日本特殊教育思想史 : 明治前期の特殊教育思想(1)
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部 B) 第40巻 第2号. 平成 2年3月. Journalof Hokkaido Universityof 取iucation(SectionIB) Vol .40 .2 . ,No. Mar ch ,1990. 日本特殊教育思想史 明治前期の特殊教育思想 ( 1 ). 亀. 畑. 義. は. 彦・大. じ. め. 嶋. 謙. 一. に. 1は 教育対象児に対して普通教育を行い これに加えてそれぞれの障害に応ず 日本の特殊教育柱 , , る特別の教育的サービスを施すことを基本的な方針としている.. 学校教育法 (昭和2 2年3月31日制定) に次の条文がある. 「学校教育法」 第71条 盲学校, 聾学校又は養護学校は, それぞれ盲者 (強度の弱視者を含む. 以下同 じ ) ., 聾 者 (強度の難聴者を含む. 以下同じ.) 又は精神薄弱者, 肢体不自由者若しくは病弱者 (身 体虚弱者を含む, 以下同じ.)に対して, 幼稚園, 小学校, 中学校又は高等学校に準ずる教 育を施し, あわせてその欠陥を補うた めに, 必要な知識技能を授けることを目的とする. 日本の特殊教育思想を考えるとき, 上記条文中に見る 「準ずる教育」 およ び 「あわせてその欠陥 を補うために, 必要な知識技能を授けること」 が, どのような歴史的変遷を経て規定されていたの かを検討することが必要である, それと共に, この条文の内容と, 「盲学校, 聾学校及び養護学校, 小学部・中学部・高等部・学習 指導要領」 (昭和54年7月 文部大臣告示) の 「第2章 各教科」 の規定内容も併せて検討する必 要がある, ここには 「準ずる教育」 を具体化する手だてとして, 盲者等, 聾者等, 肢体不自由者お よび病弱者等に対する教料指導の目的と精神薄弱者に対するその目的とが,前掲第71条の内容に合 2 致するものと見ることのできない質的差 異があるように思われるからである隼 . 日本の特殊教育思想を考えるときの第二の課題として, 「(就学させる業務) の猶予又は免除」 の 規定の歴史的検討があげられる. 学校教育法に次の条文がある. 「学校教育法」 第23条 前条 (就学義務) の規定によっ て, 保護者が就学させなければならない子女 (以下学齢 児童と称する.)で, 病弱, 発育不完全その他やむを得ない事由のため, 就学困難と認めら れる者の保護者に対しては, 市町村の教育委員会は, 監督庁の定める規定により, 前条第 一項に規定する義務を猶予又は免除することができる. 3 現 この条文については, 昭和54年度の養護学校義務化に向けて新たな解釈が付け加わっ たが注 ,.
(3) . 亀 畑. 義 彦・大 嶋 謙 一. 在でも法律上は改正削除はなされていない. 表1 就学猶予・免除者数の全国推移と北海道推移 1 ) 全国推移( 総 日 圭 召矛 巨房 口 234 24 25 7890 2223 34 23 3 3 67 0 3 3総 鵠 4 43 789 64 4 44 35 25 4 5 678 0123 5 5 5弱 6 6 6 6. 児童生徒内 訳. 総 年度 不 就 学. 学 免 除 者 1 2~1 4歳 6~11歳 計 ノ \ 人 ノ 、 4,595 1, 488 6, 083 1, 4,6 31 935 6, 566 4, 206 1,9 22 6, 1 28 ・ 1, 819 3.7 3 5 5, 554 2,66 2 4,759 7, 421 2, 241 6, 303 4,062 6 2. 468 6, 684 4,21 2,187 4,241 6, 428 2,305 2 24 4,91 9 7, 2,290 5, 7 57 8, 0 47 2,076 47 6 6. 400 8, 6, 811 2,07 4 8, 885 2, 40 1 6, 786 9 87 ,1 6, 665 3.085 9,7 50 6, 3,329 9,717 388 3,6 6, 389 70 10,059 3, 5 6,1 21 45 9 ,666 503 6,1 8 2 3, 9 ,685 3, 435 2 5, 957 9,39 6, 12 9 3,298 9, 427 232 410 6. 178 3, 9, 6, 426 3, 33 5 9 ,761 268 3, 9, 770 6 ,502 6 3, 21 4 436 9, ,222 3, 331 9,0 47 5, 716 4,8 18 3, 16 3 7 .981 2, 733 40 4.007 6 ,7 2, 322 5, 584 3 ,262 23 2, 8 42 2,1 4, 965 1, 807 2,356 4, 163 3. 61 4 2,0 41 1,573 417 960 543 3 00 713 321 255 165 130 224 35 4 133 89 222 83 203 85 8 4 94 178 1 03 就. 人 37 1 8 ,7 4,1 44 3 72 33,9 2 9,3 89 28, 452 48 3 1,3 33 ,389 3 2,6 30 5 32 ,26 30,6 41 2 49 9,2 28,057 26 ,998 95 26 ,3 40 2 4,7 23,930 23,2 41 2 2,383 2 2,0 30 03 21 ,1 20, 409 2 0, 9 41 21, 283 21 267 , 1 9, 853 1 7, 803 1 4, 931 88 13 ,0 11 46 ,9 50 10,7 72 9,8 3,38 4 2,593 2,3 18 2,1 46 1 15 ′ ,9 1 ,268 1 88 ,3 1 ,462 1 31 ,3 1 01 ,3 ) 4( 2 6( 9 ) 22(20 1 29( 1 47 ) ) 1 44(47 35( 40 ) ) 1 3 4(38 ) ) 1 93( 207 ) 56 639 ) 30(36 5( 59(37 ) 2 1 87 ) 69(. 弱 ネ 見 ・ 聴 ・ 難 弱 神 薄 由 体 不 自 ・ 虚 弱 弱 護 院 ・ 少 年 に い る た め ィ也 の 2年度の内訳である, (注)( ) 内は昭和6 盲 聾 精 肢 病 教 院 そ. 計. 1 3(1 2 ) ) 9( 8 23(2 9 ) ) . 21(18 6( 7 ) 28(31 ) 29(3 4 ) 1( 2 ) 7(1 1 3 ) 42(2 4 ). (各年度5月1日現在) 学 猶 予 者 6~11歳 1 2~1 4歳 計 ノ 、 人 ノ 、 26, 37 2 5 31 ,263 ,635 24, 7 3, 08 1 27, 578 49 2, 27, 84 4 24. 95 6 888 2 2, 26 6 23, 83 5 1, 56 9 2 21, 1 8 5 9 2,37 031 ,6 2,385 25, 0 45 2 2,66 0 26, 2 4, 31 9 2,386 705 2, 505 23, 69 7 26, 202 2, 578 25, 041 22, 463 1 858 736 2 2, 59 4 20, , 3 19 10 1 46 2 0, 77 3 ,3 , 1 5 1 7 57 1 9, 172 ,7 ,41 1 1 8 17 811 6 ,603 , ,20 6 45 1 4, 9 46 1 16 ,699 , 1 71 8 15, 0 23 1 3, 30 5 , 1 2, 229 1, 6 42 871 13, 636 29 1, 13, 57 5 1 1 ,9 1 21 6 1, 482 12,698 1 , 685 1 0, 95 3 1, 12,638 555 1 1, 676 1 0, 1 21 1 , 7 1, 51 2 1 0, 999 9, 48 180 9, 6 04 1, 57 6 11, 2 11 9, 811 1,70 ,513 1, 86 6 9 96 5 11 , ,831 856 0, 806 8, 95 0 1, 1 79 822 7 843 1.9 9, . 1,79 1 6 400 8.191 , 5 26 1.778 7,50 4 ,7 6, 981 5, 3 4 i 1,637 ‐ 6 1, 571 6, 587 5, 01 258 4, 75 4 1 50 4 6, , 7 66 7 1, 75 2. 424 51 8 1, 880 1 36 2 , 2 8 . 1, 790 1 ,3 563 1 16 3 1, 726 , 1, 561 999 56 2 40 5 1, 046 1, 566 185 1. 283 533 1,1 53 49 8 655 9 1, 112 48 ) ) 4( 2 4( 2 6( 9 ) 6( 9 ) ) 1 ) 1 2 ) 107( 1 27 88( 1 5 9(1 ) 1(93 ) 6 9(7 2 ) 23(21 9 22(20 ) 159( 1 69 13 7( 1 49 ) ) 6 03 3(46 50 2( 5 57 535( ) 3 ) ) 5 21 0( 1 50 15 3( 1 05 ) 7(45 ) ) 就. リ ム.
(4) . 日本特殊教育思想史 2 北海道推移( ) 48 視. 覚. 障. 害. 聴 覚 教 室 精 神 薄 弱 肢 体 不 自 由 病弱・身体虚 弱. 計. 人 722 259 82 1 0 6 3 ,. 49 人. 50 人. 455 447 236 202 71 58 7 62 607. 5 1 人. 52 人. 53 人. 54 人. 55. 56. 人. 今. 2 353 288 256 47 32 1 81 1 82 1 95 129 68 7 7 59 48 33 31 6 11 529 501 209 1 31. l 26 46 39 1 13. 57. 58. 人. 人. 59 ^. 60 人. 61 人. 6 2. 63. 人. 25 2 4 33 8 2. 12 7 2 6 7 6 lo 7 3 3 3 l 21 28 32 29 26 22 43 42 37 3 8 36 29 (各年度の 「不就学学児童生徒の調査」 より). 昭和63年度までの就 学猶 予・免除者の全国推移 および北海道にお ける推移は表1の通 り であ 1 2 ) ・ る{ .. 本表で見る通り, 就学猶予者・免除者は昭和54年には全国で前年比の 三分の-, 北海道ではほぼ 二分の一となっている, 昭和58年にも就学猶予者・免除者の大幅な減少 が全国, および北海道に共 通して見られる. 周知の通り, 昭和54年 は養護学校義務化実施 の年 であ っ た し, 昭和56年は国 連第31回総会 ( 1 6年1 2月)に決定された「完全参加と平等」をテーマとする国際障害者年としての時期にあた 97 り, わが国では内閣総理大臣を本部長とする国際障害者年推進本部等が組織さ れ, 障害児教育に対 しても大きな期待がなされた時期 であっ た. これら障害児に対する教育の必要性が政策的にも保護者からの要求からも強調さ れた結果, 就学 猶予・免除者の数は極端な減少傾向 を見せたものと思われる, しかし昭和63年度に到っ てもその数は未だ零とはなっていない. 就学猶予・免除の規定の成立過程について, 安藤房治 ( 1 ) は主として既刊府県教育史を参考 988 その歴史的検討を明らかにしよ に, うと努力している. また同氏は郡市町村行政記録な ども詳細に ) 検 討 して いろは ,. 何故, 就学義務の猶予・免除の問題 が日本の特殊教育思想を考えるにあたって課題とされなけれ ばならないかについて, 宮本茂雄 ( 980 1 ) の意見を参考にしよう. 同氏は重症心身障害児の教育処遇の問題に触れる中で,「これらの子どもたちは, 発達 の遅れや心 身の故障のために就学は困難である、という理由から, 保護者が就学猶予あるいは就学免除の手続き をとり, 不就学の措置がとられた者である, しかしながら, 就学の猶予・免除は, 決して親が希望 して願い出たものではないのである, 実情は, むしろ学校で受け入れてもらえないから であり ま , た学校に期待できなかっ たからに他ならない, それまでの学校は, こうした障害児を受けとめて教 育するだけの用意がなかっ たのである, 親もそれをよく知っていたから, 猶予なり免除なりの手続 きをとる以外に方法がなか ったにす ぎない. 親が子どもの教育を放棄するのは異常なことである . (中略) いったい, 心身に障害があるために就学困難であるという理由, あるいは教育不可能 であ るという判断は, どこからきているの であろうか. ここから問題を解き始めなければ, 重症の心身 4 ) 障害児の教育は明解に答えることはできない であろう.」( まさにこの問題の解明がなさ れていることが, 日本の特殊教育の思想を考えるうえ で不可欠の こ と であ る。. 以上, 日本の特殊教育の思想を歴史的に考察するためには二つの基本的な課題を中心に据えるこ とが必要である. 障害児者に対する教育は普通教育と加えて特別な教育的サー ビスが必要であると する思想を歴史的に検討すること, および就学義務の猶予・免 除の規定を歴史的に検討することが それである, 3.
(5) . 亀 畑 義. 彦・大 嶋 謙 一. これらの課題を 考えるためには明治初期の「学制」 (明治5年8月 3日布達)まで湖る必要があろ う. この時期は現行の学校教育制度の創設期にあたるとと もに, その整備の過程で特殊教育思 想が 確立されてきたと見るこ とができるからである. 6 } 明治初期の教育制度を 振り返ることは, それが現在の教育, とりわけ 古川原が指摘する ごとく( , 特殊教育にお ける現在の問題の大部分を原始の形で促えることができる. 4年までを考察の なお, 本稿とそれに 続く稿は「学制」から養護学校の義務化が実施された昭和5 対象とするが, 特殊教育思想の変遷の節目と なっ たものはおおむね表2の通りである. 表2 日本特殊教育史の節目として 明治5年9月 5 日 明治19年4月10日 明治23年10月30日. 「学制」 の公布 「小学校令」 の公布 (森有礼文部大臣) 「教育勅語」 の発令. 大 正10年8月. 大正期新教育運動と八大教育主張 小原国芳 「全人教育論」 を主張. 昭和12年4月10日. ヘレン・ケラー女子来日. 昭和21年4月 7 日. 「米国教育使節団報告書」 提出 教育基本法・学校教育法の公布 学校教育法施行規則の公布 中央教育審議会 「特殊教育の充実振興について一 を答申 学校教育法第六章 「特殊教育」 の大幅改正 学校教育法施行令の一部を改正する政令 特殊教育対象児の心身の故障の程度を規定 中央教育審議会 「今後における学校教育の総合的な拡大 整備のための具体的施策について」 を答申 学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の 設置義務に関する部分の施行日程を定める政令 養護学校の義務化を実施. 昭和22年3月31日 昭和22年 5月23日 昭和34年12月 7 日 昭和36年10月31日 昭和37年 3月31日 昭和46年 6月11日 昭和48年11月20日 昭和54年4月 1日. この表をもとに日本の特殊教育の思想変遷をおお まかに区分すると, 第1期は明治5年の「学制」 から明治23年の 「教育勅語」体制の時代とすることができる, この時代は普通教育が国策的に整備 された創好期であると共に, その経過の中で特殊教育の 必要性が, いわば源流もしくは原型と して 登場してくる時代であると共に, それがわずか数年の間に 急速に否定された時代でもあっ た. 第二期は大正10年頃を頂点とする新教育運動の高まりの中で,特殊教育思想も改めてその存在理 由を確認し, 大きく自己主張をなした 時代である. 特にこの時期にヘレン・ケラーが来日したこと は特殊教育 思想に大きなイ ン パクトを与える出 来事であっ た. 第三期は戦争の終結に伴う一連の文教施策の反省の時代であり, 特殊教育の思想にも外的に反省 が求められた 時期である. 教育先進国であっ たアメリカの教育使節団の報告書にはわが国の特殊教 育に対する批判と 提言がみられる, この提言を全国的に受け入れる所から思想的にも施策的にも, 日本の特殊教育は大きな転 換を遂げることになる. それが学校教育法および関連諸規定の公布にな っ て現われる時代である. 第四期は昭和34年の中央教育審議会の答申を核として 文教政策の見なおしの時代であると共に,. 4.
(6) . . 日本特殊教育思想史. 特殊教育の施 策にも反省が求められた時期である. 昭和36年に 「学校教育法」 の中で 「第6章 特 殊教育」が大幅に改訂されており, 昭和37年には盲学校, 聾学校及び養諸学校の対象となる盲 者等 の故障の程度を規定する政令が公布されている. そして, 昭和3 8年,39年には養護学校の学習指導 要領が通達さ れている,. 46年には学習指導要領が文部大 臣の告示と改ためられ, 昭和48年には昭和5 4年の養護学校 義務化. 実施のための 「学校教育法中養護学校における就学義務及び養護学校の設置義務に関する部分の施. なお, 第一期の時代を細分して, 明治前期の特殊教育思想と明治後期の特殊教育思想と に二分し た. その理由は, 明治期は明治19年の 「小学校令」 の公布を中間として 前期は 「学制」 の布達か , ら 「小学校令」 ま でで, この間に様々な特殊教育思想が現 われた時代であり また以前の思想を引 , き続いた時代だとして考えることができる. 他方, 後期は 「小学校令」 以降 「教育勅語」 体制まで の時代であり, この時期は前期に見られた特殊教育思想が国策との関連 で一定方向に統制されてく る時代として前期とは質的・内 容的に差異が見られる. 本稿は明治前期の特殊教育思想を 「学制」 の布達とその崩壊過程を通して検討することを目的と. 従っ て, 明治前期の特殊教育思想の検討は( 1 )および( 2 )の二編によって構成される.. 1 1 1. ・ 1 . 1 , . ・ 1 1 . ・1 ● : . ・ 1 1 . 1 . ・ 1 一 一 ’ . 」. する. なお, 「学制」 に焦点を当てて検討するため, 上記の目的は二分される 「明治前期の特殊教 . 育思想( 1 ) 2 ) 」 は 「学制」 布達を中心とする考察に当 られ, 「明治前期の特殊教育思想( 」 は 「学制」 の 「 崩壊と 小学校令」 の制定までを扱うことにする,. 1 . ・ 1 1 ・ 1 1 1 . ・. 1 ●. ● . ・1 , . ・ 1. 1 ・1 ・ 1 .1 . ●. 1 ,. ・ 」 1 .」 1 ●. 1 1. 行期日を定める政令」が公布されている. それと共に昭和50年には特殊教育の改善に関する調査会 が 「重度・重 複障害児に対する学校教育 の在り方について」 を報告している , 以上, 本論はおおまかに, 日本の特殊教育の思想を一般の文教政策との関連 で 明治期より 今日 , まで都合五期に分けて検討しようと考える.. 1 . 1 .1 . 1 . ・1 ・ 1 .1・1 ・. 第五期は昭和46年の中央教育 審議会の答申から昭和54年の養護学校義務化の実施までである . 審議会の報告は 「今後における学校教育の総合的な拡 充整備のための基本的施設について」 という 題が付けられ, 戦後の学制以来20年の実績を反省し, 急激な社会変動に対する今後の教育のあり方 を展望した長期見通しという主旨で述べら れたものである. この答申を核とし 特殊教育 では昭和 ,. 1. 学制発布の時代の教育思想 明治新政府は, 明治5年に 「学事奨励に関する被仰出書」という教育宣言 を出した (明治5年 , 8月2日, 太政官布告第21 4号) その中に次の一文がある. 「自今以後一般の人民華士族農工商及婦女必ず邑に不学の人なからしめん事を期す (中略) 幼童の子弟は男女の別なくノ j ・学に従事せしめ ざるものは其父兄の越度たる ◎ べき 事」 ー. この宣言は教育における四 民平等と親の子に対する教育責任について明記したものとして画期的 なものであっ た, 学問, 教育における 封建的な身分差, 不平等を否定し 教育の機会をすべて の国 , 民に拓くものであるということ, および子供の教育は親が保証しなければならないという教育思想 が銘文化されたのは 「被仰出書」 にして初めてのこと である ,.
(7) . 亀 畑. 義 彦・大 嶋 謙 一. この他, 「被仰出書」には我国の教育思想上, いくつかの特徴的な理念が盛り込まれていると言わ 7 )は 「立身出世主義的」 な教育理念と 「実利主義的」 な教育理念が特徴で )( 1 985 れるが, 堀松武一 ( あると指摘している. このような面期的理念が盛り込まれた 「被仰出書」 が出された翌日, 文部省は 「学制」 を発布し, (明治5年8月3日, 文部省布達第13号別冊) , 我が国における国民の教育制 度が, これによ って 整備されることになった, 「学制」 の条文中に以下の章がある , ) 8 0 第 二 十 一 章(. 小学校ノ・教育ノ初級ニシテ人民一般必ス学ハスンハアルヘカラサルモノトス之ヲ 区分スレハ左ノ数種ニ別ツ ヘシ然トモ均シク之ヲ 小学ト称ス即チ尋常小学女児小学 .. 村落小学貧人小学小学私塾幼稚小学ナリ この章は小学校教育の基本理念とそれを具 体化すべき教育の場所が示されている. 即ち, 小学校 ではすべての国民が教育を受けるものであることという基本理念の下で, 小学校をいくつかに区分 して い る.. 尋常小学とは 現在の小学校のことである. 女児小学とは女児に対して尋常 小学の教育内容に手芸 「学制」 第二十六章) 村落小学とは 「僻遠ノ村落農民ノミアリテ教 を加えて教育する 学校である ( . 化素ヨリ開ケサル地ニ於テ其教則ヲ少シク省略シテ教ルモノナリ或ノ、年巳ニ成長スルモノモ其生業 「学制」 第二十五章) という目的をもっ た学校であ ノ暇来リテ学ハシム是等ノ・多ク夜学校アルヘシ ( 「学制」 第二 る, また, 小学私塾とは小学校教員免状を持つ者が自 宅に於て教育するものである. ( 「 第二十二章) 十三章) . . 幼稚小学とは現在の幼稚園のこ とである ( 学制」 塑!ましいと規定されてい て設立されることが 目的をも この第二十一章中, 貧人小学とは以下の っ る.. 0第二十四章 貧人小学ノ・貧人子弟ノ自活シ難キモノラ入学セシメン為ニ設ク其費用ノ、富者) 寄進金ヲ 以テス専ラ仁恵) 心ヨリ組立ルモノナリ俳テ仁恵学校トモ称スヘシ 貧人小学は富者の仁恵による寄進金で設立されるのが望 ましいとの内容である. 「学制」は学校の 設置に関する費用について以下のように 規定している. 0第九十 九章 教育ラシテ普及ナラシメンカ為メ府県二委托シ某学区ヲ助クルノ 金額ノ、左ノ如シ. 人員男女一万人付 -一 ノ割 金 ---- 両三府十二県 ・其三分ノ七ヲ出シ来 -■ 迄 此金高 ■-ノ 学区其他今般定ル所ノ規則ヲ立ツ可キノ 基礎ヲ定ムヘシ基礎 巳ニ定ツテ此金額ヲ出ス 此金額ハ .一 ヨリ向五 ヶ年 ■- ヲ一期 トシテ之ヲ定ムー 期以後ノ増減ノ・其時ノ議 決ニヨルヘシ 此金ノ遣払ノ・毎年六 ヶ月毎ニ詳記シ本省へ届クヘシ本省ニ於テ委シク上梓公告スヘ 6.
(8) . 日本特殊教育思想史 ン. この章の中で黒く塗りつぶされている箇所には具体的数字が記入されるべきであったが, これら の数字をめぐって文部省と大蔵省との間 で意見の調整がつかず, 第九十九章の数字は墨で塗り つぶ } 9 されたままで発布されたと言われている( , 結局,「学制発足当初の小学校の運営 は主として寄附金によってまかなわれたといってよい たと . えば明治6年の公学費統計によれば, 文部省補助 金は全体の12%余にす ぎず, これに対して「学区 内集金」という, 人民の貧富の度合に応じて課した強制割当陶附金 が約43%を占めて最も多く そ , 1 0 )というのが現状であっ た 9%, 生徒授業料 は約6%にとどまっていた.」{ の他の寄附金が約1 , 従って, 貧人小学ばかりでなく, その他の小学校も多くは富者の寄進金と国 民の強制寄附金によ ってまかなわれていた のである, 但し, 特にここ で貧人小学を取り出し問題としたのはその規定の背景 である. 97 児島美都子 ( 1 2 ) によれば, 「この時代の貧窮に対する考え方は, その原因が疾病であれ, 障害 であれ, 経済変動によるものであれ, すべて個人の責任であるという思想に貫かれ, この救済は, 国や公共団体が積極的にするべきも のではなく, むしろ民間任意の慈恵にまかせるべき であるとい 1 1 )と して い る う 考 え 方 が 流 れ て い る.」( .. この思 想が銘文として表われたのが 「学制」 第二十四章の貧人小学の規定であると考えられる. 従って, 「学制」 第九十九章の補助金の対象に貧 人小学は含まれていなかったと見るべきである . 「学制」 第二十九章にもこの貧人小学と類似の規定を見ることができる . 0第二十九章 中学ノ・小学ヲ経タル生徒ニ普通ノ学科 ヲ教ル所ナリ分チテ上下ニ等トスニ等ノ外. 工業商業学校通弁学校農業学校諸民学校アリ此外廃人学校アルヘシ ここに見る廃人学校のことがそれである. 「学制」では第二十一章の小学区分および第二十九章の 中学区分につ いて, 各々一章を設けて各学校 の設置目的を説明しているが, この廃人学校に関して は何の説明もなしていない. またこの学校が中学校の章に掲げられたことが不適当とされ, 次のよ うな布達が 「学制」 布達の同年同月になされている. 2 1 } 0学制一部改正 (抄)(. 第二十二号 兼而御領布相成候学制中誤謬之条々別紙之通改正相成候間其旨可相心得候也 (別紙) 学制中誤謬ヲ訂正スルモノ左ノ如シ 第二十一章第五オテノ末継クニ左ノ十字ヲ以テス. 其外廃人学校アルヘシ 第二十九章第四行此外廃人学校アルヘシノ十字ヲ削ル この布達で小学校に於ては貧人学校およ び廃人学校という二つの特殊な学校が設置区分として規 定されたことになる. なお, 改正にあたってはこの十字が章を移動しただけで, 廃人学校の目的は.
(9) . 亀 畑. 義 彦・大 嶋 謙 一. なお不明確である. 先の児島の指摘するところによれば, 廃人学校も貧人学校と同類の設置目的で あっ たろうと推察される. さて, このように多種の学校区分がなされた小学校ではあるが, その「小学」の意味について「学 制」 を見ただけでは末だ不明確である. これを少し補促するならば, 「小学」 という言葉に含まれた 1964 ) はそれを次のように説明している, 意味は二つであると思われている. 勝田守一・中内敏夫 ( 「もともと小学ということばは 江戸 時代から, 二つの意味をもって使われてきた, , 大学に対して小学というときは,高等の大学で学問をする準備の ための教育機関で, 年齢の低 い子弟のためのものであった, ところが, それとはちがっ て, 一般庶民の徳 化のための教育機関, つまり身分的差別を含んで成立した学校をさすときも小学とよ 1 3 ) ん だ.」(. 「学制」 第二十一章の小学校区分の中で, 女児小学・村落小学, 貧人小学そして廃人学校は 「変 1 4 )と呼ばれて いる この 「変則小学」 の教育目的と して例えば第二十五章の村 落小学での 則小学」( , 教育内容を検討してみよう. そこでは 「僻遠ノ村落農民」 あるいは 「開ケサルノ地」 にある子供に 対して 「教則ヲ少シク省略シテ」 も教化する 必要があると話されている. これを 「変則小学」 に拡大して解釈 すると, 勝田らが指摘したように, これらの学校では 「徳化」 が教育の第一目的とされたと見ることもできる. 再び勝田らの文を引 用すると, 日本の学校は学制 以来, ヨーロ ッ パの学校のような階級的な区分を形の上では克服 してしまっ た. もちろん, 教育機会の無階級的平等 がそこで実現 したなどと考えるの 877年(明治10年)には, 貴族のための学校である学習院が天皇 は夢想にすぎない, 1 によっ てその名 称を公然と復活したことか らも明らかである. 小学校の中にも貧人小 学, 村落小学, 女児小学などの変則 小学を用意していたこと も, 四民平等や国民皆学 1 5 ) の理念を裏切る傾向をもっていた.」( として, 表面的理念では共同体意識の教化, 他方, 裏面的な理念として選別 意識と階層的意識の訓 練という二面性が小学教育の目的の中に見られることを指摘している, 尋常小学に於てはこの 二面性 が隠され, 平等と競争という 教育的矛盾の中で子供は指導されなけ ればなら なかっ た. また変則小学に於ては社会体制の 維持という目的の中で 共同体意識の教化が何 よりも強調されると いう指導が子供になされねばならなかっ た. 1 6 ) 「生活指導への情熱は知的教育という近代的専門職の責 任をはるかに上まわっ てさえもいる.」{ と批判された教師の教育 的情熱はこのよう な教育的予盾を解決しようと試み たひとつの方法であっ たのではなかろうか. 1 7 ) ナショ ナリズムによる国民総合機能 と能力主義的人材配分機能 1 989 ) の指摘する( 堀尾輝久 ( , が我が国の学校教育制度の当初に含まれていた理念的予盾 である. 他方, 当時の教育に対する国民意識は今日ほどの高まりを見 なかっ たことは容易に想像されるこ とである. それは国民の多数が農村を中心とする地域で生業を営み, また工業生産にあっても従事 的小 企業が一般的な時代である. このよう な時代では教育は労働力を奪い, 産業を停滞させる原因 となるものだと考えられて も不思議はない. 8.
(10) . . 日本特殊教育思想史. 明治新政府は優秀な官僚を国 民の中に期待したが, その対象は自ずと 旧武士階層に限られたもの. ) と な っ て いた僅4 .. 柳田国男 ( 1 93 0 ) は当時の教育に対する国民感情を次のように伝えている .. 明治前期の小学校就学普 及の実態は表3の通りである. 表3 明治初期の小学校就学率. 25,531. 20,017. 36,866 44,500. 24,225 24,947 25,459. 52,262. 同10年 同11年. 26,584. 65,612. 59,825. 1,145,802 1,714,768 1 ,925,206 2,066,566 2,162,962 2,273,224. 就. 学. 率. 男. 女. 計. 39.9. 15.I. 28.1. 46.2 50.5. 17.2 18.6. 32.3 35.2. 54.2 56.0. 21.O 22.5. 38.3 39.9. 57.6. 23.5. 41.3. (堀松武一編1 9 8 5「日本教育史」 国土社). 1 ,. ; . ・ . . - ・ . . , . ・』 」 、 . 〕 ! ・● !. 12,558. 同児童数. . ・ ・. 明治6年 同7年 同8年 同9年. 同教員数. ト. 小学校数. ● ● . ) - } ’ ● .・ r ー E , r L . ‐・ . ・ . . ・ 「 . 1. : ’; . ‐●‐ :. ,・1 ‐ ト , . ; ‐ .. 「教育はむやみに細かく 人の才能に差等を設けようとしていた さうして何にす , , るかは未定であったが, とにかく, 偉い者になれという教訓は家庭でも学校でもくり 返されているのである. (中略)とにかく何になるかを定めない教育であるから 実際 , に必要なものがえない. (中略)ちょうど少年の最も熱心に, 模倣しまった印象を受け る時代の教育は, いずれかというと俸給生活者の準備にふさわしかっ た 以前郷党の , これを必要とした理由, 次いで明治初年の士族たちが, 力を読書算筆に注いだ動機は , 共に優秀なる書役属 吏の徒を養成するにあっ た. 家の持ち伝えた職業を続けようとす る者には, 一般にこれは不便なことであるが, その中でも手足を動かす必要のある職 業, ことに農業のように昔から少年期の伝習を例としていたものには, 住々にして小 , 1 8 ) 学教育の効果の, あまりに顕著なることを嘆くべき場合があった 」{ .. 児童の就学者数については正確な数値 ではないとされている, その理由は数日登校 して退学する 者や, 一年のみ で退学する者が圧倒的に多く, 2年間の通学している者は当時ま ではまれであると 1 9 } も 言 わ れ て い た か ら で あ る. (. この就学状況について, 福沢諭吉 ( 87 1 7 ) は次のように述べている. 「幾百万ノ貧民ハ 仮令ヒ無月 謝ニテモ (中略) ナホ子供ヲ手離スベカラ ズ 八歳ノ男の , . 子ニハ草ヲ刈ラセ牛ヲ遂ワセ, 六歳ノ妹ニハ子守ノ用アリ如何セン, 其子ノ・今日家内ノー人. 2 0 ) 者 ア リ. 二 年 ニ シテ 廃 学 ス ル 者 ア リ. 廃 ス ル 者ノ・多 ク, 廃 セ ザ ル 者ノ・少 ナ シ 」( .. 当時の就学率の低さは福沢論吉の指摘する社会経済情勢による原因と, 先の柳田国男の指摘する 教育目的およびその内容に対する国 民の不満などが相乗的に組み合わされたことによるもの であろ. ‐. ニシテ, 之ヲ手離ストキハ 忽チ世帯ノ差支トナリテ, 親子モロトモ飢寒ノ難渋免カレ難シ , 之ヲ下等ノ貧民幾百万戸一様ノ有様ト云フ. 仮令ヒ一度入学スルモ, 一年 ニシテ止メニスル.
(11) . 亀 畑. 義 彦・大 嶋 謙 一. う. つまり, 明治新政府の 教育制度の整備に関する思想は, ヨーロ ッ パ近代先進国に追従するこ と が念頭にあり, 国家基盤の 整備を最終的な目標として教育をその手段 と考えるものであっ た. しかしその 政策は国民の 社会経済情勢を十分検討したものではなかったし, また教育内容などに ついても検討が欠 けていたと言わなければならない. 再び福沢論吉の文を引用する ならば,当時の教育内容検 討の不十分さを以下のように嘆いている. 「今の学校の仕 組は多くは文字を教うる を以て目的と なすものの如し. 固より智能を発育 するには少しは 文字の心得もな かるべからずと難も, 今の実体は唯文字の 一方 に偏り, 苛も 能く書を読み, 字を書く ものであれば之を最 上として, 試験の点数は勿 論, 世の幾誉もまた 之に従い, 能く 難字を解し, 能く字を書くを視て神童なり学者なりとして称賛するが故に, 教師たる者も, 仮令心中窮にこの 趣を視て無益なることを悟ると難も, 特立特行, 世の幾誉 を顧み ざることは容易に 出来難きことにして, その 生徒の魂気の続く 限りを尽さしめ敢て他 の能力の発 育を顧みる 違なく, 之が為めに業成り課程を終えて学校を退きたろ者は, 徒に難 字を解して 文字を書くのみにて 更に物の役に立たず, 教師の苦心は僅かにこの 活き字引と写 字機械とを製造するに止まりて世に無用の人物を増 したろのみ. (中略)本来人心発育の理に ・於て 人の能力は一にして足らず 記憶の能力あり, 推理の能力あり, 想像の働きありて, , , この諸 能力 が各その固有の働きを遅しうして, 互いに領分を犯さず, また他の犯さ れずして 2 1 } 能く平 均を保つもの, 之を完全の人心を云う」{ . 以上, 「学制」を中心とする 日本の近代教育制 度を概観したが, ここで考察された課題のいくつか は現代の教育にも見られる ものである. 近代教育制度の性急な整備と社会経済の 未発展および教育 内容等の不備 不足などが国民が期 待する教育から遠くかけ離れたものであったと言えるのでは なか ろうか. 2 2 )が指摘するように, 国民は寺小屋やそれまでの教育機関であった郷学で十 1 976 )( 安川寿之輔 ( 分満足して いたし, 教育を手段として 立身出世を考えるという 段階ではなかったのであろう. 明治政府は 社会経済がヨーロ ッ パ 諸国に比較し未成熟であること, および国家の 政策基盤が軟弱 と考えたか らこそ, その解決を国民を教育することで解決しようと したのである. ここに教育制 度 の発足当初 から現代までの教育課題の大き な矛盾が内抱されて いる,. 2. 学制発布の時代の特殊教育思想 明治5年の 「学制」 の中で特殊教育に言及している箇 所は 0第二十二章. 廃人学校アルヘ シ. という条 文だけである, この 「廃人学校」 の規定はどのような思想のもとでなされたの だろうか.. 「 そのためには, 当時の教育 思想の動向を促えることが必要である, 特に当時 三田の文部省」 と 言われた福沢諭吉の教育 思想を検討する 必要があろう. 福沢の 「学問のす)め」 初篇 (明治5年2 2 3 ) { 月出版) が自身の算定で, 「国民の百六十人のう ち一名は 必ずこの書を読みたる者なり,」 とする. 10.
(12) . 日本特殊教育思想史. ほど, この初版は読まれている. 「被仰出書」 に見られる教育思想も堀松武一 ( 19 85 ) の指摘するところによれば, 「福沢諭吉と 同 2 ( 4 )ということから 翌月に発布 系統の思想の持ち主の手になっ たものであろうと推定されてよい 」 . , 「 「 された 学制」 の 廃人学校」 の規定もこの教育思想の延長にあるものと考えられる . 福沢諭吉は1 862年にヨーロッ パ使節団の一員としてハー グの白痴施設な どを見学し 帰国後 そ , , の見聞を「西洋事情」 ( 866年)として著している. この著述も2 1 0万部ないし25万部発刊されたと 言われているから, 「学問のす・め」 と同程度の発刊数になる. この 「西洋事情」 では諸外国の障害 児教育情況を次のように紹介している. 「唖院は唖人を教ゆる学校なり 唖人数百人を集めて 語学 算術 天文 地理等を教授す , , , , , 2 5 ) る こ と, 尋 常 の 学 校 と 異 な る な し.」(. 「盲院の法も大抵唖院に同じ 盲人に読書を教る には 紙に凸の文字を印し 地図等は針に . , , 2 6 ) て紙に孔を穿ち, 海陸の形を画き, 指端にて之を触れしむ.」{ 「癒院は 発狂せる者を養い治療する病院なり 此院は発狂人を治療するのみに非ず 或は , . , 狂人にて人を殺し, 或は火を放て家を焼ける者等, 皆比院に入る 但し狂人にても死罪を犯 . 2 7 ) したろ者は, 其病平癒の後も外に出さずして癒院内に身を終らしむ.」( 「痴児院は 児童の天票知恵なきものを教ゆる学校なり 読書算術等を教ゆるも 尋常の学 , , , 校と同 じからず. 書は皆大文字を甲ゆ. 語を教ゆるにも, 絵に由て解さしむ 此学校ある国 . 2 8 ) は, 現今兄, 仏蘭西, 荷蘭, 普魯士のみにて, 他国には未だ之を建てずと云ふ 」( . 「学制」 発布にあたって,明治新政府は福沢諭吉らによって紹介された諸外国の障害 児者教育を , 総合的にまとめて, 「廃人学校」として規定したものと思われる. 法的に障害児者教育は規定された けれども, その現実は, 「新政府は初等教育機関である小学の設置に大きな関心を寄せていたので, 府県に対して廃人学校の設置を督促した様子はなく, 府県においても 「将来教育進歩ニ付須要ノ要 件」 のひとつとして盲唖院を挙げているところもあっ たが, 結局, 廃人学校の設置は見送られたの 2 9 )と い う 状 況 で あ っ た で あ る.」( ,. 「学制」 発布の時代の特殊教育思想は このように諸外国の教育制度を法規上にそのまま取り入 , れるという形で, いわば諸外国の模倣として形成 されたのがひとつの流れと促えることができる . 他方, 国内事情で当時の特殊教育の思想形成および教育制度の整備要求を促え ●ることもできる, 特に明治以前の盲者, 唖者の保護育成策 を考えること である. 「 「 871年 (明治4年) 明治新政府は1 , 学制」 発布の前年に 当道座」 の解散を命じている, 時と同 じく して, 山尾庸三らが盲・唖学校設立建白書を政府に提出している, この 「当道座」 とは以下の様な内容と組織を持つものである. 「盲人の職業を保護する制度 およびその制度の支配を受ける団体で 室町時代以降 幕府 , , , によって公認された自治機関である京都の職屋敷と, 江戸時代に新設された江戸の惣録屋敷 がその事務を担当した. 単なる組合的職能団体ではなく, 租税や刑罰をもつかさどる治外法校的自治団体 で, 二, 11.
(13) . 亀 畑 義 彦・大 嶋 謙 一. 三名の晴眼の書記をのぞけば (中略) その長官以下全員 が盲人で占められていた. この当道 は男子の盲人とくに按摩, はり, 灸などの治療や音楽を業とする男子に限られていた.(中略) ・ 当道では座頭, 勾当, 検行などの細かく 厳格な職階があり , 検行になるためには琵琶の試 験があっ た. また, 検行になるために は多額の金が必要であっ た, 吉凶に際して一般人から 富銀と称する 金を徴収して盲人に与え られるという政策をつく っ たが, のちにはこれを強制 するような悪弊 が生 じた, この 強制徴収金を運上金という, 運上金は座頭臥下の身分の低い 3 0 } ’ 盲 人 に も 分 配 さ れ た 」{ ,. このように特に盲人は時の支配者から特別に保 護され,治外法権を持つ自治団体を構成していた. 明治新政府 ・はこ の治 外法権自治団体の解散を命 じたのである, 山尾庸三の建白書はこ のような盲人の 官職からの追放・西洋医学の圧迫による盲人の業が成り立 たなくなり生活が急速に脅かされたためであるという背景がある, 彼の建白書を抄すると, 「盲唖廃疾ノ突民天下ノ広キラ以テ之ヲ推算スルニ 其幾許ナ ルラ知ベカラ ズ是等ノ究民目ラ 存スル能ハス他人ノ救他ヲ仰ギ僅ニロラ糊スルト言モ凶年飢歳往々 凍餓ノ死ヲ免ルル能ハ ズ 彼ノ西洋各国ノ如キハ不然盲聾イ ン唖ト言エ ドモ救他ノ方法広ク及ブノミナラ ズ学校ニ入し ニ校ヲ創建シテー校毎ニ男女二局ヲ分チ教師 (中略) 今西洋各国ノ式ニ倣ヒ先 ズ盲学唖学ノ. ヲ外国二招キ 以テ天下/盲唖ヲ教導シ適官ノ工芸ヲ授与シ其成立ニ 随ヒ盲男盲女唖男唖女各 適意婚嫁スルラ 許シ (中略) 但シ其費用ニ 至りテハ官財ヲ不消費一種良法ヲ立テ天下好善人 3 1 } ニ 募り弁済スルノ存慮ニ有」{ ここで述べられている思想は, 当道座の解散命令が原因となったといえども, 先に見た 「西洋事 情」 で紹介された育院等の内容とほぼ同 じものの要求である. 明治初期の障害児教育に目を向けた者は 諸外国の制度をほとんどその まま国内に創設しようと考 いた.・ この限りでは, 先に見た尋常の学校制度の整備を諸外国に範を求め よう えて・ .とした政策担当 者と大差がない, 当時の小学校の 整備が既存の寺小屋や郷学の機関を利用 して行われたと同様に, 盲, 唖学校も当道座の 拠点があっ た京都および東京で開始されている. まず, 我が国最初の盲唖教育は京都で開始された, すなわち, 「我が国の近代盲・聾教育の創始を 担う京都の盲唖院の創 設も, その発端は上 京十九区長の熊谷伝兵衛という 一篤志家の発意によった ものである. それは, 隣家の聾唖姉 弟に同情し, 管下の特賢小学校の教員, 古河大四郎等に託した 3 2 )が そ の 出 発 点 で あ る こ と に よ る,」{ .. そして, ここで為 された教育がその後の我国の特殊教育に重要な影響を与えることになる. 教育 内容は 「京都府下の小学校 下等級校則, 教則, 課業表に準拠して簡略にし, 新たに盲・聾唖児の特 性に応じた箇 条を付け加えたものである, 一日の正課は五時間, 修業年限六年, 学科はいわゆる普 )というものであっ たが, 「小学校に準拠し」 および, 「特性に応じた」 とい 3 3 通教科だけであっ た.」( う特殊教育思想が始めて実 践されたのである. 3 4 } 京都盲唖院の教師であっ た古河太四郎は以下の 通りに教育方針を述べている.(. 京都府下大黒町特賢校盲唖校教授手順概略 例言 一 12. 唖人ヲ教フ ルノ要 点ノ・恕ノー字ニアリ. 顧フニ彼モ亦人子ナリ. 而シテ言聴ノニ用全 ク廃.
(14) . . - ー. ス. 他人之ヲ見ルモ猶忍ビズ. 況ヤ其身, 其父母兄弟ニ於テラヤ, 吾輩教師タル者宣 シク 弦ニ注意シテ, 満腔測隠ノ心ヲ廃シ, 以テ教示セズンバアルベカラ ズ . 手勢法ノ・平常, 唖ノ互談スル所ニ注目 シ, 其意ヲ酌ミ其義ヲ量リ, 以テ解議ヲ施行 スベ シ . 教授中互ニ考成ノ速答ヲ競ハシメ, 0優×劣等ノニ標ヲ盤上ニ附ス 而シテ其優ヲ 賞スル . , 首ヲ撫スルガ如クシ, 劣ヲ罰スル鼻ヲ連指シ戒ムルガ如クス. 此ノ如ク賞罰ヲ厳=スルト キハ目ヲ奮起感受ノ両ヲ挑樹 シ, 以テ活用ノ真境ニ至 ル. 然ラザレバ, 倦厭ココニ発シ感 覚ココニ屈 スベキナリ. (以下省略). ここに掲げられた教育方針は盲, 聾教育の創草期においてばかり でなく, 精神発達遅滞児や肢体 不自由児の教育創草期にも共通して唱えられている, これらの教育創草は次編にて考察する , 否, 現代の特殊教育の思想の中に古河の教育方針は今なお中核として据えられている様にも思え る. 一例を挙げると, 指導の開始 にあたっ て児童の実態を把握することは特殊教育の必須の要件と される, 現代では心理学の進歩に伴 って各種の検査等も高い信頼性をも って開発されてはいるが, それにもかかわらず教師の心眼が第一の頼りとされる事などは古河が二番目に指摘したこととまっ たく同じであろう. 我国の特殊教育の創草期にあって, 共通した思想とは古河が第一に指摘した 「顧フニ彼モ亦人子 ナリ」 という考えである. すなわちその根底にあったのは人間愛である, 現在, 特殊教育はすべての教育の原点であると言われている. その源流をさ ぐるならば, まさに 「他モ亦人子ナリ」 とする人間愛が始めにある教育の必要性を現在も主張しつづけているからに他 ならない, 特殊教育の創草にあたって, 先駆者はこの人間愛を基盤としながら教育の充実に試行を繰り返し てきた, しかし, 明治初期の社会情勢と明治新政府の教育思想は理想として肯定はしたものの, 現 実としては否定した, と言うよりは, 社会的にも政策的にも彼らを顧り見る余裕が無っ たと見るの が至当である. 理想として掲げた 「廃人学校」 が政府の手で実現されなかっ たこ とがその表われであるし, 盲・ 聾唖学校や肢体不自由児を教育する場が社会福祉事業として富裕階層の寄附により出発しているこ とがその表われである. 他方, 後に考察する精神発達遅滞児の教育力詰 就学奨策の強制から生まれた矛盾 であるとするなら ば, 当時の個人主義的功利主義という教育思想が抱える矛盾を, これを例として証明することも可 能であろう.. お わり にかえて. 本稿では就学猶予・免除の問題は取り扱わなかっ た, これは明治期の学校教育制度の整備, 充実 の過程で登場してくる問題であり, 歴史的には 「学制」 の崩壊過程に表われてくる. すなわち 「教 育令」 発布に始まり 「教育令」 の改正の過程で始めて登場する問題である. この就学猶予・免除の問題が登場するにつれて, 本稿で考察した特殊教育の原点である 「人間愛」 の思想と学校教育の中で崩壊していく. 明治初期の特殊教育思想は 「準じる教育」 と 「特別・ な教育的サービス」 を外国の例をもっ て理想 とし, それを京都盲唖院で実践教育思想として他に根を降したことが特筆される, これは政府主導 13. ・●... ●● .・.. ● . ● , . ● ...●. ● . ‘ . ● ●. ● ●● ● .・ ‘ . ● . ● ● . ● . ● ●● ● . ● . ′. 日本特殊教育思想史.
(15) . 亀 畑 義 彦・大 嶋 謙 一. によってではなく, 民間篤志家の, また情熱的教師の挺身によ って, かろう じて実現したものであ ることも忘れることはできない,. )王. 注1 特殊教育とは, 盲学校, 聾学校およ び養護学校において行なわれる教育と, 小学校および中 学校の特殊学級において行われる教育を総称したものである. 学校教育では特別な取り扱いの 一 つであり, その 主対象がいわゆる心身障害児であること から, 特殊教育は心身障害児教育または単に障害児教育と言い替えられる場合が多い. しか し, 心身障害児のすべてが特殊教育の対象となるわけではない. 学校教育上の心身障害児は 「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒」 (昭和53年10月6 日, 文初特策3 09号 初等中等教育局長通達)と呼ばれ, ①盲者弱視者 ②聾者, 難聴者 ③ 精神薄弱者 ④肢体不自由者 ⑤病弱者, 身体虚弱者 ⑥聾, 難聴, . 脳性まひによる肢体不 自由, 精神薄弱などに伴って生ずる言語障害者 ⑦精神薄弱, 病弱などに伴っ て生ずる情緒 障害者等に類別されている. これら心身の故障の種類と程度の別に学校と学級とが設置され 6 ) る こ と に な っ て い る樽53. 注2. 「盲学校 聾学校及び養護学校 小学校・中学校・高等部 学習指導要領」 (昭和54年7月, , 文部大臣告示) (以下 「指導要領」 と略す) では, 「第2章 各教科」 の記述は以下の通りで あ る.. 0第2章. 各教科. 第1節. ・学部. 第1款. 盲学校, 聾学校及び肢体不自由者又は病弱者を教育する養護学校 各教科の目標, 各学年の目標及び内容並びに指導計画の作成と各学年にわたる 内容の取扱いについては, 小学校学習指導要領第2章に示すものに準ずるものと する が, 指導計画の作成と各学年にわたる内容の取扱いに当っては, 児童の心身 の障害の状態及び能力・適性等を十分考慮するとともに, 特に次の事項に配慮す 3 7 ) る も の と す る( .. として, 心身の障害の状態を考慮して指導上の配慮が必要であると記している. 「 例えば盲者等にあっ ては 「点字」 , 肢体不自由に , 聾者等にあっては 聴覚活用」 あっ ては, 「運動機能の状態に応じて (中略) 補助手段の活用」 , 病弱者等にあっ て は 「授 業 時 数 の 制 約」 等 々 が あ げ ら れ て い る,. しかし, 精神薄弱者の場合は上記の障害者とは異っ て,「第2款 精神薄弱者を 教育する養護学校」として別項をもっ て独自の内容が示されている. そこには「準 ず る 教 育」 と い う 用 語 は 見 ら れ な い,. 指導する教科は 「国語・算数・音楽・図画工作・体育」 等であるが, この教科 名も普通教育で用いられる教 科概念とは異なる概念のもとに規定されている. 精 神薄弱者を教育するこれらの教科名は,「小学校及び中学校学習指導要領における 教科と違った考えに立っている. すなわち, 指導内容の分類と, 教授-学習活動 14.
(16) . . 日本特殊教育思想史. の展開の方法とを分け, 前者に対して教科ということばを用いている, (中略)精 神薄弱養護学校学習指導要領における教科は, 指導内容の分類という ことに限定 3 8 )と 説 明 さ れ て い る してい る,」( , .. 除の措置を行う場合は, いわゆる就学指導委員会の判断を得る等 の慎重な手続きを 要件とすることにより, その適正を期することとし, また, この措置を行っ た後も たとえば教育相談や 医療・福祉機関との連紹等を通じて, 常にその就学の可能性を 3 9 ) 把握し, 機に応 じて就学させる体制をとるようにすべき である.」{ この答申を受けて文部省では初等中等教育局長通達第309号 (昭和53年1 0月6 日付) で, 「教育上特別な取扱いを要する児童・生徒の教育措置について」. として以 下の通り通達している. 「治療又は生命・健康の維持のため療育に専念することを必要とし 教育を受け , ること が困難又は不可欠能な者 については, 保護者の願い出により, 就学義務の猶 予又は免除の措置を行う こと. なお, 就学義務の猶予, 免除の措置については慎重 に 行う こ と,」. 注4. ここで述べ た旧武士階層とは明治維新後に解体された武士階級の中 で, 比較的富裕 な配層と貴族階級などであり, また商人階層とは当時の経済の発展に伴っ て富を商 人を指している. 「有閑階級」 と呼んでいる Thors in B te l 1 89 9 ) はこれらの階層を・ en ( .Veb . 「有 閑 階 級 ( i l ) の制度がもっともよく発達しているのは, たとえば e surec a s s 」 l 封建時代のヨーロッ パや封建時代の日本のような野蛮文化の比較的高い段階のばあ いである. そのような国では, 諸階級のあいだの区別がきわめて厳重にまもられる. そして, こ れらの階級間の差別の, もっとも際立った経済的意義をもつ 特徴は, い 4 0 ) くつかの階級に固有な職業のあいだにたもたれる区別 である.」{ 「ある題目の適当な思考 習慣がつ ぎの世代に保存されるために÷ ある種の学問的 訓練が, その社会の常識によっ て承認せられ, 公認の生活様式のなかに組みいられ る. 教師や学問的伝統の指導にもとに, このようにしてつくり上げられた思考習慣 は, ひとつの経済的価値一個人の有用性を左右する価値-をもっ ており, しかもそ の価値は, 日常生活の訓練のもと に, そのような指導がなくて, つくり上 げられた 思考習慣の同じような経済的価値 に劣らず実質的なものである. 有閑階級の好みな り, 金銭的価値の基準の指導原理なりに発する公認の学問的様式や訓練の特徴は, すべ て有閑階級の制度に帰すべきであり, また教育制度のこのような様相 がもつ経 4 1 } 済的価値は, すべてその体制の価値の具体的な発現である,一(. 15. . ・ . .● ●」 ・ ’ ●‘. 養護学校の義務化を間近かにしていた時期に, 文部大臣に対する答申の中 で就学猶 予・免 除の運用については次のような意見が述べ られた, 「(重度・重複障害者の就 学) の措置を進めることにより たとえ医療又は生活規 , 則を必要とするものであって, その心身の状況が教育を受け得る状態にある 限り, 医療と並行して教育を行うことが可能となる. したがって, 仮りにも就学猶予・免. . ●● ●. 注3.
(17) . 亀 畑 義 彦・大 嶋. 文. 謙 一. 献. ( ) 文部省, 1 988「特殊教育資料」 1 , 0年の歩み-」 8 9「北海道の特殊教育-養護学校教育1 9 ( 2 ) 北海道教育庁学校教育部特殊教育課, 1 「日本特殊教育学会第2 6回大会発表論 務猶予・免除 小学校令下の就学督励と就学義 ( ) 安藤房治, 1 988 3 , 文集」 . 80「訪問教育の理論と実際」 9 4 ( ) 宮本茂雄.細村辿夫, 1 , 学苑社. 2「日本の教育」 6 5 ( ) 宗像誠也・国分一太郎, 19 , 岩波新書. 973「近代日本教育史」 ( 6 ) 国民教育研究所編, 1 , 草土文化. 「 国土社 85 日本教育史」 9 ( 7 ) 堀松武一編, 1 , . i 73 t 9 ( 8 ) 国民教育研究所編, 1 .c , op ” i t” ( 9 ) 堀 松 武 一編, 1985 .c , op i l o t ( ) 堀 松 武一 編 1985 o c p , . , .. ( 1 1 ) 児島美都子, 1972「身体障害者福祉 (増補版)」 , ミネルヴァ書房. 東洋館出版 1 2 78「特殊教育百年史」 ( ) 文部省, 19 , . 96 4「日本の学校」 1 ( 3 ) 勝田守一・中内敏夫, 1 , 岩波新書. 「 98 2 ( ) 大川原潔・松原隆三, 1 1 4 , 第一法規出版. , 新訂特殊教育用語辞典」 i 96 4 t 0 勝田守一・中内敏夫, 1 ( 1 5 .c , op “ i 96 4 ( の 勝田守一・中内敏夫, 1 1 c o p , .t り ( ) 堀尾輝久, 19 89「教育入門」 1 7 . 97 6 0「明治大正世俗史世相篇」 ( 1 め 柳田国男, 193 ,1 , 講談社学術文庫に所収. 「岩波講座日本歴史15 6 学校教育と富国強兵 97 ( D 安川寿之輔, 1 1 9 」 , 岩波書店, , , 第二編 877「福沢文集」 側 ) 福沢論吉, 1 , . 「 9 76「改訂版現代日本の教育」日本放送出版協会より引用) 回 福沢論吉, 19 89 , , 文明教育論」 (村井実, 1 i 76 卿 ) 安川寿之輔, 1 9 t o c . “ , p 8 ㈱ D 福沢諭吉, 1880「学問のす・め」 , 岩波文庫版より引用, , 197 i 9 85 t 回 堀松武一, 1 .c , op ” 80「福沢諭吉選集第1巻」 66「西洋事情初編巻之一」 8 節 福沢諭吉, 1 , 岩波書店. , 19 i tq ( ) 福 沢諭 吉, 1866 2 6 , op .c. i 866 師 福沢諭吉, 1 t .c “ , op i 866 仰 福沢諭吉, 1 t .c “ , op 8「特殊教育事典」 第一法規, 96 ◎ 特殊教育事典編集委員会編, 1 966「世界大百科事典」 回 平凡社, 1 , 97 8「特殊教育百年史」 資料編. 861 ( 3 1 ) 山尾庸三, 1 , 盲唖学校ヲ創立セラセンコトラ包フノ書, 文部省, 1 i 鮫) 文 部 省, 1978 t . ,c , , op i 触り 文 部 省, 1978 t .c り , op. 8「特殊教育百年史」資料編. 9 7 倦め 古河太四郎, 1877 , 京都府下大黒町特賢校盲唖教授手順概略, 文部省, 1 「 第一法規 新訂特殊教育用語辞典 1 8 2 9 C 3 5 ) 大川原激・松原隆三他, 」 7 9「特殊教育必携」 第一法規. ) 文部省特殊教育課特殊教育研究会, 19 鰯 979「盲学校, 聾学校及び養護学校, 学習指導要領」 大蔵省印刷局. 鰐の 文部省, 1 4「養護学校 (精神薄弱教育) 学習指導要領解説」 東山書房, 回 文部省, 1 97 L 9「 餌 ) 参議院常任委員会調査室, 197 ・身障害者問題資料集」 ′ , i i 1ass: An Economi i l cstudyintheEvol ut onof ( 4 の Thor sur eC te en1899「The TheoryofLe n B.Veb s. 61「有閑階級の理論」 岩波文庫. l i i t t t ns u on」 小原敬士訳, 19 i 8 9 9 l t in B.Veb ( te 4 1 ) Thors en1 .op .c , . (亀畑 義彦 本学教授 旭川分校・ 大嶋 謙一 手稲養護学校教諭). 16.
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