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訳語に関する一考察

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(1)

木邦最初のフランス語辞書はロシアの北方からの脅威のもとに誕生している︒本木正栄の﹃彿郎察辞範﹄四冊と﹃和 この二つの辞書の成立過程についてはすでに拙著『フランス語事始

|村~上英俊とその時代

』な

どで若干の考察を

トフ

N i

k o l a i

機と

なり

もっ

とも

ロシアの海軍大尉ニコライ・アレクサンドロウィッチ・フヴォス

Al

ek

sa nd

ro

vi

ch

 K

hv

os

to

くがサハリン︵樺太︶南部のアニワ

長崎のオランダ通詞たちのフランス語学習が始まり︑

のちに本木正栄による前述のフランス語辞書がオラ ンダ商館長ヘンドリック・ドゥ

ーフ

He

nd

ri

kD

oe

ff

の指導のもとに編纂されたのである

この辞書編纂の詳細な過程は不明であるが︑

加えているので詳述は割愛するが

一八

0

六年

秋︑

﹃彿郎察辞範

ンP i

e t e r

Ma

ri

nの岡仏辞書に依拠して編纂されたことが記されている

の﹁題言﹂にはつぎのようにピーテル・マリ

﹁小 人 正榮 曽て 此學に志あること斯に年あり︑常に和蘭人ピートルマリンなる者の著す彿郎察語書を取て傍ら諸書を

佛閾酎諜語林﹄五冊がそれである︒

I

舶来事物の表記をめぐってーー'

黎明期のフランス語辞書の

訳語に関する一考察

︵楠渓︶に残箇したフランス語の文書が契

富 田

‑133‑

(2)

ナ表記で記載され︑KとWが省かれた二十四文字が記されている︒また︑母音と子音の説明︑ 第一分冊︒﹃彿郎察辟範草稿﹄はいわば発音篇である︒

無音のhと気音のhの フランス語のアルファベ

al ph ab et

の読みかたがカタカ ンダ語の部分を訳出して ここでは本木正栄が訳者の代表となっており︑ドゥーフは口授者︑

位置にあることが明記されているところに注目したい︒辞書編纂に当ってまず︑ドゥーフがマリンの蘭仏辞書のオラ

これに日本語として適正な訳語をあてる作業に本木正栄たちが携わったものとみられる︒

大 日 本 和 蘭 家 諜 長 崎

暦敷一千七百七十五年錢版

批渇耳麻林著

顕地力喝讀和枠口授

本木正榮等奉命﹂ 和蘭

加比 旦

西洋大儒官 ﹁新正彿郎察語例 には原本の刊行年︑原著者名︑訳者名が書かれている︒ 参考し偶和蘭人の其学を詳にする者に逢へは叩正質問し其訳すべきものを取て是を和蘭語に翻定し稿を為すこと数十

⁝ ⁝

一七七五年にアムステルダムで刊行したN

i e uwe 

Fr an sc he   en

N  

ed er du i t s h e   S pr aa kw ij ze

底本にして編纂された﹃彿郎察辟範﹄と﹃和佛蘭封諜語林﹄は現在︑

いずれの辞書にも奥付がなく︑成立年月日の記載もない︒

﹃彿郎察辟範﹄は全篇四冊に分れているが︑

第一分冊の中扉には﹁彿郎察辟範 ピーテル・マリンが

五十

二丁

七十

丁︑

つまり原文を翻訳ないし解説して口述する者の 長崎市立博物館に草稿のまま保存されているが︑

七十

六丁

四十八丁というふうに構成されている︒

草稿﹂と記されているが︑冒頭の﹁彿郎察辟範題言﹂は五丁に及び︑六丁目

‑134

(3)

一 方 ︑

黎明期のフランス語辞書の訳語に閑する

考察

詞︵前置詞︶︑時間︑曜日︑ であるが︑単数を﹁箪詞﹂ 説明などが用例をあげて説明されているが︑

用例にはフランス語の右に日本語︑左にオランダ語を添えて︑当時の洋 学者がすべて蘭学者であったことを配慮した説

明が行われている

月数︑金銭度麓衡︑文具などに関する語彙をとりあげている︒

第三分冊︒﹃

彿郎察辟範 親族︑身体︑服飾︑化粧︑家屋什器︑家具厨房雑貨︑家畜︑食品︑魚貝類︑果実などの語彙をとりあげている︒

第四分冊

︒﹃ 彿 郎 察 辟 範 四 草 稿

﹄もまた単語篇である︒王侯︑貰族︑僧侶︑技術者︑商売︑商品︑船舶︑欧州諸

国名︑花樹草木︑穀物︑鳥獣︑軍事に関する語彙を採録している︒

この辞書ではフランス語には発音がカタカナ表記されているが︑第三分冊の四分の三あたりで発音表記が消えてい る︒第四分冊では日本語訳が添えられていない語がみられる︒たとえば僧侶に関する語がそれである︒

pa pe (

皇︶

cu

re

  (司祭︶などがその例である︒

草稿

﹄は単語篇である︒万物︑すなわち森羅万象︑都会にみられるもの︑寺院︑親子︑

日本語にそれに相当する語粟がなかったためであるのか︑キリシタン禁令下の国内 事情を考應してのことであったのか︑

その辺のことははっきりしない︒

﹃和 佛蘭 封繹語林

﹄ 五

冊は奥付︑序文︑

凡例もない草稿であり︑

語集︑会話集を兼ねており︑構成はやや複雑である︒

第一分冊は﹁詞源要律篇﹂で︑評詞︵名詞︶︑虚詞︵形容詞︶︑動詞︑形動詞︵副詞︶などの品詞︑さらに作文法︵統辞 法︶の説明︑隔︵男性︶︑陰︵女性︶などの文法の概略を記述しているが︑文法の説明は第二分冊の最初までで︑あとは 単語集となっている︒第五分冊の第二十一には情交求婚︑第二十二には婚礼式︑第二十三にはオランダの歴史に関

複数を﹁復詞﹂と表記している︒

編纂の年月は不明である︒内容は文法書︑単

さらに動詞

復元動詞︵代名動詞形動詞︵副詞所在

第二分冊

︒﹃ 彿郎察辞範

草稿﹄は﹁︷貫静詞及虚評詞﹂篇である︒﹁︷

貫静

﹂は名詞︑﹁虚静詞﹂は形容詞のこと

‑135‑

(4)

前述したように に考えられる︒ドゥーフが去ると わち末尾の書簡︑書式類除いたほかはマリンの著書の本文通りの一応忠実な翻訳なのである︒

とこ

ろで

これらの辞書の編纂の時期は文化十四(‑八一七︶年十一月にヘンドリック・ドゥーフが任期満了ののち

にナポレオン戦争の煽りを受けて遅延していた帰国が行われた前後のことと想定される︒ドゥ

ーフの﹁口授者﹂

場は辞書に付されたフランス語へのカタカナ発音表記が途中から消えているところなどにも大きく反映しているよう

たのであろう︒

本邦最初のフランス語辞書の編纂の経緯を略述したのはほかでもない︒初めて未知の外国語に接した日本人がその

言語をどのように受けとめ︑

かった事物︑文物制度︑ それを日本語に移しかえようとしたのかという営為の中で︑

思想などに関する語彙にそれ相応の訳語をあたえる苦心がいかばかりなものであったのか︑

それをフランス語という︱つの外国語を例にして考察してみたいという意図によるものであった︒

﹃彿郎察辞範

﹄ではすでに僧侶に関する語彙では日本語訳がつけられていないことをみたが︑

語には

pa

pe ,

cu

re

に相当する聖職者が存在していなかったから訳語を省いたのか︑ ﹃彿郎察辞範

﹄と する会話がとりあげられている︒最後の二つにはフランス語とオランダ語の文章がつけられているが︑

この辞書が不完全であることを示している︒だが︑第五分冊の末尾に

Ei

nd

eD

er

  Sa

me

ns

pr

aa

ke

(会

終わり︶とあるところをみると︑この五冊で一応﹃和佛蘭封諜語林﹄が完成していることが考えられる︒ はないので

﹃和佛蘭封繹語林

﹄はピーテル・マリンの著書を底本としているが︑

コント︑物語類を除いた部分を翻訳したものとみられる︒﹃

彿郎察辟範

﹄ の

巻頭の発音篇を

フランス語の発音を聴く機会もなくなったわけで︑ その本文の主要部分︑すな

の立

カタカナ表記も不可能になっ

それまで日本には存在しな

日本

それともキリシタン禁令下ゆえの 日本語の訳文

‑136‑

(5)

學﹄

黎明期

ス語辞書の訳に関する

考察

配慮であったのか︑

明確にしがたいものがあるけれど︑幕末・維新のいわゆる黎明期に出たほかのフランス語辞書で はそれはどのように扱われていただろうか

本稿ではそのあたりの問題にも着目し︑

本木正栄たちの辞書編纂のあと︑嘉永七(‑八五四︶年︑村上英俊はまったく独学でフランス語︑英語︑オランダ語 の三ヵ国語対照辞

書である

﹃ 三 語便覧﹄三巻を皮切りにして︑

﹃豆i

佛英訓琲

﹄︵一

八五

五︶

﹃五方通語

﹄(‑

八五

七︶

﹃佛

﹃佛

英 燭 三 國 會 話

﹄︵一

八七

二︶などを世に問い︑日本にフランス

語明要

四巻 (‑ 八六 四︶

学の礎石を築いた︒

その間︑松園梅彦

﹃五國語箋

(‑

八六

O)

︑洋書調所

﹃佛曲西箪語篇

﹄(‑

八六

二︶︑柳川春三﹃法郎西文典︿前篇﹀﹄

小林鼎輔

﹃法郎西會話篇

﹄︑開成所﹃法郎西箪語篇

(‑八六六︶︑柳川春三︑小林鼎輔

﹃法郎西文典︿後篇﹀

﹄︑小林鼎

輔﹃

法郎西會話篇諜解

﹄︑桂川甫策

﹃法蘭西文典字類

(‑八六七︶︑渡六之介﹃佛朗西熟語箋

﹄︑桂川甫策﹃英佛箪語便

競﹄︑金澤版

﹃佛朗西五音綴

(‑

八六

八︶

︑柳

川春

三﹃

佛學階梯

﹄︑開成所

﹃佛語初歩

(‑

八六

九︶

︑橋

爪貫

一 七つ以呂波

﹄︑渡六之介﹃佛朗西熟語箋

﹄︑揺田氏蔵板

﹃法郎西箪語篇

﹄︑橋爪貫

和辟典﹄︑沼津兵學校教材

﹃佛蘭西箪語篇

(‑ 八七

O︶︑岡田好樹堂﹃佛和辞典﹄︑朝眠淵生﹃法語階梯﹄﹃法語階梯挿

" "   E

as C y on ve rs at io n   i n   F re nc h ﹂︑戸澤光徳﹃通俗佛蘭西箪語篇︿上︑

便院﹄

︑渡部温

﹃佛學初級

﹄︑歌文舎主人

﹃西洋韻字解

一訳﹃

英佛箪語圃解初編

﹄ ︑ ﹃明要附録

﹄(‑

八七

O)︑

E

ng li sh an d  Fr en ch  a nd  J ap an es e  di c tionary

﹄ ︑

下 ﹀

(‑八七一︶︑村上勘兵衛﹃英佛二語 法朗西之部和蘭之部︿下﹀

﹄︑戸澤光徳

﹃洋學指針

戸山章

﹃大日本佛蘭西英利堂十字いろは早

﹃英佛文語粋金

(E

n glish ,

Fr en ch   an d  Japa

ne s e  d ic ti on ar

y , 

Ta na ka   Tanji

﹄︵一八七二︶などのフランス語辞

﹃佛

語自

﹄︑編者不明﹃英佛

﹃佛學捷

若干の考察を加えてみることにした︒

フランス語辞書の訳語に関する

‑137‑

(6)

られ

る︒

ファウンテン・ペンを﹁万年筆﹂面白い例としてはフ

(三) 口事物の機能︑性質をとらえて造語する 日

原 語 の 発 音 を 漢 字 で 表 記 す る

れたのかをみようというのである︒ 八六三︶などを上梓している︒ 典﹄ フランス人もレオン・ド・ロニー

Le

on

de

  Ro

sn

y

﹃日 英佛 典酔

﹄(

‑八 五七

︶︑

レオン・パジェス

Le

on

Pa

ge

s

﹃和佛辟典﹄(‑

八六

二︶

︑ ついて考察を加えるわけであるが︑

在することなく︑西洋から舶来した事物︑ 書︑会話書が刊行されている︒

メルメ・カション

Me

rm

et

Ca

ch

on

﹃佛 英和 辟典

﹄︵ 一 これらのフランス語辞典の中から前述のようにまず︑衣食住にかかわる事物に関する語彙をとりあげ︑

その種の事物すべてを対象するにはその数は膨大であるので︑

その訳語に

それまで日本に存

たとえばジャム︑チーズ︑チョコレートなどがどのような訳語をあたえら

いままで日本人にとって未知であっ

た舶来事物にどのような名称をあたえるかという営為は︑

事物の日本化への最初の試みであっ

た ︒

舶来事物の邦語名称︑とくに漢字表記にはつぎの三つの特徴がみられる︒

日本に従来からあった事物の名称になぞらえて表記する

とりもなおさずその

この

大別にすべてが適合するわけではなく︑複数にわたるもの︑分類不可能なものも少なくない︒

H

の例として

かね

はカステラを﹁加須底羅﹂︑トタンを﹁止多牟﹂︑口の例にはポタンを﹁釦﹂のように︑金偏に口を添えて金属性のボ タンが服のポタン穴を通るという機能を示すもの︑国の例では︑インキを﹁洋墨﹂というふうに表記するものがあげ

ユニークなネーミングには哺乳器を﹁乳母いらず﹂︑

﹃日

佛辟

‑138‑

(7)

黎明期のフランス語辞習の訳語に関する

考察

﹃三 語

便鹿﹄ ︑

を学んだ村上英俊(‑八︱‑I一

八九

O) が編纂した辞書である

佐久間象山の要請で火薬製造の参考書物としてス

ェーデンのベリセリウス

J . J .  

Be

rz

elius 

(一 七七 九ー 一八

四八

︶ 八︶を取り寄せたところ︑オランダ語訳でなくフランス語訳が到着したことから︑やむをえずフランス語を修めること

にな

った村上英俊は一七一七年刊行のフランソワ・ハルマ

Fr

an

i ;o

isHa

lmaの蘭仏辞書

Ni

e uw

Ne

de

r d u i t s c

he en 

Fra

ns

ch 

にかけてのことであった︒ W

oo

rd

en

bo

ek

を頼りに難業苦行の十六ヵ月の末に

﹃化学提要

を読了したという︒嘉永二︵一八四九︶年末から翌年 のちに村上英俊はその苦闘の日々をつぎのように回想している︒

﹃五方通語﹄ ﹃佛語明要﹄は

ランスの製造会社名﹁バリカン・エ・マール﹂

Ba

ri

qu

an

t なったようなケースもある︒

きな特徴があったが︑

﹃化

学提 要﹄

Lare

boki

Ke

mien 

(一

八 O

Oー

一 八

いずれにせよ︑舶来事物のネーミングに当初︑漢字表記を試みたところに日本人の舶来事物の受容のありかたの大

そこには日本人の外来文

への姿勢も看取される︒このような観点からフランス語辞書の編纂 にあたった人びとが未知・未見の舶来事物の語棠にどのような訳語をあたえていたのかという問題にアプロ

ーチしよ

いわゆる舶来事物としてすでに日本に渡来していた事物︑あるいはあき らかに外国起原と考えられる事物に関する語彙の訳語を主として対象にしていることを

って

おき

たい

︒ 前述のフランス語辞書のうち

﹃彿郎察辟範

﹄ ︑

舶来事物とそれに類する事物に関する語彙︑ うというのが小論の狙いである︒この場合︑

﹃ 三

語便

覧﹄

﹃五方通語

﹄ ︑

およそ二百七十語を拾い出し︑

別表﹁

黎明期のフランス語辞書にみる事物の訳語表記﹂

のようになる︒ ﹃佛語明要﹄の四

つの

書の語彙のうちで その訳語の表記を

リストアップすると︑

﹃彿郎

察辞範﹄成立後三十年ほど経った時期にまったく独学でフランス語

Ma

rr

e社の前半の名称﹁バリカン

が散髪用器械名と

‑139

(8)

二︱

︱語

ランス語を知らなくてはならないと考え ﹁嘉永元年五月初テ︒仏蘭西文典ヲ取テ︒之ヲ閲スル

コト

︒五 個月

柳力文法ヲ知ル︒故

二実

︒別爾描律私ノ著書

ヲ取テ之ヲ閲スルニ︒一行ヲモ読コト能ハス︒遂二語書二因テ︒語ヲ痩策シテ︒拮意ヲ探リ︒晨夜専意積精スルコト︒

弦二十有六月ニシテ︒稀ク読得ルコトヲ得タリ︒然レドモ︒此力為二︒歯痛ヲ患フルニ至レリ︒其困苦︒言以テ説ク

村上英俊はそのフランス語学習の成果を後世に伝えるべく﹃三語便覧﹄

ンドリック・ドゥーフの間和辞書﹃ヅーフ・ハルマ﹄︵一八一六︶に着目し︑

を企てたが︑幕府の天文方の許しがえられず︑さらに﹃皇國同文鑑﹄という大型辞書︑すなわち清国の﹃清文鑑﹄︑

文韻統﹄などに範をえて︑英︑仏︑露︑独︑蘭語など各国語対照辞典の出版を計画していたことに触発されたものと

考えられるが︑村上英俊は当時︑鎖国中の唯一の公用ヨーロッパ語であるオランダ語を洋学者のほとんどすべてが修

めている事実を踏まえ︑さらにきわめて少数の者が英語を学んでいることを考慮して

語の三ヵ国語対照辞書を編纂しようとしたのである︒

村上英俊はフランス語が世界の中で果たす役割の大きさを認識し︑ 可

ラス

﹂︵

﹃佛語明要﹄

凡例

その国を知るにはまず最初にその国語であるフ

ついで後進の勉学の一助にと︑

書と同じく部門︑事項別に語棠が配列されている︒

﹃三

語便

覧﹄

﹃ 同

の編纂を思いたったのである︒この辞書は嘉永七年か安政元(-八五四)年頃に刊行されている。初•中・終の三巻から構成されているが、従来の辞

初巻(六十丁)ー天文・地理・身腫•疾病・家倫・官職・人品•宮室・飲食•衣服・器用(一、0八一語)

中巻(六十丁)1兵語、時令・紳佛•徳不徳・禽獣・魚虫草木・果貿・金石・醤薬・采色・敷量・地名(一、 フランス語・英語・オランダ Jれを改訂して﹃増訂荷闇語彙﹄の出版 の編纂に着手した︒これは佐久間象山がヘ

‑140‑

(9)

である︒ 松翁撰

世セ自シ

界ダ然

g

黎明期ランス語書のに関す

終巻(1

語(陪名詞・附詞•前

詞・附合詞・動詞)(一

初巻冒

頭に近いところか

﹃ 三

語便黄﹄

れているところが注目されよう

︒ の

語彙の記述の例をつぎに引用することにするが︑

村上英俊はオランダ語を修めていたことで︑

たようである

発音の不正確さが致命的な欠陥である︒

ヲランダコトV

佛 蘭 西 語 英 傑 列 語 和 蘭 語

n a

t u

r e

 

n a

t u

r e

 

n a

t a

u r  

ウエーレル

m a

n t

l e

 

wo

rl

w e

r e l d

 

『三語便乾

には仏•英・蘭の三カ国語対照辞

のほかに

刊行年月不明 独の

カ国語対照辞典もある

前者の見返しに﹁松代茂亭村上義茂著﹂と記されているが︑後者では﹁日本 村上義徳校

﹂と変わっている︒

村上義茂︑村上松翁とは村上英俊のことで︑村上義徳は長男

・栄太郎のこと

安政四(

八五七)年四月、村上英俊は仏•英・蘭•羅•和の五ヵ国語対照辞書

五方通語』を刊行した。和綴三

本で︑第

一巻︵伊之部ー波之部︶︑第二巻︵仁之部1

土之 部︶ 第

巻︵知之部ー遠之部︶︑合計百二十六丁で︑収められてい

る語彙数︑

仏•英・蘭•羅各語千五百、計六千語である

天文

成で ある

が︑

0四

語︶

﹁地 理﹂ など 各門 別︑

発音がカタカナ表記さ かつイロハ順の配列という構

日本語の分類は柴小輔

﹃雑學類編

に依拠している

︒﹃

雑學類編

も十九門に分かれているが︑

﹁天門﹂

が﹁天文﹂

に改められている

﹁ 凡 例﹂にはつぎの記載がみられる

﹁此

書ハ

國語二依テ

洋語ヲ検査スル為二

編纂セリ

︒全ク初學二︒

便利ヲ欲シテナリ

故二伊呂波四十八字ノ順次

二傲テ︒

序次ヲ為ス

︒因テ毎字二︒門ヲ別ッ

フ左

ノ如シ︒ ︵多分︑慶応三

年頃

︶ であるが、仏•英・

村上

フランス語の発音もそれにひきずられ

‑141‑

(10)

り︑その所在もわからず︑ い

る︒ 兵語︑徳不徳︑禽獣︑魚虫︑果賓︑金石︑醤薬︑数量部門の分類は﹃三語便覧﹄と同様であるが︑疾病︑人品︑

地名などは省かれている︒﹃

五方通語﹄には外国語の発音表記はないが︑その代わりに漢籍などからの語の由来が記さ

れている︒

この辞書では理由は不明であるけれど︑ラテン語がとり入れられている︒ラテン語を含む多国語辞書は明

治になっても見当たらないが︑

としては、松園梅彦が万延元(-八六O)年に『五國語箋を出すことになるが、これは英•仏・蘭•露•和の五ヵ国 語対照辞書であり︑発音に基いて語棠をイロハ順に分類したものであるので︑利用価値がすこぶる低いものになって このような多国語対照辞書としてのフランス語辞書は構成も内容もまだ不完全であり︑辞書の機能も天文

どの部門別分類によるために十分に発揮されることができず︑

た︒

だが

︑ やがてフランス語と日本語の本格的辞書への移行が村上英俊の努力によって実現の運びとなった︒

安 政 四

﹄佛蘭西詞林を呈上したが︑この最初の仏和辞書はただ(‑八五七︶年︑村上英俊は松代藩主・真田幸教に﹃

ちに幕府に献上されることになった︒だが︑その後︑﹃佛蘭西詞林﹄がどのように処理されたのか︑今日では不明であ

会となっ

て ︑

ラテン語辞書のさきがけとしては注目される︒なお︑

ついに幻の辞書となってしまった︒とはいえ︑この辞書は村上英俊の学オを認めさせる機 翌年の日仏修好通商条約締結に当たり︑条約文の翻訳への協力を求められ︑その結果として幕府の最高

人 事 動 物 植 物

語 ﹂ 衣 服 飲 食 文

錢 穀 采 色

家 倫 官 職

紳 佛 器 用

天 文 地 理

時令

身競

宮 室 人 品

地理な

きわめて利用が不便な辞書のそしりをまぬがれなかっ フランス語を入れた多国語辞書

‑142

― 

(11)

黎明期のフランス語辞瞥の訳語に関する

考察

げられているが の洋学研修機関である蕃書調所への登用というように︑その運命を大きく拓いていくものとなったのである︒

村上英俊は蕃書調所教授手伝になって公私とも多忙の中にあって︑かねて﹃佛蘭西詞林﹄の増補のために書きため た資料を整理して︑より一層本格的な仏和辞書をつくる努力を重ね︑元治元(‑八六四︶年︑

﹃佛語明要

はヨ

ーロ ッパ風の最初の辞書で︑左開き︑横書き︑

巻之三 八十三丁

品詞の区別︑動詞の活用︑成句などの面では従来の辞書とは大きな進展がみられるが︑

要附録﹄︵全一巻

六十八丁︶と合わせて完成をみる辞書である︒﹃明要附録﹄には品詞の略字表も添えられているが︑

文法用語としては

﹃ 三 語便覧﹄と同じ表現のものも少ない︒﹃佛語明要﹄には

﹁陪

名詞

﹂︵

形容

詞︶

﹁ 附

詞﹂

︵副

詞︶

令法

﹂︵

命令

法︶

直説法︑名詞︑ ﹁直

説法

﹂︑

﹁嘆息詞﹂

︵感

嘆符

︶︑

﹁名詞﹂ ︑﹁分詞

﹂︑

一 方 ︑

﹁略 字表

﹂に は﹁ 現

11

現在︑未

I I 未 来

現分

11

現在分詞︑去分

11

過去分詞︑附現

I I 附 属法 現在

﹁ 前

詞﹂

︵前

置詞

︶︑

﹁ 代

名詞﹂などが品詞名としてあ

11

過去定去

11

定過

附去

I I 附 属法過去︑使

﹂使令法I I

分詞︑代名詞などの名称は今日も使われているが︑直説法は明治期には直接法となり︑再び直説法 に戻っているというふうに興味深いものがある︒約束法は条件法︑定過去は単純過去︑附属法は接続法︑使令法は命

巻之四

Riz

八 十 四 丁 七

︑ 九 八 二 語

J I Q 八 十 四 丁 七

︑ 九 九 三 語

巻之

EII 

七︑八九五語

巻之

AID

百十七丁︱一︑二五七語

成であり︑総語彙数三五

︱二七語という膨大な佛和辞書であった︒

の刊行にこぎつけた︒

しかも語彙がアルファベ順の配列という画期的な構

明治三年に刊行される

﹃明

﹁ 使

半去

I I 半過去︑約

11

約束

法︑

の略字説明がある︒

ついに﹃佛語明要﹄四巻

‑143一

(12)

令法である︒

﹃佛語明要﹄がアルファベ順に語彙が配列されていることで︑利用の便はそれまでの﹃三語便院﹄ ︑

比較にならないほどであり︑

﹃彿郎察辟範﹄から﹃佛語明要﹄まで黎明期のフランス語辞書のなりたちを概観してきたことから見落としてならな

いのは本木正栄にしても︑村上英俊にしても︑いずれも闇学の知識を基盤にしてフランス語辞書の編纂に取り組んで

いた事実である︒これは換言すれば︑わが国の洋学が蘭学を出発点としていることを表わすものである︒

だが

その

後︑

明治維新になっても

日本の国際的環境の変化にともない︑ しばらくの間︑

たわけである。『彿郎察辟範にもオランダ語が添えられ、仏・閾•和の対照辞典の様相をみせており、ある意味

では多国語辞書であっ

たが

﹃ 三

語便覧﹄にしても日本語を含めるとき四カ国対照辞典となり︑これまた多国語辞典で︑

つまり多国語辞典である︒ 日本人にとっては手放せない辞書として

それが﹃佛語明要﹄になると︑ニカ国語辞典であり︑

本格的な仏和辞典として編纂されている︒ここに本邦最初のフランス語辞典が誕生したのである︒

このような変遷の過程をたどる黎明期のフランス語辞典のすべての語彙をとりあげて︑

れた日本語︵訳語︶を考察することは紙数に限りがあるのでむずかしい︒そこでいくつかのカテゴリーを選び︑本木正

栄や村上英俊たちがフランス語語彙にどのような日本語訳を付したのかという問題にアプローチしてみたい︒

いくつかのカテゴリーというのは︑編纂者にとって従来未知・未見と思われるような事物︑あるいは事象というほ

どの意味であるたとえば舶来事物などのうちの衣服‘飲食、住居、すなわち衣・食•住にかかわるものの名称など ﹃五方通語﹄はまさしく五カ国語辞典 広く使われることになった︒ ﹃五方通語﹄とは

そのフランス語にあたえら フランス語学習の必要性が生じ︑フランス語辞書の誕生をみることに

-144

(13)

黎明期のフランス語辞曹の訳語に関する

考察 たえている︒ フランス語

bo

nn

et

のことで

ンス語の訳語のありようを眺めてみよう︒ のを拾い出して︑

そのフランス語の語彙をアルファベット順に配列している。さしあたって、衣・食•住の順にフラ

﹁メリヤス﹂は﹃彿郎察辞範﹄では﹁莫小大﹂であるが︑

莫小大﹂と訳がつけられている︒村上英俊の場合︑

﹃佛語明要﹄にのみ

﹁脚

坐︑

スはスペイン語の﹁メディアス﹂︑ポルトガル語の﹁メイアス﹂に由来する語で︑本来の意味は靴下である︒伸縮自在 で大小の区別なしということで﹁莫大小﹂︵大小なしの意︶とも表記されている︒漢字表記では﹁目利安﹂が一般である が︑江戸中期の延宝年間(‑六七三

i八一︶の﹃洛陽集﹄に﹁唐人の古里寒しめりやすの足袋﹂と書かれている︒徳川

光捌が使用した靴下が今日に伝えられているように︑すでにメリヤスは日本人には知られていたわけで︑本木正栄が あたえた訳語はむしろ妥当であったと考えられる︒

﹁頭帽﹂は﹃三語便覧﹄の訳語である︒

村上英俊はなぜか﹃佛語明要﹄では﹁被り物﹂と記しており︑﹁帽子﹂の訳語としては同じ辞書で

ch

ap

ea

uにそれをあ

一方︑本木正栄は﹁種笠﹂をその訳語としている︒ Jの表では︑﹃彿郎察辟範﹄

﹃三

語便

院﹄

﹃五

方通

語﹄

を中心にして︑

﹃彿郎察辞範﹄では﹁帽子﹂と表記されている︒

その日本語訳語の表記を眺めてみようというのである︒

表﹁黎明期のフランス語辞書にみる事物の訳語表記

﹂には純粋な意味では必ずしも舶来事物ではない事物の表記 も含まれている︒動植物︑魚貝類などがそれであるが︑多少とも日本人にとっては舶来の

イメージをもつようなもの としてここではとりあげることを断っておきたい︒

﹃佛語明要﹄の四つの辞書の中から

舶来あるいは外国種のも これはフランス語

bas

の訳

語で

ba

s

de lain

には﹁毛布 e

下部﹂としてとりあげている︒メリヤ

‑145一

(14)

靴を履いたが 踵

者﹂

れない訳語があたえられている︒ちなみに ﹃彿郎察辞範﹄

では

ca

mi

so

le

(短い夜着︶は﹁襦︑近身短衣﹂と訳語の表記をしているが︑

ツのことも

ca

mi

so

le

と称したという︒ 着﹂となっている︒本来は婦人用のゆったりとした肌着あるいは下着であり︑十六︑七世紀には袖の太い男性用シャ

いずれにしろ︑本木正栄も村上英俊も十分にそのものについての知識があった

とは考えられないが︑

日仏両国に存在していながら︑

﹃彿郎察辟範﹄では﹁纏腰帯﹂︑

履き

︑ スリ ッパ

ある

が︑

おうむね妥当な訳語といえよう︒

その実体が微妙に異なる服飾付属品として

c e i n

t u r e

( 帯 ︑

﹃五方通語﹄ ︑﹃佛語明要﹄では﹁帯﹂の訳語がみられる︒これは ch

au ss on (上 靴︑ 上

の場合も︑前者では﹁機﹂︑後者では﹁足袋︑踊二用ル鞘﹂と訳出されていて︑似て非の感をまぬが

﹃彿郎察辟範﹄には︑﹁履︑無スリッパはフランス語では

pa

nt

ou

fl

だe

が︑

﹃三語便覧﹂には﹁上ノ踏﹂と表記されている︒

が片山淳之助の筆名で刊行した﹃西洋衣食住﹄ スリッパが初めて日本に紹介されたのは慶応三年に福沢諭吉

でのことである︒﹁上沓・スリッパス﹂の名で出ている︒このことを考

えると︑上沓の訳語はやむをえぬ表記であったといえよう︒なお︑今日の靴という名称はフランス語では

ch

a u

ss

ur

でe

その訳語は﹃三語便覧﹄には﹁履﹂︑﹃佛語明要﹄では﹁足二用ル諸具﹂と記載されている︒幕末︑シャノワ

ーヌ

Ch

an

oi

neを団長とするフランス陸軍顧問団が来日して三兵調練をおこなったとき︑幕府の伝習生は洋服を着用し︑

一般人にはその履用を禁止する触れが出された︒その触れには﹁皮履﹂の名称で靴のことが表記され

ていた︒村上英俊は﹃三語便覧﹄編纂当時まだ靴を実際には見ていなかったはずである︒

ところで︑シャツ︑シュミーズを表わすフランス語

ch

em

is

e は四つの辞書いずれにもとりあげられている︒﹃彿郎察

ジュバン酔範﹄では﹁相服﹂︑﹃三語便覧﹄に﹁汗濡﹂︑﹃五方通語﹄に﹁汗杉︑汗濡﹂︑﹃佛語明要﹄に﹁嬬絆﹂と漢字表記され

ている︒ちなみに︑幕末の英語辞書﹃如叩英和野繹袖珍辞書﹄にはシャツの訳語が﹁男ノ搬衣﹂として出ている︒村上 ベルトバンド︶がある︒

﹃佛 語明 要

﹄になると﹁肌

‑146‑

(15)

黎明期のフランス語辞書の訳語に関する一考察

英俊の辞書では

c h

em

is

eの訳語がそれぞれ別の表記になっていることは編纂者が必ずしも前の辞書を参照していなかっ

たということを示しているが︑時間の推移で

ch

em

i s

eの認識も変ってきて︑それに相応する訳語を選定したことも考え

ローチ産の馬﹂と表記されている

︒とくに注目されるのは

﹁クローチ産の馬﹂という意外な訳語であるが︑ネクタイ

の起原として十七世紀後半フランスの軍隊︑ ﹃彿郎察辟範

﹄には﹁風領﹂

とある︒﹃佛語明要﹄には﹁男ノ襟巻︑

ロワイヤル・クラヴァ

ットの兵士たちが首に巻いた布を宮廷の紳士

ロワイヤル・クラヴァットという軍隊は一六五六年にルイ十四世 に仕えるために当時のオーストリアのクロアチアから来た軍隊である︒そんなルーツが

﹁キ ュロ ット

﹂ cu

lo

t t e

は﹃五方通語﹄には洩れているが︑あと三つの辞書には﹁袴﹂として訳出されている︒もっと

も﹃佛語明要﹄には︑

ポンであるが︑

さらに﹁牛ノ後部

とも記されている︒﹁キュロット﹂も

﹁パンタ

ロン

pa

n tal

on もいわゆるズ

には出ていない︒にもかかわらず︑

ズボンはフランス語の﹁ジュポン﹂

ju

po

nに由来するというだが︑﹁ジュポン﹂の語は﹃佛語明要﹄

﹃彿郎察辟範﹄にはすでに

﹁槻﹂として訳出されている

︒フランス語の

用例として

フランスで出たのは一三一九年のことである︒明治四年︑

訳語がつけられている︒なお︑

長崎の岡田弘樹堂訳︑上海版﹃和佛辟典﹄には

﹁ 下

着﹂の

ナガハカマ﹁パンタロン﹂は﹃三語便腕﹄に

﹁長

袴﹂

﹃佛語明要﹄に﹁袴﹂とある︒結局︑﹁

キュ

ット

も﹁パンタロン﹂も日本人には﹁袴﹂として認識されていたものとみられる︒

g i l e

t は﹁

鎖帷

子﹂

︵﹃ 佛語 明要

﹄︶

であ

り︑

まだ一般には洋装することのなかった日本人には︑帽子が﹁頭帽﹂であったように︑チョッキを表わすフランス語

﹁ス カー ト﹂

ju

pe

は﹁表衣﹂︵

﹃彿

郎察

辞範

﹄︶

﹁女

服﹂

﹃佛語明要

﹄︶

であ

り︑

いたものとみられる︒ が上衣の襟を飾るために用いたという説があるが

ネクタイはフランス語では

cr

av

at

というがe

られ

る︒

﹃佛

語明

要﹄

の訳語となって

‑147‑

(16)

しての外套の認識はない

︒ ﹃

佛語明要﹄ 今日的認識とはかなり距離のある訳語となっていたのである︒

﹁マ

ント

﹂ ma

tne

au

の語は四つの辞書

に﹁ 外套

﹂︑

﹁短 掛﹂

︑﹁

短掛︑短襖﹂︑﹁合羽﹂という訳語で出ている︒防寒着と

つまり羽織であ

の漢

字表記は﹁外套﹂であるが︑カタカナ表記は﹁ハヲリ﹂︑

る︒防寒具としての意味のある﹁手袋﹂

ga

について︑本木正栄は﹁手袈﹂︑村上英俊も﹁手貫﹂と訳している︒﹁シ tsn

ョール﹂食 h

p e a r

, c

ha

は﹁蒙衣︑家首︑箪衣﹂︵﹁﹃l e

彿郎察辟範

﹄︶

︑﹁ 雨羽

﹂︵

﹃三 語便 覧

﹄︶︑﹁婦人ノ被物︑画額ノ縁ノ

四隅ノ木﹂︵﹃佛語明要﹄︶と訳出されている︒

﹁ ベ

ッド ﹂

l i t

の語は﹃彿郎辟範﹄

には

﹁訃

箪﹂

いう訳語があてられている

︒ ﹃

翌虹英和封諜袖珍辞書﹄にも﹁寝床︑川氏︑寝間︑層︑婚姻︑床﹂と訳されているよう

に︑今日のベッドを表わす訳語は見当らない︒明治初年にはまだ﹁臥床﹂と訳されていたようで︑のちに﹁寝台﹂と

呼ばれることになった︒﹁臥床﹂も﹁寝台﹂も和製漢語である︒

ちな みに

︑﹁ 枕﹂

o r e i

l l e r は

﹃ 三

語便腕﹄以外の三

つの

辞書に﹁枕﹂として出ている︒

﹁エ プロ ン﹂

ta

b l i

﹄彿郎察辞範は﹃e r

に﹁

﹂施

語で訳されている︒維新後の橋爪貫一

古代の儀礼用のものの名称である︒

訳語である︒

つぎに食︑すなわち飲食物に関する訳語について考察することにしよう︒

フラ

ンスの飲み物としてまずあげなくてはならないのは﹁ワイン﹂である︒

﹃彿郎察辞範﹄

では

﹁蒲 萄酒

﹂︑

﹃佛語明要﹄に﹁前タレ︑帆ノ布施切レ﹂の

﹃世界商賣往来﹄︵明治四年︶には訳語として﹁蔽膝﹂がみられる︒これは中国

のちに西洋前掛︑西洋前垂の語が﹁エプロン﹂に当てられるが︑

フランス語の

t a b l

i e r

は袖つきの全体を覆う上張りのことも意味している︒

﹃佛語明要﹄ ダレ﹃三語便覧﹄

に﹁

抱襴

﹂︑

では たん に﹁ 酒﹂

vi

dn

ou

xを﹁甘酒︑葡萄製之称﹂とあり︑

﹃ 三

語便腕﹄

こよ

J J

4

﹁臥

室﹂

ワイン︑すなわち︑

﹃三語便院﹄ フランス語の

vi

nは いずれも英語の ﹄には﹁床︑増ノ下石︑底﹂と佛語明要﹃

‑148

― 

(17)

黎明期

笞の訳語に関する考察

館を通じて十七世紀頃にみられた︒江戸時代には

﹁各比伊

﹂ ﹁

班分﹂ ︑

﹃佛 語明 要

﹁迦 分﹂

︑﹁ 骨喜

﹂︑ では

﹁ コ

ッピ

ー賣ル店﹂と訳されている︒コーヒー

の日本への渡来は出島の

オランダ商 ﹁ミルク﹂

はフランス語では

l a i t

であるが

には

﹁カー

ス ﹂

方通語﹄

フラ ン

その訳語は﹁蕎唆﹂である︒なお﹁大麦﹂

or g e

の﹁醍醐﹂ ﹃佛語明要

には

﹁ボートル﹂と出ている︒﹃五

ro ug

を﹁赤酒﹂と記されている e

ちな みに

︑ には vin b l a

nc

を﹁白酒﹂ vin

範﹄︶

︑﹁

蒲陶

樹﹂

﹃ 三 語便 痣

﹄︶

︑﹁

蒲陶

蔓﹂

﹃佛語明要﹄︶という訳語で表わされている

﹁褻

酒﹂

b i e re

の語は﹃三語便院﹄

にはみられないが︑あと三つの辞書ではすべて

﹁俊酒﹂という訳語である︒

フランス人の食卓に欠かせないものの一っ

の訳語がみられる︒

﹁チ ー ズ ﹂

f r o m

ag にe つい ては

﹁プドウ﹂

vi

gn

eは﹁蒲萄﹂︵彿郎察辞﹃

﹃彿郎察辟範

﹄に

﹁乾

酪﹂

︑﹃

語明 要﹄ 日本でも六四五年頃︑百済の帰化人・善那が搾乳の技術を修めて牛乳を献じたこ とで大和薬使主の氏姓を孝徳天皇からあたえられたが︑やがて牛乳加工品もつくられ︑チーズに似たものは

﹁醍 醐﹂

と称され︑珍重された︒﹁醍醐味﹂のことばはここから生まれた︒

じつは︑﹁バタ

ー ﹂ を表わすフランス語

be

urについて彿郎察辟範re﹃

では

﹁酪

﹂ ︑

beure

f r a i s   ( 新鮮

なバ

タ ー ︶

は︑

﹁鮮酪﹂と訳されているが︑

﹃五方通語﹄

には

酪 ︑

︑醍

醐﹂

の訳語はチー

ズとバターとの混同視から生まれたものであったのかしれない︒

西洋人の主食である﹁

パン﹂については﹃佛語明要

では

﹁蒸餅︑母︑食物

﹂とあり︑

pa

in

te

nd

re

  ( 柔か いパ ン︶

は﹃

彿郎察辞範

に﹁新焙蒸餅﹂と訳出されている

︒パ ンの材料である﹁小麦﹂のフランス語

hi e

は﹃三語便乾﹄

には

﹁穀物﹂とある

︒ ﹃ 彿郎察辟範

には

ble

はな

く︑

ble

sa

ra

si

n が

あり

の語は﹁三語便覧﹂には見当らないが︑

ほかの三つの辞書にはすべて﹁大麦

﹂と記されている︒

﹃彿郎察辟範

﹄も﹃佛語明要﹄も

﹁ 乳

汁﹂の訳語をあたえている︒

ス人は牛乳とコーヒー

を混合した﹁カフェ・オ・レ﹂

ca

fe

au

a i t を好んで飲むが

ca

fe

については﹃彿郎察辟範

では

﹁黒

炒豆

﹂︑

﹁班非﹂︑﹁珈琲﹂など多数の漢

‑149

(18)

一種﹂と訳出されている︒ デザートとしてフランス人は果物︑菓子などを食べるが︑たとえば﹁アプリコット﹂

a b r i c o t が﹃ 掃郎 察辟 範﹄ の﹁ 杏﹂

アプリコト﹃三語便院﹄

の﹁ 杏肉

﹂︑

﹃ 三

語便覧﹄の﹁杏﹂というように︑ほぼ似た訳語のものや︑﹁アマンド﹂

am an

deが﹃彿郎察

辟範﹄

の﹁ 巴旦 杏﹂

辞書にとりあげられているが︑ ﹃佛語明要﹄の﹁扁桃︑仁核﹂と異なった訳語のものなど多彩である︒﹁イチゴ﹂

f r a i

s e は四つの

﹁覆盆子﹂︑﹁苺︑復盆子﹂︑﹁蛇苺布ノ預飾︑柵︑錐︑橋ノ杭﹂がそれぞれの訳語であ

る︒覆盆子は漢名であり︑平安朝時代にすでに﹃和名類衆抄﹄に﹁覆盆子和名以知古﹂として知られている︒もっと

も︑江戸時代にオランダ人によって外来種のイチゴも伝来し︑﹁おらんだいちご﹂と呼ばれている︒なお︑

g r o s e i l l

e ( ス

リ︶ が

﹃彿郎察辞範﹄

では g r o s e i l l e r o u

g e

としてとりあげられ︑その訳語は﹁裂盆子﹂となっ

てい る︒

﹃佛

語明 要﹄

では四

o s e

ているは﹁蛇苺﹂となさらにっ︒hi l l e

ou b l o n ( ホ

ップ

︶は

﹃彿郎察解範﹄に﹁蔓苺﹂

︑ ﹃

佛語明要﹄に﹁葎ノ

甘橘類︑果物としては

c e r

is e

(サ クラ

ンポ

︶が

﹃ 三

語便覧﹄ ︑﹃佛語明要﹄

に﹁ 櫻賓

﹂︑

ci t r

on (レモン︶は﹃三語便覧

に﹁ 香機

﹂︑

﹃佛語明要﹄

に﹁ 拘機

﹂︑

f i g ue (イ チジ ク︶ は

﹃三語便覧﹄ ︑﹃佛語明要﹄

に﹁ 無花 果﹂

︑ gr en

dea

(ザ

クロ

は﹃三語便覧﹄

に﹁ 石楷

﹂︑

﹃佛語明要﹄

に﹁ 柘楷

︑柘 楷弾

﹂︑

melo

n (メ ロン

︶は

﹃三語便覧﹄ ︑﹃佛

語明 要﹄ に﹁ 甜瓜

﹂︑

melo

 n d ' e au (   スイ カ︶ は

﹃三語便覧﹄

のみ に﹁ 西瓜

﹂︑

no

ix(クルミ︶は﹃彿郎察辞範﹄に﹁肉︑豆荒﹂︑﹃三語便覧﹄

に﹁ 胡桃

︑ ﹃

佛語明要﹄

に﹁

﹂ ︑

ne f

l e

(西 洋カ リ

ン︶

﹃彿郎察辞範﹄

に﹁ 柿﹂

﹃佛語明要﹄

に﹁ 山査 子﹂

︑ or an ge ( オ

ンジ

︶は

﹃ 三

語便院

﹄ ﹃

佛語明要﹄

に﹁ 橙﹂

︑ o r a n g e r (オ レン ジノ 木︶ は

﹃彿郎察解範﹄に﹁香機﹂︑﹃佛語明要﹄に

﹁橙

樹﹂

︑peche

(桃

︶は

﹁彿 郎

辞範

﹂に

﹁桃

﹂︑

﹃佛語明要﹄

に﹁ 桃︑ 魚撒

﹂︑

po

ir e

(梨

︶は

﹃彿郎察辟範﹄ ︑﹃三語便

覧﹄

に﹁ 梨﹂

﹃佛語明要﹄に﹁梨子︑菜舛︑菜入レ﹂という訳語で表記されている

︒ ﹃

彿郎察辟範﹄で

o r a n g e r (オ レン

字表記がコーヒーの訳語に当てられていた︒

‑150

― 

(19)

黎明期のフランス語辞曹の訳語に関する

ジの樹︶を﹁香機﹂と訳しているのはおそらく

or

an

ge

(オ

レ ンジ

︶と取り違えたのではないだろうか︒

ニンニク野菜類では

a i l

(ニ

ラ︶

﹃五方通語

に﹁

i

詠 赫

大篠

﹂︑

﹃五方通語﹄に﹁胡椒﹂と訳されている︒

c a r o

t t e

(ニ ン ジン︶は﹃彿郎察辟範﹄に

﹁胡 藉

荀﹂︑﹃三語便覧﹄にも

﹁胡 羅萄

﹂︑

﹃五方通語﹄では﹁紅羅萄︑胡羅萄﹂︑﹃佛語明要﹄

られたが︑中国では元の時代(+

三 ︑

うになったのである︒

ニンジンはヨーロッパから北アフリカ︑

さらには中央アジアと小アジアが原産 地とされているが︑十五世紀にはオランダでかなり品種改良されたようである︒薬用としてヨーロッパと中国に伝え

四世紀︶のことで︑中国の西にある胡から伝来したので﹁胡羅萄﹂と呼ばれた︒

西の国からやってきた大根という意味である︒ちなみに︑

d i r a

s

(ハッカダイコン︶が﹃彿郎察辟範﹄に﹁菜瓶﹂︑﹃佛語 ニンジンは日本には江戸期の頃に渡来し︑

﹃多 識篇

﹄(

‑六

︱二

年︶ に

は﹁セリ

ニンジンの形がチョウセン人参に似ていることから次第に人参と呼ばれるよ フランス語のいずれの辞書にも﹁胡羅萄﹂という訳語があたえられているのは前述のような事 面白

いの は︑

ch

ou

(キャベツ︶が﹃佛語明要﹄

にのみ﹁野菜﹂と記されていることである︒キャベツは︑

七 ︱

‑̲

︱六

︶にオランダ人によって長崎に初めて渡来しているが︑当初は食用でなく観賞用であり︑

﹁菜 牡丹

﹂︑ ある いは﹁諸葛菜﹂と呼ばれていた︒栽培は安政年間(‑八五四ー六

O) で︑箱館が最初だったといわれるが︑

たことは不明である︒このような経緯を考えるとき︑

ch

ou

の語には適切な訳語をあたえられなかったものとみられる︒

ci b o

lue  (ア サッ キ︶ は

﹃彿郎察辟範

に﹁

大蒜

﹂︑

﹃ 三 語便

腕﹄

に﹁ 非﹂

﹃五方通語﹄に﹁非︑石非﹂︑﹃佛語明要﹄に

﹁絲葱﹂と表記されている︒前出の a

i l (ニラ︶が﹁莉﹂であったり︑﹁胡椒﹂であったりするような混乱をまぬがれな

いところに︑編纂者が実物を十分に認識していたかどうかという疑問が投げかけられる余地が生じるというものであ 情によるものと考えられる︒ 一ンジン﹂として出ている

︒もっ

とも

明要﹄

に﹁胡羅萄﹂と訳出されている︒

には

﹃黄胡羅萄﹂の訳語で出ている︒

正徳 年間

︵一

はっきりし

‑151‑

(20)

るのか不可解である︒ る︒ちなみに︑

p o i v r e (コ ショ ウ︶ は

﹃彿郎察辞範﹄でも︑

co

nc

om

br

e  ( キュ ウリ

︶は

﹃三

便覧﹄ ︑ ﹃三語便覧﹄でも﹁胡椒﹂と記載している︒ただし︑

﹃佛語明要﹄に﹁胡瓜﹂と記されている︒キュウリはインドの中央部からヒ

マラヤを原産地とし︑中国北部に西方から伝わったことで﹁胡瓜﹂という呼称が生まれ︑

という意味をもっており︑

名称不明のまま︑ ﹃佛語明要﹄には﹁i

萩菜

﹂と ある が︑

﹃五

語 ﹄

それが日本に早い時期に渡

ホウレンソウはもともとは﹁ペルシアの草﹂ 米している︒﹃和名類衆﹄にもその漢名が出ている︒キュウリと同じく中国経由の野菜にepina

r d

(ホウレンソウ︶

があ

ホウレンソウる︒﹃彿郎察辞範﹄には﹁

兌菜

﹂︑

それが漢語風になまって﹁パウリン﹂︑さらに﹁ポーリン﹂︑あるいは﹁ポー

レン

と訛 り︑ 一般 には

﹁疲萩草﹂と漢字表記されるようになったという︒その意味では﹃佛

オランダケサl

a i t u

e   ( チシ ャ︑ タレ ス︶ は

﹃彿郎察辞範﹄に﹁

著 達

﹂ ︑

にも﹁腐﹂の訳語があたえられているが︑

﹃佛

語明

要﹄

﹃佛語明要﹄

に﹁ 夢宦

﹂︑

ma

ch

e  ( 野チ シャ

︶は

﹃三 語便 院﹄ では

﹁果名﹂とのみ記されているにすぎない︒それと同

じく

たんに﹁果名﹂と書いている例は

p a t a (t e サツ マイ モ︶

︵﹃ 佛語 明要

﹄︶ にも らみ れる が︑ ある けれ ど︑

ma

rs

ou

i n

(ネズミイルカ︶がやはり﹃佛語明要﹄に﹁魚名﹂とされている︒もっとも

﹁海豚︑江豚︑江猪︑水瀦﹂という訳語があたえられているところをみると︑村上英俊がなぜ﹁魚名﹂とのみ記してい

na ve

t (カプラ︶は﹃彿郎察辟範﹄に﹁蕪﹂︑﹃佛語明要﹄に﹁蕪青﹂︑

oig

no n (タ マネ ギ︶ は

﹃彿郎察辟範﹄に﹁

葱 ﹂

﹃佛語明要﹄

に﹁ 葱︑ 苔﹂

︑ pa

tatedo

x u (  甘い サツ マイ モ︶ は

﹃ 五

方通語﹄に﹁甘藷︑甘蕪﹂と訳出されている︒

pa

tate

に形容詞

do

ux

がつけられると︑﹃五方通語﹄に甘藷︑すなわち︑サツマイモとしてとりあげられているのは面白い︒ち

語明 要﹄

の訳語は適切といえよう︒ 最後に﹁ホウレン﹂と唐音に発音され 明要﹄

では

﹁胡菜﹂である︒

6

+ J ., J

﹃佛

ほかの範疇で

‑152‑

(21)

黎明期のフランス語辞曹の訳語に関する一考察

なみ に︑

pa

ta

te

pa

ta

te

do

uc

eともいうことが現今の仏和辞

書にも注

記されている

リゥキゥイモは︑もちろん琉球

イモのことである︒

p e r s i l ( セリ

︶は

﹃彿

郎察 辟範

﹄︑

﹃ 三 語便覧

﹄に﹁芹菜﹂とあるが︑

魚貝類︑鳥獣昆虫類などについてみるとき︑今日的な名称とはかなり異なる訳語があたえられているようである が︑ほぼ同じものも少くない︒たとえば

abe

(ハチ︑ミツバチ︶は﹃l l e

彿郎察辟範

﹄に﹁蜜蜂﹂︑﹃五方通語﹄に﹁蜂﹂︑

﹃佛語明要

﹄に

﹁蜜

蜂﹂

bele

(イタチ︶は﹃彿郎察辞範﹄にt t e

﹁ 槌 鼠﹂︑﹃五方通語﹄に﹁髄鼠鼠狼︑黄鼠狼

﹂ ︑

ca e l m e o n

︵カメレオン︶は﹃五方通語﹄に﹁晰賜︑蛇醤礫蠅﹂︑﹃佛語明要

に﹁ 十二 時虫

﹂︑

ca

ne

(アヒルの雌︶は﹃五方通語﹄

に﹁肉桂﹂と︑﹃佛語明要﹄に

﹁ 雌 家鴨

﹂︑

ch

au ss es ou

は﹃irs

彿郎察辟範

に﹁蝙蝠﹂︑

﹃佛語明要

に﹁蝙蝠︑魚 名︑ 辻君

﹂︑

ch i e n

ma

ri

n  ( 海の 犬︶ は

﹃五方通語

﹄に﹁脳訥獣︑海狗﹂︑﹃五方通語

に﹁ 海狗

﹂︑

ci

go

gn

e (コ ウノ トリ

は﹃彿郎察辞範﹄に﹁鶴﹂︑﹃佛語明要﹄に﹁鶴﹂︑

co uc ou ( カ

コウ

︶は

﹃彿郎察辟範

に﹁杜鵜﹂﹃五方通語﹄に﹁杜

ハクテウ

鵜 杜 字︑子

規 ﹂ ︑

﹃佛語明要

﹄には﹁時鳥︑蜜夫︑事物ノ名﹂︑

cy

gn

e (白 鳥︶ は

﹃五方通語

に﹁ 鵠﹂

﹃彿郎察辞範

に﹁ 白鳥

︑星

﹂︑

ho

hc

eq ue ue (セ キレ イ︶ は

﹃五 方

通語

﹄︑

﹃ 佛語明要

に﹁ 競鶴

﹂︑

hi

b o u (フ クロ ク︶ は

﹃彿郎察辟範

7クロウに﹁巣﹂

︑ ﹃

佛語明要

に﹁鴎泉︑物ヲヂスル人︑淋シキ田家﹂︑

h u ! t r e (カ キ︶ は

﹃彿郎察辞範

﹄ ︑﹃佛語明要

﹄に﹁牡

蛎 ﹂ ︑

lo

up (オ

オカ

ミ︶ は

﹃五方通語﹄に﹁狼﹂︑﹃佛語明要

に﹁ 狼ノ 牡︑ 牝﹂

mi l a

n

(トビ︶は﹃五方通語﹄に﹁鴎︑

店﹂

︑﹃ 佛語 明要

﹄に

﹁店

﹂︑

pe rro

qu

te

(オ ウム

︶は

﹃彿郎察辞範

に﹁ 鶴鵡

﹂︑

﹃三 語

便院﹄

に﹁ 鵜鵡

︑魏

可﹂

﹃佛語明

シラミ要﹄に

﹁魏 鵡

︑縫 キ帆 柱﹂

︑ po u (シ ラミ

︶は

﹃彿郎察辟範

﹄ ︑

﹃ 佛語明要

﹄に

﹁風

﹂︑

puc e (ノ ミ︶ は

﹃彿郎察辞範

﹄に

ウグイス

﹁ 蚤 ﹂ ︑

﹃佛語明要

は﹁ 風﹂

︑ ro ss

ig

no

l(

ウグ イス

︶は

﹃彿郎察辟範

に﹁ 黄鳥

﹂︑

﹃佛語明要

に﹁ 鴬﹂

︑ sa

tuere

l l e ( バ ノタ イ

ナゴ︶は﹃

彿郎察辞範

﹄に

﹁n

幽 冬

幽 ﹂

﹃佛語明要

﹄に

﹁ 孟 ﹂ ︑

ta

on

(アプ︶は﹃五方通語﹄に﹁大蜂﹂︑﹃佛語明

と記されている

︒ ﹃佛

語明要﹄ではなぜか

﹁未 詳﹂

‑153‑

(22)

いかないのは残念である︒ よ ︑ つ

要﹄ に﹁ 馬蝿

﹂︑

t i g r e

(ト ラ︶ は

﹃五 方

通語﹄

に﹁ 后︑ 大晶

﹂︑

﹃佛語明要﹄に﹁虎︑牝虎︑梨ニヲル虫﹂︑ t

btou r

(カ

イ︶ は

﹃彿郎察辞範

﹄ ︑

佛語明要

﹄に

﹁比 目魚

﹂︑

sa um on (サ ケ︶ は

﹃彿郎察辟範﹄に﹁過澗魚︑鱒同稲︑﹂﹃佛語明要﹄

に﹁鱒鉛ヤ錫ノ一カケラ﹂というふうに訳されているが︑後者の辞書で

t r u i t e (マス︶はたんに﹁魚名﹂とのみある︒

t e

n c

h e

の語は﹃彿郎察辞範﹄には﹁魚名未審﹂とある

︒ ﹃

佛語明要﹄

には

t e

n c

h e

の訳語はないが︑

のも とに

t a

n c

h e

(コ

イ の一 種

︶の訳語として﹁鱒﹂が出ているように︑鮭の名はここでも見当らない︒なお︑

f a u s s e t

チャウセンウグイスの語については﹃五方通語﹄で﹁

︑ 黄 盟

︑ 黄 魏

﹂の訳語がつけられているが︑本来このフランス語は音楽用語

で﹁ 裏声

﹂︑

﹁裏声で歌う人﹂を意味することばであり︑決して鳥の名ではない︒

ミングであろうか︒また

po

とu

pu

ce ︑

ルトガル船の種子島漂着︑

Vo ye z  ( 見 よ ︶

t a

n c

h e

 

ウグイスの鳴き声からの連想のネイ

﹁シラミ﹂と﹁ノミ﹂が取り違えられた訳語になっ

てい るあ たり

幕末の日本には存在しなかった事物の訳語としては︑たとえば

a l l u m e t t e ( マ

ッチ

︶は

︵プ ール

︶は

﹃佛語明要

﹄に

﹁魚ヲ蓄フ池︑清ノ水ヲコポス所﹂というふうに訳語が記載されている︒

オランダ人の平戸︑出島への定着によ

って

興味がひかれ

﹃佛語明要﹄に初めて﹁火寸﹂

として出ている︒

b i l l i a r d (ビ リヤ ード

︶は

嘉永年

(‑ 八

四八ー五四︶にはオランダ人が長崎で始めたというが︑

察辟範﹄には

﹁投 床球

︑ ﹃彿郎

﹃佛語明要

﹄に

﹁玉突基﹂と訳出されている︒

p i a

no (ピ アノ

︶は

﹃佛語明要﹄

に﹁ 楽器

﹂ ︑

p i s c

i n e

一五

四三年のポ

日本にすでに渡来していた鉄砲︑硝子など多

数の事物がフランス語辞書にもとりあげられているのは当然のこ

とで ある が︑

紙数の都合ですべてを引用するわけに

0 0

装飾品では

a g

a t

(e

メノ ウ

︶は﹁現瑶﹂︵語棠のカッコにそれぞれ①I④の記号を付すが︑①は﹃彿郎察辞範﹄︑②は

﹃三語便覧﹄︑③﹃五方通語﹄︑④は﹃

佛語明要﹄というように︑語粟が記載されている辞書名を示す︶︑

am br e( コハ ク︶

-154

参照

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