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高句麗山城踏査報告

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Academic year: 2022

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高句麗山城踏査報告

著者 新村 いづみ

雑誌名 金大考古

巻 54

ページ 1‑2

発行年 2006‑09‑30

URL http://hdl.handle.net/2297/2990

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金大考古 54, September 2006, 9-30. 高句麗山城踏査報告:新村いづみ

金沢大学考古学研究室  2006 年 9 月 30 日

新村いづみ

(金沢大学大学院)

 2001年に中国東北地方の高句麗山城の踏査に参加 した。その成果から高句麗内部の関防体系に関する若 干の考察をおこないたい。

1.高句麗山城の概要

 遼河以東の遼寧省、松花江上流域以南の吉林省から 朝鮮半島にかけてのかつての高句麗の領土に分布す る。「逃げ込み城」的性格が特徴で、保護の対象には 地域住民を含んでいる。籠城戦を基本とし外郭(城壁)

が著しく発達した構造となっている。今回は地方の小 規模な城についても踏査することができた。

Figure.1 燕州城全景(南から)2000 年  青海伸一撮影

平成 18 年度金沢大学考古学大会

 2006 年6 月10 日、平成18 年度金沢大学考古学大 会を開催しました。本号では、発表の一部の概要を掲載 します。

■大会発表タイトル及び発表者

「高句麗山城踏査報告」

 新村いづみ(金沢大学大学院博士前期1年) 

「トンティ窯跡の発掘調査について」

 ナン・チーチーカイ(金沢大学大学院博士後期1年)

「御殿場市の文化財行政」

 勝俣竜哉(御殿場市教育委員会)

「東西ユーラシアの馬面から見た文化交流」

 柳生俊樹(金沢大学大学院博士後期課程3年)

「名古屋城元御舂屋門(モトオツキヤモン)の発掘調査」

 酒井中(株式会社パスコ東日本事業部)

「広坂遺跡の発掘調査」

 庄田知充(金沢市教育委員会)

Figure.2 燕州城烽火台

(高句麗研究会HPより)

2.踏査山城と関防体系について

 集安丸都山城・桓仁五女山城・遼原工農山山城・西 豊城子山山城・開源龍潭山山城・

燈塔燕州城・蓋州煙筒山堡城・蓋懸城子溝山城・瓦房 店得利寺山城の計9城を踏査した。

 この中で関防体系に関連した文献資料があるものは 燈塔燕州城である。燕州城は『三国史記』の「白厳城」

に比定され、隋・唐と隣接する遼東半島の太子江中流 域右岸に位置する。いわゆる「遼東型」山城(大型で 城内に瓦葺き建物群などを備える)で対中国防衛ライ

金 大 考 古 第54号

高 句 麗 山 城 踏 査 報 告

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金大考古 54, September 2006, 9-30. 高句麗山城踏査報告:新村いづみ

ンのひとつである。援軍の記録から、同じく遼東半島 に位置する英城子山城、遼東城、鳳凰城の4城での連 携が読み取れる。最高所(烽火台)は205m、比高 103m、外周2.5kmを高さ6m前後の女墻をもつ 石塁が囲み五ヶ所の雉が設けられる。城内はゆるく階 段状遺構が連なっている。北西門付近には天将台や武 者溜りが確認できた。最高所の烽火台付近では井戸、

採石場、出城が確認された。南門は現在の集落内かと 思われる。烽火台を含め明代の修復が多く見られる が、城同士の連携には烽火が用いられたものと考えら れる。遼東半島の山城については、戦闘の記録などか ら比較的関防体系が明らかになっている。

 もう一つの対外地域である韓半島の臨津江流域で は、白種伍氏により新羅の関防体系との比較が行われ ている。それによれば、川に接して拠点城と堡塁を組 み合わせた北東-南西方向中心軸にした線上防御体系 を形成し、漢灘江の合流点には城郭を菱形の平面形態 で配置する菱形防御体系を構築している。いわゆる三 国時代の典型的な関防体系と考えられる。

3.高句麗内部の城郭ネットワーク

 これらの対外地域における連携については明らかに なりつつあるが、高句麗内部における連携については 不明な点も多い。その資料となりうる可能性として、

今回踏査した蓋州煙筒山堡城・蓋懸城子溝山城を挙げ たい。煙筒山堡城は、岩壁がむき出しの煙筒山の登頂 部よりやや下ったところにある。箕の形の斜面から平 坦部が連なる複雑な地形である。後世の寺院址や石棚 などが確認された。山城と呼ぶにはやや違和感がある。

一方の城子溝山城は狭い尾根上の端に烽火台に似た石 積みが見られるのみで、いずれも戦闘時における監視 用、または烽火台としての連絡補助的役割を担う城と 考えることができる。具体的根拠に欠け推測の域を出 ないが、このような小規模な城の調査研究は行われて いないため、今後高句麗内部における城郭間の連携を 考える上で重要な存在と言えるだろう。

 以上管見ながら踏査成果から高句麗における関防体 系を概観した。高句麗のみならず、城郭間の連携によ り国土、水利、交通路を守り、安全を図るという視点 で城や防御施設を捉えなおすと個々の城のもつ意味が 一層深まると考えている。

<参考・引用文献>

・佐藤興治「朝鮮古代の山城」『日本城郭大系1』新人物往来社 1981

・李殿福『高句麗渤海の考古と歴史』学生社 1991

・服部敬史ほか「高句麗都城と山城 中国東北地方における 都城と山城の基礎研究」『青丘学術論集』第5集 韓国文化 研究振興財団 1994

・東潮 田中俊明『高句麗の歴史と遺跡』中央公論社 1995

・三上次男『高句麗と渤海』吉川弘文館 1995

・東潮『高句麗考古学研究』吉川弘文館 1997

・李進煕『歴史紀行高句麗渤海を行く』青丘文化社 1997

・亀田修一「朝鮮古代山城の見方」『韓半島考古学論集』

すずさわ書店 2002

・創価大学考古学研究会『創価考古』2 ・ 3 号合併号 2003

・白種伍「韓半島臨津江流域の関防体系」『朝鮮古代研究』 

第5号 2004

Figure.3 煙筒山堡城遠景 2001 年 新村いづみ撮影

Figure.4 城子溝山城遺構 2001 年 新村いづみ撮影

参照

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