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済州島便り 5 メシヤの使命 (6) 年 1 月 15 日第 42 号 歴史は繰り返される とよく言われてきました しかし なぜそうなのかと言うとなかなかその原因を掴めずに来ました キリスト教には摂理史観があり キリストの来臨と共に信仰者は天に引き上げられ 天変地異でこの世界は審判を

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(1)

 《堕落はサタン中心の血統転換》  全ての存在には、そのあるべき本質の姿があります。そ の軌道を逸脱すれば、その本来の価値を発揮できず破壊的 な結末に至る様になります。  人間にもその本質があり人種、民族、時代を問わず無形 なる父母、神様から生まれた子女であり、愛を持って万物 世界を主管する万物の霊長としての本質です。  この人間の本質が歪められたのが人間の堕落という出来 事でした。男女の愛、夫婦の愛からは新しい生命が誕生す るという特異性があります。神様の許しと祝福の中でこの 愛が結ばれれば、そこからは神様の種を受け継ぐ神の子供 たちが生まれます。しかしながら、人間始祖アダムとエバ は天使長を動機とする自己中心的な愛で、神様と無関係の ところで一つとなりました。  それによって自らも神の子としての本質を失うと共に、 サタンの破壊的な性質をも合わせ持つ、罪の子供たちの根 となってしまいました。  ドラキュラ、ゾンビと言った多くの映画の中でも取り上 げられてきたテーマ、すなわち善良な人間が突然凶暴な悪 の存在に変性してしまうという描写は、堕落の事実を暗示 しています。  神様は人間を通してご自身の愛も完成する尊い価値を持 つ存在として人間を創造されました。親は子供に対して生 命の出発点であると同時に、子女を通してのみ親としての 愛と人格が成長することと相似しています。しかし、人間 始祖の堕落は、人間を神の子女の立場から悪魔の子女の立 場に転落せしめると同時に、真の神様を親の位置から追放 するという結果をもたらしました。聖書の各所で記された ように、サタンがこの世の神とな り、君(王)となり、また、偽り の父となりました。それを許した のが人間でした。その人間が増え 広がり、神様の本然の愛の理想と は余りにもかけ離れた世界を生み 出しました。

周藤先生の講義

「済州島便り」

2011 年 2 月 15 日 第 43 号

⑤ メシヤの使命 (7)

 歴史が繰り返しの様相を見せたり、枢軸時代という現象が 現れるのは、不変性と絶対性をもつ神様の摂理の目的がある からです。  しかしながら、神様のみ旨は神様だけでは果たすことが出 来ず、絶えず人間の責任分担が問われる為に、歴史上、多く の挫折と延長が繰り返されてきました。それが摂理の同時性 が生じる理由です。神様は創造主の責任において、必要な環 境を造成されますが、そのみ旨の為に召命をうけた個人、家 庭、さらには民族が神様の目的と一致した使命を果たせなけ れば、また、それが後代の人々に託されるようになります。  アブラハム、イサク、ヤコブという三代の家庭は神様の摂 理の中でメシヤを生み出す為に、人間としての一定の責任を 果たした信仰者たちでした。神様が祝福の地としてアブラハ ムに与えたカナンを中心に、メシヤを迎える環境が作られる までに 2000 年の期間が必要でした。その摂理の主役となっ たのがアブラハムの後孫、イスラエル民族です。  イスラエルの歴史は 400 年間のエジプトでの奴隷生活から 始まり、民族的指導者モーセに導かれて荒野をめぐり、カ ナンに戻って後、士師が国を守った士師時代 400 年が続きま した。更にサウル、ダビデ、ソロモンと続く統一王国時代の 120 年でイスラエルは広大な国土を持つ国となりました。し かし、偉大な知恵を持ったソロモンも晩年は信仰の基台が揺 らぐと共に、イスラエルは北の 10 部族と南の 2 部族にわかれ、 400 年間も続く南北王朝分立の時代を通過するようになりま した。 ● 第 232 回 14 日修 南東京 I.S (27) F  あっという間の 2 週間、本当にお世話になりました。一つ一 つの講義も本当に尊く、日本の教育の素晴らしさを改めて感じ ました。そして共に参加した兄弟姉妹の皆さんも、懐かしい顔 が多かったり、信仰路程が素晴らしかったり、とても楽しく高 めあいながら生活することができました。  一番心に残ったのは、毎日のスケジュールを通して整理され ていく中で、最後に神様に心情からの宣誓をお捧げすることが できたことです。お父様とスタッフの方々の精誠が込められて いる、この修練所は本当に霊界が清くて、日々が恩恵でした。 そしてカンボジアへの新たな出発の前に、神様がこの地に呼ん で下さり今までの信仰の原点とこれから歩む道をつないでくだ さったことに感謝です。  絶望の淵にいた私に、神様は使命を与えることで、ここまで 導いてくださいました。だか ら今までの歩みは使命感が強 く、一人で頑なに歩み通して きた世界がありました。でも これからは二人で行く道があ るので使命も大切ですが、そ れ以上に愛に生きることが出 来るように、自分自身、もっ ともっと転換されていきたい と思います。    ● 第 81 回 5 日修 南東京 H.S (30) M  神の創造理想に基づいた理想家庭の姿は、とっても素晴ら しく、輝かしく思えるものがありました。その反面、真の血 統を地上に顕現させるためのとてもつもない真の愛の闘いに は想像を絶するものがありました。  今当たり前のようにしてここにいる私自身なのではなく、 神様が父母様が切り開いてくださったゆえのこの瞬間である ことを忘れてはならないと想う。ただ、自らが望む家庭では なく、父母様の種をしっかりと相続した家庭像を描いていか なければならないと想う。日々の生活の中では祈りを大切に していきたい。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (19)

研修院の足跡

修練生の感想

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(2)

周藤先生の講義

「済州島便り」

2011 年 1 月 15 日 第 42 号

⑤ メシヤの使命 (6)

 「歴史は繰り返される」とよく言われてきました。しかし、 なぜそうなのかと言うとなかなかその原因を掴めずに来まし た。キリスト教には摂理史観があり、キリストの来臨と共に 信仰者は天に引き上げられ、天変地異でこの世界は審判を受 けるとありますが、それは超現実的で、余り希望を与える歴 史観とは言えません。  神を否定する唯物史観では、生産力の発展に歴史の原動力 を見出し、階級闘争によって、人類は理想を実現すると主張 し、その信念を貫いてきました。しかし、そこから生まれた ものは、人間性を喪失した独善的な抑圧社会でしかありませ んでした。  英国の歴史家アーノルド・トインビーは「歴史は自然・人 間環境と創造的な指導者の二つの条件により発生する。そし て自然や社会環境の挑戦を受けながら成長するけれども、そ の応戦に失敗することで弱体化、分裂の道を辿るようになり、 いずれより優れた文明にとって代わられる」と言う文明史観 を説きました。  また、ドイツの哲学者カール・ヤスパーツは紀元前500 年前後を中心として、歴史には枢軸時代と呼ぶべき特別な現 象があり、後の時代に画期的な影響を及ぼしたという事実を 指摘しました。中国の孔子、老子を初めとする諸子百家、イ ンドのウパニシャッドやシャカ、イランのゾロアスター、ギ リシャのホメロス、プラトン、アルキメデス、そして、イス ラエルの歴史において、エリヤ、エレミヤ、イザヤ等の多く の予言者と枚挙にいとまがありません。しかし、何故この様 な時代が生じたのかは大きな謎でした。 ● 第 231 回 14 日修 西広島 K.M (29) F  いままで参加した修練会の中で一番恵み多い修練会となりま した。神様が私の家庭を通して愛を感じともに喜びを共有でき るという内容が心に残りました。堕落を通して、結婚し愛しあ い、子供を育てる喜びも孫を抱く喜びも失ってしまった神様に、 私が早く良い家庭を持って大きな喜びをプレゼントしたいと思 いました。家庭をもつにあたって素晴らしいビジョンが与え られました。  また証を通して先輩家庭の苦労の路程を超えられた話を聞き ました。講義を通しても先輩家庭の蕩減の歩みをうかがって、 私の与えられた祝福が多くの苦労と犠牲の上にあったことを心 か分かりました。私の苦労もこれから歩む兄弟姉妹の道を切り 開くものになるのかと思うと素晴らしいと思えました。  そういう歩みの中でお父様は一番先に立たれ、どれほどの 苦難の道なんだろうか、 私たちを深く愛し責任 を持とうとされている。 全て超えて今も歩まれ ているお父様にほんと うに感謝だし心情がと ても近くなりました。 本当に幸せな 14 日間を ありがとうございまし た。     ● 第 80 回 5 日修 南東京 S.Y(27) M  明日の今頃は日本に帰り、家にいるのかと思うと、とても 不思議に感じられます。それほど今回の修練会に求めてきた ということだと思いますが、得るものの多い修練会でした。  神様との関係をもう一度結び直しに来た、この5日間。決 して切れてしまったわけではないけれど、夫になる前に、あ の素晴らしい相対者にふさわしいものとなりたいと、せつに 願った結果、父なる神の前に出会いを新たにし、信仰の拠り 所とする場所にたどり着いた感じです。神様はどこまでもご 存知で、私に多くのものを下さいました。  この四大心情圏を体恤する事が人生のもっとも本質的な 目的です。それだけが人間が永遠の世界にまで持ってこと のできる宝となるからです。四大心情の愛で満たされた世 界こそが天上の天国であり、それは地上の生活の中で始ま らなければなりません。  四大心情圏で包まれた家庭が社会を作り、国を作って行 く時に地上の天国が始まります。ですから、イエス様も「わ たしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなた が地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で 解くことは天でも解かれるであろう」( マタイ 16:19) と言 われました。  この四大心情圏の実りとしての人格を備えた人間を「真 の父母」と言います。真の父母の中には、真の夫婦があり、 真の兄弟姉妹があり、また真の子女が共に生きています。 神様がアダムとエバを広大な天宙の中心に置かれ、願った 理想はこの真の父母から始まるのです。イエス様も「天国 は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなも のである」( マタイ 22:2) と語られ、ヨハネの黙示録では「わ たしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻 の時がきて、花嫁はその用意をしたからである」( 黙示録 19:7) との予言があります。  アダムとエバが真の父母として愛を完成実体となる所か ら出発すべきであった天国理想は、人類始祖の堕落行為に よって、未完成に終わりました。イスラエル民族の中に受 け継がれて来たメシヤ思想、そしてキリスト教が信仰の目 標としてきたキリストの再臨思想の核心は、このアダムと エバの失敗を元返す所にあります。  イエス様は「また『見よ、ここにある』『あそこにある』 などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中に あるのだ」( ルカ 17:21) と言われましたが、それは、神の 国も真の父母という愛の種なしには出発出来ないからです。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (19)

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修練生の感想

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(3)

周藤先生の講義

「済州島便り」

2010 年 12 月 15 日 第 41 号

⑤ メシヤの使命 (5)

 再臨のメシヤは、罪の無い方として来られなければなりま せん。アダムはもともと罪のない生命の木でした。そのアダ ムの失敗を蕩減する為に、後のアダムとして来られたイエス 様も罪の無い方でした。そのイエスの未完成の使命を受け継 いで人類に救いをもたらす再臨主はやはり、真の生命の木の 資格を持つ実体でなければならないのです。  中国に生まれれば中国人のメシヤです。中国語を語り、中 国料理の大好きなメシヤでしょう。フランスに生まれれば フランス語をしゃべり、フランス料理の大好きなメシヤ、ア フリカに生まれれば肌の黒いメシヤです。その何が悪いので しょうか。  どこに生まれるかということも大切ですが、いつ生まれる かという事がもっと深刻な問題です。過去に生まれていたら 深刻です。現在生まれていたらもっと大変なことです。未来 に生まれるとしたら、今はどうという事はないとなります。 それは非常に重要な問題です。  メシヤは歴史的な使命を持って来られるので、歴史との関 連の中で調べてみなければなりません。更に、神様が送られ る方ですから、神様が見つめられる見方で歴史を見つめてみ れば、自ずとメシヤが何時来られるかということの答えも見 えてくるはずです。  その為に、神が非常に密接に関わり、導いたと言われる代 表的な二つの歴史の流れを調べる必要があります。それが イスラエルの歴史とキリスト教の歴史です。神様はどの様に 歴史と関わり、神様の導く摂理のタイムテーブルがあるので しょうか。 ● 第 229 回 14 日修 東東京 T.C (29) F  14 日間という長いようで短かったこの期間を、真の御父母 様が精誠を尽くされ愛してくださったこの地でしっかり御言を 学ばせていただいた感謝の思いで、今胸がいっぱいです。  原理講論の骨の骨の内容、統一思想、成約摂理などずっとお 聞きしていくと、聞けば聞くほど神様の愛を感じ、その深い愛 がすべてに貫かれているという感動がありました。  特に夫婦間の愛に神様が宿るということがどういう事なのか よくわかりませんでしたが、とても原理的で人間と共にいた かった神様の悲しみの涙も共に感じました。そして所々でお父 様の証を聞きながら、天宙のメシヤであられながらも一人ひと りのことも心配し愛してくださっていることを知り、改めて愛 されている自分に確信を持ち、なんども涙しました。  祈りの中で曖昧にしてきた自分の気持も整理させていただき ながら、与えられた祝 福がどれほど神様と御 父母様の血と汗と涙の 結晶であり、本当に神 様が決めてくださった 主体者であることを感 じました。 ● 第 79 回 5 日修 南東京 H.N (30) F  今回、済州島に来ることができて本当によかったです。始 まる前に神様に祈った内容が『真のお父様をもっと知りたい』 『どうして苦労しなければならないのか』『神様はアボニムの ことをどのように見つめていらっしゃるのか』ということで した。そして、講義を通して、証を通して、祈祷を通して神 様はたくさん教えて下さいました。何より、この済州島の修 練所がお父様が直接、日本の兄弟姉妹に御言を語られ、投入 して下さり、祈ってくださった場所ということで、すごくお 父様を近くに感じ、祈りやすかったです。お父様の祈祷室だっ たという小講堂で祈っていたら、本当にお父様がこの場にい るように感じて、私が意識しようとしまいと、お父様はずっ と私のために祈ってくださっていたんだと分かり、涙がたく さん溢れてきました。  人間の成長において第四番目に芽生える愛が父母の愛で ありこれを第四心情と呼びます。  アダムとエバが夫と妻としてお互いに出会い愛で一つに なるその場は初愛の中心点であり、至聖所、本宮そして全 ての愛が完成に向かって行く四大心情の定着点であると文 先生は言われました。  そこには神様が臨まれ、また、子女の種がまかれるとこ ろです。神様の創造の御業が人間の中で反復される場所で あるとも言えます。人間は母の胎内で140億年の宇宙の 創造の歴史を辿ると言っても良いでしょう。  こうして生まれる子女を抱きながらアダムとエバの中に 父母の心情が培われるとともに、無形なる神様も父母とし ての愛の実感をもたれるようになります。有形なる父母な くして、神様の父母の愛も完成する事ができません。  神様の創造は完全投入であり、また与えて忘れる無私の 愛です。母親が陣痛をこらえて子女を生みだす過程は正に 完全投入であり、また育児をし、学校に送り一人前の社会 人に育つまで注がれる愛は、与えては忘れ、また与える無 限倍の投入の愛です。その育児に費やされた物心の努力の 代価を子供に求める親はありません。  このように子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛を内包し ながら、更にその上に重層的に父母の愛が芽生えて行く時、 愛の四重の同心円が作られます。これを文先生は愛の四重 圏と呼ばれました。このような父母の愛を完成して行く家 庭に幼児の虐待など起こるはずがありません。或いは妻に 暴力を振るう夫はありえないのです。   こ の 愛 の 四 重 圏 を 完 成 し た 男 性 と 女 性 を 真 の 父 母 と 言います。無形なる 神様と一つとなり、 永 遠 不 変 の 愛 を 備 え た 人 間 と し て の 最 高 の 理 想 の 姿 で す。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (18)

研修院の足跡

修練生の感想

41

(4)

周藤先生の講義

「済州島便り」

2010 年 11 月 15 日 第 40 号

⑤ メシヤの使命 (4)

 人類始祖アダムとエバは霊的堕落と肉的堕落という二つの 愛の過ちを犯しました。その結果、全ての人類は心の中に 矛盾性を抱えると共に、肉体的にも自分を破滅させるような 誤った習慣性で苦しむようになりました。メシヤはこの根っ ことなった原罪を解決し、霊的、肉的両面の救いをもたらす 為に、真のアダムの資格を持って神から送られる方です。  同時にメシヤは罪を犯したエバに代わって真の母の役割を 担う新婦を迎え、真の父母にならなければなりません。  イエス様の悲しみは、この新婦を迎えることが出来ず、実 体としては誰一人として救いを果たせぬままにこの地上を 去った事でした。「復活の時には、彼らはめとったり、とつ いだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなもので ある」( マタイ 22:30) とのみ言を残して逝かれたイエス様 でした。  復活されたイエスは 40 日間再び弟子たちに現れ、改めて 信仰の炎を灯されました。そして「一同は聖霊に満たされ、 御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」 ( 使徒 2:4) とあるように、五旬節の時からイエス様の新婦 の立場で働きを始められた聖霊と共に、霊的な新生による救 いがもたらされるようになりました。しかし、これはどこま でも霊的な真の父母であるイエス様と聖霊による霊的な救い であり、地上生活における原罪の問題や天上界でも天国では なく楽園に行かざるを得ないという救いの限界が未解決 のまま残されたのです。  ここにメシヤの再臨の必要性が生まれました。 ● 第 228 回 14 日修 岡山 O.E (26) F   この 14 日間は本当に恵みでイッパイの日々でした。何よ りもまず、主体者と一緒に参加できたことが神様のお導きだっ たととても感謝しています。私にとっては久しぶりの御言講義 で、今私に必要な御言をたくさん与えていただきました。家庭 を持つ前に再度自分自身を正したいという動機で参加しました が、それと同時に、これからの新しい出発に向けての決意もしっ かりと出来たと思います。  今、この時にメシヤに出会い、祝福を与えていただけたこと がどれほど幸せであるかということ、またこの祝福は神様の一 番の願いであるということ。夫婦の愛がどれほど尊く善なるも ので、聖なるものであるかということ、祝福家庭としての出発 に向けて、改て必ず、神様の願われる家庭、ご父母様を証しす ることのでき る真なる家庭 を築いていく と強く決意し ました。 ● 第 78 回 5 日修 北新潟 S.M (30) M  この 5 日間、数えきれないくらいの学びと心情の整理をさ せていただきました。一つ一つの内容にこれだけの時間をか けて学べる機会もめったに無いですし、今後は修練生として 学ぶこともすくなると思いますがここで学べた内容、感じた ことを持って家庭出発への道へ前進していきたいと思います。  お父様が精誠を多く積まれたこの地で講師の方々が多くの 証を交えて語って下さり、霊的にお父様に出会えた、その場 にいたような感じになって、時には楽しく、時には深い心情 に入らせていただき、とても貴重な時間を過ごすことができ ました。「祈りやすい環境」というのを聞いて、実際に祈って みるとたしかに祈りやすかったですし、時間も過ぎるのがと ても早くじました。精誠のつまったところはこうも違うんだ と感動でした。  第三番目に、愛の器官は真の血統の本宮でもあります。 神様と一つとなった真の愛からは、真の生命が生まれます が、その生命と生命をつなぐ血統は神様が祝福する血統と なるのです。かつて、ハランの地よりエホバの召命を受け たアブラハムに始まるイスラエルの歴史は、その神の祝福 を信ずるユダヤ民族の血統の流れとして四千年の荒波を越 えて、今も生き続けています。また、霊的なイスラエルと してイエス様の祝福を受けて出発したキリスト教徒も二千 年の過酷な殉教の歴史を経ながらも人類一家族理想を果た す、主要な基盤として成長しました。しかし、本来、神様 の祝福はアダムとエバの清い愛を出発点とする永遠の神の 血統として定着しなければなりませんでした。血統とは他 ならぬ愛の器官を通じてのみ生まれるものだからです。  このようにして、子女の愛、兄弟姉妹の愛、そして夫婦 の愛が同心円を描くように一体となって育ってゆく時に愛 の三重圏が作られます。子女の父母に対する関係は兄弟姉 妹の愛の核となり、兄弟姉妹の愛はいずれ永遠の伴侶とし て出会う男女の夫婦の愛の核となります。  両親が離婚したり、事実婚、再婚している家庭の娘は未 婚の母となる確率は3倍、片親だけで育った家庭の子女が 30代前半までに犯罪に手を染める割合は2倍と言うよう に、家庭における夫婦、親子、兄弟姉妹の関係は相互に密 接に関わっている事が統計的な数値にもはっきりと現れて います。学校では性教育を施す前に、家庭での倫理的価値 観をしっかりと教え、父母と子女の在り方、兄弟姉妹を中 心とする人間相互のあり方をしっかりと教えなけれなりま せん。家庭を中心と す る 道 徳 教 育 の 不 在は、不幸な結婚を 生み、それが更に子 女 達 の 不 幸 を 深 化 さ せ る と い う 不 幸 の 連 鎖 が 起 こ る か らです。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (17)

研修院の足跡

修練生の感想

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(5)

周藤先生の講義

済州島便り 39

2010 年 10 月 15 日 第 39 号

⑤ メシヤの使命 (3)

 しかし、様々な奇跡をおこなうイエス様に対し、律法学者 やパリサイ派の指導者は悪霊のかしらベルゼブルに取りつか れたものと非難しました。( マタイ 12:24)  イエス様の愛の福音は、政治的な解放者としてのメシヤの 来臨のみを待ち望み、また既存の権力や形式主義にとらわれ た人々の心に届く事ができませんでした。また、イエスと共 に神の国建設の偉業に生死をかけようという信仰と勇気のあ るものは少なく、12 弟子の一人イスカリオテのユダは、銀 貨 30 枚で主を売り渡します ( ルカ 22:3)。  ゲッセマネの園では「この杯をわたしから過ぎ去らせてく ださい」と、血のにじむ汗を流しながら祈られたイエス様で したが、イエス様と心情を共に出来ない三弟子は居眠りをし ていました ( マタイ 26:45)。 そして、最後はイエス様が最 も信頼を寄せていたペテロでさえも、裁判にかけられ死の宣 告を受けるイエスを「私はあの人を知らない」と三度否認し ました。  イエスがメシヤとして来られた目的は「御国がきますよう に。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますよう に」( マタイ 6:10) と語られた様に、地上に神の国を実現す る事でした。  しかし、不信するイスラエルを前に「わたしには、あなた がたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそ れに堪えられない」( ヨハネ 16:12) と嘆かれながら、苦難 の主となる可能性も示唆されました。神様の下さる予言は、 選ばれた人間が信仰と言う責任を果たすか否かによって、い つも二面性を持って与えられて来ました。 ●第 77 回 5 日修 北東京 Y.A (26) F  愛があふれた修練会でした。人は愛に満たされることで、お 互いを愛することが出来ます。愛の減少感も、神の愛によって 超えられるのだと思います。今回の修練会は、そんな神様の愛 の中で兄弟姉妹がお互いを尊く、思い合う時でありました。  日本ではなかなか聞くことができなかった深い原理を学べ ました。歴史上、摂理を担当してきた中心人物の方々が、な ぜ超えられなかったのか、その事実だけでなく、どれだけ心 を砕いて時を過ごしたのかを知りました。イエス様家庭にお いて、マリアがどれだけ心苦しい時を過ごし、また周りのエ リザベツ、ヨセフ、洗礼ヨハネがどんな心の迷いや戦いをな してきたのかを具体的に教えていただきました。そして、な にが彼らに足りなかったのか、もし私が同じ心の迷いをする ようになった と き に、 な に が必要なのか、 考えさせられ ました。 ●第 227 回 14 日修 富山 H.F (18) M  この修練会が決まるまで色々とトラブルがあったり、親と 喧嘩をしたりもしたけれど、今振り返ると凄く導かれた気が します。学んだ内容は、どれもすごく新鮮でした。アダム、 エバが祈らなかったがゆえに堕落してしまったこと、神様も 愛によって成長することなど、沢山の事を知ることができま した。講義を受けながら、神様を感じる事ができたり、今回 の修練会はすごく勝利できたと思います。  堕落論を聞いたときに感じた神様が一番大きかったです。 堕落論を聞いて神様が二人の子女を失った悲しみを知ること ができました。何十億年も待ち望んだ子女を一瞬にして失っ た辛さを完全に知ることはできないけれども、すごく苦しい だろうなと思うと、胸が締め付けられるようでした。その日 の祈祷会の時、そのことを祈ると不思議と涙が溢れました。 今までは神様の悲しみのことを聞かされても他人事のような にしか感じれなかったのに、祈っているときはまるで自分の 不幸のように感じました。これは神様が流している涙なんだ と思いました。すごく貴重な体験でした。  結婚の目的の第三は「神様の完成」です。キリスト教を 初めユダヤ教、イスラム教などでは、神は全知全能にして 完全無欠と言う神観が基本的にあります。すなわち神が神 である為に、他の何物も必要としないという事です。  しかし、文先生が出会った神様はそうではありませんで した。「神様も愛の故に成長する神様である」というのです。 愛は対象を必要とし、相互に自発的な愛を授け受けする事を 通してその実感が深まり、愛そのものが成長して行きます。  人間の創造の能力と喜びが対象物の質的、量的拡大に伴っ て発展するように、神様の愛の世界も人間の成長と一体と なって拡大して行くのです。結婚を土台として人間の四つ の愛が完成して行くように、神様の愛も家庭の中で実を結 んで行くのです。愛の持つ根本的な性格の故に、神にとっ て人間は無くてはならない必須の存在なのです。  さらに、文先生は愛の器官は「本宮」であると言われました。 本宮とは宮殿、神殿、根拠地等の総称です。第一に真の愛の 本宮です。そこで縦的な神の愛と横的な人間の愛が出会い、 永遠、不変、絶対的な愛が出発する起点だからです。  第二には真の生命の本宮です。愛は生命の根であり愛の 性質がそのまま生命のあり方を決定付けます。生命とは人 間の情緒、思考、言動、習慣性等、多様な形をもって表わ されますが、そのすべてが愛と不可分の関係性を持つので す。神様と一体となった真の愛から出発する生命と、神と 無関係の愛を根とする生命では、天地の開きがあると言わ なければなりません。  子供は本来その真の父母の愛の中心に同参する立場であ るが故に、これ以上 近 い 関 係 が あ り ま せん。お互いに命す ら も 惜 し ま な い 関 係です。イエス様も 「人がその友の為に 命を捨てる、それ以 上の愛が無い」と語 られました。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (16)

研修院の足跡

修練生の感想

(6)

済州島便り 38

2010 年 9 月 15 日 第 38 号 ● 西北東京 K.A 祝ニ (18) M  本当に早く時間がたって、もう最終日の夜かという気持 ちです。ここ済州島修練会では本当に多くの事を学び、す ごく成長できました。正直、ここに参加するまで、神様を 余り信じる事ができずにいました。この修練会で神様を感 ずることを目標にしてきました。そして、自分なりにです けど神様を感じる事ができました。神様は本当に自分の事 を近くで見てくれているんだなと、はっきりと信じる事が できました。  また、自分は祝福二世というのが本当に嫌で、何度も何 度も親と衝突してきていましたが、この修練会で自分達祝 福二世がどの様な立場に置かれ、どの様な使命があるかと いうことを改めて知る事ができました。いままで余り教会 に顔を出していませんでしたが、これからは二世としての 自覚をしっかりと持って、教会に参加したいです。いつか は世界に出て行きたいです。 ● 西愛知 S.G (53) M  今回、父子が一緒に修練会に参加出来ました事を、心か ら嬉しく思っています。これまで努力はしてきましたが、 親子の心の壁が取り払われずに来ました。親子でこのよう に修練会に参加するのは最初で最後になるかもしれませ ん。  まだ残っている心情の壁も、お互いに努力しながら乗り 越え、四大心情圏を完成する親子、夫婦、家庭となるべく 精進致します。久しぶりに学んだ原理の御言を新たに心情 的に深く感じ、確認する貴重な時間でした。これからの信 仰生活で、み言と良心を中心とし、三大祝福を完成するた めに努力いたします。 ● 北愛知 A.M (60) F  有難うございました。終わってみたら、奇跡のようです。 生命を救って頂いたなあという気持ちです。娘の事は長い 時間おいてきたので、長い時間をかけて、解かれて行ける ように・・。でも、神様がいらっしゃるので信じて、傷が いえるように祈りながら、私が変わって行きます。全てを 感謝して、全てがあからさまになって、本当に感謝です。

修練生の感想

― 歩み寄り ―

 人と人の間に心の溝や壁が出来た時に、一方だけの努力 で心が再び繋がる事はありません。神様と人間の間が堕落 という悲しい出来事によって引き裂かれた時神様も創造主 としての責任を取られ、人間に対する弛まぬ歩み寄りをし て来られました。それが神の摂理です。しかし、人間から の歩み寄りがない限り、やはりその溝は永遠に埋める事は できません。それが人間に与えられた責任であるとともに、 人間としての尊厳性の根拠です。  人類始祖の堕落は、全ての家庭問題の根となりました。 家庭の失敗は神の摂理の失敗をもたらし、また、家庭の勝 利はそのまま摂理の勝利となってきました。  人類一家族理想も不可能ではない環境的恩恵の時代を迎 えた新千年紀ですが、自由が放縦と化し、物質的潤沢が さらなる貪欲への引き金となる危険性も常に存在していま す。貧しい中にも誰もが求めてきた夫婦ととしての愛と信 頼、そして親子の献身的な心の絆がその欲望の渦に飲み込 まれる時、それは新たな悲劇の序章となります。  第 11 回成和青年済州島 7 日修練会は、21 名の父母と二 世の参加する中で、8 月 25 日より行われました。  周藤先生の講義を通して、神様について、人生の目的と 真の幸せや永遠の価値について、分かりやすい説明を聞き ながら、社会の多様な価値観で混乱して来た二世たちの心 が整理されて行きました。この親子修練会でいつも、より 劇的と言えるほどに変わるのが、お父さん、お母さん方の 子女に対する姿勢です。忙し いみ旨の中でいつしか子女た ちの心の叫びに静かに耳を傾 けるという父母としての大切 な役割が隅に追いやられて来 た事を発見します。

周藤先生の講義

⑤ メシヤの使命 (2)

 洗礼ヨハネがイエス様に洗礼を施した時、天からの声があ りました。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう 者である」( マタイ 3:17)。これはイエス様がメシヤである 事の証しであり、ヨハネも「見よ、世の罪を取り除く神の子 羊」( ヨハネ 1:29) とイエスを証しました。  しかし、メシヤを迎えるに当たってユダヤ教の指導者が無 視出来なかったのが、エリヤの再臨の予言でした。イエス様 も「この人こそは、きたるべきエリヤなのである」( マタイ 11:14) とヨハネがエリヤの再臨の使命を果たすべき人物で ある事を明言されました。  ところが、その当人であるヨハネは「いや、そうではない」 ( ヨハネ 1:21) とその使命を否定したのです。これはすでに 律法を犯すものとしての非難を受けていたイエスに対し、ユ ダヤ教の指導者が偽キリストとして排斥する確固とした根拠 となりました。  イエスを慕って従った群衆の多くは、貧しい漁師、一般か ら疎まれた取税人、遊女などでした。憐みの心からイエスは 病人をいやし、悪霊を追い出し、時には死人までも蘇らせま した。しかし、メシヤの使命は人々の目前の要求を満たす事 ではなく、イエス様のみ言を聞いて、人々がイエス様を送ら れた神を信ずる事であり ( ヨハネ 5:24)、天の父が完全であ られるように人々も完全なものとなる事 ( マタイ 5:48) でし た。  イエス様の願いは、全ての人が心をつくし、精神を尽くし て天の父を愛し、また神を愛するように隣人を愛する様にな る事でした。( マタイ 22:37)

第 11 回 成和青年

   済州島7日修練会!

― 父母の立場 ―

― 子女の立場 ―

(7)

周藤先生の講義

済州島便り 37

2010 年 8 月 15 日 第 37 号

⑤ メシヤの使命 (1)

 人間は例外なしに幸せを求めてきました。しかし、誰一人 究極的な幸せを掴む事ができませんでした。どこかでボタン の掛け違いが起こったのです。それが人類始祖の愛の過ちに よる、血統的な問題である事を既に見てきました。この全て の人間が避ける事の出来なかった原罪問題の解決の為、神が 送られる最高の名医がメシヤと呼ばれるお方です。  かつて、神の使いガブリエルがマリヤという一処女に現れ、 神の子であり、救い主となるべきイエスの懐胎と誕生に関す る知らせをもたらします。  イエスが間違いなくメシヤであるという事を確認するよう に、東方の三博士を始め、野の羊飼い、シメオン、アンナと いった多数の証し人が準備されていました。  次にイエスの事が聖書に記されているのは 12 歳の時宮の 中で律法学者たちと対話をしている場面ですが、「わたしが 自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのです か」( ルカ 2:49) という母マリヤへの言葉から、既にメシヤ 的な御自身の使命を自覚していた様子がうかがえます。その 後 30 歳までの 17 年間は空白の期間として、今でも研究課 題として残されていますが、ヨルダン川で洗礼を授けていた バプテスマのヨハネの前に現れたイエス様には、すでにメシ ヤとしての使命を果たす十分な心構えが出来ていました。  洗礼ヨハネは、イエスの道を直くする為にエリヤの再臨の 使命を持って送られた人物であり、その誕生の経緯や荒野で の修道生活は、ヨハネがメシヤではないかと思いわせる程の 激しいものでした。 ●第 76 回 5 日修 西広島 D.K (25) F  今回、この修練会に参加させていただいてほんとうに感謝 でした。この与えていただいた期間、再度神様と自分の関係 を見つめようという思いで参加しました。 講義の中、生活 の中、全てを通して私は愛されているなと感じ、満たされた 中で過ごすことができました。常に大きなものにつつまれて、 温かい中にありました。  この修練会の中で一番心に残っているのは、神様自身が絶 対信仰であるということです。堕落してしまった息子、娘を 絶対に帰ってくるという確信を持ってどんなに絶望的で難し い状況であっても、その中に希望を見出し、進められる神様 の深く、強い思いに触れることができました。それを相続さ れたのが御父母様であるし、復帰歴史の中で中心人物として 信仰を立ててきた先人たちであると思った時に、どこまでも 神様の願いに 絶対的確信を 持って歩みた いと決意する ことができま した。 ●第 226 回 14 日修 北愛知 Y.C (28) F  修練会に参加して、今まで悟ることのできなかったことや 祈れなかった内容を沢山整理することができました。私は信 仰二世ですが、今までずっと自分の信仰というものを確立で きずにいました。いろんな修練会に出てみても、宣教に行か せてもらっても、本当に心から神様とご父母様を掴むことが できずにいました。  いつもそれが苦しく、何か自分が神様から離れていってし ま った時のことをいつも思い出して、どうしたら自分の神様 を見つけられるんだろう…と悩んでいました。  しかし、こんな私でも祝福を与えていただき、この修練会 に参加することができました。祝福を受けてから聞く御言は 今までとはまた違った感じで、まっさらな気持ちで聴くこと ができました。日々、御言を聞くごとに、今まで感じられなかっ たほど深く、神様の心情、御父母様の心情、愛を感じること ができ、心が満たされていきました。  文先生は、人間の愛の器官は至聖所であると語られまし た。かつてモーセに率いられたイスラエル民族は 40 年とい う長きにわたり、シナイの荒野を巡る事になりました。神 様は例え人間の心が変わっても、変わる事のない不動の信 仰の対象として幕屋と契約の箱を与えられました。  幕屋は来るべきメシヤの象徴であり、聖所と至聖所から なっていました。聖所とは一般の人々が出入りを許され、 献祭をしながら祈りをする場所ですが、至聖所には定めら れた一人の祭司だけが入室を許されました。幕屋を人間と すれば、他の人に会うために整える顔は聖所であり、一番 の奥の秘められた場所にあり、たった一人の存在だけが触 れる事が許される至聖所が正に愛の器官を表わします。そ こに触れる権限を持つ祭司の正式名称を夫、妻と言います。  至聖所の中心にある契約の箱に二枚の石板が納められま したが、それはイエスと聖霊が一体となった形であり、祭 司長が祈るとケルビムの間から神様が臨まれました。それ は、夫婦が一体となった場に神様が降り神と人との正式な 出会いが実現する事を象徴的に表わしていました。  その至聖所の鍵は祭司が所有するように、男女の愛の器 官の所有権は自分のものではなく、夫婦がお互いに相手に その鍵を預けるようになっています。愛の目的を実現する 決定権は、お互いに相手が持っているのです。神が臨在さ れる至聖所は最も清く尊い場所であるように、愛の器官は 神様が最高の精誠を持って創造された聖なる場所です。「性 は聖に通ずる」といわれる所以です。そこに神様を迎える 代わりに僕である天使長を迎え入れたのが堕落でした。神 様は本然の館を追われ流浪の神となりました。   そ の 神 様 の 宿 る 一 時 的 で 条 件 的 な 場 所 と し て 備 え ら れ た も の が 幕 屋 を 始めとする教会、モ ス ク、 神 社 仏 閣 と い っ た 様 々 な 宗 教 的施設なのです。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (15)

研修院の足跡

修練生の感想

(8)

周藤先生の講義

済州島便り 36

2010 年 7 月 15 日 第 36 号

④ 人間の堕落 (7)

 原罪は我々の世代で解決されなければ、そのまま子孫に受 け継がれてゆく血統的な罪です。先祖の罪が血統的な因縁を 基に子孫に受け継がれる遺伝的な罪があり、また、組織の主 管者による罪が末端にまで及ぶ連帯的な罪、そして個人の過 ちによる自犯罪があります。例えれば、自犯罪は樹の葉の様 なもの、連帯罪は樹の枝、遺伝的な罪は幹であり、根が原罪 です。これを罪の木と言いますが、世界でこれ程大きな木は ありません。  人間が日常的な善の行為でできる事は罪の葉っぱを切った りする程度の事です。倫理道徳の道を究める事も罪の木の枝 を折る程度、従来の宗教でも幹に傷を付ける程度であり、罪 の根の解決は果たされずに残ってきました。社会問題を一時 的に解決したとしても、その根がある限り前よりも大きな問 題として芽を吹いて来るのです。それを根っこから掘り起こ さなければなりません。この罪の根の問題を一体だれが解決 するのか、ここに重要なポイントがあります。  そもそも罪ある者は罪を清める事はできません。泥水では 洗濯はできません。従って、罪を清算するためには一点の曇 りもない方が来られなければなりません。まったく新しい人 間が天から降りて来なければなりません。それが清い神から 送られるメシヤです。今から 2000 年前にメシヤとして来ら れたのがイエス様でした。しかし、イエスは十字架で殺害さ れ、相変わらずこの問題は未解決のものとして残りました。 再びメシヤを迎えなければならないという課題があるので す。 ●第 225 回 14 日修 北東京 O.M (32) F  修練会に参加する前に私は実家へ引越しをしたのです が、家族と生活し始めた途端、家族に干渉されることが多 くなり、イライラし反抗ばかりするようになっていました。 反抗したあとは毎日のように後悔していましたが、仕事が 忙しく、祈れなくなり、辛い日々を過ごしていました。そ んな中で、この修練会に参加させていただき、祈る時間が 増える中で、家族の尊さに気付かされました。私には、相 談に乗ってくれる神やアベル、姉妹がいますが、私の家族 は神様に祈ることもできず、辛い時、ひとりで戦い、ひと りで乗り越えてきたんだということを感じました。  その中で、私は家族に反抗するのではなく、今まで辛い 思いをしてきた家族の心を解放していけるよう、また神様 の愛の通過体となり、家族の心を神様の愛で満たしてあげ たいと思えるようになりました。そして、神様のように辛 い時、悲しいとき、傍にいてあげ、嬉しい時、共に喜び合 える家族にならなければいけなかったことに気付かされま した。 ●第 75 回 5 日修 北埼玉 U.M (37) F  今回、このような修練会に参加して本当によかったと 思っています。普段仕事をしていてなかなか休みを取れず、 これ程集中して多くの御言を学ぶことがありませんでし た。まだ信仰も幼く信仰歴も短い私が2月に祝福をいただ いて信仰の素晴らしい主体者を与えてもらいました。まだ まだ多くの原理、御言を聴いても知的に理解することも出 来ていない私です。それでも私を求め、呼び続けて下さる 神様が本当にいるんだと、この父の国である済州島に来て 強く感じることが出来ました。  S講師が言って下さった「原理の御言は変わらないんだ」 ということ、それを中心に考えて行ったら必ず道が開ける んだと自信を持ってこれからも信じ少しずつでも成長して いけたらいいなと思いました。  愛は一つにする力です。神の相対理想において、さまざ まに異なった性禀をもつもの同士を一つにして、より高い 理想に引き上げる力が愛です。愛は年齢の違い、個性の違い、 そして人種の違いまでも超越して人間相互を結ぶ力となり、 また、愛の故に二つの極をなす男性と女性という二性も一 つに結ぶ事ができます。  愛のその様な性質の故に、四つの愛も相互に密接に関わ り、それらの愛の完成点も一つなのです。男性と女性が一 つとなって神様と出会う時に、一番最初に神と触れ合う人 間の愛は、人生においてまず人間の中に芽生えて行った愛、 すなわち子女の愛です。神と一つとなって変わる事のない 息子、娘の心情が定着する時子女の愛は完成して行きます。  第二番目に神と出会う愛とは、子女の愛を追うように成 長して行く兄弟姉妹の愛であり、この愛も男性と女性が一 つとなって神と出会うその場で、永遠に変わらない兄弟姉 妹の愛として完成して行きます。  そして、その二つの愛を内包しながら、初めて夫として、 妻としての本然的な情の成長があり、神と一体となること による第三の愛としての夫婦愛の完成へと続いて行きます。  結婚の目的の第二は神の愛の占領であると文先生は言わ れました。愛には愛する対象を所有し一体となりたいとい う性質や、愛の主体によって所有されたいと願う性質があ ります。愛は所有関係の根拠となります。かつてメシヤ誕 生の土台を築いたアブラハム、イサク、ヤコブの三代を祝 福し「私はアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と 御自身を紹介された神様でしたが、その神との心情の絆は いまだにイスラエルの歴史に命脈を保っています。けれど も、もともとの神の願いは「アダムの神、エバの神」として、 成 熟 し た 夫 婦 の 愛 の懐を王宮として、 永 遠 に そ こ に 住 み た か っ た 神 様 で あ り、人間の祝福と永 生 も そ の 神 様 と と も に 出 発 す る は ず でした。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (14)

研修院の足跡

修練生の感想

(9)

周藤先生の講義

済州島便り 35

2010 年 6 月 15 日 第 35 号

④ 人間の堕落 (6)

 親が子供の安全の為に「火遊びはいけない」と警告するよ うに、神様は愛の過ちを犯す危険を避けるために「取って食 べてはいけない」という戒めをアダムとエバに与えました。 子供の責任は親の言葉を信じて実践することです。しかし、 エバはこの神の意志に沿うことができませんでした。  例えエバが堕落したとしても、アダムが戒めを守って個性 完成したならば、そのままメシヤの立場でエバを救うことは 容易なことでした。しかし、アダムも天使長と同じ立場に立っ たエバから誘惑を受け、時ならぬエバとの性的な関係を結び ました。神の許しと祝福のないままの性関係は肉的堕落とな りました。これがエデンの園における出来事でした。  天使長ルーシェルは神にとっての愛の怨讐となり、本然の 愛を受ける事が出来ない存在となりました。その寂しさから、 ことごとく神に反逆する恨みにかたまった悪の主体的存在と なってしまいました。これが堕天使、サタンです。仏教でも 「魔が差す」というのは、人間の犯す犯罪行為の背後にサタ ン的な働きがあるということです。人間を自己破滅に追いや り、また人間同士の願わざるいさかいをもたらす背後に霊的 な力が作用し、人間生活に様々な影響を及ぼしてきました。  アダムとエバは悔い改める代わりにお互いに罪の責任を転 嫁し、この問題は未解決のままアダムとエバは亡くなって行 きました。男女の愛の最初の動機をサタンが握ることによっ て、男女の愛の出会いは絶えずサタンが干渉できる条件が残 りました。これが原罪です。 ●第 224 回 14 日修 西北東京 W.H (30) F  修練会に参加し、そのまま渡韓出来ることに感謝します。 はじめは家庭出発に前向きでないのに環境が準備されてし まい焦りを感じていました。しかし 14 日間の講義を通し て祝福の価値を知り、こんな自分でも神様の子女として完 成する道が与えられたことを知り、感謝に変わりました。  新鮮な気持ちで原理を学ぶことが出来、得るものが沢山 ありました。成約摂理の御言からは、神様が人類に対して どのように働いてくださっていたのか、今まで解くことが できなかった問題、そして勝利されたお父様の偉大さを学 ぶことが出来ました。具体的に夫婦の歩み方や侍る信仰生 活の御言も与えられて恵みでした。この修練会で一番復帰 した内容は神様が人類の親であると実感できたことです。 創造原理の御言を深く理解することができました。  これから家庭をもつということが本当に祝福なのだと思 いました。条件的 ではあっても神様 の似姿として完成 できる出発点に来 ていることを知り、 希望と感謝の思い がわきました。 ●第 74 回 5 日修 南東京 O.H (35) M  終わってみるとあまりに短い修練会でした。もう少し長 くとどまっていたい気持ちでいっぱいです。講義の一つ一 つを霊人体に刻みつけて、これから家庭を出発する際に思 い返していきたいと思います。一言一句覚えているわけで はないですが、必要なときに求めていけばきっと思い出す だけの深く密度の高い講義であったと感謝しています。相 対者を横において講義を受けたつもりですが、まだまだ実 体で対した時に思っても見なかったことや、驚くようなこ とがあるかもしれませんが、お互い基本的な方向性が一致 していて、同じ神様とご父母様を信じ侍っている以上、ど のような試練や困難があっても乗り越えていけるだろうと の思いがこの研修を通して得られたと思います。  文先生は人間の完成に関して重要な発見をされました。 人間には知性、芸術性、運動能力等、多様な天賦の才能が 備わっていますが、万人共通の価値の中心は愛です。人間 の完成とはすなわちこの愛の完成を意味します。それでは 完成された愛とはどの様な愛でしょうか。それは何時でも、 どこでも、また何があっても変わらない愛、即ち永遠性、 不変性、絶対性を備えるようになった愛です。被造物であ り相対的存在の人間がどうすれば永遠性、不変性を備える 事ができるでしょうか。それは永遠、不変、絶対なる愛の 主体、神様と一体となる以外にありません。  それでは、神様と人間の究極的な一体性はどこで実現す るのでしょうか。文先生はこの課題を中心に祈り求めた結 果、神様からのヒントが与えられました。それは「愛は直 短距離を行く」というものでした。  神様と人間の縦的愛が、人間相互の横的愛と直線的に、 最短距離で出会うところ。垂直線と水平線が最短で出会う のは直角をなすポイントです。男性と女性の出会い方は 様々ですが、二人の究極の出会いとは、やはり男性を男性 たらしめ、女性を女性たらしめるところを中心とする出会 いということになります。即ち二人が愛で一つになるとこ ろが、すなわち神様と人間が正式に出会う場所ということ になるのです。二人が一つに溶け合った姿、それは二性性 相の中和体としての無形なる神様の姿が実体界で最も完璧 な形で現れた形です。  鏡に映った自分自身の美しい姿に女性の心が惹かれ、期 待の通りに生まれた自分の作品に芸術家の心が惹かれるよ うに、神様も御自身の姿が完全な形で現れたところに、そ の愛と心情が注がれるようになります。そして男性と女性 が 一 つ に な っ た 愛 の 中 心 点 に 神 様 も 訪 れ、 神 と 人 間 が 愛 で 一 つ に 溶 け 合 う 時 に 人 間 の 愛 に も 永 遠 性、 不 変 性 が 宿 る よ う に な る と 愛 の 完 成 へ の 門 が 開 か れ て 行 く の です。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (13)

研修院の足跡

修練生の感想

(10)

周藤先生の講義

済州島便り 34

2010 年 5 月 15 日 第 34 号

④ 人間の堕落 (5)

 天使長は家庭教師のようにアダムとエバを保護し、養育す べき掛けがいのない使命を持っていましたが、むしろその知 恵をもってエバを誘惑する結果になりました。アダムには兄 として妹のエバを守ってあげる責任がありましたが、まだ幼 いアダムは自分の世界を楽しむ事に心を奪われ、エバの寂し さを満たしてあげる事ができませんでした。  それを埋めるように、エバと多くの時間を過ごしていた天 使長にエバの心は強く惹かれるようになりました。アダムに 対する愛の減少感を感じていた天使長もエバとの交流の中で 慰めを見出し、それがあってはならない男女の情の芽生えと なって行きました。  その危険性を知っておられた神様は「取って食べてはなら ない」という戒めをあらかじめアダムとエバに与えておかれ ました。その神の意志に心を傾け、み言を守る事が第二の創 造主となるべき人間に課せられた責任分担でした。また、エ バの中の良心も彼女を破壊の道から守るために必死に叫んで いたに違いありません。しかし、天使とエバとの交流が続く 中で良心の声はかき消され、両者の間に生まれた愛の力は霊 的な不倫の性関係へと二人を引き込んで行きました。  エバが我に帰った時、彼女は自分の愛の相対は天使ではな くアダムである事を悟りました。同時に、最も尊い愛の器官 を僕である天使に許すことによって神の御心に反逆したこと に対する恐怖心と良心の呵責からエバは、本来の愛の対象で あるアダムと一つになる事によって元に戻りたい一心でアダ ムを誘惑するようになります。 ●第 223 回 14 日修 西東京 O.M (32) F  済州島の海が直ぐ目の前にあり、静かで自然に囲まれた 環境の中でとても解放されました。そして良く映像で見て いた 16 万の修練会の場所であると聞き、真のお父様が講 義され、生活された公館で、愛と精誠に包まれた 1 日 1 日 でした。親の懐に抱かれているような温かさの中で、神様 に投入していただいた修練会でした。  これまでの信仰生活上の課題や、不安、わからなかった ことが鮮やかに解かれていきました。一番良かったのは成 約摂理の御言でした。家庭盟誓を唱和しながらも、意味の わからなかった三代王圏、四大心情圏、堕落論 ( 補足 )、 今まで部分的に聞いていたものが、線となって繋がりまし た。リベカ、タマル、マリヤの果たせなかった内容を詳し く知ることができたことも、これからの家庭生活に向けて、 女性としてキモに命じなければ…と思いました。 ●第 223 回 14 日修 北東京 S.C (34) F  今まで教育部での歩みが長いので、み言を伝える内部伝 道をしていく責任分担にありますが、改めてこの成約摂理 のみ言を聞いていく中に、まだまだ原理というものの本質 がわかっていなかったし、今までは本当に準備期間で、家 庭をもつこれからが本番であり、家庭をもつ段階に来て初 めて理解出来るものがあるんだなあということを感じまし た。  10.14 の祝福を受けて主体者が与えられ、どのような感 情で主体者を愛していいのかよくわからず、戸惑っていま したが、それをハッキリ求めていく中で、み言でも整理さ れ、祈って行ったなかで主体者と会って過ごした一日の中 で、いわゆるアダム、エバ的な感情でもなく、今までの多 数対多数の兄弟姉妹の愛とも違った、将来を約束する1対 1の相手との兄弟姉妹愛というものを感じることができま した。これが本当に初めて味わう感覚で、その感覚を神様 が教えてくださったんだと思いました。  「代表観念に徹しなさい」というみ言があります。これ はイエス・キリストが御自身を「神のひとり子」と呼ばれ、 新しいアダムとして人類の男性全体を代表する立場で生を 受けられたことを明確に示されまた、お釈迦さまが「天上 天下唯我独尊」と唱えつつ、天の上にも下にも、人間だけ が果たすことのできる尊い使命があると、宇宙的な人間の 価値を語られたように、一人ひとりの抱く代表観念の強さ がその個人の価値を引き上げて行くのです。  しかし、その価値の定着は男性と女性が一体となったと ころから出発します。その意味ではイエス様やお釈迦さま もやはり「半品」でしかなかったとお父様は語られました。 夫婦の完成から家庭の完成と永遠の愛の定着が始まり、人 間創造の完成も夫婦から、宇宙の創造理想完成も夫婦の完 成なしにはありません。  最終的には男性と女性は神の両性をも代表する立場であ り、夫婦の完成無くして、神様ご自身の愛の完成もないと いうのです。  この男女が結婚する目的の第一番目は「相互の完成」で す。神の創造は相対理想です。男女はその存在そのものが お互いによって支えられ、その価値はお互いに対して絶対 的です。男性らしさとは女性を鏡としながら生まれる概念 であり、女性の女性らしさの基準は男性です。  夫がどれほど愛情が深く、夫としての役割を果たしてい るかの判定ができるのは妻です。対社会的にも重責を果た しつつ、家庭においては不断に妻の心情を思い測り、夫と しての愛の成長への努力を怠ってはなりません。その夫の 愛がまた妻を妻らしくして行きます。  妻の素晴らしさを認め、証しをするのは夫です。社会に 対する貢献、家庭での家事、育児と忙しい立場ですが、夫 の前に理想の妻とな る事を忘れては女性 としての目的の完成 はありません。その 妻の愛情がまた夫を 理想の夫に作る原動 力です。

⑪ 日本女性指導者5万名教育 (12)

研修院の足跡

修練生の感想

(11)

第 10 回 成和青年

   済州島7日修練会!

済州島便り 33

(1/2)

2010 年 4 月 15 日 第 33 号(1/2)

― 無表情が笑顔に ―

 第十回を迎えた成和青年済州島 7 日修練会。2007 年 12 月より早や足掛け 4 年となりました。  新たに高校に進学した若い子女達からすでに社会人として 活躍する二世、父母と幅の広い 38 名の修練生が密度の濃い 一週間を共にしました。今回は、親子での参加が 12 家庭と 親子修練会としての特徴が一層色濃くなりました。原理講義、 信仰講座、成約摂理観のみ言に加え家庭教育講座は父母とし てのあり方を振り返る時間です。青年たちは、一人だけの世 界に陥りやすい生活環境の枠を越え、スポーツなどの時間を 通して二世どおしの交流の中に新しい自分を発見する人が多 くいます。観光や和動会は皆が思い切って自分自身を表現し、 笑顔に包まれる時間であり、親子での心情交流の場では、永 年持ち続けてきた心の壁が崩れて行く不思議な体験が与えら れています。  信仰の道を歩むことに対する無力感、諦め、時には生きる こと自体を放棄したいとさえ考えている二世達も、父母た ちの涙ながらの投入と、 新たに芽生えた青年ど うしの思いやりの中で 瞳の輝きが増し無表情 が笑顔に変わって行く のを見る事ほど感動的 な事はありません。 ●兵庫 K.S 祝ニ (18) F  どれだけ私は愛されて育ってきたのだろうか。与えられ た 5%の責任も全然果たすこともできず、足らない自分自 身で歩んできたことを深く悔い改めることができました。 そして、祝福を望んでいる私ですが子育ての難しさ、大変 さも悟りました。不安もたくさんありますが、両親から生 まれた原罪のない二世たち、私たちが祝福を受け真の愛を 相続し、尊い三世の生命へとつなげていきたいです。  また、お父さんお母さんに早く会いたくてたまりません。 素直に想いは伝えられないけど、改めて二人を心から愛し ているのだなと確信できた修練会でした。自分の兄弟姉妹 にも証したいです。 ●島根 I.A 祝ニ (16) F  今回、済州島 7 日修練会にはお母さんに頼まれたから参 加したというのが理由で、自分はぜんぜんやる気が無くて 早く7日間が過ぎないかなと思っていました。  ですが、今まで疑問に思っていたことや知らなかったこ とを講義で理解できたり、いろんな地域の人に会えて、た くさんの優しさにも触れ、またお母さんともしっかりと話 すことができました。今では修練会に参加できてよかった なと思っています。  私の周りには統一教会の人がいなくて、なんで私だけな んだろうと悩んだ時も沢山ありました。中学校のあたりか ら教会に行くのも嫌になってしまって、お母さんを困らせ てしまったと思います。ですが修練会を通してまた教会に 行ってみようかなと今は思えています。 ●西愛知 N.Y 信ニ (25) F  この 7 日間本当に感謝の言葉しかありません。まずこの 済州島はお父様が日本の代わりに愛された場所ですし、神 様の子としての誇りや、日々の信仰生活で良心に素直に生 きること、そして、最後に一人で参加したけれど、親とこ れからの将来について考えるきっかけを与えてくれまし た。日々の信仰生活の中で悩むこともありますが、その時 は自分の良心に従うことや、もっと原理を学び、神様の子 としての自覚を持ち、それを多くの人に伝えていくことの できる人格を身につけていきたいと思いました。 堀正一副局長の講話 ●南北海道 N.R 祝ニ (27) M  この 7 日間は人生で初めて達成感のある充実した毎日 だった。広大な海に囲まれ、穏やかな空気に包まれ、すご く環境に恵まれた。色々な先生たちの講義で勉強して学び、 頭で学んだというより心で学んだ感じがした。和動会が一 番印象が強かった。班全員で協力して知恵を出しあい納得 の行く出し物に完成し、披露して楽しかった。 今回は良い弟たちに出会えたことに感謝します。 ●滋賀 M.H 祝ニ (18) M  僕は今回の修練会には親の勧めで参加させてもらいまし た。親には自分のやりたい事をさせてもらい、また色々と 忙しいという理由で、あまり教会へは行けていませんでし た。そのため、自分が二世であるという自覚が不足してい たと、ここに来て改めて感じました。  今回、この修練会に参加できたことで、これからは真面 目に教会へ行くこと、また祝 福について真剣に考えること ができました。まだまだ未熟 者ですが、これからは努力し 誇れる二世になりたいと思い ます。この修練会に参加出来 て本当によかったと思います。 ●南東京 U.M 祝ニ (20) M  今回、この修練会に参加するように導いてくださった神 様に感謝いたします。そして、スタッフ、親などありが とうございます。私は、今まで中学、高校と部活をしてい たこともあり、礼拝にあまり参加出来ず、そのため統一教 会の友達があまりいなかったため、教会の活動から離れて いました。今回の修練会も親が勧めなければ行くこともな かったです。しかし、実際に来てみると二世の友達も多く でき、悩みを共有することができ良い体験ができました。  今回の体験を通し、神について考え、原理について学ぼ うと考えるようになりまし た。また、家族関係について 悩むことが多かったですが、 ひとつひとつ解決しようと考 えるようになりました。参加 するか迷っている人は是非と も親と参加して欲しいです。

修練生の感想

― 子女の立場 ―

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