分 配 論 上 の 権 力 學 説
i ↓ ̀ σQ 9 〒 剴 霧 9 鱒6 ≦ ︒︒ 評 ざ uQ o N 一巴 o 目 冨 o ユ o 血 窪
く 巽 8 一 一 巷 掌 ヒ冒 o ユ ヨ 6 一 い ●1
南亮三郎
ツウガン・バラノゥスキーの﹃肚會的分配學説﹄或はよb適切に﹃分配論上の権力學説﹄と名
づけ得るかと思ふは︑從來の慣格主義の分配學説が多く打棄て\顧みなかつ禿ところの︑所得
形成上に作用する砒會的要因肚會的権力關係を高調する≧とに依つて︑分配論上に於ける
猫自の分野を開拓せむとしπものであつて︑その所説の當否成敗は別として︑惜かに注目に慣する
一丈獄である︒ツウガンは最初之を﹃胱會政策及立法年報﹄ωに薮表し︑後ち軍行本として廣く頒浦
分蹴論上の構力學設v三山倉
商學討究第一巻(下)三六己
しπのであるが︑その後﹃コンラアド年報﹄誌上に︑之に關連しπ=一の権威ある論策が現はれ泥︒
即ちゲルハルド・ア〃ブγヒトは一九一四年︑﹃肚會的分配學説へ﹄②の論題の下にッウガン説を祀述
し︑ルウドルフ・シユトルッマンは一九一入年︑﹃肚會的分配及慣値學説﹄⑥と題する長論文を螢表し
て︑ツウガン説の採るべき所と棄つべき所とを明かにし尤︒まπヴイルッは﹃綜合國家學難誌﹄に︑
﹃分配論の基礎としての慣格﹄④なる論文を掲げてッウガン説の批評を試みπ︒これ等は︑ッウガン設
が學界に呼び起しπ所の反響の謹左と見ることが出來やう︒
尤もツウガンの前に︑之と略ぼ同襟の説を駕せる人にオイゲン・デユーリング働がある︒デユーリ
ングとツウガンとの一致黙は︑分配の説明の基礎となつてゐる﹃肚會的政策的歴史的範疇﹄である︒
唯だツウガソに於てはそれが分配現象だけに止懐れるに反し︑デユーリングに於ては一切の経濟問
題の説明に適用されんとしπのである︒其後︑シユトルッマンやカール・デイールが採る所の立揚
は︑ツウガンに於けるが如く肚會的要因の強調をば︑菅に分配論にのみ限らず経濟學上の一切の部
門に振張せんとするに在って︑その意味に於ては寧ろデユーリングの流れを汲むものと竜云ふ乙と
が出來やう⑥︒然し肚會的見地の力説てふ根本的な一黙に於ては是等の論者はすべて同じ部類に包
括され得るのであつて︑その限うに於てはツウガンは此の傾向の一先騙者とも名づけ得る︒り17
.マンは︑ツゥガンに影響された論者として前掲シユトルッマンやデイールのほか更に︑アモン︑ツ
ヴイーディネック︑シユメン等を畢げてゐるがの︑之に依つてその波絞の及ぶところ如何に廣汎なる
か讐察し得られる︒
日本に於て︑肚會的権力關係に着眼しπ最初の學者‑但しツウガンとの關係は不明であるが
ーは旛田博士であらうか︒博士の名篇﹃領格翻箏よう厚生圖箏へ﹄商の意圖する所は固より他に在
るであらうが︑そは或る意味に於て︑肚會的椹力關係を以つて通説償格論に修正的論難を投げか
けπものである︒唯だ此の肚會的権力關係が︑博士の所謂﹃流通論﹄全膿系に劉して如何なる地位
を占め︑叉如何なる取扱を受くべきかは︑その後の二著作i慣格論の主要部と所得論全禮とを逸
しπ﹃流通縄濟講話﹄や︑軍に思想の輪廓を描出されπに過ぎない﹃経濟原論敷科書﹄ーに就いて
充分に學び得ないことは遺憾である︒殊に後者﹃原論漱科書﹄に於て︑肚會的椹力關係を前提としそ
の下に於て﹃限界鯨剰牧盆均等の法則﹄の行はるる所以を説かる\一條に至つては⑧︑限界飴剰學説
の創唱者りーンマン自からが極力︑肚會的關係を経濟理論的観察の範園外に騙逐せんと努めつ\あ
るの事實に思を潜むる者は︑何故に叉如何にして︑それら二つの異なれる見地の融合が然かく可能
なるかに就いて︑若干の疑ひを拓慶ざるを得ないであらう︒が︑それらの熱は近き將來に出つるで
分配論上の権力學翫三六三
商學討究第一巻(下)"三ハ四
あらう﹃績流通縄濟講話﹄に於て一層明かにされるであらうし︑叉それらは今厳で深く検討を要求す
る問題でもない︒蝕では只権力學説の一代表者として博士を畢げやうとしπに過ぎないのである︒
私がリーフマンに塞じて最も楡快を戚じ尤個所は償格論であう︑同時に最も不満足を畳えπ個所
は股盆所得論i從來の分配論であった︒リーフマンの主観主義的・心理主義的傾向は債格を
説くに面自く︑分配所得を論ずるに適しない︒否︑りーフマン自身は慣格論の外に特殊なる所得理
論はあう得ないと圭張してゐるが︑地代竜賃銀も利潤竜凡て慣格の特殊形態として論ずるに至つて
は︑如何にその異彩に富める憤格理論に惹きつけらる\者と錐も︑若干の疑惑を抱かざるを得ない
であらう︒そこに私は﹃飴剰學説﹄に内在せる根本的の弱黙を認める㈹︒リーフマンの學説は飴うに
肚會的諸關係を抽象し過ぎてゐる︒それらの黙は別の機會に詳論しπいと思ふが︑さういふ意味に
もヘヘヘへ於て私は肚會的見地を力説するッウガン説に就いて學ぶべき所多々あるを思ふのである︒りーフマ
ンは説いて︑経濟理論は凡ゆる肚會的諸關係を抽象すべきものであう︑從つて之を顧みる乙とは肚
會學乃至肚會政策との混同であると云ふが⑪︑それは鯨うに極端な議論であつて︑経濟難論の成立は
常に必ずしも肚會的諸關係の抽象を必要としないであらう︒否︑現實の肚會的諸關係を無覗する乙
とは決して正しい縄濟理論の建設に導くものではない働︒私自身はツウガンの読く所に竜若干の異
O
●
●
̀ 議なきを得ないが︑その根本的見地経濟理論上に於ける肚會的要因の高調に就いては充分
顧慮するの要ありと思ふのである︒
本稿の主目的は則ち︑右ッウガン説の要領を忠實に傳へむとするに在るが︑能ふべくんば私は︑
之に劃して若干の断片的考察を加へて見力いと思ふ︒
(2) (1) (4) (3)
(5)
σ0)(9,(8)(7)(6)
︾ロ5巴oコ8岳門ゆoN尉巴o国o=鶴吋昌昌畠O⑦い魚NσqOぴロロ㎎ρ罵自●u剛肖o⇒いロロα9,
Oo同ゴ螢吋島﹀亭叫ooゲ礎鴇Nロ門oαo臥巴o昌一げ①oユo◎oN<①ユ巴ご5びq︒..OoロH㊤負切}pげ民ぴ5‑Oポo﹁捜﹁属帥島oロ巴αrO昌oヨ甘駕β自oα9鶴ψ二犀'剛同同暦
司o一槻O℃轟8じ⇔伽●
図&︒閑ω巳§曽弓こ七冨m§芭・島8甘創臼く窪巴毎びq薯傷畠窪を窪︒m・.︑9ヨ巴︒・冒ゴ匿9のきH戸国︒㎡o"いい∴じロ脳・
均ぎ鳩㌶u臼午︒龍巴︒・O﹁口呂冨σq①9﹁<η艮一§σqω一・迂︒...N︒一器魯昌⇒塗畦窪︒αQ︒鋸ヨ齢oQり齢銘3註㎝器霧︒審津・ピ×因一6冒耳σq"ω●
い図︒︒igQ・
国・U凶ゴ臥5σqM囚ロ屋ロ④伽o門口Z讐凶05巴‑口昌畠もooN凶巴α"oロo唐一〇埴ロoぴロ陰骨oぎO門﹀ロ﹃潔口口σqN賃ヨω樽簿伽罫日ロ昌山Nロ周切o鐸恩O鵠ロコ鵬くoロ
<o一﹃ψ類団艮mOゴ国津巴oず目O出ロ山ωo臥魯翻ロ陰一5ロロn.bゴO脱出昌属◎◎N軸●
囚●H)凶oげポ↓700Ho鶴凱Oげo Z9二〇昌巴α悶o昌o冒一ρHH・団山壱目oゴおくo影飢①N憎﹃o山瓢犀二〇戸同o昌ρHOいヂq自●MH●
口・ [一〇h唐粒ロ♪O踊ロ昌血匂︒黛No畠o吋く巳パω≦マ冨oゴ㊤津ロ︒冨ゴ同ρ同H︒b⇔畠もい・︾口山略QQ・U◎Q↑
幅田博士著﹃肚會政策と階級翻孚﹄大正十一年刊︑一宍九頁以下o
幅田博士著﹃経濟原論教科書﹄大正十四年刊︑︼入四頁︒̀
南亮三耶著﹃流通脛濟の原理﹄大正十五年刊︑序丈ニー三頁︒
分配論上の権力學哉﹂三六五
9
商學討究第一巻(下)
ση戸幕§二︒毒曇§戸犀るきp9寧
⁝岡南亮三郎稿﹃経濟概念と経濟原則﹄國民経濟雑誌大正十五年九‑十二月號所載︑蓼照︒ 三六六
一
さて現行理論経濟學の主潮流は︑嚴密に云へば多々あるであらうけれども︑根本的には之を二大
部類‑主観主義と客観主義ーに分つを常とする︒而して竃霧σQ冒9=ω酢︒・が前者の︑冒錠×馨︒︒が後
者の︑夫々の代表者である乙とは舷に改めて云ふまでもない︒然らば今︑就いて學ばむとするッウガ
ン・バラノゥスキーは︑理論経濟學上に於ける此の二傾向に劉して如何なる立揚を取るかといふに︑
彼は︑﹃理論的洞察に於ては限界利用學派並にマルキシズムと多くの共通黙を有し﹄︑﹃此の二つの相
反する學説の中に多くの正しきものと有用なるものとを見出し︑且つ現代繹濟學の最重要の任務を
ぱ此の雨學説の綜合に認め﹄てゐるに拘らず︑分配理論に於ては其の覇れにも左祖しない︒即ちツ
ウガンに依れば︑限界利用學説はその個別主義的・心理主義的方法の故に分配問題を正當に説明す
る乙と能はず︑まカマルクスの分配學説は杜會的基礎を有するに竜拘らず術且つ個別主義的要因を
以て一貫するの誤うに陥つてゐる︒而して﹃此等雨學説に共通しπる根本敏陥は︑分配現象をば償
●
φ
値現象≦①﹁6轟きヨ①器として観察する所に在る︒﹄之に反し︑ツウガンが提唱する所の分配學説ヘヘヘへもの特色は︑﹃所得形成に於ける肚會的要因を強調する﹄に在る︒之れ彼れが︑その學説をば特に﹃肚
會的分配學説﹄と呼ぶ所以である(<o﹁≦o詳)︒,
所謂﹃分配論﹄が経濟學膿系中の︑敏くべからざる且つ濁立の一部門を爲すに至つπのは︑比較
的近代のことに属するが①︑分配問題を以つて債値論上の一特殊問題と爲す見解はアリストテレー
スに懐で潮う得る︒分配問題は斯く古くから取扱はれ來つπが︑﹃眞に分配問題は如何にして成立
するか︑叉それは経濟科學の構造の中で如何なる位置を占むべきか﹄に就いては︑深く討究さる\
之となくして今日に及んだのである(9い)︒而してッウガンに依れば︑分配の問題が今日綾でその理
論に於て充分展開されるに至らなかつπ根本理由は︑分けても韓近の諸學者に於ける︑分配問題と
慣値問題との混同に在る︒今試みにその代表學者としてぜ・ピ・クラークを基げるならば︑彼は明か
に﹃慣値の理論と集團的分配σqδ毛山蜂ユσ&9のそれとは同一物である﹄②と云つてゐる︒
而もそれは蕾にクラークにのみ止どまらない︒メンガーに取つても︑べーム・バヴエルクに取つ
ても︑ヤーシァルに取つて竜︑慣値論の他に特殊なる分配問題なるものは無い︒更に之と同じ立
場に立つ者にはγエァーあう︑ミトップあう︑フエルデスあぬ︑シヂウ靖ックあり︑ニコルソンあ
分配論上の権力學観三六七