自分史分析の一考察(Ⅴ)−テーマ分析から生活史分析へ−
杉原
俊二
A study of Life History Analysis (5) : From Theme Analysis to Life Cycle Analysis
Syunji SUGIHARA 要 旨 筆者はクライエントの自分史を分析することで、そのクライエントを援助する方法の検討を 進めている。そして、クライエントが自分の歴史を自分自身で語り、それを筆者がまとめ、ク ライエントと一緒に分析するという生活史分析の方法を進めている。しかし、その方法では、 作業量が多くなってしまう。そこで、本論文では、いくつかのテーマ分析をおこない、それを 組み合わせて生活史分析をおこなった。本論文では自分史分析の1つのケースを取り上げて分 析をした。このケースでは、自分史分析をおこなうと、自分の過去を大きな「物語」として整 理ができた。そして、クライエントはその後に自分の生き方を変えている。自分史分析はスー パービジョンの技法として有効であることが確認できた。 Abstract
The author studies of the method by analyzing history of own of person. Client tells your history by yourself, and the author gathers it up. And the author analyzes it with client together. However, by the method, work loads increase. Therefore, in this paper, client performed some theme analysis and client and therapist put it together and performed life cycle analysis. Author took up one case of Life history analysis in this thesis and analyzed it. There was rearranging as“long story”by the past of oneself when Author and client did Life history analysis. And client changes a way of live of oneself in the sequel. The Life History Analysis was able to identify that author was effective as technique of a supervision.
Key words: Life History Analysis Life Cycle Analysis (Analysis of half life) Theme Analysis Narrative Practice キーワード:自分史分析 生活史分析(半生分析) テーマ分析 ナラティブプラクティス Ⅰ.はじめに(問題と目的) 自分史分析を始めたのは、援助職の「バーンアウ ト防止」研究の一環であった。筆者はバーンアウ ト防止のために、スーパービジョンの重要性に気 づいた。そして、自分たちでできる援助法として 吉備国際大学社会福祉学部社会福祉学科 〒716−8508 岡山県高梁市伊賀町8
Department of Social Welfare, School of Social Welfare, KIBI International University 8, Igamachi, Takahashi, Okayama, Japan (716-8508)
吉備国際大学
社会福祉学部研究紀要 第13号,11−21,2008
ピアスーパービジョンとセルフケアの技法として自 分史分析を考え、検証を始めた(杉原:2005a∼d、 2006a)。 最初は、自分で自分史を文章化し、それを自分で 分析する(考察を書く)という作業をしていた。次 に「セルフ・カウンセリング」(渡辺:1990、1996) の方法を用いた「エピソード分析」(一つのエピソー ドについて自分で分析をする)とエピソードより大 きなテーマに従って自分史を書く「テーマ分析」に 分けた。さらにセルフケアの枠を超えて、自分の人 生を出来るだけ詳しく書き出し、それを分析する生 活史分析の検討をはじめた。 生活史分析は元々、自分史分析の生活史をどのよ うに記述すればよいかというモデルケースを提示す る目的で始めたが、治療として利用できることがわ かった(杉原:2006a)。現在は、鬱症状を呈したク ライエントの回復を促進するために生活史分析をお こなっている。 この生活史分析はクライエント本人だけでなく、 インタビューをする人(援助者)とクライエントとの 共同作業であり、莫大な時間が必要であるために、 手軽な自己カウンセリングの方法としては難がある ことも同時にわかっていた。また、インタビューや 文章のまとめ方といった技術に対して一定の技量を 求められる、ということも指摘された。そこでクラ イエント自身が、生活史分析をする方法はないかと 考え始めた。 筆者は、テーマ分析をしてくれた人を対象に、生 活史分析をおこなうためにインタビューをお願いし た。ところが、そのクライエントが忙しいために、 いくつかのテーマを決めてテーマ分析をしてくれ た。それを組み合わせると、生活史分析のように半 生を語ったように編集できた(杉原:2008)。 そこで本論文では、いくつかのエピソードをたず ねた事例を取り上げ、それを筆者が生活史分析のよ うに組み合わせることで、同様の援助が可能かどう かを検証した。 Ⅱ.事例(自分史) 1.Iさんのプロフィールとバックグランド ある知的障害者小規模授産施設(以下、Y施設と する)の施設長と設立主体である社会福祉法人の理 事長を兼ねているのが、今回の事例で自分史を語っ てくれた男性のIさんである。Iさんは1964年2月 に地方都市で生まれた。その後の経歴は以下のとお りである。 1968年4月 D教会附属幼稚園 入園 1970年4月 公立小学校 入学 1979年4月 公立商業高等学校 入学 1982年4月 私立A大学教育学科 入学 1986年4月 私立幼稚園で臨時採用の教諭(常勤) として勤務 1987年4月 公立小学校講師(常勤)3年生担任 1989年4月 障害児学級を担任 1991年4月 知的障害者作業所(Y作業所)で指導 員(常勤スタッフ) 1999年3月 Y作業所を小規模授産施設へ移行。翌 月、Y施設の施設長となる。 2004年4月 社会福祉法人X会の理事長になる。 なお、Y施設は大都市の下町にあり、キリスト教 のX教会(B牧師)が中心となり設立された無認可 の小規模作業所から発展して開設された。 2.自分史1:Iさんの現在 社会福祉法人理事長 Iさんは40歳の時に、社会福祉法人X会の理事長 となった。前理事長のMTさんはX教会の教会員で
「身体障害者」作業所の創立メンバーであり、その 後に設立された「知的障害者」作業所開設時の施設 長であった(開設時はB牧師が理事長)。MTさん は都市銀行から出向した会社を60歳で定年退職した あと、施設長をしていたので、理事長を交代した時 には80歳になっていた。MTさんはIさんが35歳に なった時に施設長の職を譲り、その5年後に「やっ と隠退できる」といって理事長の職を譲った。 その後、障害者自立支援法が施行され、知的障害 者の福祉も大きな曲がり角に来た。Iさんたちは、 就労支援の場とメンバーの居場所を両立できるよう に工夫をしている。 家族と収入のこと Iさんの奥さん(NMさん)は同じ法人の別施設 で指導員として働いている。二人の給料は数年前か ら合わせて40万円である(手元に残るのは30万を少 し超える程度である)。 Iさんの家族は、奥さん、娘さん3人と義理の母 親の7人家族であり、昨年(Iさんが自分史分析を 始めた年に)長女が高校へ進学した。下の2人も地 元の公立中学校と小学校へ通っており、子どもが3 人いる割にはお金がかかっていない。Iさんが気が かりなのは「父親の収入が少ないので、3人とも気 を遣っているのではないか」ということだ。 Iさんは結婚をして3年目にNMさんの実家へ引 越し、母屋とは別の建物に住んでいる。義理の両親 は資産家であり、生活そのものは決して貧しくはな い。その家は旧家であり、NMさんは実母の姉(つ まり伯母)の養子となった。Iさんは結婚3年目で 婿養子となったので苗字が変わった。なお、その養 母はIさんの「稼ぎの低さ」に驚いていた。 作業所スタッフを続けられた理由 Iさんは彼自身が理事長になったのは、「自分よ り年上の常勤スタッフがいないから」と言っている。 事実であるが、それは主として給料が安いためIさ んより年長者が皆退職しているからである。Iさん が常勤スタッフになった時には、先輩のスタッフは 数名いた。直接仕事を教えてくれたスタッフは大学 で社会福祉を学んだ1歳年上の「男性」であった。 彼は結婚を決めると精神病院のPSWに転職した。 病院のPSWの給料は作業所の1.5倍であった。こ のように、男性スタッフの「寿退職」は決して珍し いことではなかった。 Iさんが作業所で仕事を続けられた理由は、NM さんの実家が資産家であったからであろう(いざと いうときに助けてもらえる)。毎月、一定のお金を もらっているわけではない。しかし、出産費用や娘 の進学時には、「お祝い」という形で多額の援助を もらった。現在の住宅も、建物代はIさん夫妻が出 しているが、土地は実家の所有である。 また、Iさんの父親が田舎の牧師であり、Iさん が「貧乏生活に慣れている」ことが大きかった。N Mさんも実家が資産家にしては質素であったが、そ れでもIさんの生活レベルとはずいぶんと違い、結 婚当初は食い違いもたくさんあった。現在ではIさ ん一家は質素な生活(クリスチャン的シンプルライ フと言っている)を楽しんでおり、全く悲壮感がな い。 3.自分史2:Iさんの両親のこと 両親のこと Iさんの父親(FIさん)は、Iさんの故郷であ る炭鉱町にあるE教会の牧師であった。Iさんの母 親(MIさん)も「牧師夫人」として教会の運営に 深く関わっていた。小さな教会の牧師であったので 給料は少なかったが、二人とも熱心に働いていた。 FIさんは1935年(早生まれ)であり、新制中学 校の1期生である。彼は工業高校を卒業した後、炭 鉱町にある化学工場に就職して工員として働き出し
た。FIさんは中学の時にクリスチャンの同級生に 誘われて近所にあったD教会へ行き始めた。受洗に ついてはFIさんの両親(Iさんの祖父母)、特に 父親からは猛烈な反対があったものの、就職が決 まった高校3年のクリスマスに、多くの方と一緒に 洗礼を受けた。FIさんは洗礼を受けた時に、どん なに忙しくても、病気であっても日曜日の礼拝だけ は休まないで出席したい、と願ったそうである。そ して、10年間の社会人生活で一日も日曜日の礼拝を 休まなかった。 MIさんは、FIさんの隣町(現在は同じ市)の 生まれであり、実家は会社を経営していた。MIさ んの父(Iさんの祖父)は、九州帝大を卒業後、大 企業で技術者として働いていた。その会社は海軍と の関係が深かったため、戦後に公職追放となった。 そこでMIさんの父は、妻(その両親が明治期のク リスチャン)とMIさん(末娘)の二人を連れて故 郷に戻り、実家の商店を手伝った。その後、朝鮮戦 争特需や高度経済成長期で商店は発展して株式会社 となった。MIさんの父は社長のポストを長男(M Iさんの兄)にゆずる70歳まで働き、しばらくして 亡くなった。MIさんの父は、九大時代に無教会の 集会に出席し、戦後、故郷に帰ると近所のD教会へ 忠実に出席していた。MIさんとすぐ上の姉は両親 と一緒にD教会に出席し、二人とも洗礼を受けた(二 人の兄は洗礼を受けていない)。 MIさんはFIさんの4つ年下で1938年生まれで ある。先述のように大都市で生まれ、小学校(国民 学校)の途中で父親の故郷に引っ越した。それ以降 は、幼稚園で働いた5年間と結婚後、FIさんが神 学校で学ぶため一緒に関西地方に行った5年間以外 は、現在に至るまでその地域に住んでいる。 両親の結婚とその後 FIさんは高校卒業後、入社した化学工場でまじ めに勤務していた。入社7年目には多くの年長者を 飛び越えて主任となり、20人以上の部下を抱えるま でになっていた。主任になった頃から、牧師になる という「ビジョン」を持ち始め、真剣に祈っていた。 一方、MIさんは短大で幼児教育を学び、卒業後は、 都会にある教会附属幼稚園で教諭として働いてい た。MIさんは背が高く美人であり、あちこちの人 から求婚されていた。 二人は同じD教会で知り合った。MIさんは高校 を卒業すると都会へ出たが、帰省のたびにD教会へ 出席していた。1960年8月、MIさんは帰省をして D教会の祈祷会(水曜日の夜)に出席をした。FI さんはMIさんと一緒に祈る時があり、FIさんは その時初めてMIさんに「牧師になろうと願ってい るので、一緒に祈って欲しい」といったそうである。 その時からお互いが意識をしあい、自分たちの祈祷 課題を互いに祈るようになった。 紆余曲折はあったが、1963年の3月にFIさんと MIさんは無事結婚をした。傍目には、「貧乏人」 と「会社社長の娘」という、「格差婚」のように見 えた。しかし、二人は信仰でしっかりと結びついて いたそうである。 FIさんは結婚するとすぐに神学校へ入学した。 2人は関西地方へ行き、神学校の家族寮に入った。 第一子であるIさんは翌年2月に生まれた。Iさん は両親と一緒に3歳まで家族寮で生活をした。FI さんは4年間学んだ神学校を無事卒業し、神学校の 近所にある大きな教会で、1年間インターンとして、 給料をもらいながら研修をした。 その後、FIさんは故郷に戻り、(D教会の隣町 にあった)E教会の2代目牧師として就任した。そ の後、4教会の牧師を兼任したが、基本的にはずっ とE教会の牧師であった。そして、そのE教会で27 年間奉仕をした。FIさんは(所属教団の牧師の定 年である)60歳になったばかりのある日に倒れた。 ガンであり、3ヵ月後に亡くなった。危ないと聞か され兄弟(の家族も)全員が揃った日の明け方に亡
くなり、そのまま、前夜式から召天式と続いた。き ちんとしていたFIさんらしいと、皆から感心され ていた。なお、MIさんは健在で、今は夫が牧師を している娘(Iさんの妹)夫婦一家と一緒に生活を している。 4.自分史まとめ1:Iさんの少年時代 1)両親の故郷に戻る Iさんは故郷の病院で生まれ、しばらくは母親と 実家にいたが、やがて神学校の家族寮へ移った。 1965年から母親が神学校の1年コースで学び始めた ので、神学校の下にある保育所に入園した。1966年 になると2歳(3学年)下の弟が生まれた。1967年 に父親が神学校を卒業し、ある教会で研修を始める と、一家はその教会の住宅に移り住んだ。Iさんは その教会の近所にある、(他教会が経営の)保育所 に入園した。 1968年に父親は故郷に戻るという希望がかない、 E教会の牧師となった。赴任時には最盛期より減っ ていたが、それでも礼拝の出席者は20名以上いた。 Iさんの家族はE教会の2階に住んだ。Iさんはそ の当時、開設されたばかりのD教会附属幼稚園に入 園し、2年間を過ごした。幼稚園に通っている時 (1969年)に、5歳(6学年)下の妹が生まれた。 2)小学校・中学校時代 Iさんは地元の公立小学校、公立中学校へ通った。 小学校では、運動の好きな活発な子どもであった。 また、昼食の前にお祈りをする係であった。もちろ ん、公立校でキリスト教とは関係はなかったが、I さんがお祈りをして食べるので、担任であったAN 先生がそのように配慮してくれた。AN先生との思 い出はたくさんあり、その後の小学校教諭を目指す という進路決定にも大きな影響があった。 小学3年から学級委員の選挙があるが、Iさんは 4年連続学級委員になった。6年の時は、児童会の 副会長にもなり、人気のある子どもであった。 Iさんは中学生の時には、ソフトテニス部で活躍 した。Iさんは小学5年の時に、スポーツ少年団の ソフトボールチームに入った。しかし、日曜日の礼 拝時間と練習時間が重なり、両親と話し合った結果、 チームを辞めた。中学生になると、父が別の教会の 牧師を兼任することになり、その教会で夜(19時か ら)の礼拝(夕拝)を始めた。そこで、夕拝に出席 するのであれば、日曜日にクラブ活動をしてもよい ことになった。Iさんは、小学校時代に参加できな かった野球(ソフトボール)とサッカーを避け、ソ フトテニスを選んだ。 Iさんによれば、決して上手な選手ではなかった そうである。しかし、2年の2学期から主将となり、 一番強い選手と組んだダブルスで県大会まで進ん だ。残念ながら中学時代は県大会での優勝はできな かった(最高で3位)。ペアを組んだ同級生は勧誘 された県外にある私立の強豪校へ進学した。Iさん はソフトテニスが強い公立商業高校へ進学した。 3)高校時代 入学と同時にソフトテニス部へ入部した。商業高 校なので女子生徒が多く、ソフトテニスも女子部は 全国で活躍する強豪であった。男子部も県大会では 毎年上位を占め、インターハイや国体に出場する選 手もいた。ところが、練習時間は短く、終業(平日 15時40分)から10分以内に1年生の集合時間となり、 16時からは上級生の練習が始まった。定時制の授業 が始まる18時にはコートを使った練習が終わってい た。また、(強制ではなかったが)朝練習が7時か ら8時半まであり、1年生は事実上全員が参加しな ければならなかった。 小・中学校への通学時間は共に10分以内であった が、高校は電車で1時間ほどかかった。朝5時起床 で6時少し前に家を出て徒歩10分で駅につき、電車 で50分ほど揺られて、改札口から出て、高校のフェ ンスを越えて男子更衣室に入り、着替えてからすぐ
に練習に参加した。2年の国体終了後から主将と なったので、朝練習は入部から引退の日まで一日も 休まなかった。 1年生から同級生とペアを組んで試合に出場して いた。高校では全国大会には出場できなかったが、 県大会でベスト4に入り、地方大会でベスト16ま で進んだ。同級生の別のペアは全国大会まで出場し た。 学業については、中学での成績は中位であり、公 立の最難関である進学校は難しいが地元の高校であ れば普通科でも上位で合格できた。商業高校の入試 成績は1番であり、入学式では入学生代表となった。 ただ、入学後は毎日の部活に時間がとられ、あまり 勉強をしなかった。朝の電車通学の時が勉強時間で あり、それで十分に上位の成績を維持できた(帰り の電車ではさすがに疲れており、乗換駅で乗り過ご さないようにするのが精一杯であった)。 3年生になると進学クラスに入った。そして、小 学校の先生になることを希望した。 5.自分史3:大学時代 大学入試 Iさんは商業高校を優秀な成績(学年の10番以内) で卒業をした。進学クラスでも評定平均値は4.9で あり、英語・数学・理科を除いて学年首位であった。 Iさんは受験資格があった、公立大学の小学校教 諭養成課程の「推薦入試」を受験することにした。 第二志望は、牧師の子弟が受けられるA大学の推薦 入試の特別枠であった。これは、入試の成績が優秀 であれば、さらに「特待生」となり、入学金と授業 料が全額免除になった。この特待生になれば、公立 大学へ行くよりも金銭的な負担が少なくてすんだ。 公立大学の方は不合格であったが、A大学の特別 推薦入試は合格し「特待生」となった。この特別枠 の特待生は、入学後、大学の宗教委員会に学生委員 として所属し、大学の先生方と一緒にチャペルの運 営等の活動するのが慣わしであった(決して強制で はない)。 大学生活 1)クラブ活動 Iさんは入学すると、すぐに宗教委員会の学生委 員となった。また、宗教関連部連絡会(大学の体育 会や文化会と並ぶ、学生会の組織)の役員となり、 熱心に活動をしていた。 ソフトテニス部には入部したかったが、男子部は なかった。5月に入ると、同じ学科の1年生2人が 男子バスケットボール部(男子バスケ部)を作った。 A大学の女子バスケ部は伝統もあり強かったが、男 子の部はそれまでなかった。2人のキャプテン経験 者が中心となり大学連盟に登録し、最下位部のリー グ戦に出ることになった。2人は1年男子全員に声 をかけていた。Iさんにも声がかかり「掛け持ちで よければ」と練習に参加をした。 1年の時は部員も少なく、スタメンで出場するこ ともあった。しかし、2年になると新入生に経験者 もおり、出場時間が少なくなった。2年の途中で、 主将(1歳年上)が結婚して部活から身を引くこと になり、部長のGさんが主将に、主務のIさんが部 長になった。3年になると部員が多くなったので、 裏方に回ることが多くなった。4年になると小学校 教育実習(後期)と教員採用試験があるため、3年 の終わりで部活からは引退をしたが、卒業するまで 部の運営のアドバイスを後輩にしていた。 2)勉強 特待生を2年次以降も続けるためには、一定以上 の成績をとる必要があった。そこで、授業にきちん と出席していた。現在、大学教授であるGさんより も、大学2年まではIさんのほうが成績は良かった。 在学中、一度も再試験を受けることはなかった。 Iさんは3年のゼミ選択では、日本文学の教授を
選び、国語科の研究室に所属した。卒業研究は「絵 本」であり、卒業制作として美術科の同級生と組ん で、絵本を2冊作成した。A大学教育学科の国語科 の研究室では、卒業制作と共同研究(共同制作)の ケースがなかったので(美術科では両方ともあっ た)、A大学に「つめあと」を残せたそうである。 Iさんは小学校と幼稚園の教員免許状を取得し て、無事卒業をした。多くの同級生(そのほとんど は女子学生)は、小学校や幼稚園の教諭として就職 した。Iさんは出身県とA大学の所在する県の2つ の教員採用試験を受験したが、不合格であった。1 年間は講師をするつもりであったが、ゼミの指導教 授から教会経営の幼稚園で産休・育休のための臨時 の仕事を紹介された。Iさんはその幼稚園で1年間 臨時の教諭として勤務した。 奥さんとの出会い 1)宗教委員長 Iさんは大学3年になると、宗教委員会の学生委 員長となった。前任者は大学院(修士課程)にいた 女子学生のTMさんであり、大学4年から3年間お こなっていた。TMさんは大学院修了直後にイギリ スへ留学をしたが、その前にIさんを後任に指名し た。それまで学生委員長を経験した先輩たちは、牧 師・宣教師か大学の教員になっており、将来を期待 される学生が学生委員長になっていた。Iさんも2 年間、忠実にその職務をおこなった。 TMさんが卒業するのと入れ替わりに、彼女の従 妹であるTKさんが入学して来た。TKもIさんと 同じく特待生であり、入学後、宗教委員会の学生委 員となった。TKさんが入学して、最初に親しくなっ た女子学生が、後にIさんと結婚をするNMさんで あった。 2)NMさんとの出会い NMさんは一般入学であり、宗教委員会の委員で はなかったが、聖書研究会へ入部した。 また、NMさんは高校時代にバスケ部のレギュ ラーであり、A大学でも女子バスケ部に入部した。 女子バスケ部は、その地区大学連盟の一部リーグで あり、過去に優勝経験もある強豪であった。そのた め、実績を持った部員が多数入部していた。NMさ んは下位リーグに所属しているBチームにも入れ ず、A・Bチームとは別の時間に練習をしていた。 Iさんは3年生で、男子バスケ部のAチームの練 習以外に、部長としてBチーム(未経験者とけが人 主体のチーム)の練習にも参加していたので、NM さんたちと練習時間が重なっていた。これらの関係 もあり、IさんはNMさんと話をすることが多く なった。 3)NMさんの家庭環境 NMさんは3歳の時に、実母の姉(伯母)の家へ 養子に出された。N家は旧家であり、戦後の農地改 革までは、広大な土地を持つ地主であった。現在は かつての50分の1以下の土地所有になったが、未だ に養母はN家を名家であると考え、名を残そうとし ていた。 NMさんの養母と実母のきょうだいは、長男が夭 折したため、あとは女性だけあり、二女である養母 が婿をもらってN家を継いだ。残念ながら、その家 には子どもが生まれず、N家の末子であったNMさ んの実母の第一子がN家の後を継ぐことになったの である。 NMさん自身はその運命を受け入れていた。友人 に誘われて教会へ行き、高校生の時に洗礼を受けた。 そのため、養母から不快感を示されたことは一度や 二度ではなかった。ただ、N家の一族には有名なク リスチャンが数名いたので激しい反対ではなかっ た。NMさんはその後、A大学へ進学し、養母の理 解も少しは進んだ。ただ、N家の名を残すためには 婿養子をもらう必要があり、NMさんも恋愛に対し てなかなか積極的になれなかった。
6.自分史まとめ2:職業と結婚 1)小学校での勤務 Iさんは、1年間の幼稚園教諭としての勤務を経 て、4年間、小学校の常勤講師として勤務した。教 員採用試験は2県で受験をした。大学4年生の時か ら6年間受け続けて、ずっと不合格であった。受験 勉強の不足であったが、それは熱心な指導の裏返し でもあった。 小学3年4年と2年間、同じクラスを担任した。 その間、毎日「学級通信」を出した。最初は手書き で、後にはワープロの文章を貼り付けるようになっ たが、帰りのホームルームでB5版の学級通信を児 童に手渡していた。その熱心な指導は、多くの保護 者から支持された。クラスの保護者からは「来年も ぜひ担任をしてほしい」と言われ、他のクラスの保 護者からは、「今度は私の子どもの担任になってほ しい」と言われていた。 これらの騒動は、職員室の中では冷ややかな目で 見られていた。主任の先生からは教員採用試験に合 格するように言われていた。しかし、仕事を減らし てくれはしなかった。 教員採用試験の準備が十分できなかった。それは、 Iさんを講師として呼んだ校長にとっても考えなけ ればならない問題であった。校長は指導に手のかか る3・4年ではなく障害児学級への担当へと配置を 変更した。本来はベテランの教諭が担当するべき仕 事であるが、大学卒業後3年、25歳のIさんが担当す ることになった。最初は教科書を使用しない教育が 全くできず、教師としての技量の低さを熱心さでカ バーするというやり方は、完全に失敗し空回りを続け た。肩の力を抜いて子どもたちと接することができる ようになった時はすでに1年が経っていた。しかし、 Iさんはこの障害児学級でも保護者の支持を得た。 2)結婚 IさんはA大学のある県の山間部にある小学校へ 勤務し、その町に住んでいた。日曜礼拝はその町か ら近い教会ではなく、そこから100km以上も離れ ているNMさんが出席している教会の礼拝に出席し ていた。2人は毎週日曜日にデートを重ねていた。 NMさんは大学を卒業後、希望がかない教会が経 営する幼稚園の教諭として働いていた。1・2年目 は何も言われなかったが、3年目になるとそろそろ 結婚をしてはどうかと教会の牧師を含め周囲が勧め 始めた。NMさんの養母がいろいろと画策を始めた からであった。 Iさんは、教員採用試験に合格してから結婚をす るつもりであったが、思うようにはいかなかった。 大学を卒業して5年目の3月、約6年の交際を経て 2人は結婚をした。 7.自分史4:知的障害者作業所スタッフへ Y施設との出会い Iさんは、4年生の担任から障害児学級の担任へ 変わることになった。これが知的な障害を持った人 たちとの本格的なかかわり始めであった。 以前、Iさんが担任していたクラスに唯一のクリ スチャンがいた。彼女は三人きょうだいで、長兄が 知的な障害があった。その長兄は、小学校の障害児 学級から養護学校へ進学し、高等部を卒業して、遠 方にある合宿所(グループホーム)に住み、X教会 が設立した知的障害者の施設に通っていた。Iさん は、その施設にいってみたいと思い、その母親を通 して見学を依頼した。 Y作業所(当時)は、地域に溶け込んでいた。普 段の仕事の他に地域の清掃作業などを引き受けてお り、ほのぼのとした雰囲気があった。スタッフも親 切であり、彼らと意見交換をする中で、障害児学級 では肩の力を抜いた指導ができるようになった。 その後も施設とは行事などに参加をしながら親交 を深めた。クラスの保護者と見学をすることもあっ
た。 そのうち、一人のスタッフが故郷の病院で医療 ソーシャルワーカーとして就職することになった。 B牧師から、もし良かったらY施設で働いてみませ んかという誘いを受けた。 Y施設のスタッフとなる Iさんの父は、長男のIさんが牧師になってくれ ることを密かに望んでいた。その話はIさんの母に しか話していなかった。しかし、Iさんはそのこと をうすうすと感じていた。 Iさんにとって、牧師になることは貧乏に耐える ことであった。AN先生の影響もあり、小学校教諭 になるためにA大学へ進学した。しかし、牧師にな る可能性も考えていた。ただ、NMさんと交際をす る時に、Iさんは自分が貧乏であるのはかまわない が、NMさんをそれにつき合わすことに抵抗を感じ ていた。公立小学校での教諭を目指していたのは、 そのためであった。 ちょうど、Y施設はNMさんの実家から電車を 使って20分のところにある。結婚を機に都市部に出 て働かなくてはならないと考えていた。NMさんの 養父母への説得などしなければならないこともある が、将来、牧師になることも視野に入れ、Y施設の スタッフとなる決心をした。給料は半減したが、新 しい生活を始めることができた。 養子になる 結婚するとY施設のそばにあるアパートを借りて 新婚生活を始めた。NMさんはそこから幼稚園に勤 務していた。しかし、その結婚した年に妊娠し、年 を越えてすぐに長女を出産した。NMさんは幼稚園 を退職した。2人は貯蓄を切り崩す覚悟でいた。す ると、多額の祝い金が届いた。Iさんの両親からは 母方の祖母からのものが含まれており、NMさんは 養父母だけでなく、実父母からも祝いが届いた。そ の額は2人がこつこつと蓄えた額をはるかに超えて いた。「出産成金だ」とIさんは思ったそうである。 結婚して3年がたつころに、家の姓(苗字)の問 題が出てきた。長女が幼稚園に入る前に、Iさんに 「養子に来て欲しい」という話になったのであった。 相談した上で、IさんたちはNMさんの養父母の養 子となった。実家の隣に家を建てて住んだ。養父母 は、家を継いでくれるならば、IさんがY施設に勤 務すること(収入の低さ)に対して何の文句も言わ ないと、NMさんと約束をしていた。 第3子を出産した後に、NMさんはY施設の系列 施設を手伝い始めた。 その後 1992年になると、Iさんの弟は両親やきょうだい に相談もなく「牧師になる」と決め、3年間勤務し た一流企業を退職し、日本の神学校(修士課程)へ 入学した。弟は、幼いころから学校の勉強がよくで き、九大の理系学部を卒業していた。弟は2年間学 び修士号を取得した上で、1年間のインターンを終 えると、今度はアメリカの神学校へ留学した。そし て、5年後に二つ目の修士号と博士論文を提出する 資格を取得して帰国した。留学先でアメリカ人と結 婚をした。 弟は帰国後、しばらくすると大都会にある教会へ 牧師として招聘され、現在もその教会の牧師を続け ている。途中、何度か渡米して勉強を続け、数年後 に博士号まで取得している。また、キリスト教主義 大学の助教授となり、現在では週2日勤務する教授 である。 1993年に、Iさんの妹が23歳で結婚をした。義弟 は妹より3つ年上で、E教会の教会員であった。彼 も、大学を卒業して会社に勤務していたが、その後、 牧師になるために神学校で学んでいた。 義弟が神学校を卒業して、1年間のインターンを 終えた時に、Iさんの父が亡くなった。義弟はその
まま、インターンをしていた教会で副牧師として就 職する予定であったが、E教会の牧師として母教会 へ戻ってきた。彼(とIさんの妹)は、今もIさん の母と一緒にE教会で働いている。 Ⅲ.考察 テーマ分析をつなげる技法 今回取り上げるIさんは2度にわたって、その事 例を取り上げた(杉原:2006b,c)。IさんはGさん (杉原:2007参照)の友人であり、彼の紹介で自分 史分析を始めた。Iさんの事例は生活史分析ではな く、テーマ分析をいくつか組み合わせて方法でおこ なわれ、それを整理して事例報告をした。前半は、 小学校の常勤講師から作業所の指導員になったこと を中心にした。後半は、中学・高校時代を中心にし た。 ただ、2つの事例報告で述べた分量よりも、筆者 とIさんはもっと多くのインタビューをおこなっ た。また、Gさんから聞いていた話や、NMさんか ら 聞 い た 話 も 含 ま れ て い た。 本 人 か ら の イ ン タ ビューを中心にそれらを整理し、その内容を分析し た。その中で生活史を27のエピソードに分けた(分 け方によっては26から32に分けることが可能であっ た)。 その中で、Iさん自身に4つのエピソードを抽出 してもらいそれを並べた(自分史1∼4)。実際には、 読みやすいようにエピソードの間をダイジェストで 短くまとめたもの「自分史まとめ(1、2)」を入 れた。そうすると、生活史のようにまとめ、考察が できた。 生活史分析としての気づき Iさんは今回の自分史分析で、筆者としては意外 なエピソードの選択をした。しかしながらそれらは 意味のあることであった。全体に流れるテーマは「家 族」のことであり、①「牧師になるべきか」という ことと、②「家の姓(苗字)」のことであった。 1)牧師になるべきか Iさんは母方の祖母の両親がクリスチャンである ので、4代目のクリスチャンである。生真面目な父 親と優しい母親のもとで育ち、自然と「将来は牧師 に」といったレールが引かれているように感じてい た。実際、父親はそのように願っていたし、教会内 外の人から「クリスチャンのサラブレッド」のよう に思われていた。Iさん自身も父親ゆずりの生真面 目な性格であり、また、キリスト教主義の大学で「牧 師子弟の特待生」として学んだ経緯もあった。小学 校の先生になったとしても、将来は牧師となるであ ろうと思っていた。 しかし、NMさんとの結婚を意識する頃から、そ の考えが揺らぎ始める。NMさんはクリスチャンで あるが両親(養父母)はそうではなく、また「資産 家のお嬢さん」でもあったので、貧乏生活はできな いと考えたのであった。ところが、肝心の教員採用 試験に受からないばかりか、校長が受験勉強をさせ るために異動させた障害児クラスの担任になると、 障害児の将来を憂い、そのまま知的障害者の施設で スタッフとして働き始めたのであった。 Iさんはこの人生を「ふらついた」人生であると 思っていた。ところが、自分史分析をする中で、I さんの両親は「人に仕える仕事」を選んだことに対 して、牧師と同等(あるいはそれ以上)の敬意を払っ ていた、ということに気づいた。今回の成果であっ た。 そして牧師の仕事は2人の「弟」が継いでくれた。 実の弟は両親にもIさんにもほとんど相談をせず神 学校へ進み、途中アメリカ留学をはさんで牧師と なった。また、父親が牧会をしていたE教会から神学 校へ入学し、その後E教会の牧師となった人と妹が 結婚した。そして、妹は牧師夫人として、義弟と母 親と一緒に父親の後をついで教会を牧会している。
2)家の姓 これはNMさんとの結婚のことでもあるが、Iさ んは、いったんは結婚後もそのまま自分の姓で通し ていたが、その後、NMさんの養父母の養子となっ た。 これは、弟と妹が牧師と牧師夫人になったことと 無関係でないと気づかされている。この決断のため、 NMさんは肩の荷が下り、また、Iさんは経済的な 心配をしないで、施設のメンバーのことを考えるこ とができるようになった。 自分史分析をすることで、これが正しい結果であ ると確信したそうである。 テーマ分析から生活史分析へ 複数のテーマ分析をつなげ、一つの生活史分析の ようにして自分史分析をおこなうことは、ある程度 の有効性を確認できた。やり方を工夫すれば、現在 よりも手軽に生活史分析に行うことが可能であり、 ほぼ同様の効果を得ることができよう。これら一連 の方法はクライエントベイスドであり、ナラティブ ベイスドの援助として、今後発展する可能性がある と考えている。 工夫する点として、今回の事例では2点あった。 一つは「テーマの選定をクライエントにしてもらう」 ということである。というのは、本事例でもクライ エントが筆者にとって意外なテーマを選んでいたの で、どのように展開するのかが読めなかったが、結 果として、本人にとっては意味のあるテーマを選定 していた。もう一つは、テーマ分析をつなげる時に、 その間を埋める短い生活史の紹介があったほうが読 みやすかった。今回は「自分史まとめ」として2ヶ 所に挿入したが、これは生活史全体を理解する上で、 有効であった。 文 献 杉原俊二(2005a)自分史分析の一考察(Ⅰ)―ナラティブアプローチへの手掛り−.吉備国際大学社会福祉学部研 究紀要,10,81-90. 杉原俊二(2005b)自分史分析に関する一考察(Ⅱ)−生き方を変えるきっかけ−.吉備国際大学保健福祉研究所研 究紀要,6,49-58. 杉原俊二(2005c)対人援助とKJ法.人間科学研究,2,1‐10. 杉原俊二(2005d)対人援助学と自分史分析.人間科学研究,2,11‐20. 杉原俊二(2006a)自分史分析の一考察(Ⅲ)―自分に向き合うことと語り−.吉備国際大学社会福祉学部研究紀要, 11,115-128. 杉原俊二(2006b)ナラティブセラピーとしての自分史分析(Ⅶ)−Tさんの施設長時代.質的研究法,7,2−7. 杉原俊二(2006c)ナラティブセラピーとしての自分史分析(Ⅷ)−Tさんの中学・高校時代.質的研究法,8,2−7. 杉原俊二(2007)自分史分析の一考察(Ⅳ)−生活史分析を用いた援助−.吉備国際大学社会福祉学部研究紀要,12, 23-36. 杉原俊二(2008)自分史分析のフィールドノート(Ⅲ)−山のおばさん移住記より−.人間科学研究,5,(編集中). 渡辺康麿(1990)セルフ・カウンセリング.ミネルヴァ書房(京都). 渡辺康麿(1996)セルフ・カウンセリングの方法.日本実業出版社(東京).