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中 央 地 方 関 係 の 分 析 枠 組

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(1)

一連邦制国家ー—ーアメリカと西ドイツ—|ー

Iフランス︑イギリス︑日本

l

l一章過程論と構造論の総合へ

二国家のシステム︑サプシステムとしての構造的制約

過程論と構造論の総合へ

中 央 地 方 関 係 の 分 析 枠 組

三九

10‑1 ‑39 (香法'90)

(2)

この二〇\三

0

年︑先進産業諸国は︑次々に行財政改革にとりくみ︑地方制度改革を行ってきた︒その内容は︑行

政区画の境界変更から事務配分︑財源配分の変更まで多種多様であるが︑基本的問題意識として共通しているのは︑

福祉国家の在り方すなわち﹁適切な﹂行政規模と供与形態はいかにあるべきかという点である︒

るいは安価な政府時代の必須の行政活動︵国防︑警察︑外交︑刑務︑公物の管理︶にたいし︑福祉国家の進展に伴っ

て追加された︑民間活動を補助促進あるいは規制する行政活動について︑その量と質を再検討しようとするのである︒

これら教育︑医療︑産業︑労働︑公衆衛生などのいわば選択的な行政活動は︑

福祉国家再考の動きが︑中央地方関係の再編につながった所以である︒ つまり︑夜警国家あ

すべて国内政策であり︑その執行の大

半を地方自治体に負う一方︑決定権と財源は中央政府に占められている︒七

0

年代の景気後退を契機として噴出した

本稿は︑現在の中央地方関係の理論を整理検討することによって理論上の研究課題を発見し︑ひとつの新しい展開

を提案するものである︒第一章ではまず︑福祉国家の進展という社会経済環境の共通化が︑各国の歴史およびアング

ロサクソン系・大陸系︑連邦制・単一制という根本的な政治行政制度の違いを越えるまでに拡大し︑先進産業諸国の

中央地方関係論をフェデラリズムあるいは中央集権・地方分権という既存の理論枠組みから︑財源をもつ中央政府と

実際に執行する地方政府の間の﹁相互依存理論﹂へと収敏させていく経緯を明らかにする︒第二章では︑この理論が︑

中央と地方をつなぐ行政制度とこの制度をアリーナとして生じる政治過程の双方を分析対象にする点で︑構造と過程

を架橋する可能性をもつ優れた理論であること︑しかし︑現時点では過程論に傾きがちであり︑﹁相互依存﹂の性質と

程度の理解を可能にするだけの具体性を欠いている点に課題を発見する︒これらの課題に応えるべく第三章では︑新

しい制度論およびネオ・マルキストらの議論を参考に︑制度と国家システムの構造的制約を考慮する必要性について

命 皿 じ ︑

1 11 1

さらに︑これら構造論を相互依存理論にくみこむための作業仮説として︑現在のところ抽象度の高いマクロ・

四〇

10‑1 ‑40 (香法'90)

(3)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー(笠)

レベルで完結している相互依存理論をメゾ・レベルに下げ︑政策過程ごとに生じる構造的制約を︑各政府レベルに適

した政策の類型化および政治過程の類型化に結晶させる必要性と可能性について論じる︒

相互依存理論への収敏

統制と地方自治の間の緊張関係を︑ 中央地方関係の分析枠組みは︑従来︑連邦制をとる国では相互の自律性を︑単一制をとる国では中央による地方の

それぞれ前提として論じられてきた︒

もちろん中央地方制度の分類にはアングロ・サクソン系であるか大陸系であるかという︑もう︱つの大きな枠組み

があり︑以下で述べるように︑同じ連邦制といっても︑原則として政策機能別に立法権と行政権の双方を一体として

政府レベル間で分割するアメリカ型と︑立法権と行政権が中央政府と州政府にそれぞれ大別される西ドイツ型とでは︑

その内容は大きく異なる︒また単一制国家でも︑一九世紀前半に中央地方関係の体系的近代化をはかり︑越権行為︵禁

止︶の法理を軸に双方の関係を法によって厳格に規律してきた英国と︑ナポレオン以来の地方制度をそのままに︑中

間層を加えることでアドホックに近代化に対応してきた結果︑地方名望家中心の非常にからみあった中央地方関係を

つくりだしたフランスとは︑

と親近性があり︑

第一章

かなり異質である︒

むしろ︑現在の中央地方関係に限っていえば︑イギリスは西ドイツ

フランスはアメリカに近いとさえいえるかもしれない︒さらに戦前のフランス型に戦後アメリカ型

を接ぎ木した日本の中央地方関係を加えた場合︑同じ単一制国家でも︑その内容は様々である︒

しかしその実態の多様性にもかかわらず︑少なくともこれまで各国で論じられてきた中央地方関係にたいする基本

的視点は︑連邦制か単一制かによって大きく拘束されてきた︒相互の相対的分離を前提とする連邦制諸国ではフェデ

10‑1 ‑‑41 (香法'90)

(4)

ラリズムが︑中央に対する地方の従属を前提とする単一制諸国では地方分権が︑それぞれ議論の中心だったのである︒

ところが最近になって各国の中央地方関係論は︑連邦制国家・単一制国家ともに︑中央と地方の相互関係の増大を

認識し︑新たに政府間関係論

IGR

という研究領域でうみだされた相互依存理論という新しい視点へと議論の中心を

移しつつある

( I G R

は︑同一レベル政府間の水平的関係も含むが︑本稿では中央地方関係に焦点をあてる︶︒背景に

は各国に共通する福祉国家化︑すなわち行政機能の飛躍的増大がある︒つまり行政量の増加は︑必然的に普遍性の確

保と個別性の確保という行政需要に内在する本来的矛盾を拡げるが︑第二次大戦以降行政量の増加とともに拡大し続

けてきたこの矛盾を最小限におさえるための方策が︑普遍性の確保を任務とする中央と︑地域的個別性の確保を任務

すなわち同一機能にたいして︑中央は財源と決定権を︑地方は執行権と裁量権をふやとする地方の間の機能の共有︑

すこ

とで

あり

その結果相互関係を緊密化することであった︒中央地方関係の緊密化はさらに︑行政機能の多様化専

門化を背景として︑政策領域別あるいは行政機能別に進行し︑政策共同体あるいは政策ネットワークを形成する傾向

にあった︒ここに︑フェデラリズムと中央集権地方分権論というこれまでの制度中心の中央地方関係論の枠組みが︑

相互依存理論へと収敵していくことになる︒断片化した相互関係の緊密化が︑各レベル﹁政府﹂の相対的分離を前提

としてきた連邦制国家には中央統制の増大と下位政府の自治の間の緊張を意識させ︑中央の介入を前提としてきた単

一制国家には︑限られた専門家集団のなかで地方が影響力を行使する余地の増大とともに︑自律的政治機能を備えた

地方﹁政府﹂としての側面を意識させてきたからである︒したがって政府間関係論

IGR

は︑相互依存関係を説明す

る必要に迫られて生まれた研究領域であり︑

IGR

の誕生すなわち相互依存理論の誕生といっても過言ではない︒

以下では︑連邦制国家であるアメリカと西ドイツ︑単一制国家であるイギリス︑

フラ

ンス

日本の政府間関係論を

概観し︑各国の政府間関係は︑現在の制度およびその制度をかたちづくった各国固有の歴史的経緯に大きく拘束され

10‑1 ‑42 (香法'90)

(5)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー(笠)

との水平的権限配分から︑ 税によって支えていたが︑ ︽

アメ

リカ

︱つの大きな流れとして︑相互依存理論への収敏がみられることを明らかにする︒

政府間関係

IGR

は︑州政府および地方政府を中心に運営されてきたアメリカ合衆国が︑第一次大戦︑大恐慌︑第

二次世界大戦を経るなか︑連邦政府中心の国家へと変容する過程で生みだした概念である︒連邦中心国家への変化は︑

連邦歳入の急増とこれを財源とする新政策および州・地方政府への補助金行政の増大︑すなわち福祉国家化というか

たちで現れた︒第一次大戦以前の連邦は︑国防︑外交︑郵便︑年金等の限定された業務を︑関税︑土地の売却︑物品

は財産税から一般消費税へと比重を移し︑地方は財産税を中心に課税し続けたが︑ 一九一三年の所得税の導入によって連邦はその財政力を格段に強化した︒これに対して州

一九

0

年代半ばに初めて連邦政

府の歳入が州・地方政府の歳入合計を上回って以降︑

(4 ) 

七割前後の高率となっている︒

一九四九年から今日まで全政府歳入に占める連邦歳入の割合は︑

IGR

発祥の地アメリカにおいて︑中央と地方の関係は︑ながくフェデラリズムによって理解されてきた︒

フェデ

ラリズムと一口に言ってもその定義は論者によって様々であるが︑大きくはレヤーケーキに喩えられる政府レベルご

一九

0

年代を境に政策機能別の垂直的・融合的権限配分すなわちマーブルケーキ状のフ

エデラリズムヘと変化した︑といえよう︒あるいは連邦と州の自律的関係に軍点をおく伝統的な二元的フェデラリズ

ムから︑連邦・州・地方の相互協力を前提とする協力的フェデラリズムヘの変化ともいわれる︒

しかし︑州政府中心の国家運営が連邦政府中心の国家へと再編されるなかで緊密化した各政府間の関係を︑なおフ 連邦制国家ー—ーアメリカと西ドイツ

ては

いる

が︑

10‑1 ‑43 (香法'90)

(6)

能性が残されている︒ エデラリズムという再編前の状況から生まれた用語で説明するには限界がある︒ここに政府間関係論

IGR

という新

しい用語︑研究領域が誕生する︒︵用語としては︑すでに一九︱︱

1 0

年代後半には登場していたが︑急速に一般化するの

( I G R

諮問委員会︶が設けられて以降である︒︶

ライトによれば

IGR

は︑連邦と州の関係だけでなく︑州と地方および連邦と地方の関係を分析できる点︑法律主

義にとらわれず政策との関連を理解し︑さらにはフェデラリズムに潜在する連邦優位の思考から自由になれる点で︑

(6 ) 

フェデラリズムに取って代わる用語ではない︒要するに

IGR

は︑政治を

明確なかたちで分析の射程にくみこむ点でフェデラリズムと区別されている︒フェデラリズムという用語から連想さ

れる制度研究中心の静態的傾きが︑顕在化した政治的関係の動態を同時に理解しようとするとき妨げになるのである︒

これらの新しい現象をフェデラリズムの枠内にとりこもうとする動き︑あるいは逆にフェデラリ

ズムを

IGR

に解消しようとする考え方もあり︑用語上の区別は必ずしも確定したとはいえないようである︒たとえ ば︑フェデラリズムの変容を端的にあらわしたマーブルケーキあるいは協力的という形容をやや具体的に発展させた ものにピケットフェンス・フェデラリズムがある︒六

0

年代後半から七

0

年代の特徴を垣根に喩えたもので︑縦の杭 に喩えられる︑政策領域ごとに特化した利益をもとめて形成されたネットワークが︑政府レベルごとに共通の利益を 追及する全国的規模の公益集団︵通称ビッグセブンあるいは

P I G S )

を横の杭として互いに支えあい競いあうとい

う状況を説明したものである︒この比喩を広めたライト自身がこれを

IGR

の一類型として紹介しているように︑

I

G

R

とフェデラリズムの境界にはなお曖昧な部分があり︑政治の強調か制度の強調かという程度問題に解消される可

(9 ) 

アメリカにおける

IGR

モデルの代表格は︑ライトの権限重複モデル

( O v e r l a p p i n g

‑ A u t h o r i t y M o d e l )

である︒こ ただし一方では︑ フェデラリズムとは別の分析用語であり︑

ょ ︑

' ︑ ,

一九五九年に

ACIR

四四

10---1~44( 香法 '90)

(7)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー (

の共同事務が導入され︑ マルキストらの登場を待たねばならなかった︒ にして行くなかで︑ したが︑すでにミルズは︑ れは︑連邦︑州︑地方の各政府が互いに管轄を重複させつつ︑対等な権限をもち︑相互に依存しあう関係をモデル化し

たも

ので

アメリカの現状を最もよく描写しうるとされる︒

四五

つまり政府は︑管轄権が融合・重複しているため︑そ

の活動に際して実質的には三レベルの単位が同時に作動する必要がある︒しかし各政府とも管轄権を専有する領域が

部分的であるため︑限定された影響力を補うべく交換と合意によるバーゲニングを行わざるをえないのである︒

IGR

に関連するもう︱つの屯要な研究領域に地域政治研究がある︒地方政府の研究も︑第二次世界大戦後の行動

論革命を背景に︑法律論中心の形式的制度研究から政治中心の研究へと大きく転換したのである︒地域政治研究は︑

ハンターに始まるコミュニティ権力構造論争として一時代を画し︑プルラリズムに代表される多くの理論的業績を残

一九五六年の﹁パワー・エリート﹂で︑地域社会を完結体としてとらえる点に︑地域政治

( 1 0 )  

研究の限界をみいだし︑地域を全国的な政治システムの一単位として認識する必要性を指摘している︒

地域政治をひとつの完結体としてではなく︑国家システムの一部分︑すなわち構造的制約にたいして自らを閉ざす

ことのできない開放系︑

︽西

ドイ

ツ︾

としてみようとするこのような視点は︑連邦の力がさらに増大し︑州や地方との関係を複雑

一層その重要性を増したが︑これが実を結ぶには︑後に詳述するように︑新しい制度論︑ネオ・

ドイツ連邦共和国でも一九六九年の憲法改正によって︑三つの領域︵大学設置や地域経済および農業構造に関する

政策︑教育計画や科学研究施設に関する決定︑住宅や都市開発・都市交通など諸政策への補助金︶で︑連邦とラント

一方では︑地方政府の行政事務がより広域的な上級機関に吸い上げられてきた︒これら一連

10‑‑1 ‑45 (香法'90)

(8)

が増大したことは事実である︒グンリックスによれば︑︵事務と権限を一体として連邦と州の間で分割してきたアメリ カ型の二元フェデラリズムと異なり︶立法権と行政執行権が連邦政府とラント政府に分離している西ドイツ伝統のフ

一九六九年のこの時点で協力的フェデラリズムに転じたのである︒

連邦・ラント・地方政府の協同意思決定︑協同財源によって特徴づけられる︑

結合の強化︑再編は︑

を連邦参議院の州政府代表および各政府レベルの専門行政官に移行させた︒ラント議会には︑予算を承認する以外に 現実的な選択肢は残されなかった︒こうしてアメリカのピケットフェンス・フェデラリズムと同様︑西ドイツでも各

政策領域ごとに中央地方の専門家集団が協力しあうタテ割り構造が生じたのである︒

れを︑政策結合体

( P

o l

i t

i k

v e

r f

l e

c h

t u

n g

とよんでいる︒)

ただし︑ラント政府の代表から構成される連邦参議院の影響力が増大していること︑

地方政府へは直接に補助金は交付されずラント政府を経由して行われていること︑

任をもって︑地方政府には連邦法およびラント法の委任をもって行政を執行せしめるドイツ伝統の委任行政︑

プのいうハイアラーキー型の

IGR

がなお多く存在していること等の点から︑西ドイツの

IGR

は各政府レベル間

( 1 6 )  

の相互依存あるいは互いに意思決定過程の一部分を重複させる方向に向かいながらも︑アメリカほどには錯綜してお

らず比較的︑制度としての連邦制を保っているといえよう︒

以上連邦制国家は︑福祉国家化にともなって生じた︑行政サービスの全国的統一性確保と効率的効果的な行政給付 エデラリズムは︑ る

か ︑

シャー

アメリカと違い連邦政府から さらにラント政府には連邦法の委

シャープやヴェーゲナーらはこ

の動きを︑連邦政府の介入増大とみて自治の空洞化の危機を唱えるか︑ラントおよび地方の政治的活動の拡大を認め

その評価は論者によって様々であるが︑いずれにせよ

F

W

・シャープのいうジョイント・アクション型の

IGR

このような

IGR

の垂直的・機能的

( 1 4 )  

レームブルッフによってエクゼクティヴ・フエデラリズムといわれるように︑

IGR

の主導権

四六

10‑‑1~46 (香法'90)

(9)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘーー(笠)

という矛盾しがちな課題に応じるなかで︑政府相互間の依存度を強めてきた︒

四七

機能別に政府間を縦断する政策共同体の形成として現れたこのような相互依存の高まりは︑しかし︑連邦制の根幹

であった連邦構成州および地方政府の自治との間に緊張を生んでいる︒

アメリカの

IGR

は六

0

年代を境に︑その逆機能を顕在化させた︒ピケットフェンスから一歩進んで︑各政府とそ

( 1 9 )  

の受益団体である輻が連邦政府を中心軸として回転する﹁風車﹂

( P

i n

w h

e e

l p a

t t e r

n ) にたとえられるように︑政策の発

案から財源︑執行の際の規制へと政治行政全般にわたる

IGR

の深化は︑連邦政府による実質的包摂の危機を内包し

ている︒とくに権限が重複し責任の所在さえ明確でなくなったといわれる八

0

年代以降︑この問題は先鋭化している︒

一方︑間接連邦行政システムから相互依存関係に入った西ドイツでは︑直接連邦行政システムから相互依存に至っ

たアメリカほどには

IGR

の相互依存度が深まっていない︒しかしその西ドイツでも︑政府間での機能の共有という

避けがたい流れのなかで︑いかにして責任の所在を明確にたもちつつ︑地方の自律範囲を拡大するか︑更には空洞化

しつつあるラント議会を実質的決定過程にどう組みこんでいくか︑が課題となってい左︒

単一制国家││ーフランス︑イギリス︑日本

単一制国家ではどうだろうか︒

体の政治的機能の増大は︑地方﹁政府﹂の存在を顕在化させ︑ アングロ・サクソン系と大陸系では中央地方関係は異質であるが︑非常に単純化し

ていえば︑分権を前提とする連邦制国家に対し︑集権を前提とする単一制国家にとって︑福祉国家化に伴う地方自治

その結果︑行政関係から分析されてきた中央ー地方関

係に政治的関係の視点を加えることになった︑といえよう︒すなわち︑中央の行政過重の必然的帰結として︑中央・

地方を縦断する行政機能別の政策共同体あるいはネットワークとでもいうべき集団が形成され︑そこに︑自治体が制

10‑1~-47 (香法'90)

(10)

て主に行政を経由して︑イタリアでは政党を主要経路として︑

いわば遠隔操作のかたちで行われる いずれもより直接的なかたちでおこなわれている︒こ

度上の管轄領域内にとどまらず︑全国的政治行政システムのなかで中央に対しても実質的な影響力を及ぼす余地が生

まれてくる︒イギリスを除く大陸諸国の中央・地方関係でつねに言及されてきた中央から地方への影曹カルートが︑

もち

ろん

逆方向にも用いられている事実が指摘されるようになったともいえよう︒

︵ 翌

ペイジとゴールドスミスが指摘するように︑同じ単一制国家でも︑

うに地方に対する後見的監督を伝統にもつ後発福祉国家と︑自律的地方政府の伝統をもち早くから福祉政策に着手し

たイギリスやスカンジナビア諸国とでは︑中央と地方の関係も大きく異なってくる︒

ートは様々である︒英国・スカンジナビア諸国のルートが地方政府の全国組織を主要チャンネルとする間接的なもの

であるのにたいし︑

れは︑中央から地方への規制が︑英国やスカンジナビア諸国では法規に則って︑

のにたいし︑南部ヨーロッパ諸国では︑早い段階から細かい部分に個別的なかたちで行われがちであるという事実と

表裏をなしている︒次に単一制国家について概観してみよう︒

︽フ

ラン

ス︾

フランスでは︑既にタローの研究にも明らかなように︑官職兼任制

c u

m u

l d

e s

  m a

n d

a t

s を要とし

フランスの中央地方関係は︑ジャコビニズムの伝統のもと︑

って長く独占されてきたこの研究領域に︑

されたことによって︑これら通説に修正が加えられた︒ フランス・スペイン・イタリアのよ

とりわけ中央と地方をつなぐル

ナポレオン以来の官選知事制度に代表される︑強固な 中央政府と集権化された行政システムとによって特徴づけられてきた︒しかし一九六

0

代︑

それまで法律学者によ

クロジェ率いる組織社会学派の観点︑あるいは英米の政治学の観点が導入

システムの形式にとどまらず︑実際の作用にも注目すること

四八

10‑‑1 ‑‑48 (香法'90)

(11)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー(笠)

しか

し︑

イヴ・メニィやキーティング︑

村︶の首長を︑

四九

コミューン・県・レジョンの決定に で︑中央政府の実質的な決定に及ぼす地方政府の影響力は︑他国よりむしろ大きく︑政治的分権性・相互浸透性に優

( 2 4 )  

れていることがあきらかになったのである︒

( 2 5 )  

フランスにおける中央ー地方のチャンネルは︑強力な﹁政策ブローカー﹂すなわち︑その六割がコミューン

( 2 6 )  

八割が地方議員を兼任する︑国会議員兼地方名望家によって独占され︑政党には殆ど実質的な資源配

分機能は残されていない︒(‑九八二年までは︶国の行政官であった知事と︑中央の出先機関と上記の国会議員らが複

雑に絡みあって﹁ハチの巣構造﹂を形成している︒したがってフランス政府においては︑特定のチャンネルでのみ決

( 2 8 )  

定を行うのは例外であり︑相互依存・相互介入と仲裁を必要とするのが通例である︒

第三•第四共和政のもとで形成されてきたこのような相互依存の増大は、しかし︑第二次世界大戦以降︑日本に次

( 2 9 )  

いで急速に進んだ都市化に応ずべく試みられた地方制度改革の努力を阻んできた︒改革は︑

会党政権の誕生によってようやく実現する︒

督の廃止を目的とした︑

コミ

ュー

ン︑

県︑

一九八一年ミッテラン社

レジョンの自治権を保障し︑中央政府による後見的監

( 3 0 )  

一九八二\八三年のいわゆる﹁分権法﹂がそれである︒主な改革点としては︑国の代理人と

しての官選知事を廃し︑直接公選による県議会の長に行政執行権を移したこと︑

あらかじめ中央の同意や承認を求める後見的監督を廃し︑必要な場合のみ法律に基づく事後審査を行うようにかえた

こと︑事務権限を原則的に財源と共に国からコミューン・県・レジョンに配分したこと等があげられる︒

ヘインズワースは︑これらラジカルな改革にもかかわらず︑中央地方関係

に生じた実質的な変化はわずかであったと結論づける︒その理由として彼らは︑何よりも地方名望家中心の権力構造

の基盤となっている

c u

m u

l d e

s   m

a n

d a

t s

が全く手付かずに温存されていること︑事前審査と事後監査を区別する保障

がなく︑大蔵をはじめとする中央省庁の事前介入が依然として続いていること︑国の代理人としての知事の廃止も都

︵市

10‑1 ‑49 (香法'90)

(12)

中央地方関係が改めて注目されるようになったのは︑ 市化・工業化の進んだ大規模県では成功したものの︑地方では中央省庁による実質的な支配が残っていること︑事務権限配分も中央の拒否にあって進まない等の現状を列挙している︒したがってメニィによれば︑改革後も従来のフランスの中央地方関係の特性︑浸透性が高いこと︑相互間の連携も不十分であるという状況は︑何ら変わっていないという︒秩序︑機能的分権化といった社会主義者の当初の主張は︑︽

イギ

リス

すなわちシステムの集権性・階統性が高いこと︑政治行政の両面で人的・制度的な相互

さらに︑地方政府システムが依然農村型にとどまり産業化・都市化に適応しておらず︑地方政府

キーティングとヘインズワースも︑新経済

その成果からみれば非常に限定されたものにとどまり︑

イギリスの中央地方関係もフランスと同様︑最近になってその評価が争われている︒早くも一九世紀前半には︑改

( 3 2 )  

正救貧法や都市団体法に代表される諸改革によって産業化・都市化に応じた中央地方制度を整備したイギリスは︑中

央の出先機関が少なく︑教育・警察を除く大半の公共サービスが地方自治体で執行され︑その際サービス提供の方法

について地方は広く裁量権を認められていることから︑分権の進んだ国として理解されてきた︒そのためかイギリス

( 3 3 )  

では自国の中央地方関係を論じることが他の単一制国家に比べて少なく︑その少数も制度や手続きに焦点をあてて論

じるものであっ応︒ ステムはなお︑相互依存状態にある︑と指摘している︒

一九七三年のオイル・ショックに始まる経済衰退のなかでイ

ギリス政府のとった地方改革が︑ほぼ同様の経済状況にあった西欧各国のなかで際立って中央集権的であったためで

ある︒補助金の大幅削減︑地方税︵レイト︶の自主課税権の制限︑大都市圏政府

( G L C

M

M C )

の廃止は︑アシ 五

10‑1 ‑50 (香法'90)

(13)

中央地方関係の分析枠組—過程論と構造論の総合ヘー(笠)

︽日

本︾

ュフォードや

L

Jシャープが中央と地方の政治的分離あるいはブルピットが二重政依として要約する︑

断片化し︑中央政府として一体化を欠いていることも︑ 央地方関係の政治的関係の希薄さを浮き彫りにした︒さらに中央地方関係の中心をなす行政的関係が中央省庁ごとに

アシュフォードやスミスによって示された︒

中央による介入の防波堤として評価されてきた︑越権の法理に代表される法規中心の厳格で間接的な行政統制とそ の基盤となった中央と地方の政治的分離は︑福祉国家化にともなう行政機能拡大のなかで次第に︑中央と地方の意思

一九七六年のレイフィールド報告や一九七八年から一九八四年にかけ ておこなわれた社会科学調査会議

( s . s . R . C )

すでに七

0

年代半ばま

( 3 9 )  

でに中央地方関係はかなり複雑化し︑政策形成の主要スタイルは政策共同体へと変化しつつあったが︑一九世紀の行 政需要に合わせてつくられた統治構造は︑その精密さのゆえに行政環境の変化に柔軟に対応することができなかった

ので

ある

の研究プロジェクトに示されるように︑

イギリス中 スチュアートは︑財政危機にはじまる中央の地方への積極的介入によって生じた中央と地方の紛争をとおして︑

( 4 0 )  

ギリスの地方自治体は︑単なるサービス提供者の地位を脱し︑政治制度としての実質を備えた地方﹁政府﹂に転じた というが︑ここに中央集権と地方分権が同時に進行するという従来の枠組みにはおさまらない現象︑すなわち

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ローズがイギリスを事例として相互依存理論を生みだす土壌がととのえられたといえよう︒

を焦点に︑行政事務の再配分について展開されるこれらの議論は︑非常に精緻な法律論であったが︑

戦後日本の中央地方関係は︑行政法の領域を中心アリーナに﹁地方自治﹂論として論じられてきた︒機関委任事務

その視点が行政

疎通を阻む硬直性とみなされるようになった︒

10‑1 ‑51 (香法'90)

(14)

すべきであると主張するが︑ 制度を中心とし︑政治的関係を意識的には論じてこなかった点で︑六

0

年代以降しだいに政治化する中央地方関係を

全体として理解するための枠組みとしては適切さを欠くことになる︒

0

年代の高度経済成長にともなう社会経済構造の変化は︑

自民党の包括政党化︑ たとえば新中間大衆の登場に象徴されるよう価値観を

多様化させ︑あるいは利益集団の急増とその活発な活動に示されるように資源を多様化させ︑その結果政治過程を徐々

( 4 2 )  

に多元化した。一方、六0年代半ばには高度成長のひずみが顕在化し、公害•福祉問題への要求が高まった。六0年

代後半から七

0

年代前半にかけて︑中央政府レベルの保革伯仲︑地方自治体レベルでの革新自治体の台頭として表面

化したこれらの新しい行政需要は︑その後革新自治体の挫折によって︑自民党の手で担われていく︒結果から見れば︑

一党優位体制の確立の過程は︑行政国家︑福祉国家への道でもあったのである︒

このような現象を背景に︑地方自治論の分野でも︑地方自治体の政治的機能を認識し﹁地方政府﹂として位置付け

ようとする議論が現れる︒井出嘉憲は一九七二年に︑地方自治体は単なる行政的存在以上のもの︑

府と目されるべきであること︑

一方︑地方自治体の すなわち地方の政

そして戦後二

0

年にわたる自治体の行政管理技術の整備・合理化すなわち﹁経営化﹂

と都市部に著しい﹁政治化﹂は︑すでに地方自治体を単なる行政事務団体ではなく︑行政サービス機能と政治機能の

双方を備えた︱つの統治体と見なすことを可能にしたと述べていが唸

︵中央に対する︶政治的影響力の高まりを認めながらも︑地方政府というにはなお不十分であ

るとする研究もある︒﹁政府間関係﹂研究集団︵代表二四尾勝︶は︑その団体名にもあるように︑地方を自律的政治主

体である政府として認め︑国と自治体が意見調整をおこなう調整型の中央地方関係︑すなわち﹁政府間関係﹂を確立

一九八三年の段階ではこれを将来への課題としている︒地方に政治を発見し︑政策面で

の地方の先進性を認めながらも︑高度経済成長期を通じて行われた中央省庁の出先機関と特殊法人の濫設︑機関委任

10‑‑‑‑1 ‑52 (香法'90)

(15)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー(笠)

事務や補助金行政の膨張は︑自治体の中央への依存体質を高め︑総合的に見れば逆に地方政府というあるべき姿から 遠ざける結果をまねいたと考えるからである︒ここでは︑高度経済成長期の中央地方関係は︑新中央集権体制という

( 4 4 )  

ことばで要約される︒

しかし︑行政的関係に視野を限定せず政治的関係を含めて中央と地方の関係を理解しようとする点︑

おいて地方自治体が地方政府として機能する方向に向かいつつあるとする点で︑これらの研究は認識を共有している︒

( 4 5 )  

現状評価の高低は別にして︑福祉国家の進展は︑少なくとも研究の場においては﹁地方政府﹂という用語で論じられる

ほどに地方自治体を変化せしめたといえよう︒

要するに︑高度成長期に代表される行政機能膨張の時代は︑中央政府の権限を増大させる点で集権化を進める一方︑

地方の執行力を強め︑裁量の余地を広げる点で分権化を進めることになったのである︒ここに︑中央集権と地方分権 を両極とするゼロ・サム的分析枠組みの限界が認識される︒従来の権限の多寡にもとづく一元論を生んだ行政状況︑

すなわち行政機能が限定され中央と地方が比較的分離して存在しえた時代は終わり︑中央政府と地方政府の相互依存

( 4 6 )  

関係が広く認識されるようになったのである︒西尾勝︑大森禰︑寄本勝美︑新藤宗幸が指摘するように︑現代国家の 地方自治をめぐる中心論題は︑中央地方の事務配分および財政関係がともに分離型から融合型へ向かうなかで︑

( 4 7 )  

にして中央と地方のバランスをはかるかに移ったといえよう︒この共通の理解の延長線上に︑中央地方の融合関係を

( 4 8 )  

体系的に理解しようとする相互依存理論が登場してくることになる︒

以上

︑ 五つの先進産業諸国においては︑個々の地理的歴史的諸条件によって各国固有の制度あるいは慣行を基盤に もちながらも︑中央政府と地方政府の相互依存の高まりという共通の現象が認められる︒

し)

および日本に

10‑I ‑53 (香法'90)

(16)

この背景を改めて整理するなら︑最も基本的な点は︑これらの諸国が経済制度においては資本主義を︑政治制度に

おいては民主主義をとっており︑従ってつねに正統化の機能と蓄積の機能のバランスをはからねばならなかったこと

( 4 9 )  

である︒オコナーやベルがいうように︑現代国家は︑これら矛盾しがちな二つの機能を同時に果たさねばならず︑資

本蓄積の増大は正統化すなわち行政機能の拡大を導出するからである︒もちろん資本主義の発達が︑論理必然的に福

( 5 0 )  

コヘインがいうように第二次大戦以降の

リカの覇権とその自由主義イデオロギーの存在が重要ではあっただろう︒しかし二度の世界大戦から歴史的教訓を学

んだ主要産業諸国にとって︑資本主義の発展に応じて正統性を担保する方策についての選択肢は非常に限られており︑

その意味で福祉国家は歴史的必然であったということができよう︒

福祉国家化にともなう行政機能の膨張は︑資本主義と民主主義をとる国家の行政に内在する本来的矛盾すなわち民 主性と効率性の間の緊張を高める︒この緊張を弱め矛盾を最小限におさえるために︑行政の統一性および全体の均衝

を担保する中央政府と行政の地域的個別性を担保する地方政府は︑互いに関係を緊密化し︑監督とフィードバックの

回路を増やしていく︒双方向に機能する回路数の増大によって︑中央においては画一性と硬直性を︑地方においては

経済的非効率を回避しようとするのである︒ここに中央政府と地方政府の相互依存関係が成立する︒

ところで︑中央と地方の相互依存の深化は︑行政機能の拡大と各機能の専門分化と相侯って︑共通の専門知識を有

する人々からなる政策ネットワーク︑そこへの参入資格がより厳密な場合には政策共同体といわれる集団を作り出し

( 5 1 )  

ていく︒国によって政策共同体の状況は様々であるが︑政策の全サイクルに関与する政策共同体の濫立とその内部に

おける中央地方の相互依存は︑いきすぎると︑中央政府の断片化ひいては総体としての行政機能の低下︑行政責任の

曖昧化をまねき︑正統化という所期の目的とは逆に国家の一体性を脅かす危険性も牢んでいるのである︒従って中央 ︵西側︶国際経済システムの構築にはアメ祉国家を生み出すわけではない︒

五四

10‑1 ‑54 (香法'90)

(17)

中央地方関係の分析枠組一過程論と構造論の総合ヘー

( l

)

欧米諸国の事例は

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に詳しい︒日本では︑昭和六一年に機関委任事務の一部団体事務化を行っ

( 3 )   ( 4 )   ( 5 )   ( 6

)   ( 7 )  

( 2 )

西尾勝﹁地方自治と行政﹂西尾勝/大森禰/寄本勝美/新藤宗幸︑著﹃自治行政要論﹄一九八六年

アングロ・サクソン型と大陸型の地方自治の類型化とその比較は︑同上二〇\二六頁に詳しい︒

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であるが︑変質は︑一八八二年モリル法︑一八八七年ハッチ法によるカテゴリカル・グラントシステムの設立に始まり︑

その後ニューディール期に金額の急増︑地方政府への直接補助︑連邦最高裁での合憲判決を経て︑ジョンソン政権下での﹁偉大な

社会﹂プログラムによって頂点に達する︒ニクソン政権以降﹁新連邦主義﹂の名のもとに縮小がはかられているが︑連邦議会の反

対で難航している︒B

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の訳語は︑連邦主義︑連邦制ともにイデオロギーあるいは制度に傾くため訳出しない︒

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( 8 )   ( 9 )  

今後の課題を検討する︒

有斐閣選書

五五

このような観点に立って主な相互依存論を整理し︑

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. その後の研究でも基本モデルとして位置づけられている︒たとえばJ

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第一法規

10

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︵ 上 ︶

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次章以下では︑

その利 地方関係の分析枠組みは︑現状の説明力ばかりでなく︑価値観を異にする論者の間で適切な均衡点についての議論を

10‑1‑55 (香法'90)

(18)

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56. 

(二)Fritz W. Scharpf "The Joint‑Decision Trap‑lessons from German Federalism and European Integration" Public Admin 

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参照

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