Ra cism and t h e Pria o f As s i
血i l a t i o ni n John O k a d a ' s No‑No B のr
教 科 ・ 領 域 教 育 専 攻 言 語 系 ( 英 語 ) コ ー ス
大 川 真 澄
1. Introduction
1957
年に出版されたNo‑NoBのrはJohn Okadaの唯一の作品である。表題のno・noboy とは第二次世界大戦中に強制収容された日系人 のアメリカ合衆国への忠誠心を審査するために 問われた二つの質問に対して N0."と答えた人 たちゃ兵役を拒否した二世たちを指す。この忠 誠審査とそれに続く徴兵手続きは収容所の日系 人に大きな混乱と深刻な葛藤を引き起こした。主人公のIchiroYamadaもno‑noboysの一人 であるoOkadaはこの小説において、日系アメ
リカ人が直面した問題だけでなく、アメリカで 暮らすあらゆる人種・民族の問題をも問いかけ ている。Okada自身は兵役経験をもっ日系アメ
リカ人二世であり、 no‑noboyではない。この 論文では彼が当時の文学界で広く受け入れられ、
高し1評価も得ていた日系人の自伝的小説ではな く、あえてフィクションという形式を取り、
Ichiroを主人公にした理由について考察する。
2. Chapter 1 日storicalBackground of No‑NoBのr
No‑No Bのrを理解する上で不可欠な歴史上 の出来事や社会的状況として、日系アメリカ移 民の歴史や世代による立場の違い、第二次世界 大戦中の日系アメリカ人の強制収容、
1943
年の忠誠審査とそれに続く徴兵手続き等がある。
日本からの移民の数が増えるにつれ、アメリカ
指 導 教 員 前 田 一 平
西海岸の各j十
i
では排日運動が高まり、アジア系 労働移民の入国制限や帰化権の否認にとどまら ず、農業経営権の否認にまで拡大した。そして1941
年12
月7
日、日本の真珠湾攻撃が引 き金となり、ブ横領令のもと、約12万人もの 日系人の強制移住と収容が実施される。この収 容所体験と忠誠審査により、日系アメリカ人コミュニティと家族生活は崩壊寸前となり、コミ ュニティ内や家族内での深刻な対立が生み出さ れてして No‑NoBoyの戦後の日系アメリカ 人コミュニティにおいて、二世間士の対立や家 族内の人間関係の崩壊が描かれているのは、こ のような社会的政治的影響の反映であり、戦後 も続く人種競リの結果、 no‑noboysたちが、ア メリカ主流から日系人が閉め出される理由とし て、そのスケープゴートにされたからでもある。
3.
ChapterI I :
Ichiro as a 明 白veand U nreliable N:創 T ator"No‑Nolゐyは25歳の日系二世であるIc恒m Yamadaが二年間の強制収容とさらに二年間の 連邦刑務所での収監から解放され、シアトルの 日系コミュニティにもどってきたところから話 が始まる。 Ichiroは自分がどうして兵役を拒否 したのか説明できず、アイデンティティの危機 に陥っている。 Jinqi
L i n
gはその危機をさらに 深める理由として次の二点を指摘する。一つは、他の兵役経験のある二世たちがIchiroの兵役拒
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否をアメリカ人であることの証明の失敗と捉え、
敵意と軽蔑をもってIchiroに接することであり、
もう一つは、日本人であることにこだわり、日 本の敗戦という現実さえ受け入れられず、
Ichiroの兵役拒否を日本への愛国心のためと誤 解する彼の母親との確執である。
Ichiroのアイデンティティ回復については、
各時代の社会的聞で背景が指平家たちの考察に 影響を及ぼしてきた。No‑NoBのrが再発見され た70年代から80年代の指平では、 60年代 の公民権運動に刺激を受けたアジア系マイノリ ティ運動の台頭の影響が強く、 Ichiroの苦悩を 自己の完封生を求める回復の旅と捉え、その回 復を肯定的に見る意見が多い。しかし、 90年 代になると、 Ichiroの回復に疑問を持つ声が現 れ始める。特に、 StephenH. SumidaやJinqi
L i n
gの指摘は興味深い。この二人の主張をもとに、 OkadaがNo偽 ゐyを事嘩する上で、工夫 した巧みな戦略を明らかにする。
4. Chaptβr
m:
A 加es鈍 geof Protest"through Ichiro
Jinqi
L i n
gによるとOkadaがNo‑NoBのrを 事嘩し、出版したH
新t
は、50
年代の冷戦構造 下で、アメリカが人種問題ヰコ経済階級の問題を 覆い隠そうとした時代である。同時に、同化に 成功したモデ、ルマイノリティとしてのイメージ を強調し、市民権運動への視線をそらそうとす る意図があったとApolloO.Am
okoは指摘する。Okadaは読者、出版社、そして作者側の要求を バランスよく満たすために創作上の戦略を工夫 している。その結果、主流アメリカとその政策 を擁護する声が表向きの公的な声となり、その 下に日系人の抵抗の声が隠されることになった。
アメリカ政府がとった政策について謝罪のこ
とばを口にしたMr.C訂rickや一時的にIchiro と恋仲になる
Emi
戦争で負傷し、その傷がも とで片足を失い、最後には命をも失うことにな るKenjiたちとの出会し斗こよって、 Ichiroのア イデンティティは利那的に回復の方向へと向か うが、往々にして同じ悩みに立ち返る。自分で は選ぶことのできない人種という問題によって、日本人かアメリカ人かとしづ選択不可能お墾択 を
5
齢、られるからである。世代的対立はアメリ カの人種差別政策によって再生産され、強制収 容と忠誠踏によって政1
捕にゆがめられたた めに、日系アメリカ人の家族やコミュニティ内 だけでは解決できない問題となっている。5. Conclusion
当時の日系人たちがアメリカ同化のために支 払った代償は大きかった。彼らの抵抗の声を公 に抗議したくてもで、きなかった時代、その表現 方法すら確立していなかった剛対こ、Okadaは 母と息子の確執や二世間士の対立、日系コミュ ニティそ家族内の人間関係の崩壊を通して、日 系人の強し、られた歴史的制兄がし、かに過酷なも ので、あったかを明らかにした。その上で、人種 差別への対応となった同化主義か日本文化保持 かという誤った二項対立が政糊切こ作られたも のであることを示している。彼が従来の写実的 な自伝ではなく、小説としづ形式を選んだのは、
彼自身の苦悩をno・noboyであるIchiroの精神 的ジレンマとして表現し、解決しがたい問題を 通して、その裏にある柾会的力の責任を批判し ようとしたからだろう。アメリカ周辺社会から の脱却を試み、制哉を重ねた Okada自身の姿 に、戦後も長く続いた差別の影響が伺われるD
No‑No Bのrは多元的文化社会を生きょうとす る我々にとって、一つの指標となる作品である。
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