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第1節 行政の政治からの分離論

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(1)

一教員人事行政を中心にして一

荒井 文昭

第1節 行政の政治からの分離論

第2節 公務員人事行政における政治の問題 第3節 教員人事行政における政治の問題

小 結 メリット型スポイルズ・システムの形成

第1節 行政の政治からの分離論

 政治と行政の二分論

 政治は行政に任務を課すけれども,行政はその職務を政治の意のままにさせ ておくべきではない。行政における能率は,専門的に訓練された公務員をヒエ

ラルキー的に組織化することで実現するのである。1

 この,行政から政治を取り除け(Take administration out of politics!)

という政治と行政の二分論の主張は,アメリカ合衆国においては,本来,政治 と行政との区別を利用することによって,統治を能率的にすることを目的とし た「政治の理論」2であったが,のちに,行政における科学性としての公正さ

(正続性としての公正さではない)を確立するために,中立的であり専門的で あるべき公務員の資格や能力を客観的に認定しようとする制度として確立され ていく。アメリカ合衆国の19世紀末から20世紀初頭における市政改革運動,す なわち,マシーン・ポリティックスからの脱却は,公務員人事制度改革におい ては,そこから人為的要素の排除をすすめるたあ,資格試験制度の導入として 展開されてきた。

・文部省関係者による政治(国会)と行政(文部省)の二分論

 戦後日本の教育行政においてみた場合,行政の政治からの分離論は,1956年

(2)

の地教行法以降教育行政の中立性論として,文部省関係者によって主張され てきている。すなわち,行政機関としての文部省の役割を,政治の舞台である 国会から分離する,教育行政の中立性論が,文部省関係者によって主張されて

きた。

  「近代国家における行政は,政治に対し中立的立場にあることを要請される。

議会制民主主義の政治は,各政党が,その政治綱領を掲げて争い,国会におい て多数を占めることにより,国政上自らの政策を実現しようとする。かくして 制定された法律は,国民の全体意志として統合されたものである。政治はこの 統合機能であり,行政はこの執行機能であるから,政治と行政とは機能として 明確に分化しており,行政は,統合された国民の全体意志としての法律に従い 国民全体の協同の利益のために行われる。この意味において,行政は特定の政 党や政治勢力のためのものではなく,政治に対し原理的に中立である。」3  教育行政の政治的中立性が,国会で制定された法律を,行政が政治から独立

して中立に執行していく役割を担うものであることとして述べられている。

 行政裁量をめぐる問題

 しかし,国会(国民主権の議会制民主主義)で制定された法律を,「国民の 全体意志として統合されたもの」としてとらえ,行政は,この統合された国民 全体の意志である法律を,政治から中立に執行していくという原理をもって,

文部省の政治的中立性を論じることには,検討されなければならない課題が残

されている。

 たしかに,法律による行政の原則は,今日,行政の基本的な原理とされてい る。しかし同時に,この原則には,次のような課題も指摘されている。

 (1)法律による行政の範囲が狭い。

 ② 複雑化した現代の行政にどこまで法のコントロールが及びうるのか疑問 の声があがっている(ナショナルレベルでの成文法規は,技術的に抽象度をも たざるを得ない)。

 (3)行政指導に対する国民による統制をいかに確保できるのかいまだ不明確。4

 意志決定は政治の問題,行政はそれを執行するのみというのが,政治と行政

の二分論に立っ行政論である。ところが現状は,政治と行政の境界が明確にで

(3)

きず,担当部局職員がそれぞれ一定の幅のなかではあっても,関係部局などと 協議をしながら実質的に判断し,決定をくださなければならなくなっているこ

とが指摘されている。5この行政による法の執行過程に密室性があったり,担 当部局内部での完結性があれば,腐敗が起こりやすくなることは,容易に想像 できることであろう。実際,こうした実態の広がりに対して,行政による法の 執行過程に関する実証的な研究の必要性が,強く指摘されるようになってきて おり,いくっかの調査研究が生まれはじめている。

 行政裁量をめぐる同様の問題は,教育行政にっいてもあてはまる。たとえば,

教育行政においては,教育内容についてもその「大綱的基準」を設定すること が,教育の地方自治の原則を逸脱しない限りにおいて,文部行政に認められて いても,その基準の具体的な程度をめぐっては,最高裁判例でも明らかにされ

てはいない。6

 何よりもこのことは,先に引用した文部省関係者自身が,同じ論文で次のよ うに述べていることでもある。

 「この大綱的基準をめぐる問題は,かなりデリケートな問題であり,具体的 な議論になると,その内容・範囲は必ずしも明らかにしがたい点がある。一般 論としては,教育の国家基準を必要とする要請と,児童生徒の発達の実体に即 し,教師の相違や自主性が生かされる余地のある多様な個別的な教育を可能な らしめるという要請との二っの要請を満たすものであって,いかなる範囲・程 度まで定めるならば,教育がもっとも適切に行われるかという観点から定めら れるべきものであるということができる。」7

 このように,「大綱的基準」の内容はさまざまに設定されうることが述べら

れている。

 しかし実際には,通達などの各種行政裁量によって,文部省は,日本各地の 公立学校に対して間接的直接的に,日の丸や君が代など特定の領域にかんして

は特に,具体的で強い指導を繰り返してきている。っまり,「大綱的基準」の

範囲にっいての判断が,どのような基準で決められたのかにっいて情報が明ら

かにされないまま,各種通達が結果としてのみ,文字通り学校現場におろされ

続け,少なくない混乱を学校に引き起こしてきた。

(4)

・一

ハ行政からの教育行政の分離をめぐる問題

 周知のとおり,宗像誠也によって特徴づけられた戦後教育行政改革の3原則,

すなわち,教育行政の一般行政からの独立,地方分権,そして民衆統制(のち に民主化に置き換えられる)を体現した教育委員会法は,1956年,一般行政と の総合性,国と自治体との協調性,そして中立性確保を強調する地方教育行政 の組織及び運営に関する法律(以下,地教行法と略する)の成立によって失効 された。以後,教育行政の政治的中立性をめぐる,政治の舞台における論争は 見えにくくなり,かわって,学校内部における経営管理論に議論が移っていっ

た。

 この学校管理運営が主要なテーマとして議論されるようになる1960年代から 70年代にかけて,市川昭午氏は,次のような課題提起をしていた。

  「教育行政が一般行政から分離しても,それは決して教育行政が政治的でな くなったことにはならない。公教育が教育に関する集団的な意志決定を必要と し,それを教育行政が担う以上,それは政治である他ない。それが一般行政か ら切り放された機構の下で行われても,『一般政治』が『学校政治」に変わる だけのことでしかない。」8

 この議論は,まず第一に,集団的な意志決定を,広く「政治」としてとらえ ること,そして第2に,教育行政が一般行政から独立したとしても,そうした

「政治」を,教育行政が不必要とすることにはならないと述べている。そして,

この教育の領域における集団的な意志決定のあり方に,一般政治とは区別され る「学校政治」という用語をあてて使っているのである(学校政治school

politicsという用語はJ. Burkhead, Public School Finances(1964)からの 引用となっている)。

 「行政は決して政治から分離したものではありえず,政治と行政の二分論は 真実ではない」9と言い切る市川氏の議論は明快である。

 しかしむろん,こうした議論は,教育行政にたずさわる当事者たち(教育委

員会事務局,教育委員,文教関係議員,学校管理職など)が,公には決して語

れないことである。本当はむしろ,こうした当事者たちこそが,もっとも日常

的な形での,教育行政における政治的なもののあり方を知っているのかも知れ

(5)

ないが,それを公の場では認めるわけにはいかないであろう。1°

第2節 公務員人事行政における政治の問題

 行政を政治から分離する議論は,冒頭でふれたとおり,アメリカ合衆国にお いては,19世紀末から起こる公務員制度改革のなかから登場してきている。そ

してこのアメリカの公務員制度は,日本における戦後改革のモデルとされた。

ここで,アメリカにおける公務員制度改革(スポイルズ・システムからメリッ ト・システムへ)を,日本における先行研究により概観し,そこに残されてい る課題(公務員人事における政治的側面をめぐる問題)を確認しておきたい。

 もっとも,日本における公務員制度の研究において,戦後直後から1950年代 までのものと,1960年代以降のものとでは,その研究の視点に変化があるよう に思われる。すなわち,民主制を実現させるために「民主的指導に能力をもっ 専門家」の養成を課題としていた1950年代の研究に対比して,1960年代以降は,

民主制に対立する存在として機能しはじめている官僚制に対してその問題を指 摘し,これを民主的にいかに統制することが可能になるのかを研究しようとす

る動きが生まれるようになっている。11

 以下,こうした日本における公務員制研究の動向を意識しながら,まずはじ めに,今日のアメリカ合衆国における公務員制度の基礎をつくったとされる,

1829年ペンドルトン法について,辻清明による先行研究から学び,人事委員会 の設立と公務員採用試験制度によるメリット・システムの導入について,その 概観を把握してみたい。

 スポイルズ・システムの形成

  「公務員は,あらかじめ公益に対する配慮を抱いて,その職にっいたもので

ある。公益が彼の更迭を要求するならば,私益は常にその前に譲らねばならな

い。悪吏を良吏と代替する場合,その弾劾権を有するものは人民であり,しか

も人民のみがそれを有する。更迭されたものは,およそ公職を持たない数百万

の民衆と等しく,その生計の途をもちうるはずである。このように決定するこ

とによって,はじめて一般に普及している公職と財産の同視という観念は払拭

され,同時に,個人としては,惨めな結果を惹起する場合があるとしても,一

(6)

方,共和主義の指導原理である更迭政策を促進することによって,この組織に 健全なる作用を注入することになるのである一。」12

 これは,1829年に大統領に就任したジャクソンの年次教書からの引用とされ

るものである。

 民主制の具体的制度化とは公職をすべての民衆に解放することであり,公職 の地位を左右するものはアメリカ民衆のみであるという民主政治の原理に立っ ていた彼は,地位を保障された公務員層の出現はアメリカ民主制に対する脅威 であるととらえていた。このように「公職を永く保有することは,その経験に よって得られる以上のものを失う」と信じるジャクソン大統領は,その就任に ともない,多くの公務員の更迭をおこなった。公職に対する党派的独占こそが 民主制の姿ととらえるジャクソン的民主主義観は,スポイルズ・システム(猟 官制)と称される,公職に対する党派的任免の慣習として確立したとされてい

る。

 先行研究によれば,こうしたスポイルズ・システムが成立した原因として,

(1)大統領制をとったアメリカ合衆国においては,大統領が政策を断行しようと する場合,議会の持続的支持を期待できないために,公務員を自己の支持者で 固める必要性が生じたこと,(2)政党が行政部に介入して,立法部との調整をは たす反面,その当然の結果として,政治的任免の習慣を形成したことなどが指 摘されている。また,スポイルズ・システムが形成された背景として,この時 代が,西部地方の拡大と,人口の急激な増加の時期であり,自由放任主義が中 心とされ,行政国家としての役割が期待される以前の状況であったことも指摘

されている。

 1861年,大統領に就任したリンカーンは,歴代でもっとも大量の更迭を断行 して,自由裁量で任免しうる公職1639人のうち,1457人を追放したという。こ のことによって,連邦制を維持し奴隷制を廃止する政策を実施できたとされて いる。辻清明はこの事態を次のように指摘していた。

 「大統領が自己の政策を選挙民のために忠実に遂行しようとすれば,このよ

うな更迭を必要とするほど公務員が党派性を有していたという事実は,当時の

猟官制の燗熟性を充分示していたと断定してさしっかえあるまい。リンカーン

(7)

の行った大量の更迭政策こそ,猟官制に内在する二っの意味,民主的公職と腐 敗的公職のありかたを示すものであった。」13

 メリット・システムの登場

 1881年,ガーフィールド大統領が暗殺された。失意に陥った猟官者による犯 行であった。また,猟官者たちとの対応が慣習化し,行政の効率性があがらな いという批判が現れてきていた。さらに,リンカーン以来20数年にわたる共和 党政権は,1882年の下院選挙で民主党に敗北し,公務員層の大量更迭よりも公 務員の地位を保障する公務員法を制定することによって,公務員層内における 共和党勢力の維持をはかろうとした。14

 こうした情勢のなかで,1883年にペンドルトン法(An Act to Regulate

and Improve the Civil Service of the United States)が成立する。すなわ ち,この法の適用を受ける公職に属するものは,すべて公開試験を合格したの ちに任用される制度を樹立する。このペンドルトン法は,党派的独占に対する 政治的中立性原則の先駆を形成した法とされている。その特徴は,辻清明の研 究によれば以下の4点にまとめられている。15

 (1)公務員の任免に関する政治的恣意を防止するため,独立機関たる人事委 員会の法的基礎が形成された。3名の委員のうち2名以上が同一の政党に属す

ることを禁止した。これにより人事委員会は中立的地位をかなりの程度におい て保障された。

 ② 任用の条件として法定の公開試験制を確立し,これに関する執行命令の 権限を大統領に賦与した。これによってこの試験任用制の拡充が可能となった。

 (3)この試験制の適用対象が限定され,上院の承認を要する大統領の直接任 命に関する公務員などが,その範囲から除外された。この例外措置は現在に至

るまで存続している。

 (4)公務員の政党資金供与と政治運動の禁止を規定した。

 このアメリカ合衆国における資格任用制(メリット・システム)の端緒が確 立された社会的背景としては,1865年の奴隷解放宣言後,南北戦争も集結して,

北部産業資本が確立したこと,および,西部開拓の終焉により,自由放任経済

から,国家が行政国家化していくプロセスが進行していたことが指摘されてい

(8)

る。

 その後,メリット・システムによる公職数は,ニューディールと第2次大戦 の時代をのぞいて増加してきた。当初は全連邦公務員11万のうち1万4千人に すぎなかったその公務員数は,ニューディールの前夜である1932年には45万を 越え,全連邦公務員数の80%を占めるに至った。ただし,メリット・システム からの例外措置としての政治職公務員の数は,1956年時点においても全連邦公 務員の8%存在しているということである。

 「科学的」人事行政の確立

 1923年,職階法(the Classification Act of 1923)が制定された。職務は 体系的に分類し,かっ,それぞれを標準化することが可能であるという科学的 管理運動(the scientific management movement)と結びっくことによって 職階制が法制化されたのである。この職階制の導入とともに,競争試験による 採用後においても,それぞれの職務遂行に必要な能力を向上させるための研修

(training)が導入され,さらに,その職務遂行能力を「科学的」に評価する 能率評定(efficiency rating)が形成されていったのである。公務員の政治的 中立性の確保と競争試験による採用に道を開いたペンドルトン法は,この職階 法によって職階制,研修制度,能率評定という,「科学的」人事行政としての 基本的要素を確立させた。16

 1949年には,フーバー委員会が報告書を提出した。この委員会報告を契機に して,アメリカにおけるメリット・システムとしての公務員制は,能力認定に よる任用制に加えて,在職権の保障を確立させていくことになる。

 「この委員会は終身職制を樹立するために,組織ならびに方法において大規 模の改革が必要なことを提案する。この制度を実現するならば,わが国の市民

のなかでもっとも有能な人々を,政治的影響に囚われることなく,その実績で 選択しうるのみか,任用された暁には昇進に対する正当な機会をもっ希望を与

え,併せて,不要且つ無能な公務員を排除できることになるのである。」17

 任用された後も,昇任に対する正当な機会を,研修制度と持続的な能力評価

制度によってことによって確保する。これにより,公務員に対する持続的な資

質向上を可能とすることによって,終身職制を確立させる。これがフーバー委

(9)

員会からの報告であった。

 こうして,公務員の政治的中立性原理は,資格認定試験による任用制度と持 続的な研修制度,およびその能力評価制による在職権の確保を併せ持っことに よって,公務員の専門職業化としてより確立されていく。そして,この公務員 の政治的中立性が,行政の政治からの分離論として位置づけられていく。

 メリット・システムにおける政治の問題

 ところで,アメリカ合衆国と違い,日本の国・自治体においては,政治職公 務員は制度上存在していない。公務員の任用(採用・昇任・昇格・退職条件)

は「競争試験」と勤務評定などにもとつく「能力の実証」によりおこなわれな ければならないことが,任免の根本基準として規定されている(国家公務員法 第33条第1項,および地方公務員法第15条など)。すなわち,公務員の採用は,

競争試験によることを基本とし(国公法第36条),その昇任も,競争試験もく しは勤務成績の評定に応じた措置をとらなければならないとされている(国公 法第37条,および地公法第40条など)。そして,政治的意見などによって差別

されないことが明記(国公法第27条など)される一方で,政治活動に対する制 約を公務員に課している。公務員制度改革論のなかでは,日本においても政治 職公務員制度を導入すべきという意見も出されてはいるが,いまだ「行政の政 治的中立性の確保」などの理由により,継続すべき検討事項とされているだけ

で,具体化はされていない。18

 こうして,戦後日本における公務員制度は,メリット・システムによる公務 員制度を確立させ,その政治的中立性を確保していることになっている。

 だが,19世紀末以降スポイルズ・システムにかわってメリット・システム の確立が目指されてきたアメリカ合衆国でも,常勤職公務員に対する政治職公 務員の存在は継続しており,両職の関係をめぐる議論は現在も続けられており,

解決されているわけではない。公務員人事における政治的要素の存在(民衆統

制と官僚制の関係問題)は,アメリカ合衆国においては,政治職公務員と終身

職公務員の関係問題(民主制と官僚制の関係問題)として現在も議論され続け

ている,いまだ解決のついていない理論的実践的問題である。科学的人事管理

論が中核となっている現在においても,民主制と官僚制の関係問題として,公

(10)

務員人事における政治職公務員の設置,あるいは,公務員人事における政治的 要素をめぐる問題は存在し続けている。

 日本の行政学においても,公務員人事のメリット・システム研究が,民主制 を支えうる専門職の形成をいかにすすめうるかという課題から,次第に,民主 制に対立する官僚制の問題を告発しようとする流れになってきたことはすでに 述べたとおりである。公職の政党からの解放と,専門職業化の原理を導入する ことによって,公務員制度は政治的中立性の原理をうち立ててきたが,しかし,

それと同時に,こうしたメリット・システムに立っ公務員人事制度に対しては,

さまざまな批判が向けられてきている。 9

 日本の公務員制度において,「行政の担い手は,選挙を通じて民意の審判を うけないという意味にとどまらず,政治的任用をもまぬがれているという意味 でも,代表性を主張する資格を欠いている」2°ことによって,『政治』と『行 政』の区分は歴然としていることになっている。しかし,「現実に果たしてい

る機能の面では,政策過程の諸段階に関与している」ことが指摘されているの

である。21

 このように,「能力の実証」による任用(メリット・システム)と政策決定 過程への関与とが平行しておこなわれているのが日本における現行の公務員制 度であるならば,政治的任命職が制度として確立されていなくとも,行政裁量 という領域における何らかのシステムによって,実際の機能の面では,政治職 公務員の機能が,現在においても実現されていることになる。

 実際に,科学的人事管理という名目の下で,住民の目から見えにくい,より 広域な舞台において,人事情報の秘密というベールのもとで,政治的な意味合 いを含み込んだ決定が,何者かによって繰り返されている可能性が指摘されて

いる。

 「一見政治的に無色に映る公務員制度もしくは政府人事政策が,実は,統治 機構内部での政治的権威の配分に密接に関わっているという意味において,ひ

とっの政治過程だということである。誰が,どのようなかたちで,どの公職に

就くのか,そして,そのことを誰が,いかに決定するかは,政治的にきわめて

重要な意味をもっ。」22

(11)

 誰がどの公職にっくのか,そして,そのことを誰が決定するかは,政治的に 重要な意味をもっ決定行為でありっづけていることを,ここでは確認しておき

たい。

第3節 教員人事行政における政治の問題

 メリット・システムによる公務員制度とは,(1)任用にあたっての能力認定試 験制度,②任用後における研修制度の整備と能力評価による昇進の機会を継続 的に確保することによって,公務員の終身職制を確立させると同時に,その政 治的中立性を確保しようとするものであった。戦後日本における教員人事制度 を,こうしたメリット・システムの指標に照らしてみた場合,そこにどんな問 題が浮かび上がってくるだろうか。

 「選考」規定の不透明さ

 任用にあたっての能力認定試験制度について,一般公務員と教員を比較する 場合に考えなければならないことは,教員の場合には一般公務員と異なり,教 員免許状制度が確立されることによって(教員免許法),教育専門性を一定程 度認められていることであり,第二に,その任用にあたっては特例が設けられ ていることである(教育公務員特例法第13条第1項)。すなわち,教員の場合 には,必要単位の取得などによる免許状制度によって能力の認定を確保した上 で,教員採用試験と面接などによる「選考」によって任用されることになって いる。これは競争試験によって任用されることを原則としている一般公務員の 任用とは,大きく異なっている点であり,免許状を所有するという前提条件が 必要なことに加えて,競争試験の方法では判定できない教育専門的能力や人格 的要素が教師には求められている。

 しかし,この特例が認められているがゆえに,逆にこの選考規定の運用をめ ぐっては,その不透明さがこれまで指摘されてきた。23

 勤務成績の評定をめぐる政治的紛争

 任用後における,研修制度の整備と能力評価による昇進の機会を継続的に確

保するという点にっいて比較する場合にも,教員人事制度に関する特殊性にっ

いて考えなければならないだろう。すなわち,(1)教員に対する勤務成績の評定

(12)

をめぐっては学校現場に混乱を引き起こしてきた政治的紛争の歴史があること,

(2にれと関連して研修の努力義務規定解釈をめぐって法解釈上の論争があるこ と,および(3)教員の専門性に関連して,職階制度については行政公務員とは異 なる歴史があることが,検討されなければならない。

 1956年,愛媛県が地方財政の赤字を理由に地方財政再建法の適用を受けた。

これを契機として,定期昇給を7割に抑え,「成績主義」による教職員管理を 実施するという理由により,教職員に対する勤務評定が実施された。

 勤務評定は,1956年6月に混乱した国会において成立したばかりの地教行法 によって規定されたものであったが,そこには,県費負担教職員の勤務評定は,

都道府県教育委員会の計画のもとに,市町村教育委員会が実施することとされ ていた(地教行法第46条)。これは一般的には,地方公務員が,任命権者によっ て勤務成績の評定を受けることが規定されていることに対して(地方公務員法 第40条第1項),県費負担教職員は市町村の教職員であり,市町村教育委員会

に服務の監督権がある(地教行法第43条)ことによる特例とされている。

 しかし,いわゆるこの教員に対する勤務評定政策が,政治的意図をもったも のであることは新聞でも報道され,教育現場は混乱した。たとえば,当時の自 由民主党愛媛県幹事長は次のように語っていたという。

 「勤評を実施して昇級できる教員と落ちる教員を作れば,教組は必ず割れる。

実施の責任者である校長はきっと組合の圧力にたえかねて教組を離脱するだろ う。校長のいなくなった組合が弱体化するのは火を見るより明らかだ…。」24  1957年12月20日,都道府県教育長協議会(幹事長は東京都教育長)が「教職 員の勤務評定試案」を発表し,評定内容を非公開とすることなどを発表した。

同年12月22日,日本教職員組合が非常事態宣言し,日本教育学会からも反対論 が出されたが,京都,高知,北海道の教育委員会をのぞく大部分の都道府県教 育委員会は,この試案などをモデルにして,翌年一斉に「勤務成績の評定に関 する規則」を制定しようとした。

 たとえば東京都教育委員会では,1958年4月,「東京都立学校及び区立学校

教育職員等の勤務成績の評定に関する規則」「東京都市町村立学校教職員の勤

務成績の評定に関する規則」を制定している。

(13)

 この勤務評定政策がすすめられた1950年代は,すでにいくっかの戦後教育史 として記されているとおり,戦後教育改革に対して修正が加えられる時期であ り,教育行政においても下表のとおり

た。

■中央集権的システムの構築過程 1952年

1956年6月    10月

1957年10月 1958年

10月

中央集権システムの構築がすすめられ

文部省設置法の改正により初等中等教育局の権限強化,中央教育 審議会の設置

地方教育行政の組織及び運営に関する法律 戦後はじめて全国校長協議会開催

教育委員会による「学校管理規則」の制定

学校教育法施行規則が改正され,校長を補佐する教頭が法制化 教育委員会による「勤務評定規則」の制定

市町村立学校職員給与負担法の改正(校長に,半額国庫負担の

「管理職手当」支給)

学習指導要領の「告示」化

 こうした一連の教育政策は,自由民主党の日教組対策として打ち出されてい たことが新聞報道されていた。たとえば,1957年10月28日の『朝日新聞』によ れば,自由民主党は日本教職員組合に対する対策として,(1)都道府県教育長を 掌握すること,②措置を通じて服務の厳正をはかること,(3)文部省地方課を強 化し教育委員会を掌握するとともに教組運動を主管する機構を整備すること,

(4>視学官制度を拡充すること,及び,(5)教育研修会などを文部省主催ないし教 育委員会と共催することを,文部省の措置すべき事項とし,また,(1)管理規則 の制定,(2)勤務評定を励行して教職員の服務監督を強化,(3)校長・教頭の管理

的立場を明確にすることが,教育委員会の措置すべき事項として掲げられたと されている。

 このように,この時期には,教育をめぐる政治的対立が見えやすい形で展開

しており,その中にも勤務評定政策は位置づけられていたのである。

(14)

教員の研修をめぐる問題

・教育公務員の研修

 現在研修は,都道府県教委と区市町村教委により計画され実施されている。

これに,文部省による研究協力校などを加えれば,実に多くの研修が組織され てきている。以下は,東京都中野区(1989年)の例である。25

■東京都中野区1989年度研修計画など 区教委の一般学校訪問

都教委の一般学校訪問 授業公開指定校

特別研究推進校 文部省研究協力校 経営研修

    校長(6月宿泊研修)

    教頭(6月新宿泊,12月宿泊研修,3月研究発表会,毎月)

    教務主任(9月宿泊研修,3月研究発表会,毎月)

    生活指導主任(5月宿泊研修 3月研究発表会,毎月)

    校長,教頭,希望教諭(7月)

    学年主任,希望教諭(年2回)

教育課程研修

    障害児教育研修会(8月宿泊),性と心の教育研修会

    人権尊重教育研修会,消費者教育研修会,男女平等教育研修会,平和     教育研修会

教育指導研修

    新規採用教員,安全教育担当教諭,生活指導主任,進路指導主任,教     育相談担当教諭

東京都教育開発委員

東京都教育研究員(各学校)

東京都教育研究生(東京都教育研究所所属)

(15)

指導室委嘱委員

    人権尊重教育委員会,

    など。

障害児教育研究委員会,新教育課程研究委員会

 東京都教育研究所には,約80名の指導主事が所属,年間180余りの研修会を 開催。年間のべ1万2千名が参加しているという。26

・研修の努力義務規定,および,行政主催による研修への職務命令をあぐる問 題

 こうしたさまざまな研修にっいても,教育公務員に課されている研修の努力 義務規定,および,行政主催による研修への参加を職務命令によっておこなう

ことの是非をめぐって,これまでも紛争があった。

 一般公務員の場合には,地方公務員法によって「勤務能率の発揮及び増進」

のために,職員に研修を受ける機会が与えられなければならないこと(地方公 務員法第39条第1項),および,その研修は任命権者がおこなうことが規定さ れている(同法第39条第2項)。

 これに対して,教育公務員の場合にはまず,「その職責を遂行するために,

絶えず研究と修養に努めなければならない」とされ,「研究と修養」の努力が 義務づけられていること(教育公務員特例法第19条第1項),および,県費負 担教職員については,任命権者である都道府県教育委員会だけではなく市町村 教育委員会も研修を実施できることが特徴となっている(地教行法第45条第1

項)。27

 教育法学説では,努力義務を研修の自主性尊重を意味するものとしてとらえ るのに対して,文部省からは,行政主催の研修会に参加すべきことを職務命令 できること,および,それに従わなかった場合には職務命令違反として措置を することを求めることが,通達などによって伝達されてきた。28実際に北九州 市などでは,1967年,行政研修を強要しつっ,批判者には処分を連発する事態

が起こっている。29

 一方,行政研修が,区市町村教育委員会による各種通知にかわる,ひとっの

教育政策実現の手段として利用されている事例があることが,調査などでも指

(16)

摘されている。

 「区の一般状況からすると,組合運動が活発なたあ直接教育活動関係にっい ては『具体的通知は何も出せず,もっぱら研究研修会での指導助言によってい

る』という。(指導室談)」3°

 区教育委員会によっては,このように,研修会が教育政策伝達のための手段 となっていることを吐露している事例があり,行政研修の開催そのものが,教 育政策における政治的紛争をともなうものである側面を示している。

・校長による「承認」手続きをめぐる問題 一研修認定をめぐる紛争一

 各種研修会への参加に対する,校長による「承認」手続きをめぐっても,論

争があった。

 校外研修には「授業に支障のない限り,本属長の承認を受けて」(教育公務 員特例法第20条第2項)という規定がある。行政解釈では,服務監督上の承認 手続きとされ,研修成果がその後の職務遂行に役立っものかどうかを,あらか

じあ研修計画を提出させて検討しなければならないとし,この承認を本属長の 自由裁量としている。これに対して,教育法学説では,この場合の校長の承認 は,本務への支障の有無を学校として確認するたあの裁量の余地なき行為であ ると解釈している。

 たとえば東京都教育委員会においては,1966年12月に研修の取り扱いについ て通知を出し,そこで,(1)研修には本属長の承認が必要なこと,(2>研修を希望 する者には研修承認願を提出されること,および(3)終了後には研修報告書を提 出させることを示している。そして,職務専念義務が免除される研修として承 認するかどうかを本属長が承認することとしている。31

・教育管理職採用にとっての行政研修

 行政が主催する研修会への参加は,教育管理職を目指す教員たちにとって特 別な意味をもっものであることも,いくっかの教育管理職試験合格の体験談か

ら伺い知ることができる。

 すなわち,管理職受験のための研修会は現在,区市町村の教育委員会の指導

室や校長会または教頭会が主催するものからはじまって,営利的な研修会,塾

的研修会まで,さまざまなものがあるなかで,行政主催の研修会に参加するこ

(17)

とが,実際の教育管理職合格には必要であることが述べられている手記がある。

 「研修会の誘いがあちこちからあったとき,どの会に参加しようかと迷いが ちである。/まず,区市町村教委にかかわる研修会であるが,これは半公的な 意味をもっているし,多くの先輩たちから自分を理解してもらい推薦してもら

うためにも,積極的に参加することが大切であるとの助言をいただいた。」32  これを完全に実証することは,研修内容の情報公開がなされていないことな

どにより困難ではあるが,事実上,教育管理職採用に意味ある機能をはたして いることが予想されなければならないだろう。

 また,「各種の幹部研修会や長期・短期の講習及び教育訓練が行なわれ,教 員組合対策を中心とした行政法,労働法の基礎知識経営管理の技術,反組合 思想と管理者意識などがたたきこまれる。」33という指摘もあり,行政研修会が,

紛争をともなう教育政策として存在してきたという指摘は少なくない。

 職階制をめぐる問題

 教員における職階制をめぐっても,これまで政治的紛争を引き起こしてきて いる。すなわち,先にもみたように,1950年代においては職階制強化政策がと

られてきた。

 このことによって,日本の学校においては,校長などと一般の教員との関係 が対立的なものとなる傾向が生じてきており,この職階制強化による教育政策 に対しては,教職員の自主性を失わせてしまうという観点から,さまざまな批 判が加えられてきている。

 たとえば,一連の文部省関係者などによる議論を,市川昭午氏は職階制をは じめとした法規制による教育秩序の実現をはかろうとする議論としてとらえ,

これを次のように批判していた。

  「上下の命令関係と職制層の強化を中心とする学校管理運営組織の再編成に

は,次のような欠陥が含まれている。/第一に教職員の教育への意欲や自主的

な努力が失われてしまう。一各種の基準,指示,承認,変更命令,代行権等々

の法的規制でがんじがらめにされ,これに『違反した教育課程を教員が作成し

たり,現場教育を行ったりした場合には,法令違反として懲戒原因となる』危

険がある。そこまでゆかなくても,『学習指導要領その他の基準に従い,適切

(18)

に計画され,実施されているか』『指導内容は適切であるか』といった勤務評 定基準で,人事異動が行なわれ,昇給が査定されるような『恐怖による教育秩 序』の下ではたしてそのような教師の自主的活動が望めるであろうか。」34  このようにみることができるとすれば,公務員人事における政治と行政の関

係を問題とした,さきに引用した今里滋氏の指摘は,そのまま校長任用制度に 置き換えることができよう。すなわち,一見,政治的に無色に映る校長任用制 度は,実は,教育行政機構内部での政治的権威の配分に密接にかかわっている という意味で,政治過程である。したがって,誰がどのような形で校長,もし くは教育管理職につくのか,そして,そのことを誰がどのように決定するのか は,政治的に重要な意味をもっ。教育行政の政治的機能を解明する場合,その 裁量の問題を取り上げないわけにはいかない。

 教員を含んだ公務員人事行政に対して,そこには「科学性」では対処しきれ ない,政治的裁量の領域が存在しているのであれば,それを誰がどのようにコ

ントロールしているのかという問題が重要な意味をもっのである。35

小結一メリット型スポイルズ・システムの形成一

 こうして,教員人事における政治的側面の問題を検討してみると,あらたあ て,50年代から60年代にかけての時期は,教員人事制度上,転換の時期であっ たことが確認される。すなわち,1956年の地教行法により,教員人事の規模は,

公選制教育委員会時代における市町村単位と比べて大幅に拡大しただけでなく,

そのための行政機構も拡大整備されてきた。教員人事の中立性論議は,教員人 事行政における科学性と同義として志向され,行政システムが行政手続きとし て整備され形成されていく過程のなかで,教員人事決定における住民自治の要 素は形骸化していった。

 しかし,教員人事の決定がいかに行政化したとしても,そこには政治的決定 が含まれてきており,1960年代以降これまでは,情報公開がなされないなかで,

それがすすめられてきたのではないだろうか。もしそうだとすると,50年代半

ば以降が,市町村公選時代における人事決定から,都道府県任命時代における

人事決定への移行が起こった時期であり,法規範上は,スポイルズ・システム

(19)

からメリット・システムへの移行にあたっているにもかかわらず,その運用上 においては,まさにスポイルズ・システムとしての機能,すなわち政治的任用 の機能をはたしうるような行政指導がおこなわれてきたのである。これは,メ

リット型スポイルズ・システムの形成と呼びうるものである。

 教育行政の裁量は必然であろう。それを教育の自由によって運用していこう とするのが,1960年代以降,地教行法以降における「教育の中立性論」に対抗

しながら形成されてきた教育権論である。他方,教育行政の裁量は法の執行過 程にすぎないとしてとらえるのが現在の文部省関係者による教育行政解釈論で

ある。文部行政解釈論は,政治(議会・法)と行政の役割分担を明確に分ける ことによって逆に,法の行政による解釈を唯一正統なものとして措定し,行政 を法に直結させているという問題がある。

 これらに対して,教育への父母・住民の参加を求める流れ,そして,間接民 主主義の形骸化と中央行政裁量の肥大化を分権化させて住民自治の要素を現在 以上に位置づけていくためには,教育実践の本質を尊重しながら,教育行政裁 量を教育現場でできるかぎり統治していく,すなわち,現場関係者の協議を最 大限にいかした政策決定とその実行するための仕組み一参加の過程をもった自 治システムを考えていくことが必要ではないだろうか。

 少なくとも,地教行法以降の文部行政による中立性論が,間接民主主義と官 僚制による決定システムを前提にするものであるのに対して,戦後の公選制教 育委員会期における中立性論においては,より直接的な民主主義と情報公開に

よる自治的分権化が目指されていたはずである。

(99/11/24)

注1

Woodrow Wilson, The Study of Adlninistration, Political Science

Quarterly, vol.2(June,1887),PP・197−220

2 今里滋「人事行政をめぐる政治と行政一アメリカ連邦公務員制度の原像とその変容一」

 日本行政学会「公務員制度の動向(年報行政研究22)』1987年,ぎょうせい,14頁。

3 木田宏編『教育行政」,有信堂高文社,1982年,33頁。

4 今村成和「行政法入門 第6版』有斐閣,1955年,初版1966年。

(20)

5 遠藤晃「行政労働の特質と行政組織・人事の運営」自治体人事・機構研究会編『自  治体の人事・機構』自治体研究社,1982年,33頁。

6 最高裁大法廷昭51・5・21判決(北海道学力テスト事件)「国の教育行政機関が普  通教育の内容について基準を設定する場合には,教育基本法10条および教育に関する  地方自治の原則を考慮し,教育の機会均等と全国的な水準の維持のために必要かっ合  理的と認められる大綱的なそれにとどめられるべきものであるが,一」(以上,兼子  仁編集『教育小六法昭和56年版』818頁からの引用)。

7 木田宏編前掲書,47頁。

8 市川昭午「教育行政の理論と構造」教育開発研究所,1980年第3版,1975年初版,

 290頁。

9 同上,27頁。

10市川昭午氏は,1966年にすでに,公立小中学校の管理運営主体として市町村教育委  員会が,地教行法23条には明記されているにもかかわらず,実態として市町村教育委  員会がその機能をはたせる条件は整備されておらず,かえって,教員人事権は都道府  県教育委員会に取り上げられるなど数々の制約が課されている現行法の実態を踏まえ  て,次のような指摘をしていた。「このように中央,地方のいずれのレベルにおいて  も政策が不在であり,責任が回避される状況の下で,両者をっなぐパイプの役割を果  たしている官僚機構の比重が増し,行政官僚の実権は増大する。しかしこれはあくま  でも「匿名の支配』であるから政治責任が行政の領域に移行したといっても,政治に  代わって責任をとるわけではない。責任なき支配が確立されるわけである。」(「学校  管理運営の組織論」明治図書,1966年,47頁。) 教育行政が責任をとる制度にはなっ  ていないにもかかわらず,教育行政の判断が実権をにぎっている実態が広がっている  こと。しかも,成文法規範にはこうした教育行政の実態とはかけ離れた,別の管理主  体が規定されており,これが教育政策の決定主体としてあいまいなままに存在して問  題とされないことを指摘していた。この指摘は,行政の政治からの分離論(政治と行  政の二分論)を,行政裁量の実態から批判した先行研究として読むことができる。

11辻清明「アメリカ公務員制」辻清明編『公務員制度』勤草書房,1956年。辻清明  『公務員制の研究」1991年,東京大学出版会。杉村敏正『米国公務員制度の研究』有  斐閣,1959年。辻の1956年の研究では,官僚制と民主制との調整の課題は意識されて  いるが,これが「民主的指導に能力をもっ専門家」の養成問題として引き取られてい  る。これに対して,1965年1月号「思想」に掲載された赤木須留喜「官僚制度とパブ  リック・インタレストー行政責任の論理と構造一」や,日本行政学会「公務員制度の

動向』ぎょうせい,1987年の今里滋「人事行政をめぐる政治と行政」では,民主主義

 に対する行政官僚制の弊害を問題とする視点から,メリット・システムに対する検討

 をすすあ,猟官制に対する再評価をすすめようとしている。

(21)

12 辻清明,1991年前掲書,179頁。

13 同前,185頁。

14 同前,192頁。

15 同前,192頁。

16 今里滋,前掲書,16頁。

17 辻清明,1991年前掲書,204頁。

18総務庁人事局編『公務員制度改革への提言一21世紀の公務員像を求めて一』1997年。

19 赤木須留喜,前掲書,8頁。

20 大森弥「日本官僚制と裁量事象」日本行政学会『日本の行政裁量(年報行政研究18)』

 1984年,ぎょうせい,7頁。

21同前,7頁。たとえば,都庁職員経験をもっ佐々木信夫「都庁一もうひとっの政府一』

 岩波書店,1991年には,外部の者からではなかなかっかみ得ない,リアルな幹部職員  人事の政治的な決定システムについての記述がある。

22今里滋,前掲書,38頁。

23 「採用選考試験について,その基準や手続など何ほども公的には明らかにされず,

 かっ受験者に対する受験や採用条件の提示も十分とはいいがたいようななかで行われ  る試験は,そもそも教師の採用にふさわしく公正な試験といえるであろうか。また,

 周知のように試験内容や評価基準,その解答なども一切事後においてさえ公表されな  いなかで,何らの根拠も示されることなく受験者に一方的に合否が知らされるなどと  いうことも,これだけ大きな公的試験において,公正妥当なことといえるであろうか。

 その上,たとえば,国籍や身体上の障害による受験資格上の差別的な扱いや制限がみ  られたり,あるいは特定立場からの受験者の思想調査的な面接が行われるといった事  例が報じられたり,また任用過程ではいわゆる縁故や情実による採用人事,あるいは  採用機会の男女による差別,その他採用にからむ様様の疑惑が相変わらず指摘される  など,これらは教師採用に関して不信や疑念を増幅させこそすれ,公正,平等な教師  採用にふさわしい事態を決して拡大しているとはいえないようである。」「教師教育の  課題一すぐれた教師を育てるために』日本教育学会「教師教育に関する研究委員会

 (1978−82)」明治図書,1983年,426頁。

24 毎日新聞社会部編「アラシの中の教育』現代教養全集(筑摩書房)第16巻,328頁。

25 東京都中野区教育委員会『平成元年 教育要覧』1989年7月。

26 吉村英明「教職員人事と教育委員会」『日本教育行政学会年報9教育委員会の課題」

 1983年,教育開発研究所。

271988年からは,教諭等に対して,任命権者が,その採用の日から1年間の研修を実  施することを義務化した(教育公務員特例法,第20条の2第1項)。

28 文部省次官通達(1958年8月8日文初地第432号),初中局長回答(1958年10月24日

(22)

 委初第297号)。これらのなかで,教職員をして必ず参加させることを必要と認める研  修会などにっいては,その参加者に対して,参加すべき旨の職務命令を発すること。

 なお理由なくして,参加しなかった者にっいては,職務命令違反として適切な措置を  講ずることが伝達されている。

29 岐阜の「教育正常化」で功績のあった吉久,高石両氏が,1967年に県教育長,北九  州市教育長として赴任し,命令研修と処分をくり返した。村松『教育の森」毎日新聞  社,第11巻,27頁。春田「北九州市教委による命令研修」「季刊教育法」2号。

30 高野桂一「学校経営の科学化を志向する学校内部規定の研究」明治図書,1976年,

 717頁。

31 「教育公務員特例法第20条第2項に基づく研修の取扱いについて」(東京都教育委  員会,1966年12月1日41教人職発第246号)。なお,東京都教育委員会の場合,1972年  2月の時点では,承認研修の取り扱いは,その内容によって判断するもので,主催者  によって差別はしないという説明をおこなっていた(東京都教職員人事問題研究会編

 著『補訂東京都の教職員人事管理」,1989年,ユ68頁)。

32尾崎甚八編著『教育管理職への道標とその軌跡』教育開発研究所,1985年,109頁。

33市川昭午『学校管理運営の組織論』明治図書,1966年,50頁。

34 同前,51頁。

35 教員人事を「科学性」によって処理することの意義(情実を排除し,専門性を確保  する)を志向する論文は多い。たとえば,西睦夫他「教員人事担当職員の専門的力量  についての調査研究」「日本教育行政学会年報15」1989年など。しかし,こうした研  究では,民主主義(正統性)の問題に関する問題が欠落している。「『出世コース』に  のせてやる,のせてやらないことを通じ,あるいは反抗すれば「左遷」するという暗  黙のルールの中で,労働者支配,職場支配がはかられているといえます。」(岡部達男  「人事異動」自治体人事・機構研究会編「自治体の人事・機構」自治体研究社,1982 年,183頁)。この指摘は,教員人事の世界においても検討されるべき課題であり,日  常的には重要な機能をはたしていながら,成文法規範だけでは分析できない領域であ

 ろう。

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