道
元
の
鎌
倉
行
化
に
つ
い
て
納
宀 口 田常
天
はじ め に 道 元 の
鎌
倉 行 化 は 北 越 入 山 よ り わ ず か 五 年 を 経 過 し た 宝 治 元年
( 一 二 四 七 )秋
か ら 翌 二 年春
ま で の 、 約 六 ケ 月 問 と い う 短 期 問 で は あ っ た が 、 権 門勢
家 へ の 親 近 を 否 定 し 、 深 山 幽 谷 に 居 し て 一 箇 半箇
を 接 得 し、 関 東 下 向 の 慫 慂 に 対 し て も 自 主 的 参 学 を 強 調 し た道
元 の 根 本 的 立 場 に背
反 す る も の で あ っ た 。 し か し そ の よ う な 思 想 的 ・ 宗 教 的 問 題 を 有 す る 鎌 有 行 化 は 、東
国 に お け る 純 粋 禅 の 首 唱 で あ る ば か り か 、 そ の後
の東
国 に お け る純
粋
禅
興 隆 の 先 鞭 と な っ て い る こ と は 、 日 本禅
宗
史
上 注 凵 し な け れ ば な ら な い 。 従 来 道 元 の鎌
倉 行 化 に つ い て は 、 大 久保
道舟
氏 「 道 元 禅師
伝
の 研 究 」 、 辻 善 之 助 氏 「 日 本 仏 教 史 」 「 口 本 交 化 史 」 等 を は じ め と し て 、 す ぐ れ た 多 く の研
究 が あ り 、 す で に 新 資 料 が 発 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 見 さ れ な い か ぎ り窮
め つ く さ れ た感
が な い で も な い 。 し か し 資 料 が 貧 困 で 充 分 な究
明 が 不 可 能 で あ る と い う こ と は 、 反 舛 に ま だ 研 究 の 余 地 が 多 く 残 さ れ て い る と い う こ と に 他 な ら な い 。 こ こ で は 動 機 ・ 実 能 掌 音心義
等 二 ・ 三 の 問 題 点 を 中 心 に 、 鎌倉
行 化 の真
相 を考
察 し て み た い 。 ま ず 行 化 の 動機
に つ い て 大 久保
道
舟 氏 は、 檀 越 波 多 野 義 重 ユ リ の 慫 慂 、 お よ び 良 忠 の 内 面 的活
躍 を 挙 げ て お り 、竹
内 道 雄 氏 も コ. 一祖
行 業 記 」 「建
撕記
」 等 の 諸 伝 は 、 い ず れ も 時 頼 の 召 請 と し て い る が 、 お そ ら く 当 時鎌
倉
に い た 永 平 寺建
立 の 大檀
那波
多 野 義 電 、 お よ び 参 禅 の 門 人鎌
倉光
明 寺 閉 山 記 主 禅 師 良 忠 の 切 な る 懇 請 が あ り 、 こ れ に時
頼
の 招 請 が 加 わ り 、 決 意 せ ( 2 ) ざ る を得
な か っ た と な し て い る 。 一 八 一Komazawa University
NII-Electronic Library Service
道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) ま ず 道 元 の
外
護 者 で あ り 、 る が 、 「 永 平 広 録 」 第 三 に 大檀
越 で あ っ た 波 多 野義
重 で あ 寶 治 二 年 戊 申 三 月 十 四 日 上 堂。 口 。 山 僧 咋 年 八 月 初 三 ロ 。 出 ・ 山 赴 二 相 州 鎌 倉 郡 刃 為 二 槽 那 俗 弟 子・ 説 法 。 今 年 今 月 咋 日 歸 〆 寺 。 今 朝 陞 座 。 這 一 段 事 。 或 有 レ 人 疑 著 。 渉 二 幾 許 山 川 一 為 二 俗 弟 子 一 説 法 。 似 二 重 レ 俗 軽 フ 僧 。 又 疑 有 下 未 二 曾 説 冖 底 法 。 未 二 曾 聞 一 底 法 上 乎 。 然 而 都 無 下 未二 曾 説 一 底 法 。 未 二 曾 聞 冖 底 法 切 只 為 レ 他 説 。 修 善 者 昇 。 造 悪 者 堕 。 修 因 感 果 。 抛 レ 廓 引 ノ 玉 而 已。 雖一 ・ 然 如 フ 是。 這 一 段 事 。 永 平 一 八 二 老 漢 。 明 得 。 説 得 。 信 得 。 行 得 。 大 衆 要 レ 會一 一 這 箇 道 理一 麼 。 良 久 日 。 酎 耐 永 平 舌 頭 。 説 レ 因 説 レ 果 無 レ 由 。 功 夫 耕 道 多 少 錦 今 日 可 レ 憐 作 二 水 牛 4 湧. 追 箇 是 説 法 底 句 。 歸 山 底 句 作 麼 生 道 。 山 僧 出 去 半 年 ( 3 ) 餘 。 猶 若 三 孤 輪 處 二 太 虚叩 今 日 歸 レ 山 雲 喜 気 。 愛 〆 山 之 愛 甚 二 於 初 明 と あ る よ う に 、 檀 那俗
弟 子 ( 波 多 野 義 重 ) の た め の 行 化 で あ っ た こ と が知
ら れ る 。 い ま 「吾
妻 鏡 」 を中
心 と し て 、 て み る と 、 つ ぎ の と お り で あ る 。 波 多 野 義 重 の 略 行実
を 探 っN工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
年 月 日 事 項 承 久 三 年 六 月 六 日 仁 治 三 年 十 二 月 十 七 口 寛 元 四 年 一 月 十 日 宝 治 元 年 十 一 月 十 五 日 宝 治 元 年 十 一 月 十 六
H
宝 治 元 年 十 「 月 十 七 凵 二 年 閏 十 二 月 十 冂 承 久 の 乱 で 右 目 負 傷 す る も 答 箭 を 射 る 道 元 、 六 波 羅 密 寺 側 の 波 多 野 義 重 幕 下 で 「 全 機 」 を 示 衆 す 波 多 野 弥 藤 次 左 衛 門 尉 盛 高 と と も に、 将 軍 家 甲 冑 初 に 供 奉 鶴 岡 八 幡 宮 放 生 会 の 先 陣 随 兵 と し て 扈 従 三 浦 盛 時 、 随 兵 の 位 次 に つ い て 訴 う る も 、 北 条 実 時 等 の 評 定 に よ り 、 傍 若 無 人 な る 盛 時 訴 状 を 糺 明 す べ く 幕 府 に 訴 う 将 車 家 御 方 違 の 供 奉 人 ( 騎 馬 ) と な る 写 大 蔵 経 を 永 平 寺 に 寄 進 す 波 多 野 義 重 を 上 位 と な す Kom 三1z三1w三1 Umversrty こ れ に よ り 、 波 多 野 義 重 は 道 元 の 鎌 倉 行 化 の 期 間 は い う ま で も な く、 そ の前
後 を 通 じ て鎌
倉
に 在 住 し 、 将 軍 家 の随
兵 ・供
奉
人 と し て 活 躍 し て い る こ と が 知 ら れ る 。 し た が っ て 檀 那 は ま さ し く 波 多 野義
重 で あ り 、義
重 の 懇 望 に よ り 鎌 倉 行 化 は 実 現 し た も の と 思 わ れ る 。 つぎ
に従
来 記 主禅
師 良 忠 上 人 の内
面 的 活 躍 が強
調 さ れ て い る が 、 こ れ は 否 定 さ れ な け れ ば な ら な い 。 良 忠 が鎌
倉 に 入 っ た 時 期 に つ い て は 、 諸 説 が あ り 明 確 で な い 。 す な わ ち 今 岡達
る 音 氏 は 弘 長 二 年 ( 一 二 六 二 ) と し 、 恵 谷 隆
戒
氏 は 正嘉
二 年 ( 一 ゐ 二 五 八 ) 末 か 、 若 く は 翌 正 元 元年
の こ ろ と な し 、 大橋
俊 雄 氏 は 「 徹 選択
鈔 」 巻 下 の 奥書
] ナ 時 正 元 二 年 三 月 二 十 六 日 終 功 。 然 阿 彌 陀 佛 六 十有
二 。 発 起 三 十 八 。 同 聞 忍 性 四 十 八 。 叉 顕 勝 ほ ね 房 二 十 七 」 か ら 、 「徹
選
択 鈔 」 の 成 立 は 下総
の 地 と 推 定 し 、 ま た 「 宗 要 集 聴 書 」 の 「 聴 書 者 本 末 口 伝 鈔 云、 於 二 鎮 西 御前
・ 宗 要 相 傳 已後
、 以 二師
仰
趣一 文 應 元 年庚
印 六 月 十 七 日 於 佐 介 自 取 レ 筆 書 、 故 云 二聴
書 直 と あ る こ と か ら 、 良 忠 の 入鎌
ぱ 正 元、 一年
三 月 末 か ら、 文 應 元年
六 月 初 旬 に 至 る 約 二 ヶ 月 間 に 求 む べ ぎ ( 7 ) で あ る と な し て い る。 い ま 因 み に 良 忠 の 行 実 を簡
単 に 考 察 す る と 、嘉
禎
三 年 ( 一 二 一 二 七 ) 八 月 三R
、 『 十 九 歳 で 二 祖 聖 光 上 人 か ら 「 領 解 末代
念
佛 授 手 印 鈔 」 の 印 可 を う け 、 一、 一 祖 と し て の 地 位 を 獲 得 し 、 そ の 後 石 見 ・ 京洛
さ ら に は 信 州 を 教化
し、 「 経 歴 諸 国 。 且 鑼麟
麟
廣 談 真躍
」 と あ る よ う に ・ 東 国 に 赴 き 宗 義 を 宣 揚 し て い る 。 東 国 に お け る 良忠
の 活 躍 が 、 い か に 口 ざ ま し い も の で あ っ た か は 金 沢 文 庫資
料 の み で も 充 分 知 る こ と が でぎ
る 。 西 暦 年月 日 一 場
所 … 事
項 典
拠 一 二 五 四 一 二 五 五 = 一 五 六 「 二 五 七 建 長 六 年 九 月 毋 日 以 前 一 六 年 十 二 月 二 十 凵 ( 七 年 三 月 四 日 七 年 = 、 月 四 冂 ( 五 月 十 七 冂 康「 兀一 兀 年 正 冂 月 十 四冂 口 以 革 川 建 長 八 年 三 月 十 九 口 建 長 八 年 八 月 十 六 日 正 嘉 元 年 十 二 月 四 日 ] 下 総 国 匝 瑳 飯 塚 庄 松 崎 郷 福 岡 村 〃 〃 上 総 国 伊 南 郷 常 楽 専 下 総 国 匝 瑳 庄 米 倉 郷 常 陸 国 東 条 庄 小 野 郷 下 総 国 印 東 庄 石 橋 郷 法 事 讃 講 義 (
旦
観 経 定 善 義 講 義 ( 聴 聞 衆 五 十 人 ) 観 経 玄 義 分 講 義 〔 −o ) 往 生 礼 讃 講 義 無 量 寿 経 論 注 講 義 釈 浄 土 群 疑 論 講 義 一 倶 舎 論 宗 要 集 講 義 … 一 識 二 二 〇 三 識 → 、 五 五 識 二 四 七 識 一 八 一 識 二 四 〇 〇 識 四 七 七 識 四二
道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) ( 典 拠 の 識 と 数 字 は 金 沢 文庫
占 交 薄 識 語 篇 の 番 号 を 示 す ) 一 八 三Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 以 上 の よ う に 下
総
・ 上 総 ・ 常 陸 を 中 心 と し て 、 「 法 事 讃 」 「 観 経定
善
義 」 「 観 経 玄 義 分 」 「 往 生 礼 讃 」 「 無 量 寿 経 論 注 」 「 釈 浄 土 群 疑 論 」 「倶
舎 論 宗 要 集 」 の 講 義 を 精 力 的 に 開 き、 宗義
の 宣 揚 に 努 力 し て い る こ と が 知 ら れ る が 、 そ の 時 期 は娃
. 長 六 年 ( 一 二 五 四 ) ご ろ か ら 正嘉
元 年 ( 一 二 五 匕 ) 末 に わ た っ て お り 、良
忠 の 鎌倉
入 り は 少 く と も そ れ 以 後 と い う こ と に な ら ざ る を得
な い 。 そ し て 道 元 の 鎌 倉 行 化 の 時 期 に お け る 良 忠 は、 石 州 ・芸
州 の 化 導 を 終 え て ヒ洛
し 、 宝 治 二 年 ( 一 二 四 八 ) 唱 導 文 芸 で有
名 な安
居 院 聖 覚 の 妹浄
意 尼 の 請 に よ り 選 択 集 を 講 ず ( 11 ) る 等 、京
都
を 中 心 に 活 躍 し て い る か ら 、 道 元 の 鎌倉
行 化 に は 何 等 関係
が な か っ た こ と が 知 ら れ る 。 そ れ ば か り か従
来 良 忠 は 「 鎌倉
佐 介 浄 刹 光 明寺
開
山 御 傳 」 ( 群 書 類 従 本 ) に 加 之 佛 心 禅 宗 。 教 化 別 傳 之 旨 。 首 経 圓 覺 之 法 門 者 。 訪 建 仁 榮 西 之 門 人 榮 朝 道 元 等 。 法 相 三 論 華 厳 律 等 之 宗 旨 。 東 渡 宋 之 律 師 泉 涌 俊 角 ) 軋 仍 。 ( 中 略 ) 如 入 禅 定 。 端 坐 而 逝 焉 。 ( 13 ) と あ り、 諡 号 も 記 主 禅 師 と あ る こ と か ら 、 帰朝
後 間 も な い こ ( 14 ) ろ の道
元 に 参 禅 し 、 大 き な 影 響 を う け た と さ れ て い る が 、 群 ( 15 ) 書 類 従 本 よ り も そ の 記 録 が 正 確 と さ れ る 慶 安版
、 然 阿 上 人 伝 」 に は 佛 心 禅 宗 教 外 別 傳 之 旨 首 経 圓 覺 之 法 門 客 訪 渡 宋 之 禅 師 法 相 三 論 肇 厳 律 等 之 宗 旨 禀 本 宗 碩 徳 と あ り 、渡
宋
の禅
師 に 禅 を受
け た と わ ず か に あ る の み で 道 元 一 八 四 の 名 は み る こ と が で ぎ な い 。 こ の よ う に 道 元 と 良 忠 は 時 間 的 に 吻 合 し な い ば か り か 、 そ り の 相 見 も 疑 わ れ る 程 で あ る か ら 、 道. 兀 の 鎌倉
行 化 に 対 し て内
面
的 に 活 躍 す る こ と も あ り 得 な か っ た わ け で あ る 。 つ ぎ に 執権
時 頼 で あ る が 、道
元 招 請 に 関 す る資
料 は 「建
撕
記
」 に 「 寶 治 元 年 κ 明 配 断 丁未
八月
三 日 、 鎌倉
二御
下 向 ノ コ ト ( 17 ) ハ 最 明 寺 殿 法 名 道 崇 ノ カ タ ク請
シ 巾 サ ル ル 間 御 下 向 」 と あ る よ う に 、 時 頼 の 積 極 的 招 請 と な し て い る 。 し か し 道 元 自身
の記
録 に 時 頼招
請 の 衷 実 が ま っ た く 見 ら れず
、 ま た 道 元 の 権門
勢
下 へ の 親近
を 否 定 し て い る 立 場 か ら も 納得
で き な い 。 ま た 「 廼 撕 記 」 は 巻 頭 に 「 末世
ノ 童 蒙 等 ノ 、 見 易 カ ラ ン 為 二 、 片假
字
ヲ 以 テ 、 抜 二 書 之 →殊
者
永 平 檀 那第
七 世 沙 彌 元 忠 、 依 レ 所 二望
之 } 也 、 法 孫 比 丘 建 撕記
F 之 「 と あ る よ う に 、 末 世 の 蒙 竜 の ヘ へ 理解
を 易 く す る た め と、 殊 に 永 平午
檀
那 で あ る波
多 野 出雲
守
通 定 ( 沙 弥、 兀 忠 ) の 所 望 に 応 じ て書
い た こ と が 知 ら れ る 。 し た が っ て 多 少 の誇
張
・ 曲 筆 が あ る こ と 、 さ ら に は時
頼 教 化 の事
実
を結
果 論 的 立 場 か ら 叙 述 し た 関 係 か ら 招請
と し た の で は な か ろ う か 。 し か し ま た 具 体 的資
料
は 皆 無 で あ る が , そ の 前後
に 円 爾 弁 円 や 興 正 菩 薩 を 招 請 し て い る ば か り か 、 蘭 溪 道 隆 ・ 兀 菴普
寧
に 参 禅 し 、 非常
に 求 道 心 も 厚 か っ た か ら 、道
兀 の鎌
( 18 )倉
行 化 は あ る い は時
頼 の 招請
に よ る も の か と さ れ て い る こ と も 注 目 し な け れ ば な ら な い 。 ま た 「傘
松 道 詠 」 の 初 め に 「 寶治
N工 工一Eleotronlo Llbrary元
年
相 州 鎌倉
に 在 し て 最 明 寺 道 崇 禅門
の 請 に よ り て 」 と 題 し 、 十 種 の 和歌
が 伝 え ら れ て い る か ら 、時
頼
も 教 導 に あず
か っ て い た こ と は 明 ら か で あ り 、 ま た 興 正菩
薩 招 請 が 、 北 条 実時
を 通 じ て 行 わ れ た こ と を 考 え あ わ せ た 場 合、 あ る い は 波 多野
義
重 を 通 じ て の 招 請 で あ っ た か も 知 れ な い 。 こ の よ う に 波多
野 義 重、 お よ び 北 条 時 頼 の招
請 が 道 元 の 鎌倉
行 化 に 大 き な 力 が あ っ た と 思 わ れ る が 、 さ ら に 道 元 の 俗系
や そ の 他 の 面 か ら も 綜 合 的 に 考 察 し て み る 必 要 が あ る 。 道 元 の 俗系
で 関東
に 関 係 が あ る も の は 意 外 に 多 い 。 い ま 便 宜 的 に 父 方 の 久 我 通 親 関 係 と 、 母 方 の 藤 原 基 房 関 係 と に わ け て考
察 し て み た い 。 最 初 に 久 我 氏 関 係 で は、 ω 義 時 女、 ω 定 親、 偶、 二 浦 泰 村 夫 人 が あ る 。 まず
義
時 女 で あ る が 、 久 我 氏 と 北 条 氏 と の 関 係 を尊
卑 分 脉 お よ び 久 我 家 系譜
に よ り 図. 尓 す る と、 つ ぎ の と お り で あ る 。 源 雅 通1
北 条 浅 時 女 了1
女 . 冖11
1
女 子口
定 道 親 元F
通 親 定 通 ! 通 資 通 時 顕 親 道. 兀 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 宮 )「
顕 雲 こ の よ う に 北 条 義 時 の 女 が 道 元 の 兄 定 通 お よ び 従 兄弟
通 時 に 嫁 し 、 顕 親 ・ 顕雲
お よ び 通 清 を 儲 け て お り 、 北 条 氏 と 久 我 氏 が密
接
な 姻 戚 関係
に あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 と り わ け 通時
は 「 明 月 記 」 天 福… 兀年
十 ⊥ . 月 亠 ハ 日 条 に 已 時 許 興 心 房 来 談 給 之 次、 聞 左 中 将 源 通 時 、 十 一 月 廿 三 日 於 関 東 終 命 と あ る よ う に 、 天福
元 年 ( 一 二 三 三 ) 十 一 月 什.. 一 日 関 東 に お い て 没 し て い る が 、 こ れ は 通 時 と 関 東 と の 関 係 を 如 実 に 示 す も の で あ る 。 ま た 内 大 臣 定 通 も 宝 治 元 年 九 月 汁 八 口 に 六 十 歳 で 蕣 じ て い る か ら 、 道 元 の 鎌 倉 行 化 時 ま で 存 命 中 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。. つ
ぎ
に 鶴 岡 八 幡宮
寺
別 当 定 親 お よ び 三 浦 泰 村 室 は 、 と も に 久 我 通 親 の 子 、 す な わ ち 道. 兀 の弟
妹
で あ る 。 ま ず 定 親 で あ る が、定
豪
お よ び 行 遍 に 灌 頂 を う け 、 東 南 院 の 樹 慶 に 三 論 を 学 び、嘉
禄
元 年 興 福寺
維 摩 会 講 師 に な る な ど 非 常 に 博 弁 で あ っ ( 19 ) た。 そ し て 早 く か ら 東 国 に 下 り 活 躍 を し て い る こ と が 、 ヨ吾
妻 鏡 」 に よ り 知 ら れ る 。 い ま そ の 主 な も の を 掲 げ る と つ ぎ の と お り で あ る 。 一 八 五Komazawa University
NII-Electronic Library Service
道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 一 八 六 西 暦 一 二 二 四 一 二 二 九 一 二 庶 = 一 二 三 三 = } 三 五 一 二 四 〇 一 二 四 四 一 二 四 五 一 二 四 七 一 二 六 五 年 月 日 元 仁 元 年 七 月 十 六 冂 寛 宣 旦 兀 年 六 け 月 臨 凵 五 冂 十 二 月 十
冂 三 年 四 月 十 一 口 貞 永 二 年 十 二 月 十 二 凵 文 暦 二 年 二 月 十 五 目 六 月 廿 九 凵 十 二 月 廿 二 凵 延 応 二 年 一 月 十 ヒ 日 六 月
一 日 六 月 二
凵 七 月 四 凵 寛. 兀 二 年 六 月 三 口 九 月 十 五 凵 三 年 十 二 月 廿 四 口 宝 治 元 年 六 月 十 八 日 文 永 二 年 七 月 廿 五 日 事 北 条 義 時 五 七 日 仏 事 の 導 師 を つ と む 鶴 岡 別 当 と な る 雷 電 の た め 大 般 若 経 の 転 読 を 命 ぜ ら る 天 変 . の た め 金 剛 夜 叉 法 を 修 す 南 御 堂 に お い て 八 万 四 千 基 塔 の 供 養 導 師 を つ と む 定 清 等 七 人 と 涅 槃 経 論 義 行 う 五 大 堂 洪 鐘 完 成 に よ る 曼 荼 羅 供 職 衆 つ と む 将 車 の 疱 瘡 平 癒 の た め 金 輪 法 を 修 す 彗 星 出 現 に よ り 愛 染 王 法 を 修 す 最 勝 王 経 修 法 つ と む 祈 雨 法 修 す 祈 雨 の た め 十 壇 水 天 供 を 修 す 天 変 に 対 し 十 壇 水 天 供 修 す 广、 廴 L 帯 ヨ. 一 じ ロ ー ー = 丁 巳 ) 一 一 ) 躍 ! 7 ト 噌. 丶 一 応、 ぐ に ・ ・ 傷 } 琶訊 に ハ 耳 陟 禎、 ∬ 衽 び 汝 潔 擢 7一、 濯+ 『 斎 」 り 走 冂 蝕 に 対 し 北 斗 護 摩 修 す 一 二 浦 泰 村 の 縁 坐 に よ り 籠 居 入 滅 項
N工 工一Eleotronlo Llbrary Servloe
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 以 上 の よ う に 定 豪 の 後 を
襲
い 、 早 く か ら 鶴 岡 別当
職 と し て 、 さ ら に は 東 密 の棟
梁
と し て、 定 豪 の 門 流 を 支配
し 、 大 小 の法
会 を 主催
し た こ と が 知 ら れ る 。 し た が っ て 道 元 の 弟 で あ り、 鶴 岡 別 当 職 と し て 、幕
府 と も 密 接 な 関 係 に あ り、 さ ら に は鎌
倉
に お け る 宗 教界
の中
枢 に 位 置 し て い た か ら 、道
元 の 鎌 倉 下 向 に 対 す る 慫 慂 者 と し て も っ と も 相 応 し く 、 ま た そ の 効 ( 20 ) 果 も 大 ぎ か っ た と 思 わ れ る 。 つ ぎ に 三 浦 泰 村 室 は 、 「 吾 妻 鏡 」 に 「 泰 村後
家 者 。 鶴 岡 別 ( 21)當
法 印 定 親妹
也 」 と あ る か ら、 定 親 の 妹 、す
な わ ち 道 元 の妹
で あ る こ と が 知 ら れ る 。 三 浦 氏 は 為 通ー
為 継−
義 明−
義 澄義
村
−
泰村
と 次 第 し、 頼 朝 以 来 の 功 臣 で あ っ て 、 鎌 倉 幕 府 の 確 立 、 さ ら に は 北 条 執 権 政 治 の 擁 護 に 不 抜 の 功績
を 残 し て い る が、 と く に 泰村
は 執 権 政 治 の 中 枢 に あ っ て 、 そ の 活 躍 は め ざ ま し い も の が あ っ た 。 ま た 宗 教 生 活 に お い て も 累代
み る べ き も の が あ っ た 。 す な わ ち 義 澄 は 「前
偉
師
忠 快 向 二 三 浦湘 是 義 澄 依 レ 有 二 申 請 之 旨 冖 也 。 コ ね 碩 墨 之 故 歟 。 義 澄 殊 歸 二佛
法 一 之 上 也 」 と あ り 、 忠 快 に 化 導 を受
け て い る が 、 家 連 も 「 同 十 月 應 二 肥 州刺
史 平 家 連 之請
湘 下 二 向 ロ関
東 ご と あ る よ う に 、 泉 涌 寺 俊 祷 を招
請
し て 裨 益 を 受 け 、 ま た 義 村 は [於
一 冖 三崎
海 上 「有
二来
迎 之儀
. 走 湯 山浄
蓮
房 依 二 駿 河 前 司 請 → 為 レ結
コ 構 此儀
司 兼参
コ 儲 此 所 司浮
二 十 余 艘 之 船 司 其 上有
二 件構
→ 荘 厳 粧 映 二 夕 陽 之 光 殉伎
楽 音 添 二 晩 浪 之響
一 也 。事
訖
ハ ハ有
二 説法
ご と あ る よ う に 、 伊 豆 山 源 延 を招
し て 、 鎌 倉 に お け る最
初 の 迎 講 を営
ん で い る こ と が 知 ら れ る 。 こ の よ う な 三浦
〔「 0 ) 氏 に お け る 仏 教受
容 の 動 向 か ら も 、 泰 村室
が 道 元 の 鎌倉
下向
を 熱 望 し 、 内 面 か ら 積 極 的 に推
進
し た も の と 思 わ れ る 。 つ ぎ に 基 房 関 係 は ω 義 時 妹 、 松 殿 法 印 良 基 承 澄 お よ び 尊 澄 が あ る 。 い ま 「尊
卑分
脉 」 に よ り な が ら 、 こ れ を 図 示 す れ ば つ ぎ の と お り で あ る 。 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 義 時 時 政 −厂 藤 〕 ー 女 子 宇 都 宮 弥 三 郎 頼 綱 妾、 基 房 ー ー 師 家 或 基. 房 公 子 僧 正 母 フ’メ 之
f
く ヤワ 泰 綱13
、 横 川 長 吏 号 小 川 忠 快 法 印 灌 頂 後 天 王 寺 摂 政 妾 [ 藤 師 家 」 ー 尊 澄I
− 忠 房 − 女 子 一 = 山 悉 曇 師 画 図 名 人 仁 権 僧 正 良 基 母ー
道 元 定 豪 僧 旺 資 延 慶「 兀 十 二 入 雅 通 親 通 ま ず義
時妹
は は じ め法
然 の 弟 子 と な り 、 一 向 専修
の 行者
と ( 16) な っ た宇
都宮
頼 綱 の 妾 で あ っ た が 、後
藤
原 師 家 の妾
に な っ て お り 、北
条 氏 と 松 殿 と 姻 戚 関 係 に あ っ た こ と が知
ら れ る 。 つ ぎ に 松 殿 法 印 良 基 は 師 家 の 弟 忠 房 の 〜 で、 道 元 と は 従 兄 弟 の 関係
であ
る が 、 早 く か ら 関 東 に 下 り 活 躍 し て い る こ と が 知 ら れ る 。 い ま 「 吾 妻 鏡 」 に ょ り そ の 行 実 を さ ぐ る と 、 つぎ
の と お り であ
る 。 一 八 七Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 一 八 八 西
暦 一 年
月
日
… 事 項 一 二 二一 二 自 ハ h 姆一 一 年 亠 ハ 月 汁 亠 ハ 囗 I
I
II
I 」 − . 唱 − 暑 − 勝 長 寿 院 五 仏 堂 所 に お い て 千 口 講 結 願 導 師 一 二 二 九 寛 直 『 兀 年 一 二 月 一 日 天 変 の た め 愛 染 モ 修 す 。 一 二 一 二 一 三 年 九 月 廿 五 日 来 月 一 日 蝕 の た め の 三 壇 御 修 法 導 師 に ぎ ま る 一 二 三 二 四 年 閏 九 月 十 冂 天 変 の た め 一 字 金 輪 ・ 北 斗 法 修 す 一 二 四 七 宝 治. 儿 年 三 月 廿 八 日 将 軍 家 御 祈 願 の 摺 写 不 動 尊 并 慈 恵 大 師 一 万 体 供 養 導 師 一 二 五 二 建 長 四 年 五 月 七 日 祈 雨 法 修 す ] 二 五 三 五 年 五 月 廿一. 一 日 祈 雨 法 修 す 一 二 五 六 八 年 九 月 三H
将 軍 家 御 悩 の た め 薬 師 護 摩 修 す 一 二 五 七 正世 漏一 兀 年 八 日 月 乳 ロ 一 日 頼 兼 ・ 良 瑜 ・ 隆 弁 と と も に 大 慈 寺 曼 荼 羅 供 大 阿 闍 梨 候 補 と な る 十 月 十 六 日 月 触 の 祈 祷 を 修 す 一 二 五 八 二 年 五 月 五 日 良 基 ・ 隆 弁 ・ 尊 家 ・ 厳 恵 と と も に 勝 長 寿 院 供 養 曼 荼 羅 供 大 阿 闍 梨 の 候 補 た る も、 大 阿 闍 梨 導 師 に 決 定 六 月 四 旧 勝 長 寿 院 供 養 曼 荼 羅 供 大 阿 闍 梨 導 師 つ と む 一 二 六 〇 文 応一 兀 年 閲 目 月 廿 一 一 凵 改 元 に つ ぎ 祈 碕 す 一 冖 一 亠 ハ一 二 ユ臨 一貫引 / 丶 / 丶 六 五 八 月 八 十 二 月 仕 七 弘 長 三 年 十 一 月 八 十 一 月 十 三 十 一 月 十 五 十 一 月 十 六 十 一 月世
、 一 交 永 二 年 九 月 廿 一 三 年 四 月 廿 二 六 月 廿 日 冂 冂 日 日 日 日 日 日 凵 将 軍 赤 痢 に か か り、 良 瑜 ・ 隆 弁 等 と 七 座 法 を 修 す 将 軍 家 御 悩 の 祈 賞 に よ り 権 僧 正 と な る 時 頼 病 気 に よ り 五 穀 を 断 ち 昼 夜 不 断 千 手 陀 羅 尼 修 す 時 頼 病 気 に よ り 五 穀 を 断 ち 行 法 を 修 す 時 頼 病 気 に よ り 不 動 護 摩 を 修 す 時 頼 病 悩 に よ り 御 験 者 と し て 祈 精 す 時 頼 病 悩 に ょ り 御 験 老 と し て 祈 精 す 土 御 門 大 納 言 ( 顕 方 ) 夫 人 出 産 の 御 験 者 と な る 将 軍− 家 御 悩 の 験 者 と な る 子 細 あ り 逐 電 N工 工一Eleotronlo Llbrary以 上 の よ う に 祈
濤
に お い て 霊 験 著 し い も の が あ っ た ら し く 、 将 軍 の 病 気 御 悩 を は じ め と し て 、祈
雨 ・ 日 月 蝕 ・ 出 産 そ の 他 に し ば し ば 活 躍 し て い る 。 と く に 道. 兀 が 下 向 し た 宝 治、 兀年
( 一 二 四 七 ) の 三 月 十 八 日 に は、 将 軍 家御
祈
願 に よ る 摺 写 不動
尊 な ら び に 慈 恵 大 師 一 万 体 の 供 養導
師 を 勤 め て い る こ と は 、 鎌 倉 の 宗 教 界 に お け る 良 基 の 地 位 を 示 す と と も に 、 幕 府 と の 密 接 な 関 係 を 証 す る も の と し て 注 目 し な け れ ば な ら な い 。 つ ぎ に 承 澄 お よ び 尊 澄 で あ る が 、 ま ず 台密
に お け る儀
軌
お よ び 図 像 を 集 大 成 し た 「 阿 娑 縛 抄 」 の著
者
小 川、 氷 澄 は 、 「 悉曇
師
、 画 図 名 人 」 と し て 名声
が高
く 、 藤 原 師 家 の 子 で 、 某 房 ( 27 ) か ら は 孫 に 相 当 す る 。 道 元 は 基房
の 女 子 の 〜 で あ る か ら 、道
元 と 承 澄 は 従 兄弟
の 関 係 に 相当
す る 。 ま た 承 澄 と と も に 「 阿娑
縛 抄 」 撰 述 に 大 き な 功 績 があ
っ た 尊 澄 は 基 房 の 子 で あ る か ら 、 道 元 お よ び 承 澄 か ら は と も に 叔 父 に 相 当 す る こ と に な る 。 こ の 承 澄 お よ び 酋 寸 澄 は 、 い か な る 珊 由 に よ る か 明 ら か で な い が、鎌
倉
大 蔵 谷 ( 多 分 覚 園 寺 と 思 わ れ る ) や 二 階 堂 ( 多 分 永 福 き と 思 わ れ る ) に お い て 著作
活 動 を 進 め て い る 。 す な わ ち愛
染 王 」 の 阻 A 書 に ( 五 月 ) 寶 治 第 二 暦 蘊 賓 上 九 日 於 関 東 大 蔵 鈔 と あ り 、 さ ら に 「安
鎮 本 」 に 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 建 長 二 年 十 二 月 二 十 三 日 於 大 蔵 抄 之 書 籍 不 具 之 問 猶 不 盡 心 棘 又 々 可 抄 加 之 と あ っ て 、 そ の 間 「 六 字 河 臨 法 末 」 「 仁 王 経 」 「烏
枢 渋 摩 」 「 冥 道 供 本 」 「 毘沙
門
天 王 」 「吉
祥
天 」二
切 仏 」 「 四 天 別 総 」 「 弁 才 天 」 「 熾 盛光
本 」 「 大 仏 頂 法 」 「 文 殊 五 字 」 「 文 殊 六字
等 」 「 求 聞 持 」 「 虚 空 蔵 」 「烏
枢 渋 摩 」 「 五 秘密
」 等 を … 者 わ し て い る 。 と く に 「 安 鎮 本 → と と も に 「.烏
枢 渋 摩 」 に は 一 書籍
不 具 之 闘 不 盡 心 棘 ] と あ り 、 参 考 文 献 が 手 許 に な い こ と を歎
い て い る 。 そ の よ う な 状 況下
に あ っ て も鎌
倉
へ 赴 い て い る の は 宗 教 的 事 情 、 た と え ば 承 澄 の 師 忠 快 法 印 は 、 三 浦 義 澄 の 外護
を ( 29 ) う け 、鎌
倉 で 活 躍 を し て い る 関 係 に よ る も の か も 知 れ な い が 、 あ. る い は 前 述 の 松 殿 一 族 の 良 基 関係
に よ っ た も の か も 知 れ な い. 、 も し そ う だ と す れ ば 、 承 澄 ・尊
澄 の鎌
倉
に お け る 初 見 が 宝 治 二 年 五 月 九 日 で あ る か ら 、 道 元 帰 越 直後
で あ る. 、 し た が っ て道
元 招 請 の背
景 と 相 通 ず る も の と し て 注 目 し な け れ ば な ら な い 。 以 上 の よ う に 久 我 氏 お よ び 松 殿 が 北 条 氏 と 姻 戚 関 係 に あ っ た こ と 、 道 元 の 弟 ・ 妹 ・ 従 兄 弟 ・ 叔 父 に あ た る定
親
・ 三 浦 泰村
夫 人、 良 基 ・ 承 澄 ・尊
澄等
が 鎌 倉 の宗
教 界 を 中 心 に 沼 躍 し て い る こ と 等 、 道 元 招 請 の背
景 と な る多
く の 因 子 が 鎌 倉 に 介在
し た こ と を 思 う と き 、 そ れ ら に よ る 慫 慂 さ ら に は 促 進 の内
面 的 働 き か け が 必 ず あ っ た も の と 思 わ れ る 。 一 八 九Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道. 兀 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 二 つ ぎ に 行 化 の 実 態 で あ る が、 ま ず そ の 時 期 は 、
先
に 示 し た よ う に 一 永 平 廣録
一 第 三 に 「 寶 治 二 年 戊 巾 三 月 十 四 日 上 堂 、 口 、 山 僧 昨年
八 月 初 三 日、 出 レ 山 赴 一相
州鎌
倉
郡 → 為 二檀
那 俗 〔 30 ) 弟 子 一 説 法 、 〈 ,年
今 月 昨 日 歸 〆 寺 」 と あ り 、 ま た 「永
平廣
録
「 第 十 に 「 於 「 相 州鎌
倉 一 聞 二驚
蟄一 作 」 と 題 し 、 「 半 年 喫 レ 飯 白 ( 1 臼 ) 衣舎
老樹
梅 花 霜 雪中
驚
蟄
一 声 轟 霹 靂 帝 都 春 色 少 桃 紅 」 と あ る こ と か ら 、 宝 治 元年
( = 一 四 七 ) 八 月 三 日 永 平 寺 を 出 発 し 、 翌 二年
三 月 十 三 日 に 帰 山 し た こ と が 知 ら れ る 。 し た が っ て往
復 の 日 数 を 考 え た 場 合、 道 元 の 鎌 倉 滞 在 は お よ そ 六 箇 月 の 短 期 間 で あ っ た と み な す こ と が で き る 。 ま た 留 錫 の 場 所 は 「 寳 治 二 年戊
申 二 月 十 四 日 、 書 二 于 相 州 鎌倉
郡 名 越 自 衣 舎 こ の奥
書 を も つ 「 法 語 二篇
が 宝 慶 寺 に あ 臓 “ ま た 前 述 の 一 半 年 喫 飯 白 衣 舎 」 と あ る こ と か ら 、 鎌倉
の 東 南 に 位 す る 名 越 の 俗 家 で あ る こ と が 知 ら れ る が 、 こ の 名 越 の 俗 家 は 多 分 波 多 野 義 貢 の 邸 宅 で あ っ た と 思 わ れ る 。 つ ぎ に 教 化 の 実態
に つ い て は、 関 係資
料 が 少 な く 明 ら か て な い 。 し か し 二 ・ 三 の資
料 お よ び 俊 茘 ・叡
尊
等 に お け る 教 化 の 模 様 等 か ら 推 察 し て み た い 。 最 初 に 直接
資
料 と し て は 、 従 来 す で に 明 ら か に さ れ て い る 「 永 平 廣録
」 第 三 の記
録
、 お よ び 時 頼 関 係 の 「 傘 松 道詠
」 と 一 九 〇 「鎌
倉 名 越 白 衣 舎 示 誠 一 で あ る 。 ( 31) まず
【 永 平廣
録 」 第 三 に 一 為 二 槽 那 俗弟
子 } 説 法 」 と あ る こ と か ら 、 教 化 の 対 象 は檀
那 波 多 野 義 重 や 、 一 般 の 俗 弟 子 であ
っ た 。 そ し て 俗 弟 子 中 に は 執 権 時 頼 も 含 ん で い る こ と は多
言
を 要 し な い 。 つぎ
に 「傘
松 道 詠 」 は そ の 初 め に 「 寶 治 元 年相
州 鎌倉
に在
し て最
明 寺 道 崇禅
門 の 請 に よ り て 」 と. 題 し て 、 つ ぎ の 十首
の 和 歌 が 知 ら れ て い る 。 い ま 煩 を い と わ ず 掲 げ る と つ ぎ の と お り であ
る 。 教 外 別 伝 あ ら 磯 の 波 も え よ せ ぬ 高 岩 に か き も 付 へ き の り な ら は こ そ 不 立 交 字 い ひ 捨 し そ の 言 の 葉 の 外 な れ は 筆 に も 跡 を と 蕊 め さ り け り 正 法 眼 蔵 波 も 引 風 も つ な か ぬ 棄 を ふ ね 月 こ そ 夜 半 の さ か り な り け れ 浬 槃 妙 心 い つ も た 乂 我 ふ る 里 の 花 な れ は 色 も か は ら ず 過 し 春 か な 本 来 面 目 春 は 花 夏 ほ と ふ き す 秋 は 月 冬. 雪 さ え て 冷 し か り け り 即 心 是 佛 お し 鳥 や か も め と も ま た 見 え わ か ぬ 立 る 波 間 に う き 沈 む か な 応 無 所 住 而 生 其 心 水 鳥 の 遊 く も か へ る も 跡 た え て さ れ と も 道 は わ す れ さ り け り N工 工一Eleotronlo Llbrary父 母 所 生 身 即 證 大 覚 位 尋 ね 入 深 山 の 奥 の さ と そ も と 我 住 馴 し 都 な り け る 盡 十 方 界 真 實 人 體 世 中 に ま こ と の 人 や な か る ら ん か き り も 見 え ぬ 大 空 の 色 霊 雲 見 桃 花 春 風 に ほ こ ろ ひ に け り 桃 の 花 枝 葉 に の こ る う た か ひ も な し こ れ に よ っ て 知 ら れ る こ と は 、 歌 題 が い ず れ も 禅 の
根
本 的 立 場 に 関 す る も の で あ る と い う こ と で あ る が 、 そ れ は 時 頼 に 対 す る 説 示 が 相 当 高 度 な も の で あ っ た こ と を 示 す も の で あ る 。 お ま た 「 鎌倉
名 越 白 衣 舎 示誠
」 は 宝 治 二年
二 月 卜 四 日鎌
倉 名 越 の 白 衣 舎 に お い て 書 か れ た も の で あ る が 、 こ れ は 道 元 が 永 平 寺 に 帰 山 し た の が 三 月 十 三 日 で あ る か ら 、鎌
倉 行 化 も終
ら ( お ) ん と し て い る 時 の も の で あ る 。 あ る い は 叡尊
の 行 動 か ら考
え た 場 合 、 鎌 倉 出 立 直 前 の も の で あ っ た か も 知 れ な い 。 こ れ は 阿 闍 世 王 と そ の 臣 六 人 の問
答
を 挙 げ た も の で 、善
悪 の 本 性 と吾
我 の 関 係 を 論 じ て い る点
か ら、 頻婆
娑 羅 王 殺害
の 当 否 に 関す
る 問 答 と 思 わ れ る が 、 こ れ は 具体
的 な 問. 題 を 提 起 し て の 説 示 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 つ ぎ に は 「 建 撕 記 」 お よ び 「 空 華 日 工 集 」 等 の 記 録 類 に よ っ て 考 察 し て み た い 。 まず
「 建 撕 記 」 に は 鎌 倉 二 御 下 向 ノ コ ト ハ 最 明 寺 殿 法 名 道 崇 ノ カ タ ク 請 シ 申 サ ル ル 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 間 、 御 下 向 ス ナ ハ チ 授 二 菩 薩 戒一 玉 フ 、 其 外 、 道 俗 男 女、 受 戊 ノ ぬ 血 爪、 断 琳 ヲ シ ラ ズ ト 云 云 と あ る こ と か ら 、 時 頼 に 菩 薩戒
を授
け る と と も に 、 多 く の 一 般 道 俗 の も の に も 授戒
し て い る こ と が 知 ら れ る 。 つぎ
に 五 山 文 学 の 大家
義 堂 周 信 の 「 空 華 日 工 集 」 に 永 徳 二 年 九 月 廿 五 日、 等 持 院 一 品 百 日 忌、 建 仁 拈 香、 南 禅 陞 座 、 千 衆 諷 経、 府 君 與 二 管 領 一 話 、 及 二 真 如 長 老 竊 吹 事 → 諷 経 井 斎 罷 、 府 君 還 駕 、 約 二 余 及 太 清一 参 府、 講 二 稜 厳 疏 第 五 下 之 六 根 證 入 章 → 君 密 話 及 二 天 下 政 事】 云、 萬 一 有 レ 變、 欲 レ 棄 二 天 下 「 當 F 如 二 永 平 長 老 勸 二 平 氏 → 余 與 二 太 清一 密 贊、 慰 労 云 、 視 レ 世 如 二 幣 履→ 是 乃 安 楽 長 久 之 基 云 々 と あ る が 、 こ れ は時
頼 に 対 し 具 休 的 政 治 的 立 場 で の 発 言 で な く、 飽 く ま で も 宗 教 的 な 立 場 か ら 、 人 生 に 対 す る 無 執 着 の 必 要 性 を 説 い た も の と 思 わ れ る 。 し か し 「 関 東往
還
記
」 に 「相
( 35 ) 州参
。 越 州 同 随 。受
斎 戒 。 其後
。被
談
出離
之 要 。 井 政道
等
事
」亀
り 、 ま た 「遠
江 中蘿
大輔
鸚
期参
奉 尋 出 世 之護
道
事 」 と あ っ て 政 村 ・実
時 ・ 宗 教 等 は 叡 尊 に 出離
の要
を 尋 ね る と と も に 、 政 道 に つ い て も 教 を 乞 う て い る こ と が 知 ら れ る 。 し た が っ て 道 元 も時
頼
に 対 し 随 意 に 政 道 に つ い て教
示 し た か も 知 れ な い 。 ま た 最後
に 俊 彷 ・叡
尊
等 に お け る 教 化 の実
情 か ら 推 察 を し て み た い 。 ま ず 俊彷
の 場 合 は、 「泉
涌寺
不 可 棄 法 師 伝 」 に 一 九 一Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) 凡 所 二 経 過一 之 駅 亭 。 風 行 草 偃 。 水 到 渠 成 。 衒 売 之 女 者 。 妄 二 脂 粉 皿 而 受 レ 戒 。 漁 猟 之 男 者 。 抛 二 綱 竿 一 而 聞 F 法 。 漸 致一一 家 連 三 浦 館 殉 供 二 養 新 建 梵 宇一 。 因 投 二 歩 鎌 倉 絹 二 品 禅 定 比 丘 尼 欝 如 並 武 州 刺 史 平 泰 時 朝 臣 。 共 受 二 菩 薩 戒 → 総 逗 二 留 鎌 倉一 一 七 日 之 間 。 或 授 二 戒 法℃ 或 ガ 讚一一 仏 経 鴎 道 俗 顋 々 昼 夜 無 レ 間 。 事 訖 帰 洛 。 と あ り 、 東 国 下 向 の 路
次
に お い て も 、 衒 売 の 女 や 漁猟
の 男 に い た る ま で 受 戒 聞法
し た こ と が 知 ら れ る 。 ま た 三 浦 家 連 が 新 ら し く 建 立 し た 寺 の落
慶
供 養 後 は 、実
朝 夫 人 や 泰 時 に菩
薩 戒 を 授 け て い る ば か り か 、 鎌 倉 逗 卿 の 七 日 間 に、 道 俗 に 対 し 昼 夜 を わ か た ず 戒 を授
け 、 仏 経 を 讃嘆
し た こ と が 知 ら れ る 。 つぎ
に 叡 尊 の 場 合 は 、 弘 長 二 年 の 初 め か ら お よ そ 六 ケ 月 間、 北 条 実 時 ・ 忍 性 、 さ ら に は 時 頼 の招
請 て 関 東 に 下 向 し、 鎌 倉 釈 迦 堂 を 拠 点 と し て 、 「 梵 網 経 古 迹 記 一 お よ び 「 四 分 律 行 事 鈔 」 の 講義
、授
菩 薩 戒 お よ び斉
戒、 梵 網 布 薩、 羅 漢 供、 仏 生会
、懺
法 等 を尊
卑 道 俗 発 心 の 輩 を 対 象 と し て精
力 的 に 行 っ て い る が 、 そ の 盛 況 は 梵 網布
薩 に [ 結 縁 衆 千余
人 。 雖引
籌 ( 38 ) 聴 集繁
多
之 間 。 毎度
不 得 定 数 」 と い う 状 況 で あ っ た 。 こ の よ う に 俊 彷 は鎌
倉 逗 留 が わ ず か に 七 日 で あ っ た か ら、 授 菩 薩戒
を 中 心 と す る も の で あ っ た が 、 叡 尊 は戒
律
復 興 の 立 場 か ら 「梵
網 経 古 迹記
」 「 四 分 律 行 事 鈔 ← の 講 義 が 中 核 で、 そ の 他 授菩
薩 戒 、 梵 網布
薩
、 羅 漢 供 等 を 行 な っ て い る が 、 俊祷
と 叡尊
に 共 通 す る の は 授菩
薩 戒 で あ る 。 道 元 の 場 合 に も 唱 九 二 「 建 撕 記 」 に よ る と 、時
頼 は じ め 一 般 の 道 俗 男 女 に 菩 薩 戒 を授
け た と の み あ る が 、 叡尊
が 戒 律復
興 の 立 場 で戒
律 の 講 義 を 行 っ て い る よ う に 、 道 元 は 只管
打
坐 の根
本的
立 場 に 立 っ た 教導
が 行 な わ れ 、叡
尊
の 教 化 と 同 じ く 盛 況 であ
っ た こ と が 推 察 さ れ る 。 ま た 俊彷
・ 道 元 ・叡
尊
の 三 人 は い ず れ も菩
薩 戒 を授
け て い る が 、 と く に 道 元−
叡
尊
時
代 に は、 執 権 職 を め ぐ っ て の 北 条 一 族 の 抗争
、 さ ら に は 北 条 氏 と東
国 豪 族 と の 確 執 に よ る 社 会 不 安 が 横 溢 し て い た か ら 、 勧 善 徴 悪 が. 要 請 さ れ 、 受 戒 が 盛 行 し た も の と 思 わ れ る 。 最 後 に 道 元 の 鎌倉
行 化 の も つ意
義 に つ い て 、 鎌倉
に お け る純
粋 禅 の 首 唱 、 金 沢 文 庫 本 「 正 法 眼 蔵 」、 お よ び 蘭溪
道 隆 と の 関 係 を 中 心 と し て 考 察 し て み た い 。 ま ず鎌
倉
に お け る 純 粋 禅 の首
唱 は 日 本 禅宗
史 上 注 日 し な け れ ば な ら な い 。 栄 西 は 建 久 九年
(=
九 八 ) 一 興 禅 護 国 論 一 を撰
し て 台 徒 に 示 し 、達
摩 の 禅 法 を 宣 揚 し よ う と し た が 、 反 対 に 迫 害 を蒙
り 、 翌 正 治 元年
ご ろ鎌
倉 へ 下 向 し た 。 し か し 政 子 の 外 護 に よ り 、義
朝 の 旧 趾 に 寿福
寺 を 開 創 し 、東
国 に お け る禅
林 の 拠 点 と し た 。 そ し て退
耕
行
勇 ・ 釈 栄 朝 ・ 心 地 覚 心 ・大
歇
了 心 等 を は じ め と す る 一 門 の俊
英 が、鎌
倉
寿福
寺 ・ 世 良 田 長 楽 寺 を 中 心 と し て 非 常 に繁
栄 を み た 。 し か し そ れ は あ く ま N工 工一Eleotronlo Llbraryで も 兼 修 的 な 立 場 に 立 つ 禅 に 他 な ら な か っ た 。 ま た
貞
応 三 年 ( 一 二 二 四 )十
月 、 三 浦 家 連 の 招 請 で 関 東 ド 向 し た 俊 病 も、 律 を 中 心 と し て 、 天 台 ・真
言 ・ 禅 を 兼 修 し て い た か ら、 兼 修 禅 を 出 る も の で は な か っ た 。 そ の 意 味 で 道一 兀 の鎌
倉 行 化 に よ る禅
の 宣 揚 は 、従
来 み る こ と の で き な か っ た 純 粋 禅 で あ っ た 。 し か し わず
か 半 年 余 り の 短 期 間 で あ っ た か ら、 鎌 倉 に 純 粋禅
を 定 着 さ せ る こ と は で き な か っ た が、 そ の 与 え た 影 響 は 非 常 に 大 き か っ た と 思 わ れ る 。 と く に 当 時 寿 福 寺 に は 栄 西 の 法 孫 の で 「 今 其 東壌
學
者 。 以 〆 心 為 二 指 南 ご と 謳 わ れ 、 「 本 朝禅
苑 雖 〆 ( 40 ) 始 二於
明 菴 崎 衣 服 禮 典 至 二 於 心 一備
焉 。 」 と 評 さ れ た 大 歇 〜 心 か活
躍 し て い た か ら 、 必 ら ず や 往 来 が あ っ た と 思 わ れ る が、 そ の よ う な 動向
を 示 す資
料 は ま っ た く み る 乙 と が で き な い 。 し か し 道 元 に よ る 純 粋 禅 の 宣 揚 は 、 道 元 の 帰 越 以後
、蘭
溪 道 隆 を は じ め と し て 兀 菴 普 寧 ・ 大 休 正 念 ・ 無 学 祖 元 等 に よ り 盛 ん に 弘 通 さ れ る が、 済 洞 の 相 違 は あ っ て も そ の 先 駆 的 な も の 、 さ ら に は そ の 源 流 と し て 、 非 常 に 注 月 し な け れ ば な ら な い Q つ ぎ に 金 沢文
庫 本 「 正 法 眼 蔵 」 は、 一般
に 行 な わ れ て い る仮
字 「 正 法 眼 蔵 」 に 対 し 、漢
字 書 で あ る た め真
字
「 正 法 眼 蔵 」 と 呼 ば れ て い る 。 こ れ に つ い て は 圭 室諦
成 、 伊 藤 慶道
、 大 久保
道 舟 、鏡
島
元 隆 、 野 村 瑞 峯 、 河村
孝 道 、 石 井 修 道 、 古 田 紹欽
氏 等 を は じ め と し て 、 多 く の 研究
者 に よ り 解 明 が 行 な わ れ 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) て い る 。 そ し て そ の 間 の 理 解 に は 書 誌 学 的 に、 さ ら に は 思想
的 に 相 異 が み ら れ 、未
だ 決 着 を み て い な い 。 し か し 金 沢 文庫
本 「 正法
眼 蔵 」 は 、 真字
正 法 眼 蔵 三 百 則 の 原 初 的 形態
を有
し 、 ( 41 ) 未 定稿
で あ り 、備
忘 録 的 な も の で あ る が 、仮
字 正 法 眼 蔵 と密
( 42 )接
な 関 係 に あ り 、 そ の 台 本 的 性 格 を も つ も の と さ れ 、 ま た仮
( 43V 字 正 法 眼 蔵 成 立 の 基 盤 と な る も の と し て 重 要 視 さ れ て い る 。 こ の よ う に 「 正 法 眼 蔵 」 の 成 立 に 関 し 、 大 き な 意 義 と価
値
を 有 す る 金 沢 文庫
本 「 正 法 眼 蔵 」 の 来 歴 を考
察 し て み た い 。 こ れ に つ い て は 北 条 貞 時 の 強力
な 外 護 と、 東 明 恵 日 の 人格
と 業績
に よ り 、 鎌 倉 禅 に 新 風 を 送 り こ ん だ 幽 洞 宗宏
智派
( 白 ( 44 ) 雲 門 徒 ) の繁
栄 も 無 視 す る こ と は て ぎ な い が 、 そ れ よ り も 金 沢 北 条 氏 お よ び 称 名寺
に お け る禅
の 受 容 に 深 い 関 係 が あ る と み な け れ ば な ら な い 。 ま ず 金 沢 北 条 氏 に お け る 禅 の受
容 は、 第 二 代 顕 時 お よ び如
大 尼 を挙
げ な け れ ば な ら な い 。顕
時 は 「 大 休 和尚
住 寿 福 禅寺
( 45 > 語 録 」 に 「 為 越 後 守 逆 修 陞 座 」 、 「 大 休 和 尚 法語
」 に 「 越 後 守 ( 46 ) ( 47 ) 殿 」 「檀
門 信 女 求 語越 後 守 殿 」 、 「 大 休 和 尚 語 録
補
遺 」 に 「謝
( 48 ) ( 49 ) 越 後守
殿 斎 不 赴 」 冖 送禅
巾 越 後 守 殿 仍挙
文 殊 問疾
話
」 と あ る こ と か ら 、 大 休 に 親 し く 参 じ た こ と が 知 ら れ る が 、 さ ら に 一 ( 前 略 ) 有檀
那 越 州 刺 史 、 篤 志内
典 、 公 事 之 暇喜
閲
是 書 、嘗
以 心要
問 予、 予 但 勉 其 制 心 一 処 、 則 無 事 不 辨 、 因 施 財 命 工 以唐
本 摸 刊 、 ( 中 略 ) 弘 安 癸 未 仲 春 、 住 金 剛 寿 福 禅 寺宋
沙 門 大 一 九 三Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) ( 50 )
休
正念
、書
于 蔵 六庵
L と あ る よ う に 弘安
六年
( 一 二 八 三 ) に は捨
財 し て 、 大 休 に 「傳
心 法 要 」 を開
板
せ し め て い る 。 ま た 正 の安
三年
( 二 二 〇 一 ) 称 名寺
銅 鐘 改 鋳 銘文
を書
い た 宋 小 比 丘 慈洪
へ 52 ) は、 「 大宋
五 山 天 童 医 王 霊 隠浄
慈
径
山 西 堂 」 とあ
る こ と か ら 、中
国 禅 僧 で あ っ た こ と が 知 ら れ 、 顕時
と の 交 友 も 密 接 で あ っ た ろ う と 思 わ れ る 。 つ ぎ に 如 大 尼 は さ ら に 厳 密 な 考 証 を 必要
と す る が 、 安 達 泰 ( 53 ) 盛 の 女 で 顕 時 夫 人 ( 後 妻 ) と も い わ れ て い る 。 「佛
光 国 師語
録 」 ( 54 ) に [ 如 大 大 師 請讃
爨
寺 」 と あ り、 ま (警
佛 祖 宗 派 図 L に 無 学 祖 元 禅 師法
嗣 と し て 「 景 愛 尼 如 大 長 老 」 と あ る こ と か ら 、 無 学 と 密 接 な関
係 に あ っ た こ と が わ か る 。 ま た 囚 み に 「佛
光 国 ( 56V 師 語 録 」 に 「 越 州 大 守 夫 人 請 慶讃
釈 迦 像 楞厳
経 陞 座 」 と も あ る 。 つ ぎ に称
名寺
に お け る 禅 の 受 容 は 、 旧 仏 教 さ ら に は 南都
仏教
に お け る 禅 の 受 容 と い う 面 か ら も 注 目 し な け れ ば な ら な い が 、 ま ず第
二代
釼 阿 を挙
げ な け れ ぽ な ら な い 。 金 沢 文庫
現
蔵 ( 57 ) の 禅籍
の 大 部分
は 釼 阿 の収
集
に か か る も の で 、 釼 阿 の積
極
的 な 禅受
容 が 知 ら れ る 。 ま た 釼 阿 は 称 名 寺 住 僧 中 た だ 一 人 、 鎌 ( 58 )倉
の 顕 時 邸 に お い て 書 写活
動
を 行 な っ て い る ば か り か 、第
三 ( 59 ) 代 貞 顕 と の 密 接 な 関 係 か ら北
条 氏 の 一 族 と 思 わ れ、 禅 へ の 帰鬻
も 格 別 な も の が あ っ た 。 ま た 釼 阿 は 鎌倉
五 山 の禅
僧 と も 密 接 な 関係
に あ っ た 。 す な 一 九 四 わ ち 水 戸彰
考 館 蔵 に か か る 「 口 本 書 記 神 代 巻 」 の奥
書 に 于 時 嘉 暦 第 三 執 徐 之 年 季 秋 巾 旬 閹 茂 之 目 、 就 長 和 親 王 勅 請、 以 遍 照 寺 法 務 之 秘 決 授 春 公 和 尚 畢、 ( 梵 宇 ) 釼 阿 齣齢
軾
嘉 暦 三 年 戊 辰 夏 五 十 七 日、 手 親 終 書 點 之 功 者 也 。 一 字 一 贐 詠 敢 借 他 之 筆 矣 、 心 宗 沙 門 劫 外 曇 春、 於 巨 福 山 建 長 蘭 若 書 窓 記 之 。 と あ る よ う に 、 嘉暦
三 年 ( 一 三 二 八 ) 九 月 中旬
、建
長 寺 住 僧 曇春
に 「 日 本 書 記 神 代 巻 」 を 授 け て い る こ と が知
ら れ る 。曇
春
は後
述
の称
名 寺 「宋
版 大 蔵 経 」補
写活
動 に も そ の 名 を 列 ね て い る が 、 嘉 暦 四 年 三 月 夢 窓 疎 石 の請
に よ り清
拙
正 澄 が 作 っ た ハ ゆ 「 偏 界 一覧
亭
記 」 中 に も そ の 倡 が み ら れ 、鎌
倉
禅 林 に お い て 活躍
し て い た こ と が 知 ら れ る 。 ま た称
名寺
「宋
版 大 蔵 経 」中
に は 、 「 続集
古
今
仏 道 論 衡 」 一巻
一帖
、 「 大宋
高 僧 伝 」 廿 七 巻 廿 七 帖、 「大
方
広
仏
華 厳 経 合 論 一 九 十 八 巻 九 十 八 帖、 「大
蔵 一 覧 集 」 八巻
八 帖 、 「 慈 悲 道 場懺
法 」 五 巻 五 帖 、 「 慈 悲 水懺
法 」 三 巻 三帖
、 「釈
門
自 鏡 録 」 二 巻 二帖
、 「注
維 摩詰
経 」 十巻
十 帖 、 「 注 首 楞厳
経
」 十 巻 十 一 帖 等 の 補 写 が み ら れ る が 、 そ の中
の 「 大 宋 高僧
伝 」 に ( 第 三 尾 ) 金 沢 称 名 寺 大 蔵 経 之 内 、 N工 工一Eleotronlo Llbrary( 第 五 尾 ) 金 沢 常 住 寓 居 建 長 比 丘 聰 欽 書 之 、 ( 第 六 尾 ) 金 沢 称 名 寺 大 蔵 経 之 内 寓 居 福 山 徐 饉 曇 春 書 之 、 ( 第 七 尾 ) 金 沢 常 住 寓 建 長 徳 崇 書 之、 ( 第 十 一 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 経 之 内 寓 建 長 元 光 君 用 他 筆、 ( 第 十 三 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 本 寓 寄 居 福 山 比 丘 聰 方 、 ( 第 十 四 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 経 之 内 君 写 寓 姪 長 比 丘 聰 秀 、 ( 第 十 六 尾 ) 金 沢 寺 常 住 寓 建 長 比 丘 元 矩 君 之 、 ( 第 十 七 尾 ) 金 沢 寺 蔵 経 寓 建 長 寺 正 黙 書 之、 ( 第 十 八 尾 ) 金 沢 称 名 寺 常 住 寓 建 長 此 燈 書 之 、 ( 第 十 九 尾 ) 金 沢 寺 常 住 寓 巨 福 山 建 長 興 禅 寺 可 什 害 之 、 ( 第 廿 尾 ) 金 沢 常 住 本 口 ( 第 廿 「 尾 ) 金 沢 常 住 寓 建 長 比 丘 嘉 運 借 他 人 手 書 之、 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) ( 第 廿 二 尾 ) 金 沢 大 蔵 経 之 内 正 和 二 年 訟 二 月 廿 九 日 、 僧 玉 謹 書 、 ( 第 廿 三 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 経 常 住 書 写 比 丘 寓 寿 福 禅 寺 帰 本、 ( 第 十 五 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 経 之 内 書 写 建 長 比 丘 宗 律 、 ( 第 廿 六 尾 ) 金 沢 称 名 寺 蔵 経 之 内 書 写 寓 建 長 禅 寺 比 丘 元 珪、 ( 第 十 七 尾 ) 金 沢 大 蔵 経 之 内 寓 建 長 正 高 薄 之 、 ( 第 廿 八 尾 ) 金 沢 蔵 経 之 内 寓 建 長 惟 蘓 井、 ( 巻 未 詳 尾 ) ( 62) 金 沢 常 住 寓 禅 興 寺 参 己 書 用 他 筆 、 の 識
語
が あ る 。 こ れ は 本 書 が 正 和 二 年 (;
= 三 )建
長寺
を中
心 に 寿福
・禅
興 寺等
の禅
僧 に よ っ て 補 写 さ れ て い る こ と を 示 す が 、 こ れ は 当 時 の称
名 寺 住 持 が 釼 阿 で あ る こ と か ら 、 釼 阿 と 鎌倉
禅
林
の 密 接 な関
係 が 知 ら れ る 。 ま た 「 溪嵐
拾 葉集
」 巻 第 七 十 八 「 五 大 功 能 事 」中
に 因 物 語 云 。 一 山 間 。 金 沢 長 老 答 。 間 口 。 和 尚 尋 常 以 何 法 示 衆 。 答 口 。 眷 義 百 花 開 。 随 所 青 黄 赤 白 黒 。 夊 問 日 。 若、 爾 非 割 却 於 天 下 人 眼 目 乎 。 答 日 。 是 法 住 法 位。 世 間 相 常 住 。 随 機 時 ア ・ ビ ・ ラ ・ ウ ー ン ・ ケ ソ ( 梵 字 ) 云 々 。 一 山 印 可 云 。 和 尚 非 教 者 。 悟 禅 作 如 是 如 一 九 五Komazawa University
NII-Electronic Library Service
Kom 三1z三1w三1 Umversrty 道 元 の 鎌 倉 行 化 に つ い て ( 納 富 ) ( 63 ) 是 巳 上 。 と あ る が、 こ れ に よ り 金 沢 長 老 と 一 山 の 問 答 商 量 が あ っ た こ と 、 一 山 が 金 沢 長 老 に 印 可 を 与 え た こ と が 知 ら れ る 。 ま た 一