茨城大学教育学部教育研究所紀要14号特集(1981)13−25 13
到 達 度 評 価 の 背 景 と 問 題 点
一改訂指導要録との関連において
山下恒男
(1981年10月31日受理)
1 改訂指導要録と到達度評価
近年,社会問題化している教育評価をめぐる論議においては,相対評価か絶対評価か,というこ とが最も重要な争点であったといえるだろう。
しかしながら,1980年2月29日に,文部省初等中等教育局長名で公表された「小学校児童指導 要録及び中学校生徒指導要録の改訂について(通知)」 (以下「改訂指導要録」と略す)を直接の
● ●
契機として,問題は「到達度評価」の評価へと移っているようにみえる。
これが発表されたとき,新聞等のマスコミはこぞって「到達度評価の導入」を強調した。例えば,
同年3月1日の朝日新聞の見出しは 到達度評価を導入 であり,別に 難問多い「到達度評価」
という解説記事を掲載している。また,同日の毎日新聞も,見出しは 学習指導要録に到達度計る 項目 であり,どちらも「到達度(評価)」という言葉を用いている。
しかしながら,今回の「通知」の文章の中に直接「到達度」という言葉が使われているわけでは ない。 「改訂指導要録」の特色としては,(1)五段階相対評価の大枠は従来どおりだが,一部を三段 階評価に変えた,(2)「各教科の学習の記録」の「所見」欄の名称を, 「観点別学習状況」と改め,
目標の達成状況を観点ごとに評価するようにした,(3)「所見」, 「行動及び性格の言録」欄の記入 を文章でする,の三点が挙げられるだろう。
この中で,到達度(評価)の考えを示しているのは,もちろん②であって,「通知」の中の当該 の部分は次のようなものである。
「皿所見」の欄については,この欄の記録を一層指導に活用できるようにするため,学習指導 要領に示す目標の達成状況を観点ごとに評価することとしたこと。また,評価方法を改めたことに 伴って,欄の名称を「皿観点別学習状況」と改めたこと。更に,各教科の観点については,新学習 指導要領の趣旨を考慮して所要の改善を加えたこと。
この「通知」が公表される前後から,わが国の教育界では,到達度評価をめぐっての一種の 狂 騒状態 が続いている。到達度評価を解説する単行本が刊行され,雑誌の特集等も数多くみられる。
雑誌r指導と評価』などでは特に到達度評価に関する記事が激増している。そして,この雑誌では 従来から「教育評価基本用語解説」を連載していたのであるが,1981年の4月号からは「一昨年
定して解説する」などということにまでなっている。
このような到達度評価ブームというものは,もちろん直接的には 上から のものではあるのだ が,それだけとは言えない面もある。というのは,「通知」が発表された時点での新聞の論調など
にも典型的にあらわれているように,到達度評価を取り入れたとされる今回の改訂指導要録が,現 在社会問題となっている「落ちこぼれ」の救済,あるいは競争の緩和,「ゆとりある教育」等の実 現をもめざしていると一般に理解されているからである。
このような,たてまえとしての「ねらい」そのものを否定する人はいないであろうが,問題はそ れが現実的なものであるのかどうかである。そして,すでに今までにもこの点に関しては多くの危 倶,疑念が示されているのである。1)
本稿では,これらの点を明らかにするために,到達度評価の理論の中心人物と目されているB.S.
ブルームの理論を特にその「教育目標のタキソノミー」に焦点をあてつつ検討する。そして,この 理論がわが国に受け入れられた背景,到達度評価と改訂指導要録との関係,さらには到達度評価の 考え方そのものに内在する問題点などについて考察してみたい。
2 教育目標の分類学
あらゆる教育的働きかけの背後には,つねに「教育目標」が存在している,という考え方には特 に異存はないであろう。しかし,現実にはその教育目標のあり方はかなり幅広いものである。つま り,一方にはいわゆる「哲学的」といわれる思弁的,抽象的な教育目標とその表現があるのである が,その対極にあるのがこの教育目標の分類学(Taxonomy)なのである。これは後述するように 極めて具体的,操作的,かつ「客観的」なものである。
そもそもの動機がブルーム自身によって次のように説明されていることからもわかるように,プ ラクティカルなものだったのである。
この「教育目標の分類学」は,大学の試験委員グループが目標群やテスト項目やテスト手続き について自分たちの間の,あるいは同僚との間のコミュニケーションを容易にするために開発した ものである。体系的操作的分類方法が欠如していたためにあいまいさや誤解が生じ,また,目標と そのテストについて共通の理解を持とうとする教育者間のコミュニケーションが阻害されているこ とが認識されていたのである 。2)
ところで,ブルームの理論が一般に紹介されるより,だいぶ以前に,わが国でも大西佐一氏によ る「教育目標の分類に関する研究」(1955)3)がある。ここでの問題意識は次のようなものである。
すなわち,「教育諸目標が正しく指導され学習され評価される為には,その中に用いられている重 要な心理的概念や機能が,それぞれの適確なる意義に於て把握されねばならない。そこで凡ゆる教 科の諸目標が何等かの心理学的或いは論理的方法によって整理され分類され体制化されて,各目標
にそれの独自の意義と位置が与えられるならば,その目標に対する理解は一層深まるであろう」と いうものである。
大西氏は,1949年に米国イリノイ大学に於て実施された「教育目標分類学に関する研究協議i会」
を,この構想に対する最初の公けの研究としているが,この協議会の資料と彼自身が同大に留学し 6
ス時の研究をもとにして,「我国における現行の教育諸目標と対照しつつ試みた試案」を発表して いる(表1参照)。
なお,大西氏はこの研究を進める際の基本的諸原理として,次の5点を挙げている。
① 教育目標の分類は全構想を通じて確固たる理論に基づいた心理学的一貫性が要求される。
② 教育諸目標が理論的に相互に独立した心的機能であるか否かを確認しつつ・各目標の学習のた めに独自の指導法或いは評
価法が用いられねばならな 表1 教育目標の分類;大西佐一(1955)
い。 認 知 的 領 域 情 意 的 領 域
㈲ 教育目標は現実に観察可
能な操作,行為或いは行動 (1)知 識 〔A〕対象の受容 i2)知的技能 (a)関 心 の形で表現され得るもので 〔A〕理 解 (bl興 味 あらねばならぬ。 (a)翻訳 〔B〕感動的体験
(4}目標機能は一つの結果又 (b)解釈 〔C〕傾向の形成 は所産としての到達点を示 (c)類推 (a)習慣
kB〕応 用 (b}態 度
すものであるから,それに 〔C〕分 析 (1)知的対象によるもの。
到る手段又は準備的なもの 〔D〕綜 合 (2)美的対象によるもの。
は目標として挙げることは (a)単に自己の意志を相手に (3)道徳的対象によるもの。
不適当である。 通ずるのが主要目的である (c)適応 鼾〟B (イ)抑制的適応
⑤ この構想は特定の教育哲 (b)綜合の所産が一つの計画 (司積極的適応 学や政治学によって,左右 である場合。
されるべきものでないのは (c)綜合の所産が抽象的な関
当然である。 係や法則である場合。
〔E〕評 価
この基本的諸原理もそうで (a)原内容の内部に存在すべ あるが,ブルームの目標分類 き論理的正確性又は一貫性 の表(表2参照)と対比させ 等が準拠になる場合。
てみれば明らかなように,大 (b)原内容を超えた広い観点 からの準拠によって評価が 西氏のこの分類とブルームの 行われる場合。
それは非常によく似ている。4)
とりわけ「認識的領域」などはほとんど同じといってよい。しかも,それでいて,この大西論文で はブルームの名前はひとことも出てこないのである )
つまり,現在ではブルームのみがわが国では有名になってしまっている瓶彼と前後して同様な 考え方を持っていた多くの研究者がいるということなのである。また,大西氏のこの論文は発表当 時のわが国の状況からみて早すぎたと言えるのであり,後に70年代になってブルーム理論がさか んに紹介されるようになっても,なぜかほとんど無視されたままのようである。
3 ブルーム理論への関心
1971年の7月上旬,スウェーデンのグレンナにおいて,IEA(教育到達度評価国際協会)が主 催し,ユネスコを初めとする多くの国際団体の後援のもとに,第1回の「カリキュラム改革に関す
る国際セミナー」が開かれた。この時の会長がブルームであった。
日本からは,梶谷叡一,渋谷憲一等の当時の国立教育研究所所員,中島章夫,武村重和らの文部 省の役人ら諸氏が出席した。
翌1972年6月26〜30日までブルームは日本を訪れ,東京木学国立教育研究玩文部省でそ
れそれ講演を行なっている )
ブルームの訪日以前にも彼の理論の紹介がまったくなかったわけではないカ㍉7)この前後からわが 国でも上記の人たちを中心にしてブルーム理論への関心が高まっていったのである。
そして,今回の改訂指導要録の原案を作成した「指導要録改善協力者会議」 (主査=辰野千寿・
上越教育大学長,委員18人)の初会合が1979年の10月2日に開かれたのであるが,この委員の 中には,梶田叡一,永野重史氏らが含まれており,また,文部省の担当官も中島章夫,熱海則夫氏
らであり,今回の改訂にブルーム理論が取り入れられることは充分予想されることであった。
特に,当時文部省初中局教育研究開発室の中島章夫氏は次のように書いて,ブルーム理論を積極 的に評価していた )
ブルーム教授の理論は,ひとりひとりのこどもをのばすきめ細かな理論構成において,従来の わが国に比較的なおざりにされてきた教授学習過程の科学的分析と教授方法の革新に光を与え,総 合的なカリキュラム開発組識とそのことへの日常的かつ長期的な取り組みの提唱において,教育内 容行政を科学的基盤に乗せる上での貴重な示唆を与えるものであると思うのである。
表2 認知・情意領域のタキソノミー;B.S. Bloom(1971)
認 知 領 域 情 意 領 域 LOO 知識 1.10 個別的なものに関する知識 1.0 受け入れ(注意すること)
1.11 術語に関する知識 1.1 〈意識〉
n2 特定の事実に関する知識 1.2 〈意欲的な受け入れ〉
1,20 特定のものを扱う手段・方法に関する知識 1.3 <統制された,あるいは選択さ L21 約束ごとに関する知識 れた注意〉
1.22 現象の時間的変化や順序に関する知識 2.0 反 応
1.23 分類とカテゴリーに関する知識 2.1 〈反応としての黙従〉
L24 基準に関する知識 2.2 〈意欲的な反応〉
1.25 方法論に関する知識 2.3 〈反応への満足〉
1.30 一般的,抽象的なものに関する知識 3.0 価値づけ
1・31 原理と一般化に関する知識 3.1 〈ユつの価値を受け入れること〉
1.32 理論と構造に関する知識 3.2 〈1っの価値を好ましいものと 2.00 理解 2.10 変換 すること〉
2.20 解釈 3.3 〈1っの価値に基づく行動〉
2.30 外挿 4.0 組織化
3.00 応用 4.1 〈価値の概念化〉
4.00 分析 4.10 要素分析 4.2 〈価値体系の組織化〉
4.20 関係の分析 5.0 1っの価値あるいは複合的な価 4.30 組識原理の分析 値による個性化
5.00 統合 5.10 独自の伝達内容の創出 5.1 〈一般化された構え〉
5.20 計画あるいは実施企画の創出 5.2 〈個性化の実現〉
5.30 抽象的関係の導出 6.00 評価 6.10 内的基準による評価
6.20 外的基準による評価
ところで,ブルームの理論は大別して次の4つの領域を持っている。
(1)教育目標の分類学(タキソノミー)
② 形成的評価の理論
(3}完全学習の理論
㈲ カリキュラムの理論
(1)は,教育目標を表2に示されるような認知領域,情意領域,,それにこの表にはないが運動技 能領域を含めて3領域考え,それぞれの領域別に,目標相互の達成系列性を明確にするタキソノミ 一(分類学)を意図したものである。
このタキソノミーの特徴としては,教育的妥当性,論理的一貫性,心理的基盤の三つが規準にさ れたということ,また,具体的な目標設定においてはその一義性,客観性を考慮した「行動目標」
となっている点があげられるであろう。
②の点に関してであるが,ブルームが評価を,診断的評価あるいは事前的配置的評価,形成的評 価,総括的評価に三大別していることはよく知られている。彼はこのうち形成的評価(Formative
Evaluation)を重視するが,これは教育活動の過程において,達成されるべき目標群の中でどれが どの程度達成されているのかを「形成的テスト」によってとらえ,以後の学習のフィードバック機 能をになわせようとするものである。
(3)の完全学習(Mastery Learning)の理論というのは,あらかじめ設定された教育目標群のすべ てが本来,大多数の生徒によって達成されるべきものであり,学力が正規分布するというのは,む
しろ教育努力の欠如の結果を示しているにすぎないという考え方である。この前提のもとに,生徒 一人一人の能力に応じて学習時間,学習内容,教授法等を変え,最終的にはすべての生徒の学力を 一定基準以上に持っていこうとする。
(4}のカリキュラム理論であるが,ブルームは組織的なカリキュラム開発を行なうためには,様々 な専門家の協力を得て,統合的なカリキュラムの樹立が必要であると考える。そして,そのたあの カリキュラム研究・開発センターの必要性を主張する。そこでは,「教育の目標とカリキュラムの 価値基準の決定」, 「教育内容と教育媒体および教育方針」, 「カリキュラムと指導の有効性の評 価」,「カリキュラム改革に伴う現場教育と教員養成の指導者養成」等の研究開発が構想されてい
る。
以上みたように,ブルームの理論といわれるものは,4本の柱よりなっており,それらが相互に 密接に関連し合っているのである。そして,その中でも,第1の「教育目標の分類学」がすべてに わたって基本的な重要性を持っている。また,彼の構想の実現のためには行政レベルでの大規模な バックアップが必要であり,「政策科学」的色彩を帯びやすいことも指摘できよう。
ところで,ここで注意しておかなくてはならないのは,ブルーム理論への期待というものが,必 ずしも文部行政サイドだけのものではないということである。例えば,国民教育研究所の坂元忠芳 氏も次のように述べてブルーム理論に対する一定の評価を示している。9)
この本はかなりいろいろ問題を含んだもので,あとでも触れますが,アメリカのカリキュラム 改造運動を反映して,ひとことでいえば操作主義的な側面をかなりふくんだ内容となっています。
ですからこの内容をそのまま日本の現実にあてはめたり,無批判にとり入れたりすることは問題だ と思います。しかし,この本が提起している非常に重要なことは,これまでの評価が差別・選別ふ
るい分けの評価であったのにたいして,これからの評価は発達のたあの評価でなければならない, 9
ニ。そして,基本的な知識をすべての子どもに完全に習得させるという立場から,到達目標を具体 的に設定しなければならないと説いているところです。
また,京都府では,1975年2月に,京都府教育委員会が「研究討議のための資料・到達度評価 への改善を進めるために」を示して以来,到達度評価の実践・研究が全府下的に組織的に進められ てきている。したがって,文部省の方針だけにとどまらず,この評価法を受入れるかなり幅広い基 盤はあったといえる。
4 改訂指導要録の問題点
到達度評価の問題点を改訂指導要録との関連において考える場合,二つの視点が存在する。一つ は,改訂指導要録が到達度評価の考えを取り入れていることによって生じる教育現場への影響の問 題であり,一つは,様々な「応用」のもととなっている到達度評価(あるいはブルーム理論)その
ものが本来的に内在させている問題点である。
もちろん,両者は互いに関連し合って機能している性質のものであるが,ここではまず便宜的に 分けて考えてみることにしたい。
最初に,改訂指導要録の問題であるが,筆者はこのことに関連して,すでに2点ほど問題点を指 摘しておいた♂o)第1の点は,「ゆとりある教育」の志向している方向性についてである。この点 についての筆者の考えを少し長いが次に再掲しておきたい。11)
たしかに,「ゆとり」を求める声は,激烈な受験戦争,「非行」,登校拒否等の問題を背景と して広く世間にあるということができるだろう。文部省としてもこれらの世論を無視することはで きないだろう。けれど,だからといって,文部省がこれらの声に謙虚に耳を傾けたとみるのも楽観 的にすぎるだろう。ここでは,産業界その他と連動した「人的能力」あるいは「人的資源」の政策 の底流というものをみる必要があるのである。
「ゆとり」ということを言うなら,わが国の戦前の義務教育もまた「ゆとり」があったと言われ ていることが想起される。教師や親たちも大多数の子どもたちに対しては,「勉強,勉強」と追い たてることはせず,事実,評価においても絶対評価が行われていた。このような「ゆとり」は天皇 の赤子の間に無用な争いを持ち込ませないという家族国家論を背景にもしていたのであるが,一一方 では,人的能力の正規分布を仮定して,高等教育を受ける人間を制限する役割も果たしていたので ある。その結果,「ゆとり」の中で義務教育を終え,ブルー・カラーの労働者となる大多数と,官 史,技術者となるべく激しい競争を続ける少数のエリート候補者という教育における二重構造が厳 然と存在していたのである。
このような構造は戦後の「民主化」,技術革新,高度経済成長等によって揺らいだかに見える。
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事実,60年代の人的能力政策では,児童・生徒全体の能力(?)のかさあげを一方では目指したと いう側面も無視できない。これは,国民の間に存在する高学歴志向と対応するものであったのであ ● 驍ェ,70年代に入ってからの経済の失速,安定志向の中で教育過熱の状況を沈静化することが急
務となっていったのである。そして,能力・適性に応じた教育(=分相応の教育)のスローガンの 陰でブルー・カラー労働者の送り出しが再び志向されていると思われるのである。
(中 略)
そうした観点からこの「ゆとり」の問題を考えてみるならば,児童生徒およびその親に対しては,
「ゆとりある教育」を突破口にした戦前の二重構造への復帰というものも意図されているのではな いかとも考えられる。
もう一つの点は,教育現場,とりわけ評価をする側の教師に対する波及効果の問題である。ここ でも,筆者の考えを再掲する。
今回の要録改訂においても,それによる教師の教育労働の内容の変化,ひいては意識の変化は 重要な問題である。そして,この改訂案を見るかぎり,教師の仕事が従来より増大することは間違 いないようである。もちろん,負担増そのものが問題なのではなく,それが本当に教育にとって意 味のあるものであるかどうかが問題なのであるが。
教師たちがあらたな学習を要求される最大のものとしては,到達度評価と「所見」欄等の文章記 入の二点であろう。到達度評価に関しては, 「特にr各教科の学習の記録』のrn観点別学習状況』
の評価を適切に行うためには,付属資料などを参考にして,今後教育委員会及び学校において研究 を積み重ね,観点の趣旨を学年別に具体化することなどについて工夫を加えることが望ましいこと」
と「留意すべき点」が記されている。
ここでの「観点」は小学校においては国語から体育まで合計34あり,それがほぼ1年生から6 年生まで学年別にあるわけである。そして,「付属資料」としての「観点別学習状況評価のための 参考資料」が付されているのであるが,もちろんそれだけで実際の評価ができるわけではない。そ こに肉づけし,具体化するだけでも大変な作業となろう。目標の設定に関してはある程度の目安が 示されているが,目標に到達したかどうかを判定する基準は教師たちが作らなければならない。し かも,その基準が一応できたとしても,次には学力テスト等によって実際の判定をする作業も必要 である。文部省では,これを各地域,学校の実情に応じて「創意工夫」するよう求めているのであ
る。
したがって,これからは各種の研修会,「自主的」な研究会,実践報告といったものがっぎっぎ となされていくであろう。かくて,教師に対しては聖なる技術者であることが一層求められること になる。一人一人の教師はたとえば「到達度評価」という具体的目標を示されることにより,それ を修得するための学習に没頭することになる。このこと自体はとがめだてすることではないように 思えるかもしれないが,現実には,そのことによって,教育そのものをつねに根底からとらえかえ そうとする柔軟な感性は無用なものどころか邪魔なものとなってゆくのである。
さらに,教師の多忙さが他のことに対する無関心の口実だけでなく,「他のこと」が実際に存在 しなくなってゆく恐れがある(それは「恐れ」だけでなくすでに進行している事態でもある)。し たがって,生徒に対する教育としては規格化されたルーティン・ワークを繰り返し,学校の「雑事」
に奔走する官僚化された教師と,「自分の教室」を「聖域」とし,教育技術の向上のみを心がける 技術者化された教師が,今後ますます増大する可能性がある。
以上述べてきた点についてはあまりにうがった見方だという批判もあるかもしれない。しかしな がら,教師の官僚化,あるいは教育現場の管理,統制の強化というものは疑いようのない事実であ り,改訂指導要録における到達度評価の導入というものもまた,そのための役割を負わせられる可 能性も充分考えられることなのである。
表3は文部省によって示された中学校 表3 観点別学習状況(中学校・社会)
社会の「観点別学習状況」である。そし
ト,その評価のための参考資料が表4で 知識・理解
社会的事象に関する基本的な知識を身 ノつけ,その意義を理解している。
ある。観点として掲げられた目標自体は, 資料活用の 各種の資料に親しみ,それらを効果的 その相互の関係を問うことをしない限り, 能 力 に活用することができる。
すべて重要なものであって非難の余地が 社会 社会的思 社会的事象のもつ意味を多角的に考察 ないようにみえる。しかし, 目標 が 考・判断 し,その意義を公正に判断することが
ナきる。
画一的,客観的(?)に設定されること 社会的事象 社会的事象について関心をもち,その がそもそも問題なのであり,そういう意 に対する関 理解を通してよりよい社会を考えよう 味で,このような目標の選択のみが唯一 心・態度 とする態度を身につけている。
妥当であるという保証は存在しない。
それよりももっと重要なことがある。表3,4を見ると,「公正に判断する」とか「よりよい社 会」という表現がある。こうした目標に到達できているか否かをいかなる基準で判定するのだろう
表4 観点別学習状況調査のための参考資料(中学校・社会)
観 点 地理 的 分 野 歴 史 的 分 野 公 民 的 分 野 o 世界とその諸地域の主 O 我が国の近代以前の主 民主主義と現代の社会生
な地理的事象について理 な歴史的事象について, 活,国民生活の向上と経済,
解している。 世界の歴史との関連で理 日本の政治と国際社会など
知識・理解 ○ 日本とその諸地域の主 ネ地理的事象や,日本や
解している。
n 我が国の近現代の主な
に関する基本的事項を理解 オている。
世界の様々な地域の相互 歴史的事象について,社 関連などにっいて理解し 会の動きや国際情勢など ている。 との関連で理解している。
地図や統計などを活用し 年表や歴史地図などを活 統計や新聞などを活用し 資料活用の能力 たり,地図や報告書などを
?ャしたりすることができ
用したり,年表や報告書な ヌを作成したりすることが
たり,報告書などを作成し スりすることができる。
る。 できる。
地理的事象を多面的に考 歴史的事象を多角的に考 社会的事象を様々な角度 社会的思考・判
f
察し,地域やそこに住む人 Xの生活の特色などを把握
察し,時代や社会の特色な ヌを把握し公正に判断する
から考察し,社会の諸問題 ノついて総合的に把握し公 し公正に判断することがで ことができる。 正に判断することができる。
きる。
地理的事象について関心 歴史的事象について関心 社会的事象について関心 社会的事象に関
キる関心・態度
をもち,我が国の国土の特 Fや世界の諸地域について
をもち,我が国の伝統と文 サについて理解しようとす
をもち,民主主義に関する 揄 を通して,よりよい社 理解しようとする態度を身 る態度を身につけている。 会を考えていこうとする態
につけている。 度を身につけている。
か?もちろん,これも操作的に規定すればできないことはないだろう。しかし,ひとたび「案」や
「参考資料」のようなお手本が作られると,それに一律に従うという傾向も予想される。このよう な価値的あるいはイデオロギー的な領域にまで一義的な判断がまかり通ることになるとするならば
「本来の」到達度評価はそのようなものではなかったといっても遅すぎるのである。
@ 、 5 到達度評価の背景と問題点
わが国の教育評価の考え方はつねにアメリカの強い影響を受けてきたといっても過言ではない。
ソーンダイクらの教育測定運動,タイラーらの8年研究,そして今回はそれらを受けつぐブルーム らの理論である。もちろん,アメリカの理論だから受容しようというわけではない。戦前の相対評 価に対する消極性にみられるように,わが国独自の状況を考慮した取捨選択もあり,そこにはなん
らかの必然性があるのである。そういう意味で,現在のわが国とアメリカの教育状況を比較してみ ると,大雑把にいっても,低学力,落ちこぼれの問題,教育工学の導入や教育の「現代化」への志 向等々多くの類似点をみいだすことができる。
つまり,到達度評価の導入という点をとってみても,日米の類似した背景事情というものが考え られるのである。しかし,ここではまず,アメリカにおける到達度評価重視の背景を考えてみるこ とにしよう。
第1に指摘することができるのはカメリカにおける操作主議の伝統である。ソーンダイクの す べて存在するものは量的に存在する。量的に存在するものは測定できる という有名な命題や,物 理学者ブリッジマンの操作主義の提唱といったことを例にひくまでもなく,アメリカの社会的伝統 は「科学」=「民主的」であり,それらは「客観的」なものでなければならなかった。そして,そ の実体はカテゴライズ可能なものであり,数量化可能なものであるということである。
それらはまた,「効率化」という要請にもよくこたえるものである。
一つの例としてアメリカ労働省による職業分類を挙げることもできる。ここでも各職業は三っの 観点(Data, People, Thingの各要素)によってそれぞれ評定され,必要とされる専門性の程度 によって0〜9までの数字が割り合てられる。したがって,各職業は3桁のコードによってすべて 表示されることができるわけである。
つまり,教育の領域といえども,このような操作主義の彰響を免れるものではなく,とりわけ次 に見るような教育の採算性(accountability)に対する関心の強い状況では,教育目標の客観化と いうものも必然的な傾向であると言えよう。
第2の問題としては,落ちこぼれや教育差別等の「教育問題」の深刻化である。12)アメリカの教 育問題は人種差別問題と深くかかわっているが,1960年代には ヘッドスタート計画 とよばれる 補償教育が行なわれ,充分成功しないままにヴェトナム戦費等の影響もあって打ち切られた。
一方,アメリカにおける公立学校の「質」の低下は特に親たちの深刻な関心の対象となってきて いるといわれる。そうした中で, 基礎にもどれ というスローガンのもとに,各州が行う 最小 必要な学力を確かめる試験 (minimum competency examination)が増加している。
このような州統一試験は,1970年に出現した教育の採算性の考え方と共通しており, 目に見え る教育の成果 を求めようとするものである。
さらに,教授一学習過程に関する研究,プログラム学習,ティーチング・マシン等,教育工学の
領域の流行も無視することはできない。これらは,教育内容の細分化とそれに直接結びついた評価,
すなわち評価のフィードバック機能を必要とするものだからである。
これらの他に,相対評価が差別・選別の合理的基準を提供していること,たんなるレッテル貼り におわっていること,に対する批判もあげることができるだろう。
いま挙げたような諸点のほとんどは日本の現状ともかさなるものであり,そうでないものも近い 将来「アメリカ並み」になることが充分予想される。
さて,次に,到達度評価の問題点であるが,橋本重治氏はそれを測定学上の面と教育学上の面か ら次のように整理している♂3)
〈測定学上の問題点と批判〉
(1)目標の分析とリスト・アップの作業の困難さ
② 具体化表を代表するテスト・アイテムの選択の困難性
㈲ 到達基準の設定が教師の主観に陥りやすいこと
㈲ 多量のテストや採点の時間を必要としていること
〈教育学上の問題点と批判〉
(1)すべての目標の完全習得はできないことと基礎的目標の偏重のきらい
② 授業を形式的なものにし,生徒の自由な伸びを束縛するおそれ
(3}到達していないと判定された者への治療法がはっきりしていないこと
(4)教師の負担上の問題
上記の橋本氏の指摘は,特に〈教育学上〉のものに関しては,筆者も同感するものである。もっ とも氏自身が到達度評価に否定的というわけではない。彼は「到達度評価と相対評価の併用の必要 性」を説いて次のように述べる。14)
到達度評価法は,今日の人間尊重の教育精神にも合致した方法である。それは教育測定的(ed一 umetric)な考え方に立ち,その方法論上は難点もあるが,目的論上は生徒の学習改善や学級・学 校のカリキュラムの改善のための教育決定にきわめて有用な情報を提供する,というような幾多の 長所を有している。
これに対し,相対的評価法は,心理測定的(psychometric)な立場から個人差の測定に焦点をお き,その方法論上高度の信頼性と操作容易性とを有している上に,目的論上にも選抜目的ならびに 進路・進学指導に適している。また,すべての子どもの業績の解釈は,目標と関連させての解釈だ けではなく,さらに他人と比べての解釈をも併せ用いてこそ,父母も本人も最後の合点がゆくとい うような,社会的・現実的な有用性も無視はできない。
このような,絶対評価の有用性(実用性)と相対評価の有用性(実用性)の特長は,少し大胆す ぎるいい方かもしれないが,絶体評価の教育的有用性に対する相対評価の社会的有用性であるとい ってもよいかもしれない。
橋本氏はもともと相対評価の考えをもとにした学力テストや心理テストを強く支持してきた学者 であって,筆者がそれに対する批判をしたこともある♂5)しかし,近年の到達度評価の流行を無視 できなくなって,最近はこれに関する論文も多い。
そこで氏が強調しているのは,到達度評価の「テクノロジー」の開発である。事実,彼は「テク ノロジーをもたない到達度評価は,安易な心情論や平等主義の犠牲となるおそれさえある」とまで 言い切っている。
橋本氏の言うテクノロジーとは,共通で標準的な手順・手続きに関連したものであり,とりわけ,
生徒の到達度判定のための到達度基準(分割点……cutting score)の設定のテクニックなどである が,要するに一連の評価の過程が操作的に規定されていればよいということである。16)
ところで,金井達蔵氏は,「教師自身の到達度テストを作成するにしても,教科学年目標を明確 に具体化細目化すること,それぞれの目標を適切に代表するに足りる問題課題を選定すること,そ れそれの到達基準を設定しておくこと。以上の手続が踏まれていなければならない。」17)と述べた あとで,多くの指導書,研究書も「問題の選定,基準の設定については触れていないのである。し たがって,これらのことを教師自ら決定していかねばならないところにこの評価の大きな困難点が ある。」と述べる。
このようなことを指摘した後で,金井氏はさりげなく次のように言う。
ところで,橋本氏を中心として文字通り教科のエキスパートの助力を得て完成した教研式観点 別到達度テスト(CRT)は,これらの技術を巧みに合理的に解決して,困難な学年末の観点別到達 度評価を標準化したわが国はじめてのテストである。テストは教科書群別に構成されてあるから,
問題の選定,基準の設定もきわめて妥当性の高いものとなっている。この標準化テストの結果によ って,教師の評価の基準の公正さも維持できるし,テストの妥当性も高いことから,学年末の総括 的評価と同時に,次学年の始めに実施して診断的評価の機能を十分発揮させることもできる。
以上引用した文章をつなぎあわせてみるならば,橋本,金井両氏の意図が那辺にあるかは明らか となろう。語るにおちたような新しいテストのPRの問題はさておいても,氏らの発想の根拠はす べて 社会的現実 なのである。そして,この 現実 とは「差別・選別」を必要とする社会状況 であり,多忙な教師のためのレディーメードの テクノロジー なのである。
橋本氏らは評価論議において, 「哲学的,思弁的要素」を極端に嫌うが,それも「哲学」のない 到達度評価が,従来の評価観評価法といささかも矛盾することのないことを承知しているからで
あろう。
そして目標準拠テスト(Criterion−Referenced Test)における,到達度基準というnormを強調す ることによって,実質的な集団準拠テスト(Norm−Referenced Test)への変質を意図しているので
ある。
6 結語
いままで到達度評価の背景と考え方を改訂指導要録との関連でみてきたわけであるが,そこでは っきりとなったことは,これが現在の 落ちこぼれ を解消させ,教育現場に ゆとり をもたら すものではないということである。それは,到達度評価の本来の思想にも混在しているものだが,
より直接的には,実際上の応用,運用が,従来の教育評価を拘束してきた枠組とほとんど同じもの だからである。
具体的に言うならば,途中のプロセスはどうあれ,指導要録における評価の終点は相対評価であ
ることには変わりはない。つまり,生徒1人1人の成績のr順位」はあくまでも要求されているの
である。
このような実状は,ブルームが 選抜のための評価から発達のための評価へ と主張するような 本来の到達度評価に内在する問題点ではないという反論もあるだろう。しかしながら,生徒1人1 人を尊重するというたてまえの到達度評価の考え方が,教育行政によって取り入れられ,全国的規 模で具体化されるその時点からこの評価法「利点」が失なわれるような必然性をもっているのであ
る。
それは,この評価法の操作主義的偏重にも原因があるが,それだけでなく評価というものが教え る側からだけの一方的なものであるという抜きがたい発想をまったく脱していないためでもある。
筆者は,以前から教育評価における「関係論的視点」の必要性を主張してきた♂8)そのような関係 状況では完全学習という目標さえも再検討されるかもしれないのである。
したがって,教師の側の本当の意味での「創意工夫」を推奨するような教育土壊が育っていない わが国において,到達度評価の考え方が,教師の側の「善意」に根ざしているとしても,所詮は管 理のための評価に堕す必然性を内包していると言わざるを得ない。
現在,予想される到達度評価(と指導要録)の将来は,筆者が述べたような教師の負担増,技術 者化という方向性と,橋本氏らが意図しているようなお仕着せの「道具」や「基準」に無批判に従 い,到達度評価の「利点」さえも無にしてしまうような教育状況における形骸化であろう。そして,
どちらの道も私たちにとって望ましいものでないことは自明であろう。
したがって,私たちがまずなさねばならぬことは,教育の中央集権制,画一性に対する批判的視 座の確立である。そして,様々な教育評価の試みが試行錯誤的に行なわれる必要がある。しかも,
それは可能な限り小さな単位でなされることが望ましい。そうすれば,いわゆる「偏差値問題」な ども,地域ごとの比較ができなくなるし,また,その必要もなくなるので,おのずからその存立基 盤を失なうことになるであろう。
注
P)例えば,雑誌『現代教育科学』 (明治図書)は,1979年12月号で「指導要録・所見欄記入の矛盾をっ く」,1980年5月の臨時増刊号で「改訂r指導要録』のどこが問題か」という特集をそれぞれ組んでいる。
2)B.S.ブルーム, J.T.ヘスティングス, G.F.マドウス著,梶田叡一,渋谷憲一,藤田恵爾訳r教育評価 法ハンドブックー一教科学習の形成的評価と総括的評価一』,第一法規,1973(1971),58頁。
3)大西佐一,1955,「教育目標の分類に関する研究」, r教育心理学研究』,第3巻第3号,176−182
頁。
4)大西氏の論文でも, 「最後に身体的な技術や健康衛生等に関するものを運動的領域とするのであるが,こ の領域は他と比べて比較的問題点が少いので本稿では取りあげていない」とある。また,ブルームのタキソ ノミーでも,運動技能的領域に関しては,試案の段階で,現在のところ最終的なものが公表される見通しは
ない。
5)もっとも,大西氏は「わが国の教育目標分類をどうするか」 (『指導と評価』,1978年8月号)において わが国においては,1955年に大西(現姓倉智)が上述のブルーム等のタキソミーの基本構想について紹 介し…… と書いてはいる。
6)この時のものとして,梶田叡一「教育改革ささえる鋭い理論一来日したシカゴ大学ブルーム教授の所説を聞 く」 (r内外教育』,1972年7月11日),ブルーム・梶田叡一「インタビュー:ブルームの教育評価理論」
(『学校経営』,1972年9月号)がある。
7)例えば,永野重史「現代学力の構造:能力分類の試み(3),{4}」 (r授業研究』,1967年12月号,1968 年1月号),渋谷憲一「教育目標の分類学」 (『児童心理』,1969年1月号)。
8)2)の前掲書の付編中の「ブルーム理論と教育改革」,397頁。
9)坂元忠芳「到達目標と教育評価について」,r教育』,1975年3月号,9頁。
10)拙稿rr専門家』にしたてあげられる教師たち」,『現代教育科学』,1979年12月号。同じく拙稿rrゆ とりある教育』の幻想」,r現代教育科学』,1980年5月臨時増刊号。
11)前掲書,5月臨時増刊号,31−33頁。
12)この点については,佐藤三郎「アメリカの成績評定の特色と問題点」(『現代教育科学』,1979年12月 号),橋本重治『到達度評価の研究一その方法と技術一』 (図書文化,1981年),第12章「到達度評 価の発展の歴史と問題点」がある。
13)前掲書,246−252頁。
14)前掲書,252−253頁。
15)拙稿「テスト擁護者の論理と倫理」 (日本臨床心理学会編r心理テストーその虚構と現実一』,現代 書館,1979年)。
16)直接的には,Hambleton, R.K., Swaminathan, H. et al.,1978,Criterion−Referenced Test一 ing and Measurement;AReview of Technical Issues and Developments. Rev. Educ. Res.,48,
1,1−47.で扱っているような課題を指している。ついでながら,同論文によれば,CRTに関する最近 の文献が600以上にものぼっているという。
17)金井達蔵「到達度評価はいつどこで行うか一到達度評価の分類一」,r指導と評価』,1981年2月
号。
18)拙稿「教育評価私論」,1978年,『教育心理と近接領域』,第3号。