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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集(1) : 一四世紀 黒死病前のドミニコ会士説教例話集

著者 石坂 尚武

雑誌名 人文學

号 172

ページ 70‑96

発行年 2002‑11‑20

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004281

(2)

翻訳

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

││一四世紀黒死病前のドミニコ会士説教例話集││

石 坂 尚 武 訳

﹇訳者の解説﹈

ドメニコ・カヴァルカDomenicoCavalca︵一二七〇頃〜一三四二︶はピサのドミニコ会修道士であった︒ドミニ

コ会は正しくは﹁説教者兄弟修道会﹂と呼ばれるように︑説教をおこなうことを中心とする托鉢修道会であった︒そ

してこの修道会は︑都市に住む人びとの宗教的啓発をめざし︑精力的な説教活動を展開したが︑同時に︑有効な説教

をおこなうために説教の例話集の執筆・編纂にも力を入れたのであった︒カヴァルカはピサにおいて説教例話作家と

して活躍し︑数々の例話を執筆した︒それは一三世紀の例話の伝統を尊重して︑先人の例話を摂取したものでありな

がら︑それでいて例話の主題・題材の選択や例話の構成︑例話の力点などについてはあくまでカヴァルカ自身とその

時代の意向が強く反映されていたのであった︒このことから︑彼の例話には︑彼の生きた一四世紀前半という時代││

まだヨーロッパに黒死病が到来していない時代││の宗教的心性︑宗教観を認めることができるであろう︒

一三四八年の黒死病が人びとにどのような精神的︑宗教的影響を与えたかを考えるとき︑彼の著作は黒死病発生直

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図1

オ ル カーニャ

︵ の助手

︶︽

地獄

︾ の

部分︑サンタ・クローチェ聖堂︑フィレンツェ 図2

オ ル カーニャ

︵ の助手

︶︽

地獄

︾ の

部分︑サンタ・クローチェ聖堂︑フィレンツェ 図3アンドレア・ダ・フィレンツェ︽リンボ巡り︾スペイン人礼拝堂︑サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂

― 71 ―

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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前の宗教的な見方を表したものとして重要な史料のひ

とつとなるであろう︒事実︑黒死病時代の美術につい

て権威的な業績を残したミラード・ミースは︑文学史

家デ・サンクティスを援用しながら︑次のような注目

すべき見方を示しているのである︒すなわち︑ペスト

前の︑天上の楽園と天使を描く楽天的な人びとの宗教

的心性は︑美術においてジョットに︑説教においてカ

ヴァルカに典型的に認められるが︑他方︑黒死病の惨

禍によってこの世に地獄と悪魔を見た人びとの意識・

心性は︑美術においてオルカーニャに︑説教において

パッサヴァンティに顕著に認められる︑というのであ

る︒つまり対比関係の図式はこうなる││

図4 バ ル ナ・ダ・シ エ ナ《磔 刑 図》、コ ッレジャータ教会、サン・ジミニャ ーノ

図5 アンドレア・ダ・フィレンツ ェ《リンボ巡り》(部分)、ス ペイン人礼拝堂、サンタ・マ リア・ノヴェッラ聖堂

ペスト前ペスト期

美術ジョットオルカーニャ

説教カヴァルカパッサヴァンティ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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ミラード・ミースはジョットとカヴァルカとを一対のものとして︑またオルカーニャとパッサヴァンティとを一対

のものとして扱い︑前者のペスト前文化から後者のペスト期文化への転換を明確に認識して次のように述べている︒

﹁パッサヴァンティにとって︑罪は魔力であり︑生活はそれに対する情け容赦なき戦いであって︑これ以上悪化

することを恐れるために︑きびしい戦いがつづいて行くのである︒当時の絵の多くでは︑その罪を具体化する悪

図6 ジョット《最後の審判》(1305年頃)、スクロヴェー ニ礼拝堂、パドヴァ

図7 ジョット《最後の審判》(部分)(1305年頃)、 スク ロヴェーニ礼拝堂、パドヴァ

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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魔がますます目立ってきて︑攻撃的になり︑執念深く︑オルカーニャの︽地獄︾では堕地獄者の魂を襲い︑アン

ドレアの︽リンボ︾では族長たちを脅かす︵図3︶︒また十四世紀美術の中で︑罪と恐れをもっとも強く表現し

た図像︑バルナの︽磔刑︾では悔い改めない盗賊を脅している︵図4︶︒︽リンボ︾のフレスコ画において一悪魔

が人間の頭に夢中にしゃぶりついているし︵図5︶︑オルカーニャの︽地獄︾中︑一団の悪魔が犠牲者の顔や胴

体を引き裂いている︵図1︑2︶︒他方︑ジョットにとって︑地獄は耐えがたい苦痛の場というよりも大混乱の

場である︒魔王以外の全悪魔と堕地獄者たちは︑形が小さくなっている︒地獄は天国より

も遠く頑丈ではない

︵図6︑7︶︒まことに︑ジョットの見方は落ち着いて自信にあふれ︑後代の画師たちと一線を画する点は︑ジョ

ットの同時代のドミニコ会士︑ドメニコ・カヴァルカ︵一二七〇頃︱一三四二︶がヤコポ・パッサヴァンティと

異なるようなものである︒これら二人の説教師について︑デ・サンクティスは記している︒﹃カヴァルカの詩神

は愛であり︑彼の題材は天上の楽園であって︑彼の散文に非常な優しさと色彩をそえたのは︑慈愛と寛大な精神

であると予測されるのである︒しかしパッサヴァンティの詩は恐怖であり︑彼の題材は悪徳と地獄であって︑良

心の呵責や叫びのように

︑ グロテスクな神話的な側面から描くことは少

な く

︑ 人間的な面を多く描写してい る

︒ ﹄

一三四八年のペストを境にして︑それ以前とそれ以後の絵画・説教を考察しようとする場合︑我々はまずジョット

やオルカーニャの絵画については容易に接する︵鑑賞︶ことができる︒またパッサヴァンティについても拙訳

によ

って接することができ︑また拙稿

による分析によって一定理解することができよう︒ところがカヴァルカについて

は︑難解な一四世紀イタリア語の世界のままで︑いまだにヴェールの奥に秘められているのである︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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カヴァルカとパッサヴァンティとを比較することは大きな意義がある︒ともに例話作家であるということ︑またと

もに同じドミニコ会士であること︑さらに地理的にも同じトスカーナ人であること︑これらの基本的な立場の共通点

によって︑まさに時代差だけが本質的な相違点となって浮かび上がるように思われ︑極めて魅力的な比較となるであ

ろう︒

もちろん︑相違点はないわけではない︒カヴァルカが開港都市ピサで活動したのに対し︑パッサヴァンティは内陸

フィレンツェで活動した︒カヴァルカの地位に比べれば︑サンタ・マリア・ノヴェッラ修道院長としてのパッサヴァ

ンティの地位はより高い権限をもったといえよう︒また文体面においても︑カヴァルカがあくまで作家︵文章家︶と

して﹁文章体﹂のスタイルを重視していることを強く感じさせるのに対して︵それゆえに文章はより難解である︶︑

パッサヴァンティの例話には︑あくまで目の前の聴衆に向かって直接話しかける﹁話し言葉﹂を重視する姿勢が強く

感じられる︒このほか︑個人的な性格の相違もあるだろう︒

カヴァルカはピサ近郊のヴィーコ・ピサーノに生まれ︑おそらく一五歳を過ぎてから︑修道士になった︒そして一

三〇〇年︵三〇歳頃︶に修道院長代理の相談役に任じられた

︒彼はピサを中心に活動し︑黒死病がイタリアを襲う

六年前にピサで死去した︒残念ながら︑修道士としての彼の生涯の活動については断片的にしかわ

かっていない

﹁説教修道会のドメニコ・カヴ

ァルカ修道士に五ピサ

・ リブラを遺贈する

﹂ といった当時のピサ市民の遺言書の記

述︑男子修道院への女性の出入りを禁止するための改革の積極的な推進者としての記録︵年代記は彼が強い女性嫌悪

者であったことを伝えている︶︑サンタ・マリア修道院の創設などにおいて活躍したという記録︑病人への暖かい援

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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助活動の記録などがわずかに残っている

︒やはり彼の活動の中心は数多くの例話を著作することであったといって

よいであろう︒グレゴリウスの﹃聖教父の生涯﹄などの俗語への翻訳の他に︑説教例話集﹃十字架の鑑﹄Specchiodi

Croce︑﹃心の薬﹄MedicinadelCuore﹃罪の鑑﹄Specchiode’Peccati︑﹃ことばの実り﹄FruttidellaLinguaなど数多く

の例話集を執筆した︒

ここでの翻訳において利用したカヴァルカのテキストは次のとおりである︒

DomenicoCavalca,“Esempi,”pp.25−233.RaccontiesemplaridipredicatoridelDueeTrecento,acuradiG.Varaninie

G.Baldassarri,tomoIII,Roma,1993.

右記のテキストはカヴァルカの五つの著作から全部で九二の例話をアナロジー的に掲載している︒五つの著作のい

ずれについても︑もらさずその全部の例話を掲載したものはない︒

翻訳においてカヴァルカのテキストの注釈者マルチェッロ・チックート︵MarcelloCiccuto︶による注釈を大いに

活用した︒また本文での改行は適宜訳者の判断でおこなっている︒原則的に登場するイタリア人の人名等の発音はイ

タリア語を基本に︑地名は各国別にした︒宗教関係の人名については慣例的にラテン語読みに従ったものもある︒

翻訳はできるだけ明快さを心掛けたが︑カヴァルカの一四世紀イタリア語は中世特有の難解な︑語句の用法・文法

的︑構文的用法により︑注釈者の注釈を活用してもなお難解である︒不適当な訳出についてはご指摘いただければ幸

いである︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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翻訳

﹃十字架の鑑﹄

第一話 聖人の哀れな容姿

完全さに関しては︑預言者イザヤは︑キリストとそれに続く完全な人びとを予言してこう言った︒

︽彼はなぐりつけようとする者に

を差し出し︑満ち足りた気持ちで︑恥辱を楽しむだろう︾

人がこの完全さに達するのは︑とりわけ十字架について思いを致す時である︒その時︑人は己の罪がキリストを磔

の刑に処した原因であったことを知るのである︒そしてキリストの模範によって︑人はキリストが大いなる愛を抱い

て我々の救済のために十字架にのぼったことを知るのである︒

この完全な人びとのなかにコスタンツィオという名の人がいた︒彼について聖グレゴリウスはこう語っている︒

﹁コスタンツィオはその聖徳さで非常に有名であり︑大きな名誉を受けていたので︑ある農民が彼を一目見よう

とやって来た︒﹂

その農民はそこに粗末な服を着たつまらない男がいるのを認めて︑あざ笑ってこう言った︒

﹁私はコンスタンツォ様はきっと立派な人物で︑目を見張る人に違いないと信じていました︒ところが貫禄など

とてもあるようには見えません︒むしろ非常に軽蔑すべきほどです︒﹂

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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するとコスタンツィオはこれを聞いて非常に喜んで彼のもとに走り寄り︑抱き締めてこういった︒

﹁私を理解してくれたのはあなただけです︒他の人は誰も私のことについて何ひとつ見ていないのです︒﹂

コスタンツィオはその農民から不名誉を受けながらも︑農民に大きな名誉を与えたのであった︒

だから聖グレゴリウスもこの話を記しながらこういっている︒

﹁高慢な人は名誉を与えられて喜ぶが︑卑下する人は恥辱を与えられて喜ぶ︒卑下する人は︑この男が見たよう

に︑自分のことを卑しくて無価値な人間であると見てくれたら︑かえって喜ぶものなのである︒﹂

第二話 真の改悛

時々︑疾病を患って泣く人がいる︒その涙は︑死への愛からと言うよりも死への恐れによるものである︒だから︑

その涙が罪を悔い改めた涙と思う多くの人は間違いを犯している︒聖アウグスティヌスはこのことについてこういっ

ている││︒

﹁死を目の前にしてようやく改悛した者が︑本当に天国に行けるか︑私は確信が持てないでいる︒﹂

このことばから聖アウグスティヌスがそのような改悛の仕方をした者が天国に行けることに大きな疑いを抱いてい

たことがわかる︒

それだからある人はこう書いている││ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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ある男が死ぬ時になって大粒の涙を流した︒ところが︑死後︑彼は地獄に堕ちた姿で友人のところに現れた︒それ

に驚いた友人は彼にいった︒

﹁いったい君はどうして地獄に堕ちたのだ︒君は強い改悛の情を示し︑あれほどまでに涙を流したのに︒﹂

するとこう答えた││︒

﹁私が泣いたのは︑改悛の念からではなかった︒また神を冒

したことの痛恨の念からでもなかった︒私は︑ま

さに自分が死ななくてはならない哀れさから泣いたのだ︒﹂

﹃こころの薬﹄

第三話 キリスト教徒は復讐をしない

﹃聖教父の生涯﹄にはこう書いてある││︒

ある修道士が修道院長フィロジオのところにやって来てこう言った││︒

﹁私は︑何としてでも自分を侮辱したあの修道士に復讐をするつもりです︒﹂

すると修道院長は祈りを捧げてから︑彼を前にして神にこう言った││︒

﹁神よ︑あなたの審判はもはや必要ありません︒この修道士が申しますように︑我々みずからで審判を下すつも

りですので︒﹂

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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そのことばを聞いてその修道士は恥じ入って自分が受けた侮辱を許した︒

第四話 不平をいうな

病気にかかったことについて愚痴をこぼすのは愚かなことである︒このことは病気の方がしばしば健康よりも役に

立つことからわかる︒

なぜなら病気は︑適当なところで述べるが︑ふさわしい例話のなかで述べられているとおり︑我々を罰し我々の罪

を浄めたり︑その他の多くのよいことをおこなってくれるからである︒それだから﹃聖教父の生涯﹄のなかにもこう

書いてある││︒

ある聖教父はある人から三日熱を治してくれるように頼まれた︒そこで聖教父はこう言った︒

﹁お前はわしに病気を治してほしいと望んでいるが︑病気は必要なものなのだ︒なぜなら薬が病んだ体を治して

くれるように︑病気は罪深い霊魂を浄めてくれるからである︒﹂

貧しいことについて愚痴をこぼすこともまた愚かなことである︒聖書の至るところで厳粛に宣言されて

いるよう

に︑善良な貧しい人びとは神の子であり神に選ばれた存在である︒その一方で︑金持ちの霊魂の救済は危機に瀕して

おり︑彼らは救済されること非常にむずかしい存在なのである

悪天候を嘆くのもまた愚かでまちがったことである︒なぜなら神は我々に何が必要かについて我々以上によくご存

じだからである︒だからこれについて嘆く者には決してこころの安らぎは来ない︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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だからものの本にもこう書いてある││︒

ある隠者が畑に野菜の種を植えた︒そして水が必要と思われたので神に水をくださいとお願いした︒すると神はそ

れをかなえてくれ雨を降らせた︒それから晴天を求めたが︑神はそれを叶えてくれた︒まことに神は彼が求めるもの

を直ちに叶えてくれたのであった︒それにもかかわらず彼が植えた種からは芽が生えなかった︒しかし隠者は︑今年

はどこでも不作にちがいないと思ってあきらめた︒それからある日のこと︑ほかの隠者のところを訪ねてみると︑そ

この野菜畑は青々としていた︒そこで驚いてもう一人の隠者に︑神は自分が望む天気をいつもかなえてくれるのに︑

種から芽が出ないと言った︒

するとその隠者は彼にこう答えた││︒

﹁これはあなたの報いです︒あなたは神に何をすべきか指図できるほど自分の方が神よりも賢いと思っているの

ですか︒﹂

だからあなたは何事にも愚痴をこぼすべきではない︒何事にも神の意思のなすがままに従うべきです︒そのように

することでこころの安らぎとこの世の豊かさが得られるのである︒

だからある善良な農民について次のような話がある︒彼はいつも他の農民よりも実りの豊かな作物を得ていた︒ど

うしていつもそうなのかと理由を尋ねられた時に︑彼はこう答えた︒

﹁私がいつもこれほど多くの良い実りを得ても︑驚くに足りない︒なぜなら天気はいつも自分が望むとおりにな

るからだ︒﹂

このことに多くの人が驚いて︑どうしていつも望みどおりになるのかと尋ねると︑彼はこう答えた︒

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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﹁私は神が望まれる以外の天気は望まないからです︒天気はいつも神の望まれる天気なので︑それはいつも私が

望む天気なのです︒﹂

どんな職人も技術について自分よりわかっていない者からけちをつけられたり︑あれこれ教えられると憤りを覚え

るものだから︑我々が神のおこないについて嘆くならば︑神もまた憤慨するのである︒神は︑何がなされるべきかに

ついて我々よりもよくご存じだからである︒

第五話 マカリウスの温厚さ

人から怒りをぶちまけられた時は︑まず穏やかに答えて対応することが一番よい方法である︒だから︑ことわざも

こういっている││︒

﹁穏やかにやさしく答えると︑それで相手の怒りは静められてしまう︒ぞんざいでぶしつけな答え方をすると︑

いっそう大きな激怒を招いてしまうものである︒﹂

それだから﹃聖教父の生涯﹄にもこう書いてある︒聖マカリウスが弟子と一緒に出掛けた時のことである︒この弟

子は聖マカリウスよりも少し先を歩いていた︒するとひとりの異教の司祭に出会った︒その司祭は背中に角材を背負

っていた︒そこで聖マカリウスの弟子は彼にこう言った︒

﹁おい悪魔︑どこへ行くんだ︒﹂

このことばにひどく腹を立てた司祭は︑肩から角材を降ろしてそれで聖マカリウスの弟子を何度も叩き

つけたの

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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で︑まるで弟子は死んでしまったかのように地面に大の字になって倒れてしまった︒それからその司祭は再び角材を

取って先に進んで行った︒

それから今度は修道院長マカリウスがその司祭に出会った︒この時︑聖マカリウスは彼に挨拶をした││︒

﹁働き者の農民よ︑神の御加護を!﹂

その司祭はその挨拶に驚いて言った︒

﹁あなたは私の人柄をよく見てくれたので︑そのようなやさしい挨拶をしてくれたわけですか︒﹂

するとマカリウスはこう答えた︒

﹁あなたが疲れているように見えましたよ︒私はそのことを気の毒に思いましたが︑それにまたあなたが本当の

神を知らないことも気の毒に感じました︒﹂

そこで司祭は考え直してからこう言った││︒

﹁あなたがやさしい挨拶をしてくれたので︑あなたが神のまことの僕であることがわかりました︒しかし先ほど

会ったもうひとりのぶしつけな修道士は私を侮辱したので︑私は腹を立てました︒そこで何度も殴りつけて殺し

てしまったかと思われるほど打ちのめしました︒﹂

それから二人は一緒に倒れている修道士のところに戻って︑死んだかのように倒れている修道士を見つけ︑修道院

に彼を連れて行った︒それからこの司祭はすっかり回心して︑立派な修道士になったのであった︒

― 83 ―

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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第六話 動けなくなった泥棒とその改心

人の怒りと憎しみに打ち勝つ第三の方法がある︒それは悪の代わりに善をもって応じることである︒聖パオロが次

のように言った時︑このことを示している︒

﹁敵が飢えているなら︑食べ物を与えなさい︒喉が渇いているなら︑飲み物を与えなさい︒彼にそのようにすれ

ば彼のこころに愛の火をつけるでしょう︒﹂

だから﹃聖教父の生涯﹄にもこう書かれているのである︒すなわち││

盗みにやって来た二人の泥棒は︑修道院長テオナの祈

を受けたために戸口のところで身動きできなくなってしま

った︒その二人の近くにいた者がそのことに気づいてお上に差し出そうとした︒すると修道院長は二人を弁護してこ

う言った︒

﹁二人を捕まえずにおきなさい︒さもないと神は私に病人を治す力をお与えにならなくなるだろう︒﹂

こうして修道院長は二人の泥棒を助けてやった︒

その二人の泥棒は修道院長の慈悲のこころを深く感じて改心した︒それから立派な修道士になった︒

これと同じように修道院長アンモーネは食料を盗みに来る泥棒たちから戸口を警備するように二匹のドラゴンに命

じた︒ある日のこと悪人どもが盗みにやって来てこのドラゴンを見てあまりにびっくり仰天し︑その怖さから危うく ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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息絶えてしまうところだった︒

このことに気づいたアンモーネ修道院長はドラゴンを追い払い︑泥棒たちを安心させ丁寧にもてなしてやった︒そ

して食事の用意をしてやった︒こうして泥棒はこの慈悲のこころで改心して善良で立派な人間になったのである︒

第七話 聖ヴィンチェンツォと迫害者

聖ヴィンチェンツォの生涯を読むと︑忍耐は迫害者をも打ち負かすということがわかる︒聖ヴンチェンツォはひど

い苦しみを受けたけれども︑彼を拷問で苦しめる審問官のダツィアーノに打ち勝った︒ダツィアーノは彼の忍耐力に

辟易してこう言ったのである││

﹁私の負けを認めるよ︒﹂

すると聖ヴィンチェンツはこう言った︒

﹁どうぞ新たな苦しみを見つけてお好きなように私をむごく扱ってください︒きっと神の力で私の忍耐力はあな

たの与える苦しみに優るのがわかるでしょう︒﹂

そして同じように彼の忍耐力は悪魔に打ち勝ったのであった︒

だからある隠修士についてこう書いてある││︒

その隠修士は悪魔憑きの男に顔面を殴られたが︑即座にもう一方の

を差し出した︒その聖徳な忍耐力のために悪

魔憑きの男は打ち負かされて︑すぐに立ち去ってしまったという︒

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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同じようにものの本にはこう書いてある︒すなわち││

﹁人は忍耐によってこそ︑悪魔憑きの誘惑や嫌がらせに打ち勝つ︒﹂

さらにまた忍耐力によって人は己自身にも打ち勝つことができるのである︒その勝利は非常に気高くかつ希有なも

のなのである︒

第八話 わら小屋の火事

このテーマに関しては先に詳しく述べたとおりである

︒それは怒りについての第一章の説話において︑またとり

わけ第五章の例話において詳しく述べた︒したがってここでは聖グレゴリウスがその﹃対話﹄のなかで挙げているす

ばらしい実例︑すなわちステーファノと呼ばれる聖人の忍耐について述べよう︒

聖ステーファノが︑自分の麦わら小屋が︑ある悪辣な男によって放火されたと︑友人から報告を受けた時のことで

わらあった︒その小屋の藁は彼が弟子たちと一緒に住むために非常に苦労して集めたものであった︒またおかげで丸一年

間買い込んだ食糧も失ってしまったのであった︒しかし聖ステーファノは非常に冷静沈着で忍耐の人であったので︑

少しも慌てることがなかった︒聖ステーファノにその知らせを伝えた人は大きな悲しみを示してこう言った││︒

﹁修道院長様︑ああ︑なんという残念なことが起こったことでしょう︒﹂

すると︑ステーファノはこう答えた︒

﹁いやむしろこんなことをしてしまった人こそ︑今一体どうしていることだろうか︒﹂ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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このことばには︑聖グレゴリウスがいうように︑聖ステーファノの精神性の完全さと崇高

さが表されている

︒ 彼

は︑自分に対して害悪を加えた相手に対して︑大きな慈悲と憐憫の情を示したのである︒そして彼は自分が受けた害

悪の大きさよりも︑そのような害悪を与えてしまった人の罪の深さの方を嘆き悲しんだのであった︒

第九話 セルヴーロ︑スペース︑ロモロラ︑レデンタの物語

人が病気の苦しみに耐え忍ぶ時︑神は︑その姿を見てよしとされる︒そして神は︑まさに病気の苦しみを与えるこ

とによって多くの人びとの罪深い魂を聖なるものへと清められるのである︒そして神は偉大な奇跡を起こし︑大きな

恩寵を与えていることがわかる︒このことは﹃聖教父の生涯﹄やその他の多くの書物のなかの様々の例話によって示

されている︒しかしここでは聖グレゴリウスが﹃対話﹄のなかで話したいくつかを思い切って縮めなくては話すこと

ができない︒

聖グレゴリウスによると︑セルヴーロという名の男がいたという︒ほとんどいつも病気で寝込んでいて全く働くこ

とができなかった︒しかし彼は家の外で働くことができない分︑一生懸命に家の中で働き︑祈り︑瞑想した︒苦しみ

の中にあって努めて神に感謝し︑夜も昼も聖歌や賛歌を唱え︑歌った︒文字は読めなかったが︑たくさんの祈

書を

買わせて︑家に聖職者や学者が訪ねて来た時に︑彼らにそれを読んでもらった︒このようにして聖書を理解した︒そ

して受け取った施し物が残った場合︑女子修道院長や修道女を通じて他の貧しい人びとにその施し物を与えた︒

神は彼の忍耐に報いて︑その病気を終わらせようと欲した︒神は彼をこの世から連れ去るためにその疾患を悪化さ

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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せた︒そして死が迫って来た時︑セルヴーロは自分の命がないことを悟り︑彼のところに宿泊していた聖職者を何人

か呼んで︑彼らに臨終の祈りを頼んだ︒そして彼は一緒に賛歌を歌い始めた︒そして歌いながら︑天を見上げると︑

すばらしい歌が天からこの上なく心地よく聞こえてきた︒その歌の快さでほとんどすっかり陶酔して彼は︑賛歌を歌

っている人びとに大きな声で叫んだ││

﹁静かにしなさい︒静かにしなさい︒お前たちには天からの歌が聞こえないのか︒﹂

誰もが皆その歌を聞いてうっとりとして我を忘れた︒そして聖なる霊魂は肉体から放たれて︑天国にいる天使や聖

人と一緒に歌を歌うために昇って行った︒彼の遺体にはいっぱいの芳香が漂っていたので︑その香りを見た聖グレゴ

リウス派の修道士がいうところによると︑彼を埋葬するまでその芳香は消えることなく漂い︑それに触れた者の手に

も長い間それが残っていたという︒だから神は彼

の忍耐力をはっきりと認めたのであった︒

もうひとりの人についても書いている︒男の名

をスペースといった︒彼は多数の修道士をかかえ

たノルチア地区の修道院の修道院長であった︒神

が彼を失明で苦しめたことから︑四〇年間目が見

えなかった︒神は︑その四〇年間の最後の時に彼

の目を見えるようにされた︒そして神は彼に修道

図8 説教壇(ピサ洗礼堂、1260年、ニ コラ・ピサーノ作)

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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士たちを訪ねるように命じられた︒その訪問がすんでから彼は病に陥った︒彼は自分の最期の近いことを悟って修道

士たちに命じて自分の体を教会に運ばせた︒そして修道士たちと一緒に聖歌を歌って臨終の祈りをおこなった︒する

と聖なる霊魂が肉体から放たれて︑それははっきりと鳩の形になって見えた︒それは教会の屋根を開けて空へ飛んで

行ったのであった︒

ロムラという名の女性についても書かれている︒彼女の障害と病気がひどかったために︑口に手をやることさえで

きなかった︒しかしロデンタという女の教師ともうひとりの仲間の女に介抱された︒

神は彼女が揺るぎない完全な忍耐力をもっていたので︑その死に大きな栄誉を与えられた︒彼女が死ぬ何日も前か

ら︑芳香が漂うなか︑彼女の上方から大きな光があまりにまばゆく輝いたので︑介護する教師と仲間は視力を失った

かのようにその場に倒れてしまった︒それから彼女が死んだとき︑神は天使と聖人に彼女に付き添うように命じられ

た︒その場に居合わせた多くの人びとによると︑天宮の入り口が閉まっていたにもかかわらず︑天宮に入った人びと

のざわめき声が聞こえて来たという︒それから前の広場から修道士と修道女との二つの聖歌隊による天宮の合唱が聞

こえてきた︒そしてこの歌とともに彼女の聖なる霊魂は天国に昇った︒

人びとが彼女のためにやって来たが︒このことを示すためにこう言った││

﹁彼女が死んだ時︑自分たちが宙に浮いて天に昇るように見えました︒そのためにだんだんと歌が聞こえてきま

した︒﹂

したがって病気は善いものであって役に立つのである︒だから心を明るくして忍耐力をもたねばならないのである︒

― 89 ―

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

(22)

第一〇話 無欲の例話

キリストが次のようにいうとき︑我々に忍耐力をもつように説いているのである︒すなわち││

﹁あなたと争って下着を取り去ろうという者には︑彼と争うよりも上着をも与えよ︒あなたの物を取り去る者に

それを拒んではいけない︒﹂

だから物質的な富を非常に軽蔑していた多くの聖教父は︑たとえそれが盗まれてもそれを守ろうとはしなかった︒

それどころかある修道士について次のように書かれているのである︒すなわち││

修道士が独房に戻ってみると泥棒が目の前で家中の一切のものを運び出していた︒そこで別の修道士の

ふりをし

て︑何もそのことを存ぜぬふりをした︒そしてその品物が修道士の物でないかのようにロバに積むのを手伝ってやっ

た︒そしてそのまま泥棒を行かせてしまった︒

また別の修道士は︑泥棒が家中の一切の物を盗び出すのを見ていたが︑泥棒が気づかずに置き残した古い袋に目を

留めて︑それを持って後を追いかけて叫んで言った︒││

﹁おい︑これも持って行け︒これはお前が気づかずに取り残したものだ︒﹂

そのことのために泥棒は心を改めて︑戻って来て盗んだ物を全部返したのであった︒

また修道院長アナスタージォは︑ある修道士が自分の聖書を盗まれるのに気づいたが︑その修道士のあとを追うこ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

― 90 ―

(23)

とはしなかった︒それは︑彼がこの世のあらゆる物を軽蔑していたからだけではなく︑修道士が偽ってその盗みを否

定することによって︑さらにもうひとつ罪を犯すことを恐れたからであった︒

それから別のある修道士がその盗んだ聖書を買おうとした︒しかし彼はまさかそれが盗まれた聖書であることを知

らなかった︒そして彼は盗んだ修道士からその聖書を持ち出すのを許されたので︑それが立派な聖書で

あるかどう

か︑また盗んだ修道士がいうほどの価値のあるものなのか知るために︑それによく通じた専門の修道士に見てもらお

うと思った︒そして全く事実を知らないままに︑荒野にまで出掛けて行った︒そして意見を伺うために修道院長アナ

スタージオに聖書を見せた︒すると修道院長は何も知らなかったかのように︑その聖書を念入りによく調べてから︑

それが優れた聖書であること︑彼が言われているだけの価値のあるものだと言った︒

それから修道士は︑その聖書を持って言われた値段を支払おうと︑彼に売ろうとした修道士のもとに戻った︒そし

て彼にこういった││

﹁金を受け取りなさい︒私は聖書をアナスタージォ修道院長に見せたよ︒すると修道院長は要求するだけの値打

ちがあるといわれたよ︒﹂

それを聞いて男はすっかりびっくり仰天して︑こういった︒

﹁それで修道院長はほかに何かいわれなかったか︒﹂

そう聞かれた修道士は││

﹁いや何も︒﹂

と答えた︒それで男はアナスタージォのあまりに深い忍耐を思って痛い悔恨の念に駆られた︒そして出まかせに︑

― 91 ―

ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

(24)

売るつもりがないことの何か適当な理由を見つけて︑聖書を取り返した︒それを携えて︑アナスタージォ修道院長の

ところへ向かった︒そして大いに恥じ入り︑卑下の念を抱いて修道院長の足元に身を投げて罪を告白した︒アナスタ

ージォ修道院長は︑神と修道院長からの恵みとして聖書を受け取るように修道士に言った︒このことばを聞いて修道

士は大声で泣きじゃくってずっと止まなかった︒それからようやく本を受け取った︒それから修道士は弟子としてア

ナスタージォのもとに留まり立派な修道士になった︒

慈愛にあふれる忍耐力がなすすべをよく見よ︒

ある修道士が忍耐力によって大いに神を喜ばせたという話が修道士について書いた本のなかにも示されている︒

その修道士は仲間のひとりの修道士が長い間ずっと︑彼からパンを盗むのをじっと辛抱していた︒そのために窮乏

生活に非常に苦しんだが︑そのことにずっと気づかないふりをしていた︒それから耐え忍ぶ修道士に死ぬ時がやって

来た︒修道士は自分のこれまでの十分な忍耐力に大いなる喜びを感じた︒また良心の行いとして示した

忍耐力ゆえ

に︑きっと天国で永遠の生を受けるだろうという証しを感じることができた︒そして多くの修道士を前にして︑これ

まで彼のパンを盗み続けた修道士を呼んでその両手にキスをして言った││

﹁私はこの手に感謝しているよ︒この手のおかげで私は天国で永遠の生を受けることができるからね︒﹂

こう言うと修道士は息を引き取ったのであった︒

このことばを聞いて︑パンを盗んできた修道士は悔い改めて︑修道士たちの前で罪を告白した︒そして贖罪をおこ

なうために修道院に留まった︒それから聖徳な修道士となった︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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(25)

たとえこの世の物を失ったり損なわれても︑じっと忍耐をもって処するするが善きことである︒このことをしかと

心得よ︒

第一一話 アレキサンドリアのジョヴァンニ大司教と商人

アレキサンドリアの大司教であった寄進者

聖ジョヴァンニの伝説には次のことが書かれている︒

アレキサンドリアにひとりの善良な男がいた︒その男は︑自分の最も愛する一人息子を海辺の町へ徒弟奉公に行か

せた︒その町には彼の弟とまだ少年の甥が住んでいたのであった︒男は大司教ジョヴァンニに息子の身の安全を願い

出た︒そして正直な人びとで分け合うようにと一五デナーロの金貨を大司教に差し出した︒それは敬虔な人びとが神

にその男の息子が救われるよう祈ってもらうためのものであった︒

その施しを大司教は受け取った︒そして男の深い信仰のこころを考えて︑聖徳で貧しい色々の聖職者に分配した︒

そして大司教は︑その聖職者たちに対して︑男のために彼の息子が庇護されるよう神に祈るよう求めた︒そして聖職

者たちはそのように敬虔に祈願した︒しかし神は我々について我々が必要とする以上のことを理解されていた︒そし

て神は我々が願っていた以上によいやり方で我々の祈願を理解し︑叶えたのであった︒まもなく息子はこの世から連

れ去られてしまったのであった︒息子の死を聞いて父親はほとんど気が狂わんばかりになった︒そして男は︑祈願し

たこととは反対のことをされたのだと思った︒ひどく悲しんだので神に怒りを覚えたのであった︒大司教は少年の死

と父親の絶望を聞いてひどく哀れんだ︒そして神に祈って︑どうか息子を失って嘆き苦しむ者を慰めてください︑神

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

(26)

に怒りの念を抱く父親を地獄に堕とさないでくださいと︑祈った︒

悲しみに打ちひしがれた人によく起こるように︑この善良な男は夜︑床に就いてもずっと半醒半眠のままの状態で

あった︒神は大司教の功徳のために男に次のような幻覚を見させた︒

そこではどうやら大司教が男に話している様子だった︒

﹁どうしてお前はそれほどまでに悲しむのか︒﹂

男は大司教にほとんどいらだちの念を隠しきれずに答えて言った︒

﹁どうして悲しんではいけないのですか︒私の息子は︑多くの人に神に祈ってもらったのに死んでしまったので

す︒神はでき得る限りの最悪のことをされたのです︒﹂

大司教は彼にこういった︒

﹁いやむしろまさにお前の願いは聞き入れられたのだ︒なぜなら息子はもし長生きをしていたら悪い人間になっ

て地獄に堕ちただろう︒ところが彼は今救済されたのだ︒なぜなら神は我々と聖徳な人びとが祈りをし︑まだほとん

ど罪を犯していない少年のままでこの世から連れ去られ︑お前が望み求めた以上の形で救済されたのだ︒だから元気

を出して︑お前に神がしてくれたことで神に感謝しなさい︒﹂

目が覚めた善良な男は非常に慰められてもう悲しむことはなかった︒そして朝︑起きてから大司教のところへ行っ

て自分が見た幻覚を話した︒そして男は信心深い人間になった

︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

― 94 ―

(27)

ミラード・ミース︵中森義宗訳︶﹃ペスト後のイタリア絵画﹄中央大学出版会一九七八年一二〇〜一二一頁︒

ヤコポ・パッサヴァンティの﹃真の改悛の鑑﹄全四九話の翻訳は拙訳﹃人文学﹄第一六八号〜一七〇号︒

拙稿﹁一四世紀黒死病時代の説教例話集︱一三世紀例話と中世カトリシズムの伝統から見る︱﹂︵﹃人文学﹄第一七一号︶

RaccontiesemplaridipredicatoridelDueeTrecento,acuradiG.VaraninieG.Baldassarri,tomoIII,Roma,1993,18.

18−19.

ドメニコ・カヴァルカ﹃十字架の鑑﹄SpecchiodiCroce第七章より︒この例話の出典は大グレゴリウス﹃対話﹄第一章第五

節︒この大グレゴリウスによる例話は多くの例話作家によって大きな変更を受けずに利用されている︒パッサヴァンティも

その﹃真の改悛の鑑﹄第四五話﹁軽蔑された聖徳な人の謙譲さ﹂においても利用している︒

書打﹁︒るい一九九五年には次のように訳されて﹄新共同訳聖﹁﹃日本聖書協会︑この一節は︒五〇章第六節﹂イザヤ書と

ものものほおかおかくあざけつばうとする者には背中をまかせ/ひげを抜こうとする者には

をまかせた︒/顔を隠さずに︑嘲りと唾を受けた

︒﹂

︶︵

旧 一 一

四五頁︶︒カヴァルカのテキストを示すと︑以下のとおりである︒«Elliprogeralaguanciaachi’lvorràpercuotereesatollerassi

ediletterassid’obbrobi.»

パッサヴァンティの﹃真の改悛の鑑﹄第四五話ではこう書かれている︒﹁本当に謙譲な人は︑軽蔑されても︑その軽蔑する

人のことをいっそう愛する人である︒なぜなら︑傲慢な人は名誉を与えられると︑ますます快活になるように︑本当に謙譲

な人は︑軽蔑されてこそ︑いっそう快活になるのである︒本当に謙虚な人は︑人からの評価のなかで自分がなおざりにされ

ているのを認めると︑それに満足するのである︒というのは︑本当に謙譲な人は︑自分の評価としても自分のことを取るに

足らないと思っているからである︒﹂︵﹃人文学﹄第一七〇号九八頁︶

Dialogusmiraculorum﹃十字架の鑑﹄第四三章より︒ハイスターバッハのカエサリウスの﹃奇跡に関する対話﹄︵一二二〇年

頃成立︶の第二章が出典︒アルノルドゥス・レオディエンシスArnoldusLeodiensis

﹃ 説教目録

Alphabetumnarrationumやパッサヴァンティの﹃真の改悛の鑑﹄にも同じ例話がある︵第二〇話﹁地獄に堕ちた大聖堂参事会員││その告解と改悛

││﹂拙訳﹃人文学﹄第一六九号七六頁〜七八頁︶︒

アウグスティヌスのどの著作によるか出典不明︒

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ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

(28)

ドメニコ・カヴァルカ﹃心の薬﹄MedicinadelCuore第一巻第二章︒

第一巻第八章︒

﹁重ねて言うが︑金持ちが天の国に入るよりも︑らくだが針の穴を通る方がまだ易しい︒﹂︵マタイ一九章二四節︶

第一巻第一二章︒

第一巻第一二章︒

第二巻第一章︒

第二巻第六章︒

第七話参照︒

第二巻第一二章︒

第二巻第一四章︒

第二巻第一五章︒

ジョヴァンニにはこのほか︑﹁洗礼者﹂ジョヴァンニ︵ヨハネ︶︑﹁福音史家﹂ジョヴァンニ︵ヨハネ︶などがいる

ので区別

するのに﹁寄進者﹂をつける︒

この例話には商人の息子の死をめぐって神意を探ろうとする中世人の必死の努力が感じられる︒ ドメニコ・カヴァルカ説教例話選集

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参照

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