1 . はじめに
陶淵明作品では、「我」「吾」が多用されている。陶淵明と時代が
く、現存する詩數が比較
い謝靈
陶淵明詩における「我」「吾」の使用は、謝靈 と比較すると、
いことが分かる。陶淵明の一人稱を (1) よりもずっと多 が陶淵明自身を指す場合について るのかによって二分することができる。本論文では、一人稱 稱は、まず、陶淵明自身を指すか、それ以外の人を指してい すると、その一人
作 うこととする。一人稱が 以外の他
二〇〇七年十二 究』『中國文學第三十三期十四頁―二十八 人稱については「陶淵明の假託詩における一人稱表現」(早 を指しているもの、特に假託表現における一 )に
べたので、そちらを參照されたい。 用使てし對されているのかについて シ」がタどのような事物と相ワ「一人稱ず本論文では、ま、
する。
に、「讀山 や 」一に見える「吾廬」「經」「我園中蔬」といった、植物我書 居に一人稱が付加されているものに
目して考察を行う。
2 . 對象に
目した分析
陶淵明作品における一人稱を集め、「ワタシ」と檢證してみると、一人稱には
のようなものがあるといえる。
①二人稱「アナタ」と對比して、「ワタシ」と言っているもの②二人稱「アナタ」以外の誰かと對比して、「ワタシ」と言っているもの
陶淵明詩文における自己肯定
一人稱について
大 立 智砂子
③ 命や時
など、自然の
言っているもの 行と對比して「ワタシ」と
どれも、「ワタシ」が自分自身を指す言
りながら、對象相手が變 わりはない。しかし、字義そのものは一人稱「ワタシ」であ であることに變 シ」がどのように表現されているのかは することによって、そこで「ワタ
なっている。
まずは、①の、二人稱「アナタ」に對する「ワタシ」の例として、「擬古」三を
げる。
「擬古」三仲春遘時雨、仲春時雨 (2)に遘い始雷發東隅。始雷東隅に發す。衆蟄各潛駭、衆蟄各の潛駭し、
木從舒。
先 雙雙として我が廬に入る。雙雙入我廬。 翩翩新來燕、翩翩たり新來の燕、 木從に舒ぶ。
故 在、先
故より もと
相將 お在り、
舊居。相將いて舊居に
る。 門庭日 自從分別來、分別してより來、
蕪。門庭日々に
我心固匪石、我が心固より石に匪ず、 ・・・・・ 蕪す。
君
定何如。君が
定めて何如。 ・・・・・
二
の
ば、春の雨が
に轟いている。たくさんの蟲が、それぞれ( り、春の初めの雷が東の空の彼方
でいたのが 潛ん眠して)
いて目覺め、
木は縱
に枝 ひとつがいと私の廬へとやってきた。昨年使った ひらひらと飛んでくる、やってきたばかりの燕。ひとつがい、 を伸ばしている。
まま存在しており、 はもとの
れ立って古
たと)別れてから、庭が日々、 へと歸ってきた。(あな 心は、ぐらついたことはありません。あなたの れています。私の(隱棲の)
は燕が古 この詩は、私の心とあなたの心が對比されており、私の心 ていかがでしょうか。 は、果たし にまた
い ってきたように、本來の
みかを
れることはないけれど、果たしてあなたは如何でしょうね、と些か皮肉を
めて詠じた詩である。末尾の「我心固匪石、 ・・
君
定何如」において、「ワタシ」の心と「アナタ」の
が ・・
對比されている。元來、「ワタシ」と「アナタ」を對比させ 中國詩文論叢第二十八集
2
るのは最も基本
その例を見ることができる。例えば、鄭風「子衿」では「 な對應關係である。『詩經』にも、數多く
子衿、悠悠我心。縱我不
、子
不嗣
( たる子が衿、 ・・・・・・・・・
悠悠たる我が心。縱え我
かざるも、子
ぞ を嗣がざる)」と詠 ・・・・・
じられ、「子」「我」と「我心」「子衿」の對が作られている。「ワタシ」と「アナタ」は、古來からの傳統
が、では、陶淵明「擬古」三に直接影 な對である のだろうか。晉の を與えた作品はある 曲辭「
に影 歌」には、陶淵明「擬古」三 を與えたと思われる表現が見られる。
淵冰厚三尺、淵冰厚きこと三尺、素
千里。素
千里を
我心如松柏、我心松柏の如し、 ・・・・・・・・・・・・ う。
君
復何似。君
復た何にか似たる。 ・・・・・・・・・・・・・・・
「
歌」
「我心如松柏、君
復何似」は、陶淵明の「擬古」に非常 ・・・・・・・・・・
によく似た對句となっている (3)。陶淵明で「固匪石」と表現されている箇
は、「
「固匪石」は、る。『詩經』 歌」では「如松柏」と表現されてい
風・柏舟に「我心匪石、不可轉 子罕に「嘔 ように轉がり動くことがないという。「如松柏」は、『論語』 るなり。我が心は席に匪ず、卷くべからざるなり)」とあり、石の 也。我心匪席、不可卷也(我が心は石に匪ず、轉ずるべからざ
、然後知松柏之後
也(嘔
柏の後れて くして、然る後に松 」というように、松や柏の木が、むを知るなり)
の心が不變であるのを詠じている。「 になっても衰えることがないのをいう。どちらも「ワタシ」
歌」は
陶淵明「擬古」は春の歌であることから、 の歌であり、
ら轉がることのない石へと表現を變 さに耐える松か 陶淵明「擬古」三と「 させたのであろう。
るが、さらに 歌」は、このように似た表現があ
の相和歌辭「
歌行」からの影
るようである。「 も受けてい 卷三十九に見える。 歌行」は『玉臺新詠』卷一、『樂府詩集』
「
翩翩堂 歌行」
燕、翩翩たり堂
の燕、 ・・・・・・・・・・・・・
藏 來見。
藏るるも
故衣故衣誰當補、誰か當に補わん、 流宕して他縣に在り。流宕在他縣。 兄弟兩三人、兄弟兩三人、 來たりて見わる。
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
新衣誰當綻。新衣誰か當に綻わん。
得賢 人、
さいわいに賢
水 且らく眄ること勿れ、ぐ卿に語語卿且勿眄、 つ して西北より眄る。斜柯斜柯西北眄。 (4) 門より來たり、夫壻夫壻從門來、 覽取して我が爲に綻う。覽取爲我綻。 人を得て、
石自見。水
石見何 まば石自から見る。 すあらわ
、石見るること何ぞ あらわ
たる、
行不如歸。
行歸るに如かず。
「翩翩堂
燕」から始まるこの詩は、
る。 のような容であ
先にいる作
は、衣のほつれを「賢
人」、賢い女
人に繕ってもらう。それを見かけた女
ころから、こちらを疑いの目で見ている。そこで作 人の夫が、離れたと
いることよ。 に見ることができる。水底の石は、なんとも累々と重なって いう、そんな目をしなさるな。水が澄めば、水底の石も自然 はこう く ゆくことは、歸るのには
「 ばないのだ。
歌行」の第一句「翩翩堂
燕」は、最
句「
歸」と 行不如
い繋がりをもっている。燕は
にその くなるが、 をみられな になるとまたやってくる。ところが、兄弟は他
へ行ったまま歸ってこない。そして女
眼差しを向けられた時、水が 人の夫から疑いの 底にある意圖もはっきりするというのである。「石見何 は自ずからはっきり見えるという。心を澄ませれば、心の奧 らかならば、その底にある石
は、作 」
る事を言っている。その心とは何か。それは、女 の心の奧底にある意圖が、非常にはっきりとしてい
人への
な思いではない。衣を繕ってくれる親しい人のいない他
在り、女 に
人の親切によって故
へ歸りたいと思う、
心が引き の
こされているのである。それが最
句「
歸」なのである。したがって、第一句「翩翩堂 行不如 てもまた歸ってくる燕を詠じているのであるから、最 燕」は、去っ
「 句
行不如歸」という作
陶淵明の「擬古」三は、この「 の心とぴったり重なるのである。 (5)
歌行」の「翩翩堂
燕」 ・・
句を受け、「翩翩新來燕」と表現している。いささか文字が ・・
變わっているが、陶淵明「擬古」三はやはり燕が古
てきたことを詠じている。つまり「翩翩堂 に歸っ 燕」どちらの句にも、 燕」「翩翩新來 く 行く 淵明「擬古」三は、「 というメッセージを含んでいるのである。このように、陶 (6) に對して、「歸るべし」
歌行」で古
へ さらに「 ってくる燕を詠じ、
行不如歸」と詠じる
先の男の心を持ち出し、最 中國詩文論叢第二十八集
4
後に「さて、そこであなたの心は、いったいどうなのですか」という「
歌」の問いかけをしているのである。「
引用に加え、さらに「 歌」の
「君 歌行」の句を使用することによって、
陶淵明「擬古」三には、作 いる。 定何如」という問いを、ずっと重みのあるものにして
から讀
ジが て、「アナタはどうなのか」というやや皮肉っぽいメッセー である「君」へ向け
められている。「君」は、おそらく、陶淵明との個人
がある。 た人物に對して使われるものや、家族に對して使われるもの 「アナタ」とを對應させているほか、作品中で知り合いになっ 陶淵明作品には、このように友人や知人に對して「ワタシ」 交友關係にある誰かを指しているのであろう。
感子漂母惠、子の漂母の惠に感じ、 ・・
愧我非韓才。我の韓才に非ざるを愧づ。 ・・
「乞
」
嗟我與爾、特常
。
妣早世、時
孺嬰。我年二六、 ・・・
爾纔九齡。 ・
(ああ、我と爾、特 ただに常
にる。
妣早世し、時に じひ
お孺嬰 ・・
なり。我は年二六、爾は纔 ようやく九齡) ・・
「祭
氏妹文」
「乞
」は、
料が盡き、あてもないまま人家を訪ね、
を乞ったことを詠じた詩である。
えた作
に家の
人は
料を惠み、酒席を設けてくれる。その恩に感じ、感謝の心を詠じた箇
が上に
踏まえられている。韓信は貧しかった時、漂母に げた二句である。二句には韓信の故事が
もらった。韓信はやがて出世し、後に漂母に恩 を惠んで
いう。陶淵明の二句はこの故事を踏まえ、「あなたの漂母の ・・・ しをしたと
ような惠みに感じいっていますが、私には韓信のような才能 ・
がないことを愧ずかしく思う」と詠じている。ここにも、「アナタ」「ワタシ」の相對
「祭 な關係が存在している。また、
氏妹文」は、
文である。ここに 家に嫁いだ妹が死去し、彼女を祭った
「祭文」にはほかに「祭從弟の對應關係が見られる。 一貫して妹を「爾」と呼んでおり、一人稱「ワタシ」と「爾」 げたのはほんの一部であるが、作品中は
と「爾」の對應關係が見出せる。死去した親戚に對する祭文 があり、こちらは從弟を一貫して「爾」と呼び、「ワタシ」 文」
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
では、「ワタシ」と「爾」が非常に多く用いられている。「祭文」における二人稱「爾」は
き人に對する感
作品のなかには、 いえよう。 な表現と のもある。先にあげた「乞 中から「アナタ」の呼稱が使われるも
「 」はそのひとつである。最初は どの二人稱に變 るのである。このように、作品中で呼稱が「爾」や「君」な 人」という呼稱が使われ、その後、「子」が使用されてい
していくものをにあげる。
「擬古」五東方有一士、東方に一士有り、 ・・・・・・・・・・・・
被
常不完。被
三旬九 常に完からず。
、三旬に九たび
に
十年 い、
一冠。十年一冠を
辛 く。
無此比、辛
我欲觀其人、我其の人を觀んとして、 ・・・・・ 常有好容顏。常に好しき容顏有り。 此に比する無きも、
晨去越河關。晨に去りて河關を越ゆ。
松夾路生、
白雲宿簷端。白雲簷端に宿る。 松路を夾んで生じ、 上絃 取琴爲我彈。琴を取り我の爲に彈ず。 知我故來意、我が故來の意を知り、
別鶴、上絃は別鶴を
願留就君 下絃操孤鸞。下絃は孤鸞を操る。 かし、
、願わくば留まりて君
に就き、 ・・
從今至
。今より
に至らんことを。
「擬古」五では、まず「東方有一士」として人物が紹介される。作
陶淵明は「其人」に會いたいと思い、
びいており、高 越えて出かけてゆく。その人の家は松が生え、白い雲がたな く山河を な人であると分かる。作
投合し、「君」の はその人と意氣 有一士」「其人」「君」のように、呼び名が變 まいにしばらく留まりたいという。「東方
「君」という、相手への語りかけの口 に、お互いを知り合い、琴によって分かり合ったあとは、 しており、特 になっている。個人 で詠うものは、 「我」や「君」などの「ワタシ」と「アナタ」の對應關係 けとして「君」が使用されているのであろう。 な、相互の關係が結ばれたことによって、一對一の呼びか
史
に見ると男女
における思
詩の中に多くみることができる。男女の戀歌は、個人 を詠じた
な相 中國詩文論叢第二十八集
6
互關係によって詠われるものであるから、相手への語りかけに二人稱が使われるのは自然なことである。先に
ては、そもそも男女 經』鄭風「子衿」はその一例である。しかし、陶淵明におい げた『詩 の思 人・血 を詠じる詩が少なく、知人・友 のが らに對して「ワタシ」「アナタ」と詠じているも 流である。しかし、女性への思
を詠じた「閑
意が必は使われていない。この點は、 には、「余」という一人稱は見えていても「君」等の二人稱 賦」
が「ワタシ」「アナタ」と詠じるのは、知人・友人・血 であろう。陶淵明
が
流となっている。
いるものは、世の中や人一般など、不特定の他人である。 と言っているものについて考察する。「ワタシ」と對比して に、②二人稱「アナタ」以外の誰かと對比し、「ワタシ」
歸去來兮。歸りなんいざ。
息交以
游、
う交を息めて以て游を
世與我而相 たん、
。世と我は相い
る。 ・・・・わす
「歸去來兮辭」 「歸去來兮辭」では、「ワタシ」と「世」との對比がなされており、これらは、他人と自分を比較し、他人と比べて自分はどうなのか、ということが示されている。多くの場合、自分は他人と
先に考察した①「ワタシ」と「アナタ」では、作 じられる。 なることが示され、その後に自己の獨自性が詠
との と對象
に比較
緊密な繋がりが存在していた。例えば、血
關係や、友人知人の關係である。
史 が見られる。それは、兩 じる詩においても、「ワタシ」から「アナタ」への呼びかけ に見れば、戀愛を詠 の
に、親密で個人
ある誰かには會ったこともなく、 に對するものは不特定の他人である。「ワタシ」は、相手で ばれているからに他ならない。しかし、②では、「ワタシ」 な關係が結 然としたイメージや
例えば、世の人の生き方や、世 と對比して、「ワタシ」自身を語りだしている場合が多い。 念
一般の價値
など う たものに對し、「ワタシ」の意見としてはこうである、とい 然とし
合である。
に、「雜詩」四を
「ワタシ」との對比がなされている。 げる。「雜詩」四では、「丈夫」と
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
丈夫志四
、丈夫四
に志すも、 ・・・・
我願不知老。我は願う老を知らず。 ・・
親戚共一處、親戚一處を共にし、子孫
相保。子孫
觴絃肆 って相い保つ。
日、觴絃
日を肆にし、
中酒不燥。
中酒燥かず。 かわ
帶盡歡 、帶を
めて歡
を盡くし、
眠常早。
きるは 孰 く眠るは常に早し。
當世士、孰 いず
氷 ぞや當世の士、 れ 滿懷 。氷
懷 用此空名 百年歸丘壟、百年丘壟に歸するに、 に滿ち、
。此の空名を用って
みちびかるるを。「雜詩」四
陶淵明の「雜詩」四の大意は、
男というものは、四 のようである。
私の願いは のような廣大な志を持つというが、
一同、同じところに のようである。年をとっても氣にならず、親戚 み、子孫は助け合っている。
觴に樂 な夕な、
帶を にきままに樂しみ、樽の中の酒は盡きることがない。
めて樂しみを盡くし、
きるのはゆっくりであり、 眠るのは早い時
が、やれ名 がよい。どちらがよいだろうか。當世の士 、やれ利
ば で心の中をいっぱいにし、百年經て の中にいるというのに、
名によって
意見が 陶淵明の「雜詩」四では、「丈夫」に對する「ワタシ」の は。 かれているのと べられている。實はこの「大夫」は、曹植「
王彪」詩の「丈夫志四 白馬 」を引用したものである。それでは
に、曹植「
白馬王彪」の一部をあげる。
丈夫志四
、丈夫四
に志し、 ・・・・・・・・・・・・・
萬里
比 。萬里
お比 在 恩愛苟不虧、恩愛苟しくも虧かざれば、 のごとし。
分日親。
何必同衾 きに在りても分日々に親し。
、何ぞ必ずしも衾
然後展慇 を同じくし、
。然る後に慇
憂思 を展べん。
疾疹、憂思疾疹と
能不懷 倉卒骨肉、倉卒たり骨肉の、 無乃兒女仁。乃ち兒女の仁なる無からんや。 るは、
!辛。能く
曹植「 !辛を懷かざらん。
白馬王彪」 中國詩文論叢第二十八集
8
すると以下のようである。男というのは四
大な志を持つ、だから ほどの廣
里でさえも
愛のが失われることなければ、 のようなもの。恩 の本分に親しむことができる。どうして、必ず寢 くにあろうとも、日々そ
きを一
にして、はじめて懇ろになれるなどということがあろうか。憂い惱んで病氣になるのは、女や子供のけ心である。(しかし)あわただしくも兄弟
曹植「 ろうとは、(これを)つらく思わずにいられない、と。 で、離別のが生じることにな 白馬王彪」では、男というのは廣大な志をもち、
里をも
とし、妻子と離れて
らしていても恩愛を
れなければ、問題ではないという。一方、陶淵明の「雜詩」四は、これに反駁を加える形となっている。曹植は「何必同衾
、然後展慇
」と言い、離れて家族が離れることも困
としないことを詠じているが、これに對して陶淵明は「親戚共一處、子孫
陶淵明の反駁は、第二句にある「我願」以 相保」と眞っ向から反對している。
、第八句「
眠常早」までである。老いを氣にせず、親戚は同じ處に
み、子孫は助け合い、酒や
ことなく、帶を 樂を好きに樂しみ、酒は盡きる めて樂しみをなし、早く寢て遲く
と、それが曹植の きるこ
げる「丈夫」に對する「我」の願いなの である。袁行霈『陶淵明集箋
』では のように指摘する。
以「丈夫」與「我」對舉
「丈夫志四 ,
」
冰則「 ,
懷 滿
」
而 ,
得不 「空名」而已
處」 「親戚共一我願與 ,
以安享天年耳。 ,
曹植の提示する「丈夫」の生き方に對し、私の願いはこうである、と陶淵明は
!なった幸
方や考え方が、世の中一般の人々と "論を展開する。自分の生き ているのである。 それによって、このように「ワタシ」と他人の比較がなされ !なっていると自覺され、
に、③
#命や時 られている例を 等、人以外に對して「ワタシ」が詠じ
げる。①や②で
げた「ワタシ」は、人
同士の關係性の中で發せられる「ワタシ」である。つまり對人關係がそこには存在しており、家族に對する「ワタシ」、あるいは世の人々に對する「ワタシ」が詠じられていた。③では、人に對して「ワタシ」と言っているのではなく、日
$
や
#命などに對して「ワタシ」というものである。
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
善萬物之得時、萬物の時を得たるを善しとし、 ・・・・
感吾生之行休。吾が生の行く休すを感ず。 ・・・
「歸去來兮辭」
日
有 、日
有るも、 ・・・・
我去不再陽。我去れば再び陽ならず。 ・・
「雜詩」三
「歸去來兮辭」では、「
せている。 物」と「ワタシ」の人生を對比さ 生命が死にむけて 物がその時を得て再び榮えるのに對し、自己の んでいくことに對する感
「雜詩」三では、る。また、「ワタシ」と「日 ここには、「萬物」と「ワタシ」との對應關係が存在してい を詠じている。
」の 比している。日 行を對 の るものである。しかし、私という人 行は、去ってもまためぐってってく
去れば、もう二度と歸っては來ない。めぐりゆく「日 は、一度(この世を)
ながら、一方で、人 これらの「ワタシ」は、個人としての自分自身を指してい 對し、死ねばそれきりである「ワタシ」を詠じている。 」に 體の 例えば、「雜詩」三の「日 を背後に見出すことができる。
有
、我去不再陽」において、 「日
」に對する「我去不再陽」の感
は、作 個人の感
でありながら、人一般に共
する いるのであり、 命によってもたらされて 人に共 する感 まり、人 と見ることができる。つ 以下に、もう少し詳細に考察するため、「雜詩」三を の一員としての「ワタシ」を詠じているのである。
て
げる。
「雜詩」三榮
久居、榮
久しく居り
く、
衰不可量。
昔爲三春 衰量るべからず。
、昔は三春の
今作秋 爲るも、
。今は秋の
嚴霜結野 と作る。
、嚴霜野
日 枯悴未遽央。枯悴して未遽だ央きず。 いま に結び、
有 、日
に 有るも、 ・・・・
我去不再陽。我去れば再び陽ならず。 ・・
眷眷
昔時、眷眷たり
憶此斷人腸。此を憶えば人の腸を斷たしむ。 昔の時、
榮
榮 は長く續くものではなく、榮枯
衰は量り知るこ 中國詩文論叢第二十八集
10
とができない。昔は春の
く だったのが、今は秋となり となっている。嚴しい
の霜が野
に 態がいまだ盡きることなく續いている。日 り、枯れはてた は繰り ぐって來るが、私はひとたび去れば再び しめ
ってこない。
を振り 時
この詩では、 りつつ、このことを思うと、斷腸の思いである。
日というものが、繰り
るのに對し、「我」は一度死んでしまえばもう生き しめぐるものであ
それは人と同時に、 が無いと言っているのである。「我」は、陶淵明個人である ること てに共
する は作 命といえる。「我」
を指しながら、實は水面下にある人
んでいるのである。それは、最 體をも廣く含 句「憶此斷人腸」で、「人」 ・
が使われていることにも端
に見ることができる。
ぐっても、死ねばもはや生き 日がめ ることは無い。それは人
普 の
「我」につながるのである。と「人」は、個別の字義は 命であり、だからこそ、「人」の腸を斷つという表現
ているが、このように非常に なっ このように、 い意味を持つことがある。 (7)
物や日 人 今ここで生きている個人としての「ワタシ」の意味に加えて、 に對比するときの「ワタシ」は、
としての宿命を背負う
、すなわち人
の代表
の「ワタシ」という意味を持つことがある。これは、これま として 「ワタシ」の二つが、個人として相手との關係性を でみてきた①「アナタ」に對する「ワタシ」②誰かに對する
るのに對して、比較 く有す 大きな いということができよう。
一人稱に
樣々な意味合いが 目すると、その對比する對象との關係のなかで、
められていることが分かった。基本
對應關係に に、
とができるが、この他にも、自分自身をさらに 目すれば、上記①②③のような傾向を見出すこ
ようとする表現が見出せる。その例として、「榮木」四を く印象づけ
げる。
「榮木」四先師
訓、先師
余豈之 訓あり、
。余豈に之を (8)
とさんや。 ・・
四十無聞、四十にして聞く無きは、斯不足畏。斯れ畏るるに足らず。脂我名車、我が名車に脂さし、 ・・
策我名驥。我が名驥に策たん。 ・・
千里雖遙、千里遙かなりと雖も、孰敢不至。孰か敢えて至らざらんや。
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
先師である孔子は訓戒を
ることができようか。(孔子は)四十 し、私はどうしてこれを棄て去
に油をさし、私というすばらしい馬に鞭打とう。千里は遙か かなければ、畏るるに足らずといった。私は自分という名車 になってその名を聞
いけれども、到
第二句の「余豈云 できないことはない。
に對して使われている。第五句と第六句「脂我名車、策我名 ・・ 」の「余」は、先師(ここでは孔子)
驥」二つの「我」は、同じ字を繰り
奮い立たせ、自己を すことで、自分自身を している。さらに、繰り
詩 しによる
されているのかに 以上のように、一人稱には、何に對して、どのように使用 なリフレーン效果も加わっている。
とが分かった。そしてさらに、以下にあげる「讀山 目すると、樣々な表現がなされているこ
一には、これらの基本 經」其
用法とはまた
いるようである。 った表現がなされて に「讀山
「ワタシ」についての考察を行う。 經」其一で使用されている
3 . 「讀 山
經」其一に見る一人稱について
「讀山
孟 經」一
木長、孟
木長じ、 吾亦愛吾廬。吾も亦た吾が廬を愛す。 ・・・・・・・ 衆鳥欣有託、衆鳥託する有るを欣び、 遶屋樹扶疏。屋を遶りて樹扶疏たり。
亦己種、
に 時 し亦た己に種え、
讀我書。時に
りて我が書を讀む。 ・・・・・
窮巷
深轍、窮巷は深轍を
歡然 頗迴故人車。頗る故人の車を迴らす。 て、
春酒、歡然として春酒を
摘我園中蔬。我が園中の蔬を摘む。 ・・・・・・・・・・ み、
雨從東來、
汎覽 好風與之倶。好風之と倶にす。 雨東より來たり、
王傳、汎く覽る
流觀山 王の傳、
圖。流觀す山
俯仰 の圖。
宇宙、俯仰して宇宙を
不樂復何如。樂しまざれば復た何如ん。 う、
初
、 木は生長し、家屋をめぐって樹木が
たしの廬を愛す。すでに 鳥たちはその身を託すところがあるのを喜び、私もまた、わ っている。
作を行い、また種をまき
ので、時に家に歸って我が書物を讀む。路地の奧は、車の わった
中國詩文論叢第二十八集
12
來がないので轍も刻まれず、知人も車をめぐらせ我が家には至らない。嬉しい氣分で春にできた酒を
た野 み、私の畑でとれ を摘む。小雨が東より
ともなう。『 ってきて、心地よい風は雨を 王傳』を廣くながめ、『山
仰の 圖』を眺める。俯 この詩では、一人稱が四箇 樂しむというのか。 に宇宙を極める、これを樂しまないで、いったい何を
使用されている。第四句「吾 ・ 亦愛吾廬」、第六句「時讀我書」、第十句「摘我園中蔬」で ・・・
ある。「ワタシ」を繰り
己を すことによって、「ワタシは」と自 したり、自己の獨自性を
ず、それぞれの留意點について確 しかし、そのほかにも表現するところがありそうである。ま していると考えられる。
しておきたい。
〔留意點A〕「吾亦愛吾廬」における、一人稱の繰り
しに ・・
ついて第四句「吾亦愛吾廬」は、第三句「衆鳥欣有託」と對句と ・・
なっている。鳥はその身を託するところを得て喜び、私はその愛する
第四句「吾亦愛吾廬」では、一句五字のなかで、「吾」字が ・・ としての、自分の廬を愛するという意味である。
二回も繰り
されている。 一句
ものは、古くは『詩經』小 で、「ワタシがワタシの何かを」という表現をする
・出車「我出我車、于彼牧矣。 ・・・・
自天子
、謂我來矣(我我車を出だす、彼の牧に。天子の
よ ・・・・・・・
り、我に來れと謂う)」見ることができる。同じ言
を一句
で敢えて二度使うことで、言
の
子を整え、歌
良い としての
きをもたらしている。『詩經』では、一句
を繰り に同じ字
す表現がよく見られ、小
ある。陶淵明の「吾亦愛吾廬」も、繰り (9) の「出車」はその一例で
しによる效果を ・・
生み出していると考えることができよう。また、自分自身が、自分自身の廬を愛しているということを明示している點にも
意しておきたい。自己が自己の
かを愛すという事は、 み い自己肯定の表現といえる。
〔留意點B〕「廬」「書」「園中蔬」と一人稱「ワタシ」の結 ・・・・・
びつき第四句「吾廬」について。第三句の「有託」と第四句の「吾廬」は、共に身をおちつけるところである。「廬」には、「吾」がわざわざ付されている。詩の大意を理解する上ではこの「吾」はなくても
じる箇
である。
欽立『先秦
晉南北 魏
詩』(中
書局一九八三年)を
べると、僅かに辛
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
年が「我廬」という言
陶淵明以 を使用しているものの、その他に 辛なかった。 に「我廬」「吾廬」を使用しているものは見られ 年の詩は「
林 」と題されているもので (
ある下僕が酒屋の娘をからかったが 、 )
る。「我廬」が使用されるのは、酒屋の娘の家の まれるというものであ
役人が を立な
りかかる場面で、「不意金吾子、娉
我廬」と詠 ・・
じられる。陶淵明が「讀山
經」で、身を
ち ける場
して「吾廬」といっているのとは、 と 淵明には「讀山 なっている。また、陶 先入我廬。 廬」という語も見られる。「擬古」三の「翩翩新來燕、雙雙 經」一で使用される「吾廬」のほか、「我 故 在、相將
舊居」である。「廬」にわざわ ・・
ざ一人稱を付けて詠じているのには、陶淵明
第六句「我書」について。「我書」を讀む動作 と言えそうである。 な一つの表現 て、ワタシの書を讀む」という意味である。 されていないが、私自身である。「時に、歸宅し(ワタシは) は、明示 愛吾廬」と同樣、一つの句の中で「ワタシ」が二度繰り 上は「吾亦
れる さ
である。「我書」とは、
體
『山 には、題名にある 經』を指し、また第十三、十四句にある「汎覽
流觀山 王傳、
圖」の「
王傳」「山
圖」を指している。ここで、 「
王傳」「山
「我書」と詠じているのであろうか。『先秦 圖」に對し、なぜ「我」をわざわざ付加して
魏晉南北
では、「我書」を使用しているのは陶淵明の「讀山 詩』
例のみであり、「吾書」については、 經」一
「ワタシ」が、私の畑 ( 第十句「園中蔬」について。上記と同樣、明示されない た。 く使われていなかっ
「蔬」とは、野を指している。わざわざ、私の畑の野と ・・ にできた「蔬」を摘むと詠じている。 )
いうのはなぜであろうか。「蔬」は、晉以
るようである。『先秦 !、詩に詠じられ 魏晉南北
詩』には、張載「登
"
# 白菟樓」の「蹲鴟蔽地生、原隰殖嘉蔬(蹲鴟 そんし地 (
を蔽いて生じ、 ・・$)
原隰嘉蔬殖 ふゆ)」、支遁「詠懷詩」の「霄崖育靈藹、
%蔬含 ・・・・
潤長(霄崖靈藹を育 はぐくみ、
%」、支遁「蔬潤を含んで長ず)
&懷 ・・
詩」の「
'足戲流瀾、
()銜
%蔬(足を
'ぎて流瀾に戲れ、
)
・・
を
(りて
%」、湛方生「後齋詩」の「茹彼園蔬、飮此蔬を銜む) ・・・・
春酒(彼の園蔬を茹 くらい、此の春酒を飮む)」の四例が見られた。 ・・
張載の「蔬」は、祭禮における稻の別稱であり (
「 、支遁の *)
%蔬」は
%仙や
%靈といった超俗
、超人
+な植物の
,
寫として
自家栽培の野とはかけ離れたイメージで ,かれている。どちらも、陶淵明のいう畑に植えた
,かれている。と 中國詩文論叢第二十八集
14
ころが、湛方生の「後齋詩 (
」は、陶淵明の )
の生活風景に いている田園
湛方生「後齋詩」を い詩であり、「園蔬」の意味もよく似ている。
げる。
解纓復
、纓を解きて
辭 に復り、 かえ
歸藪。
宅不盈畝。宅は畝に盈たず。 門不容軒、門に軒を容れず、 を辭して藪に歸る。
籠庭、
庭を籠め、
拂 。
茹彼園蔬、彼の園蔬を茹い、 ・・・・くら 攜我親友。我が親友を攜う。 撫我子姪、我が子姪を撫し、 を拂う。
飮此春酒。此の春酒を飮む。開櫺攸瞻、櫺 れんを開きて攸かに瞻、坐對川阜。坐ろに川阜に對す。心焉孰託、心焉 ここに孰 (
素 託心非有。心を託すは非有なり。 にか託さん、 )
易 、素
玄根 き易し、
朽。玄根朽ち
し。
之匪 、 ち之れ
湛方生「後齋詩」 可以長久。以て長久たるべし。 きに匪ず、
湛方生「後齋詩」と陶淵明「讀山
と、 經」一を比較してみる
居が世俗から
たっている事(陶淵明「窮巷
、自宅に豐かに湛方生「門不容軒」) 深轍」、
する木(陶淵明「孟 木長、遶屋樹扶疏」、湛方生「
籠庭、
拂
ついての言 」)、友人に
があることも共
している(陶淵明は「頗迴故人 ・・
車」といい、友人すらなかなか訪れないとされているが、湛方生は「攜我親友」と詠じている。ともに友人への言
。そして、である) ・・・
蔬
と春酒について、陶淵明は「歡然
春酒、摘我園中蔬」 ・・
・・・
といい、湛方生は「茹彼園蔬、飮此春酒」といっており、兩 ・・・・
酒」と「蔬」で對句を作っていることは は非常によく似た表現をしている。陶淵明も湛方生も「春
湛方生詩の題名「後齋」とは、長谷川 意すべきである。
『東晉詩譯
に、「後方の部屋。離れ座(汲古書院一九九四年) 』
陶淵明のように「廬」とは言っていないが、そこに 」とある。
いる景や居 かれて
!境、たたずまいなどは、「讀山
經」と一
"するところが多い。湛方生「後齋詩」の
く家の 寫は、
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
陶淵明のそれと非常に
『東晉詩譯 いといえる。
』は、湛方生「後齋詩」「茹彼園蔬」の「園蔬」 ・・
について、『後
書』卷六十四・
傳を引く。『後
書』
傳には
のような
話を載せる。
在膠東九年、齊相、大將軍梁冀表爲長史。
太尉李固、 冀誣奏
聞而
坐、爲冀章 見、與冀爭之、不聽。時扶風馬融在
、
因謂融曰「李公之罪、
於卿手。李公
誅、卿何面目見天下之人乎?」冀怒而
入室、
去。冀 亦徑
出 爲河 相、因自
歸家、不復仕、
躬灌園蔬、 ・・・・
以經書
( 授。年九十八卒。
て長史と爲る。冀の、太尉李固を誣奏するに 、膠東に在ること九年、齊相にる。大將軍梁冀、表し
び、
て見を は聞き に在り、冀の爲に章 い、冀と之を爭うも、聽かず。時に扶風の馬融、坐
す、
の罪は、卿の手に於て 、因りて融に謂いて曰く「李公
る。李公は
面目ありて天下の人に見えんや?」。冀怒りて ち誅せらる、卿、何の
る、 ちて室に入 も亦た徑ちに去る。冀、出でて ただ
の河 相爲るを
因りて自ら う、
じて家に歸り、復た仕えず、躬ら園蔬に灌ぎ、 ・・・・・・・
經書を以て
授す。年九十八にして卒す) 『後
書』
傳
『後
書』とは少し
なるが、
」蔬に灌ぐ)という事は、『藝文 が歸隱し「灌園蔬(園
れる ( 聚』卷六十五・園にも見ら
。『後 )
書』のみならず『藝文
聚』にも收
る點から考えると、この されてい
たのだろう。『東晉詩譯 話は廣く知られていたものであっ
『後齋詩」の「茹彼園蔬」は、 』が指摘するように、湛方生「後
書』『藝文
聚』に見える
・・
の
話を踏まえたものと考えられる。
再び仕えず、自ら畑の野 は歸隱してから
に水をやり、經書を人に
授して
らした。湛方生の「園蔬」を
て再び仕えることのなかった すという表現には、歸隱し
作る陶淵明「讀山 湛方生と同樣、「春酒」と園にある「蔬」によって對句を しているのである。 の生活スタイルを、暗に示
經」も、
傳に見られるような自
場を表現していると見ることができよう ( の
。 )
このように、「廬」「書」「園中蔬」に一人稱「ワタシ」が付されるのは、些か特殊な用例であることが分かった。
の故事や湛方生の詩に見られるように、庭や
まいが自
の 中國詩文論叢第二十八集
16
場であると考えれば、これらに一人稱が付されているのは自分の世界
や、自分の價値
て自分の世界 きる。以下に陶淵明詩に見られる、一人稱が事物と結びつい れる。このような一人稱は陶淵明の他の詩にも見ることがで を示すためではないかと考えら を示しているものを檢討する。まず、「時
詩を 」
げる。
「時
時 」序
、游
春也。春
、景物斯和。偶景獨 ()
欣 、
(時 交心。
、 春に游ぶなり。春
に 景を偶して獨り り、景物斯に和す。
び、欣
心に交わる)
「春
」とは、『論語』先
弟子に對し の故事をふまえている。孔子が のように
公西 子路・冉有・この問いに對して、と。うするのか、どたなら、 は普段から『理解されない』と言っているが、もし理解され 」と。孔子がいうには、君たちを知らば、則ち何を以ってせん) 如し或もの爾吾を知らずと。(居れば則ち曰く、何以哉則知爾、 ねる。或如不吾知也。「…居則曰、
がそれぞれ自分の考えを
べた後、曾
が
のように 答えた。
曰、莫春
、春
、冠
五六人、童子六七人、浴乎 ・・・・
沂。風乎
((曾 、詠而歸。
)曰く、莫春は、春
に り、冠 五六人、童子 ・・・・・・
六七人、沂に浴す。
ぶうに風し、詠じて歸る)
曾
吾、然として歎じて曰く、點(曾 の答えを聞いた孔子は、「…喟然歎曰、吾與點也(喟
に與せん)」といい、曾)
の言
に贊同する。この故事を、陶淵明は「時
「春 」序文で
」という言
に、一首 をそのまま引用している。またさら
體がこの曾
の言 を 以上をふまえ、 いる。 く意識したものとなって に「時
」其一 (
を見てみよう。 )
「時
邁邁時 」一
、邁邁たる時
穆穆良 、
。穆穆たる良
襲我春 。
、我が春
を襲ね、 ・・・・・・・かさ
言東郊。
しばらく言 ここに (
東郊す。 )
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
山滌餘靄、山は餘靄に滌 あらわれ、宇曖 霄。宇は そら
有風自南、風有り南よりし、 霄に曖る。 くも
彼新 。彼の新
を く。 たす
「時
」一では、春のよき季
「山滌餘靄、宇曖 であることが詠われている。
霄」は、
春の季 た風景が讀み取れるし、「有風自南、 の少しかすみがかっ 彼新 の 」は、南から かい風が、吹いたばかりの植物の
を育て、
む季 物を育
「ワタシ」は、「襲我春 であると詠じられる。
」、自分自身の春の裝いを身に
・
けている。この「春
ば、曾 」については、序文とあわせて考えれ の言 に「偶景獨 をふまえているとすぐに分かる。また、序文 」の語が見えることから、一人での
と分かる。しかし、なぜ一人での 行である
「ワタシ」が びなのか、なぜここで されるのかは、充分に明かされてはいない。
「時
洋洋 」二
澤、洋洋たる
乃漱乃 澤、
。乃ち漱ぎ乃ち
う。
遐景、
陶然として自ら樂しむ。陶然自樂。 茲の一觴を揮い、揮茲一觴、 人も亦た足り易し。人亦易足。 心に稱いて言う、稱心而言、 載欣載矚。載ち欣び載ち矚る。 たる遐景、
其の二では、一人稱は使用されていない。風物が和らぎ、その風物が
らかで喜ばしいものであること、心に
序文の遙かに廣がる風景は、「景物斯和 ( を樂しみ、飮酒を樂しむことが詠じられる。廣々とした流れ、 う風景 るといえよう。其の二 」という風景であ )
體が喜びを詠じたものとなっている。
「時
」三 目中流、目を中流に
悠悠 べれば、
沂。悠悠たる
我我愛其靜、其の靜を愛し、 ・・ 閑かに詠じて以て歸る。閑詠以歸。 童冠齊業、童冠業を齊しくし、 沂あり。
寤寐交揮。寤寐に交も揮う。 中國詩文論叢第二十八集
18
但悵殊世、但だ悵 うらむらくは世を殊にし、
不可 。 として うべからざるを。
其の三では、季
・風景が心に
っているけれども、心に わないものがあることを明らかにしている。序文「欣
心」の「欣」と「 交
「 」が明かされている。
目中流、悠悠
の言曾 沂」は、風景を樂しみながら、遙かに を思い
こしている。「
沂」は、曾の言
ある「浴乎沂」を踏まえている。眼 に の風景に曾の言 にある河川を眺め、そ 「 第三句・第四句「童冠齊業、閑詠以歸」は、曾の言 其の二から引き續き、序文でいう「欣」が詠じられている。 らかな沂」を重ねているのである。
「冠 ・ 五六人、童子六七人、浴乎沂。風乎
、詠而歸」を踏ま ・・・・
えている。この二句は、實景ではなく、陶淵明によって想像された、曾の言
の風景である (
寤寐交揮」は、曾の表現した世界が、陶淵明の 陶淵明に古の風景を想像させているのである。「我愛其靜、 。河川の美しい風景が、 )
い思 對象であることが詠じられる。最後に「但恨殊世、 の 不可
といい、世の 」
なる現在、曾の言
光景であると詠じられる。これが序文にある「 が現實にはなり得ない
」である。 この「
」は、「殊世、
不可 」という現實が引き
している。曾の時代とは、時 こ に遙かに
その風紀も てられ、また なっている。曾の世界は遙か
く、
かないものである、というのである。「殊世」には、時 びもつ
な
のほか、世の趨勢の
いによる
「欣」は、春という季 が含まれている。
、和やかな氣候、
どの景物のすばらしさによって引き らかな河川な
こされた感
そしてこの春の である。
景は、曾の言
と一 な し、そののびやか 景を想 させる。しかし、それはまた、曾の世界と作 のいる「世」との不一
も き りにしてしまう。思
る す
景や世界が、もはや
と、風景と時 ぶもことのできないものであるこ 景を眼 だけがただ美しく、ただいたずらに曾の風 が一 に展開していることを、意識せざるを得ない。風景 していればいるほど、人の不一
が き
「偶景獨 した風景であることは、序文からもまた知ることができる。 「童冠齊業、閑詠以歸」が、陶淵明が風景を見ながら想像 しまうのである。 りにされて 」の「獨」に表現される現實の孤獨は、古と現在 ・
において、春の和やかな風景という共項を持ちつつ、「童冠齊業、閑詠以歸」と詠われたような理解
が存在しない點
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
で相 している。現實には、この春の
は一人であり、そこに「童子」も「冠 行において、陶淵明 ここに、感 」もいないのである。
の深さがあるといえよう。(このような風景の一
と人の不一
を詠じたものは「時
)にもまた同樣の表現を見ることができる。 」のみではなく、「擬古」四
「時
言に其の廬に息う。言息其廬。 斯晨斯夕、斯れ晨斯れ夕、 」四 藥分列、
琴 林竹翳如。林竹翳如たり。 藥分れ列なり、
床、琴床に
濁酒 たえ、
壺。濁酒壺に
ばなり。
莫
、 ぶ莫し、
獨在余。
きは獨り余に在り。 ・・
其の四では、自分の生活が廬の中での閑靜なものであること、
の生活を
うことが詠じられている。第六句「濁酒
壺」までは、廬で
りとした生活が 木に圍まれ、琴と酒を樂しむ、ゆった かれている。この閑
な生活ぶりは、まさ に古の
現實には、「 王時代の生活を彷彿とさせるものであろう。しかし、
」時代には
ぶべくもなく、さらにその感 今の私は享受することができない。このような感 を共有する相手もいない。古人が詠じたようなよき境地を
三でも詠じられていた。其の四ではさらに、その感 は、其の ある。「 し分かち合えるもののいない、「獨」が加えられているので を共有 獨在余」の「獨」は、理解
のいない孤獨である (
。 ・)
序文の「偶景獨
」は、「冠
代として語らう理解 」「童子」もなく、古をよき時 もなく、ただ一人、春
孤獨な する陶淵明の を表しているのである。春という季
らしさを樂しみつつ、反對に、理解 、風景のすば らない生活をただ一人 のいない孤獨、手に入
く、その「欣
交心」のさまを「時 」は詠じているのである。
さて、ここでもう一度、其の一の「襲我春
」で、「我」 ・
字が使用されていることについて考えてみよう。「春
曾 」は、
の言
を意識して使用された言
である。「春
春の裝いであるのと同時に、曾 」は、 た言 の理想風景を一語で代表し
でもある。「時
が古を思い、タシ」 」では、特に其の三・其の四で「ワ の世界を
っていることが詠じられ、 中國詩文論叢第二十八集
20
さらに、そうした感
を 解 くのは「ワタシ」のみであり、理 のいないことが「
これらのことを考えると、「襲我春 獨在余」と明白に詠じられていた。
」の「我」は、曾
世界を踏襲し、自己の世界 の が曾
の世界と一
り、境地や世界 く表現するために使用されたものだと考えられよう。つま することを、
の一 を 象の境地が一 しているのである。自己と對 と「春 意味で「我」を使用しているのである。「我」は「ワタシ」 した時、その境地が自分と同じであるという 」に象 される曾
の世界が、時
な
て、共 を超え
した世界
のもとで一
のである。またここでは、同時代の世の人と自己を していることを示している
排他 別して、
に「他のひととは
このような「ワタシ」は、他にもある。 である。 う」という意味をも持っているの
に「讀山
其四を 經」
げる。
「讀山
迺ち密山の陽に在り。迺在密山陽。 丹木生何許、丹木何れの許に生える、 經」四 復朱實、
復た朱實、
之壽命長。之を
見重我軒 豈に伊れ君子の寶ならんや、豈伊君子寶、 瑾瑜發奇光。瑾瑜奇光を發す。 白玉凝素液、白玉素液凝り、 せば壽命長ず。
。我が軒
に重んぜらる。 ・・・・・・・
「軒
」とは、
を指す。古の
王に對して「我が軒
」 ・・・・
といっている。この「我」は、私の
愛する 私と世界 、あるいは
を同じくしている
、という意味であろう。
あげた「時 は、しばしば陶淵明の作品中に詠じられている。先に 」詩の「
莫
、 獨在余」のほか、「
羊 ・
長史」詩の「愚生三季後、
然念 (愚は三季の後に生まれ、 ・ 然として
」をを念う)
げることができる。また「軒轅」 ・
という言
!によって詠じられているものには、「感士不
に、「 "賦」
#軒 而永
$、甘貧賤以辭榮(軒
を
#んで永
$し、貧 ・・
賤に甘んじ以て榮を辭す)」の句があり、古の
%人が軒轅氏・
陶氏を思
&したと詠じられている。このように、
は思
&の對象としてしばしば詠じられており、この「讀山
其四の「我軒 經」
」の「軒
」においても、思
ていたことは明白である。 &の對象とされ
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
また、「桃
源詩」では、「吾
」という言
己の世界 によって、自 を表現している。
奇蹤隱五百、奇蹤隱るること五百、一
敞 界。一
諄 界敞く。
源、諄と
はに源を
旋復 にし、
幽蔽。旋復して幽蔽に
借問游方士、借問す方に る。
高舉 願言躡輕風、願わくば言に輕風を躡み、 焉測塵囂外。焉くんぞ塵囂の外を測らん。 ぶ士よ、
吾
。高舉して吾が
を ねん。 ・・・・・
「桃
源詩」
すると
のようである。桃
源は、五百年の
されてきたが、ある日、その世界は開かれた。しかし、桃 、閉ざ
源の「諄」なる性質と、外界の「
が 」なる性質は、に本質 なり、桃
源は再び深く
たずねします、地の果てに い隱されてしまったのだ。お
風に乘って高らかに飛び上がり、私の世界を訪ねてゆくこと の世の外をうかがい知るのですか。願うところは、輕やかな ぶ方々よ。どうやって塵雜な人 「 なのです。
」は、自己の世界
と一
した境地を指す (
。「吾 )
は、我が心に 」 う世界という意味であり、
體 に桃
ことを指している。無論、陶淵明は、桃 源の ない。また、桃 源に行ったことは 源の地を
使用されている「吾」は、「讀山 有しているのでもない。ここで 經」四の「我軒
樣、その世界や境地が作 」と同 自身と一
これらを考え合わせると、「讀山 ていると考えられる。 していることを表現し 經」其四や「時
使用されている「我」が、思いを寄せる相手との世界 」に の一
、境地の一
を表現していると考えられよう。思
世界 に自稱「我」を付加することにより、ここでは、その境地・ の對象 が ある。これらの一人稱は、自己の世界 や軒轅氏と同じであることを表現しているので
を だと考えられるのである。 く表現したもの
陶淵明は假託詩の中で、三良や荊軻を「ワタシ」と詠じることがある。これは、對象となる人物との完な融和・一
の表現である。詠じる對象と一體
!することで、その
"史
な體驗をよりリアルにより緊
#感をもって表現することがで 中國詩文論叢第二十八集
22
きるのである。本論文において考察した世界
の一 を
する一人稱は、對象との完
な一體
ではないが、世界
境地の一 や
を のままで捉えられているが、境地は一 く表している。思慕の對象は、あくまで對象
しているのである。 し、その世界は融和
4 . まとめ
それでは、
「吾亦愛吾廬」にみえる一人稱の繰り よう。 頭で引用した「讀山經」其一を再び見てみ
字の繰り しについて。「吾」
とを詠じている。二度「吾」が繰り するところを得たように、自分も託するところを得ているこ また、「吾」は「鳥」と對比された一人稱であり、「鳥」が託 しによるリフレーン效果を指摘することができる。
て「ワタシ」を されるのは、鳥に對し
以下に詠じられるかについては、「我書」「我園中蔬」の考 象であり得るのか、「廬」字になぜ一人稱が付されているの えられよう。そして「吾廬」が、なぜ自己の愛するものの對 は、一つの自己肯定の言い回しであり、また自己完結とも捉 贊するかのように賞贊していると考えることができる。それ し、自分で自分のことを、まるで自畫自 「我書」について。農 察により明らかとなる。
から
「汎覽よび、 書をする。この「書」については、題名にある『山經』お ったワタシが、「吾廬」で讀 王傳、流觀山圖」にある「
「圖」を指している。 王傳」と「山
「答書物は、 圖」は『山經』に付加された圖を指している。これらの 王傳」は『穆天子傳』を指し、「山 爰得我詠、 參軍」其一の「衡門之下、有琴有書。載彈載 (衡門の下、琴有り書有り。載ち彈じ載ち詠じ、爰 ・・
に我が
」のような、「我しみを得)
」となるのである。「我 ・・・・・・
書」に書かれている世界
と自分自身の境地が一
で「我書」といっているのである。書物に すること の世界が一 かる世界と自己 し、それを我が物として、自由に
けられる。先に見た『後 分の庭の中の「蔬」や樹木の表現は、作品中でしばしば見つ 「我園中蔬」について。自分の土地、自分の酒、そして自 としているのである。 び、樂しみ 書』
園中の蔬 仕えることなく、家にいて生活を充實させるという態度が、 傳のように、役人として
を育て、その蔬
を摘んで
すという詩
であり、そこには、その生活樣式や價値 なっているのであろう。家や土地などは、陶淵明の生活の場 表現に
、さらには世界
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)
を見出すことができる。なぜなら、庭や園は、持ち
の心に う場であり、世俗とは一線を畫した場
らである。その自 であるといえるか 豐かに の場、すなわち自己表現の場において、
る樹木や野
實していることの表現であり、理想 は、そのまま陶淵明の生活や境地が充
讀み取れるのである。「我」は自分の世界 生活樣式の表明であり、なおかつ充實したものであることが と見ることが可能であろう。この「摘我園中蔬」も、自分の 生活が實現したものだ を
に使用されていると思われる。 するため
ここで、「吾廬」についてもう一度みてみよう。「我書」を讀み、「我園中蔬」を摘む、そうした生活の場が「吾廬」なのである。「ワタシ」が「ワタシ」の廬を愛する、その表現の裏には、自分の境地と一
た「自身の生活樣式を示し自 する書物を讀む場」があり、ま
の場である場
亦愛吾廬」というのは、自分に みると、鳥たちが自分の身を託す場を喜ぶのと同樣に、「吾 在、確保されていることを讀み取ることができる。こうして 」がそこに存 現しているのである。「讀山 った生活の場が、そこに實 た境地・世界 經」其一の一人稱は、こうし といったものを多分に
した言
なのであ とができる。「吾廬」が自分の境地・世界 「吾愛亦吾廬」は、このように自己肯定の表現と考えるこ る。
の表現場
ると考えると、この句は、 であ そこは自分自身の心に のように理解できる。わが廬、
う場
であり、隱
場である、そうした心の としての生活の
う場に自分が身を
ち のような自分自身を私は ける、そ め、そうした境地・世界
人を指す言 「吾」や「我」は、譯せばどれも・わたし・であり、その 身が愛しているのである、と。 を私自
であることに
して使われているのか―親戚に對しているのか、日 いない。しかし、それが何に對
の に對しているのか―によって、一人稱の詩 行 くるのである。そしてさらに「讀山 效果は變わって 價値 經」一のように、心や ・境地が、自己との一
用されている。そのことは、世の中との差別 のである。陶淵明の作品には、「我」や「吾」の一人稱が多 を示す一人稱も存在している
たと考えられるのである。 りかけの用法のほか、自己の心のあり方を表現する意味もあっ や相手への語 中國詩文論叢第二十八集
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【
(1)陶淵明詩百五十八首、謝靈 】
「吾」十二例、十九例、合計一〇一例。謝靈 詩百三十首。陶淵明「我」八
算となる。一方謝靈 「我」あるいはは、二首中に一回以上「吾」が使われている計 「吾」五例、合計三十一例。單純に計算すると、陶淵明詩で 「我」二十六例、
(2)「時雨」は、その季 る。 では、四首に一回以上という計算にな に
「君 (3)『玉臺新詠』卷十、『樂府詩集』卷四十四。『玉臺新詠』は る雨のこと。ここでは、春の雨。
(4)「斜柯」は、小尾郊一・岡村貞雄譯 」を「君心」に作っている。
『古樂府』(東
出版 大學
(5) を何かに寄せかけること」とする。 身を傾けること。一本には「斜倚」に作る、これは斜めに身 田泉之助『玉臺新詠』(明治書院一九七四年)は、「斜めに 一九八〇年)によれば、斜めによりかかること。
『 魏樂府風箋』(
務印書
一九六一年)に、
の李子
の言 が引かれている。「
見久 二句如六義之興、以 歸、不
梁燕之知時也。「石見何
」、承之曰「
行不如歸」、接法高
。非 行何以有補衣之舉、故
(6)沼口 也」 事思歸 「陶淵明「擬古」詩考」(『立命
文學』五九八號
水凱夫
授 職記念論集二〇〇七年二
三が )では、「擬古」
歌・西曲の用語を引いていること、さらに『易』卦爻 および王弼
ている。ここでは、一人稱の使い方についての考察を によって、東晉末期の混亂という寓意を讀み取っ
るので、王 とす するが、 混亂についての寓意についてはわないことと
!來の 對し、「 釋書が『詩經』の柏舟を當てていることに は非常に "歌」のほうが相應しいと指摘している。この指摘
(7)一人稱を用いつつ人 #切だと思われる。
陶淵明の 「人」といいつつ、その代表として自己を示しているものに、 $%體を廣く指すもの、あるいは、
&のような作品を
す。 'げられる。以下にその一例を示
壑舟無須臾、壑舟に須臾無く、引我不得
(。我を引き
(むを得ず。
)塗當幾許、
念此使人懼。此を念ずれば人をして懼れしむ。 ・・ 古人古人惜寸陰、寸陰を惜しむ、 未知止泊處。未だ知らず止泊する處を。 )塗當に幾許ぞ、
「雜詩」五
素標插人頭、素標人頭に插し、 ・・
)塗漸就窄。
家爲 )塗漸く窄に就く。
*舍、家は
去客我如當。我は當に去るべき客の如し。 *の舍爲り、
陶淵明詩文における自己肯定的一人称について(大立)