早稲田大学審査学位論文(博士)
非官吏制度の研究
― 戦前期日本における雇員・傭人・待遇官吏の成立および変遷 ―
A Study of the System of National Non-Public Employees
― Establishing and Transforming Process of Koin(High Class Employee), Younin(Low Class Employee) and Taigukanri(Ranking as an Official)
in Japan before the Second World War ―
早稲田大学大学院社会科学研究科 政策科学論専攻行政過程論研究
石井 滋 ISHII, Shigeru 2016年2月
【目次】
序章 はじめに
pp.1―6
第
1
章 非官吏制度研究についての一考察第
1
節 先行研究の確認pp.7―23
第
2
節 研究における課題とその克服のための視座pp.24―26
第2
章 非官吏制度の成立過程と背景第
1
節 雇員制度の成立過程pp.27―44
第2
節 傭人制度の成立過程pp.45―61
第3
節 待遇官吏制度の成立過程pp.62―79
第3
章 非官吏を取り巻く環境の変化と制度の改変第
1
節 雇員制度の改変pp.80―97
第
2
節 傭人制度の改変pp.98―116
第3
節 待遇官吏制度の改変pp.117―140
第4
章 行政調査会による非官吏制度改革と提言後の動向第
1
節 行政調査会による非官吏制度改革pp.141―159
第2
節 行政調査会の提言後の動向pp.160―178
終章 おわりに
pp.179―183
参考文献
pp.184―202
序章 はじめに
1.テーマ選定の理由
近年大きな社会問題となったワーキングプアの問題は、民間企業の非正規労働者の労働 環境を巡って様々な形で表面化した。公務員についても非常勤職員の労働実態が次第に明 らかになり、官製ワーキングプアの問題として大きく取り上げられたことは記憶に新しい
(1)。その背景の
1
つには常勤職員と非常勤職員の処遇格差の問題があり、特に後者の仕事 に見合わない処遇に対する批判は数多く出された。政府による最近の非常勤職員向けの主な対策としては、
2008
年に「非常勤職員に対する 給与の支給についての指針」が人事院より出され、2010年に「期間業務職員制度」が導入 された。これらは非常勤職員の処遇改善に向けた第一歩となったものの、今後も検討が必 要な課題になると考えられる。その処遇の見直し方も、当該職員を行政機関内でどのよう に位置づけるのかによって大きく変わるであろう。非常勤職員の位置づけを考える上で、近年変貌を遂げつつある民間企業における非正規 労働者の処遇のあり方はもちろん参考にすべき要素であるが、公務員制度特有の事情から これをそのまま適用することは難しい。例えば、辻清明(1991)は、国家行政と企業経営 について、戦前期の官吏制度と私的雇傭制度の違いを公共性の有無から区別しているが(2)、 それは戦後期にも通じる考え方であろう。
一方、野村正實(2007)によると、民間の大企業では戦後期の経営民主化後も、戦前期 の会社身分制の本質的部分は継続したとされる(3)。その組織が戦前期に行政機関の組織を 参考にしたことを考えれば、官民の組織には類似性が見られる。さらに、辻清明(1952b)
は、戦後期の行政機関における克服すべき課題の
1
つとして、戦前期の官庁内部の階級的 差別を挙げている(4)。そうした観点からすると、戦前期の非官吏制度の考察は、非常勤職 員のあり方を検討する際の参考になる可能性がある。(1) 日本人事行政研究所編(2013)『国家公務員 任用実務の手引き(第5次改訂版)』PM出版p.5による と、一般職国家公務員は常勤職員と非常勤職員に分かれるとされる。
(2) 辻清明(1991)『公務員制の研究』東京大学出版会pp.12―13。
(3) 野村正實(2007)『日本的雇用慣行―全体像構築の試み―』ミネルヴァ書房pp.17―18
(4) 辻清明(1952b)『日本官僚制の研究』弘文堂p.57
非官吏制度は戦前期の行政機関で官吏制度と共に二層構造を形成し、戦後期の常勤職員 と非常勤職員との関係を連想させる構図を示していた。もちろん、非官吏と非常勤職員の 間には任用や処遇等の制度面での違いは存在するだろう(5)。こうした限界はあるが、非官 吏制度を考察することにより、非常勤職員制度の今後の方向性に対する新たな示唆は期待 できると思われる。
ここで、戦前期における日本の行政機関を考えると、勅任官、奏任官、判任官等の官吏 の他に、雇員、傭人等の非官吏が存在し、組織の末端で官吏を支える役割を担っていた。
ところが、非官吏については、官吏を遥かにしのぐ人数がいたにもかかわらず、その実態 はよく知られていない(6)。また、戦前期の研究についても、非官吏が積極的に調査された とは言い難い状況であった。例えば、美濃部達吉(1910)は「官等ノ外ニオカル﹅者」と いう文言を用いたが、このことから明治時代後半期には法学者により、官吏以外の者の認 識がなされていたことが分かる。しかし、それはあくまで官吏の例外的存在として消極的 に捉えられていたにすぎなかった(7)。
行政機関の中心的役割を果たしてきた官吏は、早くから制度的な把握がなされ、官吏制 度の研究が進んだ。一方、非官吏は第
1
章以降で述べるように、官吏以外の者を概括的に 整理することは行われても、「制度」として体系化するまでには至らなかった。むしろ、「制 度」の積み重ねにより形成された「身分」を重視して把握する傾向が強かったと言えよう。そこで、非官吏について理解を深めるためには、雇員、傭人等の歴史を改めて調査するこ とにより、その形成・変遷過程を通じて非官吏制度を包括的に捉え直す必要がある。
また、辻(1969)、村松岐夫(1982、1983)によると、官吏制度が戦後期の公務員制度 に与えた影響を窺い知ることができる(8)。しかし、公務員制度について戦前期との関係を
(5) 濱口桂一郎(2013)「非正規公務員問題の原点」『地方公務員月報』(2013年12月号)第一法規出版:
http://homepage3.nifty.com/hamachan/chikouhiseiki.html(2015年2月20日アクセス)。それによると、
戦前期の雇員・傭人は私法上の雇用契約関係にあったのに対し、戦後期の「非正規公務員」にはそれがな いばかりか従来の官吏のような身分保障も無い存在となったとしている。なお、「非官吏」という言葉は戦 後期に見られるようになるが、これは第1章で確認する。
(6) 内閣統計局編(1939)『大日本帝國統計年鑑(第五十八回)』東京統計協會pp.368―369によると、昭 和13年末現在で官吏(勅任官、奏任官、判任官)の167,343人に対し、雇(雇員)は353,698人と圧倒 していた。なお、傭(傭人)の総数は不明であるが、それを加えれば、さらに官吏と非官吏の人数差は広 がるであろう。
(7) 美濃部達吉(1910)『日本行政法 第二卷』有斐閣書房pp.443―444
(8) 辻(1952b)前掲p.57。なお、村松岐夫は、村松岐夫(1982)『戦後日本の官僚制(第2刷)』東洋経
考察する場合、官吏制度からの影響を取り上げるだけでは、行政機関の全体像を十分に解 明することはできないだろう。すなわち、非官吏制度を官吏制度と一体的な存在として考 えることも求められるのである。
以上を踏まえ、本論文では「非官吏制度の成立および変遷」をテーマに考察し、戦前期 の非官吏制度について体系的に把握することを目指す。そして、その考察を円滑に進める ための指針として次の
2
つの問題を挙げるものとする。第
1
に、非官吏の実態の不明確さは、非官吏制度研究の低調さを反映していると思われ るので、その要因を探る必要がある。前述したように非官吏は行政機関の構成員であった ため、戦前期の行政を考える上で研究されていてもおかしくはない。しかし、非官吏は官 吏に比べ、研究対象として登場する機会に恵まれなかった。ここで、非官吏について明確 な理由も示さないまま行政から遠ざけて考えてしまうことが、果たして妥当なのかという 疑問も生じる。西尾勝・村松岐夫編(1994)は、戦前期における官庁間の割拠主義の存在 を指摘しているが、それが非官吏制度研究に支障を及ぼした可能性もある(9)。第
2
に、非官吏制度と官吏制度との関連性について明らかにすることが求められる。非 官吏は官吏と共に行政機関でその職務を果たしていたことから、当然に官吏との仕事上の 接点はあったはずである。これは個々の職場だけでなく、行政機関全体としても成立して いたと思われる。しかし、非官吏は行政機関の下層部分に集中し、官吏と比べて目立ちに くい存在であったため、全体像を把握しにくい状況にある。そこで、非官吏制度を可能な 限り明らかにして官吏制度との関連性を見出し、体系的に捉えることが必要になる。以上の観点から議論した研究は管見の限り認められない。したがって、本論文において 非官吏制度を研究テーマとして採り上げる必要性が感じられる。
2.仮説とアプローチ方法
非官吏については、前述した役割から判断すると、官吏の仕事を補助する必要から生じ
済新報社pp. 10―13において、辻の考え方を「戦前戦後連続論」として捉えた。さらに、村松は、村松岐
夫(1983)「行政学の課題と展望」『行政学の現状と課題(年報行政研究17)』ぎょうせいpp. 53―55に おいて、その考え方は「日本の行政にかかわる政治文化」(例:官尊民卑、組織行動におけるタテ社会的性 格)を説明しやすいという特徴があると指摘した。
(9) 西尾勝・村松岐夫編(1994)『講座行政学 第2巻 制度と構造』有斐閣p.81によると、雇員・傭人等 の非官吏の採用・給与は各省庁の課長級の人事担当者が個人的裁量で決定する傾向が強かったとされる。
たと言える。さらに、その役割が拡大して、官吏の仕事を代替する者も現れた可能性があ ることも考慮しなければならない。そして、これに伴い発生したと思われる「非官吏の位 置づけのあり方」と「仕事に見合う処遇」の問題への政府の対応も注目される。こうした 状況を踏まえ、本論文では次の
2
つの仮説をもとに考察する。すなわち、(1)非官吏の 不安定な立場の形成、(2)非官吏制度を巡る改革とその限界、である。それらの仮説を検 証することにより、前述した2
つの問題への新たな知見が期待できる。本論文において非官吏制度研究を進めるにあたって、当時の制約された資料が過去の研 究に影響したことは十分に想定される。そこで、先行研究を生かし、一次資料を発掘しな がら、アプローチ方法を工夫することが強く求められる。その際に注意すべきことは次の
2
点である。第
1
に、研究対象となる非官吏の範囲を明らかにすることである。それは単なる研究の 現状把握のみならず、本論文で行う考察の重要な手がかりにもなる。第2
に、非官吏制度 の歴史的理解と研究分野を越えた学際的アプローチが求められる。それは非官吏について 多面的でより深い理解をすることにつながると考える。この2
点により、非官吏制度の推 移だけでなく、非官吏をそれぞれ比較することが可能となる。本論文では、戦前期の非官吏制度の歴史を調査し、行政機関における非官吏の位置づけ の把握することを試みる。ただし、戦時中(第二次世界大戦の期間)およびその直前の期 間は、行政機関が長期に渡って戦争という特殊な環境に巻き込まれたため、非官吏制度に ついてもその時期に特有の分析が必要となる。辻(1991)は、我が国の官吏制度改革によ る科学的人事行政が、戦争遂行という不可避の政治的至上命令により現実化へと向かう可 能性があることを、戦時中に示唆していた(10)。よって、それが非官吏制度に与えた影響も 考慮しなければならなくなる。さらに、戦時下における非官吏に関する資料の制約も大き いため、その詳細な分析は現時点では困難である。したがって、考察の対象から外すこと にする。
3.用語およびその他の注意
次章以降で使用する用語等について、本論文の理解に必要な範囲で注意すべき点を次の
(10) 辻(1991)前掲p.160、p.298
通り確認する。
第
1
に、本論文のテーマである「非官吏」について、その対象範囲は「雇員、傭人、待 遇官吏」とし、その理由は第1
章で述べるものとする。なお、「待遇官吏」について、参 考文献によっては他の言葉(「待遇職員」、「官吏待遇」)が用いられることがある。これら は特段の断りの無い限り、全て「待遇官吏」を指すものとする。また、本論文のタイトル の英文表記について、「雇員・傭人・待遇官吏」を‘Koin(High Class Employee),Younin(LowClass Employee) and Taigukanri(Ranking as an Official)’としたが、これは戦前期の『逓
信省年報』の記載を参考にした(11)。第
2
に、非官吏の給与等の一般的な「待遇」については、前述した待遇官吏の用語中の「待遇」との混乱を避ける必要がある。そこで、参考文献からの引用以外では「処遇」の 言葉で表すことにする(12)。なお、参考文献の関係で給与関連の用語が複数(「給与」、「給 料」、「月給」、「月俸」、「俸給」等)混在している。しかし、いずれも同様の意味で使用さ れており、誤解は少ないと思われるため、本論文もそれに合わせて表記する(13)。
第
3
に、美濃部達吉(1932)によると、「行政機関」は天皇の官制大権により設置・廃 止され、その種類には行政官庁等があるとしている。そして、本論文の対象は行政官庁以 外(例えば、会計検査院等の「監査機関」、鉄道局や逓信官署等の「企業機関」)にも及ぶ ため、行政官庁等を表わすものとして主に「行政機関」の用語を使用する。また、美濃部 によれば、行政機関の構成員は通常は官吏であるが、雇員・傭人等の民法上の契約による 雇用関係にある者も含むとされている(14)。第
4
に、非官吏の仕事を「職」、その仕事の名称を「職名」と表わすことにする。ここ で、非官吏は「任官捕職」のある官吏と異なるため(15)、それらの用語の使用に疑問が生じ るかもしれない。しかし、濱口桂一郎(2013)によると、戦前期の雇員・傭人は労働者に(11) 遞信大臣官房文書課(1924)『第三十六回 遞信省年報』遞信大臣官房文書課p.13
(12) 「処遇」という言葉は、戦後期において公務員の「待遇」を表わす用語として用いられている。例え ば、人事院(2014)「国家公務員の給与の在り方に関する懇話会」最終報告p.12・人事院ホームページ:
http://www.jinji.go.jp/kenkyukai/kyuyokonwakai/newpage1.html(2015年2月20日アクセス)による と、国家公務員について給与以外にも退職金や年金等の処遇全般に関する議論の重要性が指摘されている。
(13) ただし、人事院給与局職階課(1955)「旧雇傭人制度の概要」によると、給与について官吏では「俸給」、 雇員・傭人では「給料」と呼ぶとされることから、厳密には両者を区別する必要がある。
(14) 美濃部達吉(1932)『行政法撮要 上卷(改訂增補第三版第七刷)』有斐閣p.158、pp.166―169、pp.183
―185
(15) 杉村章三郎、山内一夫編(1975)『行政法辞典』ぎょうせいp.64
特定の職務を与える「ジョブ型雇用」であったとされ、ここに「職」の概念を認めること ができる(16)。さらに、当時においては雇員、傭人の仕事を示す名称として「職名」を用い た行政官庁も見られた(17)。したがって、非官吏に対する「職」と「職名」の用語の使用も 許容されると考えられる。
最後に、疑義の生じる可能性のあるその他の用語のうち、特定の章や節でのみ用いられ るものは、該当箇所において(注)等により補足説明を行う。そして、本論文の各章、各 節で用いられる記号は、項目の大きい順に「1、2、3、・・・」、「(1)、(2)、(3)、・・・」、
「①、②、③、・・・」、「a、b、c、・・・」により表記する。さらに、年号表記は和暦 を基本とするが、分かりやすさの観点からできる限り西暦も併記する。
一方、その他の注意を要するものとして次の
3
点を挙げる。第
1
に、第2
章のタイトルである「非官吏制度の成立過程」については、各制度(雇員、傭人、待遇官吏)の成立する「過程」を重視している。よって、「成立」を必ずしも特定の 時点(法令の制定等)に求めておらず、制度の定着化まで含めて議論しているものもある。
第
2
に、本論文は雇員、傭人、待遇官吏を非官吏制度の構成要員として時系列的に分析 したため、制度上の共通部分が存在する。その結果、各章、各節で重複や類似の記述があ る程度発生する。特に、参考文献としてブルンチュリの『國法汎論』や行政調査会の資料 は本論文の中心となる資料であるので、該当する各章や各節で用いることにする。最後に、本論文は戦前期を対象としているため、当時の用語の中に現在では社会的差別 や人権問題にかかわると言う意味で相応しくないものもあるかもしれない。しかし、当時 の参考文献の表記を尊重するため、そのまま使用せざるを得ないと考える。
(16) 濱口(2013)前掲
(17) 海軍省編(1972)『海軍制度沿革 巻十一の1(復刻原本:昭和十六年発行)』原書房p.6
第1章 非官吏制度研究についての一考察
第1節 先行研究の確認 1.非官吏の範囲
まず、本論文において考察を行う非官吏の範囲を明らかにしなければならない。非官吏 については、行政学等の基本書とされる書籍には論及あるいは言及されている。そして、
その主なものを取り上げると、次の定義を挙げることができる(1)。
渡辺保男(1976)によると、「非官吏には雇員、傭人、嘱託があり、雇員は判任官に任 用される前段階と考えられたことが多く、属を補助し、機械的・反復的業務に従事する者 であり、傭人はおもに肉体的労働に従事する者(以下略)」[渡辺
1976:113―114]とされ
た。さらに、渡辺は嘱託について後述の通り様々な立場の者がいたことを示している(2)。西尾勝(1993)によると、「官吏とは天皇によって任命される職員であり、その点では それ以外の雇・傭人と区別されていた。雇とは高等小学校卒程度の学歴をもち事務員とし て採用された人々、傭人とは義務教育修了後に労務に従事する現業員として採用されてい た人々のことである。(中略)雇・傭人の雇用は民法上の契約とされ、その給与は日給制で あった。」[西尾
1993:103]
(3)とされている。真渕勝(2009)によると、「明治憲法の下では、国の事務に携わる者を官吏とそれ以外 の非官吏(雇員、傭人、嘱託など)とに身分的に区別していた。(中略)非官吏は私法上の 雇用関係に立っていた。」[真渕
2009:32]とされた。さらに、真渕は非官吏(日給制)を
雇人(ママ)(判任官に任用される前段階、機械的・反復的業務)、傭人(肉体労働)、嘱託(臨 時職など)に分けて説明している(4)。これらの記述より、非官吏には雇員、傭人、嘱託がおり、「雇員は事務労働、傭人は肉体 労働、嘱託は臨時労働に主に従事し、いずれも私法契約に基づき労働を行う非官吏である。」 という概略的な定義が導かれることになる。つまり、非官吏に対する現在の研究者の理解
(1) 非官吏の定義は、研究者によって様々な表現で示されている。しかし、本論文においてそれら全てを列 挙することは困難であるため、例示列挙することにした。
(2) 渡辺保男(1976)「日本の公務員制」『行政学講座 第2巻 行政の歴史』東京大学出版会p.114
(3) 西尾は雇員にあたる用語として、「雇」を用いているため、それをそのまま用いた。なお、西尾勝(2009)
『行政学(新版第17刷)』有斐閣p.133においても、この記述は維持されている。
(4) 真渕勝(2009)『行政学(初版第1刷)』有斐閣p.33
は、この考え方を基準にしているということになる。
そして、嘱託については、前述の渡辺(1976)によると、「嘱託は大臣や政務次官との 特別な関係で進退を共にする者、退職官吏で再び雇用された者で一時的臨時的な職務、あ るいは個別的特殊な職務に従事する者、あるいは専門的調査研究に従事する者」[渡辺
1976
:114]と多岐に渡っていた。しかし、これらを詳細に調査し、実態を把握することは、
現時点で入手した資料では極めて困難であり、十分な研究を進められる状況にはない。よ って、本論文の調査対象から除外することにする。
表1 雇員・傭人と官吏の両制度の違い
制度 雇員・傭人 官吏
国家との関係 私法上の関係 国家の特別な公法的規律 定数、定員(5) 法令的規制は無く、変動的 各省官制で規定し、安定的 職務内容 雇員は官吏の補助的業務を行い、傭
人は主に肉体的労働に従事
行政権の執行につき、一定の 権限を有し、行政事務を実施 採用 予算の範囲内で各官庁が任意採用 資格任用制
昇任 雇員は判任官任用の前段階だった が、傭人は一部例外(現業等)を除 き、その任用無し
(記載無し)
(出典:飯野達郎編(1972)『公務員任用制度詳解』帝国地方行政学会
pp.25―27
より筆 者作成)なお、雇員・傭人制度については飯野達郎編(1972)により概要の整理がなされている
(6)。表
1
によると、前述した雇員・傭人の定義は「国家との関係」「職務内容」において表 現されているが、「定数」「採用」「昇任」の実態も明らかにされている。すなわち、雇員に(5) 飯野達郎編(1972)『公務員任用制度詳解』帝国地方行政学会p.25によると、官吏には「定員」、雇員・
傭人には「定数」という表現がそれぞれ用いられているため、その記載を尊重した。
(6) 飯野編(1972)前掲は、人事院による任用制度の体系的、実務的な解説書である。飯野らは、戦後期 の国家公務員制度の説明に先立ち、戦前期の官吏制度について言及しているが、それに併せて雇員・傭人 制度の整理を行った。そして、非官吏については雇員、傭人以外に嘱託にも触れているが、雇員・傭人と 同様に制度の概要説明となっている。
ついては、判任官任用の有資格者が順調に任官できず、雇員のまま長期に渡る滞留を余儀 なくされた。それにより、その職務内容は次第に判任官並みの業務に近づいたため、判任 官との差異は職務内容から身分によるものへと変化した。さらに、傭人については、身分 的に雇員の下位にあり、「職務上雇員とは全く別個の性質を有し、独自のグループを形成し て」[飯野編
1972:27]いたのである。
また、人事院給与局職階課(1955)は、官吏と雇員・傭人等の区別の基準として官吏の 定員に注目した。そして、そうした定数規制がもたらした官吏・非官吏間の身分的観念は、
現在の非常勤職員に関する問題にも当てはまるとしている(7)。
一方、前述の非官吏の定義に含まれてはいないが、併せて検討すべきものとして待遇官 吏を挙げることができる。待遇官吏については、行政法学等の基本書にあたるものから定 義を例示列挙すると、次の通り記載されている。
美濃部達吉(1910)によると、「官吏ニシテ一定ノ官等ヲ與ヘラル丶コトナク、唯勅令 ノ規定ニ依リ或ハ奏任官待遇トセラレ或ハ判任官待遇トセラル丶者」[美濃部達吉
1910:
440]とした。
杉村章三郎(1936)によると、「待遇官吏とは官府の構成者として政府に對し繼續的の 勤務義務を負ふに係らず、身分上は高等官又は判任官としての正式の官等を與へらるるこ となく、單にその待遇を享けるに止まる者を云ふ。」[杉村章三郎
1936:11]とされた。
日本公務員制度史研究会編(1989)によると、「国家に対し忠実かつ無定量の勤務に服 すべき公法上の義務を負うべき者である点では官吏と差異はないが、国庫から俸給を受け ない(府県から俸給を受けたり、別途の収入等がある。)等の理由により、正式に高等官又 は判任官とはされず、その待遇を与えられている者」[日本公務員制度史研究会編
1989:
53―54]
(8)としている。これらの説明により、「待遇官吏は、実質的な官吏として国の仕事を地方等の費用で行い、
官吏との処遇に格差があった職員である。」と概略的に述べることができる。したがって、
(7) 人事院給与局職階課(1955)前掲p.4、p.11
(8) 日本公務員制度史研究会編(1989)『官吏・公務員制度の変遷』第一法規出版p. 54によると、待遇官 吏の処遇について、「宮中席次その他宮中又は国家の公の儀礼において高等官又は判任官に準ずる待遇が与 えられることを意味する」[日本公務員制度史研究会編1989:54]とした。しかし、そのような処遇を与え られても、国家に対する忠実無定量の勤務に服すべき公法上の義務を負わない者(日本銀行総裁等)は、
官吏としての性格が無く、待遇官吏ではないとした。
待遇官吏はその特殊性から見て官吏に含めて考えるべき存在ではなく、むしろ非官吏と併 せて考察するべき対象であると思われる。
以上のことから、本論文において扱う非官吏の範囲を、雇員、傭人、待遇官吏の三者と して、非官吏制度の調査を行うものとする。
2.各学問分野からのアプローチ
序章の考察手法により、学際的アプローチの必要性を指摘したが、実際に先行研究の検 討を体系的整理の無いまま進めると、混乱を招く恐れがある。よって、便宜的に既存の学 問分野ごとに検討を行い、その現状を確認することにする。そして、非官吏を比較的取り 上げているものとしては大きく分けて、行政学、行政法学、労働経済学、歴史学という
4
つの学問分野に整理することができる。そこで、以後の議論においてはこの順番で検討し たい(9)。なお、待遇官吏については、前述の定義以外の先行研究は極めて少ないため、雇 員・傭人制度の後に学問分野を区分せずに述べる。これらの先行研究の分析により、非官 吏制度研究における課題が示されると思われる。(1)行政学
①初期における雇員・傭人制度研究
行政学における雇員・傭人制度へのアプローチは戦後期に散見されるが、前述した先行 研究以外の代表的な研究としては、次のものがある。
まず、辻(1952b)は、日本官僚制の抱える問題に対応するために「對民衆官紀」の必 要性を述べた。その理由として、「官尊民卑」と「官庁機構自体に内在する非民主性」とい う
2
つの課題が指摘されている。ここで後者に関連して、給与の観点から非官吏の処遇の 問題に関心が示されたことは注目される(10)。なお、辻と同時期に、長浜政寿(1952)は、雇員・傭人について戦前期と戦後期におけ
(9) もちろんこの4分野以外にも細分化することは可能である。しかし、それは議論の複雑化を招き、結論 に至る過程を一層困難にするという弊害を招く恐れがある。よって、対象分野を代表的なものに限定した。
なお、検討する先行研究には学際的アプローチもあるが、その論文タイトル、掲載誌名、研究者の経歴等 を参考に、主な学問分野とされるものに分類した。
(10) 辻清明(1952b)前掲pp.57―58、p.181、pp.190―192。なお、この考え方は、辻清明(1969)『新版 日本官僚制の研究』東京大学出版会においても維持されている。
る捉え方の違いを示した。すなわち、雇員・傭人は、戦前期は「民法上の雇傭契約」とい う法律関係により非官吏として、戦後期は「單純な勞務の提供」という職務内容により特 別職として、それぞれ官吏や一般職から区別されたという指摘がなされた(11)。こうした戦 後期における雇員・傭人の位置づけの転換については、本論文の議論の対象からは外れる が、傾聴に値する内容であろう。
次に、川中二講(1962)は、戦前期の官僚制の特徴として、専制主義と家父長主義を挙 げ、当時の行政管理の実態を示した。それは雇員・傭人制度への直接の言及は無かったが、
行政機関の下層を占めた非官吏の存在を意識した内容であった(12)。
さらに、吉富重夫(1976)は、官僚制を統治現象と管理現象の
2
つの側面から把握し、統治の民主化が進行している現代では、管理合理化の方に重点が置かれているとした(13)。 しかし、これは行政機関の全体的特徴を捉えたものの、非官吏に焦点を当てるまでには至 らなかった。
その後、足立忠夫(1978)により、戦前期の官吏と雇員・傭人の区別がドイツの影響を 受けていることが示された。また、この区別は戦後期の管理職と一般職の区別としての性 格を残し、非組合員と組合員の区別にも通じるとされた(14)。ただし、これは主に常勤職員 を念頭に置いた区別であり、非常勤職員の位置づけの面で課題を残した。こうした非官吏 制度の由来および戦後期との関連性についての知見は、当該制度を理解する上で参考にな るであろう。
②近年の雇員・傭人制度研究
前述の辻(1952b)らの先行研究により雇員・傭人制度の抱える問題点が次第に明らか になったことを踏まえ、実証的性格を持った研究が現れた。
まず、西村美香(1999)は給与政策に着目し、戦前期における官吏、吏員、雇員・傭人 の特徴を比較した。そのうち雇員・傭人については、私法上の雇用契約関係により各官庁
(11) 長浜政寿(1952)『公務員の本質と責任』要書房pp.8―10
(12) 川中二講(1962)『現代の官僚制―公務員の管理体制―』中央大学出版部p.5、p.8
(13) 吉富重夫(1976)「官僚制論と行政学」『行政学講座 第1巻 行政の理論』東京大学出版会pp.165―166
(14) 足立忠夫(1978)『職業としての公務員―その生理と病理―』公務職員研修協会pp.319―320
が決定していたが、その給与水準は低く、組合運動による賃上げもあったとされる(15)。な お、西村は戦後期の給与政策を論じるための前段階として戦前期を取り上げたことから、
それは概要説明的な内容となった。
この給与分野の研究をさらに進めたのが、稲継裕昭(2005)であった。稲継によると、
日本の戦前期の官吏給与は、当初組織内格差が大きかったものの、その後の臨時の勅令や
「上薄下厚」の改定等により徐々に縮小したとされる(16)。そして、雇員、傭人に関連する 事項ついては、次の指摘を行っている。
第
1
に、雇員、傭人の給与制度の特徴を述べたが、その内容は前述の西村(1999)と同 様であった。なお、稲継は戦前期の政府統計(『日本帝國統計年鑑』)についても取り上げ ているが、そこでは統計上は「雇員」の用語が明治30
年代前半まで登場していないこと に触れている(17)。第
2
に、昭和初期の官吏減俸問題を取り上げた。その背景には、第1
次世界大戦後の行 政機構の拡大に伴う人件費の増大があるとされる。当時の政府財政状況は、「大正十四年度 当初に比べて、昭和六年度当初では、俸給で一割余、雇員給で約三割、傭人料でそれぞれ 一割余の増加となって」[大蔵省昭和財政史編集室編1955:60]いた。そして、政府による
官吏減俸が行われた結果、減俸率は高官に厚く、下級官吏に薄い(あるいは減俸無し)と する形で実施がなされ、組織内格差の縮小がさらに進んだとされる(18)。第
3
に、政府統計(前掲)を用いた「官吏・雇傭人の平均給与月額の推移」が注目され る(19)。これは給与格差の変遷(1882―1938年)を表わしたものであるが、公務の官吏(勅 任官、奏任官、判任官)と非官吏(雇傭人)のみならず、民間(日雇い男子、製造業男子)、 消費者物価指数も示している。すなわち、公務の組織内だけでなく、民間との比較も実施 した。しかし、稲継は給与格差縮小の問題を、官吏中心に捉えていたため、雇員、傭人の 状況については詳細に述べられていなかった。その後、川手摂(2006)により戦後期の公務員制度を論じる前提として、戦前期の雇員・
(15) 西村美香(1999)『日本の公務員給与政策』東京大学出版会pp.10―11
(16) 稲継裕昭(2005)『公務員給与序説―給与体系の歴史的変遷』有斐閣p.4
(17) 稲継(2005)前掲p.12
(18) 稲継(2005)前掲pp.24―26
(19) 稲継(2005)前掲p.11、p.27。なお、稲継はここでは雇員、傭人ではなく、「雇傭人」という用語を 用いているので、この箇所ではそれを用いることにする。
傭人制度への言及がなされた。それは前述の人事院給与局職階課(1955)、飯野編(1972)
等を踏まえ、従来の知見の整理をしたものであった(20)。
いずれにしても、近年の雇員・傭人制度研究では、「給与」という特定のテーマではある が、実証研究が行われた。以上の動きはあったものの、行政学分野については、総じて官 吏中心の議論が行われ、雇員、傭人については依然として脇役として考える傾向が続いて いると言える。
(2)行政法学
①戦前期における雇員・傭人制度研究
行政法学における雇員・傭人制度研究は戦前期から行われていた。例えば、佐々木惣一
(1908)は既に明治期において「官吏ハ國家ニ對シテ公法關係ニ在リ雇員ハ國家ニ對シテ 私法關係ニ在リ」[佐々木
1908:51]と述べている
(21)。しかし、雇員、傭人については、総 じて関連する個別の法解釈に関する部分において検討され、断片的性格の強いものであっ た(22)。したがって、研究も官吏制度ほどの広がりは持たなかった。戦前期の官吏制度の代表的研究としては、杉村章三郎(1936)を挙げることができるが、
それについても雇員、傭人についての記載は決して多いとは言えなかった(23)。杉村による と、雇員には次の特徴があるとされた。
第
1
に、雇員は傭人と異なり「俸給を得て公務を奉ずる者」に該当するため、官吏服務 紀律の適用を受けるべき者と解される。よって、「實質の意義に於ける官吏」に含めること も必ずしも不当とは言えないとしている。第2
に、文官任用令が判任官の任用資格として 挙げた「四年以上雇員タル者」の規程から、雇員の地位に公的重要性を認めたと解される とした。しかし、杉村は同時に「現行法が尚雇員の任用、分限其の他の待遇について正式の官吏 と異なる規律を設くることが多いことは之を認めなければならない。」
[杉村 1936
:12―13]
(20) 川手摂(2006)『戦後日本の公務員制度史(第2刷)』岩波書店pp.14―16
(21) 佐々木惣一(1908)「官吏ト雇員」『法學新報第十八巻第七號』法學新報社p.51
(22) 鵜養幸雄(2009)「『公務員』という言葉」『立命館法学327・328号』立命館大学法学会pp.129―131 によると、明治時代において、雇員、傭人は刑法(当時)上の「公務員」に含まれるか否かという観点で 議論された、としている。
(23) 杉村章三郎(1936)「官吏法」『新法學全集第3巻 行政法Ⅱ』日本評論社pp.12―13
とも述べている。すなわち、杉村は雇員の公的重要性を認めてはいたが、正式の官吏とは 一線を画する慎重な姿勢を維持していたのである。
なお、杉村は、官吏を規律する官吏法が明治時代より全体として体系化されないまま、
独自に発達した個別法規の集積から形成されたと主張している(24)。これは前述の雇員・傭 人制度研究の断片的性格にも影響したものと思われる。
②戦後期における雇員・傭人制度研究
前述の通り、戦前期の行政法学は他の学問分野に比べ、雇員・傭人制度研究が比較的行 われていた。しかし、戦後期は官吏制度から公務員制度への転換に伴い、雇員、傭人も研 究対象としての魅力が失われていったように見える。
例えば、田中二郎(1955)では、雇員・傭人制度について、「舊憲法の下においては、
官吏と雇員傭人とを區別し、前者は、國との間に公法上の勤務關係に立つもので、國の公 の任免行爲により、その關係が發生・變更・消滅することになつていたのに對し、後者は、
國との間の雇傭契約關係に立つもので、私法上の雇傭契約によるものとされていた。」[田
中
1955:352]と述べられた。これは、前述した雇員・傭人の定義と同様であり、雇員・傭
人制度研究の停滞を窺い知ることができる。
その後も雇員、傭人が行政法学で積極的に取り上げられることは無かった。例えば、塩 野宏(1995)においても、「明治憲法の下では、国の場合には、特別の公務員法制に服す るのは、官吏であり、当時の公務員法制とは官吏法であった。これ以外の者は、雇員つま り事務職員と、傭人つまり単純労働的職務に従事するものとに分かたれていた。」[塩野
1995:187]と記載された。なお、塩野はこの身分上の区別についてドイツを模範にしたと
述べている(25)。それと同様の言説は前述した行政学の足立(1978)においても見られるが、雇員・傭人制度の沿革を知る上で重要な要素となるであろう。
以上のように、行政法学にとっての雇員・傭人制度研究は、戦前期から戦後期にかけて 次第に前述の定義とその関連項目を残すのみの消極的存在になっていったと言える。
(24) 杉村(1936)前掲p.4
(25) 塩野宏(2012)『行政法Ⅲ(第4版第1刷)』有斐閣p.268においても、これらの記述は維持されてい る。
(3)労働経済学
①実証的性格の強い雇員・傭人研究
労働経済学においては、前述の行政学や行政法学と比べて、実証的性格の強い研究が行 われてきたことが大きな特徴である。その代表として挙げられるのが、早川征一郎(1994)
である。早川は戦後期の非常勤職員制度の前段として、戦前期の雇員・傭人制度について 言及しているが、具体的には次の通りである。
第
1
に、政府資料等に基づく官吏(勅・奏・判任官)と非官吏(雇員・傭人)の人数の 推移を示した上で、1920
年代以降の雇員、傭人の急増(特に通信、国鉄等の現業部門)を 指摘した。そして、ここで特筆すべきは、雇員と傭人の個別人数が、政府資料により特定 の年とはいえ把握できたことである。早川は、昭和6
年(1931年)12月現在の官庁人員 の総合計794,399
人のうち、官吏(勅任官、奏任官、判任官)138,400人、雇員403,748
人、傭人
246,793
人と、8割を超える人数が雇員、傭人であったとし、特に傭人の多さに注目している(26)。
第
2
に、第1
次世界大戦後に顕著になった民間労働者の処遇向上と労働運動の激化、お よび給与における官民格差の縮小についても触れている。なお、早川は給与について前述 の稲継(2005)前掲とは別の資料を用いて、官吏(奏任官、判任官、雇・傭人)、官営工 場(役員、職工)、民間(職工)の比較を行い、同様の結論を得ている。そして、これらは 判任官、雇員、傭人にも大きな影響を与え、その処遇改善を求める運動が活発化したので あ る(27)。 し か し 、「 組 織 化 と そ の 運 動 の 展 開 は 、 ほ ぼ 現 業 に と ど ま り 、 非 現 業(non-industrial)部門では見るべき運動はほとんど無かったに等しい。」
[早川 1994:38]
状況であったとされる。
第
3
に、地方官庁の労働運動の状況について描写していることも注目される。すなわち、早川は東京市の現業部門の組合結成に言及し、その中の東京市従業員組合が昭和
4
年(1929年)に臨時工の常用化運動を展開したことを取り上げた。そして、当該組合の取り 組みの先駆的意義を強調したのである(28)。これは戦前期の組合が官庁の組織構成に影響を
(26) 早川征一郎(1994)『国・地方自治体の非常勤職員―制度・実態とその課題―』自治体研究社pp. 33
―36
(27) 早川(1994)前掲pp.37―38
(28) 早川(1994)前掲p.38
及ぼす運動を既に実施していたことを表わしたものと言えよう。
以上の通り、早川の研究については、政府資料等に基づく雇員、傭人の実態把握、それ に関連した労働運動の抽出に努めた実証研究に特徴がある。しかし、同書の比重は大きく 戦後期の非常勤職員に置かれ、雇員、傭人はその前史として概括的に整理された。そうし た意味で、全体的には総論的性格が強かったものと考えることができる。
②個別テーマに焦点を当てた雇員・傭人研究(その1)
実証研究を特徴とする労働経済学においても、早川(1994)以後の官庁の雇員・傭人研 究はあまり進捗しているとは言えない状況であった。そうした中で、戦前期の地方官庁に ついての人事制度に焦点を当てた個別、具体的内容の研究が現れた。すなわち、加藤智康
(2009)の研究がそれである。
加藤は明治期の東京市職員の人事制度について、事務を執る吏員とその事務を補助する 雇員を取り上げた研究を行った。それによると、当時の東京市の抱える人事制度上の問題 として、「市制特例期における昇給の閉塞」、「東京市役所の開庁と『刷新』の必要」、「職員 の薄給と低い定着率」、「任用規制の不在と情実任用の弊害」があった。それらの中で、雇 員に関連する項目を挙げると、次の通りである。
第
1
に、「市制特例期における昇給の閉塞」については、明治22
年(1889年)の市制 町村制施行後の市制特例期にあった東京市の雇員の実態が示された。つまり、雇員には吏 員のような給料額、定員、増俸に関する規則は無く、東京市内の区役所はそれぞれ予算の 範囲内で雇員を使用し、その進退も決定した。なお、月給8
円以上の雇員の進退には市の 許可が必要とされた(29)。第
2
に、「職員の薄給と低い定着率」については、吏員の薄給による定着率の低さから、その吏員より下位で待遇の薄い雇員の定着率のさらなる低さを推定している。そして、雇 員の勤続期間については、吏員昇格の厳しさから
3、4
年で見切りをつけて退職すること が普通だったことも指摘している。また、こうした雇員の勤続期間の短さは東京市以外に(29) 加藤智康(2009)「明治期の東京市職員―人事制度からの接近―」『社会経済史学第75巻第4号』社 会経済史学会p.53
も当てはまるとした(30)。
なお、「東京市役所の開庁と『刷新』の必要」、「任用規制の不在と情実任用の弊害」につ いては、雇員に関する記述は無い(31)。
一方、加藤によると、東京市は上記の昇給の閉塞、職員の流出という問題を解決するた め、職員の処遇見直しとして、「昇給の定期化」、「退職料支給年限の短縮」を実施したとさ れる。しかし、加藤は前述の「昇給の定期化」にもかかわらず、「待遇の実態」として、家 族持ちの吏員の窮乏を明らかにしている。そして、吏員よりもさらに処遇の低い雇員はな おさら生活が成り立たない状況にあることも想定しているのである(32)。なお、「退職料支 給年限の短縮」は吏員の制度であるため、雇員についての記載は見られない(33)。
そして、加藤は吏員と雇員の処遇格差について、給与以外にも市吏員退隠料条例や市吏 員分限規程の不適用といった格差があったことに触れている。さらに、その他にも雇員の 吏員への昇格の困難さが深刻な影を落としていた。この背景には、吏員と雇員の退職率の 低下があったことに加え、財政事情のため吏員よりも雇員の増員を行うことで事務量増加 に対応した東京市の方針もあった。こうして昇格待ちの「雇員の渋滞」が発生するととも に、雇員の担う職務の重要性が高まったとしている(34)。
また、吏員への任用については、加藤によると、実務経験重視の観点から当初は雇員か らの昇格が多かったものの、次第に実績のある行政事務経験者を吏員に直接任用する例も 増えてきたようである。なお、当時は情実任用の排除が課題となっていたので、「市吏員任 用規程の制定」により、試験と学歴による任用制度が導入された。ただし、それと同時に、
満
3
年以上勤続の「雇員及ヒ之ニ準スル者」の任用も認められた(35)。しかし、その運用実 態は、制度導入当初こそ試験・学歴による任用が優勢であったが、次第に従来の長期勤続 雇員の任用へと戻っていった。結局、東京市においては、吏員への昇格は雇員経由が主流 という実態が根強く残っていたのである(36)。(30) 加藤(2009)前掲pp.56―57
(31) 加藤(2009)前掲pp.54―55、p.57
(32) 加藤(2009)前掲pp.60―61
(33) 加藤(2009)前掲pp.59―60
(34) 加藤(2009)前掲pp.62―63
(35) 加藤(2009)前掲pp.64―65
(36) 加藤(2009)前掲pp.67―68
最後に、加藤は「官公庁職員の労働市場」についても触れている。その特徴は、ホワイ トカラーのカテゴリー内での人材の流動性は、東京市にもほぼ当てはまるとしつつも、「民 から官へ」の流れは少なく、「官から民へ」の流れが多かったというものである。そして、
その高い流動性は、「産業革命期に特有のものではなく、明治初期から続くものだった」
[加
藤
2009:69]と指摘した。それは「労働市場の供給過剰」が東京市も含めた官庁の雇員層
拡大・固定化の背景にあり、その低い処遇に耐え切れない者が民間企業へと流出したこと によるとされた(37)。
以上のように、加藤の研究は、東京市という地方官庁ではあるが、その人事制度を通じ て雇員の問題を初めて大きく取り上げた点で、画期的なものであったと言えよう。特に、
雇員について、労働経済学を基盤にしつつ、学際的アプローチ手法を取り、前述の知見を 導き出したことは注目に値する。
しかし、この研究は主に地方官庁を対象にして得られた知見であり、これをそのまま政 府の雇員にも当てはめることができるのかどうかについては、なお検証の余地があるだろ う。また、傭人については全く検討されていないため、依然として闇の部分が多い状態に は変わりがない。こうしたことが将来の研究課題となるものと思われる。
③個別テーマに焦点を当てた雇員・傭人研究(その2)
労働経済学の雇員・傭人研究には、前述の官庁におけるもの以外に、官営工場を題材と した研究も見られた。それは八幡製鐵所という民間企業的性格を兼ね備えた組織を対象と した点で、ユニークな実証研究であった。その大きな特徴は、組織の職員層としての雇員、
傭人に注目したことである。そして、代表的な研究としては、菅山真次(1992)、森建資
(2005)、長島修(2008、2009)が挙げられる。
菅山は、官営工場の大多数を占める中下層職員の形成過程の特徴について、判任官以下 の職員の履歴書である『判任官以下辞令原議』(明治
33
年)を用いることで、判任官・雇 層の実証研究を行った。具体的には、技術者とスタッフ(技術者以外)に分けてそれぞれ の職員の職歴の分析を踏まえ、職員のキャリア形成を類型化した。その結果、職員層形成 にあたり、「伝統的職業との断絶」、「頻繁な転職と広域にわたる移動」、「転職が企業職員以(37) 加藤(2009)前掲pp.68―70
外のホワイトカラー職にも及んだこと」が特徴として確認されることを解明した(38)。 森は、官営工場の職工の労務管理に関連して職員の人事管理の概要について述べた。そ れによると、雇員、傭人等の身分は比較的早い時期から形成され、各職はそれぞれに分類 された。しかし、その分類は固定的なものではなく、時代の経過と共に変化していった。
すなわち、職の重要性の変化に応じて、その所属する身分に変更が生じたものもあったと いうことを示したのである(39)。
長島は、まず長島(2008)により、官営工場の雇以上の職員について、その職員構成の 時系列的変遷を追うことを通じて、職員層形成の背景に迫ろうとした。その結果、雇には
「官制による定員制のバッファーとしての機能と現場のさまざまな技術を蓄積した下級職 員としての性格」[長島
2008:221]があったことを指摘した。そして、製鐵所という、事
業組織と官庁組織の混在により生み出された矛盾を回避する手段として利用されたと主張 した(40)。さらに、長島(2009)により、官営工場の傭人について、職員の最下層にあり、「監視」
と「管理」という
2
つの側面を持っていたと考察した。そして、前者の代表は守衛であり、後者のそれは助手、筆工、図工等であったとした。しかし、こうした下級補助員は曖昧な 身分に置かれ、その昇進は雇の階層までに止まったと述べたのである(41)。
上記の研究については、当時の資料に基づく綿密な調査・分析によって裏付けられた結 論であり、非常に説得力がある。しかし、取り上げられたテーマは「官営工場」という民 間企業的性格を持った特殊な組織であり、それも八幡製鐵所に限定されている。そのため、
この知見を他の行政官庁等に適用するのはやや慎重にならざるを得ない。さらに、実証研 究の進捗はその資料の質と量に大きく左右されるものと思われる(42)。よって、資料に制約
(38) 菅山真次(1992)「産業革命期の企業職員層―官営製鉄所職員のキャリア分析―」『経営史学 第27巻 第4号』経営史学会pp.2―4、pp.25―26。なお、菅山は雇員ではなく、「雇」という用語を用いているの で、この箇所ではそれを用いることにする。
(39) 森建資(2005)「官営八幡製鉄所の労務管理(1)」『経済学論集 第71巻第1号』東京大学経済学会p.2、 pp.23―24
(40) 長島修(2008)「創立期官営八幡製鐵所の経営と組織―職員層について」『立命館経営学 第47巻第4 号』立命館経営学会pp.194―195。なお、長島は菅山と同様に、雇員ではなく、「雇」という用語を用い ているので、この箇所ではそれを用いることにする。
(41) 長島修(2009b)「創立期官営八幡製鐵所における下級補助員に関する一考察」『立命館大学人文科学研 究所紀要 第93号』立命館大学人文科学研究所p.134、pp.169―171
(42) これについて、菅山は「ここでの分析は、(中略)きわめて限定されたものにすぎない。しかし、こう
のある分野においては、このアプローチ手法は補完的に用いられることになるであろう。
(4)歴史学
①雇員・傭人の生活実態を捉えた研究
歴史学の雇員・傭人研究についても労働経済学と同様、総じて実証的性格が強いと思わ れる。特に、雇員、傭人の生活実態から制度の本質に迫るという研究手法の傾向が感じら れる。その代表的研究としては、宮地正人(1973)を挙げることができる。
宮地は日露戦争後における国家資本下の労働者、すなわち「雇傭人」の問題を取り上げ た。そして、その多数を占めていた鉄道労働者と郵便労働者の生活実態より、「雇傭人」層 の抱える問題を指摘した。その中でも特に、傭人の実態に焦点を当てたことは特筆すべき であろう(43)。
それによると、鉄道労働者と郵便労働者は一般的賃金水準にも及ばない賃金での生活を 強いられ、しかも世間からは低い評価しか与えられていなかったとされる。そして、「国家 資本は『雇傭人』層を、当時形成されていた労働市場の最低辺レヴェルに位置づけること によって、日雇人夫層と同様日本の労働者階級の賃銀をはじめとする労働諸条件を低くお さえこむ機能を果たしていた」[宮地
1973:189]と結論づけた
(44)。宮地の研究については、雇員、傭人の生活実態からのアプローチにより、制度の背景を 読者に実感させる役割を果たしたと言える。しかし、全体的に雇員、傭人の記述に割く割 合が少ないため、これを当該制度全体の問題にまで拡大するにはさらなる実証が必要とな ると考えられる。
②個別テーマに焦点を当てた雇員・傭人研究(その1)
雇員、傭人をメイン・テーマとする研究は極めて少ないが、その中でも特定のトピック
したテーマに関する先行研究が皆無という現状にあっては、以上の分析と通して得られた知見をもとに、
(中略)仮説的に展望しておくことも、今後の研究の進展にとって有意義であると考える。」[菅山1992: 24―25]と述べている。
(43) 宮地正人(1973)『日露戦後政治史の研究―帝国主義形成期の都市と農村―』東京大学出版会p.187。 なお、宮地は雇員、傭人ではなく、「雇傭人」という用語を用いているので、この箇所ではそれを用いるこ とにする。
(44) 宮地(1973)前掲pp.187―189
を取り上げ、雇員、傭人を文化的観点から描いた研究があった。それは、佐藤美弥(2011)
による研究である。
佐藤は昭和
6
年(1931 年)の官吏減俸反対運動を舞台として雇員、傭人の活動が果た した役割に注目した。そして、活発な運動が展開された官庁の1
つである逓信省を考察の 対象とし、同省では「官吏と雇員・傭人との共闘はなく、それぞれ独自の運動を展開した。」[佐藤 2011:49]という状況を指摘した。また、佐藤は雇員と傭人の独自性について、次の
点にも触れている。すなわち、雇員、傭人は俸給生活者としての「体面の維持」(「生活権 の擁護」)を目指して労働者階級との連帯を図ったが、社会一般には認められなかった。結 局、彼らは官吏および民間社会の双方から離れた立場で独自の意識・文化を形成するに至 ったとした(45)。
佐藤の研究は、非官吏である雇員と傭人の社会的に曖昧な位置づけを示唆したという点 で注目される。ただし、その背景に関しては、官吏減俸反対運動のはるか以前に根源があ るように思われる。よって、歴史的にさらに遡り、より一層掘り下げた考察が必要になる のではないかと考えられる。
③個別テーマに焦点を当てた雇員・傭人研究(その2)
官庁の中でも独特の地位を占めた陸海軍において、雇員、傭人は軍人以外の「軍属」と して軍の構成員を形成していた。そして、その雇員と傭人を含む文官等について貴重な研 究がなされている。それは、氏家康裕(2006)による判任文官を中心とした研究である。
氏家は旧日本軍を武官と文官に分け、後者の下級官吏である判任文官の下に多数の雇員 と傭人が置かれていたことを示した(46)。そして、これらの軍属は軍備拡大により顕著な増 加を見せたとされる(47)。また、判任文官への任用については、雇員等を経由する例が多い と推定した。なお、技術系については人材確保のための養成課程も準備し、雇員や傭人の 動機づけを行ったとも述べている。その一方で、氏家は平時と有事の制度運用には大きな
(45) 佐藤美弥(2011)「『我らのニュース』にみる雇員・傭人の文化― 一九三一年の官吏減俸反対運動にお ける―」『歴史評論No.737』校倉書房p.42、p.49
(46) 氏家康裕(2006)「旧日本軍における文官等の任用について―判任文官を中心に―」『防衛研究所紀要 第8巻第2号』防衛庁防衛研究所p.72
(47) 氏家(2006)前掲p.74