• 検索結果がありません。

禅研究所紀要 第32号 011大野栄人「天台『六妙法門』の研究(九) -一」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "禅研究所紀要 第32号 011大野栄人「天台『六妙法門』の研究(九) -一」"

Copied!
70
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ はじめに 本 論 文は、 『 六 妙 法 門』 の 「 第 十 証 相 六 妙 門」 を、 天 台 止 観 成 立 史の 立 場から、 原 典 解 明していこうとするもの であ る。 この 「 第 十 証 相 六 妙 門」 は 大 部である の で、 二 回に 分 けて 掲 載するこ と にしたい。 本 論には 、「 原 文」「 書き 下し 文」 、 「 注」 の 途 中まで を 収 録するこ と にしたい。 本 研 究は、 平 成 十 三 年 度 前 期・ 後 期の 大 学 院 修 士 課 程の 「 講 義」 の 授 業の 研 究 成 果である 。 授 業の 受 講 生は、 宗 教 学 仏 教 学 専 攻の 私のゼミの 次の 諸 氏である 。 杉 浦 綾 子・ 濱 口 寛 朗・ 吉 見 典 生・ 今 井 勝 子〔 修 士 二 年〕 、 松 永 眞 由 子〔 修 士 一 年〕 、 伊 藤 光 壽・ 武 藤 明 範・ 鈴 木あ ゆみ ・ 水 野 荘 平・ 森 琢 朗〔 研 究 生〕 、 三 好 秀 範・ 和 田 知 見・ 當 間 日 澄〔 聴 講 生〕 毎 週、 右の 担 当の 大 学 院 生 諸 氏にやって 頂いた も の を、 伊 藤 光 壽 氏が 文 章 化され、 詳 細な 「 注」 を 作 成して 頂き、 それ に 私が 手を 加えたもので あ る。 本 研 究に、 もし 研 究 成 果がある と す れ ば 、 全 面 的にご 尽 力を 頂いた 伊 藤 光 壽 氏、 実 際に 下 調べをし、 授 業を 担 当し てもらった 大 学 院 受 講 生 諸 氏の 功 績である 。 もし 非があ れば 、そ の 一 切の 責 任は、 授 業を 指 導した 私 にあることをお 断りしておきたい。

(2)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 〔 原 文〕 ┐ 次 釋 第 十 證 相 六 妙 門。 前 九 種 六 妙 門。 皆 修 因 之 相。 義 兼 證 T 四 六 ・ 五 五 四 b 果。 説 不 具 足。 今 当 更 分 別 六 妙 門 證 相。 六 門 有 四 種。 一 者 次 第 證。 二 者 互 證。 三 者 旋 転 證。 四 者 円 頓 證。 云 何 次 第 證。 如 上 第 一 歴 別 対 諸 禅 門。 及 次 第 相 生 六 妙 門 中 已 略 説。 次 第 證 相 細 尋 自 知。 今 不 別 説。 第 二 互 證。 此 約 第 三 随 便 宜。 第 四 対 治。 第 五 相 摂。 第 六 通 観。 四 種 妙 門 中 論 證 相。 所 以 者 何。 此 四 種 妙 門 修 行 方 便。 無 定 次 第。 故 證 亦 復 迴 互 不 定。 如 行 者 当 数 息 時。 発 十 六 触 等 諸 闇 證 隠 没 無 記 有 垢 等 法。 此 禅 即 是 数 息 證 相 之 体。 而 今 不 定。 或 有 行 者。 於 数 息 中。 見 身 毛 孔 虚 疎。 徹 見 三 十 六 物。 当 知 於 数 息 中。 證 於 随 門。 復 有 行 者。 於 数 息 中。 證 空 静 定。 以 覚 身 心。 寂 然 無 所 縁 念。 入 此 定 時。 雖 復 浅 深 有 殊 而 皆 是 空 寂 之 相。 当 知 於 数 息 中 證 ┐ 止 門 禅 定 也。 復 次 行 者。 当 数 息 時。 内 外 死 屍。 不 浄 脹 爛 五 五 四 c 壊。 及 白 骨 光 明 等。 定 心 安 隠。 当 知 於 数 息 中。 證 観 門 禅 也。 復 次 行 者。 当 数 息 時。 発 空 無 相 智 慧 三 十 七 品 四 諦 十 二 因 縁 等 巧 恵 方 便。 思 覚 心 起。 破 折 諸 法。 反 本 還 源。 当 知 於 数 息 中。 證 還 門 禅 也。 復 次 行 者。 或 於 数 息 之 時。 身 心 寂 然。 不 得 諸 法。 妄 垢 不 生。 分 別 不 起。 心 想 寂 然。 明 識 法 相。 無 所 依 倚 当 知 於 数 息 中。 證 浄 門 禅 也。 此 則 略 説 於 数 息 中。 互 発 六 門 禅 相。 前 後 不 定。 未 必 悉 如 今 説。 余 随 止 観 還 浄。 一 一 互 證 諸 禅 相 亦 如 是。 所 以 有 此 互 證 諸 禅 者。 意 有 二 種。 一 者 修 諸 禅 時 互 修 故。 発 亦 随 互。 意 如 前 四 種 修 六 妙 門 相。 二 者 宿 世 業 縁 善 根 発。 是 故 互 発 不 定。 義 如 坐 禅 内 方 便 験 善 悪 根 性 中 広 説。 第 三 云 何 名 證 旋 転 六 妙 門 相。 此 的 依 第 七 旋 転 修 故 発。 所 謂 證 相 者。 即 有 二 種。 一 者 證 旋 転 解。 二 者 證 旋 転 行。 云 何 名 為 證 旋 転 解 発 相。 行 者 於 数 息 中。 巧 慧 旋 転 修 習 故。 爾 時 或 證 深 禅 定。 或 説 浅 定。 於 此 等 定 中。 豁 念 心 慧 開 発。 旋 転 覚 識。 解 真 無 礙。 不 由 心 念。 任 運 旋 転。 覚 識 法 門。 旋 転 有 二 種。 一 者 総 相 旋 転 解。 二 者 別 相。 総 相 復 有 二 種。 一 者 解 真 総 相。 二 者 解 俗 総 相。 別 相 復 有 二 種。 一 者 解 真 別 相。 二 者 解 俗 別 相。 於 一 総 相 法 中。 旋 転 解 一 切 法。 別 相 亦 爾。 云 何 名 為 證 旋 転 行 相。 行 者 如 所 解。 心 不 違 言。 心 口 相 応。 法 門 現 前。 心 行 堅 固。 任 運 増 長。 不 由 念 力。 諸 善 功 徳 ┐ 自 生。 諸 悪 自 息。 総 相 別 相 皆 如 上 説。 但 有 相 応 之 異。 入 諸 法 五 五 五 a 門 境 界 顯 現 之 殊 故。 今 則 略 出 證 旋 転 行。 如 一 数 門。 具 二 種 證 旋 転 故。 余 随 止 観 還 浄 亦 如 是。 略 説 不 具 足 者。 自 善 思 惟。

(3)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 取 意 広 対 諸 法 門 也。 證 旋 転 六 妙 門 者。 即 是 得 旋 陀 羅 尼 門 也。 是 名 無 礙 辯 才 巧 慧 方 便 遮 諸 悪 令 不 得 起。 持 諸 功 徳 令 不 漏 失。 任 是 法 門。 必 定 不 久 入 菩 薩 位。 成 就 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 也。 第 四 云 何 名 為 円 證 六 妙 門。 行 者 因 第 八 観 心。 第 九 円 観。 二 種 六 妙 門 為 方 便。 是 観 成 時。 即 便 発 円 證 也。 證 有 二 種。 一 者 解 證 無 礙 巧 慧 不 由 心 念。 自 然 円 證 識 法 界 故 名 解 證。 二 者 会 證 妙 慧 朗 然 開 発。 明 照 法 界 通 達 無 礙 也。 證 相 有 二 種。 一 者 相 似 證 相。 如 法 華 経 中 明 六 根 清 浄 相。 二 者 真 実 證 相。 如 華 厳 経 中 明 初 発 心 円 満 功 徳 智 慧 相 也。 云 何 名 相 似 円 證。 為 六 妙 門。 如 法 華 経 説 眼 根 清 浄 中。 能 一 時 数 十 方 凡 聖 色 心 等 法 数 量。 故 名 数 門。 一 切 色 法。 随 順 於 眼 根。 眼 不 違 色 法。 共 相 随 順。 故 名 随 門。 如 是 見 時。 眼 根 識 寂 然 不 動。 故 名 止 門。 不 以 二 相 見 諸 仏 国。 通 達 無 礙。 善 巧 分 別。 照 了 法 性 故 名 観 門。 還 於 眼 根 境 界 中。 通 達 耳 鼻 舌 身 意 等 諸 根 境 界。 悉 明 了 無 礙。 不 一 不 異 相 故。 故 名 還 門。 復 次 見 己 眼 根 境 界。 還 於 十 方 凡 聖 眼 界 中 現 故。 亦 名 為 還 門 雖 了 了 通 達 見 如 是 事。 而 不 起 妄 想 分 利。 知 本 性 常 浄 無 可 染 法。 不 住 不 著。 不 起 法 愛。 故 名 浄 門。 此 則 略 説 於 眼 根 清 浄 中。 證 相 似 六 妙 門 相。 余 五 根 亦 如 是。 広 説 如 法 華 経 明 也。 云 何 名 真 実 円 證 六 妙 門。 ┐ 有 二 種。 一 者 別 対。 二 通 対。 別 対 者。 十 住 為 数 門。 十 行 為 五 五 五 b 随 門。 十 迴 向 為 止 門。 十 地 所 観 門。 等 覚 為 還 門。 妙 覚 為 浄 門。 二 通 対 者。 有 三 種 證。 一 者 初 證。 二 者 中 證。 三 者 究 竟 證。 初 證 者。 有 菩 薩 入 阿 字 門。 亦 名 初 発 心 住。 得 真 無 生 法 忍 慧。 爾 時 能 於 一 念 心 中。 数 不 可 説 微 塵 世 界 諸 仏 菩 薩 声 聞 縁 覚 諸 心 行。 及 数 無 量 法 門。 故 名 数 門。 能 一 念 心 中。 随 順 法 界 所 有 事 業。 故 名 随 門。 能 一 念 心 中 入 百 千 三 昧 及 一 切 三 昧。 虚 妄 及 習 倶 止 息。 故 名 為 止 門。 能 一 念 心 中。 覚 了 一 切 法 相。 具 足 種 種 観 智 慧。 故 名 観 門。 能 一 念 心 中。 通 達 諸 法 了 了 分 明。 神 通 転 変 調 伏 衆 生。 反 本 還 源。 故 名 還 門。 能 一 念 心 中。 成 就 如 上 所 説 事。 而 心 無 染 著。 不 為 諸 法 之 所 染 汚 故。 亦 能 浄 仏 国 土。 令 衆 生 入 三 乗 浄 道。 故 名 浄 門。 初 心 菩 薩。 入 是 法 門。 如 経 所 説。 亦 名 為 仏 也。 已 得 般 若 正 慧。 聞 如 来 蔵。 顯 真 法 身。 具 首 楞 厳。 明 見 仏 性。 住 大 涅 槃。 入 法 華 三 昧 不 思 議 一 実。 境 界 也。 広 説 如 華 厳 経 中 所 明。 是 為 初 地 證 不 可 思 議 真 実 六 妙 門 也。 中 證 者。 余 九 住。 十 行。 十 迴 向。 十 地。 等 覚 地。 皆 名 中 證 不 可 思 議 真 実 六 妙 門 也。 云 何 名 究 竟 円 證 六 妙 門。 後 心 菩 薩 入 茶 字 門。 得 一 念 相 応 慧。 妙 覚 現 前。 窮 照 法 界。 於 六 種 法 門 究 竟 通 達。 功 用 普 備 無 所 缺

(4)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 減。 即 是 究 竟 円 満 六 妙 門 也。 分 別 数 随 止 観 還 浄 諸 法 門 證 相。 意 不 異 前。 但 有 円 極 之 殊。 故 瓔 珞 経 云。 三 賢 十 聖 忍 中 行。 唯 仏 一 人 能 尽 源。 法 華 経 言。 唯 仏 与 仏。 乃 能 究 尽 諸 法 実 相。 ┐ 此 約 修 行 教 道。 作 如 是 説。 以 理 而 為 論。 法 界 円 通。 諸 仏 菩 五 五 五 c 薩 所 證 法 門。 始 終 不 二。 故 大 品 経 言。 初 阿 後 茶 其 意 無 別。 涅 槃 経 言。 発 心 畢 竟 二 不 別。 如 是 二 心 先 心 難。 華 厳 経 言。 従 初 地 悉 具 一 切 諸 地 功 徳。 法 華 経 言。 如 是 本 末 究 竟 等。 六 妙 法 門 一 巻 〔 書き 下し 文〕 第 十 証 相 六 妙 門 次に、 第 十の 証 相 六 妙 門を 釈せば、 前の 九 種の 六 妙 門 は、みな 修 因の 相 ( 1 ) なり。 義は 証 果を 兼ねる も 、 説を 具 足 せず ( 2 ) 。いままさに、 更に 六 妙 門の 証 相を 分 別すべし。 六 門に 四 種あり。 一は 次 第 証、 二は 互 証、 三は 旋 転 証、 四は 円 頓 証なり ( 3 ) 。 いかんが、 次 第 証なる や。 上の 第 一の 歴 別 対 諸 禅 門および 次 第 相 生 六 妙 門の 中に、 すで に 略 説せる がごとし。 次 第 証の 相を 細しく 尋ね、 自 くわ ら 知るべ し。 いまは 、 別に 説かず。 第 二に 互 証をいわば、 こ れ 第 三の 随 便 宜、 第 四の 対 治、 第 五の 相 摂、 第 六の 通 観( 別) に 約す。 四 種の 妙 門の 中 ( ママ ) に 証 相を 論ず。 所 以はい か ん 。 この 四 種の 妙 門の 修 行・ 方 便は、 定まれ る 次 第なし。 ゆえに、 証もまたまた 廻 互にして 不 定なり ( 4 ) 。 え ご 行 者は、 数 息のと き に あ た って 、 十 六 触 等の 諸の 闇あん 証・ 隠 没・ 無 記・ 有 垢などの 法を 発こすが ご とし ( 5 ) 。 しょ う おん も つ う く この 禅は、すなわちこ れ 、 数 息の 証 相の 体なり ( 6 ) 。しか して、いま 不 定なり ( 7 ) 。 あるいは 行 者ありて 、 数 息の 中におい て 身の 毛 孔の もう く 虚 疎なるを 見 ( 8 ) 、 三 十 六 物 ( 9 ) を 徹 見す。まさに 知るべ し。 数 こ そ 息の 中において、 随 門を 証す。 また 行 者ありて、 数 息の 中において、 空・ 静の 定を 証さと る ( ) 。 も っ て 身 心を 覚えるに、 寂 然として、 所 縁の 念なし ( ) 。 おぼ この 定に 入るとき、また 浅 深の 殊ありといえども 、みな せんじ ん こと なり

(5)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ これ 空 寂の 相なり ( ) 。 まさに 知るべ し。 数 息の 中において、 止 門の 禅 定を 証 るなり。 また 次に、 行 者は、 数 息の と きに あ た って 、 内 外の 死 屍、 不 浄にして 脹・ 爛 壊し( ) 、お よび、 白 骨の 光 明 等 し し ほう ち ょ う らん え ありて ( ) 、 定 心、 安 隠( 穏) なり ( ) 。 ( ママ ) まさに 知るべ し。 数 息の 中において、 観 門の 禅を 証る なり。 また 次に、 行 者は、 数 息の と きにあ た って 、 空・ 無 相 の 智 慧、 三 十 七 品、 四 諦、 十 二 因 縁 等の 巧 慧 方 便 ( ) を 発 こし ( ) 、 思 覚の 心 ( ) を 起こし、 諸 法 ( ) を 破 折し( ) 、 本に 反り、 源 に 還る( ) 。 まさに 知るべ し。 数 息の 中において、 還 門の 禅を 証る なり。 また 次に 行 者は、あるい は 数 息のとき に おいて、 身 心 寂 然にして 諸 法を 得ず( ) 。 妄 垢を 生ぜず ( ) 、 分 別を 起こさず ( ) 。 もう く 心 想 寂 然にし て 明らか に 法 相を 識る( ) 。 依 倚する と こ ろ え い なし ( ) 。 まさに 知るべ し。 数 息のなかにおいて、 浄 門の 禅を 証 るなり。 これ す な わ ち 略して、 数 息のなかにおいて、 互いに 六 門 禅を 発こす 相 ( ) を 説けり 。 前 後は 定まらず ( ) 。いまだ 必ず しも 、ことごとく 今 説のごとくならず ( ) 。 余の 随・ 止・ 観・ 還・ 浄の 一 一、 互いに 諸 禅を 証るの 相もまた、かくのごとし ( ) 。 この、 互いに 諸 禅を 証るこ と あ る 所 以は、 意に 二 種あり ( ) 。 一は、 諸 禅を 修する とき、 互いに 修する が 故に、 発こ るもまた 互いに 随うなり ( ) 。 意は、 前の 四 種の 六 妙 門を 修 する 相のごとし。 二は、 宿 世の 業 縁をも って 、 善 根を 発こすなり ( ) 。この 故に、 互いに 発こすこと 定まらず。 義は、 坐 禅の 内 方 便 の 験 善 悪 根 性のなかに ( ) 、 広く 説ける がごとし。 第 三に、 いかんが 、 旋 転 六 妙 門を 証る 相と 名づくるや。 せん てん これ 的に( ) 、 第 七の 旋 転を 修するに よ る が 故に 発こる。 まさ いわゆる 証 相とは 、すなわち 二 種あり。 一は、 旋 転の 解を 証る。 二は、 旋 転の 行を 証る( ) 。 いかんが、 名づけて 旋 転の 解を 証るの 発こる 相となす や。

(6)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 行 者は、 数 息のなかにおいて、 巧 慧をも って 旋 転 修 習 する が 故に( ) 。その 時に、 あるいは 深 禅 定を 証り、 あるい は 浅 定を 説( 証) る。 ( ママ ) これら の 定のな かにお い て 、 豁 然として 心 慧 開 発し、 かつねん 旋 転して 覚 識し、 真を 解するこ と 無 礙なり ( ) 。 心 念によ ら ず、 任 運に 旋 転して、 法 門を 覚 識す( ) 。 にん ぬん 旋 転 ( ) に、 二 種あり。 一は、 総 相 旋 転の 解 ( ) 、 二は、 別 相 ( ) なり。 総 相にまた、 二 種あり。 一は、 真の 総 相を 解し、 二は、 俗の 総 相を 解すなり ( ) 。 別 相にまた、 二 種あり。 一は、 真の 別 相を 解し、 二は、 俗の 別 相を 解すなり。 一の 総 相の 法のなかにおいて、 旋 転して 一 切 法を 解す。 別 相もまたしか な り。 いかんが、 名づけて 旋 転の 行を 証るの 相 ( ) となすや。 行 者が 所 解 ( ) のごとく、 心が 言に 違わざれば、 心・ 口 相 応し、 法 門を 現 前す( ) 。 心 行 堅 固にして、 任 運に 増 長す( ) 。 にん ぬん 念 力によ らざれ ど も、 諸 善の 功 徳 自ずから 生じ、 諸 悪 自 ずから 息まば ( ) 、 総 相・ 別 相 ( ) はみ な 、 上に 説ける がごとし。 や ただ 相 応の 異によ っ て 、 諸の 法 門に 入り、 境 界の 顕 現 するの 殊 ある ( ) が 故のみ。いま す なわち、 略して 旋 転の こと なり 行を 証るを 出す( ) 。 一の 数 門のごときは、 二 種の 証りの 旋 転を 具す( ) なり。 故に、 余の 随・ 止・ 観・ 還・ 浄もまたかくのごとし。 略 説するも 、 具 足せざれ ば 、 自らよ く 思 惟し、 意を 取って ( ) 、 広く 諸の 法 門に 対する ( ) なり。 旋 転の 六 妙 門を 証るは 、 す なわち こ れ 旋 陀 羅 尼 門を 得る( ) なり。こ れを 無 礙 辯 才・ 巧 慧 方 便をも って ( ) 、 諸の 悪 を 遮って 、 起こることを 得ざらしめ ( ) 、 諸の 功 徳を 持して ( ) 、 さえぎ 漏 失せざらしめんと 名づく。 この 法 門に 任せれ ば、 必 定して、 久しからずして、 菩 まか 薩の 位に 入り、 阿 耨 多 羅 三 藐 三 菩 提 ( ) を 成 就するなり 。 第 四に、いかんが 名づけて 円 証の 六 妙 門 ( ) となすや。 行 者は、 第 八の 観 心、 第 九の 円 観によ っ て 、 二 種の 六 妙 門を 方 便となす ( ) 。この 観を 成ずる とき、すなわち、 円 証を 発こすなり ( ) 。 証りに、 二 種あり。 一は、 証を 解す( ) 。 無 礙・ 巧 慧は 心 念によ らず ( ) 。 自 然に

(7)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 円 証して、 法 界を 識る( ) が 故に、 証を 解すと 名づく。 二は、 証を 会す( ) 。 妙 慧は、 朗 然として 開 発し、 明らか え に 法 界を 照らして 通 達 無 礙なり ( ) 。 証 相に、 二 種あり。 一は、 相 似の 証 相なり ( ) 。『 法 華 経』 のなかに、 六 根 清 浄 ( ) の 相を 明かすがごとし。 二は、 真 実の 証 相なり 。『 華 厳 経』 のな かに、 初 発 心 ( ) の 円 満の 功 徳・ 智 慧の 相を 明かすがごとくなり。 いかんが、 相 似の 円 証を 名づけて 六 妙 門となすや。 『 法 華 経』 の 眼 根 清 浄 ( ) を 説くなか の ごと し。よ く 一 時 に、 十 方の 凡 聖・ 色 心 等の 法の 数 量を 数う( ) 。 故に、 数 門 と 名づく。 一 切の 色 法は、 眼 根に 随 順し、 眼は 色 法に 違わず、 共 にあい 随 順す( ) 。 故に、 随 門と 名づく。 かく の ご とく 見ると き 、 眼 根・( 眼) 識は 寂 然とし て 動ぜず ( ) 。 故に 止 門と 名づく。 二 相をも って 、 諸の 仏 国を 見ず( ) 。 通 達 無 礙にして、 善 巧 分 別し、 法 性を 照 了す( ) 。 故に、 観 門 ( ) と 名づく。 還って ( ) 、 眼 根の 境 界のなかにおいて ( ) 、 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ かえ 意 等の 諸 根の 境 界に 通 達して ( ) 、ことごとく 明 了 無 礙にし て、 不 一 不 異の 相なる が 故に( ) 。 故に、 還 門 ( ) と 名づく。 また 次に、 おのれ の 眼 根の 境 界を 見るに ( ) 、 還って 、 十 方の 凡 聖の 眼 界の 中において 現ずる が 故に( ) 。また 名づけ て、 還 門となす。 了 了 通 達し( ) 、かくのごとき 事を 見る といえども ( ) 、 妄 想 じ 分 利( 別) () 起こさず。 ママ 本 性は 常に 浄らかにして、 染めら れる べき 法なしと 知 って ( ) 、 住せず 著せず ( ) 、 法 愛を 起こさず ( ) 。 故に 浄 門 ( ) と 名づく。 これ す な わ ち 、 略して 眼 根 清 浄のなかにおいて、 相 似 の 六 妙 門を 証する 相を 説くなり。 余の 五 根もまたかくの ごとし。 広く 説かば 『 法 華 経』 に 明かすがごときなり。 いかんが、 真 実の 円 証の 六 妙 門と 名づくるや。 二 種あり。 一には 別に 対し、 二には 通に 対す( ) 。 別に 対すとは、 十 住 ( ) を 数 門となし、 十 行 ( ) を 随 門となし、 十 廻 向 ( ) を 止 門となし、 十 地 ( ) を 観 門と 所( 為) し、 等 覚 ( ) を ママ 還 門となし、 妙 覚 ( ) を 浄 門となす。

(8)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 二に、 通に 対す( ) とは 、 三 種の 証あり。 一に 100 () 初 証、 二に 101 () 中 証、 三に 究 102 () 竟 証なり。 初 証とは 、 菩 薩ありて、 阿 字 門に 入るも、また 初 発 心 住と 名づけ、 真の 無 生 法 忍の 慧 103 () を 得。 む しょ うぼうにん その 時、よ く 一 念の 心 中において、 不 可 説の 微 塵 世 界 の 諸 仏・ 菩 薩・ 声 聞・ 縁 覚の 諸の 心 行を 数え、 お よ び 、 無 量の 法 門を 104 () 数う。 故に 数 門と 名づく。 よく、 一 念の 心 中に、 法 界 所 有の 事 業に 随 105 () 順す。 故に しょ う じ ごう 随 門と 名づく。 よく、 一 念の 心 中に 百 千 三 昧、お よび、 一 切の 三 昧に 106 () 入り、 虚 妄およ び 習ともに 止 107 () 息す。 故に 名づけて 止 門と なす。 よく、 一 念の 心 中に、 一 切の 法 相を 覚 108 () 了し、 種 種の 観 もて 智 恵を 具 109 () 足す。 故に 観 門と 名づく。 よく、 一 念の 心 中に、 諸 法に 通 達して 了 了 分 明なり。 神 通 転 変をも って 衆 生を 調 110 () 伏し、 本に 反り、 源に 111 () 還る。 故に 還 門と 名づく。 よく、 一 念の 心 中に、 上のごとき 所 説の 事を 成 就 112 () して、 心に 113 () 染 著なく、 諸 法に 114 () 染 汚せらるるとなさざる が 故に。 またよく、 仏 国 土を 浄め、 衆 生をして 三 乗の 115 () 浄 道に 入ら しむ。 故に 浄 門と 名づく。 初 心の 菩 薩は、 この 116 () 法 門に 入りて、 経に 説くところの ごとくな 117 () れば、 ま た 、 名づけ 118 () て 仏となすなり 。 すで に 般 若の 正 慧を 得、 如 来 蔵を 聞( 開) き、 真の 法 ( ママ ) 身を 顕わし、 首 楞 厳を 具え、 明らかに 仏 性を 見、 大 涅 槃 に 住し、 法 華 三 昧・ 不 思 議の 一 実の 境 界に 入る 119 () なり 。 広く 説 120 () かば、 華 121 () 厳 経のなかに 明かすところ の ごとし。 これ を、 初 地に、 不 可 思 議 真 実の 六 妙 門を 証ると なす さと 122 () なり。 中 証とは 、 余の 九 住、 十 行、 十 廻 向、 十 地、 等 覚 地を、 みな 中 証にして、 不 可 思 議 真 実の 六 妙 門と 名づくる 123 () なり 。 いかんが、 究 竟 円 証の 六 124 () 妙 門と 名づくるや 。 後 心の 125 () 菩 薩は、 茶( 荼) 字 門に 126 () 入り、 一 念 相 応の 慧を ( ママ ) 127 () 得て 妙 覚 現 前し、 法 界を 窮 照 128 () して 六 種の 法 門におい て ぐう し ょ う 究 竟 129 () 通 達し、 功 用をあまね く 備えて 欠 減する ところ 130 () なし 。 く ゆう すなわちこ れ 、 究 竟 円 満の 六 131 () 妙 門なり。 数・ 随・ 止・ 観・ 還・ 浄の 諸の 法 門の 証 相を 分 別する に、 意は 前に 異ならず。ただ、 円 極の 殊あるのみなり。 こと なり

(9)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 故に、 瓔 珞 経( 仁 王 般 若 経) に 云く、 ( マ マ ) 「 三 賢・ 十 聖は、 忍のなかに 行ず。ただ、 仏 一 人のみ、 さんげ ん よく 源を 尽 132 () くす 。」 と。 法 華 経に 言く、 「 ただ 仏と 仏とのみ、いまし よ く 諸 法 実 相を 究 尽 133 () す。 」 と。 く じん これ は 、 修 行・ 教 道に 約して、 か くのごとき 説を 134 () なす 。 理をも って 、 論をなせば、 法 界 円 通に 135 () して 、 諸 仏・ 菩 薩 の 所 証の 法 門は、 始 終 不 二 136 () なり 。 故に 『 大 品 経』 に 137 () 言く、 「 初めの 阿、 後の 荼、そ の 意 に 別 138 () なし 。」 と。 『 涅 槃 経』 に 言く、 「 発 心・ 畢 竟は 二にして 別ならず。 かくのごとき 二 心は 先 心するこ と 139 () 難し。 」 と。 『 華 厳 経』 に 言く、 「 初 地より 、こ とご とく 、 一 切の 諸 地の 功 徳を 140 () 具す。 」 と。 『 法 華 経』 に 言く、 「 かくのごとく、 本 末 究 竟して 141 () 等し。 」 と。 六 妙 法 門 一 巻 〔 注〕 ( 1 ) 修 因の 相= 修 因の 相」 は、 字 義 通りで は、 修は 因、 身 をお さ め る こ と 、 修 行を 実 践する こ と を い う 。 ここ では 、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門とい う、 六 種の 修 行 法を、 第 一の 歴 別 対 諸 禅、 第 二の 次 第 相 生、 第 三の 随 便 宜、 第 四の 随 対 治、 第 五の 相 摂、 第 六の 通 別、 第 七の 旋 転、 第 八の 観 心、 第 九の 円 観とい う 九 種の 方 法で 実 践を 重ねて、 自 我を 製 造し 続け、 自 我に 執 著し 続ける お の れ の 心をコン トロー ル し、 煩 悩を 対 治してい く こと をいう。 ( 2 ) 義は 証 果を 兼ねる も 、 説を 具 足せず =「 義」 は、 意 味 の 上からいえば を い う 。 「 証 果を 兼ねるも 」 の 証 果は、 修 行の 結 果 得た 悟り ( 修 因 証 果) をいう 。 兼ねるは 、 真の 悟りで は な い が 、 真の 悟り により 近いことを い う 。 従って、 証 果を 兼ねるも の は 、 第 一の 歴 別 対 諸 禅から 第 九の 円 観まで の 、 九 種 類の 六 妙 門の 修 行 法はす べ て 、 意 味の 上からい え ば、 悟りの 方 向に 自ら を 導く 方 向 性を 確 立してい こ う と する 修 行 法であ るか ら 、 真 実の 悟りの 完 成に 非 常に 近い 修 行 法であ る こ と を いう。 「 説を 具 足せず 」 は、 第 一の 歴 別 対 諸 禅から 第 九の 円 観ま での 九 種の 修 行 法は、こ の 第 十の 証 相 六 妙 門で 説こうと す る 真 実の 悟りその も のを 具 足することのない、 似て 非なる 修 行 法であること を いう。

(10)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 『 六 妙 法 門』 は、 第 一の 歴 別 対 諸 禅、 第 二の 次 第 相 生、 第 三の 随 便 宜、 第 四の 随 対 治、 第 五の 相 摂、 第 六の 通 別、 第 七の 旋 転、 第 八の 観 心、 第 九の 円 観という 、 九 種の 修 因の 相、お よび 証 果の 相を 説く 第 十の 証 相の、 合 計 十 門の 別が ある。 第 一の 「 歴 別 対 諸 禅 六 妙 門」 は、 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗のそれ ぞ れを 、 諸 禅に 対 応して 六 妙 門を 明かし た も ので ある。 数 息 門は 四 禅・ 四 無 量 心・ 四 無 色 定を 実 践して そこ に 生き、 随 息 門は 十 六 特 勝、 止 門は 五 輪 禅、 観 門は 九 想・ 八 念・ 十 想・ 八 背 捨・ 八 勝 処・ 十 一 切 処・ 九 次 第 定・ 師 子 奮 迅 三 昧・ 超 越 三 昧・ 練 禅・ 十 四 変 化 心・ 三 明・ 六 通・ 八 解 脱、 還 門は 空 無 相 無 作・ 三 十 七 品・ 四 諦・ 十 二 因 縁・ 中 道 正 観、 浄 門は 九 種 大 禅を 実 践して そ こ に 生きる 修 行 法で ある 。 こ う し て 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門は、 一 切の 諸 禅を 開 発し、 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗 人は、 それ ぞれ この 六 妙 門によって 涅 槃を 得るとする。 第 二の 「 次 第 相 生 六 妙 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門が 次 第 相 生して 入 道の 階 梯とな り 、 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗 人が 無 漏の 智 慧を 起こす と す る 。 第 三の 「 随 便 宜 六 妙 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門の 一々を、 一々の 順 序にこだわるこ となく、そ の 人の 素 質や 能 力や 心の 状 態に 応じて、 適 宜に 実 践するも のと す る 。 第 四の 「 随 対 治 六 妙 門」 は、 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗 人 が、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門を 巧みに 用いて、 一 切の 煩 悩を 断じ 滅する 方 法を 示すものとする。 第 五の 「 相 摂 六 妙 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄 の 六 妙 門の 一々が、 他の 五 門を 具え 合い、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門のど れ か 一 門を 巧 修すれば 、 六 門が 六 相を 具えて 六 六・ 三 十 六 妙 門とな り 、 種々の 深 禅 定・ 智 慧 を 得て、 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗の 涅 槃に 入ると する。 第 六の 「 通 別 六 妙 門」 は、 凡 夫・ 外 道・ 二 乗・ 菩 薩が 共 通して 六 妙 門を 実 践する 修 行 法であ る が 、 素 質や 能 力の 違 いや 心の 状 態によって 理 解が 違うため、 果 報に 違いがある とする。 第 七の 「 旋 転 六 妙 門」 は、 第 六 通 別 六 妙 門が 従 仮 入 空 観 を 用いて 慧 眼 一 切 智を 得るのに 対して、この 旋 転 六 妙 門は 従 空 出 仮 観を 用いて 、 六 妙 門のい ず れ か 一 門を 実 践する こ とに よっ て 、 残る 五 門だけでなく 、 一 切の 修 行 法の 功 徳を 同 時に 起こす 「 旋 転」 を 起こし、 法 眼 道 種 智を 得る 菩 薩の 修 行 法とする。 第 八の 「 観 心 六 妙 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄 の 六 妙 門の 一々で、 日 常の 自 己の 心を 自 己の 智 慧と 対 峙さ せて 見 極め、すべては 心から 生じ、 生じた 心の 本 源は 不 可 得であ り 、 無 名であ り 、 無 相であ り 、 単なる 空でも な い と する 中 道 第 一 義 諦を 観 照すると す る。

(11)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 第 九の 「 円 観 六 妙 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄 の 六 妙 門の 一々で 、 一 心を 観じて 一 切 心および 一 切 法を 観、 一 法を 観じて 一 切 法およ び 一 切 心を 観るので 、 ただ 一 心の 中に 一 切 法を 分 別するだ け でな く、 一 微 塵の 中に 一 切 世 界 の 諸 仏・ 凡 聖・ 色 心の 数 量の 法 門に 通 達すると す る。 第 十の 「 証 相 六 妙 門」 は、 第 一から 第 九の 六 妙 門が 概ね 修 因の 相を 示しているのに 対して、 第 十は 証 果の 四 相、す なわち 次 第 証・ 互 証・ 旋 転 証・ 円 頓 証を 説くものとする。 ( 3 ) 六 門に 四 種あり。 一は 次 第 証、 二は 互 証、 三は 旋 転 証、 四は 円 頓 証なり =「 六 門」 は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄 の 六 妙 門の 証 相・ 証 果の 相をい う。こ の 証 果の 相に、 次 第 証・ 互 証・ 旋 転 証・ 円 頓 証の 四 種があ る。 元 来、 六 妙 法 門は、 凡 夫も 外 道も 二 乗も 菩 薩も 共 通して 修 行 実 践する 禅 法であ る が 、 菩 薩が 修 行 実 践すれ ば 、 菩 薩 独 特の 修 行 法とも なり 、 利 根の 大 士が 修 行 実 践すれば、 利 根 大 士に 固 有の 修 行 法ともな る 。 1 「 次 第 証」 は、 第 一の 歴 別 対 諸 禅と 第 二の 次 第 相 生と いう 二 種の 行 法における、 三 乗の 証 相であ り 、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 種の 修 行を 順 次に、 段 階 的 に 積み 重ねるこ とによって、 次 第に 悟りを 成 就してい く 悟りの 様 相であ る 。 2 「 互 証」 は、 第 三の 随 便 宜、 第 四の 随 対 治、 第 五の 相 摂、 第 六の 通 別とい う 四 種の 行 法にお け る 、 三 乗の 証 相であ り 、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 種の 修 行 法のいず れ か 一 種を 実 践することによ って 、 他の 五 種 の 悟りも 同 時に 起こす 悟りの 様 相であ る。なお、 一 般 的には、 互 証の 互は 互 発の 意であ り 、 相 摂の 意であ る。 互 発は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門のいず れか 一 門を 実 践する ことに よ って 、 他の 五 門の 禅 定も 同 時に 起こすことを い う 。 3 「 旋 転 証」 は、 第 七の 旋 転 六 妙 門における 菩 薩のみ の 証 相であ り 、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 種の 修 行 法のい ず れ か 一 種を 実 践するこ と に よ って 、 他の 五 種の 悟りに と ど ま ら ず、 一 切の 修 行の 悟りを も 同 時 同 所に 成 就する 悟りの 様 相であ る 。 な お 、 一 般 的には 、 旋 転は、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門のいず れか 一 門を 実 践する ことに よ って 、 他の 五 門の 禅 定に とどま ら ず 、 一 切の 諸 行の 功 徳をも 同 時に 起こすこ と をい う。 4 「 円 頓 証」 は、 第 八の 観 心、 第 九の 円 観という 二 種の 行 法にお ける、 利 根 大 士の 証 相であり 、 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 種の 修 行 法のい ず れ か 一 種を 実 践 するこ と に よ って、 す べて を 具え、た ち ど こ ろ に 悟り を 成 就する 悟りの 様 相である。 円 頓という 用 語は、 智 顗が 説く 『 摩 訶 止 観』 の 教 理では 最も 重 要な 概 念の 一 つで ある。 『 摩 訶 止 観』 の 円 頓は、 化 法の 四 教の 最 高

(12)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 峰を 示す 円 教の 円であ り 、 円 融であ り 、 円 頓をいう 。 『 六 妙 法 門』 でいう 円 頓は、 智 顗の 教 理の 中で、 最 初 に 説かれた 円 頓であ る が 、 究 極の 円 教の 円 頓をいう の ではない。 仏にな る 一 歩 手 前にあ る 利 根の 大 士であ る 勝れた 菩 薩、す な わ ち、 化 法の 四 教の 第 三の 別 教の 円 頓をい う。 円 教の 円 頓と 別 教の 円 頓とは 、 大きな 懸 隔が けんか く あり 、 似て 非なるも の であ る。 智 顗が 説いた 教 相 判 釈「 五 時 八 教」 の 八 教は、 仏が 衆 生 教 化にあ た っ て 用いた 形 式・ 儀 則で、 薬の 調 合 法のような ものに 例えられ る 「 化 儀の 四 教」 であり、 仏が 衆 生 教 化に あた って 用いた 教 法の 内 容、 薬の 成 分のよ う な も の に 例え られ る 蔵・ 通・ 別・ 円の 「 化 法の 四 教」 であ る。 二つを 合 わせ て 八 教とす る 。 1 「 蔵 教( 三 蔵 教)」 は、 小 乗 教をい う 。 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗 人のため に 、 四 阿 含 経によって 、 空の 一 面の みを 知って 、 同 時に 不 空の 反 面があること を 知らな い 但 空の 道 理を 明かし、 分 析 的に 空を 観じる 析 空 観( = たん く う しゃ っ く う か ん 拙 度 観) によ って 無 余 涅 槃に 入らせ る 教えで あ る 。 2 「 通 教」 の 通とは 、 通 同と 通 入と 共 通との 意。 声 聞・ 縁 覚・ 菩 薩の 三 乗が 通じて 共に 受ける 大 乗 初 門の 教え をい う ( 共 通) 。 す な わ ち 、 す べ て の も の は 因 縁によ っ て 成 立して おり 、 幻のよ う に 空であるという 如 幻 即 空 の 道 理によ っ て 、 全 体として そ のま まが 本 来 空であ る と 観じる 体 空 観( = 巧 度 観) を 観じて い く 教えであ ぎょ う ど かん る。こ の 教えの 菩 薩のうち、 劣った 菩 薩はこ の 教 理を 浅く 理 解して、 前の 蔵 教の 者と 同じ 果を 悟り ( 通 同) 、 勝れた 菩 薩はこ の 教えの 中から その 奥に 含まれ て い る 中 道の 妙 理を 悟って、 別・ 円 二 教に 入って いく のであ る ( 通 入) 。 3 「 別 教」 の 別は、 不 共と 歴 別の 意。 声 聞・ 縁 覚の 二 乗 と 共 通せず 、 た だ 菩 薩のた め の み の 教えで ( 不 共) 、 そ の 点、 前 後の 三 教と 別 異してい る が 、 また すべ て の も のを 差 別の 面よりながめるのである ( 歴 別) 。 空→ 仮→ 中の 三 諦を、 次 第に 観じて 中 道の 理を 悟るの さんだ い であ る が 、 中 道は 空や 仮と 別なものとみ る か ら 、こ れ を 空・ 仮とは 独 立した 但 中の 理とい う 。 そ の 観 法は、 次 第の 三 観であ り 、 隔 歴 三 観とい う 。 別 教の 菩 薩も、 きゃ く り ゃ く 初 地に 至って 後は 中 道の 理を 悟り、 円 教の 人と 同じに なる が 、 初 地 以 前に、 但 中の 理から そ の 中に 含まれて いる 空・ 仮に 離れな い 不 但 中の 理を 悟って 十 住から 十 廻 向の 間で、 別 教から 円 教へ 転 進する 人がある。 4 「 円 教」 の 円は、 片 寄らず 、 す べて のも のが 互いに 溶 えん ぎ ょ う け 合って 完 備しているの 意。 迷いも 悟りも 本 質 的には 区 別がな い の が 真の 道 理であ っ て 、そ れが 仏の 悟りで ある か ら 、 円 教は 仏の 悟りの ま ま を 説いた 教えに なる。 空 仮 中の 三 諦の 理は、 一の 内に 互いに 他の 二を 含むと

(13)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ みる から 、 こ の 中 道の 理を 不 但 中の 理といい 、 円 教の 菩 薩は 空 仮 中の 三 観を 一 心に、 即 空 空 仮 即 中と 観じる 。 その 観 法は、 一 心 三 観であり、 不 次 第の 三 観、 円 融 三 観などと い う。 蔵・ 通・ 別・ 円の 四 教のう ち 、 蔵 通の 二 教は、 教も 証も 方 便であ っ て 真 実でな い か ら 教 証 倶 権、 別 教は、 教は 方 便 であ るが 証は 真 実であ る か ら 教 権 証 実、 円 教は、 教も 証も とも に 真 実であ る か ら 教 証 倶 実とい う 。 ( 4 ) ゆえ に 、 証もま たま た 廻 互にし て 不 定なり= 「 証」 は、 互 証の 悟りを いう。 「 廻 互」 は、 回 互と 同 義。 相 互に 巡るの 意をい う。 甲 乙の 二つが 相 互 依 存の 関 係にあり 、 互いに 中に 入り 込み、 互い に 支え 合い、 す べ てに 融 合することをい う。 言い 換えれ ば、 廻 互は、 同じ 所を 回 転する が、 そ の 回 転が 少しず つ ず れ て いく 。こう し て 、 回 転する もの 同 士が 関 連し 合っていく こ とをいう 。 「 互」 の 対 極にあ る の は 「 我」 である。 人は、 我・ 自 我を 後 生 大 事に 生きるの が 常であ る 。 自 我に 塗れて 生きて い る こと に 気づか ず に 生きるこ と は、 望まし い 人の 真の 生き 方 ではない 。 自 我に 塗れて 生きる 人は、 自 我に 塗れて 生きて いるこ と に 気づき、 い つ か は 自 我をいろい ろに 回 転させて 、 自 我をコ ン ト ロ ー ルし 、 自 我を 離れる 方 向に 生き 方を 転 換 することが 要 請される。こ れ が 修 行の 意 味である。 自 我を いろ いろ な 回 転に 変える のが 、 修 行の 成 果であ る。 修 行の 成 果が 「 互 証」 であ る 。 「 証もまたま た 廻 互にして 」 は、 悟りが 悟りを 生んでいく よい 循 環をい う 。 こ れ が 互 証であ る 。 従って 一 句は、 従って、 第 三 随 便 宜・ 第 四 随 対 治・ 第 五 相 摂・ 第 六 通 別とい う 四 種の 修 行 実 践によ って 達 成される 悟りも ま た 、 互いに 誘 発し 合い、 互いに 補 完し 合い、 互い に 高め 合っ てより 高い 悟りの 方 向に 向かうか ら 、 悟りは 一 定の 順 序・ 次 第には よ ら な い の 意をいう 。 ( 5 ) 十 六 触 等の 諸の 闇 証・ 隠 没・ 無 記・ 有 垢など の 法を 発 こす が ご と し =「 十 六 触」 は、 十 六 種を 数える 主 観と 客 観 との 接 触 感 覚、あるい は、 心の 内 界と 外 界との 触れ 合いを いう 。 「 闇 証」 は、 暗 証と 同 義。 正しい 裏 付けの ない 錯 覚をい う。 数 息 門を 実 践しているとき、 十 六 種を 数える 主 観と 客 観との 接 触 感 覚など 実 体はないが 、 実 体がな い 十 六 触が 現 実に 起こり、 実 体がな い 接 触 感 覚が 現 実に 実 在すると し て、 それにとらわれ 執 著する ことを い う。 闇 証は、 暗 証の 禅 師 という こ と ば で 知られ る 。 暗 証の 禅 師は、 盲 禅 者、 暗 禅の 比 丘ともいう 。 禅 定を 修 行する こと だ け に 執 著して 、 教 法 の 研 究を 怠り、 智 解に 暗く、 自ら 思い 上がっ てい る 者を 嘲る 言 葉であ る。 智 顗の 『 摩 訶 止 観』 巻 第 五 上(『 大 正 蔵』 あざ け 四 六・ 五 二b ) など に 見える。

(14)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 「 隠 没」 は、 隠れ 失うこと 、 隠れてすが たが 見えな くな る こと をい う 。 「 無 記」 は、 善でも 不 善でもないものをいう 。 こ こ で は 、 無 明と 同 義。 分からない こと 、す べ て が 縁 起するから、す べては 実 体がな い こ と を いう 。 「 有 垢」 は、 汚れがあること を い う 。 「 法を 発こす 」 は、 対 象を 実 在 化させ る こ と 、 実 体 化する こと をい う 。 従って 一 句は、 十 六 種を 数える 、 対 象にはた ら きか ける 接 触の 感 覚が 現われる 。 すると 、 錯 覚して 接 触 感 覚が 実 在 するとして 対 象にと ら われたり 、 接 触 感 覚の 対 象のすが た を 見 失ったり、 接 触 感 覚の 対 象が 分からな か っ た り 、 接 触 感 覚の 対 象に 汚れ が あ るなどと 接 触の 対 象に 心をはた ら か せる 。 接 触の 対 象に 心をは たらか せ るこ とに よって、 接 触 感 覚の 対 象が 現 実に 存 在すると し て 、 実 在 化させ て し まう の 意をい う 。 「 触」 は、 サンスク リット 語でス プ ラ シ ュ タヴ ァヤ と い う とき は、 触 覚を 司る 感 覚 器 官、す な わ ち 皮 膚また は そ の 機 能である 身 根によ って 感 覚され る、 対 象として 触れら れる べき 対 境をい う 。 これ に 「 十 一 触」 があ り 、 地・ 水・ 火・ 風の 四 大 種の 堅さ ・ 湿 潤 性・ 熱 性・ 流 動 性や、 滑・ 渋・ 重・ 軽・ 冷・ 饑・ 渇という 十 一 種の 触 覚の 対 象、す な わ ち 触 境 をい う 。 「 十 六 触」 の 触は、 触 境では ない。 触は、 サン スク リ ッ ト 語のスパ ル シ ャ の 訳。 心のはた ら きを いう 心 所の 名。 倶 舎 宗では、 十 大 地 法の 受・ 想・ 思・ 触・ 欲・ 慧・ 念・ 作 意・ 勝 解・ 三 摩 地の 第 四の 触をいい、 唯 識 宗では 、 五 遍 行 心 所 の 作 意・ 触・ 受・ 想・ 思の 第 二の 触をい う 。 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ 意の 六 種の 感 覚 器 官また は そ の 機 能をい う 「 根」 と、 色・ 声・ 香・ 味・ 触・ 法の 六 種の 対 象をいう 「 境」 と、 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ 意の 六 種の 認 識 作 用の 「 識」 の 根・ 境・ 識の 三つが 遭 遇し、 和 合すると こ ろ に 生じる 精 神 作 用 が 「 触」 であ る 。 言い 換えれ ば 、 主 観と 客 観との 接 触 感 覚、あ るい は 、 心 の 内 界と 外 界との 触れ 合いが 「 触」 であ る 。 眼 根と 色 境と 眼 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 眼 触」 。 耳 根と 声 境と 耳 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 耳 触」 。 鼻 根と 香 境と 鼻 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 鼻 触」 。 舌 根と 味 境と 舌 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 舌 触」 。 身 根と 触 境と 身 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 身 触」 。 意 根と 法 境と 意 識との 三が 遭 遇して 生じた 触は 「 意 触」 であ る。 これが 六 触であ る。 六 触のう ちで 前 五 触は、 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身の 五 識のよ りど ころと し ての 五 根が、 物 質として 場 所を 占 有している 「 有 対」 にあ るから 「 有 対 触」 という 。 六 触のう ちで 、 第 六の 意は、 受・ 想・ 行・ 識の 精 神 的な

(15)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ はた ら き の 名を 認 識の 対 象とす る 、 勝れた 強いこと ば の 「 増 語」 であるから 「 増 語 触」 とい う。 これ が 二 触であ る 。 無 漏と 相 応する 触は 「 明 触」 。 染 汚と 相 応する 触は 「 無 明 触」 。 有 漏 善および 無 覆 無 記と 相 応する 触は 「 非 明 非 無 明 触」 であ る 。 こ の うち 、 無 明 触の 中で、 愛と 相 応する 触は 「 愛 触」 。 恚と 相 応する 触は 「 恚 触」 である。 能 触から、 印 象・ 感 覚を 生じる 受に 三 受の 別があ る か ら 、 楽 受を 生じる 触は 「 順 楽 受 触」 。 苦 受を 生じる 触は 「 順 苦 受 触」 。 不 苦 不 楽 受を 生じる 触は 「 順 不 苦 不 楽 受 触」 であ る 。 これ が 八 触 であ る。 以 上、 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ 意の 六 触と、 有 対・ 増 語の 二 触と、 明・ 無 明・ 非 明 非 無 明、 愛・ 恚、 楽 受・ 苦 受・ 不 苦 不 楽 受の 八 触を 合わせて、 十 六 触となる。 ( 6 ) この 禅は 、 す なわちこ れ 、 数 息の 証 相の 体なり =「 こ の 禅」 は、こ の 一 句に 先 立つ 「 十 六 触 等の 諸の 闇 証・ 隠 没・ 無 記・ 有 垢など の 法を 発こす 」 禅 定、す な わ ち 数 息 門の 観 法を 修 行 実 践するこ と を い う。 「 証 相」 は、 修 行の 結 果 得た 悟りの す が た を いう 。 「 体」 は、はたら き をい う 用に 対する 語。 本 体・ 本 質をい う。 本 質は、 固 定 的 不 変な 独 自の 実 体があ る 、 そ の も の 自 体、も のそ の も のをい う 。 従って 一 句は、 菩 薩の 修 行 者が、 数 息 門を 修 行 実 践して いるなかで 、 接 触 感 覚の 対 象に 心をはた ら かせ て 対 象を 実 在 化させた り する ことが、 錯 覚であることに 目 覚める の が 、 「 数 息 門」 の 悟りの す が た そ の も の で ある の 意をい う。 ( 7 ) しか し て 、 い ま 不 定なり =「 しか し て 」 は、 一 般 的に は、 順 接の 意を 表わす 接 続 詞であ る 。 こ こ では 、 第 三の 随 便 宜、 第 四の 随 対 治、 第 五の 相 摂、 第 六の 通 別とい う 、 四 種の 六 妙 門のい ずれ かで 修 行 実 践される 数 息 門 実 践のなか で、 十 六 種を 数える 対 象にはた ら き か け る 接 触の 感 覚が 現 われると 、 接 触 感 覚が 実 在すると し て 対 象にと ら われたり 、 対 象のすがた を 見 失った り 、 対 象が 分からなかっ た り 、 対 象に 汚れ が あ るなどと 接 触の 対 象に 心をはた ら か せ 、 接 触 感 覚の 対 象を 実 在 化させ てしま う 。こ の よ う に 悟りの 心の はた ら き は、ど の よう に 展 開するか 分からない 、 不 可 思 議 さを 秘めて いるこ と をい う。 「 不 定」 は 不 次 第をいう 。 決めら れ た 階 梯を 一つず つ 上が るような 順 番がな く 、 第 三 随 便 宜、 第 四 随 対 治、 第 五 相 摂、 第 六 通 別とい う 、 四 種の 六 妙 門のい ずれ か の 数 息 門 実 践の なか で 体 現する 悟りが 、 互いに 誘 発し 合い、 補 完し 合い、 高め 合って、 四 種の 六 妙 門の 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄 の 六 門の 悟りを も 体 現することをい う。 従って 一 句は、 悟りの 心のは たら き は 不 可 思 議であ る か ら、 第 三 随 便 宜、 第 四 随 対 治、 第 五 相 摂、 第 六 通 別の 四 種 の 六 妙 門のい ず れ か で 修 行 実 践する 数 息 門の 悟りは、 互い に 誘 発し 補 完し 高め 合って、 四 種の 六 妙 門の 数 息・ 随 息・

(16)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 止・ 観・ 還・ 浄の 六 門の 悟りを も 体 現する 。 従って、 悟り に 一 定の 順 序・ 次 第はないの 意をい う 。 ( 8 ) 身の 毛 孔の 虚 疎なる を 見= 毛 孔の 虚 疎なる を 」 の 毛 孔は 身 体の 表 面の 毛 穴をいい 、 虚 疎の 虚は 中 身がなく、 疎 は 隙 間があ る こ とを いうか ら 、 虚 疎は 毛 穴には 隙 間があ っ て 空っぽ で あ る こ とを い う 。 「 毛 孔の 虚 疎なるを 見」 は、 肉 眼では 見えな いよ うな 毛 穴 の 空っぽ の す が た を 見るこ とをいう。つ まり 、 数 息 門の 禅 定のなかで 、 毛 穴を 電 子 顕 微 鏡で 拡 大して 見るように、 は っ きり と 見るこ とをいう。そ れ は 、 隙 間があ っ て 空っぽの 虚 疎の 毛 穴が 毛 穴に 続き、 毛 穴の 凹みが 毛 穴の 凹みに 連 続し て、 身 体の 表 面が 毛 穴の 凹 凸が 織り 成す 凹と 凸とで 覆われ 尽くし て い る こ とを 、 手に 取るよう に はっきりと 見て 取る こと をい う 。 「 身の 毛 孔の 虚 疎なる を 見」 る 真 意は、 生 命の 源 泉であ る 呼 吸は、 口と 鼻で す るだ け で はない 。 皮 膚からも 呼 吸をし てい る。 心を 臍 下 三 寸の 丹 田に 据えた 禅 定のなかで 、 皮 膚 が 毛 穴を 通して 生 命の 営みを し て や む こと のない 真 実を 見 抜くこ とに あ る 。 ( 9 ) 三 十 六 物= 三 十 六 物」 は、 人の 身 体を 構 成して い る 三 十 六 種の 要 素をいう 。『 大 明 三 蔵 法 数』 巻 第 四 十 八では 、 三 十 六 物を 外 相・ 身 器・ 内 含の 三 種に 分け、 そ れ ぞれに 十 二を 配 当する 。 外 相は、 外に 現われ 出たす が た をい い 、 髪、 毛・ 爪・ 歯・ 目やに ・ 涙・ 涎・ 唾・ 屎・ 尿・ 垢・ 汗の 十 二 よだ れ つばき をいう 。 身 器は、 身はいろい ろ な 事 物を 受ける 器であ る こ とを いい 、 皮・ 膚・ 血・ 肉・ 筋・ 脈・ 骨・ 髄・ 肪・ 膏・ 脳・ 膜の 十 二をい う 。 内 含は、 身 体の 内に 隠されているすがた をいい 、 肝・ 胆・ 腸・ 胃・ 脾・ 腎・ 心・ 肺・ 生 臓・ 熟 臓・ 赤 痰・ 白 痰の 十 二を 配 当する。 三 十 六 物は、 『 大 般 若 経』 巻 第 五 十 三、 大 品 般 若 経』 巻 第 六、 坐 禅 三 昧 経』 巻 上、 禅 要 経』 、 『 達 磨 多 羅 禅 経』 巻 下、 金 毘 羅 童 子 威 徳 経』『 十 二 頭 陀 経』『 大 毘 婆 沙 論』 巻 四 十、 釈 禅 波 羅 蜜 次 第 法 門』 巻 第 八など に 出るが、 多 少 の 異 同がある。なお、 『 南 本 涅 槃 経』 巻 第 二 十 二には、 「 凡 夫の 身を 見るに 三 十 六 物の 不 浄 充 満せり 」 とい い 、 不 浄 観 にお い て 、 こ れら 三 十 六 物の 不 浄を 観じるの を 自 体 不 浄と いう 。 ( 10) 空・ 静の 定を 証る= 元の 一 文は 「 証 空 静 定」 であ る。 証は 「 さと る 」 と 訓む。 真 実を 明かし、 真 実を 明らかに 体 得し、 真 実を 体 現していこうと するこ と 、す なわ ち 、 真 実 を 身をも っ て 実 現していこうと するこ と をいう。 天 台では、 悟りとい う ことばの 内 実は、 最 終 的な 意 味の 悟りでは な い。 より 真 実に 近い 状 態に 近づけて い き、 より 真 実に 近い 真 実 を 頭に 認 識させ、 よ り 真 実に 近い 真 実を 心のな か に 明かし 実 現してい く こと を、 悟りの 内 実とする。つ ま り、 終わり のない 悟り、 永 遠に 真 実を 追い 求めて いくこ と が、 天 台で

(17)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ いう 段 階にある 悟りであ る 。 数 息・ 随 息・ 止・ 観・ 還・ 浄の 六 妙 門の 修 行 実 践によ っ て 求めるこ と は 、 人 間のあ り 様であ る 。 数 息より 随 息へ、 随 息より 止へ、 止より 観へ、 観より 還へ、 還より 浄へと 、 より 高 次な 悟りを 求めて、 六 門の 悟りが 互いに 他の 六 門の 悟りを 触 発し 誘 発しな が ら 修 行の 階 梯を 上って いく 。 階 梯 を 上って い く こ と が 、 そ の 階 梯の 段 階 的な 悟りであ る 。こ うし て、 人とし て 、 よ り 真 実に 近づい てい く 方 法を 確 立す ると ころ に 六 妙 門の 眼 目があ る 。 証は、 段 階 的な 悟りを 悟 るこ ととい え る 。 「 空 静 定」 は、 空・ 静の 定と 訓む。 空は、 一 切の 事 物は 縁 起するか ら 、 事 物 自 体に 固 定 的 不 変な 独 自の 本 性・ 本 質・ 実 体がな い こ と を いい 、 静は、 一 切の 事 物は 縁 起し 実 体が なく 、 対 象を 絶してい る から 、 苦なく 、 欲なく、 煩 悩なく、 一 切の 執 著なく 、 身 心が 寂 静であ る こ とを いい 、 定は 禅 定・ 静 慮と 同 義。 精 神 統 一をいう 。 日 常、 心は 頭にあ る 。 こ の 心が 臍 下 三 寸に 下がる。 臍 下 三 寸の 自 己の 丹 田にあ る 不 動 の 一 心、すなわち 、 己 心から 事 物の 真 実のすがたである 空 即 静をみることをいう 。 従って 一 句は、 すべて は 固 定 的 不 変な 独 自の 実 体がない、 実 体がな い も の に は 執 著のし よ う が な い 寂 静にあ る と 、 臍 下 三 寸の 丹 田の 一 心に、 空はそ の ま ま 寂 静であると、 空 即 静の 悟りを 体 得する の 意をい う 。 ( 11) 身 心を 覚えるに 、 寂 然とし て 、 所 縁の 念なし = 「 覚」 は、お ぼ える ・ おぼゆ る と 訓む。 覚の 原 意は、 目の 前が ぱっ と 明らかになるにあり 、ひ い て は、おぼえる ・ さと る の 意とな っ た 。 覚は、 経 典では 、 さ と り の 智 慧や、 心の 本 性に 対する 覚 知・ 智 慧・ さと り を いう ことが 多い。ここ で は、 事 物を 推し 量る 心の 粗いは た ら き の 覚と、 細かい はた らき の 観の、 覚 観( 旧 訳は 尋 伺) の 覚をいい、 知る ・ 感 知 する ・ 観 察して 感 得する ほどの 意と 取る。 「 寂 然」 は、 注( 10) の 静と 同 義。 心が 静かで 澄み 切って おり、 一 切に 執 著のな いこと を い う 。 一 切の 事 物は 実 体 性 がな い 空であ る と す る 「 空 寂」 とも 、 煩 悩の 火が 消え 果て 心が 安らか に 静まっている 「 寂 滅」 とも 同 義。 一 切の 現 象 的 存 在は、 いろ いろ な 原 因や 条 件が 相 互に 関 係し 合って 現 象し て い る だ けで、 固 定 的 不 変な 独 自の 実 体 的 存 在は 一つ とし てありえ ない。すべてに 実 体はあり え ない か ら 、 苦も なく 、 欲もな く 、 煩 悩もな く 、 一 切の 執 著もな い と す る 「 寂 静」 とも 同 義。 「 所 縁の 念なし 」 の 所 縁は、 対 象とし てとらえる 認 識の 対 象をい い 、 念は 心のは たら き を いう。 所 縁の 念なしは 、 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ 意の 六 根が、 色・ 声・ 香・ 味・ 触・ 法の 六 境に 対して 、 眼・ 耳・ 鼻・ 舌・ 身・ 意の 六 識をはたらか せる ことが な いこ と、 す な わ ち 、 対 象をとらえよ う とする 心のは た ら き が ない こ と を い う 。

(18)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 従って 一 句は、 菩 薩の 修 行 者は、お の れ 自 身の 身 体と 心 を 観 察し、 身 体も 心も 共に 実 体がな い か ら 、 静かに 澄み 渡って い る こ と を 感 得する 。 そ し て 、 実 体がな いも の は と らわ れよう が な い 寂 静にあ るか ら 、 心が 対 象に 心を 移し、 対 象をとら え よ う とす る こ とも 、 あ り よ う が ない と 直 観す るの 意をい う。 ( 12) この 定に 入るとき、ま た 浅 深の 殊あり といえども、み なこ れ 空 寂の 相なり =「 この 定に 入る 」 は、 空・ 静の 定と いう 修 行 法の 実 践によ っ て 、 空・ 静の 定の 悟りに 入るこ と をい う 。 「 浅 深」 は、 悟りの 境 地に、 浅い 悟りと 深い 悟りがあるこ とをいう 。 「 殊」 は、 「 ことな り 」 と 訓む。 殊 異と 同 義。 違い ・ 相 違 をい う 。 「 空 寂」 は、 一 切の 事 物は 実 体 性がなく 空であること を い う。 前 出の 寂 然とも、 寂 滅とも 、 寂 静とも 、 空・ 静の 定の 静とも 同 義。 悟りの 状 態をい う 。 従って 一 句は、こ の よう な 一 心のな かの 、 空はそ の ま ま 寂 静であ る 境 地の 悟りに 、 浅い 深いの 違いは あ っ て も 、 す べては 空 即 静の 有り 様にある か ら 、 悟りそ のも の の 境 地に 違いは ないの 意をいう 。 ( 13) 内 外の 死 屍、 不 浄にし て 脹・ 爛 壊し= 「 内 外の 死 屍」 の 内 外は、 身 体の 内と 外をいい 、 死 屍は、 死 体をい う。 従っ て、 内 外の 死 屍は、 死 体の 体 内の 五 臓 六 腑と 死 体の 表 面の 皮 膚をい う。 「 不 浄」 は、 一 般 的には 、 悪い 行 為による 過 失や 煩 悩に 汚れて 、 清らか で な いこ とを い う 。 こ こ で は こ の 意を 踏ま けが えた 上で、 死 体は、 次 第に 腐 敗して 散り 失せ、つ い に 白 骨 と 化してい く 、 肉 体の 汚らわし さ を い う。 肉 体の 汚らわ し さに 深く 想いを 凝らし て 、 煩 悩や 欲 望を 取り 除く 方 法に、 五 停 心 観の 一つと して 不 浄 観があ る 。 一 句は、こ れ を 内 意 する 。 な お 、 五 停 心 観は、 不 浄 観・ 慈 悲 観・ 因 縁 観・ 界 分 別 観・ 数 息 観、あるい は、 界 分 別 観を 観 仏に 置き 換えた 五 つを いう 。 「 脹」 は、 胖 脹とも 表 記。 脹れ 上がり、 膨れ 上がるこ と をいう 。 「 爛 壊」 は、 爛れ 崩れて い く こと を い う 。 死んだ 後の 人の ただ 死 体は、 体 内の 五 臓 六 腑も、 死 体の 表 面の 皮 膚も、 古 血の こ けつ ため 皮 肉が 黄 赤にな っ て 黒ずみ 爛れ、 身 体の 九つの 孔に 膿 や 虫が 溢れ 湧き、 蛆 虫や 鳥 獣に 喰われ、 脹れ 上がり 、 膿 血 が 溢れ、 皮 肉が 破れ、 腐 敗して いく 。 や がて、 皮 肉が 尽き て 筋 骨のみ とな っ て 散 乱し、 火に 焼かれ て 煙となり 灰とな り、 つ い に は 白 骨とな っ て 散 乱 狼 藉する 。 死 屍の、 こ の 世 にお ける 九 想の 有り 様を、 一 句は、 脹れ 上がり 膨れ 上がり 、 やがて 爛れて 崩れていくすがたを 代 表として 記 述し、 世 間 の 死 屍の 無 常なす がたが、 不 浄であ る 有り 様をいう 。

(19)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 従って 一 句は、 死 体の 体 内の 五 臓 六 腑と 表 面の 皮 膚は 汚 れてお り 、 脹れ 膨れ 上がりやがて 爛れ 崩れて い く 有り 様を 観 察する 。そして 、 荼 毘に 付された 白 骨は 清 浄で、 青・ 黄・ 赤・ 白の 仏の 光 明など に 包まれ て、 光り 輝いて いる す が た を 観 察するの 意をい う 。「 浄」 は、 サ ン ス ク リ ッ ト 語の シュ ッ ダ ・ 清 浄をいう 。 清 浄は 悪い 行 為によ る 過 失や 煩 悩 の 汚れを 離れて 、 清らか な こ とを いう。 清は、 智 慧の 力で 観 察して 、 心の 在り 方が 清 浄であること を いい、 浄は、 煩 悩が 止んで 、 心の 在り 方が 静かなことを い う 。 つまり、 真 実のままを 悟り 顕してい る こ と を 清 浄とい い 、 心 清 浄、 身 清 浄、 身 語 意 三 種 清 浄などと 用いる。 過 失や 煩 悩に 汚れ、 清らか で な い こ とを 「 不 浄」 という 。 『 究 竟 一 乗 宝 性 論』 巻 第 四には、 す べ て のも の は 空であ る から 、も と も と 清らかであるという 自 性 清 浄と、 煩 悩の 汚 れを 離れる こ と に よ っ て 、 真 如が、 本 来の 清らかさ に 戻っ た 離 垢 清 浄とを 説いて 、 二 種 清 浄とする。 な お 、 人の 心は、 り く 本 来の す が た において 清 浄であ る と して、これを 心 性 本 浄 とい い 、 そ の 心を 自 性 清 浄 心という 。 大 乗では 、この 心を 如 来 蔵 心、 仏 性と 名づける。 心は、 本 来は 清 浄であっても、 現 実にお い て は 煩 悩に 覆われ て 汚され て い る。 この 煩 悩は、 本 来はあ る べ き も ので な く 、 客 分のようなものであるから、 客 塵 煩 悩という 。 塵は、 煩 悩が 微 細で 動 揺する ことを 、 塵 かくじ ん ぼん の う 垢に 例えたものである。 「 九 想・ 九 相」 は、 貪り 執 著する 心を 除き、 煩 悩を 離れる く そう ために、 人の 屍 相を 心の 対 象とし て 、 心に 深く 想いを 凝ら す 九 種の 観 想をいう 。 1 「 青 想」 は、 古 血のため に 、 皮 肉が 黄 赤になり 、 さ しょ う お そう らに 黒ずん で い く 有り 様を 観じる 観 想。 2 「 膿 爛 想」 は、 皮 肉が 爛れて 、 身 体の 九つの 孔に、 膿 のう らん そ う や 虫が 溢れ 湧いて い る 有り 様を 観じる 観 想。 3 「 虫 想」 は、 蛆 虫や 鳥 獣に 喰われ る 有り 様を 観じる ちゅう か ん そ う 観 想。 4 「 胖 脹 想」 は、 死 屍が 脹れ 上がっ た 有り 様を 観じる 観 ほうちょうそう 想。 5 「 血 塗 想」 は、 死 屍に 膿 血が 溢れてい る 有り 様を 観じ けつ づ そう る 観 想。 6 「 壊 爛 想」 は、 皮 肉が 破れ、 腐 敗した 有り 様を 観じる え らん そ う 観 想。 7 「 敗 壊 想」 は、 皮 肉が 尽きて 、 筋 骨のみ とな り 、 散 乱 はい え そう して 横たわっ て いる 有り 様を 観じる 観 想。 8 「 焼 想」 は、 死 屍が 火に 焼かれ 、 煙となり 灰とな る 有 り 様を 観じる 観 想。 9 「 骨 想」 は、 白 骨とな っ て 狼 藉 散 乱して い る 有り 様を 観じる 観 想。 死んだ 後 死 体が 変 化する 、 人 体の 死 屍の 醜 悪な 相 状につ いて 想う、 九 通りの 観 想を 実 践して、 肉 体に 対する 執 著・

(20)

─ ─ 天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) 情 念を 除き、 煩 悩を 断つ 不 浄 観を 九 想 観ともいう 。 ( 14) およ び、 白 骨の 光 明 等あり て= 「 およ び 」 は、 そ の 前 段で、 死 体が 変 化する 人 体の 死 屍の 醜 悪な 相 状を、 九 想に わた って 述べてい る が 、 この 九 想は 俗 世 間の 不 浄であ り 無 常であ る 有り 様を 象 徴していう 。「 および 」 を 受けた 後 段 では 、 九 想の 第 九の 骨 想の 白 骨が、 俗 世 間の 不 浄であ り 無 常を 離れて、 青・ 黄・ 赤・ 白の 仏の 光 明に 照らされ て 、 出 世 間の 清 浄であ り 常 住である 有り 様にある こ とをい う 。 つ まり 、「 およ び 」 は、 そ の 前 段の 俗と、 そ の 後 段の 聖との 分 断の 位 置づけ を 示す。 「 白 骨の 光 明」 は、 荼 毘に 付され た 白 骨は、 火に 焼かれ た から 清 浄であ り 、 残ると こ ろ のな い 無 余 依 涅 槃にあ り 、 青・ 黄・ 赤・ 白の 仏の 光 明に 照らし 出され て、 本 来の 仏のす が たそ の も の と し て 光り 輝く 存 在とな っ て い る こと を い う 。 九 想 観の 対 象とな る 人の 死 体は、 次 第に 腐 敗して 散り 失せ、 つい に 白 骨と 化して いく 。 こ の 肉 体の 汚らわし さ を 不 浄と して 、 心に 深く 想いを 凝らす のが 小 乗の 不 浄 観としての 九 想 観であ る 。 大 乗には、 作 浄とい う、 罪の 汚れがあ る も の さ じょ う も、 一 定の 制 限 禁 止の 法に 従って 行なえ ば、 罪にな らな い とす る 浄 法があ る 。 例えば、 果 物を 食べるとき、なまのま まで は 食べる こ と は 許されない 。 必ず 浄して 食べる。 火で 焼くの を 火 浄、 刀で 傷つけ るのを 刀 浄とい う 。 九 想の 焼 想 は、まさ に 火 浄である。な ら ば 、 火 浄の 結 果が 骨 想の 白 骨 である。 九 想の 骨 想の 白 骨を、 白 骨の 光 明と 取るのは 、 こ の 火 浄の 浄 法が 背 景にある と 考えるこ と ができる 。こう し て、 小 乗の 九 想 観が、 大 乗の 九 想 観とな り 、 白 骨 観とな り 、 小 乗の 不 浄 観が 大 乗の 浄 観に 転 換する 。 白 骨の 光 明は、 こ の 浄 観をいう 。 「 ありて 」 に、 観じること ・ 観 察する ことの 意を 重ねる 。 従って 一 句は、 そし て、 荼 毘に 付され た 白 骨は 清 浄で、 青・ 黄・ 赤・ 白の 仏の 光 明など に 包まれ て 、 光り 輝いて い るす がたを 観 察する の 意をい う。 「 光 明」 は、 仏・ 菩 薩など の 発する 光りであ り 、 自ら 輝く もの を 「 光」 、 物を 照らす もの を 「 明」 とい い 、 闇を 破り、 真 実を 顕わす はた ら き が あ る。 『 倶 舎 論』 巻 第 一では 、 太 陽のひ かり を 光とい い 、 月・ 星・ 火 薬などの ひ か り を 明と する 。 光は 黄 赤の 二 色をいい 、 明は 青 黄 赤 白の 四 色から しょ うお う し ゃくび ゃ く なる 。 仏・ 菩 薩の 身から 発する 光を 身 光( 色 光・ 外 光) と いい 、 智 慧がも の の 真 相を 照らすはたら き を 智 光( 心 光・ 智 慧 光・ 内 光) とい う 。 身 光には 、 常に 仏 身から 発して い る 常 光( 円 光) と、 教 化の 相 手や 機 会に 応じて 反する 現 起 光( 神 通 光・ 放 光) とが あ る 。 常 光は、 半 径 一 尋( 約 三 ひろ メー トル ) の 円 光であ り 、 一ケ 所から 発する 光に、 白 毫 光・ びゃ く ご う こ う 毫 光・ 眉 間 光・ 毛 孔 光などがある 。 もう く こう ( 15) 定 心、 安 隠( 穏) なり =「 定 心」 は、 禅 定 心・ 寂 静 心・ ( ママ ) 三 昧・ サマーディと 同 義。 臍 下 三 寸の 丹 田に 一 心を 据えて 、

(21)

天 台『 六 妙 法 門』 の 研 究( 九) - 一( 大 野) ─ ─ 安 定し、 散 乱しない 心をいう 。 「 安 隠( 穏)」 は、 一 般には 心 安らか なこ と 、 さと り の 境 ( ママ ) 地をいう 。 ここで は 寂 滅より 高い 段 階をい い 、 心を 自 分で 自 由 自 在にコン ト ロー ルでき る 境 地をいう 。 従って 一 句は、 修 行 者の 心は、 臍 下 三 寸の 丹 田の 一 心に 据わり、お の れ の 心を 自 在にコ ントロ ー ルす るこ とがで き るの 意をい う。 ( 16) 巧 慧 方 便= 巧 慧」 の 巧は、 一 般 的には 、 人々の 素 質 や 能 力を 判 断し、 その 利 鈍に 応じて 理 解させる よ う 、 仏・ 菩 薩が 巧みに 誘 導の 方 法や 手 段を 立てる 「 善 巧 方 便」 をい う。 慧は、 布 施・ 持 戒・ 忍 辱・ 精 進・ 禅 定の 五つの 波 羅 蜜 を 兼ね 備えた 上で、 智 慧の 般 若 波 羅 蜜を 完 成し、そ の 般 若 波 羅 蜜に 基づい て 生きるこ と をい う。 つま り 、 巧 慧 方 便は、 一 般 的には 、 善 巧 智 慧 方 便とで も 言い 換える こ と が で き 、 布 施・ 持 戒・ 忍 辱・ 精 進・ 禅 定の 五つの 波 羅 蜜を 兼ね 備え た 上で、 智 慧の 般 若 波 羅 蜜に 基づい た 、 仏・ 菩 薩の 巧みな 手 立てをい う 。 ここ では、 菩 薩が、 菩 薩の 智 慧に 基づい て 実 践する 菩 薩 の 修 行 実 践の 意と 取る。 ( 17) 発~ 起…… = 一 般 的に、 発 起と 熟し、ひらき お こす こ ほっ き とをいう 。 峻 別すれば、 昔からあ る こと を お こ す こと を 発、 いま 初めてお こ すこ とを 起とい う。 合わせ て 、 た だ おこ す こと をい う 。 こ こ では 、 修 行を 実 践して、 悟りに 至るの 意 と 取る。 ( 18) 思 覚の 心= 思 覚の 心」 は、 思 心と 覚 心との 二 意を 含 むと 取る。 思 心は、 菩 薩の 十 力の 一つを い い 、 覚 心は、 目 覚めた 仏・ 菩 薩の 心をいう 。 ここで は 、 思 覚の 心は、 菩 薩 の 修 行 者が 菩 薩の 真の 智 慧に 目 覚めた、 菩 薩の 心をい う。 ( 19) 諸 法= 諸 法」 は、 一 般 的には 、 一 切の 現 象 的 存 在や 物 質 的 現 象をい う。 ここで は 、 修 行を 実 践しても 実 践しても な お 残る、 真 実 に 迷い 惑う、 極 微 細な 迷 妄の 心のはた ら きを いう。 現 象 的 存 在や 物 質 的 現 象はすべて、 絵 師が 白いキャ ン バスの 上に 一 幅の 絵を 描き 出すように、 人の 心が 人の 心の 上に 創り 出 し 顕わし 出した 影 像であって、 心とは 関 係なく 存 在する 現 象 的 存 在や 物 質 的 現 象はな い 。 すな わ ち 、 一 切は、 人が、 おの れの 肉 眼で 確 固とし たも の が ある と 見るよ うな 、 固 定 的 不 変な 独 自の 実 体のあ る 現 象 的 存 在や 物 質 的 現 象はない。 これが 現 象 的 存 在や 物 質 的 現 象が 存 在するこ と の 真 実であ る。 しかし 、 数 息 門の 修 行 法を 実 践してい る な か で 、 一 切 を 空じていって も 、 実 体 視して やまな い 迷 妄の 心のはた ら きが、 極 微 細では あっ て も 、 な お 残る。 諸 法は、 この 極 微 細な 迷 妄の 心のは たら き を いう。 ( 20) 破 折= 破 折」 は、 折 破と 同 義。 はせつ 」 とも 訓むが 、 せっ ぱ 「 はしゃ く 」 と 訓むの が 習い。 挫き 破るこ とを いう。 くじ ( 21) 本に 反り、 源に 還る= 「 反 本 還 源」 反は 返に 通じ、 返 へんぽ ん げん げん

参照

関連したドキュメント

大谷 和子 株式会社日本総合研究所 執行役員 垣内 秀介 東京大学大学院法学政治学研究科 教授 北澤 一樹 英知法律事務所

東北大学大学院医学系研究科の運動学分野門間陽樹講師、早稲田大学の川上

郷土学検定 地域情報カード データーベース概要 NPO

【 大学共 同研究 】 【個人特 別研究 】 【受託 研究】 【学 外共同 研究】 【寄 付研究 】.

山階鳥類研究所 研究員 山崎 剛史 立教大学 教授 上田 恵介 東京大学総合研究博物館 助教 松原 始 動物研究部脊椎動物研究グループ 研究主幹 篠原

共同研究者 関口 東冶

人類研究部人類史研究グループ グループ長 篠田 謙一 人類研究部人類史研究グループ 研究主幹 海部 陽介 人類研究部人類史研究グループ 研究員

人類研究部長 篠田 謙一 人類研究部人類史研究グループ グループ長 海部 陽介 人類研究部人類史研究グループ 研究主幹 河野