[論文]
菩 の世間観察について
天 野 信
On the Bodhisattva’s Investigation of the World
Amano, Shin
This paper is an analysis on the accounts found in the Buddha’s biographical texts of the Bodhisattva’s investigation of the world. Those accounts narrate that the Bodhisattva residing in the Tuṣita heaven made the preliminary examination of the world to which he would be born into as the future Buddha. First, the accounts of the Mahāvihāra tradition of the Theravāda school are found in the Pāli commentaries, the main texts being the Jātaka-aṭṭhakathā (the Nidānakathā) and the Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā. Through close examination, it is apparent thatthe role of these descriptions is to demonstrate the ideal of “the common career for all Buddhas”. This ideal appears frequently in Northern Buddhist texts, which is fixed with the ideology of the Seven Former Buddhas in the Mahāpadānasuttanta and its Sanskrit and Chinese version.
Through this analysis it can be concluded that the Bodhisattva’s investigation of the world within the Buddha’s biographical texts presuppose the ideology of the Seven Former Buddhas. This matter can also be understood as being closely related to “the Future Buddha Maitreya who resides in the Tuṣita heaven”.
はじめに
釈尊の生涯の事蹟を記載する仏教文献には,前生において,釈尊が兜率天 (skt.: Tuṣita; pāli: Tusita)に在住する菩 であった時,将来,自身が人間界に
誕生する際の世間について観察を行うという内容のエピソード(以下「菩 の世間観察」とする)を含むものが複数存在する。 菩 の世間観察で述べられる「兜率天」とは,天界の中で,六欲天の第四 位となる空居天に位置する世界であり,かつて釈尊が在住した場所としてだ けではなく,未来仏である弥勒が在住する場所としてもひろく知られてい る。しかし,この記事を詳細に調査すると,過去仏と兜率天との関連性が明 確になる。すなわち,兜率天とは,釈尊以前の時代に存在したとされる過 去仏たちも在住していた場所であることを記載する文献が存在するのであ る(1)。なお,上座部大寺派では,菩 の世間観察は,聖典(経・律)には存 在せず,註釈書に伝承されている。 本稿では,まず,上座部大寺派所伝となるパーリ註釈書における菩 の世 間観察について考察し,この記事が,大本経と呼ばれる一連の経典におい て,過去七仏思想を前提として確立された「すべてのブッダの生涯は共通す る」という概念を示す役割を担うものであることを明確にする。 一方で,上座部大寺派と同様の傾向が,北伝の仏教文献における菩 の世 間観察にもみられることを指摘する。さらには,菩 の世間観察が,過去仏 だけではなく,未来仏である「兜率天に在住する弥勒」に関連することにつ いても言及する。 本論に入る前に,大本経と呼ばれる一連の経典を列挙しておこう。本稿で は,下記の文献を総称する際,大本経と表記する(2)。
・Mahāpadānasuttanta, Dīghanikāya, vol. 2, PTS, pp. 1‒54.(上座部大寺派帰属) =MAP
・The Mahāvadānasūtra A New Edition based on Manuscripts discovered in
Northern Turkestan, T. Fukita (ed.), Göttingen, 2003. (説一切有部帰属)=MAV
・『長阿含経』巻1「大本経」仏陀耶舎・竺仏念訳(412∼413年訳出,T1, no1, pp. 1b‒10c)(法蔵部帰属)=『大本経』
1.パーリ註釈書における菩 の世間観察
上座部大寺派所伝の文献で,菩 の世間観察を記載するのは,ジャータカ 註の冒頭に収録される Nidānakathāと(3),ブッダゴーサ(五世紀)の著作と される長部註に収録される Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā となる(4)。なお, 前者は釈尊の事蹟を述べたものであるが,後者は MAP に記載される過去仏 (ヴィパッシン仏)の事蹟を註釈対象としている。 まず,Nidānakathā の第二章「遠くない因縁(Avidūrenidāna)」冒頭部分に ある,釈尊の前生における兜率天での事蹟を確認していこう(5)。 【資料1】Tusitapure vasante yeva pana Bodhisatte Buddhahalāhalaṃ nāma udapādi. Lokasmiṃ hi tīṇi halāhalāni uppajjanti: Kappahalāhalaṃ Buddhahalāhalaṃ Cakkavattihalāhalan ti. (Jātaka, vol. 1, PTS, p. 47)
さて,菩 が兜率天の都に住んでおられたとき,「仏の騒動」というもの が発生した。というのは,世間には,三つの騒動[すなわち]「劫の騒動」 と「仏の騒動」と「転輪聖王の騒動」が発生するからである。(6) このあと,まず「劫の騒動」として,十万年後に劫の交代があり,現在の世 界が消滅することが語られている(Jātaka, vol. 1, PTS, pp. 47‒48)。次に「仏 の騒動」が,以下のように語られる。
Vassasahassassa accayena pana sabbaññu-Buddho loke uppajjissatīti lokapāla-devatā: ito mārisā vassasahassassa accayena Buddho loke uppajjissatīti
ugghosentā āhiṇḍanti. Idaṃ Buddhahalāhalaṃ nāma. (Jātaka, vol. 1, PTS, p. 48) 「また,千年の後にはすべてを知る仏が世に出現されるでしょう」といっ て,世界を守護する神々が,「みなさん,これから千年の後に仏が世に出 現されるでしょう」と叫びながら徘徊する。これが「仏の騒動」というも のである。 このあと,「転輪聖王の騒動」として,百年後に転輪聖王が世に出現するこ とが語られる(Jātaka, vol. 1, PTS, p. 48)。その次に,「仏の騒動」について, 以下の内容が語られている。
Tesu Buddhahalāhalasaddaṃ sutvā sakaladasasahassacakkavāle devatā ekato sannipatitvā asuko nāma satto Buddho bhavissatīti nātvā taṃ upasaṃkamitvā āyācanti, āyācamānā ca pubbanimittesu uppannesu āyācanti. Tadā pana sabbāpi tā ekekacakkavāle Cātummahārāja-Sakka-Suyāma-Santusita-Paranimmitavasavatti-Mahābrahmehi saddhiṃ ekacakkavāle sannipatitvā Tusitabhavane Bodhisattassa santikaṃ gantvā mārisā, tumhehi dasapāramiyo pūrentehi, na Sakkasampattiṃ na Māra-Brahma-Cakkavatti-sampattiṃ patthentehi pūritā lokanittharaṇatthāya pana sabbaññutaṃ patthentehi pūritā, so vo dāni kālo mārisa Buddhattāya, samayo mārisa Buddhattāyā ’ti yāciṃsu. (Jātaka, vol. 1, PTS, p. 48)
このなかで「仏の騒動」の声を聞くと,一万の大世界の神々が一堂に会 し,「しかじかというかたが仏になられるだろう」ということを知って, その人の所へ行き[仏となられることを]懇願した。懇願するにも,前兆 が現れてから懇願するのである。そこで,神々はこぞって各自の大世界の 四大王天,サッカ(帝釈天),スヤーマ(蘇夜摩天),サントゥシタ(刪兜 率天),ニンマーナラティ(化楽天),パラニンミタヴァサヴァッティン (他化自在天),マハーブラフマー(大梵天)たちとともに,ある一つの大 世界に集合してから,兜率天の菩 のもとへ行き,「わが友よ,あなたは 十波羅蜜を満たしていますが,[それは]サッカになることや,悪魔,梵
天,転輪聖王になることを求めて満たしたのではなく,世間の救済を目的 として,すべてを知る者となることを求めて満たされたのです。わが友 よ,いまこそあなたの仏位のための時です。わが友よ,仏位のための時期 です」と懇願した。
しかし,菩 は,神々の懇願をすぐには受け入れず,以下の行動をとる。
Atha Mahāsatto devatānaṃ patiññaṃ adatvā va kāladīpadesakulajanettiāyuparicch-edavasena pañcamahāvilokanan nāma vilokesi. (Jātaka, vol. 1, PTS, p. 48) そこで大士は,神々に承諾を与えないまま,「時節」「洲」「地域」「家」 「生母・寿命」の区分による五大観察というものを行った。 このあと,以下の五項目について,菩 の世間観察が行われる(Jātaka, vol. 1, PTS, pp. 48‒49)。 ⑴ 時節(kāla) 人間の寿命が十万歳以下で百歳以上の時代が適時。釈尊の 時代は百歳。 ⑵ 洲(dīpa) 諸仏は四洲のうち閻浮提にのみ生まれかわる。 ⑶ 地域(desa) 中央地方にある小さな都,カピラヴァットゥ。 ⑷ 家(kula) 諸仏は世間で尊敬される家(王族かバラモン)に生まれ る。今は王族が尊敬されている。 ⑸ 生母 (janettī) と寿命(āyu) 波羅蜜を満たした母。王妃マハーマーヤー。 彼女の寿命は十か月と一週間。 上記の観察内容について,⑵以外は,MAP に同内容の記述が存在する。そ の詳細については後述する。世間観察を終えたあと,菩 は,仏になること を懇願する神々に承諾を与え,仏になるべく,兜率天より没して,母の胎内 にて生を享けることになるのである(Jātaka, vol. 1, PTS, pp. 49‒50)。
では次に Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā の内容をみていこう。先述したよ うに,ここでの記述内容は,MAP 所載の過去仏の伝記である「ヴィパッシ ン仏伝」の事蹟に対する註釈となる。まず,註釈対象となる聖典の記述を確 認しておく。
【資料2】
Atha kho bhikkhave Vipassī Bodhisatto Tusitā kāyā cavitvā sato sampajāno mātu-kucchiṃ okkami. Ayam ettha dhammatā. (MAP, p. 12)
さて,比丘たちよ,ヴィパッシン菩 は兜率天から死没したあと,正念, 正知し[た状態で],母胎に入ったのである。ここに,この法則がある。 このあと,菩 の入胎から出胎までの出来事が「法則(dhammatā)」(7)であ るとして順次述べられていく(MAP, pp. 12‒15)(8)。この用語と「七仏の事 蹟」によって(9),大本経では過去七仏の生涯の事蹟が法則化され,「すべて のブッダの生涯は共通する」という概念が確立されることが明らかとなって いる(10)。 なお,ニカーヤにおいて MAP とほぼ同文となる菩 誕生記事を保存する のが,Acchariyabbhutadhammasutta(MN. vol. 3, PTS, pp. 118‒124)であるの だが,この経典の菩 誕生記事も,MAP と同様に,「七仏の事蹟」を前提と したものである(11)。 それでは以下に【資料2】についての註釈内容を挙げていく。既に確認し た Nidānakathā の【資料1】とは内容にかなりの異同があるので,そのこと を確認しながらみていこう(12)。 【資料3】
Okkamī ti iminā c’ assa okkanta-bhāvo va pāḷiyaṃ dassito na okkamanakkamo. So pana yasmā Aṭṭhakathaṃ ārūḷho tasmā evaṃ veditabbo. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 427)
「[母胎に]入った」については,この[正念,正知した]ことによって, [母胎に]入った状態は,パーリ(聖典)に説示されているのだが,[母胎 に]入る順序は説示されていない。しかし,そのことは,アッタカター (註釈)に[説明が]あり,そのため,以下のように理解することができ る。 はじめに,ここでの註釈内容が,別に存在した「註釈」の説明を参照してい ることが述べられている(13)。そして,以下のことが語られる。 【資料4】
Sabba-bodhisattā hi sama-tiṃsa-pāramiyo pūretvā pañca-mahā-pariccāge pariccajitvā ñāt’ attha-cariyā-lok’ attha-cariyā-buddhi-cariyānaṃ koṭiṃ patvā Vessantara-sadise tatiye attabhāve ṭhatvā satta-mahā-dānāni datvā sattakkhattuṃ paṭhaviṃ kampetvā kālaṃ katvā dutiya-citta-vāre Tusita-pure nibbattanti. Vipassī Bodhisatto pi tath’ eva katvā Tusita-pure nibbattitvā saṭṭhi-sata-sahass’ ādhikā satta-paṇṇāsa-vassa-koṭiyo tattha aṭṭhāsi. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 427) すべての菩 は,ちょうど三十の波羅蜜を満たし,五大遍捨を行い親族へ
の利行,世界への利行,仏行の頂点を得,ヴェッサンタラのような第三の 自体にとどまり,七大布施を行い,七度,地を震動させたあと,死去し,
第二心分に兜率天の都に生まれた。ヴィパッシン菩 も,そのようにし
て,兜率天の都に生まれ,五億七千六百万年の間,そこにとどまった。
Aññadā pana dīgh’ āyuka-devaloke nibbattā bodhisattā na yāvat’ āyukaṃ tiṭṭhanti. kasmā? Tattha pāramīnaṃ duppūraṇiyattā te adhimutti-kāla-kiriyaṃ katvā manussapathe yeva nibbattanti; paramīnaṃ pūrentā pana yathā idāni ekan’ attabhāvena sabbaññutaṃ upanetuṃ sakkonti, evaṃ sabbaso pūritattā tadā Vipassī Bodhisatto tattha yāvat’ āyukaṃ aṭṭhāsi. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 427) しかし,別のときに長寿の天界に生まれた菩 たちは,寿命の限りとどま
らなかった。なぜか。そこでは,諸波羅蜜が満たされ難かったからであ る。かれらは,志向による死去を行い,人間道にのみ生まれた。しかし, 波羅蜜を満たす場合,今,一自体によって一切知性を導くことができるよ うに,そのように完全に満たされていることから,そのとき,ヴィパッシ ン菩 は,そこで寿命の限りとどまったのである。 【資料3】【資料4】の内容は Nidānakathā には存在しない。また,以下の 【資料5】については,Nidānakathā の【資料1】に同内容の記述が存在す る。しかし,【資料5】の直前の箇所には,ヴィパッシン菩 の兜率天にお ける死没の前兆としての「五の前兆(pañca-pubbanimitta)」が詳細に語られ ている(14)。(Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, pp. 427‒428)。この「五の前兆」に ついて Nidānakathā には記載がない。 【資料5】
Vipassī Bodhisatto pi tāni pubba-nimittāni disvā: Idāni anantare attabhāve Buddho bhavissāmi ti, na bhāyi. Ath’ assa tesu nimittesu pātubhūtesu dasa-sahassa-cakkavāḷa-devatā sannipatitvā: Mārisa, tumhehi dasa-pāramiyo pūrentehi na Sakka-sampattiṃ na Māra na Brahma na Cakkavatti-sampattiṃ patthentehi pūritā, loka-nittharaṇ’ atthāya pana buddhattaṃ patthayamānehi pūritā, so vo idāni kālo mārisa buddhattāya, samayo mārisa buddhattāyā ’ti yācanti. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 428) ヴィパッシン菩 もまた,それらの前兆を見て,「今,この直後の自体に おいて,私は仏となるであろう」と恐れなかった。そして,それらの前兆 が現れると,一万の鉄囲山の神々が集合し,「わが友よ,あなたは,十波 羅蜜を満たしていますが,[それは]サッカになることや,悪魔,梵天, 転輪聖王になることを求めて満たしたのではなく,世間の救済を目的とし て,仏位を求めつつ,満たされたのです。わが友よ,今こそあなたの,仏 位のための時です。仏位のための時期です」と[ヴィパッシン菩 に]懇
願した。
このあとは,先述した Nidānakathā の内容と同様に,菩 は,神々の懇願を
すぐには受け入れず,以下の行動をとる。
Atha Mahāsatto tāsaṃ devatānaṃ patiññaṃ adatvā va kāla-dīpa-desa-kula-janetti-āyu-pariccheda-vasena pañca-mahā-vilokanaṃ nāma vilokesi. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 428) そこで大士は,かの神々に承諾を与えないまま「時節」「洲」「地域」「家」 「生母・寿命」の区分による五大観察というものを行った。 このあと,以下の五項目についての世間観察が行われる(Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 428)。先述した Nidānakathā の世間観察と同形式のものとなっ ている。 ⑴ 時節(kāla) 人間の寿命が十万歳以下で百歳以上の時代が適時。ヴィ パッシン仏の時代は八万歳。 ⑵ 洲(dīpa) 諸仏は四洲のうち閻浮提にのみ生まれかわる。 ⑶ 地域(desa) 中央地方の都。ヴィパッシン仏の時代はバンドゥマティー という都。 ⑷ 家(kula) 諸仏は世間で尊敬される家(王族かバラモン)に生まれる。 今は王族が尊敬されている。バンドゥマー王が父。 ⑸ 生母 (janettī) と寿命(āyu) 波羅蜜を満たした母(王妃)。彼女の寿命は 十か月と一週間。 さて,上記の五大観察の内容は,⑵以外は MAP にある記述と内容的に一致 する。五大観察のうち⑴⑶⑷については,MAP における「七仏の事蹟」に 含まれる内容と一致する。そして⑸は,MAP における「ヴィパッシン仏伝」
にある菩 誕生記事に同内容の記述が存在する(MAP, pp. 12‒15)。ここで も【資料2】と同じく「法則(dhammatā)」という用語で事蹟が語られるの である(15)。以上のことは先述した Nidānakathā における五大観察についても 同様のことがいえる。 Nidānakathā と同じく,世間観察をおこなった後,ヴィパッシン菩 は, 仏になることを懇願する神々に承諾を与え,仏になるべく,兜率天より没し て,母の胎内にて生を享けることになる。(Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 430)。しかし,そのあと,以下に挙げるマハーシーヴァ長老の言葉が紹介さ れている(16)。これも Nidānakathā には存在しない記述となる。 【資料6】
Tipiṭaka-Mahāsivatthero pana āha: Mahāsattānam paṭisandhi na aññesaṃ paṭisandhi-sadisā, koṭi-ppattaṃ tesaṃ sati-sampajaññaṃ… (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 430) 三蔵[を熟知する]マハーシーヴァ長老は[以下のことを]述べた。「大 士たちの結生(再生)は,他の者たちの結生と等しくはない。彼らの正 念,正知[による結生]は,終点を得たものである… そして以下の記述によって,釈尊と過去仏との事蹟が同一であることが語ら れている。 【資料7】
Yathā ca amhākaṃ Bhagavā evaṃ so pi Āsāḷhi-puṇṇamāya Uttarāsāḷha-nakkhatten’ eva paṭisandhiṃ aggahesi. (Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, p. 431) 我々の世尊(釈尊)と同じように,彼(ヴィパッシン菩 )もまた,アー
サーリー満月の星祭によって結生(再生)を得たのである。
て,その内容を確認した。ここまでの調査の結果を以下にまとめておこう。 ・五大観察の内容は,両文献とも MAP 所載の「七仏の事蹟」と「ヴィパッ シン仏伝」にある内容とほぼ一致する。このことから,「すべてのブッダ の生涯は共通する」という MAP で確立された概念が,パーリ註釈書にお ける菩 の世間観察にも継承されていることになる。 ・Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā では,他の「註釈」を参照したことが述べ られている。さらに,補足的な説明としてマハーシーヴァ長老の所説を紹 介している。これらのことから,MAP 所載の過去七仏思想を前提とした 菩 入胎記事を註釈対象とする Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā の記述は, Nidānakathā の伝承とは別に,上座部大寺派で伝統的に重視されていたも のであった可能性がある。
2.北伝仏教における菩 の世間観察と過去仏・未来仏思想
上座部大寺派では,註釈書に伝承されていた菩 の世間観察であったが, 一方で,北伝仏教の文献に注目すると,仏伝を収録する多数の文献に,菩 の世間観察が伝承されている(17)。その形式については,パーリ註釈書と同 じく五種観察のもの以外に,四種観察,二種観察のものが確認できる。これ は,この記事の発展の過程を示すものであるのかもしれない。 五 種 観 察 の も の は『 過 去 現 在 因 果 経』(18),『 衆 許 摩 訶 帝 経』(19),『 根 本 説一切有部毘奈耶破僧事』(20),『根本説一切有部毘奈耶雑事』(21) ,Saṅgha-bhedavastu (22),四種観察のものは『修行本起経』(23),『方広大荘厳経』(24),『仏 本行集経』(25),Mahāvastu(26),Lalitavistara(27),二種観察のものは『異出菩 本起経』(28),『十二遊経』(29)などがある。 さて,これらの資料のなかには,パーリ註釈書と同じように過去仏と関連 する記述があるので,以下にそれを挙げていこう。 『修行本起経』では,過去から現在に至る諸仏の出生地が共通であると記 載されている。【資料8】『修行本起経』(T3, p. 463b) 迦夷衞者,三千日月萬二千天地之中央也。過去來今諸佛,皆生此地。 『根本説一切有部毘奈耶破僧事』では,五種観察の際に釈尊が「過去の菩 はどうであったか」と考察する記述がある。 【資料9】『根本説一切有部毘奈耶破僧事』(T24,p. 106b‒c) 菩 若在覩史多天,常有五法觀察世間。何謂五法。一者觀察生處,二者觀 察國土,三者觀察時節,四者觀察種族,五者觀察所生父母。何故菩 觀察 生處。在覩史多天宮常作是念過去菩 何處受生。…過去菩 生何國土…過 去菩 於何時節下生人間…如餘菩 於何等母而受胎藏。 なお Saṅghabhedavastu では,以下に挙げるように,兜率天における菩 の世間観察を「dharmatā(法則)」としている。これは明らかに MAV の影響 であろう(30)。 【資料10】
dharmatā hy eṣā tuṣitabhavanastho bodhisattvaḥ paṃcabhir avalokanair lokam avalokayati, jātyavalokanena deśāvalokanena kālāvalokanena vaṃśāvalokanena stryavalokanena ca. (SBV, part 1, p. 36)
兜率天宮に在住する菩 が,血統の観察,地域の観察,時節の観察,種族 の観察,婦人の観察という五種の観察によって世間を観察する,これこそ が法則である。 Mahāvastu については,同一文献内の別の箇所に配置される,過去仏であ る燃燈仏の伝記のなかに,同形式となる菩 の世間観察がある(31)。 『太子瑞応本起経』に菩 の世間観察は記載されていないのだが,菩 が 兜率天より没する際,「土地」「国」「父母」について述べたあと,出生地に
ついて以下の記述がある。 【資料11】『太子瑞応本起経』(T3, p. 473b) 迦維羅衞者,三千日月,萬二千天地之中央也。佛之威神,至尊至重,不可 生邊地,地爲傾邪故。處其中周化十方。往古諸佛興皆出於此。 このように菩 の世間観察は,上座部大寺派の註釈書と同様に,北伝仏教 の文献においても,釈尊と過去仏との関連性が認められるのである。このこ とは,「すべてのブッダの生涯は共通する」という概念が確立された経典と なる MAV や『大本経』などが,北伝仏教の部派に伝承されていることと深 く関連するであろう。 では,菩 の世間観察は,未来仏である「兜率天に在住する弥勒」との関 連性はあるのであろうか。実は『弥勒下生経』および『増一阿含経』には, 弥勒菩 の世間観察が,兜率天における父母観察という形式で,以下のよう に語られている。ここでは,弥勒と釈尊の生まれ方が共通することも記載さ れている。 【資料12】『弥勒下生経』(T14, p. 421c)『増一阿含経』巻44(T2, p. 788a‒b) 爾時彌勒菩 於兜率天,觀察父母不老不少,便降神下應,從右脇生,如我 今日右脇生,無異。彌勒菩 亦復如是。 最後に『増一阿含経』巻45に収録される「七仏の事蹟」について見てお こう(T2, pp. 790a‒791b)。ここでは大本経と同様の形式で,過去七仏それ ぞれの⑴時代,⑵出自,⑶姓,⑷菩提樹,⑸サンガの構成,⑹侍者,⑺寿命 について記載されている。その後に以下の記述がある。 【資料13】『増一阿含経』巻45(T2, p. 791b) 佛告阿難,皆有因縁本末故,如來説七佛之本末。過去恒沙諸佛亦説七佛本
末,將來彌勒出現世時,亦當記七佛之本末。 このように,未来には弥勒も,過去の諸仏と同様に,七仏の本末を認識す るであろうことが語られているのである。これらの資料から,菩 の世間観 察および「七仏の事蹟」は,過去仏だけではなく,未来仏である弥勒にも関 連する場合があることが指摘できる。このことは,大本経で確立された「す べてのブッダの生涯は共通する」という概念に,未来仏である弥勒も組み込 まれていく可能性を示すものとなろう。
まとめ
南北両伝承に存在する菩 の世間観察について考察した結果,上座部大寺 派では,この記事が,大本経で確立された「すべてのブッダの生涯は共通す る」という概念を明示する役割を担う形で,パーリ註釈書に継承されている ことが判明した。 一方で,北伝仏教の文献における菩 の世間観察にも,上座部大寺派と同 様の傾向が存在するようであり,過去仏と釈尊との事蹟を同一化する記述が 多数みられた。 菩 の世間観察にみられるこのような特徴は,大本経の過去七仏思想が基 盤となっているものと思われる。 また,菩 の世間観察は,過去仏だけではなく,未来仏である「兜率天に 在住する弥勒」にも関連し,大本経で確立された「すべてのブッダの生涯は 共通する」という概念に,弥勒も組み込まれていく可能性があることを指摘 した。しかし,これについては,他の弥勒関連の資料とあわせて,より詳細 に検討する必要がある(32)。今後の課題としたい。註 ⑴ 兜率天における釈尊および過去仏,未来仏との関連性については[雲井昭善 1993]参照。 ⑵ 大本経の内容は,諸本とも基本構造は一致するため,ここでは便宜上 MAP の内 容を述べておこう。 〈1〉比丘たちの間で前生に関する法話が起こる。それに答える形で,釈尊が, 過去六仏(ヴィパッシン,シキン,ヴェッサブー,カクサンダ,コーナーガマナ, カッサパ)および釈尊自身の出現した時代(劫),出自,姓,寿命などを比丘たち に述べる(以下この箇所を「七仏の事蹟」と呼ぶ)。このあと,一度,釈尊は比丘 たちの前から去る。〈2〉再び現れた釈尊は,第一仏であるヴィパッシン仏の伝記 を,比丘たちに語り始める。(以下この箇所を「ヴィパッシン仏伝」と呼ぶ)〈3〉 浄居天の神が,過去仏の事蹟の詳細を釈尊に報告する(以下この箇所を「浄居天の 神の報告」と呼ぶ)。 上記の如く,ⅰ「七仏の事蹟」→ⅱ「ヴィパッシン仏伝」→ⅲ「浄居天の神の報 告」という構成となる。 また,以下の諸本は,その内容構成が,大本経と部分的に一致するものである。 そのため大本経の成立過程を考察するうえで重要な文献となる。詳細は[天野信 2010a][天野信 2014]参照。 『七仏経』法天訳(10世紀後半訳出,T1, no. 2, pp. 150a‒154a) 『毘婆尸仏経』法天訳(10世紀後半訳出,T1, no. 3, pp. 154b‒159a) 『七仏父母姓字経』失訳(T1, No. 4, pp. 159a‒160a) 『増一阿含経』巻45僧伽提婆訳(397∼398年訳出,T2, no. 125, pp. 790a‒791b) ⑶ Jātaka, vol. 1, PTS, pp. 1‒94. Nidānakathā の 著 者 は 不 明 と さ れ る。 成 立 年 代
は お そ ら く5‒6世 紀 頃 で あ ろ う。 ま た,Nidānakathā の 全 文 は, ほ ぼ そ の ま ま の 形 で Apadāna の 註 釈 書 で あ る Visuddhajanavilāsinī の 冒 頭 に も 置 か れ て い る。 (Visuddhajanavilāsinī, PTS, pp. 2‒99)詳細は[藤田宏達 1981]参照。 ⑷ Sumaṅgalavilāsinī, vol. 2, PTS, pp. 407‒480. ⑸ 本稿における Nidānakathā の和訳については[中村元・藤田宏達 1984]を参照し た。 ⑹ 三つの騒動は,相応部の註釈書にもあることが指摘されている。[越後屋正行 2011]参照。 ⑺ skt. dharmatā, 意味は「法則」。『大本経』では「常法」と漢訳される。 ⑻ 以下にその内容をまとめておく。 ⑴ヴィパッシン菩 は兜率天から没したあと,念をそなえ,正知をそなえ,母胎
に入る。⑵菩 が兜率天から没し,母胎に入ると,無量の広大な光が神々の威神力 を圧倒して現れ,また一万世界が震動する。⑶菩 が母胎に入っているとき,菩 と母とを守護するために四天子が接近する。⑷菩 が母胎に入っているとき,菩 の母は自然に戒をそなえる。⑸菩 が母胎に入っているとき,菩 の母には他の男 性に対して愛欲を伴った思いが起こらない。⑹菩 が母胎に入っているとき,菩 の母は五の妙欲を得る者となる。⑺菩 が母胎に入っているとき,菩 の母は病気 にならない。⑻菩 が生まれて七日のうちに,菩 の母は亡くなり,兜率天に生ま れかわる。⑼菩 の母はちょうど十ヵ月で菩 を母胎から運び出産する。⑽菩 の 母は立ったまま菩 を出産する。⑾菩 が母胎から出るとき,初めに神々が,後に 人々が受けとめる。⑿菩 が母胎から出るとき,大地に触れることはない。⒀菩 が母胎から出るとき,いかなるものにも汚されない。⒁菩 が母胎から出ると き,冷熱二つの噴水が現れ,菩 と母を水洗いする。⒂菩 は生まれると,両足で 立ち,北に向かって七歩進み,あらゆる方向を眺め,「私は世界の第一人者である。 これは最後の生まれである。もはや再生はない」との言葉を語る。⒃菩 が母胎か ら出るとき,無量の広大な光が神々の威神力を圧倒して現れ,また一万世界が震動 する。
上記の項目の末尾に,「ここにこの法則がある(Ayam ettha dhammatā)」という定 型句が添えられる。また⑴以外の項目の冒頭には,「比丘たちよ,これが法則であ る(Dhammatā esā bhikkhave)」という定型句も添えられている。
MAV と『大本経』の菩 誕生記事においても,それぞれの項目の冒頭,末尾に dharmatā「常法」の定型句が添えられる(MAV, pp. 52‒67,大正1,pp. 3c‒4c)。な お MAV では「七仏の事蹟」においても,それぞれの項目の末尾に「ここにこの 法則がある(iyam atra dharmatā)」の句が添えられる(MAV, pp. 36‒49)。さらに, 「ヴィパッシン仏伝」にある三十二相記事の末尾にも同様の定型句が添えられる (MAV, p. 84)。 ⑼ MAP における七仏の事蹟は,⑴出現した時代(劫) ⑵出自(王族かバラモン) ⑶ 姓 ⑷寿命 ⑸菩提樹 ⑹二大弟子 ⑺サンガの構成 ⑻侍者 ⑼父母および王都の名称 について記載される(MAP, pp. 1‒7)。 『大本経』における七仏の事蹟は,⑴出現した時代(劫) ⑵(それぞれの過去仏 の時代における人の)寿命 ⑶出自(王族かバラモン) ⑷姓 ⑸菩提樹 ⑹サンガの 構成 ⑺二大弟子 ⑻侍者 ⑼子 ⑽父母および王都の名称について記載される(大正 1,p. 1c‒3c)。 MAV における七仏の事蹟は,写本の欠損から,完全な復元はされていない。し かし章末のウッダーナの内容から以下の項目が伝承されていたことが確認出来る。 (MAV, pp. 36‒51)
⑴出現した時代(劫) ⑵寿命 ⑶出自(王族かバラモン)⑷姓 ⑸菩提樹 ⑹サン ガの構成 ⑺二大弟子 ⑻侍者 ⑼息子 ⑽父母および王都の名称 ⑽ [吹田隆道 1993][吹田隆道 2013: 65‒69][天野信 2014]参照。 ⑾ 筆者が別稿にて詳細に論じている。[天野信 2005][天野信 2009]参照。 ⑿ Mahāpadānasuttanta-aṭṭhakathā の翻訳については[片山一良 2004]を参照した。 ⒀ このような現定辞のない単数形の「アッタカター」についての詳細は[森祖道 1984: 207‒222]参照。 ⒁ ⑴もろもろの花が萎む,⑵もろもろの衣服が汚れる,⑶腋から汗が出る,⑷身 体の色があせる,⑸神が神の座に落ち着かない。Itivuttaka に同様の記述がある (Itivuttaka, PTS, p. 247)。 ⒂ 本稿註⑻参照。 ⒃ マハーシーヴァ長老については[森祖道 1977: 105‒110]参照。この長老の所説 は,パーリ註釈文献,特に長部註である Sumaṅgalavilāsinī で多く紹介されている。 ⒄ [平等通照 1973: 45‒66][森章司・本澤綱夫・岩井昌悟編 2000: 15‒16]参照。 ⒅ T3, p. 623a‒b。観察対象は「衆生」「時代」「国土」「種族」「父母」。 ⒆ T3, p. 938b。観察対象は「種姓」「国土」「時代」「上族」「母身」。 ⒇ T24,p. 106b。観察対象は「生処」「国土」「時節」「種族」「所生の父母」。 T24,p. 297c。観察対象は「祖先」「時節」「方国」「近族」「母氏」。 SBV, part 1, pp. 36‒39。観察対象は「血統」「地域」「時節」「種族」「婦人」。 T3,p. 463a‒b。観察対象は「土地」「父母」「国」「教化対象者」。 T3, p. 541c。観察対象は「時」「方」「国」「族」。 T3, pp. 677c‒679c。観察対象は「種族」「家」「場所」「父母」。 MV, vol. 2, p. 1。観察対象は「時節」「場所」「洲」「家族」。 [外薗幸一 1995: 304‒306]観察対象は「時節」「洲」「国」「種族」。 T3, p. 618a。観察対象は「菩 所生の地」「父母」。 T4, p. 146b。観察対象は「国」「家系」。 [吹田隆道 1988]参照。 MV, vol. 1, p. 197。[岡野潔 1990]参照。 弥勒関連の資料については[雲井昭善 1992][森祖道 2015: 59‒137]等を参照。 略号および参考文献 PTS = Pali Text Society. T = 大正新脩大蔵経
MV = Le Mahāvastu, É. Senart (ed.), 3 vols., Paris, 1882‒1897.
SBV =The Gilgit Manuscript of the Saṅghabhedavastu, part 1‒2, R. Gnoli (ed.), Roma,
1977‒1978. 天野信 2005「『希有未曾有法経』における菩 誕生記事の問題点」『龍谷大学大学院 文学研究科紀要』27,pp. 1‒16. 天 野 信 2009「 七 仏 経 成 立 を め ぐ る 諸 問 題 」『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』57‒2,pp. 912 (231)‒908 (235). 天野信 2010「大本経における七仏の事蹟と浄居天の神」『印度学仏教学研究』58‒2, pp. 928‒923 (189‒194). 天野信 2010a「大本経成立をめぐる諸問題」『仏教学研究』66,pp. 72‒97. 天野信 2014「Mahāpadānasuttanta における四門出遊」『パーリ学仏教文化学』28,pp. 1‒20. 越後屋正行 2011「ブッダゴーサ作品と「ニダーナカター」における入胎の記事の相違 註釈書的要素に注目して」『印度学仏教学研究』59‒2,pp. 893 (182)‒890 (185). 岡野潔 1990「仏陀の永劫回帰信仰」『論集/印度学宗教学会』17,pp. 1‒17. 岡野潔 2004「正量部の伝承研究⑵ 第九劫の問題と『七佛経』の部派所属」『インド 学諸思想とその周延─北條賢三博士古稀記念論文集─』東京:山喜房佛書林,pp. 166‒189. 梶山雄一 1996「仏陀観の発展」『佛教大学総合研究所紀要』3,pp. 5‒46. 片山一良 2004『パーリ仏典 第二期3 長部(ディーガニカーヤ)大篇Ⅰ』東京: 大蔵出版. 雲井昭善 1992『未来のほとけ 弥勒経典に聞く』大阪:創教出版. 雲井昭善 1993「兜率天考」『知の邂逅 仏教と科学 塚本啓祥教授還暦記念論文集』 東京:佼成出版社,pp. 131‒147. 中村元・藤田宏達 1984『ジャータカ全集 第1巻』東京:春秋社. 中村元 1992『ゴータマ・ブッダⅠ【中村元選集[決定版]11】』東京:春秋社. 平等通照 1973『印度仏教文学の研究』神奈川:印度学研究所. 平岡聡 2010『ブッダの大いなる物語 梵文『マハーヴァストゥ』全訳上』東京:大 蔵出版. 吹田隆道 1988「「大本経」と「破僧事」に見る共通の伝統と地方的変遷─特に菩 誕 生伝説を中心として─」『法然学会論叢』6,pp. 5‒22. 吹田隆道 1993「『大本経』に見る仏陀の共通化と法レベル化」『渡邊文麿博士追悼記 念論集・原始仏教と大乗仏教上』京都:永田文昌堂,pp. 271‒284. 吹田隆道 2013『ブッダとは誰か』東京:春秋社.
藤田宏達 1981「仏伝資料の一考察─『ニダーナカター』覚え書─」『仏教の歴史的展 開に見る諸形態 古田紹欽博士古稀記念論集』東京:創文社,pp. 188‒213. 外薗幸一 1995『ラリタヴィスタラの研究上』東京:大東出版社. 松本文三郎 2006『弥勒浄土論・極楽浄土論【東洋文庫747】』東京:平凡社. 森章司・本澤綱夫・岩井昌悟編 2000『仏伝諸経典および仏伝関係諸資料のエピソー ド別出典要覧 原始仏教聖典資料による釈尊伝の研究【3】』東京:中央学術研究 所. 森祖道 1977「アッタカターに現れたマハーシーヴァ長老」『印度学仏教学研究』26‒1, pp. 105‒110. 森祖道 1984『パーリ仏教註釈文献の研究』東京:山喜房佛書林. 森祖道 2015『スリランカの大乗仏教 文献・碑文・美術による解明』東京:大蔵出 版.
Gombrich, R. 1980. “The Significance of Former Buddhas in the Theravadin Tradition.”
Buddhist Sutudies in Honour of Walpola Rahula. London: 62‒72.
von Hinüber, Oskar 1996. A Handbook of Pāli literature. Berlin.
Jones, J. J. 1973. The Mahāvastu, Translated from the Buddhist Sanskrit, 3 vols. London (first published 1949).
Lamotte, Ètienne 1988. History of Indian Buddhism (English translation of Historie du
bouddhisme indien. Louvain, 1958). Louvain.
Nitta, Tomomichi 2001. “The Meaning of the Former Buddhas in the Mahāpadānasuttanta.”
Studies in Indian Philosophy and Buddhism 8: 73‒85.
Norman, K. R. 1983. Pāli Literature. Wiesbaden.
Rahula, Walpola 1974. “Wrong Notions of Dhammatā (Dharmatā).” Buddhist Studies in
Honour of I. B. Horner. Boston: 181‒191.
Rhys Davids, T. W. 1880. Buddhist Birth-Stories (Jataka Tales): The Commentarial
Introduction Entitled Nidāna-Kathā the Story of the lineage. London.
Rockhill, W. Woodville 1907. The Life of the Buddha and the Early History of His Order
Derived from Tibetan Works in the Bkah-hgyur and Bstan-hgyur. London.
Storong, John 2001. The Buddha A Short Biography. Oxford.
※本研究は龍谷大学2018年度世界仏教文化研究センター基礎研究部門特定公募研究 「チベット仏教文化の研究─多田等観将来「釈尊絵伝」を中心に─」の助成を受けた