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札幌大谷短期大学紀要06号 藤岡 隆男「阿弥陀仏の第十八願中「唯除」の意義についての一私見 〔附〕親の在り方」

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(1)

59

弥陀

第十

願 中 「

除」

意義

私 見

      〔

医 学博士  藤  岡  隆 男

       

     

 大

無量

寿

経に、 阿

弥陀

仏の 四十八願が

か れ、 その

第十

が、

古来

、 すな わ       ち か い ち あ らゆ る人々 を

済 するた めの根 本の誓 願である と

え ら れてい る。         たと       しょう      お

 

即 ち

「設ヒ我 仏ヲ得ン ニ

、十

心 ヲ 至 シ

、信楽

シ テ

我が

二 生レン ト欲ヒテ

乃至 十 念セ ン

若シ 生 レズバ

正 覚 ヲ取ラ ジ。 唯五逆 と 誹 謗正 法ヲ除ク。 」 V

 

との こ文であ り ます。       た だ しい

 

而 して衆 生 救 済の根 本の誓 願で あるこの 第 十八願に

「唯 除 五 逆 誹

正 法

即 ち

唯 五 逆 ト誹

ほ う をそ し る 正 法 ヲ除ク

とあるにつ い て

曇 鷲 大 師はその

著 『

論 註

巻 上2}

無 量 寿 経

往 生

願 う者       も ろ も ろ

生で きる の に

唯五逆と正 法

を誹謗

する

を除

とあ り

寿

経に

五逆

諸の 不 善

具せ る

者 も往

得 し める

と あるが

経には

五 逆 と

法の 二

の重 罪 を 具せ るを以 て 往生 を得ること が ない 。

し他の経 に は、

悪、 五逆の 罪

を作

る と は あ るが、

法 を 誹 謗 した罪 を 言っ て い ない 。 こ の

誹謗

正法の罪 なき 故 に

得るの で あ る、 と。 即 ち、 謗 法の重 罪 を犯せ ば救 わ れない のだ とい

 

仏 蔵 経 巻

中、

浄 法 品 第六 にも

 

「怨みを 以て人の命 を奪っ ても

た だ

を 失 うだけ である が、 諸仏

を誹謗

す る罪は、

億劫

に諸の

生のた め に大 衰 悩 を 作 し

菩 薩の本 心 を覆い

貪著 ま       えん ぷ だい たまた

盛にして相 続 不 断 と なるだ ろ う。 若 しこの

者 を閻浮

こ の

娑婆

界 )

生の

に置け ば

三 千 大 千 世 界の衆生の命 を奪 うであ ろ う。 され ばこの罪に よっ て

地 獄に

ちるの で あ る。 こ の人は

むし ろ自 ら利 刀

以 っ て舌

切 っ て し まっ て

法の

罪 を作

らない

が ま だま しで あるql 3

F と

謗法の重い 罪

い ま し めてい ま す。

 

而 し て

善導大

師は

経 疏 散 善 義

下 品 下 生 釈に

四 十八願の

法、 五

逆 を除

くとい

の は

この 二

はその

りが

極 重

で あっ て

衆生 が若 し造 るな ら ば

ちに阿

ちて

し て出るべ き縁

て が か がない そ れで如

は、 こ の二 っ の罪 過

造ること を 恐 れ るが故に

方 便       たす け と る し て止 めて

往 生で きない と

せ られ たの で あっ て

攝 取 しない と云 うの で はない のである。 ま た

観経

』の

生の

五 逆 罪 を犯 した 者 を

取して

謗 法

罪 を

犯し た

者 を除

せ ξ、れ てあ るのは

こ の場

合、

五逆 罪 は すで に犯されて しまつ たと はい え

て て 生死の

し み に流

むべ き で はない の で

本 来の

大悲

を 発されて

、摂

取 し て往生せ しめ るの で あ る。

し謗法の 罪       お さ え と ド め は未 だ 犯さ れて い ない の で、 抑 止 して

若し謗法 罪 を 犯せば往 生で きない そと

せ られ てい るの で ある。 即 ちこれ は 未 造 業につ い て抑 止 して い るの で

もし こ の 罪 も犯されて し まっ た

に於ては

ま た摂 取 し て往生せ し め るの である

。併

しこれ らの罪 を 犯した者は往生 で きて も

つ には仏及び 諸の聖 衆 を見 るこ とが で き ない

二っ には正 法

聴 聞す る こ と が で きない 三つ に は歴

供 養 する こと がで きない 。 併し阿 鼻 地獄の 中に

ちて長

永 劫 に諸の苦 痛 を 受けるよ り は ま だ ま し で は ない だ ろうか

4〕 と云 っ てい る。

(2)

60

藤    岡     隆    男

 

また 『法

事讃』

巻上に は

 

「人 天 善 悪 皆 往生 ヲ得、 彼二

リ テ

ナル コ ト無シ。

同 不退 ナ リ

何ノ意力然ル トナラ バ、 乃シ

弥陀

地二

王 仏ノ所ニ テ位 ヲ

テ、 家 ヲ

ヅ。 則チ

智ノ心 ヲ起シ テ

広ク四 十八願ヲ弘メ タマ フニ

テ ナ リ 願 力五逆 ト十 悪 ト罪

シ生ヲ得 シ ム。   せん だい

廻心ス レ バ

往クq

5)とあっ て

廻心

悔 )

すれば

皆往

生で き

、浄

土 に到 れ ば弥 陀の 願 力に よっ て皆 同 じさと りの

となる こ と が説かれてあ る。

 

而し て

如は

口伝

鈔 』

こ の唯 除の抑 止は

釈尊

の方 便で あり

弥 陀の本 願で はない 6}かの如 く記 してい る。

 

易 行 院 法 海 7}は

抑 止 は 実 をか くし て

く方 便

なり。 実 は 五 逆 謗法 も

らさない 本 願で はある が、 その重

を 造 らせ まい と して

い たもので、

こ れ は方 便で

方 便 は必

の ちに

顕 す べ であるか ら

観 経

下下

品では

、真

顕 し て五 逆の往 生 を説 くの であ る。 し か る に弥 陀の十八願に

も し方 便の 抑 止があ れば、 必

別に逆 謗 を

す る

たて て真 実 を あ らわ さね ばな らな い し か る に四 十八願の

、 別に逆

謗摂

す る願がない 。

’弥陀

抑止

とする

は 五 逆 謗 法の者 は 実に

くこ と になり、

逆 謗

の者の往 生 はで き ない ことに なっ て し まう。 こ の 道理

もっ て

推察

する時

釈 迦の抑 止 とするこ と は 明

である。 弥 陀の悲 願が重 罪 を抑 止 し た まう意は同じこ とで は あ るが

こ の唯 除 五 逆 誹 謗 正 法 は 不 取

正覚

に出てい る の で

弥 陀の本 願の抑 止で は な く、 釈 迦の抑 止で あ るこ と が明

である。 而 し て拾

遺古徳伝

に、 弥 陀の本 願にい わく、

除五逆 誹 謗 正法と云々と あり

又、

燈録

、 登 山

(拾 遺 語 燈 録 巻

8) 

t

わ れ る

、念 仏 を修せ ん

は余 行 を そ しるべ か らず。そ し ら ば 則 ち弥

悲願

くべ 故 な り

箇条

文 も前の登 山 状 と 同 じ。 これ らの法 然 の お

葉で は抑 止 を弥

抑止

とする よ うに みえる。 これ は

散善義

に四 十 八 願の中に ただ五逆と

を誹謗

せん もの を ば 除い て

生せ

と云

う言葉

に依っ た もので、 これ は

止の文は弥 陀の

願の

に あ るか ら

文の あ るところをさ して弥 陀の

願にい わ く と

っ た もの で

抑止

である と い う意 味で は ない と 云 っ てい る。

 

而 して彼 は

覚 師の 『口伝

鈔』

に 「抑

尊の方 便 な り。 真

の落

陀の本 願に き わ ま る」 と、 明 に

迦の方 便 と定めてあ り。 しかれ ば 御相承の御

明臼 なるこ となれ ば

、 今家

末学

す べ から

、と 云 っ てい るが

真 宗の安心 は、 教

圧によっ て なされ る もので あろ

か。

 

鈔は

聖 人が如 信上入に

し て

を りをり物 語 られ た お

葉 を

覚 如 上 人が聞 き書き さ れた も

のであ ろ

はたし て 「抑 止 は

釈尊

の 方

便

なり。

真宗

の落

は弥 陀の本 願にき わ ま る

の 言

鸞の

葉で あっ た か ど

か。 また

も し親 鸞の言

で あっ た とし て も

、言葉

に は相 手が あ ること で

これ

普 遍の道理 としこれ に

固執

すべ き もの かど うか に

もっ もの で あります。

 

而 し て易 行 院 は

箇条

文に

 

「わ れは 阿

弥陀 を

こそ たのみた れ、 念 仏

こ そ信じ た れ とて、 諸仏

菩 薩の悲 願 をか ろ し め た て まっ り

 

『法

 

般 若

等のめでた き経ども をわ ろ く おもひ そ しる

は、 ゆ め ゆめ あ るべ から

。 よ う つのほ と けた ち

そ し り

も ろ も ろの聖 教 を う た がひ そ し り た らん

るっ み は

まつ阿 弥 陀の

心 にかなふ ま じけ れ ば、 念 仏 すとも悲願にもれ ん

也ql 9}とある につ い て

彼は

、唯 除

の こ文 を釈

の抑 止と決めなが ら、

 

山状

に弥 陀の悲 願に 背くべ 故 なり とせ ら れ た る は

釈 迦の抑 止は

陀の抑 止 を伝へ き た ま う故に

余 行をそ し る は弥 陀の悲 願に

む所 を御 意に由 りて仰せ ら れ た る御 言 な り

17

云 っ てい て

これ は結 局

釈 迦の抑 止は

弥陀

の抑 止 を伝へ い るの だ と云 っ てい るので ある。

 

さ れば何故、 この 「唯 除

の こ文 を

尊の抑 止と云い の が れ ようとする の か

私には益々 わ から

(3)

阿 弥 陀 仏の第 十八願 中 「唯 除」の意義につ い て の

私 見 〔附〕親の在 り方

61

なくなっ て しま う。 これ は 私の脳

脈 硬 化 症の せ い のみ であ ろ うか。

 

こ こ に私は

、謗

法の 重 き咎となるや も知 れない ことを 覚 悟の上で

、一

私 見を述べ 、 諸 賢の ご懇 篤 なる ご高 兒

を仰

ぐ次

で ありま す。

        

 

対す

釈尊

摂取

 

五 逆 罪 や

法 罪 を犯し た

とい えど も 弥 陀 は摂 取 する が

そ の者の罪は重い の で

迦が抑 止 した のだとい

る程

切経には

五逆

謗 法の罪 咎の

わ れざる重 罪で あ ること を説い てある箇 所 は、

挙に い と まがない。

 

大般

経 巻九

如 来 性 品 四の六に は、

 

「如

も亦

な り。 衆生 を化せ んが為に

制 戒

示現 す         ま さ                            な ら く。

 

応 当に 是 の 如 く受 持 して

犯 すこ と莫か るべ し

五 逆 罪 を 作 す と

正法

を誹

謗 すると

及 び

とな り

IMと ある。

 

ところが同 経 巻 十

、一

切 大 衆 所 問 品 第 五に は

純 陀に告 げた まは く、

 

「若 四 重 を犯し

及 び五逆 罪 を (造 り

)、

正 法

を誹謗

する。 是の如き等の人 を 名け て破 戒 と

1

陀、

ま た問 は く

      いな

 

「是の 如 き破 戒は抜 済 すべ き や 不 やql

言 は く

「純 陀

因 縁 有る が 故

則 ち抜 済 す

lIv

とある。       ほfさつ ま か

 

而し て同 経 巻

、梵

行品第八の

には

「菩

薩摩

薩 、

若 し貪 窮の

見 るこ と を 得ざ れば       ど く や 縁じて 慈 を生

る無 しeJ

と云い

また、

へ ば 人有り て

に毒

箭 を被

る が 如 し。 其の人の

属は安

めん と欲 し

毒 を

か ん

の故 に

じ て・ 為に

を抜 く・ 彼の 人方に言は く

「且 く 待て、

る ること莫れ。 我 今 当に観 ずべ し。 是の如 きの毒

は何の方よ り か

れ る。 誰 の射る所 ぞq1 ま た更に念

を作

さ く

 

「是何の

か、 竹か

かql 是の如き の癡人 は、

に未 だ 知 るこ       つい と能は

して

で便ち

命終

せ ん。 善 男 子

菩 薩 も亦 爾 なり、

時 、

受 者の持 戒

、破

戒 乃至 果 報 を分 別せ ば、 終に施 すこと能は じql IMと。

 

心 まず し き

逆謗

者 を

見るこ と なし に は

菩薩

心 を起 すことはな く

そ の慈

を施

す とき相 手の 分けへ をすと な く

、直

施 す と を 仰 られる の で り ま す

 

ま た

行品

八の六13}に は

、耆婆

が阿

世 に釈 尊の お徳 を述べ

 

へ ば

人に七 子 有 り。 是 の 七 子

病に遇はんに、 父 母の心 平 等 な ら ざる に非 ざれ ど も

然 も 病 子に 於て心

き が

大 王 如 来 も

亦爾

な り 。 諸の衆 生に於て不 平

に非

。 然 も罪 者に於て、 心則ち偏 へ に重し。 放 逸

に於て 、 仏 は 則 ち 慈 念 を 生じ」と云っ て い て

こ こで 云 う罪

とは五逆

の如 き もの

放 逸 者 と は無

無愧の謗 法の者

を指

してい ると云 っ て過

で はない で あろ う       あ じ ゃ せ

 

ま た

釈尊

が、

 

「我 今 当二 是ノ王

逆 悪の子 阿 閨 世

ノ為二 世二

無 量

二 至ル モ涅

二 人 ラ ザルベ el 大 衆造 げら れ 、 迦 葉の 問に答 えて

 

男 子

我が

フ所ノ如キ 阿 闍 世ノ為に涅

ズ ト

ノ如 キノ密 義ヲ

汝 未 ダ解ス コ ト能ハ ズ ヲ以テ ノ 二 我が為

凡 夫ナ リ。 阿

世 トハ 普ク

切ノ五 逆ヲ造ル

二 及ブ

と云 い 、 ま た 「為 トハ 即チ 是 仏性 ヲ見 ザル ノ

生ナ リ

と云い

た 「阿 闍 世 ト言フハ 名

ト名ク。 仏 性ヲ生ゼ ザル ヲ 以 テノ

1

ノ怨 生ズ。 煩 悩 ノ怨 生ズル ガ故二

仏 性 ヲ見 ズq1 とい い

 

「是ノ故二 ハ 、 阿闍世 ノ為二 無 量 億

涅 槃 二 入 ラ ズ ト云

と仰せ られ て い る

 

こ こ で 「仏 性ヲ見 ザル と は謗法 の 者

 

「仏性ヲ生ゼ ザ ル

と は

闡提

ろ う

 

さ れ ばこ こで

釈尊

が・ 五 逆

謗 法

・一 闡

提の者に 殊に あ われみ

な して と が か が わ れ

(4)

62

  

 

 

男 よ う。

 

ま た 涅 槃 経 巻

寿

命 品 第

 

「衆 生 を憐 憫 して、

しく

子の如 しej 14)とい い

同 経 巻三 涛 命 蹠

_

の ヨ ・は

「壌 法の者 を

ること、

しうして

如 し 」

15  

t

あ・ て

仏 軈 悲は親が そ の

子 を あわれ むが 如 くで

た と え五逆 謗 法

犯す 者が あっ て も、

を あわ れ む ご

等 しく あわ れ ま れ るのである とい

       

._ −

      b  

 

 b

 

ま た巻 四

如 来 性品

四の

にも

如来は

の衆 生 を視るこ と、

尊がその

羅喉羅

をみる 如 くであ る。 ど うして世 尊は逆

の衆 生 をして地獄に 入 らしめ よ うと望ま れ る ことがあ りませ ん か

と云 うの か。 私 は

人 で も その 故 に阿 鼻 地 獄に墮す る

を もっ たものが あ るな ら

こ の人の た め に私はこ の世に

劫 ながらえ、

劫 住 済 度 し よ 。 私 は衆 生に対し て大 慈 悲の心 を持 。 てい る. ど

して

人 子 よ う ・賭

藩 こ

て、 地 獄に やるこ と が で き よ うか。   16} ・ 仏 陀は

慈 悲の心

もっ て

その罪 業の故に地 獄に

ちるべ き

業 を

もっ た 者 を も摂 取 し て みすて ぬ

と仰せ られ るの でありま す。

 

而し て同 巻 八、 如来

品第 四の五

こは

 

「如 来は実に

悩 無 。 而 も

生に於て

大 慈 悲 を起 し

、憂

悲 有るを現じて、

生 を視るこ と

喉 羅の如 し。

1

と。 ま た

如 来 は

来 清 浄 無 染 で憂 悲 苦 悩は ない の だが

女喇 よ憂

無 しと言はば

云 何 ぞ能 く

生 を利 し

仏 法 を 弘 広 せん。

j

と。 また、 如来は

来 憂 患はない 。

 

愁 有る者 を凡夫人 と名 く。 凡 夫は

うるを以 て の故       あ に

に は憂 無 し 」 とも 「如 来 は 無 量の衆生 の

に諸 有の

箭に

て らる

・を

愍念す

是 の故に

けて如来に憂 有 りと為 す 」と

せ られる が、 こ れ は 世 間 に

順して

憂悲

を示 現 するの で あ っ て

 

「如 来は己に

般 涅

に入 りた ま ふ。 云 何 ぞ 当に憂 悲 苦

有るべ き。 」 と あ り

本 来 憂

の ない 如 来

、衆

利益され るた めに憂

悲苦

悩され なが ら、 そ れを

と さ れ ない こ とを仰せ ら れ る の で あ ります。

 

而 も

その

者 を

救 う ために

「そ れ慈 を修 する者は能 く貪 欲 を断 じ、 悲心

修 する者は能 く瞋 恚 を断 じ、

心 を修 する

は能 く不 楽 を断 じ、

心 を修 す る

く貪

恚 及 び

相 を断ず

。 是

以ての故に、 真実の思 惟と名 く。 ま た次に善 男 子、

薩 摩 訶薩の四 無 量心 は

能 く

の根 本

り。

既に煩

ま た、 「善 男 子

摩訶薩の布 施 を行

時、

諸の衆 生に於て、 慈 心の 平 等 なる こ と、 猶 し子

の 如し。 又施

行 ず る時

諸の衆 生に於て、 悲 愍心

起 すこ と、

へ ば父

の病 子 を瞻 視するが如し。 施 を行 ずる時

其 の 心歓 喜 するこ と、

し父 母の、 子 の病の

ゆるを 見るが 如し。 既に

すの

後、

其の心の放 捨 するこ と、 猶 し父 母 の、 子の長 大 し て、 能 く 自在 に活 くる

見 るが 如しeJ とあっ て、 衆 生と悲

喜 を共

に され るこ と

を仰

せ ら れるの で あり ます。

 

さらに

 

「善 男 子

慈 とは 能 く

生の為に父 母 と

父 母 は即 ち

慈、

慈 は即 ち如 来な り。 善 男 子

慈 と は乃 ち 是 不 可思 議

諸 仏の

なり

不 可 思 議

諸 仏の境 界は 即 ち是 慈 な り。 当に知 るべ し

慈と は即 ち是如 来 な り。 善 男 子、 慈とは 皀卩ち是

生の 仏 性 な り。 是の如 き の仏 性は、 久し く煩 悩に覆 蔽せ らる。 故に衆 生 を して覩 見す るこ とを得 ざ ら し む

d

とあり

慈と はあ ら ゆ る 人々 の 父母の ごと く、 は かり知 るこ とので きない 諸仏如 来の境 界で あ り

そ れがその ま

衆 生の仏 性で あ り な が ら

その煩 悩のた め に 見失っ てい るの だ、 とい う。

ま た巻 十六 、 梵 行品第八の 二 IS には、 慈の抜 苦 を説き、 そ れ は仏の持つ 神通 に よ り自然に受 くる 衆 生の楽で あ る とい 。 そ し て 「譬へ ば 父母の

子の安 穏 を見 て

心 大 い に歓

する が 如 く」

極 愛

子 地に住す る

薩は 「衆 生 を視 るこ と

、一

子 に同 じ。 善 を修 する者 を見て大 歓 喜 を生

e]と。

(5)

阿弥陀仏の第 十八願 中 「唯 除」の意 義につ い ての

私見 〔附〕親の在り方 また 「譬へ ば父母の

ふ観 て、 ,

b

悩 を生 じ

之 を愍みて

reee

するこ と無きが 如 し

j

菩 薩の是の に住 するも 同 様 で 「諸の

生の煩 悩の病に纏 切せ らる

・を

見て

心 に

愁悩 を

生じ

、憂

念す るこ と 子の如 く

、身

の諸の毛 孔よ り血 皆

流 出

す。

と あり

極 愛

子 地

す る 菩 薩 は

生 と

悲喜 を共

に する とい う。 さ れば 「人の小 さ き時

塊 ・

糞 穢、 瓦 石

・枯

木 枝 を拾い 取 りて 口

くに

見 己 りて

其の

さんこと を恐 れて

左 手に頭

を捉

右 手   と に桃り

すが如しcl 菩 薩 も同

で、

 

「諸の

生の

未だ増せず

或 は 身口意の業の不 善 を行

見、

薩見已 りて

則 ち智 手 を以て之

を抜

き て

で しめ

彼 をして生

に流 転し て諸の苦 悩 を 受け し む るこ とを欲せず。

1

と。 即 ち、 あやま ちがあっ た ら

ちにそれ より救い

現 在の罪の根 を抜 い て

将 来にその

苦悩

を受 けさせ まい とするので ある。

 

然 るに 「譬へ ば父 母 所 愛の子 の

捨て

終 亡 すれ ば、 父 母 愁

して、

をともに せん と願 うが如 く

菩 薩 も亦 爾 なり。

闡提

地 獄堕 すを 見

亦 と も地 獄

に生ぜ ん と

う。 何 を以て の故に

是の

闡 提に し て、 もし受 苦の時、 或は

心 を 生 、 我 即 ち 当に

々 の 法 を

彼 をし て

念 の善 根 を生 ず るこ とを得 し むべ し」と、

め ら れざる前に衆 生の堕 ち ゆ く ところに応 じてそこ に現わ れ

決 し て見

て るこ とな く

正 法に帰せ しめ ん とする。 私はこ ・ に

取 不

おも うの であ り ます。

 

而 して 「

へ ば父母に唯

子有り

其 子の目郵 菩に

行 住 坐 臥に

心に常に之

念じ、 若 罪 咎 有れ         ゆ  ゆ ば

善 言 誘 喩して

其に悪 を 加へ ざ る が 如 し

菩 薩 摩 訶 薩 も ま た 是の如 し

諸の

生 の

若地 獄

      すぺ 畜 生

餓 鬼 或は人 天

に堕 し

善 悪 を 造作す る

見て

心 に常に之 を念 じ て

初て放 捨せず。 も し       い か り 諸 悪

を行

ずるも

終に瞋 を生じ て

悪 を以て之に加へ

」 と。 菩

もい つ も

生 を 念じ て

逆 悪 を なし て もい か り

もっ て

罰 を

与えない とい う

 

また 「善 男 子

た とい

の諸の

菩薩等 を

して

四重

を犯 し

、一

闡 提 と作 り

正 法 を誹 謗せ し むと も

如 来は終に諸の

生の為に煩

因縁 を作

さ じ。 善 男子

たとい

無 量 衆 生 をし て

仏 性 を衷

せ し め

如 来 究

じ て般 涅 槃に入 ると も

如 来は終に諸の

生 の為に

煩悩

の因 縁

を作

さ じ。 善 男 子

如 来は真 実に能 く

生の 為に煩 悩 を 断 除し、 終 に為に

煩悩

の因

を作

さざるなり

と あ っ て

如 来ば

実に能 く衆 生のために煩 悩 を断 除 し てい る がゆ えに衆 生が如 何 なることをしても 決 して

悩 をおこすこ と はない とい   而 し て巻二十六

光明遍 照 高 貴 徳 王 菩 薩 品 第 十の六 には

善 男 子

譬へ ば父 母に た “

t一

子 有りて、 之 を愛 す ること甚 重 な る如 し。 好 衣 裳、 上 妙の甘 膳 を以て

時に随い て将 養 して乏 し き所 無か らし む。 其の子若し是の父 母の

に於て

軽 慢心 を起 し て悪口

辱 す と も

愛 するが 故に瞋 恨 を生 ぜ ず。

我れ 「是 の兒に衣

服 、

飲食 を

う」 と 念言せず。

訶 薩 も

復 是の如 く

諸の衆 生 を 視ること猶 し

子の如 し。

し子 病に遇はば

父 母 も亦 病 ま ん が為に

医 薬

求めて

めて之 を療       し か 治す。 菩 薩 も亦 爾な り。 諸の衆生の煩 悩の病に遇 う を見て

愛 念心 を生 じて

為 に法 を説 く。 法 を 聞 くを以て の故に

諸の煩 悩 断 ず。 煩 悩断 じ已るに

終に 「我

生の為に諸の煩 悩 を断

」 と念 言 せ

の念 を生ぜば

終に

尚耨多蘿…

鑽讐響窺

を成

るこ と を得 じ。 亘9

あっ て

、菩薩

心 が

純 粋 な 親心 がそ れ を意

識せず

また 勿論 その子から報 酬 を求めない 愛である ように

衆 生 を 救 済 しても

そ れ を意 識 す る よ うなこ と は ない とい う

 

ま た巻二 十七

師 子 吼 菩 薩 品 第 十の

 20)に は

如 来は全 く衆 生の た め に慈の神通 をお こ される の で あっ て

全 く利 養の た め で ない

と説かれ

巻二十八 には

薩 は 諸の悪 衆 生の為に傷 害せ ら

63

(6)

64

藤   岡  隆  男 る と雖 も、 恚 碍 を 生せず」 2n と。

 

また 巻 三 十二 に は

 

生常に安 楽 を得ん と欲 すれ ども、 安 楽の 因 を修 するを知 ら

。 如来 能 く 教へ て修 習せ し む る

猶し慈 父の

子 を愛 するが 如し。 仏

生の煩

患 を

見た まい 、 心苦 しむこ と母の病 子 を念 うが如し。

に病

離る る諸の方 便 を

い た ま う。 是の故に此の

他に繋

す。

生は諸 苦 を行 じ

其の 心顛 倒し て以 て

と為す。 如来は真の苦 楽 を演 説 し た まう。 是の 故に称 号し て大

すeJ 22〕と。 諸 仏如来は衆 生の

煩 悩

に苦し む をみ て悲 憫

れ るこ と が で き

真 実 永 遠の

安楽

に至る道 を説かれ るの で大 悲 と称 するの だとい う。

 

ま た巻三十八 に は

 

「先に已に煩 悩の過 を 了知 し

示 現 して之に処 して衆 生の為にす。 久し く 世       ね が 問に於て解 脱

得、 楽 うて 生死 に処 する は慈 悲の 故 な り。 天 身 及 び 人 身 を現 ず と雖 も

の 随 逐         こ うし すること

子の如 し。 如 来 は皀卩ち是れ衆 生の母な り。 慈 心は 皀卩ち是 れ 小 犢子 なり。 自ら

苦 を 受け て

生 を念 じ、 悲 念 する

没 せ

、 憐 愍の心盛に して

を覚えず

故 に 我抜 苦 者 を稽 首 す。 如 来は無 量の

すと 雖 も、 身口意 業 恒に清 浄 なり。 常に

生の為に し て己が為に せ ず。 是の 故 に 我

清浄

業 を礼 す。 如 来 は苦 を受け て苦

を覚

ず 、衆

生の受 苦 を見 るこ と

o

の如し

生の為に 地 獄 に処 す と雖も

苦 想 及び悔心 を生 ぜず。

切 衆 生の異

苦 を

受 くる は

悉 く是 れ 如 来

人の

な り。

り已りて其の心転た堅 固 なり

故に能く 無 上 道 を

修 す 仏は

味の 大 慈心 を具 し 、

生 を

念 するこ と子 想の如 し。 衆 生は仏の能 く

い た まう を知 ら ず

故 に如

及 び法僧 を謗る 世間 は 衆の煩 悩 を具し

、亦

無 量 の諸の過 悪 有 りと雖 も

是の き衆 結及び 罪 過は

仏 初 発心 に己に能く

す。

ll

  23) と あっ て

如来は慈 心のゆ えに

衆 生の

苦 を

如 来

人の苦と受てそ

さ れ

愍の心 さ か んに して

衆 生の 苦 を抜き、 は か り知 れ ない

徳 を

え なが ら、 身口意の 三業つ ねに変 るこ とな く清 浄で

衆 生のた め地 獄に住 まる こ と が あっ て も苦と し ない どこ ろ か悔い るこ とさえ な い 。 然るに衆 生は その仏の み心 が能 く救い た ま うこ と

知 ら ない から謗 法の罪 をつ くるのだ し か し そ れ す ら 如来は

すでに発心の

時 、

その

煩悩

や 罪 を許 さ れ てのだ とい ので あ り ます。

 

以 上、 逆

取して捨てた ま わぬ

永 遠に し て

実 なる

釈尊

、 諸仏 如来、 諸 菩

の慈 悲が

か れて あるのであ り ま す。       オ モ ン

 

而し て

玄 義 分

』序

題 門に は、

 

r

仰 イデ准ミレ バ

迦ハ 此ノ方ヨ リ発

シ、

陀ハ 即 チ彼 ノ

ヨ         カ シコ             ツ カ       ユ リ来 迎ス 二 喚ビ、 此二 遣ハ ス。 豈二 去カザルベ ケ ンヤ。] 24

あ り、 ま た 『定 善 義 』には

「正 シク

婆ノ化 主

物 ノ為ノ故二 想ヲ

西

方二住セ シメ 安 楽 ノ慈 尊

情ヲ知ルガ故二チ東 域二 影 臨 汐 マ フ ・ トヲ明 カス . 斯 レ及チ ニ

罫轟

二 異丿レ。 ト無シ.

隱 顕 殊 有リ. 正 シ ク器

噸       エイショウ 万 差ナルニ

ツ テ互二

郢匠

ラシムル コ トヲ致ス c

25 } と ある。

 

これ は釈 迦

弥 陀二尊がまっ た く

致 する とい

旨趣

し め さ れ たもの とい うこと が で き る。

 

し かもその二尊

致の妙 趣 を中 国のい わ ゆ る

の 故

らっ て説明 して い る。 即 ち

む か し中 国に郢 人 と匠 石 とい う親 友がい た。 あ る

郢人 の

の 先に蝿が と まっ た ほ どの泥がつ い て非 常に おか しかっ たので

友 人の 匠 石は斧 をふ りおろ して

瞬の うちにその 泥 をと りの ぞい た

その 匠 石の 早 業は

郢 人の に少 しの も あ た えず

し か も そ れ がの ぞか れ るの を

本人 は 少 し も 知 ら なか っ た ほ ど で あっ た とい う。 その

後、

こ の こ とを聞 い た宋の元 君 が

、匠

石 をよび

もう

度 その 妙 技 を 演 ずるように命 じた が

匠石 は

自 分は あの

は何の 造

も な く その 技 をやっ た が

い ま は 相 手の 郢が死んで しまっ て い ない の で

そ れを演 ずるこ

と はで き ない

え た とい う 故

に よっ たもの で ある。 as)

(7)

阿 弥 陀 仏の 第十八願 中 「唯 除 」の意 義につ いて の

私見 〔附〕親の在 り方

65

 

さ れば抑 止 と摂 取 を 諸 仏 如 来 (釈 尊 を 含む)

諸 菩 薩と

陀と に区別 し

固 定 し て

え るべ の で あ ろ う か。

       

 

・菩

 

涅 槃経巻 第二

十、梵

行品第八の六 13)に

 

仏 は

語 もて

 

の為の故に驫 を

き たまふ 轟 語 も及 び軟語も

に帰 す 」と あ り

諸 仏は常に軟語

す なわち

やさし くい た わ りの 言 葉 で衆 生 をお導び きになる が

時には衆 生 を正 法に安 住せ し めん がた めに

即ち あ ら あ ら しい 葉で お導 び き下さ る

併 し驫 語 も軟 語 もみな

実か ら

た お

葉で あ る

と云わ れ るの で あ りま す。

 

ま た

行品

八の 二 IS〕には、

菩 薩

は 正 法

護る た めには

大 乗 経 典 す なわ ち正法を

謗す る

が あ れば

撻 し

、苦痛 を

与え て

即 ち罪 を与 えて ・

もこ の者の

を正 すの で ある 。 ま た時に は その 命 を奪 っ て ・

も過 去の過 ち を改 め さ せ

善法 を遵

守修

行せ し め ん とするの である、 命 終の後

阿 鼻 地獄 に

ちた

時、

すな わ ち 方等 大 乗 経 典の正 法な るを誹 謗し、 信ぜ ざ るによっ て罪 を 受け てこ こ に 来生 し たこ とを 自 ら知 り

正 法 を信 奉 恭 敬 す る心 を起せ ば

甘 露 鼓 如 来の 世界に生れ るこ と が で き、 寿 命 十 劫 を得 し め るので あ る。 さ れば 決してた “罰し た り、 罰の た めに殺 すので はな くて

反 省 を

救わ ん が た めに罰す るの で あっ て

それ は親が

人 子 を極 愛 するが故 に

、時

して反 省 を 求め るの と同 じで ある とい

 

ま た諸 仏 世 尊の お 言 葉は

我々 の心 で は かっ て はい け ない 。 時 に応 じ真 実の言 葉 を以っ て語ら れ

世問の 人に し た し ま れ る が

時宜 を得

理にかなわない 世 問の人の 利 益にならない よ う な言 葉

決 し て説かれ なV  ま た あら あ らしく

虚 妄で

時 宜 を得 ず

理 に かなわ ない で、 世 間に し た[

v

ま れず

ま たそれ らの 人々 の た めにな ら ない よ う な言 葉 を説か ない

し若し ま た驫 砿

す なわ ち

あ ら あ ら しい 言 葉で あっ た とし ても

 

実に して虚なら

。 是の時 是の法

能 く

切 衆 生 利 益       か な ら を為 すは

聞 きて悦 ば ず と雖 も

我 要 ず

之 を

説 く

]と仰せ られ

そ れは諸 仏

如 来は方 便

知 っ て い るからだ

とい Q

 

さ れば 「善 男 子

彼の砿 野の

聚落

叢樹

に遊びて

其の

林 下

に在る が如 し、

つ の 鬼 神       む ら 有 り

即 ち拡 野 と名 く

純ら肉 血

を食

多 く

生 を殺 す。

其の豪に於て

日に

人 を 食 す。 善 男 子

我 その

て、 彼の

神の ため に

広 く 法要 を説 く。 然るに彼

悪 ・愚

無 智に し て、 教法

受 け

。 我 即 ち

を化して

大力鬼

とな り

其の宮 殿 を

じ て

所に安ん ぜ ざら しむ 彼の鬼

に其の

属 を将い て其の

殿

で、 来 りて距て逆はんと欲す。

我 を見 る 時

即 ち心念 を失ふ。 惶 怖 して地に躄れ

迷 悶 断絶して

猶 し死 人の如し

我 慈 愍 を以 て手 もて其

すれば、 即 ち還 っ て起坐 して 是の 如 きの 言 を作 さく

 

日還っ て身 命 を得 たり。 是 の大 神王 は

大 威       ね ん ぐ     ゆ る 徳 を具 し、 慈 愍の心有 りて

我 が 懲 咎

赦 し た まう。

1

師 ち我が所に

信心 を生 ず 我 即ち如 来の 身 を還 復し て

復 更

々 の法 要 を説

鬼 神 を を 受け し 。 善 男子

如 来は

生 を 調 伏せ ん と欲 する が

の故に、 是の 如き種々 の 方 便

示 す。 故に彼 をし て怖 畏 を生ぜ し む るにざる なり。 善男子、 我は亦

を以て

護 法 鬼 を

て り。 又

、一

つ の山 上に在 り

羊 頭

推 して

山 下 に堕せ し め た り. 讎 寸頭に於て

癬 蒐

財 象 をして

獅 子 を 見せ

金 剛

神 を

して 、 薩

尼 健 を怖 れし め

、亦針 を

以て

毛 鬼の身 を剌せ り 是 の如 きを作す       た

tt

ち に と雖 も

亦 彼の諸の 鬼 神等 をして 、 滅 没 する者 有 ら し めず。 直 彼 をし て正法 に安住せ し め ん と欲 す。 故にの如 き の種々 の方 便を示す なり。]とある。 こ

で 云 う方 便 と は神 通のこ とであ り

時にき び

(8)

66

藤   岡  隆  男 しく罰し

神通 を以て おそれを抱かすの も、 すべ て は衆 生

慈 愍 し、 その者

して、 正 法に安

せ しめ んが ためで あ る とお説きになっ てい るの で ある。

 

而し て、 阿 毘 達 磨 倶 舎 論 巻 十六、 分 別 業 品 第 四の 四に は

 

「若 し染 心

染 汚の心 ) を以て非 愛の 語 を発 し他 を毀 砦 するとき は

、麁悪

語と

く。

2n と 云い

毘達磨

毘婆沙

論 巻 第 百 十六 2S)には

麁悪

語に三

種類

あっ て

貪 欲の 心 から 「名 利

以 っ て他の 有 情 を、

しくは己のた めに

、若

し くは 他のた めに罵

し毀 辱 する が 如 し」 と。 また瞋

の心で 「他に於て損 悩 心

怨 嫌

悪音

楽 心 有 り て 便 ち彼 れ

は彼 れの

友 を

若 しくは 己 の た め に

若 くは他の た め に罵

する が 如 し」 と。 ま た愚 癡の 心 か ら生

るもの で、

 

「天 性甚だ卒 暴に して多 く

悪語 を な すに

彼の諸の弟 子 は 以っ て善 妙 な りとなし

、麁

語 を習 うが 如 」 きもの とがある

と云 う。 こ れ を以てみ るに

菩 薩には

に麁 語があ る と云 うが

全 く煩 悩 を断 じて おり

衆 生 を して正 法に

安住

せ しめ ん が ための

ので あり

制 戒さ るべ き

謂 麁

語ではな くて

「お 叱 り」 と受け とらして い た だ くべ きもの で はなか ろ うか。

       

 

願 文

関 す

考察

               第

節 

至心

、信楽 、

欲 生と 乃至

 

親 鸞 聖 人はその

『教

信 證 』 教 巻に、

無 量

寿

経の 「如来、 無 蓋 ノ大 悲ヲ モ テ三界ヲ矜 哀シ タ       すく マ フ 。世二 出 興ス ル所 以ハ 道 教ヲ光 闡シテ群 萌ヲ拯ヒ

恵ムニ

実ノ利ヲモ テセ ム ト欲シ テ ナ リ.

  291 と あ る

引用、 弥 陀如来は 広

無 辺の慈 悲

以て、

界の あらゆ る

生 を慈

さ れ、 こ の世に現わ れ たのである が

そ れは自 力 聖 道の教 え を もっ て しては救われるこ と が で きない こ とを示さ れて、

衆 生 を救ん とし て

南 無 阿 弥 陀 仏

号 を恵 まれ たこ とを明 らかに し て

され た。

 

而 して信巻 に は、

 

「設 我得仏

生至 心信

欲 生我

乃至

念若不生

不取 正 覚 唯 除五逆

謗 正 法」

即 ち

た とい我 れ 仏 を得んに

十 方の

生 が

至心

信 楽

欲生我

の三 心

具足 し、 乃 至十念 して

もし生 れるこ とが なけ れば

我れも 正 覚 を取 らじ。 唯 五 逆 と誹 謗 正 法の もの を除 く

と ある第 十八願 文 を ご 引 用になっ て い る。       あら ゆる

 

ま た

願 成 就の文 を

用され、

 

経 』に 「諸 有

生 其ノ名 号ヲ

キ テ信心歓

セ ム コ ト、 乃至

至 心回 向セ シメ タマ ヘ 彼 国二 生 ト

ゼバ 即往生 ヲ得

不退転二 住セ ム。 唯五逆 ト

謗 正 法 トオバ ク 」 30

、 『

無 量 寿 如 来 会

30

と比 較 し、 正 依の 『

経 』には 「乃 至

念」 と だ け あっ て、

称名

念 と れ る で あ る が

聖 人は わ ざ わ ざ異 訳

の 文 を 引 用されて

その 箇 所が 「

信 」と なっ てい ること を

滴 し

こ の 「浄 信」

清 浄の信 心 は 凡 夫 の迷 妄汚

の心 か らい ず る筈はな く、 まっ た く如来の清

心 で あ るこ とを 明ら か に し て

さ っ た もの で あ ろ う。

 

ま た 『

散善義

』の

文 を引

用 し て

 

「経二 云ク。

者 至 誠心。 至ハ 真 ナリ、 誠ハ 実 ナ リ

、一

切衆 生        も ち       あ か さ   おも ノ身口意

ノ所 修ノ解 行

必 ズ

実 心ノ

二作 シタマ ヘ ル ヲ須ヰル コ トヲ明ム ト欲フ。 外二 賢 善 精       げ ん ずる       や 進 ノ相ヲ現コ トヲ得ザ レ

虚仮

イ テ

貪 瞋邪 偽

奸 詐 百 端ニ シ テ、 悪 性

、事

蛇 蝎       な づ け 二 ジ。 三業ヲ起ス トイヘ ドモ 名 テ雑 毒ノ善 ト為ス

亦 虚 仮 ノ行 ト名ク、 真 実 ノ

トナヅケザル ナ       もと リ。 若 此 ノ如キ 安心 起行ヲ作ス者ノ丶 タ トヒ

心ヲ苦 励シテ、 日夜 十二時二 、 急二 走メ急二 作 シテ 頭 燃

。ガ 如 ク。

溝 ・斟 名・. 此・糠 ・行ヲ回シテ彼・仏 ・

1

争土二

ト欲 ス ル者ハ

レ必ズ不 可 ナ リ。 何ヲ以 ノ故二

正シ ク彼ノ阿 弥 陀 仏因中二

薩 ノ行ヲ行ジ タマ フ シ

(9)

阿 弥 陀 仏の第 十八願中 「唯 除」の意 義につ いて の

私 見 〔附〕親の在り方

67

時、

及至

刹 那モ 三業ノ所 修 皆 是 眞 実 心ノ中二 シ タマ ヒ シニ

ナ リ ト 。 凡ソ施シ タマ フ

 

トコ ロ趣

ヲナス

眞実ナ リ。

と あ り

こ の

部は

 

3

娵ロ髄

贐に

 

K  ぜ n

−[

お     IL K          :;    11 ::      い   zL へn

Las  い 麹 黶 岻蝋脅 丹

r °

k

一孟

1 臨 櫛

蝦へ

1

黷1 長肇廿 魑

「と

むべ き ところ を

聖人 は か く

ん で、 貪 瞋 邪

、 奸 詐 百 端に して

性や めがた く、

心 虚 仮 なる身でありなが ら、

面だ け 賢善 精 進の相 を あ らわ して も

それに よっ て

わ れ る筈はな く

その衆生の

来の相

よ く知 うし め し ての弥 陀の輿

に よっ てのみ救われ るこ と を諭さ れ るので あ り ます。       31)   ま た 六 要 鈔

       

に は

凡 所

為 趣 求 亦 皆 奠 実

す なわ ち

凡ソ

シタマ フ コ ロ

ヲナス

眞実ナ リ

と あ るにつ い て

所 施は

陀の 廻向

為 趣 求は衆 生 願 生の信 心

と して

、弥陀

の 藁実 を       あ たえ

く衆 生に廻 施 下 さ れ

そ れが

生の上に あらわ れ て

、衆

生にも

、浄

土 に生れ たい とい

な る 願 生の思いが おこる のだ

と註 釈 し てあ り ま す

 

また

陀は

 

切ノ群 生 海

無 始ヨ リコ ノ カタ

乃 至 今日

今時

マ デ、

悪 汚 染ニ シ テ清 浄       30} ノ心 無 シ

、虚

仮 諂 偽ニ シ テ

心 無 」

       

生の

相 を

か ・

群 生荷 負シ テ

トナ シ

D

た まい

、 「

如 来

憫シテ、 不 可 思 議 兆 載 永劫 二 於テ

、菩薩

ノ行ヲ

ジ タマ フ シ時

三 業ノ所

那モ

ナ ラ ザル コ トナシ、

b

ナ ラ ザル コ トナシ。 如来

浄 ノ

心ヲ以テ、 円

无碍 不可思 議 不 可

不 可 説 ノ至 徳 ヲ成 就シ タマ ヘ リ 如来ノ至 心ヲ以テ

諸       す なh ち 有 ノ

悪業

ノ群 生 海二

マ ヘ

則 是 利 他

心ヲ彰ス

故二

疑 蓋 雑ル コ トナ シ。

ノ 至 心ハ

号ヲ其 ノ体 ト為セ ル ナ リc] SO

 

その

らざ る 至 心

以っ て名 号 を成 就 し、 あら ゆ る煩

悪 業

智の

生 に回

し た ま うので あ り

そこ に は、 如何 なる

生 も救 わるべ き こ と

信じ て疑われ ない 利

の 眞 実

至 心がある の であり ま す。

  

次二信 楽 ト言

レ如満 足 大 悲 円

無 碍海 ナ

疑蓋

ル コ ナ シ. 故二

・。 即 利 他 回 向・至

障 以 テ信

・体 ト・ ルナリ」 鋤 と

とは

惱と

提との

体 な る を

し、 よ く悪

転 じて善 と なすは た ら き

満 足せ ら れ たる

心が印現 し た る

生の

心 であっ て、 す なわち 如

し た ま う至 心 (その

体名

)、

衆 生の心 中に入り

生の至心 と なる。 これ が信 楽の相で ある。

  

「然二

コ ノカ タ

、一

切群 生 海

無 明 海二

流転

、諸有

二 沈 迷

、衆苦輪

繋縛

セ ラレ、

清浄

ノ信 楽 ナシ。 是 ヲ 以 テ無 上 功徳

遇シ ガ タ ク 最 勝 ノ浄 信 獲 得シ

シ 。

切 凡 小

      は ら 貪 愛ノ

二 能

C

ク法 財ヲ焼ク・

急篇

修シ テ頭 燃 ヲ炙・ 跏 ・ ス レ ドモ

修ノ善 ト名ク。

虚 仮 詔 偽ノ行 ト

ク。

実ノ

ケ ザ ル ナリ。 此ノ

虚仮雑

毒 ノ善ヲ以テ无 量 光明土二 生 ト欲ス ル

此 必ズ 不 可 ナ

J3e

、衆

本 来相 を 明 らか に して

その

虚仮雑

毒の善 を以て

願っ て も不 可能 なる

明 らか に し その者の救 わ れ と は

 

シク如 来

菩薩

ノ行 ヲ行ジ タマ フ シ時

所 修乃 至

刹 那 モ、 疑 蓋 雑ル コ トナ キ ニ 由 」る。 即ち

、衆

生の必

救わ るべ きこと

確 信 して

刹 那 も疑 をま じ え ざるの み 心 に よ る と を 明 らか に し

こ の み 心 が

生に到 り届い て その信心 と なり

これが土 に生 れる正

の信 心となる こと を明 ら かに し て下された。 即 ち

、 「

斯ノ心ハ 即チ 如来ノ大 悲心 ナル ガ故二

必ズ

因 トナ ル

如来 苦

ノ群 生 海 ヲ

悲憐

シ テ

無碍 広

ヲ以テ

二 回 施シタマ ヘ 。 是ヲ利 他 眞実 ノ信心 ト名ク

」と。

 

「次二欲 生 トイフハ チ 是 レ如来 諸 有ノ群 生ヲ招 喚 シ タマ フ ノ勅 命ナ リ。 即チ 眞実ノ信

ヲ以テ

(10)

68

藤    岡   隆   男

生ノ体 トス ル ナ リcl されば

まことに これ は大 乗

小 乗

凡 夫 やこ の世の

聖者、

定 善

散 善のも の の

わが心 よ り発 起 した往 生 浄 土の志 願に非

 

故二 不 回 向 ト名ル ナ リ

と。

 

然ルニ微 塵

ノ有

情、

悩海

転シ、 生 死 海に溺 没シテ

真 実の

土の志 も な く

、清

浄な

土 の

願 も ない

是ノ故二 如

悩 ノ群 生 海ヲ矜 哀シテ

ヲ行 ジタマ イシ時

乃 至

那モ

回 向ノ心 ヲ

トシテ大 悲 心 ヲ成

ス ル コ トヲ得 タマ ヘ ルが故二 。 利 他 真 実ノ欲生 心ヲ以テ、 諸

有海

二 廻

シ タマ ヘ リ。

され ば

生 領 受の欲 生の心

す べ これ仏の廻 向 心で あ り

これ 全 く仏の

大悲

心 なる が 故 に 疑 蓋ま じ わ らざるなり

。・

      ま こ

 

され ば

 

「信 トニ ヌ、 至心

楽 ・

欲 生

其 ノ

ナ リ ト

モ其 ノ意 コ レ

。 何ヲ以ノ 故二

三 心已二

ル コ トナシ。 故二 真 実ノ

心 ナ リ 。 是ヲ

剛ノ真心 ト

金 剛ノ真 心 是ヲ

実ノ信 心 ト名ク。 真 実ノ信心ハ 必 ズ名 号ヲ具スDl と

三 心 は

結 する こと

お 示 し

さ り

仏の

実 を領 受 し て疑いな き真 実の 心、 それは全 く仏 よ り廻 向の真 実 信心 であり

その至 心の 体 は 南 無 阿 弥

仏の

名号

で あ り

、真

実の信 心は 必ずこの南 無 阿 弥 陀 仏

具 現 する とい うのである。

 

され ば 名号はその

内容

どしての至 心

信 楽

・欲

生の三心 を

みつ

に廻 向成

され、

生の 信 心に具 現されるの であ り ま す。

 

而 して

心の 具 現で あ る称

、智栄

によ る と

 

称 仏六字、 即 嘆 仏、 即

即 発 願 廻 向

善根荘厳浄

土eJ 32)り とい い

、親

の註

によ る と

 

「『

称 仏六字 』とい ふ は南 無 阿 弥 陀 仏の六

を と なふ る となり。

 

皀卩

とい ふ は

す な わ ち南 無 阿 弥 陀 仏

となふ る は仏 をほ め た て ま つ る に なる と也

また

皀卩懺

悔』

とい ふ は、

無 阿 弥

仏 を と なふ る は

す なわ ち無

よ り この か た の罪 業

す る にな る と まふす 也。

皀卩発

廻 向』 とい ふ は

、南

無阿

陀 仏 を と なふ る は

す な わち安

浄 土に往 生せ む と お もふ にな る 也

ま た

切 衆生 にこ の功 徳

あたふ るに な る と也。

 

一・

善根荘厳

浄 土

といふ は、 阿

弥陀

仏の三

切 善 根

お き

to

た まへ る ゆへ

、名

号 を と なふ る はす なわ ち

土 を

荘厳

するになる と し るべ し と。]  32) と。

 

如 来の疑 蓋ま じ わ らざる み心が

生の心にい た り と ・・

嘆 仏となり 、

悔 と な り

こ の懺

の 場に

て 「唯

五 逆 誹

正法

の こ文が

何の

を感

ずるこ と も な く

その ま ま

陀の抑 止 と私 には受け とられ るので あ り ます。       り き

 

而 して こ れ は 廻 向 の信 心による が故に

随順

的であ り

そこ には

力の 力み は

在せず

自我

 

の崩

を もた ら すの である。

 

衆 生は

如 来

諸 仏 、菩

の、 そ の

生 を摂 取 して、

も己 れの利 養のた め で も な く

ま た 如

なるもの に も瞋

を抱か ざ るその真 実 大

を知 らない ものだ か ら、 自 己 を 自 分で防 禦 し ようと し て

己造

未 造と か

謗 法の具

不 具だ と かの言 辞 を

その底に流れてい る 心も知 ら

、 五

逆 を

未 だ造 らず

謗 法の 罪は犯 して い い と弁

し て

自 己の所 謂

前衛」

front

とし

時に

しく反省 して

「唯 除

こ文 を抑 止 と しなが ら も

己れ は

陀の袖 にか く れ て釈 迦の抑 止と し、 徒 らに疑 の た めに自我の城 壁 を厚 くするこ とにエ ル ギ

を労費 し ていた。

 

然るに

る疑

ま じ わ らざ る真 実に して広大 無 辺 なる み心にふ れ て

その か た くなに閉ざし て い た自我 が随順的 に崩

する。 こ れが 臓 悔で あ り

その

、 歓

(嘆 仏

とともに

い なる ご廻 向の力が

、真

に活 く可 き方 向に向っ て働き出 す。 これ が発 願廻 向 であり

ま た

善根荘

厳 浄

即ち 「大 悲 ヲ行ズル

133

生の慈 悲 行 と も なるであ ろ う,

 

田 辺 元 に よれ ば

と は 自己の 当 にあ るべ

対 す る願 望 をば持ち

けなが ら

それ に背

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