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土器 埋納遺構 の性 格

ドキュメント内 1  条坊 遺構 と地 割 (ページ 58-64)

漆紙文書

9  土器 埋納遺構 の性 格

平 城京 か らは既 に

,22例

に及が土器埋納遺構 が発見 されてい る (Tab.33)。 これ らは意 図的 に土器 を埋納 した遺構 であ り

,祭

祀 に伴 う埋 納 行 為 の結果であ る。 しか し土器 の内容物 が具 体 的 に判 明 した例 は半数 に満 たず

,い

か なる祭 祀 に ともな うものか不 明な もの も多い。本調査 区 か らも10基 の土器埋納遺構 を検 出 したが

,内

容物 の判 明 した もの

3基

に対 し

,不

明 な ものが7 基 老 占め る。後者 の性格 の究 明は今後 の課題 として,内容物 が判 明 した

3基

の うち,その構 成 や埋 納位置 か ら胞衣 の埋納や地鎮 め供養に伴 う遺構 と判断で きる

SX 1535と SX 1400に

関 し て

,若

千 の考 察 を行 な う。

胞衣埋納 の遣構

 SX1535は , 5枚

の和 同開林 と墨挺 1丁を中に納 めた有蓋 の須恵器杯 を, 小 穴 に安置 す る よ うに整然 と埋納 した遺構 で あ る。墨挺 の出土 は平城宮・ 京 を通 じ

2例

日で,

初例 も右京五条 四坊三坪 の土器埋 納遺構 SX030か らの出土であ り,本 例 との共通性が窺 え る。

SX030で

,薬

重形有蓋須恵器 の中に

,4枚

の和 同銭 と完形 の墨挺・ 筆管 をお さめた もので, 微 小 な骨片 と織物 齢目)も壷 の中か ら検 出 され て い る。

SX030の

性格 に関 しては,当初蔵骨 器 と 考 え られた力ぐ,その後

,町

 

章 の指摘 に よ り

,水

野正好氏 が胞 衣重 であ る こ とを論証 した 。 水野氏 は『 大記』『 玉薬』『 御産所 日記 』 とい った中世 の 日記 類 の中に,胞衣 の処置 に際 して 銭・ 墨・ 筆 をそ えて瓶子 に納 め る風習 がみ え

これが

SX030の

内容 と一致す る事実 を指摘 し,

中世 の胞衣埋 納 の慣行 が奈 良時代 に遡 る こ とを 明 らかに した。

今 回検 出 した

SX1535は ,土

器 が瓶類 では な く杯 で あ る点

,筆

を欠 く点が胞 衣壷 としての要 件 を欠 く。 しか し杯 は 口径20cm,器高

7.lcmの

大型 の杯

BIで

あ り,胞衣 お よび

SX 030出

3)

土品 と同程度の筆 な らば充分納め うる法量 の上器である。銭貨や墨挺の保存状況などか ら判断 す ると,有機質の筆は胞衣などとともに腐朽 して しまった とみるべ きであろ う。特に

,銭

文 を 上に して納め られていた

5枚

の和同銭は,『玉築』の「次入銭五文於白盗瓶子以文為上用歓」 と い う記事 と見事に合致 し,中世の胞衣埋納法が細部にいたるまで奈良時代の埋納法の軌範を継 承 した可能性を示 している。

したがって『玉薬』や『後産所 日記』を もとに

SX1535の

胞衣の埋納状況を推測すると

,杯

底に銭文を上に して

5枚

の和同開蕊銭を置 き,その上に絹で包んだ胞衣を据 える,次に胞衣 の 上に筆

1管

と墨

1丁

をそえ,蓋を して小穴に埋納する

といった埋納法を復原することがで き ょう。

SX1535の

Bは ,右

京五条四坊三坪 の SX030の薬重形須恵器 とほぼ同時期の

8世

紀 中葉に位置付け られ

この時期にはすでに胞衣埋納の慣行が祭儀 として一定の体裁を整 え

,平

城京内に広 く受容 されていたことを物語 る。

本遺跡におljる

8世

紀中葉の遺構は

,遺

構 の時期区分のШ期に相当し

,SX1535は ,十

四坪

1)奈

良国立文化財研究所『平城京右京五条四坊三

坪 発掘調査概報』1977。

2)水

野正好「 想蒼離記 (1)」『奈 良大学紀要』13, 1984。

3)胎

盤 の大 きさ

,及

び収納可能 な土器 の法量 に関 しては

,木

 忠『埋 甕一古代 の出産習俗』1981 Z9∂

に詳 しい。また

,東

京都八王子市の旧志村家敷 の 奥座敷床下か ら発見された胞衣埋納土器は, 日径 19.5cm,底 径6.9cm,高さ6.9cmの浅鉢で

,法

量的に本例に近似す る。土井義夫・ 紀野 自由「 い わゆるエナ処理用 カワラケ」『 貝塚』18, 1978参 照。

東半南端部の

1/32町

宅地に伴 う遺構 と考えられる。 この宅地の遺構には ,主 屋とみ られる桁行 4間 ,梁 間 3間 の東庇付南北棟 SB1534が 宅地の西奥部に建ち ,宅 地の南東隅に丼戸 SE1530 が掘 られている。土器埋納遺構 SX1535は 主屋 SB1534の 身舎東側柱の南第 2柱 穴に接 した位 置にあ り ,第 2柱 穴の東端部を切って埋納 されている。胞衣の埋納は ,民 俗例によると ,吉 方

1)

を選 んだ り

,建

物の出入 口に埋める場合が多い。

SB1534の

出入 口については推測の域を出な いが

,建

物が北に偏 して建て られてお り

,東

西塀

SA1551と SA1527で

区画 された宅地の南】ヒ 中軸線が建物の南端間のほぼ中央にあたる点や

,井

戸への往来の便を考慮す ると

,建

物の東面 南端間に出入 口を想定す るのが合理的な解釈 といえる。

SX1535は

民俗例にみるように

,建

SB1534の

出入 口にあたる庇部の空間に埋納 された もの と推察す る。本例は右京五条四坊三坪 の

SX030に

次 ぐ胞衣埋納遺構であ り,奈良時代の胞衣埋納の慣行が貴族や一部の官人層のみな らず

,1/32町

宅地に居住す る住民層まで広 く普及 していた ことを示す貴重な資料 といえようo

地鎮めの遺構

 

一方

SX1400は

,上記 の胞衣の埋納遺構 とはいちじるしく対照的な様相を示 す。埋納土器は直径

10cmほ

どの土師器小皿

4枚

これを小穴内に雑然 と埋納 し

,土

器の内 外に多数の和同開弥

,金

,ガ

ラス小玉

,鉄

片などをそえている。平城京内の上器埋納遺構の う

ち本例 に近似す るものに

,左

京二条六 坊十二坪 で検 出 した埋 納遺構

SX3150が

あ る。

SX3150

は一 辺

lmを

越 す大型 の長方形 上坑 の埋 土 中か ら

,34枚

にのば る土師器皿 と,金箔

,布

に包 ん だ銭貨 (高 年通賓・ 神功開賓

)8枚

以上 を 出上 した遺構 であ る。皿 は上坑 の底面 か ら大 き く浮 き

,表

裏 雑 然 と密集 した状 態にあ り

,土

坑 を埋 め る途 上 で これ らの品 々を埋納 した ことがわか る。

SX3150は複数 の皿

,金

,銭

貨 を埋納 す る点や

,そ

の埋納法 の類似性 か ら今回の

SX1400

と同 じ祭儀 に もとづ く埋納遺構 と考 え られ る。

金 箔や ガ ラス玉 は

,七

宝(金 。銀・ 真珠・ 珊瑚・琥珀・ 水晶・瑠璃)の うちの金 と瑠璃に相当 す る もので,奈良県 興福寺 中金堂や元興寺 塔 の基壇

,坂

田寺金堂 (講堂)須 弥壇 な どか ら発見 さ れ た埋 納物 中に も認 め られ る。 この よ うな七宝 の埋納 は,広義 の地鎮 め供養に伴 う鎮 め物 の埋 納 とみ られ

,造

営 に際 し

,土

地 神に種 々の宝物 を献 じ

,地

を乞 う裁許を得 る とともに

,未

来永 劫 の平 安 を願 う祭祀 とみ ることがで き よ う。 後 世

密教 に よって 整備 された 地鎮・ 鎮壇法 に

,五

,五

,五

,五

香 の埋 納 がみ られ る。

奈 良時 代 の地鎮 め供 養の実例をみ る と

,埋

納法 や埋 納 品の 内容 は実 に多様 であ り,後世 の事

3)

例の ような画一性を認めることができない。供養の対象や内容に関 して も多岐にわたると想定 され るが

,埋

納位置や埋納法

,埋

納品の構成などを もとに

,後

世の 密荻の地鎮め供養の修法 (地鎮・ 鎮壇 。結界・土公供 。鎮宅・安鎮 などの作法)から,具体的な供養を類推せ ざるをえな いのが実情である。そ うした中で

,1983年

に奈良県法隆寺の旧南門下か ら発見 された土器埋納 遺構 は

,土

師器椀の中に

2枚

以上の和 同開林 と金箔を納めてお り,本例に最 も類似 した内容を

もち

,西

院伽藍 の完成時 に行 なわれた後鎮 祭 に伴 う埋 納遺構 と考 え られ てい る。

1)木

 

忠「戸 口に胎盤を埋める呪術」『考古学 ジャーナル』42,1969。

2)奈

良女子大学埋蔵文化財発掘調査会『奈良女子 大学構内遺跡発掘調査概報Ⅲ』1986。

3)森

 郁夫「古代 の地鎮・鎮壇」『古代研究』28・

29, 1984。

4)法

隆寺『法隆寺 防 災 施設 工 事 。発掘調査 報告 書』1985。

以上 の よ うに

,銭

貨 とともに金 箔 。瑠 璃 を納 めた

SX1400は ,地

鎮 め供 養に伴 う埋 納遺構 と みて よい。埋納 された土師器皿Cには

,一

8世

紀前半代 の年 代 を与 え うる。

SX1400の

供 養 の対 象に関 しては

, I〜

Ⅱ期 の遺構 の中 に

SX1400と

関係す る特定 の建物 をみ いだ せ ない と こ ろか ら

, IoⅡ

期 の敷地 全体 に対 す る地鎮 め供養 とも考 え られ る。 しか し

,区

画割 の中に 占め る

SX1400の

位置につ いては

,現

段 階 ではなお不 粥な点が多 い。 さらに

SX1400で

付 言すべ き

条 坊 位 置

1内

1備

右京五条四坊三坪 右京八条一坊十三坪

右京八条一坊十四坪

左京二条六坊十二坪 左京三条二坊三坪 左京四条四坊十一坪 左京五条一坊八坪 左京五条二坊十四坪 左京五条二坊十四坪 左京五条五坊七坪 左京六条二坊十四坪 左京八条一坊三坪

須恵器壷A,同蓋 土師器甕

,皿 C

土師器皿

C4

土師器皿

C5

須恵器杯

B,同

蓋 土師器皿

C

土師器甕 土師器甕

,皿 C9

土師器皿

C5

土師器菱

,皿 C3

土師器皿C21 土師器皿

A34

須恵器壷

H

須恵器杯

B,同

蓋 須恵器董A,同蓋 土師器塞A,同杯蓋 須恵器壷A,同蓋 須恵器壷

H

楽賢 奎勃、 星 皿 C

土師器箋A,須恵器蓋 須恵器杯

F,同

蓋 須恵器杯

F,同

和 同開弥5・ 筆・

墨・骨・ 絹 な 

和 同開弥32以 上・

金箔・ ガ ラス玉6 以上・ 鉄片 な 

和 同開弥5・ 墨 な 

金 

な 

な 

な 

 

萬年通費 5以 上・

籍場開質 2以 上 和同開f/TN 2 和 同開弥2

 

し 和同開糸3 和同開弥5

 

金箔・ ガラス玉 な

 

 

神功開賓

SX1401 SX1535 SX1572 SX1578 SX1579 SX1589 SX1592 埋 納 坑 不 明 SX1593 埋 納 坑 不 明 SX3150 SX2982 SX14 SX48 SB18掘 SA05掘 底 部 穿子し 土坑

土坑 ISφ

(030

1:::│二 i:

13 14 15 16 17 18

19 158

151‑32 奈良市99 奈良市65 奈良市 1 奈良市148 奈良市9

橿考研

984

985

984

979

988

980 987

984

984

984

土坑

土坑 上坑 土坑 柱穴 土坑 柱穴 土坑

土坑

(文)

1.奈文研『平城京右京五条四坊三坪発掘調査概報』1977 2〜■

.本

12.奈良女子大埋蔵文化財発掘調査会『奈良女子大学構内遺跡発掘調査概報Ⅲ』1985 13.奈文研『平城京左京三条二坊三坪発掘調査報告』1984

14.奈良市『奈良市埋蔵文化財調査概要報告書

 

昭和60年度』1987 15,奈良市『奈良市埋蔵文化財調査報告書

 

昭和59年度』1985

16。 奈良市『奈良市埋蔵文化財調査報告書

 

昭和54年度』1980 17.奈良市『奈良市埋蔵文化財調査報告書

 

昭和63年度』1989

18.奈良市『平城京左京(外京)五条五坊七・ 十坪発掘調査概要報告』1982 奈良市『奈良市埋蔵文化財調査 センター紀要』1985

19.橿考研『大和を掘る‑1987年 度発掘調査速報展Ⅷ』1988 20〜22.奈文研『平城京左京八条一坊三・ 六坪発掘調査報告書』1985

 

本表の作成にあたっては奈良県立橿原考古学研究所松永博明氏

,奈

良市叛育委員会三好美穂氏の御教 示を得た。両氏に感謝す る。

200

Tab.33 

平城京の土器埋納遺構一覧

ドキュメント内 1  条坊 遺構 と地 割 (ページ 58-64)

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