徳島藩における家臣団編成について一役席役高制を中心に一
教科・領域教育専攻 社会系コース
戸 川 祐 樹
はじめに
本稿では阿波蜂須賀家(阿波・淡路両国二五 万七千石)、第一
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代藩主蜂須賀重喜の治世(宝 暦・明和期)における家臣団編成について取り 上げる。特に重喜が明和三(一七七六)年に実 施した職制改革である役席役高制を中心に考察 していく。政治過程の一部として役席役高制を 位置づけるのではなく、役席役高制そのものの 実態を見てし、くO 役席役高制の全体像について 明らかにし、この職制改革の特徴や機能につい て考察する。第 一 章 蜂 須 賀 家 家 臣 団
本章では、蜂須賀家家臣団と宝暦・明和期の 徳島藩の政治状況について述べる。
第一節では軍制と行政組織という視点から大 名家家臣団を捉える。近世大名家家臣団一般に ついて先行研究をふりかえりながら、蜂須賀家 家臣団における場合を具体的に見た。軍制(番 方)の階層秩序が官僚制(役方)の階層秩序に そのまま転化される形で、行政活動を行った。そ の原則をもとに、蜂須賀家家臣団について、藩士 に付属する家格(身分)と役職との対応関係に ついて具体的に述べた。
第二節では先行研究をもとにしながら、役席 役高制導入までの政治過程を中心に述べた。特 に重喜が役席役高制導入の構想、を発表するまで の過程を中心に重点を置き、重喜が直面した政 治課題、政治状況について取り上げながら、役
指 導 教 員 町 田 哲
席役高制が先行研究では、どのように位置づけ られているかを確認した。そして、その後重喜 が幕命によって隠居処罰されるまでの過程につ いて見ていった。
第 二 章 役 席 役 高 制 に み る 家 臣 団 編 成
本主主では、役席役高制とそれに派生して行わ れた軍事組織の改編について述べた。前章では、
主に政治過程の中で取り扱われてきた役席役高 制について見た。そこでは、家老専断の藩政と それに対抗しようとする中老(近習役)のはざ 間で、自らの権力確立のために役席役高制実施 がそのくさびの役割を果たすものとして、重喜 専制体制の形成のための制度として描かれてい た。しかし、役席役高制は実際には一部の上位 家格藩士層のみがその対象となった訳ではなく、
下位家格藩士層も含めた家臣回全体に及んでい る。政治過程の中で語られる役席役高制の機能 だけではなく、家臣回全体の問題として捉える ことでこの職制改革がもっ違った側面を描き出 すことを目的とした。
第一節では、役席役高制の実態について考察 を加えた。そこでは、役職そのものに対する重 喜の評価と、藩士個人に対する評価の二つが存 在した。そして一部の上位家格藩士だけでなく、
少禄下位家格の藩士もその対象となっているこ とが事例から明らかとなり、藩の職制全体に関 わる問題であったことを指摘した。また、役席 役高制は少禄下位家格の藩士をより重要な役職
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への任用を可能にした人材登用制度でもあると いえる。
第二節では、役席役高制での家臣団編成の特 徴とその意図、そして役席役高制がもっ機能に ついて述べた。
藩の職制広範にわたって役席改めが行われて いたわけであるが、ほとんどの役職でその役職 に対応する家格が上がっている、もしくは複数 の家格が混在する役職では、その中で最上位の 家格を採用していることが分かつた。役職に対 応する家格・禄高が上がるということは、役職 についての評価が上がったということである。
役席改めがあった役職は、重喜の役職に対する 評価が転化されているわけだが、その編成の特 徴について考察した。そこでは、藩主に関わる 役職、実務に関わる役職、外様の役職が重喜に とって重要な役職として評価されるとしづ特徴 があった。
そして次に役席役高制が担った機能について 述べた。宝暦期の徳島藩では退廃してしまった 家中の風儀や十分に機能していなかった官僚制 組織が問題となっていた。このような家中に対 して、新たに役席役高制を取り入れ、藩の職制 全体に新たな緊張感をもたらす機能を担ったと 考えた。役席役高制は、重喜の政治体制形成の 問題として扱われてきた。しかし、従来の格式 にとらわれることなく、藩の職制広くに及んで いる事実を鑑みれば、役席役高制を政治体制の 形成だけにとどまる問題ではなく、家臣団編成 全体の問題としても捉えなければならないだろ う。役席役高制は、家臣回全体を巻き込んだ近 世的官僚制の問題に対応するための機能を担っ ていたと結論づけた。
最後に軍事組織の改編について取り上げた。
大番組と改称し、番頭の下に組頭を設置した組
組織改編や、御小性組を三組、小普請組を四組 新設したことについて考察し、「武官」の「者イ多 安逸jを克服するための方策であったとした。
おわりに
本稿では述べることができなかった問題とし て、まず足高の給源の問題をあげた。明和四(一 七六七)年から藩士の禄高召し上げが頻繁に行 われており、削減された禄高が足高の給源にさ れたものと考えられるが、足高給源のシステム については十分な考察が行えなかった。もう一 つの問題は重喜の隠居処罰の背景である。近世 的官僚制は軍制を転化したものであり、武家と しての前提条件や、徳川体制に功績のあった者 を覆す職制改革は、幕府として認められるもの で、はなかった。また、役席役高制は重喜に反対 する者を降格、あるいは排除することができる 制度であった。役席役高制は諌言者がし、なくな るような政治体制を作り上げた。藩主個人の志、
意ではなく、諌言者が担保された政治体制が幕 府の支持するところで、あった。
足高の給源問題や主従制的封建社会を覆すよ うな危険性をはらみながらも、役席役高制を実 施した意図、目的はいわゆる明和の改革とよば れる藩政改革の実行で、あった。諸改革を行うに あたって役職を中心とする、より合理的な秩序 体系へと家臣団編成を組み替え、家老・中老と し、った藩政の中枢を担う藩士だけでなく、家臣 回全体を対象として藩の官僚制組織が抱える課 題に対して、新たな制度を導入して組織を活性 化させ、藩をあげて改革を進めていくことが必 要で、あった。役席役高制は重喜が藩政改革を推 進していく上で、上級家臣層について抱える課 題と、家中風儀の乱れ、士風の退廃をはじめと
した下級家臣層を含めた藩の官僚制組織全体の 課題とを一挙に解決しうる制度であった。
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