体 育 学 研 究
,34
:275− 292
,1990,
久
留 米俘 虜
収
容
所
に お け るドイ
ツ兵俘 虜
の体 育
・
スポ
ー
ツ活
動
に つ い て山
田
理
恵
1,A
study ofTurnen
and
sports activities ofGerman
war・
prisoners
in
the
Kurume
P
.
0
.
W
.
Camp
in
Japan
−
1915
−
1920
一
Rie
Yamada1
Abstract
It
was saidthat
the
Kurume
P .
0 .
W ,
(prisoners
of war )Carnp
wasthe
worst camp of theP
.
0
.
W
,
Camps
in
Japan
during
the
First
World
War
,because
the
Camp
wasimperfectly
equippedand
the
Camp
Authority
treatredGerrnan
war−prisoners
harshly.
The
purpose of thispaper
was to clarifyTurnen
and sports activities ofGerman
war−
prisoners
in
theKurume
P .
0 .
W .
Camp .
The
historical
materials usedfor
this paper were oollected mainlyfrom
the newspaper“
Turnen
undSport”
which was written and publishedby
the (鎗man wa 卜prisonersin
theKurume
P.
0 .
W .
Camp .
The
findings
of this study were summarized asfollows
:The
Kurume
P ,
0 .
W .
Camp
had
two
playgrounds
(abig
ground
and a center ground )and atrack at
the
corner ofthe
Camp
.
In
adittion,
there
was one tennis court and oneFaustball
・
field
for
officers,
and one mini・
tennis
courtfor
lower
ranked officers.
German
prisoners
organizedvarious clubs and
they
were verykeen
onTurnen
and sports activities such asgymnastics,
footba
且1,
tennis,
hockey,
Schlagba11
,Faustball
,
box
孟ng and wrestling.
These
activities were veryirnpOrtant
for
thehealth
ofbody
and mind ofGerman
prisoners.
The
fact
thatGerman
war・
prisoners practiced these sports andTurnen
diligently
underthe
severe circumstances of camp
life
,in
thedawn
of sportin
Japan
, should notbe
neg1 tedin
considering the
history
of sportinJapan・
(
lapan
J
.
Phys
.
Educ.
,34
:275− 292,March ,1990.
)序
1915
(大 正4
)年
7
月8
日, 福 岡俘 虜
収 容 所の一
部と熊 本 俘 虜 収 容 所お よび久 留 米寺
院収 容所
を 統 合して,
久 留 米俘虜収
容 所 が設
立 された.
第
一
次 世界大
戦の際
, 日本の 青 島 攻 略に よっ て降伏
し た ド イ ッ軍兵
土約4 ,
700
名m )は ,俘虜
と して,
1914
年
11
月か ら12
月
に かけて 日本 各 地 の俘 虜 収 容 所に送 られた.
統 合 整 理のため に
新
しく設
立 さ れた こ の 久 留 米俘虜収 容所
は, その うち の約1
,
200
名 齠 ⊃の ド イツ兵俘虜
を収容す
る, 当時
の 日本で は 「最 大 であ
り,過密
なこ と tts)と待 遇の悪
さのため に最
も悪名高
い収
容 所で,当 時 俘虜
であっ た 人々 は,
今
日 で も なお 日本の 強 制 収 容 所 と呼ん で い る 」ts4)よ うに,
待 遇の面でも環境
の面
に お い て も,
「模範
的 収 容 所」と 言 わ れて い たtt5)徳島
の板東俘虜収
容 所 とは対 照 的 な 収 容 所で あっ た,体
育 ・
ス ポー
ツ活動
をめ ぐる環 境に も恵まれて は い なか っ た.1)筑 波 大学大 学 院 体 育 科 学 研 究 科
1.thctoral
Plt
)gramOf
Health andSPodS
S
冨砌 α鳩 σ 師鰓 瑠 砂 げ TStt−
し か し
,
こ の よ うな厳
しい状
況にあ りなが らも
, ドイ ツ兵俘虜
た ち は,所 内新 聞
“Turnen
undSport
”12,を発行
し,
不充分
な施設
を最大
限に生
か し て体 育 ・
ス ポー
ツ活動
を意欲 的
に行
っ て い た の であっ た.
日
本
の ス ポー
ツ の黎
明期
に,
ド イ ッ兵 俘虜
た ち が, 異 国の俘虜収
容所
とい う限
ら れ た特殊
な 状 況のなか で,
ひ とつ の社 会 を 形 成 し, 独 自の体 育 ・
ス ポー
ッ活動
を行
っ て い た とい うこと , し かも当時
の 日本
の収容所
の中
で待
遇 や環
境
の 面に おい て最
も恵
まれて い なか っ た久 留 米 俘虜
収容所
に おい て もこ の よ うな 文 化 活 動が為 され て い た とい うこ とは ,注
目に値
する 歴史的事実
で ある と考
え ら れ る.
に もか か わ らず,
この 事 実は,
こ れまで の 主 な 日本の体 育。
ス ポー
ッ史 の 叙述
9)・
t°)・
11)の中
で は全
く 示された こ と は な か っ た.
そこで本 研 究で は, 久 留 米 俘
虜
収 容 所に おけ る体 育 ・ ス ポー
ッ活 動につ い て, 主 とし て, 所 内で俘虜
た ちに よ っ て書
かれ 印刷
・発行
されて い た新 聞“Turnen
undSpOrt
”を も とに, 明 らか にす
るこ とに し た.
“
Turnen
undSport
”は, 久留
米俘虜
収 容 所に おける体 育 ・
ス ポー
ッ活動
関 係の新
聞で ある.
ここで は, ほ かに,
“
Der
Ruf
im
Streit
(
戦
いの
叫
び)
”
,“
Der
Hai
皿 atswimpe1 (故 国の旗
)”の
2
紙が発
行 されて い た.
板東俘虜収容所
で は, “Die
Baracke
・
Zeitung
fUr
das
Kriegs
・
gefangenenlager
Bando
,Japan
”
2)(
以下“
Die
Baracke
” とす
る)とい う所内新
聞控6}が発 行 され てお り, 体 育・
ス ポー
ツに関
する記事 も
その中
で扱われて い るが, 久 留 米では, 体 育 ・ ス ポー
ツ活動
の み を扱
ういわゆるス ポー
ッ新 聞で ある ところの“Tumen
undSport
”が発 行
さ れてい た とい うこ と は, 非常
に興味深
い ことであ る.
こ の “
Turnen
undSport
”
は , 「トゥ ル ネソ と ス ポー
ツ の 領 域に お け る催
し物
に関す
るブ 卩 グ ラ ム 」と して, 「購
読 料は月 刊 紙10
銭,
付 録5
銭 」 で発 行
さ れ て い た.
1
ペー
ジ の大
き さは247
mm ×327mm
で,
ロー
マ字
の 活字
体によ る手書
き と なっ て い る.
各 号 と も “Tumen
undSport
”
とい う新 聞 名の下に は,4F
と して有 名
な “Fris
−
ch,
Frei
,Fr6hlich
,Fromm
(
新鮮
に,自由
に,
楽
し く,敬虔
に)
” の各頭文字
をとっ た4
つ のF
を 十 字に組み合 わせ た トゥ ル ナー
た ちのシ ン ボ ル が掲げ
られ て い る.
月 刊
第
1
号
は1919
年
3
月20
日に発 行 されて お り,現
段 階で得 られて い るの は, こ の第1
号か ら1919
年
7
月
8
日発行
の付
録 第8
号 まで の もの (総ペー
ジ数
64
ペー
ジ)
で ある,
“Tumen
undSport
” が最終 的
に はい つ まで存 続
して いたの か, 現 段階
で は明ら か にす
る こ と はで き ない.
しか し,1919
年
6
月
1
日発行
の付
録 第6
号で,
「編 集 部か らの お知 らせ 」 と し て, 「拡まっ て い るすぺ て の うわさに立ち向か うた め に, 我々 は 次の こ と を書 き
と めてお く一
我々 の立 場か ら,
“Turnen
undSport
”
の廃
止につ い て ,何
の理 由もも
た ない とうこ と を.
しか し, 我々 は, ス ポー
ツや トゥ ル ネン が制
限 さ れて いる梅 雨の 間は,月
刊の プ ロ グラム の購
読 料 を10
銭のま まで維 持
する. そ して, 我 々 の読
者 が今
後 も 関 心 を 持ち続
けて くれ ることを 願 う」(付一
6
−
3
)と報じ られて い るよ うに,廃
刊の兆は確
かにあっ た よ うであ
る.
“
Tumen
undSport
”の各号
の記 事
の見 出 しと署 名 を も とに,
表
1
の よう
な記事
一
覧
を作
成 して み た.
こ の 記事
一
覧
か らも
明 らか なよ うに,
こ の新 聞
の記事内
容と し ては,板東俘虜収
容 所 で発
行さ れ ていた所内新聞
“Die
Baracke
”の 体育 ・
ス ポー
ッ に関 する記 事と同 様に, い ろい ろ なス ポー
ツ試 合の 経過
と結果
を報ず
る記事
が 多 い が,
「運動
場管
理 委 員 会」か らの運動場
の 割り当
て や管
理に関す
る記事,
球技
にお ける骨 折に 関 す る記事
の引用等,
“D
藍eBaracke ” に は み ら れ なかっ た類
い のも
のも掲載
されて い ること が 特 徴 とし て挙
げ ら れる,
資料
と して は, ほかに,
“Deutsche
Tum
=
Zeitung
” (以 下,
DTZ
と略 す )に み ら れ る 久留
米俘 虜収
容所 関係
の記 事
E)・
ts》h
’
よぴ 日本の俘虜
収 容 所に お ける郵便 物
に関 す
る資料 集
“Hand
−
buch
der
Kriegsgefangenenpost
Tsingtau
”
「7),
陸軍省文書
「大
正三年
乃 至 九 年 戦 役俘虜
二関
ス久留 米 俘 虜 収 容 所に おけ る ドイッ兵 俘 虜の体 育
・
ス ボー
ッ活 動につ い て277
表1.
,、Tumen
undSport
” の記事一
覧 記 事 筆 者 ペー
ジ 記 事 筆 者 ペー
ジ o月 刊 誌 No,
1
(1919. 3 .
20
)。
トゥル ネ ン につ いて・
トゥル ネソ : トゥ ル ナー
シ ャ フ ト・ ク ル メ“
t
・
シ ュ フー
クハ ル・T .
V .
K
・
シ ュ ラー
ク パ ル,
シ ュ ラー
ク バ ル結 果・
下 士 官トゥ ル ン フ ェ ライン1
対 トゥ ル ン フ ェ ライン・
ク ル メ1
・
ファ ウス トパ ル ・ ドイツ。フ ッ トボr ル連盟の組織一
u.
一
W .
W .
1−
2 22
り 自2
2 − 3
33
− 4
・
フ ッ トボー
ル フ ツ トボー
ル結 果K .
3.
K .
4K .
1・
M .
F.
V
K
ユー
K .
4
M .
F.
V ・
1
(.
3
。
ホ ッ ケー
・
読者の声,
広告 ・運動場の割 り当てN .
N ,
J
.
・
t.
Ere.
ガ
リ フ 4455一
一
778
「
0 ρ 0 o月 刊 誌No ,2
(1919.
4 .
20
)・
広告・
ス ポー
ツ に つ い て・
フ ッ トボー
ル :K .
1,
1・
K .
4JM .
F.
V .
1−K3 .
1
.
シ ; フー
クハ
ル.
シ ュ ラー
ク パ ル 連盟大会 12− 3
33
−
44
44− 5
・
トゥ ルナー
シ ャフ ト1
(GrUn
) 対U .
T .
V .
1
(Schwtirz
)・
シュ ラー
ク パル連 盟 大 会の結 果・
小 耳に し た こ と・
:厂ニ
ス・
運動場の割 り当て5 − 6
77
−
88
9
o 月刊誌No .3
(1919. 5 .
28
)・
フ ッ ト ボー
ル・
招 待 試 合K .
4
・
フ ッ トボー
ル 連 盟。
連 盟 大 会 :K .
1−K .
3
K,
4,
1−
M.
F.
VJK .
4J−K .
1.
1
23
一
}
312
U
4
一
443
。
オ リン ピッ ク大 会。
ホ ッ ケー
連 盟 大 会。
ド イツの男た ち・
収 容 所ス ボー
ツ マ γ の1
日の生 活の中の 4時間E.
s,
W .
・
シ 」 ラー
クハ ル・
広 告 匚 」ハ
り諍
08
一
88
7
o 月刊誌No .4
(1919. 6 .
30
)・
フ ッ トボー
ル :K .
4.
1−
K3.
IM .
F .
V .
1−
K.
1JK4
」・
K .
1J
M .
F .
V .
1・
K .
3.
1
ワ臼
31
一
2
」
− り 白・
連盟 大会 第2
回の結果ゆ
・
シ ュ ラー
クハ ル・
読者の声3
」 壕 」 噛 o 付 録 No.
1 (1919.
3.
6)・
運 動 場 管理・
ホ ッ ケー
・
テニ
ス。
フ ッ トボー
ル フ ッ ト ポー
ル 結 果K .
1』1・
球技フ ェ ライン フ ッ トボー
ル。
ク ラブK .
4・
K .
3
21一
21
3
22
一
2
。
シ ュ ラー
クハ
ル シ ュ ラー
ク パ ル 結 果 下 士 官T
.
V
.
対 トゥ ル ナー
シ ャ フ ト1。
フ ァ ウス トパ ル・
運 動 場 管 理の お知 らせ3
4一
443
○付 録No .2
(1919,3
)。
ドイ ツ,
フ ッ トボー
ル連 盟の組織 W.
W,
・
フ ッ トボー
ル・
ス ポー
ツ の衛 生 上の こ と・
フ ッ トボー
ル フ ッ トポー
ル 結 果K1 .
1−M .
F.
V .
1
Ere.
K .
3−K .
4
M .
1−
22− 3
334
・
シ ュ フー
クハ ル : 結 果3
月1
日 まで のシ ュ ラー
クパ ル大 会の スコ ア・
ホ ッ ケー
4 4 4Q 付 録
No .3
(1919. 4 .
12
)・
運 動 場 管 理1
。
ホ ッ ケー
・K .St.
V.
III
・
連 盟 大 会の結 果・
テ ニ スFischer
C
MerkH
.
HE.
ヨ ー112
一
2 ● シユ
フー
クノ
、ノレ・
フ ッ トボー
ル K.
4」−
M.
F.
V.
1・
M
.
F
.
V .
の招 待 試 合一
〇.
一
KJ曽
3
3−
44− 5
○付 録No .
4 (1919.
4.
19)・
運動場管理1
。T .
V .
の 5種 競 技・
ホ ッ ケー
Fischer
lManitz
l
K .
1 − 2
・
フ ッ トボー
ル : 招 待 試 合K .
4K .
1JI−MF .
VJI
・
テニ ス・
春の レ ス リン グ・
ボクシ γ グ2
N .
2
あ る観 客2 − 3
KretsChrner
3
○ 付 録No ,5
(1919.
5.
18)・
テ=
ス・
トー
ナ メン ト・
フ ッ トボー
ル :M .
F .
V ・
Komb .
M
M .
F .
V .
1−K .
1.
1
Fs.
1− 3
3 − 4
4
ル バ ク一
一
ケ ラ ツニ
ホ シC.
44 o 付 録No .6
(1919. 6 .1
)・
聖 霊 降 臨 祭の催しもの・
編 集 部か らの お 知 ら せ・
シ ュ ラー
クハ ル・
フ ッ ト ボー
ル :K .
3.
1・
M .
F.
V 。
I
K .
4J・
K .
3.
1
11 り 乙22
− 3
●
第 1回フ ッ トボー
ル 連 盟 大会回 顧・
フ ッ トボー
ノレ : K.
IJI・
M 。
F,
V.
11
44
o 付 録 No.
7 (1919.
6.
17)・
フ ッ トボー
ル。
フ ッ トボー
ル :K .
IJ・
M .
F.
V .
II
KI .
1・
K3 .
1
1
。
トゥ ル ネソ・
音 楽評 論 家と して のスポー
ツマ ンFischer
l− 2
・
運動場管理2
9臼
33
Q 付 録 No、
8 (1919.
7.
8) ・ホ ッ ケー
・V ,
2・
V .
3
・
V.
1.
1・
V.
2.
1・
球 技の場 合の骨 折の特 徴・
フ ッ ト ボー
ル゜
シ ユ フー
クハ ル ヨ る 11}
一
一
4 123・
Westfahren・
WallerkanteWeStfahren・
Schwarz
Waterkant・
Gem ・
Mannsch
・
久留米ス ポー
ツ ア ル フ ァ ペ ッ ト・
スポー
ツ祭。
名 古 屋・
トゥ ルナー
シャ フ ト・
クル メ・
運動 場の割 り当て 5 【 」『
0ρ
0君
078 ル書
類」16)等
も用い たtt7).
ところで, すで に 明ら かにし て
き
た よ うに,板 東俘 虜収
容 所の ド イ ツ兵俘虜
た ちは , 日本の 他の 収 容所
の俘虜
た ちに比ぺ て最 も恵 ま れた環境
にあり,多彩
で組織
的 な 体 育 ・ ス ポー
ツ活 動 を展開
さ せ てい たifS}.
本 研 究で は , 久留
米での活動
は板東
の場合
と比べ て ど うであ
っ たの かが 明 らか に される,
1.
久 留 米に お ける トゥル ネ ン・
ス ポー
ツ論前述
の よ うに, 久 留 米 俘 虜 収 容 所は,
日本の収
容 所の な か で最 も俘 虜 数が多 く,
狭い所 内は過
密 との 戦い であっ たの で, 散歩
も充
分に でき
ない ほ どで あっ た th9).
特に初 期の頃で は,
本 国 か らの命 を 受 けて 日本 各
地の収
容 所を視
察し本 国に報告
し てい た東京
シー
メ ソ ス 会 社の ドレ ン ク ハー
ン氏
に よ っ て , 久留
米俘虜収容所
は, 待
遇
, 宿 舎 状 況, 生活状 態,
ス ポー
ツ事情等す
べ て の面に お い て 「最
もひ どいグルー
プ」 に属す
ると報告
さ れ て お り6) ,各収
容 所 間の 比 較に お い て も,
久 留 米は最
下位
に お か れ てい る ほ どで あっ たs).
久 留 米 俘 虜 収 容 所に おける ド イツ兵俘 虜の 体 育
・
ス ポー
ツ活 動につ い て279
げ れ ど も
俘 虜
たちは, こ の よ うな厳
しい状況
の もと で,
“Tumen
undSport
”を発
行 し,
ス ポー
ツ愛好家
全員
が う ま く活 動で きる よ うに場 所や施 設の利 用を 工夫
し,活動
し たの であっ た.
“Tumen
undSport
”
で は, 前 述の よ うに, 各種
のス ポー
ツ試 合 や 行 事 を 報 じる記事
が多
い、
こ れ らの 記事
で は,各試合
では,選 手
・観 客 と も に熱 中 し白熱
のij
一
ム が展 開
さ れた こと, また トゥル ネン大 会では,
用具
は 不充 分
であ
っ たがす
ば ら しい成績
が収
め ら れ盛会
であ
っ た こと な ど が 伝 え られてい る.当時
の 日本
の収 容 所の 中 で待
遇,環境
等 最 も厳 しい 状 況にあっ た だ け に, 久 留 米の俘虜
た ち は こ れ らの活動
に精 神 上の慰 め と活力
を一
層
強 く感
じて い た こ とがこ の新 聞 か ら窺
える.
中
で も, 「トゥル ネ ソ に つ い て」(
月
一
1
−
1
)
ti1°)と「ス ポー
ツ につ い て」(
月
一
2
−
2
,3
) とい う2
つ の記 事は,特
に ドイツ兵俘虜
た ちが どの よ うな 考 えに基づい て トゥル ネン やス ポー
ツ を 行っ て い たの か, つ ま り, ド イッ兵 俘虜
た ちは どの よ うな トゥ ル ネン観
や ス ポー
ツ観
を もっ て 活 動して い たのか,
とい うこ と につ い て述
ぺ た もの で ある.
これらの記事
は , 久留
米俘 虜収 容所
にお け る トゥ ル ネソ・
ス ポー
ッ論
と し て非常
に興 味 深い ものが あ る.
以下
, これ ら の記事
を もとに,
ド イ ツ兵 俘 虜た ちの トゥ ル ネ ン・
ス ポー
ッ論に つ い て述
べ て み たい,
(
1
)
トゥ ル ネン論トゥ ル ネン につ いて は, まず, その 目的 と効 果 が 次の よ うに
述
べ ら れてい る。
「
個
々人
の努
力 が , トゥル ネソ の多
くの運動
のす
ぺ て で最高
の力
を ね ら うこと は 不可能
であ
り, またそ れ を ね ら うこ とは ド イツ・
トゥ ル ネ ン の意 味にふ さ わ し く ない とい うことは 明 らか であ
る.
その 目的は, むし ろでき
る だけ 運動
内 容に多様
性 を もた せ るこ とに よっ て筋 骨 諸 器 官(
肺・
心臓)
全体
の均
整の とれた強 化, あ ら ゆる 生命
活動
(呼 吸, 循 環,
新 陳 代 謝 )の促進
, そ して,脳
や神
経組織
と筋肉
との, すば やい しか も 安 全 な協
同 作 業 を獲得す
る こ と である.
」し た が っ て, 「トゥ ル ン フ ェ ライン で は,
個 々 の競技
が行
わ れるの は ごく ま れであ り,様
々 な種類
の一
連
の運 動
で良
い能
力 を 示 さ な け れ ぽな ら な い 」の で ある.
そして,練習後
に は , その 努 力 の最 高
の報酬
と し て, 楽 しさや喜び が もた ら さ れ るの である.
以上の よ うに, トゥ ル ネソ にお い て は
,多様
性のあ
る一
連
の運動
に よっ て 全 身 体 を強化
し,
機能
を高
め,
よ り高
い能
力 を獲
得 する ことがで き る,
とい うこ とが強調
されてい る.
(
2
)
スポー
ツ論
ス ポ
ー
ツ に つ い て の記 事で は,
「我
々 の収 容 所 を支
配し て い る大 きな ス ポー
ツ気 分か らし て, ス ポー
ッは どの よ うな価値
を もっ て い るか, と い うことにつ い て一
度考
え て み る ことは,
お も し ろい こ とで は ないだ ろ うか。
」と語 りか け な が ら, ス ポー
ツを論
じ てい る.
ま ず, 「
一
般 的 な観点
であ
る沈着
さへ の教 育
, 健康
の保持
, 日々 の 労 働か らの解 放な ど は充 分
知られて い る 」の で, 「こ こ ではス ポー
ッ の完 全 さにつ い ての み軽
く触れ る に と どめ たい 」 と前 置 き を し,
以 下の よ うに論
を展開
させ て い る.
「ふつ う
,
ス ポー
ッ とい う言 葉は,
ほ と ん ど 考 え られて い ない.
それ を 我 々 は『
ス ボー
ッ教
育亅
とい う名称
のも
とに まとめ て い る の であ
る,
」フ ッ ト ボ
ー
ル 試 合 中にある選 手の 手に ボー
ル が触
れ た瞬間
観 客が騒 ぎ立て る の は,「収 容 所 病 の あ らわ れなの か,
それとも欠 乏 するス ポー
ツ教育
のせ い だ ろ うか」とい う 厂年
配の一
購読者
」 に よ る小 さ な 記 事 (月一
1
−
7
)
に もみ られる よ うに, “Tumen
undSport
”の ス ポー
ツ論
で は , ス ポー
ツ の教 育的価値
が述
べ られて い るの で ある.
そして , 「我々 が そこで理
解
してい るこ とは,
ス ポー
ッが 性格
に及 ぼ す 影 響の ことで ある.
」と して,特
に ス di一
ツ の要 素で ある 「闘争
」 につ いて次の よ うに指 摘 して い る.
「
「
ス ポー
ッ は性 格 をだめ に する亅 と 言 うが, そ れは,
ス ポー
ッは 闘争
であ り, 闘争
で はあ
ら ゆる手 段 が選
ばれ るか ら で ある,
と一
般
に考
え ら れてい る.
もち ろ ん,
ス ポー
ッ は闘 争で ある.
しか し, それ は決して生 命 をめ ぐる闘 争で は な い
.
で は,
手 段の 許 さ れる限界
は どこ にあ
るの だ ろ うか.
いわゆる「
ス ポー
ツ マ ン」
で さ え,審判
が 見て い ない こ とはすべ て許 される , と言
う.
これで は実
際
に許
され る限界
が示されて い る と は言え ない の で ある.
」ま た, 「ス ポ
ー
ッ はそ れ自身
が目的
で は ない。
目的へ の手 段に過 ぎ ない.
相 手 をめ ぐっ て行 う もの で も, 何 と して も勝
つ とい う ため に するも の で も ない.
公 的で平等
な闘争
の中
で,諸力
を 試 すため に行 う もの である.
」 とい うよ うに ス ポー
ッ を定
義
づ け なが ら,「手段
が許
される範
囲 は,
規 則の中にはっ き り と示 さ れてい る.
」と し て, 規 則の問 題を取 り上げて い る.
「規 則は
,
単に審 判のた めだけ ではな く,各
選 手に も定め られてい るもの であ
る.も
ちろ ん,大勢
の者 を その 自制 心で規 則に従 わせ ようとす る こ とは ,非常
に難 しい こ とで ある.
特に,彼
らが, 不 利 あるい は不都
合 なとき
は な お さ ら困 難である.
」しか し, そ うで
あ
っ ても
, 「ス ポー
ッ の価値,
す なわ ちf
ス ポー
ツ 教 育亅
に統 合 される よ うな とこ ろの もの が保 持 さ れて い る とき
」に は,
「非難
の余
地のない良いス ポー
ツ を 行 うこ とが可 能 なの であ
る.
」 そして,
相 手の 不法 な 行 為に 対 す る自制に お い て 「各
人 が 示 し得
るこ とは, ス ポー
ツ には単
に大
き なス ポー
ッ的 可 能 性 だ けで はな く,多
く の克
己とい うこ とも含 ま れて い るこ と を 知っ て い る とい うことである.
」 と付 け 加えて い る.
さ ら
IC
こ の記事
の筆
者は, ス ポー
ツ の 「大 き な価値
を認
め る場
合に見過
ごして は な ら ない危
険 」につ い て言 及 し,
ス ポー
ツ の 目的 を 述ぺ て 記事
を結
ん で い る.
「つ まりそ れは, ス ポ
ー
ツは非常
に没
頭 させ ら れるも
の であ
るの で,他
の こ とに興味
を持
た な くな る とい う危 険である.
(中 略 )よ り多 く語 り た い の は ,後
にス ポー
ッ の側
か ら我
々 の ド イ ッ 性 を脅
かす
とい う危 険
に つ い て で あ る.
(中
略 ) 実 例 とし て, イ ギ リス とアメ リカを見
て み る と, ス ポー
ッ はあ らゆる弊 害 を 伴っ て明 らか に人 間 を悪
くし て い る。我
々 は , こ の事
実か ら 学び, そし て 決し て忘 れて は なら ない こ とは ,我
々 がス ポー
ツ を行
うの は,
そ れで 生 活 目的 を満
たす
の で はない とい うこ とで ある.
我々 が ス ポー
ッを す るの は, そ れによっ て我
々 の身体
を 有能
な もの に し よ う とす
る ため なの で ある.
つ ま り,
充 実し た価 値のある高
尚な生 活 目標達
成 に必要
な能力
を 得 る ため なの で ある !」「こ の収
容所
で は,多
くの ものが 暇で あ り,
我
々 の最
も重
要 な 課 題が,
後に社 会の 能 力 ある一
員
と して故郷
に帰
れ るよ うに健康
で」あ
る こ と なの で, そのため に 「ス ポー
ツ に没頭す
るあ
ま り他
の ことに無関
心に なっ て しまっ てはい け ない し,
真に ドイ ツ的
な ものが 失わ れて し ま っ て は な ら ない」の で ある.
ス ポー
ツ の教 育 的 価値
を 認め な が ら,同時
に , ス ポー
ツ の は らむ 危険
性を指摘
して い るの で ある,
そし て, ス ポ
ー
ッは , 目的
の た め の手 段であ る,す
なわ ち,有
能
な身
体
を造
り上げ
る た め に行
う もの であ り, 生 活 目標
を 満たすた め のも
の で はな く,
生 活 目標 達 成の た め に 必要
な能
力を得
る た めの もの で ある, とい うこ とが強 調 さ れ て い る.
以 上の トゥ ル ネ ン
・
ス ポー
ツ論 をま とめ て み る と, 次の よ うになる.
トゥ ル ネソ
論
で は,「多
様 性の ある一
連
の運動
です
ばら しい能 力
を示し」「練習後
には楽しさや喜
びがも
た らされる 」 こ とに価 値
がお か れてい る と ま と め ら れ る.
ス ポ
ー
ツ 論で は,
ス ポー
ッ の教 育 的 価 値が述
べ られてい る.
そ こで取
り上 げら れ て い るのは,
ス ポー
ッが 人 格 形 成に与 える効 果であ り, そ こ に厂ス ボー
ッ教 育」に 包括
さ れる とこ ろ の ス ポー
ツ の価値
が ある, と論 じ られてい る.
つ ま り,
こ こ で の ス ポー
ッ論は, 「ス ポー
ツ教 育論
」であ
り, 久 留 米の トゥル ネソ ・ス ポー
ッ論
では , 「ス ポー
ツ 教 育」 とト ゥ ル ネ ン は等質
の もの で ある と考 え るこ と もで きるの では ない だろ うか.
板 東俘 虜収 容
所で は, トゥ ル ネ ン よ り もス ポー
ツが人 気 を 集め て お り,所 内 新 聞“
Die
Bar
−
acke ” で もス ポー
ッ競技
の試 合 を 報 じる記 事が久 留 米 俘 虜 収 容 所にお け る ドイツ兵 俘 虜の体 育
・
ス ボー
ッ活 動につ い て281
多い.
トゥ ル ネン に関
する記 事注塒 は いず
れ も,
トゥ ル ネ ソ擁護
の立 場か ら書
か れ た もので, そ れ らの筆
者削 21 は, イ ギ リス・
ス ポー
ツ ではな く , ド イツ の トゥ ル ネ ン を, この よう な 状 況 下で こ そ 行 わ な け れ ぽな らない , と主 張 し て , ス ポー
ツ よ り もトゥ ル ネ ンをす
る こ との意
味 を 論 じて い る.
「トゥ ル ネン と陸 上 競 技」 とい う記
事
(掲載
号, ベー
ジ ,筆者
,発行年
月日は 注11
)で示し た と お り であ
る.
以 下 同 様.
)に よる と,
板東
で は,
統
合される以 前の収 容 所 よ り も 「よ り広
くす
ぼ らしい 場 所が 自 由に使
用でき
るので, トゥ ル ネ ン の大 き
な 躍進
が期待
さ れて い た」にもか かわ らず, 移 転後
1
年
を 経 過 し た時点
でも
ま だ トゥ ル ネソ は あま り行わ れ てい なか っ た.
トゥ ル ネ ン不振
の原
因 と して は , イギ リス・
ス ポー
ツ の 流 行 を まず第
1
に挙げ
てい るk13).
そし て ,「す ば ら しい トゥ ル ナー
に なる ため の機 会 が今後与
え ら れ るこ とはおそ ら く ない で あろ う」し, また, 「こ こで半年
で学
ぶ こ とができ
る事
は, ドイツ 本国
では1
年
かけて も学ぶ こ とができ
ない 」の で, トゥ ル ネ ソ の練 習のた めの絶好
の機
会と して,
こ こ で の収
容所
生活
を生かして練
習 する こ とが奨
励 さ れてい る.
「
青少年
の軍事教
青 」 とい う記 事では,
トゥ ル ネン は, ドイツ 民 族の力に とっ て, また ド イ ツ民族
を守
る た めに重 要 な もの で ある,
という
こ とが強調
さ れてい る.
そ して将来本
国に帰
っ た とき
に, 「板
東では, 我々 はホ ッ ケー
, フ ッ ト rb一
ル ,ロー
ソ テ ニ ス な どの イギリス 的 「ス ポー
ツ1
の た めの時間
を 持っ てい たが,
残念
なが ら ドイ ツ・
トゥル ネン につ い て は全 く気に もかけ て い なか っ た のだ, とい うことを 言っ て もい い のだろ うか.
」と記 事 を 結んで い る.
「な ん と言 っ て もかつ て は ドイツ・
トゥル ネン を大切
に してき
た我 々 なの だか ら」,
この よ うな こ とを 言わな い です む よ うに,
ス ポー
ツで はな くトゥル ネソ を するべき
である, と主 張 し て い るの であ
る.
「収 容 所 トゥル ン フ ェ ラ イソ ・ バ ン ド
ー
」 と い う記事
で も, トゥ ル ネ γ よ りもイ ギ リス・
ス ポー
ツ が人 気 を集
め てい る こ と に対 する批 判 的見解
が述
べ ら れて い る.
「ス ポ
ー
ツ の 領域
へ の イ ギ リス の影 響が優 勢 で支配的
であ
り, また野 球 や フ ッb
ポー
ル が よ く知
ら れ て い るこ の極東
で,我
々 は, 身 体 運 動 に関す
る我
々 の見 解 を 打ち出
し,
ド イッ人が し な けれ
ば な ら ない こ とへ の理解
を奨
め る の であ る.
」イギ リス 的ス ポ
ー
ツで は な く, トゥ ル ネ ン こ そ が,
日本
での俘 虜 生 活 を 送 る自分
た ち に とっ て最
も重 要 な もの で あ り,為す
べき
ことで あ る,
と 主 張 して いるのであ
る.
ま た
,
トゥ ル ナー
たちは,
「かつ て の 苦難
の 時代
に」「トゥ ル ネ V の父ヤー
ソが ド イッ民族
のた め に 組織
し た偉大
な 仕事
」であ る トゥ ル ネソ 活動
を,俘虜
とい うや は り 「苦難
」の 時に ある自 分た ち が今,
こ の板東
で行 わ な け れ ばな ら ない とい うこ とを 強 く意 識 しな がら, トゥ ル ネ ン 大 会 を開
催 し 成 功 させ た こ と が,「年 配 組の小 ドイ ツ ・ トゥ ル ネン祭
」 とい う記 事に述
べ ら れ てい る.
以
上
の よう
に, “Die
Baracke
”では,所 内
で のイ ギ リス・
ス・
S
:一
ツ の 流行
へ の批
判 的 見 解 と ト ゥ ル ネ ン 擁 護 論 が 展開
さ れ てい る,
そ れ らの 記事
では, トゥ ル ネン の 重 要 性と, ド イッ 民 族 の象徴
として, 異 国で の俘虜
生 活 を 送る今
こ そ トゥ ル ネ ン を 行わ な けれぽな ら ない とい うこと が 強 調 さ れて い る.
ドイッ本 国で は,
19
世紀末
か ら, トゥ ル ネン と その伝統的
トゥ ル ネ ン社 会に急
激に導
入 され普
及し てい っ た ス ポー
ツをめ ぐっ て,
トゥ ル ネ ソ・
ス ポー
ツ論 争 が 展開
されてい た鮭14}が,
板東
の俘 虜
た ちの トゥ ル ネ ン ・ ス ポー
ツ論は, ド イ ツ本 国で の トゥ ル ネン・
ス ポー
ツ 論 争 を 反 映 し た もの で ある と考
えら れる.
2
.久留米
にお け る体 育 ・ スポー
ツ活動
(
1
)
組 織“
Tumen
undSport
”
では , 各 種ク ラ ブの 会 員数
や会費等
に関 する記事
はみ ら れ ない が,
各 種競
技
大会
の経過
や結 果 を 伝 える記事
や 「運動
場が成 立 し てい た か を
知
るこ とができ
る.
トゥ ル ネ ン で は,
1916
年
12
月6
日発 行のDTZ
の記 事5〕で は,
この 時 点で , 「兵
士 トゥ ル ン フ ェ ライ ン 」, 「下士官 トゥル ン フ = ライ ン」 , 「予 備 役 年 配組
」の3
つ が成
立して い た と報告
されて いるが,
“Turnen
undSport
”で は,1919
年3
月 の時点
で,
「トゥ ル ン フ ェ ライγ・
クル メ 」,
「下 士官
トゥ ル ン フ ェ ライン」,
「トゥ ル ナー
シ ャ フ ト・
ク ル メ」の3
ク ラ ブ があっ た と報告
さ れて お り(月
一
1
−
8
)
,
こ の間に変動
が あっ た と推
察 される,
ま た, 「フ ッ トボ
ー
ル 選 手た ちは,1
つ あるい はもっ と 多 くの 新 しい フ ッ トボー
ル ク ラ ブ の設 立に よっ て,
長い 間 フ ヱ ラ イ ン の ジ プ シー
で あっ た人々 の欲求
を満
たす
た めに大 き な 成 果 を挙げ
ら れると思
う.
」(
月
一
1
−
7
)と期
待 され て い た フ ッ トボー
ル では, その後
, 「『
K
,
1
亅
EtS ),
「
K
.
2
球技
ク ラ ブ」,
rK
.
4
フ ッ トボー
ル ク ラ ブj
「
M
,
F .
V .
(海軍
フ ヅ トボー
ル ク ラ ブ)亅の4
つ の ク ラ ブ が集
まっ て フ ッ トボー
ル 連 盟が成 立 し た.
」 (月一
3
−
3
)
ま た,
これ らの ク ラ ブ に は,
そ れ ぞ れ7
つ の チー
ム が誕 生し,連
盟大会等
で 白熱
の試
合を展開
させ た.前
述
の3
つ の トゥ ル ネ ン の ク ラ ブに よ る大 き な運動場 (
gro
β
erSportplatz
)開 場 と と もに久 留 米での 活 動が始ま っ たシ a ラー
ク パ ル 競 技で は,「予想に反して短 期 間に 多 くの愛 好 家 を 得」,
「初め は各 自が所 属 して い るク ラ ブ で別々 に競
技
し て い た選 手た ちが 集ま っ て次々 に チー
ム を結
成 し,
見 事 な 成 果 を 挙 げた.
」そ して, さ らに参 加者
を 増 や すた め に, シ ュ ラー
ク パ ル連
盟 が設
立 された こ とが 報 告 さ れ て い る(月
一
2
−
4
).
また
,
ホ ッ ケー
で は, 「ホ ッ ケー
ク ラ ブ1
」,
「ホ ッ ケー
ク ラ ブII
」「ホ ッ ケー
ク ラ ブIII
」,
最 も多
くの会員
を誇
る 「予備役
ホ ッ ケー
ク ラ プ」 が 成 立 して い た.
フ ァ ウス ト バ ル で は,
3
つ の トゥ ル ネン の ク ラ ブが活
動
し て い た ほ か,「将校
フ ァ ウス トバ ル チー
ム」 も 成 立して い た.
将 校 用に は別に フ ァ ウス トパ ル競
技 場 も あっ た.
テ ニ ス で は , 「
将校
テ ニ ス フ ェ ライ γ 」と 「予 備役
テ ニ ス フ ェ ラ イン」 があ
り ,階級
に よっ て 分かれて い た.
テ ニ ス コー
トも
,将校
用 と下士官
用に分
か れて いた.
所 内での ス ボ
ー
ッ活動
を統 割す
る組織
と して は,
運動
場の割
り当てや使 用 上の規 則制定
の た め に 「運 動
場管
理委 員 会
(Sportplatzver
・
waltungsausschuβ)
」が設置
されてお り,
こ の委員会
に よっ て,俘虜
た ち が 円 滑に活動
する こと が でき
る よ うに取
り計
らわれて い た.
なお
,
ホ ッ ケー
大 会 を回顧
して の記事 (
月一
3
−
6
)で は , 「最
も結 験があ り,
最 も判 断 力のあ る競 技者
か ら委員
を選 出
し「
ス ポー
ッ委 員 会
(Sportausschup
)亅
を設立す るこ と 」が要 求 さ れ て い る.
こ の要求
は,r
ス ポー
ッ委 員会
は3
人ま たは4
人の委員
で構
成 され るも
ので,す
ぺ ての種
目の チー
ム を編
成し ,す
べ ての競技大会
の審
判
を し,
各 大 会で は,
各 種 目の り一
ダー
との 打 ち合わせ の もとに均衡
の と れ たチー
ム の組み合 わ せ を取
り決め る こ と を任務
とする.
また, す ぺ て の技 術 上の 問題
につ いて,最
も幅広
い裁
量 を もっ て い な け ればな ら ない。
」とい う もの であ
る