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地震研究所正門脇「モニュメント」(地震学発祥記念碑)の歴史について

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地震研究所正門脇 「モニュメント」 (地震学発祥記念碑)

の歴史について

高島悟史*

History of the Monument placed near the front gate  of Earthquake Research Institute

Satoshi TAKASHIMA*

は じ め に

 現在,地震研究所正門の脇に「モニュメント」(図 1)

が設置されている.これは一体いつから,何のために置か れているのかを知っている人も随分少なくなってきている のではなかろうか.かくなる私も管理係長,そして専門職 員として 5 年間地震研究所に勤務し,建物・設備等の管理 業務に携わることによって,その経緯を知ることになった のである.せっかくの機会でもあるので,調べることがで きた範囲で紹介したい.

本郷地区時代

地震研究所は 1925 年 11 月,当時の文部省震災予防調査 会の研究業務を引き継ぐ形で設立された.その後 1928 年 に大講堂の東側,現在の理学部 4 号館の位置に,建築学科 教授内田祥三の設計による研究所の建物が新築され,その 建物の正面には同じく建築学科教授岸田日出刀の手による 月と太陽をイメージしたモザイクがあり,側面には地震計 をモチーフにしたオブジェがあった.この建物は 1963 年 に現在の弥生地区に移転するまで利用し,その後施設部が 1979 年 9 月まで利用した後,暫定的に薬学部が使用して いたが,1981 年 11 月に理学部化学館増築のために取り壊 しとなったのである(東京大学広報委員会,1981).

 なお,かつての建物は地震研究所要覧 1992 年版の裏表 紙裏に掲載されており,建物正面の日と月のモザイクと,

斜めで見にくいが,建物右側壁面の一階天井付近にオブ ジェがある(図 2).

東京大学地震研究所技術研究報告,No. 19,36-39 頁,2013 年.

Technical Research Report, Earthquake Research Institute, the University of Tokyo, No. 19, pp. 36-39, 2013.

2013 年 8 月 20 日受付,2013 年 12 月 24 日受理.

* 東京大学工学系・情報理工学系等事務部

* Administration, School of Engineering, the University of Tokyo.

図 1. 地震研究所正門脇のモニュメント.

図 2. 1928 年 , 大講堂東側の現理学部 4 号館の場所に建設さ れた地震研究所建物(地震研究所要覧 1992 年版より転載).

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37 地震研究所正門脇「モニュメント」(地震学発祥記念碑)の歴史について

「地震学発祥記念碑」の寄贈

 それからしばらくの間,取り外されたオブジェとモザイ クは野晒しで放置されていた.しかし,1983 年 8 月に大 成建設㈱東京支店から,「地震学は構造物耐震設計の基礎 を為すものとして,建設工学の進展に多大に寄与し,その 発展について重大な関心を有する次第です.ここに今日の 耐震設計の礎石となった由緒ある地震計と日月の石飾り を,地震学発展の象徴の碑として末永く保存し,併せて将 来の地震による建造物の被害の軽減を願って建立したい」

として記念碑建立寄贈申込があり,11 月 22 日に完成・引 渡しが行われ,国有財産として登録された.

 この記念碑は「地震学発祥記念碑」として現在の地震研 3 号館の位置に建てられ,高さ 1. 79 mの台座の上にオブ ジェが乗り,左側面に銘板が取り付けられ(図 3),正面 に日(図 4),右側面には月のモザイクがあった(図 5).

また,内部にはタイムカプセルとして,1.地震学発祥記 念碑建立奉告祭司,2.第一回地震研究所協議会(現教授会)

議事録,3.地震研究所 50 年の歩み,4.地震研究所要覧

(1982),5.地震をさぐる,6.東京大学職員録(1983 年 度版),7.創立 50 周年記念 鯰文鎮 8.地震研究所旧館 全景写真及び関係者集合写真,が納められた.

図 3. 寄贈され、現3号館の位置にあった地震学発祥 記念碑とオブジェ . 台座中央に銘版.

図 4. 台座正面の中央に日のモザイク.

図 5. 右側面は月のモザイク.

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38 高島悟史

正門脇への移設

 記念碑の回りには鎖も整備された(図 6,地震研究所広 報№ 12 表紙 96 年 3 月).しかし,この場所に新たにテ レメタリング棟(現 3 号館)を建築するために移設するこ ととなったのである.テレメタリング棟は 1996 年 3 月に 着工され,翌年竣工した.その着工時に記念碑は取壊しと なった.地震計オブジェは現 2 号館玄関の左脇に置かれて いたが,モザイクについては台座とともに取壊しになった ようである.

 その後,東京都の下水道工事により正門の改築が行われ たのを機会に,現在の位置への移設が計画された.1998 年 7 月に移設工事は行われ,7 月 28 日に地震研究所,東 京都及び施工した㈱大林組関係者による「モニュメント備

え付け式」が執り行われた.タイムカプセルもこの時に改 めて埋設されたのである(図 7).なお,タイムカプセル の蓋には「1998 年 10 月」と記されているが,なぜ 10 月 となったのかは不明である(図 8).

そして地震計オブジェの右側には,「記念碑」左側面にあっ た碑文が設置されており(図 9),その全文は次のとおり である.

 「大正 14 年 11 月 14 日に地震研究所設立の官制が施行さ れ , 安田講堂裏に建物がつくられることとなった . 昭和 2 年 3 月に着工し , 翌 3 年 3 月に竣工した . 建物は地下 2 階 付きの鉄骨鉄筋コンクリート構造 2 階建てで , 建築学科教 授内田祥三先生が設計されたものであった . 大地震が襲来 しても建物内で観測や研究が出来るようにと , 当時の標準

図 6. 鎖も整備された(地震研究所広報№ 12 1996 年 3 月).

図 7. 1998 年 7 月に正門脇に移設された際のタイムカプセル の蓋.

図 8. 7 月に備え付け式が執り行われたが , 蓋には 10 月と表 記されている.

図 9. 碑文の全文 .

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39 地震研究所正門脇「モニュメント」(地震学発祥記念碑)の歴史について

設計震度の 2 倍の計算で設計された . 正面玄関の壁面には 日月の凹みの模様があり , また , 玄関に近い西壁面には地 震計をかたどった石飾りがあった . これらはやはり建築学 科の岸田日出刀先生の手になったものである . 地震研究所 が昭和 38 年から 45 年にかけて現在の場所に順次移転した 後 , 安田講堂裏の建物は他部局が使用していたが , 理学部 の増築計画により昭和 56 年 11 月取り壊されることとなっ た . 地震研究所発足から 40 有余年 , 黎明期における地震学 研究の輝かしい業績を生み出した旧地震研究所の建物を永 く記念すべく , 岸田先生の手になる石飾りの地震計と日月 を切り取り組合せてここに建立する.

昭和 58 年 11 月 地震研究所」

おわりに

 以上が,私の手に入った資料から「モニュメント」の歴 史を振り返ってみたものである.今まではただ何気なく脇 を通っていただけであったものが,実は地震研究所の歴史 の重みを感じさせる貴重なものであることに気付かされよ う.それだけに,「記念碑」の碑文にある「石飾りの地震 計と日月を切り取り組合せてここに建立する」とされたに もかかわらず,1996 年の取壊しによって「日月のモザイク」

が現存しなくなったことが悔やまれる.

追    記

 2010 年 4 月 1 日付けで工学系・情報理工学系等事務部 総務課東海チームに異動となり,新たな職場が茨城県東海 村の原子力専攻となった.

 ここでは,研究用原子炉「弥生」の廃炉に向けた取り組 みが開始されており,2011 年 3 月末をもって原子炉の運 転を永久終了し,記念式典を挙行すべく準備を行っていた.

 そうした中,3 月 11 日に東日本大震災が発生し,当地 においても震度 6 弱の揺れを観測し,また,度重なる余震

により建物・敷地・研究設備等に甚大な被害を被ったので ある.電気・ガス・水道の復旧にはかなりの時間がかかる 中,専攻内施設及び外来研究員宿泊施設において家族を含 めた避難生活が始まった.

 震度 4 以上の余震のたびに原子炉をはじめとした建屋・

研究設備等の点検,また 3 月 15 日には東京電力福島第一 原発で水素爆発が発生し,放射性物質の放出による当地に おける放射線量の上昇のため,午前 7 時 54 分に原子力災 害対策特別措置法に基づく緊急通報を政府機関・近隣自治 体等に対して行った.

 なお,原子炉「弥生」については,地震発生時に緊急停 止したものの事故等はなく,以後運転停止となっている.

震災被害については,災害復旧費により工事や研究機器等 の修理・購入が順次進められ,現在では震災の爪痕はほと んど見られなくなったが,全国からの共同利用再開は一部 を除き完全には行われていない.

 2013 年 7 月現在,2013 年度末までの予定で「弥生」炉 の廃止措置が進められており,これが完了すると,原子力 専攻は「原子力事業所」ではなくなり,様々な規制からか なり解放されることとなる.そしてこれからは,専門職大 学院における教育と,種々の大型実験設備を利用した全国 大学共同利用のいっそうの充実に向けてのとりくみが進め られることになる.

 謝 辞:本稿の投稿および取りまとめにあたり,東京大 学地震研究所の折橋裕二助教には多大なご支援をいただき ました.また,査読者の新谷昌人准教授,鈴木雄治郎助教 には,本稿を改善する上で有益なご指摘をいただきました.

ここに記して感謝申し上げます.

文    献

東京大学広報委員会,1981,消え行く由緒ある建物とオブジェ(表 紙写真説明),学内広報,538,2.

参照

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