博士(工学)関 学位論文題名
「盲人の環境認知補助を目的とする 障害物知覚の音響工学的研究」
学位論文内容の要旨
盲人の多くは 、その豊富な聴覚的経験か ら、環境の中の音場の変化により、周囲の障害 物の存在を知覚 することができる。この経 験的能カは「障害物知覚(obstacle sense)」と 呼ばれ、盲人の 環境認知能カの1っとして非 常に重要である。しかし、 障害物知覚の要因 に関しては、従 来から研究が行われている ものの、詳細は不明な点が多い。それ故に、現 在では、視覚障 害児・者の特殊教育・リハ ビリテーションにおける障害物知覚獲得のため の体系的訓練方 法は存在せず、視荊韓害児 ・者が日常生活等の中で経験的に獲得していく ことに任せてい るのが殆どである。またこ の能カを更に有効に活用する方法も見いだされ ていナょい。
また、、障害物知覚や白杖(盲人安全杖)及ぴ盲導犬では不十分な環境認知機能を補うも のとして、20年 程前から歩行補助装置(主 に歩行時における環境認知補助を目的とした超 音波センサや光 センサ内臓の盲人用環境探 知器)ナよるものカ卿化されている。しかし、
従来の歩行補助 装置は、センサによって得 られた環境情報を人工的な聴覚または触覚刺激 に変換して提示 する方式を採るものが主流 であり、障害物知覚のような自然の感覚を基に 空間の概念を形 成する経験を持った盲人に とっては違和感が大きく、また訓練も複雑とな る。更にこれら の装置が超音波センサや光 センサを用いた一種の「探知器」であること、
及び障害者の福 祉機器の流通事情の厳しさ 等の理由から、従来の歩行補助装置は非常に高 価であり、多く の視期璋害児・者が日常生 活の中で歩行補助装置を利用できないのが現状 である。
本研究は、上 述の問題点を踏まえた上で 、障害物知覚の体系的訓練方法の確立、及び障 害物知覚におけ る障害物の検出感度を向上 することにより環境認知補助を行う「補聴器」
式歩行補助装置 装置の開発の2っを最終目標 と定め、そのために障害物 知覚の要因の解明 を行ったものである。研究に際しては、障害物知覚が音響心理現象であることを踏まえて、
従来の研究のよ うな知覚・行動心理学的手 法だけではなく、音響工学的手段を新たに導入 した。
本論文の要約を以下に示す。
第1章では、 本研究の背景、特に、視覚障 害児・者の訓練方法、及び 従来の歩行補助装 置に関する社会 的・技術的問題点にっいて 触れた。そして、本研究の2っの最終目操(上 述 ) と 、 そ の た め に 障 害 物 知 覚 の 要 因 の 解 明 が 必 要 で あ る こ と を 述 べ た 。 第2章では、 障害物知覚に関する従来の研 究にっいて考察し、その問 題点、及びこれか ら研究を行う上での指針にっいて述べた。特に、従来の研究の殆どが音饗讐芋I}知見を十分 考慮に人れずに行われているため障害物知覚の要因の詳細を角罕明できていなぃこと、及び 今後の研究には音響学的手段の導入が必要であることを述べた。
第3章では、 障害物知覚の要因を調べる実 験を行い、最後に仮説を提 唱した。まず盲人 の障害物知覚の 課程を観察する実験を行っ た。歩行時における障害物知覚の実験から、障 害物知覚の課程を確認し、また障害物に接近していく際の心王里的印象の変化を訊Jべた結粟、
足音等の反射音が手がかりになる等の内観幸艮告を盲人から得た。また、静止‖キにおけろHう 害物知覚の実験 から、Doppler効果が障害物 知覚の要因であるという従 来の研究結果は一
ー632−
般に成立しないことを明らかにした。次に、障害物知覚の物理的要因となると考えられる 障害物による「反射」、及び「遮音」の両音響現象にっいて、音響工学的手段を用い、そ の心理的な知覚特性を調べた。まず「反射」にっいては、先行音効果と呼ぱれる音響心理 現象を基に、障害物からの距離の変化に対する足音の反射音の音像の変化にっいての考察 を行った。その結果から、障害物から約6m以内では反射音の音像は直接音の音像と融合し 正確に反射音定位できない等の仮説を提唱した。更に、反射音の音像による距離定位を調 べるため、足音の直接音と反射音が盲人の頭部に到来するような音場を用いて心理実験を 行った。その結果、足音の反射音定位は障害物近距離では障害物の距離定位の要因とはな らないことを明らかにし、距離定位は足音ではなく環境騒音の反射または遮音に関係して いるという仮説を提唱した。次に、「遮音」にっいて、障害物後方から到来する環境騒音 が障害物によって遮音されるような状況を再現して心理実験を行った。その結果、遮音に よる音場の変化が障害物知覚の要因とナょることを導き、かっ障害物に接近した際の音場か ら受ける心理的印象を音響工学的測定方法により導出した。その結果、遮音により、音圧 レベル、音像の広がり感、及びスペクトルの変化が知覚されるという仮説を提唱した。最 後に本章で導かれた知見・仮説から、障害物に接近した際に音場から受ける心理的印象の 変化を、障害物からの距離の変化に対応させてまとめ、障害物知覚の要因の仮説として提 唱した。
第4章で は、第3章で提 唱した仮 説のう ちから5っの仮 説を選 び、これらを検証するた めのJい里実験を行った。心理実験は、音響工学的手法により反射または遮音を再現するこ とによって作られた音場を用いて行った。その結果、足音(盲人自身が音源である音)、
及び環境騒音(盲人自身が音源ではない音)の両方にっいて、障害物に接近に伴い反射音 の音像の融合、または移動が知覚されることを立証し、仮説の正当性を支持する結果を得 た。また、障害物近距離における障害物の存在感を盲人に知覚させている物理的要因が環 境騒音の反射・遮音であり、かっ距離感が環境騒音の反射音の遅延時間に対応することを 示した。
第5章で は、本 研究の結諭の要約と、今後の課題、及び展望にっいて述べた。特に今後 の展望においては、本研究で得られた知見より障害物知覚の理論的な訓練方法が構築され る可能性にっいて述べ、また「補聴器」式歩行補助装置に関する技術的な言及を行った。
―633ー
学位論文審査の要旨
主 査 ′ 教 授 伊 福 部 達
学 位 論 文 題 名
「盲人の環境認知補助を目的とする 障害物知覚の音響工学的研究」
盲 人 の 多 くは 、 そ の 豊 富な 聴 覚 的 経 験か ら 、 環 境 の中 の 音 場 の 変 化に よ り 、 周 囲の 障 害物 の 存 在 を 知覚 す る こ と がで き る 。 こ の経験 的能カ は「 障害物 知覚(obstacle sense)」 と 呼 ば れ 、 盲 人 の 環 境 認知 能 カ の1っと し て 非 常 に重 要 で あ る 。し か し 、 障 害物 知 覚 の 要因 に 関 し て は、 従 来 か ら 研究 が 行 わ れ て いる も の の 、 詳細 は 不 明 な 点が 多 い 。 そ れ故 に、 現 在 で は 、視 荊 韓 害 児 ・者 の 特 殊 教 育 ・リ ハ ビ リ テ ーシ ョ ン に お ける 障 害 物 知 覚穫 得の た め の 体 系的 訓 練 方 法 は存 在 せ ず 、 視 荊噂 害 児 ・ 者 が日 常 生 活 等 の中 で 経 験 的 に獲 得し て い く こ とに 任 せ て い るの が 殆 ど で あ る。 ま た こ の 能カ を 更 に 有 効に 活 用 す る 方法 も見い だされ ていナ ょい 。
本 研 究 は 、上 述 の 問 題 点を 踏 ま え た 上で 、 障 害 物 知覚 の 体 系 的 訓 練方 法 の 確 立 、及 び 障害 物 知 覚 に おけ る 障 害 物 の検 出 感 度 を 向上す ること によ り環境 認知?njujJを行う 「補 聴 器 」 式 歩 行 補 助 装 置 装 置の 開 発 の2っを 最 終 目 標 と定 め 、 そ の ため に 障 害 物 知覚 の 要 因 の解 明 を 行 っ たも の で あ る 。研 究 に 際 し て は、 障 害 物 知 覚が 音 響 心 理 現象 で あ る こ とを 踏ま え て 、 従 来の 研 究 の よ うな 知 覚 ・ 行 動 心理 学 的 手 法 だけ で は な く 、音 響 工 学 的 手段 を新た に導入 した。
学位言 侖文の 主ナ ょ結果 は以下 に要約 され る。
第1章 では 、 本 研 究 の 背景 、 特 に 、 視覚 障 害 児 ・ 者の 訓 練 方 法 、及 び 従 来 の 歩 行訂n助 装置に 関する 社会的 ・技 術的問 題点に っいて 触れて いる 。
第2章 で は 、 障 害 物 知 覚 に 関 する 従 来 の 研 究に っ い て 考 察 し、 そ の 問 題 点、 及 び こ れ から研 究を行 う上で の指 針にっ いて述 べてい る。
第3章 で は 、 障 害 物 知 覚 の 要 因を 調 べ る 実 験を 行 い 、 最 後 に仮 説 を 提 唱 した 。 ま ず 盲 人の 障 害 物 知 覚の 過 程 を 観 察す る 実 験 を 行った 。歩行 時に おける 障害物 知覚の 実験 から、
障害 物 知 覚 の 過程 を 確 認 し 、ま た 障 害 物 に 接近 し て い く 際の 心 理 的 印 象の 変 化 を 調 べた 結果 、 足 音 等 の反 射 音 が 手 がか り に な る 等 の内 観 報 告 を 盲人 か ら 得 て いる 。 ま た 、 静止 時 に お け る 障 害 物 知 覚 の実 験 か ら 、Doppler効 果 が 障 害物 知 覚 の 要 因で あ る と い う従 来 の研究 結果は 一般に 成立 しない ことを 明らか にして いる 。次に 、障害物知覚の1´´/j珊的要 因と な る と 考 えら れ る 障 害 物に よ る 「 反 射 」、 及 び 「 遮 音」 の 両 音 響 現象 に っ い て 、音 響工 学 的 手 段 を用 い 、 そ の 心理 的 な 知 覚 特 性を 調 べ た 。 まず 「 反 射 」 にっ い て 憾 、 先行 音効果 と呼ば れる音 響【 ニ丶理 !現象 を基に 、障害物からの距離の変化に対する足音の反射音 の音 像 の 変 化 にっ い て の 考 察を 行 っ た 。 そ の結 果 か ら 、 障害 物 か ら 約6m以 内 で は 反射 音 の音 像 は 直 接 音の 音 像 と 融 合し 、 正 確 に 反 射音 定 位 で き ない 等 の 仮 説 を提 唱 し て い る。
更に 、 反 射 音 の音 像 に よ る 距離 定 位 を 調 べ るた め 、 足 音 の直 接 音 と 反 射音 が 盲 人 の 頭部 に到 来 す る よ うな 音 場 を 用 いて 心 理 実 験 を 行っ た 。 そ の 結果 、 足 音 の 反射 音 定 位 憾 障害 物近 距 離 で は 障害 物 の 距 離 定位 の 要 因 と はなら ないこ とを 明らか にし、 距嵩ff定位は 足音
‑ 634 ‑
之 夫
勝
克 楯
本 澤
保
山 下
新
授 授
授
教 教
敦
査 査
査
副 副
副
ではなく環境騒音の反射または遮音に関係しているという仮説を提唱している。次に、
「遮音」にっいて、障害物後方から到来する環境騒音が障害物によって遮音されるよう な状況を再現してJじ蝦!実験を行った。その結果、遮音による音場の変化が障害物知覚の 要因となることを導いている。また、障害物に接近した際の音場から受ける心理的印象 を音響工学的測定方法により導出した。その結果、遮音により、音圧レベル、音像の広 がり感、及びスペクトルの変化が知覚されるという仮説を提唱している。最後に本章で 導かれた知見・仮説から、障害物に接近した際に音場から受ける心理的印象の変化を、
障害物からの距離の変化に対応させてまとめ、障害物知覚の要因の仮説として提唱して いる。
第4章では 、第3章 で提唱 した仮 説のう ちから5っの仮 説を選 び、これらを検証する ためのJC艟E実験を行った。その結果、足音(盲人自身が音源である音)、及び環境騒音
(盲人自身が音源ではない音)の両方にっいて、障害物の接近に伴い反射音の音像の融 合、または移動が知覚されることを立証し、仮説の正当性を支持する結果を得ている。
また、障害物近距離における障害物の存在感を盲人に知覚させている物理的要因が環境 騒音の反射・遮音であり、かっ距離感が環境騒音の反射音の遅延時間に対応することを 示している。
第5章では 、本研究の結諭の要約と、今後の課題、及び展望にっいて述べている。特 に今後の展望においては、本研究で得られた知見より障害物知覚の理論的な訓練方法が 構築される可能性にっいて述ベ、また「補聴器」式歩行補助装置に関する技術的な言及 を行っている。
以上のように著者は、障害物知覚の要因にっいて、音響学的立場からその詳細を明ら かにし、更に障害物知覚の訓練方法の確立と新方式の歩行補助装置の開発の司能性を見 い 出 し た こと か ら 、 リハ ビ リ テ ニシ ョ ン 工 学の 進 歩 に寄与 すると ころ大 である 。 よって、著者は、北海道大学博士(工学)の学位を授与される資格あるものと認める。
− 635―