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ドイツ連邦共和国の麗史教育に関する一考察
教科@領域教育専攻 社会系コース 大北康之
序章
ドイツは鞠麦から一貫して「過去の克服J¥こ 取り組んで、きたといわれている。「過去の克服」
とは、現在ではナチ・ドイツの暴力支配がもた らしたおぞましし帰結にたいする戦麦ドイツの さまざまな取り組みを総羽二する言葉である。そ のなかでも、現代史爵見の歴史教育についてど、
のような取り組みがされているのだろう方、
そこで本論文では、アデナウア一政権とプラ ント政権の政策の実
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比を通じで第二次世界大戦 後のドイツ連邦共和国で現代史爵見の歴史教育 が行われるようになった背景や過程を明らかに し、さらに戦後世代が過半数を占めるようにな った 1980年代以降の歴史教育の動向にも言及 することで「過去の克服」としての歴史教育の 取り組みについて検討してし、くO第1章戦後初期の政治的展開と教育
戦後、西側三ヵ国の占領地区において非ナチ 化が行われた。これには、ナチ犯罪の被告人を 裁く軍事裁判だけでなく、教育の非ナチ化・民 主化・平等化を目的とした政策も含まれていた。
ただ、この教育改革はドイツ側の反対により失 敗に終わり、歴史耕ヰ書を見てもナチH封切こ関 する言国主は不十分で、あった。この点だけを鑑み ても、歴史教育が再開された 1947年から西ド イツが建国される 1949年までのドイツで、「過 去の克服jとしての歴史教育はまだ行われてい なかったと言えよう。その後、 1950年代初めに
指 導 教 員 原 田 昌 博
首相アデナウアーはナチ犯罪による被害者(主 にユダヤ人)に対する補償政策を行い西ドイツ 再建に尽力したが、一方で鞠巴や公職追放にあ った人々を復帰させるとし、う非ナチ化終了政策 も行ったO この時期の歴史教育は、親ヰ書にお いてユダヤ人迫害についての記述が少し増えた ものの、ナチの犯罪についての言
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主は十分なも ので、はなかったO また、若者によるネオナチ事 件が多発した 1960年には、常設文部大臣会議 やドイツ教育制度審議会により歴史の授業の中 でナチの過去についてより詳しく扱うことが要 求されたとはし、え、戦後の西ドイツにおける現 代史重視の教育は、総じて十分なものとはし、え なかった。第
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章 ブラント期の政治的展開と教育 西ドイツにおいて1960年代後半は、「過去の 克月間における転機となった時期であった。そ れまで、西ドイツ国民の中ではナチの過去を真 撃に受け取り、議論するとし、う意識は低かった。しかし、親世代のナチの過去に対する取り組み に苛立ちを覚えた学生は、親や教授らとの議論 を重ね、ナチの過去に暖昧な態度をとる社会に 対して変革を追った。結局、この学白軍動は政 治的には挫折したが、国民がナチの過去への取 り組みについて活発な議論を行おうとする社会 へ転換のきっかけをつくることになった。 1960 年代後半に始まったプラントの「東方外交Jが 国民に認められた背景には、このような「過去
- 274 - の克服」としての取り組みへとシフトしていく 西ドイツ社会の変化があったので、あるO このよ うな中で、プラントの東方外交の一環として行 われた西ドイツーポーランド教科書対話は、
1976年 4月に教科書勧告を出し、西ドイツ社 会に影響を与えた。この取り組みは、教科書に 見られる自国中心主義的な記述を客観的で公正 な歴史理解に到達する試みで、あったが、各)十│の 議会で長い間議論された結果、教師や歴史家の 働きかけにより 1981年には全ての州で受け入 れられ、勧告内容を踏襲する教科書が増えてい った。この意味で、 ドイツ・ポーランド教科書 対話は今日のドイツ社会において広範な支持を 得ているといえるだろう。
第3章 1980年代の政治的展開と教青
1970年{‑¥:1:去半から 1980年代にかけては、西 ドイツ社会で再びナチの過去についての議論が 活発化した時期で、あった。 ドイツ連邦政治教育 センターはテレビ映画『ホロコースト』を樹オ として利用するよう学校に促した。その結果、
これまで以上に教科書においてナチの暴力支配 についての奇己主が増えていった。また、『ホロコ ースト』は西ドイツ国民のナチズムのイメージ を変え、ナチの過去の活発な議論を呼び起こし
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しかし、他方で¥鞘麦世代が過半数を占め るようになった 1980年代は「終止符願望」の 世論が大きくなった時期で、もあった。それを示 すのが1985年5月5日のコールのピットブノレ ク訪問を支持する国内世論で、あったO そのなか で、同年5月8日のヴァイツゼッカー演説は国 民に対してドイツ国民に「ナチの過去」を背負 ってし泊ミなくてはならないと訴えた。 1986年6 月、この演説に反発した保守派の歴史家とそれ に同調する歴史家の聞で、社会を巻き込んだナチの過去の解釈をめぐる「歴史家論争」が起き た。この論争を契機に「過去の克服jへの意識 がより一層高まった1980年代中頃から後半は、
ドイツにおいて歴史教育が深化・発展した時期 で、あったO また、教科書において歴史を批判的 に見る態度を養う工夫がされたり、日常史の視 点の導入により一般のドイツ人の加害性を問う 内容が含まれるようになったのもこの時期であ る。さらに、学校外での新たな試みとして若者 にナチの過去を身近山惑じてもらうため「ナチ ズムの下での日常」をテーマにしたドイツ史コ ンクールカミ行われ、強制収容所跡での歴史教育 が一般的になり、「学習の場」として機能してい っ t~ 現在に至るまで、これらの施設では見学 者にとって収容所見学を意義のあるものにする ためにさらなる工夫が行われている。
終章
ドイツ連邦共和国の「過去の克月民」としての 歴史教育には、いくつかの段階が前主している ことが明らかになってくる。つまり、第一に 1950年代初頭から 1960年代初頭が「萌芽期」
であり、この時期にはユダ、ヤ人迫害を取り上げ た新ヰ書が見られ始めた。第二に 1960年イ協 半から 1970年代初めが「発展期」であり、こ の時期にはナチの過去についての様々な議論・
研究を通じて耕ヰ書内のナチ時代の記述が充実 していくことになった。そして、最後に 1970 年代後半から 1980年代にかけては「確立期j
であり、ここでは教科書内での日常史の導入や 涯史を批判的に学ぶための教授方法が確立し、
郊外学習としての追悼施設教育が一般化してい った。つまり、この時期は現在まで続く現代史 を爵見する歴史教育の姿が確立した時期で、あっ たといえるだろう。