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アダム・スミスの大学教育批判

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アダム・スミスの大学教育批判

著者 榎並 洋介

雑誌名 星薬科大学一般教育論集

号 9

ページ 75‑102

発行年 1991

URL http://id.nii.ac.jp/1240/00000178/

(2)

アダム・スミスの大学教育批判

高野利治︵一九二七1一九九一︶

    ﹁ 私 学においては︑建学の精神とそれに培われた学風が生命であります︒私学が私学として独自の存在を

    主 張 し︑社会的責任を果たすことができますのも︑この建学の精神と学風であります﹂︵一九八九年=

    月二四日︶︒

榎 並  洋介

   目 次

一   教育課程の本質

二   保 護 あるいは規制と自由

            一  教育課程の本質

ら 7  それは︑強烈な教授批判からはじまった︒﹁オックスフォード大学では正教授の大半は︑ここ数年にわたり︑教えるふ

(3)

76       ω りをすることさえすっかりやめてしまっている﹂︒このことは︑同時代にス︑・・スよりも約十年ほど遅れてオックスフォー

ド大学に入学し︑後に﹃ローマ帝国衰亡史﹄の著作者として名を成したエドワード・ギボンが︑スミスのこの文章を引用

して︑この証言を確実公平な事実であると自らの自叙伝に記しているほどである︒オックスフォード︑ケンブリッジ両大

学 は︑学問の暗黒時代に設立され︑その規律や管理は司祭や修道僧の教育に適応させるものであり︑現代社会から遊離し

た 僧侶団が掌握し︑これらの団体が法王や国王から特許状を得て国民教育の独占権をもっていた︒以来︑独占者の精神は        ②

狭 量 で

怠 慢で圧制的なものであると︑ギボンは述べている︒

  この指摘は︑独占的特権と規制を特質としてもつ重商主義国家の政策体系の一環としてよみとることができるのである

が︑二次文献によれば︑イングランドの諸大学の特質が︑偏見と誤った見解︑凝り固まった独断的な意見︑訴訟癖と論争

癖︑および古い哲学が生み出したこれらのすべてのものに加え︑一般に修道院によって身につきそこから脱却するには長       ③

時 間を要する︑偏狭で論駁にたえない精神をも招いた︑という論争的な説明がある︒僧侶団体‖教会が国民教育の独占権

を もつことは︑現実社会から遊離した教会的偏向の教育となり︑一般的には大学教育に対する無関心をよびおこすものと  ㈲ なる︒

  この小論は︑スミスの大学教育に関する見解をその制度と財政との視角から分析するものである︒なお︑スミスの主著

﹃ 国富論﹄はE・キャナン版の全二巻を用い︑邦訳は岩波書店版二巻本を使用する︒

註ωミ§へきミプ冒ぱo嵩リロ亨Ncn吉訳一一〇一頁︒

 ②↓ぎ§音ミo鴫§ミミ患ミミへO合せぷ6全二菖9芯富ロ・c力g旬8P 国くo昌日旬昌︑ω巨宮旬昌旨゜障1︽N°村上至孝訳﹃ギボ

  ン自叙伝﹄岩波文庫︑六二〜六四頁︑参照︒また︑ ﹁ケンブリッジ大学は一五七〇年の規則により︑オックスフォード大学は一六三

  六 年のロード綱領とよばれる規則にもとついて運営されていたが︑これらの規則には学生の在学年数︑習得科目が定められていたの

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 みでなく︑それぞれの科目についてテキストまで定められ︑教師が自由に教育内容をえらんでゆくことは困難であった﹂︵浜林正夫

 ﹁市民革命期の教育思想﹂水田洋編﹃イギリス革命1思想的研究﹄御茶ノ水書房︑一九九一年︑所収︑三五三〜三五四頁︒

㈲ 問09答呂巳oω≦o詳戸﹀ロ>060gけo⌒9ロ日旬済器詳弍③ψ︒一ロ窪o望02HΦe切夢昆戸︵O一器oqoきS畠︶O・恩・ぎ司§↑導鮎

 く弍言翁σ匂︵oユω.︶﹈ω薯§出8⇔魁艮ζ宮冨o一﹈孤ロロ江︒︷S.○③白宮江σqo>おc︒O戸ΦP水田洋︑杉山忠平監訳︑未来社︑一五八頁︒

㈲   だ か ら︑ルネサンス以後の新しい科学の推進者達の研究団体やクラブは大学制度の外側で組織化された︒これについては︑長尾伸

 一﹁ロンドン王立協会とエディンバラ哲学協会−一八世紀スコットランド知識社会の中の一七世紀イングランド初期啓蒙﹂﹃彦根論

叢﹄︵滋賀大学︶第二六九号︑一九九一年︑を参照︒ただし︑一七五〇年代のスコットランド啓蒙の拠点が協会と大学であったこと

 については︑戸ロ゜ロ力庁︒♪Oeミ合§へ§︵eミ句ヘミミき恥⑦8ミS㎏ミ蒔ミ§§㌻ミw国O甘ぴ葺σqげ己巳く°㊦器ωω○ぱふHΦ゜︒9を参照︒

     スミスの反中世的な学問観は古代ギリシャ哲学を基軸とするものであるが︑それはこれらの学問が事物の本性と完全に

   一致するものであると理解しているからである︒スミスは次のようにいう︒﹁古代ギリシャの哲学は三大部門に分かれて

   いた︒すなわち︑物理学つまり自然哲学と︑倫理学つまり道徳哲学と︑論理学とがそれである︒こういう一般的区分は︑        ⑤ ∬ 事物の本性と完全に一致しているように思われる︒﹂この三大部門のなかで最初に研究された科学は自然哲学である︒な 批 育  ぜならば︑自然現象の驚異に対して人間はその発生原因を解明したいという好奇心をもつのが自然であるからである︒

教 博  ﹁自然の偉大な諸現象︑すなわち天体の回転︑日月蝕︑彗星︑雷鳴︑稲光その他の異常な大気現象や︑植物と動物の発生︑

の ス   生 活︑成長および死滅は︑必然に驚異の念をおこさぜるから︑それらの諸原因を研究しようという人間の好奇心を自然に

トミ

以   よびおこす対象であ翻﹂︒自然への驚きと好奇心とが科学する心を芽ばえさせる︒ここには︑日常的に生起する出来事を

ム が   観 照 す ることによって︑それらの経験を純粋にイデア化し︑理論的に体系づけるというギリシャの科学観が基底にある︒

   このようにして現実の自然世界の現象を因果関係をとおして理解しようとする経験的認識論が︑事物の本性を研究する最

  7 初の学問であるとして︑スミスはそれが自然哲学つまり物理学であると位置づけるのである︒それは︑いわば神学中心の

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78 中世的学問体系に対する対抗を意味していたといえる︒

 一入世紀において哲学という言葉は自然と社会とをどのように体系づけるかを考えるという意味に理解するのが一般的    カ で あるU︑いま述べた科学する心についてスミスは︑﹁天文学の歴史によって例証される哲学的研究を導く諸原理﹂にお

い て︑次のようにのべていた︒﹁驚嘆ミ§災ミ︑驚き句ミ∀さ9︑感嘆込災Sペミペ§という言葉は︑しばしば混乱している

が︑我々の言語の中ではたしかに近いには近いけれども︑しかしある点ではまた異なって互いに区別できるところの感情

を 意 味 す る︒新しいもの奇妙なものは︑厳密にいって驚嘆という感情を呼び起こす︑予期せぬものは驚きの感情を︑そし       ⑧

て 偉 大 な ものまたは美しいものは感嘆という感情を呼ぶ﹂︒これらの三種類の感情のなかでは︑とくに驚嘆が人間の想像

力をはたらかせるものであり︑その解消は哲学的な探究によってはかられるとする︒

註 ⑤ 司§へSミさぱ§句︑目喝゜N切怜訳︑一一〇九頁︒

 旬 ㌫ミ゜

  ㈹ 出ロ勇蔵︑﹁アダム・スミスの﹃哲学小論集﹄について﹂﹃経済論叢﹄︵京都大学︶第一〇八巻第三・四号︑一九七一年︑六頁︑参

  照︒

 ⑧︾合日ω目#亡弓げ︒寄芦9巳oの≦●一︒ぽ↑窪口昌△O障8・弔法ざω8巨︒巴国ロρ巳ユ︒ω⁝図穿﹂ω言go烏亘町汗o出︷の8昌o惰﹄ω☆o−

  ロo日鴫甘㎏切旨︑o⇔き式8⇔﹀●X§へ切ミミ災☆o象9ユげぺ≦°恒O°毒冨庁⇔日①ロ四ロ臼︼°ρCd昌8司#庁Oロひ亀巴Oω9≦oひ仲︑ω>80c暮

 o時︾9日ω日一書o島汀ユ亘町戸ω渕o預O詳自鼻H㊤◎︒PO°㏄ω゜以下︑吋意S江ミ︑ミ﹄㊤ぐ§o§︑とする︒

 このようにして︑自然哲学の体系は自然的諸原因から諸結果をひきだすことによって一般的原理をうちたてるものなの

で ある︒それは方法を明確化した上で︑少数の共通原理を結合することから生まれる観察の体系的美しさなのである︒ス

ミスはかかる体系を倫理学すなわち道徳哲学にもあてはめて理解しようとする︒それは︑人々の性格︑意図および行動︑

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    人 間 生 活 を 律 す る原則や慎慮や徳性についての格率および道徳などの諸要素を一定の明確な方法に基づいて秩序だて︑そ

    こから共通の諸原理をひきだし︑それらを結合することによって一般原理を探究していくというものである︒すなわち

   ﹁日常生活の格率は︑ひとびとがもろもろの自然現象を配列したり結合したりしようと企てたのと同じしかたで︑少数の

    共 通 原 理 に もとづき︑ある方法的な秩序にしたがって配列され結合された︒これらの結合原理を探究し説明すると称する       ⑨    科 学 が︑道徳哲学とよぽれるのにふさわしいものなのである﹂︒重要なのは︑結合の原理が想像力による哲学的な探究に        ω  

  よっておこなわれるということである︒こうして︑スミスはこの部門を第二番目の学問として位置づける︒

      物 理 学 と倫理学のふたつの科学のいずれよりも遅れて︑論理学が古代の学校の大部分において教えられた︒この科学が

    生 じた理由をスミスは次のように説明する︒﹁自然哲学や道徳哲学の各体系の擁護者たちは︑当然のことながら︑自分の

    体 系に反対する諸体系を支持するためにひきあいにだされる議論の弱点を暴露しようと努力した︒これらの議論を吟味し

    て い くうち︑かれらは必然的に︑蓋然的な議論と論証的な議論︑誤った議論と明確な議論とのあいだの相違を考えるよう

旺 になった︒そして︑論理学︑すなわち正当な推理と不当な推理についての一般原理の科学が︑この種の精査のためにおこ       カ 敵   な わ れ た 諸 観 察のなかから必然的に生じてき勧﹂︒哲学や思弁の問題には非論証性や不正確な用語および誰弁が大きな影

教 博   響を与えたので︑学生には正当な推理と不当な推理の相違を理解させる必要があったのだとする解釈である︒ 期   スミスはギリシャ哲学の第三部門を以上のように理解するのであるが︑そこには人間の想像力による哲学的探究を大き

ベミ

  な支柱にすえていることがわかる︒ここで哲学とはどのような意味をもつものなのであろうか︒自然や社会の体系づけを

い ダ

  考えるという意味をもつ一八世紀の哲学は︑スミスにおいて次のように定義されている︒﹁哲学は自然の結合諸原理に関

ア     す る学問である︒通常の観察が獲得できる経験︵あるいは実験︶の範囲をどんなにひろげてみたところで︑自然には︑孤

  7 立的な︑また︑以前の出来事と連絡のないようにみえる出来ごとが一杯あるようである︒だから︑それらの出来ごとは想

(7)

80 像力の気楽な運動をさまたげるものであり︑想像力のつくる観念の順序をぽ︑いいうべくんば不規則で急激な動きによっ

て くるわせ︑このようにして︑われわれが先にのべたような混乱状態をある程度に生むことになるのである︒哲学は︑こ

れ ら連絡のつかぬ一切の対象を結びつける︑目にみえぬ鎖を説きあかすことによって︑一致せぬ︑また調和せぬ現象の混

沌の中へ秩序をもたらし︑想像力のこの動揺をしずめ︑想像力が宇宙の大変動をみわたすときに︑それを元にもどして︑

静 か で 落 ち つ い た

状 態にかえそうと努力するのである︒そういう状態はそれ自体きわめてこころよいものであるとともに︑

その本性にふさわしいものである︒だから︑哲学とは想像力に訴える技術の一種だと考えることができ︑それゆえに︑哲

学の理論と歴史とはわれわれの主題の範囲に入れるのにふさわしいものなのであるL︒驚嘆という人間の感性感覚が哲学

をうみ︑それが想像力によって混沌とした現象を秩序ある観念にしたてあげるのである︒因果関係の分析を共通方法とす

る近代の経験科学は︑実験や観察をとおして人間の想像力を豊かにはたらかせ一般原理を確立する明晰な論証科学となる︒

ス ミスにとって想像力は観察によって得られたデータを統合する理論ないしモデルにおけるギャップを埋めるために必要        ⑬ 不 可 欠 なものであり︑すべての科学的哲学的体系はこの想像力の所産なのである︒彼は自然と人間と社会とを論証可能な

科 学 的

方 法によって確立しようとするギリシャ哲学を自らの学問の基礎に措定するのである︒かかる意味における哲学は︑

自然と社会をいかにして体系づけるかという理論的研究と同時に︑人間を中心においた歴史的研究が強調されなければな

らない︒

註 ⑨ 司§↑苦ミき議§㊤ ︼戸留S訳一一〇頁︒

  ⑩ 天文学史における﹁スミスの学問論は驚異を解消し想像力の動きをなめらかにすることが哲学的探究の心理的目的であるという観

  点につらぬかれていたこと︑換言すれば︑外界との直接的な接点をもつ感覚とは異なる︑想像力という人間のすぐれた観念的・思索

  的な精神的機能を前提に展開されていたことがわすれられてはならない﹂︵只腰親和︑﹁アダム・スミスにおける天文学と経済学﹂

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 ﹃経済学論集﹄︹東京大学︺第五六巻第四号︑一九九〇年︑九四頁︶︒

ω 司㌻ミ芯込き篭§卸さミニ訳一=一頁︒

⑫ 歩●p日ω日#〆吋意聖江ミ∨ミ﹄舞∨§oミSO℃冷ー+Φ.出口勇蔵訳︑﹁アダム・スミスの﹃哲学小論集﹄について﹂﹃経済論叢﹄

 ︹京都大学︺第一〇八巻第三・四号︑六〜七頁︒出口氏はスミスの認識論は一種の構成説であると次のようにいう︒﹁驚嘆という感情

 をひきおこす目新しい︑混沌とした自然現象を合理的に認識するのは︑人間の想像力の働きである︒想像力は︑人間にとってごく馴

 染みぶかい現象をもとにして︑複雑怪奇な現象を主観的に構築する努力をする︒そしてその努力が実るときには︑先の混沌とした︑

怪 奇 な 自然現象の性質なり︑そこにある因果法則なりが認識されることになるのである︒だから︑スミスの認識論は︑このような内

 容をもった︑一種の構成説なのである﹂︵同論文︑七〜八頁︶︒

⑬ O°O°国巷庁器一︑﹄合§句§㌻︑O×まa己巳く㊥器ωμHO°︒切.久保芳和訳﹃アダム・スミスの哲学思考﹄雄松堂出版︑一九八六年︑

  = 二 〜一二三頁参照︒

      このように古代哲学は︑スミスの理解するところによれぽ︑われわれが理性で判断したり憶測したりすることは︑人間

町 精神の本性や神の本性が︑その本質がなんであれ︑すべて物理学の体系の一部をなし︑それらの実在は宇宙の偉大な体系   離   の 諸 部分であり︑しかもそれが最も重要な諸結果を生み出すものであるという認識である︒

教 婿     ところがヨーロッパの諸大学では︑このような哲学は神学に従属するものとして教えられたり︑神学の手段としてのみ

の ス   取 り扱われるようになった︒古代哲学の課程の変更についてスミスは次のようにいう︒﹁ヨーロッパの諸大学が︑このよ

ヘミ

パ   うにして古代哲学の課程にもちこんだ変更は︑すべて聖職者の教育を目的とするものであったし︑またその課程を神学研

ム       ⑭

ダ   究にとってのより適切な入門にするためであった﹂︒それらの変更において︑古代哲学の物理学は形而上学または気学に

ア    対 置された︒とくに形而上学は高尚な学問であると考えられ︑聖職者という特定の職業の目的のためには有用であるとみ

ユ 8 なされ︑物理学本来の主題である実験や観察はほとんどまったく無視された︒この変更によって﹁実験や観察の本来の主

(9)

82 題 で あり︑周到な注意をもってすればきわめて数多くの有用な発見をなしうる主題は︑ほとんど無視された︒そして︑少

数のごく単純でほとんど自明な真理を除けば︑もっとも周到な注意をもってしてもあいまいさと不正確さとのほかにはな

に一つ発見できず︑したがってまた︑無益な詮索と誰弁とのほかにはなに一つ生みだしえぬような主題がおおいに研修さ      ⑮ れ た の で あるL︒こうして︑形而上学と気学との主題に共通する性質や属性をあつかう本体論とよばれる科学が生み出さ

れ た が︑この本体論も無益な詮索と誰弁が大部分をしめる形而上学や気学とぽあいによっては同じであるとス︑ミスは論断

す る︒哲学が神学に従属することに対する大いなる論駁である︒

  さらに︑神学の手段となった道徳哲学は堕落して決疑論や禁欲道徳論という腐敗した部門になったとしてスミスは批判

す るのである︒古代の道徳哲学が探究しようとした対象は︑﹁ただ一個人としてではなく︑一家族︑一国家および人類と        ⑯

い う大社会の一員として考えたばあい︑人間の幸福や完成とはなにか﹂ということであった︒スミスの学問体系において

この人間の幸福や完成ということが現世の問題として大きな位置を占めている︒﹁この世におけるわれわれの幸福は︑こ

うしておおくのぼあい︑きたるべき生への謙虚な希望と期待に依存する︒その希望と期待は︑人間本性にふかく根ざして

い て︑それのみが︑人間本性が自己の尊厳についても2局潔な諸観念を︑ささえうるのであり︑それのみが︑たえず近づ

い て くるその死についてのわびしい願望を︑明るく照らすことができ︑この世の秩序の混乱のためにときとして人間本性       ⑰ が さらされるかもしれないすべての最大の諸災厄のもとで︑その快活さを維持することができるのである﹂︒この世にお

け る幸福は︑人間本性に深く根ざした生への謙虚な希望と期待に依存するものである︒これこそ︑スミスが現実社会にお

い て 求める神の容認のしかたである︒いわぽ天国を得るには︑この世で物資的にも精神的にもいかにして人間本性を維持

して生きるかということを意味するのである︒現世における人間の幸福と完成こそが道徳哲学の基本問題となる所以であ

る︒人間の願望は歴史的社会的運命の下においていかにして幸福になり︑人となるかということであり︑この所在を検討

(10)

       ⑱ す るのが道徳哲学である︒

註 ⑭ ミ§︑Sミさ篭§靭目も゜N凱ρ訳一一一四頁︒

  60 さミこやNO°︒°訳一一=一頁︒

  ⑯ さミこ戸N$◆訳一一一三頁︒

  ⑰  ﹀ロロ日oo日ぱ亡 ↓●㌻吋意ミ︑ミ⇒さ︑ミ切oミ︵§§章o合古oOぴ罵O﹈︶°男旬渇匡①巴㏄ロOP°ピ゜9g漂ρ巨古プΦO冨oりσqo司国合江05

  0h書︒司o済ωpaO︒苔o名︒pユ︒白80S︾合日o︒日津亘くo一゜廿O江自ρ這NO°o°﹂WN水田洋訳﹃道徳感情論﹄筑摩書房︑一九七

  三年︑二四九〜二五〇頁︒

  ⑱ ﹁ 本 来のモラル・フィロソフィの基本問題が人間の幸福と完成の所在の検討にあるとされたことは︑とりもなおさずこれらの点に

  人 間の基本的関心があることを意味し︑これを裏返していえば︑人間はこれらのことを願望せざるをえない歴史的︑社会的運命の下

  におかれており︑運命を好転させる努力が求められているといってよいであろう﹂︵岸畑豊︑﹁スミスの学問論﹂﹃季刊社会思想﹄社

  会 思 想 社︑第三巻第一号︑一九七三年︑所収︑三四頁︶︒

判     本来︑人間の幸福や完成を探究する最も重要な道徳哲学が︑決疑論や禁欲道徳論という最も腐敗した部門に堕落したと

散 い うことは次のよう鐘解できる・道徳哲学が神学の手段と化したことは・人間生活の諸藷窺実の生活における幸福

教 蝉   や 人 間の完成をめざすものとして位置づけるのではなくて︑来世の幸福の手段として捉えることを意味する︒したがって︑

の ス   このようなばあい人間の自由で寛大な生気あふれる行動による徳の完成は︑現世におけるどのような幸福とも両立しない

ヘミ

パ   ものとなる︒それは︑もっぱら﹁繊悔と禁欲とによって︑修道僧の耐乏と卑下とによってのみ︑えられるもの﹂であり︑

ム ダ   このような﹁決疑論や禁欲道徳論が︑たいていのぼあい諸学校の道徳哲学の大部分をなしていた﹂︑こうして﹁哲学のあ

ア  

  リとあらゆる部門のなかのずばぬけてもっとも重要な部門が︑このようにしてずぽぬけてもっと腐敗した部門になったの

ヨ        カ          ロ     で ある﹂︒繊悔と禁欲という教会者の生活あるいは修道僧の生活を本質とする中世的教義をスミスは批判し︑﹃道徳感情

(11)

84 論﹄においては決疑論に関して次のようにいう︒﹁決疑論老たちの諸著作については︑一般に︑気分と感情だけが判断す べ きものを︑正確な諸規則によって指導しようと︑役にたたない企てをしたと︑いっていいであろう︒あらゆるばあいに︑

繊 細 な正義の感覚が︑良心のとるにたりぬ薄弱なこまかさにおちいりはじめる厳密な点を︑諸規則によって確定すること

が︑どうして可能であろうか︒⁝⁝それらのうちのおおくは︑反対にむしろ︑われわれ自身の良心をごまかすように︑わ

れ わ れ に 教 え︑そして︑それらのむなしい巧妙さによって︑われわれの義務のもっとも本質的な諸項目にかんする無数の       四

い い の が れ 的な技巧を︑正当化するのに役立つのである﹂︒もっぱら決疑論を無益な詮索と誰弁とを助長するものとして

理 解するスミスは︑人間の義務をはたそうとするばあいに︑気分と感情だけで判断すべきものを正確な諸規則によって指

導しようとすること自体が無益であるという︒とくに︑良心によって維持されるべきあらゆるぽあいの繊細な正義の感覚

が︑薄弱になる点までをも諸規則によって確定することは不可能なことである︒決疑論者の行為諸規則は人間の義務の遂

行 を 目覚めさせるものにはならず︑また︑人間本性を寛大で高貴なものへと積極的に指向させるものでもない︒むしろ︑

反 対 に︑これらは良心の欺購や人間の義務を巧妙にいいのがれすることを正当化するのに役立つだけであるという︒こう        ㈲ して︑スミスは明白に決疑論を拒否するのである︒

註 09 ミ§崇魯ミさ註§ぷ目︑弓゜留q⊃.訳︑一一一三頁︒

  ⑳ ︾△餌日oり日#戸﹃意ミ∨ミさ﹃oN切㌻ミ軌§㌻ミ偽︑o°ωω㊤゜水田訳︑四三一〜四三二頁︒

⑪  ス︑ミスは決疑論者たちの諸著作の主要な諸問題の実体について次のよう捉える︒それは﹁正義の諸規則にたいして良心がはらうべ

  き顧慮︑どこまでわれわれは︑われわれの隣人の生命と財産を尊重すべきか︑賠償の義務︑貞節および節制の諸法と︑かれらの言語

   での淫欲の罪とよばれるものがどの点に存するということ︑真実遵守の諸規則と︑あらゆる種類の誓約︑約束︑契約の責務である﹂︒

  そして次のように評価する︒﹁したがって︑道徳哲学のふたつの有用な部分は倫理学と法学である︒決疑論は全面的に拒否されるべ

(12)

きであって︑古代の道徳学者たちが︑同じ諸問題をとりあつかうさいに︑なによりもそのようにみごとな厳密さをよそおわず︑正義︑

節 制︑真実性の基礎となる感情はなにか︑それらの徳性がふつうにわれわれを捉す︑行為の通常のやり方はなにかということの︑一般

的な様式による叙述で満足したのは︑はるかにすぐれた判断をしたようにみえる﹂︵o∨註゜oo°㏄ωOーぱ9水田訳四三一〜四三三頁︶︒

    こうしてヨーロッパの諸大学における哲学教育の課程は人間の本性と完全に一致している物理学︵自然哲学︶︑倫理学

   ︵道徳哲学︶および論理学という一般的区分が︑論理学︑本体論︑気学︵人間の魂と神との本性についての学説を内容と

    す るもの︶︑道徳哲学︵気学の諸学説と人間の魂の不滅性と神の正義によって来世に期待される賞罰とに直結するもの︶︑

    そ して物理学︵簡単で皮相な体系︶という序列になった︒

      ス ミスは︑この教育課程の変更は︑中世的教義に基づく特定の職業である聖職者の養成を目的とするものであったし︑

   神学研究のための入門的教育を意図するものであったと論じた︒そして次のようにいう︒大学教育は︑こうして﹁無益な

   詮索と誰弁とがたくさん追加されたことと︑こういう変更によってもちこまれた決疑論と禁欲道徳論とは︑この哲学を紳 判 餓  士または世故にたけた人の教育にとって︑より適切なものにしなかったことはたしかであり︑いいかえれば︑理解力を改

教        ㈱ 是   善するか︑または心情を改めるかのいずれかする可能性がより多いものにしなかったことはたしかである﹂︒決疑論や禁 肋  欲 道 徳 論 が 無益な詮索と誰弁を助長するぽかりであって︑﹁紳士または世故にたけた人帽§§§§ミさ§ミミoミミミ﹂

ひミ

ス   を 生 み 出すような教育の可能性は少ない︒聖職者養成の教育は諸科学の発達を妨げ︑世の中で普通に活動するための実務

如 ダ

  的な教育を軽視してしまう︒

ア       わ れ わ れ は この﹁世故にたけた人﹂というスミスの概念をとおして︑当時の社会が大学に対して何を求めているのかを

紡 推 察 す ることができるのであ麺・あまりに偏向した大学の警課程が諸科学の発達を妨げ・世間的霧者の養成を阻止し

(13)

86       ㈱

て きたことを知ることができる︒中世カトリック教会にその歴史的起源をもつヨーロッパの大学を否定的に分析するスミ

ス に とって︑人間の本性に基づく実社会での活動それ自体が︑彼にとっては基本的に最大の関心事であったことを知るの

で ある︒

註 幽 ミ§N忘ミ﹀ざ註§㌘目り℃°N器゜訳一一二二頁︒

  ㈱ §亀膓訳一一一四頁︒

  ⑭ ﹁ 一 八

世 紀になると大学における聖職者教育の意義はうすれ︑世俗化の波が大学におしよせていた︒⁝⁝大学はしだいに世間的実          務につく青少年をひきうけるようになった﹂︒野沢敏治﹁スミスにおける教育と学問下﹂﹃経済科学﹄︹名古屋大学︺第二四巻第一号︑        ︵

   一九七六年︑一三六頁︒

  ⑳

  イギリス絶対王政期は教育普及の著しい時代であったが︑初等・中等教育は︑政府と国教会の下におかれ﹁その教育内容はきびし    い制限内容がもうけられており︑国教会に対して批判的なピュゥリタンたちはもちろんのこと︑国民一般の教育要求にもたえきれな    いものになっていたのである﹂︒とくに︑基礎教育の不十分さや科学・技術のおくれは深刻であった︒一方︑一二世紀以来高等教育    はオックスフォード︑ケンブリッジ大学が独占し︑﹁この両大学とは異なる新しい高等教育機関が法学以外にはつくられていなかっ    たことは︑高等教育がいぜんとしてなによりも聖職者要請の機関であり︑これに付随して︑法学︑医学の学位もあたえるという中世

  的性格から脱却していないことを示すものであった﹂︵浜林正夫﹁市民革命期の教育思想﹂水田洋編﹃イギリス革命  思想的研究﹄

  御茶ノ水書房︑一九九一年︑所収︑三二二頁︶︒

二   保 護 あるいは規制と自由

  以 上 の ような大学教育課程に関する基本的特質はスミスの次の立言によって集約できる︒﹁ヨーロッパの現在の諸大学

は︑もとはといえぽその大部分が教会の団体であり︑聖職者の教育のために設立されたものである︒それらは教皇の権威

(14)

    に もとついて創設され︑完全にかれの直接の保護のもとにおかれていたので教師であろうと︑学生であろうと︑そのすべ

    て の 成 員は︑その当時のいわゆる聖職裁判権をもっていたほどである︑いいかえれば︑かれらは自分たちのそれぞれの大

   学 が 所 在 す る国々の市民的司法権の適用外におかれ︑教会裁判所に対してのみ責を負うべきものとされていたのである︒

    これらの大学の大部分で教えられていたことは︑その設立の目的にかなうもの︑つまり神学か︑または神学に対する準備       ω     に

す ぎぬものか︑そのいずれかであったL︒ このように︑ スミスの時代になっても︑たいていの大学において哲学の課程

    は 旧態依然とした聖職者教育を目的とするものであったし︑また︑それは外部の権威に屈服したものになっていて︑いわ

  ゆる学問の自由とか学習の自由といったものとはほど遠いものであった︒

      た だ︑ ⁝五世紀中葉に創設されたスコットランドのグラスゴウ大学ースミスはどこにも明示していないが︑イングラ

    ン ドのオックスフォード大学と対比していた大学1この伝統的なカルヴィニズムの大学においては︑スミスが入学する

   一七三七年頃になるとキリスト教教会の権威の支配はゆらぎはじめてくる︒このことは︑例えば次のような言説によって

‖ 推測できるのである︒二七三八年の春︑きゃしゃで少々はにかみやの少年アダム・スミスは︑グラスゴウ大学のビージ   離  ヤソになっていた︒大学の一年生ー論理学のクラスの学生たちはビージャン︵くちぽしの黄色いひよこ︶とよぽれてい

教 姓   た︒⁝・.・この春大学は騒然としていた︒牧師たちが異端のかどで教職からしりぞけようとした敬愛すべき教授を︑この土

期   地 の 長 老

会 議で弁護するための学生代表が選ぽれようとしていたからである︒道徳哲学の教授フランシス・ハチスンは︑

ヘミ

パ   グラスゴウぽかりでなく︑スコットランド全体から見ても卓越した人物であった︒かれは宗教的思考の押し付けと︑教会

ム ダ の科学に対する規制に反対した︒そしてかれは︑スコットランドのすべての大学のなかではじめて︑死語のラテン語では

ア     な く︑英語で講義をはじめた人なのである︒⁝⁝アダムはまだかれの学生ではない︒しかしアダムはすでに何回かハチス

  8 ンの講義に出席しており︑自分が教授の講義を全部聴講するようになる翌年を︑首を長くしてまっていた︒⁝⁝スコット

(15)

    ランドの教会が全能の時代はすぎ去った︒教会はハチスンを教職からしりぞけることができなかった︒つまり︑大学が長 8       の

    老 会 議の要求にしたがうことを拒否したのである﹂︒

      しかし︑スミスの時代における大部分の大学は教会の絶対的統制の下におかれていた︒そのような状況において大学が

    そ の 目的を達成しようとする程度は︑スミスによれば︑特定の大学制度に大いに依存するのであった︒すなわち︑寄付財

    産の多い裕福な大学  たとえぽ彼が留学したオックスフォード大学やケンブリッジ大学では︑指導教師がこの哲学の課

    程 を相互になんの脈絡ももたせず︑ただこまぎれに細分化されたものを皮相的に教えるのみであり︑しかも怠惰にしか教

    えなかったという︒大部分の大学においては︑哲学課程の改善がかりにおこなわれたとしても︑それを率先して採用し実

    施 しようとせず︑学者社会の多くのものはむしろ聖域として国家に保護を求めようとしていた︒かくしてスミスは次のよ

    うにいうのであった︒﹁概していえば︑もっとも富み︑もっとも寄付財産の多い諸大学がもっとも緩慢にこういう改善を

      ㈲    

採 用し︑既定の教育計画になんらかの重大な変更をみとめることをもっとも嫌悪した﹂︒ここで注目すべきことは︑ス︑ミ

    ス が 大 学 制 度を軸にして寄付財産の多い裕福な大学では︑大学教師が怠慢になると批判していることである︒

註 ω 弍災☆●ミき§嵩目6﹄切︽⑳訳一一〇七頁︒

    梅 根 氏 は 次のようにいう︒﹁この文章は︑アダム・スミスの大学観が︑おおむね一七︑八世紀流の大学観に立っていること︑ヨー

   ロッパの近世大学はその発生の時期において彼が言うような︑教会の奴脾的な存在である前に︑たとえ短い時期であったとしても︑

  そうでない一時期︑教師も学生も自由で自主的で如何なる権威にも支配されない一時期⁝⁝そんな時期があったであろうという問題

  には触れることがなかった︒私に言わせると︑そのような一時期は歴史上存在したことがあったしても︑いま︵スミスの時代︶現実

  には存在しなかったのである⁝⁝︒今日の︑中世ヨーロッパ大学史についての知識から言えぽ︑誤りであるというより外はない︒だ

  が そのことはアダム・スミスの罪ではなかった︒むしろ当時におけるヨーロッパ中世大学史の研究の未発達の然らしめた罪であっ

  た︒﹂︵梅根悟﹁アダム・スミスの大学論について﹂和光大学経済学部﹃アダム・スミスとその時代﹄白桃書房︑昭和五二年︑所収︑

(16)

 二六四〜二六五頁︒

② ﹀工葵臣︾﹄こ﹀﹄皇○§↓≧oo臣Pお⑦︒︒°松川七郎監修︑小桧山愛子訳﹃アダム・スミスの生涯﹄勤草書房︑昭和五〇年︑

 六四〜六五頁︒

㈲ さミこO°NΦO°訳一一一四〜一一一五頁︒

   スミスは﹁青少年の教育のための諸施設の経費について﹂という標題の下で教育問題を展開しているのであるが︑それ

  は︑実は財政上の問題として教育のための施設の維持運営に要する経費としてー教師の人件費をも含めて議論している

    の で ある︒すでにわれわれは財政の見地からスミスが教育や宗教上の教化のための諸施設については︑基本的には︑一般

    的 利 益 に 基づく一般的貢納を原則としながらも︑これによって利益を受ける人々がその必要経費を負担するか︑あるいは        ㈲  

  受益者の自発的寄付による経費負担を主張していたことを︑別の機会において論じた︒スミスはこれを大学制度と関連づ

  けて展開するのである︒

判  学生が教師に支払う授業料または謝礼によって教師の人件費をも含めた教育諸施設の経費は支弁できる︑というのがス

批 輔  ミスの基本的な考え方である︒この考えを前提にして︑彼は授業料などの自然的収入で教師の報酬が支払えない場合でも︑

姓   社会の一般的な租税収入によって賄うことはないという︒なぜならば︑ヨーロッパの大部分の大学は寄付財産を所有して

ス   い て︑そこから生じる果実を大学の経費に充当することができるからであるという︒この寄付財産を中心にしてスミスは

ミヘ

パ   大学問題を分析していく︒

ム    スミスは次のように問題提起する︒ ﹁こうゆう公共の寄付財産は︑その施設の目的を促進するのに一般的に寄与したで

    あろうか? それは教師たちの勤勉を奨励し︑能力を改善するのに寄与したのであろうか? それは︑教育が自然にその

  8 自力でむかって行ったであろう目的よりも︑個人と公共社会との双方にとってもっと有用な目的のほうへ︑その進路をふ

(17)

       ⑤ 0 りむけたであろうか?L︒すべて否である︒スミスが寄付財産を公共の性質をもつものと捉えるのは︑その源泉が地方や 9     州の収入および若千の土地資産の地代や若干の金額の貨幣の利子から生じるものであり︑これらの貨幣は主権者自身つま

   り国家や︑あるときには私人の寄贈者が︑教育諸施設を維持するための経費に割当たり︑あるいは受託者の管理下におい

    た りするのが通常の形態であると認識しているからである︒

     スミスは︑このような性質を持つ学校や学寮の寄付財産の多寡と教師の勤勉度したがって学問の発達度とを結びつけて︑

    そこに一定の必然的傾向を導き出そうとするのである︒すなわち︑教師の報酬がすべて寄付財産から生ずる場合と︑その

   一部が授業料から生ずる場合とを区分し︑前者が教師の勤勉度を減少させるものであると論断する︒彼は次のようにいう︒

    オ ヅ クスフォード大学やケンブリッジ大学のような寄付財産を多く所有している﹁諸大学では︑教師たちは自分の教え子

    か ら謝礼または授業料をうけとることをまったく禁じられており︑かれの俸給はかれが自分の職務からひきだす収入の全

   部 を なしている︒このばあいかれの利益は︑かれの義務とはできるかぎり正反対の立場におかれている︒つまり︑できる

    だ け 気 楽にくらすのがあらゆる人の利益なのであって︑かりにかれがひじょうに骨のおれる若干の義務を履行してもしな

    くてもその報酬がまったく同じだというのであれぽ︑その履行をまったく怠るか︑またはもしそれがゆるされぬようなあ

  る権威に服しているばあいには︑この権威がゆるしてくれそうな程度の不注意とだらしなさでそれを履行するか︑そのい

    ずれかするのがかれの利益だということはたしかであり︑すくなくとも利益というものが通俗的に解されているかぎりに          ㈲     お い て そ うである﹂︒富裕な大学における教師の収入は︑地代・利子および自治体収入から成る寄付財産に全部的に依存

    す る︒このような場合︑義務と利害との間には明確な関係が成り立たず︑教師は自己に課せられた義務の履行・不履行に

    係りなく一定の収入が確保できる︒したがって︑教師の勤勉または精励と収入の多寡との間には何の関係も生れない︒ス

   ミスは︑教師が講義らしい講義をしなくても寄付財産から報酬が支払われるかかる制度が教師を怠惰にするという︒なぜ

(18)

    ならぽ︑人間は安易さや気楽さを求める性向をもつ者であるからである︒だから︑教師の義務の怠慢やその不履行が許さ

    れ ない場合には︑その権威が許してくれる範囲において不注意になったり怠惰になったりするという︒かくして︑学問に

    対 す る熱意や教育に対する熱心さが欠如し︑教師自身の経済的利益ぼかりが優先し︑自己の専門と社会が要求する学問と

    の 間 に 大 きな隔たりが生ずることになる︒

      このように大学教師が怠惰になり大学自体が腐敗する原因は︑大学の外部から大学を批判する権威がなくて︑大学内部

    に お 互 い の 怠 惰を黙認しあう制度が存在するからであるとスミスは論ずる︒﹁もしかれが服している権威が︑かれ自身も        カレツジ  

  その一因である団体︑つまり学寮または大学に属し︑しかもそこでは他の成員の大部分もまたかれと同じように教師であ

  るか︑またそうあるべき人々であるかするなら︑かれらはおそらく協力して︑みなたがいにきわめて寛大にしようとし︑

    あらゆる人は︑自分が自分の義務を怠るのをゆるしてもらえるかぎり︑自分の隣人がその義務を怠こたってもそれに同意      m  

  している﹂︒これは︑大学教授で構成する教授会や理事会および評議員会などの大学内部の団体がつくる権威が怠惰を黙       ⑧ ‖ 認しあっているとする見解である︒それは︑富裕な寄付財産によって国家や教会が教師を丸抱えし︑教師はもっぱら国家   餓   や

教 会に対して御機嫌を取ることでその権威に服従し︑したがって彼は勤勉や精励を鼓舞する競争をまったく必要とせず︑

教 蝉   学 生 の 評 判 や 社 会 的 評 価に無関心であっても一定の報酬を確保できるため︑社会が需要する学問を彼はますます無視して

スの   しまうからである︒既に述べた﹁気学﹂や﹁本体論﹂などという誰弁や詮索を目的とした学問が横行し︑生活に役立つ実

ミヘ

ス  

学 的学問が無視されるのもこのためである︒

い ダ

ァ   註 ④ 拙 稿﹁アダム・スミスの租税利益説について﹂﹃星薬科大学一般教育論集﹄第八輯︑一九九一年︑参照︒

1  ⑤ 司㌻ミきミ之ミざ§°目も゜N畠゜訳一〇九九頁︒ 9      ⑥さミこo◆留9訳一一〇〇〜一一〇一頁︒

(19)

     mきミニや留ド訳一一〇一頁︒   9  ⑧ ﹁とくに大学の外部から大学を批判する権威がなく︑大学の教授たちのつくっている教授会︑理事会︑評議員会などのようなもの

      が︑団体的権威をつくっているようなばあいには︑教師たちは互いの怠惰を黙認し合うようになる︒巨大な寄付財産が教師の競争と

      勤

勉 とを麻痺させてしまうからである﹂大河内一男﹃アダム.ス︑ミス﹄︵人類の知的遣産 四二︶講談社︑昭和五三年︑三五九頁︒

  そ れ で は︑寄付財産の少ない貧乏な大学をスミスはどのように分析するのであろうか︒グラスゴウ大学やエディンバラ

大 学 の ような﹁若干の大学では︑俸給は教師の報酬の一部にすぎないし︑ごく小さい部分でしかないばあいもしばしぼで︑

その大部分はかれの教え子の謝礼または授業料から生じる︒このばあい︑精励の必要性は多少とも減殺されるが︑完全に

失 わ れ て しまうわけではない︒かれの職業上の名声は︑かれにとって依然として多少とも重要だし︑またはかれは︑自分

の 授 業 を 聞いた人々の愛情や感謝や好意的な報告を依然として多少ともあてにしているわけであって︑彼がこういう好意

的 な感情をかちえるためには︑それにふさわしくすること︑いいかえれぽ︑その能力と勤勉のかぎりをつくして自分のあ        ⑨ らゆる義務をはたすこと︑これ以外に方法がまったくなさそうに思われる﹂︒受講学生や聴講学生の数と教師の収入との

関係を︑魅力ある講義すなわち社会が要請する学説を教師が熱意をもって展開しあうという競争原理を通じて明らかにし

ようとする︒つまり︑教師の生計費の多くの部分は学生が支払う授業料や謝金に依存しているから︑学生を多く獲得する

に は 魅 力ある講義を熱心におこなえぽ︑教師の収入は増加することになり︑このことによって彼の生活は改善する︒教師

が 勤 勉の限りを尽くしてその能力を発揮し︑名声を上げれぽ受講生や聴講生が増える︒これは︑大学の寄付財産が少なけ

れ ぽ︑教師はこれに依存する意識も少なくなり︑彼はみずからの収入をふやすために勤勉にならざるを得ない必然性を主

張 していることになる︒こうして時代の要請に答えるための努力が学問を発達させるのであり︑これがまた学問を職業に

す るという意味なのである︒

(20)

      事 実︑スミスはグラスゴウ大学において教授として論理学講座よりも道徳哲学講座の方を選んだのは︑この講座がとり

   あげる主題が魅力であったことのほかに︑報酬も多少よいからであったといわれている︒すなわち﹁この報酬は︑一部は

  あまり大きくない財産から︑一部は講義に出席する学生の授業料から出た︒スミスはこの方法を大学教授にたいする最上    の支払い方法だと考えていた︒というのは︑これによると講演者の収入が仕事に対する熱意と成功とに大きく左右される

       ⑩

   ことになるからである﹂︒この根底にある基本的認識は︑学問を職業とする者の対抗意識と報酬との関係に一定の必然性

    を 見出そうとすることにある︒

     スミスはいう︒﹁どのような職業のぼあいにも︑それに従事する大部分の人々の努力はかれらがこの努力を払わざるを

    えぬその必要性につねに比例するものである︒この必要性は︑職業上の報酬を唯一の源泉として財産をつくろうと期待し

    た り︑否それを唯一の源泉として日常の収入や生活資料さえもえようと期待している人々のぽあいには最大である︒この

    財産を獲得するために︑否この生活資料をえるためにさえ︑かれらは一年中に︑ある既知の価値をもつ一定量の仕事を遂

‖ 行しなければならないし︑しかも競争が自由なところでは︑競争者たちはみなたがいに他を失業させようとひしめくから︑ ギ 離 あらゆる人は・自分たちの仕事をある程肇で正確に遂行しようと努力せざるをえなく瓠﹂・スミスは大学教授という

教 姓   職業にもこれを適用して分析するのである︒努力・勤勉・精励は財産の形成や生活の向上に比例する︒そのためには競争

の ス   が 前 提 条 件である︒いくら理念や目的が偉大でも︑それが精励の必要性を伴わなけれぽ努力はそれほど生れるものではな

ごヘ

パ   い︒しかし︑有用な講義であるか否かが授業料の多少によって判別されるとなると︑学生に人気があり︑社会が要求して

ム        ⑫ ダ いる実学だけを講義することで︑はたして学問の水準が向上するのか否かの疑問は残る︒だが︑スミスは寄付財産が豊富

ア     に ある大学と︑それが少ない貧乏な大学とを以上のような観点から分析するのである︒

93

(21)

    註 ⑨ ぺ§〜■ミる識§匂゜目も.留O訳一一〇〇頁︒   9  ⑩﹈oげロ丙自♪卜∋ミ﹄へo§切ミきりい︒且︒P声゜︒O駆︹︾°ウ商゜民6一一〇喝︺︑o°ふ゜︒大内兵衛・大内節子訳﹃アダム・スミス伝﹄岩波書

   

   店︑昭和四七年︑六一頁︒ちなみに︑レイによればスミスの俸給は住宅つきで約七〇ポンド︑またかれの授業料は一〇〇ポンドにち

       かかつたと考えられている︒この額はその頃としては相当の収入で︑たとえば長老教会における最高の俸給はわずか=二八ポンドで

   

   あつたという︒

   

    なお︑大河内氏は次のようにいう﹁教育の無気力と形式主義︑学問上の停滞﹂は﹁教師という職業における利己心の十分なる

   

   発揚と彼の経済人的本能の展開を促進すること︑少なくともそれを妨げないことによつてのみ矯正され得るものであつた﹂大河内一

    男﹃スミスとリスト﹄日本評論社︑昭和一八年︑一九七頁︒

   

    また︑怠惰と競争の関係については切﹂︺男器o日旬見﹄合日ω日一﹇F国阜ロ︒四江8四艮↑巴ω器N−﹃巴﹃o°尽無ミ∨ミき言苦ミ

    曽§◇§SHーピHO忠も゜嵩ρ参照︒

      oo 司o巴夢o怖2①註oロμ ︼O°N︽怜訳一〇九九頁︒

      ⑫ 高島善哉﹃原典解説・スミス﹁国富論﹂ー政策篇1﹄春秋社︑昭和三六年︑一四一頁︑参照︒なお︑佐伯氏はスミスの意見には若

       干の問題があるとして次のようにいう︒﹁θ競争原理の導入は︑授業料獲得競争に堕しはせぬか︒ω競争社会の判定者とされる学生

   

   の性格と能力如何︒◎教授する学問・教育内容︒また研究内容と教育内容の関係如何﹂︒そして﹁もし︑授業内容の質の高さと支持

   

   する学生数とが相関的でないならば︑教師︑学生の好感を得て出席者を増大せしめるために︑オベンチャラをなし︑気楽な授業内容

   

   とやさしい試験をすればよく︑これでは︑街頭商人と同じであり︑収益獲得競争に変質してしまう﹂︵佐伯敬夫﹁アダム・スミスの

   

   教育論ω﹂﹃日本デューイ学会紀要﹄第一六号︑一九七五年︑一二頁︶︒

大 学 教 育に自由競争を導入すれぽ︑大学は停滞から脱却し活性化する︒スミスは競争原理を基軸にして怠惰と勤勉とを

報 酬の観点から分析するのであるが︑それはあまりにも教師の経済的動機を重視しすぎる観がある︒しかし︑それは学内

自治が学内団体の権威に依存し︑その馴れ合い・内輪同士の持たれあいや寛大さが大学腐敗の原因の一つになるからであ

っ た︒

(22)

      そ れ で は それを大学外部の権威機関による監督・監視に求めるとどうなるのであろうか︒ スミスは次のようにいう︒

   ﹁もしかれが服している権威が︑かれもその一成員である団体というよりも︑むしろある外部の人々︑たとえば司教管区    の司教とか︑州の知事とか︑またおそらくある国務大臣とかに属しているなら︑こういうぽあい︑かれが自分の義務をま

   ったく怠るのをゆるしてもらえるなどという可能性は︑実際のところまずなかろう︒けれども︑こういう上長の人々がか

    れ に 強 制 しうるのは︑一定数の時間その教え子のためにつくすこと︑すなわち︑一週間または一年に一定回数の講義をす       ⑬  

  るということだけである﹂︒外部からの大学統制は定量可能な項目を指定することによって管理する︒それは︑一人の教

    師がもつ講義の回数とか一週間の講義の持ち駒数とかの形態によってである︒

      外 部 か らの管轄権の行使は︑本来︑大学で教授すべき諸科学が実際には教えられていないというスミスの言説を考慮す    ⑭  

  ると︑きわめて恣意的で独断的なものになりがちであった︒﹁それを行使する人々は︑自分たちが教師の講義を聴くわけ

    で もないし︑またかれが教えるのを本務とする科学をおそらく理解しているわけでもないから︑思慮深くそれを行使する

‖ ことはめったにできない﹂︒しかし︑彼らの管轄権には教師の身分を左右する職務権限も含まれているから︑恣意的にし   醐   か も独断的にこの権限が行使されることを恐れる教師は︑彼らから強力な保護を受けようとしたり︑上長に対してへっら

教 培   い の 意思を表わしたりする︒このような外部からの管轄権が自然にうみだす効果についてスミスは次のようにいう︒外部

の ス   か ら管轄権を行使する人々は﹁職務上の尊大さから︑かれらはしばしぽ無頓着にそれを行使し︑ややもすれぽ気まぐれに︑

ヨミ

渓   またなんら正当な理由もなしに︑かれを謎責したり免職したりしがちである︒こういう管轄権に服する人とは︑そのため

ム ダ   に 必 然 的 に そ の 地 位 を さげられ︑その社会におけるもっとも尊敬すべき人物の一人どころか︑もっともいやしく︑もっと

ア     も軽蔑すべき人物の一人にされてしまう︒かれがつねにさらされているひどい待遇から有効に自分をまもりうるには︑強

ら 9 力な保護をうけること以外にはないし︑しかもこの保護をうける可能性がもっとも多いのは︑かれの職務上の能力または

(23)

      ⑮ 6 勤勉によってではなく︑かれの上長の人々の意思へのへつらいによってで﹂ある︒教師の待遇や身分を守るのは︑かれの 9     能 力や勤勉ではなく︑上長への保護やへつらいによってであるという︒かかる理由からしてこの小論の壁頭で引用したよ

   うに︑寄付財産の豊富なナックスフォード大学では︑正教授の大部分は多年のあいだ︑教えるふりさえまったくやめてし

  まったとスミスに嘆かせたのである︒

註㈱ミ魯烏●込きぱ§預ロ℃ふ切ド訳一一〇一頁︒

 ⑭﹁大学となると︑青少年は︑こういう団体が教えるのを本務とする諸科学を教えられもせず︑また必ずしもつねにそれらを教えて

  もらうための適当な手段を見出すこともできない﹂︒﹁大学でふつう教えられる教育部門は︑あまり教えられていないといっても︑お

  そらくさしつかえなかろう﹂︵司§︑きミ之ミへ§鉾ロも゜N窃訳一一〇六頁︒

  ⑮ §亀゜°⑰留声゜訳一一〇一〜一一〇二頁︒

  このような大学制度において︑教師の勤勉と諸規制との関係をスミスはどのように捉え︑それが学生にどのような影響

や 効 果 を 及 ぼ す と考えているのであろうか︒とくに︑大学の諸規則は教師の勤勉を不必要にさせるために考案されたもの       カレヅジ で あるとして次のように批判する︒﹁学寮や大学の規律というものは︑一般に︑学生の便益のために考案されたものでは

なく︑教師の利益のために︑否もっと適切にいえば︑教師に楽をさせるために考案されたものである︒その目的は︑どの

ようなばあいでも︑教師の権威を維持することにあるわけであって︑かれが自分の義務を怠ろうが履行しようが︑あらゆ

るぽあいに学生を義務づけ︑まるで教師が勤勉と能力のかぎりをっくしてそれを履行しているかのようにふるまわせるこ

とにある︒それは一方の階級については完全な英知と徳が︑また他方の階級については最大の欠点と愚劣さとを前提にし

て い るように思われる︒それにしても︑教師が真にその義務を履行するぽあい︑学生の大部分がその義務を怠るなどとい

(24)

   う実例は一つもない︑とわたしは信じている︒真に出席するだけの価値ある講義なら︑それに出席することを強制する規

  律などまったく不必要なのであって︑このことは︑こういったなにかの講義がおこなわれているところならどこでも周知         ⑯    のとおりであるL︒教師が真に出席するだけの価値ある講義をするならぽ︑学生に出席を強制する規則なぞは不必要であ

   るという原則は︑当時︑諸科学が教授されていなかった大学の事情を考慮すると︑これは真の学問を欲している学生の立

    場 か らするスミスによるきわめて強烈な教授批判である︒

     本来︑大学には明確な理念や目的があり︑それを達成するための手段として諸規則がある︒学生が在学している期間︑

    大 学 は 学 生 が 学 問 を 身につけるために必要な環境整備や諸規則を制定しなけれぽならない︒その基本は︑スミスのぼあい︑

   あくまでも学生の便益を極大化することにその中心を置いている︒しかるに︑教会の管理が主流をなす寄付財産の豊富な

  大学においては︑大学の規則というものは︑教師は完全な英知と徳とを具備したものであるという前提のもとに︑教師の

  利益や権威を維持することを目的に制定されたものであると批判するのである︒

‖  学生定員の強制化︑修業年限の固定化︑卒業生の諸特権などの諸規則は教師の価値や名声の必要性を減殺する傾向をも   離  つものであるとスミスはいう︒すなわち︑﹁人文諸学︑法学︑医学および神学の大学卒業生の諸特権が︑もしそれらがあ

教 培  る大学に一定年間在籍しさえすれば獲得できるというのであれば︑その教師たちの価値または名声にかかわりなく︑必ず

の        ⑰

ス  一定数の学生を強制的にこういう大学へ入学させることになる﹂︒また︑研究費︑奨学金︑給費などの慈善的基金などは

こへ

⊇  一定の採用枠が特定の大学に固定しているから︑学生は大学の価値とは無関係にそのような基金のある特定の大学に拘束

ム ダ   を 予 儀なくされる︒転学禁止の規定も学生の選択の自由を奪うものであって︑これは大学間の競争を消滅させるものであ

ア    る︑とスミスは論断する︒ここには︑沈滞している大学をいかにして活性化するかという時論的問題意識がいかんなく表

97  

  明されているといわなけれぽならない︒

(25)

98   選 択 と競争を禁止する規則に対するスミスの批判は︑とくに学生が教師を選択する自由を論ずるところで頂点に達する

観がある︒すなわち︑教師が科学的解明による一貫性をもった自説を開陳せず︑教科書の棒読みで済ませたり︑外国語の

翻 訳 を ほ ん の 少しぼかりの知識に基づいて解説して所見を述べたりするのは一番楽なやり方で︑彼はそれで講義したつも       カレッジ りになっているのであろうが︑それは偽講義であると論じ︑さらに続けて次のようにいう︒﹁それと同時に︑学寮の規律

の お か げで︑かれは自分のすべての教え子を強制し︑この偽講義にもっとも規則正しく出席させたり︑講義中の全時間を

つ うじて礼節と尊敬のかぎりをつくした態度をまもらせることもできるのである﹂と︒何故このようなことが生じるので

あろうか︒スミスによれば答えは簡単明白である︒すなわち︑教師の報酬が学生の授業料とは無関係に支払われているか

ら︑指導教師は教え子に対し勤勉であったり︑注意深くする必要がないからである︒学寮長が指導教師を任命するやり方

は︑その教師が怠慢だったり︑無能であったり︑学生の扱いが乱暴であったりしても︑学生には指導教師を選択する自由

が 与 えられていないから︑このような規則が教師間の競争を阻害し消滅させているとする解釈である︒E・キャナンは︑        ⑬ ス︑・・スのこの箇所に学生を特定の指導教師に割当てる制度は有害であるという小見出しをつけている︒

  このようなスミスの見解は教師と学生との間に権威を媒介にして上下関係を見出すのではなく︑両者をその基盤におい

て 信 頼 しあう師弟関係として捉えた上で︑むしろ学生主権を尊重する積極的な姿勢を打ち出していることである︒真に学

問を欲する学生は時代の課題を認識し︑社会が要請する学問を身につけようとするものである︒教師はそのことに鋭敏で

なければならず︑科学的体系に基づいた一貫性のある講義︑社会が需要するような講義をすれば︑学問が具備する公共的

な目的を満たすことは可能であり︑そのことが結果として個人と公共社会の双方にとりきわめて有用であるとする認識で

ある︒そのためには︑国家や教会による教師丸抱え方式をやめ︑教師の間に競争をひきおこすべく︑学生に教師を選ぶ自

由や科目を選択する自由を付与すべきだとする主張である︒

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