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同志社英学校の教育と熊本バンドの思想形成

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同志社英学校の教育と熊本バンドの思想形成

著者 坂井 悠佳

雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The

bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University

巻 51

ページ 95‑114

発行年 2019‑01‑30

その他のタイトル Doshisha Theological School and the formation of Kumamoto Band

URL http://hdl.handle.net/10723/00003531

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同志社英学校の教育と熊本バンドの思想形成

坂 井 悠 佳

1.はじめに

同志社英学校は明治 8 年(1875)11 月に開校した。アメリカン・ボー ドの協力を受けた,伝道者養成の役割を期待された学校であった。

開校の翌年,廃校となった熊本洋学校の卒業生 22 名が同志社英学校 に入学した。彼らは熊本バンドと呼ばれ,同志社の学風を形成していっ た。彼らは神学教育のために設けられた余科

(1)

に入学し,そして,同 志社英学校余科の第1回卒業生15名は全員熊本バンドの面々であった。

卒業後直ちに,彼らは全国各地に伝道者として赴いていった。熊本バン

ドが中心となって,明治 19 年には日本組合基督教会(以下では組合教

会と表記する)が設立され,組合教会は近代日本のキリスト教会におい

て一大勢力となっていった。さらに,組合教会を含むプロテスタント(福

音主義)教会の諸教派は 1941 年に日本基督教団へと「合同」し,今日

に至るまで日本基督教団はプロテスタント教会における有力な教団とし

て存続している。このように,同志社英学校の卒業生によって牽引され

た組合教会の潮流は,日本のキリスト教界の中に今日まで受け継がれて

いるのである。そうであるのならば,同志社英学校において,如何なる

神学教育が行なわれ,如何なる伝道者を輩出したのか,という点は日本

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のキリスト教界の形成を検討する上で看過できない問題となる。

それでは,同志社英学校では如何なる神学教育が行なわれていたのか となると,この点は定かではない。『同志社百年史』においても,「初期 の余科時代でどのような科目が教えられていたかは明らかでないが,新 島[襄]が京都府庁に提出した自筆の届出書によると,修身学講話とい うのがあり,こうした名称を用いて神学を実際には教えていたように思 われる

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」と述べられるにとどまっている。余科の教育課程は,一年 次に組織神学,聖書時代史,福音書,声楽,二年時に組織神学,新約聖 書の書簡,聖書地理,論理学,説教学,牧会学,教会史,創造論,三年 次に牧会学,心理学,教会史,キリスト論,倫理学が教えられ,最後に 卒業論文が課されたようである

(3)

。創造論,キリスト論といった,組 織神学の一領域に配置されるであろう各論が,独立した科目として設置 されているが,これらは新神学の流入により動揺した分野でもある。こ のように神学教育課程として必要な科目が設置されていたのであり,余 科において「かなり纏った教科課程が組まれていたことがわかる

(4)

」 とは言われているが,教授内容については管見の限りでは検討が加えら れてこなかった。

本稿は,同志社英学校余科における教育内容の一端を,同志社英学校

第 1 回卒業生の一人である小崎弘道(1856-1938)の自筆史料を用いて

明らかにしようとするものである。史料は断片的であり,余科の教育課

程全体を再現するに足るものではないが,熊本バンドが受講した授業内

容の一端を示すものである。組合教会の中心には熊本バンドがいた。組

合教会を検討するうえでは,熊本バンドら組合教会の教職者の思想を明

らかにすることが欠かせない。彼らは思想形成過程において同志社で教

育を受けたのであり,熊本バンド,さらに組合教会を検討するには,同

志社の教育内容を踏まえねばならない。本稿は,近代日本における神学

教育についての研究にあたり基礎作業となるものである。

(4)

2.同志社英学校余科という場

同志社英学校に転じた熊本洋学校卒業生は,「熊本より同志社に来た 青年の一団は,恰も猪武者か鼻切れ牛の如きもので,頗る乱暴なもので あった。教場にて教を受くるにも中々音なしく受くる事がなく,少しく 教師の教へ方ニ不審があるか欠点があるを見出さば,忽ちこれを咎め,

遂及して止まなかった

(5)

」と回想されるように周囲から際立っていた。

「洋学校の廃校と共に移転し来った連中が,沢山同志社に来って,殆ど 従来の同志社生を圧倒してゐた

(6)

」という具合である。

彼らは「燃ゆるが如き信仰を以てゐたが,所謂神学なるものは少しも 知らなかつたのである。唯時々ヂューンス先生より聞きたることに,神 学と云ふものは学者が勝手に作成したるものにて学理に反することが多 いとのことであつた。斯の如き感想を以てデヴィス先生等の講義を聞い たから之を信任すること少く却つて常に批評的に聞いたのである

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。」

このような事情であったから,講義の様子は次のようになった。「デイ ヴィス氏は半時間講義し,そのあとの半時間は生徒たちが氏に英語で質 問したり,考え方の異なる点について自分の考えを述べたりした。彼の 疑問,というよりは考えの異なる点の一つは,混沌の中から光と闇とが 果たして生まれるのかということであり,午前中の大部分がこれに割か れた。彼らは教師のいうことであれ教科書に書かれていることであれ,

自分で会得できないままに受け入れようとは絶対にしない。彼らの質問

の多くは事前によく準備されているし,手強くもあった。(中略)今朝

の授業の一つは,授業というよりも討論会のようだった

(8)

。」熊本バン

ドは,教師の講義を鵜呑みにするのを良しとせず,教師に対する反発を

動機の一つとしていたとは言え,主体的に学習に励んでいたことがうか

がえる。それだからこそ,同志社英学校在学時代の教育・学習が,熊本

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バンドの思想形成に何らかの影響を与えたと言うことができる。

こうした創立間もない時期の同志社英学校に関する回想は多数残され ている。熊本洋学校を卒業後,明治 9 年 9 月に同志社英学校に入学し た小崎弘道は,同志社英学校における神学教育について次のように回顧 している。

洋学校の第一回第二回の卒業生は同志社英学校の余課(神学校)に入た。此は 当時の所謂バイブルクラスである。第一回卒業生は山崎[為徳],横井[時雄],

森田[久萬人]及私の四人で,其他は第二回卒業生であつた。未だ卒業しない人々 は何れも普通課に編入せられた。初め教授には悉く日本語を用ひる規定で,デビス,

ラアネツド,ドウン,テイラア,ゴルドンの諸師は皆未熟なる日本語で教へた。

当時宣教師の間には英語を教ふることに反対した人が少くなかつた。元来支那や 印度其他の伝道地に於て伝道師を養成するには必ず其国語を使用して英語を教へ ず,且教育は至て低級なものであつたが,彼等は日本にても同じ方針を取て斯く 英語を除かんとしたのである。之に対し私共は大不満を抱いて反抗を為し,邦人 の教師は邦語,米人の教師は英語を以て教授せよと迫つたので,拠なく後に至て 此議は採用された。(9)

以上の次第で,授業は英語で行なわれることとなり,熊本洋学校で高 い英語力を身につけた熊本バンドは英語で思考していた。当然,ノート も英語で記された。小崎の講義筆記も英文で記されている。同志社英学 校を卒業後,小崎が牧師として活動するようになった最初期の説教原稿 もまた英語で書かれている

(10)

それでは,同志社英学校では何が教授されていたのか。同志社創立以

来の宣教師として教鞭をとったD・W・ラーネッドの経済学講義が既に

紹介され

(11)

,ラーネッドの経済思想を再現し得る。ただし,同志社英

学校余科は神学教育機関である。如何なる神学教育が行なわれていたの

(6)

か,この点がキリスト教史としての組合教会研究においては第一の関心 事となる。

小崎弘道が同志社英学校在学時代に記したノートが 4 冊,同志社大学 神学部に架蔵されている

(12)

。その 4 冊は合綴されて一冊に製本され直 されているが,その中には,次のような記述がある。

What kind of a God?

How many Gods?

Are the forces of nature of God?

I

〃 s G

〃 od S

〃 imply a

〃 f

〃 irst c

〃 ause?

and intelligence & wisdom &

personal Existence

この記述の冒頭には,Systematic Theology by J. D. Davis と記さ れている。J・D・ディヴィスはラーネッドと共に同志社開校時から在 籍した宣教師であり,修身学を教授した。新島襄が京都府に提出した届 出書に,「修身学講話」があり,こうした科目名で神学講義がなされて いたという

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。よってディヴィスの講義はまずは神学講義であったと 考えてよいだろう。彼の講義について,小崎は「聖書を用ゆるには創世 記の初めより黙示録の終りまで恰かも同一の時代,同一の場所,同一の 人にて著はされたる書なるが如く見做して,之に何等の批評判断も加ふ ることなく悉く無謬の真理として引照した

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」と回顧している。ディ ヴィスはいわゆる聖書無謬説に立脚しており,既に熊本洋学校において 高等批評を学んでいた熊本バンドの反発を買ったのである。

ノートの記述は,ディヴィスの組織神学の講義の試験問題とも考えら

れるが,How many Gods? との記述からは,これは三位一体論に関す

るディヴィスに対する質問だったのではないかとも想像できよう。聖書

無謬説に立つディヴィスに対し,熊本バンドがどのような態度で臨んだ

のかを伝える史料であると言えよう。

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無論,学生時代のノートを史料として扱うことには課題もある。たと えば,小崎が講義中にどこまでノートを筆記していたのかという疑問は 残り,講義中ではなく,寄宿舎においてノートを清書したことも考えら れ,ノートが講義をどれほど反映したものであるのか判別は困難である。

それでも,同志社英学校在学中に記されたノートであることから,この 時期に彼が如何なる学問,思想潮流に触れたかを示す史料であることに 疑いはない。

同時に検討しなければならないのが,彼らが接していた書物である。

小崎によれば,「生徒等は図書室にてゼコブスやバルンスの註解を以て 準備を為し置き,屡々校長を窮地に陥れて快とした

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」。また,小崎と 同じく熊本洋学校から同志社英学校に転じた徳富蘇峰も,「予の先輩等 は,バーンズの註釈書を使用し,新島先生はデーン・アルフォードの註 釈書を使用しておられた

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」と振り返っている。講義内容と共に,読 書が思想形成に与えた影響もまた大きいと考えられるが,この点の考察 は他日を期したい

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3.小崎弘道の自筆ノートにみる同志社英学校余科の教育

⑴ 小崎弘道の自筆ノートの概要

同志社英学校在学中に小崎弘道が筆記したノートは,4 冊が同志社大 学神学部に伝えられている。本稿においては,合綴されている順に,ノー ト①,ノート②・・・,と呼称することにする。4 冊の概要は次の通り である。

ノート①は,表紙に「January 1878 H.Kozaki Kioto Japan」など と記載され,大きさは縦 18.2cm,横 14.2cm である。ノート①は,ペ ンを用いて記述され, 「説教学(続き)」 (16 頁), 「説教の組立て」 (4 頁),

「インスピレーション」(5 頁),「預言者論」(6 頁),「聖書の読み方」(2

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頁),「キリスト教学上の疑問」(1 頁),「試験問題」(1 頁),「J・D・ディ ヴィスによる組織神学」(5 頁),が収められている。これら複数の講義 内容が 1 冊のノートに記されている。

ノート②は,表紙は残っていないが,大きさは縦 20.1cm,横 12.2cm であり,本文は鉛筆で記されている。内容は,「政治学」である。

ノート③も表紙はない。縦 19.9cm,横 12.1cm であり,鉛筆で記さ れている。「創世記講義」である。分量は 4 頁のみであり,ノートと言 うよりは,ノートの一部または一枚の紙に記してそれを 2 つに折ったも のだと言うべきかも知れないが,合綴されているため,元の形態は分か らない。

ノート④が最も分量が多い。表紙には,「H.Kozaki Doshisha Eigakko 京都 日本」等と記載され,「寒暖計」「晴」などその他の字 句も多数書かれているが,その意味ははかりかねる。裏表紙には「Henry H Kozaki」「By God’s grace may I work though I am waiting no one」とペンで記される。なお,Henry とは,小崎が自ら付けた「洗礼 名」である。鉛筆でも「神学校」「神学大学」「学問」「日本国」等と記 載されているが,これらは落書きのようである。誰かの似顔絵のような ものも描かれている。ノートの大きさは,縦 18.6cm,横 15.0cm である。

内容は組織神学講義であり,教義学各論のうち,「贖罪論」(27 頁),「終 末論」(53 頁),「教会論」(18 頁)が扱われている。

続いて,講義の内容を見ていきたい。

⑵ 聖書をどう読むか

聖書に関する講義は,ノート③の「創世記講義(Lecture on

Genesis)」である。ここの記述は極めて断片的で,メモに近いもので

あり,授業中にこの程度を筆記して,後から清書した可能性も考えられ

る。Beginning,Heaven,Sprit といった創世記冒頭の字句解説が記

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され,古代ユダヤの宇宙観が書かれる。このあたりは講義に関する記述 であろう。

興味深いのは,これに続く部分である。地質年代や植物や動物の分類 についての記載が見られるのである。地質年代について,新生代,中生 代,古生代,暁生代,無生代の分類が書かれ,新生代には哺乳類が,中 生代には爬虫類が,古生代には植物が誕生したことが記される。創世記 の講義は宣教師E・T・ドーンが担当したが,講義について,「只字句 の暗唱を強い,旧約の記事を其侭信ぜしめんとし,何等の説明をも加へ ない為生徒の不平は甚だしかつた。ヂエーンスは旧約書を説明するに高 等批評の結果を採用し,モーセの五経はモーセの著作でなく,世界の創 造は幾千万年前の事とする抔科学的であつたのに,ドウンが創造を以て 紀元前四千年と説く如き論法には些も信を置く能はず,常に嘲笑と不平 の声に満ちた

(18)

」と回想されている。ノート③の記述はこの講義風景 を裏付けるものである。冒頭に Lecture と記している以上は講義に関 連したノートであるのは確かであろうが,講義の筆記に加え,地質年代 や動植物の分類を考察し,これと創世記の記述とを並べ,小崎が「科学 的」に創世記を検討していたことがうかがえる。

ノート①に含まれる, 「聖書の読み方(Rules for Bible Reading)」は,

何の講義に関連した記述であるかは定かではないが,批判的実証的な聖 書の読み方が記されている。

1 . その書の著者への共感から入る。著者について知りうる知識は身につけてお く。著者が著述した状況と目的。

2 . 最も公正な文法的な批評のみを採用する。釈義は,その書に関するあらゆる 事項を引き出す。引き出すのであって,入り込むのではない。

3 .聖書言語は明快であるとすべきである。―明白で,直接的な方向の意味を採 用する。最もシンプルであるもの―キリストの言葉。

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4 .その言葉が用いられた同時代の意味を採るべきであり,語源ではない。それ らの言葉が用いられていた時代に持っていた意味を探る。

5 .聖書の言語は,真実が失われることのないように,人々の普通の信仰に配慮 している。

これは,小崎の回想にあった,「旧約の記事を其侭信ぜしめんと」す る聖書の読み方ではない。聖書各巻が成立した時代を考慮し,その時代 の言語環境や著者の意図を明らかにすることに努める読み方である。講 義ではなく,神学書からの引用かも知れないが,熊本バンドが様々な神 学潮流に触れていたことが分かる。

⑶ 説教の実践的指導

説教に関する講義は,ノート①の「説教学(Homiletics)」,「説教の 組立て(Synthesis of Sermon)」である。扱われている内容は極めて 実践的である。

「説教の組立て」は,説教の題材を何処に求めるか,説教の組立ての 方法,説教の語り方,の三点が記されている。説教の題材は,説教者以 外と説教者自身との 2 つから得るとし,前者には神の啓示と文学や芸術 など人間による活動の成果とが挙げられている。説教の組立ての方法は,

順を追って説明されている。それは,説教の素材の創案,それらの配置,

合成,の三段階に分けられている。まず,第一段階で聖書箇所を選定し,

主題を決定する。必ず聖書箇所を先に選定し,そこから主題を引き出さ

ねばならないというのは不自然であり,時に主題が先に決定されること

もあり,聖書箇所と主題のどちらを先に決定するか,絶対的な決まりは

ないとされている。続く第二段階で,聖書箇所について,およびその背

景についてできる限り調査する。そして祈りつつ黙想し,説教で扱おう

とする主題に関する他の説教者の説教を参照する。第三段階は,執筆で

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あるが,まず訂正や修正なしに全文を書き上げ,その後で一文一文を見 直して,より良いものとしていくことが勧められている。説教を語る際 の注意点としては,3 点が挙げられている。第一に,原稿を読むのでは あるが,例話や結論部分はただ原稿を読むだけではいけない。第二に,

暗記することも必要であるが,全てを暗記するのは不自然であり,時間 と労力も浪費することになる。第三に,時に即興的に語ることも必要で ある。

このような説教作成の方法については,今日の神学校でも教授されて いる手順であろう。語り方についての指導もされているのは興味深い。

同志社では,休暇の度に生徒たちが各地に伝道に赴いたため

(19)

,説教 を語る技量を養成することも求められたのであろう。

「説教学」のノートは,continued とある通り,他のノートなどに記 されたものの続きである。冒頭に Development とあり,説教の技術向 上のために身につけるべきことが列挙されている。前欠であるが,説明 の仕方,表現,論理展開,説得力の向上のために必要とされる事柄が述 べられている。説明の仕方については,強く明快な一節を用いること,

文法的な正しさよりレトリックを重視すること,例示・対比・比較等を 用いることが挙げられている。表現上の工夫としては,時間の流れを重 視して語ること,人物の個性を描写することが勧められている。論理展 開については,聴衆を引きつけるための工夫,話題を配列する際の工夫,

異論への論駁,主題を扱う際のルールが言われている。説教において,

主題は論理的な形式で,聖書において示されているものにする。主題を

説明する主張は,分割して提示する。例えば,「神の存在は,被造物の

姿の中にも現われている」という主題に対し,「空,海,人の肉体,人

の魂」の 4 点から説明を加えるという具合である。そして,いくつかの

点から説明を加える際には,「第一に知識,第二に生命」のように項目

のポイントをまず提示することを求めている。論理的な展開をするため

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には,論拠を明確にし,自己の立脚地を明確にし,反論を想定すること が必要であることも言われている。説教に説得力を持たせるためには,

会衆が望んでいることへの想像力を働かせ,聴衆に対して信仰者のあり 方を提示できるようにすべきである,と言う。神の聖性が人を聖なる者 とする,などキリスト者のあるべき姿を訴える聖書箇所が望ましい。そ して,論点は絞るべきである,と言う。これらの諸点について,具体的 な聖書箇所を挙げ,その聖書箇所からどのように説教を作成していくか,

教授されている。説教の結論についても,実践的に教えられている。重 視されているのは,実生活との関わりを示すことである。それを伝える ために,要点を繰り返したり,演繹的に導いたり,勧告を与えたりする かたちで,説教の結論を提示する。ここは結論部としてのまとまりを有 し,明快に,力強く,簡潔に結論を述べることが望ましい,と言う。

以上の内容は,説教学と言うよりは,説教術,演説術である。同志社 英学校においては,演説会が盛んに行なわれており,学生らは説教術,

演説術を日々磨いていたものと思われる。また,前述の通り,頻繁に各 地へ伝道に赴いていた。「同志社の学生は何れも受持を定めて伝道に従 事することになつて居た。私の受持は江州彦根で,毎週若くは隔週に出 張したが,未だ汽車の便なき頃とて,金曜の夜大津より船にて出発し,

土,日滞在の上又夜船にて帰京した

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」と,週末ごとに伝道に出た。

また,「明治九年の末には,学校も休暇となり,その休暇を利用して先 輩の連中は,何れも諸方に伝道に出掛けた。予も一人学校に止まるより も何処かに出掛けんとて,先輩金森[通倫],市原[盛宏]二氏に伴は れて,伊勢に赴くことになった

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」と,長期休暇の際も伝道旅行へ出た。

ただし,「伝道をやらんとしても,別に手掛かりとてなく,只だ相手か

まはず人さへみれば,耶蘇教の説法をするといふ事であった

(22)

」とい

う始末であり,説教の技術向上も必要とされていたのであろう。学生た

ちの需要,伝道上の必要に応える実践的な授業展開と言えよう。

(13)

また,項目のポイントをまず提示する,という説明の仕方は,小崎の 説教原稿の体裁に近いものがある。小崎の説教原稿は「アウトラインの 域を出ない,きわめて簡略なもの

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」と評され,小崎の説教原稿は, 「第 一に」「第二に」,「一」「二」「三」,などと要点,項目を区切って記述 されたものが散見される。説教学の授業で教えられたことを忠実に守っ て,小崎が説教原稿を記して説教をしたとは限らないだろうが,多少の 影響を見出すことはできよう。

4.同志社英学校における神学教育が与えたもの

⑴ 同志社の組織神学は「保守的」であったのか

同志社英学校で講じられていた組織神学の講義は,ノート①の「J・

D・ディヴィスによる組織神学(Systematic Theory by Rev. J. D.

Davis)」と,ノート④全体から,その傾向を推測することができる。

ノート①には,組織神学の講義のシラバス,講義概要に相当する次の ような記述がある。

Ⅰ 神論

Ⅱ 聖書が神からの啓示であり,真の宗教を含むことの証明

Ⅲ 神の統治

Ⅳ 罪

Ⅴ 贖罪論

Ⅵ 終末論

Ⅶ 教会論

このうちⅠの内容がノート①に記載され,ノート④にはⅤ,Ⅵ,Ⅶの

内容が記載されている。創造論やキリスト論がないのは,組織神学(教

義学)として不充分であるが,余科の教育課程ではこれらが独立した科

目として置かれていたため,組織神学の授業では上記Ⅰ~Ⅶを扱ったの

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であろう。

「神論」は,「科学や哲学は,全ての物事の初めになる起源が存在する ことを示す」という内容から開始されている。そして,タレス,アナク シマンドロス,アナクシメネス,ヘラクレイトス,ピタゴラスらギリシ ア哲学者たちが,万物の起源として何を想定したか,が記される。そし て,ソクラテス,プラトン,アリストテレスへと説明が移っていく。記 述はここで終わっており,ギリシア哲学から,キリスト教が信仰する神 の存在証明にどのように移行していくのかは不明であるが,神論を,啓 示ではなく,科学や哲学では神の存在証明は不可能であるという点から 始めるのは,自由主義神学の論法である。「熊本バンドの学生たちの信 仰の立場は,師であったジェーンズの影響を受けて自由主義的,進歩的 であり,保守的な神学的立場の宣教師たちの教師陣としばしば対立やト ラブルを起こした

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」と言われるなど,「保守的」なアメリカン・ボー ドの宣教師と「進歩的」な熊本バンドとの対立図式が通説となっている が,熊本バンドの学生たちが回顧するほど,宣教師が「保守的」であっ たのか,慎重な評価が求められる。来日宣教師の多くは,新派カルヴァ ン主義の神学教育を受けており,彼らは「保守的」な旧派カルヴァン主 義の立場から見れば「進歩的」である。「保守的」「進歩的」は絶対的な 基準ではなく,それだけでは宣教師たちの神学を説明したことにはなら ない。同志社の宣教師たち,さらにはアメリカン・ボードの宣教師たち の神学を,「保守的」「進歩的」といった,評者の立場によって意味内容 が変化する評価軸ではなく,その内容面から検討することが必要であり

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,小崎の自筆ノートはその手がかりを与えてくれるであろう。

次に,ノート④に記載された「贖罪論(The Atonement)」の内容 を見ていきたい。ディヴィスが講じた贖罪論については,「デビスは,

組織神学を教えておりましたが,贖罪論の研究の中で大議論が始まり,

遂に収拾がつかなくなりまして,デビスは頭を痛めて病気になってしま

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いました。学生達は Atonement sickness といいはやしたということ であります

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」と伝えられている。ただし,このノートは表題と内容 とが一致しておらず,内容は聖霊論である。冒頭に,Part Second と あり,このノート以前に贖罪論の中心的な内容が扱われた可能性がある。

このノートでは聖霊の位格と働きについて記載され,聖霊とはどなた であるか,聖霊の働きは何か,と聖霊ご自身に関する説明から始められ ている。聖霊は,他から区別された位格であり,神ご自身であると定義 される。続いて聖霊の働きが講じられているが,それは再生である。再 生とは,新しく生まれること,死から生へと,闇から光へと移されるこ とであると説明される。さらに,新しい心(heart)と精神(spirit)

が与えられ,サタンの王国から神の国へと移されることとも説明されて いる。これらの説明の全てにおいて,典拠となる聖書箇所が列挙されて いる。「新しい誕生 ヨハネ 3:3,5,6 ヤコブ 1:18 1 ペテロ 1:

28 1 ヨハネ 2:29,5:4」といった具合である。その後,再生の必要性,

再生のリアリティについて説明される。再生とは,神からもたらされる 救いの本質である。人の意思は神から離れており,再生なしに信仰者,

悔改め,真の信仰,赦し,真の救いは存在し得えない。この再生は現実 に存在する。これらの説明においても,聖書が再生の必要性や実在を語っ ている,と聖書箇所が列挙されている。説明の根拠として聖書箇所を逐 次列挙することは,この講義において一貫している。このように聖書の 記述を,ある意味で無批判に引用し,絶対的な証拠として提示する論法 は,熊本バンドたちの反発を招いたことは想像に難くなく,「大議論が 始まり,遂に収拾がつかなくなり」という事態も必然であっただろうと 思われる。続いて,再生は人によってではなく,ただ神によってもたら される,と説明される。再生は,神の直接的な働きかけにより,特に精 神(spirit)に関することである,とも言われている。

再生の次に扱われている事項は,聖化である。聖化は,聖霊により人

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の心 (heart),魂(soul)において始まる。再生は即時に起こることで あるのに対し,聖化は継続する。キリストの贖罪と愛を根拠とし,聖霊 によって漸進的に聖化が起こる。聖化はどの次元にまで至るのか。それ は,「神は全ての信仰者を完全な聖化へと導く」「我々は全く聖なるもの となる筈だ」と説明されている。では,我々の心,魂は如何に神の働き を受け取ることができるのか。再生は人の力ではなくただ神の力によっ てなされ,再生された心,魂は神を愛し続ける限りにおいて神の内に留 まる。つまり,神の力によって再生がおこり,再生によって神の方へと 向きを変えられた心が神を愛し続けることで,完全なる聖化へと至ると いうのである。再生は神の力であるが,その後の聖化は,再生された心,

魂のあり方如何に係っている,このように再生と聖化の関係を説明して いると言える。再生により,完全な聖化へと至ることのできる心,魂の あり方が得られるというディヴィスの説明は, 「保守的」というより「進 歩的」である。

(2) 同志社における教育と小崎の思想との関係

この「進歩的」神学が小崎の思想に与えた影響を指摘しておきたい。

小崎の思想の中核には聖霊論,聖霊信仰があると言われているが

(27)

ノート④に記された聖霊論,再生・聖化の理解と小崎の聖霊理解との間

には類似点が見られる。小崎は,「神の霊に潔められたる理性」「聖霊に

よりて聖められたる理性」

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を用いて思索することを自己の立場とし

た。聖霊の働きにより理性が「聖められたる」,つまり理性が新たな理

性に「再生」され,その「再生」された理性を働かせることによって正

しい思考ができるという理解は,ディヴィスの講義における再生・聖化

の関係理解と類似した構造を持っていると言ってよい。後年の小崎の思

想は,同志社英学校で講じられた神学の展開であると位置づけてよいだ

ろう。

(17)

さらに,同志社卒業から間もない時期に小崎が取組んだ課題に,「聖 書のインスピレーション」がある。聖書無謬説に対し,小崎は「聖書の インスピレーション」と題した講演において「聖書の『インスピレーシ ヨン』とハ不可誤の謂ひに非ず即ち神の感化なり故に聖書の『インスピ レーシヨン』は聖書の記者神の感化を受け聖霊に充たされたる心を以て 之を記せるを云ふ

(29)

」と述べた。聖書は一点一画に至るまで誤りがな いのではない。聖書記者が「インスピレーション」,すなわち神の力を 受けて記述したのであり,神が人類を救うという聖書に記された事実こ そが重要である,と小崎は主張したのである。この「聖書のインスピレー ション」に通じる記述がノートに残されている。

ノート①には「インスピレーション(Inspiration)」と題された記述 がある。同志社の宣教師たちが聖書無謬説を主張していたのであれば,

このような講義が行なわれたとは考えにくく,講義以外の場で記された ものかも知れない。小崎は,「インスピレーションは,啓示や命令とは 異なるもの」であり,「インスピレーションは人の上に,そして人を通 して働く神の力である。聖書は神の声であるがゆえに権威があるが,人 の言葉であるがゆえに理解しうる」と記している。神の力が人に対して 働き,神は人を用いてご自身の計画を遂行するのであり,この神の力が

「インスピレーション」と呼ばれている。ノートには「インスピレーショ ン」と聖書の成立とが結びつけて記載されており,小崎が同志社英学校 在学時に,後に「聖書のインスピレーション」へと結実する発想に接し ていたことがうかがえる。

⑶ 社会科学分野の教育

ノート②には「政治学(Political Science)」が記されているが,既

に確認した通り,余科の教育課程に政治学は含まれていない。小崎が本

科の課程に置かれた政治学を履修したのかも知れない。政治学の定義,

(18)

政府の目的・務め,権利,政府の起源・正当性,政体(君主制・貴族制・

民主制・連邦制),政府の構造,政府の必要性を順に説明している。ノー トは,1(国家を一つの有機体とみること),2(政治学を論じる 2 つの 方法:理論と実践),3(政府の目的),と項目ごとに番号を付して書か れているが,20 番目の項目は一行で終り,続く 2 ページが未記入で,

その次のページから 25 番目の項目(代議員の義務)が再開されている。

20 番目の項目から 24 番目の項目を扱った授業を欠席して,後で追記す るためにページを空けたものとも考えられる。

興味深いのは,小崎がこの政治学の内容を後年改めて筆記しているこ とである。小崎の自筆史料には, 「政学摘要」と題されたノートがあり

(30)

「政学ノ解 政学ハ政府ノ性質,起原,体容,支配方及権限ヲ論スル学 ナリ政府ヲ恰モ一個ノ器械ノ如ク視做テ其機関ノ組立及其動作ヲ穿索ス ルナリ」と始められている。一方,ノート②の「政治学」は,

Definition Political Science treats of the nation, origin, proper, administration & supreme of government. It views government as a machine inquiring how it is made & how it does work. で始 められており,小崎の「政学摘要」と一致する。

明治 34 年(1901 年)という時期に小崎が「政学摘要」を記した背景 は何であったのか。「政学摘要」の冒頭には, 「学校用」と記されている。

この時期,小崎は霊南坂教会の牧師を務めていたが,明治 35 年に布哇 伝道会社の招きを受けてハワイ伝道を行なっている。帰国にあたり布哇 伝道会社から日本人伝道者の派遣を依頼された小崎は,霊南坂教会内に 東京伝道学校を設立し,この学校は 5 年間存続した

(31)

。東京伝道学校 での講義のために「政学摘要」が用いられた可能性もある。「学校用」

とあるからには,どこかの学校での講義の草稿であると言ってよい。小

崎は,同志社やバプテスト神学校でも教鞭を執っていた時期があり,自

らが受けた教育を,次にどのようにして次世代に教授していたのか, 「政

(19)

学摘要」はその一端を示す史料であると言えよう。

5.おわりに

小崎弘道が同志社英学校在学中に記した講義ノートのうち,現在知ら れているのはわずかな分量である。草創期の同志社の神学教育を再現す るには充分とは言えず,このノートが講義中に筆記されたと断定はでき ないため,ノートの内容が即ち講義内容であるとは言えない。しかし,

それでも熊本バンドが如何なる神学思潮に接したのか,その手がかりは 与えてくれる。小崎が残した史料は,熊本バンドの回想において「保守 的」などと語られるのみで,その内容までは知られていなかった同志社 英学校の設立期の教育活動を明らかにする一助となる。

本稿では,小崎弘道の講義ノートから明らかにできる範囲内ではある が,草創期の同志社英学校における神学教育を紹介し,それが小崎弘道 の思想形成に一定の影響を与えていたことを指摘した。今後は,これら の講義を担当した宣教師たちの神学が如何なるものであったのか,また,

講義を受けた熊本バンドたちが講義内容を如何に消化し思想形成をして いったのか,より詳細に検討を加えることが必要になろう。これは,日 本にもたらされた 19 世紀のアメリカ神学がどのようなものであり,そ れを日本の教会が如何に受容したか,という課題でもある。日本のキリ スト教の背景には,宣教師たちの神学がある。その上に日本キリスト教 史の展開がある。日本に伝えられたキリスト教,神学は何であったのか,

神学校での教育内容にそれを解く鍵があることを確認して擱筆としたい。

( 1 ) 「初期の同志社における神学教育は,余科といわれ,英学校本科の課程を終え たもので,キリスト教の指導者として働くもののため三年間の研修コースとし

(20)

て作られており,近代日本のキリスト教の働きにきわめて顕著な貢献をなした 有力な卒業生たちを輩出したのである」(上野直蔵編『同志社百年史』通史編 1

(1979,同志社)112 頁)。熊本洋学校においては英語による高度な教育が行な われており,熊本バンドは「英学校本科の課程を終えた」というレベルを充分 に満たすものであった。

なお,「余科」と共に,「余課」の表記も用いられており,同志社大学神学部に 所蔵されている小崎弘道の卒業証書には,「当校余課卒業候事」とある。

( 2 ) 前掲上野直蔵編『同志社百年史』通史編 1,102 頁。

( 3 ) 前掲上野直蔵編『同志社百年史』通史編 1,125 ~ 126 頁。

( 4 ) 前掲上野直蔵編『同志社百年史』通史編 1,126 頁。

( 5 ) 小崎弘道の回想(『創設期の同志社』,1986,同志社社史資料室,223 頁)。

( 6 ) 徳富蘇峰『蘇峰自伝』(中央公論社,1935)83 頁。

( 7 ) 小崎弘道「予が信仰の立脚地」上(『基督教世界』1239,1907 年 5 月 30 日付)。

( 8 ) イザベラ・バード,金坂清則訳『完訳 日本奥地紀行』4(平凡社東洋文庫,

2013)82 頁。

( 9 ) 小崎弘道『七十年の回顧』(警醒社書店,1927)42 ~ 43 頁。引用は原文ママ。

(10) 同志社大学神学部所蔵『小崎弘道自筆集』3。表紙ウラには,「明治十三 年七月十七日」の記載があり,Hope Text Heb Ⅳ :19,August 1st 1880 Perseverance Text Gal. 6:9 等と題された説教原稿が英文で記されている。

(11) 住谷悦治「森田久万人のラーネッド経済学講義ノート」(同志社大学人文科学 研究所編『熊本バンド研究』みすず書房,1965 所収)。ラーネッドの経済学は,

『七一雑報』にも掲載された。

(12) 同志社大学神学部所蔵『小崎弘道自筆集』2。

(13) 前掲上野直蔵編『同志社百年史』通史編 1,102 頁。

(14) 前掲小崎弘道「予が信仰の立脚地」上。

(15) 前掲小崎弘道『七十年の回顧』43 頁。

(16) 前掲徳富蘇峰『蘇峰自伝』95 頁。

(21)

(17) 熊本洋学校で使用されていた教科書については,大島明秀『熊本洋学校

(1871-1876)旧蔵書の書誌と伝来』(花書院,2012)が網羅的に扱っている。

同志社英学校の生徒も出入りし,蔵書を閲覧していたという新島襄の書斎の蔵 書については,同志社大学図書館整理課編『新島旧邸文庫所蔵目録』(同志社大 学図書館,1958)からうかがい知ることができる。

(18) 前掲小崎弘道『七十年の回顧』44 頁。

(19) 三井久『近代日本の青年群像』(日本YMCA同盟出版部,1980)222~224頁。

(20) 前掲小崎弘道『七十年の回顧』45 頁。

(21) 前掲徳富蘇峰『蘇峰自伝』90 頁。

(22) 前掲徳富蘇峰『蘇峰自伝』91 頁。

(23) 鵜沼裕子「解説」(『小崎弘道 日本の説教Ⅱ 1』2006,日本キリスト教団出版局)

222頁。同書には小崎の説教原稿37編と第三者による筆録1編が収められている。

(24) 中村敏『日本プロテスタント神学校史』(いのちのことば社,2013)80 頁。

(25) 来日宣教師たちの神学における新派カルヴァン主義の影響に関しては,棚村 重行『二つの福音は波濤を越えて』(教文館,2009)142 頁以下で,その検討の 重要性が指摘されている。

(26) 三井久「同志社と熊本バンド」(『熊本バンドを懐う』同志社,1965 所収)43 頁。

(27) 原島正「小崎弘道研究 聖霊信仰を中心に」(『日本思想史学』24,1992)。

(28) 小崎弘道『我国の宗教及道徳』(警醒社書店,1903)113 頁,小崎弘道『基督 教の本質』(警醒社書店,1911)335 頁ほか,同様の表現が多数用いられている。

(29) 小崎弘道「聖書のインスピレーシヨン」(『六合雑誌』103,1889 年 7 月)。

(30) 同志社大学神学部所蔵『小崎弘道自筆集』24。表紙には「備忘録」とあり,

本文の 1 頁目には,「明治卅四年四月拾八日」との記載がある。

(31) 飯清他編『霊南坂教会 100 年史』(霊南坂教会,1979)280 ~ 281 頁。前掲 中村敏『日本プロテスタント神学校史』88 ~ 89 頁。

参照

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