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教材「紙」考(4)

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Academic year: 2021

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(1)Title. 教材「紙」考(4). Author(s). 佐野, 比呂己. Citation. 国語論集, 15: 1-8. Issue Date. 2018-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/9736. Rights. Hokkaido University of Education.

(2)      . 紙﹂ 考 教材 ﹁ の. 研究 の経緯 本稿は﹁ 教材 ﹁ 紙﹂ 考①;教材 ﹁ 紙﹂ 考⑦﹂﹁ 教材 ﹁ 紙﹂ 考◎﹂ に続く. も のであ る。﹁ 教材 ﹁ 紙 ﹂考 ﹂は、次 のよう に構 成 さ れている。. 以上の. 一 助盤叢 書について 二 数堂歪 尼 おける コ 紙じの付置 三 筆者 ・ 幸田文 四. 以上◎ 以上の. 紙 E筆晶. 五 愚挙 教科書の異同 六 大意 七 基墓構成 二^ 八 語句・ 表現 ︻ 父①︹⑩︼ 餐 料 数鐘王 旦 本文︼. 八 語句 ・ 表現 ●それではその店で何が目についた︻二9⑭十十 二一 ①︼ この質 問 は、いかにも ﹁ 歩 いた ついでにち ゃんと 捨 て目 も き かして なにく れと なく 見てお二 二0 ④ ︼ いた幸 田文 らしい。. ①︼ ●あ ち ら さ ん向 き ︻二 一. 佐 野 比呂己. 外 国 人 向 き 。ここではアメリカの駐 留 軍 の将 兵 の需 要 に応 じるた めの商 品 の義 。. ● ク リスマスカー ド ︻二 一 ①︼ 0宣 誓ヨ匝のo eo クリスマスの贈 りも のに用 いる。美 しい絵 や 模 様. 入りのカード。コ局級の﹂ という修飾語から上質な紙でつくられてい ることがう かがえ る。 ●ねぎ ら いな が ら ︻二 一 ②︼. ﹁ ねぎ ら う ﹂は ﹁ 労 う 、稿 う ﹂。 骨 折 りを 慰 める。相 手 の労 を 感 謝 す る。苦 労 したことに対して感 謝 す る。いたわ る。 橋 いながら ﹂と あ る。 原典 には ﹁. ●うかつ︻二 一②︼ 迂闇。迂潤。① 回り遠く、実際に役立たないこと。実情から離れ. ているさ ま。迂 遠 。② 心が 行 き 届 かな いこと 。事 情 に疎 いこと。注意 や 心 の準 備 が 足 りな いさ ま 。う っかりしているさ ま 。③ 大 変 お う よ う で、のんびりしていること。ここでは、② の意 であ る。 原 典 には ﹁ 迂 闇 ﹂と あ る。. 語源として、江戸後期の荒木 田久老の随筆﹃ 槻の落葉信濃漫録﹄. 1←.

(3)    . にはラカス︵ 犯︶と 同 言 と あ る。 一方 で、江 戸 末 期 の中 島 広 足 による. には犯スと同言説は疑わしいとある。 歌学書﹃ 橿園随筆﹄. 時 代 と ず れている感 覚 。自 分が も う 若 くな く 、老 いていると いう. ●時代ずれ ︻二 一 ②︼. な い。. には立項されてい 感慨もこもっている。この語は﹃日本国語大辞典﹄. ●郷愁 ︻二 一 ③︼ ① 異 郷 にいて、故 郷 を 懐 かしく 思 う 気 持 ち。懐 郷 の想 い。ノスタル ジア。ふるさ と を 懐 かしむ 心 。② 昔 のことを 懐 かしく 思 ったり 、ひか. 幸 田延。. ●わたしのおぱ︻二 一⑤︼ 私 の叔母﹂ を ある。 源喚寮は﹁. 明 治 から 昭 和 にかけ てのピアノ、バイ オリン奏 者 、音 楽 教 育 家 、. 明治三年 ︵一八七0︶四月十九日 ︵ 明治三年三月十九日︶ー 昭 六月十四日 和二十 一年 ︵一九四六︶. オー ストリアに留 学 。日 部 省 より 海 外 留 学 を 命 ぜ ら れ 、アメリカ ・. 作曲家。幸 田成延 ・ 猷の子として東京に生まれる。中村専、瓜生繁 子にピアノを師事する。明治十八年 ︵一八八五︶ 音楽取調所第 一回 全科卒業生。明治 二十 二年 ︵一八八九︶ ディットリッヒの推挙で文. 。 音楽譜出版社から 二曲とも出版されている︶ 大 正 四 年 ︵ 一九 一 には大正天皇御即位を祝した混声 四部合唱付交響曲 ﹁ 五︶ 大礼奉 祝曲﹂ を作曲している。大 正五年 ︵一九 一六︶作曲の神奈川県立高 現・ 等女学校 ︵ 神奈川県立横浜平沼高等学校︶校歌は、延の作った. 現 在 、全 章 のみ︶は、日本 人 による初 のクラシック音 楽 作 品 であ る ︵. れたりする気持ち。 本初の音楽留学。明治 二十八年帰国。三十 一年ケーベルの東京音 ここでは② の意である。現代の生活から遠のいた和紙を懐しみ、 楽 学 校 のピアノレッスンの通 訳を つとめ、そ の後 同校 ピアノ教 授 とな 今 日あま り用 いら れなくな った和 紙 への愛 着 の気 持 ちが表 れている。。 り、瀧廉太郎、山 田耕作、久野久らを育てた。妹の幸 田 ︵ 幸 安藤︶ 以下、橘糸重 ・ 神戸絢子・ 杉浦チカ子・ 頼母木コマ子らの同校出身者 ●白い和紙への郷愁に似た感情 ︻二 一 ③︼ による教授陣の代表者として、明治四十 二年 ︵一九〇九︶退官まで 時間的な隔たりについて、郷愁の感情と重ね合わせている。単な 多くの子弟を教育した。学校側で勝手に解雇し、出勤してそれを伝 る﹁ えられた延は憤然として帰宅したという。以後欧米を視察し、大正 郷 愁 ﹂ではなく 、﹁ 郷 愁 に似 た﹂と いう ぼ かして表 現 していること に留 意 したい。 一年 ︵一九 −−二審声会を創立、家庭音楽の普及につとめるととも に、後進の指導に当たる。東宮職御用掛となり皇族に音楽を教授、 ●自 分 の日常 にし てから が ︻二 一 ③︼ 昭和十 二年 ︵一九三七︶ 帝 国芸術院設立とともに会員となる。明 和紙を贈り物にしようと思いついた自分の日常生活さえ。 に作曲したバイオリンソナタ変ホ長調 ︵ 治 二十八年 ︵一八九五︶ 三楽 章、未完︶ と明治三十年 ︵一八九七︶のバイオリンソナタニ短調 ︵一楽. ③﹁④︼ ● 今 の生 活 に和 紙 は遠 く な っている のであ る ︻二 一 昔 はそう ではな か ったが 、和 紙 は今 の自 分 の生 活 から す っかり遠 くな っている。現在 の日常 生 活 では和 紙 を 用 いることは稀 にな り、和 紙 と の縁 が薄 れてしま っていること。﹁ 和 紙 ﹂を 主 語 にす ること によっ て強 く 印 象 づけら れていること に留 意 したい。。.

(4)                                                                                            . 。この曲の冒頭は瀧廉太郎 唯 一の歌曲である︵ 作詞は佐佐木信綱︶ 作曲の﹃荒城の月﹄と同じ音型であるが、早世した弟 子の瀧へのオマ. ⑥︼ ●伺候︻二 一. 料 を 作 っており、後 から 包 み経 木 を 作 った時 、区 別 す るために厚 と. 薄経木という名称が確立するまで、呼称はでき丞吐弛 で思い思小 経 素っけられ衆如坤まちまぬ書あった。例えば、東京 ﹁耀 鉢止、群馬 ﹁ 、青森 ﹁飽 殻﹂、北海道 、秋 田迂ら﹂ 径木﹂ 木皮、岩 手 ﹁ 亦夢栃 木 ﹁ ﹁ 薄皮﹂等である。薄経木という名称は、長 野県で昔から折箱 の材. たのが薄 経 木 の始 まりで ﹁ 枇 木 ﹂という 名 称 で売 り 出 さ れた。. には、現在 一般に経木とい沙れる食品を包む薄 永五年 ︵一八五一二︶ 経木が考案される。食品の包装には、それまで竹 の皮が用いられて いたが、嘉永四年 ︵一八五 一︶関東 一円で竹皮 の不足が生じ、これ を契機に武州月輪の宮嶋蜘裟 衛門が竹皮の代用品として作り始め. ●経 木 ︻二 一⑦ ︼ き ょうぎ 。 ① 鎌 倉 時 代 より、追 善供 鱗 糞 逆 修 のために、杉 などを 薄 く削 った 木 片 に経 文 を 記したも の。 柿 経 。② 杉 、槍 など を 長 方 形 に薄 く 削 ったも の。元 来 ① に用 いたが 、のち 、菓 子 、魚 な ど を 包 んだ り、舟 な ど の形 にして食 品を 入れたりす るの潔魂 いるよう にな った。かんな か ぎ 。③ 読 経 の時 に謂わ溺午 木 。音 木 。 け。へ 元 興 寺 極 楽 坊 に残 る 柿 経 は、室 町時 代 の 一四 五 〇 年 頃 を 境 に、 、新 しく ら 幅広 で表 滑ら 古い もの のは は細 いが が、 新し なる るに につ つれ れ幅 広で 面の の滑 時 時代 の古 いも 細く 厚い 表面 代の く厚 くな かな薄 手 のも のにな る。これは台 かんな の出 現 による。経 木 では、か んなを 下 の台 に固定 して上 に木 を 置 き押 して削 る。これによって、嘉. ① 貴 人 のおそば 近く に仕 え ること 。身 分 の高 い人 のお側 に奉 仕 す ること。② 貴 人 のも と へ参 上 して御 機 嫌 う かがいを す ること。ま た、 そば 近 く 参 上 す ること。参 上 してご 機 嫌 を う かが う こと 。ここでは. 延が宮中や宮家に出稽古に通っていたことをいう。. 目 の本 門寺 にあ る。. ージュであ ると の解 釈 があ る。 兄幸 田露 伴 ・ 妹 安 藤 幸 とと も に芸 術 三 兄妹 と して知 ら れ る。兄 に海 軍 軍 人 の郡 司 成 忠 、弟 に幸 田成 友 、妹 に安 藤 幸 が いる。七 十. 七歳。法名は妙音院大空 日朗大姉。墓は東京都大 田区池上 一丁 明治音楽史考﹄︵ 有朋堂 昭和二十三年 ︵一九四八︶四月︶ 遠藤宏﹃ 小林緑編著﹃ 女性作曲家列伝﹄︵ 平凡社選書 一八九 平凡社 平成十 三月︶ 一年 ︵一九九九︶ 開国百年記念文化事業 小宮豊隆編﹃ 音楽演芸 明治文化史 第九巻﹄︵ 会編 原書房 昭和五十五年 ︵一九八0︶十月 ショパン 幸 田姉妹 洋楽饗明期を支えた幸 田延と安藤幸﹄︵ 萩谷由喜子﹃ 平成十五年 ︵ 二00三︶七月︶ 音楽 近代日本女性史 第五巻﹄︵ 渡鏡子﹃ 鹿島研究所出版会 昭和 四十六年 ︵一九七 ; 三月︶. ●祖母︻二 一⑤︼ 。 露伴の母猷。天保十三年 ︵一八四二︶ ー 大 正八年 ︵一九 一九︶ 父母鍾愛の下に 一人前の女 幸 田家 七代当主利貞のひとり娘。﹁ として恥ずかしからぬ教養を受けた﹂と露伴の弟 ・ 成友 の自叙伝 にある。 ﹃凡人の半生﹄︵ 共立書房 昭和二十三年 ︵一九四八︶四月︶ 書と長唄に長じ、音楽の素養は延と幸 へ 受け継がれたといわれる。 ●ピ アノのわ ざ ︻二 一 ⑤︼ ピアノ演 奏 の技 量 、能 力 。ここではピアノを 演 奏 して聴 かせたり、. . 技 ﹂と あ る。 原典 には ﹁. 教えたりする腕前。.

(5)                    . 薄といったのが始まり。この名称が確定したのは、第 二次世界大戦 中、公定価格を指定する必要上、厚経木、薄経木に全国統 一され てからであ る。 用 材 と しては、色 が白 く 、繊 維が 強 くて年 輪 のそろ った樹 木 が適 しているが 、な かでも ド ロノキや タカノツメが 称 美 さ れている。現 在 では産 出 量 の面 から 、エゾ マツ、アカマツ、トド マツ、カラマツなど が主 流 を 占 める。な お、経 木 を 材 料 に用 いたも のと しては、木曽 の槍 笠 、 高 知 の土 佐 笠 な ど の工芸 品 のほか、兵 庫 のマッチなど がよく 知 ら れ る。こと に経 木真 田と いって、経 木 を 細 く 切 って真 田紐 のよう に編 ん. だものは、夏帽子などの製品となって海外にも輸 出され、経木産業 の振興の 一因ともなった。また縦糸に綿糸、横糸に経木を用いた経 木織物は、襖張地や座ぶとん地に用いられ、和紙などを貼り付け た経 木 紙 は、折 り箱 の材 料 と して普 及 している。 ﹁ 経 木 ﹂は、スギや ヒノキ、マツな ど の木 材 を 紙 のよう に削 ったも の に経 文 を 写 したと ころから 起 こった。大 阪 の四 天 王寺 には ﹁ 経 木流. の三 日間 、経 木 に供 養 しようと す る仏 の名 を 記 し、引 導 鐘 のところ. し﹂ という行事であり、春秋の彼岸及び孟蘭盆の十四、十五、十六 で供養し、金堂の側の亀井水に流すものである。. 田中信清﹃経木 ものと人間の文化史三十七﹄︵ 法政大学出版局 昭和 五十五年 ︵一九八0︶ 三月︶. ●ひきやすい︻二 一 ⑦︼ 吸収しやすい。. たいげ 。退 去 す ること 。御 前 を さ がること。辞 去 。. ●退下︻二 一 ⑦︼. ●ふた よ う のも の︻二 一 ⑨︼. ﹁ よう のも の﹂は ﹁ 本 来 のも のに似 ているも の。同 じよう − な も の。類 似 しているも の﹂の意 であ る。ふたに当 たるも の。ここでは ﹁ 折 り箱 の 浅 いふた。﹂を 表 す 。 ●さ ら す ︻二 一 ⑨︼ 晒す。. 。 。 。 ど ど ある は大 ① ①日 日光 光あ るい いは 大気 にあ あて おく ② な 色を白くす 気に てて てお す す ② な 布 の 干 干 布 の く。 γ水 で洗 って るために、灰 汁 で煮 たのち 、水 で洗 って 日光 に 干 す 。単 に 日光 にあ てて白 く す ることも あ り、現 代 では薬 品 で処 理して白 く す る。③ 屋 外 に置 いて雨 風 の当 たるまま にしておく 。④ あ ら わ に人 に 示す 。広 く 人 々の目に触 れるよう にす る。あ まねく 世 間 に知 ら せる。 ここでは、① のよう にも と れ るが、﹁ 紙 の洗 い張 り 二 ニ一 ニ ニ④ ︼ とあ ること から② であ る。. ●女所帯︻二 一 ⑲︼ 女だけで持 つ世帯。家族が女だけの家 庭。女だけの 一家。女世 帯 。。. ﹁ 新 持 している物 や つ 1身 に帯 びているも のの意 所 帯 ﹂は、① 息であ る。所. 女だけで持つ世帯。家族が女だけの家庭。おんなぜたい。. いている地位などをいう。所領。知行。官職。財産。せたい。② 一家. を 構 え て独 立 した生 計 を 営 むこと 。ま た、そ の生 活 。暮 ら し向 き。 せたい。③ 住 居 および 生 計 を 同 じくしている者 の集 団。せたい。ここ では③ の意 であ る。。. ● ことかく ︻二 一⑰ ︼ 多 く ﹁・ ーにこと かく ﹂の形 で用 いる。物 事 が 不 足 す る。な いために 不自 由 す る。事 を 欠 く。. ー AI.

(6)       . ﹁ おじる﹂は ﹁ おそれる。こわがる。驚 き おびえる﹂の意 であ る。. ●おじて︻二二①︼. 大 日本図書 大正七年 ︵一九 一八︶ 大矢透﹃ 音 図及手習詞歌考﹄︵ 八月︶ いろはうた 一日本語史へ のいざない﹄島中公新書﹄五五 小松英雄 ﹃ 八︶ 中央公論社 昭和五十四年 ︵一九七九︶十 一月︶ 下坂守﹃公家 の書﹄島日本の美術﹄五〇 一 至文堂 平成 二十年 二〇〇八︶二月 ︵ 第七巻 厚生閣 昭和十四 伴信友 ﹃仮字本末﹄島国語学大系﹄ ︶ 年 ︵一九三九︶ 書論双書六 日本習字普 及協会 昭和五十 藤 原教長﹃才葉抄﹄︵ 六年 ︵一九八 ; 八月︶ 古筆学断章﹄︵ 講談社 昭和六十 一年 ︵一九八六︶九月︶ 小松茂美﹃. 歌を ﹁ てな ら ひ﹂ と して書 き 記 す 場 面があ る。. 読書の教科書として町人子弟に生活教訓や 日常規範を教えるもの であ った。 ●粗末なまね︻二 一 ⑰︼ 毛筆で書かれた漢字の書体 の美しさを賞美し、またそれを自ら 粗末にするようなよくない行い。 表現するために文字を書く練習をすることは、漢字 文化圏におい て 一般に見られるものであるが、日本の場合は特に漢字のほかに仮 ●手習い︻二 一⑰︼ 文字を書くことを習うこと。習字。 名文字があり、これを変体仮名も交えて連綿でもって美しく書き記 す のが 、古 く は貴 族 を はじめと す る教 養 層 のたしな みであ った。そ 江戸時代の寺 子屋および手習所で行われていた教育。中世の公 うした教養層が幼少の時分より、漢字や仮名を美しいとされる文 家教育における仮名の手習い、和歌の手習い、漢字の手習いといった 手 習 い﹂と 呼ば れていたのであ る。 字 に書 きこな す 練 習 が、﹁ 書道による基礎教育は、近世の町人の子弟を教育する寺 子屋にお いて、手 習 いと して中 心 的 な 教 育 内 容 と な った。武 士 や 町 人 、僧 侶 、 ただし手習いは、文字を書く練習をすることから転じて手すさびに 手習﹂の巻には横 文字を書き付けることも称した。﹃源氏物語﹄の﹁ 川の僧都に助けられた浮舟が、諺屈した気持ちを紛らわそうと和 神官、医者といった手習師匠が子どもを集め、読み書きそろばんを 教えたが、その大部分の時間は手習いによる文字の練習に費やされ たといわれる。それにより基礎的な文字の習得を経て、往来物など による教材を用いた教育が行われた。寺 子屋で使われた往来物を はじめとする手習いの手本は、当時 の日常生活に必要な基礎知識 も盛り込まれており、単に文字を書く練習をする以上の意味合い. があ った。 子ど も は寺 子 屋 に来 ると す ぐ に墨 を す り、紙 の帳 面 であ る 手 習 帳 が 黒 く な るま で手 習 いを 行 い、師 匠 がこれを 個 別 に指 導 していっ いろは﹂の練 習 や 方 角 、数 字 な ど の基 本 的 た。手 習 いは、はじめに ﹁ な 文 字 が 教 え ら れ 、そ の後 、テキストによ って文 字 と 知 識 が 教 え ら. 国尽﹄ などの手本 れた。﹃ によって姓名を習い、﹃ 村名﹄ ﹃郡名﹄ ﹃ 名頭﹄ で地理を、 によって、村や郡、国の名前と文字を習い、﹃江戸方角﹄ で書簡 文の用 語を習った。また、﹃古状揃﹄で歴史を、 ﹃消息往来﹄ で商売の知識と文字を習ったように、手習 ﹃ 商売往来﹄ ﹃諸職往来﹄ いは書道や習字といったたんなる文字の練習ではなく、手習本を通 し 常 に 日 生 活 必 要 な 知 て 識や文字が総合的に教えられていった。ま ﹃ ﹃童 子教﹄ 女大学﹄ などにみられるように、 た、手習本は﹃実語教﹄. にJ.

(7)    . ここでは墨がしみて広がる。. ●にじむ︻二二②︼. ●大高檀紙︻二二②︼ 中高 ・ 小高に対して大型の檀紙をいう。縦 一尺七寸位 ︵ 約 五〇セ 、横 二尺二寸位 ︵ 。徳川時代、 ンチメートル︶ 約六七センチメートル︶ 岡山県︶産が有名であったが、現在はほとんど福井県から産 備中 ︵ 出する。昔は論旨、免状、辞令、高級な包み紙などに用いられた。 今は化学繊維を混ずるものもでき、包装、書道などに使用する。大 高。大高紙。. ﹁ 驚く﹂ などと語源的な関わりがあり、﹁ 恐る﹂ が意識的 ・ 精神的 であるのに対して、どちらかといえば反射的 ・ 無意識的 ・ 身体的 反 応 を いう 。中 古 ま で ﹁ 恐 る﹂が 文 章 語 であ った のに対 して、口頭 語 と して盛 んに用 いら れ たが、中 世 以 後 ﹁ 恐 る﹂が意 味 を 広 げ ながら 一 般 化 してき たのに伴 って、次 第 に衰 え てゆく。 ﹁ おじる土壌退 の要 因 には、﹁ 恐 る﹂に対 す る ﹁ 恐 ろしい﹂のよう な 対 応 す る形 容 詞が ﹁おづ﹂にはな く 、中 世 に恐 怖 の意 を も つよう にな っ た﹁ こはし﹂と 対 応 を も つ﹁ こはが る﹂にそ の座 を 譲 ったこと も 考 え ら れる。 怯 じて﹂と あ る。 原典 には ﹁. ●ひるむ︻二二③︼. ここでは筆 跡 がかす れ ること。. ●かすれる︻二二②︼. 物 事 の中 心 とな るおもむき 。文 章 、話 などで、述 べよう としている. ●趣旨︻二二②︼. らい。趣 意 。旨 趣 。. 肝心な事柄。また、ある事を行なおうとする目的や理由。考え。ね. っかりしていること。気 風がよいさ ま。また、気 が強 いさ ま。. ﹁ は﹁ 景気 ﹂ 物 事 の勢 い。活 動 の具 合 。多 く 、元気 のあ ること 。威 勢 のよいさ ま。﹂の意 であ る。. ●景気をつけて︻二二③︼. 怯 む。① しびれ る。麻 座 す る。なえ る。② 気 力 がくじけ る。恐れて 勢 いが弱 る。おじけ る。萎 縮 す る。ここでは② の意 であ る。。. こと が多 く な って別 語 の意 識 を も つよう にな ったも の。江 戸時 代 中. ●年寄りの手間をかけて︻二二④︼. ●気性 ︻二二②︼ ①生まれつきの性質。先 天的な性情。気質。気だて。②性質がし. と併 用 さ れていた。. 老 人 だ から 、物 事 が億 劫 で、何 を す るのにも 時 間が かかる のに、 あえ て手数 を かけ て。. 十八世紀︶頃から使用例が見られるが、大正時代頃まで﹁ 期︵ 気象﹂. ﹁ 気象﹂の中から、使用度の高い気質の意味が ﹁ と書かれる 気性﹂. 明治時代初期に英語 日30 s塾 の訳語として﹁ 気象学﹂ が採 日o は次第に天候の状態の 用され、気象台の設置などによって、﹁ 気象﹂. ●紙の洗い張り︻二二④︼. ﹁ 洗 い張 り﹂は ﹁ 着 物 を ほどいて洗 い、のりを つけて、板 に張 ったり、. 意 に限 定 さ れ るよう にな ったことが、いっそ う ﹁ 気 性 ﹂の使 用 を 進 め たと考 えら れ る。.

(8)                                                                     . 食 べれば 老 いず 白 髪 にも なら ぬといった。中 国 では後 漢 のころには鶏. 舌香の名でよばれていた。応勘の﹃ は宮中で皇帝と話すとき 漢官儀﹄. 鍛 張 りにしたりして、しわを のば し、かわ かす こと ﹂の義 。ここでは、. ー モラスな 表 現 。. 家庭での紙の再製作業をそれにたとえたもの。女性らしい、ややユ. ● 丁 子 引 き ︻二 二⑦ ︼ 普 通 は、唐 紙 の地 紙 な ど に茶 色 の細 い線 を 引 いたも のを いう 。こ. 刷 毛 を 液 に浸 し、物 にまんべんなく塗 ること。 原 典 には ﹁ 刷 毛 引 き ﹂と あ る。. ●はけ引き ︻二二⑥︼. 柿 渋を 塗 ること。渋 色 に塗 ること。渋 塗 り。. ●渋引き ︻二二⑥︼. 代には丁香油が婚薬に使われた。. も らい、着 物 の背 縫 いの上 部 に魔 よけと してつけ た のであ る。江 戸時. やミカンの葉などの香料を入れた袋で、産婆に火の神に祈って作って. ら れた 背 守 り の風 習 であ る。これ はマムリイ ︵ 守 り ︶と 呼ば れ 、丁 子. 鯛薬として用いられた。日本に渡来したのは八世紀ごろとされ、薫 香や防腐用として珍重されたが、平安時代に五月節供に群邪延命 の呪具として身につけた薬 玉に、席 香、沈香、丁子などの香料を入 れたという。この薬 玉に似た風習が、沖縄 の八重山群島でかつて見. 易 の独 占 を 果 たし十 八 世 紀 末 ま で続 いた。中 世 のアラビアな ど では. られたのは十六世紀のことである。一六二 一年にオランダは香料貿. に 口臭 消 しと してこれを 口に含 んだとあ る。花 または若 い果実 を 乾 燥 さ せたも のを 、二 つに割 ると 鶏 の舌 に似 ること による。 一世 紀 に はインドから ロー マにまで伝 わ っていたがその産 地がモルッカ諸 島 と知. ●いどませる︻二二⑤︼ 戦 いや 争 いを けしかけさ せる。け しかける。 原典 には ﹁ 挑 ま せる﹂ と あ る。. ●渋︻二二⑥︼ 未 熟 のカキを つぶして水 と と も に密 閉 した容 器 中 で数 日放 置 し た のち 、漁 過 した 上 澄 みが 渋 で、 一年 く ら い密 閉 保 存 してから 用 い. 石倉成行﹃ 植物代謝生理学﹄︵ 森北出版 昭和六十二年 ︵一九八七︶四. る。柿渋は赤褐色ないし黒褐色の液で、タンニンを 二1 三%含み、家 具の漆下地、番傘、渋紙、木材、漁網、綿布などに塗布して用いる。 これは、柿渋のタンニンが塗布物の中に吸収されて不溶性物質とな り、防腐性と防水性を与えるためである。 月︶. 寺 田昌道﹃柿渋クラフトーー柿渋染めの技法﹄︵ 木魂社 平成十 二年 二0 0 0︶四 月︶ ︵. 大学出版会 昭和五十三年 ︵一九七八︶五月︶. 樋 口隆昌﹃木質分子生物学﹄︵ 木質生命科学シリーズ二 文永堂出版 平成六年 ︵一九九四︶二月︶ 吉田精 一・ 南川隆雄﹃ 高等植物の二次代謝﹄︵dヤ goー o的 ︸ 、N仰 東京. ● 丁 子 の液 ︻二 二⑥ ︼. ギリシアや 中 国では紀 元前 から 知 ら れ 、中 世 アラビアではこれを. ●た った 四十 年 ほど 前 のこと ︻二 二⑧ ︼. 丁子油は丁子の花枝を水蒸気で蒸留して採取する油で、香粧料、 こでは丁子の液を紙に塗ること。 薬料、香味料とする。. 7十 ー.

(9)    . 執筆が昭和三十年 ︵一九 五五︶年末であるので、大正四年 ︵一九 前後の話題であると考えられる。文が十歳を超えた頃である。 一五︶ 尚、祖 母・ 猷は大 正八年 ︵一九 一九︶に没している。今の世の中では 紙 を 粗 末 にす る 風 潮 が 一般 化 していること を 嘆 く 気 持 ち が ﹁ たっ た﹂という 語に強 く 表 れている。. 注 第 四十八号 平成 二十八年 ︵ 二〇 一六︶十二月 1 ﹃釧路論集﹄ 二九ー 三八頁 2 ﹃ 語学文学﹄ 第 五十五号 北海道教育大学語学文学会 平成 二十八年 ︵ 二〇 一六︶ 十 二月 二三ー三二頁 3 ﹃ 国語論叢﹄第八号 さいたま国語教育学会 平成 二十九年 二〇 一六︶三月 一一ー 二三頁 ︵ 、﹁ 、﹁ 内の︵ ︶ 2︶ 数字は、﹁ 教材 ﹁ 紙﹂ 考︵ 1︶ 教材 ﹁ 考︵ 教材 4 尚、︹ ︺ 紙﹂ ﹂ ﹂ ﹁ 考︵ 3︶ 紙﹂ ﹂の末尾数字をそれぞれ示すものである。. 15Ko4470︶による成 果 の 一部である。 本稿は、JSPS科 研費 ︵. ︵ さのひろみ/北海道教育大学釧路枝教授︶. 只U.

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