韓国アイドルファン女性の自己意識に関する研究:
韓国におけるフィールドワークを手掛かりに
川 村 麻衣子
論文の目的
本論文は,「韓国男性アイドル」と,彼らの支持基盤である「韓国女性ファン」の関わりに着目し, 韓国のアイドル文化の特質や,ファン行動を通じた女性の自己意識,大衆文化に対する意識を考察す るものである。これまでの「韓流研究」において看過されてきた韓国の若いアイドルファン女性の状 況を見つめ直し,韓国・日本の女性たちの「アイドル」を通じた実践と文化の相互関係を「女性ファ ンの視点」で検討することを試みた。論文執筆の契機
筆者は高等学校時代より「韓国男性アイドル」に深い関心を抱き,同世代の韓国のファン女性たち と交流を重ねてきた。筆者が韓国の大衆文化に関心を持った当初は韓国の大衆文化に対する情報は非 常に限られおり,韓国のファンから情報を得て自力で翻訳作業をするというような状況であった。し かし2004年の「冬のソナタ地上波放送」と「ヨン様来日」を契機とした「韓流ブーム」の到来により, その状況は一変する。メディアはこぞって韓流スターの情報を取り上げ,さらにマスコミはこの韓流 現象の担い手が中高年女性であることを強調し「オバ様ファン」と揶揄するような報道を繰り返した。 韓国の情報が瞬時に翻訳されて日本に流れるという状態が日常化し,韓国の一般言論(新聞・TV報道) が流す情報を,日本の韓流ファンが知識・事実として周辺に伝播させることが可能となった。そういっ た中で「韓国の男性は日本の男性より男らしくて素敵だ」といった言葉が飛び交い,「やはり兵役が あるから勇ましいのだ」といった会話が日本の韓流ファン同士,韓流情報テレビ番組内で,平然と交 わされるようになった。筆者は,この一連の韓流をめぐる報道や状況の変化に非常なとまどいを感じ た。というのも,今日に至るまでの韓国の芸能・アイドル文化を支えてきたのは,古い伝統に抗い新 しい文化を求め続けていた韓国の10代から20代の筆者と同世代の若い韓国人女性たちであるにも関わ らず,その重要な担い手として焦点があてられることがなく,さらに韓国人女性ファンたちの“私た ちの言葉”によって希求され創り出された「男性アイドル=新しい男性像」の姿は“私たちの言葉で はない”言論によって歪められ,韓国人女性たちが抗ってきた韓国の伝統的男性イデオロギーが,日 本人女性によって日本で再生産されているという状況が生まれていると感じたからである。本来の文 化の担い手である女性,女性達の意識を排除した一連の「韓国男性アイドル」を取り巻く言説への違 和感が本論文の執筆の契機である。研究方法
2010年2月から12月までの約10ヶ月間。筆者は韓国・ソウルの梨花女子大学大学院女性学科に交換 留学生として在籍し,韓国国内で行われているアイドル文化とファンに関わる研究・資料の分析をし, 韓国の若手フェミニストグループとの交流を重ねながら,韓国人ファンへの聞き取り調査を実施し考 察を行った。その一方で日本でのアイドル文化とファンに関わる先行研究を整理し,帰国後は日本人 ファンからの聞き取り調査を実施した。論文構成
論文は六章からなる。まず第Ⅰ章では,論文執筆に至った背景と筆者の問題意識を明らかにし,第 Ⅱ章では,日本と韓国における「アイドル」の歴史を概観する。全く同じにように思えるアイドルで あるが,両国におけるアイドルのイメージやアイドルシステムの成り立ちには相異点が多い。韓国と 日本におけるアイドル現象の変遷やシステム成立の違いを比較しながらそれぞれの特徴を明らかにす る。続く第Ⅲ章では「アイドルと女性ファンの在り方」の違いを検証する。アイドルを追いかけ“黄 色い声”を送る女性ファンたちの姿は一見日本も韓国も全く同じ現象として捉えられ,時に嘲笑され る対象であるが,両国のファンコミュニティーの構造やファン行動の原則を詳しく見ると,全く異な る原理によってファンとアイドルの関係が成り立ち,そのうえで特徴的なファン文化が生まれている ことが分かった。日本と韓国の「アイドルと女性ファン」の世界を概観し,アイドルへの熱狂を表面 的な現象の同質性のみではなく,両国におけるファン構造の原則や「アイドルと女性ファンの関係性」 の差異に着目しながら,両国のファン文化が異なる特徴を持つに至った背景を考察する。第Ⅳ章では, 「アイドルと女性ファン」の営みが,日本と韓国それぞれの国でどのような語られ方をしてきたのか を,アイドル文化やポピュラー文化に対する両国の先行研究成果をもとに整理する。それぞれがどの ような立場からの,誰の視線からの研究であったかに着目しながら,先行研究を検討し両国における 「アイドルと女性」に対する“「世の中」の眼差し”を明らかにする。第Ⅴ章では第Ⅳ章までの考察を 踏まえて,先行研究でも特に欠落していた韓国人女性ファンに焦点を当てた考察を行う。韓国で行っ たインタビュー調査の結果をもとに女性ファンの「アイドル文化」へ対する意識を明らかにしていく。 第Ⅵ章では本研究で得られた成果を示し,今後の研究の課題を明らかにする。本研究の成果
韓国におけるインタビュー調査で得られた結果から,調査対象者のアイドルファン女性たちは,ファ ン行動を通じて,女性としての困難や周辺からのプレッシャーをより強く自覚し,それに抗いながら 「ファンというリスク」を共有する女性同士の連帯感を高め,文化の主体としての表現や実践をより 自覚的に行う傾向が明らかになった。その「リスク」の大部分は,韓国に深く浸透している性別役割規範意識と年齢規範意識であると推察され,女性の就業率が上がった現状があっても「女が家で家事 をする」ことを重視する男性がいまだに少なくないこと,アイドル文化が「誰もが消費できる娯楽」 と化した現在でも,女性の場合は年齢や未婚(既婚)か否かで「文化的接触」が制限されやすく,「そ の年齢でアイドル文化を嗜好してはならない」という意識がいまだに社会に根強く残っていることが 分かった。そういった中で,アイドル文化の希求行動の結果,日本のアイドルに活路を求めた韓国人 女性たちがかなりの数で存在し,彼女たちが日本のアイドルとファンの現状を理解することによって, 性別・年齢規範の根強い韓国の文化規範を客観的に見つめる視点が生まれていることが確認された。 韓国政府の政策や歴史的な反感が存在するため日本大衆文化は韓国に流入させられないという「公的 な韓国の現実」が日本ではこれまで多く語られてきたが,それは強調されている韓国国家権力の主張 にしか過ぎず,実際に文化を享受する若い世代や,国家の政策に見向きもしなかった(その要員と見 なされていなかった)女性たちは,独自に情報網を発達させていたのである。そういった女性たちの “私たちのアイドル”を強引に「韓流スター」に仕立てあげ“国家孝行者”としてもてはやそうとす る近年の韓国の国内言論に対し,ファン女性たちは一様に否定的であり,アイドルと言う媒体を通じ 「国の力の誇示」をし,国家主義的イデオロギーを注入しようとする男性社会の姿勢は,批判的に捉 えられていた。困難が多い韓国国内の小さな音楽市場よりも,巨大な市場がすでに出来上がっている 日本に活路を見出した韓国企業。少しでも目新しく早く儲かるアイコンを探し多くの利益を得ようと する日本企業。日本国内の利益競争の実態を知らずに「我が国の文化コンテンツの優秀性が認められ た」という安易な言説を流布しようとする韓国の男性権力。それぞれの思惑が入り乱れて現在の「韓 流市場」があり,そこから韓国アイドルの「支え手」であり「産み手」である韓国女性ファンの存在 は欠落し,「国家イデオロギー化された韓流コンテンツ」が日本女性ファンの手によって消費され, そのイメージが伝播していっているという現状なのである。これは女性によって発展してきたアイド ル文化に「私たちではない存在」が介入したことで生み出される「ねじれ」であり,女性学の視点か ら,この事態を指摘し,批判していくことが重要である。 さらに本研究の考察によって,韓国と日本のアイドル文化の違いが「アイドルとファンの関係性」 の思考方式にあり,ファンコミュニティーの構築の原則にもそれが多いに反映され,違った形のファ ン文化の発展と言う形で表出していたことが明らかになった。日本と韓国のファン女性はその「関係 性の差異」を認識しながら,その「違う」文化の往来自体を新しい文化との接触として享受していた ことが確認できた。これまで「国家が語ってこなかった」日本と韓国の女性ファンたちは,国家が想 定した枠組みを飛び越え,「ファン」であることだけを頼りに無数の往来を繰り返し,さまざまな相 互作用を引き起こしていたのである。
今後の課題
本研究で明らかになったように,韓国人男性に対して「男らしさ」を評価するような風潮や,昨今 のK-POPの盛り上がりのなかで「日本のアイドルより韓国のアイドルの方が優れている」という言説を流布する日本人女性ファンの姿は,少なくとも韓国人女性ファンの求めた「私たちのアイドルに対 する評価」ではなく,本来女性たちの領域であった「アイドル文化」に国家的,男性的イデオロギー が入り込んだことにより生まれたものである。女性が主体となって作り上げてきた文化をナショナリ ズムの強化に利用しようとする韓国男性社会の思惑を鋭く指摘していく声が,「日本の韓流ファン」 の中からも生まれていくことが課題になる。日本人女性による韓国アイドルへ対する過剰な評価は「韓 国アイドルファン」=「韓国好き」というコードが形成される中で浸透しつつあるが,批判すべき部 分を精査して批判できる態度を示すことは「女性が作り上げた文化」を拡大し,長く繁栄させていく ための重要な課題である。 さらに今回の研究で最も不足していたのは男性に関する考察である。韓国でのフィールドワークの 際に「女性アイドルファンの韓国人男性」にも聞き取りを若干名行ったが,詳しい考察までに至らな かった。調査対象者の多く女性の口から「男は軍隊でアイドルを好きになるだけだ」との指摘があっ たが,韓国人男性と女性アイドル,そして兵役制度に関する問題はより一層個別に深く掘り下げた議 論が必要になる。さらには日本の女性アイドルファンと男性ファンの関係に関しても,女性のファン コミュニティーとの差異を検討する必要性を感じる。筆者が以前,本論文とは別の課題の参考資料と して日本で数名の男性に「女性アイドルに対する質問」をする機会があったが,その際,「他のファ ンとの関わり」を問うと,皆一様に「他のファンとは関わらない」「基本的に単独行動である」「他の ファンの事は分からない」という回答が返ってきた。日本における男性ファンのコミュニティーは,「横 に拡大していく女性のファン文化」に対して「個別に単線的に完結する男性のファン文化」である可 能性も高く,今後さらに多くの時間をかけた研究が必要になるだろう。 参考文献 【日本語文献】 アジア女性交流・研究フォーラム編 1992「韓国女性開発院編『日本と韓国の家族意識の比較研究 : 福岡・ソ ウル調査を中心に』共同研究 雨宮処凛 2008『怒りのソウル―日本以上の「格差社会」を生きる韓国』株式会社金曜日 有田伸 2006『韓国の教育と社会階層「学歴社会」への実証的アプローチ』東京大学出版会 イ・ヒャンジン 2008『韓流の社会学−ファンダム,家族,異文化交流』岩波書店 李効再 1988『分断社会と女性・家族 韓国の社会学的考察』社会評論社 稲増龍夫 1989『アイドル工学』筑摩書房 稲増龍夫 1992『<ポスト個性化>の時代―高度消費文化のゆくえ』 時事通信 稲増龍夫 1999「SPEEDにみるアイドル現象の変容―「異性愛」から「自己愛」へ―」北川純子編『鳴り響く 性―日本のポピュラー音楽とジェンダー』勁草書房 井上輝子編 1995『日本のフェミニズム 7』岩波書店 上野千鶴子 1998『ナショナリズムとジェンダー』 青土社 上野千鶴子 1998『発情装置―エロスのシナリオ』 筑摩書房
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サブカルチャーと『源氏物語』の女性キャラクター表象の比較
野 村 早紀
論文の目的
2008年,『源氏物語』が文献に登場してから千年が経過し,「千年紀」として様々に取り上げられた。 その中で私が注目したのがアニメ『源氏物語千年紀 Genji』であった。このアニメの中での源氏の君 の最初の正妻である葵の上の描かれ方であった。これまでの葵の上は「源氏の君の妻」や「頭の中将 の妹」,「左大臣の娘」として描かれているのみで,恋愛対象ではなかった。しかしこのアニメでは葵 の上という人物をきちんと描いているのである。 私は「『源氏物語』はサブカルチャーだったのではないか」という山本淳子の考えに賛成である。 そして,先述のアニメやマンガ,ゲームなど現代のサブカルチャーと呼ばれる文化と何か共通点があ るのか,あるとすればどのようなところなのか,また,『源氏物語』にも現代のサブカルチャーにも たくさんの魅力的な女性キャラクターが登場するが,両者に共通点があるのかという二点で疑問を 持った。 以上のような問題意識から『源氏物語』をサブカルチャーの観点から考察したいと考えている。本論文の構成
序章,第一章,第二章,第三章,終章からなる。第一章では「『源氏物語』は現代文化にどのよう に受け継がれているか」と題し,現代文化の重要な領域であるサブカルチャーとはどういうものか, 本論文でサブカルチャーに注目した理由,サブカルチャーの世界的な人気,そしてサブカルチャーで の女性表象といった,サブカルチャー論を中心に展開している。また,『源氏物語』とサブカルチャー の共通点を探り,どのような点で『源氏物語』が影響を与えているのかを考察している。 第二章は「サブカルチャーの中のライトノベル」である。私はサブカルチャーの中でも特にライト ノベルと呼ばれる主に中高生をターゲットにした小説に注目した。なぜライトノベルに注目したのか, そもそもライトノベルとはどういうものか,そしてライトノベルの歴史を論じている。また,二節目 ではライトノベルなど,サブカルチャーに登場するキャラクターはどのようなキャラクターなのか, 前述した「ツンデレ」や「ヤンデレ」といった言葉がいつごろ,どのようにして誕生したのか,そし て『源氏物語』の登場人物とライトノベルに登場するキャラクターの共通点,相違点を検証する。 第三章では「『源氏物語』とライトノベルキャラクター」を比較検討している。具体的には「葵の 上とツンデレ」,「六条御息所とヤンデレ」「若紫とロリっ娘」という三点を比較検討する。葵の上は源氏の君の最初の正妻でありながら千年近くヒロインとして注目されなかったこと,六条の御息所は 現在も最も人気のあるヒロインのひとりであること,若紫は源氏の君が生涯を通して愛しぬいた女性 であることから,今回はこの三人の女性に着目した。
考察
本論文でのサブカルチャーはいわゆる「オタク文化」と呼ばれるものと定義する。私がサブカル チャーに注目したのは,第一に私がオタク文化に興味があり詳しいこと,第二に世界的に注目されて いること,第三に私がサブカルチャーを最先端の文化で考えていることがあげられる。 若者に人気の恋愛シミュレーションゲームでは様々なタイプのヒロインがひとつの作品に登場する が,私はこれは『源氏物語』から受け継がれている日本性であると考えている。このようなゲームは 日本以外ではほとんど制作されていない。 これは,日本が他の(特に日本に影響を与えた)他の国々に比べて一夫一妻制が遅く成立したこと と,日本が多神教国家であることが理由としてあげられると考えている。日本の「多数ヒロイン性」 と呼ぶべき文化は『源氏物語』から現代にも受け継がれている。 サブカルチャーには「キャラが立つ」という言葉がある。キャラが立つとは個性的で目立っている キャラクターに使われる言葉である。立っているキャラは「萌える」。萌えを言葉にするのは難しいが, 「対象物に対する狭くて深い感情」を含んでいるという。恋愛感情・性的欲求に近い感情が「燃え上 がる」というインターネットスラングであるが,現在その意味は曖昧になりつつあり,主に好意的な ものに対する意味で使われる。 私はライトノベルというものを「純文学」「大衆小説」とならぶ,第三の小説の総称となりえるも のであると考えている。しかし,ライトノベルは上記のふたつと全く違う点がひとつある。それは「コ ミュニケーションから派生した」ということだ。純文学も大衆小説も作者の脳内の設定を作者一人で 作り上げていくが,ライトノベルの源流であるTRPGは設定をみんなで共有し作り上げていくもので ある。そこから派生したライトノベルがひとつのブームを作り,文化となっていく過程に口コミとい うコミュニケーションがあるのは必然であるといえる。将来的にはライトノベルから小説を読み始め, 大衆小説や純文学に興味を持つ,という人も増えていくであろう。 近年のライトノベルの(主に男性の)キャラクターは,「平凡な」少年が多いのである。近年増加 している「草食系男子」というのは,まさに彼らのようなサブカルチャーの主人公たちから来ている のではないか,と思えるほどだ。その理由は第一に,周りのキャラクターを立たせる「引き立て役」 という立場であるということが挙げられるだろう。彼らは「主人公」という立場でありながら,周り のキャラクターを引き立てるために存在するのである。そのため,主人公の視点で書かれた一人称の ライトノベルも多い。 また,主人公が普通の平凡な人間であることによって,読者が感情移入しやすいのも理由のひとつであるだろう。主人公は普通の中高生なのに,ひょんなことから魔王になったり,女の子を守るボ ディーガードを任されたりトンデモナイキャラクターに愛されてしまったり…という,「日常」が「非 日常」に変わる追体験を,より感情移入してリアルに感じるのである。 葵の上 私は葵の上はツンデレであると考えている。ツンデレの最大の魅力はその言葉通り,「最初はツン ツンしていても,次第にデレデレと感情を見せるようになる」ような人物である。その定義は以下の 二つの条件が必要となってくる。一つ目の「普段は(意識していない)知人」に関しては,自分の夫 という立場であり,葵の上がいくら不服に思っていたとしても(その感情が既に意識しているという ことではあるが)大変縁の深い人物である。二つ目の「相手に関心を持っている」という点は,本文 中で見つけるのは容易ではない。私は,「問はぬはつらきものにやあらむ」(「若紫」)という一言のと き,すでに嫉妬の感情が芽生えていたのではないかと考える。紫式部が葵の上の唯一の言葉を,出産 したときでも葵の上が死ぬときでもなく,このタイミングで使ったのは,この時点で葵の上に何らか の心境の変化があったからではないだろうか。つまり,葵の上は「若紫」の時点で源氏の君に関心を持っ ているのである。そして,「事件」は起きた。妊娠と六条の御息所の生霊のとり憑きである。先ほど も書いたように,この事件によって葵の上と源氏の君は心が通い合うようになってきたと考えている。 そして夕霧を産んだ後の看病で,葵の上はデレ状態となるのである。このとき,葵の上は幸せであっ たと,私は考えている。やっと心が通い合うようになった夫と,その間に生まれた子どもと,二人か らもらう幸せをかみ締めていたのだと考えているのだ。その証拠に,未練がある登場人物たちは死し てなお,源氏の君の元に出てくるが,葵の上が源氏の元に出てくる描写はない。つまり,源氏の君と の関係に満足して死んでいったということである。 六条の御息所 六条の御息所は作品中唯一,生霊となる人物である。彼女は源氏の君の正妻,葵の上に嫉妬して彼 女にとり憑いてしまう。幸いにして,彼女は源氏の君に対する想いを断ち切る環境とタイミングがあっ た訳だが,これらがなかった場合,彼女はどうなっていたのだろうか。 「ヤンデレ」と呼ばれるキャラクターたちは,その「想いを断ち切る」ことができないキャラクター なのかもしれない。ヤンデレとは「病んでるデレデレ」の事である。前節のツンデレから派生した キャラクター形容語である。意味としては様々あるが,「好きすぎて病んでしまった」キャラクター である。「病む」とはいっても,心の病みである。といっても,読者が「病んでいる」と判断してい るだけで専門的な医療知識には基づいてはいない。この「病む」状態に至ることを「病み化」などと 呼ぶ。それまで,ぎりぎり状態で保っていた心の平静を,何らかの事象によって病みの状態へと変化 させるのである。 六条御息所は限りなくこのヤンデレに近いのではないか,と私は考えている。心の病みとしては「源 氏の君と歳が離れている」ことである。本文中の「いとものをあまりなるまで,思ししめたる御心ざ
ま」から,彼女は真面目な性格であるがゆえに,情熱的に自分を求めてくる源氏の君との歳の差を考 えずにはいられなかったのである。彼女が傷つける対象は源氏の君でも自分自身の身体でもなく,源 氏の君を愛し,源氏の君に愛された女性へと向かっていった。 先ほども述べたが,六条御息所は源氏の君に対する想いを一度は断ち切ることに成功した。斎宮に なる娘に付き添ってともに伊勢に下ることで源氏の君の元から去っていった。生霊と化してしまった 自分の嫉妬心への後悔の念である。この部分が上記のヤンデレヒロインたちとは異なる部分だろう。 ヤンデレのヒロインたちは事件を起こすとたいていそのまま物語からフェードアウトしてしまい,物 語が続く場合,回想以外で再び登場することはほぼない。しかし六条御息所は再び源氏の君の元へ戻っ てくる。 若紫 「ロリっ娘」と書いて「ロリっこ」と読む。「ロリっ娘」は「ロリータな女の子」であり,幼い女の 子であったり,見た目が幼いキャラクターを指す。「童顔な女の子」や「小学生に見えるが実は主人 公(あるいはその友人など)の母親」というケースもある。 「少女を引き取って育てる」というシチュエーションから,『源氏物語』をあまり知らない人々から は源氏の君は「ロリコン」だと言われる。しかし,私は源氏の君という人が本当にロリコンと呼ばれ るような人物であるとは思えないのである。その理由は多々あるのだが,第一には源氏の君が若紫と 初夜を交わしたのが14歳になってからであったことがある。第二に,源氏の君は後年,兄である朱雀 院に娘の女三宮を妻とするように頼まれる。この部分も一見するとロリコンのように見えるのである が,当時の大人とされる女性の年齢は16歳。降嫁話が持ち上がったのが前年(源氏の君39歳,女三宮 13歳)であったとしても,決して早すぎるという年齢ではないだろう。頼まれたというよりは「押し 付けられた」感が源氏の君には強かったであろう。また,女三宮の年齢にしては幼さが残る性格に, 源氏の君は満足していなかったのである。 以上は源氏の君がロリコンではない理由であるが,それでも私は若紫がロリっ娘であると考えてい る。それは彼女が唯一子ども時代を描かれた女君だからである。子ども時代のエピソードが明確に書 かれているのだ。
今後の課題として
今回「『源氏物語』のサブカルチャー化」というのがこの論文のテーマであるが,まだまだその一 端しかできていないように感じている。今後,『源氏物語』のほかの登場人物も含めて論じていけれ ばと考えている。そして,サブカルチャーが好きな私のような人々に,少しでも『源氏物語』や他の 古典文学が身近なものになればいいと考えている。参考文献 アン・アリスン『菊とポケモン グローバル化する日本の文化力』新潮社,2010年。 一柳廣孝・久米依子『ライトノベル研究序説』青弓社,2009年。 戸樫純一「ツンデレ属性と言語表現の関係―ツンデレ表現のケーススタディ―」 (http://www.ic.daito.ac.jp/~jtogashi/articles/togashi2009a.pdf) 瀬戸内寂聴『源氏物語』講談社,1996年。 鳴海丈『「萌え」の起源』PHP研究所,2010年。 林真理子・山本淳子『誰も教えてくれなかった『源氏物語』の本当の面白さ』小学館,2008年。 堀江宏樹『あたらしい「源氏物語」の教科書』イースト・プレス,2010年。 堀越英美『萌える日本文学』幻冬舎,2008年。 紫式部『源氏物語』岩波書店,1994年。 村瀬ひろみ『フェミニズム・サブカルチャー批評宣言』春秋社,2000年。 大和和紀『あさきゆめみし』講談社,2001年。
イスラムの宗教実践は環境に応じて変更可能か:
中国・大連の回族女性の服装の事例から
太 田 三 貴
世界のムスリム人口は年々増加傾向にある。グローバル化の影響により出稼ぎや留学など来日する ムスリムは後を絶たない。そして来日するムスリムの多くが独身男性であることから,日本人女性と 恋愛・結婚するカップルが多く誕生している。 ムスリムは非ムスリムと結婚する場合,相手にイスラムへの改宗を求める。だがイスラムについて 限定的な情報しかない日本では,女性がムスリムとして生きることには大きな覚悟が必要である。 これは「イスラム=中東ムスリムの生活」という強い認識があり,日本社会であってもイスラム の教えに従う生活を送ることが「正解」という風潮があるからだ。そこで多くの女性は日常的な問題 に,髪・肌・身体の曲線を隠す「イスラムファッション」が脳裏をよぎるはずだ。日本というイスラ ムの宗教実践に配慮されていない社会において,イスラムに改宗した女性は自分の意思や環境に反し てまでイスラムファッションを選ばなくてはならないのか。 筆者は当事者としてこの問題を抱えていたところ,偶然にも中国・大連へ渡った際,現地に住むイ スラムを信仰する少数民族である回族女性の多くが,ムスリムでありながら日常的にイスラムファッ ションを選ばないことを知った。 そこで,なぜ大連の回族女性はイスラムファッションを選ばないのか,その選択の背景にあるもの は何なのか,解明することは筆者も含め日本人女性を助けるに違いないと考え,現地調査を基に論文 執筆に着手した。 本論文のテーマに挙げたイスラム女性である回族の服装を理解するには,まずイスラムに対するバ イアスを排除し,コーランの服装規定を正しく理解することが求められる。 イスラムには啓示を収めた聖典『コーラン』があり,ムスリムはコーランを解釈して宗教実践を行 う。コーランでは男女の差異を認めた上で互いに違う権利・義務を与えているが,男女は精神・尊厳 の上で平等である。 そしてコーランにある男女の差異は差別・不平等の根源ではないことを前提に,女性には性的な特 徴を隠す服装規定が課せられている。服装規定に関する啓示は主に3つあり,これらと礼拝時のスタ イルなどを総合的に判断して,一般的に女性は顔と手以外を隠すスタイルが定着した。しかし,3つ の啓示のうち1つが解釈の余地を残していることから,現在においても女性の服装のあり方をめぐる 議論は続いている。 一方,イスラムファッションを受動的に選ばされていると一般的に考えられているイスラム女性 は,実際は主体的に着用しているケースが多い。信仰心の体現,気候,セクハラ予防などが理由だ。これにも関わらず,世界的にイスラム女性の服装は常に議論の的である。フランスやトルコなど西 洋側の国は「ヴェール着用=解放されていない」と考え,エジプトやイランなどイスラム地域の国は 「着用しているからこそ解放される」と反論する。 この被るか,被らないかの二者択一の論点には,どちらにも属さない女性の存在が言及されずにい る。これこそ「ムスリムのアイデンティティを持って,被らない選択をしている女性」であり,中国・ 大連の回族女性こそがこの第三の視点を有している。 このようにイスラム女性でありながら国際的に着目されることが少ない回族女性とはどのような 人々なのであろうか。回族とは中国の少数民族の1つであり,漢語を母語とするムスリムを指す。回 族の人口は約980万人おり中国全土に居住している。西安や青海省など西北部は比較的多くの回族が 住み,沿岸部など都市部では漢族に融合する形で生活している。 回族は唐の時代にアラビア商人がイスラムを伝えたところから始まる。元代まで重宝されていた回 族の先祖は,明代以降,漢族との違いから差別・弾圧の対象となった。中でも文化大革命の際はモス クの破壊・豚食の強要など信仰につけ込んだ弾圧が行われ,回族は身を守るために回族であることを 隠すようになった。そして文革終結後,回族は少数民族政策・宗教政策によって少数民族保護や信仰 の自由の名目のもと管理される結果となった。 筆者が現地調査を行った大連は,回族人口は約1.5万人と少数であり,回族コミュニティが希薄で ある。エスニシティを排除した公教育を受けた回族女性の価値観・ライフスタイルは漢族女性とほぼ 同様のものになっている。モスクや清真食堂など回族向け施設が存在するにも関わらず利用者の属性 には偏りがあり,大連回族は全体的に漢族への同化傾向が顕著であるのが現状だ。 以上のような背景を持つ大連回族の女性は,先に述べたように日常的にイスラムファッションを選 んでいない。漢族と変わらない服装で過ごし,冠婚葬祭やモスクへ行くときのみイスラムファッショ ンに身を包む。 筆者はこの選択の背景には何があるのか,なぜイスラムファッションを選ばないことが可能なのか を解明するために,金曜礼拝時の大連モスクを調査地に選び,礼拝に訪れる50歳以上の女性を対象に インタビューを行った。 この調査には「イスラム女性としての自覚」が絶対条件となる。その為,礼拝の強要がない大連の 風潮の中で,本来モスクでの礼拝の義務がない女性が敢えて礼拝に訪れるのには,ムスリム・アイデ ンティティ確認の目安となる。 また大連モスクに訪れる女性は50歳以上を占めており必然的に年齢層が限られてはしまったが,50 歳以上の高齢層は,青春時代に文革を経験している。さらに一般的にイスラムの伝統を下の世代へ伝 える役目を担う世代である為,彼女達から得られる情報は豊富かつ貴重であると考え,50歳以上を調 査対象とした。 12人の女性に「なぜ普段イスラムファッションを選ばないのか」インタビューしたところ,「大連
の気候に合わない」「大連は回族が少ない」という回答が最も多く,次いで「信仰心があればよい」「イ スラムは寛容な宗教だから」「仕事上不便」といった声が上がった。 一見,自己中心的に思われるが,これらの回答がイスラムの教えを考慮した結果である証拠に,「女 性の身体を大切にする」「西北部とは違う」「信仰心があればよい」といったキーワードが会話の中で 確認された。まず「女性の身体を大切にする」はコーランの服装規定を踏まえていることがわかる。 次に西北部と大連を比較した者には,「西北部=回族が多い=イスラムに従った生活」という認識が あり,イスラムの宗教実践に従った生活の在り方を踏まえている。「信仰心があればよい」とは「アッ ラーのほかに神はなし,ムハンマドはアッラーの使徒なり」というイスラムの大前提を押さえている ことを示している。 また比較材料として日常的にイスラムファッションの女性2人にも話を聞いた。1人目は大学生で ある。彼女は毎日礼拝を行い,食事も清真食堂以外では決して食べない。イスラムの宗教実践を真面 目に行っているが,本来イスラムでは未婚男女の交際は好ましくないとされているにも関わらず,結 婚する予定のない恋人がいる。彼女はこれに対して「ここはアラブではない」と答えた。 一方2人目の女性は清真食堂で親族の男性と働いている女性だ。彼女は非識字者であり共通語も殆 ど通じない。短い丈のファッションに憧れるが,親族の男性に注意されるため着用することはないと 述べた。 ここからわかるのは,2人目の女性は自己決定の権利を有していないが,有している前者はイスラ ムの教えに従うものとそうでないものとを分けている。大連モスクの女性たちと同様に,ある前提の もと同じ考え方をしているのである。 興味深いのは大連モスクの宗教指導者がこのような女性たちの選択を「大連という環境・文化事情 を考え,非難されるべきことではない」と容認していることである。確かにムスリムとしてイスラム の教えを知ることは肝要であり適度な服装を心がけるべきであるが,「適度」の基準には個人差があ るため,強制はしない方針であると答えた。 つまり大連回族は,①イスラムの各教えは守るべき度合いが異なり服装はできるだけ守るものであ ること,②宗教に無理強いは禁物という教えがあること,③アッラーのみを信じ偶像崇拝をしないこ と,を踏まえ「ムスリムとして最も守るべきことはアッラーを信じることであり,それ以外の宗教実 践は大連という環境に適応することより優先されない」という概念があることがわかった。 そしてこの選択を導いているものこそ回族がたどった歴史,同化傾向,コミュニティの解体,女性 のライフスタイルの変化,が挙げられる。イスラム的な生き方をすることは身の危険や生き難さに繋 がる。このような境遇にある大連回族はイスラムの宗教実践に対して柔軟な対応を取ることこそが, ムスリムとして生き延びるための手段なのである。 大連回族女性の事例を参考に日本のケースを考察する。ムスリムとして生きていくために大連の環 境に適応することを優先している彼女達は,日本人女性が置かれている状況と酷似している。服装だ
けでなく,礼拝や食事に置き換えても大連回族女性の解釈方法は日本の現状に十分に採用可能である。 今後の課題は,このような解釈方法と,それを可能にするイスラムの柔軟性に関する情報をいかに 多く発信するかである。日本の状況に応じたイスラムを作りあげていくことが肝要だ。 日本人女性が自分でイスラムに関する情報にアクセスし知識を増やし,ムスリムである夫・彼氏の 身勝手なイスラム解釈に直面した際にはノーと言える勇気を持つことが重要だ。そして女性がムスリ ムとして納得する人生を彩っていけるようにするために,我々日本人はイスラムに対する無知や偏見 を排除し,新しい社会づくりに参加せねばならない。 参考文献 秋山洋子編訳『中国女性―家・仕事・性』東方書店 1991 ――――『中国の女性学―平等幻想に挑む』勁草書房 1998
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海外在住日本人と性暴力
疋 田 智 子
Ⅰ 本論文の動機と目的
内閣府調査1によると,「異性から無理やりに性交された経験」のある成人女性は7.3%であり,さ らに「この1年にあった」という女性は,被害者の2.4%に及ぶ。これらを計算すると,全体で1年 間に性暴力被害にあった女性は,全成人女性の0.2%となる。仮に,成人女性の0.2%が罹患する疾患 があるとすれば,それはかなりありふれた疾患であり,種々の対策を講じる必要がある。 他方,警察庁の犯罪統計2によると,2009年に警察が把握した強姦件数は1,402件,強制わいせつ件 数は6,688件である。日本の成人女性数(およそ54,120,000人)3の0.2%は108,240人であり,調査による 10万人を超える被害者のほとんどは暗数となって統計に含まれてこない。 性暴力被害の内容は多種多様である。性暴力は人格侵害を伴うものであり,身体的外傷の有無に関 わらず,被害者の心に深い傷つきを残す。それは,性暴力という事象が,最も人間を支配し被害者を 加害者のコントロールのもとに置きやすいというその性質の故であろう。 しかし,この多種多様であるという現実であるが故に,被害者同士は似たような体験を共感しあう 一方で,「自分なんかまだマシだ」とか「彼女の体験なんてまだマシだ」といったように,多様な他 者の声の中で,その体験やトラウマについての重さ比べをしてしまう。孤立した被害者はそこに差異 性を見出し,自らをますます孤立させてしまう傾向がある4。 このように,性暴力被害の実態は把握しにくく,更に多彩である以上,鳥瞰的見地にたった調査の 必要性とともに,各人のemicな(あるいは質的な)記録も大切にする必要がある。そこに沈む一人 ひとりの声を無視することはできない。 本論文では,海外の開発援助の現場で,性暴力被害を受けた日本人女性の事例をもとに考察をすす める。それは,同じ現場にたつ顔見知りの日本人による暴力であった。日本国内においてDVやセク シュアル・ハラスメント等に対する救援策が制度化されようとしている中で,海外における開発援助 の現場では,被害者が訴え出る場や制度が存在しない。海外での被害体験者は周縁化されてきている。 本論文では,この海外在住日本人被害当事者の体験を分析し,性暴力被害全体に潜む様々な要因や 文化的背景と救済策を検討していきたい。Ⅱ 本論文における「性暴力」という語の用法
本論文における「性暴力」の定義は,「自らに対する性の自己決定権が行使されない状況で行われる全ての行為」,そして「性別に対する支配構造によるすべての望まない行為であり,そこには姦淫 の有無を問わず,被害者の身体的,精神的,社会的苦痛を伴うものである」とする。
Ⅲ 本論文の構成
第1章では,「性暴力」ということに関して基本的事項を確認した。「性暴力」という語に関する辞 書的定義から,日本や世界における「性暴力」の位置づけや法律について説明した。 国内の「性暴力」に対する捉え方では,刑法における「性犯罪」の取り扱いとの相克を,そこに潜 む貞操観念とともに論じた。また,女性の人権という見地から,性暴力を禁止する法律制定に向けた 動きにも注目した。 現在,日本の国内法において「性犯罪」とは,直接的な暴行としては,集団強姦,強姦,強制わい せつ,強盗強姦,わいせつ目的略取・誘拐などがあり,それ以外では,公然わいせつ,児童ポルノ禁 止法による児童買春,青少年保護条例による淫行,軽犯罪法,ストーカー規制法におけるつきまとい, 迷惑防止条例における卑猥な行為,などがある。 本論文に示す事例では,その発生場所が海外であるという性格上,ここで説明した上記の日本国内 法の適用は困難である。念のため検討した事項として,日本の組織から派遣されていることによる労 働法の適用や,治外法権の適用を考慮したが,事例に示す被害者,加害者はともに,現地(赴任国) の配属先所属となっていた。 また,暴行を現地の法律に則して罰することもできたであろうが,事例対象者は「公用旅券」で渡 航している「公人」という身分であり,そのことが現地で「事件」に発展させることを拒んだ。事例 の詳細と分析に関しては,第2章以降にふれている。 第2章では,「性暴力」の被害者に与える影響を分析した。事例対象者の体験から読み取る被害者 の抱えるトラウマ(心的外傷)と強姦神話,医学的枠組みとしてのPTSDの診断基準の限界,さらにジェ ンダーがトラウマに与える影響と,リプロダクティブ・ヘルス/ライツとの関連,本事例対象者が体 験した加害者の性的嗜好について論じた。 第3章では,これら「性暴力」が日本政府の開発援助の現場で起こっていることについて分析した。 開発援助の現場というものを概観し,その現実と,世間一般のイメージとの間の相克から,その特殊 性と「性暴力」が起こりうる状況に関して考察し,その根底に流れる男尊女卑の文化や,組織や団体 の壁,また表面化しにくい現状として,海外という異文化的密室性などの相互から問題を論じた。 第4章では,「海外における日本人開発援助者と性暴力」と大日本帝国陸・海軍下に置かれた性奴 隷制との関連を検討した。女性を二分化する公娼制度の操作から強制性病検査と,事例対象者の置か れた集団での女性へ対する扱い,さらにそこでの全員HIV検査を比較し,その文化的構造が非常に似 ていることを指摘した。 開発援助への理想を胸に,政府に囲い込まれる女性と,そこでの性的自己決定権の喪失,そこに潜 む「女性の軍事化」という理論的枠組みに関して,本論文では,そこまでの分析を加えることはできなかったが,今度の課題として,この仕組まれたジェンダーと軍事システムに関しては再考していき たいと考えている。
Ⅳ 本論文の結論と今後の課題
結論 本論文では,「海外在住日本人と性暴力」,その内実は「海外における日本人開発援助者による性 暴力」に関して,一事例をもとに考察を加えた。日本国内でも「性暴力」に対する法や制度の不備 が指摘される中で,国外の日本人社会においてもあらゆる場面で暴力が発生している。その実態は多 様であり,そこには性暴力被害全体に潜む様々な要因や文化的背景が潜んでいる。国内法へ対する CEDAW5による勧告もある。 我々は,貞操観念の残る法と強姦神話が通用する司法への問題意識,女性を性的客体として描く女 性差別的な表現を問題視し,女性の人権という見地から法やシステムを変えていく必要がある。 「性暴力」が被害者に与える被害は甚大かつ多様である。その後の人生そのものに影響を与える。 そこには,医学的枠組みを超えた心のケアに関する支援が必要であり,それは公衆衛生学上からも重 要な問題である。 この問題の司法上の複雑さは,同じ行動でも行為者と受け手の主観が大いに異なっていたり,また 個別的状況や関係性によって,同様の行為であっても,許されたり訴えられたりすることがありうる。 つまり,行動を記述するだけでは,「性暴力」の定義は不十分である。 現実に開発援助の現場で散見される事象として,これら「性暴力」をどうとらえるか。そこに潜伏 する男尊女卑の文化や,これら問題全体に関わる戦前日本の公娼制度から引き継ぐ慰安文化,「女性 の軍事化」という新たな問題,これらを救済するための特効薬をここで示すことはできないが,行き 当たりばったりの対症療法ではなく,歴史や文化を通してみる根治治療に取り組まねば,この問題の 本質は解決されない。 世界各国であらゆる形でみられる問題であるが故,その解決への道のりは果てしなく長いが,我々 は目をそらさず出来うる範囲の活動を日々実践していくことが期待される。 今後の課題 今後に残された課題を,以下の5つにまとめて説明する。 まず,1つめに検討すべき最も大きな課題として,第4章から派生する「女性の軍事化」と軍事主 義そのものに対する問題視である。 私は本論文を,一被害当事者事例から書き記したが,女性学は当事者意識から生まれたものである。 そしてフェミニストたちが特権的な男らしさの中で探索・検討し辿りついたのは軍隊の戸口だけでな く,軍事化を促進するあらゆる社会制度の入り口であった。 本論文も,公娼制度と海外の開発援助の現場との関連に,この軍事化された社会の構造を照らして見直していく必要がある。 そして,そもそも私は,本論文に示す性暴力の実態を,この論文で扱った一事例に限らず,同じよ うな被害者がいるはずであると感じ,さらに面接調査をしたいと思っている。これが簡単なことでは ないことは心得ているが,いつかこの被害の実態を顕在化させ,ここに潜む軍事システムとの関連を 分析していきたいと考える。 2つめに,制度上の不備があるにせよ,現に顕在化している問題として,新たな性暴力被害者に対 して早急な対応策は必要であろう。この点も,諸外国の状況を参考にして比較検討していく必要があ る。それは,国家としての制度のあり方に留まらず,諸外国を含めた開発援助機関,国際ボランティ ア団体の内部規約の調査検討にも及ぶ。 3つめは,私の関係する医療界についてである。第2章のまとめに指摘する通り,性暴力被害に遭っ た人が初めて支援を受ける場となりうる医療機関におけるパターナリズムへの指摘,「封建制」「密室 性」「専門性」などといったあり方からの脱却,健康とともに人権を守ることの重要性を改めて示唆し, 現状を把握,変革していく必要がある。 4つめとして,諸外国においても強姦と性的虐待は深刻な問題となっている。私自身も医療職とし て,開発援助の現場で関わった多くの子どもたち,そして病院で私が初期対応を担当した14歳の妊娠 週数もわからない(妊婦検診を一度も受けていない)飛び込み分娩の少女,こうした国境を越えた様々 な人びとの顔が,私の脳裏に浮かんでくる。彼らに対する実地調査とアドボカシーにも関心は赴く。 最後に,第3章のまとめに触れた日本人開発援助者の現地人に対する性的搾取とODAの闇の部分, これらについての調査も課題としてあげておく。 私は今後も開発援助の仕事をしたいと考えている。ODAでいうと,今でも国際緊急援助隊医療チー ムのメンバーとして派遣登録をしている。 シンパシー(同情)からエンパシー(共感)へ,私はサバイバーミッションを果たすべく残された 課題に向き合っていきたいと考えている。 注 1 「男女間における暴力に関する調査」内閣府男女共同参画局 2009年 http://www.gender.go.jp/dv/research-index.html (2011年5月28日) 2 「平成22年度版警察白書」 本論文添付資料1も参照。 http://www.npa.go.jp/hakusyo/h22/index.html (2011年5月28日) 3 統計局 「第1表年齢(各歳)男女別人口及び人口性比―総人口,日本人人口(平成21年10月1日現在)」 http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001063433 (2011年5月28日) 4 全ての被害者が他の被害者を差別化するわけではない。被害当事者がサバイバーを経て支援者となり, 有益なサポートを続けている例は多く見られる。支援者となる訓練を受けた元サバイバーであるカウン セラーも多く存在する。また,自助グループの有用性も同様に示されている。ここでは,被害者の中に 混在するあらゆる気持ちを概観し,こう記述した。