津山高専紀・要第15号(1977)
た∪冨審居国Φロユ︒﹃OδO①ωoぼ︒げけΦq①ωo口件巳︒αq冨︒ゴ①pOo†
8のげ①≦Φす$︿oPUΦωo舞一Φの窪ω国9曇・はその一つである︒注
にもあるとおりこれは一九五九年七月のベルリン大学における
講演の草稿であり︑また未出版のものである︒訳者に送られた
ものはタイプライターによる原稿であり︑多忙中最小限の手が
入っているだけなので︑乏しい訳注の示すように引用等に多少
補足︑訂正の必要があったが︑内容の本質にかかわる部分でな
いのは言うまでもない︒
識者の知るとおり翌一九六〇年には同教授の三〇〇頁に近い
著作・∪魯︒算90σq冨畠︒ΩoヰΦのげΦ≦99ωo冒℃民〇三Φ日二旨傷
。喰
ウ冒①○①ωoぼ︒窪︒ヨ伽興ZΦqNΦ楠計いρ切.ζoげ門︵勺9巳
ω繭ΦびΦo吋︶↓5︑げ言σqΦ旨が出版されている︒ここに訳出したもの
がこの高名な著作のとくに歴史的部分の簡潔な要約と補足であ
ることは想像に難くない︒闇違いもあろうかと思われる稚拙な
訳がそうした意味で多少の便宜を提供し︑あわせて教授への義
務の一部を果すとともにまた感謝の気持ちを現わすことができ
れば幸いである︒
︵なお︑原注は数字で表わし︑︹︺は原注への訳者の補足を
示し︑訳者の気づいた範囲内で草稿の整理のために付した最
小限の訳注はイロハで表わしてある︒︶
一56一
(41)
F
田 神の存在論的証明の歴史
嵩・となっているが同所には見当らない︒
㈱即Uoω8詳︒︒・竃巴算讐一〇器︒・りω﹂αc︒.
初H.国9馨国9りく二︾.$P切①培・
図この後次の一節が抹消されている︒
経験主義的反論が二度目に持ち出されたのは︑デカルトに対するヴェ
レンフェルスの著作の書評がきっかけになって︑フランスの二︑三の
雑誌に起った或る討論に関連してである︒書評者であるジャクロは︑
論理的反論に対する卓越した論拠でデカルトを擁護した︒しかしヴェ
レンフェルスの友人の一人︑ド・メゾーがジャクロに対してガッサン
ディの考えを呈示した時︑ジャクロは︑経験主義的反論は或るひとり
の哲学者の念頭に浮びえた﹁最も不遜な一撃︵冨08三①bピ︒・訂目島︶﹂
である︑としか答えるすべを知らなかった︒彼にとって︑実存が現実
の物の質の一つであることはまだ疑問の余地がないのである︒
90@この後に中断された一節が抹消されている︒一七世紀における最も
重要なデカルト主義者であるマルブランシュとスピノザは︑デカルト
の論証形式に従った︒彼らは二人とも⁝⁝の宇宙論的概念を⁝⁝持し
ている︒
.例﹁可能目αぴq嵩︒﹃﹂が﹁必要昌α訟σq﹂に書き直されている︒
励この後に類似のくり返しが抹消されている︒
ジャクロの意見によると重要な点は︑神の思惟における概念から現存
在への移行の必然性である︒実存は最高完全者の分析的述語である︒
一方を他方なしに思惟することは全く不可能である︒従って神は必然
的に実存を所有する︒移行のこの論理的必然性はジャクpによって直
接︑神.の現存在そのものの必然性と理解され︑それによって神の自存
性の定義とされている︒彼はそれを率直に次のように言う︑ ﹁最高に
完全な存在者は必然的に実存をもたねばならない﹂という命題は︑
﹁自己によって存続する存在者は必然的に実存する﹂という命題と同
一である︵一七〇〇年︑二一九頁︶︒
圃﹁示され︒身㊦N①一σqごが﹁証明されげ①≦一ΦのΦロ﹂に書き直されている︒
㈲この後次の文が抹消されている︒
もし経験主義的反論が正しいとすれば︑必然的存在者についてのバウ
ムガルテンの議論は︑あらゆる理解可能な意味を失うことになる︒
㈲﹁第一の︒屋8﹂が書き加えられている︒ ㈲﹁大きなσq8ωω︒﹂がアカデミー版では﹁最大のαqaωω8﹂.になってい るQ 図﹁かのように巴︒︒妻①茸﹂はアカデミー版では巴︒・三¢になっている︒ 図草稿の示す心b︒ミには見当らず︑露ミ︵×≦闘oD・㎝bδO︶にやや異る次の文 章が見出される︑ ﹁それ故あらゆる神学は本来︑最も実在的な存在者 撃ω話讐︒・ω一二障白の超越論的概念に基づいて構築されている﹂︒ 函﹁から毬ω﹂が書き入れられている︒ ㈲草稿の示すホ︒︒︒︒に該当文章は見当らず︑①b︒O㊤︵×<日︾ω.窃ω◎o︶に見出さ れる︒ 団草稿の示すω︒︒おに該当文字は見当らず︑︒︒o︒旨︵︶︵<口層ω.ωOけ︶に見出さ れる︒ ㈲﹁もし存在論的証明が挫折ω︒げ①ヰ①旨することになれば﹂という原文 に書き加えられている︒ 樹﹁存在が思惟されるが故に≦o二窃σq①貯︒巨≦①鼠Φ﹂が﹁存在は把握 されれば≦︒昌昌①︒・び①ゆqユ頃Φ昌≦凶a﹂と書き直されている︒ 囲﹁ようにヨ①﹂が挿入され︑︒q霞が暮鳥に改あられている︒ のここに﹁ヘーゲルが言うように註①国①σq9ω塑σq計﹂が抹消されている︒ 囲プラトンの言葉というのは次のとおりである︒ ﹁そして︑先に挙げら れた﹁示し言葉﹂や﹁定義﹂や﹁視覚﹂や﹁感覚﹂などのそれぞれ が︑相互に突き合わされ︑好意に満ちた偏見のない吟味にかけられ︑ 反駁される︒⁝⁝そうするうちにやっとのことで︑個々の問題につい て思慮ど知性的認識が︑人間にゆるされるかぎりの力をみなぎらせ て︑輝き出す﹂︵﹁第七書簡﹂ω銘じd・岩波版全集一四巻︑一五四頁︶︒ 訳者あと 訳者は在独中︑ ンリッヒ教授と︑ も得て帰国した︒ 流することになり︑ 訳出版計画︵理想社︶ の計画にもれるものができた︒ がき 大変お世話になったハイデルベルグ大学のへ 彼の論文数篇を翻訳する約束をし︑翻訳許可 その後種々の事情で︑他の入たちの計画と合 数人の分担によるヘンリッヒの論文集の醜 が目下進行中であるが︑約束の論文でこ
貴重な場を借りてここに訳出し
一57一
(39)
(1977)
津山高専紀要第15号
働﹇O・芝.聞・出ΦσqΦ剖一くOユOの離昌ぴq口ぴΦ目α一〇〇ΦωOげ凶O討けΦα①円℃げ二〇〇ゆOO7一ρ
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Oo#霧び①≦Φδのρ義盗︒口くΦ湯婆鼻聾︒︒ω.卜︒OQ︒より補う︒︶
⑳○︒零目Φ一ぴ昌凶N噂自⑦一90qΦヨO口ω什門自︒菖O昌α正気●勺.U鋤日矯℃竃Φ日O一目O¢島Φ.
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ω・日Oω凄.一昌のび●ωμO・国. ⑳目●国四昌計くO匡Φ¢置ロぴqQぴ①円竃O什90bず鴫︒励一犀噛①α●剛α一一辟N層国︻旨昌計Ho◎boどωピbo¶⑩.
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禔D国墨田.毒白・×自ω.︒︒αω−野﹈以下括孤中の四桁の数字はアカデミ
一版の手書き遺稿の反省集の番号を指している︒
岡.﹇一●一︵⇔昌甘①阜︒﹈頃α嵩言℃ω●NP﹇芝窯●××一己りH.ω齢ωHb◎﹈
幽竃・国O剛昌Nゆ <O巨①の嵩旨σq①昌国薗口お鋤びΦh竃Φ峠恥℃﹃楓の凶吋匂︾ぴ匡σq・自Φ巴もず譜●
一げ一ω蛭宍一〇ωω①傷O鴎H︵α昌αq一●ω帥Oげψ・﹀屍mq・qO円≦一のρリピΦ一日二一〇q讐μ◎Q㊤幽︾ω贋.
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岡﹈≦.国①凶昌Nρω・Oα一O﹇×︶︵<國騎bo︾Hω.Qo切﹈
圃﹇O.毛.国・国Ooq①一﹈国口N団吋一〇b帥自圃ρ ゆα目・
酬闘
mO・毒.腎国①ゆqO一讐﹈一︶一〇切①≦①一¢O︿Oヨ∪鋤︒ウΦ一⇔OO簿①ρ Φ負ピ笛︒ロ匂摩O戸qD
嵩α.
訳 注
←の
u存在論O昌8一〇〇q8﹂に書き加えられて﹁存在神学O馨︒匪ooざぴq凶①﹂
となっている︒
回﹁講演く自窪㊤ぴq﹂が﹁論文︾げ降口色ロロσq﹂に書きかえられている︒
困﹁結合ぎ<o吾ぎα言伽q﹂が書き入れられている︒.
目この後に続けて次の文章が抹消さ.れている︒.
この三つの過程はまた︑存在論的証明に対して提出された三つの反論
に関する.研究とも解されうる︒
困この後次の一節が抹消されている︒
二つの論証とそれらに対する反論とは次のように衷とめられる.︒第一
の論証は︑実存を最完全者である神の完全性のもとに算入する︒それ
に対する経験主義的反論は︑実存が量る物の性質に属することに反対
.する︒第二の論証が示すのは︑必然的存在者は現存在なしには思惟さ れえないということである︒それに対して向けられる批判主義的反論
の主張するところによれば︑必然的存在者の概念は何ら一定の思惟で
はなぐ︑.空虚な表象であるとされる︒
8茸稿では竃Φ9言謡80ω.自凶oq㍉﹀臣αq・ω・︒︒Oからの引用.とされている
が同所には見当らない︒
㈲草稿では自色昌9営β︒b三ざ︒・09尽①︾日ω8a薗Pμ①軽♪月︒出H§頃︒門
一58一
F田
神の存在論的証明の歴史
根拠づける唯一の思惟方法は哲学的であるが︑..かかる思惟方法
にとってはだから︑方法問題が直接事実問題となる︒カントと
観念論以来この思惟方法は︑認識論と存在論との間︑主観性の
作用の分析と存在そのものの概念で始まるカテゴリー論との間
の二重性の中を動揺している︒主観性の原理の優位は少なくと
もカントを通じて強いられたものだと多くの入たちに思われて
いる︒しかしながら存在論的証明に関する彼の判断を研究して
みて明らかなように︑カントもまた超越論的哲学の最上原理と
しての自覚の位置を︑形而上学の認識がみずがらすすんでそれ
を要求しているという理由によってのみ︑正統で論難不可能な
ものと考えている︒もしも存在論的証明が確固たるものであ
り︑かかる証明によって絶対的必然者の概念が規定されている
のであれば︑カントも理性の概念を新たに定義しなければなら
ないところであろう︒それ故︑一切の認識を主観性に制限する
ことには︑断る存在論的分析が先行していなければならず︑制
限はかかる分析の結果なのである︒認識論は︑自分自身をかか
るものとして根拠づけえないから︑第一哲学づユヨ鋤℃﹃出OωP
b岳螢 ではありえないのである︒カントすら存在論の方法的優
位性を反駁することはなかった︒このことはヘーゲルの手続ぎ
に対する最善の弁護となる︒しかし哲学が存在の意味への問い
で始まらねばならぬとしても︑それでもう純粋思惟の絶対的性
格に有利な決着がついたわけでは決してない︒存在論も同様に
問題的巷08鉱ωoゴであろう︒だとすると存在論は︑デカルト
からカントへの道をもう一度進まねばならないのである︒
しかしこれらの問題は︑哲学そのものの対象であって︑存在
論的論証が所属する哲学の歴史の対象ではない︒結語として示 されなければならないことは︑それらの問題は存在論的論証の 中に隠されている問題によってなおいっしょに包括されてい る︑ということだけである︒思惟の過去のもろもろの形に関す る研究ひとつでも︑哲学においては︑それがこうして過去に向 けられてはいても過去そのもののためということは決してあり えないのである︒存在論的神の証明も︑プラトンの第七書簡に ︵オ︶ おける言葉に倣うならば︑洞察を得ようと常に相互に突き合わ せ︑好意をもって吟味されなければならないあれらのものに属 しているのである︒ 原注・︹︺内は訳者の補足 qD一九五九年七月一日︑ベルリン自由大学の招待によって行なわれた講 演︹に僅かに手を入れたものである︺︒
②﹇四U①ψ8詳①ρ﹈﹈≦①臼♂笛︒ロoρoユoq−﹀ロq駆αq.ω●ω爲.㈹﹇O毒.いΦま巳N﹈28<8目図国ωω臨の噂しd信9♪国p︒娼﹂ρゆ刈● 四ψ男山犀①き目㊦ロ富日ぎ的づげ擁凶8み冨︒ざぴq8四恥oU①Pピ︒⇔島︒員μOOq. 励即U.譲=①口器噂OΦ霧霞9bぼδωob三器O幾けΦωδ旨帥ρ一撃δ層δ◎QO●. 馴ω.≦︒善囲︒β冒監︒日住Φ露︒日︒昌ぎ︒舞①︒︒ξ円︒Φ誤§欝ug OΦ氏誌︒鋤びΦ冒ω莚①P切鋤ωΦ♂HO8. ω︸り噸ζoωげ鉱β切8皇紀けロ昌oq魯自口αU房︒・23江8Φ嵩ぎ幻.O亘α毒︒二戸
ω団馨①臼薗言8昌①o葺鉱Φげ乱土目巳<Φ目ω押︸oロP旨Q◎Q◎︵冨な凶巳ω号ΦOげ︒房︒言巨αqy
鋤男白.一・ωoげΦ罠昌σq讐N障︻O①ω〇三〇巨①自Φ属昌①口①δ昌勺ぼ80︒oO三ρ芝名●月毛■封ω.旨㌔び緯︒ω8冨Φ留肖Ohh窪冨ヨ轟℃芝薫9ゆQ.μρω●δN庫﹄. ㈲国.竃︒β諺馨達︒ε日巴くΦ誘窃諺些g弩におい︒巳8H雪♪毛質.︒︒噸 帥qo廿ぢ芝≦.bd自幽印ω.ωメ ㎜O年.芝︒ζハZα江ぴqΦN直αq魯Φ口び2三二旨U.切鐘傷留昌ωゆ9Φ昌〆⑦P.
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﹀冒巴Φ日δ窪︒・oq帥びΦ﹇零芝.×蕎堕Qっ﹁卜◎お山
一59一
(37)
津山高専紀要第15号(1977)
見だとして論難しているようなことを考えていたのであれば︑
ヘーゲルの論駁に同意しなければならないところであろう︒と
ころがヘーゲルは︑元来カントの批判の対象が何であったかを
全然見てはいなかったのである︒一七・八世紀における存在神
学の過程も彼の時代にはすでに忘れ去られていた︒だからこそ
ヘーゲルは︑カントが論理的反論を仕上げ︑そして自分の本質
が自分の存在の根拠である神は一〇〇ターレルから区別されね
ばならぬことを理解しなかった︑と考えることができたのであ
る︒カントは︑一〇〇ターレルは自分自身の根拠ではないが︑
しかし神は︑もし神が思惟されうるのであれば︑唯り必然的存
在者として思惟されるべきことを︑十分知っていたのである︒
そしてこの概念だけがカントの批判の対象なのである︒ところ
がヘーゲルの論理学は︑絶対的必然者の概念を定義し︑その意
味を規定し︑その可能性を理解可能にしょうとする試みの改訂
版であると解されうる︒カントとヘーゲルの間の事実的関係が
根拠のない論駁の外見から解放されるならば︑それはデカルト
とライプニッツによって展開された二者択一の基盤の上にある
ことがはっきりしてくる︒すなわち必然的なものの概念は名前
に過ぎないというカントの指摘が︑ ヘーゲルの必然性について
の思弁的概念の新たな理論によって論駁されている︒ カント
も︑たとえ虚偽だとしても整合的ではある︑と説明したであろ
うと思われる一つの立場を︑ヘーゲルは採用したのである︒こ
のように存在神学の運命は両者の間で決定されるのである︒
筒︑ヘーゲルは絶対者についての自分の概念によって形而上
学の神の概念に還るのではない︒形而上学の言葉はカント以来
過去に属する︒最も完全なものとか︑かかるものの自己原因と かについてより以上のことを︑神について議論しない︑という ことには説得的根拠がある︒しかしデカルトによって根拠づけ られた合理的神学の終りにある洞察は︑合理的神学の神の概念 の特殊な連関から解明されうる︒ライプニッツとカントは︑理 性の神の存在論的証明なしには理性の最高の対象が虚無な表象 となることを︑一致して保証している︒従って神の本質と現存 在は︑神自身において始まるのでないようないかなる媒介によ
っても認識されえないのである︒世界の現存在からするアリス
トテレスの証明は︑無制約者のいかなる認識にも達するもので
はない︒かかる証明は︑ ﹁神在り﹂とわれわれが言う時われわ
れが考えていることを︑理解さえさせてくれない︒神は純粋な
思惟にすでに現前しているのであるから︑理性は存在神学が望
んだとおりに自分自身のなかに神を確信するか︑あるいは一
ちょうど積極哲学へのシェリングの豊後的転回やキェルケゴー ︵ヰ︶ ルのパラドックスにおけるように︑そしてまた最も純なる神に
対する純なる希望︒摩冒︒のO⊆惹貯眉霞δ忽日置ヨ匹Φ自ヨにおけ
るように1理性は自己を放棄し︑絶対者を自分の限界として
認識することによってしか︑神に到達できないか︑のいずれか
である︒だからまた神の現存在の確実性は︑かかる確実性に至
る道の目標ではない︒ここで神の現存在の証明への問いの成果
として現われてくることが︑また神の絶対性の帰結としても理 ノ 解されうるであろう︒かかる絶対性は︑もしそれが即対自的に
はわれわれのところになくて︑そうあろうと望んでいるのだと
すると︑解明されえないであろう︒
国︑しかし最大の意味をもつのは︑存在論的証明の近代の歴
史から哲学の方法に対して生じてきた洞察である︒自分自身を
一60一
田
神の存在論的証明の歴史
存在神学の問題が形而上学の根本問題になったのであるが︑こ
の根本問題が形而上学を終らせるために一翼を担うことになっ
た︒先ず以る特殊な神証明の問題とは何であったのか︑という
ことが絶対必然的なものの概念の意味への問いになり︑ひいて
は全形而上学の可能性への問いになった︒カントによって批判
された哲学がそれまでにすでに自分から表明していたことであ
るが︑単に神の認識のみならず︑かかる認識に理解されていた
ような一切の認識作用は︑もし神の現存在に関する存在論的証 ︵ム︶ 明の試みが失敗することになれば︑自らの確実性と自らの一定
の意味とを失わなくてはならないのである︒しかしこの証明
は︑必然的存在者の概念を放棄するのに十分な根拠がなかった
間は︑有効な神の証明であった︒ヴェレンフェルスやモスハイ
ムやベーリングは︑彼らが後のカントの批判のテーゼを先取り
していたからといって︑ライプニッツやヴォルフを犠牲にして
賞讃されるべきではない︒彼らはそのテーゼを徹底的に遂行す
ることを理解しなかったのであるから︑偉大な体系家たちの方
が正しかった︒この体系家たちはだからまた︑うちに批判の精
神が前者よりもっと生き生きと息づいていた人たちだともみな
されうるのである︒塗る認識の可能性への懐疑や疑惑は︑必ら
ずしも常に熟考された洞察の成果であるとは限らない︒必然的
なものの名前が一定の概念となるための何らかの説明を要求し
ている︑ということが示された時はじめて︑存在神学における
証明の全重量が︑すでにガッサンディによって適切に反駁され
ていたアソセルムスのあの弱い第一の論証の上に︑もろにはね
返ってきたのである︒それ以来︑存在論的証明を行なうことが
可能かどうかという問いの中で言われているのは次の二者択↓ であることになる︒すなわち一定の内容をもった必然的存在者 の概念を思惟することに成功するか︑あるいは絶対必然的なも のの概念を放棄しなければならないか︑のいずれかということ になる︒もし前者だとすれば︑必然的存在者の可能性は確保さ れ︑カントが先に言ったように﹁証明はすでになされたことに なる﹂︒ もし後者だとすれば︑必然的なものの概念とともにあ らゆる合理的神学が崩壊することになる︒この証明を容易に解 体されうる誰弁だと考える周知の偏見は︑だから証明の意味を とり違えているのである︒近代の形而上学は正当にも︑自分自 身の可能性への問いを神の証明と結びつけたのである︒ 口︑この問題の定式化においてカントは︑彼の先行者たちの みならずまたへ一︑ゲルとも同意見である︒近代における存在論 的証明の歴史はカントで終乏しはしない︒その歴史はヘーゲル の体系において復活を見ることになり︑存在神学の論議の新た な一時期がそれに続くことになった︒クリスチアン・H・ヴァイ セとシェリング後期哲学とによってようやく︑この時期竜終結 した︒問題の連続性は︑このカントによって変形された形の哲 学においても︑依然として保持されているのである︒ところが カントに対するヘーゲルの論駁は︑この事態への洞察に反する ものである︒ヘーゲルは彼としても異例なくらいカントに対し て︑古典的なドイツ哲学にまだありがちだった粗雑な調子で︑ 批判を加えている︒一〇〇ターレルの表象を神の概念から区別 ︵34︶ ︵ウ︶ しないのは﹁野蕃﹂であり︑また存在は把握されればもはや﹁存 ︵35︶ 在そのもの﹂でないと考えるのは﹁馬鹿げた観念論﹂であると して︑ヘーゲルはカントを非難している︒しかしこの論駁は徒
労である︒もしもカントがほんとうに︑へ⁝ゲルがカントの面
一61一
(35)
津山高専紀要第15号(1977)
そしてカントは︑もし必然的なものの概念に一定の意味を与
えうるのであれば︑デカルトの論証が有効な神の証明である︑
ということを保証した︒ ﹁もし蘇る存在者の絶対的必然性につ
いて或る一定の概念が可能であるならば︑それによってかかる ナ 存在者の現存在が証明されているのである﹂︵①b︒①㊤︶︒﹁量る必然
的存在者の可能性が立証されるだけでよい︑そうすればその現
存在も証明されているのである︒というのは或る必然的存在者
が︵必然的に︶現存するということはかかる存在者の定義であ
るからである﹂︵ら①①H︶︒それどころか宇宙論的神の証明は︑そ
の証明目的について或る一定の概念を作るζとが成功すれば︑︑
余計なものであるとさえ︑カントは考えている︒ ﹁遣る絶対必
然的存在者の現存在を︑当の必然的なものそのものとは別の或
る何かから証明しようとするのは︑異様なことである︒という
のは絶対必然的とは何を意味するかが理解され︑その概念が何
か或るものであることが認識されるならば︑証明はすでになさ ︵ラ︶ れたのである﹂︵ω◎︒旨︶︒
カントは何も唯名論者ではない︒概念もわれわれの認識の根
本概念も︑その普遍性のためにすでに彼にとっては︑現実に対
応するものが何もないような単なる名前などではない︒彼は近
代の形而上学者たちとかなり同意見で︑彼も次のように言いう
るほどである︒もし採る概念が︑論る一定の独立存在者として
思惟されうるような性質の内容を持っており︑そしてその概念
において実存が共に思惟されねばならないとしたら︑かかる概
念の現存在は疑いないと︒純粋概念に基づくあらゆる認識の主
観性についてのカントの説は︑普遍的なものの認識価値の制限
の結果ではない︒そうした彼の説を生ぜしめた洞察は︑例えば 必然性のカテゴリーのようなカテゴリーや︑また例えば絶対必 然的存在者の理念のような理念が︑もしも対象として即対自的 に鋤⇒旨旨αh冑ω皆げ思惟され︑かくして認識する主観の遂行 力に対するそれらの関係から独立に思惟されるのだとすると︑ それらカテゴリーや理念は全く何らの規定可能な意味も持たな いことになる︑というものである︒もしも彼の批判が唯名論的 哲学だとすれば︑その批判は概念と存在の差異からする論理的 反論を認めなければならなくなろう︒ところがカントは論理的 反論を退け︑存在神学の問題を必然的存在者の概念の分析だけ で解決する︒カントはロックとよりももっと︑彼がロックに対 置していた︑ライプニッツと︑対立関係にあったのである︒ デカルト以来の合理的神学を貫く上の三つの過程は︑かくし て一つの全体に統合されることになる︒その全体から︑二つは 歴史的で二つは体系的な︑四つの契機を包括するような結果が 生じてくる︒ e 近代の存在神学の歴史は︑デカルトの改革によって指示 された一本の道の上をまっすぐに﹂そして一貫して経過してきた のであり︑その動機も中世哲学のそれとは異ったものであっ た︒デカルトは先ず論理的反論が無根拠なことを示し︑それに よって証明を再び有効ならしめた︒ガッナンディはアンセルム スの論証に対して経験主義的反論を展開したが︑この反論によ ってデカルトを反駁することはできなかった︒というのはデカ ルトはすでに証明の前提を変えていて︑証明を必然的存在者の 概念に依存せしめていたからである︒ケンブジッジ・新プラト ン主義者たち︑ジャクロ︑ライプニッツそしてヴォルフ学派が その後︑両論証相互の連関を確立した︒彼らによってはじめて
一62一
田
神の存在論的証明の歴史
にかかる存在者の現存在を根拠づけようとする試みであって︑
それは失敗したからである︒﹁その反対が絶対不可能であるよう
な必然的存在者が存在する︒しかし人間の悟性は︑かかる存在
者の概念には非存在は矛盾する︑ということを介してでなくて
はこの可能性を洞察できない︒ところで論る物の非存在なら︑
物自体そのものの概念に決して矛盾しない︒それ故必然的存在 ︵︐且3︶ 者の概念は︑人間の理性にとって到達不可能である﹂︵零◎Qω︶︒
かくしてカントは︑必然的存在者の現存在は人間理性にとっ
て深渕︾げσq霊昌山である︑と説明するに至る︒こうした考えを
われわれは抑えることができない︒というのはこの考えなしに
は︑われわれの世界認識は締めくくられえないからである︒し
かしわれわれはこの考えに耐えることもできない︒というのは
この考えにおいては本来何も考えられえないからである︒カン
トはかかる認識を誘導して︑絶対的必然性の概念を主観化する
に至らしめた︒ ﹁絶対的必然性の概念は理性によっては全然洞
察されえない︒それにもかかわらず私はかかる概念を必然的仮 の 説として立証しうる﹂︒﹁根底にある概念は必然的前提であり︑
それ故にそれは必然的存在者の概念であるように見える﹂︵ミbO
⑩︶︒認識の或る新らしい概念によってのみ︑存在論は懐疑から
保護されうるのであり︑また存在論に対して︑可能的経験の主
観的諸条件の理論という限られた分野が少なくとも確保されう
るのである︒
しかし合理的神学は放棄されねばならない︒ ﹁というのはあ
らゆる神学は本来︑最も完全な存在者の概念に基づいて構築さ ︵ツ︶ ︵ネ︶ れたものであるからである﹂︵①卜∂ら刈︶︒かかる概念から現存在を
導出しえないとすると︑絶対必然的なものの概念も崩壊する︒ 従って﹁超越論的神学の全困難は︑攣る物の絶対的必然性の概 念を規定すること︑つまりその物の思惟可能性が何に依存する かを告げること︑が不可能であることによっている﹂︵①bo刈刈︶︒
﹁われわれは絶対必然的存在者の概念を所有するが︑決して規
定可能な概念ではない︒われわれはかかる存在者にいかなる性
質を与えるべきかを知らないから︑従ってそれらの性質は廃棄
︵32︶ されえない﹂︒
デカルトは必然的存在者の概念における思惟から存在への移
行の明晰性に論及することによって︑自分の証明をアンセルム
スの証明から区別していた︒デカルトの証明に較べればアンセ
ルム入の証明は単なる名前であるように見えた︒ところが今や
カントは︑デカルトの根本概念に対して︑同じような言葉で同
じように反論する︑ ﹁われわれは確かに或る絶対必然的なもの
の穿る概念を持っており︑かかる概念は唯名言概念でかつ仮定
的である︒これは私の知らない或る概念の単に名前に過ぎな
ハ い﹂︒
純粋理性批判においてカントは︑第二の存在論的証明に一語
も触れなかった︒だから彼はアンセルムスの証明だけにかかり
きりであったと考えることができる︒もしもそうだったとする
と彼は︑論る過去の︑その意味も限られた形式の存在神学を︑
引用の形もとらずに他から採った論証でもって︑反駁したこと
になろう︒しかしカントにおける経験主義的反論は︑必然的存
在者の実存の証明に対するより包括的な批判の速成の一部に過
ぎない︑ということをいちいち指摘するのは難かしいことでは
ない︒この概念がデカルトの出発点であることをカントは知っ︑
ている︒
一63一
(33)
津山.高専紀要第15号(1977)
助けをかりて定義されねばならないという点にある︒この第一
の証明なしには必然的存在者の概念は︑ただの不可解な話︑単
なる名前に過ぎなくなってしまう︒だからライプニッソやヴォ
ルフやバウムガルテンは︑彼らの存在神学において第一の存在
論的論証に固執し︑第二の論証も薄弱にならないようにしなけ
ればならないのである︒
一八世紀においてアンセルムスの古い証明形式が再び意味を
得てくる場合︑それは決してデカルト以前への復帰ではなく︑
デカルト自身が導入した発展の結果なのである︒
今やはじめてガッサンディの反論が︑或る全く新らしい連関
の中にその十分な重要性をもってくる︒デカルトの時代には広
大な力能の概念はなおまだ問題視されはしなかった︒それ故に
デカルトの証明はガッサンディの反論によって打撃を蒙ること
がなかったのである︒しかしデカルトによって根拠づけられた
存在神学が︑バヴムガルテンの構想にまで発展させられた後
は︑経験主義的反論は論証の両形式に対して基礎を得ることに
なる︒そして更にそれ以上に︑この反論はまた宇宙論的証明に
対する反論にもなり︑ひいては形而上学の認識概念に対する反 ヨ 論にもなってくるのである︒
両方の論証の統一の認識は同時に存在神学の終焉の認識であ
り︑ひいては形而上学の方法による神の現存在のあらゆる証明
の終焉の認識である︒批判主義的反論へと通じるこの洞察だけ が︑カントの元来の財産とみなされるべきである︒カントは彼
の眼前にした存在論的論証の諸要素に何ひとつも新たにつけ加
えはしなかった︒また彼の利用した経験主義的反論も彼のずっ
と以前から発展してきたものである︒カントはかかる反論を︑ ヴォルフ学派の教科書で眼の前にしていた存在神学に適用した だけである︒カントはバウムガルテンの形而上学ヨ︒富﹁ゴ団ω答9 を後ろから読んで︑形而上学の始めにある必然的存在者の概念 タ がいかにして次第に第一の存在論的論証に依存するようになっ たか︑を見ただけであると言いうる︒バウムガルテンも︑経験 主義的反論に正当性を認める人はおよそ︑全合理的神学を放棄 しているのである︑と言わねばならないところであろう︒カン トはこの帰結を採ることを決意したのである︒この帰結は︑デ カルト以来の存在神学の発展の中から︑その結果として登場し てくるのである︒ 経験主義的な反駁が彼に直接納得のいくものに思えるだけ に︑カントは︑証明がひじょうに長い間妥当性を失わずにきた ことがいかにして可能であったか︑を自問しなければならな い︒そのことを彼は︑証明の宇宙論との連関から説明する︒理 性は世界におけるもろもろの変化の系列に対して︑それ自身が また条件づけられていることのない一つの原因を想定せざるを えない︒ ﹁しかし今や︑かかる存在者が絶対必然的に存在する ためには︑それはいかなる性質を有していなければならないか レ を私が問うとすると︑大きな困難が生じてくる︒かかる性質を 私は︑縁るものが絶対必然的に存在するために︑それに何が属 ソ しているかを私が洞察しているかのようにしか︑認識すること ふ も立証することもできない﹂︒ われわれが依存的な物の系列を 考察している場合には︑われわれがそれについて一定の概念を 形成しうるような必然的存在者に行きつくことは決してない︒ しかしまたかかる存在者への洞察をわれわれは直接には獲得し えない︒というのは存在論的神の証明は︑怠る存在者の概念の中
一64一
神の存在論的証明の歴史 戸田
章において第二の階程に入る︒ここで彼は存在論重富の証明を
第一の形で展開する︒われわれは最も完全なものである或る存
在者を思惟し︑かかる存在者において実存を思惟しなければな
らない︒ところがバウムガルテンは︑神は存在する︑というこ
とだけを証明しようとしているのではない︒神の現存在は必然
的である︑ということも示されなければならないのである︒と
いうのはそうした場合にのみ︑世界の根拠でありだからその概
念が宇宙論に属するようなかの必然的存在者は︑策すなわち万
物中最も完全なものに他ならない︑と言いうるからである︒世
界の根拠と最高存在者の両概念の統一が提示されねばならな
い︒バウムガルテンは﹁必然的実存﹂についての議論の意味
を︑第一の存在論的論証から規定することによって︑両概念を
結合している︒神にもしも実存も帰属するのでないとすると︑
万物の実在を喜ぶ存在者①諺09巳げ器話巴ヰ暮ま霧ぴq帥直傷①富
としての神が神自身でないことになってしまう︒従って神の現
存在の反対はそれ自身において不可能である︒ところが反対を
思惟しえないということは︑必然性の徴標である︒従って神は
必然的実存を所有する︒
宇宙論的論証はひとりそれだけでは︑仮定的必然性にしか到
達しない︒世界がもし存在するのであれば︑何か或る必然的な
ものの実存が想定されねばならない︒この論証は︑必然的存在
者についての議論の際にわれわれは何を思惟すべきかというこ
とを明らかにはしてくれない︒だから第一の存在論的論証から
生ず.る必然性の概念のみが本来︑一定の概念である︒それ故ま
ず念頭に浮ぶのは︑宇宙論的概念をこの存在論的概念から解釈
し︑それによって前者の概念にまず第一に一つの内容を与える という考えである︒バウムガルテンは八二五節以下でかかる概 念に対してなおそういうこともやり始めている︒ それによって彼は︑デカルトにおける特殊な証明形式によっ て近代の存在神学に課せられた問題に答えたのである︒なるほ ど必然的存在者の概念からその現存在を導出することは許され る︒しかしこの推論は︑必然的存在者がそもそも明晰にかつ規 定的に思惟されうる︑という前提に依存している︒およそこの 概念を透徹したものにしようと試みる者は︑哲学が聖アンセル ムスに負っている古い形式の存在論的論証に連れ戻される︒ デカルトからヴォルフ学派に至る発展は三つの段階を経てき た︒デカルトは二つの論証を一つの証明過程に集めた︒しかし 彼の証明根拠は必然的存在者の概念であった︒両方の証明の統
一と差異については彼は問うことがなかった︒新プラトン主義
者たちやジャクロやライプニッツは第二の段階にいる︒彼らは
自分たちの反対者への反駁にあたって︑第一の存在論的論証の
放棄の帰結に言及し︑第二の証明形式の前提である必然性の概
念もまた同様に崩壊せしめられねばならなくなる︑とした︒し
かしバウムガルテンがはじめて︑第三の発展段階における必然
性の思惟から︑結論を引き出した︒彼は﹇最も完全な存在者︒昌ω
O①議Φo鉱ω臨日屋目からする存在論的証明の助けをかりて︑必然
的存在者の概念を定義している︒
デカルト自身はしかしこの証明では不十分と考え︑彼の第二
の証明形式への撤退を奨めていた︒バウムガルテンの最後の段
階でこの道は通行不能となってしまった︒必然的存在者からす
る証明が︑第一の証明とは異なるもう一つの証明としては不適
任である理由は︑その証明の出発点をなす概念が第一の証明の
一65一
(31)
津山高専紀要第15号1(1977)
質の根拠から実存する︒かくして次のように推論することがで
きる︒かかる存在者がもし可能であるなら︑それはまた実存す
ると︒神がもし可能であるなら︑神は実存しなければならない
のである︒従って神の実存に反対して提示できる唯一のこと
は︑神の可能性を否定することである︒これによってライプニ
ッソは︑存在論的証明の決着がつけられるべき位置を正確に表
示したのである︒必然的存在者の概念が何ら空虚な概念ではな
いことが確立しなければならない︒それに成功しなければ︑ま
た証明のための前提も欠けることになる︒しかし何か計るもの
が必然的に存在するのは︑自分の本質によって自分の実存が措
定されている場合である︒この連関はライプニッソに︑存在論
的証明を退けるすべての人たちを非難する可能性を与え︑この
非難によって彼らが存在論的証明を重大だと感じるようになる
であろうと︑彼は期待することができたわけである︒ ﹁単なる
概念︑理念︑定義ないし可能的本質性から現実的実存は決して
導出されえないよう望む人たちには︑彼らが自存的存在者の可 り 能性を否定しなければならないと︑いうことが起る﹂︒ 存在論的
証明の可能性に反対することは︑神の不可能性をアプリオリに
確信しているのと伺じ意味である︒というのは神は︑その概念
の中に現存在が分析的規定として含まれていることを承認する
場合にだけ思惟されうる存在者︑すなわち自存的存在者である
からである︒
従ってジャクロとライプニッツは︑近代における神の現存在
についての存在論的理論の将来を決定づけることになる問題連
関を発見したのである︒デカルトがかかる理論のための新たな
方法的基礎づけを発見して以来︑この基礎づけは︑概念から現 存在への移行に対する批判が︑自存的存在者そのものに対する 批判に発展した時までの長い聞︑妥当性を持ち続けねばならな かったのである︒後者の批判は︑証明を擁護した人たち同様︑ それの反対者たちにとっても思いもよらぬものであった︒だか らライプニッヅが彼らに対して︑彼らの処理の不徹底を非難し ているのは正当なのである︒ デカルトにおいても︑更になおライプニッツにおいてすら︑ 形而上学はもろもろの探究と省察の中に散在するだけであっ た︒クリスチアン・ヴォルフとその学派は︑形而上学を一つの 体系的証明過程の中で展開しようという課題に直面した︒だか ら二つの論証の統一を求める問いが直接彼らの関心の対象とな
っている︒彼らは存在神学の反対転たちに対する論争の動機か
らだけでなく︑存在神学の構築の過程の中でその問題を取扱っ
ている︒その際︑カドワースやジャクロやライプニッツが単に
示唆しただけに過ぎない諸連関が明白に登場してくる︒
そのことをアレキサンダー・バウムガルテンの形而上学の例
で示してみよう︒彼の神の証明は三つの階程に区分されてい ︵カ︶ る︒宇宙論ooωヨ︒ざαq富の申で証明されているのは︑有限的存
在者の全体としての世界がその現存在の世界外的根拠を前提し
ており︑かかる根拠が必然的存在者である︑ということであ
︵28︶
る︒この証明の成果は必然的存在者の概念の実在性である︒バ
ウムガルテンはこの必然的存在者に神という名前を与えない︒
彼は︑いかなる存在者に関して︑またいかなる条件のもとで︑
絶対必然的実存が語られうるのか︑ということを未決定のまま
にしておく︒
バウムガルテンは︑自然神学匪Φ90αq冨口9⊆茜一陣ωに関する
一66一
戸田
神の存在論的証明の歴史
するために︑第一原因︑必然的存在者を探求する場合︑必然的
に実存する神は︑それがあらゆる完全性を所有するが故に︑存
在する︑という推論ですべては終るからである﹂︵一七〇一年︑
︵26︶ 四二二頁︶︒ ジャクロの意見によると最も重要な点は︑第一の
存在論的証明における︑神概念から神の現存在への移行の必然
性である︒実存は最高完全者の分析的述語である︒従って必然
的に神の実存が承認されねばならない︒移行のこの論理的必然
性はジャクロによって直接︑神の必然的現存在の根拠として理
解され︑また神の自存性︾のΦ騨鷺の定義とされている︒彼はそ
れを率直に次のように言う︑ ﹁最高に完全な存在者は必然的に
実存を持たねばならない﹂という命題は︑ ﹁自己によって存続
する存在者は必然的に実存する﹂という命題と同一である︵一
︵26︶︵ワ︶ 七〇〇年︑二一九頁︶︒
従ってジャクロは︑デカルトと同じように必然的存在者の概
念を第一の存在論的推論に導入した︑がしかしデカルトのよう
に神の広大な力能に論及することによってではない︒ジャクロ
にとって神の実存が必然的であるのは︑神の実存は神の概念に
おいて措定されているからなのである︒われわれが必然的存在
者について語る際考えているのは︑自分の本質が自分の現存在
を必然的に含むようなものなのである︒この認識が結論を引き
出しているのは︑蘇る証明の出発点をなすあらゆる概念は判明
に規定されていなければならない︑とするデカルトの方法的規
則からである︒しかしかかる認識によって存在神学の立場は︑
デカルト自身の場合よりにるかに薄弱になった︒ガッサンディ
の経験主義的反論がまだデカルトの証明に屈服していたのに対
して︑今やこの反論は第二の存在論的証明にとっても危険なも のになってくる︒というのはその間に存在神学は︑必然的なも のそのものの概念が︑第一の証明なしには何ら一定の意味を持 たぬことに気づいたからである︒ところがこの論証には︑ガッ ナンディとベーリングの反論が反駁している︒従ってこの反論 は今や間接的には︑必然的存在者の実存の第二の存在論的証明 にも当っていることになる︒ところがこの証明と同時に問題視 されるのは︑必然的存在者そのものの概念なのである︒全宇宙 論及びそれとともに形而上学の認識論は︑この概念の妥当に依 存している︒ それ故︑ かかる概念に固執した批判者たちもま た︑彼らの経験主義的反論を徹底的に遂行し︑ひいてはそれを 批判主義的反論たらしめる状態になかったのである︒存在論的 証明が更に効力を持ち続けたのはこういう理由による︒ ﹈方ヴェレンフェルスの︑他方ジャクロの︑それぞれの支持 のために発表された数多くの論文中には︑ジャクロの側の味方 のフランソワ・ラミーの論文もトレヴの雑誌に見受けられる︒ この論文の回りくどい形式と独創性に乏しい内容が多分きっか けとなって︑ライプニッツは同じ雑誌に論文を投稿し︑その中 ︵27︶ で存在論的論証の正当性をもっとよく擁護しようとしている︒ この三頁の論文は存在神学の歴史における古典的テキストに属 している︒ライプニッツは先ずデカルトの規則を改良された形 式で繰り返す︒神の実存の証明の前に示されねばならないこと は︑神が可能であること︑すなわち神は矛盾なしに思惟されう ることである︒ところですべての完全性が矛盾なしに一つの総 体の中に統一されうることに反対するような人たちがいる︒彼 らによって妨げられないよう︑もっと単純な証明が行なわれう
る︒神は自存的存在者Φ昌ω簿ω①であり︑従って自分自身の本
一67一
(29)
津山高専紀要第15号(197の
ったのである︒デカルトは彼の神の証明を︑必然的存在者とい
う宇宙論の根本概念から行ない︑それによって神の証明をこの
根本概念の規定性に依存せしめた︒今始まった展開において
は︑必然的存在者というこの神の概念が逆に︑最も完全なもの
からする第一の存在論的証明に依存するようになる︒世界にお
けるもろもろの偶然的な物の根拠をなすような必然的存在者に
ついて語る場合︑われわれは本来何を言おうとしているのか︑
という問いが生じてくる︒第一の存在論的証明が︑かかる存在
者の概念に対する唯一の例であるのは︑見るとおりであると信
じられている︒だからこの証明のみがかかる存在者の実在性を
保証する︒この証明は︑こうした必然的なものの思惟が決し
て︑恣意的に形成された表象でも︑単なる名前でもないという
こと︑むしろわれわれはかかる必然的なものを明晰かつ判明か
つ確実に思惟することができるということ︑を保証する︒
モアやカドワースでは周辺部にしかこの問題が現われてこな
い︒彼らは存在論的推論の正当性を疑っている人たちに対し ︵ヲ︶ て︑更に進んだ根拠を手に入れるのに彼らに必要と見える限り
においてのみ︑この問題を追求している︒後になってはじめ
て︑哲学的神学にとってかかる問題がもつ帰結が明らかにされ
るであろう︒
デカルトに反対するヴェレンフェルスの著作が出版された
時︑二︑三のフランスの雑誌で存在論的証明に関する或る討論
● ● ● ●︵26︶ が始まった︒この討論は︑ジャクロが﹁学術書の歴史岳ω⇔o胃Φ
q$o信謹9︒αqΦωゆ①ωωo<塑昌け︒︐﹂において一七〇〇年に発表した
入る書評によってひき起された︒ジャクロはヴェレンフェルス
に対してデカルトを擁護した︒彼はその明敏な論証を進めるな かで︑第一の存在論的神概念の宇宙論二神概念への転換を遂行 するのであるが︑これは二回目で︑今回もおのずから︑論理的 反論に対する擁護の場合と同様である︒ジャクロの命題中に は︑ ﹁必然的﹂という語の二義的な︑外見上冗語的な使用法が 目につく︒例えば次で彼はそういう言い方をしている︑ ﹁最も 完全な存在者は必然的に実存を所有しなければならない︒しか し必然的に実存を持つということは︑現実的かつ必然的に実存 ︵26︶ するという以外何も意味していない﹂︒ 第一の論証における︑ 概念から現存在への移行の認識の論理的必然性は︑必然的存在 者において思惟されるところの︑存在することの必然性から︑ 区別されない︒しかしこの無規定性こそジャクロの理論の一定 の内容をなすのである︒カドワースと同じように彼も︑論理的 反論を退けるだけでは満足しない︒理性は存在論的証明を決し て諦めるべぎでない︑ということを彼はまた示そうとしてい る︒ ﹁人間の精神はいかに思惟するかということを探究する場 合私が確信しているのは︑精神は論じられた論証を受け入れな ければならないか︑さもなければ論証の全結論を放棄しなけれ ︵26︶ ばならない︑ということである﹂︵一七〇一年︑四二二頁︶︒一 つの論証のためにはそうなのであって︑その理由は︑論理学の 諸規則に従って正しく成立した結論を論理的反論が論駁すると いうことにある︒従ってその反論によってはこれらの規則が疑 われるのであり︑次いで存在論的証明とともに神の現存在の理 性的証明のすべてが反対されるのである︒ ﹁私は付言しておく が︑神の実存を証明するために利用される他のあらゆる論証 は︑それらの中心としてのこの神において統一される﹂︵一七〇 ︵26︶ ○年︑二二一頁︶︒﹁というのは神が存在するということを推論
一68一
P田
神の存在論的証明の歴史
三
従って存在神学の問題は︑証明のこの形式に集中している︒
それ故に必然的存在者の概念から︑存在論的論証の問題がどの
ように展開してきたかを見るために︑存在神学の近代の歴史を
通して第三の過程をたどることがいまや必要となる︒その際二
つの問いが答えられねばならない︒e︑デカルトが確立した二
つの論証の連関はどのように理解されたか︒口︑第三の反論は
どんなふうに生じまた基礎づけられたか︒批判主義的反論は︑
デカルトによって推測はされていたがまだ確立されるには至り
えなかった二証明の内的統一への洞察から︑後に生じた結果で ︵ル︶ あることが示されるであろう︒
この展開はケンブリッジ︒新プラトン主義者たちの研究が始
まりである︒スピノザとマルブランシュは︑他の点ではその重
要性ははるかに大・きいけれども︑存在神学の歴史においてはほ
んの挿話の域を出ない︒モアとカドワースは︑英国の思惟に常
時とくに近縁であった論理的反論に直面した︒だからこの二人
は︑存在論的証明を可能な限り確実にしょうと試みた︒その際
はじめて彼らは︑論理的反論に対する証明と防御とに満足しな
くなるのである︒彼らはまた︑証明が確固たるものであること
に反対すれば︑無根拠な結果に陥ることも示している︒こうし
た帰謬法目Φ畠qo江O国q餌ぴω賃aロヨの原理は︑彼らにおいても
またその後においても︑常に同一であった︒すなわち存在論的
証明なしには︑合理的神学の全体系は崩壊するということであ
る︒存在論的証明と並んで︑すでにアンセルムスの時代に︑世
界における偶然的なものの現存在からする宇宙論的証明が存在 していた︒この証明の成果は︑或る何らかの必然的存在者の実 存である︒しかしこの証明においては︑必然的存在者の概念が 真の概念であること︑すなわちかかる存在者の思惟とともに或 る一定のものが思惟されているということ︑が前提されて︑い る︒しかし存在論的証明を承認しないような人は︑点る物の本 質がいかにしてその物の現存在の根拠でありうべきか︑表象す ることはできない︒ルードルフ・カドワースにおいてこの考察 が最高の形で表現されている︒ ﹁あらゆる時に必然的に現存す るという必然性がその本質のうちに包含されているようなもの 以外には︑必らず自己によって︑かつ必然的に永遠に実存しう るものは何ひとつない︒そして完全性に達するには自分に何か が欠けているようなすべての物は︑本性的に必然的に実存する のではなく︑自分から存在したり︑またしなかったりしうる︒ すべてのうちで絶対的かつ最完全なもの以外いかなる物も︑実 存するという必然性を自分の本質のうちに含んではいない︑と ハ いうことがそこから帰結してくる﹂︒ カドワースはこの節の中で二つの問題を一緒にしている︒第
一の存在論的論証の妥当の仕方が問われうる︒最高に完全なも
のには必然的に現存在が帰せられねばならない︑というのがそ
の答えである︒もう一つの問いによっては︑必然的存在者の概
念を説明することが要求されうる︒第一の問いへの答えはまた
第二の問いへの答えでもあることを︑カドワースは前提してい
る︒必然的存在者が必然的と言われる理由は︑かかる存在者の
概念の中に必然的に現存在が前提されているということにあ
る︒
存在神学的な思量のこの変化によって盗る意味深いことが起
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