組 合 バ ッ ジ と 団 結 権
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(2) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 二六. する︶を言い渡した︒平成元年二月七日の東京地方労働委員会救済命令︵以下本命令とする︶を取消すこの判決にた. いして︑労働法学界からは︑すでに数多くの批判が行なわれているが︑私は以下において︑国際的に確立している. ︵1︶. 結社の自由と団結権の法理を土台としながら︑これまでの諸論評とは異なった側面からの検討を行いたいと考 える︒. 組合バッジは︑リボン・プレートと並ぶものとして法的評価の対象とされてきた︒しかし要求や闘争の意思表示. の手段としての意味をもつリボン・プレートとは異なり︵小さなプレートの場合はバッジに近い︶︑バッジはそれ自. 体では意味を解読できない︒議員バッジ︑弁護士バッジがそうであるように︑それ自体では意味をもたず︑また第. 三者が即座にその意味を読み取ることのできない︑単純な﹁印﹂︵以下シンボルとよぶ︶である点で︑前二者とは決. 定的に異なっている︒バッジは特定集団︵結社︶の構成員であることを︑そのことのみを意味する︒だがそれにも. かかわらず︑バッジはその団体の加盟員にとっては重大な意味をもっている︒坂本弁護士一家殺害事件の犯人を特. 定する手がかりのひとつがブルサとよばれていたオゥム真理教の信者であることを示すバッジであったことは記憶. に新しい︒犯人の手がかりを残すおそれのあるバッジを︑遺失するおそれのある犯行の現場においてなお︑着装し ていたということは単なる愚行でしかないのか︒. 労働組合もまたは結社のひとつであることは疑う余地がない︒その結社においてバッジのような結社メンバーを. 表示するシンボルがいかなる意味をもつかの検討が︑以下に見るように︑本稿の出発点をなしている︒組合バッジ. のもつ意味について的確な法的評価をおこなうためには︑このことは不可欠の作業であり︑労働委員会と東京地裁 の結論の分岐点は︑まさにこの点に存すると考えるからである︒.
(3) □﹈. 1 結社の自由. 精神的自由権としての結社の自由の確立. 結社の自由におけるシンボルの意味. 基本的人権のひとつとしての結社の自由の確立は︑人間の精神的自由の国家による承認を意味していた︒フラン. ス大革命による人権宣言はやがて全世界の共通原理となったが︑この世界で最初の人権宣言は︑結社の自由をふく ︵2︶. んでいなかった.国家と市民の間にいかなる中間団体も認めないル・シャプリエ法に代表される大革命の理論は︑. 労働組合をふくむ一切の中間団体の存在を認めなかった︒だが国家と市民を直接に結合するこの行きすぎた民主主. 義思想は︑やがて宗教団体の承認︑そして労働組合の承認へと展開していくことになった︒わけても中間団体否認. 論の壁をこじあける契機は︑近代民主主義国家として︑思想の自由の具体的表現としての︑宗教団体の承認が不可 避的であることの認識の確立にあったのである︒. 人は国の定める宗教とは異なる信教の自由をもつ︒だが周知のように︑このことの承認は宗教戦争をかけて確立. された︒キリスト教徒が迫害のもとで主張し︑獲得した︑国教としてのカトリックは︑さらに新教徒の激しい抵抗. にであって後退を余儀なくされた︒信教の自由は血ぬられた歴史の上に獲得されたのである︒この信教の自由の獲. 得にあたってシンボルは︑教団・教会に結集する信者たちの頼りどころであった︒小さな十字が︑そして幼子に乳. を与えるマリア像が︑キリスト教徒にとって信教のシンボルであり︑片時も身辺から離せなかった︒十字を持って. 二七. いないものは︑味方ではなかった︒それを踏むことが棄教を意味する踏絵の手続きは︑シンボルのもつ意味を明ら 組合バッジと団結権.
(4) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 二八. かにしている︒非キリスト教徒︑無宗教の人にとって︑なんの意味もないシンボルが︑生死をかけた意味をもつこ とになるのは︑シンボルのもつ特殊な意義を端的に示していよう︒. 宗教とは縁の薄い日本人にとって︑よりわかりやすい例をあげれば︑エンゲージ・リングは他人にとっては格別. の意味のない単なる装飾と見分けがつかないが︑その夫婦にとっては永遠の誓約によって成り立った盟約を意味す. る︒それを外すことは︑単に装飾をとりさることではなくて︑永遠の誓約を解除する意味をもつのである︒. こうしてシンボルは当事者間にとって生死にかかわる重大な意味をもつ︒当事者にとってシンボルの装着は仲問. であることの確認︑信頼のあかし︑集会へのパスポートであり︑そしてそのシンボルが意味するものを知っている 他人には︑畏敬の念と︑場合によっては恐怖をすら引き起こすものである︒. そしてこのシンボルの重要性は︑当該結社が受けている抑圧が強ければそれだけ︑増大する関係にある︒秘密結. 社が︑抑圧のもとで仲間と意を通じあう最も単純な手段は︑シンボルの提示であった︒キリシタン弾圧下の日本で. の隠れキリシタンの物語は︑宗教心の薄い日本人のなかにも︑信教の自由を命懸けで守った人たちが︑シンボルに よって互いに意を通じあい︑助け合ったことを示している︒. 強制的に市民を天皇制下の軍国主義に統合した日本︑ファッシズムに統合しようとしてユダヤ民族や反ナチ政治. 団体・市民の殺鐵を敢えてしたヒットラーの支配するナチ︑それらの暴虐を経験したアジア︑ヨーロッパなどの ︵3︶. 国々を主体とする第二次大戦後の世界は︑一九四八年の世界人権宣言の中で結社の自由の承認を︑わざわざ結社し. ない自由と並べて規定した︒結社の自由は結社せざるの自由を論理的帰結として含むのである︵労働組合結成権に. ついては二三条に﹁労働にかんする権利﹂のひとつとして規定し︑この権利については加入せざるの権利を規定していな.
(5) い︶︒そしてそうであればそれだけ︑シンボルによって︑それぞれの結社の自由を確認しあうことの必要性は消滅 するどころか︑むしろ拡大したといえよう︒. こうして確立した民主主義の下で︑人は精神の自由としての結社の自由を獲得した︒しかしこの結社の自由は国. 家のたえまない干渉にさらされてきた︒結社の不承認・解散は国家にとって大きな関心事であり︑日本でも破壊活. 動防止法を発動して︑オウム真理教という名の宗教団体を解散させることに努力が払われてきた︵結局発動は見送. られたが︶ことは記憶に新しいところである︒またアラブの国の回教にみるような国教の定め︑ソビエトについ最. 近まで存続した︑単一政党の強制などは︑いまだに世界の多くの国において︑市民を抑圧しつづけている結社の自. 由の否認の例に他ならない︒これらの否認の下でも︑精神的自由である結社の自由を︑シンボルによって確認しあ. う例は依然としてあとを断たないでいるに違いないのである︒そのような意味をもつシンボルヘの攻撃は︑複数で. 対立的に存在し得る結社の間にあっては︑特定の結社への攻撃を意味する︒結社の自由の承認は特定の結社への干. 組合バッジの場合. 渉を︑基本的人権制約の法理によって排除することになる︒ ﹇二﹈. 労働組合は多くの場合違法目的団体とされてきた︒使用者の営業の自由の侵害を目的とするが故に︑共謀の罪や ︵4︶. 民事責任を問われた︒だから労働組合は秘密結社として出発したとシドニi&ベアトリス・ウエッブの︑いまや古. 典となった﹁労働組合運動史﹂や﹁産業民主主義論﹂は説明している.その中には︑新組合員をうけいれる秘密の. 儀式や記章の装着などが記録されている︒新組合員は組合および組合員にたいする忠誠のあかしをたてなければ︑. 二九. 仲間として受け入れられず︑組合員であることを表示するシンボルを与えられなかった︒こうした抑圧のもとでの 組合バッジと団結権.
(6) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 三〇. 労働組合はシンボルによって結集するという意味では秘密結社そのものであった︒現代の日本で︑たとえば管理職 ︵5︶ 貝の組合が匿名組合員制度をもっていることを見ても︑秘密結社としての性格を脱し切れていないことが知れよ. う︒管理職員はもっとも不安定な立場におかれているから︵何時降格されるかもしれないなど︶︑匿名にならざるを. 得ないのであるが︑これらの匿名組合員が相互の識別のために︑秘密のシンボルをもっていたとしても不思議では ない︒. これをこの事件にあてはめてみれば︑国鉄分割民営化の進展するあいだに︑国労つぶしが合い言葉になり︑政策. の中心課題になっていたことは︑現在︑当時の首相︑担当国務大臣︑関係自民党首脳の言葉によって疑問の余地が. ないところまで明白になっている︒国労という名の団体は︑﹁つぶし﹂の対象としてかかげられ︑その組合員にた. いして多種類の抑圧が加えられてきた︒多くの組合員は︑その抑圧に耐えられず︑国労を脱退し︑他組合に加入す. るか︑ノン・ユニオンとなった︒こうした抑圧に耐えて残った国労組合員は︑地下の礼拝所に集まって︑イコンを. 拝し︑互いに十字架を持ち合ったキリシタンと同じように︑抑圧が激しければそれだけ︑神︵この場合組合︶にた. いする帰依︵この場合帰属意識︶を示し︑仲間同志の連帯意識をたかめ︑かっての仲間にたいして今なお耐えてい. る者の存在を示すためにも︑シンボルとしてのバッジを装着し︑外せという命令に抵抗しなければならなかったの である︒. 国鉄の中で国労と対立しながら共存していた動労の組合員が︑かって動労のバッジを装着していたこと︵それ ︵6︶. は︑一九五一年にそれから分離独立した国労にたいする関係での独自性︑精神的自立︑独自の団結意識の表示に他な. らない︶︑そして動労がその運動方針を転換して使用者からの抑圧︑支配をうけなくなった後に︑そして自らも国.
(7) 労への攻撃を強めていく時代に︑バッジを装着しなくなったことの意義は︑こうした経緯の中においてみるのでな. ければ的確に把握することは難しい.他組合との連合によって︑もはや大多数を構成する環境の中では︑シンボル を装着する必要を減じたのである.. そして逆に︑まわり中を敵対者に囲まれることになった国労組合員が︑どんな脅迫をうけても手離そうとしない. バッジの意味は︑こうして歴史をこえて流れる︑人間の精神的自由の中でのシンボルのもつ価値を︑的確に把握す. るのでなければ︑理解することはできないにちがいない︒その装着は国労組合員であることの表示であり︑使用者. のそれへの攻撃は﹁組合員であること﹂を理由とする不利益取り扱い︵労組法七条一号︶を意味した︒. 結社の自由の展開としての団結権の特殊性. 組合バッジと団結権. 三一. 規定することをしていないのは︑近代国家としては異例なことではないのである︒スエーデン・デンマークなどに. ている︒数次の憲法改正によって︑歴史の必要に対応してきたアメリカ憲法すら︑結社の自由にならべて団結権を. 事情を反映するものであって︑世界の多くの国の近代憲法では︑結社の自由の保障によって団結権の承認を実現し. た︒結社の自由と団結権の違いを強調することが労働法学の主要課題となってきたのは︑戦前・戦後の日本の特殊. ら︑労働組合が結社のひとつとして精神的自由権の発現であることについての検討が十分におこなわれてこなかっ. 日本では憲法一二条の集会・結社・表現の自由とならべて︑二八条に団結権の保障の規定をおいていることか. =﹈ 近代憲法と現代の憲法. 2.
(8) 早法七三巻﹈号︵一九九七︶. 三二. ならんでアメリカ合衆国の憲法も団結権を規定していない︒それは︑第一次大戦後の政治的思想の激変を憲法に反. 映したドイツのワイマール憲法や︑同様の激変を経た第二次大戦後のフランス・イタリア・日本などの国々との違. 八七号条約. いの歴史の反映に他ならない︒. ﹇二﹈. ユニオンショップ︶の特性を強調することに主眼がおかれ︑結社の自由. そうした歴史の上に成り立つ日本の団結権論は︑無自覚的に結社の自由とは切断された団結権を論じてきた︒結 社せざるの自由のない団結権︵団結強制. との連続性は視野の外におかれてきたのである︒しかし昭和四〇年に︑一九四八年に採択されていたILOの八七. 号条約︵以下八七号条約とする︶を批准するにあたって︑この条約が﹁結社の自由・団結権﹂条約であることを再 確認させられた︒. この条約は第一部として﹁結社の自由﹂を規定する︒そこでは労使がそれぞれの労使団体を自由に結成できるこ. と︑その自由に定めた規約に従うことのみを条件として︑加入する自由をもつこと︵二条︶︑役員の自由選出︵三. 条︶︑活動計画の策定の自由︵同条二項︶︑連合体結成の自由︵五条︶などを保障した︒軍隊・警察を除いてすべて. の労働者は﹁いかなる差別もなしに﹂︵二条︶これらの権利を保障され︑国はこれらの権利を侵害してはならず︑. また侵害するように法を適用することも禁じられた︵八条二項︶︒これらの権利は結社の自由の労働者版に他なら なかった︒. とくに﹁その管理及び活動について定め︑並びにその計画を策定する権利を有する﹂旨の規定︵三条︶は︑のち. に労働組合の活動可能性の保障と解釈され︑組合活動の権利の保障へと展開する︑静止的な結社の自由の保障か.
(9) ら︑活動する団結体の権利への発展を意味するものであった︒. 国鉄分割民営化にあたって︑政府が国労つぶしに動いたのは︑国が自ら結社の自由を侵害したことを意味するの. である︒いかなる労働組合であれ︑結社として法の尊重をうけるから︑国労が政府の政策に抵抗し︑異を唱えたか. らといって︑﹁つぶ﹂せるものではなかった︒だが当時︑政府の真の意図は隠されたままであって︑立証不能であ ︵7︶ り︑現在に至ってようやく︑先にふれた︑多種類の生の証言を得られるようになったのである︒. 他方︑この条約の第二部は﹁団結権﹂と題して︑﹁労働者および使用者が団結権を自由に行使することができる. ことを確保するために︑必要にしてかつ適当な措置をとることを約束する﹂︵二条︶とした︒使用者がこの規定. の意味する団結権を自由に行使できることは自明であるから︑この条を受けて採択された九八号条約︵日本は昭和 ︵8︶. 二九年に批准している︶は︑団結権・団体交渉権確保のために︑ほとんど専ら労働者の団結権確保のための不当労. 人権規約. 働行為制度の確立︑団体交渉促進措置の採用などを規定した︒ ﹇三﹈. こうしてみると日本の憲法二八条は︑八七号条約の第一部と第二部を同時に含むものであるが︑八七号条約の第. 一部の結社の自由についてみれば︑憲法二条と二八条が重複して保障していることになろう︒このことは決して. 日本だけの現象ではない︒一九四七年の世界人権宣言︵そこでは前述したように結社の自由と労働組合結成権は別個に. 規定されていた︶の内容を具体化した︑一九六六年の国連条約﹁市民的及び政治的権利にかんする国際規約﹂︵以下. B規約とする.日本は昭和五四年に批准した︶は︑思想・良心および宗教の自由︵一八条︶にならべて︑結社の自由. 三三. ︵二二条︶を定め︑﹁すべての者は︑結社の自由についての権利を有する︒この権利には︑自己の利益の保護のため 組合バッジと団結権.
(10) 早法七三巻一号︵一九九七︶. に労働組合を結成し及びこれに加入する権利を含む﹂と規定した︒. 三四. この労働組合結成加入権はさらに同年の﹁経済的︑社会的及び文化的権利に関する国際規約﹂︵日本は昭和五四年. に批准した.以下A規約とする︶第八条で﹁団結権および同盟罷業権﹂として︑労働者の権利として特化されてい る︒煩をいとわずその中心部分をぬきだすと以下の通りである︒. すべての者がその経済的および社会的利益を増進し及び保護するため︑労働組合を結成し及び当該労働組. 第八条 一 この規約の締約国は︑次の権利を確保することを約束する︒. @. 合の規約に従うことのみを条件として自ら選択する労働組合に加入する権利︒︵以下略︶. ㈲ 労働組合が国内の連合又は総連合を設立する権利及びこれらの連合又は総連合が国際的な労働組合を結成 し又はこれに加入する権利. @ 労働組合が︑法律で定める制限であって国の安全若しくは公の秩序のため又は他の者の権利及び自由の保. 護のため民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も受けることなく︑自由に活動する権利 ⑥ 同盟罷業をする権利︒︵以下略︶. この規定は八七号条約第一部の﹁結社の自由﹂の権利にかんする規定に→二条がaに五条がbに三条がcに︶対. 応しながら︑それを﹁団結権﹂という表現でとらえ︑かつ八七号条約の﹁結社の自由﹂のそれよりも保障の幅をひ. ろげ︑また権利保障の内容をさらに強固にしていることが読み取れる︒一九四八年の条約と六六年の条約の年代の. 差を示すものである︒ここで幅を広げたというのは︑⑥の同盟罷業権︵日本では団体行動権︑通常は争議権︑ストラ. イキ権とよばれる︶について規定したことであり︑内容を強固なものにしたというのは@の組合活動権の制限が許.
(11) ︵9︶. される範囲を限定したという点である︵後述3﹇二﹈ 参照︶︒日本は批准にあたって⑥号については留保してい るが︑⑥1@号については無条件で批准している︒. 基本的人権の制約原理としての抽象的危険と具体的危険. 用されたことがない点でも共通している︒ 組合バッジと団結権. 三五. ことは明らかである︒だがそれにもかかわらず︑人権侵害の可能性を孕むこの二つの規定は︑ふたつながら殆ど適. 国会での激しい論争の末︑採択されたもので︑基本的人権の最大限尊重原則が十分生かされることを期待している. るときに限り︑緊急調整をすることができる﹂︵三五条の二︑一項︶と規定している︒いずれの規定も昭和二七年に. く阻害し︑又は国民の日常生活を著しく危うくするおそれがあると認める事件について︑そのおそれが現実に存す. また労働関係調整法は︑緊急調整について﹁争議行為により当該業務が停止されるときは国民経済の運行を著し. るようなことがあってはならない﹂としている︵三条二項︶︒. ︵二︑三条︶さらに念をいれて︑規制︑調査が﹁労働組合その他の団体の正当な活動を制限し︑又はこれに介入す. ものもある︒たとえば先にオウム真理教との関係で言及した破壊活動防止法は︑最小限原則をくりかえし強調し. いことを明らかにしている︒この最小限制約原則は︑学説・判例だけでなく法律そのものに明文で規定されている. 憲法一三条は基本的人権の最大限尊重を規定し︑公共の福祉のための制限が最小限度に止められなければならな. =﹈基本的人権制約原理. 3.
(12) 早法七三巻一号︵﹃九九七︶. 三六. 労働関係調整法の上記規定が︑アメリカの最高裁判例で採用された︑明白・現在の危険o一①巽曽α冥ΦωΦ耳量亭. 閃Rがある場合にのみ︑基本的人権の最小限制約が許されるとする理論を反映したものであることは︑ここで繰り 返す必要はあるまい ︒. ﹇二﹈ 人権規約における制約原理. B規約は表現の自由について﹁差別︑敵意又は暴力の扇動となる国民的︑人種的又は宗教的憎悪の唱道は︑法律. その基本的なパターンは︑﹁︵こ︶の権利の行使については︑法律で定め. で禁止する﹂︵二〇条︶と規定して制限を積極的に認めるが︑基本的自由権そのものについては︑限定的な制約原 理をくどいほど繰り返し規定している︒. る制限であって国の安全若しくは公共の安全︑公の秩序︑公衆の健康若しくは道徳の保護又は他の者の権利及び自. 由の保護のために民主的社会において必要なもの以外のいかなる制限も課すことはできない﹂とするものである ︵二一︑一八︑二一︑二二条︶︒. A規約も四条で一般的福祉による制限を限定的に規定するほか︑B規約の上記条文とおなじ規定を再三にわたっ. て規定している︒たとえば団結権についての八条一項⑥号︑先に引用した組合活動にかんする同条同項@号がそれ である︒. この範文にいう﹁民主的社会において必要なもの﹂という抽象的一般的な規定は︑たとえばILOが︑韓国の公. 務員・教員の団結禁止︑教員のストライキ処罰法にたいして︑民主的社会一般に認められる制限をこえるものと指. 摘し︑九六年末以降の政治的不安定を引き起こした労働法改正問題の発端となったことを指摘するにとどめよう︒. OECD加盟の前提とされた韓国労働法改正は︑国会審議のやり直しをひきおこし一九九七年三月に改正法の成.
(13) 最高裁判例における制約法理の転換. 立をみたものの︑未だ︑最終的に問題を解決したといえる段階には到達していない︒ ﹇三﹈. 最高裁判例は︑公共部門のストライキ禁止規定について︑一旦は東京中郵事件判決︵昭和四一年一〇月二六日大法. 廷︶および東京都教組事件判決︵昭和四四年四月一二日大法廷︶で最小限原則をとりいれ︑国民生活にたいする明. 白・現在の危険論を意識した法理を展開した︒その後︑財政民主主義論などによる抽象的危険論へと転換したが︑. それは公共部門におけるストライキ権の︑公共の福祉を理由とする制限にかんするものであって︑基本的人権一般. についての抽象的危険論への転換を意味するものではないことはいうまでもない︒だが最高裁によって合憲とされ. たこれらのストライキ禁止法規が︑民主的社会の必要を越え︑A規約との関係で問題を残すからこそ︑日本政府. は︑この規約の批准にあたって前述したように︑ストライキ条項についての留保宣言を発せざるを得なかったので ある︒. 企業秩序と組合活動. 企業目的 と 企 業 秩 序. 組合バッジと団結権. 三七. 神的自由権の中核をなす思想の自由にかんするこの判決が︑現代に通用するものでないことをここで詳論すること. いう︒三菱樹脂事件判決︵昭和四八年﹈二月一二日大法廷︶で展開した憲法の第三者効否認の理論がそれである︒精. 憲法の基本的人権保障は︑国の責務であるが︑個々の私的企業を直接に拘束するものではない︑と最高裁判例は. □﹈. 4.
(14) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 三八. は控えるが︑団結権︵結杜の自由を土台とする︶について︑この判決の理論がそのまま妥当するものでないことは︑. 議論の余地がないといえよう︒国がみずから立法・行政において︑団結権を侵害してはならないだけでなく︑使用. 者による侵害からの保護を実行することが︑団結権保障の不可欠の内容であるからである︒もし団結保護のための. 特別の立法が存在しなくても︑団結権の使用者による侵害は︑公序違反を構成する︒ILOの九八号条約は﹁労働. 者は︑雇用にかんする反組合的な差別待遇に対して十分な保護を受ける﹂︵第一条︶と規定し︑この条は特別の国 ︵10︶ 内立法措置がなくとも適用されるωΦ罵爵8暮一渥﹁国内法として直接適用可能なように作成された﹂規定である︒. さらに︑日本の現行法は︑団結権の保護のために︑労働委員会による不当労働行為救済制度をつくり︑この条約. の批准にあたって約束した︑第三条に規定する国の責務︵﹁団結権の尊重を確保するため︑必要がある場合には︑国内 事情に適する機関を設けなければならない﹂︶を果たしている︒. これにたいして日本の最高裁判例は企業が自己の目的︵主として営利目的︶のために︑企業秩序を設定し︑労働. 者にその尊重を求め︑必要がある場合︑制裁を課すことができ︑他方︑労働者が組合活動のために企業施設を利用. する権利があるわけではないとしている︵札幌駅事件判決︑昭和五四年一〇月三〇日︶︒使用者の承認なしの企業内の. 組合活動︑使用者の承認なしの労働時間中の組合活動の否認を正当化する根拠に︑この判決は数多く引用されてい. る︒この事件での組合バッジの装着を禁止する就業規則が︑JRの企業秩序の一部をなすものであり︑この事件の. 関係労働者の不利益取り扱いが︑その企業秩序違反を理由としていることも︑繰り返す迄もない︒. そこで問題は︑使用者による︑自己目的に適合する企業秩序の設定は認められるとしても︑それが労働者の基本. 的人権をどの範囲において制約できるか︑にかかわっている︒企業といえども︑完全に自由に労働者の基本的人権.
(15) を制約できるものでないことは︑自明である︒思想信条にかかわり︑団結権にかかわる労働者の行為を︑使用者が. 企業秩序によって制約できる限界も︑公序としての基本権保障の制約原理を免れることはできない︒. 明白・現在の危険論や︑﹇Φωω菊①ω鼠&奉≧冨旨讐貯①︵﹇菊︾︶原則︵他によるべき︑より制限的でない手段がある. のに︑それを越えて過度の制約をすることを許さない︶とするアメリカ最高裁憲法判例理論は︑日本の憲法一三条の. 最小限度原則に含まれるものであるから︑企業秩序もこの公序としての限界をこえることが許されないのは当然で ある︒. ﹇二﹈労働者の精神的自由の制約が許される範囲. すでに見たように︑シンボルとしてのバッジの装着は︑結社の自由の原則に含まれる労働者の精神的自由の範囲. に属する行為である.十字架やマリア像を刻んだメダイユを首に下げ︑エンゲージ・リングをしている労働者に︑. それらを取り外せといえるのは︑いかなる場合であるのか︒それ自体としては意味をもたない組合バッジの装着. は︑労働者の精神的自立を証明する精神的自由に属する行為に他ならないから︑その取り外しを命ずることは組合. 員であることの表示を止めるよう強要すること︑したがって外面的にはメンバーであることの放棄の強要を意味す る︒使用者がそれをできるのは︑余程の理由がある場合に限られる︒. ワッペン・プレートの装着を職務専念義務違反を理由に︑禁止できるとした最高裁判例がある.それは︑精神の. 自由に属する行為を︑職務専念義務違反だと︑根拠もなしに断定するものであって︑理論的に承服しがたいもので. あるが︑その理論は︑それ自体いかなる要求も︑主張も意味しない組合バッジには通用しない︒バッジはそれを見. 三九. る一部の人に︑場合によってなんらかの意味を感得させるだけのものであって︑一般の労働者︑一般の顧客には︑ 組合バッジと団結権.
(16) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 四〇. なんの意味をももたない︒その意味でホテルの従業員がリボンの装着を禁じられるのとは性質を異にする︵ホテ ル・オークラ事件最高裁判決︑昭和五七年四月一三日︶︒. ましてそれを装着している組合員本人には︑例外的な場合を除いて精神的負担をかけるものではない︒精神的負. 担を生ずるのは︑それを取り外せという抑圧・支配が加えられた場合に限られるのであって︑装着自体が精神的負. 担をもたらすのではなく︑それを攻撃する側が当該労働者に精神的負担を惹起しているのであり︑それは作業中の. 労働者に喧嘩をふっかけるのと同様︑相手方の問題にすぎない︒したがって︑バッジの装着を職務専念義務違反と. するのは︑エンゲージ・リングをしているとか︑机の上に家族の写真をおいている労働者が︑精神的集中を欠いて いるというのと同様の︑正当化できる理由のない︑精神的自由の侵害である︒. したがってバッジの装着を禁止することは︑よほどの特殊な理由が存在する場合に限られるという他はない︒そ. の場合とは︑金属の装着が電波障害を引き起こすなど︑業務上の阻害が生じうる特殊な場合であって︑危険の発生. 組合活 動 性 と の 関 係. が具体的に予測できるが故に︑基本的人権の制限が許される場合などに限られよう︒ ﹇三﹈. 次に組合活動性との関係について検討する︒組合活動は勤務時間外で︑企業施設外でしか行なえず︑勤務時間内. の組合活動は正当性がない︑とする考え方がある︵済生会中央病院事件最高裁判決︑平成元年一二月一一日︑参照︶︒. 労働契約上の義務に反し︑企業秩序を乱すことが理由とされる︒. たしかにバッジは勤務時間中も労働者の衣服に装着されて︑その意味を知るものにたいする関係で国労組合所属. を顕示している︒その意味では︑静止的でささやかなものであって︑行為というに値しないが︑就業時間中の組合.
(17) の行為に含まれるとする考え方もありえよう︒その考え方をすれば最高裁の上記判例理論によって︑労働時間内の. 組合活動として正当性をもたないとされる可能性があり得ることになる︒以下この考え方を素材として検討する︒ ︵n︶ この最高裁判決の理論的根拠は︑昭和二四年の労働組合法改正によって︑労働組合の自主性の保持が格段に強調. されていることにある︒労組法二条但書二号と七条三号は︑労働組合にたいする使用者の経費援助を禁止した︒た. しかに︑使用者が労働組合を丸抱えするために経費を与えることは組合にたいする支配・介入として︑団結権の侵. 害を構成する︒だが使用者が︑施設利用や勤務時間内の組合活動を許諾すればともかく︑許諾を得ないでそれらの. 活動をおこなうと︑組合活動の正当性が失われるとする︑前掲札幌駅事件判決の理論は︑この自主性論からみれ. ば︑逆の構造になっている︒なぜなら︑使用者が組合にたいして自ら意欲して特定の援助を与えるということ︵協. 調的な組合にたいする通常の現象である︶は︑形式的な硬直した自主性論からみれば︑まさしく組合支配の意思あり. とすることになろう︒およそ一切の施設利用︑勤務時間内の組合活動を認めないというのでなければ︑論理は一貫 しないからである︒. 七〇年代以前の︑職場に労働組合は存在せず︑産業別に︑企業外においてのみ労働組合は存在し活動するもので. ある︑という考え方が支配していた︵労働組合もそのような考え方をしていた︶フランスでは︑たしかに一切のその. ような活動を排除したが︑現在のフランス法はその考えを放棄し︑企業内の労働組合の存在を肯定して組合事務所. の設置等を認めている︒しかし︑依然として企業外労働組合が基本組織であるために︑日本のような企業内の労働 組合活動は︑いまなお一般的には承認されていない︒. 四一. これにたいして︑企業内組合が圧倒的である日本において︑企業の中に労働組合が存在しないとすることは現実 組合バッジと団結権.
(18) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 四二. 妥当性を欠いていたから︑労働の現場に︑このような硬直した自主性論が定着する可能性は︑最初からなかったの. である︒そうであるからこそ労働の現場では︑労組法の上記の条文が︑但書において僅かに認めている三つの場合. を超えて︑事実上︑慣習的に︑あるいは使用者と合意して︑各種の便宜供与が行なわれてきた︒それらをすべて悪. として排除することは︑理論的にも︑実際上も︑妥当する余地はなかった︒たとえば組合費の賃金からのチェッ. ク・オフは︑労働組合にとって巨額の経費節約になるが︑上記の但書に明文で上げられていないことを理由に︑不. 当な組合にたいする経費援助だとする学説・判例は存在しない︵済生会中央病院事件︑最高裁平成元年一二月一一日 判決参照︶︒. この点︑ILOの九八号条約が﹁労働者団体を使用者又は使用者団体の支配の下に置くため﹂の﹁経理上の援助. その他の援助を与える行為﹂を禁止している︵二条二項︶ことが想起されるべきである︒使用者の財政援助行為を. まずその組合支配目的の有無において区別するこの制度は︑使用者の財政援助行為を原則的に禁止し︑わずかに三. つ上げた例外的場合にのみ許すこととした︑労組法の上記規定が定められたのと同じ昭和二四年に︑ILOで採択. された︒当時占領下で︑ILO未復帰の日本では︑この動きを知ることはできなかったが︑ILOは日本のそれよ. りもはるかに合理的な規定をおいていたのである︒日本における実際の解釈・適用は︑大部分このILOの制度に. 適合するように行なわれているのであるから︑労働組合の日常的な活動についてのみ︑硬直した自主性論を押しつ けるのは︑合理性なしという他はあるまい︒. そうであるからこそ︑本判決はあえてバッジの装着が正当な組合活動であるとしても︑就業規則によって禁止で. きるとする理論構成を選択したのであろう︒だが精神的自由を示すシンボルの装着一般が労働契約違反とされず︑.
(19) また企業秩序を乱すともされないのに︑なぜ組合活動性をもつとされたバッジの装着が︑この判決のいうように︑. 使用者の定める就業規則によって排除できるのか︒バッジの装着が︑これまで見てきたように︑精神の自由として. の結社の自由に基礎をおく行為であり︑さらに団結権の行使としての保護の対象になっていることを前提に考えれ ば︑私人である使用者が︑就業規則によって恣意的に制約できる理由は存在しない︒. だがこの判決は時間中︑施設内の組合活動を禁じている就業規則の規定は﹁正当でない組合活動は勿論のこと︑. 正当な組合活動も就業規則の同条の禁じるところと解すべきである﹂という︒その理由として制限的に解すべき何. らの定めもないこと︑制限的に解すべき意思のもとに制定し︑あるいはそのような慣行等の諸事情の存在もないこ. とをあげるに止まっている︒結社の自由と団結権の保障のもとで︑使用者が一方的に定める就業規則によって︑こ. のように自由に制約することが可能であるとすれば︑それはもはや法治国家のなかに企業という名の無法地帯を承. 認すること以外のなにものでもあるまい︒規定それ自身は抽象的に企業秩序を定めることができるとしても︑その. 解釈が︑公序である人権︵結社の自由︑団結権︶保障と無関係であることはできない︒それにもかかわらず︑この. 判決は企業秩序︑円滑な業務運営の確保というこの規定の目的は︑本﹁条の解釈とは別問題であって︑適用の当否. の問題として検討対象となる﹂とする︒だが目的的限定もなしの︑したがって公序との関係もなしの︑就業規則の 本規定の解釈は︑根本的に誤っているという他はないのである︒. しかも適用の当否の検討において︑本判決は︑理由らしい理由を示していないことは以下に論ずる通りである︒ ﹇四﹈ 利益衡量論について. 四三. 使用者が守ろうとする利益の大きさと︑労働者が被る不利益の大きさを比較考量する労働法の手法は︑本件の場 組合バッジと団結権.
(20) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 四四. 合には直接には妥当しない︒なぜなら一方で︑精神的自由としてのシンボルの装着は︑計量できる利益とは最初か. ら無関係だからである︒労働者にとってこのシンボルを守ることは︑キリスト者にとっての十字を守ることに等し. い︒それは物質的な価値をこえた行為であって︑物質的利益と比較衡量できるものではない︒. したがって利益衡量論で労働者側のこうむる不利益の大きさを示す資料として︑当該組合員が夏期手当から減額. された金額をあげるのは︑労働者の不利益の︑金銭に換算されたごく一部のもののみを取り上げていることにな る︒. 他方で︑企業の業務運営にとって︑具体的はもちろん︑抽象的な危険すら論証できない阻害論を楯に︑バッジの. 取り外しを命じ︑外さないことを理由に不利益を課す行為は︑衡量の対象になりようもない︑二重の意味での団結 権侵害行為以外のなにものでもない︒. この判決はこの事件でのバッジが﹁形状は小さいばかりか︑その着用態様も︑襟に着けていたというのであるか. ら︑これを着用したからといってこのことにより直ちに職場秩序を紫乱したとか︑業務運営の妨げとなったという. ことはでき﹂ない︑としている︒妥当な判断として支持できるものである︒だが︑この前提のすぐ後で︑にわか. に︑その着用態様﹁のみによって検討することは相当ではな﹂いとし︑﹁本件組合バッジの着用が労使関係におい. ていかなる意味合いを有し︑このことによって労使関係にいかなる影響を及ぼしているか等の総合的観点﹂からの 検討の必要性を説く︒. そして直ちに︑接続する文章で﹁そうすると︑国労の指導に従い本件組合バッジを着用した本件組合員等は︑何. ら肯定することのできる理由なくして前述のような労使間の緊張関係をもたらしているのであるから︑被告︵マ.
(21) マ︶が本件措置に及んだことには無理からぬところがある﹂とし︑国労組合員のみにバッジの装着を禁止している のでないから︑国労のみを特に不利益に取り扱ったということもできないとしている︒. 国労組合員がバッジを装着しているのは︑前述の通りの理由・必要にもとづくものであって︑東京地裁が﹁何ら. 肯定することのできる理由﹂なしとするのは︑それらの理由・必要を否定する根拠を示さない限り︑裁判所の理由. のない独断にすぎない︒まして国労組合員にたいしてのみバッジ装着を禁止しているのではないから︑国労への差. 別にあたらないとすることは︑現在︑特段の理由があってバッジ装着が国労組合員のみによって行なわれているこ の事件では︑これまた理由を示していることにはならないのである︒. そして使用者があげる抽象的危険としての﹁労使間の緊張関係﹂は︑労組間の対立を指すのであろうが︑労組が. 複数存在する以上︑しかも国鉄時代から民営化への過程でより激化した︑その相互間の対立は︑避けようのないも. のである︒国労がその運動方針を変更して︑動労などのその他の組合と足並みを一致するのでないかぎり︑対立は. 解消しない︒そして組合が自己の運動方針を策定する自由︵八七号条約三条︶は結社の自由・団結権に内在する不. 可欠な要素であって︑国も使用者も口出しできないものであることは前述した︒このような場合︑使用者は複数存. 在する労働組合にたいして︑厳格に中立的でなければならない︵日産自動車残業差別事件最高裁判決︑昭和六二年五 月八日参照︶︒. この対立の激化の結果︑前述したように周り中が敵対物になってしまった国労組合員が結社の自由の精神的表現. として装着している︑連帯の精神的シンボルであるバッジを︑不利益を課すことを示唆しながら︑具体的にも抽象. 四五. 的にも︑いかなる実害もないのに︑敢えて外せと命じ︑外さないことを理由に不利益を課すことは︑国労にたいす 組合バッジと団結権.
(22) 早法七三巻一号︵一九九七︶. 四六. る中立性の放棄であり︑国労に敵対し︑その組合員を差別し排除しようとすること以外のものではない︒そのよう. な不法な目的による使用者の行為に︑正当性を見いだすことはできない︒取り外し命令自体が国労組合にたいする. 介入︵労組法七条三号︶にあたるからである︒しかもバッジの着用を理由とする不利益取扱は︑国労の﹁組合員で. あること﹂自体を理由とする︵労組法七条一号︶不当労働行為であること︑したがって二重の意味で団結権の侵害 にあたることを︑この判決は看過しているのである︒. その意味では利益衡量の姐上にのせることが︑労使いずれの側からみても︑最初からできない事例だという他は. ない︒利益衡量論において︑使用者側の守ろうとする利益を︑前述した国労組合員の被る不利益と対比するという. のであれば︑使用者側には︑国労を嫌悪し排除しようとする意思を貫徹すること以外に︑守ろうとする利益は存在. しないのであるから︑そのような意思が法的評価の対象になるはずがないのである︒団結権保障法制のもとにおい. て︑団結侵害による利益は︑かりに使用者がどんなにそれを希求しても︑利益として計上することは許されない︒ 本件に利益衡量論をあてはめる余地がないというのは以上の意味においてである︒. 働法律旬報二一一八三︑辻村昌昭﹁組合バッジ着用就労者への対抗措置と不当労働行為﹂季刊労働法一八O号がある︒. ︵1︶ 労働判例一九九六・三・一五︑︵M六八六︶︒判例批評として宮里邦雄﹁組合バッジ着用による一時金減額と不当労働行為﹂労. 年︒杉原泰雄﹃国民主権の研究﹄岩波書店︑一九七一年など参照︒. ︵2︶ ル・シャプリエ法︵一七九一年六月︶については中村絋一﹁ル・シャプリエ法研究試論﹂早稲田法学会誌一一〇号︑一九六九 ︵3︶ 世界人権宣言︵一九四八・=一二〇︶二〇条一︑二項︒. 和二年︒後者には例えば一八三八−三九年の石工組合の年記にある﹁記章︑入会式︑暗号語の廃止を可決した﹂旨の記述︵二七. ︵4︶ ﹃労働組合運動史﹄︵上︶︑荒畑寒村訳︑一九四九年︑板垣書店︑﹃産業民主主義論﹄高野岩三郎纂訳︑大原社会問題研究所︑昭.
(23) CSUフオーラム︵セメダイン管理職組合︶事件︑東京都労委命令︑平八・七・九参照︒. 頁︶がある.. ︵6︶ 動労︵当時は機労︶独立の経緯については︑国労二〇年史︑四八○頁等参照︒. ︵5︶. 壊の前に社党はなすすべもなくぼう然たる日々だった﹂と記している︵朝日新聞九七・二・二五︶︒. ︵7︶最新のものとして︑中曽根元首相は一九八六年一一月︑国鉄関連法の成立の日の日記にコδ三高地がついに落ちた︒国労崩 ︵8︶団結権・団体交渉権条約︵九八号︶一条︑二条二項参照︒. ︵9︶A︑B両規約の﹁署名の際に日本国政府が行なった宣言︵昭和五四年六月四日外告一八七︶﹂第二項.. 昭和一西年の労組法改正の意味については︑中山﹁管理職の範囲覚え書き﹂季刊労働法五六号︵一九六五︶︑同﹁経費援助覚. ︵10︶ バルティコス﹃国際労働基準とILO﹄︑一九八四年︑三省堂︑三五〇頁︒. 四七. え書き﹂同六一号︵一九六六︶︑山本吉人﹁管理職の労働者性と契約上の義務﹂労働判例二五二号︵一九七六︶︑中山﹁管理職員の. ︵11︶. 団結権間題について﹂労働旬報一三九二号︵一九九六︶およびそこに引用した文献参照︒. 組合バッジと団結権.
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