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嘉納治五郎の教育思想と国際観

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Academic year: 2021

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 嘉納治五郎が「講道館柔道」を創始したことは、

ご存知の方も多いと思うが、教育者嘉納治五郎の側 面はあまり知られていない。嘉納は明治から大正期 の教育改革に貢献した偉大な教育者でもあった。

 嘉納は、東京大学で哲学政治学科及び理財学科

(現在の経済学科にあたる)を専攻し、卒業後更に 哲学選科にて1年間道義学および審美学の研究を続 け、中村正直に漢文学を、アーネスト・フェノロサ に西洋哲学を学び、1882明治15年に専門課程のすべ てを修了した。同年に東京下谷区北稲荷町永昌寺に 嘉納塾を開き、「講道館柔道」を創始した。その時 に教育、柔道の指導者たる第一歩を踏み出したので ある。

 嘉納における教育思想的背景は、当然の事ながら 講道館柔道の思想的背景と同じようにフェノロサの 影響、また当時の教育界に浸透していたハーバート・

スペンサーの「教育論」が深く関与していたものと 思われる。スペンサーは、知育・徳育・体育の三育 思想の提言の代表であり、後の嘉納の講演や文献に も多くの引用が見られる。教育現場としての最初は、

「学習院」(1882明治15年)に講師として迎えられた 時であろう。その後の教育者としての履歴は目まぐ るしいものであり、大まかに紹介すると学習院教授・

教頭(1891明治24年)退職、同年4月文部省参事 官、8

月第五高等中学校校長兼務、高等師範学校長 兼文部省参事官(1893明治26年〜明治30年8月)、

同年11月再び高等師範学校長(1898明治31年11月ま で)、1901明治34年再々東京高等師範学校長(1920 大正9年1月まで)と高等師範学校および東京高等 師範学校長としての在任期間は三期23年余の長きに 及んでいる。

 この間、東京高等師範学校長としての功績の一つ 目は、学生達のスポーツ活動を統括する組織(運動 会、校友会)を立ち上げ、このことを通して日本全

国に体育・スポーツが普及・発展していくことになっ た。その中で身体の壮健(健康)、道徳や品位の向 上に資すること(道徳)、継続して若さを保つ(生 涯スポーツ)、の重要性を説いている。このことは、

現在の「学校体育」の目的と同じであり、当時の嘉 納の考え方が礎になっているものと思われる。

 二つ目は、明治期以降、日本において国費留学生 を最初に受け入れたのは、嘉納である。1896明治29 年に清国から13名の留学生を受け入れている。その 後、新たな留学生が入って来ると最初の塾舎から

「亦楽書院」(1899明治32年)、「弘文学院」、「宏文学 院」(1906明治39年)と名称を変更し、清国人に日 本語および普通教育を授ける「普通科」、教員養成 を目的とした「速成師範科」(6か月の課程)、警察 官の養成を目的とする警務科(3年課程)などの専 門の学科が設けられた。これらも現在の「留学生別 科」にあたる組織を当時に設立したことは、称賛に 値する。

 三つ目は国際人としての嘉納が行った偉業である。

嘉納の最初の渡航は欧州であり、1889明治22年から 1891年までの1年4カ月である。その時、東京大学 在籍時代から英語が堪能であった嘉納の日記はすべ て英文で書かれている。目的は欧州の教育事情視察 であったが、日本古来の伝統文化である柔術を母体 として考案した「柔道の理念と技の原理」を紹介し、

大いに交流、見聞を深めている。帰国後、同年9月 に第五高等中学校長として赴任すると、英語教師と してラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を松江中学 から招聘している。八雲が後の書物で柔術(柔道)

を論じているのは、嘉納との出会いの影響と思われ る。1909明治42年アジアから選ばれた最初の IOC 委員(国際オリンピック委員会)、1911明治44年初 代大日本体育協会長を歴任し、日本初参加のオリン ピック第5回ストックホルム大会の実現を果たした。

―   ―1 アカデメイア

嘉納治五郎の教育思想と国際観

スポーツ科学部長 中 原   一

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その後、嘉納は70歳台になってから東京オリンピッ クの開催に向けて世界を駆け回っている。最終的に 1940昭和15年東京オリンピックの招致に成功したが 第2次世界大戦のため中止となり、嘉納自身も中止 決定の会議にカイロに参加し、帰路の氷川丸船上に て逝去した。77歳であった。

 嘉納の柔道に関する偉業や体育・スポーツに関す る先覚者的偉業は、まだまだ紹介しつくせないが、

高等師範学校の大学昇格問題、柔道の国際普及など、

いずれも嘉納治五郎の教育思想の影響が大きく、同 じ教育に携わる者として驚嘆するばかりである。

参考文献

1.嘉納治五郎先生伝記編集会、嘉納治五郎、講道 館、1964.

2.松本芳三、柔道のコーチング、大修館書店、1975.

3.大滝忠夫、論説柔道、不昧堂出版、1984.

4.生誕一五〇周年記念出版委員会、気概と行動の 教育者 嘉納治五郎、筑波大学出版会、2011.

―   ―2

参照

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