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名訳or迷訳 : 輸入法学の宿命 (続・比較法文化としての比較法制度論)

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Academic year: 2021

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(1)随. 想. 名訳 or 迷訳一 輸入法学の宿命一. ・比較法文化としての比較法制度論). (続. にわかエッセイストの 憂修 筆者 (二仏 ) は清水. ケ. ない限り, 自分にとって 非専門の事柄につき ,なんら. 丘に棲息する 俄 似非侍千人で. 責任をともなんずにコメントする 役割」として (そう でなければ断固として 断っていたのだが ) コメンテー. あ る,「俄 似非侍千人」とは「にわか・えせ ,いす・ と」,つまり「にわかエッセイスト」を 意味する. そ. 戴 したく思います」ということでレジュメを 作成させ. れは何かといえば ,「急、 にエッセイを 書くようになっ. られ,当日行ってみると ,私は何とコメンテーターか. た 人 」Ⅰ「即席随筆家」のことであ る.おととしの秋,. ら報告者の一員に 格上げ (?). 在外研究のためドイツ. ,ボンに滞在していたときに. まあ ,それでも思いつきの見解だけでその 場を取り繕. 教法制度論. ったのだから 相当に図太い「コメンテーター」と 冷や. 「比較法文化としての. 上ヒ. ドイッでの在. 外研究を通して」と 題する随想を 横浜経営研究 (Vol. 16 N0.4 (1996 年 3 月 ) 430 頁 ) に投稿した. ところ が,後になって気がつけたのだが (いや,正確にいえ ば,. あ る人から指摘されたのだが. ), 筆者は「随想」. ターを引き受けた. ところが,「事双にレジュメを 頂. されているではないか. かされても致し 方ないであ ろう.. しかしエッセイストやコラムニストというカタカ ナ言葉の肩書きも , この図太い「コメンテーター」と 同様に用いられているのではないか.. かちん, エッセ. 欄の趣旨を誤解していたのであ る.本来「随想」は 英. イや コラムを書く 人の中には正真正銘の. 語でいう essay であ って,長年研究を 積み重ねてきた. essayistや columnistが数多おられる・ だが,本屋に 所狭しと並んでいる「エッセイスト」とか「コラミス. 研究者が研究の 蓄積を背景として 多くの示唆に 富む 学 問的 思考を展開するものであ る.筆者は浅はかにも ,. 論文・研究ノート・ 資料,随筆という 編集の順序に 従 ってその重みを 捉えていた.つまり「軽くみてかかっ. た」のであ った.「随想」を書くのは何十年も 早い駆 け出しの研究者 ( もう 38 歳になるものの ) こそ,何を 申そ う 俄 似非椅子人」の 正体であ る. ところで,アナリスト ,コメンテータⅠエッセイ 「. スト, コ うム ト か ど な ど, カタ ヵナ 言葉の肩書が. 最近のマスコミ ,. とりわけテレビや 新聞・雑誌の 中に. 見受けられるようになった. カタカナ言葉の 是非論は ともかくとして ,筆者もコメンテータ 一なる肩書きを いただいたことがあ る, W 大学主催の研究会で 報告. ど. 者の報告に関するコメントを 担当させられたときであ る・「最近のテレビのコメンテータ 一のように, よほ 酷いことを言って 抗議を受けたりするよう な. と ヵ. 立派な. ト」の本をみていると ,その大半は「即席随筆家」や 「即席特別寄稿家」という 名で呼ばれるにふさわしき 御仁も多いのではないかと 思う. これはまた,視点を 変えれば, カタカナ言葉のマジック ,あるいは文化的 副産物ということができる・つまり. , essay. という言. 葉が「エッセイ」というカタカナ 言葉に置き換えられ る際に生じるニュアンスの 微妙な. ( ときに明白な ). 変. 化 こそが, このマジックの 中核を占めるのであ る. そこで essaay. という言葉を 辞書で調べてみた・「小. 論,評論,随筆,エッセイ」 (研究社・リーダーズ 英 和辞典 (1984年 ), 小学館・ランダムハウス 英和大辞 典 (第 2 版・ 1994年 )), さらに「論文」という 訳も研 究社 ・新編英和活用大事典 (1995年 ) に出ている. ま た,動詞としては「企てる ,試みる」の意味があ る. ちなみに, The OXford English Dictionary, 2. ed.,.

(2) 名訳 or 迷訳一 輸入法学の宿命 一 (坂田. 1989 では、 動詞として "to put to the proof, try, to teStthe nature etc.,to attemptto show .]Fprove", 名 詞として " ㎡ aI,testing, proof" とされている・ まる で英米の民事訴訟法の 教科書に出てくる 言葉のようで あ る・つまり,. prove. や proof は「証拠」や「証明す. る 」という法律用語であ るし t,ialも. (「正式事実審. 理」という正式な 訳語よりも「トライアル」とカタカ ナで表されるほど 有名な ) 民事訴訟のクライマックス. 宏). (73) 73. その本来の意味とニュアンスを 保ち続けたであ ろうか. 先日も NHK (衛星放送 ) で,夫婦別姓に関する討論 番組が放映されていたが ,肯定派・否定派双方の 根拠 とする「個人主義」の 捉え方が交錯することなく 捻れ たまま討議が 続いていた.そうこうするうちに 司会者 が 「この問題については 今後も議論の 必要があ るでし. ょう」という 言葉で議論を 締め括ってしまったが ,議. であ る弁論手続を 指す法律用語として 用いられる. 言. 論の前提すら 整理することなく 終わったこの 番組はい ったい何だったのかとしばらく 呆然としていたことを. 葉の由来を調べてゆくと. 悪い出す.. , essay. の異形は assay. であ. (する ) 」という意. もちろん,原語と違うニュアンスが 付された「訳. 味を持ち,「検査,分析,評価」という 訳語を得る. しかも,古くは「試みる ,企てる」という 意味で用い. 語」としての 日本語それ自体が 悪いというわけではな. られていたというから. を背景としたものであ りうるしかえって「名訳」と. る. ・. この assay. は冶金学で「試金. 「検査・分析」という. 面白い・. このように essay. は. い. むしろ,ニュアンスの 変化は「日本特有」の 文化. 非常に学問的な 事柄に用いられ. 呼ばれるべきものもあ る. しかし問題は 研究をする. た言葉であ る. しかも,動詞としては「試み, 企て. 際に生じてくる.すなわち ,原語では同じ単語が使わ れているのに ,訳語がその場面ごとに異なってくるよ うな状況が現にあ るのであ る.在外研究のためドイツ. る」という意味を 合わせ持つ. とすれば,横浜国立大 学経営学部において 比較法制度論を 担当する筆者が 「比較法制度論」を 試みに論ずるにあ たり 「随想」と. のボン大学で 民事訴訟法の 講義を聴いていたおり ,. ド. いう形式を採ったとしても ,あながち的外れではない. イツ語ができない「覚国人」であ るにもかかわらず ,. というわけで ,再び「俄 似非筒子犬」として 前回の随. 「なんて解りやすい 講義,いや法体系なのであろう」 と思わされた. 日本の法律学の 中でも「 眠素 」と 椰楡. 想の続編を書きたくなったのであ. る.. そういえば,筆者が専攻する法律学の 世界も「横の ものを縦にする」世界 だ .明治維新以来,西欧の 法制. ると日常のドイッ 語を使って記述され ,講義されてい. 度を輸入して 近代国家を築き 上げてきた日本において ,. る.. 法制度に関する 学問Ⅰ法律学も 当然に輸入しなければ. しろ法律が日常世のない 言葉で記述され 講義されてい. ならなかった.それゆえ ,. 学 あ るいは「輸入」法学という 意味で「輸入法学」と かえるのであ る. しかし外国語一つ - つに対応した. る日本が異常なのではないかという 疑念を抱くに 至っ たのもこのときからであ る. たしかに法律の 専門用語 や概念は格好のよい 漢語ではあ るが, 日常,性を持たな. 日本語があ るわけでもなく. い 言葉が多い.. 日本の法律学は「輸入 法. ,. 」. またその逆もないといわ. されるほど難しいとされている 民事訴訟法が ,. よくみ. これはコロンブスの 卵のような発見であ った. む. とすると,我々は ,西欧の言葉をいっ. なければならないため ,法律学の多くの先達は翻訳と いうフィルターを 通して得られた 概念でもって 法律の. たん四千年の 歴史を誇る中国文明の 文化的遺産であ る 漢字・漢語に 置き換え,それをまた 日本文化の中に 採. 世界を極めてゆかざるをえなかった. そのことは。 翻 訳の結果得られた 訳語が,正確に言語のニュアンスを. り入れるという 非常に複雑な 過程を経ることによって 法律に携わっていることになる.法律の 概念を研究す. 伝えるものではない , あ るいは原語と 違ったニュアン. る者としては , 自らの毎日が ,迂遠な世界をグルグル. スを付加するという 意味での「誤訳」となりうる 可能. さまよっているかのような 錯覚に陥ってしまうことも. 性を真正面から 肯定する結果となる.. 稀ではない.世人はこのような 錯覚を「 憂穆 」と呼ぶ. 加えて, 日本人は「和魂洋才」といわれるように ,. しばしその 夏 穆を楽しんでみたいと 畏う・. 巧みに日本語化した 外国語や訳語を 使うことにたけて おり, いったん原語と 違うニュアンスが「訳語」に 与. 誤訳は誤訳 !. えられてしまうとそれが 独り歩きを始めるのであ る, たとえば,第2 次世界大戦後, アメリカを経由して 与 えられた「民主主義」や「個人主義」という. 言葉が ,. 学者・研究者がワープロという 文明の利器の 呑 恵 を こ うか りはじめて以来, 「変換ミス」や「ワープロ・.

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(4) 名訳. or. 迷訳一 輸入法学の宿命 一 (坂田. (75) 75. 宏). 紛らわしいと 判断して,「憲法異議」という 訳語を採 用した・「異議」恨事訴訟法上,異議というのは 全く 別の制度として 既に存在する ) という訳をあ てるのは,. の中にキリスト 教信仰の要素が 含まれることになり ,. たしかに誤訳すれすれの 翻訳になるのであ るが, ドイ. みのしすぎであ ったのだ.. その点がドイツ 基本法上の間 題 となるというふうに ,. その意味を読み 込んだのであ る. しかし これが深読. ッ連邦憲法裁判所が 日本の最高裁判所のような 上訴審. 帰国後しばらくすると , この裁判に関する 紹介論文. でないことを 表現する際には「抗告」という 言葉を用. が 日本の憲法学者の 手で発表されるようになる. その. いないほうがよいのではないかと 判断したのであ る.. 中では appellativ が「訴えかける」という 意味で捉え. そして, 「訴願」という 言葉が日本の 民事訴訟法上用. られていたのであ る *. いられていないので ,憲法学上一番多く 使われている 「憲法訴願」を 採用する気持ちにはならなかったとい うのが本音であ る.. 「. り. ・このときは ,あさはかにも. appellativ は文法用語から 派生したものであ って,. 『訴えかけるⅡの 意味であ るならば appe Ⅲ erermd を 使 うはずだ. それに裁判の 判旨をみても 何も訴えかける. このように,学問領域ごとの 訳語によって 裁判例の. のかの説明が 全くないのだから ,. ドイッ人にとっては. ニュアンスさえ 変わってゆきかれない 現実に直面する. appelllaliv について共通に 理解できる意味があ るはず. ことになった 筆者であ るが,あまりに片意地を 張りす. であ る」と自分の 愚かさを棚に 上げていたのであ る.. ぎたせいか, 「勇み足」に 近い誤訳、を L,てしまって い. しかし. る ・横浜経営研究. い人 れ 替わりに在外研究のためドイツに 派遣されるこ. Vol.17N0.Ip.56 左段で 「しかし 十字架の影響の 可能性はそれに 尽きるものではない. そもそも学校教育は ,基礎的な教養を 教え,生徒の情 緒的素質を発展させ ,人格の幅広い展開を促進し 社. はじめて自分の 訳に疑問を持った 筆者は ,幸. ととなった我が 経営学部の青柳幸一教授に「ドイツ 人 の憲法学者の 意見を尋ねてみてはいただけないでしょ. うか」とお願いしたのであ る・その結果は「 appellativ. 余生活に影響を 与えることを 目的とする, この関連で. は 動詞 appe Ⅲ eren. 教室における 十字架は意味を 有するのであ る.すなわ ち,十字架は普通名詞たる ,性格 (appelativerCharak-. の形容詞化したものでしょう」という 衝撃 りな答であ. te,. ( スペルのミスも 同時にやらかしていた. 正しく. は, appe. Ⅱ at. 沖 erCharakte. 戸 筆者 注コ). を持つに至り ,. (訴える・法律用語で 控訴する ) 自. った.誤訳であ る. 後に勉強したことであ るが,文法用語上Appellativ に対応するものは Kollekt血 um. (集合名詞 ) であ る.. そこに象徴される 信仰の内容を 模範として示すことに なるが, これが, まだ物の見方が 確立しておらず ,精. しかし, この両者とも 純正のドイツ 語ではない,純正. 神的影響がとりわけ 簡単に起こる 若年期の生徒に 起こ. lekt 田 um. ってしまうことになるのであ る」と訳しているが ,. 詞のことは Hgennamen. の中の「 appellativ」という形容詞について. こ. 誤訳をし. ドイツ語では , Appelativ は Gattungsnamen, は Sammelnamen. Kol.. であ る. ちなみに固有名. という・おわかりであ ろうが,. 筆者の誤りは Gattungsnamen. と団 genamen. の関係に. 注目しすぎたために 起こったのであ る. しかし,注目. てしまったのであ る. そもそも「 appellaliv」という形容詞はドゥーデン. すべきであ. ったのは, むしろ Appellat Ⅳと. DudenVerlag) にも載っていない 言葉であ るが,同じ. Kolleklivum, つまり「普通名詞」と「集合名詞」と の関係であ る.集合名詞は「同じ 種類の中の多くの 個 体を総括していて 一団としてあ らわし個々のものに. スペルでも名詞「 Appellativ」は市販の携帯可能な 独. は 用いられない 名詞」であ り, たとえば Arbeiter-. 語辞典にも出ている 文法用語であ. AppellaliV は. klasse (労働者階級 ) や Vo 山 (人民 ) などがあ る.. Appellativum と同義で「普通名詞」と 訳、 されている.. 一方,普通名詞は別名「種族名詞」や「 類 名詞」と呼. 筆者はこの普通名詞という 訳に飛びついて「普通名詞. ばれ・ 「類の名であ ると同時に, その類に属する 個体. たる性格」としたのであ るが,決して浅薄な訳語の 選. の名であ るもの」を指し たとえば 別 ume (花 ), Katze (ォは ), Lehrer (教師 ) があ る *3,. このような. のドイッ 語 大辞典 (Duden, Das der. deutschen. 択 ではなかった.. Sprache,. Bd.. gro6e W 睡 terbuch ]., 2. Aufl.,. 分脈からが ぅと ,. る・. 1993. ナザレ人イエスあ. るいはイエス・キリストと 呼ばれる人物が 処刑された 「十字架」は ,ある意味で固有名詞であ る・それが普 通名詞化されることによって ,十字架という 普通名詞. 意味の対比からもう 一度 appe. Ⅱ. am Ⅳを考え直すとする. ならば,集合名詞のごとく 個々のものには 用いられな. い漠然としたものではなく ,種族名詞のごとく. 「より.

(5) 76 (76). 横浜経営研究. 第 1 号 (1997). 第 肌巻. 特化された」ものをあ らたす形容詞とみてよ い のでは. になるであ ろうことを示唆する ,. ないだろうか・ したがって, appellativerCharakter は「特化したという 意味での訴えかける 性格」と訳さ れるべきであ ったと思われる.いずれにせ よ ,誤訳は. のように, これまで へ一 ゲルのきわめっきの 用語とさ. 種々の単語に 移し替えている」との 指摘を発見するに. 誤訳であ る. いたり,筆者の知的好奇心が 俄然湧いてきたのであ る. へ一. れていたものでも ,いとも気軽に日本語でごく 普通の. そこで関内の 有 隣重 るのぞいてみる.三島教授の 寄 稿に出ていた 三浦氏や長谷川氏の 翻訳はあ るのだが, aufheben の訳を探すのはどうやら 相当に手がかかり. ゲル とチョベリバ. 読者諸氏は Georg Wlhe ㎞ FriendrichHegel を, もちろんのこと ,. その中に「『止揚」. ご存知であ ろう. この偉大なドイツ. の哲学者が後世に 残した遺産の. つが 弁証法. そうだ.なぜなら索引がないか ,あっても aufheben の項目がないのであ る. と,. う. なだれた筆者の 視線の. (Ⅱ alektik) であ. る, Hegel の弁証法における key. (1995 年・河田書房新 社 ) が置いてあ る. 「もしかして aufheben のことが. word は aufheben,. Aufheben あ るいは Aufhebung で. 書かれているのでは」と 調べてみると ,なんと 2 箇所. 一. 先に長谷川 宏. ・. へ一 ゲルを読む. あ る・我が家にあ る古 い (筆者が小学生のころの ) 百. も触れられているではないか.. 科事典 *4)で調べた一夜漬けの 知識に よ ると,物事の 対立・矛盾状態を 否定して,各々の対立者を不可欠の 要素・契機として 保存しながら ,一段階高次元へと 統 一することをあ られす概念として 理解されている. 弁 証 法という歴史的に 見れば多義的な 概念は,一面にお. (Aufheben) 揚J. いて,弁証法的3 段階の発展 (定立 + 反定立 つ 総合 :. あ くまで日常の 用語の延長線上でおこなわれているこ. 正 + 反 + 合の発展 ) の第 2 段階において 形式理論が認. とで, 日常語とは川次元の 語を創成する 気はへ 一 ゲル. めない矛盾の 存在を正面から 肯定するいわば 矛盾の論 理であ る・ この「総合」の 段階で重要な 位置を占める のが aufhehen であ るが, 日本の哲学の 先達は, これ に「止揚 (揚棄 ) する」という 訳を与えた. まさに, 正 反の村立を「 止 め (あ るいは 放 棄 し), 高次 元に引き「 揚 」げるという 概念の内容を 説明するに十. にはまったくない・ 沖 ㍼「歴史哲学」その 他では, [ アウフヘーベン」は ,その日常的な用法たる「破棄 する」の意味でしか 用いられていない」 (228頁以下 ).. 分な名訳であ る.. ごく普通の日常語なんですね ,. 」. ところが, 1996 年 7 月 24. 「. 日. 」. (水 ) 付の朝日新聞の 夕. 刊・文化面の「哲学の 思考再生へ新たな 試み. 平易. …は,. 日本のへ. 一. ゲル学者のあ い だでは. へ一 ゲル独自の用語とみなされて. …といった特別の. 「アウフヘーベン , [揚棄 ( ないし止. 訳語があ てられるのが 通例だ. が, へ一 ゲルの言語意識にこれほどそぐわぬやりかた はない.. " 日常の用法とはちがう. 独自の使いかた…. も. 「アウフヘーベンだって ,特別の用語でも 何でもない.. 沖略 ) 一方で持ち上げ 一方では捨てるという 使い方 は,一度もされてないんです.全部,捨てる , という 用法の通り, ゴミを捨てる ,. ドイツ語での 日常的な. というときの 捨てるなん. です.その意味でしか 使われてないんです」. (260頁 ).. で 筋の通った日本語に 一一 へ一 ゲルを中心に 冒険や エ. 実は,独和辞典で aumheben は多義的に訳出されて. 夫 」という見出しに 筆者は目を奪われたのであ る. 大. いる・ もともとの意味の「持ち 上げる」に始まり ,会. 阪大学でドイッ 思想を教えておられる 三島憲一教授の 寄稿であ る・三島教授によれば ,「自分たちの言葉の. 議などを「終える」,法律が「無効となる」,「放棄す る」, そして「取っておく」や「保管する」の 意味 ま. 正当性も自分たちの 言葉によって 根拠づけるという ,. で 多様であ る. へ一 ゲル自身も「放棄する」と「保存. r非哲学的な」堂々めぐり」があ り,「言葉や 文体を守 るのに,同じ系統の言葉や 文体を使う」という 哲学に おける原理主義があ る.そして「言葉の 戦いという近 代哲学の原理主義的体質が 増幅されているうちに ,哲. する」という 正反対の意味を 持っていることを「 賞 (め ) で」ていることは「 へ一 ゲルを読む」の 中でも. 触れられている (229頁 ). しかし ドイッに住んでい た日本の銀行マンが 夫人から「 aufheben ってどうい. 学は社会から 見向きもされなくなってしまった」. し かし「このところ 原理主義を超えた 見事な訳がいく. 「それはね・. つか出始めている」として ,三浦和男氏や長谷川 宏氏. えれば,非常に 簡単な日常用語であ ったのだ.実は ,. のへ一 ゲルの翻訳を 採り上げ,哲学の思考再生の糸口. 高校生の時の 倫理・社会で 記憶に詰め込んだ「止揚」. う. 意味なの. ?. 」と尋ねられ 答えたという 言葉が強烈 だ もう「 や一 めた」って意味なの」.よく 考.

(6) 名訳. or. 「弁証法」がさっぱりわからなかった. 迷訳一 輸入法学の宿命 一 (坂田 (Ⅱどうして矛盾. 思を持って・. (77)@77. 宏). 外形的な行為二表示行為をすることによ. したもの同士が 統一・統合されるんだ ? 」と ) のであ. って「意思表示」は 完成する *6). この「意思」と 訳. るが,今は理解可能になった.矛盾が 行き着くところ. された言葉はドイッ 語の Wie. まで行き着いたら「 や一 めた」と言って 次の次元に移. であ ったこと, さらに漢語・ 漢字には同音異義語がか. 志」という訳語があ てられる. 「意志」は広辞苑によ れば「こころざし 考え」, これに対して「意思」は 「考え. おもい」とあ る (ちなみに用語例として 挙が っているのは「意思表示」であ る ). 強いていえば , 「こころざし」というとそ「には 外形的行為が 介在し てくる印象が 強い.その点,「意思」のほうは「思い」 という純粋に 内心のものであ り,意思表示理論のいう. なりあ ることを原因としているのであ ろう.たとえば,. 「意思」を ょ. Prophetは一般の辞書には「予言者」と 訳されている・. ともあ れ, どうして通常の 訳語と異なる 翻訳をしたの. ところが日本のキリスト 教会では, 聖書における. かについては 定かでないが ,単に,法律の 専門用語で. Prophetは「神から与えられた 言葉を携え, この世の. あ ることが一目で ト 昔ではわからない. 人々にわかち 与え, あ るときには警告・. にするためにこのような 選択になったものというわけ. るのであ る.. とにかく,「止揚」「揚棄」という 訳は名訳であ る. ドイッ語の aufheben のもつ多義性とへ 一 ゲルの弁証 法の概念の内容とを 同時にあ らわしているからであ る おそらくこれは ,. 日本語が概念輸入に 用いたのが漢語. 断罪し また. あ るときには慰め 励ます 器 」であ るという認識の 下に, 「神の言葉を 預かる者」. 二. 「預言者」なる 訳語があ て. であ るが,通常は「意. り的確に表しているのではないだろうか.. ). わかる. よう. ではないであ ろう.. このように,欧米で 編み出された 概念を日本に 輸入. られる・信徒に 対して旧約の P,ophet が単に将来起. する際に , 多くの先達は ,. こるべきことを 言い当てる人でないことを 理解させる. 縦横無尽に活用して 様々の名訳を 生んできた.換言す れば, 日本語の有する「名訳を 生む土壌」を 耕して多. にはもってこいの 訳であ り, これもまた名訳と 呼ぶに. 日本語のもっている 漢語を. 価するであ ろう *5). このような名訳は 法律学にも多数あ るが,一番身近. 数の名訳が生まれてきたのであ る.現在では, ヵタ ;. で非常に優れている 訳を一つ挙げるとすれば ,おそら. 将来を憂. ナ 言葉や横文字言葉, また極端な省略など , う. 日本語の. 声も少なくな い .筆者が教養教育で学生た. くそれは「意思」という 言葉であ ろう,民法学におい. ちに民法を教えるとき 声を大にして「意思表示」を. ては, とりわけ民法総則における. 「意志表示」と 書かないようにと 説明するのであ るが,. 「意思表示. (Willenserklarung) 」という概俳があ る・意思表示理. 定期試験になるとガックリ 失望する結果が 待つている. 論は近代民法学, いや近代法律学の 礎であ る人間個人. 9 、 わず, いまどきの女子高生 語 ( らしい ) のように. の自由意志を 私法学の中心におくもので ,. 「チョ ベリバ !. ドイツ民法. ド超 verybad" の略語 ) 」と叫びたく. 学の所産の一つでもあ る.契約 (たとえば売買 ) とい. うものを分析する 際に, これを売主及び 買主それぞれ の個人の「意思」の 合致とみる.つまり ,あるいは売 主 (あ るいは買主 ) の申込みという「意思表示」に 対 して買主 (あ るいは売主 ) が承諾という「意思表示」 をなすことによって 売買契約は成立するものと 考える. 民事訴訟法学における 輸入概念のコペルニクス 的転換. NHK. 教育 TV. の人間大学で「新しい 科学史の見. 方」という村上陽一郎国際基督教大学教授の. 講義をみ. のであ る. この「申込み」あ るいはⅠ承諾」という. た.非常に興味深い内容なので書店でテキストを 買っ. 「意思表示」をさらに 分析するとき ,たとえば売主の. た ( まず,惹かれたのが vocation. 「申込み」の 場合を考えると ,買主に対して物品の売. 係に触れている 場面であ った <67)).村上教授の中心的. 買契約を申込みその 承諾をとることによって 売買を成. 理論は ,. 立させ・. よって経済的利益を 得たいという「動機」が. と. profession の関. 今や世間の常識となっている「英雄史観」,. 「勝利者史観」あ るいは「進歩史観」,すなわち ,. とり. 込みという効果 ) を招来しようとする 意思」すなわち 効果意思 (Geschaftswillen) を決定し, この「効果. わけ科学における「自己中心主義」に 基礎を置く歴史 観への批判であ る. たとえば, コペルニクス (N. Copernicus) が提唱した ( とされている ) 「地動説」. 意思を覚部に 発表しようとする 意思」すなわち 表示 意. に 対する当時のキリスト 教会の反応、は,一般の常識に. あ るときに, 「一定の法律効果にの 場合は売買の 申.

(7) 横浜経営研究. 78 (78). 第 肌巻. (1997). この Recht を使った造語にも 同じようなことがい. 従えば,中世のキリスト 教会は「天動説」を 金科玉条 のように信じていたのであ るから,これを 迫害したも のだと考えるだろう. しかしコペルニクス 自身はカ トリックの司祭であ り「彼の所論に 当時のカトリック. える.先に挙げた Rechtsschutz などはその典型例で あ る. また,民事訴訟法学の重要概俳に Rechtskraft という専門用語があ る.ひとたび判決がなされた 後に 全く同一の訴訟を 提起して紛争を 蒸し返そうとしても. 教会の最高責任者たるローマ 教皇も興味を 示しでき るだけ早く出版するようにという 意志を伝えさせた」 ことから考えると ,. 第 1号. この Rechtskraft という 前 訴の判決の効力によって 再 訴は許されない. 日本の民事訴訟法学の 先達は, この. このような歴史的認識は 眉唾もの. Rechtskraft に「既刊 力 」という訳語を. たし かに「既に判決したところの 効力」という 意味で概念. となる. これはせいぜい 19 世紀にはじめて 成立する. 「科学」というものがコペルニクスの 当時から存在し たはずだという 近代科学からみた (その意味では 非常 に「自己中心的」 な ) 歴史観の所産でしかないのであ. 白. 与えた・. りな説明として 優れており,名訳の一つであ ることに. しかし既判 力 というのは正式なドイ ツ語では materieIleRechtskraft であ る・ この 対 概念 は formelleRechtskraft であ り, これは裁判所が 自ら この paradieme という言葉は 言語学の用語であ る ) をあ られす「コペルニクス 的転換」は,他面,歴史観 の下した判決 (判断 ) を,適法な訂正等によらないで 変更することはできないという 内容をもつ概俳であ る のもつ常識という 固定観念の恐ろしさを 示しているも この一対の概念を 表するときには「実体的確定力」 のといえよう. る *8). 現代科学でいうパラダイム・シフト. は 間違いない.. (本来,. このような固定観念は , 実は容易に作出されうるも. 「形式的確定力」という. 訳語を用いる・つまり「形式. 確定力」を「既刊 力 」で言い換えることはしないの. のであ る.先に述べたへ一 ゲルの例においても , auf-. 目り. heben が日常の用語に 極めて近く用いられているにも. であ る.. かかわらず,「止揚」という 訳語 二 概念が独り歩きを. ところが,筆者がドイッ 連邦憲法裁判所のことを 研 究していたおりに 連邦憲法裁判所法 31 条 2 項に Gesetzeskraftという言葉を 見出した *,0). これは連 邦憲法裁判所のした 裁判がその公表 (実際には連邦司 法省 (BundesministriumderJustiz) のする連邦憲法 裁判所判例集の 公刊 ) と 同時に法律 (Gesetz) と同等 の効力を得るということであ る・筆者は法規白 9 効力と いう意味で「法規 効 」と訳しておいた・ とすると,. しているかのようであ る.全く同じことは 法律学 ( と りわけ筆者の 専攻する民事訴訟法学 ) の世界でもあ て はまる. たとえば, へ一 ゲルの G,undlinienderPhi. losophied 。, Recht という著者の 新しい邦訳として 三 浦和男氏らは「法権 利の哲学」というタイトルを 与え ているが, ドイッ語の Recht も英語の「hght も文脈に より変幻自在に 訳出される言葉であ る.法律の世界で は, Recht の客観的な側面を「 法 」,主観的な側面を 「権利」と訳するのが 通例であ る.原語でも,わざわ ざ objektives Recht (客観的な法 ) と subjektives Recht (主観的な権 利 ) と区別している 例も多 い そ もそもの意味は ,形容詞 recht (= 「正しい,正当な, 当然の,本当の,適切な,好都合な」 ) 0 名詞形とし て「正しいこと」を 表している.羽織袴を 着けた言い ・. 方をすれば,それは「正義」ということになるのだが. これを客観的に 眺めると「 法 」となり,主観面すなわ ち人間という. 主体から考えた 場合には「権 利」という. ことになるのであ る.そういう 意味合いからすれば ,. 耳慣れない「法権 利」という訳語もあ ながし悪くはな とに く,哲学的にみれば 名訳といえるかもしれない・ かく,一番ニュアンスを 捉えた訳は「正しいこと」で あ る. 日本人の法観俳の 中に「 法 とは正しいものであ る」という意識はどの 程度あ るのであ ろうか *9).. ,. Rechtskraft は「法の効力」や「権 利の効力」, さらに は「正しいことの 効力」と訳してみたくなる・. もち ろ. ん , ドイツ民事訴訟法学の 歴史からみるとこのような 訳語はとるに 足らぬものであ り, まさに「焼判 力 」や 「確定力」という 訳 こそがとられるべきであ る・ しか しその背後に ,裁判所のした 判決は制度的にみて 「正しい」ものであ ることを表すものとして Rechtskraftという言葉が 用いられているとは 考えられない であ ろうか.. もう一つ Recht の関連で採り 上げられるべきは Anspruch であ る・たとえば ,法的審問請求権 という 基本権 を基本法 103 条Ⅰ項は An,p,u. 。hauf,. 。。 htliCheS. Gehdr と規定するが , これはまた Recht auf recht. liches Gehdr とも呼ばれている. この二つの単語が 使 われている場面の 違い る 強いて挙げれば ,法の客観的 な側面を示す 場合のみ Recht が用いられでいること.

(8) 名訳 or 迷 誠一輸入法学の 宿命 一 (坂田. であ ろう. ( ただドイッの 学者が厳密に. (79) 79. 宏). 使い分けている. ドイツでも, ZP0377 条 3 項において「証明問題の 内. のかは不明であ る ). ところで,主観的な側面だけを. 容」と「証人の 個性」を考慮しつっ 書面尋問が規定さ. みても,民事実体法上「権 利 (Recht)」の概俳には 債権 的な「請求権 (Anspruch)」の他にも,所有物に 対する支配権 など多種多様なものが 含まれているので あ る・ したがって,債権 的な (場合によっては 物権 的 な ) 請求権 であ れば権 利と呼んで差し 支えないのであ. れていることを 傍証的に挙げている. しかし. ドイッ. 民事訴訟法の 注解書などをみる 限り, これは,遠隔地 の証人, あ るいは病気等により. 出頭が困難な 証人の書. るが,権利だからといって 請求権 であ るとは限らない が成立しているの という関係 ( は nspruch+Rechl]). 百尋問を規定するものではなく ,むしろ書面尋問の 要 件はかなり厳格に 考えられている (Vgl. z.B. Thomas/Putzo, ZiviIprozenordnung,1g.Aufl., C.H.Beck 1995,S377Anm. 2)* ②・つまり, ZP0377 条 3 項が. であ る.. 日本の改正法の 根拠となることはないはずなのであ. ところが,このAnspruch. という言葉は 民事訴訟法. る. では, どうしてこのような 過誤が生じたのであ ろう. においても用いられており ,民事訴訟法学においては. か・それは, PersondesZeugen. 「請求」と呼ばれている.. 訳して,それを「証人の 都合」というふうに 読み説い. ここで実体法と 訴訟法との. を「証人の個性」と. 間にあ る難しい論点やそこから 生じる「訴訟物論争」. たそもそもの 翻訳に原因があ るのだと筆者は 思って い. について説明する 暇はないのであ るが, とにかく, お. る. なじ An,p,uCh. 義し民事訴訟法は「請求」と 定義したことに 2 0 , 概念上の蛆 卸が 生じ,混乱が起きたのであ る "11,. も ちろん,このような 混乱が学問的にはむしろ 有益であ. 身体それ自体」を 指す言葉で あ ったものが,今や「 人 」「その人自身」「人となり」 という意味があ てられ,心理学の世界では「仮面」と いう訳さえ登場してくる ), この場合にふさわしい 訳、. っ たことは疑いもない.. 語を見出すことは 著しく困難であ る. しかし別の訊、. という言葉を ,民法は「請求権」と定. さて,民事訴訟法の 法規定及び概俳の 中で同じドイ. り. たしかに Person という言葉も 非常に多義的であ. ・. (そもそもは「人間の. 語 ,たとえば「劇や小説における 登場人物二役」,文. ツ語であ るにもかかわらず ,訳語が多岐にわたってい. 法における「人称」,. る言葉があ る. それは Grund. 「神の位格」から 考えると「その 人物の果たすべき 役. という言葉であ る. た. とえば,新民事訴訟法133 条 2 号の「請求…の 原因」 は ドイツ民事訴訟法 の「 (die best ㎞ mte. ) 253 条 2 項 2 号 Angabe) … des Gr Ⅱ ndes des er(以下「 ZPO. 」. h0benen Anspruchs 」, 同法 253 条 1 項 3 号の判決の 「理由」は ZPO 313 条 1 項 6 号の「 dieEntscheidungs. grunde 」,民事執行法35 条 2 項の異議の「事由」は dieGrimnde」であ る. どの例も「根拠 -l というニュ 「. アンスであ る. これもまた,翻訳、というフィルターを. 通った概念の 例であ るといえよう. ところが,仝次の 民事訴訟法改正作業の 中にやや質. は異なるが同様の 過誤. ( と思われる ). が見出される.. 新民事訴訟法 205 条は証人尋問に 代わり書面を 提出さ せて証人の証拠調べに 代えるという「書面尋問」の 規. そしてキリスト 教用語における. 割」というようなニュアンスが. 浮上してくる. この. PerSon deS Zeugen も, そのように理解すべきものの ように思われる.つまり ,その証人が医師ならば医師 として。 警察官ならば 警察官として ,たとえばカルテ や捜査記録に 基づいて書面で 回答するような 例が教科 書に挙げられているのであ proze. 肝 echt, 2. Aufl., Heymann. る. (Sch;lken, ZiVil-. l995, Rdnr. 527). し. たがって, 日本の書面尋問制度がドイツから 輸入され たとする㎡ sleading な 読み方は避けられるべきであ り, むしろ, 日本がこの制度を 輸入する際に ,要件面. でかなりの拡張をしたものとして 理解されるべきであ ろう. とにかく, 日本の法学, とりわけ民事訴訟法学が 輸. 定をおいた.問題の過誤はその立法理由の 中にあ った. 人法学であ る限り,概念の 翻訳と誤訳、という研究者に. 改正作業の初期に 公表された「民事訴訟手続に 関する. とっての死闘は 永遠に続く.. 検討事項」のなかで「証人…が. 紀にイスラムの 学問からギリシャ・ローマの 学問に接. り. 」「病気等…で. 遠隔地に居住していた. 裁判所に出頭することに 困難が予想、. ョ. 一ロ ,パもかつて 12 世. しその成果をギリシャ 語やアラビア 語の書物からラ. される」とき「書面の 提出が期待でき」「反対尋問を 実施しなくても 信用するに足りる 客観的な陳述が 得ら. テン語に翻訳する 過程を通って 学問の発展をみたので. れる見込みがあ る」ということを 立法理由とする 際に ,. して翻訳の作業を 厭う必要はない. しかしあ まりに. あ る (「翻訳の世紀」 )"1.3,.その意味では 一 研究者と.

(9) 80 (80). 横浜経営研究. 第 肌巻. 深い読み方も ,あまりにも薄い 読み方もしないように. 第. 1. 号 (1997) のだが,残俳ながら ,実は仝国 見直してみて 初. 注意しなければならない. ここでの試みがこの 標準を 充たしているかどうかについては 甚だ心許な い もので. あ るが,筆者が一介の法解釈学者として 心しておくべ きことのアウトラインは 描けた よう に思われる *14).. *1) まず,「破産管財人の 履行選択の効果 ツ判例を契機として. ドイ. 」横浜経営研究 Vol. 11 N0.3 p. 193-p.205 (1990 年 12 月 ) の (注 ) 欄 (p.202) の(6)と (7)が逆転している・これは , 脚注連動方式を 採らないワープロで 書いた原稿 であ ったため, 推 敵の時点で前後を 変えたのを 忘れたためであ る. 同じく,小さなミスであ る. もちろん,真ん中の空白は必要ない.単純な. 筆. 者の「校正ミス」であ る. 次に, 「民事訴訟における 証人義務と証言拒 その上ヒ較法的考察と憲法的契機に 関す 絶権 る覚書 」横浜経営研究 Vol. l5 No. l p.. 33-p.45 (1994年. ものと思われる.. 」. 6. る . 条文には「 第何 条は監査役についてもこれ. が校正段階の 加筆により移動していたのであ る 脚注連動方式のワープロ・ソフトを 用いてもこ. のミスはおかしうるので 注意していたつもりな. 7. を 準用する」という 簡易な構造となるのであ る が ,注51) はこれを狙ったものであ る. ところ が,取締役に関する規定にあ たるもともとの 注. 1 傍 本 ・ け 、 場る を ・ 解素 冒片 案 , 車 た の ょ う ョ ま. さらに,ⅡK,uzifix-Beschlu ドードイツ裁判 例紹介. ドイツ連邦 f 法 裁判所制度をめぐっ て」横浜経営研究 Vol. 17 N0. l p. 54-p. 65 (1996年 6 月 ) の 3. 考裂 1)(a)(p.57友枝 ) に 「裁判権 (GerichtsbarsbarkeM 」とあ るが,正 しくは Gerichtsbarkeit であ る. 自分の原稿へ の過信が最も 典型的にあ らわれているミスであ る・ もう一つ,注51) で引用した「注 44) (p. 64 左段 ) は誤りで,正しくは「注 46)」で る ( 同様の間違いが 注 44) (p.63 石段 ) にもあ り, 「注37) 」は「注 39) 」とされるべきものであ る ) 法律用語に「準用」というものがあ るが,たと えば株式会社の 取締役の責任について 既に法律 が規定してあ るとして,全く 同じ責任を監査役 についても規定する 場合にこの準用が 用いられ る .すなわち,取締役に 関する規定をそのまま 持ってきて,ただ「取締役」を「監査役」と 読 かえ (必要であ ればその他の 言葉を微調整し て ), 監査役の責任を 定めた規定とするのであ. 3 5 4. 6 月 ) の注 3) (p.41 万段 ) で引用した柏木先生の 論文名「企業秘密と 証言 拒絶」の冒頭の「 企 」が落ちている.おそらく 校正段階の朱筆で 削除する作業で 過誤があ った. 2. が,本文 (p.193方技 ) においてドイッ 破産法 を「 Konkursordnune 」と印刷した 箇所があ る.

(10) p 小+ 一 さ : る n 勺 こ. 名訳 or 迷訳一 輸入法学の宿命 一 (坂田. 宏). (81) 81. *10) 拙稿・双掲Ⅱ Kruzifix-Beschlu げ 」横浜経営研 究 Vol.17N0.l. p.58.. "11) たとえば,訴訟法上,現在の 法律関係の確認を 求める確認訴訟における「請求」は 必ずしも実 体法上の「請求権 」を対象にした 訴訟であ ると はいえない・ このように,実体法上の 請求権 と は 異なる局面において 定義をせざるをえなくな ったことが,有名な訴訟物論争の 始まりでもあ. った. ちなみに, ドイツ民事訴訟法 (1877年 ). 下・ ス セと を合 ミ. 少 がなくないと 89. のほうがドイツ 民法は 89f 年 ) よりも早く立法 されており,民事訴訟法の 立法者の頭の 中には 民法が Anspruch に異なる意味を 与えるなどと いう予想は全くなかったのであ る. *12) この問題の詳細に 関しては,高田昌宏「民事訴 訟における証人尋問の 書面化の限界 (一 ) 」早 稲田法学 72 巻 4 号 (1997 年 3 月 ) 203 頁以下,. 参照. *13) 参照,村上・ 前掲テキスト 33 頁 一 36 頁. *14) かつて拙稿「建物収去土地 明渡 訴訟の標準時後 における建物買取請求権 の行使と請求異議の 訴 え」判例評論 452 号 (1996 年 10 月・判例時報社 ) 210 頁 (注 29) で指摘しておいたことを 再録し ておきたい. 「もちろん, Grund という単語の もつ多義性は 認めるが,やはり , 日本語訳は違. っていても一つのドイツ 語の単語で言い 表され ている概念であ るという自覚が ,法解釈学者に とっては必要であ るといえよう」. ひろし 横浜国立大学経営学部助教授 ). ( さかた.

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