キリスト教文学としての「蓬莱曲」 : 「ハムレッ ト」との比較を通して
著者 尾西 康充
雑誌名 三重大学日本語学文学
巻 17
ページ 47‑57
発行年 2006‑06‑24
URL http://hdl.handle.net/10076/6640
キリスト教文学としての「蓬莱曲」
‑トー・「ハムレット」との比較を通してー
序
北村透谷の「蓬莱曲」(一八九一年)は日本近代詩の囁矢とし
て評価されてきた。たとえば蒲原有明は明治二〇年代の詩壇を
振り返って「『蓬莱曲』は律語で書かれた新劇詩の先駆」である
とし、「曲中主人公の煩悶の叫び声に『マンフレッド』と『ハム
レット』の影響がある」と指摘した(1)。透谷が「蓬莱曲」を
創作するのに当たってバイロンの「マンフレッド」とシェイク
スピアの「ハムレット」から影響を受けていることについては、
すでに数多くの指摘がなされている(2)。有明は「この曲を読
み了つた後の感激を追想する毎に、この友の悲痛なる神経質の
面影をおもひ浮べぬことはない」と旧友を追懐したが、島崎藤
村はこれらイギリス文学の傑作によって透谷の眼に「狂熱の光」
が灯されたと感じていた(3)。
透谷は英語の原書を読むだけではなく『新体詩抄』(一八八二
年)や『於母影』(一八八九年)などの訳詩集を味読し、両書で
尾西
康充
翻訳に使われていた当時日本で最も高い水準の詩的言語に触れ
た。『新体詩抄』の外山正一訳「シエーキスピール氏ハムレット
中の一段」には、ハムレットの第四独白の冒頭が「死ぬるが増
か生くるが増か/思案をするハこゝぞかし」(‑ざbeもrnOtぎ
be‥tFatistFequestiOn.)と訳されている。ハムレットのこの独
白は「蓬莱曲」の主人公朝田素雄の「いざや、いざや、別れぞ、
別れぞ、/生別れとも、死別れとも/ならばなれ」(第一駒)と
いうセリフに反映された。また『於母影』の森鴎外訳「マンフ
レッド一節」には「わがふさぎし眼はうちにむかひてあけり」(〉
臣e筈eyeSb已c‑OSe、ざー00貯witEn一)といケ表現がある。罪の
意識にとらわれて内向するマンフレッドの精神も、素雄の「わ
が眼はあやしくもわが内を見て外は見ず、わが内なる諸々の奇
しきことがらは必らず究めて残すことあらず」 (第二駒第二場)
に通じるモチーフである。
透谷が影響を受けた「マンフレッド」と「ハムレット」に共
‑47‑
通するのは、夜から眠り、夢そして死へという連想が作品のな
かで反復され、幽霊を目撃し狂気にとらわれて彷復する主人公
が描きだされていることである。また直接的な繋がりとして、
ハムレットが第一幕五場で「この天地のあいだにはな、ホレー
シオ、/哲学などの思いもよらぬことがあるのだ」(→Fe諸a完 mO詔臣ngsど訂aくenandear声ぎraぎ∃Fanare旨eamt OfinyO己pEO眉ざ盲発したセリフが「マンフレッド」の
表紙とびら裏に掲げられている。これは父の亡霊を目撃したハ
ムレットが人間の思慮分別を超えた世界を畏怖して洩らした言
葉である。
このハムレットの言葉は、他界に対する畏怖が文学の創作に
は不可欠であることの証左として、透谷も′「他界に対する観念」
(一八九二年)に英文のまま引用している。透谷によればハム
レットの幽霊は「其来るや極めて厳粛に極めて凄艶なり、恰も
来らざるべからざる時に来るが如く、其去るや極めて静寂なり、
極めて端整なり恰も去らざる可からざる時に去るが如し」とい
う。これもハムレットのセリフ、「来るべきものはいま来ればあ
とには来ない、あとで来ないならばいま来るだろう、いまでな
くても必ず来るものは来るのだ」の影響を受けており、神の摂 理(aspecia言ヨidence)に従って人間には死が訪れるという
運命を寓している(第五幕二場)。
姦に於て平生幽霊を笑ふものと維も懐然として人界以外に 畏るべきものあるを識り、悪の秘し遂ぐるべからざるを悟 る。彼一篇より幽霊の作為を除き去らばいかに、恐らくは シヱキスピーア遂に今日のシヱキスピーアにあらざりしな るべし。(「他界に対する観念」)
透谷は「ハムレット」の例を引きながら、シェイクスピアに
は「幽霊の作為」が不可欠であったと論じる。「幽霊の作為」に
よって「極めて熱織なる悲劇の真申に、極めて幽玄なる光景」
が現出し、神からの使者である幽霊は人間に、神の前では弱く
小さな存在でしかないことを自覚させるのである。
透谷が「ハムレット」をどのように受容していたかについて
は出原隆俊氏が精緻な論考を著しており、▲北川透氏が「透谷に
とってシェイクスピアは、文学的な覚醒を促した、言いかえれ
ば本質的な影響を与えた、最初の西洋詩人だったと推定される」
と端的に指摘している(4)。本稿では両氏の見解をふまえつつ
も透谷の主眼が神の存在を前提にした文学の創作であったこと
を付度し、「ハムレット」からの影響を押さえながらキリスト教
文学として「蓬莱曲」を再読したい。
これまであまり注目されることがなかったが、「蓬莱曲」を構
想する間、透谷は英人ジョージ・プレイスウエイト(GeOrge
守aitF宅ai訂)の許で通訳者・翻訳者を務めクエーカーの布教活
動の手伝いをしていた(5)。正確にいえば、三田聖坂の普連土
教会内でプレイスウエイトと共に新渡戸稲造夫妻と面会した一
八九一年二月一五日の日記に、はじめて透谷は「蓬莱曲」の構
想を打ち明け、「其初には源兵衛なる従者の代りに一の哲学者を
共にあらしめては如何」などと「蓬莱曲」の原型になったいく
っかのアイディアを簡潔に記している。日記によれば、この後
の四月一日にプレイスウエイトが築地から横浜に転居したため
透谷は仕事を辞め、五月二日に「蓬莱曲」を脱稿している。
プレイスウエイトはイギリス聖書協会の主事として来日し、
慣れない日本語に苦しみ、さらにインフルエンザやコレラ、地
震といった災害に遭いながらクエーカーの信仰を広めた。この
絶対平和主義を信条とする敬度なウエーカー教徒から透谷は大
きな影響を受けたのである。日本最初のキリスト教平和運動で
ある日本平和会を結成し機関誌「平和」を編集発行したり、「平
和」「懸賞問題答案平和雑誌」全一二冊や「聖書平和之教」など
の雑誌の邦訳を手伝って文書伝道に貢献したり、透谷の活動は
大いに伸展した。プレイスウエイトは英文学に造詣が深く母親
ゆずりの詩人肌を持っていたといわれている。御牧碩太郎牧師
は彼を「宗教詩人」と評し「氏の令姉ホヰト:‑夫人から私は
青年時代に英宗教詩につき大いに教へられたが、其令弟である
同氏かちも英宗教詩につき教へられた処が多くある。同氏は古
い詩歌を小紙片にして印刷して配布されたが、氏の創作もある」 と回顧している(6)。プレイスウエイトと透谷の関係は黒木華 氏が詳らかに論じているが(7)、英人の彼から直接英文学にま っゎる話を聴き、透谷はさぞかし創作意欲をかきたてられたこ とだろう。プレイスウエイトが透谷を通訳者・翻訳者として採 用した面接試験で「彼は英語をとても正確に話す若者で、ミル トンの失楽園など英語の詩をいくつも読みこなし、また自分で も多くの日本語の詩を創作しているのです」と強い関心を抱き、 わざわざ透谷の存在を母国の家族に書簡で知らせていた(8)
(一九八九年八月二日書簡)。わずか一年九ケ月の親交でしかな
かったが、プレイスウエイトから透谷は決定的な影響を受けて
いたのである。
では透谷がどのように「ハムレット」を受容して「蓬莱曲」
の創作に向かっていたかを見てみよう。キリスト教文学として
「蓬莱曲」を再読する場合、具体的に三つのポイントが重要な
論点として挙げられる。まず第一駒、日没後の蓬莱山麓の森の
なかを素雄が排梱していると空から怪しい声が聞こえてくる場
面である。空中の声は「わが住む山に登れかし、高き神気を/
受けなば誤まれる理の夢の覚めもやせん。/雪を踏みて登らず
や神の力もて」と告げる。それに対して素雄は「御雪を踏み登
れと言へり、/神の力もて登れと言へり、/かねての望みはあ
りながら、/いかでわれ、このわれが、/神の力なくて登るべ
きや雪の御山に」と応える。素雄が蓬莱山頂で象徴権力の体現
者ともいうべき大魔王と対決する場面が本詩の一大クライマッ
ー49‑
クスであるが、第「駒で内向的な言動を見せていた素雄に登頂 を決断する勇気を与えたのが空中の声の 「神の力」という言葉 であった。素雄は 「神の力」を信じることによって本詩のドラ マは展開し始める。他方「ハムレット」 では父の亡霊を目撃し
て他界を畏怖することを覚えたハムレットが友人のホレーシオ
とマーセラスに父の復讐をつぎのように誓っている。
このハムレット、いまは何の力もないが、
いずれ神の助けをえてきみたちの友情に
報いるときもくるだろう。(第一幕五場)
トロd宅FatsOp00ramanaSHam‑etis
MaydO)すe眉詔SSFs‑○くeand賢endFgぎy冨}
GOd宅巳E.g‑SF已‑nOこack.
右の「神の助け」(GOd宅巨P明)は神の力と訳すこともできる
表現である。「神の助け」をかりて亡父の復讐を決意するハムレ
ットのセリフは、この世には「哲学などの思いもよらぬこと」
があるという前章で紹介したセリフの後に登場している。ハム
レット翻訳史を著した河竹登志夫氏によれば、外山正一はハム
レットの独自の意味を正しく理解し「『思想・人生の表白』とし
ての西洋の劇文学を紹介する」ことを目的として「ハムレット」
を翻訳した(9)。一八八一年に草稿が記されていたと推定され ている外山訳「霊験皇子の仇討」には、右の表現は「神の御光 り」と訳され、院本調に「何時か大願成就して本望を遂ぐるこ とあれど神に念ずる胸の中」と続けられている。外山はキリス ト教を敵視しながらもキリスト教文芸の翻訳には熱心で、「ハム レット」 の細訳に際しても同時代の他の翻案・翻訳とはちがっ
て神という語を省かずに訳出している。しかし「霊験皇子の仇
討」で翻案された神は願をかける対象でしかなかったり、天神
地祇や八百万の神などの伝統的なイメージからのアナロジ1で
しかなかったりというように、透谷が「基督の神性は東洋の惟心
的思想が達せしむる能はぎるところに観念を及さしむると共に、
サタンの魔性は東洋の悪鬼思想の到らざるところまで観念を達
せしむ」と主張したキリスト教の神とは懸隔するものであった。
素雄が 「神の力」を得て登頂を決断する場面は、キリスト教文 学として 「蓬莱曲」を読む際に重要な第一のポイントであると
いえよう。
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ところで透谷は「蓬莱曲」序で、脱稿直前に本詩を一読した
友人から「蓬莱山は古来瑞雲の理穿くところ、楽仙の盤桓する
ところ、汝何すれぞ濫に霊山を不祥なる舞台に仮り来って狂想
者を悲死せしむる」と詰問されたことを明かしている。またシ
ェイクスピアに造詣が深かった坪内邁進からも「第一欠点は其
優美なる場所を取りて凄側なる景色を移したるを以てなり」と
批評されたという(川)。メランコリーに陥った素雄の眼で見れ
ば霊山仙境も死に向かう不吉な前兆を感じさせる一景でしかな
かった。素経と同じようにハムレットもまた自分を取り巻く光
景がすべ七ネガティブなものに見えていた。
そしていまでは、気が重いせいか、この壮麗なる大地も
荒涼たる岩山としか見えぬし、このすばらしい天蓋、大空、
見ろ、この頭上をおおうみごとな蒼雫、金色に輝く星を散
りばめた大天井も、おれには濁った毒気のあつまりとしか
思えぬのだ。それにまた、この人間とはなんたる自然の傑
作か、理性は気高く、能力はかぎりなく、姿も動きも多様
をきわめ、動作は適切にして優雅、直観力はまさに天使、
神さながら、こノの世界の美の精髄、生あるものの鑑、それ
が人間だ、ところがこのおれには、塵芥としか思えぬ。(第
二幕二場)
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ハムレットには壮麗な大地も荒涼とした岩山に見えてしまう
し、青空や星空からは毒気を感じ、神の似絵として創造された
はずの人間が「塵芥」(d宏已としか思えないのである。素雄と
ハムレットに共通するのはメランコリーな気分で風景や人間を
眺めてしまうことで、素雄も蓬莱山頂で大魔王との対決を通し
て「塵の形骸」「塵の子」「塵の生命」(第三駒二場)という自己
認識を深めることになる。周知の通りキリスト教では、創造者
である神が「土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれ
られた。そこで人は生きた者となった」(創世記第二章七節)の
であり、やがては「ちりだから、ちりに帰る」(同第三章一九節)
運命にある。素雄の「塵の子」というキリスト教的な自己認識
に関しては佐藤泰正氏をはじめ多くの研究者の指摘があるが
‑51‑
(11)、「ハムレット」にも同様の表現があったことを押さえて
おく必要があるだろう。これはキリスト教文学として「蓬莱曲」
を読む際の第二のポイントとなる。
眼に映るすべてのものにメランコリーを感じるハムレット は「デンマークは牢獄だ」(占enmark‑sap計芦)と感じ、素
雄もまた「囚牢」に幽閉された心境を語っている。旧約聖書に
は数次にわたったユダヤ人のバビロン捕囚が描かれ、新約聖書
のイエスの捕縛もその予型論的あるいは寓喩的な解釈が可能な
ように、捕囚民の解放と帰還は聖書全体を貫く一大モチーフで
あった。ハムレットや素雄の内面に近代的自我の先例を見いだ
すのは研究史の通説になってはいるが、とらわれた人間のイメ ージは聖書に元型があり、近代的自我の概念はその変奏として
導き出された解釈の一つであった。
三
キリスト教文学として「蓬莱曲」を読む際に重要な第三のポ
イントは第三駒l一場、蓬莱山頂で大魔王と対決するクライマッ
クスの場面である。大魔王は素雄の目の前で山麓に広がる都を
焼き払ってみせる。勝本清一郎氏によれば、この場面には透谷
の「資本主義社会の内部矛盾を洞察した社会革命的終末観」が
反映しているとされるのだが、大魔王に対して素雄はつぎのよ うに抵抗している(誓。
素、叱! 悪魔! 狂ひぞ、狂ひぞ、
汝が雲の住居、汝が飛行の術、汝が制御の
権はわが友とするに足ど、
限なき諷ひの業、尽くるなき破壊の業は過
去未来永劫の我が仇ぞ。
素雄は大魔王に与するのではなく「破壊の業」は永遠に「我
が仇」だと断定している。叔父クローディアスに復讐の標的を
定めるところからハムレットのドラマが動き始めるのに対し、
素雄はクライマックスにおいてようやく「我が仇」を見つけ、
しかも大魔王が素雄を残して去ってしまったために「我が仇」
との対決は決着がつかない。取り残された素雄は山頂から飛び
降りようとし樵夫源六に引きとめられる。辛うじて一命を取り
とめたかのように見えたが狂気にとりつかれ妄言を発し続ける。
素、死! 来れるよ汝!
来れるよ汝‑・笑めるものー・
いま衰ろへぬ、いま物を弁えぬ、いま消え
行く、いま死、いま死! 死よ、汝を愛す
なり、死よ、汝より易き者はあらじ。▲
おさらばよ!
(什る)
源、こはいかに、こはいかに、舞下りもせでこ
ゝに終りぬるか、あやしやな、あな無残‑・た
び人よ、たび人よ! 早や起きず、其の魂
はいづこに行くならん、
おろそしや、浴そろしや!
あはれ、あはれ、死なしけり、失なしけり。
右は
「蓬莱曲」最後の素雄が狂死する場面である。素雄は大
魔王に斬られて死ぬのでもなく山頂から飛び降りて自殺するの
でもない。日本語で狂気を意味する最も古い言葉「たふれ」
が
使われ、狂死する姿が象徴的に表現されている(13)。
ところで河竹登志夫氏は仮名垣魯文訳「葉武列土倭錦絵」二
八七五年) を「ハムレットを原拠とした日本人による最初の完
結作品」と評価している。河竹氏によれば、主人公葉叢丸は叔
父斯波弾正忠兼寿を討ち果たした後で→はっきり死を覚悟し諦
観した上での、予定の行動として自害」する。原作と異なって
「自害」という部分が強調されたのは「キリスト教道徳を基調
とする西洋には見られない、日本の伝統観念」では「すべて諒
解した上での自殺行為」が「『もののふのかがみ』として潔い美
徳」と判断されていたからだという(14)。しかも菓叢丸は「は
じめから全くの作り阿呆」とされ「お家物の世嗣の類型」通り
の人物として造形された(15)。仇討やお家騒動など伝統的な大 衆芸能に迎合して 「ハムレット」を翻案した魯文は、煩悶から
狂気に陥るというハムレットの内面のドラマを根本的に理解で
きていなかったのだが、「狂想者を悲死せしむる」ドラマを構想
した透谷はハムレットの本質を正しく理解していたといえよう。
四
島崎藤村は生前の透谷を「友人と一緒に酒を飲み乍ら沙翁の
戯曲を評したり、夜を徹して当時の文学を論じたりするかと思 うと、翌る日は宗教の伝道に出懸ける、まあ左様いふ遣り方だ
った」と回顧する(16)。透谷の日常生活はシェイクスピア談義
とキリスト教伝道によって相補的に支えられていたというのだ
が、「ハムレット」が復讐劇であり古来キリスト教が復讐を厳禁
してきたことを考えると、それらは矛盾するものとなり、透谷
の行動も矛盾があったことになる。
カトリックの立場からシェイクスピアを論じるピーター・ミ
ルワード氏によれば「なぜハムレットは復讐をそれほど遅らせ
たのか、なぜ復讐の機会があっても我慢したのか。復讐を遂げ
たのは偶然で、彼が責任を持って立案した計画ではなく、タロ
ーディアスによって仕組まれた計画が失敗した結果であった」
という(け)。もし偶然の産物であったとすれば、復讐という暴
力行為をシェイクスピアは肯定していなかったと解釈できる。
自分が主体となって復讐を企てたのではないハムレットも、狂
53
死であって自殺したのではない素雄も神の教えを破っていなか
ったといえるのである。
しかしシエ√クスビアはハムレットがフォーティンブラスに
後事を託して息絶えるところでドラマを終わらせるのに、なぜ
透谷は素雄が狂死した後の泉下まで描こうとしたのか。素雄が
神に救済されると信じているのなら不要であったはずで、まだ
「慈航湖」一駒しか書けておらず未定稿であった「蓬莱曲別篇」
をあえて附加したのはなぜか。しかも「慈航湖」はキリスト教
的な天上の神の国ではなく、「いざ急がなん西の国」や「西の国
への旅路」という言葉からも明かであるように仏教的な西方浄
土が想定されている。
そこでキリスト教信仰からの逸脱と見なせる「慈航湖」が附
加された理由として二つのポイントを考えたい。本篇の結末で
素雄が狂死する姿を象徴的に表現した「たふれ」は万葉集や日
本書紀にも使われている言葉で、漢字の移入と同時に「狂」
の
文字が当てられ平安期に「くるふ」の訓が加えられた。「慈航湖」
でも二カ所使用されており、本篇と同じように素雄の狂死を意
味している。魯文の葉叢丸が「はじめから全くの作り阿呆」と
されていたことは前章で紹介したが、河竹登志夫氏によれば一
九〇三年に川上音二郎一座が本邦初演の 「ハムレット」を興行
したときでさえ役者はハムレットの独白の意義をまだ理解でき
ず、狂気の姿を演じられなかった。それは自己を告召する演技
様式、そして 「人生とは何か」を苦悶するようなセリフが日本 の伝統演劇の系譜にはなかったからだという(18)。透谷は舞台 で上演されることを考えていたわけではないだろうが、たとえ レーゼドラマであったとしても戯曲の体裁を採る以上、狂気の 演出には苦慮していたはずである。それが なったのであり、その言葉を選択した結果、思わず伝統的な彼 岸のイメージ群を呼び起こしてしまったのであろう。「慈航湖」 がキリスト教文学を逸脱してしまった第一のポイントがこれで ある。
つぎに「慈航湖」には記紀以来の 「枇が国」に相通じる場所
が描かれているとする指摘がある。橋詰静子氏によれば、「『蓬
莱曲』は、『楚囚之詩』以来の対現実・対社会・対政治を脱して、
その底に潜む無意識の奥底を恋愛の扉を通じて深く探ろうとし、
その果てに母胎回帰を遂げ、とこしえの彼岸の水に救われる夢
を明治二十年代にいちはやく歌い上げた一大叙事詩であった」
という(19)。素雄は妻の露姫に対して「一昨日は恋の暗路の侶
連、/昨日は世の苦悩の安慰者、/昨夜は変わりて眠りを摸す
者なりしを、/忽ち今朝は倶誓の慈航の友」と呼びかけている。
彼女には、さまざまな化身に変じて衆生を救う観音菩薩のイメ ージを託している。だが目を覚ました当初素雄は露姫が誰であ
るか分からず、彼女を鬼と勘違いする。
露、そは語るまじ、蓬莱が原にて仙姫と化りて
きみに会ひしときにも語らざりし、死の坑
にて棲を止めて相見しときにも語らざりし、
すみれ咲く谷の下道なる洞にても語らざり
わなみこれを語る可き権なし。
し、素、それよ、それよ、われ蓬莱山の霊野に入り
しことを覚ゆ、露姫よ、汝が鹿を連れて過
りしを見き、汝が死の坑に稜の音を止めし
ことも、また捧をめぐりてあやしき谷の洞
にも汝の眠れるを劫かせしことも‥‥‥ま
たこのわれが雪を踏んで霊山に登り、世の
王の嘲罵に得堪へで、……什れしまで現
に覚ゆれど後は知らず。
何度も出会いながらすでに泉下にいた露姫は素雄に語りかけ
ることができず、素雄も彼女を呼びとめることができなかった。
別篇の最後には「倶誓の慈航の友」として二人が西方浄土の彼
岸に向けて漕ぎだすのだが、それまで両者は言葉を交わすこと
のできない苦しみに抑えつけられていたのである。露姫が鬼に
見えてしまうのは愛と憎しみが揮然一体となったハムレットの
母に対する感情と重なる。ハムレットは母に対する深い愛情を
抱きながらも彼女が叔父と再婚し毎晩同床するのを心底憎んで
いる。さらに憎しみを募らせ女性に対する全面的な拒否反応を
起こした結果、オフィーリアを強く拒絶し、彼女が身の上を嘆 いて死ぬまでハムレットは彼女を受け入れることができなかっ た。だが彼女を喪失した悲しみはクライマックスに至る行動を ハムレットに決意させたのである。
それに比べて「蓬莱曲」はどうか。透谷は母ユキを「最も甚
だしき神経質の恐るべき人間」 で「己の画き出せる小さき模範
の通りに、配下の者共を処理せんとする六づかしき将軍」
であ
ったと語っている(讐。一般的に母が神経質である場合、母は
子供が少しでも気に入らないことをすれば叱責し自分の枠に押
し込めるようとするし、子供は気に入られようと必死に努力し
感情を抑えがちになる。その結果、母子の同一化が進むと同時
にヒステリーが子供に転移し、子供は母の関心を引くために故
意に罰を受けるような異常な行動をとり始める。歪んだ愛情に
ょって子供の内面にはストレスが鬱積し罰への無意識的な欲求
が芽生えるのである。藤村が「私の思ふには、北村君のあの熱
烈な性情はどうも母御から享け継いだものらしい」と回想して
いるように、まさしく透谷母子に該当するケースで顕著な(鏡
像的同一化) (ジャック・ラカン)が進展していたといえよう。
蓬莱山頂で素雄は象徴権力を体現した大魔王と対決したが、
その決着がつかないまま狂死した。権力に与するのでもなく抵
抗し切るのでもない、クライマックスに至ってもまだ素雄の主
体は完全に内面化されなかった。別篇の序で断っているように
透谷は「蓬莱曲」を「自責の児」(se‑f・どrmenCとして感じ「慈
航湖」を附加した。この自らを責めようとする心の傾向は透谷
‑55‑
の罰への無意識的な欲求に起源を持ち、形を与えられないまま
断念された自己確立の欲望を回収するために、透谷は真理の時
を準備した。はじめは鬼に見えた露姫が最後に「倶誓の慈航の
友」に転じ、素雄と共に西方浄土の彼岸に向かうという「慈航
湖」は、父なる神への信仰を内面化するプロセスからは明らか
に逸脱したものであるが、透谷という人間の存在の根源にある
原風景であるといえよう。
註
論文中の引用に関して、聖書は日本聖書協会訳を、「ハムレット」は小
田島雄志訳『シェイクスピア全集』第二三巻(白水Uブックス)を選んで
いる。透谷の本文は『明治文学全集』第二九巻(筑摩書房)から引用した。
但し「蓬莱曲」の本文は橋詰静子「校本『蓬莱曲』(一)」(『北村透谷詩歌 集成(二)』、「目白学園女子短期大学研究紀要」第三二号、完九五竺
二月)、「同(二)」同誌第三三号(九六牢一二月)、「同(三)」同誌第三四 号(九七竺二月)に拠った。原則として本文中の旧字体は新字体に改め、
ふりがなは適宜省略している。 (l)『随筆飛雲抄』(完三八竺二月、書物展望社)、本文の原題は「詩
壇の回想」(「文章世界」、一九〇七牢一月)
(2)本間久雄「透谷とハムレット」(「明治大正文学研究」第二四号、一
九五八年六月)他。 (3)「春」四(「東京朝日新聞」、一九〇八年) (4)出原隆俊「透谷における『ハムレット』受容の意味について‑人生
相渉論争の底流‑」(「国語国文」第五二巻六号、一九八三年六月)、
北川透「北村透谷とハムレットー他界の観念まで‑」(『異文化との遭
遇
梅光女学院大学公開講座論集』第竺集、一九九七年九月、一四
〇頁)
(5)拙稿「北村透谷における平和思想の再評価‑クエーカーと『慈善事
業の進歩を望む』」(「国文学致」第一八三号、二〇〇四年九月) (6)御牧碩太郎「老聖徒を憶ふ」(「聖書之友」第五二三号、完三二午
七月、八頁)
(7)黒木章「透谷がGeOrg①Br邑ぎ賢eに雇われた経緯 JOneSの平和講演会のこと‑G竃g①Brai‑Fwai‑2資料の翻刻と紹介 1‑」(「聖学院大学論叢」第一六巻第一号、二〇〇三竺一月二五日)
(8)拙稿「北村透谷とG・プレイスウエイトーロンドン・クエーカー図
書館所蔵資料から‑」(『北村透谷とは何か』、二〇〇四年六月、笠間
書院) (9)河竹登志夫『日本のハムレット』(完七二竺○月、南窓社、一
三九頁)
(10)一八九一年六月七日付日記(「透谷子漫録摘集」)
(11)佐藤泰正「透谷‑その主題と方法‑批評家胎生の機微をめぐって
‑」(「日本文学研究」第二五号、一九八九年一一月)
(望勝本清一郎「透谷の宗教思想」(『近代文学ノート』第二巻所収、
一九七九牢一一月、みすず書房)
(ほ)小俣和t郎『精神医学の歴史』(二〇〇五年六月、第三文明社、三
四頁)
(14)前掲(9)と同書、〓ハ○頁
(15)同右書、一七二〜一七八頁
(16)島崎藤村「北村透谷君」(「文庫」、一九〇六年九月)
(17)peter巨竜買dSl∵≠eCathO〓cis≡fSha訂spear・宅】ay∽三he
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(18)前掲(9)と同書、二〇九i二一頁
(19)橋詰静子『透谷詩考』(一九八六年一〇月、国文社、九五頁)
(空一八八七年八月一八日付書簡草稿
本稿を執筆するに際して○告rd大学許b‑eカレッヂのブライアン・パ
ウエル博士のご教示を賜った。在外研究で渡英した二〇〇二年以来、日英
の比較文学・演劇の研究で貴重なご助言をいただいている。
[おにし・やすみつ 本学教員]
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