陶淵明における家の意味について
著者名(日) 増野 弘幸
雑誌名 大妻国文
巻 36
ページ 127‑142
発行年 2005‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001361/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
陶淵明における家の意味について
I首 野
弘
幸
はじめに
陶淵明の作品には︑自らの家を詠じた表現が数多く見られる︒例えば﹁飲酒﹂其七には次の様に述べられている︒
日入季動息日入りて葦動息み
帰烏趨林鳴帰烏林に趨きて鳴く
時明
倣東
軒下
噺倣す東軒の下
柳復得此生柳か復た此の生を得たり
日が暮れて全ての動きが止まり︑林のねぐらに帰って来た烏が鳴いている︒そうした中︑自分も東の窓の所で詩を吟じ︑
自分の生き方を改めて実感すると言うのであるが︑ここでは家の中で安らぎに包まれて自らの生き方を改めて肯定的に捉
えている陶淵明の姿が描かれている︒同様の表現は他詩にも見られるが︑又︑後出の如く反対に壊れた家の中で欝々とし
て楽しまぬことを言う詩もある︒この様に︑家の状態を述べた後︑自らの心情を述べる形の外にも︑出家と心情に言及して
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
七
}¥
いる作品がいくつか見られ︑こうした表現がどの様な意味を持っているのかについて︑以下に考えてゆきたい︒
まず︑陶淵明の居宅の広さについて見てゆくと︑﹁帰国田居﹂其一には次の様に述べられている︒
方宅十余畝方宅十余畝
草屋八九間草屋八九間
四角い宅地は十余畝︵五千平米以上︶あり︑草葺きの家は八︑九問あると述べ︑進欽立によれば︑
ための表現とする︒一海知義によれば︑この敷地の中に家と田畑があった訳だが︑ やや広いことを言う
四十一才の帰隠後も︑暫くはこの家に
住み
︑
四十四才で火事に遇った後︑四十七才で﹁南村﹂に移居する︒移居した家の広さについては作品中で具体的に述べ
られることが無く不明である︒
こうした自らの居宅について︑帰隠前より詩の中で次の様に詠︑ぜられている︒
付投冠旋旧嘘冠を投じて旧嘘に旋り
不為好爵紫好爵の為に紫がれざらん
養真衡茅下真を養ふ衡茅の下
庶以善自名庶はくは善を以て自ら名づけん
︵立
千丑
歳七
月赴
仮還
江陵
夜行
塗口
︶
口目倦川途異目は川途の異なれるに倦み
心念山沢居心は山沢の居を念ふ
︿中
略﹀
柳且患化遷
終反班生慮
回荏再経十載
暫為入所轄
庭宇窮余木
倹忽日月肪 柳か且く化に患りて遷り終に班生の直に反らん
︵始
作鎮
軍参
軍経
曲阿
作︶
荏再として十載を経
暫く人の罵ぐ所と為る
庭宇
余木
臨調
ひ
倹忽として日月肪く
其十
︶
付では仕えていた江州刺史垣玄のもとへ休暇を終え郷里から帰る時の心情を述べるが︑いずれ役人を辞めて﹁真﹂︑聾斌
によれば﹁本真の恒﹂を︑﹁衡茅﹂即ち横木を渡しただけの粗末な円である﹁衡門﹂と茅葺き屋根からなる粗末な自宅で養つ
︵雑
詩
て︑﹁善﹂なる人と自らを呼べる様にしたいと述べている︒同では︑﹁鎮軍﹂が劉牢之︑劉裕等の諸説があるが︑その参軍
として赴任する時の作である︒ここでは故郷を離れつつも︑心の中では山や沢に固まれた自宅の事を思い続け︑
いつ
かは
その﹁班生の麗﹂即ち班彪の如き高潔な人の住むべき自宅へ帰りたいと言う︒目は︑出仕して故郷を離れ他人に行動を拘
束される身となり︑自宅の家も庭も余計な樹木に覆われ︑歳月はたちまちの内に過ぎて行ってしまうと︑郷里の自宅を想
う気
持ち
を述
べて
いる
︒
これら一一一例に共通している点は︑望郷の念を述べる時に︑必ず﹁家﹂が登場するということである︒什では﹁旧嘘﹂と
いう故郷を示す言葉を使っていながら︑その二句後で﹁衡茅﹂という家を一示す言葉を改めて使用し︑同においても﹁山沢
居﹂の語の後の句で﹁班生麗﹂という自宅を喰える言葉を改めて言う︒回においては︑郷里に帰れないことを残念に思う
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
九
。
気持ちが︑自宅が樹木で覆われ荒れてしまうという表現によって一不されている︒
この様に陶淵明は望郷の念を述べる時︑単に故郷と言︑つだけではなく︑必ず︑より具体的に自らの家に言及して︑表現
に加えているのであり︑この点から︑自分の家というものに非常にこだわりを持っていたことが解るのである︒
さらに︑この家を表わす表現として︑付では﹁衡茅﹂︑同では﹁雇﹂という語が用いられている︒先述の如く︑陶淵明の
家は八︑九聞を備え︑敷地は五千平米以上の規模であり︑この広さは︑注欽立によれば標準よりやや広いものであり︑田
部井文雄・上田武によれば﹁地方の中流土人としてこぢんまりした適度な広さ﹂である︒
その様な家に対して﹁衡茅﹂︑﹁塵﹂の語を用いているのである︒﹁衡茅﹂は前述の知く︑﹁衡門﹂即ち横木を渡しただけ
の粗末な門と茅葺きの家ということで粗末な家を指す言葉であるが︑諸家の指摘する如く︑隠者の家を想定して用いられ
ている︒又︑白の﹁慮﹂も当然の事ながら同様の言葉である︒
この様に付︑口の例では︑実際の家とは大きく異なる﹁隠者の家﹂を示す語が使われているのである︒
この様に自分の家を指す言葉として﹁隠者の家﹂を一不す言葉が使われているのは︑望郷の念を述べる詩に限ったことで
はない︒以下にその様な表現を持つ作品について考えてゆきたい︒
陶淵明の作品中︑自らの家を表わす言葉は︑前出の望郷の三例を除くと以下の如くである︒θ慮
什斯最斯タ斯れ最斯れタ
言息其庫
百に
其の
慮に
息ふ
時運
︶
口結塵在人境
而無
車馬
陪一
︵飲
酒其
五︶
国孟夏草木長
遺屋樹扶疏
衆鳥欣有託
吾亦愛吾庫
︵読
山海
経其 吾も亦吾が慮を愛す 衆烏託する有るを欣び 屋を遺りて樹扶疏たり 孟夏草木長じ 而も車馬の喧しき無し 躍を結びて人境に在り
付では︑孔子や黄帝等に巡り会うことが出来ないことを嘆きつつも︑巡り来た春を喜び家で朝夕ゆったりと暮らすこと
を述べる︒口では︑街中に塵を結んだが尋ね来る者も無いことを言い︑俗世と隔絶した高潔な隠遁生活を送ることを一言う︒
だと述べている︒ 同では︑初夏︑家の周囲の草木は成長し︑鳥達も巣作りが出来て喜ぶと同様︑自分も満足して居られる家を大切に思うの
︒微塵・弊塵
ハ門
徹底
何必
広
取足蔽林席
移居其ご
口克抱困窮節
飢寒飽所更 倣慮何ぞ必ずしも広からん林席を蔽ふに足るを取る寛に困窮に節を抱きて
飢寒更し所に飽く
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
一
弊庫交悲風弊塵悲風交はり
荒草没前庭荒草前庭を没す
︵飲
酒其
十六
︶
什では︑南村に移居することを詠じた詩の中で︑自らの家を﹁倣慮﹂即ちあばらやと述べているのであるが︑やはり﹁庫﹂
の詩を自宅の称として用い︑寝床の入る位の広さで充分であると述べている︒はでは︑自分は﹁固窮の節﹂を守りながら
も今迄経験して来た飢えや寒さには飽き飽きしているが︑その自分のあばらやには悲しげな風が吹き寄せ︑乱れ生えた草
が前庭を覆い尽くしていると述べる︒
己蓬慮
衡門之下衡門の下
有琴
有童
日
琴有
り室
田有
り
中略
︶
量無他好
山豆
他好
無か
らん
や
楽是幽居楽しみは是れ幽居
朝為濯園朝に濯園を為し
タ値蓬慮タに蓬虚に値す
︵答
鹿参
軍︶
ここでは︑粗末な門の家で琴・書もて隠棲するのが最上の楽しみであり︑朝に畑に水をやり︑タには蓬で葺いた粗末な
家で寝ころがる事を述べる︒
@草庫
・草
塵寄
窮巷
草庫窮巷に寄せ
甘以辞華軒甘んじて華軒を辞す
︵戊
申歳
六月
中遇
火︶
火事に遇って家が全焼する前の暮らしぶりを述べた部分で︑草葺きの粗末な家で役人生活とはすっかり縁を切って暮ら
していたことを述べている︒
⑤衡宇
・乃
瞬時
衡字
乃ち衡宇を贈
載欣載奔載ち欣ぴ載ち奔る
︵帰
去来
分辞
︶ 彰沢の県令の職を辞し帰耕生活を送ることを決意した陶淵明が自宅に船で戻る時のことを述べているが︑﹁衡字﹂即ち衡 門のある家を見て喜び走ってゆくのである︒この後の部分で庭を﹁三径﹂と呼び︑それは李善の指摘する如く︑官職を捨 てて隠棲した漢の蒋調の故事に基く表現を用いて︑隠者たる者の庭であることを示しており︑その点から考えるならば︑
この﹁衡宇﹂の語は︑衡門のある隠者の家という意味が付与されていると考えて良いだろう︒
@類箸
・負
痢類
審下
病を負ふ類奮の下
終日無一欣終日一の欣ぴ無し
一不
周続
之担
企謝
景夷
三郎
︶
﹁頚管﹂は︑くずれかかった軒の意であるが︑ここではその様な軒の家の意で用いられている︒そうした家で病気で伏つ
てい
ると
︑
一日中何の喜びも無いことを嘆いている︒
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
一一
四
@草屋
・方宅十余畝方宅十余畝
草屋八九間草屋八九問
検柳蔭後釜稔柳後箸を蔭ひ
桃李羅堂前桃李堂前に緩なる
︵帰
園田
居其
既に陶淵明の家の広さを述べる所で示した例であるが︑そうした家の周囲に樹木が繁る様を言う︒この﹁草屋﹂は草葺
きの家という家の形状を示すために用いられている語である︒
@ 宅
・貧居乏人工
湛木荒余宅
濯 貧 木 居 余 人 が 工 宅 に を 乏
荒Zし
ふ く
︵飲
酒其
十五
︶
田部井文雄・上回武によれば︑﹁荒﹂はおおうの意である︒貧しい暮らしで手入れも満足に出来ず︑群がり生えた木々が
私の家に覆いかぶさる様に繁っている︑と述べる︒
この様に陶淵明が自分の家を一言う時︑﹁慮﹂またその字を含んだ語を用いることが非常に多い︒一度転居をし︑その家の
広さについては具体的には述べてはいないが︑︒のけの例からは︑以前の家より小さな家との印象を受ける︒しかし︑そ
れ以前の︑より大きな家に対しても︑@の例の如く︑﹁草慮﹂を﹁窮巷﹂即ち狭苦しい路地裏に構えていたと述べている︒
従って自宅の呼称として用いられる﹁康﹂の語は︑実際の家とは大きく隔った言葉であり︑陶淵明自身の隠棲の志を強く
反映した観念的な使われ方がなされているのである︒ここに︑陶淵明の自宅への思い入れの強さが表われていると一言え︑
住む家に対する呼称によって自らの志を表明せんとしているのである︒こうした点については︑@の例︑更には前出望郷 の例の付に用いられている﹁衡﹂の語にもき守えることで︑実際の門の形状を示さんとするよりも︑むしろ︑そうした隠者
の家の門というイメージを読み手に想起させんとして︑こうした語を使用していると言って良いであろう︒
この様に︑自分の家を言︑つ時︑@の如き﹁宅﹂等の語を用いることは極めて少なく︑家の実態とは無関係に︑﹁雇﹂や
﹁衡﹂といった隠者の家のイメージを抱かせる語を多く用いている点が︑陶淵明の作品の大きな特徴なのである︒
更には家の内部について述べる作品もあり︑前出の家の例と重なるものもあるが︑特徴的なものを見てゆきたい︒
付戸庭無塵雑戸庭塵雑無く
虚室有余閑虚室に余関有り
︵帰
園田
居其
一︶
口白日掩荊扉白日荊扉を掩ひ
虚室絶塵想
虚︷
至に
塵想
を絶
つ
帰園
田居
其二
︶
回繍倣東軒下噺倣す東軒の下
柳復得此生柳か復た此の生を得たり
︵飲
酒其
七
同静寄東軒静かに東軒に寄り
陶淵
明に
おけ
る家
意の
味に
つい
て
五
春醸独撫︵
中 略
︶
有酒有酒閑飲東宮
︵ 停
雲 ︶
回携幼入室
有酒盈鱒引壷鯵以白酌
阿庭相以恰顔
街南箇以寄倣
審容膝之易安
︵帰
去来
分辞
︶
̲ L .
ノ、
春醸独り撫す
酒有り酒有り
閑かに東箇に飲む
幼を携へて室に入れば
酒有り縛に盈つ
査傍を引き以て自ら酌み
庭桐を阿て以て顔を恰ばす
南箇に侍り以て倣を寄せ
膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
同常一言︑五六月中︑北宮下臥︑遇涼風暫至︑自謂是義皇上人︒︵与子僚等疏︶
︵常に言ふ︑五六月中︑北窟の下に臥し︑涼風の暫かに至るに遇へば︑自ら謂ふ是れ義皇上の人なりと︶
同凄腐歳云暮
擁褐曝前軒
南閏無遺秀
枯条盈北園
詠貧士其 凄腐として歳云に暮れ褐を擁して前軒に曝す南間遺秀無く枯条北園に盈つ
付では︑門や庭には塵挨も無いということで俗世の雑事も無いことを一不すとの諸家の指摘がみ似︑そうした清らかな環
境の中︑﹁虚室﹂即ち何も無い部屋にはゆとりがあると述べる︒この﹁虚室﹂の語についても︑古直が﹁荘子﹄人間世に
﹁槍彼関者︑虚室生白︵彼の即時しき者を隠れば︑虚室に白を生ず︶﹂とあるのに基く表現であるL日︑諸家これに従うもの
が多く︑心を虚しくしていれば真理に到達出来るということを示すこの﹃荘子﹄の言葉から︑この詩における﹁虚室﹂も
単に部屋の状態を一言︑つのではなく︑陶淵明白身の心の持ち方を表現したものと理解されるのである︒
同も類似の表現で︑昼間よりいぱらの門を閉ざすことで︑後述の如く︑俗世との交わりを断つことを表現し︑そうした
中︑俗世への思いを﹁虚室﹂の中で断つのである︒
回の詩では︑ここでは示していないが︑冒頭で︑菊の花を採り︑﹁汎此忘憂物︑遠我遺世情︵此の忘憂の物に汎かべ︑我
が世を遺るるの情を遠くす︶﹂即ち︑その花を酒に浮かべて俗世を忘れんとする自分の気持ちを一層深めると述べ︑そうし
た環境の中︑家の東の窓辺で歌えば︑兎も角も自分の志に叶った生き方が出来たと思えるのだと三号ノ︒冒頭の﹁菊L
も ︑
陶淵明の詩においては︑高潔さの象徴であり︑そうした俗世との交わりを断った清らかな家の中でこそ︑自らの志に沿っ
た高潔な生き方が出来るのだと述べているのである︒
回では︑親しい友人に会えないことを嘆きつつも︑自得した生活環境の中でゆったりと新酒を飲む作者の姿が描かれて
いヲ 心︒
回は︑前出の自らの家を表わす言葉の@に述べた如く︑役人生活を辞し家に戻った時の事を述べたもので︑俗世から離
れ隠遁生活を送ることを示す﹁衡宇﹂の語で示された自らの家に入ると酒が用意され︑それを酌みつつ庭の枝ぶりを見た
り︑南の窓に寄りかかって狭いながらも自分の家の落ち着き易さを実感すると述べている︒ここでも前四例と同様︑﹁衡宇﹂︑
コ二径﹂と隠者の家を想起させる語を用いつつ︑ここで例に引いた部分の後の部分でも︑俗世との交わりの遮断を一示す﹁門
とざを閉じる﹂表現を用いて﹁門難設而常関︵門は設けたりと難も常に関せり︶﹂と述べており︑そうした俗世の塵挨を払った
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
七
人
家の中で︑それ迄の役人生活の煩わしさに比して︑その自らの志に叶った清浄な場所の良さを噛み締めているのである︒
例では︑役人生活が合わず俗世と縁を切ったことを述べた後︑自分の好む閑静な暮らしの中で季節の移ろいを感じつつ︑
﹁五︑六月︵旧暦︶頃︑北の窓の下で寝ころがり︑涼しい風が吹いて来れば︑伏義氏以前の上古の人になったかの様な心待
ちになるのだ﹂と述べる︒その後には続けて﹁意浅識字︑謂斯言可保︵意は浅く識は竿なけれど︑調へらく斯の言保つ可
しと︶﹂と︑考えは浅く見識は低い自分だが︑この言葉の想いは保たねばならないと思っていたと三一号ノOここでは︑俗世と
の交わりを断った生活の中で︑上古人の如き質朴さを保つことこそが理想であり︑それには︑先の﹁虚室﹂の表現にも示
された︑心の雑念の無い虚しい状態を保つことが必要であることを述べているのである︒
出では︑寒風の吹く中︑年末を迎え︑粗末な衣服を身に纏って南の窓辺で陽に当たって暖を取っており︑南の畑に取り
残した穀物の穂は無く︑北の庭は枯れ枝で埋まっていると述べている︒この後には酒も食料も無い様子が詠ぜられ︑俗世
を離れて孤高を保つ慰めを︑昔の同様に生きた人々に見出そうとするのである︒ここでは︑家は孤高に生きる場としての
意義は失われてはいないが︑むしろそうした生活に由来する貧困に重点が置かれた表現がなされており︑前の諸例とは異
なって︑家の中を良しとする表現は︑なされていないのである︒
以上︑家の内部に関わった表現の例を見て来たが︑ハ円から同までは︑俗世との交流を遮断した環境の中で︑室内を清浄
な︑自らの志に叶った場所として捉え︑又︑より一層その志を深めてゆける場としての意義を見出す表現がなされており︑
言わば高潔な人生を送ることの出来る理想の場所として認識されていることが理解される︒同においても︑そうした意義
は失われてはいないが︑実際の生活の困窮と自らの理想との溝に苦しむ姿が描かれているのである︒
四
こうしたHl同の例と何の例との傾向の違いについては︑二章で見た家の呼称の例にも同様なものが見られる︒﹁慮﹂と
いう実際の家とは隔った︑隠棲のイメージを読者に想起させる語を多く用い︑家が自らの隠棲の志を遂げんとする場所で
あることを示そうとしたのであるが︑例えば二章Gの什でつ一言息其塵﹂と言い︑同で﹁吾亦愛吾慮﹂と言い︑
e
で﹁夕佳蓬産﹂と一言︑つ等の例は︑家を自らの志を実現出来る場として肯定的に︑理想的な場所として捉えているのであるが︑
e
の同では同じく﹁鹿Lの語を用いながらも飢えや寒さに苦しむ姿が描かれており︑この点は前章出の例と全く同じである︒
さらに︑﹁慮﹂の語は用いていない@の例では病気に苦しんで楽しまない姿︑@の例では貧しさに苦しむ姿が述べられてい
る。
﹂の
様に
︑自
分の
家を
︑
一方では志を叶えることの出来る︑一種の理想郷の如くに肯定的に述べ︑一方では苦しい心情
と共に否定的に述べるという傾向があるのである︒
五
こうした傾向が︑同様に庭の表現にも見られることは以前にも述べ〜が︑論述の必要上︑簡略にその事を述べておくと︑
陶淵明の作品には庭の状態について述べたものが数多く見られる︒例えば︑肯定的なものとしては次の様なものが挙げら
れる
︒
付東園之樹東園の樹
枝条載栄枝条載ち栄ゆ
競用新好競ふに新好を用てし
以招余情以て余が情を招く
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
九
四 0
︵停
雲︶
口三径就荒三径は荒に就けども
松菊猶存松菊猶ほ存せり
︵帰
去来
分辞
︶
目白従分別来分別してより来
門庭日荒蕪門庭日々に荒蕪す
︵擬
古其
三︶
υーでは︑庭の東側の木が繁り︑新緑を競って私の気を惹くと言い︑親しい友人に会えないことを残念に思いつつも︑
ゆっ
たりと志に叶った生活を送ることを詠ずる中︑庭の木も美しく繁ることを述べている︒口では︑隠者の庭を示す﹁三径﹂
が荒れてはいるが︑松と菊はまだ残っていると言い︑役人生活を辞し心身共に衰弱して自分の家に一戻って来た時の心の状
態を荒れた庭として示し︑高潔さの象徴である松と菊を用いて︑俗世と隔絶して高潔に生きんとする志はまだ保っている
ことを述べるのである︒円では︑相手に対し︑別れてから庭は日々荒れていったと述べ︑多くの知人が晋から宋へと鞍替
えし変節してゆくのを目の当たりにした陶淵明の無念に思う気持ちを︑庭が荒れてゆくということで示している︒
この様に︑自らの意が満たされている時には庭も良好な状態で詠ぜられ︑意に反している時には庭も荒れた状態で詠ぜ
られ
てい
る︒
更に︑庭も詠ぜられる植物も︑菊︑松︑蘭と高潔さを象徴する植物が多く︑こうした植物の生えている庭は︑閉じた門
によって俗世から隔絶されていると表現される︒即ち︑庭は︑陶淵明の心の状態を示すと共に︑俗世との交わりを断って
高潔に隠遁生活を送ろうとする理想的な場であることを示す意味を持っているのである︒
」ー
ノ、
こうした庭と︑家とが併わせて詠ぜられている例も多く︑例として一不すならば︑良好な状態を言うものとしては︑
章
θ
の同
では
︑
ゆったりとした生活ぶりが詠ぜられる中︑周囲の木は繁り︑自分の家を大切に思うこの心情が述べられてお
り︑三章付では︑真を養わんとする志を述べる中で庭は塵挨も無く清らかで︑そうした環境の中︑﹁虚室﹂に居ると言う︒
また︑荒れた状態としては︑一章同では︑自分の意に叶わぬ役人生活の中で望郷の念を述べるが︑役人生活を送っている
内に自分の家も庭も余計な樹木に覆われてしまうと言い︑二章︒の∞では︑貧窮の苦しみを言う中︑あばらやに悲しい風
が吹き︑庭は乱れ生えた草で覆われてしまうと述べる︒
﹂の
様に
︑
家の
表現
︑
庭の
表現
共に
︑
陶淵明が︑意に叶った生活状態にある時には︑家︑庭共に良い状態にあるものと
して詠ぜられ︑意に反した状態にある時には︑共に悪い状態にあるものとして詠ぜられているのである︒
また︑家の表現の例においても︑三章同の説明の部分で述べた如く︑高潔さを象徴する﹁菊﹂を用いて世俗的な穣れの
無いことを示し︑同章口の如く︑門を閉じることで俗世の塵挨を遮断することを示している︒これらの表現は︑庭の表現
と同様のものであると言えよう︒
七
以上の諸点から︑陶淵明の作品における家の表現と庭の表現は︑同じ観点からなされているものであり︑同様に陶淵明
の心情を反映した表現がなされている︒また︑同じく俗世との隔絶を示す閉じた門の中にあって︑世俗の塵挨の無い高潔
陶淵
明に
おけ
る家
の意
味に
つい
て
四
四
な隠棲の場としての意義付けもなされ︑陶淵明の観念上の理想的空間としても位置付けられているのである︒
陶淵明における宅地も含めた家の表現の意味するものは︑以上の如く︑自らの理想を実現する場であり︑かっ︑自らの 心情を比聡的に示す手段であり︑この点から︑自分の家という限定された空間に対し︑陶淵明は強い思い入れを持ってい
たことが理解されるのである︒
注︵l︶﹁方宅十余畝︑謂宅地較寛o
﹂︵
﹃陶 淵明 集﹄ 四一 頁︒ 中華 童日 局香 港分 局︑
︵2
︶﹃ 陶淵 明| 虚構 の詩 人|
﹂七
−一 頁
o
︵岩 波書 店︑ 一九 九七 年︶
︵3︶﹁陶淵明集校筆﹄一七五頁o
︵上 海古 籍出 版社
︑一 九九 九年
︶
︵4
︶﹁ 陶淵 明集 全釈
﹂七 六頁
︒︵ 明治 書院
︑二 O
O一 年
︶
︵5︶例えば﹃文選﹄巻二十六所収のこの詩の当該部分の李善注に﹁曹子建弁問目︑君子隠居以養真也﹂とある︒
︵6︶﹃文選﹄巻四十五所収のこの作品当該部分の李善注に﹁三輔決録日︑蒋一説︑字元卿o
全日 中三 淫︑ 唯羊 仲求 仲従 之遊
︑皆 挫廉 逃名 不
出﹂
とあ
る︒
︵7︶例えば貌正申も﹁類箸﹂に注して﹁破損的房子﹂としている0
︵﹁ 陶淵 明集 訳注
﹄二 九七 頁︒ 文津 出版 社︑ 一九 九四 年︶
︵8
︶前
掲書
一八
一一
頁︒
︵9︶例えば唐満先は﹁塵雑Lに注して﹁世俗的雑務﹂とし︵﹃陶淵明集浅注﹄五五頁︒江西人民出版社︑一九八五年︶︑哀行需はこの句について﹁指家中無塵俗雑事﹂とする︒︵﹁陶淵明集筆注﹂八一頁︒中華書局︑二
O
O三
年︶
︵叩
︶﹃ 陶靖 節詩 婆﹂ 巻一 一︵ 広文 書局
︑一 九九
O︶
︵日︶菊については︑陶淵明の﹁和郭主簿L其二に﹁芳菊開林耀︑青松冠巌列︑懐此貞秀姿︑卓為霜下傑﹂とあり︑菊が節操秀れたものとして詠ぜられているが︑﹁欽酒﹂其七の菊の由来については古直の指摘によれば﹃楚辞﹄離騒の﹁タ餐秋菊之落英L
であ り︵ 前
掲書巻三︶︑屈原同様︑菊酒を飲む場面を描くことで菊の香りの高潔さと白らの節操の高い徳を重ね合わせていると言える︒
︵ロ
︶﹁ 傾壷 絶余 涯︑ 闘竃 不見 煙︑
︵中 略︶ 何以 慰吾 懐︑ 頼古 多此 賢
o﹂
︵日
︶﹁ 陶細 川明 にお ける 庭の 表現 につ いて
﹂︵
﹁新 しい 漢字 漢文 教育
﹄三 十五 号︶
一九
八七
年︶