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教職専門科目における「講義」と「実習」の関連について : 「実践的指導力」養成の方途

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(1)Title. 教職専門科目における「講義」と「実習」の関連について : 「実践的指 導力」養成の方途. Author(s). 若原, 直樹. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 42(1): 47-59. Issue Date. 1991-07. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5187. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 平成3年7月. 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第42 巻 第1号 l i ion (Sec t iver i ido Un ty of Educat l of Hokka on I C) Vo s Jouma ‐1 ‐42 , No. l Ju y ,1991. 教職専門科目に おける 「講義」 と 「実習」 の関 連につい て ~「実践的指導力」 養成の方途~. 若. 原. 直. ′. 樹. はじめに 周知のとおり, 昭和63年末教育職員免許法 が約30年ぶりに改正さ れた. その原案となっ た教育. 職員養成審議会の答申においては,「学校教育に関する諸問題が複雑多様化している状況の下で国及 び教育界の間に, 教員の資質能力を一層高める必要がある」との認識から, 「強い教育的情熱と高い 実践的指導力」 を持っ た教員の養成 が強調されていた. そしてその点は新免許法において具体的に は教育実践に結 びつく授業科目の開設として条文化された.このように実践的な指導能力や使命感・. 情熱を教員資質の重要な内容と考えるの が今回の改正の一つの大きな特徴である. ところで一方, 教育大学・学部の教職専門科目 (以下, 教職科目ともいう) が実践的な内容であ ることを望む声 は従来からもよく聞かれたことではある. そしてそれは教員養成教育を受けている 当の学生からの声である. とりわけ, 教育実習についての全国どこの大学の調査研究においても必 1 ) 実習を経た学生たちの多くは, ずと言っ てよいほど明らかにされるのが学生からのこの要求である( . 大学における教職科目が教育現実に 「役立たない」 ことを異口同音に指摘するのである. 筆者らは 2 ) その時に, 筆者が感 じた問題は, や はり教育 かつて, 本学学生の教職意識を調査したことがある( . 実習と大学における 教員養成教育との関連についてであっ た. 前回の調査では, 大学での教職科目 の受講 が実習に「とても役だっ た…4%. 少し役だっ た…20%. あまり役立たなかっ た…50%. まっ 「役立たない」 という感想が70%を示 たく役立たなかっ た…20%. なんとも言えない…6%.」 と,. した.. 学生のこの意見要望にさまざまな解釈や批判を与えるの は自由であるにしても, 教育大学で学生 の教育にあたる者としてそれにつ いてまっ たく見解をもたない というわけにはいかない‐ 本稿では, 学生は教育実習を経験して自分に どんな能力の不足を強く感じるか, またその克服の 1 90年1 0月時の幼 9 道をどこに求めているか等について, 5週間の教育実習 を終えたばかりの学生( た質問紙調査の結果を述 稚園・小学校・中学校各教員養成課程の3年生, 225名) に対しておこなっ べる.そしてその結果をもとに教職専門科目における講義と実習との役割 分担と協力関係について, 特に言語を通 した教育 (講義) と行為を通した教育 (実習) というその教育方法の差異に着目 しな がら考察し, 今後の教員養成教育, 特に 「実践的指導力」 を育成するための教育の方途について述 べ る.. 1, 実習生に不足 している能力 は何か.. (1) 児童生徒に即応した実際的指導能力 47.

(3) . 若 原 直 樹. 学生が実際に教育実習を体験したときに, 教師になる上で自分のある種の能力が不足 しているこ とを多少なりとも実感するであ ろう . 今回の調査で以下のように質問して みた. Q2, 実習全体を通じてあなたは自分にもっ とどんな能力が欲しいと感じましたか 次の中から 3 . つ選 びその符号をマルで囲みなさ い. A, 各教科についての豊富な専門的知識・学力 . B, 教えるときの発問・指示・説明・命令・対話・教材構成等 の実際的な授業指導の能力 . C, 文字・イラスト・絵・デザイ ンなど板書や通信や掲示物を早くきれい にしあげる器用さ・センス . D, 遠足や集会・クラ ブ・遊 び・掃 除等で子 どもを集中させ統率できる手腕 . E, 子 どもや同僚の中で堂々 と自然に明るくふるまっ てか. れらと良い関係をつくれる率直で明朗な F, G, H,. 人間性‐ 子 どもの生活や性質を正確に深いところで把握しまた指導できる人間理解・生徒指導 の能力 . ものごとをてきぱきと理解し処理する 回転のはやさと積極的な行動力 . 子 どもからの集中と信頼を集めることのできる, 朗読・演劇・図工 (技術)・楽器・創作な ど自. 分を表現する能力. 1, どんな子 どもに対しても 臨機応変に説得的 に話してやれる教養の広さ 経験の豊かさ , . J, どんな場面のどんな活動でも精力的にやっ ていくための健康・体力 . K, お話や指遊び・クイ ズ・歌・手 品・ゲーム・笑い話などの広いレパートリー . L, そ の 他 (. ).. ここから選んだ3つにさらに, 切実度の強い順 に順位をつけてもらっ た 下の表のように1位と . して学生が最も多く選んだのが, 「F, 人間理解にたつ生徒指導の能力」 であり 次には「B 実際 , , 「 的な授業指導能力」 , さらにその次には E, 率直で明朗な人間性」 である. そして1位から3位ま 「 でを合計した総合順位では, 1位 は 「B, 授業指導」 , 2位は F, 人間理解に立つ生徒指導」 ,3 位は 「1, 説得的な教養経験」 である , . 2位の 「子 どもを正確に深く理解し, 指導できる能力」 と3位の 「臨機応変に説得的に話せる教 表1 不足している能力 A (専門知識) B (授業指導) C (イラスト) D (遠足集会) E (人間性) F (人間理解) G (行動力) H (創作表現) 1 (教養経験). J (健康体力) K (クイズ・歌) L 無 答 合 計 い). 48. 1位に. 2位に. 3位に. 17. 14. 21. 52. 51. 50. 37. 138. 計( 人 ). 6. 5 26. 29 19. 40. 18 24. 11. 10. 56. 31. 16. 45 103. 6. 11. 22. 39. 8. 9. 7. 24. 18. 42. 29. 89. 12. 8. 14. 34. 4. 14. 15. 33. 63. 5. 4. 6. 15. 225. 225. 225. 675.

(4) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について. 養と経験の広さ豊かさ」 とは, それらの意味する実際の指導場面を想起すればわかるように, ほと ん ど同内容のことである. この二者は, 授業だけではなく学校生活の全面 において行なわれる教師 生徒間の交流にかかわる能力である. それに比べて, B は実際の授業場面の能力である. しかし, 授業中に児童生徒とやり取りしている最中の機能の点ではこのBも前二者と共通していて, 生徒と 交流する能力である. こう してみると学生は, 実際に児童生徒と対応し指導する際の, 具体的な直 接行為の場面における教育能力に力不足を感じているのである. 2 }のときにも同様に見られた傾向である 前回は これとは別の このことについて は, 前回の調査( , . 1 8項目の指導技術や行動についての 「必要度 (マスターする必要感の強さ)」 と 「達成度 (実習中に それを実際に達成できたと思うか)」 を問うた. その結果実習生は「必要度 は高いのだが達成率の低 かっ た項目」 として, 〈児童生徒に則した言語・板書, 指導過程の工夫, 指導過程を臨機応変に展開 すること, 生徒指導 への関心と研究, 学級指導〉 を選んでいる. それに対して 「達成できた項目」 として は, 〈児童生徒の観察と理解, 教材・教具の作成, 指導案づくり, 勤務態度, 児童生徒・教師 や同僚への接し方〉 を選んでいる. 確かに, 自分の側で制御できる後者の項 目に比べれば, 達成で きなかっ た前者の項目は相手との交流の中で刻々 と自分の対応を変えていかなければならない直接 的な教育実践の内容であり, 今回の調査と共通している. (2) 子 どもを理解する能力 教育実習が学生にとっ て他の座学では得ることのできない大きな意義を与えていることはどの調 査でも共通に回答されることであるが, 学生が子 どもとの実際的な交流に最も強く実習 の意義を感 じたことは, 次の調査項目によっ ても明らかである. Q4, 教育実習はあなたにとっ て どんな意味で勉強になりましたか. 次の4つのうち強く感じられ る順に ( ) に順位をつけなさい. ①自分の人格形成にとっ て 例:自分を見つめなおした. 自分の欠点が見えてきた. 人間同志のつき合いを知っ た. おとな になっ た. 今後の生き方に課題を与えてくれた. ②子 どもを理解する上で 例:子 ども の実態にふれた. 子 どもの見方が変わっ た. 子 どもとの接し方がわかっ た. 子 ども の 観 点 か ら 考 え る よ う に な っ た.. ③進路決定にとっ て 例:教師になる気持が強まっ た(なる気になっ た) ‐ 自分の進む道がはっ きりした. 将来の仕事 を 決 め る 参 考 に な っ た.. ④教育実践にとっ て 例:教職の内容を知ることができた‐ 教師の立場や仕事がわかっ た. 教育をさらに深く考える ようになっ た. 授業や生徒指導の方法が理解 できた. 表2 教育実習の意義 人格形成 子ども理解. 進路決定 実践技術. 1位. 2位. 3位. 4位. 無答. 48 96 36 41. 50 76 38 57. 67 36 49 69. 56 13 98 54. 4 4 4 4. 合計( 人) 225 225 225 225. 49.

(5) . 若 原 直 樹. この結果, 圧倒的に 「子 ども理解」 が選 ばれている. 教育実習は, 大学における授業とは異なり 何といっ ても児童生徒という教育対象に実際に直接対特し交渉するという真剣勝負の機会であるこ とが学生のもっ とも勉強になる所以なのである. これは前記の 「人間理解・生徒指導」 「広い教養・ 豊かな経験」 で説明したこととも符合する. つまり両設問の回答か らすると, 子 どもによっ て自分 の人間的な対応応接の能力を鍛えられたことに学生は実習の意義を強く感じたものと考えられる. 付言すると, 本学本分校においては教育実習が進路決定 (教職に就くか否か) の決定的な動機には なっていないことはすでに先の調査でも明らかにしたが, この回答においてもやはり同様で進路決 定の意義 は最下位である. このように実習生は, 授業であれそれ以外の場面であれ, 児童生徒との教育的対話関係を作るた めに必要な人間理解の能力や人間関係の能力を修練する必要を実習において痛感するのである. そ れは, 授業で言うと発問・指示・説明・板書の技術の難しさであり, 授業を含めた学校生活全体で 言うと, 子 どもの気持ちをうまく引き出す聴き方, 子 どもの心をとらえその心を動かす話し方, 自 分の経験や信念に裏打ちされた話題提供や説得についての難しさである. こうした結果も, やはり 1 ) 確かにこれらの難しさは,実習生に 実習生や現教職員に対する調査でいつも見られる傾向である{ . 限らず現職の教師においてさえいつでも常に感じる難しさであり, 終生その向上に努めなけれ ばな らない教育指導の本質であるというべきであろう. この本質を, 実習生はわずか5週間の短い期間 に十分感じたというのであれ ば, それだけでも, 教育実習の, 他によっ ては置きかえることのでき ない教育意義が達成されているといっ ても良い. 2, それらの能力を, いつ どこで習得するか. ところで, 実習中に感じた, 自分にもっ と欲しい能力を学生 はいっ どこで習得すべきものだと考 えているだろうか. 同じQ4で次のように質問した. Q4, では, それらの能力 はそれぞれどこで習得すべきものと考えますか. ア, 実習前までの大学における教育専門科目や各教科教育等の授業で (それらの授業はそういう内 容であるべき, という意見も含めて……以下同じ) . イ, 実習前までの大学における専門教育科目 (専攻科目) の中で. ウ, まさに実習中に自覚的に努力することによっ て. そのために実習がある. エ, 実習を経ることによっ て初めて自覚できるのだから実習後の大学の授業において. オ, 大学で教えてもらうというより は, これまでのまたこれからの日常の自分の生活経験や交友関 係等人生全体の中で自力 で身につけるべきもの. 力, 大学4年間を通じてのゼミナール・サークル・大学祭等の行事という自主的でかつ集団的な活 動の中で. キ, 実際に教職についた後の日常的な努力や研修の中で. ク, ある程度性格的なものなので意識して努力しても得られるとは限らない. むしろ個性とわきま え る べ き. ケ, そ の 他 (. ). 89人の実習生が選んで第3位となっ た 「教養の広さ・経験の豊かさ」 という能力の習得機会につ いては,「大学で教えてもらうというより, 日常の生活経験や交友関係等人 生全体の中で自力で身に 50.

(6) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について 表3. 不足 して いる能力 は どこで学 ぶべきか. 教養の広さ・経験の豊かさ. 人間理解・生徒指導. 授 業 指 導. ア (教職専門科目) イ (専攻科目) ウ (実習中) エ (実習後, 大学で) オ (人生全体) 力 (ゼミ・ サ ー ク ル). キ (就職後) ク (個性) ケ (その他) コ 無 答 △ 計(人 ). つけるべきもの」 の答えが圧倒的なのである. 1 03人が選んで「欲しい能力」 の第2位に位置づけら 「 れた 人間理解・生徒指導の能力」 についてもや はり 「人生全体の中で自力で」 と 「教職についた 後の日常的な努力や研修の中で」 との二つを選んで, どちらも大学のカリキュラム以外にその役割 を期待しているのである. それでは, 第1位 ( 138人) の 「授業指導の能力」 についてはどう だろうか. 意外なことにこれについてさえ学生が最も多く選んだのは大学教育ではない. や はり 「教職につ いた後の日常的な努力や研修の中で」 が53人を占めている. そして, 「実習前までの教職科目」 が 31人, 「実習後の大学の授業」 が18人で, この二つを 「大学教育」 という意味で合わせても, 49人 と2番目である. 3番が 「実習中」 の25人である. こう してみると, 教員にとっ てたいせつなどの能力 の養成についても学生 は大学にさほど多くを 求めてはいないことになる. つまり 「広い教養豊かな経験」 では 「教職専門科目…1人, 専攻科目 …0人」 であり, 「人間理解・生徒指導の能力」 でも 「教職専門科目…1人, 専攻科目…0人」 とい うありさまで, まっ たく期待されていない. さすがに 「授業指導の能力」 について は 「教職専門科 目…31人 ( 1 38人中) , 専攻科目…4人 (同)」 となっ ている. 「大学の授業は教育実習に役に立たない」 という学生の感想からすれば 大学教育への相当の期 , 待がその裏にあるかのように思われたのだが, 実際のところは学生は 「役に立たない」 と言っ てお きながら, それらの能力 は大学以後の場所で習得されるとわきまえているのである この論理は一 . 貫しているのだろうか. それとも矛盾しているのか. この両方の論理が 「役立たない」 という言明には含まれう る. 第1に, 「授業指導の能力」については,31人が大学教育にそ の習得を期待しているとおり, 大学 の教育専門科目や教科教育科目は本来実習に役立つ内容であるべきなのに, 実際には「(不当なこと に) 役立っ ていない」 . 第2に, 「授業指導能力」 について教職専門科目を選 ばなかっ た1 07人, およ び 「人間理解・生徒 指導の能力」 「広い教養・豊かな経験」 で教職専門科目を選ばなかっ た, それぞれ8 8人と10 2人の のべ297人は,〈もともと大学教育は実習に直接役立つような性質のものではない〉という意味で「役 立 た な い」 と 言 っ て い る の で あ る .. 学生が「大学教育 は実習に役立たない」 と言うとき, この両面を含ませているのではなかろうか . <遺憾なことに役立っ ていない〉 意味と, 〈もともと 「役立つ」 という直接的な貢献を期 待する性質 のものではない〉 という意味と. いずれの場合でも, 現象の上では 「役立っ ていない」 のである . 51.

(7) . 若 原 直 樹. 3, 「学科」 と 「実技」 ところで, 大学における教職科目が教育実習に 「役に立つ」 とはどういう場合であろうか. 自動車学校の例を比較に持ち出してみよう. 周知のとおり, 運転免許証を取得するために自動車 学校の生徒は 「学科」 と 「実技」 の2種類の学習を受けなけれ ばならない. 言うまでもなく, 運転 技能の向上に直接役立つのは実技であり,生徒の関心のほとんどすべては実技に対して向けられる. では, 学科は実技の 「役に立つ」 だろうか. 学科の多くの部分は, 実技に対して直接役立つことを目的として構成されているわけではない. 学科が実技に対してもつ関係 はもっ と間接的で, 運転免許を取得したあと実際に一般公道をより正 しく通行できるための広い知識を伝達する内容になっている‐ すなわち学科の内容 は安全運転の心 がまえ・交通法規や保険制度についての諸法令の学習が主で, したがっ て運転技能そのものよりは 交通ルール, コースのとり方や停車する位置, あるいはまた事故の際の処置等について知り, 安全 で合理的な運転をするために有用である. つまり, 学科と実技は相対的に別の目的を持ちながら共 同で運転技能の全面的な向上に資するわけである. しかし, 自動車学校の生徒にとっ て当面の最大 の関心事は, エンジンを始動すること, クルマを実際に発進さ せ自分の腕でハ ンドルをまわして車 体を動かすことである. 「安全で合理的な通行」 はまだ先の目標である. この事情と同様に, 大学における教職科目では教育の目的, 教育の制度・法規・教育史, 教育と 社会, 子 どもの心理・生理の発達等についての知識を教授するが, それらは, 学生の当面の関心で ある実習における教科や教科外での指導に直接役に立つことを目的としてはいない. また自動車学 校においては決して「車の発達史」「車と人間文明」「脱クルマ社会」「車と世界経済」な どというテー マ が教授されることはないが, それに比して大学において教授される内容は教育事象の全般に対す. る哲学的社会学的歴史学的な考察から生れた学問研究の知識である.教育実践のための方法技術(す. なわち 「実践的指導力」 ) を直接教えるのではなく, むしろそこからいっ たん離れることによって, 様々 な教育事象について多面的で相対的な価値判断を与え, 教育実践についてのメタ認識を学生に. 育てることをめ ざしている. 決して教育実践そのものだけを直接的なテーマとしているわけでない のである. そして自動車学校の生徒が運転に慣れ余裕ができてクルマをある程度自在に動かせるよ うになるまではまだ交通道徳や交通法令の意味を納得してその順守に意を払う ことができないのと 同じく, 実習生にとっ て は教育目的や教育制度の歴史などの考慮をもちながら教育実習にあたる余 裕はまだないし, その必要も感じないであろう. このように教職科目を講義する大学教師の側から いっ ても実習中の学生の側からいっ ても, 講義と実習とは互いを強くは必要としていない関係であ り, したがっ てこの場合講義 は実習に対して 「役に立っ ていない」 としてもそれは本来の趣旨に反 す る と い う こ と で は な い.. 大学の教職専門科目において学ぶ知識と教育実習で学生が得る知識とはその内容において異なっ ている ばかりではなく, 他にも次のような対照的な差異をもつ. 第1に,大学において学ぶ知識 は他者の研究と経験による客観的知識であり,実習のそれは自分の. 経験において得る主体的知識である.大学の知識は検証を受けた普遍的知識,枝葉を捨象した抽象的 知識であり, 実習のそれは学生個人にとっ て は個々 の事実から生成する個別的具体的知識である. 第2に, 大学の知識は言語による概念であり, 実習のそれは自分の五官を通じて直接得る非言語. 的 (知覚的・身体行為的) 認識である. 第3に, 大学の知識は自分の今の日常とは直接かかわっ てはいない, 未来のための知識である. それに対して実習の知識 は現実の問題解決の途上において生成する. つまり実習のあらゆる知識は 52.

(8) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について. 子 どもとの 「関係」 において生ずるが, 大学においては子 どもとの実際の関係のない状態で教育に ついて学ぶ. すなわち, 大学における学習は「教師になる」勉強であるが, 実習 は曲りなりにも「教 師である」 学習である. 第4に, 大学の授業において どんなに教育の概念を言語的に理解しても自分の教師としての適性 や技量についての実感を得ることはできない. それに対して対象 (教材や子 ども) に直接働きかけ その結果を受け取る, 作用反作用の繰り返す実習においては, 学生は対象についての知識と同等に 自分の適性や技量についての知識を得ることができる. 以上のように, 大学の教職科目 (学科) と教育実習 (実技) とではその目的においても実際の認 識過程においても大きな相違がある‐ そして 「実践的指導力」 は直接的には後者の認識において形 成される能力なのである.. 4, 教職科目の三層構造 しかしこの二分法は現実を単純化してとらえたものであっ て, この中間に属する内容もある. そ れは 「教授内容 は実技について, 教授方法 は言語的に」 という場合である. 自動車学校の学科の中 では, クルマの乗り降りや灯火の見方や方向指示器の使い方, ブレーキのかけ方, 進路変更や転回 の仕方の順序な ど運転技能に直接役に立つことをねらっ た内容も或る程度教えられる. これは大学 で教えられる教職科目のなかでいうと学習指導案の作成, 発問・板書の技術, 教材研究等, 教育実 践を想定して具体的な教育方法を教える内容部分に相当する. ではこれらの学科内容 は実技の向上 に 「役に立つ」 か. 結論的に言う と, それは実践についての知識を与えている点で役に立っ ている が, 言語的認識でとどまっている意味においてはなお役に立っ ていないのである. 実際の場面で「どうすべきか」を教えてくれるという意味において, 確かにそれは役に立つ. キー を差 し込む, 左足でクラ ッチを踏みギヤをローに入れる, キーを回す, 右足でアクセルを踏みなが ら左足でクラ ッチを徐々 に戻す……‐ これらの手順があらかじめ言語的に伝えられていなければク ルマを発進させることはできない. ゆえに, これらの手順を知ることは「役に立つ」 . 以前筆者らの 行なっ た調査で学生が実習において 「達成できた項目」 としてあげていた〈児童生徒の観察と理解, 教材・教具の作成, 指導案づくり, 勤務態度〉 等がおそらくこれに相当していて, これらについて は学生は大学での講義や実習オリエンテーショ ンにおいて知っ たとおりにほぼ達成したものと解せ られる. 「知っ た」ことを比較的容易に実行に移せるこう した内容について はこれをあらかじめ言語 的に教えておくことは実際に 「役に立つ」 と言っ て良い. こう してみると, 大学における教職科目は, ①教育(学)についての広い基礎的知識をテーマとし てそれを言語的に教える教育, ②教育実践をテーマとしてそれを言語的に教える教育, ③教育実践 をテーマとしてそれを知覚的・身体行為的に教える教育, の3種にわけることができる.. 今回改訂された教育職員免許法および同法施行規則において, 小・中学校教諭についての 「教職. に関する専門教育科目」 として, 次の10科目が定められた. A, 教育の本質及び目標に関する科目 B, 幼児, 児童又は生徒の心身の発達及び学習に関する科目 C, 教育に係る社会的, 制度的又は経営的な事項に関する科目. D, 教育の方法及び技術 (情報機器及び教材の活用を含む. ) に関する科目 E, 教科教育法に関する科目 F, 道徳教育に関する科目 53.

(9) . 若 原 直 樹. G, 特別活動に関する科目 H, 生徒指導及び教育相談に関する科目. 1, 生徒指導, 教育相談及び進路相談に関する科目 J, 教育実習 この10科目をこの3種にあえて分類する. A はこれまでの 「教育原理」 に, B は 「教育心理学」 や 「発達心理学」 にほぼ相当し, またCは 「教育社会学」 や教育制度・学校経営・教育史・教育法 規等に相当するであろうから, これらABCの内容はいずれも具体的教育実践そのものではなくそ の抽象や理論の教授であり, また教育実践を現出させているところの制度や歴史・法規についての 教授である. それに比してD, E, F, G, H, 1は, 「教員の実践的指導力の向上を主眼として, その専門性 の向上をはかる・ という今回の改訂の趣旨のとおり, 教育実践についての研究 を教授する内容であ ることが期待されている. 左図において上のグループは, 教育実践に対して直接 役立つことを意図して はいない. しかし, 中のグループ は直接的であるにしろ, 間接的であるにしろ役立つこと が期待されている. 先程の自動車学校の学科の例で言う と, クルマの操作やその他運転技能についての説明がそ の内容に相当する. しかし, 教育の場合はクルマという 機械の操作とは異なり人間を対象とし, しかもある理想 を持っ て人間をある方向に育てるという価値にかかわる. 図1 教職専門科目の三層. 営みである. そのためこれらの授業科目においては没価 値的に手順を教えるにとどまらず, かならずその手順の. もつ必然性や価値を教育学研究の成果に学んで意味づけ. る講義方向に向かう.ベクトルは上 に向いて学問化の方向をとる.そしてそのような講義内容であっ ても教育実習に間接的に役に立っ ていく はずである. もともと 「間接・直接」 という表現はあくま で相対的な用語法であっ て, 上のグループに比べると 「より直接的である」 が, 下の知覚・身体行 為的認識のグループ(J)に比べると 「より間接的」 なのである. 重要な論点は, 学科でクルマの運転について説明を受けテキストを読むなどしてそれを言語的に 学習しただけではすぐにうまく運転できるわけではないということである.もしそう できるならば, 実技の必要性はない. 聞いて(読んで) 「知っ ている」という言語的認識と実際にからだで「できる」 という非言語的 (知覚的・身体行為的) 認識との間には大きな差異がある. クルマを発進させる時 の足の裏の感覚, ハ ンドルを回す抵抗と進行角度の関係, 車体の広がりの感覚な どなどこれらの感 覚は, スポーツや技芸のように, 運転席に座る者が何度も試行錯誤的にくり返して身体全体で感覚 することによっ てその微妙な差異や状況による応接を体得することがらである. このレベルから言 うならば, 学科のテキストの文章は 「役に立たない」 . このことを大学における教員養成で言う と, 教材研究, 教具づくり, 学習指導案作成, 教育実践 記録の講読, 教育実習オリエンテーショ ンの受講な どが上図の中段のグループに当たる. それらの 科目によっ て, 教科指導や生活指導の方法について一定水準まで 「言語的に」 知ることはできる. しかし, 「言語的に」知らされた意味内容や知らされることのなかっ たこまごまとした指導技術や実 際に子 どもを相手にしたときのその適宜の活用や微妙な加減その反応等については実際に体験する ことによっ て初めて知覚的・身体行為的によく認識できる. 54.

(10) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について. 5, 教育実習における知覚的・身体行為的認識 「教育実習」 は教育についての知覚的・身体的認識の機会だとすれば では実際に学生はその認 , 識をどのようなものとして体得しているだろうか. その一部をかいま見るために次のように質問し てみた. Q1, 教育実習がすすむにつれて, 次の事柄につ いてのあなたの認識はどのように変わりましたか, 該当するものがあればいくつでも空欄に適当な文を入れて表現して下さい. 実習 に慣れるにしたがっ て…… ・自分の目が .. 〃. 耳が . . . ・. 〃. 話 し方が. .. 〃. 表情が. ・. 〃. 手が. ・. ″. ”“”. の よ う に 変 わ っ て き た.. (1) 感覚において 知覚する感覚器官としてここでは, 目と耳についてきいてみた. 要約すると実習が進むにつれて 目 につ い て は. 子 どもの目の高さで 細かい所まで 教室の後ろまで全体を ひとりひとりを ひろい範囲を 子 どもの目を 見るように変わっ たという. 同じく耳についても, 大勢の声をいち どに聞き分ける つぶやきをひろう ひとりひとりの声がきわだっ て聞こえる ように変わっ てきたという. 要するにどちらの感覚器官についてもよりいっ そう鋭敏に精妙になっ てその役割を十分に発揮するよう に機能するのである. 記入されていた多様な表現の自由記述をそ の意味からまとめればすべてこのよう であっ て, これ以外の意味や, またこれを否定するような逆 の意味の記述は皆無であっ た. (2) 身体行為において このことは自分から他者 (こども) へとはたらきかける身体行為においても同様である すなわ . 55.

(11) . 若 原 直 樹. ち, 自分の声について は よく通るように 大きく 強弱をつ けて 腹から 後ろまで届くように 教室のうるささ (しずかさ) に応じて 発声するようになり, その話し方も おだやかに 語りかけるように ゆっ くり テ ンポをもたせて 状況にあわせて はっ きり落ち着いて と上達する. そしてやはり どの記述においても手 は 「大きく動き」 , 表情 は 豊かに やわらかく 明るく. 変化に富む ように変わると記されていた. (3) からだの拡大と 「見え」 の変化 上の変化から言えることは, 要するに学生の感覚器官・運動器官は繊細になりまた伸長して機能 の活発化の一途をたどることである. ということは本人にすれば, 自分の身体の占有する空間, 制 御できる範囲の どち らも大きく広くなっ たと感じられるであろう. それを証明するかのように, 学 生 は 「教室の広さ, グラウンド広さが」 のつづく空欄には必ず 「せまく感じられるようになっ た.」 と記述する. 同じく, 教室のにおいが, 「なれしたしんだものに, 気にならず, 自分と一体化して, なつかしく一 感 じられるというし, 教室全体が, 「明るく, わかるように, 違和感がなく」 なっ たと いう. 自分の周囲に対する実感がこのように変わるのは, たとえ ばクルマの運転技術の上達にした がっ て自分のからだが車体全体にまで広がり, スキーの上達にしたがっ てゲレンデの傾斜が緩やか に見え, 投球に自信を持つとキ ャッチャーが近く見え, 好調時には的(まと) が大きく見えるな ど, からだを使う学習主体に共通に見られる, 身体行為的認識の特徴である. (4) 子 どもとの関係において 他方, 実習生が変わっ てくるにつれて, そのように変化を示す実習生に対して子 どもの側も同じ 56.

(12) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について. 変化を示す. 調査では, 「実習がすすむにつれて子どもの00がどう変わっ たように感じたか」につ いても尋ねた‐ その結果同じように, 子 どもの目が 「輝いて, 警戒心がなくなっ て, まっ すぐに」 「 なり, その声 は「大きく, 元気よく一 , 顔も 変化し, 表情豊かに, 笑顔がおおくなっ て, 一人 ひと り違うように見えて」 くるというのである. 学生も子 どもも共に, そのように同様の繊細・拡大・ 活発の方向で自己を表現しあう とい. うことは, お のずから両者の占める空間領域が重なり交わりあ う ということである.自由記述のうち最も一致度の高かっ た表現が,「子 どもとの距離が近くなっ た」 という表現である (全225人中176人) ことがその証拠である. この距離の短縮感が子 どもとの関 係の変化を自覚する最も典型的な非言語的認識である. 子 ども に働きかける身体行為によっ て生まれた距離の近さとそこで発揮される観察・受容の細か さによっ て実習生は子 どもの内面を察知する能力を身 につける. 次のような記述がそれである. 一--「子 どもの目が, 何かを訴えているように, その考えていることがわかるように一 「声が自分 を呼んでいるように」 察知でき, そして子 どものことばについては 「その真意がわかるように, す ぐに理解できるように」 「その姿が, 後ろからでも誰かわかるよう に一と変わっ た. 一般 に人は自分 自身を直接知ることはできず, ただ自分の働きかける対象の変化 を通してのみ自分を知ることがで きるのであるが, 教育実習においても子 どもとのこう した相互作用によっ て学生は子 どもを知ると 同時に, 子 どものその変化を通して自分 の教師としての力量や適性を知ることができる. それが講 義よりも決定的に優れている教育実習 の大きな意義, 知覚的・身体行為的認識 である.. お わ り に~. 「実践的指導力」 育成の方途. 学生は教育実践に 「直接役立つ」 ところの下への実践化 の方向 (図1) を常に求める傾向がある ‐ こうした学生の要求を満たすため には, 「知覚・身体行為的認識 のレベル」 の授業内容 (教職科目に おける実験・実習・演習) を創造することである. またそれは, 学生の言うように教育実践 に直接 「役立たせる」 ためばかりではなく 実は教育について の広い基礎的教養を学生に深く説得的に与 , えて 「実践的指導力」 を育てようとする大学の側にとっ てもやはり必要なことな のである 学生に . 或る程度の知覚的・身体行為的認識があっ てこそ講義での言語がよく理解されるからである 〈こと . ば-経験〉 の相互作用によっ て認識 は深化するという教育方法原理を教える教職科目自身が言語主 義の授業であるとすれば, それは自己矛盾となる.r ところが, 大学の授業科目において知覚的・身 体行為的な認識を保証することは決して容易なこ とではない. 学問研究をその本質とする大学 では図1における学習方向が上向きになる習性を常に もつからである. またそればかりではなく, たとえ実践化の方向で授業 内容を改善しようと自覚的 に意図しても以下の実際的な障害がある.. ①教育職員免許法に定められる授業科目は, 各専攻分野の科目と違って教員養成課程の全員が受講 するために多人数規模 の授業になること‐ ②したがっ て, 授業 は講義の形式をとりやすいこと. そのため受講生は受動的で緊張感を欠きやす い座学でもっ ぱら教育 についての 「ことば」 を聴講してそ の理解をすすめなければならない ‐ 要するにこの2点, すなわち多人数クラスという 規模と言語中心になりがちな講義という方法の 2点が学生の不満をこれま で招いていたし, これからもその改善は容易ではない しかも皮肉なこ . とに, 「実践的指導力」 を重視したはずの新免許法 では授業科目数 (単位数) を大幅にふやしながら もそれに見合っ た人的物的条件を保障していないために教員の手不足と時間割の過密が生じ,かえっ 57.

(13) . 若 原 直 樹. てこの2点の難点を強化するおそれがある. その点が大きな問題ではあるが, ともあれ悪条件の中 でも, 教職科目のうち一方のABCの授業科目と他方の教育現実 (J, また就職後の勤務) とを結 ぶEFGHIの授業科目を改良する努力 は必要である. 教育に関するあれこれの事実や概念を学生 に客観的に言語的に認識させるにとどまらず, それらの知識を彼らのもつ主体的で知覚的・身体行 為的な認識と結合することによっ て, 学生の中で両方の認識 が不断に相互に移動・変位するように なり,そうなっ てこそ教育についての深い理解と教師としての力量の向上がはかられるからである. 両端を橋渡しする中間領域としてのこれらの科目の責務 は軽くない. そのためには前述したとおり上への方向 (学問化) のみに偏らず, 下への実践化の方向をそれと 対等に重視する必要がある. その具体的方法として, 知覚的・身体行為的認識を授業に導入するこ 3 ) とである. 従来その代表としてマイクロ・ティ ーチングが導入されてはいる が( , ここではそれだけ を意味していない. なぜなら学生や教育の現場が教職科目に求めているのは授業指導能力の向上だ けではなく, それを含んでそれ以上の, 児童生徒の内面を理解する能力, 児童生徒との間に信頼関 係を築き臨機応変に率直に対応できる人間的な対応能力の修練だからである (おそらくマイ クロ・ ティ ーチングの場合であっ ても教師役の学生は教材研究や発問等についての反省以前にやはり自分 のそうした能力の程度について強い自覚をもつであろう) .そう したカリキュラムについては教員養 成教育の中ではまだまだ未開拓である. しかし, 多人数の全受講者でできる, あるい は少数を代表 させてできる実習的な学習を創意と工夫でさまざまに開発してとりいれる必要がある. その場合, 児童生徒を実際に相手にすることはできず対象は同じ学生同士ではある けれども, 年齢の違いにか かわらず人間同士であるならいつでも生ずる応答・交流・緊張の 〈関係〉 をそれでも知覚すること ができるし, その 〈関係> のなかで或る行為をすることの緊張感・成就感・技量の不足感等を味わ うことは可能である. 最も簡単な例で言え ば大 勢の人前で臆せずに立つという経験 をさせるだけで もひとりひとりの学生にとって有意味であろう. ところで他方, 知覚的・身体行為的認識をすすめるのに有効なのは, 教職科目と並んで, 大学に おける種々 の課外活動であろう. 昨今, 新任教員に求められる資質として,「ス ポーツや器楽演奏・ 合唱等 ができ, また指導できる力量, コンピュ ータを活用する能力, カウンセリングの素養」 が教 育現場からよく挙 げられる. 大学における課外での自主的集団的な活動は, 個々 のクラ ブやサーク ルが直接目的としている芸術的・運動的能力を向上させるだけでなく, その集団的な練習の過程で 非言語的で感覚的な能力や人間関係の能力を, また集団を維持発展させていく能力をも向上さ せる 知覚的・身体行為的認識の場ともなっ ている. 「教師に必要な能力をいつ どこで身につけるか.」 と いう前記の問いのうち, 「教養の広さ, 経験の豊かさ」と「人間理解・生徒指導の能力」についてもっ とも多く学生が選んだ回答が 「大学で教えてもらうというよりは, これまでのまたこれからの日常 の自分の生活経験や交友関係等人 生全体の中で自力で身につけるべきもの.」だっ たのは, こうした 意味に解することもできる (おそらくその認識自体が知覚的・身体行為的に形成されてきたに違い ない) . 教員養成に力むあまり, 言語概念中心の講義形式の教職科目カリキュラムの増設のみに学生 を拘束して自主的集団的な活動を削減させることはそうした現場の要望や学生自身の希望に反する.. 学生の自由な活動の時間を保障し集団的な課外活動における創造的な自由研究や作品制作を遂行さ せることもまた「実践的指導力」 を育てる教員養成教育の重要な一環であるととらえるべきである.. 58.

(14) . 教職専門科目における 「講義」 と 「実習」 の関連について. 〈註〉 (1) 日本教育学会教師教育に関する研究委員会編 『教師教育の課題』 1 98 3 柴田義松他編 『教育実践の研究』 図書文化 1 9 90 伊藤敬・山崎準二 「教職の予期的社会化に関する調査研究1, 1 1 一 (静岡大学教育学部研究報告 (人文・社会科 学編) 第37号, 第38号 19 8 6 9 8 7 ) ほか多数 1 , (2) 佐藤定秀・若原直樹 「本学 (旭川) 学生の教職意識と教育実習の効果に関する調査1, 1 1 」 北海道教育大学紀要 (第1部C) 第3 5巻第1号 第36巻第1号 1 9 84 1 9 8 5 , (3) 例えば, 小金井ほか 「マイクロ・ティーチングによる教育実習の改善研究」 (東京学芸大学 『教育実習の改善に 97 9 ) 関する研究』 1 (本学助教授 旭川分校). 59.

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参照

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