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1  条坊 遺構 と地 割

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(1)

第 W章 考

1  条坊 遺構 と地 割

都 市 を構 成 す る諸要素 には

,道

路 を は じめ

,建

物 あ るいは園地 な どのオ ー プ ンスペ ースや, 水面

,河

,自

然地形 な どがあげ られ るが

,な

か で もその骨格 を規定す る最 大 の要素 は道 路 で あ る。 と りわ け条坊制を規範 とす る都城 の よ うな都市 の場合は

,道

路 のはたす役割 は きわ め て 大 きい。道 路 は

,街

区 内の土地利用 に大 き く影 響 す る場 合 もあ り

,ま

た逆 に土地利用 の変化 が 道 路計画を規制 した りす ることが想定 され るか らであ る。本報告 の対象 とした地 区は

,平

城 京 右京 八条一坊十三 。十 四坪 にあた り

,両

坪 の坪 境小路 をは じめ として

,坪

内を区画す る さ らに 小規模 な小 路 な ど道 路遺構 が い くつ か存在 す る。 したが って

,十

三・ 十四坪 の土地利用 の実態 を 引 らかにす るためには

,ま

ず これ らの道 路 と街 区構成 に関す る考察 が求め られ る。

A  八条条間南小路

SF 2000

SD1496,1499,あ

るいは

SD1495,1500に

画 され た東西に長 い帯状区域

SF2000は ,十

1)

・十四坪の坪境小路 (八条条間南小路

)で

ある。第Ⅲ章

‑2で

述べた ように

,SF2000は

両側 溝心心間距離を3.5血 か ら

6.8mに

拡幅 している。拡幅に際 しては

,道

路心をおおむね変更せ ずに両側に等分だけ側溝を移設す るとい う方法を とる。従来の調査では

,平

城京の条坊道路 は

2)

一辺約

133.2m(=450小

尺,=375大尺

)の

方格地割を設定 し

これを道路計画の中軸 として いることが判明している。原則的には この計画線の両側に幅員の 1/2長 ずつを とって両側溝 を 開削 し

,路

面を とるわけである。 したがって

SF2000の

場合,両側に等分だけ拡幅 している と

い うことは

,拡

幅に際 して も当初の道路計画中軸線をほば踏襲 した とみることができる。

3)

さて

,こ

SF2000(八

条条間南小路

)は ,左

京八条三坊十一 。十二坪に消ける調査で も検 出されてお り,同様に路面が拡幅 されていることが明 らか となっている。 しか しそ こにおけ る 拡幅の方法は

,北

側溝の位置を変更せず

,南

側溝を約

1.5m南

に移設 して路面を拡幅す るとい う手法である。 これは,拡幅に際 して当初の計画中軸線を意識 しなかった ことを示 してお り, 同 じ八条条間南小路でも位置に よって拡幅の方法が異なっていることがわかる。 これ以外に, 単なる側溝の浚渫を行なっているものは計21例あ り,その うち 10例 は明確に 側溝を 掘削 しな お している。 しか し,いずれ も道路計画線や幅員の変更は行なわれていない (Tab.22)。

この ように

,条

坊道路の中には改修の痕跡が認め られるもの,あるいは明 らかに拡張 した り

1)本

報告では

,大

路 と大路のち ょうど中央の道路

を条間路

,坊

間路 と呼び,これ よりどち らの大路 に近いかを基準に

,坪

境小路をそれぞれ条間北小 路

,条

間南小路坊間東小路, 坊間西 小路 と呼 ぶ。なお,この呼称は

,す

でに丼上和人「都城の 定型化」(『季刊考苦学』22,1988)において使用

されている。

2)こ

れまでの調査で,小尺 は0。294〜

0.298mの

範囲におさまることが確認 されている。本報告 で は, 1小尺を0。

296m, 1大

尺を 1小 尺 の 1.2倍 の0.3552mと して,メー トル法換算値を求めた。

3)奈

良市教育委員会『平城京東市跡推定地 の調 査

Ⅳ一第 6次発掘調査概報』1986。

幅員の拡幅

rをr

(2)

平 城 宮 2玉手円

§

ω

Fig 67 

平城京南辺の条坊道路 と平城宮諸門 との関係 (単位 ;小 尺,( )内は計画寸法)

† る

ib, │':b♀

49544(4950)

1

2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

‑145,994.490

‑‑145,753.540

‑‑148,412.000

‑148,956.500

‑‑149,082,967

‑‑148,946.123

‑‑149,555,000

‑‑148,768.000

‑148,807.300

‑‑148,941,410

‑‑148,950.000

‑149,072.045

‑…149,366.400

‑‑149,474.550

‑18,586.310

‑19,093.260

‑19,375.500

‑18,833.375

‑19,012.000

‑18,380,000

‑18,437.000

‑‑17,103.900

‑17,060.000

‑17,187.000

‑‑17,107.680

‑‑17,220.000

‑‑17,104。400

‑17,185.500

朱雀

F}b

玉手関心 西二坊lyJ間路心 西一坊坊間大路心 八条条間南小路心(拡幅前)

八条条間路心 東一坊坊間西小路心 東三坊坊間東小路心 八条条間北小路心 八条条間路心 東三坊坊間東小路心 八条条間南小路心 東三坊坊間東小路心 九条条間路心

調 査 次 数 奈文研第16次 奈文研第15次 奈文研第124次 奈文研第149次 奈文研第168次 奈文研第160次 奈文研第106次 奈文研第93次

奈良市1984(東市第 4次)

奈 良市1982(東市第 3次)

奈良市1986(東市第 6次)

奈文研第166次 奈文研第14Ⅲ23次

用 化

卿 変

上 の

して い る ものな どがあ る。 こ うした事例 は道路側溝 が素掘 りで あ るがゆ えに

,降

雨 に よって浸 蝕 を受け た り

,ま

た埋 った りす る場 合が多か った ことを示 して い る。 同時 に,周辺衡区の土地 利 用 が大 き く変 化す る こ とに よって,道 路 の位置 の変更や拡 幅 が行 なわれ た こ とが想像 で きる。

第V章

‑2で

述べ る よ うに

,右

京 八条一坊十三・ 十 四坪 では

,奈

良時代 の前 半 と後 半 で土地利 用 の形態 が変化 して い る。奈 良時 代前半 は工房 を中心 とした十三・ 十 四坪 の一体 的利用 が 図 ら

′42

Tab。

18 

平城京条坊実測座標値 (No.は Fig.67と 対応)

(3)

璽 画面画

∃ 圏目圏圏田 翌 圏囲 竪 調 器需需需 需

o      500m

□ 日

□ 日 一 □

□ 日

︺ □

□ 同

一剛 剛 剛 剛 剛 剛 剛

八条条 間南小路

拡幅前

 

北側溝心 道 どな心

北側溝心

八条条 間路 道 路 心 南側溝心

E O°16′ 18″ N

□□ 剛阿

阿剛 剛剛 団

E O°10′37″ N

1  4

E O°22′ 19″ N E O°12′06″ N

▲ 八

2  5

忌圧 生聟担些十 空里堅坐生十

│1静i 9 E l°00′49″ N

3  6

E O°25′ 97″ N

EO°14′05″ N

E O°08′36″ N 拡幅前

 

北側溝心

18   19

道 酢 b

E O°19′12″ N

商側溝心札

E o°o8′21

36″ S Eo°21′ 16″ N

18   19

E o°18′54″ N

22

b

No.

北側溝心(拡幅前)

道路心

 ( 

 )

南側溝心( 

 )

北側溝心(拡幅後)

道路心

 ( 

 )

南側溝心( 

 )

北側溝心 北側溝心 道路心 (拡幅前)

南側溝心( 

 )

道路心 (拡幅後)

南側溝心( 

 )

調 査 次 数 奈文研第160次

奈文研1972

奈良市1983(東市 1次)

奈良市1983(東市2次)

奈貞市1984(東市 4次)

奈良市1983(東市3次)

奈文研第168次(本調査)

奈良市1987(東市7次)

奈良市1986(東市 6次) 1

2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23

‑148,941。320

‑‑148,946.123

‑‑148,950.925

‑‑148,940.500

‑‐148,945:000

‑‑143,949.500

‑‑148,945:740

‑‑148,945。220

‑‑148,941.410

‑‑148,944.530

‑‑148,937.110

‑149,081.217

‑‑149,082.907

‑‑149,084.717

‑‑149,079。217

‑‑149,082.617

‑‑149,086.617

‑‑149,069.020

‑‑149,069.380

‑‑149,072.045

‑‑149,074.710

‑‑149,072.765

‑‑149,076。150

‑18,380,000

‑18,207.000

‑17,353.000

‑17,226.000

‑17,187.000

‑17,109,000

八条条間路 北側溝心 道路心 南側溝心 北側溝心 道路心 南側溝心 南側溝心 南側溝心 道路心 南側溝心 北側溝心

Fig.68八

条条間路 と八条条間南小路の偏度 (図中のN。.は Tab.19と対応)

‑19,012.000

‑17,364,000

‑17,220,000

八条条間南小路

Tab.19 

八条条間路・ 八条条間南小路実測座標値 (No.は Fig.68と 対応)

7J

(4)

▲ 八

ヽc z. 2

︲ z

z ︲

2 9

Ъ

東 側 溝心 道 路 心

朱 雀 大 路

西側溝心

西一妨坊間大路

東側溝心 西一坊大路

77

ヨゝo 詢↓却

> ︲刊削削輌牡ゴ心側溝

ヽ ω

酎 酎 酎

Ⅲ 酎 酎

Ⅲ 酎 鳳 酎 酎 酎 酎

Ⅲ 酎

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □

□ □ 田 □ 田 田 田 田 田 田 田 田

□ 回

□ 日

朱 雀 大 路           ウ

□ 一

□ 回 日

□ 巳

□ □

□ 団 □ 阿 □

□ □

□ 団 団 団 団 囲

田 囮胴 囮 田 田田 田田 田 田団 田

□□□ 阪 ]□ □

□□□ □□□

圏 □□□

□□□

圏 目 圏 圏田 田圏 目 霊 目目 目 目麗

□ □

東側 溝 心 道 路 心   西 二 坊 坊 間 路 西 側溝 心

[♀    

Om

羅城門

Fig.69 

平城京右京域 の条坊道路 の偏度 (図中の No。Tab。20と対応)

]□ □□□

(5)

・1

・2

・4

・8

・9 20

2 3 4 5 6 7 8 9

22 23 24 25 26 27 28 29 30

‑145,287.000

‑‑145,328.000

‑148,412.000

―‑145,055。564

‑145,136.085

‑145,395.156

‑145,231.560

‑‑145,394.502

‑‑145,447.702

‑148,360,000

‑149,068.600

‑145,994.578

‑‑146,074.691

‑‑148,956.500

‑146,009,860

‑146,008.030

‑‑146,045,363

‑146,151.000

‑‑146,255.700

‑‑147,338.334

‑‑147,797.000

‑147,854.000

‑‑149,719。200

‑19,393.450

‑‑19,389。135

‑‑19,384.825

‑‑19,393.450

‑‑19,398,125

‑19,384.800

‑19,387.185

‑19,375.500

‑‑19,372.315

‑19,135.807

‑19,134。 377

‑‑19,131.783

‑‑19,109。904

‑19,108.135

‑19,107.848

‑‑19,095。720

‑‑19.092.400

‑18,852.045

‑18,841.633

‑18,833.375

‑‑18,821.100

‑18,622.500

‑‑18,545.500

‑‑18,547.858

‑18,548.100

‑‑18,547,700

‑‑18,616.250

‑‑18,540.850

‑‑18,614。250

‑‑18,606.340

西二坊坊間路

西一坊坊間大路

朱雀大路

西側溝心 東偵U溝

調 査 次 数 奈文研第142次 奈文研第18314次 奈文研第124次

奈文研第824次 奈文研第11829次 奈文研第10卜 14次 奈文研第52次補足 奈文研第10314次 奈良市第97次 大和郡山市1987

雌 納雌 雌筋 雌雌 脇雌

道西 東 西道 東 西 道東

飲 欧 飲 欺

・・2 飲 査

・ 4

・ 3

︲ 8

・ 4︲ 0 調  査 艤 聴 聴 浦 聴浦 期

″醐 文 文 文 良 文良 雀   城 奈 奈 奈 奈 奈奈 朱   羅

雌 雌

〃 〃

〃 雌 雌 峠

西東      西 東 西

次 次

・4 次

4.

4 9

第第 第

〃 研研 研 文文 文 奈奈 奈 門

心   心 養 溝 心溝 犬 側 路 側 若東 道 東

,奈

良時代後 半 は細 分化 された住宅地 としての利用が進行す るわ けであ る。両坪が一体 とし て利用 されていた時期 には,小路 は同一敷 地 内の単 なる通路 に とどまって いたが

,住

宅地 が細 分化 されて往来 が頻繁 に な るに従 い,道路 を拡 幅す る必要 に迫 られた と見 る こともで きよ う。

次 に,SF2000(八条 条 間南小 路

)の

平城京 内におけ る位置 につ いて検 討 しよ う。

Fig.67は

,

六 条大路以南で これ までに検 出 した条坊道 路 と,平城宮 の諸 門 との心心 間距 離 を示 した もので あ る。 なお図中の数値 は

,朱

雀大 路調査 で 粥 らか とな った朱雀大路 の国上方眼方位 に対 す る偏 度 (NO° 15′ 41″

W)を

考 慮 した値 であ る。 これに よる と,平城宮玉 手 門 と

,拡

幅以前 の SF

2000と の心心 間距離 の小尺(以下断わ らないか ぎ り尺 はすべ て小尺 であ る。

)換

算値 は

m,249.2

尺 とな り,計画寸法

m,250尺

に きわめて近 い数値 であ ることがわか る。 同様 に

,左

京 八条三坊 十 一・ 十二坪 におけ る拡 幅 以前 の八条条間南小路 と平城官玉手門 との心心 間距離 は

m,221.6尺

で,計画寸法 よ り約30尺 短 くな る。 これ らの数値 の差は,八条条間南小 路 の 国上方 眼方位 に対 す る偏度 に起因 して い る もの と思われ る。Fig.68に示す よ うに

,八

条条 間 南小路 の偏度 は,朱

雀大路 のそれ よ りもやや大 きい。 しか も位 置 に よっては

,偏

りの程度が異 って いるのであ る。

他 の道路 は ど うであ ろ うか。 まず条 間路 につ いて見てみ よ う。平 城京 南辺 におけ る条間路 と して八条条間路 と九条条間路がある。 八条条間路 は

Fig.68に

示 す よ うに

ほぼ 朱雀大路に 近似 した偏度 を示 す。 した が って

,検

出地 点が朱雀大路か らかな り遠距離 に位置 してい る場合 に も,道路心 と平 城官玉 手 関心 との距離 は計画寸法 に近似 す る こ とに な る。九 条条間路 は検 出 地 点 が

1地

点 であ るた め

,道

路心 の偏度 を求め られ ないが,左京 九 条三 坊 の よ うな朱雀大路か ら比較的離れた地 点におけ る道路心 と玉手 門心 との距離が12,600,3尺 と計画寸法 の12,600尺 に 近 い ことか ら

,九

条条 間路 の偏度 を朱雀大 路 のそれ に近 い もの と推定 す る ことが可能 であ る。

SF 2000の 平城京内に お1する位置 道路計画の 偏度と道路 の位置

八条条間路

九条条間路 間 路 条 ヽ 条

可 八 南

Tab.20 

平城京右京域 における南北方 向の条坊道路実測座標値

(Noは

Fig.69と 対応)

7J

(6)

坊 路   坊 路 二 間     一問 西 坊   西 坊

これに対 し坊 間路 は ど うであろ うか。例 えば西二坊坊 間路 は

, Fig.69か

ら偏度 も朱雀大路

とはぼ近似 していて

,右

京 七 条二坊 におけ る道路心 と朱雀 関心 との距離 も計画寸法 とはぼ一致 して い る (Fig.67)。

 

ところが,西一坊坊間大路 は偏度が NO° 21′ 40′

Wと

朱雀大路に比 し てやや大 き く

,検

出地 点 が右京八条一坊 と朱雀 大 路 に近 いに もかかわ らず

この道路心 と朱雀 門心 との距 離 は約22尺 も短 くな っている。西一坊坊間大路 は西側溝 が幅約

mmと

破格 の規模 で あ るた め

,道

路計 画線 と実測 した両側溝心心 間 の中軸線 とが一致 していない可能性 もあ り,他

の坊 間路 に比 して特殊 だ といえ よ う。西一坊坊 間大路 の計画線 の偏度が も ともとNO° 21′ 40′

Wで

あ ったか ど うかにつ いてはにわ かに決 めがたい。

以上 の よ うに,平城官 か ら速距離に位置す るに もかかわ らず,多くの条 間路・ 坊 間路 の偏度 は朱雀大路 の偏度 とほぼ一致 している。換言すれば条・ 坊 間路 は,朱雀大路 に直交 ない しは平 行 して痛 り

,条

坊 計画線 は京全域 に周到かつ精密には りめ ぐらされていた ことを示 している。

一方,小路 は ど うであろ うか。八条条間北小路 は左京八条三坊 において

1箇

所 検 出 した事例 が あるが,平城 宮玉手F聯心との距離 は 10,799.1尺 と計画寸法 にわずか 0,9尺 満た ないのみであ る。 したが って この小路 の計画線 もまた

,朱

雀 大路 の計 画線 に直交 して いた ことがわ か る。 と ころが東三坊坊 間東小路 につ いては様相が異 な っている。 この小路 は

,二

条,四条,八条

,九

条 の計

6地

点 で確認 しているが

,各

地 点間に偏度 の統一性 は見 られず

,朱

雀 門心 との距離 関係 も一様 ではない。 ただ二条地点 (奈文研第88‑11次 調査

)と

九 条地点 (奈文 研第 166次 調査

)と

を結が直線 の偏度 は

,NO°

17′ 46′

Wと

朱雀 大路 の偏度 と似通 ってお り

右京九条

=坊

地 点 と

朱雀 関心 との東 西距離 は4,954.4尺と

計画寸法4,950尺 との 差 はわず か4.4尺である (Fig.

67)。 す なわ ち造 営 当初 の小路計画線 は,朱雀 大 路 の偏度 とはぼ一致 してはいたが,大路 で囲 ま れ た各条

,各

坊 内におけ る実際の小路 の設定 に際 しては

,そ

れ ぞれ独 自に設定 された可能性が 指摘 で きる。 この こ とは

,こ

の小路 の す ぐ西 に 南北 に 貫流す る東堀河 との 位置関係か らもわ か る。Fig。71に 示 す よ うに

東三坊坊間東小路 と東堀河 との心心間距離は

,計

画寸法が

225尺

であ るのに対 し

,各

地 点 ごとに微妙 な差 を生 じている。 と りわ け左京八条三坊九・ 十六坪坪境 においては極端 に東 に偏 ってお り,同じ小路で も実際の施工 と計画 との間に差 が生 じているこ とがわか る。東一坊坊間西小路について も同様 の ことが いえる。 これは何 を意味す るのである うか。推定 し得 る可能性 は

2通

りあ る。

1つ

は,坪境小 路 は直線上 に施工 されず に,途中 のあ る地 点で微妙 に筋替 え られていた こと。 も う

1つ

は,長距 離 の区間では東西南北 の方 向を正 し く設定す る ことを試み るが,実際には途 中で微妙 に折れ 曲 って いた ことであ る。 これ までの各 検 出地 点 が点的 であ るため,両者 のいずれ かはにわ かに決 しがたいが,条間・ 坊 間路の よ うな 上位 の道路 に比 して

,小

路 の施工 の方法 が多様 であ った ことだ けは確かであ る。

次 に従 来 の調査 で明 らか となってい る小 路 の幅員 と

,SF2000の

幅員 につ いて比較検討 しよ う。

Tab.22は

これ らを一覧表 に まとめた ものであ る。 なお参考 のために条間・ 坊間路に関す る数値 も掲載 した。表 中の「 路肩幅」 とい うのは両側溝 の内法 の距離で

,有

効路面幅であ る。

また「 両側溝外面 間距離」 とい うのは

両側溝 の外縁 間の距離 を指す。「 最深部心心間距離」

は側溝 の最 も深 い帯状 の部分 の相互距離を指 し,幅員計画寸法 に最 も近 い値 であ る。 これ らの

1)奈

良市教育委 員会 の中井 

,森

下恵介 の両氏 か ら資料提供 を受 けた。両 氏に感謝す る。

どイb

2)奈

良国立文化財研究所『 平城京左京八条一坊三

・六坪発掘調査報告書』1985。

間 路 条 ヽ 条

可 八 北

東三坊坊間 東 Jヽ 路

東一坊坊間 西 Jヽ 路

道路の復員

(7)

L 一

== 刊

﹃=

== 劃=

□ E

I□ □□□□□

[

□□匝□ □□ E

□□□□ □□ [

□□ □ □ □ □ [

□□□□

□ □ □□

□□□□□□

□□匝阻□□

匝□□□□□

□□□□□□

□□□□□□

E

□□□□□□ [ 匝□□□□□

[

□□□□□□

[

□□□□□□

[

□□□□□□

□□□□ 〓□□□

□□□□

□□□□ ■□□□

□□□□□□ [

同□□□□□ [

―七条大路

調 査 次 数 奈文研第88‑11次 奈良市1983 奈文研第93次

奈良市1982(東市第 3次)

奈文研第166次

囲 目 雷 目園 目

:

蛋 目 田 目田 目

:

□□□□ [

1匝 □匝□□□ [

│□ □□□□□ [

│[     □ E

□ 匝

西

Fig.70 東三坊坊間東小路の偏度 (No.イよTab.21と対応)

奈文研第166次

Fig,71 東三坊坊間東小路 と東堀河 との関係

‑17,122.844  1 東三坊坊間東小路心

‑17,125,760  1      

‑17,103,900  1      

‑17,107.680  1      

‑17,104.400  1      

‑145,797.000

‑‑146,608.000

‑‑148,768.000

‑‑148,950.000

‑‑149,366.400

Tab.21 

東三坊坊間東小路実測座標値 (No.は Fig.70と 対応)

(8)

﹂へ∞

↓群・中中 椒洋刈⑤沖 ・部副潔廿片錫う誤③障繋罰畑 ︵ZO再 句沖中 趙 併灘引︶

   (m)

I Ifl外

母 「

(m)

(m)296m (10小3552 (10大)444m 15小

32 8m斌

592n 20小7104m (20大)74m 25小

88mぷ

888n 30小10656m (30大1歩調 1 2 3 4 5 6 7

f一

43 76 79 6 85 4.4 72 74 75以 116 l1 05 11 05 74以 10 05

61 65 95 97

89〜90

60 83

△     △     △ 95‑9次 100次 1984 160次 1972 1984 14123次

西西西  Ll1/  

71 73 7 5 55 78 4 65 74 7 45 123以 10 65 Ю05以 10 1 10 7 6 1 10 4 8 75 90以 80〜85 00 5 45 8 65 8 55

133次 1419次 1983 1980 1981 124次 142次 18314次

f三 ̀十  (拡ILil前)      (拡) (拡)       (拡)

2,9 52 4 75 83 5 65 36 86 36 41 3 23 37 4 85 42 58 19 60 34 6 78 4.85‑ 5 7 100 7 25 5,4 48 56 68 70 60 50 53 68 35 68

○   ○           ○         ○

1037次 49次 184,186次 162次 17410次 1984 1979 1979 1983 橿 93次 93次 1986 086 168次 168次 f翻 西P各 西 西 西西

f三       (改)     (改)

54 44 28 5 05 53 47 48 1 9 5 45 2 78 48 40 49 3 18 4 35 72 24 47

7.6 81 4.8 10 05 85 9.07 7.4 56 8 35 58 65 67 85以 81 7 57 9 65 93 66 65 6 45 37 70 67 6 65 57〜60 3 75 70 4 5 57 5 1^‑ 6 0 71 5 65 6 0^ヤ 6 1 84 58 58

O

◎   ○       ○     ○

△△ △△△〇〇〇 〇△△〇〇

139次 10315次 1984 156‑2次 106次 15111次 86次 橿 184次 8811次 1982 93次 1982束 166次 10316次 1128次 西 西

(9)

数値が小尺お よび大尺完数値のどの範囲に分布 しているかを ○印で 示 したものが右の 10項 目 で,「最深部心心間距離」を◎で示す。 また

粥確に側溝を掘削 しなおしているものに○印,

1)

側溝 の改修痕跡 の認 め られ るものに△印を付 した。

この表 か ら同 じ道路で も地点において大 き く幅員が変化 してい ることがわ か る。た とえば条 間・ 坊 間路 の うち,地点 ご とに全 く幅員の異 なるもの として

,八

条条 間路,西二坊坊 間路をあ

げ る こ とがで きる。その他の ものは

,一

条条間路

,五

条条間路をのぞいて

,お

おむね25大尺 (30 小尺)の計画寸法 であ った ことがわ か る。八条条間路 と西二坊坊間路は,先述 の よ うに計 画線 は朱雀大路 のそれ と方位がほぼ一致 してお り

,精

密 に計画 され て いた ことが指摘 で きるが,幅

員 につ いては北 と南,東と西 で大 き く異 なっていた といえる。西二坊坊間路は,五条 と六条 と の間に唐招提寺,薬師寺 といった大規模 な寺院が介在 し

この南北 で道路幅員 に広狭が生 じた 可能性 も考 え られ る。 また,八条条間路 の幅員の広狭 は左京域 と右京域 との相異に起因 してい る ことも想定 で きるし,左京 八条三坊地 点の幅員が狭 いのは

この地 に想定 され る東市 の区画 内通路 であ ったため と考 えることも可能 であ る。

これ に対 し小路 は 一層多彩 であ り, と りわけ基準 となる 計画寸法 も 見いだす ことがで きな い。 しか も,地点 に よって切 らかに路面 幅の広狭 の認 め られ るもの として計

7例

が あ り

,検

出 例全体 に対す る比率は条間・ 坊間路に比 して きわめて高 い。

SF2000(八

条条 間南小路

)も

この

中に含 まれている。す なわ ち

,坪

境小路 は条 間・ 坊 間路 よ りも二級下位 の道路 であ り

,大

路や

1)Tab.22の

No.25。 37の数値データについて は

,奈

良県立橿原考古学研究所の松永博明氏か ら

坊 路 工 問 西 坊

八条条間路

rlヽ

Fig.72 条 。坊間路 と小路の検出位置図 (Nc.は

Tab.22と

対応)

提供を受けた。氏に感謝する。

r79

(10)

条間・ 坊 間路 で閣 まれ た各宅地 の状況に合わせて,幅員 が決定 され た ことが うかが え る。周辺 の土地利用状況に規制 され る度合 は,大路

,条

間・ 坊 間路 よ りもさ らに大 きか った もの と思わ れ る。実際の検 出例にみ られ る小路 の多彩 な偏度 と幅員 は,以上 の よ うな理 由に起因 した もの

とと らえることがで きる。

B  十二・十四坪内の地割

次 に,前節 で得た数値 を もとに

,十

三・ 十四坪四周の条坊道路心を推定復原 し

これを もと に坪 内の道路を も含めた各区画施設 の位置関係について考 えて見 よ う。 なお,条坊復原 にあた

って1ま次 の条件 を与 えてお く。

①   西一坊大路の国土方眼方位に対する偏度

,NO° 15′ 13″ W。

幅員

70大

尺。

②   十三 。十四坪坪境小路

(八

条条間南小路)の 国上方眼方位に対する偏度 ,EO°

20′ 57″ N。

③   八条条間路の国上方眼方位に対する偏度,EO°

16′ 53′

N。

④   八条大路の国上方眼方位に対する偏度

,NO° 15′ 41′

W。

幅員

70大

尺。

⑤   西一坊坊間西小路の国土方眼方位に対する偏度

,NO° 15′ 41′

W。

幅員

20大

尺。

⑥  l小 尺

=0.296m。

 1大 尺

=0.3552m。

坪 の 分 割

→ 3   爆扉

Fig.73 十三・十四坪四月の条坊 道路復原位置図 NO.│

1

2 3 4 5 6

Tab.23十

三 。十 四坪 四月 の条坊 道路心推定復原座標値

=J0

以上 の与件を もとに

,試

算 の結果 を ま とめた ものが Fig

73,Tab.23で

あ る。そ して,こ の成果を もとに十三・十四 坪 内の区画施設の 位置 を 図示 した ものが

Fig.74で

あ る。

なお図中の推定復原 した条坊道路 は,側溝 の中軸線 として 表示 してあ る。 また坪 内に図示 した一点鎖線 は,前述 の側 溝心 を基 準 とした坪 の分割線 を示す 。

これに よると

まず

,奈

良時代前半 に 比定 し得 る 築地

SA 1570,溝

SD 1860は,十四坪 を 東西南北 に はぼ

2分

割 す る位置 に存在 す る ことがわ か る。

 

また

SD 2082は ,SD

1860の 北へ坪の南北の1/4長の位置に存在 しているし

,SA

2034,1850は

,十四坪を東西に 1/4に 分割する線上に位置 している。すなわち,十四坪では坪内の区画施設 として築 地,溝 ,掘立柱塀を用い

これを四周の道路幅員を差 し引 いた坪の一辺の有効距離を

1/2,1/4,に

分害」する位置に設 定 していることが明瞭である。奈良時代前半期には

,坪

四 周の一辺の有効長を基準 とし

これを等分割する計画的な 区画割の行なわれていることが指摘できる。 しか し,築地

SA 1570以

外に顕著な閉塞施設はな く,十三・ 十四坪はそ

れぞれ一体的な利用が行われた と見て差 しつかえない。

これに対 し,奈良時代後半はどうであろ うか。 まず,八

条条間南小路が拡幅 され,区画施設 として

,SF 1970,1320

といった坪内道路が敷設 され,掘立柱塀に よって区画が細 分 されている。築地

SA1570の

位置を踏襲 して設定 され る

‑148,950,4281‑19,105.355

‑149,083.5321‑19,lo4.766

‑149,216.8251‑19,104.176

‑149,216.217十 ‑18,970.977

‑149,082.720 ‑18,971.568

‑148,949.7731 ‑18,972.156 坪 内 道 路

(11)

坪 内道路 SF 1970や

これをほぼ南 に延長 して施工 され る坪 内道路SF 1320は

,坪

を1/2に 割す る線上 に位置 している。十四坪 のSF 1970の東側 では

,SD 1860を

さ らに区画を強調す る 意味 で,後に掘立柱塀SA 1900に改 め

,SA1551,1716,1686を

1/8分 割線上に設定す る。そ して

SF1970の

西側 には,坪の東西1/4分割線上 に南北塀

SA 1548を

建設 し,南北 1/4分 割線 上 にほ ぼの る形で東西塀 SA 1571カ施工 され る。

SF 1970を

介 して

,SA 1571と

1556はや や 筋替 え て建設 され るが,両者 ともにお消むね1/4分割線 に一致す る と見て差 しつか えない。一方

,十

三坪では,坪内道路

SF1320の

西側 に

,坪

の南北 1/4分 割線上 にSA 1370,1371を 建設 して区画 割 を行 な う。 また

,SA 1434,1399は

東西 に1/4に分割す る線上 に位置す るもの とみ られ る。 以 上の区画施設を Fig.74を もとにみてみると⑥,①,③,◎ の宅地は坪全体の面積の約1/8あるい は1/16,①,① ,⑥ の宅地は約 1/32,そ してそれ以外は約1/2あるいは1/4にそれぞれ等 しいこと がわかる。そ して これ らの区画内には,小規模 な建物群 と井戸を

1基

ずつそなえている。 した が って

これ らの諸区画は細分化 された小住宅地 とみなしてまちがいないであろ う。各宅地を 区画する掘立柱塀は,おおむね坪を何分 の

1か

に分割する線上に位置 してはいるものの微妙に ずれているため,各宅地の面積にはおのず と広狭が生 じている。

すなわち,奈良時代後半は,八条条間南小路の拡幅や坪内小路の敷設など一段 と坪の区画割 が整備 され

これ らの道路に よって往来が可能 となった坪の中心部 まで もが,細かい小規模宅 地 に分割 され るようになった といえる。

‐―一――――――一一一― 八条条 間路

西

西

Fig.74 右京八条一坊十三 。十四坪の遺構 ユ期

,右

;Ⅳ期)

(12)

条 坊 条 坊 八   九

一爪  一呆

左 三 左 三

Fig。

75 

左京九条三坊十坪の遺構

         Fig.76 

左京八条三坊九坪の遺構 この ように坪内を細分 し,小規模宅地 としての区画を行なっている事例は,左京八条三坊や 左京九条三坊にも見ることができる。

Fig.75,76に

示す ように,左京八条三坊では約

1/16,そ

して左京九条三坊では,坪内道路を通 して さらに1/32に細分 された小規模住宅地がある。そ し て,いずれの宅地の区画施設 も,坪一辺の有効長を等分割す る線上に,おおむね一致 してはい るが,各宅地の面積には,微妙な大小のあることもわかる。 したがって

これ らの小規模住宅 地は

,1/2,1/4,1/8,1/16,1/32と

等比級数的に分割す るとい う,ある一定の規範の もとに施 工 されてはいるが

,場

合に よっては区画施設をず らして

,面

積の大小を生む結果 となっている。

Fig.76 左京八条三坊九坪の遺構

Tab。 18  平城京条坊実測座標値 (No.は Fig.67と 対応 )

参照

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