名古屋大学福和研究室
震災と歴史の転換
地震工学
名古屋大学減災連携研究センター 福和伸夫
名古屋大学福和研究室貞観~仁和の時代
861 直方隕石が落下。
862 海賊横行、京中の水が枯渇。
863
越中・越後地震
。
864 富士山噴火
、
阿蘇山噴火
。
866 応天門の変
867
阿蘇山噴火
、疫病が蔓延。
868
播磨・山城地震
M≧7.0
869
貞観地震
M 8.3。祇園で御霊会。
871
鳥海山噴火
874 近畿大飢饉、
開聞岳噴火
878
相模・武蔵で地震
M 7.4
880
出雲で地震
M≒7.0
885 薩摩国、
開聞岳大噴火
886
安房国で地震
・雷など頻発
887
東海・東南海・南海地震
M 8.0~8.5
201毎日新聞HP
歴史
~
津波・地震とその教訓~
202後拾遺和歌集
清原
元輔
契りきな
かたみに袖を
しぼり
つ
つ
末の
松
山
なみこさ
じ
とは
千載和歌集
二条院讃岐
わが袖は
潮干に見えぬ
沖の
石
の
人こそ知らね
乾く間
も
なし
国府
…
郡山
→
多賀城(
日本三代実録)
千人
が
津
波
で
死亡
末の
松山
( 浪
越
さ
じ
)
&
沖の
石
(
乾
く
間
もなし
)
8
6
9
年
貞
観
地
震
日本三代実録
203貞観十一年五月廿六日癸未。陸奥国地大震動。流光如昼隠
映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆圧死。或地裂埋殆。
馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知
其数。海口哮吼。声似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。
去海数十〔千〕百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣為滄溟。
乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。
貞観11年5月26日、陸奥の国で大地震があった。
昼のような光が流れて、光ったり
陰ったりした。しばらくして、一般の人たちは大声を出し、地面に伏して起き上がるこ
とができなかった。あるものは家が倒れて圧死した。あるものは地面が割れてその
中に落ち埋まって死んだ。馬や牛は驚いて走り、あるものは互に昇って足踏みした。
城郭や倉庫、門・櫓・土塀・壁が崩れ落ちたり転倒したりしたが、その数は数え切れ
ないほど多い。
海では雷のような大きな音がして、物凄い波が来て陸に上った。そ
の波は河を逆上ってたちまち城下まで来た。海から数千百里の間は広々した海と
なり、そのはてはわからなくなった。原や野や道はすべて青海原となった。人々は船
に乗り込む間がなく、山に上ることもできなかった。溺死者は千人ほどとなった。
人々の財産や稲の苗は流されてほとんど残らなかった。
名古屋大学福和研究室
津波痕跡
歌枕 「末の松山」と「沖の石」
204末の松山
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山
なみこさじとは
沖の石
わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね
乾く間もなし
名古屋大学福和研究室貞観地震前後の火山噴火
H24防災白書 名古屋大学福和研究室世の不思議五(元暦の大地震)
また、同じころかとよ。おびただしき
大地震(おおない)ふる
こと侍りき。そのさ
ま世の常ならず。
山崩れて、川を埋(うず)み、海はかたぶきて、陸地(くがち)
をひたせり
。
土さけて、水湧き出で、巖(いはお)割れて、谷にまろび入る
。渚こ
ぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。
都の邊(ほとり)には、在々所々、
堂舍塔廟、一つとして全からず
。或は崩れ、
或は倒れぬ。塵・灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の動き、家の破るゝ音、
雷に異ならず。家の中に居れば、忽ちにひしげなんとす。走り出づれば、地割
れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも登らむ。おそれ
の中に、おそるべかりけるは、たゞ地震(ない)なりけりとこそ覺え侍りしか。
かくおびただしくふる事は、暫(しば)しにて、止みにしかども、
その餘波(なご
り)しばしは絶えず
。世の常に驚くほどの地震(ない)、ニ・三十度ふらぬ日はな
し。十日・二十日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四・五度、ニ・三度、
もしは一日交ぜ(ひとひまぜ)、ニ・三日に一度など、大方その餘波、三月許り
や侍りけむ。
四大種(しだいしゅ)の中に、水・火・風は、常に害をなせど、大地に至りては、
殊なる變をなさず。「昔、
齊衡の頃とか、大地震ふりて、東大寺の佛の御頭(み
ぐし)落ち
など、いみじき事ども侍りけれど、猶(なお)この度には如かず」とぞ。
すなはち、人皆あぢきなき事を述べて、聊(いささ)か、心の濁りも薄らぐと見え
しかど、月日重なり、年経にし後は、言葉にかけていひ出づる人だになし。
1185文治地震、土砂崩、津波、液状化、倒壊、大仏(855)、余震、風化
名古屋大学福和研究室 http://www.wwq.jp/indexg.htmlhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html
人口変遷と地震の発生
208名古屋大学福和研究室
大阪
名古屋
東京
1583大阪築城
1586天正地震
1592文禄の役
1596慶長伊予・
豊後・伏見地震
1597慶長の役
1598秀吉逝去
1600関ヶ原の戦い
1603江戸開府
1605慶長地震
1610名古屋築城
1611慶長三陸地震
1615大阪夏の陣
1703元禄関東地震
1855安政江戸地震
1923大正関東地震
1707宝永地震
1854安政東海地震
1891濃尾地震
1703元禄地震
1707宝永地震
1707宝永噴火
1709新井白石・正徳の治
1716享保改革
名古屋大学福和研究室南海地震の津波を伝える
稲むらの火
211安政南海地震 12月24日16~17時
和歌山・広村での濱口梧陵の物語
広村の堤防
1855年安政江戸地震
213日 比 谷 の 入 江
を 埋 め 立 て た
大 名 屋 敷 が 大
被害
(大手町・丸の
内・日比谷・新
橋)
大池を埋め立
てた小石川の
水戸藩江戸屋
敷も倒壊、藤田
東湖ガ死亡、
尊皇攘夷派か
ら開国派へ
1856年安政江戸暴風雨
214名古屋大学福和研究室 215 主な地震 1828 12/18三条地震 1830 8/19京都地震 1833 12/7出羽・越後・佐渡地震 1843 4/25十勝沖地震 1847 5/8善光寺地震 1853 3/11小田原地震 1854 7/9伊賀上野地震、12/23東海地震、24南海 地震、26豊予海峡地震 1855 3/18飛騨地震、9/13陸前地震、11/11江戸地震 1856 8/23八戸沖地震 9/23江戸暴風雨 1857 10/12伊予安芸地震 1858 4/9飛越地震 1861 9/18宮城県沖地震 1872 3/14浜田地震 主な出来事 1825 外国船打払令 1828 シーボルト事件 1833 天保の大飢饉 1837 大塩平八郎の乱 1841 天保の改革 1844 オランダ使節幕府に開国を進言 1853 7/8ペリー浦賀、8/22プチャーチン長崎来航 1854 3/31日米和親条約、10/14日英和親条約 1855 2/7日露和親条約 1856 8/21ハリス下田に着任 1858 7/29日米修好通商条約、コレラの流行 1859 安政の大獄 1860 3/24桜田門外の変 1862 2/13坂下門外の変、5/21寺田屋事件、9/14 生麦事件 1863 6/26下関事件、8/15薩英戦争、9/3八月十 八日の政変、9/29天誅組の変 1864 5/2天狗党の乱、7/8池田屋事件、8/20蛤御 門の変、8/24長州征伐勅命、9/5四国連合 艦隊下関砲撃 1865 6/25兵庫開港要求事件 1866 3/7薩長連合、7/18第2次長州征伐 1867 1/10徳川慶喜15代将軍、ええじゃないか、 11/9大政奉還王政復古大号令
12 家慶
1837-1853 1793‐1853
13 家定
1853-1858 1824‐1858
阿部正弘→堀田正睦、井伊直弼
14 家茂
1858-1866 1846‐1866
15 慶喜
1866-1867 1837‐1913
名古屋大学福和研究室明治~戦後
1889 2 11
大日本帝国憲法発布
市制スタート 東海道線開通
1891 10 28 濃尾地震
M 8.0
1894 8 1
日清戦争
1894 10 22 庄内地震
M 7.0
1896 6 15
明治三陸地震津波 M 8H
1896 8 31
陸羽地震
M 7.2
1904 2 10
日露戦争
1905 6 2
芸予地震
M 7Q
1909 8 14
江濃(姉川)地震
M 6.8
1910 8 22
韓国併合
1914 7 28
第一次世界大戦
1923 9 1
関東大地震
M 7.9
1925 5 23
北但馬地震
M 6.8
1927 3 7
北丹後地震
M 7.3
1927 3
金融恐慌
1930 11 26 北伊豆地震
M 7.3
1931 9 18
満州事変
1931 9 21
西埼玉地震
M 6.9
1932 5 15
5・15事件
1933 3 3
三陸地震津波
M 8.1
1933 3 27
国際連盟脱退
1936 2 25
2・26事件
1937 7 7
盧溝橋事件(日中戦争勃発)
1938 11 5
福島県東方沖地震 M 7.5
1939 5 1
男鹿地震
M 6.8
1941 12 8
太平洋戦争
1943 2 1
ガダルカナル島撤退
1943 9 10
鳥取地震
M 7.2
1944 6 19
マリアナ海戦 10 24 レイテ沖海戦
1944 12 7
東南海地震
M 7.9
1945 1 13
三河地震
M 6.8
1945 8 15
終戦
1946 12 21 南海地震
M 8.0
1948 6 28
福井地震
M 7.1
1950 6 25
朝鮮戦争
1951 9
サンフランシスコ講和条約
1952 3 4
十勝沖地震
M 8.2
1953 11 26 房総沖地震
M 7.4
1956 12 18 国際連合加盟
216 名古屋大学福和研究室1891年濃尾地震・岐阜
(死者7273名、震災予防調査会設立)
2521887年 中央気象台発足
1889年 大日本帝国憲法・皇室典範・ 衆議院議員選挙法公布
市制・町村制施行、東海道線全通
1890年 第1回衆議院議員総選挙
1891年 濃尾地震
1894年 日清戦争
1896年
明治三陸地震
名古屋大学福和研究室震災予防調査会
震災予防調査会報告 1(1893年) 菊池大麓(理学博士)議員の調査会設
立建議文
「震災豫防ニ關スル問題講究ノ爲メ地震取調局ヲ設置シ若クハ取
調委員ヲ組織スルノ建議案(參照第一)」
では、急務の課題として次の6点を
挙げています。
1.如何なる材料、如何なる構造は最も能く地震に耐えうるものなるや
1.建物の震動を軽減するの方法有りや
1.如何なる種類の建物は危険なるや、その取締り法如何
1.日本中如何なる地方は震災最も多きや、一地方に於いても多き部分と少
なき部分との区別ありや
1.如何なる地盤は最も安全なるや
1.地震の予知するの方法有りや否や
そして「建物の震動を軽減するの方法有りや」に関し、「唯今までの経験に拠り
ますると地の下を掘り下げまして地の下の震動と同じ所の地の表面の震動を
測りますと地の下の震動は余程少ないと言うことで・・・家を建てるのには土台
を深く掘って地面に於いて他と連絡しない様に家を建てたならば大きに震動は
少なくはあるまいか・・・柔らかに受ける様に・・・例えば神社仏閣の様な・・・」
名古屋大学福和研究室
1896年明治三陸地震
(6月15日午後8時ごろ、死者22,000人)
219 名古屋大学福和研究室歴史津波・地震の教訓
2201611慶長地震
浪分神社
浪切不動
奥州街道
1896明治三陸、1933昭和三陸、1960チリ
三陸の災害教訓伝承「津波てんでんこ」
1978宮城県沖、1994三陸はるか沖、2003宮城県
北部、2005宮城県沖、2008岩手宮城内陸
耐震性のある建物
切迫する宮城県沖地震→
家具の固定も!
奥州街道
明治と平成
■東日本大震災(11/15現在)
岩手県 宮城県 福島県
死者
15,838人
4,665
9,502
1,605
行方不明者 3,647人
1,425
1,995
223
合計
19,485人
6,090 11,497
1,828
負傷者
5,950人
188
4,013
241
■明治三陸地震津波
死者
21,953人
18,158
3,452
三
倍
三
分
の
一
元禄関東地震
340人
安政江戸地震 7千人
関東大震災
7万人
東京を襲った3地震
1703年元禄地震 1923年大正地震
甲府領 83 山梨県 22 小田原藩 2,291 足柄上・下郡 1,624 房総半島 6,534 千葉県 1,346 江戸府内 340 東京市 68,660 駿河・伊豆 397 静岡県 444 人口 世帯数 総数 圧死 焼死 (千人) (千世帯) (人) (人) (人) 東京市 2,079 452 68,660 2,758 65,902 西側計 1,657 356 10,023 1,489 8,534 東側計 422 97 58,637 1,269 57,368From 武村(地震工学会)
名古屋大学福和研究室
佐野利器
耐震構造上の諸説
大正15年10月建築雑誌
然しながら、諸君、建築技術は地震現象の説
明学ではない。現象理法が明でも不明でも、之
に対抗するのが実技である。建築界は百年、
河の清きを待つの余裕を有しない。(佐野利器)
強無くして用無し、用無くして美無し、美無くして
建築ではない。(建築十書)
名古屋大学福和研究室高き住居は児孫(じそん)
の和楽(わらく)
想え惨禍の大津浪
此処より下に家を建てるな
岩手県宮古市重茂半島・姉吉地区
海抜約60メートル
昭和三陸地震:海抜約40メートル近
くの大津波、地区の生存者は4人。
現在12世帯約40人が暮らす。今
回、津波は石碑の約50メートル手
前で止まり、石碑より高い場所に避
難した住民は全員無事。
津波の石碑
名古屋大学福和研究室寺田寅彦「天災と国防」
いつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、
文明が進めば進むほど天然の暴
威による災害がその劇烈の度を増すという事実
である。人類がまだ草昧の時代を脱し
なかったころ、がんじょうな岩山の洞窟の中に住まっていたとすれば、たいていの地震
や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物を
も持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テ
ントか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、
またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかくこういう時代
には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしな
かったからよかったのである。文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようと
する野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営
物を作った。そうしてあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかし
た拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ堤防
を崩壊させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その
災禍を起こさせたもとの起こりは天然
に反抗する人間の細工
であると言っても不当ではないはずである、災害の運動エネル
ギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、
いやが上にも災害を大きくするように努力
しているものはたれあろう文明人そのもの
なのである。もう一つ文明の進歩のために
生じた対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家
あるいは国民と称するものの有機的結合が進化し、その内部機構の分化が著しく進
展して来たために、その有機系のある
一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害
な影響を及ぼす可能性が多くなり、時には一小部分の傷害が全系統に致命的となりう
る恐れがある
ようになったということである。
経済往来1934年11月号
229 名古屋大学福和研究室1945.5.1
4
1959再
建
63回の空襲
死者8630名、負傷者11164名、罹災者52万3千名
(42年4月18日、ドゥーリットル空襲、B25)1944年12月13日 B29・90機
三菱発動機大幸工場、以後6回の空襲
同日東山動物園の猛獣が射殺
1945年3月12日 名古屋大空襲、B29・288機、5%焼失
死者602名、負傷者1238名、全焼2万9千戸。
3月19日 爆撃機230機(310機)
死者1037名。負傷者2813名。焼失3万6千戸。
5月14日 名古屋大空襲、B29・480機、名古屋城焼失
死者338人、負傷者783人、焼失家屋21905戸
6月9日 熱田空襲、B29・43機、愛知航空機
死者2068名。負傷1944名。
6月21日B29・120機
死者426名。負傷者327名。
三菱重工業名古屋発動機製作所 (名古屋市東区 1945.4.7)名古屋城と空襲
名古屋大学福和研究室