分 配 論 權 力 説 の 一 例 寺 川 末 治 郎
骨で国民経醇的埋諭の根本問題なる分量小なれ共甚だ推奨すべき書を著はせる︑ブダペスト
工科大畢教授グオルフガング・へラーは昨年彼の経済学燈系の二部ビして理論的国民経済撃を
畢界に送った︒此書に於て始めて彼の積極的思想が伺ふこどが出承る︒私は左に分配論原理亡
も言ふべき部分を大鰭浮出し︑後に私自身の考を越べやぅビ思ふ︒一rつはへラーに射し他は高
田 博
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︵イ︶ 吾人の問題たる所得分配は重度撃沢に因って始めて自動的過程ビ認められたものなる
が︑か〜る過程を統制する原理乃至原本さして二種のものを考へる︒一lは分配論を純粋経済
的過程ビみて経醇の根本原理たる情位構成に因ってのみ導かる義す︒他は分配に於ける権力
要素を力説し︑各経済者は出凍るだけ相手を座して自己の割前を大ならしめんどの最大の関心
を持つどする︒即樵力要素を岱二に分配の原理ビみるもの︒右両者は何れも重要なる基礎に立
(イ)所得分配の基礎
分配論措力説の一例
一、 ̄ ̄ ニ
五
︐ 一
三 六
つ︒先づ分配が経済的過程であるごなすは正し︒乍然それは慾望ご財長及それを根挨ごしての
商 業 さ 経 済
経済的考慮に依存する使用可能の決定を問題ざする限に於てのみ︒他方一枇合暦の権力関係が分
配過程を支配すべしさの考を尽るこさは出来ぬ︒何んさなれば各階級は全力を致して︑能ふ限
b J
高綾なる生計を自己し確保せんさするから︑而て此等の努力は露骨なる関守に導︿︑車に佃
人聞に於てのみならや赴曾階波間の争ぜなる︒
右二つの見解が各々真理の一部分しか有せぬケ詮明するは困難でない︒雨設合して始めて異
理の全部が明かになる︒印ち分配過程は決して問単なる権力闘争ごのみ見る事は出来ない︒既に
中世の個人的拘束を離脱したる今日に於て経済的範闘の外に立つは不可能に等し︒乍然ぞれは
叉同時に純然たる経済的過程であり得ない︒之れ分配は個別的経済内部じ於て泌氏生するに非宇
して市場事象ごして現はれるからである︒五口人は市場に於ては経済的カが専控的に作用するに
非守して︑ぞれご並んで権力的要素の支配するを知った︒斯の如きは一枇合的過程の必然的防件
現象である︒市場は其の本質に於て粧台的現象であるが故に︒
訟に吾人は所得分配の手段ざしての債格構成さ︑基礎ざしての市場を認識する必要がある︒
其の本質より見れば所得分配は複数の個別経︑済が一粧台的生産物に奉加する事にして︑反之其の
経過に於ては一の債格構成過程であり︑個別経済が市場に於て行ふ所の給付の相互的交換であ
る︒かくすれば分配を経済的にみるものさ様力的に⁝解するものさの説明上の背反は消滅しゃ
ぅ︒債格構成が経済的なるは経済的考慮︑債値剣断が交換限界を劃するからであるが︑ぞれは
同時に叉︑権力現象
ある︒債格限界の聞に穣力要素が大なり小な b の作用範域ぞ領するから
‑ Cである︒債格に就いて言へる事は所得分配にも安営する︒所得分配は債格構成の連鎖ごして進
行するに外ならない︒分配は経済的基礎に立脚するは経済的前提をもつからであり︑又穣力関
争たるは一の赴合的事象であるからである︒
( ロ )
流通経済に於ける所得分配が債格構成に依存する事買は既に重農皐波によって認めら
れて以来此の貼誰人も疑はぬ︒然るに分配論を市場法則を土妄ざして組立るこさ充分なら︑ざり
しのみなら歩︑分配論を論究してゆくに際し償値さ債格の差別を見失ひて︑単に債値論ぜして
〈ロ〉所得分配の基礎さしての債格
取扱った結果︑共方向ケ誕るに至った︒普通行はる︑分配論の重大なる侠知は︑分配論に於て
唯償値的行程をみ︑又たさへ債格ごしての所得伝見るも倫ほ生産手段及労役の債格構成は︑流
通経済的過程ごして︑債値法則の支配下に立ウさ共に他の一要素がそこに附加せられて始めて
可能なるの事買を看過した貼・いある︒古典準汲然り限界利用事波亦然りである︒所得をば債格
要素ごして或は債格から蹄責に依って後生した債値さみるも旬結同一である
J雨者共に赴舎が
各生産的給付附奥する依値を所得ごして生産手段所有者の手に入るごみるから︒
分配論躍力説の一例
一 三
七
商 業 主 経 済
一一
ニ入
個々の所得部門を給付の謝債さみるは三つの重大なる誤謬を犯す︒第一の鋭黙は債格は費用
要素のみを合なごいふ考︒第二の侠賠は一般舎は個人さ同様の方法に依って財の債値剣断を行ひ
得るご谷川す考︒第三の快黙は労働︑資本及土地の庄一産一袋素白幽胞が生産除剰に奉加するさなし人
々が会加するの事賞︒ γ 忘れてゐる︒か
kAる見解の正蛍ならぬは容易に気附くであらう︒分配は
物の問でなくして人々の問に行はれる過程である︒資本︑土地︑労働でなくて︑資本家︑労働
者地主及び企業者が生産徐剰の一部分を自らへさ要求するのである o 従って分配は生命なき遜
程ご呉︑ゆり右様の多数人格者が彼等の給付の債格合相互に奪ひ令ふさころの市場過桂に他なむ
ぬ 。
次に一枇舎は個人的経済に現れる如き債値的行程なるものを知らぬ︒依値は純個人経済の現象
ごして赴舎に入って始て債格に波形する︒立(の場合︑債値附主附胞の統一或は意識統一を根源ご
する統一一位が失はる︒一枇舎は専ら市場
e T 通じて債値づけるが市場なるものは経済的考慮のみな
ら予備ほ他の影響によって支配せられる場面である o かくて吾人は債格は費用要素を合む以外
に生産費用ごして認め得ぬ如き或根の要素全もふくむを知らう︒既に y カードは之を知ったが
そこに土地生産物に関する釘格構成の特異性をみたのみ︒若し吾人が債格は費用以上に昇︑り得
ぬさの謬見をすて︑生産費は債格の下限に過ぎヂごの事一備をみるならば︑債格が費用要素のみ
をふくみ従って所得は生産的給付の蹄責なりさする般定に依換する分配論の正蛍ならぎる貼が
剣 明
す る
︒
以上説きたる債値さ債格さの聞の相遣を明に理解するならば個々の所得部門を最早や債値さ
見倣し得ぬであらう︒買に所得分配は単純なる債値附行穏に非宇して︑債格構成なる事買に注
意せねばならぬ︒か﹀る債格構成には需要さ供給のこっの図睦が常に濁立す︒彼等は各自の伎
位剣断の統制の下に市場に於て︑その決心を買現せんご困るのであるが︑ しかも所得は決して
市場蛍事者一方のみの債値附技披の上仁成立するに非守して常に︑債格の法則に因って︑調立
営事者の抱く債値剣断の協働の裡から生れる︒吾人は此の根本の上に蓬に確固なる︑会躍をよ
り完全に解明する如き分配論の築かれる含みる化らう o
官てデユ
I y
る所以を銃一く指摘したけれ共彼は債格構成 y グは分配論が債値論より導き得 5
に思ひ至らや
Jして法的秩序の作用を云々したのみ︒分配論に債格治則の遁用を徹底ならしめた
もの未だ従来の準設史上に見秒間らぬ︒ッーガシヴフノクスキーの如きは此の債格ざしての所得
r‑‑. J
、
、...;
所得分配は債値法則を直接根採さ匁すごの見解は一つの重要なる事買ぞ見失ふ︒斯る
(~、〉所得分配の二様相
をみるの立場に甚だ接近するも階級乃至権力要素のうヘに債格法則を迩める事ケ忘れた︒
見山附は分配論を自然的過程ごして表現するものであ b ︑各生産要素はその割前を直接蹄責によ
分配論躍力説の一例
一 三
丸
商 業 主 経 涛
・
一 四 O
って受取るさ忽す︒之れ乍然事買を誼るものである︒何んさなれば流動経済に於ける所得は市
場に於て成立するのみなら争︑貨幣額ざして現はれるものなるからである︒
貨幣所得はそれ自鰻未だ質質所得では無い︒此の貨鮮はや.活維持の結局めに商品さ交換せられ
る必要がある︒印ち所得は貨幣債値に依存するから貨幣牧入は貨幣牧入ざしては意味なき空の
数字にすぎぬ︒支梯図艦内部におけるその購買力が始めて所得内容ぞ決定する︒故に貨倣 m 債値
の愛勤は ζ の黙に影響する所大である
Jたさへ貨幣債値の品流動なしぎするも各赴合階放が市場
に於てその所得から享楽財を勝一ふ立場は同一でぽ無い︒生産ご閲係せる貨併所得の成立に注目
するのみなら争︑貨幣債値が最終財市場に於て所得分配に影響するを知らねばならぬ︒
かくて所得分配は二つの品川相に区別せらる︒ 一は生産財市場に於て企業者が生産的給付に支
梯ふ場合に起る事情にして他は消費財市場に於て貨幣所得を支出する場合にあらはれる事情・﹄
れである︒古典準波は早︿賢質所得ご名目所得さを区別すぺき佐知ったが唯労働賃銀について
ジ ユ ン ピ
1タ I 其他後代の向学者は寅質所得さ貨幣所得ごの意味に差別あ
るを明瞭にした︒然し今日まで此の知識?陸系的に分配論に粗入る事を怠ってゐる︒
u vあった︒クイザ I ︑
〆'ー、
一
ー、‑‑'
重度卒︑仮は所得分配の中心黙を地主に求めた︒然し此の見解の一方的なるは古典準涙
〈ユ〉生産財の市場
に依りても認められて︑分配論の軸賂たるは地主に非宇して企業者たるに至った︒企業者は生
産的給付を必要さし︑それを調達するゑめに流通経済に入組み市場に出て来なければならぬ︒
労働者資本家及び地主が各自の生産財を提供する場所が印も市場で之を生産財市場ごいふ o 此
市場に於て企業者が生産的給付におして支挑ふ債格こそ︑生産に協働する人々の貨幣吹入を構
成する︒生産物市場ごて他の財の市場さ同様であり︑主︿所に作用する債格法則にも愛 b は無
ぃ︒唯雨市場に具るものがありごすればそれは債格法則に関した事でなく︑車に奥件の相違に
止まる︒従って此の奥件に注目しつ旨︑債格法則を生産財市場に通用すれば問題たる所得分配
の第一相に支配する法則ぞ捕へるこごが出来ゃう︒而して生産的給付を買整へんごするにあた
b .
如何なる僚件に於てするやの決心は︑之等給付の債値附印も企業牧盆に依存する︒牧盆財
の生産カが標準ごなる以上︑生産財債格の上限は生産限界に立てる企業者に依って決定せられ
るわけである o
然 し
厳 格
に 一
一 一
一 回
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︑ 牛
一 産
限 界
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の ノ
ぞ 蛍
該 債
格 を
支 挑
ん ε 欲する企業者芝︑か
﹀る債格を支梯ひては到底儲なしぜみる企業者さが債格の上限を決定するのである︒
若し生産財市場が現買に一つの市場を構成するならば需要に謝して供給側も亦其の決定可能
性印も生産手段じ謝する彼固有の倍値附ケ持つ筈である o 先づか﹀る債値附は企業者のそれさ
一致すべしご考へる人があらう︒何んごなれば供給も亦需要の如く︑市場へその生産財ケ持出
すものであり且つ其の債値は限界生産カに依って決定せられるから︒乍然この仮定は債佐治則
分間論擢力説の一例
四
に矛盾する︒確に限界生産力は生産手段の提供者にさつては︑其債位争可決定しはするが︑こ︑に
商 業 主 経 涛
四
忘る可らゴるは債値なるものは常に財使用に調し下されたる︑且(躍的な貫現可能性によって内
容されたる剣断なる事︑従って企業者が生産手段を以て貫現し得る限界生産力は︑生産手段の
提供者が其を以て自身に質現し得る限界生産力ごは同一ならぎる事緊要である︒かの生産財の
補 足
性 同
︒ 日
間 )
F E
S S ユロ庄が保詮する所の生産的利用は企業者にさつては開放せられてゐるが此
の意味の生産力は︑他の手段を侠く労働者が小経緯に於て︑資現し得る生産力よりも遂に大で
ある︒叉資本家は資本家さしてその地何を守って企業者さなら子︑自己の手許資本守貸付るに
止まる限り︑右様の生産力は全然持ち合さない︒かくて供給側が其の憤値剣断の基本ざする限
界生産力は︑企業者のそれより迄に低いか或は蹴念的に又は賢際的に全然失はれてゐるさ見ら
れやう︒此の事の一蹄結ざして牧盆財の交換債値は︑共の提供者が自身に質現したるぺき股盆債
他より高い︒かくて交換債他は多くの場合に供給者の倍値剣断宇導く︒逆に交換償他さ股盆債
値さが比較されて︑後者が前者より大なる時は地主や資本家は共の地位を愛じて企業者たらん
ざするだらう︒
右の如く一財の交換債依は利用可能性に依存するものなれば牧盆性の考慮を基礎ざする牧盆
債値より不安定であり且つ伸縮的である︒加之生産財市場の特色ごしては所謂生産的給付が未
だ完成財に非十して 一つの統制せられたる生産の補足的補境内三石
r E g S B F m
山 口N g m
に す
ぎ無
hv︒惑に供給者が請求権さして主張する反封給付は一定の生計確保の内容をもっ︒何んさ
なれば生産的給付を市場に提供して貨俗ざ交換せんさするは依之生活の基礎合獲得せん匁めで
ある︒か︑る請求権の内容は主ざして経験的事買に依存し︑更に此の経験的一九買は従前の市況
より僚件せられ且つ主ざして各一肱命日階級の習熟せる生活方法の影響訟受く︒労働者︑資本家及
び地主の各階級に依って︑生計維持の根基に立てられたる請求権は生産財債格の下限を決定す
る
J詳言すれば保設せられ且つ貨幣債値に依って影響されたる生計を顧みて︑倫ほ其の生産力
を申出でられた債格にて貸奥せんさ望り限界居さ︑今や丁度ぞれをなすを欲せぎる限界居さが
債格の下限を構成す︒右の生計なる者は同時に生産手段生産の費用含意味する事に因て︑
4一 一 回 は
ぃ下限たる債格は生産物の生産費用さ一致する︒
尤も生産財市場に於ても債格は限界屠の債値剣断の問に落ちるが此事はその債値剣断が債格
印も所得の大きを原凶的にさめるさいふケ意味し無い︒何んさなれば此等の債値剣断ご雄も決
して︑自由な︑ぞれ自らに安住する債値剣断でな︿却って生活の状態︑人口の事情或は所有閲
係更に生活習慣︑一祉舎の上下的区別等によって定まる︒債格限界の地位は常に斯の如き客観的
決定理由に基︿三解眠併せねばならぬ︒倫ほ生産財需姿は図民経済のふ一健から影響せられるが故
分配論権力説の一例
一 四
三
商 業 主 経 済
一 四
四
に債格関連が又は債格の相互依存が頴著になる︒市場の雨常事者に謝して等しく貨幣債値の推
移が作用するもので股盆可能性密通して上限に︑供給者の請求権内容を通して下限じ影響す︒
生産手段市場の観察は遂にそこに重要なる結果の存在を数へる o 先づ需要のみなら子供給も
亦生産的手段の債格に︑次に所得分配に作用するを詮明す︒印相互的低値剣断の結果ざしての
生産財債格の事賓があらはれる︒第二に生産財市場における債格限界は亨楽財市場に於けるよ
りも︑その債格限界が遥かに大であるごいふ事である︒印も企業に於ける限界生産力さ原始的
な︑協働の場合に得られる限界生産カさは甚 r 大なる相遣があり叉限界生産力ご生計ぎの問の
距離も企業の場合には極めて大であり債格限界の幅も蓬かに康ぃ︒第コ τ 生産手段市場に於て
は需要が供給よ b も迄かに確買にぞの債値附に影響する事は享楽財の場令に見られぬ現象であ
る︒その理由芯して限界生産力の測定は企業者じ図って容易に確定せられる事情を有するも︑
生計の基礎たる債値剣断は甚だし︿伸縮自在たるや‑考へ得︒
市場の層別は営然に又生産手段市場にもあてはまる︒その結果ごして五口々は従来君︑過せられ
てゐる賃料構成の二つの種類のあるぞ認める︒先づ需要側に︑限界生産カが生産手段の債格子
決定するぜいふ事から︑賃料が成立せねばならない︒そしてそれに因ってその特殊的生産力を
基礎ざして各生産手段に封し現買に支抑ひしよりヨ y 高き債格争支梯ふをも肯んじたるべき凡
ての経答者は賃料会賞現するたらう︒か
khる賃料ケ
A 1
消極的生産者徐剰さ名付ける︒何ごなれ
ば消費者徐剃に似て節約に因って成立する鈴剰なるからである︒是に蛍し供給の側じも︑同様
に賃料は成立するのであるが︑か︑︾る賃料はヨ y 低き債格に於てもその生産手段営︑企業者に
提供したるべき如き供給者が獲得するものである o この事は専ら償格構成の斉一性の結果ざし
て後生するもので︑その意味の賃料を積極的生産者徐剃さ呼ぶ︒何さなればか﹀る徐剰は羽賀
的に徐剰牧入ごして成立するからである︒
生産手段市場の分解を進める時は︑個々の生産財の生産力さ︑か﹀る生産力に依存する所得ご
の問に密接なる関連の存在する事︑而し乍らそれは決して限界生産力がそれ白陸︑所得の高さ伝
決定するさ結局すご同意味でない事が明らかになる︒限界生産力は生産的手段におして認なぺき
債格の剣断根基に過ぎない事は︑享楽財市場に於ける限界利用さ同一である︒債格芝生産力さ
の不一致は債格ご限界利用の場合に等し︒そしてその理由ぜする庭も同一である︒換言すれば
債格構成ご所得分配ごは︑何等個人的事象に非十して赴曾的事買である︒印個人経済内部に於
て貫現するに非十して偶別経済の関連換言すれば流迩経済に於て殺生するもので︑一此曾的範時
が一肱合的範時ごして作用し︑各山首一卒者の協会から右の結果が成立して来る c 生産的寄奥或は限
界生産力をそのま﹀所得さ観察するは一方的なるのみなら宇︑趨静回の範囲を越えたる一般化三
分配論搭力説の一例
一 四
五
一 四 六
商 業 主 経 済いはねばならぬ︒かく過度戸二般化するに於ては所得分配の基礎たる債格構成の重要にして且
つ確実なる要素印ち分配に於ける雨常時者の働きかけを等関親する事にならう︒
ホ
古臭事波は地代資本利潤及び賃銀の三程の所得部門を認めた︒此の所得三分は彼等の
生産要素諭から起ったもので︑土地資本及び勢働の一二つが彼等に生産要素さ考へられたのであ
る
O目疋等を以て所得分配の基礎さ眺める事も右の見解から出てゐるので古典準波に因れば.所
得分配さは債格をその要素に分解するこさに他ならぬ︒限界利用瑚論からしでも同様の蹄結に
到着する︒何ごなれば彼等の蹄支論はその債格を要素に分解してゆくのである o
所得部門を右様に区分するこごは分配過程を極めて単純化して観察するからである︒彼等は
生産財が企業者に給附する大きさが分配論の基礎を忽 τ 事を正しく認めたりれざも︑生産財に
非余して却って人が所得を分ち取るものでゐり従って生産に濁する人格的関係が所得部門の本
質に等しく影響する事を見逃してゐる︒分配のか︑る方面を明瞭ならしめたものは赴合主義に
しで︑生産に謝する此程人格的関係に省みて︑労働所得三所有所得ごを確然さ分ったのであ
る︒一肱合主義者に図って指摘せられたる区別の基礎たる心的傾向そのものはユ一一日ふまでもなく︑
吾人の理論ご何等交渉するものでないけれぎも︑区別そのものは決して不営ではない︒何ごな
れば所得の種類を諭中るに秒間 b ︑生産に於ける人々の働きから生づるか︑或は物的財の引渡か
〈永〉所得分l
民
Wolfgang H e l l e r , T h e o r t e i s c h e V o l k s w i r t s c h a f t s l e h r e S . 115‑:"128.
ら生宇るやの区別は重要たるを夫はぬ︒例へば般労働所得に於ては労働者の人格は生産に引寄せ
られ彼の自由は狭められるけれピも︑所有所得に於ては人格牲は全くか﹀る関係争﹂離れて︑所
有客睦たる物が生産にまかせられるに止る o
ける人々の積極的協働は二様である︒ 労働所得所有所得共に是をこっの種類に分つ︒労働所得に於ては分業の結果ごして生産に於
一方に労働は指導的行動ざして︑他方には賀行的財労働さ
して現れる o 雨者に劃する報酬は等しく労働所得ごしてその本質を一にするも︑協働の仕方の
相違に因って所得構成の内部に一うの差別が後生する︒この差別をみのが宇こごは経済理論に
さって詐すべきでない︒か︿て吾人は労働賃銀ご役員報酬国
g B
円 ︒ 認 め
E F
さに区別す︒所有所
符に於ては土地所有さ資本所有が区別の標準をなす︒然るに所有所得は等しく賃料さ呼ばれる
を以て土地賃料さ資本賃料ごの区別が起る︒前者が地代にして後者は所謂資本利子である︒こ
の雨者はその本質に於て︑狭義の賃銀さ役員報酬さの場合の如く一致するものであるが︑倫区
別する理由は︑その共通的根践の存在するに係はら歩︑注目すぺき差別も等しく存在するから
である︒地代さ資本利子ごは彼の消費者賃料及生産者賃料から直別して所有賃料三呼ぶぺく治
費者食料及生産者賃料は︑右におし差益賃料さ呼ぶ︒労働所得 ε 所有所得は︑而し乍ら︑所得
会穏類を構成するものでない︒エ﹂の他は企業者利潤なるものが濁立せる生産部門ざして考へら
分間論躍力説の一例
一 四
七
商 業 さ 経 済
一 四
八
れねばならない︒か﹀る利潤は労働所得にも亦所有所得にも屈しないが故に︑企業者が資本主 義的生産に於て保持する特種の地位から後生するさ見るのである︒労働所得所有所得及企業利 潤の三者が生産過程に直接関連するケ共述ざす︒印も生産結果の分配から直接的に後生する所
得である︒故に是ヶ根元的所得ご名付け︑それに濁立するケ一次生的所得さ刷局す︒一次生的所得は
生産さ何等直接に関連せゴる所得である︒
私は今へ‑プ!に依って表きるる格カ思想念︑その全般に於て批評し更に之に劃して自分の立
場を明かならしめんさする用意を快︿︒唯︑次に個々の問題を取り出し︑少しく分析的主税?述
ぺるに止める︒従って部分部分の批・誇の問に有機的関係の存在せぬは︑初めから断ってか﹄︿︒
先づ市場を以て集図的努力の舞憂さし︑か¥泊る舞妄は同時に集団的闘争の舞蚕ぎみる
( イ
)
事ば︑又は一此合的事象たる市場に権力要素の混入あるは赴合的過程の必然的防件現象さなす思想
に就いていある︒近代の赴合なる蹴念はジンメ Y の言へる如︿ σ
買際的権力関係の結果ごして
b 切断して草に一個の概念ごして赴合乃至一肱合的なる意味を尋ねる場合に︑ぞの内に関守的要
(1) H e l l e r , a . a . O . S . 6 1 (2) Simmel , S o z i o l g i e , S . 1
奥へられたりざするは︑其の一一一一口莱の後生的過程含考へる限り正しい
v︒然しか﹀る歴史的内容よ
素が必然的に結ぼれたりごするは赴合的学者の立場に於ても詐さるべくは無い︒尤も市場におけ
"
分配論耀力説の一例
一 四
九
( 3 ) H e l l e r . a . a . O . S . 62
( 4 ) M e n g e r . G r u n d s a t g e 2 . A u f . S . 2 2 8 (5) T r u c h y . C o u r s . V o l . 1 . p . ' 43
1る︒需給問の競争争闘争の一形式ごみる一泣舎内学者は多い︒乍然経済的学上市場競争を以て直に悶
︑ ノ
争に断定するは印︑甚しく経済亭の侍統じ背く︒競守は合理性の後混ざして需給投令から債格梼
成てふ統一的結果に導く力であって︑ ぞれ以上に非十それ以下にも非子︒競争は競争である o
市場の中核たる取引所相場は如何なる権力闘争の所産なるかを私は知らない︒締占債格︑政府 の市場統制等はそれん¥別個の問題さして解くべきであり今の場合さは全く異る
o
( ロ )
債格闘争なる語は多︿用
ο られメンガ 1 に於てさへ後見するこどいか出来る︒︒ 私達が
日常市場に於て質現する債格は果して闘争的であるが︒
¥ ノ
よさせまる客に劃してまからぬごいふ向︑︒
一 個
の
yy ゴ五銭ごいふ︒会一銭にまけ
これが闘争なるか︒明日にならば腐敗すべき残飯を
気づかふ妻が︑大食の夫にもう一杯食へさ奨むに夫却も食ヘぬざいふさ何れがヨリ闘争的なる
か︒少しく科的学的に例へば
ηノ1 7
マジ流に寅買雨宮事者が限界徐剰ケ確保せられて︑なほ徐剰あ
¥ .ノ
る場合双方が守ひざなるざがする人はあってもそれは比喰ごして︑買は接鰯する合理性の鋭化
を一不すにすぎないので無いか︒又例へば限界謝偶の法則に依って︑
図ごの問に︑時に百拾一一政固ざなり百拾四国ごなり克に百拾士宮圏三渡勤するさも︑か︿の如き幅 一匹の馬が百拾図ご百拾五
口 只 は
B R
m o
虫 色
止 め
コ ロ
古 色
︒ ロ
に す
ぎ な
い
o クィザ!の﹁偶然的﹂ごみなす大さである︒此の場合
に椛カ概念を誘導するに依って事買の説明が何程明瞭にせられるや
o ざれだけ買手が強︿︑ざ
商 業 さ 経 済
一 五 O
れだけ頁手が弱ければ百拾査団で馬が得られるか︒権力説は﹁偶然的﹂は X なりさて尽り乍ら︑
他の未知数 Z を括入したに止ってゐないであらうか︒
私さて債格構成をば γ ュバンの如くれ伊睦的有機的さみるには跨搭する o
併し恐ら︿はかく関
守的さもみ手︑きりぜて有機的ぜも見ぎる不徹底が此の場合には最も事買の真に近いので無い
か︒唯へ‑プーが経済主躍の統一性を基礎ごする債低巧
0 3 8 G g m
さ集団羽立現象ごしての債格
さの問の区別佐重要鵡するは十分理由ある事であるが︑唯雨営事者の債値剣断の協合ざするだ
けでは債格の説明ごして何の事もないらその反調の事雪一一一回った人こそ無い筈であるよ労働債値
設の人々は別)︒叉か﹀る協会の問に異分子の権力要素が混入するごしても僚格論の本質の解明
に資する所があったか︒問題の中核はもっご深く潜んでゐる︒その問題は限界汲からも解けな
いであらうが︑権力要素ケ入れたのみでは猶ほ一歩も接近してゐない︒統一的内面的慎値が拍
象的客観的債格にまで如何にして蒋化し且つ其の爾佃の内的連絡を如何に解するやは︑
一 に
哲
向学上の主税調客観の解決に従ふぺきであるが︑哲息?に於ても未だ説き議されたる所ではない︒
従って一経験科事の身を以ては何れの児貼からするも逃蛍なる説明は至難さ言はねばならぬ︒
尤も別個の観察を下す人も多からう︒さもゐれ権力を要素ごしたいけでは口広缶詰
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等 し
︒
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債格論に権力要素を加味し︑かく異分子の加味せられたる依格の迩縫ざして所得分配
に引入れる限り︑分配論さ債格論ごの関係があまりに密着する︒其の匁め一問者の守るぺき固有
の意味さ範図が却って失はれてゐはし無いか︒砂︿共へ‑プ!?文字通り解する限り右の疑は解
けない︒馬や小姿の債格が未だ所得の一部門ざして分配論に於て設かれたるケ見ない︒同様に
勢銀が交換諭又は債格論に於て
O M
g d げざして一不されゴるの理由︒ぜ彼は何所に求めんざするか ο
へ ‑ プ
1 に従へば電写楽財芝生産財さの相惑は債格限界の小なるか大なるかの一貼に違きる︒か︿
ては分配論を交換論より区別し︑交換論の背後に分配論を置︿さなす普通の意味が正営に顧み
られたりさ弓一一口へるか︒彼の如く土地資本航労働に非らぎる地主資本家及労働者企業者が生産結果
の割前にあづかるごする事が︑
何故分配問題ごしての特殊的重要さを附奥するか︒抑
z
地主さ
いひ労勤者ざいふも︑労働或は土地を生産に奉加せしめたる限りの人格者なるこご︑貨併を支
挑い︑町内を提供したる限りの交換人格者ござの駄に本質的区別があるか︒彼亦交換論債格論に
於ても人間企引ばり出す︒結局へ‑フ I は交換︑分配の何れにも人間を高調すれば満足するので
ある︒かくて砂配論は債格論さ化す︒しかも私からみて彼が人格者を高調した事が甚だ理由が
あ る
o 但じ其の理由はへラ I の看過せる所に潜
h u
o
数年前ヅ Y ジーの分配論に暗示を符て︑私の思索して進んで行った道が後日偶然にもツーが
シバラノクザハキーの一枇合的分配論の中じ吻令する多くを有てるを見た時の雀躍を短文にして後
分間前徳力説の一例
一 五
表 し
? と
こ 商 c
業が さ あ 経
る 出 ( 。 7 )
刷五
それを要約すれば
q ‑ s ‑
な人格者が生存有用物に細別する一台己な関係を
取扱ふを債依論ごなし︑物ごみる限の要素の協働を生産論さ呼ぶ
(ミ
Y の立場がこれであり︑
マ
Y クス忠一さは正反謝)︒債値論の主陸が卒等の地位に於て封立交渉する限 b の交換債格論を考
へ︑分配論に於て階級人格者の封立定解せよご忽すのである o 今日私は桃力説ぞ採らない︒併
し若し権力説から︑進なならば分配論は階双的色彩の人格者を調立せしめねばならぬ事を信じて
ゐる︒高田博士(後述)にあってもヘラ i
に 在
て も
︑
ッーガンの﹁分配論は債値論に非宇﹂ごの
意味深さ断定が理解せられゴるのみか却って斥けられ t ゐる︒ぞニに雨者の誤解がある︒例ヘ
るのである︒滋に権力闘争に誘かゴるを得ない根元的理由営みなければならぬ︒階級的差別よ
( 7 )京披高商校友合誌第八税、大正十五年二月
ば帥労働者は自らの労働力を︑それのみにては利用し得 5 るが故にそれの債依剣断は零ごな b ︑
之が賃銀決定の下限ざなる故債格限界の幅大さみる思想はへラーにも高田博士にもある︒博士
は蚊労働力ぞ無費用財ご呼ばる︒併し私からみればか︾る考は全くプ Y
ジ ュ オ ア
l 的剣断をその
ま﹀労働者い移すもので︑労働者自らはその提供する労働力の低位を零ご剣断する事は恐らく
あり得まい︒郎ち提供労働力を中心ごして労働者のみる所︑企業者のみる所が根本的に差注す
る事が換
A一 一
目 す
れ ば
階 級
意 識
か ら
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立 場
の
3 (
同庁主なお立が︑能ふ限り多︿さらんごの努力さな
h J 来る剣・断内容の相違が闘争慾を煽るので断じてその以外ではない︒権力説を奉づる限り此の
貼にふれねば未だ室内
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に展開せられたりご
4一 一
口 へ
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︒ 高
田 博
士 も
へ ‑
フ
1 も等しく何故に
労働者が需要者吉宗はねばならぬ必然におかれてゐるやや﹄設かぬ︒博士に於ては一労働力は無安
用財なるが故に権力的に所得伝守ふごせらるが其の理窟は理解し難い︒叉百歩譲ってへ‑フ I の
如︿債格構成を権力的さみるにせよ︑享楽財市場の闘争は階級的なら十して一般的なる貼に︑
分配論に於ては階絞的なる所に目標を置くべきである︒之れ前者は階級身分を無視して︑誰人
が相手さなるも消費者像剰に切り込
hu
事であり従って所謂合理性の尖鋭化であるが後の場合は
前惑の如く労働階絞に一嵐する一員ごして又は地主階級に麗する一員ざして︑相手ご相容れざる
意識ケ以て争ふのである︒消費者徐剰は分配論では無用である︒債格限界一式々は滑稽である︒ ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ 自己の労働力守一容に剣断する如き般労働者から︑如何にして闘争の力が後露するご博士達は考ヘ
︑ ︑
︑ ︑
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又生産要素を資本土地労働さ三分する停統はへ‑プ I
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ふのみにてはあま b に平凡であらう︒何故古典準涙は或る亭者の如︿閤家を要素ごみなかった
か
J考へるまでも無く生産に必妥なる姿宗は無数である︒然るに古典準一次が三個に限定した理
由は苧汲後生営時の英図の一枇合階級が寓されたりさなすヅ 1 ガシの説明が如何に一段した態度
を持する所以なるかを考へよ︒椛力説全離れたる立場からは分配論︑生産要素論は他の様に設
分配論搭力説の一例
一 五
三
商 業 さ 経 許
一 五
四
明せられるは勿論にして今はそこに鰯れない︒右は権力設をさるならば︑かくあらゴる可らぎ
るぞ述べたのみ︒
ヘラーをふくめて権力説一般の
行方である︒そして生計維持の原理なるものを前後の連絡もな︿所得分配に会一奥せしめるので
〆'画、
一 一
'‑‑/
生産的寄奥ご所得さを必然的関連に置か︑ざるは博士︑
ある︒か︿ては各営事者が其の再生に足るごする所得を来して生産結果が奥へ得るか否や︒生
岸一結果の大きが彼等の要求を充すに足る程のものなるか︒事質さして自明であっても亦一個の
説明な︿して飛躍するは詐
3 れぬ︒生活維持の思想は甚だ可︒唯その持ってきかたに不精確が
浮出さいるな得なかったのであらう︒
ヅY V
1 は債格論争}擦力的にみてゐる所もあるが︑債格
。 ) C l a r , k D i s t r i b u t i o n o f W e a l t h . p・36 3& 36 5
あるど私は思ふ︒生活維持は経済的学後端の大前徒である o
ク ラ
I クの如きは限界生産力にゐま
りに波頭したる結果ごして此
ω 経済率の大前提を会く忘る﹀に至り︑
Z o i B E E S U E ‑
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伶︑の如き一えの朝露さ消えゆ︿哀れな前提を行論の途中から︑俄かに手道具さ採るのであ
る ︒
へラーの迭を極端に騒ったもの︒
〆戸句、
オ之
、‑'
名目所得さ質質所得の相違を重要税するは普通無雑作に行はれるものである︒この区
別は経済静態からすれば何等問題を構成せぬ筈である︒ ヘラーの如きは債格論をあまりに権力
的にみて︑分配論さ混合せし結果︑今度は逆に分配論の特長を翠げる必要から右の区別を強︿
治則が分配諭にうまく趨用し得ぬ事を説く事情より剣断ずれば︑債格の延長を以て分配論ごは
みない︒換ふ一目すれば彼は分配論を債格論よ b 切・断して権力的にみるが如︿である︒
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を意味しない︒此の直別
は重要である︒権カ説から行くならば︑守ふ濁象が質賃貸銀の増大でなくてはならぬ︒貨骸債
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¥Aる影響は貨幣論挙者にまかせて置けばよ
い事であり分配論の本質に関する事項ではない︒生産交換分配消費の全部仁作用する普通事
じ外ならぬ︒分配論に於て特に叫ぶ何等の理由も存在し無い︒﹁たさへ貨幣債値の鐙勤なくごも
市限切に於て使用財を勝入する立場は同一でない﹂さ言ふけれ共私じは理解出来ぬ︒応頭に立つ
て一冊の本を購ふに王侯なるさ‑フオ仕換へなるさに
Jどれだけ立場の不平等が存在するか︒又治
費者除剰の大小ざいふ程の事なら別段︑今問題さなる事柄で無からう︒
以 上
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I 会批評したがヤヤ入ツ営
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ノの気味がないではない︒
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後改良に努めます︒
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一 例
一 五
五
商 業 さ 経 済
一 五
六
︑
1 J此の機曾に高田保馬博士の分配諭を考察してみたい件︑︒
博士は分配論権力設を奉守らる o 博士は分配論を交換論より区別せらる︑泊所甚だ剖
( イ
)
切︒﹁交換の理論は財の所有者から離れて︑たいある財さ他の財ごの交換のみを考察するに封
し︑これ(分配)にありでは︑財の債格ご人ごの結び付きを考察する﹂︒こ︑から交換論さ分配
論 ご
み γ
流遮諭に合一する稲田博士の快貼を示きる︒然るじご般的なる交換に於ては何等か︾
る勢力関係の作用なしさ見るこさに就いて︑私共は何等の論践をも見出し得ない﹂ごして狩配︑
交換債格に程度の差こそあれ︑等しく権力の作用ケ是認す︒か︿して後の提言に依って常初の
て銃に徐剰の闘争ケみ︑ぞのま︑分配論へ移る︒従って福田博士には交換論分配論の区別は問
昭和二年五月
分配交換の区別が消滅するさ私はみる︒何んどなれば﹁財ぎ他の財ごの交換﹂に宰闘的人間ざ
いふ.去来を附加する時︑向ほ﹁財ご財さの交換のみ﹂が考察せらる﹀や︒稲田博士は債格に於
い 日 ( 官 )
‑次に︑私の疑問たるは博士の採る静態勤態︑の区別はクラ 1 ク及びジュジピ 1 タ I
に 依
って構成せられたり吉見るべきであるが︑雨者共限界生産力会分配論の骨子ざする︒然るに博
(9)経沼早研究
社合経済問系中、経沼早 分間
E
論 の 性 質 、 経 済 論 議題に非歩して︑喰権力的検遜論が残る︒砂くごも椛力説ぎして稲田博士の行論は一貫する︒高
田博士に劃しては先きにへ‑フ I に奥へたる批評がそのま︑あてはまる︒従って繰り返へきぬ︒
士は権力設を奉じっ︑三静態動態ケ区別して分配論の形式ごせらる事これである o 静態に於て
地代三労銀さが可能であり︑勤態︑に入って始めて利潤さ利子の後生が可能な b さするジュンピ
ーターさ博士に共通する所︒静態経済が勤態に入るさも︑要素の生産力の高昇が時間的及場所
的に一般的芭みられゴる程度に於ては︑地代ご労銀は従前通りの大きや}所得する事から︑新に
後生せる徐刻は利子利潤の源泉さなすの論理は稀にみる鮮きである︒乍佐川生産力説なら︒さる権
カ設の立場からは其の事困難である︒有も所得主峰ごして地主︑資本家︑労働者及企業者の四
者を何等かの形にて認める以上︑而して権力的に所得分割が行はれるさ主張するならば︑静態に
於て成立する所得は地代及賃銀のみなりさ説く事は到底不可能である︒生産進行の原動者たる
企業者が静態一枇舎に於て︑徒に他に恵んで自らは貧弱なる経後労働賃銀じて満足するさの理由
は如何に!て立つだらうか︒掠奪設の利潤論がひしろ合理的でないか︒夏に勤態に進出して新
なる徐剰が浮び上る時︑何故従来の地主 ε 労働者が優先的に自己の請求を培大しないか︒静態よ
おいて同情の責手であった企業者は何故動態に腕時進するや英同情を寅り惜
hu
か
J極々なる分配
の項目は此要素の生産に謝する支獄ごは何等必然の聯絡を持たぬ﹂ならば︑動態企業に関係せ
る地主ど労働者は他の静態並の地主︑労働者の同一の所得にて満足し︑自己の関係事業の生み
つ﹀のる新なる徐剰を傍観してゐる住吉はない︒根力的に自己の割前守増大してやまぬ者が︑徐
剰の泌民生を知り乍ら己の所得に何の増加も奥へられ子に利子利潤ごなって他に流れゅくを無関
分間論搭力設の一例
一 五
七
商 業 さ 経 済 弓
一 元
入
心に眺めてゐゃうか︒博士の如く静態に於ける所得部門を地代ご賃銀の二者さ定めるならば︑
動態に於ても増額せられたる地代さ賃銀以外に何物をも残きぬ︒かくて践に静態営時に幽閉の
界に陥れる利子利潤は︑水久に白日を仰ャ機舎はあり得ないのが道理である︒
私ごて限界生産カを奉悲ぬ限り静態動態ゃム一一口ふ可ら・千台の言葉は何人からも聞かぬ︒然並︿静
態勤態が如何なる分配原理を奉・づるさもが究協すぺしさも考へない︒唯限界生産力のグラ 1
グ に
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或はジュ γ ピ 1 タ 1 に依って静態動態が科率的に可怠の
r t
さ R
な
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たる事質
r けは軽々に宥の
がし得ないさ思ふ︒オ Y
ペンムイマーは掠奪設に立ち乍ら静態を諮る仰
o その動態に於て何を
如何に展開するやは今日知るべくも無いが︑彼の静態は博士のそれさ異り︑資本利潤に確乎た
る地位が始めから奥へらる︒前掲へ‑プーは経済効態ざして景気持決勤論を置いた旨ぞ序文に述ぺ
た︒然る限
h 他の部分は一路︑静態ご解すべきであり︑そこには地代賃銀以外利子利潤が説明
さる︒権力設を進めるならば利子利潤をも早く静態中にすわらせて置︿必要は十分存在するご
考へる︒此の貼へ‑フ I ︑オ
ペン川イマ I
w J等 の 用 意 は 博 士 の そ れ よ
b 周到でなからうか︒ジュ
ン ピ
1 タ 1
流の静態勤態ご権カ設ごを結ぶは恐らく博士に於て試みられた濁創であるさ鐙ゆる
が・筒ほ多くの難黙を戒するさ私はみてゐる︒倫ほ博士の多占濁占ごしての利子ご厳密動態ごの
論理的関連を尋ねたいけれ共他日に譲ってを︿︒
︿後序︑目下身越の俗事あまりに多端︒後日機合た得土ならぼ︑文献与訴にし思索岳深めて再ぴ諮力説に内迫し穴いさ廊
ふ︒)!(昭和三!八