ち現 世 浄 土 を 実 現 す る とい っ て 民 衆 の 支 持 を 得 よ う とす る宗 教 運 動 な い し社 会 改 革 の 弥 勒 信 仰 的 根 拠 を 見 る こ とが で き る3。 韓 国 に お い て 弥勒 信 仰 が 流 行 っ た 時 期 を 見 て も 、 社 会 混 乱 期 、 転 換 期 に か け て起 こ って い る。 三 国 時 代 の新 羅 末 の混 乱 期 、 高 麗 に お け る農 民 の 乱 、 蒙 古 の侵 略 時 期 、 壬 辰 、 丙 子 の 両 乱 、 朝 鮮 後 期 日政 時 代 の社 会 混 乱 期 に 弥 勒 信 仰 が 多 く流 行 っ た の で あ る。 三 国 時 代 に 仏 教 が伝 来 し、 初 めか ら各 々 異 な る性 格 を も っ て 展 開す るが 、 弥 勒 信 仰 も三 国 が 互 い に 異 な る様 相 と し て 受 容 され る。. (1). 高句 麗時代 の弥勒信仰. 高 句 麗 に 仏 教 が伝 来 した の は 、 小 獣 林 王(在. 位371〜384)の. 時代で ある。. 高 句 麗 の 弥勒 信 仰 の 内 容 は 、 事 例 が 乏 しい た め 、 そ の 内 容 を知 る こ とが で き な い が 、 仏 教 を伝 え られ た 前 秦 の 符 堅 王 が 敬 度 な 弥 勒 信 仰 の 信 奉 者 で あ っ た の で4、 仏 教 が初 め て 伝 来 し た 当 時(372年)に. 弥 勒 信 仰 も伝 来 した. 可 能 性 が あ る 。 高 句 麗 の 僧 、 順 道 に仏 像 と経 文 を伝 え た とい う前 秦 の 符 堅 王 は 敬 度 な 奉 仏 王 で あ っ た 。 彼 は 早 くか ら高 僧 道 安 に い くつ か の 仏 像 を贈 物 した こ とが あ る が 、 そ の 中 に 弥 勒 仏 も あ っ た 。 そ の 時 期 が 符 堅 王 の 要 請 に よ り道 安 が 長 安 に移 る以 前(379)の. こ とで あ っ た の で 高 句 麗 に順 道 が.

(3) 弥勒 仏 信 仰 と仏像‑韓. 仏 像 と経 文 を送 る 時 期(372)と. 国古 代 弥 勒 信仰 を 中心 に‑. ほ ぼ 同 じ時 期 で あ っ た こ と が窺 わ れ る 。. した が っ て 、 彼 が 高 句 麗 に送 っ た 仏 像 の 中 に 、 弥 勒 仏 像 が 入 って い た 可 能 性 は十 分 あ る 。 ま た 、 そ の 経 文 の 中 で 弥 勒 関 係 経 典 が 入 っ て い た 可 能 性 は 排 除 で き な い 。 弥 勒 像 を 送 らな か った と して も 、 弥勒 信 仰 は 当然 伝 来 さ れ て い た で あ ろ う と考 え られ る5。 符 堅 王 の 要 請 に よ り長 安 に 移 っ た 道 安 の仏 法 が 、 高 句 麗 に 直接 、 間接 的 に 少 な くな い 影 響 を 及 ぼ した の で あ り、 そ の た め、 弥勒 信 仰 も あ る程 度 、 影 響 が あ っ た こ とが 伺 わ れ る。 そ の 後 、 北 魏 に 弥 勒 信 仰 が 大 変 流 行 っ た こ とで 、 隣接 した 高 句 麗 に も 主 に北 魏 系 統 の 弥 勒 信 仰 が流 行 っ た と考 え られ る 。 北 魏 の 時 、 竜 門石 窟 に造 成 され た 弥 勒 像(尊. 像 名 が 明 記 され た も の). は 尊 像 全 体 の 大 半 を 占 め て い る6。 太 和19年 か ら延 昌4年(515)の. 間 、 造 成 され た うち 造 成 名 が 明 らか な. 古 陽 洞 の尊 像 は58躯 を 数 え る が 、 そ の 中 で 弥 勒 像 が24躯(釈. 迦 像 は20躯). も あ っ た7。 こ の よ うな 造 像 の 事 実 は 、 当 時 中 国 の 弥 勒 信 仰 が 大 変 流 行 っ て い た 証 拠 で あ る。 した が っ て 、 中 国 の 中 で も北 魏 仏 教 の 影 響 を 多 く受 け た こ と が考 え られ る 。 高句麗弥勒 信仰事 実に対す る決定 的な資料 は、二つ の金銅仏像 光背銘文 で あ る。 そ の 一 つ は 、 永 康7年 銘 金 銅 弥 勒 尊 像 光 背 銘 文 で あ り、 も う 一 つ は 、 辛 卵 銘 金 銅 三 尊 無 量 寿 像 の光 背 銘 文 で あ る。 永 康7年 銘 金 銅 弥勒尊 像. 光 背 銘 文 は 、1946年 平 壌 市 平 村 里 寺 跡 で 出 土 され た 。 在 銘 金 銅. 像 が 最 も 多 く知 られ た 高 句 麗 の 場 合 弥 勒 の 金 銅 像 と し て は 大 き い 光 背 を も っ て い る独 尊 で あ る が 、 仏 身 と台 座 は 訣 失 して い て 光 背 だ け が発 見 され た が 、 これ も 下 端 の 部 分 が な くな って 銘 文 が 完 全 で は な い8。 永康七年歳 次 甲 為 亡 母 造 弥勒 尊 造 祈願 令亡者 神昇覚 慈 氏三會 之初 悟元生念 究寛心果 堤若 有罪右願 一次消滅 随 喜 者 等 同 比願9. こ の 光 背 の 大 き さ は 高 さ21セ ン チ 、 幅15セ ンチ の 大 形 で あ る10。 銘 文 の. 3.

(4) 4. 一 行 目 に 見 られ る 「 永 康7年 (396)と. 」 の 年 代 に対 して は 、 最 初 は 広 開 土 王6年. して推 定 す る説 で あ っ た が11、 こ れ よ り下 っ た 見解 も あ り12、 こ. の弥 勒 像 が 少 な く とも辛 卵 銘. 無 量 寿 像 よ り遡 ら な い と い う見 解 も あ. る13。 この 銘 文 は 、 名 前 が 見 え な い 造 像 者 が そ の 亡 母 の た め 、 弥 勒 尊 像 を造 成 して 母 の霊 魂 が 弥 勒 尊 の 竜 華 三 会 説 法 に 会 い悟 りを得 た い とす る誓 願 を そ の 内 容 と して い る。 こ こ で 慈 氏 三 会(下. 線 は 著 者)と. は 、 弥 勒 仏 の竜 華 樹. 下成 仏 後 の 三 会 説 法 を指 す の で あ る 。 しか し、 こ の銘 文 を収 録 し た資 料 集 の 中 で 黄 寿 永 氏 の金 石 遺 文 を 除 い た そ の 他 の 資 料 に は 慈 氏 三 会 と な っ て い る 。 も っ と も最 近 に編 纂 され た 許 興 植 編 、 金 石 遺 文 に は 慈 氏 に な っ て お り、 そ の 以 前 の 著 書 に は す べ て 慈 民 に な っ て い る 。 お そ ら く黄 寿 永 氏 が弦 民 を 慈 氏 に直 して い た よ うで あ る 。 慈 氏 三 会 の 次 に 之 初 も黄 寿 永 氏 の 金 石 遺 文 を 除 い て は 亡 初 に な って い る14。 この 光 背 銘 は 直 接 現 品 に よ る も の で は な く、 不 鮮 明 な 写 真 に よ る判 読 で あ るの で は っ き り しな い 点 が あ る 。 次 に、 辛卵 銘. 金銅三尊 無量寿像 の銘. 文 を 見 る と、 景 四年在辛卵 比丘道 共諸 善知識那 婁 賎奴 阿王阿弥据 五人 共造 元量寿造 一躯 願 亡師父母生生 心 中常 値諸佛 善知識 等値 遇 弥勒 所 願 如 是 願 共 生一處 見佛 聞 法15. こ の銘 文 は1930年 黄 海 道 谷 山郡 花 村 面 蓬 山 里 で発 見 され た 。 こ の仏 像 は 平 原 王13年 に那 婁 ・阿 据 な ど五 人 が 父 母 の冥 福 を祈 願 す る た め に造 られ た の で あ る が 、 様 式 的 な 面 か ら見 る と北 魏 龍 門 仏 像 に近 く、 ま た 銘 文 の 文 体 龍 門 石 窟 群 の形 態 に近 い16。 こ こ か ら高 句 麗 の 弥 勒 信 仰 は 北 魏 に 近 い 弥勒 信 仰 で あ る こ とが わ か る 。 そ こ で 、 造 像 者 た ち は無 量 寿 仏 と して こ の仏 像 造 りは 弥勒 の 値 遇 を 祈 願 す る こ とに な っ て い る。 常 識 的 に 考 え る と亡 父 母 た め に無 量 寿 仏 を造 成 す る な らば 西 方 極 楽 浄 土.

(5) 弥勒仏信仰 と仏像‑韓. 国古代弥勒信仰を中心 に‑. の往 生 を祈 願 す る の が 当然 で あ る はず だ が 、 こ こで は 西 方 往 生 の祈 願 で は な く無 量 寿 仏 と は全 く関 係 の な い 弥 勒 仏 へ の値 遇 を祈 願 す る の で あ る。 この 問題 に 対 して 次 の よ うな 見 解 が あ る。 す な わ ち 、 彼 らは礼 拝 対 象 の 本 来 の 意 味 か ら見 る と、 礼 拝 以 前 に 阿 弥 陀 仏 と弥 勒 仏 との 機 能 の 未 分 化 状 態 の 浄 土 信 仰 を持 っ て い た17。 これ は 阿 弥 陀(無. 量 寿 仏)と. 弥 勒 との 二 つ. の 浄 土 が 明確 に 分 化 され て な い こ とを 意 味 し、 仏 名 が違 うこ とに よ り機 能 上 の 相 違 が 存 在 す る こ と が わ か っ て な い こ とを 意 味 す る 。 礼 拝 対 象 と して そ の 機 能 を知 る こ とに よ り、 次 第 に 阿 弥 陀 浄 土 往 生 信 仰 と弥 勒 浄 土 往 生 信 仰 の 二 つ の 信 仰 が 分化 固 定 して 行 くこ とが 自然 で あ る。 しか し、 この 仏 像 か らは 分 化 の 状 態 を 見 る こ とは で き な い18。 この よ うな 現 象 は 、 礼 拝 上 本 来 の機 能 を識 別 で き な い 未 分 化 状 態 信 仰 で あ る とい う よ りも 、 む し ろ仏 教 信 仰 は 、 中 国 か ら伝 来 して 受 容 され る初 期 的 現 象 で あ る と考 え られ る 。 北 魏 時 代 造 成 され た 龍 門石 窟 の 仏 像 の 中 に は 、 無 量 寿 像 を 通 じて 弥勒 信 仰 を 表 す 場 合 の み な らず 、 観 音 と釈 仏 像 を 通 じて も 弥 勒 を祈 願 す る場 合 が 少 な くな い 。 この よ うな 信 仰 行 為 は 必 ず し も弥 勒 仏 を 礼 拝 対 象 と しな くて も 当 然 弥 勒 仏 同 様 の功 徳 が 積 む こ と が で き る、 す な わ ち無 量 寿 仏 、 も し く は釈 迦 仏 、 観 音 像 造 成 に よ っ て も弥 勒 値 遇 の祈 願 が 可 能 で あ る とい う発 想 か らで あ る19。 この 他 、 高 句 麗 の 弥 勒 金 洞 仏 像 と して 半 跏 思 惟 像 一 躯 が 知 られ て い る 。 1940年5月. 平 壌 市 平 川 里 古 代 寺 跡 か ら出 土 され て 、 終 戦 後 南 下 した も の で. あ る。 これ は 個 人 所 蔵 で 国 宝 に 指 定 され て い る も の で あ る。 火 中 で 右 の 手 が 欠 損 され て 宝 冠 部 分 は傷 だ ら け で あ る が 、 下 部 の蓮 華 台 と共 に そ の様 式 が 窺 われ る 。 高 さ1.5セ ン チ の5像. で あ り、 年 代 は6世. 紀 末 頃 で あ る と推. 定 され て い る20。 ま た 、 高 句 麗 土 像 と して 日政 時 、 満 州 半 拉 城 寺 蹟 か ら半 跏 像 破 品 が 発 見 され た が、 故 水 野 静 一 教 授 は 高 句 麗 作 と して 発 表 した21。. (2). 百済 時代の弥 勒信仰. 百 済 の仏 教 伝 来 は 、 枕 流 王(在 位384〜385)時. 代 で あ る。 百 済 の 仏 教 初. 伝 は 東 晋 か らで あ り、 そ の後 も南 朝 の 仏 教 が 百 済 に影 響 を及 ぼ した の で あ る 。 そ して 弥 勒 に 関 す る経 典 も大 陸 を 通 じて 高 句 麗 を経 て 伝 わ っ た とい う よ りも、 東 晋 も し くは 南 朝 か ら海 を渡 って 伝 わ っ た とい う見 方 が 自然 で あ る 。 弥 勒 信 仰 も ま た 南 朝 の影 響 が大 きか っ た と推 測 され る。 百 済 の 資 料 は. 5.

(6) 6. 極 め て 稀 で 断 片 的 にそ の性 格 を伝 え て い る が 、 そ の 中 で も弥 勒 信 仰 の 関 係 資 料 を探 し て 見 る こ とが で き る 。 第26代 聖 王 は 、 都 を夫 余 に移 して 仏 教 を 大 き く興 した が 、 特 に 当 時 は 弥 勒 信 仰 が 盛 ん に 流 行 っ た と見 られ る 。 『弥 勒 仏 光 寺 事 跡 記 』 に よれ ば22、 聖 王4年(526)に. 沙 門 謙 益 は イ ン ドに行 き、 中 イ ン ド ・常 伽 那 大 寺 行 っ. て 律 文 を 勉 強 して 、 律 蔵 を 持 っ て 百 済 に 帰 っ て72冊 を 翻 訳 した との 記 録 が あ る。 弥 勒 仏 光 寺 は 、 今 は 、 い つ 、 ど こ に 建 て られ た の か 、 そ の 場 所 は わ か らな い が 、 国 立 大 伽 藍 と して 百 済 仏 教 律 蔵 の 祖 師 に な る謙 益 師 が あ っ た 寺 と して 、 弥 勒 仏 を まつ り、 寺 の 名 前 を 弥勒 仏 光 寺 とい っ た こ と と思 わ れ る。 こ こか ら百 済 弥 勒 信 仰 の 痕 跡 を探 す こ とが で き るの で あ る。 そ して 事 跡 記 の 内 容 を 見 る限 りで は、 弥勒 仏 光 寺 が 聖 王 と謙 益 との 関 連 に つ い て 窺 うこ とは で き な い 。 聖 王 の 時 の こ とが事 跡 に書 か れ て あ る の で 、 この 寺 が 聖 王 当 時 に 建 て られ た と推 測 す る の み で あ る。 た だ 聖 王 と弥 勒 仏 光 寺 との 関 連 に つ い て は 弥勒 信 仰 王 で あ っ た の で 、 聖 王 とい う廟 号 と弥 勒 が 関 連 性 を も っ て い る こ とで あ る 。 経 典 に よ れ ば 、 転 輪 聖 王 に よ る 正 法 治 国 が 完 成 す る時 、 弥 勒 仏 が 出 現 す る とい うの で あ る 。 そ の転 輪 聖 王 か らの ち の 二 字 を と っ て 王 名 と した 可 能 性 が あ る23。 『朝 鮮 仏 教 通 史 』 に は 、 『日本 書 記 』 を 引 用 して 、 百 済 王 が 日本 に初 め て 仏 教 を伝 えた 時 、 金 銅 釈 迦 像 一 躯 と弥 勒 石 仏 が 送 られ た こ とに な っ て い る が 、 実 は 『日本 書 記 』 該 当 条 に は 弥勒 仏 像 は 入 っ て い な い 。 百 済 の 弥勒 像 が 日本 に初 め て渡 っ た の は 聖 王 代 で は な く、 次 の王 で あ る威 徳 王 代 で あ る 。 威 徳 王31年 に 当 た る 日本 の 敏 達13年(584)9月. に 、 鹿 深 臣 が 日本 に. 帰 る 時 に 弥 勒 石 像 一 躯 を 持 っ て い っ た の で あ る24。 と も か く聖 王 代 に は 弥 勒 信 仰 が あ っ た と考 え られ る の で あ る 。 威 徳 王(23〜26)の 真 智 王(576〜579)時. 時 、 新 羅25代. に 新 羅 、 興 輪 寺 僧 、 真 慈 が 弥 勒 仙 花 を合 うた め に熊. 川 水 源 寺 に い っ た が 、 そ の 門 の 前 で弥 勒 仙 花 に 会 っ た とい うこ とは 百 済 弥 勒 信 仰 の 事 実 を伝 え て い る。 百 済 は 、 武 王4年(603)に. 金 銅 弥 勒 菩 薩 像 を 日本 に送 っ た が 、 当 時 の. 聖 徳 太 子 は 臣 下 泰 川 勝 に そ れ を 贈 っ た 。 彼 が蜂 岡 寺(広. 隆 寺)を 建 立 して. そ の仏 像 を奉 安 し た の で あ る が 、 そ の像 は 恭 敬 尊 崇 す る 人 々 に願 い ご とを 叶 え て くれ た とい う霊 験 談 の 不 思 議 な話 しが 伝 え られ て い る25。 百 済 仏 教 に対 して は 、 早 くか ら戒 律 的 性 格 が強 調 され て い た が 、 これ は.

(7) 弥勒仏信仰 と仏像‑韓. 国古代弥勒信仰 を中心に‑. 当 時 流 行 っ た 弥 勒 信 仰 と密 接 な 関 わ りが あ る と思 われ る。 弥 勒 信 仰 は 十 善 戒 を 中心 とす る持 戒 を強 調 す る信 仰 で あ る 。 弥 勒 上 生 信 仰 に お い て 、 兜 率 天 に往 生 す る た め に持 戒 の 重 要 性 を 強 調 し て い る 。 下 生 信 仰 に お い て も 人 々 は 十 善 戒 を ま も り、 心性 と 品性 を備 え る と弥 勒 仏 が 出 現 す る とい う。 ま た 弥 勒 仏 が 出 現 して 竜 華 三 会 の説 法 の 時 、 この 竜 華 三 会 に参 加 す る 為 に は 、 衆 生 が 戒 律 を守 り実 践 しな けれ ば な らな い 。 百 済 仏 教 は 東 晋 か ら伝 わ っ た の で あ る が 、 当 時 、 東 晋 仏 教 は 戒 律 に厳 し く、 戒 律 を 重 要 視 した の は社 会 的 に 重 要 な意 味 を持 っ て い る。 す な わ ち 、 当 時 の 仏 教 徒 にお い て は戒 律 を よ く守 る者 が 一 般 庶 民 か ら尊 敬 され る。 お そ ら く、 マ ラナ ン タ は こ の よ うな 戒 律 重 視 の東 晋 仏 教 を 直 接 経 験 し、 百 済 に も戒 律 中 心 の 仏 教 が伝 わ っ た と考 え られ る 。 当 時 、東 晋 仏 教 を 代 表 す る 人 物 は 慧 遠(334〜416)で. あ る26。. 百 済 が 日本 に 仏 教 を伝 え る 時 に、 弥 勒 石 像 を 送 っ た とい うこ とは 、 当 時 、 百 済 仏 教 の 弥勒 信 仰 の 事 情 を 教 え て くれ る も の と し て 注 目 され る 。 た とえ 日本 伝 来 初 め の 日本 弥 勒 信 仰 受 容 が 、 延 寿 命 を 祈 る も の で あ っ た と し て も27、 再 び 弥勒 信 仰 の 新 しい 展 開 は 律 令 社 会 の 思 想 的 基 調 に な っ た の で あ り、 百 済 弥 勒 信 仰 の新 しい 受 容 と見 て よい 。. (3). 新羅 時代の弥勒 信仰. 新 羅 の 弥 勒 信 仰 は 、 高 句 麗 、 百 済 の 弥 勒 信 仰 が 共 に受 容 され て い る。 し か し、 新 羅 の 弥 勒 信 仰 は、 初 め に は個 人 的 信 仰 よ り王 室(ま. た は 花 郎)と. の 関 わ り と して 表 れ 、 王 権 強化 過 程 ま た は 国家 発 展 の思 想 的 背 景 と して受 容 され た の で あ る。 そ の 為 、新 羅 の 国 家 発 展 に 伴 い 「弥 勒 信 仰 」 の 性 格 も 変 わ っ て い く。 新 羅 と百 済 の 弥 勒 信 仰 の 特 質 を 比 較 す る と新 羅 の 弥 勒 信 仰 は 、 弥 勒 様 が 花 郎 に顕 現 す る とい う点 で 、 弥 勒 信 仰 を人 格 に具 顕 を 理 想 と した とい え る 。 新 羅 第23代 法 興 王51年(518)に. 初 め て 仏 教 を公 的 に信 奉 す る よ う に な. り28、そ の後 、 新 羅 仏 教 の 新 しい 展 開 と共 に新 羅 で 一 番 先 に 建 立 され た と い う興 輪 寺 が 弥 勒 尊 像 を奉 安 した 事 実 は 注 目 され る。 す な わ ち 、 真 智 王 の 時 に興 輪 寺 の僧 、 真 慈 法 師 が 弥 勒 像 の前 で 弥 勒 大 聖 が花 郎 と して この 世 に 出 現 され る の を祈 り、 弥 勒 が 花 郎 と して 出現 した とい うの が そ れ で あ る29。 弥 勒 信 仰 と花 郎 との 密 接 な習 合 関 係 は 早 くも 注 目され て 、1930年 代 日本. 7.

(8) 8. の 学 者 、 八 百 谷 孝 保 が こ の点 を指 摘 した こ とが あ り、 そ の 後 、 黄 寿 永 、 金 煤 泰 、 金 相 基 、 田村 圓 澄 な ど諸 氏 も この 点 を 論 じ た こ と が あ る30。 本 来 、 花 郎 徒 に は 、 需 ・仏 ・道 三 教 が 含 ま れ て い た の で あ る が31、 仏 教 に お い て は 弥 勒 下 生 信 仰 が 主類 を成 して い る 。 花 郎 徒 に 対 して は 既 存 の 学 説 を 中心 に 、 そ の起 源 、 組 織 等 を窺 っ て 見 る と、 次 の 通 りで あ る。 花 郎 徒 は 、 三 韓 時 代(馬 韓 ・辰 韓 ・弁 韓)村. 落 共 同体 を基 盤 と して成 長. 発 展 して き た の で あ るが 、15才 か ら18才 の性 と年 齢 を 単 位 と して 組 織 され た 青 少 年 組 織 で あ る。 この 青 少 年 組 織 は 法 興 王7年(520)律. 令 が宣布 さ. れ た 以 後 、 政 治 制 度 が 法 制 化 、 組 織 化 され て行 き、 真 興 王 代 に 入 っ て活 発 な征 服 事 業 と し て軍 事 が 多 く必 要 とな る に至 っ て 中央 軍 組 織 が編 成 され 始 め た の で あ る。 こ の 時 、 青 少 年 組 織 、 す な わ ち 花 郎 徒 は 中央 軍 の 補 助 役 割 をす る軍 隊 と し て 吸 収 され た 。 そ の 時期 は 、 真 興 王23年 に花 郎 斯 多 含 の活 動 記 録 が あ る こ とを 見 る と、 そ の 以 前 、 す で に 花 郎 徒 が 国 家 の 公 式 機 構 と して 整 備 され た こ とが わ か る32。 花 郎 徒 と弥勒 信 仰 の 関 係 を 見 る と、 真 興 王 代 の 法 制 化 され た 時 か ら真 興 王 の 転 輪 聖 王 思 想 具 現 の 一 環 と して 意 味 が 付 与 され て 、 次 第 に 貴 族(真 骨)出. 身 で あ る花 郎 は 僧 侶 た ち に よ っ て 弥 勒 出 身 と して 仰 が れ た の で あ る 。. これ は 、 も ち ろ ん 貴 族 で あ る花 郎 が 弥 勒 菩 薩 と して 象 徴 され る 時 、 王 室 と の 円 滑 な 妥 協 を 計 ろ う とい う 一面 も あ っ た の で あ る。 花 郎 徒 の 組 織 は 、 花 郎 集 団 ご と に貴 族 出 身 花 郎 一 人 と、 教 師 と して 花 郎 徒 を教 訓 、 指 導 す る僧 侶 若 干 名 、 貴 族 以 下 平 民 に 至 る数 百 人 の朗 徒 た ち と して構 成 され た 。 彼 らは 自分 の 意 思 に よ って 自発 的 制 約 形 式 を通 して 組 織 され た が 修 練 期 間 を三 年 義 務 と して 名 山 大 川 を巡 礼 しな が ら心 身 を 鍛 練 し た 。 彼 らの 修 練 に は 巫 俗 的 、 呪 術 的 伝 統 が 強 か っ た 。 花 郎 徒 は王 系 の 貴 族 か ら平 民 に 至 る ま で す べ て の 社 会 的 階 層 網 羅 した 半 民 半 官 組 織 で あ っ た33。 花 郎 徒 が そ の理 念 と して い た の は 、 ほ か に は な い 仏 教 の理 想 国 家 国 土 観 で あ る 弥 勒 浄 土 を 具 顕 す る こ とに あ っ た 。 竜 華 樹 下 三 会 の説 法 に値 遇 し、 往 生 を 受 け よ う とす る 弥勒 下 生 信 仰 を新 羅 とい う現 実 国 土 に そ の ま ま 竜 華 三 会 を描 い て み よ う とす る もの で あ った34。 そ して この 花 郎 の 理 念 は 、 真 興 王 の 二 人 の 王 子 た ち が 名 前 を 各 々銅 輪 と 金 輪 と して 弥 勒 下 生 経 に説 い た 秩 序 正 然 た る 安 楽 安 穏 で 怨 賊 が な い 理 想 国 家 を、 現 実 の 新 羅 国 土 に建 設 しよ う と した政 治 的 ・宗 教 的 理 念 そ れ で あ る。.

(9) 弥勒仏信仰 と仏像‑韓. 国古代弥勒信仰 を中心に‑. 三、 弥勒 信 仰 の所 依経 典 弥 勒 信 仰 の 発 生 は 印 度 か らで あ る が 、 紀 元 前300年 頃 竺 法 護 が 最 初 の 弥 勒 経 典 の 『弥勒 成 仏 経 』 を漢 訳 した こ とか ら見 る と、紀 元 前2世. 紀頃 か ら. 2世 紀 頃 ま で の 間 に 、 大 乗 仏 教 の 人 達 に よ っ て伝 来 され た 。 一 方 、 仏 教 美 術 史 の 資 料 と して は 、仏 像 の発 祥 地 と して 有 名 な ガ ン ダ ー ラ地 方 に弥 勒 菩 薩 像 が あ り、 マ トラ で も ク シ ャ ン王 朝 の フ ビ シ ュ カ 王29年 銘 の 水 瓶 を持 った 弥 勒 菩 薩 像 や シ ク リ出 土 の2世 紀 前 後 半 の 弥 勒 菩 薩 像 が 発 見 され て い る。 こ れ らの資 料 は 、 印 度 で 紀 元2〜3世. 紀 頃 に 弥 勒 信 仰 が あ る程 度 盛 行 し. た こ と を物 語 っ て い る 。 玄 装 の 著 した 『西 域 記 』 の 無 着 の 弥 勒 信 仰 に対 す る記 事 が 見 られ る が 、 内 容 か ら見 て 、 そ れ が無 着 の 個 人 的 な 信 仰 形 態 に と どま らず 、 広 い 地 域 ま で 波 及 して い た こ と が窺 い 知 れ る 。 こ の 印 度 の 弥 勒 信 仰 は 、 『弥 勒 下 生 経 』 を 中 心 と した も の で あ る35。 と こ ろ が 、 弥 勒 の信 仰 を考 え る上 で 、 重 要 な 出 掛 か り とな る の が 『弥 勒 へ の 約 束 』 と い う 『経 』 で あ る 。 これ は サ ン ス ク リ ッ ト語 で 書 か れ 、 チ ベ ッ ト語 に 訳 され て 、 中 国語 に 何 度 も 訳 され て 東 ア ジ ア に伝 播 され た 。 そ の 『弥 勒 へ の 約 束 』 内容 に つ い て は 、 とほ う も な く遠 い 未 来 の こ とで あ る 。 そ の 時 、 人 間 の 寿 命 は8万 歳 に な って い る。 そ こ に は 豊 か で 清 らか な世 界 が 実 現 して い る こ とで あ る。 転 輪 聖 王 とい う理 想 の 王 様 が現 れ 、 世 の 中 を 平 和 に 治 め る だ ろ う と。 そ の 時 、 弥 勒 が 兜 率 天 か ら下 生 す る 。 の ち の 時 代 に で き た 仏 教 経 典 の 目録 が 随 分 沢 山 の 翻 訳 が あ っ た 。 中 国 に お い て は 、 大 安2年(303年)に. 弥 勒 経 典 を訳 出 した 竺 法 護 や 、. 『弥勒 下 生 経 』 と 『弥 勒 成 仏 経 』 を翻 訳 し た鳩 摩 羅 什 、 そ して 『弥 勒 上 生 経 』 を 訳 出 した 沮 渠 京 声 な ど、 出 身 地 か ら学 ん だ 背 景 か ら、 西 域 地 方 で伝 え られ た 経 典 に 根 拠 して 、 西 域 人 に よ っ て 翻 訳 され た こ とが わ か る。 ま た 玄奘 の 『大 唐 西 域 記 』 の 記 述 か ら 中 国 の 弥 勒 信 仰 が 西 域 を 通 して伝 え られ た こ と が窺 え る36。 つ ま り、 中 国 の 初 期 弥 勒 信 仰 と西 域 諸 国 の 弥 勒 信 仰 と の深 い か か わ りを裏 付 けて い る 。 中 国 にお け る最 初 の 弥 勒 信 仰 者 は道 安 で 、 弟 子 の 曇 戒 、 法 遇 な どそ の 門 徒 た ち に よ っ て 弥 勒 信 仰 が展 開 した とい うの が 通 説 で あ る。 道 安 に 続 い て 中 国 弥 勒 信 仰 史 上 有 名 な 人 物 が 法 賢 で あ る。 彼 は 印 度 と西 域 地 方 を旅 行 し. 9.

(10) 10. た 後 、 西 域 、 印 度 の 弥 勒 信 仰 を 中 国 に伝 えた の で あ る が 、 そ の神 秘 的 弥 勒 霊 験 談 は5世 紀 初 期 、 中 国 人 の 信 仰 に 大 きい 影 響 を も た ら した の で あ る。 弥 勒 に対 して 、 直 接 ・間 接 的 に 見 られ る経 典 は50余 りで あ る37。 そ の 中 に は 、 同 本 異 訳 も多 い が 弥 勒 の 名 前 が表 れ て お らず 、 ま た 弥 勒 経 典 の 主 人 公 で もな い の に そ の役 割 を演 ず る も の もあ る。 これ らの性 格 に よ り分 類 す る と、 第 一 に 、 阿 含 経 類 の よ うに 弥 勒 に 対 して部 分 的 に 言 及 され る 比 較 的 初 期 の 経 典 と して は 、 (1). 『増 一 阿 含 経 』19巻. 、 「 等趣 四諦 品」第三経 、及び巻 四四. 十 不善 品. 第 三 経(『 大 正 蔵 』 巻 二)、 (2). 『中 阿 含 経 』13巻. 、 「王 相 応 品 」 説 本 経(『 大 正 蔵 』 巻 三)、. (3). 『長 阿 含 経 』6巻. 、 「転 輪 聖 王 修 行 経 」 説 本 経(『 高 麗 大 蔵 経 』 巻 十. 七)、 (4). 『賢 愚 経 』 巻12「. 波 婆 離 品 」(『大 正 蔵 』 巻 四)、. 第 二 に 、 弥 勒 の 内 容 のみ を 内 容 とす る大 乗 経 典 類 と して は 、 (1). 『弥 勒 来 時 経 』(『 大 蔵 経 』14巻No457、pp,434〜435)、. (2). 『弥 勒 下 生 経 』(『 大 蔵 経 』14巻No453、pp,421〜423)、. 訳者不 明 竺 法護 訳. (303年?) (3). 『弥 勒 下 生 成 仏 経 』(『 大 蔵 経 』14巻No454、pp,423〜425)、. 鳩摩羅. 什 訳(402?) (4). 『弥 勒 下 生 大 成 仏 経 』(『 大 蔵 経 』14巻No456、pp,428〜434)、. 鳩摩. 羅 什 訳(402) (5). 『弥 勒 下 生 成 仏 経 』(『大 蔵 経 』14巻No455、pp,426〜428)、. (6). 『観 弥 勒 菩 薩 上 生 兜 率 天 経 』(『 大 蔵 経 』14巻No452、pp,418〜423)、. (701). 沮 渠 京 声 訳(455?) (7). 弥勒菩 薩所問本願経. (8). 弥 勒 所 問本 願 経. (9). 弥勒菩薩 所問経. (10). 弥勒 菩 薩 所 問 経 論. 義浄 訳.

(11) 弥勒仏信仰 と仏像‑韓. 国古代弥勒信仰 を中心に‑. 第 三 に 、 『華 厳 経 』 『維 摩 経 』 の よ うに弥 勒 が 主 人 公 で は な い が 、 そ の 役 割 の 意 味 が 分 か る 大 乗 経 典 類 と、 第 四 に 、密 教 経 典 類 で あ る 。 この 中 で 、 弥 勒 信 仰 の 内 容 を最 も よ く表 して い る の が 、 第 二 の 「 弥勒 六 部 経 」 で あ る。 『弥 勒 六 部 経 典 』 の 中 で 、(3)(4)(6)を. 『弥 勒 三 部 経 』 とい い 、 成. 立 順 序 と して は 『弥 勒 成 仏 経 』、 次 に 『下 生 経 』、 『上 生 経 』 の 順 で あ る説 と38、『下 生 経 』、 『成 仏 経 』、 そ し て 『上 生 経 』 に発 展 した とい う二 説 が あ る39。 新 羅 に 初 め て 伝 わ った の も 「弥勒 六 部 経 」 で あ っ た と見 られ る。 時 期 的 に は七 世 紀 後 半 で 新 羅 僧 侶 た ち の 弥 勒 経 典 に 対 す る 論 疏 を 見 る と、 元 曉(617〜686)弥. 勒 上 生 経 宗 要(存)1巻 弥 勒 上 生 経 疏1巻. 圓 測(613〜693)弥 憬 興(神. 勒上 生 経 略 賛2巻. 文 王 時 代)弥. 勒 上 生 経 料 簡 記(存)2巻 弥 勒 下 生 経 疏(存)1巻 弥 勒 成 仏 経 疏(存)1巻 弥 勒 逐 義 述 文4巻 弥 勒 経 術 賛3巻. 義 寂(神. 文 ・孝 昭 王 代)弥. 太 賢(景 徳 王 代)弥. 勒 上 生 経 料 簡1巻 勒 上 生 経 古迹 記1巻. 弥 勒 下 生 古迹 記1巻 弥 勒 成 仏 経 古迹 記1巻 な どが あ り、 「 弥 勒 三 部 経 」 が す べ て 伝 わ っ た こ とが 分 か る。 特 に 「弥 勒 上 生 経 」 に対 す る論 疏 が 集 中 され て い る こ とを 見 る と 「上 生 経 」 に 対 す る 関 心 が 大 き か っ た こ とが わ か る 。 これ は 新 羅 中 代 以 後 、 浄 土 信 仰 と して 弥 勒 上 生 信 仰 に対 す る 関 心 も共 に 表 し で い る。. 四 、弥 勒 仏 の造像 仏 像 は 、 仏 教 信 仰 の対 象 物 と して 経 典 に 定 め られ た儀 軌 に した が っ て造 像 され る。 しか し、 仏 像 は あ くま で も彫 刻 品 で あ るた め製 作 者 の意 識 、 当 時 の様 式 の 流 行 、 発 願 者 の 信 仰 内 容 が 集 約 され る 社 会 的 所 産 物 で あ る。 弥 勒 信 仰 に お い て も、 そ の 信 仰 の 象 徴 物 と して 弥 勒 像 を造 像 して 信 仰 の 対 象. 11.

(12) 12. とす る が 、 上 生 信 仰 、 下 信 信 仰 が 並 存 して い た た め 弥 勒 菩 薩 、 弥 勒 如 来 と も通 用 され る こ と と な る 。 上 生 信 仰 に よ れ ば 弥 勒 像 は 兜 率 天 か ら閻 浮 提 に 下 生 す る ま で 修 行 説 法 す る菩 提 形 の 姿 で あ る。 下 生 信 仰 に よ る と弥 勒 が バ ラ モ ン家 に 生 まれ 出 家 学 道 して 竜 華 樹 下 で 得 道 して 三 会 説 法 す る姿 で 如 来 形 に な る。 しか し、 これ は原 則 にす ぎ な く発 願 者 の信 仰 内容 に よ っ て 変 わ る 。 弥 勒 如 来 の 場 合 、 立 像 、座 像 、 椅 座 像 の 場合 が多い。 「 上 生 経 」 に お い て は 成 道 した 弥 勒 如 来 の 姿 に 対 して何 も説 明 が な い た め釈 迦 如 来 の よ うに施 無 畏 與 願 印 の 場 合 が 多 い 。 この 場 合 、 弥 勒 が 下 生 し て 出 家 した 様 子 が 釈 迦 牟 尼 と同 じ く、 未 来 に釈 迦 仏 が衆 生 救 済 の た め 第 二 の 釈 迦 と して の 意 味 が あ る。 『下 生 経 』 に よれ ば 、 弥 勒 菩 薩 は 閻浮 提 に 下生 して 竜 華樹 下 で成 道 した 後 、 摩 詞 迦 葉 に よ り釈 迦 牟 尼 仏 の 袈 娑 を 受 け と り釈 迦 牟 尼 仏 と同 じ姿 と し て 、 袈 娑 を着 て い る こ とが 分 か る 。(弥 勒 菩 薩 の 場 合 、 『上 生 経 』 に そ の姿 の 説 明 が 記 され て い る 。) 「時 兜 率 陀 天 七 宝臺 内 趺坐. 身如 閻浮檀金 色. 頂 上肉階髪 紺瑠璃色. 摩尼殿 上師子 床座 長 十 六 由旬 釈 迦 毘楞 伽 摩 尼. 忽然下生. 三十二 相八十種 好. 於蓮 華上結伽 皆 悉具足. 百 千 萬 億甄 叔 迦 宝 以 天 冠. 其. 天 宝 冠 有 百 萬 億 色 一 一 色 中有 無 量 百 天 化 仏 諸 化 菩 薩 以 為 侍 者 」、 『大 正 蔵 』 巻 十 四 、p.419.. 兜率 天. 七 宝臺 内. 摩 尼殿上. 獅 子 床 座 の忽 然 下 生 して 蓮 華 上 に 結 加. 映 座 す る が 身 体 は 閻 浮 檀 金 色 で 身 長 は16有 旬 で32相80種 子 を備 えた 。 頂 上 に は 肉 階 が あ る が 髪 は瑠 璃 色 で 、 釈 迦 の 毘楞 伽 宝 珠 と百 万億 の甄 叔 迦 宝 で 天 冠 を飾 りそ の 天 冠 か ら百 万 億 色 が 出 て 一 つ 一 つ の色 に は無 数 の 化 仏 が 出 て い ろ ん な 菩 薩 を侍 者 と した 。 ま た 、 弥 勒 菩 薩 の 中、 交脚 坐 像 と半 助町 思 惟 像 が あ るが 、 この よ うな 様 式 は 椅 子 生 活 す る ギ リシ ア 系 ガ ン ダ ー ラ地 方 か らは じ ま っ た で あ ろ う と考 え られ る 。3世. 紀 中 頃 に 造 られ た もの と さ れ る 東 京 国 立 博 物 館 所 蔵 の ガ ン. ダ ー ラ交 脚 菩 薩 坐 像 は華 麗 な冠 と長 身具 で 身 体 全 体 を飾 っ て い る40。(図1).

(13) 弥 勒 仏 信仰 と仏 像‑韓. 国 古 代 弥勒 信 仰 を中 心 に‑. 普 通 な ら ば弥 勒 菩 薩 の場 合 、 兜 率 天 で 説 法 す る様 子 を表 して い る。 兜 率 天 か ら下 生 して 竜 華 樹 下 で成 道 す る 前 ま で菩 薩 の 形 を 表 す と ころ を見 る と、 上生 信 仰 の 場 合 ば か りで は な く、 下 生 信 仰 も 表 す 場 合 が あ る が 、 半 跡 思 惟 の形 が これ に 当 た る。 元 々 、 半跏 思 惟 像 は 出 家 前 の悉 達 多 太 子 の 姿 、 す な わ ち 、太 子 思 惟 像 で 造 像 され た 。 悉 達 多 太 子 の 出 家 前 、 深 刻 な苦 悩 、 思 惟 に落 ち込 ん で い るが 、 つ い に 出 家 す る こ と を決 心 し た姿 で あ る 。(図2) 一 方 、 半跏 思惟 像 は弥 勒 菩 薩 と して も造 像 され る が 印 度 で は 弥 勒 菩 薩 と して確 認 され た例 は な い 。 中 国 で は 、 初 め て 弥 勒 菩 薩 と して 半跏 思 惟 像 が 北涼 時 代 に 造 像 され た 敦煌 莫 高 窟 第275洞 北 壁 の 上 層龕 室 に2躯. の弥勒 菩. 薩 交 脚 坐 像 が 対 象 に 造 像 さ れ て い る41。 莫 高 窟 第275洞 は 敦煌 石 窟 の 中 、 最 も初 期 に属 す る北 涼(421〜439)代. 石 窟 と して 弥勒 菩 薩 交 脚 坐 像 が 主 尊. と して い る典 型 的 な弥 勒 窟 で あ る。 主尊 で あ る弥 勒 菩 薩 が 上 生 す る弥 勒 菩 薩 と した ら、 半跏 思 惟 像 は下 生 して 成 道 す る前 、 竜 華 樹 下 で 思 惟 三 昧 に深 け て い る姿 で あ る と もい え る 。(図3) 弥 勒 菩 薩 の 半跏 思 惟 像 は竜 華 思 惟 とい う尊 名 と して 表 現 され る が 、 竜 華 思 惟 像 は竜 華樹 下 の 弥勒 菩 薩 を 意 味 す る もの で 弥 勒 菩 薩 半跏 思 惟 像 の 別 の 表 現 と も い え る。 竜 華樹 は弥 勒 菩 薩 が 下 生 して成 道 す る 前 に禅 定 に入 る と. 図1. 石 造菩 薩 交脚 坐 像(ガ ンダ ー ラ 出土) 東 京 国立 博 物 館(三 世 紀 中期). 図2. 太子 思惟 像 北魏 太和16年(492). 13.

(14) 14. こ ろ で あ り、 成 道 三 会 説 法 す る と こ ろ と して 弥 勒 の 象 徴 物 で も あ る 。(図 4). 図3. 弥 勒菩 薩 半跏 思 惟 像 敦煌 莫 高 窟275洞 北 壁 上 層龕 室 北 涼(421〜439). 図4. 弥 勒 下生 経 変 相 図 盛 唐445窟 北 壁 部分. 五 、 弥 勒 信 仰 と庶 民 信 仰 の 関 わ り 弥 勒 信 仰 は、 弥勒 上 生 信 仰 と弥 勒 下 生 信 仰 とに 大別 され る。 上 生 信 仰 は 、 我 々 の 死 後 、 兜率 天 に昇 っ て か ら弥 勒 同様 に 下 生 して 三 会 に 値 遇 す る こ と を願 う信 仰 で あ り、 下 生 信 仰 は 、 上 生 せ ず に 未 来 世 の 三 会 説 法 に値 遇 す る こ とを願 う信 仰 で あ る。 か か る 弥 勒 信 仰 とは 、 二 つ の 信 仰 間 の成 立 に関 す る前 後 関係 を把 握 す る こ とが必 要 で あ る が 、 各 々 の 地 域 や 時 代 に沿 って 如 何 な る も の が 、 仏 教 信 仰 の種 類 に な っ て い た か が最 も重 要 で あ る。 な ぜ な ら、 信 仰 の 属 性 か ら見 て、 民 衆 の 心 の 中 に 、 弥 勒 は未 来 へ の 希 望 の 存 在 と して 位 置 づ け られ て い る か らあ る。 す な わ ち 弥 勒 仏 は 未 来 仏 、 当来 仏 と して 我 々 の と こ ろ に 来 る べ き 仏 と して 、 キ リス ト教 の メシ ア信 仰 の よ うに 「 対 立 と葛 藤 」、 「分裂 と 混 乱 」 の 不 安 時 代 に 大 慈 悲 光 明 を照 ら し、 迷 妄 の 闇 を さ ら して 悟 りを證 得 させ る とい う。.

(15) 弥勒 仏 信 仰 と仏像‑韓. 国 古 代弥 勒 信 仰 を中心 に‑15. 弥 勒 信 仰 の性 格 を 見 る と、 次 の 七 つ の 特 徴 が 見 られ る 。 (1). 当来仏思 想. (2). 地上天 国思想. (3). 末世衆生 帰依思想. (4). 平和安穏 思想. (5). 十 善功徳 思想. (6). 兜率天往 生思想. (7). 滅 罪成福 思想. こ の 中 で 、(6)の る。(7)の. 兜 率 天 往 生 思 想 は 阿 弥 陀 仏 の極 楽 往 生 思 想 と似 て い. 滅 罪 成 福 思 想 は他 の 仏 菩 薩 信 仰 、 つ ま り阿 弥 陀 仏 、 観 世 音 菩. 薩 、 地 蔵 菩 薩 信 仰 に も見 られ る。 しか し、(1)〜(5)の. 思 想 は他 の 仏 教 信 仰 に な い も の と して 、 弥 勒. 信 仰 特 有 の 思 想 で あ る とい え る 。 弥 勒 信 仰 の 一 番 大 き い 特 徴 は 、 当来 仏 思 想 と地 上 天 国 思 想 で あ る 。 この 思 想 が 仏 教 的 メ シ ア思 想 、 ま た は 千 年 王 国 思 想 と呼 ば れ る 要 素 と して他 の 仏 教 思 想 に は な い 弥 勒 信 仰 特 有 の 思 想 で あ る。 弥 勒 信 仰 の 中 で も弥 勒 下 生 信 仰 が これ に 当 た る 。 弥 勒仏 が 釈 迦 牟 尼 仏 の後 をつ い で 人 間 界 に 降 臨 して 竜 華 樹 の 下 で 成 仏 す る とい う話 が 『弥 勒 下 生 経 』 『弥 勒 大 成 仏 経 』 『弥 勒 時 来 経 』 な ど に 見 られ る。 今 日、 わ れ わ れ が 住 ん で い る世 界 に 生 気 が 無 く な る期 間 を 賢 劫 と い うが 、 この 賢 劫 の 間 、 一 千 の 仏 が 現 れ る とい う。 『賢 劫 経 』 「千 仏 名 号 品 」 に は 、 (1)ク. リ ュ ウ ソ ン仏 、(2)ハ. ニ 仏 、(5)慈. ム ミニ 仏 、(3)カ. 氏 仏 、 …(1000)ヌ. シ ョ ウ仏 、(4)シ. ャカム. ジ 仏 な どの 千 仏 名 号 が 列 挙 され て お り、. 『現 在 賢劫 千 仏 名 号 経 』 に は 、 南 無 クナ ゼ 仏 南 無 ク ナ ハ ム モ ニ 仏 、 南 無 カ シ ョウ仏 、 南 無 釈 迦 牟 尼 仏 、 南 無 弥 勒 仏 、 南 無 獅 子 仏 … 南 無 ム ヨ ク ラ ク 仏 、 南 無 ヌ ジ仏 とな っ て い る。 同 本 異 訳 の 『現 在 賢 劫 千 仏 名 号 経 』 に も大 体 同 じ名 号 で羅 列 され て い る。 様 々 な経 の 中 で 、 現 在 「賢劫 千 仏 」 の 中 に第 一 クル ソ ン仏 、 第 二 ク ナ ハ ム モ ニ 仏 、 第 三 カ シ ョウ仏 、 第 四 釈 迦 牟 尼 仏 、 第 五 弥勒 仏 に な っ て い る。 した が っ て 、 弥 勒 仏 が 当来 教 主 に な る とい う事 実 が 古 い 時 代 か ら信 仰 され て い る。 釈 迦 牟 尼 仏 の 後 を継 い で 人 間 界 の衆 生 を救 済 す る仏 が 弥 勒 仏 と約 束 され.

(16) 16. て い る な らば そ の 出 現 す る 時期 は い つ だ ろ うか 、 これ に 対 して経 典 ご とに 異 な る主 張 を して い る。 (1)五 十 六 億 六 百 万 年 説 『雑 心 論 』 (2)五 十 六 億 七 千 万 年 説 『菩 薩 処 胎 経 賢 愚 経 』 (3)五 十 六 億 一 万 歳 説(『 弥 勒 上 生 経 』、 『一 切 智 光 明仙 人 経 』) (4)五 十 六 億 七 十 六 万 歳 説 『定 意 経 』 (5)人 寿 八 万 歳 説(『 増 一 阿 含 経 』、 『賢 劫 経 』 『賢 愚 経 』) (6)人 寿 八 四 千 歳 説(『 長 阿 含 経 』、 『転 輪 聖 王 修 行 経 』、 『中 阿 含 転 輪 王経 』、 『具 舎 論 』)42 これ を二 つ に 大 別 す る と56億 余 年 説 と8万4千. 説 に 分 け られ る。 仏 教 学. 者 の 中 に は 、56億 余 年 説 は 記 録 の 錯 誤 も し くは 翻 訳 上 の錯 誤 と して5億7 千6百. 万 年 で あ る と主 張 す る 見 解 も あ る。. しか し、5億7千6百 教 説 は 人 寿8万4千. 万 年 説 は 、 仏 説 と は ほ ど遠 い 話 しで 、 仏 陀 の 根 本 歳 説 とい う43。 こ の 数 字 も ま た 意 味 が あ る とは 考 え ら. れ ず 、 た だ 世 俗 的 教 化 方 便 と して 数 の 多 い 表 現 と して 使 わ れ た に過 ぎ な い 。 昔 か ら印 度 人 の 数 字 の 多 い 表 現 と して8万4千. が 使 わ れ た の で あ ろ う。. した が っ て 、 人 間 の 寿 命 が極 端 に長 くな っ て 弥 勒 菩 薩 が 出 現 す る と い う こ とで あ る 。 しか し、 人 間 の寿 命 が 勝 手 に 長 くな っ た り短 く な っ た りす る も の で は な い 。 仏 教 の 因 果 応 報 の 法 則 に よ っ て 善 行 を積 め ば 寿 命 が 長 くな り、悪 行 をす れ ば す る ほ ど短 くな る。 仏 教 の 本 来 の 意 味 は 人 間 の 寿 命 が8 万4千. 歳 ま で長 く な る よ うに個 々 人 自 らが 十 善 業 を積 め ば 弥 勒 仏 が 出 現 す. る とい うも の で 、 十 善 道 で な い 十 悪 道 を す る と弥 勒 仏 は現 れ な い とい う。 そ こ で 弥 勒 信 仰 が 流 行 っ た 時 代 を 見 る と救 済 者 とな る 当来 仏 と して 弥 勒 信 仰 が 多 く信 棒 され た の で あ る。 これ を 当来 仏 思 想 とい う。 弥 勒 信 仰 が 意 味 す る 当 来 仏 思 想 とは 仏 教 的 メ シ ア 主 義 、 同 時 に竜 華 世 界 とい う地 上 天 国 の 到 来 と して 仏 教 的 千 年 王 国 思 想 で あ る こ とが い え る 。. 六、 終 わ りに 弥 勒 経 典 に記 され て い る 弥 勒 信 仰 は 、 弥 勒 菩 薩 が釈 迦 の 入 滅 後50億8千 万 年 、 兜率 天 の 寿 命 が つ き た 時 、 天 か ら 閻浮 提 が 地 上 に 降 りて き て バ ラ モ ンの 女 の凡 摩 波 提 に托 生 し、 竜 華 樹 下 で 成 仏 して か ら三 会 の 説 法 を行 い 、.

(17) 弥 勒 仏 信仰 と仏 像. 韓 国 古 代 弥勒 信 仰 を中 心 に‑17. す べ て の 衆 生 を救 済 す る とい う内容 に 要 約 され る。 弥勒 信 仰 は 、 弥 勒 上 生 信 仰 と弥 勒 下 生 信 仰 と に大 別 され る が 、 上 生 信 仰 は 、 我 々 の死 後 、 兜率 天 に 昇 っ て か ら弥 勒 と共 に下 生 して 三 会 に値 遇 す る こ とを願 う信 仰 で あ る 。 弥 勒 信 仰 が も っ て い る最 も 大 き な特 徴 は 未 来 思 想 と地 上 天 国 思 想 で あ る。 す な わ ち釈 迦 牟 尼 仏 の 次 に弥 勒 仏 が 出 現 して 、 この 地 上 に 竜 華 世 界 とい う 地 上 天 国 を 建 設 す る とい う。 未 来 仏 と して 、 こ の 地 上 の衆 生 を救 済 す る の が 弥 勒 仏 で あ る 。 阿 弥 陀 仏 も私 た ち を極 楽 浄 土 へ 迎 え る未 来 仏 で あ る が 、 阿 弥 陀 仏 は こ の世 に 活 動 す る仏で はない。 しか し、 弥 勒 仏 は私 た ち が住 ん で い る こ の地 上 に降 りて 救 済 して くれ る 仏 で あ る 。 弥 勒 下 生 の 時 期 を56億 年 後 と思 わず 、 今 が丁 度 そ の 時 で あ る と 思 う弥 勒 信 仰 は、 現 世 の 浄 土 を 実 現 す る こ とで あ る。 こ の 世が 仏 国 浄 土 で あ る とい う現 世 浄 土 思 想 が弥 勒 信 仰 で あ る。 こ の 点 が 多 くの 人 達 に 支 持 さ れ る理 由 で あ る。 そ の 信 仰 対 象 と して 、 思 想 と して 私 た ち に親 しま れ る の が 仏 像 で あ る 。 現 存 す る 弥 勒 像 造 像 例 を 見 て も、 如 来 形 、 菩 薩 形 の 弥 勒 像 が と も に造 像 され た こ とが 伺 わ れ る 。 これ は 弥勒 信 仰 の 信 仰 的 内 質 の 変 化 を 表 す も の で(『 新 羅 弥 勒 像 の造 像 例 』)、大 体 、 如 来 形 と半跏 思 惟 形 は 中古 期 流 行 した 下生 信 仰 の象 徴 で あ る 。 特 に弥 勒 菩 薩 半跏 思 惟 像 は韓 国 で 最 も流 行 した 優 れ た 表 現 で あ り、 半跏 思 惟 像 に 内包 され て い る 当 時 の民 衆 の 信 仰 的願 望 が 強 か っ た こ とが 伺 わ れ る 。(図5) 図5. (大正 大学綜合仏 教研究所研 究員). 弥勒 半跏 思 惟 像 百 済(三 国 時 代). 「注 」 1 新 羅 時 代 最 初 の お寺 寺 僧 真慈. 、 興 輪 寺 に は 弥勒 像 が造 像 され て い る。 「 及真智王代. 毎 就 堂主 弥 勒 像 前. 発 原 誓言 」、 『 三 国 遺事 』 巻 四 、 弥 勒仙 花. 有 興輪 未戸朗.

(18) 18. 真慈師條。 2 金 瑛泰 、 『三 国 時 代 の 仏 教 信 仰 』、 仏 光 出 版 社 、1990年 、139〜140頁 。 3 金瑛 泰 、 前 掲 書 、65頁 。 4 中国 の 弥勒 信 仰 の 創 始者 とも いわ れ る道 安 が 符 堅 王 に迎 入 され 長安 にい く前. 、符 堅. 王 か ら 頂 い た 贈 物 の な か 弥 勒 像 が あ っ た と い う。 「符 竪 遣 使. 送 外 国 金 箔倚 像 高 七 尺. 又金坐像. 結珠 弥 勒 像. 金 縷 繍 像纖 成 像 各 一. 張 」、 『梁 高 僧 伝 』 巻5、 釈 道 安 伝 、 『大 蔵 経 』 巻50、352頁 。 5 張 志勲 、 『韓 国 古 代 弥 勒 信 仰 研 究 』、 集 文 堂 、1997年 、65頁 。 6 金 瑛泰 、 前 掲 書 、131頁 。 7 前掲書 、131頁 。 8 黄 寿永 、 「弥 勒 信 仰 と そ の 造 像 」、 『韓 国 弥 勒 思 想 研 究 』、314頁 。 9 黄 寿 永編 、 『増 補 韓 国 金 石 遺 文 』100、 一 志 社 、238頁 。(引 用 文 中 下 線 は 著 者) 10 黄 寿 永 、 前 掲 書 、314頁 。 11 黄 12 同 書. 寿永. 、 「高 句 麗 金 銅 仏 像 の 新 例 二 座 」、 『韓 国 仏 像 の 研 究 』。. 、41頁(注16)。. 金 元 竜 、 『韓 国 美 術 史 』、 汎 文 社 、1968年 、72頁 。 13 前 掲 書 、141頁:金瑛 泰 、 「現 在 仏 像 銘 か ら 見 た 高 句 麗 弥 勒 信 仰 」、 『黄 古 稀 記 念 美 術 史 学 論 叢 』、452頁 年(571)と 14 金 瑛泰 15 黄 16 安. 、 辛卵 銘. して 推 定 し て い る(文. 寿 永博 士. 無 量 寿 像 の 年 代 に 対 し て は 現 在 平 原 王13. 明 大 、 『韓 国 彫 刻 史 』、1980年. 、112頁. 。. 、 前 掲 書 、138〜139頁 。 寿 永編 、 『増 補 韓 国 金 石 遺 文 』99、 一 志 社 、237頁 。 啓賢 、 「高 句 麗 仏 教 」、 『韓 国 文 化 史 大 系 』VI、 宗 教 哲 学 史 、 高 麗 大 学 校 民 族 文. 化 研 究 所 、190頁 。 17 金 瑛泰 、 前 掲 書 、133〜134頁 。 18 金 瑛泰 、 前 掲 書 、133〜134頁 。 19 金 瑛泰 、 前 掲 書 、129〜130頁 、134〜138頁 。 20 黄 寿永 、 「高 句 麗 金 銅 仏 像 の 新 例 二 座 」、 『韓 国 仏 像 の 研 究 』、38頁 。 黄 21 黄. 寿 永 、 「弥 勒 信 仰 とそ の 造 像 」、 『韓 国 弥 勒 思 想 研 究 』、325頁 。 寿 永 、 「高 句 麗 金 銅 仏 像 の 新 例 二 座 」、 『韓 国 仏 像 の 研 究 』、325頁 。 22 李 能和 、 『仏 教 通 史 』 弥 勒 仏 光 寺 条 。 23 金瑛 泰 、 前 掲 書 、143〜144頁 。 24 張 志勲 、 『韓 国 古 代 弥 勒 信 仰 研 究 』、 集 文 堂 、1997年 、70頁 。 25 金 瑛泰 、 前 掲 書 、145頁 。 26 蔡 印幻 、 『新 羅 仏 教 戒 律 思 想 研 究 』、 東 京 、 国 書 刊 行 会 、 昭 和52年 、90〜93頁 。 27 日本 仏 教 伝 来 当 時 の 弥 勒 石 像 に 対 す る 信 仰 形 態 は 、 「大 臣 奉 詔 礼 拝 石 像 は 延 寿 命 」. 28. 等 が る。 『三 国 遺 事 』 巻 第 三 興 法 篇 ・阿 道 基 羅 条 原 宗 興 法 条 等. 。.

(19) 弥勒 仏信 仰 と仏 像‑韓 29. 国 古代 弥 勒 信 仰 を 中心 に‑19. 「有 興 輪 寺 僧 真 慈 一 作 貞 慈 也 、 毎就 堂 主 弥 勒像 、前 発 原 誓言 、願 我 大 聖化 作 花 郎 於 世 我 常 親 近碎 容. …得 見 弥勒 仙 花 也 、 慈 覚 而驚 喜 、 日益 弥篤. …水 源 寺 之 門外 巳見. 弥 勒 仙 花 」、 『三 国 遺 事 』 巻 第 三 、 塔 像 篇 、 弥 勒 仙 花 、 未尸 郎 、 真 慈 条 。 30 李 基東 、 『新 羅 骨 品 制 社 会 と 花 郎 道 』、 一潮 閣 、1984、304頁 。 八 百谷 孝 保 、 「 新 羅 社 会 と 浄 土 教 」、 『史 潮 』、1937、7〜4頁. 。. 黄. 寿 永 、 「新 羅 南 山 三 花 嶺 弥 勒 世 尊 」、 『金 宰 オ ン 記 念 論 叢 』、1969。. 金. 瑛 泰 、 「弥 勒 仙 花 巧 」、 『仏 教 学 報 』 三 〜 四 合 集 。. 金. 宰 基 、 「花 郎 と弥 勒 に 対 し て 」、 『李 ホ ン ジ ク 記 念 論 叢 』、1969。. 田 村 圓 澄 、 「半跏 思 惟 像 と 聖 徳 太 子 信 仰 」、 『韓 日古 代 文 化 交 渉 史 研 究 』、1974。 31 『三 国 史 記 』 巻4 、 真 興 王37年 上 條 、 「崔 致 遠 鷲郎碑序 曰 国有玄妙之道. 曰風. 流設 教 之 源 備詳仙史 實 内 包 含 三 教 」。 32 李 基東 、 「 新 羅 花 郎 徒 の 起 源 に 対 す る 一 考 察 、 『新 羅 骨 品 制 社 会 と 花 郎 徒 』、1980、 305〜328頁 33 李 34 金瑛. 。. 基東. 、 前 掲 書 、365。 泰 ・「葺 長 寺 ・石 弥 勒 ・三 国 遺 事 所 伝 の 新 羅 仏 教 思 想 研 究 」 ・「弥 勒 思 想 」 、信. 興 出 版 社 。 「弥 勒 思 想 」 参 照 。 35 金 三竜 、 「弥 勒 信 仰 の 源 流 と 歴 史 的 展 開 」、 『弥 勒 思 想 の 本 質 と 展 開 』 韓 国 思 想 史 学 会 国 際 学 術 会 議 、1993、12頁 36 前 掲 書p12 .. 。. 37 赤 沼 智 善 、 『仏 教 経 典 史 論 』 法 蔵 館 、 昭 和56年 、197〜201頁 。 38 松 本 文 三 郎 、 『弥 勒 浄 土 論 』 丙 午 出 版 社 、 明 治44年 、185〜186頁 。 39 赤 沼 智 善 、 『仏 教 経 典 史 論 』 法 蔵 館 、 昭 和56年 、201頁 。 40 東 京 博 物 館 所 蔵 、3世 紀 中 期 石 造 菩 薩 交 脚 坐 像(カ ン ダ ラ 出 土)。 41 弥 勒 半跏 思 惟 像 、 敦煌 幕 高 窟 二 七 五 洞 北 壁 上 層 室 北 涼(421〜439)。 42 李 鐘益 、 「弥 勒 信 仰 と 竜 華 世 界 建 設 」、 『弥 勒 聖 典 』、 雲 住 社 、1992、245頁 43 金 三竜 、 前 掲 書 、67頁 。. 。.

(20)

参照